はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

『おやすまなさい』

21歳、芝居に夢中の末娘演じるふたり芝居を観に、東京に行った。
劇団ゆるふ酒演出の『おやすまなさい』(脚本 / 前田司郎)だ。
小さなイベントスペースで、観客は十人ほど。

舞台は、ふたり暮らしの女の子の部屋で、たぶん真夜中。片方は眠くてしょうがないのだけれど、もう片方は眠れなくて、何とかおしゃべりにつきあわせようとする。そして眠い方も眠い方で、何とかもうひとりを眠らせようと、羊を数えさせたり四苦八苦。
おもしろかったのは、リアルに無意味なガールズトークを繰り広げているんだけど、そのなかに夢の世界がそこ此処に見え隠れしているところ。例えばここが海だとしてと、仮定の話しをしながらも、風呂場で見つかったサザエが本当にそこにあったり、何種類もの貝が部屋じゅうで見つかったり。現実と空想の境い目が霧に包まれているかのように曖昧で、それが魅力になっている。

魅かれたセリフは、眠れない方が言った。
「人にはどうして、淋しいなんていう機能がついてるのかなあ」
眠い方は「群れることで、身を守るためじゃない?」
などと適当に答える訳なんだけど「淋しい」って、人間特有の「機能」だったんだ。なるほどねえ、と納得したりした。

「淋しいからさあ、先に寝ないでよ」
もちろん、彼女はそんなふうにはひと言も言わず、ただただもうひとりの気をひくために懸命になっている。その姿が何とも微笑ましかった。
何かに懸命になっている人の姿。それって何とも滑稽なものなのだなと、腹の底からこみ上げる笑いを心地よく迎え入れた。

新江古田からプラプラ歩いていくと、濃いピンクの桜が咲いていました。
東京は、昨日開花を迎えたそうですね。

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『すばらしい日だ金がいる』

末娘と一緒に、劇団アマヤドリの芝居『すばらしい日だ金がいる』を観た。「悪と自由の三部作」の公演を終えたアマヤドリの次なるテーマは「うつ」と「競争」。深刻なテーマを喜劇仕立てにしたものだ。
主人公は、山も奥深い辺境の地で行われる勉強会(うつ患者同士がディスカッションする場)に参加する一人の女性大野まりか。仕事一筋で働きづめだった彼女は、ある日突然失踪し、勉強会が行われる山奥に部屋を借り、住みついてしまう。仕事へのストレスから発病したようにも思えたが、まりかの心の奥には、置き去りにしてしまった聞き分けの良すぎる高校生の娘ゆみとの確執が深く根をはっていた。以下、脚本から勉強会のシーン。

「なんでも言って欲しかったんだよね、大野さんは?」
「そうかもしれません。そうして欲しかったんだと思います」
「それじゃないですか、不満って? ねえ?」
「ああ、なあ。それちゃう?」
「では、大野さんはその不満を、ちゃんとゆみさんに伝えていましたか?」
「いいえ。それはそんなに、強くは言えませんでした」
「どうして?」
「だってそんな・・・。たまになんか、言うこともありましたけど・・・むしろ、私の方が聞く耳を持っていないような状態でしたから」
「全部自分のせいにしてはいけないんです。『過度の個人化』です」
「そうですけど、でも」
「ここはあえて自分のことは棚にあげて。我儘になって言ってみてください」
「ですから・・・。なんでも言って欲しかった」

結婚を控えたゆみ。娘の結婚式に出席しない決意のまりか。ふたりの仲を修復させようと、訪ねて来たまりかの妹達。そこで彼女達の間に入って話を聞こうとする勉強会講師は、カウンセリングによる治療を薦める活動をしつつも、実際自らは抗うつ剤依存の患者なのだった。

まりかの胸にあるのは「母には何を言っても無駄だと、気持ちを伝えるのをやめてしまった娘」に「伝えたいけれど、うまく伝わらないもの」
人は、誰かに何かを伝えようとする思いで生きている。だからもし何を言っても伝わらない時が来たとしても「伝わるかもしれない、という可能性に賭けてもいい」のだと、まりかはディスカッションをするうちに思い至るのだった。

本当の気持ち。正確な気持ち。それを誰かに伝えることなど、もしかしたらできないのかも知れない。それでもみんな、今日も誰かに何かを伝えている。

劇場入口にあったポスターです。9月27日まで。
鎖に繋がれた青い兎と赤い猫の表情が、印象的。

吉祥寺シアターの外観も、目をひきます。
方向音痴のわたしには、親切にも見える判りやすさです。

チケットと脚本とキャストやスタッフなどがかかれた当日用パンフ。

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『思 / 外』

人体色彩画廊I‘NNの夏公演『思 / 外』を、観に行った。
末娘が役者として参加しているのだ。アクリル絵の具を使った演出で、出演者も舞台も、様々な色に染まっていく。眼にも感覚的にも新鮮な芝居だった。

登場人物の男女7人全員が「わたし」のストーリーには、ひとりである「わたし」のなかでそれぞれの「わたし」が見え隠れする。
春。希望に満ち、新しい出会いに胸を膨らませる「わたし」
やがて巡ってくる別れの冬を思い、絶望する「わたし」
夏。夏祭りの思い出を、なつかしく回想する「わたし」
実際にそんなことがあったのだろうかと、問いかける「わたし」
秋。未来を求め旅に出る「わたし」
ただぐるぐると日常を回っているだけだと知っている「わたし」
汚れることを恐れ、自分のなかにこもる「わたし」は目をつぶり、なにも見ようとはしない。だが、否応なく外に触れ、次第に汚れていく。アクリル絵の具は、その汚れの役目を果たしつつ、あらゆる色に染まっていく「わたし」の可能性をも見せていた。

「思い」という言葉の持つ多種多様な方向性が、芝居を広げていく。
「思い描く」は、あることないこと自由に考えること、の他に「思いこみ」「思い入れ」「思い出」など、言葉遊びもリズミカルで楽しく創られていた。『思 / 外』は「オモイノホカ」と読む。
芝居を観ていて「思い出」という言葉が判らなくなりかけ、ゲシュタルト崩壊を始めたが、そうだ「思い出す」から「思い出」なのだ、「思い(記憶)を出してくる」ことが「思い出す」ことなのだと気づいた。

若者達は、いつの時代も葛藤を抱えて生きているのだなあとしみじみ思う芝居だった。そして歳をとるということは、その葛藤に慣れ親しんでいくことなのかも知れないとも考えたのだった。

9月7日まで、あと10回以上の公演があります。

公演後の風景は、写真撮影OKでした。
下には、たくさんのアクリル絵の具が落ちています。

「ぬいぐるみには、わたしの『わた』が入ってる」

JR王子駅すぐ近くの会場「pit北 / 区域」の外観です。

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『いつかばったり』

二十歳の末娘が出演する、芝居を観に行った。
Aqua mode planning という劇団のリーディング公演に、役者として参加させてもらったのだ。3作の短編戯曲を続けて行うオムニバス作品で、公演名は『おわりのはじまりのつづき。』
彼女が演じたのは、一つ目の『いつかばったり』という短編劇詩だ。
脚本は劇団アマヤドリの広田淳一で、男優とふたり、椅子に座ったまま脚本を「読む」というカタチの芝居だった。それは、こんなふうに始まった。

今までいろんな人たちと出会ってきたけれど、まだ出会ったことのない人、というのがこの世界には、まだまだ、たくさんいて、その中には出会ったらきっと楽しい、とても素敵な、うまい酒の酌み交わせる、ものすごく趣味の合う、ずっと一緒にいても疲れない、ような、そういう人たちがたくさんたくさんいるのかもしれなくて。 そんな人たちと、どうにかして、いつか、ばったり。

テーマは、出会いだ。主人公は、自問自答する。そんな「いつかばったり」がないのは自分に「人を見る目」がないのではないかと。

やっべ。どこで落として来たんだろう? あたしの「人を見る目」。
そもそも人を見る目って何? どうにかして手に入れられるものなんだろうか? 人生経験とかいっぱい積んで、人間観察とかいっぱいして、あるいは、どっかに売ってたら結構いい値段でも買うのに。人を見る目。買うな。買っちゃうな、こりゃ。27万までなら出す! なぜなら、普通運転免許証よりも私は人を見る目が欲しいから!

若いんだよなぁ、彼らは。と思いつつも、まだまだ自分にも、そんな「いつかばったり」があるかも、とも考える。そしてそれ以前に、今「美味い酒の酌み交わせる」人達とのこれまでの出会いを思うのだった。

『いつかばったり』が「はじまり」なら、2つ目の演目『まだ、わかんないの。』は、震災のあとずっと会っていなかったもと恋人の消息を探す「おわり」が、3つ目の『ハイパーリンくん』は、知識を繋いでいく先生と生徒の「つづき」が、テーマとなっていた。
終わり、始まり、そして続きは続く。普段は考えてもみないことだが、そんな確かで不確かなモノ達のなかを、わたし達は浮遊し続けているのだろう。

自由創作空間をレンタルする、西武池袋線江古田駅近くの兎亭にて。観客は10人ほど。でも演じる彼らは、いいものを創ろうと眼を輝かせていました。

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『悪い冗談』

末娘と、芝居を観に行った。すでに2度足を運んだ劇団アマヤドリの「悪と自由」の三部作と銘打ったその第三作『悪い冗談』だ。
第一作『ぬれぎぬ』では、犯罪者は刑を処する前に必ず更生させなくてはならないとの法律を施行される世界で、殺人犯と厚生員とのやりとりが描かれた。
第二作『非常の階段』は、なんとなく入った詐欺集団で人を騙すうち、抜け出せなくなり、自分自身を見失っていく男を描いた。

第三作である『悪い冗談』は、様々な視点が交錯していく。
東京大空襲で、逃げ惑う人々。命令通り、爆弾を投下するアメリカ兵達。
別れ話を切り出そうとするが、自分が悪者になりたくないがあまり選択肢を並べ立て、恋人に選ばせようとする男。その恋人。
妹を殺された女は、殺人犯に繰り返し面会し憎しみをぶつけ続け、花見に来た集団は、韓国人と日本人とで互いの意識の違いを語り合い、研究者達は、人はどんな時、どんな相手に服従するのか実験を行う。
空襲で亡くなったであろう女の子が、ケンケンパを繰り返し、世の中に疑問を抱く男は、舞台上をただ走り続ける。

悪って何? 命令に従い爆弾を落とすことは悪なの? 悪者は誰なの? えっ、わたし? わたし達、みんな? そんな叫びが聞こえるような舞台だった。

舞台には、仮想の川が流れていた。
「川向う、対岸の火事ならぬ対岸の悪を、多くの人は眺めているのかも知れないな」そのまた傍観者であるわたしは、考えた。
だが、こちら側にいるのだとばかり思っていたら、向こうからも同じように眺める人がいて、いずれ立場は一転するのだ。わたしと彼、こちら側と向こう側の間の川面には、悪というものの不確かさが、ゆらゆらと流れていく。
戦争を始めた国のトップと、爆弾のスイッチを押す兵士と、国のトップを選び受け入れた国民。誰が悪なの?
つんつるてんの着物を着た女の子の「ケンケンパ」が、木霊していく。

池袋駅西口にある『東京芸術劇場』シアターイーストで、29日まで。

チケットとチラシと台本。チラシには「テーマパークになった、ニッポン」
とありましたが、わたしには、そのはっきりとした意味は判りませんでした。

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『嘘吐きゴッホと眼のない少女』

芝居を、観に行った。演劇を中心に活動中の「キレイゴト。」5枚目の演劇『嘘吐きゴッホと眼のない少女』だ。
二十歳の末娘が、団員ではないが、参加させてもらい舞台に立つという。大学のサークル以外では、もちろん初舞台だ。3人の主役達の脇を固めるヒロインの妹、志保子役で、明るく健気な、主役の秀に恋する女子高生を、生き生きと演じていた。

ストーリーは、美大生、秀(しゅう)が双子の兄である響(きょう)を交通事故で亡くすところから始まる。響の車に同乗していた恋人、朱里(あかり)は、響の死を受け入れられず、目隠しをして何も見ずに生活することで心のバランスを保つという治療を受けていた。だが、見えない朱里は見舞いに来た秀を、響だと思い込んでしまう。そして以前から朱里に想いを寄せていた秀は、響の身代わりになることを選んだ。

テーマは「嘘」だ。秀は朱里にだけではなく、相手を傷つけたくなくて、嘘をつく。優しいのだ。自分の気持ちを誤魔化すために、自分にも嘘をつく。弱いのだ。しかしその優しさと弱さは、やがて周囲の人々をも傷つけていく。

演じる彼らは、登場人物達同様に若く、エネルギッシュだった。その若さ故に、やはり登場人物達同様に、悩みも多かろう。そんな風に考えずにはいられないような、混沌という霧のなかに立つ危うさを持っていた。けれど日々様々、悩みつつ生きているであろう彼らの舞台から伝わってくる鼓動に、優しさや弱さで誤魔化そうとする嘘は、ない。それは大人であるわたしの胸の底で静まった水たまりに一滴の危うさを落とし、静かに波紋を広げていったのだ。

参宮橋駅近くのスタジオ「トランスミッション」にて、本日8日まで。
「彼らは、ひりひりと、ひりつくような熱を持って生きている」
総合演出、日向あこさんの「ごあいさつ」にあった一文です。
友人まりりんも、一緒に観てくれました。

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『水』

伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われて、芝居を観に行った。前回と同じく『アマヤドリ』という劇団のもので、タイトルは『水』

ヒソップとシトロネラは、恋に落ちた。だが、すぐにシトロネラの奇病が発覚する。水を飲むと、身体じゅうが湖になり、溺れ死んでしまうという不思議な病だ。1日に口にしていい水は、スプーン2杯だけ。二人は、そんな闘病生活に疲弊していく。
シトロネラは、子どもの頃、湖で溺れかけたことがあり、水面を見上げる記憶を胸に持っていた。そして一緒にいた母親は、自分が娘に何もできず、ただ震えていたことを悔み続け、ひきこもる生活を送っている。
今、そして過去。身体のなかの湖、そして、見上げる水面。流れてしまった水は、決してもとには戻らない。
悲恋のストーリーは、まるで水の中で二人を祝福しているかのような、ゆったりとした踊りを交え、美しく幕を閉じた。

帰り。駅の喧騒を歩きつつ、早足に通り過ぎる人の波を、見るともなく見ていたら、感覚にずれが生じた。彼らも自分も、スローモーションで水の中を歩いているかのように思えてきたのだ。ひとりひとりの顔をそっと見てみる。無表情な若者。笑いながらしゃべり続ける少女達。疲れた顔の中年男性。幼子の手を引く母親。寄り添うお年寄りのカップル。
その誰もが、流れてしまった水を、もう戻らない過去を抱えている。
いい意味であれ、悪い意味であれ、その過去に影響されながら、みな生きていくのだなと思った。

水の流れのなかで、ひとり立ち止まる。
過去は、今や、これからのためにあるのだと、水面を見上げた。

西武池袋線の椎名町駅から徒歩8分。小さな劇場です。
椎名町は、手塚治虫が住んでいた『ときわ壮』があった町なんですね。

台本とチケット。雨天決行というフレーズには、こだわりがあるようです。
『アマヤドリ』という劇団名に、かけているのかな。
登場人物が、すべてハーブや植物の名前になっていて、お洒落です。
水がなければ枯れてしまうものに、したかったのかも知れません。
人も動物も、水がなければ生きていくことはできませんが。

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冬眠しない若者達

伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間の大学に、遊びに行ってきた。
学園祭である。演劇サークルでの公演を、観に行ったのだ。
5本の演目のうち、1本の脚本・演出を担当するという。タイトルは『冬眠』如何にも、クールな彼女らしい。

主人公は、事故にあって以来、受け入れられない出来事を頭の中から追い出し、忘れることで生きている大学生。冷たい現実から目を背ける、その状態を、彼女は『冬眠』とし、描こうとしたのだと思う。
完成度の高い芝居に、仕上がっていた。
タイトルとは裏腹に『冬眠』を演じる彼らには、雪を解かしてしまうほどの熱があり、観ていてあらためて、人間の放つパワーを感じさせられた。

演劇を観終わってから、大学内をゆっくり歩いて回った。『冬眠』を観たせいか、関係ないかは判らないが、屋台を出している子達にも、屋外でパフォーマンスをする子達にも、それぞれに熱を感じた。

そして、久しぶりに思い出した。人間には、根底にパワーがあるのだと。
「すっかり忘れていたけれど、たぶん、わたしにも」
冬眠しない若者達に、そんなメッセージをもらった気がした。

演劇サークルの看板です。シンプルで、かっこいいじゃん。

野外ステージでは、ロック研が、盛り上がっていました。

おなじみのたこ焼き、お好み焼き、綿菓子、チョコバナナなどの他、
日本の味も様々。おでん、焼き蛤、玉こんにゃく。トン汁、温まる~。

でも目を引かれたのは、外国料理の屋台。ウィグルの羊串焼きは、
とってもスパイシーでした。ケバブの屋台もたくさんありました。
他には、バングラディシュ、パキスタン、ネパールなど。

マレーシア料理の屋台も。卵が多めの(だと思う)生地を網状に焼き

焼き上がった生地を丸めて、チキンカレーをかけたものです。
『ロティ・ジャラ』これが、美味しかった!

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『非常の階段』

芝居『非常の階段』を、観に出かけた。
劇団、アマヤドリにより、吉祥寺シアターで上演されるその芝居を観に行かないかと、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われたのだ。
彼女のチケット手配は、いつもながら完璧で、最前列の真ん中で、生の芝居の迫力を満喫することができた。

テーマは、透明な家。舞台全体が壁のない家であり、取調室であり、公園であり、透明な空気をまとっている。主人公は、親に捨てられたナイト。ナイトが所属する詐欺集団の曖昧だけれど強い繋がりをまた、架空の家族として描いている。その詐欺集団が、ナイトの伯父の家に転がり込んできて・・・。

芝居は、しんとした空気のなか始まった。客席とフラットな位置の舞台に、ひとりの女の子が立って話し始める。
「今年の夏は、あんまり暑くなかったですね」
それが芝居のスタートなのか、初めの挨拶なのかも判らない不思議な雰囲気。そこに二人の男が、やはり静かに現れ、話に加わる。その時には、すでに舞台上へと心は奪われていた。

胸に残ったのは、記憶の改ざんについてだ。男が、夏の夜の友達との思い出を話す。もう一人の男が、それは自分の思い出だと言う。すると男は、自分の記憶にもあるのだから、自分の思い出でもあるのだと言う。もう一人の男は、それが本当に自分の思い出なのかどうか、そこにいたのが、本当に自分の友達だったのかどうか、判らなくなっていく。
それを観ていて、自分が立っている場所が揺らいでいく気がした。

「生の芝居っていいね」わたしが言うと「いいでしょう?」と彼女。
「明日も、違うの観に行くんだー!」と自慢する。
「おいおい、そんなにいっぱい観てたら、記憶、改ざんされちゃうよ」
若い彼女は、そんなわたしの言葉には、お構いなしのようだったが。

初めて芝居の台本を購入。彼女は、前作のDVDも、購入していました。

人物相関図。これに目を通して観たので、判りやすかったです。

早めに待ち合わせ、わたしは生ビール、彼女はスプモーニで、乾杯。

ブラッド・オレンジのソルベ。わたしは、2杯目の生ビールを、
彼女は、いつもデザートを楽しみます。

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視点を左右するもの

舞台に立つ彼女はまるで、モノクロの世界から浮き上がるかのように見えた。
芝居『死神の浮力』で、香川を演じた遠藤留奈である。

先月末になるが、芝居を観に行った。伊坂原作『死神の浮力』(文芸春秋)
芝居好きな伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われ、浮き浮きと出かけた。場所は下北沢でも有名な、一度行ってはみたかった本多劇場だというから、楽しみも倍増。発売日に予約し(彼女が)最前列をゲット(もちろん彼女が)コンビニでチケットを入手し(彼女が)駅で待ち合わせて場所を確認し(彼女が)伊坂トークを繰り広げながら(もちろんふたりで)ランチした(これは、わたしの驕りで)

芝居は「ドラマライブラリー」という新しい形式のものらしく、出演者すべてが片手に台本を持ち、読む。なので動きは少ないのだが、形式のせいもあるのか、ほぼ原作そのままで違和感もなく楽しめた。死神、千葉のとぼけたキャラも、いい感じで伝わってきた。
千葉はキャラが濃いので、演技云々は、よく判らなかったが、脇を固める役者の演技がぴか一で、最前列だったこともあり、その迫力に圧倒された。

ストーリーは、死神が1週間人間につき、可(死)か不可(生)かを見極める。で、千葉は10歳の娘を殺された山野辺の身辺調査をしていた。その山野辺夫妻は無罪となった犯人に復讐しようと暗殺計画を立てていた。千葉は、前作『死神の精度』での設定通り晴れた空を見たことがない。彼が仕事をする時は、いつだって雨なのだ。千葉に感情があるのか判らないが、涙雨だろうか。

観終わった、わたし達ふたりが、同意見だったのは、
「香川(千葉の同僚、死神)のエンディングのお辞儀、かっこよかった!」
「うん。ロングヘアが、床までつきそうだった! ハイヒールなのに」
いったい何処を見ているのやらだが、長く同じものを好きでいると、視点も似てくるものなのかもしれない。だが、と、ふと疑問が浮かんだ。
最前列右側のわたし達の前に、香川は常にいた。エンディングで深く礼をする時にも。目がいったのは、当然とも言える。
「視点って、感性や心の位置でも、実際いる位置でも変わってくるんだなぁ」
またも当然のことに、驚いてしまった。
さて、視点を変えて、この文章に『浮』の字はいくつあるでしょう?ふふふ。

本を読み、芝居を観る幸せ。仲間に教えてもらいました。

ゆっくりランチでお喋り。「村上春樹の短編集、いいらしいね」
「あ、これ?」と鞄から本を出し、わたし。「面白いよ」
「『ポテチ』の中村監督作品『白雪姫殺人事件』観た?」「まだー」

昨日の八ヶ岳。雲も、浮力で浮かんでいるのかなぁ。

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振動と鼓動を感じて

吉祥寺に、芝居を観に行った。
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われたのだ。伊坂原作の『チルドレン』をやるというのだから、観に行かない手はない。
「読み直さなくてもいいよね『チルドレン』なら」と、彼女。
「10回は、読んでるから、さすがにいいね」と、わたしも受け合う。
『チルドレン』は、ふたりの間では「伊坂入門書」と呼ばれており、万人受けするであろうと思われる連作短編集。
「伊坂幸太郎って、なんて面白いんだ!」と、雷に打たれたような衝撃を、初めて感じた本でもある。

芝居では雷には打たれなかったが、いきなり始まったドラムのリズムに心臓を貫かれた。それは、音と言うより振動だ。
つい先日、夫が言っていたことを、思い出した。
「ビートルズって、やっぱすごいバンドなんだよ。昔は音響のイヤホンなんかも今みたいに精密じゃなくて、観客の声援で自分達の演奏の音が聞こえなかったんだって。で、なんとリンゴ・スターがたたくドラムの振動だけを頼りに弾いてたんだよ。なのに、全く狂わなかった」
『チルドレン』は、主人公、陣内のロックバンドが、物語のなかでも大きな役割を担っているのだが、芝居では主役級。中心に据えられていた。
ファンクラブの仲間が選んだ前から2列目、真ん中の席で、心臓に感じる振動を、演じる人達の鼓動を心地よく感じた。だから、ライブって、生の芝居っていいんだよなぁと身体じゅうで感じていた。

彼女も無論キラキラ目で見ていたが、伊坂以外の芝居も、あれこれ観に行っているらしく芝居慣れしているのもあるのか、うっとりと述べた最終的感想は、
「やっぱ、伊坂、いいわぁって、そこ此処で思いつつ観てた」
「生の芝居じゃなくて、そこかい」と突っ込みつつ、あのシーンは本と違ったとか、ビートルズのコピーバンドの設定だったのに著作権上使えなくて違う歌にしたのかとか、どの役者が好みだったなど、新宿までの中央線での話は尽きることはなかった。うーん、振動と鼓動。芝居に、ハマりそうな予感がする。

劇団『東京ハートブレイカーズ』舞台に立つのが、心底楽しいという面々。
舞台後の挨拶「ここは、大人の遊び場です」という言葉が印象的でした。

ライブハウス『STAR PINE’S CAFE』
  
「求む! 表現者かぁ」「スタッフ、やりたいなぁ」と、彼女。

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水月さえ
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自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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