はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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おでんの卵の食べ方

銀座で、友人達と忘年会をした。
19の頃にバイトしていた喫茶店のバイト仲間と常連のお客さんという、異例とも思われるメンバーだが、ここ数年、毎年恒例になっている。若い頃からのつきあいでもあり、毎年会っていると、会った途端に話が弾む。家族構成やら、仕事やら、大抵判りあっているということもあり、気楽な女子会だ。

洒落たコリアン料理の店で、それぞれ最近のことなどを話し、飲み放題で盛り上がり、2次会に有楽町と新橋の間にある高架下の、入口にアジの干物が干してある店に入った。
何故だかそこで、おでんの話になった。
「昔さぁ、さえちゃんちで、おでん食べたよねぇ」
「食べた! 食べた!」「うん。食べたねぇ。いっぱい煮たの覚えてる」
あれはまだ、末娘が生まれる前だから、20年ほど前のことだ。
「その時にさぁ」と友人。
「ご主人に、おでんの卵の食べ方、伝授してもらったんだよね」
「ああ、あれ? ご飯にかけるやつ?」と、わたし。
夫は、おでんの最後の楽しみとして、必ず卵を食べずにおいておく。そして、器に卵のみをとり、半分に割って黄身を溶かし、白身を細かく箸で割り、汁をたっぷりとよそってご飯にかけて食べるのだ。
「わたし、今でも、あれ、やってるんだ。家族も一緒に」と、友人。
「へぇ、なんか、嬉しいねぇ」と、わたし。
すると、別の友人が「わたし、卵2個食べて、ご主人に叱られた!」
「あったねぇ! そんなこと。彼は卵に思い入れが強いから」爆笑である。
夫は今でも、もちろんそうやって、おでんの卵をご飯にかけ、食べている。

みんな大人になり、変わったことも多いけれど、変わらないこともたくさんある。おでんの卵の食べ方も、その一つだと思うと、そしてまた、友人が友人宅で我が家の食べ方をしていると思うと、嬉しくなった。
多分、来年も、こうして集まるんだろうな。変わらない友人達と、変わらないおでんの卵の食べ方に、乾杯!

コリアン料理、お洒落だったのに、撮れていた写真は1枚だけ。

2次会に入った店では、七輪でエイヒレを焼きました。
静岡名物抹茶コーラなるものがあり、友人が挑戦。普通にコーラの味だとか。

生牡蠣、今年初めて食べました。一度ジンマシンが出てからやめていたけど、
のど元過ぎれば熱さ忘れて、えいや!と食べました。美味しかった!
そして、ジンマシンもでなくて、よかったぁ。

店内には、巨大なテトラポットが2つ、飾ってありました。

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春雨じゃ、スープで温まろう

最近のひとりご飯で、マイブームは、春雨スープだ。
生姜と白菜必須で、あとは、冷蔵庫にあるもの。きのこ類や青菜、鶏肉などがあれば、なおいい。味つけは、鶏がらスープのみ。生姜を薄切りにして、たっぷり入れるので、辛みも味わえ、温まる。
なかなか効果が表れないダイエットにも、期待できそうだ。

ハマったのは、立川に出る度に寄る、駅ナカのワンタン屋さんで春雨ワンタンを頼むようになってからだ。ワンタン麺にすると、ボリュームがあり過ぎて、食べきるのに苦労する。春雨なら、するりと食べられ、値段も安い。辛いもの好きのなかにも、これは辛すぎる! と言う人がいるであろう辛ーい『四川タンタン風』に、まずハマり、春雨のコシの強さにまた、ハマったのだった。

ところで、今年も流行語大賞が決まったらしいが、後世にまで残る名セリフとは言い難いというのが正直な感想だ。春雨といえば、歌舞伎でも有名な月形半平太のセリフ「春雨じゃ、濡れていこう」を思い出す。
春の雨のなか、傘を持っているにもかかわらず、あえて濡れていこうと言う。一瞬「えっ、何故に?」「わざわざ?」と思わせ、小さな驚きを演出し「雨のなか、濡れて歩くのもまたよし」「かっこいいかも」と再考させる。ここに粋と思わせるポイントがあるように思う。
だが、粋なだけの言葉かと思いきや、じつは春風に吹かれる霧雨は、傘をさしても濡れ方は、たいして変わらないからだという説もあるらしい。粋であり、また現実的でもあるという訳だ。
時代を超えて残る言葉というのは、何かしらポイントがあるようだ。

さて。春雨じゃ、スープで温まろう。
まあ全く、粋ではないけれど、この季節、現実的な欲求まっしぐらだ。

さっと茹でただけ。コシが強く残っている方が、美味しいです。

大きな薄切り生姜を、がりがりかじるの、大好き。

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ニンニク塩麹の世界へ

Facebook で教えてもらった『ニンニク塩麹』を、作ってみた。
ミネストローネに使うと、コクが出て、更にまろやかな味に仕上がるというので、さっそくそのニンニク塩麹をオリーブオイルで炒め、刻んだ野菜も一緒に炒めてから、ミネストローネを煮た。
「これは、違う!」「全く別の、食べ物だね」夫も、うなずいた。
今までミネストローネだと胸を張って言っていたものは、ただのトマト味の野菜スープだったことを知る。自分の料理の腕が、格段に上がったような錯覚に陥るほど、美味しかったのだ。
教えていただいて、本当に感謝している。

ニンニクの栄養価も、麹につけることで大きくアップするらしい。
一歩足を踏み入れたばかりの、ニンニク塩麹の世界。これからは冷蔵庫に常備し、様々な料理に、活躍してもらおう。

ところで、最近やたらと失くしものが多いわたしだが(最近か?)ニンニクは、失せ物を見つけたいときに効く、まじないにもなるという話を聞いた。
ドラキュラは、ニンニクが苦手だということは知っていたが、ヨーロッパでは、魔除けの意味合いがあり「ニンニク、ニンニク」と唱えると、魔女が怖がって、隠していたものを出してくれるというのだ。
「ニンニク塩麹」と唱えたら、味と栄養価と共に、まじないの効き目もアップするかもしれない。ヨーロッパのまじないを、日本語で唱えて効き目があるかどうかは、怪しいところだが。

作ってみたら、ホントに簡単にできました。
みじん切りにしたニンニクを、レンジでチンして、塩麹に漬け、
冷蔵庫に入れて、一晩おくだけ。

朝食には向かなくても、この美味しさは、やみつきになりそうです。

ランチのマッシュルーム入り、オムライスにも入れました。

チキンにまぶして、30分おいて焼きました。おお! 絶品。

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帰ってきた夫の茶碗

修理をお願いしていた、夫の茶碗が帰ってきた。
茶碗を焼いた陶芸家、森下真吾さんに、頼んでいたのだ。
「これ、これ。この大きさじゃなくっちゃ」
夫は、手に馴染んだ茶碗が、綺麗に金接ぎを施され帰ってきたことを、とても喜んでいる。喜びついでに、茶碗の修理を頼んだ時に買った、新しい茶碗に、わたしのご飯をよそってくれた。
「あ、これ、もらっていいの?」と、浮き浮きと聞くと、
「貸すだけ」との答え。
だが、新しい茶碗は、じつはわたしの手に、ぴったりなのだ。

食器は、見た目だけでは選べない。何を盛りつけるかを考えて選ぶし、重さや触った感じ、茶碗や椀なら、手に持った感じも大切だ。そして、使い心地を実感するのは、実際に料理を盛りつけ、食卓に出してからになる。想像した使い心地が感じられず、食器棚の肥やし(?)になってしまうものもある。
そんななかで、夫の茶碗は、使うほどに手に馴染み、彼にとっては、もう手放せないと思えるほどの逸品だったのだと思う。
こんな出会いは、なかなか出来ない。
「ほんと、ラッキーだよなぁ」夫も、そして茶碗も。

朝食です。気に入った茶碗があると、ご飯が美味しくなりますね。

欠けていない場所にも、金が塗ってあります。デザイン的なものでしょう。
丁寧に仕上げていただいて、感謝です。写真を撮って気づいたのですが、
茶碗の底には、森下真吾さんのマークが、印されていました。

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傘が帰る家を間違える理由

会社の近くに、パンとワインが美味しい店があるというので、夫と出かけた。
荒木町の『chiori』天然酵母の手作りパンとワインに合った料理を出す、夫婦でやっている小さなワインバーだ。

静かに雨の降る夜だった。予報も1日雨だったので、長傘を持って出かけた。
くすんだピンクと白と明るいターコイズブルーで、鳥達が羽ばたいている柄。お気に入りの傘だ。気に入った傘があると、雨の日も、心が軽くなる。しとしと降る冬の雨は、地面に、また建物に、街の木々に、ゆっくりと吸い込まれていくかのようだ。

『chiori』に着き、木製のドアを開けると、やわらかな灯りが温かく迎えてくれた。外の雨のこともすぐに忘れ、わたし達は、家に帰ってきたような気持ちになり、席に着いた。奥さんの作る料理は、美味しいだけではなくお洒落で工夫されていて、天然酵母にこだわっているというパンは、かりっと焼いてあって、口に入れると香りが広がり、素敵に美味しかった。
夫は疲れていたようだったが、美味い料理があるとワインも進む。そのワインが美味ければ尚更である。
特別、何をしゃべった訳でもないが、楽しい晩餐となった。

帰りに、忘れずにふたり傘を広げた。雨は少しだけ強さを増して降り続いており、傘を忘れる心配もなかった。傘をさした時に、何かが引っかかったが、気にも留めず歩き出した。
だが、しばらくして、その大きさもさし心地もピンクの色合いも似ている傘が、よくよく見ると、自分の物ではないことに気づいた。
「あー、傘、間違えた!」「うわ、戻るしかないな」
温かみのある木製のドアの前で、わたしの傘は心細そうな表情で待っていた。
「ごめんね。だって、似てたんだもん」と、言い訳するわたしに、
「全然、似てないじゃん」と、夫。
そして、ようやくさっき引っかかったことに思い当たった。
「あ、わたしの傘って、ワンタッチだったんだ。便利だー」
そう思ったのは、いつもの傘にはワンタッチ機能がないからなのだが、何事も受け入れる性質(たち)であるわたしは、マイ傘が便利になったことを素直に喜び、疑いを挟む余地を持たなかった。

こうして多くの傘達は、帰る家を間違え、知らない家の傘立てで居心地の悪い思いをすることになるのだなと、納得した。
いやそれは納得するところじゃなくて、ただ単に、酔っぱらっていただけだろうって? いやー、料理もパンもワインも、最高に美味しかったです。

牡蠣が入った冷たい前菜。盛り付けが綺麗で、驚きました。
ジェノベーゼソースだけじゃなく、スパイスが効いていました。

おススメだというウニ卵。海老を使ったアメリケーヌソースが効いた
暖かい前菜です。パンにつけて食べても good!

パテとリエットと白レバーのムースなど、4種盛り合わせ。

オーダー後、1時間かけてグリルしたという、ローストポーク。
野菜も歯応えを残して、薄味で焼いてありました。

ニュージーランド産のピノ・ノワールを、ふたりで1本空けました。

メニューとランチョンマットは、シンプルな線画がお洒落です。
荒い目の曇りガラスが、窓やドア、棚にも使われていて素敵でした。
窓の外の雨は、湿った空気を感じるだけで、見えませんでした。

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お日さま色のおかみさん

霜月の今から、こんなに寒がってどうする? というくらい、連日、鍋だのスープだので、暖を取っている。
昨日は、薪ストーブに火も入れているのに、炬燵で粕汁を食べた。酒粕のアルコールがふんわり効いて、更に温まる。冬の料理だ。

粕汁には、塩鮭を入れることが多いが、豚肉派も多いらしい。具が少なくなったあと、リメイクし、豚、大根、葱、シメジなどを入れ、2度楽しんだ。

ところで、昨年辺りから、オレンジ色の白菜を見かけるようになった。名を『オレンジクイン』という。白い菜っ葉とかいてオレンジクインと読む、これ如何に。と思わないでもないが、明野町内でも作っているので、新鮮なものを買える。なので、町内産のオレンジクインを選んで買うことも多くなった。ポリフェノールなど、普通の白菜より多く含まれているそうだ。

オレンジ色の王女様は、まな板の上で、すまして言っているのかな。
「わたしを、白菜と呼ばないで」
いや、甲州弁で「白菜て何のこん言ってるでぇ、オレンジクインずら」かも。
『お日さま色のおかみさん』と呼ぶ方が、明野のオレンジクインには、似合いそうだ。暖かなお日さま色を、まずは目で楽しんで、それから美味しくいただこう。二度温まること請け合いだ。

こうして見ても、黄色っぽいけれど、スーパーなどで、
普通の白菜と並んでいると、ほんとオレンジなのがよく判ります。

酒粕を溶かすのには、チビ泡だて器たまたろうが、大活躍。

柚子のように黄色く見えるのが、白菜です。椎茸も町内産。
明野町も含め、北杜市は椎茸栽培農家さんがたくさんいます。

リメイクバージョンです。粕汁2杯食べて運転して、酒気帯びで、
実際に捕まった人がいるらしいので、運転するときにはおかわりなしで。
3杯食べても、酔っぱらわないけどなぁ。

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旅人を待つミネストローネ

ミネストローネを、たっぶりと煮た。
家族が少なくなっても、スープを煮る量は変わらない。鍋いっぱいに、セロリの茎やら、人参、玉葱、じゃが芋、キャベツなどの野菜をたっぷりと入れ、ベーコンを加えて煮る。季節は冬へと突入し、料理が傷みにくくなったこともあるが、トマト風味のミネストローネは、毎日食べても飽きないくらい好きなスープだ。我が家では、ニンニクを入れないので、朝食にも向いている。冷たい朝に温まるには、最適の献立。この冬も、何度となく食卓に登場しそうだ。

わたしのなかでのスープのイメージは、というと。
木枯らし吹く冬の夜、道に迷った旅人が、空腹で森をさまよい、たどり着いた小さな家の灯りに安堵し、ドアを叩くと、暖炉には火が温かく燃えていて、その上で大きな鍋が、ことことと音を立てている。無口な家主は、旅人に野菜くずを煮た熱々のスープをよそい、まずは温まるようにと差し出す。
つまりは、ホッとする料理、ということになるだろう。

帰る人を想い、スープを煮る。
その瞬間、誰もが、旅人を待ち森の家に住む、無口な家主になるのだ。
(迷子になった方は、いつでもどうぞ。方向音痴倶楽部副会長より)

ミネストローネには、赤いスープカップが、よく似合います。

朝ご飯にも、たっぷりいただきました。野菜って、温まるなぁ。

ランチには、パスタと一緒に。野菜の歯応えが残るくらいが好きです。

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お湯呑からサプライズのプレゼント

気に入って買ったのは、いつのことだったか。
夫婦(めおと)の湯呑み茶わんである。茶渋もそのままに使い馴染み、たくさんあるお湯呑みのなかから、たまに取り出しては、朝のお茶を楽しんでいた。
何度も目にしているモノは、往々にして、きちんと見る機会を逸するものである。その茶碗の模様が、何であるのかなど、これまで考えたこともなかった。幾何学模様のようにさえ、捉えていたようにも思う。

「あ、これ!」気づいた瞬間の驚きは大きく、声を上げて、夫に見せた。
「ほらほら、あれ!」動揺する意味などないのだが、名前が出てこない。
「ほら、庭にある、天麩羅にするやつ」
「なに?」夫はきょとんとするのみだ。
「タラの芽の実だよ、この模様!」
やっと言葉にすると、夫から校正が入った。
「タラの芽の実、じゃなくて、タラの実だろ」

何故、気に入ったのか、今はもう思い出せないお湯呑み。だが、庭に生る木の実を描いたものだと判り、更に愛おしくなった。
大きくなった庭のタラの木のように、時間をかけて、わたし達に馴染んできたお湯呑みからの、小さなサプライズのプレゼント。
胸の奥にそっとしまうと、そこだけ、ほっこりと温かくなった。

夫婦でそろえることが少ないなかの、一組です。大きさは、おんなじ。

こんなにそっくりなのに、どうして気づかなかったんだろう。

今年は、いっぱい実をつけました。春が楽しみです。

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お麩とのご縁

このところ、お麩づいているなぁと、思っていた。
すき焼きに入れた餅麩が、コシが強くて美味しいねと、夫と話したり、お隣のお宅から、京都土産の生麩をいただきバター焼きにしたり、先日、女子会をした山形料理の店では、山形の麩の唐揚げを食した。

すると、所用で走っていた甲府昭和の道で「ふ」と藍の暖簾に大きくかかれた店を見つけた。
「これは、ご縁以外には、あるまい」
お店は『麩の岡田屋』キオスク程の大きさの小さな店だが、奥は厨房になっていて、そこで麩のメープルシロップ風味クッキーやケーキなども作っている。
にこにこという描写がぴったりの笑顔いっぱいの若い店主が出てきて、
「お麩しかありませんが、ゆっくり見ていってください」と言う。

「山梨では、お麩を食べる文化が、まだまだ浸透していなくて、珍しがられるんですよ」と言うので、
「すき焼きに入れるのって、スタンダードなんじゃないんですか?」
すき焼き麩を、見て聞いた。
「山梨じゃ、やらないみたいなんです。失礼ですが、お国は?」
「ああ、夫が神戸なんで。そう言えば東京の実家では、入れなかったなぁ」
京都の生麩や、山形の麩の唐揚げなどの話をし、しばし盛り上がり、餅麩で唐揚げに挑戦しようかと、粟入りの生麩と、松茸の香りがするというまつたけ麩と共に購入した。
油で揚げた仙台麩も、仙台名物にある。沖縄では、チャンプルーにも入れるらしい。地方によって、食べる頻度が全く違うのだと、あらためて認識した。我が家もあまり食卓に登場しない方に入るだろう。

縁のある人とは、道端で何度もばったり会ったりするものだ。食材との出会いも、またご縁。そして、縁があるのだなぁと思っていたら、じつは自分にとって大切なことだったのだと後から納得することも多い。ヘルシーで意外と栄養価の高いお麩との出会い、大事にしてみようと、レシピを検索した。

藍の暖簾に「ふ」うーん。素敵な店構えですねぇ。

細工が可愛い花麩の他にも、茄子麩なんていうのもありました。

車麩も、大小ありました。カレー屋さんとコラボのお知らせも。

「ふァウンドケーキ」と「ふ」がひらがなで描いてあるところが、お洒落。

さっそく、生麩でイタリアンに挑戦。オリーブオイルとニンニクで、トマトと一緒に焼きました。もっちり生麩とカリカリニンニク、トマトの酸味が絶妙!

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今夜は『鍋』にしよう

夕べは、寄せ鍋にした。子ども達はいないが、鍋好きの夫婦ふたり。今年も鍋の夜が多くなりそうだ。
ところで、ずっと不思議に思っていたことがある。
「どうして『鍋』って名前なの?」
寄せ鍋、チゲ鍋、牡蠣鍋、豆乳鍋、最近ではトマト鍋やカレー鍋の素も、売っている。そういった食材や味つけの名前が入ると、料理らしくなるのだが、ただ『鍋』というと、それは調理器具ではないか、と思ってしまうのだ。
だが、普通に会話で「今夜は鍋にしよう」などと言う。何処かでひっかかる違和感を覚えつつも、自分でも使っている言葉だ。

ところが、調べてみると、全く簡単なことだった。『鍋料理』の略。ザッツオール。これまでひっかかっていたのは、いったい何だったんだろうと、がっくりするほど単純な答えだった。
クイズやパズルなどでは、解けない人にはもう何時間かけても解けず、逆に一瞬で答えが判ってしまう人もいるという。
『鍋』に関しては、わたしは前者だった訳だ。他にもいるのかなぁ。『鍋』って名前、変だよなぁって思っていた人。いや、いる。絶対にいる。そう信じよう。信じる者は、救われるのだ。

牡蠣も白菜も、美味しい季節になっていきますねぇ。

春菊を最後にたっぷりと入れて、ひと煮立ちすれば、出来上がり。

味つけは、夫の担当。薄口醤油と味醂、酒のみです。
薄味で美味しかった~。あったまった~。食べすぎた~。

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大根に冬を感じて

埼玉の末娘を訪ね、東京で友人達と飲み、帰ってくると、ポストには銀杏、ウッドデッキには大根が置いてあった。
「笠地蔵さん、ありがとう」
地蔵に笠をかけた覚えはないが、ありがたくいただく。銀杏は、近所の年下の友人から。多分、大根は、毎年お米を買っている田んぼのお婆ちゃんからだ。
これは、熱燗だな。と、ひとり晩酌のメニューを考える。夫は留守だが、買ったばかりの甲斐男山を開けて、くいっと呑んで温まろう。

大根は、いつも入れる鶏肉は省き、白だしでことこと煮た。大根の葉は、軽く茹でて胡麻油で炒め、みりんと醤油をさっと煮たて、銀杏は、レンジでチンして、五島列島の塩を添える。冷凍庫には、京都の生麩がある。バター焼きにし、晩酌の準備は整った。
薄味で煮た大根は、しっとりやわらかかった。

「大根の季節に、なったんだな」冬が来るのだと、不意に実感する。
そう言えば、と、留守にしている間に『明野ふるさと大根祭り』が、やっていたことに気づいた。何年か前までは、子ども達を連れて出かけた、明野で一番盛大なお祭りだ。大根抜き体験もでき、大根の形のアドバルーンが上がる。
子どもが大人になっていくと、こういう場所に行くこともなくなり、祭りがあることさえも忘れるようになったかと、少し淋しいような気持ちで考えた。
時間の流れって、不思議だ。じつは不思議でもなんでもないことなのだが、ある時ふと立ち止まって考えると、自分の忘れていた部分、見ていなかった部分も、知らぬ間に時を経ている。それが不思議に思えてしまう。だから、見過ごした車窓の風景を惜しむように、振り返ってみたりするのだ。
それでも明野は、変わらず「大根の村」で、わたしは今年も、ウッドデッキに置いてあった大根を煮て、温かな冬を感じている。

掘りたてだったようで、土がまだ湿っていました。

イチョウももう、銀杏を落とす季節なんですね。

甲斐男山は、熱燗にぴったりの日本酒。身体の芯から温まります。

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潜在意識と葱味噌ラーメン

夜中にふと目が覚め、ハッとした。
前日作成した書類の不備に、気づいたのだ。その不備は、取り返しのつかないことではなく、修正し再送すれば、何も問題はなかった。
「なのに、何故こんな真夜中に?」
だがじつは、このパターン、よくあるのだ。
これに助けられたことも、数えきれないと、言ってもいい。また、ミスではなくとも、こうすればもっとよくなるという方法を、思いついたりもする。

昼間、いい加減な仕事をしたつもりはない。経理事務である。月末で、失敗は許されない仕事は数々あれど、ひとつひとつ丁寧にこなしていったはずだった。それに、その書類が、特別気になっていた訳でもない。それなのに。
ただ今月は、修正個所がいつもの3倍にもなり(厚生年金の比率って、じわじわと増えているって知っていますか? または、健康保険料も、ニュースにならずに毎年どんどん増えているってこと、知ってる? 会社が給与下げてる訳じゃなく負担は増えているのに、手取給与が減ってるんだって事実、知ってる?)緊張感が半端じゃなかった。

それで、夜中にハッ! と気づく破目に陥ったのだろう。
更に、脈絡もなく思った。だいたい書類の不備に気づいたことさえ、脈略がないのだから、夢のなかで場面が飛ぶのと等しい感じで、ひらめいたのだ。
「ああ『NARU-TO』の葱味噌ラーメン、食べたいなぁ」
特別気にしていなかったと思われることが、浮き彫りになる不思議を感じざるを得ない。気になる度で順位をつければ、5番目以降、7位や8位の快進撃。青天の霹靂的な上位進出。うーん。理解しようにも、その枠を超えている。

朝起きてすぐ、書類は修正し再送した。そしてもちろん、甲斐市まで車を飛ばし『NARU-TO』に、葱味噌ラーメンを食べに行った。
あまりに美味しそうな匂いに、ことんと丼ぶりを置いた店主の前で、ごくんと唾を飲み込んでしまい、あ、これ絶対聞こえた!と恥ずかしい思いをしつつ、ああ、わたし『NARU-TO』に葱味噌ラーメン、こんなに食べたかったんだ、と、ただただ熱いラーメンをすすったのだった。
潜在意識とは、実に恐ろしいものである。

夢にまで見たラーメンとは、このことかな?
こってり味噌スープに、しこしこ太麺。なるとの色が反対なのがいい感じ。
朴訥な印象の店主が、ひとりでやっています。

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あるものラタトゥイーユ

「きみは、本当にラタトゥイーユが、好きだね」
この夏は、夫にそう呆れられるほど、ラタトゥイーユを作った。
こんなにラタトゥイーユ三昧の夏は、これまでになかったというほどだ。
今週末も、夫の両親を神戸から招くに当たり、前日にたっぷりと煮ておいた。野菜大好きな両親は、とても喜んでくれた。

ところで、何故これまでにないラタトゥイーユな日々を送ったかと言えば、理由がある。意識変革をしたのだ。いや、大そうなことを言うには、恥ずかしいような小さなことなのだが。

これまで、ラタトゥイーユを煮る時には、いつも気を張っていた。何しろ、材料の種類が多い。調味料も、普段あまり使わない白ワインビネガーがキーになる。用意し忘れてはいけないと、それで気を張っていたのだ。
だが、今年は大量に茄子を頂いたこともあり、それをやめた。
その1。ラタトゥイーユに必要なものは、オリーブオイル、にんにく、茄子、トマト缶。それだけあれば、いいと考えることにした。白ワインビネガーさえ、バルサミコ酢や酢を混ぜたり、代用品で可。あるものラタトゥイーユなら、気を張ることもなく、出来上がる。
その2。冷やして食卓に出すことに、こだわっていたのだが、それをやめた。熱々もまたオツなもの、と考えることにした。時間がない時に、熱いものを冷やすのは、けっこう手間なのだ。
という訳で、ラタトゥイーユ比率は、ぐんぐん上がった。家計にも、身体にもいいんじゃないかなと、自分では満足している。

さて。夫の両親のためにと、気を張って作ったラタトゥイーユだが、まず長葱を買い忘れた。長葱って、どうしてこう知らないうちに失くなっているんだろう。そして、白ワインビネガーが少しだけ足りなかった。全然気を張ってないんじゃないか? と、自分で突っ込みたくなる。だが、それもよしと考える。バルサミコ酢をほんの少し加えたラタトゥイーユは、酸味が抑えられコクが出た。なんと、いつもより美味しいくらいだったのだ。料理って不思議だ。
という訳で、冬になっても、熱々あるものラタトゥイーユ、楽しもう!

野菜って、何度写真にとっても思うけど、綺麗だよなぁ。

このくたくたに煮た感じが、たまらなーい!

我が家の定番、簡単カルパッチョとセロリサラダもたっぷり作って。

パエリアも、スペインのスーパーで買ったパエリアの素で作りました。
料理上手な友人まりりんに教わった作り方をアレンジして、大成功!

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テーブルの上の林檎

我が町、明野町は、昔から大根と林檎の村と呼ばれていたらしい。合併し北杜市に統合され、明野町と名をあらためたが、越して来た頃にはまだ村だった。

テーブルの上の林檎を見ると、思い出すことがある。
結婚した頃、東京は大田区に住んでいたのだが、子どもができ、近場のアパートを探して引っ越した。何しろ、住んでいたのは6畳一間で、さすがに子どもと3人では、暮らせないだろうということになったのだ。
そこで生まれたのが、今年27歳になる息子で、ちょうど隣の部屋でも、同い年の女の子が生まれ、仲よく遊ばせてもらった。アパートの前の通路は、車が入れない行き止まりで、そこでこぢんまりと遊ぶことも多く、お隣の奥さんと立ち話をしたりしながら、のんびりとした時間を過ごした。

息子が2歳くらいだっただろうか。日も暮れて、友達とバイバイした彼をひょいと抱き上げ、アパートの階段を上った。忙しくキッチンに立つと、息子は居間でおもちゃを出し始めたが、そのテーブルに、見覚えのない林檎があった。朝、夫を送り出す時には、なかったものだ。
林檎を買ったのなんていつだったのか思い出せないくらい前のこと。これは、いったい?と首を傾げるが、息子は言葉が遅く、彼に聞いても埒はあかない。
「ああ、林檎。抱っこした時に、おててに持たせたのよ。おすそわけ」
何のことはない。翌日、隣に住む彼女の種あかしを聞き、謎は解けたのだが。

その時に、思ったのだ。
「家族が増えるって、こういうことなのかも知れないなぁ」と。
ひとり暮らしをしていた頃は、小さな部屋の隅々まで、すべてを把握することができた。荷物も少なかった。結婚してふたりになり、荷物はそう多くはなかったが、すべてを把握することはできなくなった。そして、子どもが生まれ、こうして部屋のなかに自分の知らないことが、ひとつ、またひとつと増えていくのだと。それが、家族になるっていうことなのだ。

林檎の村の、もぎたての林檎は、甘酸っぱく瑞々しかった。

購入したのは『陽光』日本一日照時間が長い、明野に似合う名前ですね。
他に『王林』や『千秋(せんしゅう)』もありました。

もうすぐ出荷される『ふじ』冬の間、楽しめる品種です。

赤が濃いのは『新世界』という品種だそうです。たわわに実っていました。

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丹波篠山の黒大豆枝豆

神戸に住む夫方の叔父から、丹波篠山の黒大豆枝豆が、届いた。
お世話になっているお礼にと送ったささやかな品の、これまたお礼にと、送ってくれたものだ。夫が電話をして「お礼に送ったのに」と言うと、ただにこやかに「そうか」と笑っていたという。無口だが、電話口の向こうから笑顔を見せるという特技を持つ、叔父なのである。

独特の甘さを味わうには、鮮度が命だという黒大豆枝豆。さっそく塩茹でし、夫とビールで楽しんだ。金曜に届いたので、週末の3日間、毎晩いただいた。
「茹でたての熱々より、冷蔵庫で冷やした方が、美味いな」
夫の考察により、茹でたものを冷蔵庫で冷やしておき、夕方にはビールを飲む。いい週末となった。

季節も折。日曜の朝、テレビでその枝豆の特集をやっていた。旬である今しか食べられない逸品なのだそうだ。黒大豆枝豆を食べ続けて60年という女性が登場し、様々な料理法を紹介した。
「ほくほく」「甘い!」「栗ご飯みたい」「いや、違う」
出演者達が、それぞれに感想を述べていた。

「あ、これ、美味そう」「いいね。明日の朝、炊こうか」
すぐさま相談がまとまったのは「黒枝豆ご飯」これが、美味かった。新米と炊くことで、さらにほくほく感と甘みが増しているように思えた。
その作業のなかで知ったのは、生豆は黒くないということだ。茹でると薄皮が黒っぽくなる。薄皮のなかは緑色。成熟した黒豆は、この緑の薄皮が、生豆のまま、すっかり黒くなるのだそうだ。
「黒って、綺麗な色だよなぁ」
黒大豆枝豆を食べつつ、心はお正月の黒豆に飛んでいた。来年の話をしても、鬼が笑わない季節になったと、黒大豆枝豆は、教えてくれた。

受け取ると、ずっしり重みがありました。

さっそく茹でて。わ、ほんとに黒いんですねぇ。

でも、生豆をむくと、黒くない。不思議です。

やっぱり火を通すと、薄皮が黒く変色するんですね。ご飯ほっくり。

ふむふむ。300年もの間、受け継がれてきたんだぁ。

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コップのなかの空

久しぶりに、歯医者に行った。
歯医者に行くと、いつもそうだが、いつにも増して、さらにぼーっとしてしまう。待ち時間が、こまごまと多いせいだろうか。
治療用の椅子に座り、待つ。エプロンをかけてもらい、待つ。歯科衛生士の女性に、様子を診てもらい、待つ。
その時、何の気なしに読んだ。
「コップのなかの水を、空(そら)にしてから、置いてください」
もちろん「から」と読むのが正解だ。
だが、待っている間、観葉植物の向こう、窓の外には秋の空が広がっていた。
つい「そら」と読んでしまっただけだが、白い紙コップのなかに、空が広がっているのを連想してしまう。

そう言えば、最近、ブルー・ソーラー・ウォーターを飲んでいないと、思い出した。青い入れ物に入れ、太陽の光を15分ほど浴びせるだけでできる、不思議なパワーを持つ水。

歯医者の帰りに寄ったいつもと違うスーパーには、いつもと違う水が置いてあり、奇しくもブルーの瓶だった。
買って帰って、さっそく作った。と言っても、窓ぎわに水の瓶を置くだけ。
しばらく置いて飲むと、秋空に染まっていく自分を感じた。

太陽の光って、ものすごく強いんだなぁと、あらためて感じます。
  
そして、綺麗。炭酸水だったので、しゅわしゅわ、光も揺れています。
これから毎日、水を入れて飲もうっと。

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穏やかな気持ちをつくるもの

気持ちが穏やかになる瞬間、というのがある。
例えば、通りすがりに無邪気な子どもの笑顔が、目に飛び込んで来た時。
また例えば、ふと夕闇の空を見上げると、消え入りそうなペーパームーンが、静かに浮かんでいた時。
また例えば、久しぶりに友人から、手紙が届いた時。などなど。

しかし、その時わたしは、不意に気持ちが穏やかになった原因が、判らなかった。夕刻、キッチンで忙しく立ち働いていて、ちょっと疲れたなぁとさえ思っていたのだ。だが、何となくそんな気持ちがほぐれ自然と笑顔になっている自分を、不思議に思っていた。そして料理の下ごしらえを終え、朝飲んだ珈琲カップを片づけようと布巾の上に伏せたカップに手をかけた瞬間、気づいた。
「これかぁ。この、水色。この不器用なチューリップ。ふふふ」
思わず、笑った。さっきから、バタバタしているなか、何度も目に入っていたのが、珈琲を飲む時に気に入って使っているカップの底に刻まれた絵だったのだ。その絵が、わたしの疲れた気持ちを、ほぐしてくれていたのだった。

普段見えないカップの底のチューリップを、しげしげと見つめ「ありがとう」と礼を言った。じつのところ、この世に、意味のないものなどないのかも知れないと、胸に広がる落ち着いた水色を、しばし感じていた。

優しい水色と、落書きのようなチューリップです。

ウッドデッキで飲む珈琲が、更に美味しくなったような気がしました。

足元では、けろじが、珈琲の香りをかいでいました。
けろじを見て、また、心穏やかになるわたしです。

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栗ご飯の記憶

「桃栗3年柿8年」と言うが、数年前に植えた栗の木に、ようやく食べられるほどの実が生った。木はまだ小さいが、大きく立派な栗の実である。嬉しい。
木に生っているうちは、収穫には早く、落ちてしまうと虫に食われるというので、毎日観察しては、拾っていた。
「そろそろ、いいんじゃない?」「だよねぇ」
夫が連休、枝を揺らしてみると、ぼろぼろ落ちた。数えれば、栗ご飯にちょうどいい数ある。さっそくお昼に炊くことにした。
栗ご飯は、甘くほっくりと炊け、庭の栗を思う存分味わった。不器用に栗を剥いた手は痛んだが、苦労の甲斐ある味だった。

「子ども達も、栗ご飯、好きだったなぁ」と、思い出す。
ひとり暮らしじゃ、もちろん栗ご飯を炊いたりはしないだろう。だが、いいのだ、と考える。我が家で食べた栗ご飯の記憶があれば、それでじゅうぶんなのだと、思える。

上の娘がチェコのステイ先で、お好み焼きを焼いたとの facebook を読んだ。
「うちって、結構な頻度でお好み焼き、焼くよねぇ」と、夫。
「一般的家庭で、お好み焼きが食卓に登場する頻度が、判んないけど」
彼女は、お好み焼きが我が家の味の一つだと、記憶しているのだろう。そんな話を、夫としていて思ったのだ。
家族でホットプレートを囲み、お好み焼きを焼いた記憶。春には筍ご飯を、秋には栗ご飯を食べた記憶。兄弟で唐揚げを取り合った記憶。朝一番に起きた者だけが、親子丼の残りを食べられたという記憶。そんな記憶が、彼女達のこれからを作るものの一つになっているのだと。

手抜きもたくさんしたけれど、料理が好きでよかった。
「わたしって、もしかして、料理上手なんじゃない?」
栗ご飯を頬張りつつ言うと、夫が、笑ってうなずいた。

夫が枝を揺らすと、すぐに落ちました。いたたたと言いつつ、収穫。

二人分の栗ご飯には、ちょうどいい数。綺麗な栗です。

炊き立て~。香ばしい匂いが、部屋中に広がっていました。

夫とふたりのランチは、ちょっと豪華に鶏肉とサラダも添えて。

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松茸採りは、ゆっくり歩いて

夫が、顔色を変えて、帰宅した。
何事かと思えば、松茸である。キノコ狩りを趣味としている知人に、いただいたと言う。彼の興奮は、ただちにわたしに伝染し、キッチンで袋から出した松茸を見るなり「おーっ!」という雄叫びにも似た声を上げてしまった。
「結婚してから、松茸なんて食べたことあったっけ?」と、夫。
「いや、ない。買ったことも、貰ったこともない」と、わたし。
食べたとすれば、和食ランチか何かで、茶碗蒸しにでもひらりと薄っぺらくのせてあるものくらいだ。
手に持ってみて、匂いを嗅ぎ「おーっ!」再び、雄叫びをあげる。調理せずとも、いい香りがした。これはもう大切に、シンプルに味わおうと、酒と塩を振りグリルで焼いた。口にして再び「おーっ!」これだけ盛り上がれば、松茸も本望だろうというくらい、ふたり楽しんだ。

歯ごたえや香りを満喫しつつ、聞けば、いただいた知人は、子どもの頃から、親に連れられて松茸を採りに行っていたという。
「若い頃は、早く採れる場所に着きたくて、早足で山を歩いてたんだって」
夫が、知人から聞いた話を聞かせてくれた。それが、歳がいくにつれ、はやる気持ちに足も追いつかなくなり、ゆっくり歩くようになったそうだ。
「それが、おもしろいんだよ。松茸がある場所に着くのは遅くなったけど、最近の方が、松茸を採る数は増えたんだって言うんだ」
通り過ぎていただけの景色が、よく見えるようになり、松茸や他のきのこもまた、よく見えるようになったらしい。
「ゆっくり歩いた方が、周りがよく見えるって、当たり前だけど、忘れがちだよね」わたしも、松茸が生える山を想像しつつ、うなずいた。
すでにゆっくりしか歩けないが、それはそれで、いいこともあるようだ。ゆっくり、行こうよ。松茸だって、そう言っているのだ。

笠が開いているので、見た目松茸に見えませんでしたが、
写真に撮ると、松茸っぽい! やっぱりわたしには、きのこ狩りはムリそう。

うーん。香りを味わうって、こういうことなのね~と、納得!

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初めての玄米リゾット

今更、と思われる人も多いかと思うが、初めて玄米ご飯を炊いた。
1年分の米は、近所の田んぼから玄米で購入して、玄関に置いてある。それを精米して、普段は食べているので、白米を手にするよりも、玄米の方が遥かに手がかからず、山と積んである訳だ。なので、白米に何割か混ぜたりして、玄米のぷちぷち感を楽しんだり、古代米を頂いた時などは、紫に染まる米も楽しく、やはり何割か玄米のまま白米に混ぜて食べていた。だが、白米の美味しさに勝てず、玄米のみのご飯を炊こうとは思わなかったのだ。

そしてまた、今更と思われる人も多いかと思うが、初めてリゾットを作った。
粥類は、夫が好まないこともあり、やはり手をかけて作ろうとは思わなかったのだ。まだまだ料理の世界で、足を踏み入れていない領域は、宇宙のように広いのだなぁとあらためて思う。これを機会に、宇宙へと旅立とう。

その『玄米のきのこリゾット』が、おっ、と言うほど美味しかったのだ。
常備している材料で、時間もかけずに、ひとりランチの出来上がり。玄米のぷちぷち感は、ほどよく、玄米のみとは思えない食べやすさ。これで食物繊維がばっちりとれるのかと思うと、それも嬉しい。
玄米は2合炊いて小分けにし、冷凍しておいたので、これからも材料や味を変え、楽しめそうだ。

新米が届くまで、あとわずか。黄金色に実った稲を見ると、その一粒一粒に、太陽の恵み、大地の恵み、水の恵み、そして人の力を感じる。今年の米を、わくわく待ちつつ、レシピも増やしていこうと思う。

ご飯100gって、意外に少ないんですね。シイタケ買い忘れた~。

でも作ってみたら、たっぷり一人前。お腹いっぱいになりました。
庭のイタリアンパセリは、まだまだ活躍中です。
レシピはこちら → 『セニョーラ・あ~の気ままな食卓』

近隣では、稲刈りの季節。稲の天日干しは、秋の風物詩ですね。

束ねたこれを干していくんですね。手間をかけ美味しいお米ができるんだ。

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アカヤマドリのクリームパスタ

アカヤマドリという、きのこをいただいた。
キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲を焙煎し、日本野鳥の会所属の陶芸家であり、山菜にも蛇にもきのこにも詳しいご近所さんが、林で見つけたと、持って来てくれたのだ。

じつは、今年はきのこの当たり年だと聞き、その日、夫と隣りの林を歩いたのだ。すると、あるわあるわ。様々なきのこ達。
だが、きのこに詳しくない夫とわたしが見たところで、食べられるかなど判るはずもなく、きのこ図鑑を見たところで「これに似てる」止まりで、食べようなどとは、つゆとも思っていなかった。
きのこ図鑑を見て、こりゃだめだとあきらめた一番の原因は、シイタケだ。
「あ、これなんか、美味しそう」と指差したきのこが、シイタケだったのだ。
ページをめくるうちシイタケのページが出てきたのだが、これが全くシイタケに見えなかった。見慣れたものも、こうして図鑑に写真で載ると、違って見えるものなのだ。シイタケでさえ判らないのだから、初めて見るきのこを判別するなど、無茶というものだ。それで、はなからあきらめていた。

そこにやってきたアカヤマドリ。クリームパスタにして、赤ワインを楽しんだ。それが、本当にびっくりするほど美味しかったのだ。初めて、きのこに夢中になる人の気持ちが判った気がした。それでも、まあ、シイタケが見分けられないうちは、きのこ狩りに出かけようとは思わないけどね。

大きい! ワインオープナーが、小さく見えますね。

一番大きいのを、洗って、刻みました。これだけで、じゅうぶんです。

写真よりずっと、クリームが黄色くなりました。食欲をそそる色でした。

これは、隣の林のきのこ。可愛いけど、食べられないでしょう、たぶん。

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新秋刀魚

連休、夫とふたり、バーベキューをした。
バーベキューと言っても、何のことはない。炭を起こして秋刀魚を焼こうというだけだ。新秋刀魚が、光を放ち、店頭に並ぶ季節である。秋刀魚は、網の上で、じゅうじゅうと音を立て、赤く焼ける炭に、脂を落としていく。

「秋刀魚には、何故か、赤が似合うね」と、夫が赤ワインを開ける。
「魚なのにねぇ。脂がのってるからかな」わたしも一緒にワインを傾ける。
それでも、大根おろしに醤油でいただく。日本人なのだなぁ。

せっかく炭を起こすのだから、鶏肉も焼こうと、準備をした。肉に塩をしていて、子どもの頃に読んだ童話を思い出した。
王である父が3人の娘達に問う。どのくらい自分を愛しているかと。長女は「ダイヤモンドのように」次女は「金銀のように」愛していると答える。だが三女の答え「肉に振る塩のように」に、王は怒り、娘を追い出してしまう。
その話を夫に聞かせると、ぽつりと言った。
「国のトップになって、自分が一番偉い、偉くなきゃいけないって思うと、周りが見えなくなるものなのかな」
ふうん。そこに視点を当てるのか、と焼けていく肉を見ながら思う。
「父親の感性に合わせて答えるだけの目を、娘が持っていなかったとも言えるね」とは、わたし。
会社経営をする夫と、経理を含め、それをサポートするわたし。童話に見た視点一つでも、それぞれの立ち位置が見えるようで、おもしろい。

夫が起こした炭で秋刀魚を焼き、わたしが大根をおろす。わたしが味つけした鶏肉を夫が焼き、わたしが切り分ける。
同じ火を見ても、見えているものは違うかも知れない。それでも、同じ火を見て、同じものを食べるのはいいものだ。この秋初めてフリースを着て、食後もしばらく、そんな風に火を見ていた。

秋刀魚って、本当に綺麗ですね。まさに刀って感じ。

炭火で焼くからか、いつも子ども達も、腹まで残さず食べていました。

鶏もも肉は、ニンニク塩胡椒で、simple に。

皮がパリパリで、中身はジューシー。さすが、炭焼き!

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終わりを告げる、茗荷の季節

茗荷の季節が、終わる。
最後の茗荷を、ピクルスに漬けた。淡くピンクに染まり、見た目も可愛い一品。ひと夏楽しんだ茗荷も、もうおしまいかと思うと、淋しい限りだ。

何年か前に植えた茗荷を、毎日楽しめるほどに収穫できたのは、今年が初めて。朝6時前に、味噌汁の薬味にと、茗荷をとりに庭に出るのが日課になった。頭をちょっとだけしか見せていない茗荷を探し、雨に濡れた日もある。夜、奴の薬味にしようと思っていたのにとり忘れ、懐中電灯で照らしながら、夫と、探したことも1度や2度ではない。
義母にも送り、喜ばれた。義父は、これまであまり美味しいと思ったことのなかった茗荷の香りのよさに、80歳を過ぎて初めて気づいたそうだ。
茗荷を堪能した夏だった。

先日、外での食事で、柴漬けが出てきた。全体がピンク色の柴漬けは、パッと見、素材が何か判りにくい。だが、夫が箸をつけるなり言った。
「あ、茗荷」わたしも同意した。「ほんと、茗荷だ」
ひと夏で、茗荷はわたし達に近しい存在となったのだった。

探しまわって、見つけた時の喜び! 太ってますね~。

ピクルスは、日本酒にも合います。もちろん、ワインにも。

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忘れていた、うどんに大切なもの

様々なことを、記憶の袋からぼろぼろと落としている日々。ハッと気づく機会も、多くなっている。
特に料理は、正しかろうが間違っていようが、自分流になりがちだ。美味しさを追求する気持ちと、手抜きしたなかで美味しく食べたいという気持ちが交錯し「いつもの味」に、手抜き要素がばっちり組み込まれていたりする。そして手を抜いていることすら、都合よくも、忘れてしまっているのだ。

所用で東京に出た際、とても美味しいうどんを、食べた。ひと口食べて、まるで魔法でもかけられたかのように、忘れていたことを思い出した。
細いうどんが好きなわたしぴったりの細麺。しっかりコシのある、手打ちの麺だ。しかし、思い出させてくれたのは、麺ではなく、出汁だった。海の香りいっぱいの薄味の出汁の風味たるや。思いっきり感動した。そして、考えた。
「最近、出汁とってなかったよなぁ」
美味しい「和風だし」を見つけてから、出汁をとらなくなった。鰹や昆布、煮干しを使い、自分で出しをとるよりも、この出汁の素の方が美味しいとやめたのだ。息子が3歳くらいの頃には、ふたりよく煮干しの頭とワタをとったことを懐かしく思い出した。テーブルの上に広げて、遊び感覚で楽しんでたっけ。

うどんには、鰹だけではなく鯖やウルメ、メジカ、昆布などを使い「こだわりました!」と、大声で叫ぶ出汁の主張を、色濃く感じられた。うどんと言えば、細さとコシだろうと思っていたわたしに、出汁の存在を忘れるなと忠告してくれたようにも感じる。
「大きな袋の鰹節、買ってこようかな」
出汁の香りに酔いしれて、うどん屋を後にした。

かき揚げは、自分では作らないので、すごーく贅沢気分 ♪

汐留シティセンターの『つるつる』店名の簡潔さが simple な味の象徴。

食べ終わって外に出ると、ポスターが。入る時には、入口のメニューばかり
見ていて、その周囲には気づきませんでした。見過ごしているものの多さよ。

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桃クリームチーズと「アンケズッケロ」

桃の季節ももう、終わりだ。いただきものの桃も、すべて食べつくした。
そんな時、見つけたレシピが『桃クリームチーズ』
『桃モツァレラ』が流行ったことすら知らなかったが、レシピを見ただけでも、簡単で美味しいと評判になるのも、うなずけた。
地元、山梨産の桃が手に入る今なら、気軽に楽しめそうだと、さっそく桃を買って来た。桃を購入するのは、我が家ではとても珍しい。桃の季節になると、どこからか、どんぶらことやって来るからだ。毎年、いただきものを味わって、おしまい。だが『桃クリームチーズ』を試したくて、何年かぶりに、桃を買った。

白ワインに合うとの、レシピの記述を読み「アンケズッケロ」というフレーズを、懐かしく思い出した。7年前、夫とふたり、イタリアを旅した帰りの飛行機でのことだ。
夫がシチリア産の白ワインを選ぶと、スチュワードさんが嬉しそうに、自分はシチリア出身なのだと言った。そして、わたしの片言とすら言えない、にわかイタリア語をたいそう面白がってくれて、わたしたちふたりに、フレンドリーに接してくれた。その時教えてくれたのが、シチリアの桃の食べ方。白ワインに桃を浸けて、砂糖をかけ食べる。
「アンケズッケロ」と、彼はアドバイスするように、言った。
「アンケズッケロって、なに?」と、夫。
「えーっと、アンケは、~も、で、ズッケロは砂糖だから、砂糖つけて食べるってことかな」
そんな風に、シチリア風桃のワイン浸けを味わったのだった。
イタリアの桃は、山梨の桃とは全く違っていた。硬く酸っぱく甘くない。違うフルーツだとも言える。白ワインに沈んだ桃は、不思議な味がした。

桃と白ワインの記憶は、旅のエピローグ。「アンケズッケロ」は、しばらくふたりの間で、意味もなく流行った。他愛もないエピソードだが、スチュワードさんの人懐っこい笑顔と共に、忘れられないフレーズとなり、レモンの酸味も爽やかな『桃クリームチーズ』のなかにも、見え隠れすることとなったのだ。

「白ワインが合うねぇ」と、夫。レシピもとのページ
『セニョーラ・あ~の気ままな食卓』に「そうかいてあったよ」(笑)

色合いはジミーですが、とろける美味しさって、こういうこと!
刻んで、エクストラバージンオリーブオイルとバルサミコ酢、
レモン汁、塩、胡椒を混ぜるだけ。簡単美味しい ♪

イタリアからの帰り、空の上で食べた桃のワイン浸けです。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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