はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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生みたて卵とプラシーボ効果

ニワトリを飼っている近所の方に、生みたての卵をいただいた。
卵かけご飯にして食べると、新鮮さがとてもよく判った。白身がしっかりとしていて流れず、黄身も箸で突いてもなかなか割れない。その黄身が溶けてからんだご飯は、何とも言えず美味だった。

生卵を食べるとパワーが湧くというが、本当に元気が出てくるような気がした。もちろん命のもととなる栄養価が高い食材だとは知っているが、食べてすぐに元気が出る訳もないだろうにと自分でも可笑しくなる。
「プラシーボ効果、かな」
薬でも何でもないものを「よく効く薬」だと言って病気の人に飲ませたところ、病気が治った、という事例がけっこうあるそうだ。「プラシーボ効果」といい、こうすれば治るのだと信じる気持ちに実際、効果があるのだという。

こんなふうに分析しているうちは効果があるとも思えないが、美味しいものを美味しく食べていれば元気でいられるだろうとは、信じている。信じる気持ちって、考えているよりずっと大切なものなのかも知れないな。

卵の殻は、濃い色をしています。茶色いニワトリさんだそうです。

シンプルな朝食。黄身の美しい黄色が、食欲をそそりますね。

かきまぜずに、そのままかけて食べました。白身も、ぷりんぷりん。

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煮干しラーメンと、遠い記憶

噂の煮干しラーメンを、食べた。
「ラーメンのなかで、何が好き?」との質問には、
「味噌か、豚骨の辛葱ラーメン」と答える。
スタンダードな醤油味も悪くはないが、こってり感がラーメンらしさだと、個人的には思っている。

青森発祥の煮干しで出汁をとった津軽ラーメンが、人気上昇中だとは知っていた。魚の出汁だ。あっさりしているらしい。それはそれで美味しいのだろうが、個人的ラーメン観が邪魔をして、これまで煮干しラーメンの店の暖簾をくぐることはなかった。
それが、夫の実家である神戸に帰省した際、用事などを済ませながらバタバタと昼食に立ち寄ったラーメン屋が、煮干しラーメンの店だったのだ。
煮干しラーメンもいろいろで、澄んだ煮干しの出汁を使ったあっさりタイプ、豚骨や鶏がらを合わせて使ったこってりタイプがあるのだとか。そこは、こってりタイプの店。個人的ラーメン観も、そう邪魔にはならない。そのラーメンが、美味しかった。あっさりしているのに、コクがある。味わいが深い。

煮干しの香りに、息子が幼かった頃のことを、思い出した。
その頃、毎朝の味噌汁の出汁は煮干しでとっていた。彼は、3歳くらいだっただろうか。よく一緒に煮干しの頭と腹わたをとった。煮干しで出汁をとるときに、頭や腹わたがついていると灰汁が強く出てしまうのだ。彼はいつも、楽しそうにその作業をしてくれた。わたしも楽しかった。
煮干しという言葉に反応したのか、その香りに反応したのかは判らない。しかし、食べ物というものは、思いもよらぬ記憶を呼び覚ますものだ。
今は東京で一人暮らす28歳の息子。彼は煮干しの味に、その香りに、そのときのことを思い出すことがあるのだろうか。

『麺や六三六』摂津本山店の、本にぼし背脂醤油ラーメン。

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冷たいキッチンに立つときに

今は大学生の末娘が小学校高学年だった頃、二人だけの夕飯というシーンが度々あった。子ども達が幼かった頃には食事時はテレビを観ないと決めていたが、それも3人目の子育てが落ち着いたその頃にはすっかり忘れてしまった。
彼女はNHKの子供向けバラエティ『天才てれびくん!』が大好きで、二人夕飯を食べながら観ては、楽しくおしゃべりして笑ったことを思い出す。
その『天才てれびくん!』どんなことをやっていたのかと聞かれてもほとんど霧の中だが、一つだけくっきりと記憶に残っていることがある。

質問に対して、同じチームのメンバーの答が同じだとポイントがもらえるというゲームだったと思う。冬だった。
「寒―い日に、温まりたい。家のなかだったら、どこへ行く?」
「ストーブの前」「炬燵」「布団のなか」「お風呂」
ありきたりの答が勝利を呼ぶ。だがそこで末娘と同じ年頃の女の子が言った。
「台所!」
その答えを、今でも思い出すのだ。朝、冷たいキッチンに立ちやかんをかけるときや、味噌汁がやわらかい湯気をあげたときなんかに、その上に冷たくなった手をかざして。
朝起きて、まだ部屋が温まらないうちに、彼女はお母さんが立つ台所へ真っ先に行ったのだろうなあ、などと考える。それとも、夕方冷たくなった頬を真っ赤にして帰ってきて、やはり真っ先に台所へ行き、その日あった出来事などをお母さんに話したのかも知れないと。

記憶というのは不思議なもので、今でも冷たいキッチンに立つときに、そのときの女の子の回答が、末娘と過ごした温かな時間と相まって、わたしを温めてくれている。人の思いというものの、温度を感じる瞬間である。
もちろん彼女の答は誰とも一致せず、1ポイントも貰えなかったのだが。

水菜と椎茸の味噌汁に、暮れにいただいた柚子をたっぷり入れて。
我が家では、味噌汁を作るのは朝ご飯だけ。冬は特に美味しいですね。

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紀文だから、ね

おでんを煮るときに、一つだけ決めていることがある。
練り物は、できる限り『紀文』のものを買う。
ネットで取り寄せたりするほどのこだわりではない。いつものスーパーで売っているちくわやら、つみれやらを選ぶ際に2種類あれば『紀文』にする、というくらいのものだ。だが、家族から、または客人から「美味しい」と言われるたびに思うのだ。
「紀文だから、ね」と。

きっかけは、もう20年以上前になるだろうか、友人宅でおでんをご馳走してもらった。鍋である。何人か友人が集まっていた。そのおでんが、何とも美味しかったのだ。そこで、繰り返された会話が、これだった。
「うわあ、美味しーい!」「うん。紀文だからね」
「なにこれ、ものすごく美味しい!」「紀文にしたからね」
「うーん。美味い!」「やっぱり紀文、美味しいよね」
そのときのわたしは、そのたった一度のおでん体験が、何十年という単位で自分のなかに残っていくとは思いもせず、ただ熱々のさつま揚げや大根などをふうふう言いながら味わったのだった。
心に残っていたのは、大勢で味わったその雰囲気だったのかも知れない。さらに言えば、もっと美味しいおでん種が、世の中にはたくさんあるのかも知れない。しかしもはや、我が家のおでんは紀文なくしては成り立たない。その味が、我が家の味となっているのだ。

豆腐 + 魚の『魚河岸揚げ』シリーズは大好きで、必ず入れます。

薪ストーブの上に、6時間置いておきました。
石を一枚置き、その上にかけているので、沸騰はしません。
最後にガスコンロにかけ、このあと、はんぺんを入れて温めて。

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さむーい日のキムチうどん

ひとりのランチに、よくうどんを茹でる。
寒い季節には毎日でも飽きずに食べられるほど、うどんが好きだ。好きだということのなかには、その手軽さも含まれる。
茹でて、麺つゆを入れたどんぶりに、茹で汁ごと注ぐだけ。インスタントラーメンと変わらない手軽さだ。茹で時間6分の美味しい細麺に出会ったことも、うどん好きが加速していった一因になっている。6分の間に、葱をたっぷり刻む。それだけでご馳走だ。

寒さ本番のこれから、さらに温まるうどんが、ひとりランチに登場する。キムチと鶏がらスープ味におろしにんにくをのせた、キムチうどんだ。
これも簡単。5分茹でたらキムチと鶏がらスープ少々を投入し、仕上げにおろしにんにくをたっぷりのせる。身体の芯まで温まること、請け合いだ。夫と食べるなら豚肉を入れたりもするが、ひとりなら入れない。さっぱりヘルシーを優先する。誰かと一緒に食べるのも楽しいが、ひとり気楽に食べるのもいい。

そんなことを考えつつ、キムチの効能を調べてみた。キムチには、乳酸菌がヨーグルトの100倍入っているそうな。美容にいいそうな。
「美容?」そこで突然、美容という言葉がゲシュタルト崩壊した。
「美容って、いったい何ぞや?」
美容 = 容姿を美しく整えること。(日本大百科全書)

「美しく? 容姿? 何かが、あるいはすべてが、違うような気がする。うーん。まあ、いっか。キムチ美味しいんだから、心の美容によさそう」
なんて独りごち、キムチうどんで温まる冬である。心に容姿があるかどうかは、まあ置いといて。

おろしにんにくたっぷりが、美味しさの秘訣です。
パクチーがあれば、なおよしですが、ひとりランチには贅沢かな。

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パクチーニュース

正月休み最終日の4日、海老団子鍋をしようということになった。和風の味は、御節で堪能したということで、アジアンな鍋が食べたくなったのだ。

粗く刻んだプリプリの食感の海老と豚挽肉をよく練り混ぜた団子を、ナンプラーだけで味つけした汁に落としていく。他の具材は、舞茸のみ。食べるときに、たっぷりのパクチーをのせ、レモンを絞る。シンプル料理だ。
シンプル料理だけに欠かせないのが、パクチーやレモン。
ここ山梨の田舎では、これまでパクチーがなかなか手に入らなかった。いつも行く隣町のスーパーで目にすることはなく、本気で買おうと思ったら隣の隣の市にあるショッピングモールまで行かなくてはならなかった。ところが最近うれしいことに、いつものスーパーでパクチーを見かけるようになった。「これさえあればエスニック」とかかれた袋に入っている。需要が増えたのだろう。スーパーの陳列棚にパクチーの居場所ができたのだ。

都会では、パクチー人気が高まっていると聞く。パクチー食べ放題のエスニックカフェができたり、話題となったパクチードレッシングが売り切れになったり。そんな世のニュースになるようなことではないが、隣町のスーパーの棚にいつもパクチーが置いてある。これは田舎で暮らすわたしにとって、新聞の一面を飾ってもいいほどの大ニュース。うれしい一大事なのである。
こうして、隣町のスーパーと流通とパクチーを作っている農家さんに感謝しつつ、明日からまたがんばるぞ、とパクチー鍋、いや違った。海老団子鍋を美味しくいただいたのだった。

タイ語でパクチー、英語でコリアンダー、和名ではコエンドロ、
中国語で香菜(シャンツァイ)と呼ばれているそうです。

レモンをたっぷり絞って。ライムでも合いますね。
海老団子は、塩、粗挽き黒胡椒、酒と水を少々プラスして練ります。

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師走に届いた『佐久の花』

新年を迎えるにあたり、日本酒の一升瓶を取り寄せた。
佐久に何度足を運んでも見つけられなかった『佐久の花』だ。
夏に氷見までドライブした際、休憩がてら立ち寄った酒屋『深澤酒店』で見つけたのだ。そのときにも、喜び勇んで2本買って帰ったのだが、それからまた『佐久の花』切れ状態が続いていた。
「あのお店、調べて頼んでみようよ」
ふたりパソコンで検索すると、あっけなく見つかり、電話をすると2日後には届いていた。ネット社会に感謝である。

酒には、夏に会ったであろう女店主の手紙が添えてあった。
忙しい師走、ご自愛あれとの内容だったが、その師走について、興味深いことがかかれていた。
師走とは、本来「十二月」をそう読んだところから「師走」と当て字をしたらしいということ。また「し」は「仕事」「四季」「年」の意味があり、それが「果す」終わるのだとも言われていること。師が走るほど忙しい月と意味づけられたのは、後づけらしいということ。
「ほう」と、感心しながら、手紙を読んだ。
酒にこだわる人は、言葉にもこだわるものなのだなあと思ったのだ。
今年も、その師走が、足早に過ぎていく。

文字が逆さになっているのは「裏佐久」と呼ばれているお酒です。
裏から見ると、正しく読めるラベルが見えるようになっています。
☆ 今年も1年、読んでくださってありがとうございました ☆

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おしぼりと気づかい

忘年会。クリスマス。新年会。酒の席が重なる季節である。
そんな席で、最近うれしいと思うことがある。
最初に熱いおしぼりを出してくれるところは多いが、そのおしぼりにうっすらと香りがついていることがあるのだ。どのくらいの香りかといえば、香りつきのハンドクリームを塗った手を拭ったとき、自分の手が香ったのか、おしぼりが香ったのか、戸惑うほどのやわらかい香りだ。
小さな気づかいだが、思いがけずうれしく、気持ちまですっきりとする。
「これ、いい香りですね」
「レモングラスなんですよ」
そんな会話を交わせるようなお店は、食事も酒も器も雰囲気も、こだわりや気づかいを感じさせるものにあふれているように感じるのは、気のせいではないだろう。日々の生活のなかでも、そんな小さな気づかい、大切にしたいな。

クリスマスは麹町にあるイタリアン『DiVino』で夫と食事しました。
真っ白なテーブルクロスにお皿、白いカーネーションが、シンプルお洒落。
おしぼりは、ペパーミントのような爽やかな香りがしました。

前菜は、穴子のロートロと香味野菜のスカペーチェ。

メインのビステッカは、レアでさっぱりと焼き上げられていました。
『DiVino』のお料理には、素材、調理法一つ一つにこだわり抜き、
工夫や挑戦、そして気づかいも忘れない美味しさと心地よさがあります。

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柑橘系な日々

今年も、東京でご夫婦ふたり農家を営む友人から、柚子が届いた。
「おお!」と歓声を上げてしまうほどに、いっぱい入っている。
荷をほどくや否や、夫が「ひとつ、もらうよ」と、寝室の枕元に置いていた。冬至を前に、すでに柚子湯にもつかった。白菜の煮びたしには、いつも入れる量の倍、小ぶりなので1個分の皮を刻んでたっぷりと香りを楽しんだ。
「納豆に入れても、美味しいかも」と、わたし。
「夕べの残りの水菜のはりはりにも、合うんじゃない?」と、夫。
「おお! 柚子の味」「うん。香りが効いてる」
もう、何にでもかんにでも柚子を入れて、香りと味を楽しんでいる。

荷物には、レモンも3つ入っていた。
「そうか。レモンも生るのか」
自然と、何度か訪ねたことがある、柚子やレモンが生る友人の庭や畑を思い浮かべてしまう。そのレモンを炭酸水に絞って入れると、口の中には爽やかな酸味が、そして絞った手からは、新鮮なレモンの強い香りがした。買ったものとは違う、ああ、木に生った果実なのだと実感するような匂いだった。

しばらくの間、わたしのなかの60%の水分は、柑橘系になりそうである。

こんなふうに綺麗にラッピングしてあって、心遣いを感じました。
緑美しい南天の葉や真っ赤に染まった葉っぱを入れてあるところにも。

袋を開けると、うん。いい匂い! とり出してみると、
思ったよりたくさん入っていて、びっくりしました。

まだ少し青いレモンは、ローズマリーと一緒に入っていました。
柚子とレモンの黄色い色に、陽だまりの温かさを感じました。

この時期よく作る白菜の煮びたし。蟹缶とたっぷりの柚子を入れて。
酒と醤油を回しかけ、弱火で十分煮るだけの簡単料理です。

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ざくろバーモント

最近『ざくろバーモント』を、飲み始めた。
希釈するタイプで、ざくろ果汁の他、りんご果汁や蜂蜜、ブドウ酢などが入っている。甘みもあるが酸味が効いていて、ホットでも炭酸割りでも美味しく飲めるところがいい。
「ざくろは、女性の身体にとってもいいんですよ。そのうえ、美味しい!」
年下の友人が、すすめてくれたのだ。
身体を温めるために、毎朝キッチンに立ちながら飲むようにしている。
「ところで、バーモントって、何?」と、わたし。
「さあ。何でしょうねえ」と、彼女。
「バーモントカレー、ではないよね」「ですね」

家に帰り、さっそく調べてみた。
アメリカのバーモント州では、昔からりんご酢に蜂蜜を入れたドリンクが飲まれていて、それゆえ健康な人が多いと言われているらしい。そこから、りんごと蜂蜜健康法をバーモントと呼ぶようになったのだとか。
♪ りんごと蜂蜜とろーりとけてる ♪
懐かしい CMソングを思い出し、膝を叩いた。
「それで、バーモントカレーだったのか!」
いやいや、そこは「それで、ざくろバーモントだったのか!」でしょう。

商品名だからということもあるが、深く考えずただ聞き知っていた「バーモント」という言葉。知ってるようで知らない言葉って、けっこう多いのかも知れないな。そんな言葉をひとつ調べられたのも、ざくろバーモントのおかげ。
健康にいいという飲料を飲むのも大切だと思うけど、ただ美味しくて飲みたくなる、それが続けられる秘訣かも知れない。喉を通る酸味と温かさに、朝の冷たいキッチンの温度が2℃ほど上がったように感じるのは気のせいだろうか。

お洒落とは言えない紙パックに入っていますが、
ガラスのコップにホットで入れると、やわらかく曇っていい感じ。

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ラーメンの海苔と海のもの山のもの

所用で甲府に出た際、もしや今年の食べ収めになるやも知れぬと思い立ち、よく行くラーメン屋に立ち寄った。いつも貰っておきながら忘れがちなサービス券も手もとにある。迷うことは何もなかった。
しかし、迷ったのは券売機の前に立ったときだった。新しい味をとの思いもあり、だがここはいつものやつをとの思いもあり、迷いに迷った挙句、いつもの辛葱ばんからにした。挑戦は、麺の硬さにし、やわらかめ、普通、硬め、バリガタ、ハリガネ、粉落としと6種類選べるなかのハリガネにしてみた。硬めの麺が大好きなのである。そしてサービス券で海苔を増やしてもらった。海苔1枚増えるだけかと思っていたら、思いもかけず4枚ものっていて、ひとりうれしくガッツポーズをした。
ラーメンの海苔については、賛否両論あるようだが、わたしは海苔大好き派だ。海苔で麺を巻いて食べるのは本当に美味い。
「海のもの、山のもの」
海苔はもちろん、海で採れる海のものだ。小麦で作られたラーメンは山のもの。チャーシューも野で育つ豚なので山のもの。シナチクも葱も山のもの。
一つのどんぶりのなかに、山のものだけが盛られているよりも、海のものと山のものが盛られている。それが好きなのだ。

意識し始めたのは『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)を読んでからだった。
トットちゃんが通っていた学校は、お弁当には何を入れてもいいけれど「海のものと山のもの」をおかずに入れることが決まりだったという。
一つの器のなかに、海のものと山のものがある。その妙に簡単なバランスが、トットちゃんを読んだときからわたしのなかに住み着いた。
子育て中、身体にいいものをと考えるがあまり、栄養素の数値だとか、覚えられないようなカタカナのビタミンだとか、無農薬だとか、有機野菜だとか、思い詰めるようにそっちに向かっていった頃があった。そういうものに疲れた果てたときに、ただ「海のものと山のもの」を食べればいいんだと思うことで、気持ちが安らいだのを思い出す。
ラーメン、チャーシュー、葱と海苔。たまには、いいんじゃない。若かった頃の自分に言ってあげたくなる。そのくらいのバランスがちょうどいいかもと。

国道20号沿いにある『東京豚骨拉麺ばんから』で。
ニンニクもサービスでついています。ぎゅっと絞って、こくプラス。

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ぴりりと辛い失敗

失敗したことは判っていたが忘れていた。もうかれこれ半年前の失敗である。
Amazonでミルで挽ける山椒が買えると知り、喜び勇んで注文した。山椒はすぐに届き、中身の十倍ほどもある段ボール箱に入っていたことには閉口したが、うれしく開封した。しかし開封し、驚いた。入っていたのは山椒は山椒でも、さらにぴりりと辛い四川赤山椒だったのだ。またの名を花椒(ハナショウ)。主に麻婆豆腐などに使われるスパイスで、山椒とは似通った部分はあるものの、異なもの。はっきり言うと間違えたのだ。
だが使ってみると意外なことに慣れ親しんだ味。というのは、その味に魅せられて何度も通っているワンタンメンの店『雲呑好』の四川風に使われているスパイス。間違えたとはいえ、これはいいぞ、と一件落着と相成った。

しかし半年が経ち、ふたたびその失敗を省みることとなった。失敗したのは山椒違いというだけではなかったのだ。送料がかからないことに首をひねりつつ注文したそれは、半年ごとに届く「定期お届け便」だった。ああ、ネットでポチッの罠にハマったのだった。まあ、単なるうっかりだとも言えるが。

それならば、キャンセルすればいいって? そう簡単にはいかぬもの。山椒の辛さ、舌のしびれは癖になるんだよね。半年に一度、花椒が届くと思うと、胸の奥のざらざらした部分がいい感じにしびれるのである。
花椒が好きな人を招き、半年に一人の割合で花椒パーティを開催するっていうのもいいかも、なんて考え中。花椒、お好きですか?

存在感のあるブルーは、蓮根の器の藍と同じ色です。

韓国風大根の煮物にぴったり。味つけは鶏ガラスープと醤油、酒、酢。
最初に、ニンニクと生姜の薄切りを炒めて風味を出します。
仕上げには、胡麻油。そして花椒のぴりりが、味わいを深めてくれます。

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ペナンヌードルいろいろ

マレーシアで働く夫の友人に、土産をいただいた。
以前もいただいた、インスタントラーメンランキング世界一を誇る『ホワイトカリーヌードル』だ。その量に驚いた。
「こんなに?」
持ち帰ってきた夫に、思わず訊ねてしまう。もちろんその声は喜びに満ちたものだったが、「いいのかな? こんなにいただいちゃって」という思いだ。
前回いただいたときに、その美味しさに感動して、
「本当に美味しかった! 次からお土産はこれお願いします」
と言ったのが催促となってしまったようだ。催促していないとは言わないが。

さて今回は、他の味のヌードルやカップ焼きそばなどもある。順番にゆっくり楽しんでいる。食べるまで味が判らないというのも、また楽しい。
「このラベルの福建って、シンガポール料理屋さんで食べたホッケン・ミーの福建だよね? あっちは焼きそばだったけど」と、わたし。
「ああ、海鮮焼きそばね。これは福建蝦面ってかいてあるから、海老の味が効いたところが同じなのかな?」と、夫。
調べてみると、ホッケン・ミーには、シンガポール式、クアラルンプール式、ペナン式と3種類あり、以前食べたホッケン・ミーはシンガポール式の焼きそばで、クアラルンプール式は太麺、黒醤油、豚肉が特徴の焼きそば。ペナンでは海老がらで出汁を取ったピリ辛ラーメンをそう呼ぶそうだ。ペナンのインスタント麺だけに、ペナン式ホッケン・ミーなのだった。同じ名前なのに、ところ変われば、全く違う料理になっていったことに驚かされる。

そういえば、と深い意味はなく思い出した。小学校のとき、いつも髪をくるりとカールさせていた女の子と名前が同じだった。わたしはストレートの髪をただ一つに結わえた髪型とも言えないような髪型で、名が同じだということの違和感がつきまとい、それでいつもただ遠くから彼女を眺めていたことを。

味が判らないので、ラベルと同じような具をのせて作ってみました。
海鮮ならではの出汁が効いたさっぱり風味。夫曰く「こっちの方が好きかも」

こーんなにいっぱい、いただきました! うれしい~。

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ラーメン屋を数えて

軽井沢まで、ドライブした。高速道路はなく、国道を2時間も走れば着く。
夫は忙しい日が続くと、何処かへ出かけたくなるらしい。わたしだったら、家でのんびり眠ろうと思うのみ。いまだに、疲れたときに欲するものの違いには、驚かされる。

軽井沢へ行くには、佐久を通る。何度か通っている道なので馴染みとなったが、佐久にはラーメン屋が多い。
「ここのラーメン、食べたよね」「ああ、ここも」
「この角曲がったところにも、隠れ家風のラーメン屋あったよね」
「全くいったい、佐久にはラーメン屋、何件あるんだろう?」
などという話になる。しかし今回、アウトレットで買い物し、夫おススメの蕎麦屋に行ったので、ラーメン屋に立ち寄ることはなかった。
その帰り道、夫が言った。
「佐久のラーメン屋、何件あるか、数えてみようか」
「40件くらいかな?」と、わたし。
「それは多いでしょう。28件かな」と、夫。
運転手はわたしだったので、夫が数え始める。5件ほどはすぐに通過したのだが、数え始めると意外に少ないものである。
「俺の勝ちだな」とほくそ笑む夫を無言で睨みつつ、アクセルを踏む。
ラーメン屋ばかりだと思っていたが、印象よりも、案外少ないものだった。10件くらいですでに佐久市内を通過しようとした頃、わたしは賭けに出た。
「あ、ほら、ラーメン少林寺!」
「11件目」夫は口にしてから、はたと気づく。
「少林寺拳法道場の看板だろ!」
嘘はあっけなく見抜かれた。結局、道々見かけたラーメン屋は14件。夫がナビで調べた数も32件と、彼の勝ちは見えていた。

家に近づき、隣町で小料理屋のラーメンという暖簾を見てしみじみと思った。
「不思議だね。小さな町にも小料理屋やラーメン屋をする人がいるんだよね」
「そうだね。どの町にもそういう役割を担う人がいるってことなのかな」
夫は、少し疲れがとれたようだった。ひとりだったら家で寝ていたかもしれない休日、わたしもいい気分転換になった。

お昼に食べたお蕎麦です。追分宿にある『ささくら』で。

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運命の土鍋

新しい土鍋を、買った。何年も使った土鍋が、焦げやすくなってしまったのだ。寿命だと思い、夫とふたりで選ぶことにした。
「わ、これ」
ぴったりくる食器に出会うことは、なかなかない。そして、わたしと夫の好みも微妙に違う。ところが売り場で見たその土鍋に、目は釘づけとなった。一瞬にして魅了されたのだ。先に見つけたのはわたしだが、夫の好みでもあることは一目瞭然だった。案の定、夫も一目で気に入った。土鍋はまるで、そこで静かに微笑みつつ、我が家の食卓へと連れられる日を、うきうきと待っていたかのようだった。時間をかけて好みの食器を発掘するのも楽しいが、こういうまたとない出会いには、わくわくさせられる。
「サプラーイズ!」
と叫びながら、運命の人が現れたような気持ち、と言っても大袈裟ではない。もしかしたら、小さな器一つにも運命というものがあるのかも知れないと、まあこれはずいぶんと大きな土鍋なのだが、土鍋の生い立ちや、店に並んでからの他の食器との確執などをつらつらと考えた。

記念すべき初めての料理は、韓国風白菜鍋。干しシイタケの戻し汁と薄めの鶏ガラスープに、豚バラ肉と鶏もも肉、胡麻油も少々加え、白菜をこっくり煮込む。食卓で塩と七味を入れた器によそって食べれば、心も身体もほっかほかだ。夫はいつも、コチュジャンを入れて2種類の味を楽しんでいる。

たっぷりいただいて、空っぽになった鍋をていねいに洗い、よく拭いて乾かしてから、箱にしまった。
「我が家の白菜鍋は、美味しかったかな?」
新しい土鍋は、これから様々な我が家の鍋を味わい、食卓に馴染んでいくことだろう。新しい土鍋さん、こんにちは。これから、よろしくね。

図らずして置いてあったコップの大きさと比べると、土鍋、大きい!

韓国風白菜鍋。卓上コンロは出さず、キッチンで煮て食卓に出します。

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大根デイズ

毎日、大根を食べている。
ここは「大根の村」と昔から言われてきた、明野町。町内で渋滞が起こるのは年に一度の『大根祭り』11月3日のみという、大根の産地なのだ。ちなみに『大根祭り』は、大根抜き体験ができ、都会から来てくれる人も多い。大根の形のアドバルーンが上がるのも、何とも田舎らしくのどかな風景だ。

農家さんや家庭菜園をするご近所さんに「大根、いる?」という問いには、常に「ほしいです」と答える。瑞々しい大根はおろしてもサラダにしても美味しいし、冬の間貯蔵庫と化す玄関でしなびた大根も煮たり炒めたりすれば、ひと月は美味しく食べられる。なので、畑から抜いたばかりの大根をあちらこちらからいただき、食べるにこと欠かない。大根を楽しむ日々だ。

週末には、おでんを煮た。
おでんに入っている大根も、またいい。他の具の味を吸収した大根は、断然主役だ。そして、その主役である大根の味は、すべての具の旨味となっている。大根役者などとは到底言えぬ、いい味を出した大物級の主役なのだ。
「大根、美味しいね」「うーん、美味い」
「ほんとうに、美味しいね」「ほんとうに、美味い」
美味しすぎて、言葉にならない。そんな大根デイズは、始まったばかりだ。

上の娘が東京に行き、また夫婦二人の生活が始まりました。
おでんも、ふたり仕様。練り物少な目、大根、じゃが芋、厚揚げ多めです。

最近ハマっているのは、薄切りにした大根とキノコと豚肉の炒め物。
味つけは醤油、砂糖、お酢で。ご飯にも、酒の肴にも。
パクチーがまた合うんです。ナンプラー味にも挑戦しようかな。

帆立とマヨネーズで和えたサラダは、煮物と同量、消費できます。

大根の葉っぱと小女子、生姜の炒め煮は、炊き立てご飯にぴったり!
薄味に仕上げて、たっぷりいただきます。

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鴨の鴨南蛮蕎麦

蕎麦屋で、鴨南蛮蕎麦を注文したら、本当に鴨が入っていて驚いた。
鴨南蛮なのだから、何も驚くこともないのだが、てっきり鶏肉が入っていると思っていたのだ。名とは別のそれに似せたモノの方が、本物よりもスタンダードになってしまう、ということはままあることだ。

夏目漱石も『吾輩は猫である』で「鴨南蛮の材料が鳥である如く、下宿屋の牛鍋が馬肉である如く」とかいているから、鴨南蛮についてもずいぶん昔から似せた鶏バージョンについて、妙なことであると思う人がいたのだと判る。
時代の流れに乗り、人も急速に変化しているようで、人間というものは、そうそう変わるものではないのかも知れない。変わったとすれば、店側が、トラブル回避のために鶏肉を使ったものを「鶏南蛮」とか「かしわ南蛮」とメニューに記すようになったというところだろうか。

ふらりと入った蕎麦屋のカウンター席で、漱石が着物を粋に着こなし鴨南蛮蕎麦をすする姿を、ふと思い浮かべた。彼も驚くだろうか。
「おや、鴨南蛮に鴨が入っているとは」

鴨の出汁が効いたスープで、冷えた身体が温まりました。
南蛮は、葱のこと。よく煮えたとろける葱もいっぱい入っていました。
うどんもいいけど、あったかいお蕎麦も美味しいなあ。

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娘と唐辛子

上の娘に、カナダでよく作って食べていたという野菜スープのレシピを教えてもらった。と言っても何のことはない。煮る前に、ニンニクと唐辛子をオリーブオイルで炒め、ニンニクと唐辛子は取り除き、その油で野菜を炒めて煮るだけのこと。
「ペペロンチーノ味の野菜スープって訳だね」と、わたし。
「そうだね。どの料理もペペロンチーノ味だったかも」と、娘。
味見をしてみると、塩は薄めだが、唐辛子のほんのりとした辛味とニンニクとオリーブオイルの旨味が相まって、なかなか美味かった。
「あったまるね」「でしょう? そのうえヘルシー。唐辛子、いいよね」
彼女は最近ハマっているフォーにも、必ず唐辛子を入れている。

だが教わった通りにと作っていて、何かがもやもやとしていた。娘と唐辛子。そこでひっかかっているものがある。
「でもさ、あんまり辛くないかも。唐辛子の辛味、ほんのりだなあ」
その言葉に、「そう? あ、もしかして種とって炒めた?」と、娘。
「種とるよ、そりゃあ。種入れたままだと辛すぎるでしょう」
「とらないよ。そんな面倒くさいことしないよ」
そこで、もやもやと広がっていた霧はすっと晴れた。娘と、唐辛子の種を取るという面倒な作業はどうしても結びつかない。そこにひっかかっていたのだ。
「だよねぇ。そんなこと毎回する訳がないよね、きみが」
「そうだよ。する訳がないよ」わたしは、する訳なんだけどね。
カナダではフレッシュなものが売っていたらしく、彼女にとって日本の乾燥唐辛子は、あまり辛くないらしい。そのカナダでも種を取っていなかったというのだから、相当な辛い物好きだ。まあ、わたしに似て、ということになるが。

スープは、炒めた唐辛子を入れると、ほどよい辛さになった。
唐辛子は身体を温めるだけでなく、胃壁の保護にも効果があるそうだ。自分に合った辛さを知ってこそ楽しめる香辛料なのだとか。
「何ごとも、ほどほどが肝心ってことかな」
刺激は、求め始めるとどんどんエスカレートしていく。だが、と考えた。彼女には、そんな心配は無用だろう。辛さと面倒くささとを天秤にかけながら料理しているうちは、そこまでこだわりがある訳ではあるまい。

たっぷり煮た野菜スープ。見ているだけで心もほっかほかになります。

よそってからオレガノを振りかけました。食べてまたほっかほか。

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大鍋料理な日々

上の娘と一緒に暮らすようになり、鍋やホットプレートを出す機会が増えた。この週末も、お好み焼きや豚好きをしたし、娘がカナダから帰ってきた翌日もチゲ鍋だった。やろうと言い出すのは、大抵お祭り好きの夫だ。

どちらかというと、干渉しあわない家族だと思う。男女の差では語れないことも多いが、わたしも娘も男っぽく、仲はいいとは思うが、べたべたした関係にはなりたくない方だ。友達の陰口話などに相槌を打つのを嫌い、学校で居心地の悪い思いをしたところも、たぶん似ている。
娘とふたりの夜は、それぞれ食事も別にし、リビングに居合わせたときにしゃべるくらいの間の取り方が自然となった。大鍋に煮た野菜スープや、フライパンいっぱいの八宝菜を作っておけば、勝手になくなっている。娘とて25歳にもなって、夕飯は食べるのか、何時に帰るのかとうるさく言われるよりも気が楽だろうし、わたしとて同じことだ。

それでも3人揃った夜に、共に食卓を囲むのは楽しい。ホットプレートでお好み焼きを焼くだけでも、盛り上がるし、酒も進む。
「カナダでも、くしゃみした人に bless youって言うの?」と、夫。
「言うよ。テスト中にくしゃみしたら、みんなに言われた」と、娘。
「テスト中に? しゃべっちゃいけないんじゃないの?」と、わたし。
「そうだけど、先生にも言われた。あと電車乗ってるときに知らない人にも」
「電車の中で? それで thank youって言うの?」
「テスト中も bless you. thank you.
 電車の中でも bless you. thank you.」
繰り返す娘に、夫とふたり笑った。
日本では、くしゃみをすると誰かが噂しているなどというが、海外では、くしゃみをした途端魂が抜け bless you または God bless you と言ってもらうと元に戻るという迷信があるらしい。

食べて飲んで笑いながらも、人と人との違いを思う。お国の違いで、くしゃみは噂だったり魂だったりするが、どこの国でも人は人。家族や友人との間の取り方は、ひとりひとり違うんだろうな。同じ日本の同じ家族のなかでも、それぞれなのだということが、食事を作っているだけで垣間見えるのだから。

豚バラ肉をあとからのせ、ひっくり返してカリカリに焼きます。
キャベツを、1㎝ 角の粗みじん切りにするのが美味しさの秘訣。

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柿と胡瓜とシャインマスカット

道端で、家庭菜園をしている近所のご夫婦に会った。
夏の間、胡瓜を分けていただいていたので、そのお礼を言うと、柿はいるかと聞く。この季節、他からも貰うだろうと、押し売りにならないよう気遣ってくださったのだ。いただいた柿がちょうど失くなったところ。よろこんでいただくことにした。

そのとき、胡瓜のお礼に持っていったシャインマスカットの話になった。
「あれ、初めて食べたんだけど、本当に美味しくって、あれからハマっちゃったのよ。何度も買って食べたのよ。皮ごと食べられるのがまた、面倒がなくていいのよねえ」
さしあげたのは知り合いの農家さんが作っているもので、本当に美味しく、毎年両方の実家にも送り、よろこばれている。
「よかった! あれ、ほんとに美味しいんですよねえ」
「本当に、美味しかったよ」ご主人も絶賛。
「ほんとに、ほんとに、美味しかった!」
奥さんも何度も繰り返し、褒めてくれた。わたしもうれしくなり、繰り返す。
「シャインマスカット。本当に、美味しいんですよねえ」

3人で、しばしシャインマスカットを褒めたたえ、笑った。
さしあげたものを自分で褒めるのは、なんだか可笑しい気もしたが、そんな気遣いより何より、同じ美味しさを味わった者同士の会話が心地よかったのだ。
胡瓜がシャインマスカットになり、シャインマスカットが柿になり。わたしの親と同年代のこのご夫婦とは、そんな繰り返しを何年もしている。

柿の実を見ると、太陽の下でこういう色になったんだなあと思います。
袋の中には、つやつやな柿の実が、全部で十個ありました。

夏の終わりに食べた、シャインマスカット。皮ごと食べられて種なしです。

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「食べる」ゲシュタルト崩壊す

「食べる」が、ゲシュタルト崩壊した。
昨日は、年に一度の健康診断だった。バリウムを飲む予定だったので、朝食は食べられない。なので、夫の分だけ用意した。
キッチンに立ち、香ばしく焼き上がった子持ちししゃもを見て、不意に口に入れたくなる。朝起きたてで、時間も6時前。空腹を感じた訳ではない。ただ、禁じられていることをしてみたい気持ちに駆られたのだ。
食べたところで、バリウム検査ができないというだけのことで、たいしたことではない。触っちゃいけないと言われたアイロンに触ってみたくなり、小さな火傷をする子どもと変わらない程度の怪我で済むだろう。子どもとて、アイロンに触りたいという熱い思いを抱えていた訳ではない。「いけない」と言われたことには引力があり、それに引き寄せられ、ふらふらと近づいてしまっただけなのだ。非常ベルの赤い色を見て、不意に押したくなる、あれである。

食べてはいけない時に食べる、その引力はたいして強くはなかった。毎年のことだ。引力のかわし方も心得ている。
だが今年は、いつになく「食べる」が膨らみ始めた。
いつもとっている行動「食べる」が、いつもと違う顔を見せ始めたのだ。考えることもなく「食べて」いたが「食べる」ということは、咀嚼し飲み込み食道を通過し胃に到達し消化されるということなのだとあらためて考えてしまう。すると普段は「美味しい」というところで考えが止まっていたことに気づく。気づいたが「食べる」一連の作業と「美味しい」がどうにも結びつかない。
「食べるって、いったい何なんだろう。ああ!」
ゲシュタルト崩壊の罠に、まんまと落ちていったのだ。

香ばしく焼けた子持ちシシャモをかじることもなく、健康診断はぶじ終わった。何も問題はなかった。今日からまた、美味しく食べ、美味しく飲める。
「お腹減ったあ」
検査結果を手に、ラーメン屋に入ったときには、崩壊した「食べる」は、すっかりもと通り「美味しい」に戻っていた。

新宿ルミネエストの塩ラーメン屋『ひるがお』の塩ラーメン。
青さ海苔の上の柚子が効いていて、細くてかたい麺が好みでした。

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千切りセロリと泣きたい気持ち

昨日の夕方、久しぶりにパニックに陥っていた。
来週初めに予定を入れたため、経理の仕事を週末にしなくてはならず、それを判っていながら、次々に予定を入れてしまったのだ。
片づけられない女代表のわたしは、部屋の片付けも苦手だが、やらなければならないことを頭のなかで整理整頓することも苦手なのだ。
あれもこれも、これもあれも、やらなくちゃ。そんなふうにパニックに陥ると、泣きたい気持ちになる。いい大人なのに、と自分でも思うが、いい大人だって泣きたい気持ちになることは、ままあるのだ。

ある程度仕事をやっつけて、だが泣きたい気持ちはボルテージを上げていく。
「だめだ。だめだ」
仕事は明朝に回し、とりあえずキッチンに立つことにした。メニューは決まっている。セロリと鶏肉のサラダだ。セロリを刻むのは好きだが時間がかかる。
「どうしてこんな日に、セロリなの?」
自分で決めたメニューに自分で追い詰められているなんて、なんてダメな奴なんだろうと、さらに落ち込んでいく。
しかし、セロリを刻むうち、マイナスな気持ちが次第に消えていった。
何故だろうかと考えて、セロリを刻むといつも思い出す言葉のせいだと思い当たった。お隣りのご主人を招いて酒盛りをしたときのことだ。
「これはまた、よく刻んだねえ」
セロリのサラダを見て、彼は言った。
「はい。刻みました」と、わたし。
「うん。ほんとうにまた、よく刻んだねえ」
ひと口つまんで、ふたたび彼は言った。
「はい。がんばりました」と、わたし。
何年前のことだったかも忘れたが、セロリを刻むたびにその「よく刻んだねえ」を思い出すのだ。

褒められたいと思って料理する訳ではない。仕事も然りだ。だが褒められれば嬉しい。その記憶は、何かの拍子に出てきてわたしを助けてくれる。ほんの小さなことだが、その小さなことで切り抜けられる時、というものがあるのだ。

セロリのサラダが出来上がる頃には、泣きたい気持ちは、まるで最初からなかったかのようにすっかり何処かへいってしまっていた。

我が家定番のセロリの千切りサラダ。にんにくと醬油で焼いた、
鶏ささみと一緒に山葵マヨネーズで和えて、茗荷をのせます。
山葵は、生のものをすりおろすと、いい香りが口のなかに広がります。

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湯のみに咲いた桜

このところ、毎朝キッチンに立ちながら、桜湯をいただいている。
いただいている、といっても、朝食を作りながら、自分で淹れて飲んでいるだけである。だが湯のみのなかに咲いていく桜の花の上品なたたずまいを見ていると、いただいている、というような気分になるのだ。

先日、所用でお隣りは長野の茅野に行ったとき、駅前のお土産屋さんで桜の塩漬けを見つけた。30gの小さな袋に入ったそれは325円と安価だったこともあり、ふっと桜湯が飲みたくなり、衝動買いした。長野の桜の名所、高遠に以前桜を見に出かけたことを思いだし、その風景が桜の塩漬けのなかに見えたような気持ちになったからかも知れない。

桜色というには、濃いピンクだ。梅酢と塩のみで漬けられているとの記載があるので、梅酢の色なのだろう。
まずは一輪だけ入れて、湯を注いだ。が、ほとんど味がしない。3つほど入れても、やわらかく優しい味だ。それならと、毎朝飲んでいる白湯代わりにいただくことにした。

桜が咲く頃には遠いこの季節に、毎朝、湯のみに咲く花を愛でられる。なんとも贅沢なことである。

原材料と記されているのは、桜花、塩、梅酢のみ。

濃い綺麗なピンク。桜色というよりはピンク色です。

花を3つ入れた桜湯。花がひらくと桜色という雰囲気になります。
結婚式の控室などで、お茶の代わりに出されるようになったのは、
「お茶を濁す」という言葉が縁起のいいものではないからだとか。
縁起など関係ないとしても、華やいだ場所に似合いますね。

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大根サラダ効果

「買い物、どうする?」「面倒くさいね」
ヴァンフォーレ甲府が、J1残留を決めた土曜日。スタジアムまで足を運び、観戦した帰りの車での会話だ。
J1残留を決めたら、祝いの酒盛りだねと相談もしていたのだが、ここへ来てのまさかの夏日。汗をかいての観戦で身体に堪えていたし、対戦相手がトップを走るサンフレッチェだとはいえ0 – 2の完敗で残留が決まったことで、心に堪えてもいた。まあ、残留でホッとしたことも手伝って、心身ともに脱力状態だったのだろう。

「肉も魚もあるけど、野菜がないなあ。玉葱、じゃが芋、人参しかない」
そこで、夫が明るいニュースを口にした。
「そういえば、大根持って来てくれるって言ってた」
午前中に会った、はす向かいの家庭菜園をしているご近所さんに、大根はいるかと聞かれたのだそうだ。
「やったあ! じゃ、大根サラダにしよう。買い物は、もういいね」
「いいねえ。大根サラダ」すぐに相談は、まとまった。

帰宅すると、玄関の取っ手に、大根の葉がはみ出したビニール袋が掛けてあり、なかには白く美しい大根が2本入っていた。
すぐに、千切りにとりかかる。真っ白い大根を千切りにするのは、大好きな作業だ。ゆっくりと時間をかけて、丁寧に刻んだ。
瑞々しく白い大根のなかに包丁を入れていくと、心のなかまで瑞々しく白くなっていくような気がする。そして、フラットな心持ちに立ち戻る。白い色には、たぶんそういう効果があるのだろう。

ヴァンフォーレの残留を祝って乾杯し、大根サラダを食べる頃には、来年、新しいシーズンもがんばって応援しようという、真新しい気持ちになっていた。
いやいや。今シーズンも、まだあと2試合あるんだったっけ。
がんばれ! ヴァンフォーレ甲府!

短い大根って可愛いです。洗ったものをくださる気づかいにも感謝。
葉っぱも、炒め煮にして、美味しくいただきました。

大根の千切りって、白くて透明感があって、ほんと綺麗だなあ。

帆立缶と塩、粗挽き黒胡椒とマヨネーズで和えて。
ふたりで2本、完食しました。瑞々しかった!

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もやしナムルフィーバー

主役になることはまずないが、脇役として活躍することはけっこう多い。
もやし、である。
朝食の目玉焼きに添えるランキングは、何と言っても、もやし炒めがトップだし、チャンプルー、チゲ鍋などでは、主役のよさをひきたててきちんとサポートしてくれる名脇役ぶり。ビタミンCや食物繊維、血圧を下げる効果があるというカリウムが豊富で、カロリーは低いという優れものだ。

最近、そのもやしを主役に置くことが増えた。ナムルだ。
これまで好んで作ることをしなかったナムルを、たびたび作るようになったのは、美味しいもやしナムルを食べたからに他ならない。
パリでランチした『餃子バー』で、お通しとして出てきたものだった。
全員日本人スタッフだったが、フランス人向けの味になっていたのか、胡麻油も効きすぎず、胡麻もかかっていなくて、シンプル美味いナムルだったのだ。
「再現するぞ!」
シンプルナムル味を思い出しつつ、まずはレシピを検索。胡麻油と塩と鶏がらスープの素のみのものが近そうだと作ってみた。白胡麻も常備してあるが、あえて使わない。胡麻油は癖のない太白の生搾りにする。
結果は、大成功。『餃子バー』のナムルは、我が家の味となったのだった。

その後ナムルにハマり、居酒屋で小松菜のナムルをオーダーしてみたり、にんにくをすり下ろしたものや唐辛子も入れた濃い味ナムルにも挑戦してみたりしている。もやしのいいところは、安価なところ。失敗しても痛手は小さい。
スーパーには山梨産のもやしが種類豊富に売られているし、もやしナムルフィーバーは、しばらく続きそうである。

上の娘が、全部食べていい? という勢いで食べていました(笑)
もやし一袋に、胡麻油大さじ1、塩とスープの素小さじ1/3くらい。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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