はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

ひとかけらの後悔

涼しくなって、毛糸物を編みたくなった。
ずっと前に買ったベージュの毛糸があったので、自分用にマフラーでも編もうかなと編み始めた。久しぶりに棒針で、だが簡単なモノ、簡単な編み方というスタンスは崩さず、リブで編んでいった。編んでいくうちに、思いついた。
「そうだ。この間衝動買いしたベレー帽に合わせられるような、ショールマフラーにしよう」
ベレーは、ベージュと白が基調になっていて、様々な色が入っている。ラベンダーピンク。クリーム。ブラウン。そして小さなアクセントにターコイズや赤、オレンジ、山吹色、明るい黄緑など。すべてを入れなくとも色を少し合わせてみようと、手芸用品売り場や百均の毛糸売り場を歩き、いくつか毛糸玉を買った。アジアン風なショールマフラーに仕上がる予定だ。

編んでいてふと、やわらかな笑顔になっている自分に気づいた。カラフルな色のせいか、ウールの手触りのせいか、自然と優しい気持ちになっていたのだ。
「編み物って、いいな」
だがそう思えるのは、今気持ちに余裕があるからなのかも知れないとも思う。

子ども達が幼かった頃、よく子ども部屋で寝かしつけながら編み物をした。彼らの手袋やセーター、マフラーなんかを編んでいた。
しかしそれは、気持ちに余裕があったからではない。逆だった。自分の時間がとれないことに日々焦りを感じ、子ども達を寝かしつけながらでもできることを模索して編み棒を手に取っていたのだ。
今なら思える。もっと、子ども達に向き合うべきだったと。若かったのだ。しかし、若かったからできたこともたくさんあったのだろうとも思う。

もう、全く思い出せないけれど、子ども部屋で編み物をしていたとき、わたしは今のように優しい気持ちになったのだろうか。
そうだったらいい。少しでも、明るい色のやわらかな毛糸が、子ども達との毎日にやさしい風を吹かせてくれていたのなら、と思わずにはいられない。
母親は、たぶんどんな母親でも、ひとかけらの後悔を胸に沈めているのだ。

これが衝動買いしたベレー帽です。早くかぶりたいな。

こちらが、編み始めたばかりのショールマフラー。

こうやって何度も並べてみて、編み進めています。
この先、ベージュ基調にするか、白基調にするか迷っています。
そんなふうに迷えるのも、編み物の楽しみのひとつですね。

カラフル部分は、ターコイズと山吹色、赤と黄緑の2種類の糸を入れて。

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ひとつひとつを積み重ねる心地よさ

夏糸で、バッグを編んだ。普段使いの小さなものだ。
こま編みだけで、ただただ編み進めていく。心地よい単純作業だった。

編み物だからという訳ではなく、単純作業がけっこう好きだ。
野菜の千切りもそうだし、洗濯物を干すのも好きだ。
言い換えれば、ひとつひとつを確実に積み重ねていき、何かしら出来上がるのが楽しいのかもしれない。いや。楽しいというより、スッキリするといったほうがぴったりくる。単純に、ただただひとつひとつを積み重ねていくとき、頭のなかで、あるいは心のなかで、ごちゃごちゃになった何かが整理整頓されていくような感じがするのだ。まさに、ストレス解消である。

そして単純作業のいいところは、難しくないこと、簡単にできることひとつひとつをこなしていけば、いつかは完成形にたどりつくというところだ。
そんなふうにして、バッグは出来上がった。頭と心もスッキリとして、夏糸のアイボリーと藍の色が、まぶしくくっきりと見えた。

こま編みのみの簡単なバッグですが、色を変えるだけでいい感じ。

中身を入れると、こんなふう。軽くて普段使いにぴったり。

末娘の大学の学園祭で購入した、手作り陶器のブローチをつけて。
入っているはりねずみ柄のタオルハンカチ、見えますか?

地球をデザインしたようなブローチには言葉が添えられていました。
「変わっていく 私のこころ あなたのこころ」

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サンクスコストバイアスに引っ張られずに

夏糸で、ポーチを編んだ。
ネット動画で編み方をアップしていたのを参考にして編み図もなしに編んだからか、何度も失敗し、編みなおした。

これまでだったら「編みなおし」すなわち「編んだ部分を解く作業」に抵抗を感じただろう。だが、ある言葉を知り、するするとほどけていく夏糸のように、その抵抗を感じなくなった。その言葉とは「サンクスコストバイアス」
『エッセンシャル思考』に、かかれていた言葉だ。
「サンクスコスト」は、日本語にすると「埋没費用」。投資したがうまくいかず、利益になる見込みのない費用をいうらしい。「サンクスコストバイアス」とは、既にお金や時間や労力を費やしてしまった、という理由だけで、無為な行為をし続ける心理をいうそうだ。

編んでいて「何か違う」と思ったときに「ここまで編んだのだから」と思い、編み続ける。「サンクスコストバイアス」を知るまでは、そういう心理に引っ張られることの方が多かった。だが、この言葉を知ってから考えるようになった。「このまま編んで、イメージの違うものを編みあげるのか?」あるいは「さらに編んでいったところで、さらに多くを解くことになるのでは?」と。

きちんと考えて、きちんと出した答えには無駄も少ない。後戻りする足どりさえ、軽くなる。それは無論、編み物だけに言えることではない。知っていれば、生きていくのが少しだけ楽になる言葉のひとつだと思った。

ちっちゃなポーチです。足首ウォーマーの残り糸で編みました。

開くとこんな感じ。リップとかファンデーション、入れようかな。

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持てる分だけ

夏糸で、自分用のレッグウォーマーを編んだ。
編み物をしたのは、四か月ぶりになるだろうか。冬の初めに何年かぶりに再開したのだが、二月に義母が心臓弁膜症で手術入院した頃、ぱたりと手につかなくなってしまった。
急に編みたくなって、自己流で気ままに編んでいただけだったので、手につかなくなったとて誰に迷惑をかける訳でもない。そのままやめてしまった。

編みたいと思って始めて、編みたくなくなったとやめた。
この気持ちの変化を自分なりに分析すると、キャパシティーの問題かな、というところで落ち着く。義母を心配する気持ちや、度重なる帰省での身体の疲れ。精神的にも体力的にも、わたしのキャパを超えていたのだろう。
荷物を持ちすぎて歩けなくなったら、どれか捨てるなり置くなりしなくてはならない。わたしはまず、編み物を置いたのだ。自分が持てる分を、意識せずとも知っていたということか。
それでも、持てる以上のものを背負わなくてはならない時期もあったし、これからもあるかも知れない。そんな時期を経て、捨てられる荷物を選別すべきお年頃になってきたのかな、とも思う。

そんなことを思い巡らせていた折り、退院した義母が、見舞ってくれた方々へのお礼状に自筆で一言ずつ添え書きしなくてはならず、それがしんどいしんどいと言っているのを聞いた。
「病後のお礼状に、自筆の添え書きがなくても誰も失礼だとは思いませんよ」
 やんわりとたしなめたのだが、義母は、頑固に言い張る。
「そうは言っても、これまでずっとそうしてきたから」
 それを聞き、つい言ってしまった。
「これまでと同じという訳には、いかないと思いますよ。減らしていくことを覚えていかなくちゃ」
 すると義母は、ハッとしたようにしばらく口をつぐみ、静かに言った。
「ほんとにそうねえ。あなたを負ぶったことはないけれど、負うた子に教わるとはこのことよねえ」

義母がぶじ退院し、戻ってきた編みたいという気持ち。消えてしまわないように、大切にしている。大切に、というのは、ひとまず簡単なモノから編むということ。小さなモノで自分のモノ。編み方に凝らず、手軽なかぎ針編み。編み針をいったん置き、知ったのだ。失くしたくないものなら、きちんと荷物に加えられるようになるまで大きくなり過ぎないよう注意を払っていくべきだと。

紺とうすーい水色を、二本どりで編みました。
長編みと鎖編みを交互に編んでいく、超簡単模様編みです。

フットネイルは明るいブルーにしたので、青系の糸を選びました。
涼しげに見えるけど、足首はちゃんとあったかいんです。
首がつくところは、冷やさない方がいいそうですよ。

スニーカーに合わせて、くしゃっとして履いてもいいですね。
神戸に帰省した際、三宮の高架下で気に入って買った靴です。
スニーカーというと思いだすのは、長嶋茂雄さんのインタビュー。
「スニーカー? なにそれ。へえ、運動靴のことなの?」
何気ないインタビューだけど、新しい言葉なんて知らなくても、
ちっとも恥ずかしくないんだと、ちょっとうれしくなりました。

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ヤマネが消えた穴

レースのような透かし模様のベストを、編み始めた。
ラズベリーの明るく濃い色で、手にとるたびに楽しくなる。上手にできたら、ある女性に着ていただこうと思っている。上手に、というのは、家で着ていて、宅配便が届いたときに恥ずかしくなく玄関を開けられるくらい、ということだが。いやいや。上手にどころか、できあがるのか? というところに問題はあるのかも知れず、すべての段ごとに目を減らし増やしていく模様編みは、わたしにとっては難解で、編み始め、弱音ばかり吐いていた。
「だめだ。こんなに不器用だったとは」
「あー、もう。わたしって頭、悪い!」
その弱音を聞く家族も、今や夫のみである。
「まあ、のんびりやりなよ」

夫に弱音を吐いていると、口から転がり出るモノが、ヤマネであるような気分になる。ヤマネ。人目につく場所にはほとんど姿を見せず、凍ったように冬眠することからコオリネズミとも呼ばれる10㎝に満たない小動物。
ヤマネは口から転がり出たかと思ったら、すぐに小さな穴に消えていく。透かし模様だけに、穴はいくらでもあるのだ。そうやってヤマネが消えていくと、吐いた弱音も共に消え、また編み始められる。
「穴があるって、いいかも」
毛糸と毛糸の間に空いた穴をじっと見つめていると、ヤマネが消えていった向こう側へ吸い込まれそうな気がしてくる。その穴のこちら側には、それを恐ろしいと感じることもなく、吸い込まれていくのもまたよしと、思っている自分がいた。

右前身頃が、もうすぐ編み上がります。
ラズベリーの色、写真ではうまく出なかったけど、気に入っています。

木がのびのびと枝を伸ばしているような模様を、繰り返していきます。
春の終わりに間に、合うかなあ。

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ウォーキングにも似て

ふたたび、夫のネックウォーマーができあがった。
前作に失敗し、このままでは冬が終わってしまうと、焦りにも似た気持ちが芽生え始めたので、さくさく編めるメリヤス編みにした。
縄編みなどの模様編みをいくつか組み合わせると立体的な温かみのあるものに仕上がるが、編み目を間違えないように編み進めるのは、未熟なわたしには難しい。ゆっくりと確かめながら編んでいく。それは、ウォーキングで言えば、地図を片手に知らない道を歩くようなものである。それに比べてメリヤス編みのみで編み進めていくのは、簡単だ。表編みでずっと編み、裏返したらまた裏編みでずっと編むだけ。ウォーキングで言えば、整備されたトラックをただ黙々と歩く感じだ。トレーニングジムのウォーキングマシンで歩数を増やしていくのにも似ているかも知れない。
当然だが、トラックをただただ歩き続けるのは単調で退屈にもなる。郊外の風景を楽しみつつ、または地図を片手に知らない道を歩く方が、断然楽しい。それは、方向音痴オリンピックでメダリストとなれる資質を持つわたしでさえもが感じることだ。そんなところも含め編み物とウォーキングはよく似ている。

と言うことで、冬の間、夫のウォーキングの友として彼の首を温めてくれるものは何とかなった。さて次は、地図を片手に知らない道を歩きますか。
編み物本をめくり浮き浮きしていると、夫が言った。
「あのさ、言いにくいんだけど、これもちょっと大きいんだけど」

アクセントは、一列だけの模様編みと上下の色違いのこま編みで。
アジアン雑貨屋さん『チャイハネ』に置いてあるような雰囲気?

後ろをボタンで留めると、ぴったりになりました(笑)
やっぱり面倒がらずにゲージ編まないと、ダメですね。
でも、夫はこっちも気に入って前にしたりしています。
☆ ゲージ = 編地の密度を図るための試し編み。

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ひとつの仮説

夫が見たという夢の話を聞いた。
「きみが編んだネックウォーマーが、大きくってさ。1m以上あって、いくらなんでも大きすぎるでしょうって言うと、きみはさ、平気な顔で言うんだよね。だいじょうぶ。これ、こういうものだから」
彼の夢は、まさに正夢となった(笑)
って、笑いごとじゃなーい!
編み上げたネックウォーマーをしてもらうと、夢のなかほど大きすぎはしなかったが、冷静に描写しても、ぶかぶか、という擬音がぴったりくる。
「あ、これ、腹巻ならぴったりかも」
と言う夫を無言で睨むと「ありがと」と、しばらくネックウォーマーをしたままパソコンに向かっていた。「あったかいよ」と言う声も遠くで聞こえた。
もう、大ショックだ。「編み物、向いてないのかなあ」弱音もでる。

そう言えば編んでいる最中、ひとつの仮説を立てた。
わたしは胸をはって断言できるほどに、方向音痴だ。夫などは、地図を逆さにせずとも目的地を把握できるが、わたしの場合、逆さにしたり横にしたりしているうちに目的地どころか、今いる場所でさえも判らなくなってしまう。
編み物でも、同じ現象が起こるのだ。裏返すと表編みは裏編みになる訳で、それが時間をかけて考えないと判らない。
「えーと、えーと。今は裏だから、裏編みのところは表編みで」
頭が働かないときには、このえーとが十回くらいになる。
「地図が読める男性の方が、編み物に向いているのではないか」
これが、わたしの立てた仮説だ。

しかし、地図が読める夫は、決して編み物をしたいとは思わないだろう。
自分の帽子を編もうと思って買ってきた毛糸で、ふたたび夫のネックウォーマーを編み始め、このぼんやりと編み棒を動かしている時間が好きなんだよなあ、と考えた。好きこそものの上手なれ。上手かどうかは別にして、たぶん好きだから編んでいるのだ。

ゴム編みにした部分が思ったより縮まなかったのも、敗因の一つです。
編み棒細いのに変えたんだけどなあ。いや、それ以前の問題か。

半分に折ると、タートルネックのようにも見える予定だったのですが・・・。
とりあえず、大は小を兼ねるってことで、してもらいます(笑)
☆ カテゴリーに『編み物徒然』追加しました ☆

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大切なのは、違和感を放置しないこと

夫のネックウォーマーを、編みなおしている(笑)
って、笑いごとじゃなーい! 編みなおすことを決めたときにはもう半分まで編んでいて、深く深く落ち込んだ。
ずっと違和感は、抱えていたのだ。
「あったかそうだけど、ちょっと分厚すぎないかな?」
わたしの編み方は、わりときつめなので、しっかりした感じに編み上がっていくのもしょうがないとも思っていた。しかし結局のところ、糸と編み棒の太さとわたしの編み方が合っていなのだとあきらめることにした。

編みなおしを決めたきっかけは、小さな一目に対する違和感だった。
模様編みで編んでいくと、表、裏を段によって変えたりするので、編みながらパッと見ただけでは編み違えが判りにくい。しかし編んでいると、きちんと違和感として訴えてくれるのだ。ほどいて編みなおしたり、2段下までその目だけ鍵針で直したり、それは編み物のおもしろさの一つでもある。
「違和感を覚えたら、それは編みなおすきっかけだよ」
そんな毛糸と編み棒の声が、聞こえた。
違和感を放置しない。それは、経理の仕事上でも大切で、日々実践していることなのに、編みあがっていくさまを見ていると、つい引き返すのはもったいないなあと思ってしまったのだ。

「編みなおすんなら、全く違うのにしよう」
新しく模様編みの初心者本を、購入した。仕事用の電卓を叩き、模様の目数を計算し、これまた仕事用の赤ペンで、編み物本にかきこんだ。
さて。今は違和感なく、編み進めているのだが。

模様がはっきりしてくると、楽しくなります。
新しい本買って思ったけど、こうやって編み物グッズ増えていくんだなあ。

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裏があるから表がある

夫のために、ネックウォーマーを編み始めた。
サッカーを続ける彼は、毎日のストレッチの他、ウォーキングにも力を入れている。凍った冬のウォーキングには、ネックウォーマーが欠かせない。彼は、2枚を交互に使っていたのだが、そのうちの1枚が破れてきたのだ。
上の娘の帽子を編むためにと買った編み物本に、ネックウォーマーも載っていたので、それを編むことにした。輪にしてぐるぐると編んでいく帽子と違い、今度は平面を編み、最後に綴じるタイプ。長方形を編んでいくだけだから、難しいことはない。簡単な模様編みも入っていて、それが楽しくもある。

しばらく編んでいき、ぐるぐる編みではないことに新鮮さを感じた。端まで編んでいき、引き返す。その際、裏返す。なので本の編み方図の記号も、裏が表になる訳で、裏側を編んでいるという意識が、否応なく生まれるのだ。
「帽子にも、ネックウォーマーにも、裏側があるんだな」
もちろん帽子だけではなく、今着ている服にも、鞄に入れたハンカチにも、部屋にかかったカーテンにだって裏側がある。裏表のある人というと、いい印象は持てない。だがネックウォーマーは、胸をはって言っている気がした。
「裏表、あります。裏があるからこそ表があるんです。そして、表があるからまた裏もあるんです」
表を編みながら裏を思い、裏を編みながら表を思う日々。物事には表と裏があり、あるということに反発を覚えずただ受け止められるようになったのは、いつの頃だっただろう、などと思いを巡らせつつ編み棒を動かしている。

前の方が表、後ろの方に見えるのが裏です。
分厚くしっかりと温かいネックウォーマーに、編み上がる予定。



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落としたものは、拾えばいい

とんがりビーニーが、完成した。しつこいようだが、上の娘が参加するというミニオンズランのために編んでいたものだ。
こういうシンプルなニット帽を「ビーニー」と呼ぶことすら知らなかったが、去年の秋発行の編み物本に載っていたのだから、最近はそう呼ぶ方が洒落ているのだろうか。
「トップを長めに編んだビーニーは、とんがらせてかぶるのがお洒落」
編み物本にかいてあるまま、帰省していた娘に言うと、
「なんで、とんがり?」と怪訝な顔をしたが、
「かぶってね!」と、語気強く言うと、あきらめたようにうなずいた。

久しぶりに編み物をして思ったのは、目を落とすことが多くなったということだ。十年以上のブランクがあったとはいえ、これは落としすぎでしょう、と自分でも呆れるくらい落としていた。しかし、編み物のいいところは、次の段で落とした目を拾うことができるところだ。まあ、そのせいで編み目が不揃いにもなる訳だが、そのくらいの方が手編みらしくていいかと気にせず編んでいったのは、20代の頃と変わらない。

落とした目を拾いながら、その多さに、最近、物忘れがひどすぎると気にしていた自分の記憶と、比例しているようにも感じた。そして、なあんだ、と思った。落とした記憶も、一つ一つ丁寧に拾っていけばいいんだと。いくら目を落としても、ちゃんと拾っていけば、ビーニーだってできあがる。毎日の生活も仕事も、落とした分だけ拾っていけばいいと思ったのだ。
さて。次は、何を編もうかな。

よく見ると、ほんと編み目、不揃い(笑)明るい色っていいですね。
鍵針セットは、20代の頃に買ったものです。物持ちいいなあ。

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小間切れの時間を紡いで

上の娘のミニオンズランに向けて編み始めた帽子が、帽子の形を成してきた。うれしい。少しずつ編み上がっていくさまが、こんなにも楽しいことだとは、はたと忘れていた。
暮れの忙しいときに、何と呑気なと言われそうであるが、編んでいる時間は、小間切れだ。夫を車で待つ時間や、夜、夫婦ふたり酒を呑みながらしゃべったりしているときに、手を動かしている。

そうだった、と思い出す。小間切れの時間にできるのが編み物なのだ。すぐに持って編み始められるし、すっと止められる。だから子ども達が幼かった、今よりもっと時間が小間切れになってしまうことが多かった頃にも、編むことができたのだ。読書も同じ。電車のなかや待ち時間に本を開けば、その世界に入って行けるし、閉じれば現実にすぐに戻れる。映画は、一気に最後まで観る方が楽しめるだろうが、本は、自分のぺースで読めばいいのだと思っている。

そう考えると、読書や編み物が好きになったのは、そんな小間切れ時間を長く過ごしたせいもあるのかも知れない。
何をしていたって「お母さーん」と呼ばれれば、手を止めなくてはならなかった頃。時間が小間切れにされるストレスは、母親なら、いや、お父さんもかな。子育て中にみな抱えることだろう。読書や編み物は、そんなストレスを、少しは緩和してくれていたのかな。
ミニオンズ色の帽子を編みながら、もう遠くなった昔を思いだしていた。

炬燵に入ってしまうと、出るのが億劫になりますよね。冬の魔法(笑)
紙袋にまとめて入れておくと、何処でも編めます。

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手は覚えてはいたのだけれど

何年ぶりになるのだろうか。編み物をしている。
先日、上の娘と会った際に、酔っぱらって安請け合いした結果なのだが、けっこう楽しんでいる自分に驚いてもいる。
「今度、職場の人とミニオンズランに出るんだ」と、娘。
「あの黄色い奴らね」と、わたし。
「黄色いシャツとオーバーオールで走るんだよ。顔も黄色く塗ろうかな」
「それって、オーストラリアでやったゾンビウォークっぽいね」
「う・・・ん。まあ、似てるかもね」
ゾンビウォークでは、ゾンビになりきっていた彼女である。ミニオンズになりきり、楽しむのだろうと想像はついた。楽しむべきことはとことん楽しむ。それが彼女の生きる道なのだ。
「じゃあ、黄色い帽子編んであげるよ」
そう言ったわたしは、酔っている自覚はあったものの、それが安請け合いだとは、まあ思っていなかった。後始末は、常にしらふのときである。

「子ども達が小さい頃、子ども部屋で寝かしつけながら、よく編んだなあ」
記憶は、毛糸玉から出てくる糸のようにするするとよみがえる。
不思議なことに手は編み方を覚えていて、作り目も最初さえ本を見れば、右手くんと左手くんが器用に動いてくれた。
「一本の糸から、何かが出来上がるのって、考えてみればすごいなあ」
今着ている服も、日々使っているタオルも、すべては一本の糸から生っている。そんなことを考えつつ、右手くんと左手くんに任せていると、
「あのさ、ここまで編んで言うのもなんだけど」と、右手くん。
「これ、頭にかぶるには、小さくない?」と、左手くん。
言われてみれば、確かに小さい。編み物は、こういうところが難しい。いくら手が覚えている部分があったとしても、ブランクはブランクとしてきちんと存在していたのだ。そして右手くんと左手くんは、途中まで編んできたものを無言で解いていったのだった。

写真撮影後、泣く泣くほどいて、編みなおしています。
目が不揃いなのはご愛敬。果てさて、できあがるのでしょうか(笑)

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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