はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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蕎麦屋の待ち時間

週末、食材の買い出しがてら、夫と蕎麦屋に行った。
ここ北杜市には蕎麦屋が多く、まだ行ったことのない店もたくさんあるが、そこはずいぶん前にやはり買い物がてら食べに寄った店で、スーパーに行く途中、通り道にある。『やつこま』という蕎麦屋だ。

日曜で天気も良く、店は混んでいた。急ぐ必要は何もないので夫とふたりゆっくりと待つ。通された窓際の席からは、まだ咲いていない向日葵畑と「標高700m」の看板が見え、風が通って気持ちがよかった。店が二階なので見下ろす感じだ。
運転は任せて、と夫にビールをすすめ、蕎麦の到着を待つ。その間、ほとんど何もしゃべらなかった。ビールのグラスが木製で、その木の器がよく冷えていたことに感心し、ひと言ふた言話したくらいだ。テーブルは5つほど。みながのんびりとした心持ちでいるように見えた。

何事もない時間だった。単なる待ち時間なのだが、急く気持ちもなく、日々の細かな悩み事も忘れ、まるで時間が止まっているかのように感じた。透明な時間だ、と思った。いつでも手に入るような、それでいていつもはするりと逃げてしまい捕まえられない、そんな時間がここにある、と感じた。

蕎麦は美味かった。
「こんなに美味い蕎麦は、ここ最近食べてない」
夫も絶賛だった。音をたてて蕎麦をすすり、止まっていた時間が流れ出した。

平打ちの麺は、強いコシがありました。きのこと野菜の天麩羅と。

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ハマナスの実

庭のハマナスの実が色づいてきたので、収穫した。
バラ科のハマナスの実は、ローズヒップとも呼ばれ、栄養価が高いらしい。
生でも食べられるというのでさっそく洗ってかじってみる。
「わ、種だらけ」
酸味と一緒に広がったのは、種の食感。失敗した。新しいものを半分に切ってみると、実の中身は種の部分が大半をしめている。その種部分をとってから、皮についた実の部分を食べるべきだったのだ。生で食べられると調べて安心し、油断したのであった。

こういう失敗が、子どもの頃からよくある。
両親の田舎である北海道で、木彫りの人形などを売る店に繋がれていた子熊に引っ掻かれたのも、わたしだけだった。
「可愛い!」と、つい手を出し、がりっとやられたのだ。今考えるに恐ろしいが、熊は絵本などに登場する可愛らしいものという認識だったのだろう。同じようにして、ペットショップで子猿にも引っ掻かれているから、学習しないと言うか何と言うか。要するに行動に注意深さが足りないのだ。

大人になっても変わらない、変えられずにいる自分の欠点を、ハマナスの実をかじり思った。
「注意深くあれ。一瞬一瞬立ち止まり、よくよく注意をしてから行動せよ」
自分の傍らに立ち、常に言い聞かせる、もう一人の自分が必要だ。
まあ、熊に引っ掻かれない程度には成長し、注意もできるようになってはいると思うんだけど。油断かな。

茎は棘だらけなので、注意が必要です。オレンジ色が可愛い。

真っ赤に熟れたものを、3つだけ収穫しました。

半分に切ってみると、こんなに種がありました。
味も、すっぱいだけで美味しいとは言えません。
ジャムやお茶にする理由が、よく判りました。

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夏野菜ズッキーニ

近所の方に、家庭菜園のズッキーニをいただいた。
もっといるかと聞かれたが、夫婦二人の生活なので2本だけいただいて、お子さんがいるお家へ多めに持って行ってもらうことにした。
「そんなにいっぱい貰っても困るもんね」
そう控えめにおっしゃるので、ズッキーニ美味しいですよね、オリーブオイルで焼くと、と返した。するとほとんど生食しているという。それではなかなか食べきれないだろうとシンプル簡単な我が家定番のズッキーニ料理を教えて差し上げた。
ズッキーニを5mmほどの厚さで輪切りにする。フライパンにオリーブオイルを熱して両面を焼く。塩胡椒する。皿に盛ってから、バルサミコ酢をかける。以上である。ニンニクと焼いても美味しく、コクが出て違う味わいになる。ネットで検索すると、バターで焼く人、ベーコンと合わせる人、いろいろなバージョンがあった。もちろんラタトゥイユにしてもいい。夏野菜ズッキーニは、これからの季節、いろいろと楽しめそうだ。

ズッキーニを輪切りにするとき、いつも思う。
「金太郎飴みたい」
丸く切られた緑の輪のなかの白い部分にある、うっすらとした模様。見えないほど薄いその模様は、焼くと焦げ目に現れる。
「あぶりだしみたい」
そんなふうに楽しみながら焼いていることは、お教えしなかったのだが。

太くて立派です。野菜って綺麗だな。

普段はオリーブオイルですが、グレープシードオイルで焼いてみました。
オリーブオイルより、さっぱりしています。

やわらかく焼き上がったズッキーニに、バルサミコ酢をかけて。

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やまびこのわっぱ飯

東北新幹線に乗ったわけではないが、「五目わっぱ飯」を食べた。東北新幹線やまびこ車内で販売されているものだ。所用で東京に出た際、甲府駅で売っていたのである。ちょうど昼どきで、でも美味しそうなものがなかったら、新宿まで我慢しようかと思案していたので即決した。東京に向かいながら、気分はいざ、東北だ。駅弁は、その土地土地の雰囲気を味わえるから楽しい。小さめのわっぱに入った炊き込みご飯は、量もちょうどよく、美味だった。

しかし、何故に甲府でやまびこの弁当を? との疑問は、すぐに解決した。五目わっぱ飯は、関東版の駅弁で、東京駅や大宮駅の他、新宿駅でも売っているそうだ。線路は何処までも、続いているのだなぁと実感した。
ちなみに盛岡駅などで販売されているのは「南部わっぱ飯」岩手県南部地方をイメージした駅弁で、具材も形も違う。海のモノ率が高いようだ。
何処までも続いていく線路を辿り、いつか東北の地へ出向くことがあったら食べてみたいなと、思いを馳せる。
「大人が言う『いつか』は実現しない」
末娘が、小学生だった頃に言った言葉を思い出した。
「いつか、買ってあげる」「いつか、行こうね」
そういった言葉の信憑性を疑った、子どもらしい視点の発言だ。その彼女も二十歳になった。もう大人である。
「今でも、そう思っているのかな」
そんなことを考えつつ、ひとりあずさでわっぱ飯を楽しんだのだった。

彩りもお味もいろいろで楽しい。海のモノも山のモノも入っています。
ご飯は炊き込みのような味付で、半分には錦糸卵、もう半分には青のりが。

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アボカドは、アボガドだった?

アボカドが流行り始めて、十年ほど経つそうだ。
最近は居酒屋や、チェーンの珈琲屋でも、アボカドを使った料理が置いてあり、アボカドファンとしては嬉しい限りである。
我が家でも、アボカドにレモンやオリーブオイルを入れてペースト状にし、鮪をエシャレットと叩いたものと盛り合わせる「鮪アボカドユッケ」は定番だ。わさびソースも添え「鮪&アボカド&わさび」という黄金の組み合わせ。この組み合わせは居酒屋料理などでもよく見かけるもの。うちでは醤油は使わないがアボカドには醤油もあうから「鮪&わさび」と仲良しなのもうなずける。

じつは何年か前まで、アボカドを「アボガド」と呼んでいた。だってアボカドって発音しにくいんだもん、と言い訳しつつも、やはり言葉の間違いは恥ずかしい。だからつい「カ」を強調した発音になってしまう。
ところが最近、このアボカド、昔は「アボガド」と呼ばれていたのだと知った。スーパーなどでも「森のバター、アボガド」と堂々表示して売っていたという。わたしの間違いは、この擦り込みから来ていたのだ。やはり日本人には発音しにくい言葉であり、広めた人さえもが間違えたらしい。

間違いも堂々と使ってしまえば、間違いではなくなるのかも知れない。
そう思いつつも不器用に「カ」を強調し「アボカド」と正しく発音しないと落ち着かないのは、気が弱いからなんでしょうかね。

夫が食べたアボカドバーガー。この綺麗な色がまた魅力的ですね。
女性に人気とも言われているようですが、夫はアボカド大好きです。

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ディップ祭り開催

「週末は、ディップ祭りにしよう」
夫は、お祭り好きである。
今夜はバーベキューにしよう。ふたりすき焼きにしよう。などと、週末のメニューを提案するのは大抵は夫で、夫婦ふたりなのでさほど盛り上がる訳でもないのだが、美味しく酒を飲めるならと、わたしはそれを準備をするのだ。
ということで週末夫の提案で、夫婦ふたり、ディップ祭りを開催した。パンに様々な具材をのせたり浸したりして、美味しくワインを飲もう大会だ。

夫は、得意のレバーペースト。わたしは、にんにくトマト、卵マヨネーズマスタード風味、鰯のマリネを担当。そして新たなレシピ、ババガナッシュにも挑戦した。ババガナッシュは、焼き茄子と練り胡麻、レモン汁などを混ぜペースト状にしたものだ。並べると色とりどりで、楽しくなる。
たったふたりの週末ご飯なのだが、彼の楽しもうという意欲と企画には、毎度のことながら感心させられる。

それを食べながらふと、小学校に上がった頃、息子が言った言葉を思い出した。末娘が生まれたばかりで、買い物にも料理にもかけられる時間は少なく、そしてそれ以上に気持ちに余裕がなく、その夜は肉じゃがのみだった。
昼夜問わず延々と続く何時間かごとの授乳などもあり疲れ切っていたわたしは半ば自棄になり思っていた。肉も野菜も入っているしたっぷり煮たからお腹いっぱい食べてくれ、と。そのときに息子が、こう言った。
「夕飯はもっとさ、盛り上がりたいんだよね」
夕飯は肉じゃがだけ? と抗議したのではなく、心からの子どもの声だった。栄養だけが、ご飯じゃないんだよな。そう思いつつも、枷をはめられたかのように身動きがとれなかった時期の渋い思い出だ。今考えると、精一杯やってるよとあのときの自分に声をかけてあげたいくらいなのだが、当時はそうは思えず、精一杯戦ったって負けは負けと、敗北感に苛まれる日々だった。
そんなことを思いだしつつ、彩り鮮やかなディップを楽しみ、イタリアワインを空け、ほろほろと酔い考えた。いつしかそんな思い出の渋味も熟成し、また空気に触れて開いていき、甘く美味しくなるのかも知れないと。

トマト、卵、茄子のババガナッシュ、レバー、鰯のマリネの5種類。

いちばん左がババガナッシュ。庭のアップルミントをのせて。
そのお味はまあまあでした。スパイスを効かせた方がよかったかも。
花が咲いた後ですが、イタリアンパセリも少しずつ飾りました。

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フレッシュジュースと目の前の壁

東京に出て、ひとりで帰るときには、必ず「かいじ」に乗る。
中央線の特急は、長野県の松本まで行く「あずさ」と甲府止まりの「かいじ」があり、以前眠って乗り過ごし、1時間半も先の松本まで行ってしまって以来、ひとりで「あずさ」に乗るのが怖いのだ。
新宿からは「あずさ」も「かいじ」も、大抵1時間に1本ずつ、30分ごと交互に出ている。乗り遅れないかと気が急くより、早めに到着して待ちたい方である。なので、新宿駅で時間を潰すことが多い。「あずさ」には乗れないので、30分以上待つこともある。
利用者数が日本一多いのは新宿駅だそうだが(JR調べで1日平均約75万人)駅ナカの充実度は低い。とにかく座る場所がない。東口のベックスコーヒーも南口のドトールも席数が少なすぎてまず空いていない。
そこでわたしが利用するのは、サラダや弁当、スープ、フレッシュジュースなどを売っている「RF+」だ。座ってお弁当を食べようと思う人はいないのか、フレッシュジュースは種類も豊富なのに、椅子はいつも空いている。カウンター式の狭いテーブルだが、パソコンだって開くことができるのに。

しかしある人に言うと、意外な答が返ってきた。
「狭くて目の前に壁があるところに、わざわざ座りたくない」
目から鱗だった。そういう感じ方、考え方もあるのかと驚いた。
しかしドトールも同じように狭く、同じように壁に向かって座るカウンター席だが、そこには常に空席がない。珈琲の魅力だろうか。違う気がする。誰も座っていないと、逆に座りにくいからだろうか。いや、それも単純すぎる。
うーんいったい、どうしてなんでしょうね?

高知県産夏みょうが&レモンのフレッシュジュース。
これは380円でしたが、150円のお茶でも席は利用できます。
お金の問題じゃないってことは、珈琲屋より白く明るいせいかな。
いろいろ考えてみましたが、答にはたどりつきませんでした。
ちょっと大きめのパスケースに、スイカと特急回数券を入れています。

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偶然のハワイ・コナ

何事も柔軟に考えていたいと常々思っているのだが、凝り固まった考えに捉われていることも多い。言い切ったり、決めつけたりする他人を見ては嫌だなぁと思うくせに、自分で同じことをしていて愕然とする時がある。
最近それを教えてくれたのは、珈琲のハワイ・コナだった。

十年以上前になるだろうか、ハワイ・コナ珈琲を飲み、その苦さに閉口したことがあって、それ以来ハワイ・コナは苦いと思いこみ、敬遠してきた。
それが先日のこと。電話で珈琲豆を注文したのだが、あと100g 追加すれば送料無料になるという。
「今入荷しているなかからオススメを選びましょうか」と店員さん。
その気づかいをうれしく思い、それも楽しいかなとお願いした。
そして届いたのが、100g のハワイ・コナだったという訳だ。
酸味が楽しめて苦みの少ない豆と伝えてあったので、苦味が勝った豆を送ってくるはずはない。淹れてみて納得。優しい酸味を楽しめる珈琲だった。あのとき飲んだハワイ・コナの方が、ハワイ・コナとは言い難い味だったのだ。

よくあることなのに、どうして気づかないのだろう。調べたり、疑ったり、考えたりもせずに思いこむ癖が治らない。
さて今、苦手意識があるものは、としばし考えたのだった。

豆のまま100gの小袋に入ったハワイ・コナ・プライム。
ハワイ島の西コナ地区で栽培した豆に限り、その名を使えるそうです。

袋を開けると、こうばしい匂いがたちこめました。
豆を挽いてまた、そしてドリップしてさらに匂いたちます。

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ブルーベリー効果

ご近所さんに、庭で生ったというブルーベリーをいただいた。見事な大粒である。さっそくつまんで食べてみると、自然の甘みが口いっぱいに広がった。
我が家の庭にもブルーベリー、あることにはあるのだが、ふたりで食べればすぐになくなるくらいの収穫量しかないし、まだまだ青くこれからだ。一足早くいただいたものを楽しんだ。

ここ明野町内には、ブルーベリー狩りもできる農園がある。調べてみると20日から開いていた。ブルーベリーの季節はちょうど今頃から始まるらしい。
町内であっても、同じ市内であっても「在る」と知りつつ、行っていない場所がたくさんある。ブルーベリー農園のその一つ。やはり町内のさくらんぼ農園には行ったことはあるが、毎年「ああもう、さくらんぼの季節なんだ」とニュースなどで見ているうちに時を過ごし、季節が終わってしまうことの方が多い。フットワーク軽ろやかに、あれもこれもはできなくなったけど、これはあまりにも腰が重くなりすぎているのではないだろうかと、ふと考える。

せっかく山梨に住んでいるんだから、やっぱり果物は旬のもの、土地のものを食べなくちゃ。車で五分とかからない農園にも、ぜひ行ってみよう。
目の疲れに効いたり、治癒力アップも期待できるというブルーベリー。こんなふうに考えたのも、美味しく食べた「効果」がさっそく表れたってことかな。

ちょうどよく熟していて、ジューシーで、ほどよい甘さでした。

庭に生っているのは、こんな感じです。来週辺りには食べられるかな。
今日、さっそく農園に行ってきました。実家にも送ってきました。
幼い子を連れた家族が何組か、ブルーベリー狩りに来ていました。

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福来る魚と生酒の縁

福来魚(フクラギ)という魚の名前を初めて知った。週末、富山県の氷見に魚を食べに行ったのだ。
車で5時間。夫と交替で運転しながら、のんびりと走る。家族旅行で子ども達を連れて行った場所である。車中でも「あのときも、ここ通ったね」「あそこで寄り道した」などという話になり、のんびり感が更に増したことを実感した。夫婦ふたりになり、旅行に出るのも道中のあれこれも、気を配らなければならないことが極端に少なくなったのだ。
氷見へ行って、新鮮な魚を食べる。予定もそれだけ。何とも気ままな旅だ。

一風呂浴びてから、さっそく魚が美味いという小料理屋へ飲みに行った。
「富山に来たんだから、白海老は食べたいね」と、わたし。
「刺し盛りに、白海老も入れてもらおうか」と、夫。
生ビールで乾杯し、獲れたての魚達を堪能した。
富山では、新鮮な魚を「きときと」と形容する。音の感じから「脂ののった」という意味かと思っていたのだが「新鮮な」が正しいらしい。まさにその、きときとな魚だった。慣れ親しんだ味の鯵刺し一つとっても、やわらかいだけではなく、麺類などの言葉で言うなら「コシが強い」と形容したい感じ。
きときと、なのだなぁと思いつつ味わった。

さて。夫が日本酒を呑み始める。「冷酒を」とオーダーすると、店主が「少し濁った生酒があるんですが」とすすめてくれた。氷見の酒『曙』という。その酒がやたらと美味かった。『曙』醸造元創業者の名『利右ヱ門』を銘柄にした生原酒の濁り酒だ。美味い美味いと(わたしは生ビールと交互に)飲んでいると、すぐに酔っ払ってしまった。
次に頼んだ「フクラギ」の刺身を食べる頃には、けっこう回っていて「福が来る魚なんですよ」と店主に言われたが、それが「フクラギ」を漢字でかいた「福来魚」だということもうろ覚え。翌朝夫は「フクラハギだっけ?」などと言う始末だった。
しかし、酔いが冷めればまた飲みたくなる。夫はちゃんと酒造元のパンフをもらっていて、昨日、訪ねることができた。生酒『利右ヱ門』の一升瓶を購入することができ、冬、搾りたてが出来る頃に連絡をもらえるよう頼んできた。
「これって、縁だよね」と、夫。
「氷見の街なかで、魚の美味しいといわれる数あるお店のなかであの店に行き、酒好きに見えたらしく生酒をすすめてもらい、気持ちよく酔っぱらって福来魚を食べ、酒造元を教えてもらってそこに行き、一升瓶を手に入れ、そこの店主とまた話が弾み、来冬の酒の準備までしちゃったんだから、これはもう」
「うん。やっぱり、縁を感じるよね」
いや。これは、もしかすると福なのかなぁとも、わたしは考えた。福来魚が持ってきた、福だったのかもと。だとしたら、大切に、美味しく呑まないと。

お刺身盛り合わせ。富山湾で獲れた白海老はとっろとろでした。

フクラギのお刺身。大きくなるたびに名が変わる出世魚、ブリの子どもの
頃を富山では「フクラギ」と呼ぶそうです。
一般的にいう「ハマチ」くらいの大きさの呼び名だそうです。

『曙』の酒造元です。12月には、搾りたての生原酒が出来るそうです。

海はこんな感じ。海のない県に住んでいるだけに、やっぱり気持ちがいいな。

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胡麻油か、ベジブロスか、玉葱か

爪が伸びて来たので切ろうと思い、驚いた。どこも欠けずに3ミリほど伸びている。最近では、なかったことである。
子どもを産んでからだから、もう20年以上になるが、爪がもろくなり欠けやすくなった。たんぱく質をしっかり摂るとか、カルシウムが大切などと聞き、爪のためにと考えて食事したりしていた時期もあったが、効果はなかった。
2ミリも伸びると欠け、伸びるから切るのではなく、欠けるから切るのが習慣になってしまった。その爪が、綺麗に伸びている。
「どうしたんだろう」
自分の身体の変化に嬉しく思いつつも、原因が判らない。

「そういえば、サプリメント飲むのサボってたなぁ」
それが原因ではあるまい。
「毎朝の目玉焼き、バターから胡麻油に変えたけど」
胡麻油が、変化をもたらしたのだろうか。
「べジブロスを使い始めてから、ひと月以上たった」
こちらも驚くべきことだが、三日坊主にならず続けている。
「ここんとこ、毎日、玉葱食べてるなぁ」
どっさりいただいたのである。その半端ではない量に、昔読んだルイス・サッカーの小説『穴 HOLES 』(講談社)を思い出していた。細かいストーリーは忘れたが、無人の荒野に取り残された少年が、玉葱だけを食べて生き残り、生還したことは覚えている。フィクションだというのに、それを読んでから「玉葱パワーはすごい」と思い込んでいる自分がいるのだ。

うーむ。胡麻油か、べジブロスか、玉葱か。
「まあ、どれのせいだか判らないけど、健康的な生活してるってことかな」
どれかはっきりしないのだから、どれも続けていくしかなさそうだ。
そんなことを考えつつ、爪を切った。伸ばしているのは、苦手なのである。

こんなにいただきました。葉つきのまま保存すると鮮度が落ちにくいとか。

つややかで、切ると白い汁があふれてきます。根っこが、長い!
無農薬だし、ベジブロスを作るのにも、ぴったり。

毎朝のご飯に、胡麻油で炒めて塩胡椒したものを食べています。

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『明野朝市』天然酵母のパン

明野に住んでいながら『明野朝市』には、初めて行った。
町内でも標高の高い場所、南アルプスが見渡せる駐車場を利用し、月に1回、行われている市である。上の娘の同級生のお母さんが天然酵母を使った手作りパンの店を出していることを、知ったのだ。
「久しぶり」と声をかけると、こちらのことも覚えてくれていたようで、パンを選び、娘達の近況をひとしきりしゃべった。

しゃべりながら、娘が小学生の頃よくお家に遊びに行かせてもらったなぁと思い出した。明野は田舎なので、子ども達が友達の家に遊びに行くのにも歩くには遠すぎたりして、親が車で送り迎えすることが多く、例にもれず、わたしは彼女の家まで何度か車を走らせた。
丁寧に焼かれた天然酵母のパンを見ていて、ふとそんな、冬のある日のことを思い出した。何故か助手席には、娘ではなく同級生だった彼女の方が座っていて、彼女はわたしと、おしゃべりしていた。何をしゃべっていたのかは、もうすっかり忘れてしまったが、路地に入る場所で凍った道にタイヤを滑らせてしまい、対向車とぶつかりそうになったのは、はっきりと覚えている。
そのとき、彼女が言った言葉も。
「わたしが話しかけてたからですね、運転中なのに。ごめんなさい」
もちろんドライバーであるわたしの注意不足で、謝らなくてはならないのはこちらの方だったのでそう言ったのだが、小学生である彼女のその気遣いにいたく驚き、たぶんそれで覚えていたのだ。

あの子のお母さんなら、美味しいパンを焼くだろう。
わたしのなかにはそんな確信があり、これまで足を運ぶことのなかった『明野朝市』に行こうと思ったのかも知れない。
外をぶらぶら歩きながら、買い物するのはとても気持ちがよく、天然酵母のパンは、噛むほどに口いっぱいに旨味が広がっていった。

昨日は曇っていて、山は霞んでいました。
無農薬野菜の店が多く、その他、手作りの木製品、革製品なども。
来月は、豚の丸焼きをする大きめのイベントになるのだとか。

知人が焼いた天然酵母のパンと、無農薬の野菜を購入しました。
オレンジ色のパンはトマトの酵母で、小さいの2つは柚子の酵母で、
それぞれ発酵させて焼いたそうです。お昼に、いただきました。

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ソラマチ天麩羅シャトルバス

ソラマチタウンで、義母と天麩羅を食べた。
スカイツリーにはいまだ登ったことはないが、それはまた次回ということにして、その下でのランチ。義母が所用で上京するのに合わせ、わたしも上京し、お昼でも一緒に食べようということになったのだ。
天麩羅が食べたいとは、義母の希望だ。家では揚げ物はしないから、揚げたての天麩羅を食べられるのは、外での食事に限られるのだそうだ。
初めて行くソラマチだったが、レストラン街に入っていた『つな八』は、客の食べ進む頃合いをきちんと見て、揚げたての天麩羅を出してくれる店だった。
「美味しいわねぇ」
繰り返し言い、舌鼓を打つ義母に、わたしも嬉しくなる。
天ざる以外には外で食べることのなかった天麩羅だが、胃にもたれることもなく、ビール党の義母とわたしには、昼間から飲むよく冷えた生ビールがまた、何とも言えず美味しかった。

さて、その帰り道。新幹線に乗る義母を送り、東京駅に向かった。
杖をついて歩く義母のためにタクシーに乗ろうかとも思ったが、ソラマチタウンから東京駅行きのシャトルバスが出ていて、そっちの方が楽しそうだということになる。タクシーで行くのと道もそう変わらないはずだが、観光バス仕様の座席位置の高いバスに乗ると、地上から高い分、視界が変わり、その分だけしっかりと気持ちがよかった。
「たったこれだけの高さの違いで、心持ちも変わるモノなんだな」
義母もとても楽しそうで、それがまた嬉しい。そして、これだけの高さでこんなに違って感じるものならと、シャトルバスから見上げた。
「天麩羅もいいけど、やっぱり今度はスカイツリー、登ってみようかな」と。

スカイツリーを真下から見上げて、歩きました。

天麩羅6種は、まず、トリュフ味のじゃが芋、鮎、いんげん。

そして、茗荷、刻み生姜と醤油で味つけした大浅蜊、鱧(はも)
生ビールで乾杯して(2杯も)とても贅沢なランチでした。

なんと天麩羅もおかわりしました。大浅蜊、ポワロー葱、車海老。
塩は、天然塩、山葵塩、ゆかり塩、昆布塩の4種類ありました。

鯛の茶漬け(胡麻味噌風味)も、仕上げにいただきました。

バス(スカイツリーシャトル)から撮ったスカイツリーです。

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ひと手間省いて、楽しく美味しく

今年も、庭の山椒の実を収穫した。
去年より実の数は少なめだが、ふたりで食べるならじゅうぶんと、小女子と一緒に佃煮にし、楽しんでいる。

さて、レシピである。去年もネットで検索したレシピで煮たので、保存してあるかと思ったのだが見つからず、ふたたびレシピを検索した。
下ごしらえの仕方も、見てみる。そこで、去年とは違うやり方を見つけた。大まかな部分は同じだが(というのも沸騰した湯に入れて5分ほど茹で、水にさらすという簡単な下ごしらえだからだ)いちばん手間がかかる部分をスキップしたレシピで、それを見たときには目から鱗だった。
実についた軸を取り除かず、そのまま食べるというものだったのだ。
「木の芽は若い茎ごと食べられるんだもの。茹でれば、全く問題ないよね」

べジブロスを使うようになってから、野菜の皮や根の栄養に着目していたが、手間を省いていいところでは省くことで、さらに採れる栄養もあるのだと気づいた。人参の皮を剥かずに煮たり、玉葱の根元をとらずに炒めたり。
山椒の軸も、同じこと。「ひと手間かけて、美味しく」とはよく聞く言葉だが、心を砕いて料理する = 手間をかける、とばかりは言えない。
「ひと手間省いて、美味しく」食べられたら、それはそれでちょっと嬉しく、料理がますます楽しくなる気がした。

硬くならないうちに、採ります。今がまさに収穫時期。

これが軸つきの実です。くっついている双子くんもいます。

軸は全く気になりませんでした。というか、市販の山椒の実の水煮より
刺激がずーっと強くって、美味しい! これぞしびれる旨さです。

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変わりねばねば丼

ひとりランチに「変わりねばねば丼」を、食べた。
玄米を混ぜ炊いたご飯に、山芋をおろしたとろろと小口切りにしたオクラ、それから細かく刻んだ蕨(わらび)。鰹節とだし醤油をかければ出来上がり。
蕨をたくさんいただいて、いつもは納豆にするところを、蕨にしてみたのだ。
お味のほどは、うーん。いつものとろろ飯より、コクがある。苦味とまではいかない、穏やかな山菜のコク。納豆もいいけど、蕨もまたよし。ネットで検索したところ、味噌や山椒と叩いて酒のつまみにもできるらしい。灰汁抜きは済ませたから、しばらく楽しめそうだ。

ねばねばしたものが、好きである。山芋、オクラ、納豆はもちろん、もずくやめかぶも好きだ。ぬるぬるしたなめこも好きで、よく味噌汁に入れる。ねばねば丼は、ときどき無性に食べたくなる。「夏バテ防止に」とレシピにかかれていることが多く、疲れたときに食べたくなる食材なのかと調べれば、ねばねば食材は、胃の粘膜を保護してくれるらしい。食べたくなったらもりもり食べて、しっかり保護してもらおう。
胃が疲れているときには、胃に優しい食材を食べたくなる。情報がない時代には、そんな欲求が、ヒトの身体を守ってきたのだろうか。
「日本人は頭で食事する」と聞いたことがある。身体にいいものをと考えることはいいことだと思うが、本当は考え過ぎず、身体の欲求に耳を傾けて美味しく食べるのがいちばんいいのかも知れない。

しかし、蕨を欲求のままに食べるのは、禁物である。
灰汁を抜いたと言っても、そこは山菜。ふきのとうを食べすぎて目を腫らしたという前科のあるわたしは特に、注意が必要だ。

いーっぱいいただきました。量ったら、800gありました。

ネットレシピを参考に、小麦粉と塩で灰汁抜きして。

煮物、お浸し、天麩羅もできるかな。半分は、冷凍に。

変わりねばねば丼。小豆島のだし醤油をかけて、いただきました。

厚揚げと一緒に煮ました。煮ても、ねばねばがいい感じです。

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ハマナスの強さたるや

ハーブティーによく使われるローズヒップとは、ローズと言うだけに薔薇の実のことだとばかり思っていたが、ハマナスの実もローズヒップと呼ぶらしい。

庭のハマナスは、半月ほど前から咲き始め、毎日目を楽しませてくれている。茎の棘が多く、と言うより、棘で形成された茎は触ることもできないほどで、草取りの際に触れてしまい痛い思いをしたことも数えきれない。なので、剪定も思い切りよく、花芽も何も気にすることなく切っている。それでも、強さにおいてはどの植物にも負けないとでも言うかのように、素知らぬ顔で伸びては咲き、毎年、濃いピンクの花を美しく咲かせている。
いつも、ローズヒップがたわわに実っても放置していたが、今年は収穫してハーブティーを楽しもうと計画中。ビタミンCがレモンの20倍あるとかで、それも、加熱することで壊れやすいビタミンCが壊れにくいタイプだとか。
「ハマナスの強さたるや、ビタミンCにまで」

散った花のあとに、すでに青い実をつけ始めた。茗荷畑と隣接しているため、この夏もまた痛い思いをしそうだが、いつになく大切にしようという気持ちが芽生えている。いや。ハマナスに限り、そんな気遣いは無用かも知れない。せいぜい棘に刺されないよう、気をつけた方がいいのかも。

最近は、ハーブティーを置いている喫茶店が増えましたね。
ローズヒップティーを頼むと「ハイビスカスとブレンドした方が、
美味しく飲めますよ」とアドバイスしてくれました。

ハマナスの花は、毎日綺麗に咲き、すぐに散っていきます。

ハマナスの茎はトゲトゲが痛いのに、登ったんだね、アマガエルくん。
きみは、ずいぶん艶やかな背中してるけど、今年生まれたのかな?
それとも、「ビタミンの爆弾」とも呼ばれるローズヒップの効用?

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一瞬一瞬を積み重ねて

週末、5月の終わりの日。居酒屋で、社長である夫と打上げをした。
会社の21期、21年目がぶじ終わり、22期の始まりである。末娘がお腹にいるときに起ち上げた会社は、彼女と同い歳。娘は秋に21歳になる。

看護婦だった母が定年で仕事を辞めたのを機に、わたしが経理の仕事に着いたのが、末娘が1歳のときだった。当時は、今のようにパソコンを使ったところで自宅でできる仕事も限られていて、出勤する日も必要だったのだ。

その頃の記憶も、もう曖昧になってしまったが、はっきりと覚えていることがある。あれは娘が2歳になるかならないかの頃だったと思う。母が来る = わたしが仕事に行く、というのが判っていたのだろう。聞き分けよく、おばあちゃんが来たことを喜び、すぐに母と遊び始めるのが常だった。そしてわたしが「行ってくるね」と声をかけると、ぐずりもせずに手を振った。だが、その手を振る姿は、いつも後ろ姿。わたしを見ようとしないのだ。
「我慢してるんだな」
あの頃は、そんな娘の後ろ姿に見送られ、出勤したものだった。

そんな一瞬一瞬を積み重ねて、21年。呑めば酒も深くなるはずである。

姫筍と蕗の土佐煮です。わかめもたっぷり入っていました。

熱燗は、夫がオーダーした「大七」福島のお酒です。

稚鮎の唐揚げには、香ばしく揚げたコシアブラも。

本鮪のすじ焼き。脂がのっていて、ほろりとやわらかでした。

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「疲れ」のベールをはがせば

何年かぶりに、突然の吐き気に襲われ、倒れ込むようにして眠った。
夜、オンデマンドでドラマを観ている途中、夫が帰宅し「おかえり」と立ち上がった途端のことだった。彼が風呂に入っている間に、料理の仕上げをしようと試みたが、途中で断念。あとは任せて、ベッドに入った。
「どうしたの?」当然、夫は心配顔だ。
自分でも、原因を探ってはみたが、食中毒になるようなものも食べていない。観ていたドラマの映像も地味目だったし映像ショックなどの心配もなさそうだ。昼間庭で、虫に刺されてかなり痛かったという記憶が甦るが、蜂などの毒だとしたら時間が経ち過ぎている。空腹にビールを飲んではいたが、それはいつものことである。

「疲れ、かな」と、夫とふたりなんとなく納得し、食べることも薬を飲むこともできそうになかったので、ただ眠ることにした。
うつらうつらしつつ「疲れ」とは、便利な言葉だと考えた。
「原因不明で」と言うと、何か悪い病気なのではないかという憶測が不穏な空気を呼ぶ。だが「疲れが出た」と言えば、休めば治るであろうものであり、原因も幅広く考えられ、また暗に本人の落ち度ではない、きみは悪くないんだよといういたわりの気持ちも伝えられる、全くよくできた言葉なのだ。
じつは「疲れ」のベールをはがせば、なかには「原因不明」という骨格が、ドクロの如く歯をカチカチ言わせて笑ってるんだけどね。

ところで「疲れが出た」っていうの、「幽霊が出た」っていうのと、ちょっと似てるかもって思うのは、わたしだけかなぁ。

昨日午前中に、おむすび(めんどくさくて、具は入れず)を食べ、
胃薬を飲んで眠り「疲れ」だいぶとれました。
炊飯器にお米セットしてからぐあい悪くなって、よかった。

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歯医者の椅子

歯医者に、通い始めた。
山梨に越して来てから3件目にして、ようやく信頼できる歯科医院に巡り合い、最近はトラブルもなかったので、定期健診と歯石の掃除のため半年に一度診てもらうだけだったが、先週くらいから奥歯に違和感を覚え、痛みはないのだが診察してもらった。すると、左上の一番奥の歯が、被せてある銀歯のなかで真っ二つに割れてしまっていた。神経を抜いて20年以上経った歯には、よくあることらしい。もう、抜くしかないそうだ。嬉しいことではないが、受け入れるしかあるまいと抜歯の予約を入れ、帰ってきた。

「歯医者の椅子って、特異な場所だよなぁ」
そこに座ると、いつも思う。
待合い室で読んでいた小説も物語途中で遮断され、さっきまで覗いていたケータイも鞄のなかで眠りに入る。口を開けたまま返事もできない状態も長く、痛かったら手を上げてと言われるが、痛い以外の意思表示は難しく、何度か繰り返すうちに返事をすることへの諦めが居座り始める。そうすると、どんどん自分一人の世界へ入っていく。
そこでいつも思い出すのが、アンデルセンの童話『パンをふんだ娘』だ。
ドレスを汚すまいと、道に広がった水たまりにパンを投げ入れ、踏んづけて渡ろうとした高慢な娘。彼女はパンを踏んだ途端、水たまりのなかの世界に落ち、地の底で暮らすことになる。
歯医者の椅子で一人の世界へ入っていくときの感じは、地の底へ落ちるイメージを呼び起こす。落ちて落ちて、何処までも落ちていくアトラクションの椅子に座ったような、重力の変動を思わせるのだ。

今通っている歯科医院は、治療してもらう椅子の前に窓があり、ブラインドの向こう側には、駐車場と、そこを歩く人と、空が見える。目の前が明るくひらけていることにいつもホッとする。決して今の歯科医院が地の底へ落ちるイメージを作った訳ではない。そういう感覚って、子どもの頃に見た夢を覚えているようなものなのかも知れない。

で、本日が、その抜歯の日。
今日はお酒、ダメって言われるだろうなぁ。痛くても腫れてもいいから、飲みたいなぁ。飲んじゃおうかなぁ。じつは真っ先に、何より真剣に画策する事案は、そこなのである。こういうことでもないと自覚すらしないが、掛け値なく根っからの酒飲みなのだ。地の底に落ちることはなくとも、酒の水たまりで溺れる自分は容易に想像できる。それもまたよしと思いつつ、画策は続くのだ。

田舎の暮らしもいいけど、ときに都会のネオンが恋しくなります。
これは、東京出張の際、久々にオーダーしたソルティドッグ。
ジュースのようにくいくい飲める、軽いカクテルでした。

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がっついて? シンガポールチキンライス

昨年、出張でシンガポールにいった夫から「チキンライスが美味かった」と何度も聞かされた。何度も聞かされすぎて、もう味も判ったような気分にさえなっていたが、わたしは食べたことがない。
それを東京で、食べようということになった。そして日本橋にある『シンガポール海南飯店』で、初めてシンガポールチキンライスを食べた。

話に聞いていたので、出てきたものはイメージ通りだった。柔らかく茹でたチキンを切り分け、タレにつけて食べる。パクチーものせてあり、タレは葱生姜やチリソースで、アジアン・スパイシーな香りを漂わせている。細長いタイ米の鶏の茹で汁で炊いたご飯と、茹で汁のスープもついていた。
そんな訳で、食べるまでわたしは、漠然とした疑問が胸にあるのを突きつめようとはせず、茹で鶏とご飯のセットを「チキンライス」と呼ぶなんて、海外の文化って不思議であるなぁと思っていた。

しかし、食べて思わず「何これ」と言ってしまった。「美味しい!」と。
その美味さは、チキンの旨味だけじゃないのだ。タイ米だということもあり、さっくりと炊けたライスは、ご飯と言うよりサラダに近い。それは、生姜や葱以外のスパイス、レモングラスの香りが口いっぱいに広がるからなのだ。テーブルに置かれた「シンガポールチキンライスの食べ方」には、レモングラスの他にパンダンリーフ(タコ椰子の葉)の香りが効いているのだとかかれていた。この葉っぱは「東洋のバニラ」とも呼ばれているそうだ。
「これは確かに、チキンライスだな、うん」
納得した。チキンとライスではなく、チキンとその茹で汁で炊いたライスでもなく、これはチキンのライスであり、ライスの方が主役。「ライス・チキン・ライス」と名乗っても可笑しくはない料理なのだった。

ところで、シンガポールで多く飲まれているタイガービールの生があり、すっきりとした飲み心地がわたし好みで、3杯おかわりした。
そして、もう20年以上実践してきたわたし的ルールのなかに、ビールを飲んだらご飯は食べないというのがあり、オーダーしたときにはチキンライスは味見くらいにするつもりだった。それなのに、ビールもライスもこんなに美味しいなんて。ルール? そんなもの実家に置いてきました、とでも言いたくなる。テーブルの上の「チキンライスの食べ方」には、ルールなど笑いとばすかの如く「がっつくのが正しいチキンライスの食べ方です」とかかれていた。

マーライオンがお出迎えの、フードコートのような気軽に入れる雰囲気。

シンボルはライオンで、ビールはタイガーなんですね。

「野菜食べたいねー」とオーダーした空芯菜、ガーリック炒め。
見た目より油っこさがなく、ビールにぴったりでした。

来ました、チキンライス。タレは葱生姜、チリ、ブラックの3味です。

3杯目の生タイガーと、シンガポールチキンライスの食べ方カード。

ラストはホッケンミーです。いり卵入りの焼きそばは、ナンプラー味。
熱々でやわらかい麺。ライムをかけて、さっぱりといただきました。

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ビーフストロガノフは、阿吽の呼吸で

「夕飯、何にする?」
夫がいる日は、大抵リクエストを聞く。
「あれとこれで、いいかな?」
と、わたしが聞くのは、それならば買い物に行かなくても済むと思ったとき。
「何でも言って。何でも作っちゃうから」
と言えるのは、これから買い物に行く予定があるとき。
そして昨日は、「何でも言ってDay」だった。

「うーん。そうだな」
夫が考え込むのを見て、しかし、わたしにはその瞬間、答えが判った。
「ビーフストロガノフ、ね」と、わたし。
「なにそれ。なんで、判ったの?」と、夫。
もちろん、我が家の食卓にビーフストロガノフなるものが登場したことは、一度もない。「これなら、作れないだろう」という意地悪発言だ。
その瞬間、同じ言葉が降って来たのは、夫婦だから、としか言いようがない。
「で、何バージョンのビーフストロガノフにする?」と、わたし。
「チキン?」とわたしが聞くのと、
「じゃ、チキンで」と夫がいう声が重なる。
こういうのを、阿吽の呼吸と、言うのか言わぬのか。
「醤油味の白滝入り、チキンバージョンのビーフストロガノフにする?」
言いつのるわたしに、夫はすっかりあきらめ、降参した。
「ミートソースが、食べたい、です・・・」

という経緯で、夕べはスパゲッティ・ミートソースと鯵のカルパッチョになった。日々、献立との闘い、主婦みな同じである。たぶん。

昨日かいたベジブロス効果を期待し、庭のイタリアンパセリの茎と蕾を
入れて煮込みました。もちろん葉っぱも、たっぷり振りかけて。

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ベジブロスで味噌汁

雑誌などで見かけ、気になっていた『べジブロス』に挑戦してみた。
聞いたことのないカタカナだったが、ベジタブル・ブロスの略で、直訳すれば、野菜の出汁。野菜と言っても、野菜くずの出汁だ。人参のヘタや玉葱の皮、セロリの葉、パセリの茎、パプリカの種、しなびた葱の青い部分などなど、水と酒で20分ほど煮込み、漉して使う。加熱することで溶け出すファイトケミカルという成分が、免疫力や抗酸化力を高めてくれるのだそうだ。

捨てていた部分を使い、和洋中、どんな料理にでも合うということも、人気の所以だろう。野菜くずでスープを煮たことはあるが、玉葱の皮にも栄養が詰まっているから使うのだと聞き、驚いた。切って煮るだけだが、そのスープには旨味と栄養分がたっぷりと移行するのだとか。

だが、それを作り置きして冷凍保存したりするのは、ずぼらなわたしにはムリそうだ。すぐに忘れて、やめてしまうだろう。
考えたのは、翌朝の味噌汁用に、味噌汁の鍋でべジブロスを作っておくと言うやり方だ。それなら、保存の手間はないし、続けられる可能性もある。
試してみると、野菜の旨味が濃い、一味違う味噌汁ができた。人参のヘタや皮つきの尻尾は、具として活躍もしてくれた。
「いいかも、べジブロス。習慣化するぞ!」

べジブロスを紹介した雑誌には、玉葱の芯、人参のヘタなどには、これから芽を出していく力が、南瓜やパプリカの種には、命の源となる力があり、そのパワーが解けだしたスープなのだとかいてあった。
野菜にも命があり、その命をまた次へと繋いでいるのだということを思い出す。優しい旨味に詰まった、野菜本来の力は、身体の免疫力アップだけじゃなく、疲れた心にも効くかも知れない。

人参の葉っぱって、綺麗。葉つき人参が手に入ると、ちょっと嬉しい。

セロリは味噌汁には合わないかなと思いつつ、入れてみました。
全然、邪魔になる感じはしませんでした。

ごく普通の玉葱、じゃが芋、若芽の味噌汁です。
試しに、いつも使っている鰹だしは使わず、味噌だけ入れました。
うん。薄味好みのわたしには、いい感じ。庭の木の芽も活躍中です。
県内産人参の葉っぱは、きんぴらにしました。

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バーベキュー&『よくねたいも』

『よくねたいも』というじゃが芋をスーパーで見かけ、買ってみた。
生協のカタログにもあり、ネットレシピなども簡単に見つけられたので、話題の商品なのだろう。芽が出ないように空気を調節した保管庫で3か月寝かせることで、でんぷんが糖質に変化し、甘味が増すそうだ。

昨日は、夫の高校時代の友人が3人、東京から遊びに来た。
テーマは「薪割り体験 & バーベキュー」
我が家のバーベキューは、野菜は焼かず、いつも野菜スティックや洗ったレタスやサラダなどを用意するのだが、そこに『よくねたいも』で作ったアンチョビ味の大人のポテトサラダも加えることにした。
ご縁があり豚舎を見学させてもらった「みやじ豚」や、三重からサザエも取り寄せ、お土産にいただいたワインを空けた。舌鼓を打つも、もう何が美味しいのやら判らなくなる。炭火焼きこそ、素材の味が大切になってくる調理法。そういう意味では、とても贅沢なバーベキューだった。

『よくねたいも』も、素材の味を出していた。よく寝てすっきりと起き、他の食材に負けじとじゃが芋の旨味を前面に出しアピールしてくれた。「寝る子は、育つ」野菜にまで当てはまる日が来るとは、諺の方が驚いてるかも。
だが旨味の濃い『よくねたいも』に出会い、野菜を焼かないポリシーは揺らいだ。今度はアルミホイルに包んで焼いてみるのもいいかなと思ったのだ。新しい素材に出会うことで、かたくなにこだわっていた自分のやり方を見直すことができ、ラッキーだったのかも知れない。

縦読みにすると『よくねたいも』横読みにすると『いねよもたく』
『よくねた人参』『よくねた玉葱』なども開発中だそうです。

いつもの『バルめし』レシピのポテトサラダですが、一味違いました。

始める前から盛り上げるのが夫流。なんと駅でこれを持ってお出迎え。
保育士時代、へたうまと褒められた画力(?)を久々に発揮しました。

サザエです。海のない山梨にいて、サザエが食べられる幸せ!

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わたしがエプロンをしない理由

甘いモノを受けつけなくなり、数年が経つ。
ただ食べられなくなっただけではなく、その「甘いモノ」に付随して受けつけられなくなったモノがいろいろとある。それは、様々なイメージで成り立ち、自分でもはっきりとは把握できずにいる。例えば、お菓子作りをする自分。または、エプロンをする自分。このふたつのイメージは、キッチンで嗅ぐ甘い匂いを連想させる。そして、わたしとの大き過ぎる隔たりを。エプロンをかけ、お菓子を焼く女性のイメージと、自分とのギャップに耐えられなくなるのだ。
「違う。違う、違う、違う!」
間違ってエプロンをかけてしまったら、わたしは狂ったように叫びだすだろう。お菓子作りやエプロンや、はたまたエプロンをする人を、憎んでいる訳では決してない。それをする自分は、きっと自分以外の者だと知っているのだ。

思えば、幼稚園の頃、スカートを穿かない女子だった。先生に説得された。フォークダンスのときにはスカートを穿こうよ、と。きっと、可愛いよ、と。母は、赤いスカートを買ってきた。そのとき、わたしは自分ではない者に初めてなったのだった。

その頃を思えば、今は自由である。お菓子を焼くことも、エプロンをすることも、誰一人、強要しない。そんなことを思い出して、気づいた。イメージに嫌悪を抱いているのではなく、自分ではなくなる瞬間を、ただ拒んでいるだけなのかも知れないと。

ビールを飲んでいるときが、一番わたしらしいかも。
ゴールデンウィーク。夫が友人と飲みにいった日に、ひとり小さな贅沢。
外国ビールを、飲み比べしました。Corona が、好きかな。

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蕗とクリスマスローズ

「クリスマスローズって、こんな時期まで咲いてるんだな」
庭に、蕗が葉を広げだした。蕗は、その茎を煮て食べることができる食材だが、もちろんクリスマスローズは違う。だが、その茎は、太さだけではなくたたずまいが似ていて、煮物にしようと蕗の茎を切っていると、つい隣りのクリスマスローズまで切ってしまいそうになる。その過ちは、まだ犯したことはないが想像するに恐ろしくなる。とり返しがつかぬ過ちが、手の届く所にある恐怖を感じるのだ。

似ていたから間違えた。うっかりしていた。そんなつもりはなかった。
そんな悪意のないところで起こる事故や犯罪を思いつつ、丁寧に、葉を広げた蕗の根元を探り、一つ一つ鋏を入れた。

蕗の葉が広がる隙間に、クリスマスローズ。なんとか、間違えなかった。

ツルニチニチソウの紫の花が咲き乱れる向こうには、茗荷が伸び始めました。
和洋折衷、というより、まるで無頓着な風景です。
蕗と油揚げを一緒に、煮ました。美味しかったです。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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