はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

イザベルとの再会

パリで最後の夜、パリジェンヌ、イザベルと再会した。
3年ほど前に、2週間ほど我が家にステイした上の娘の友人だ。3年前には、自己主張が強い彼女に、娘も夫もわたしも驚かされることが多かったと、なつかしく思い出す。
「わたしがダイエットしてるのを知ってて、どうして肉を出すの?」
そう言いながら、誰よりもすき焼きの肉をたくさん食べたイザベルは、表情にも勝気な性格がにじみ出ていたし、フランス人は自己主張が強いのだと、自分でも言っていたっけ。

だが、イザベルに会い、驚いた。
何かがほどけたように、やわらかい表情になっていたのだ。
「エッフェル塔には、結局行けなかったんだ」夫が言うと、
「それは正解よ。人が多いだけだもの」と笑う。
その口調はやわらかく、わたし達への気遣いも感じられた。夢に向かって勉強を続けている途中ではあるというが、23歳から26歳までの3年間で、ああ彼女は、大人になったんだなと思った。それがこんなふうに表情に表れるということは、いい時間を過ごしていたのだと判り、とても嬉しくなった。

そのイザベルが、言った。カナダにいる娘のことだ。
「昨夏パリで会ったときに、彼女はすごく変わっていてびっくりした」
まず外見が。以前は、いつでもきちんと化粧をしてひらひらした服を着ていたのに、ノーメイクでジーンズにTシャツ姿だった。そして中身も。以前は他人に合わせることが多かったのに、それがはっきりとした考えを持ち、反論だってするようになっていた。だから様々なことについて、ふたりでディスカッションしたというのだ。それが楽しかったと。
確かに彼女の外見は、はっきりと変わったよねと3人で笑いながら、考えた。
「そうか。親からは見えないところもあるけど、娘も変わってるんだ。もしかしたら、イザベルと同じくらいに」

そして、思った。人って、変わるんだな、と。彼女達は若い。けれど変わったのは、若いからというだけではないような気がする。人はいつでも、変わっていくし変わっていけるんじゃないかと、イザベルに再会し、思ったのだった。


  



  



  



  


photo by my husband
パリの旅行記は、これでおしまいです。夫が撮った写真を見ると、
そこにいた時には見えなかったパリが、写っているように思います。

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二度目のしぇー

夫はこのパリの旅で、二度「しぇー」をした。
一度目はオランジュリー美術館で、楽しみにしていたモネの『睡蓮』の絵のコーナーが閉鎖中で観られなかったとき。
そして二度目は、何と言うことであろう。旅行前からチケットをとり正装までしていったオペラ座で「ストライキで公演中止」と言い渡されたときだった。
その日は、連日歩き回って疲れていたこともあり、寝坊して近所にランチを食べに行っただけで、あとはオペラ鑑賞のために鋭気を養おうとアパルトメントでごろごろして過ごすというオペラのための日だったというのに。

しかし、返金の手続きをし、オペラ座の外に出た時にはもう、ふたり顔を見合わせて笑っていた。ありえない出来事に、ここは日本じゃないんだよなあという解放感を感じ、可笑しくてたまらなくなったのだ。
夫は一度目の「しぇー」で足が逆だと指摘され、今度こそ正しい「しぇー」をするぞと意気込み、わたしもオペラ座のてっぺんのモニュメントが入るよう写真の構図を考えた。そして、正しい「しぇー」を撮影し終えて満足し、すぐ近くのブラッスリー(ビアホール)に飲みに行くことにした。

自棄になっていたこともあり、パリ名物、生牡蠣を注文した。昔一度だけ牡蠣にあたりじんましんで2週間苦しんだことがあり、これまで不安で食べられなかったのだが、これで体調を崩すならそれもよし、くらいに思ったのだ。その生牡蠣は、夢のように美味しかった。夫は、申し訳なさそうにするオペラ座の女性に「ネクスト・チャンス」と言っていたが、次回があったとして、ふたたびストで公演中止になったとしても、ここで生牡蠣を食べられたら、それでいいかも、と思ってしまうほど、そう。パリで食べたなかで一番美味しいと思っていた近所のパン屋のチーズパンに匹敵するほどに、美味かったのだった。

オペラ座の一つ『パレ・ガルニエ』の外観です。

なかでは未練たらたらに、模型を写真に収めました。
「この辺りの席だったね」とは、夫。

オペラ座にほど近いブラッスリー『ル・グラン・カフェ』で飲みました。

生牡蠣が入ったシーフードプレート。檸檬でシンプルに食べるもよし、
エシャレット入りのビネガーソースで食べるもよし。

正装して正しい「しぇー」を披露する夫でした。

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おススメスポット、パッサージュで

パリのおススメスポットの一つに、パッサージュがある。
ガラスの屋根に覆われたアーケードで、18世紀後半に造られ、全天候型であり、当時は最先端をゆくショッピング街としてパリ市民に愛されたという。時代が移った今では、ガラスの屋根から漏れる光が、何かなつかしい雰囲気の歴史ある商店街という感じ。オペラ座の東側に点在している十以上のパッサージュには、それぞれ特色があるのも面白い。
アパルトメントから歩いて行ける本格カレーのエスニックな香り漂うパッサージュ・ブラディと、オペラ座から二駅の切手屋が多いパッサージュ・パノラマ、おもちゃ屋が並ぶパッサージュ・ジュフロワ、古本屋街パッサージュ・ヴェルドーを歩いた。

「餃子バーで、お昼食べようか」「いいね」
パッサージュ・パノラマには、餃子が美味しく行列ができる人気店があると聞いていた。ほどなくして到着したその店は、昼時には少し早かったのかまだすいていて迷わず店内に入った。
「おふたりですか?」
カウンターに通してくれた女性は日本人。ホッとして餃子とビールをオーダーする。見るとカウンター内で餃子を焼く女性も、ビールを出してくれた女性もみんな日本人で、日本語でやりとりしている。フランス人の客にはスピード感あふれるフランス語で、相手によっては英語で会話しながら、けれどたがいに声をかける時には日本語でしゃべりながら、彼女達は生き生きと働いていた。
「若い日本人が、パリで元気に働いてる姿って、いいね」
店を出た後、夫が言った。彼女達は多分20代後半から30代前半で、とても一所懸命、そしてとても楽しそうに仕事をしていたのだ。前日には、バゲットコンクールで優勝したパン屋で働く若い日本女性を見かけたばかりだった。
「ほんと。みんな溌剌としてたね」わたしも、うなずく。
歴史あるパッサージュにできた新しい店で、元気よく笑顔で働く彼女達。何故パリで働き、暮らそうと思ったのだろう。
「夢」という答えが、彼女達には似合っているように思えた。

こんな全天候型の商店街が、古き時代からあったんですね。
  
カフェやビストロ、ピザ屋さんなど飲食店もたくさん並んでいました。
左側の写真は、切手屋さんの看板です。お洒落!

パッサージュ・パノラマには、本当に切手屋さんがいっぱい。
世界じゅうの古切手が、10枚2ユーロで売っていました。

餃子バー。行列ができるほどではありませんが繁盛していました。

ぱりっと焼けていてあっさり風味。ビールは一番搾りもありました。

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赤信号の捉え方

パリで驚いたことの一つは、信号無視する歩行者の多さだ。
多いというより、車が通っていなければもう、必ずと言っていいほど、信号が赤でも渡ってしまう。老若男女みんなである。

また、驚いたことのもう一つは、服装がジミーなのだ。
「なんか、街に色が少ないよね」夫に言うと、教えてくれた。
「パリの人達は、モノトーンが好きらしいよ。車も黒と白が多いし、若い女性だってグレーや黒の服だし」
よくよく街を見てみると、本当にそうだった。明るい色やパステルカラー、派手な柄の服装をしているのは旅行者っぽい人に多い。車もたまに黄色いのが通るが、それは郵便局カラーで、配達の車なのだった。

また、これは事前情報で聞いてはいたことだが、店で買い物をして感じる店員さんの冷たい感じ。「メルスィ」とは言っても笑顔を見せることは少ない。というか、怒っているようにさえ思えることもある。

しかし十日間パリで過ごし、これはこちら側の勝手なイメージなのではないかと思い当たった。もともとの意識が違うんじゃないかと気づいたのだ。
信号無視に関しては、車が通っていないときには赤青関係なく渡っていいものだと思っているのかも知れない。
パリジェンヌはお洒落 = カラフル、と思いこんでいたのもこちらの勝手なイメージだし、店員さんも決して怒っている訳じゃなく、接客時に笑顔を見せるという習慣がないだけなのだろうと思えてきた。
そう気づいて、ぐるりと見回してみると、フランスの人達はとてもフレンドリーだった。いつものチーズパンはないの? と、身振り手振り交え伝えようとするわたしに、店の奥から焼き立てのチーズパンを持ってきた彼女は、笑っていた。それは営業スマイルではなく、最近毎朝買いに来るチーズパンが好きな変てこな日本人に対する呆れ笑いだったが、とても親しみがこもっていた。

信号機の人型マークの手足の長さや雰囲気が違っているのは、
違う国なんだから当たり前だと思うんだけど・・・。

これをそのまま放置しつつ使っているところは、理解しがたい。
やっぱり、国民性の違いかなーと思います。

アパルトメントのベランダから見下ろした、マジャンタ通りです。
圧倒的に黒と白の車が多く、次にシルバー、そして濃いブルー。
通りを歩く人も、モノトーンの服装が多かったです。

郵便局 LA POSTE は、黄色に青のツバメのマーク。

ポストはもちろん、黄色です。

切手は、自動販売機で売っていました。
自販機の多くは、お札は使えませんが、クレジットカードOKです。

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ベルサイユの庭

パリを旅するにあたり、わたしは『パリこれ!』(新潮文庫)「住んでみてわかった、パリのあれこれ。」という、とのまりこのエッセイを読んだが、夫はフランス革命を中心に歴史本を読みながら旅をしていた。
「パリを知るには、ベルサイユを見てみないと」
わたしはミーハー的にベルサイユ宮殿に行ってみたかったのだが、夫は違う意味でぜひ行きたいと思っていたようだ。パリから電車を乗り継いで30分と少し。ベルサイユ宮殿を訪ねた。人の波にもまれての宮殿探訪だったが、ルイ16世とマリーアントワネットが暮らした宮殿の部屋より何よりハッとさせられたのは、庭の広さだった。
「なんだ、この風景は!」「いくら何でも、広すぎでしょう!」
歩き回る気満々だったのに、広さのレベルの違いに、ふたり呆然と立ち尽くした。水のない土地に運河を作るため水をひいたという。自動車もない時代に、いったいどれだけの人の手と時間を費やしたのか。想像もつかない。作ろうとした人達の発想に暴力的なものさえ感じるほどだ。

フランス革命ののち、ギロチンで処刑されたルイ16世とその妻マリー・アントワネット。ふたりは結婚したとき15歳と14歳だったそうだ。この広すぎる場所で、どんな思いを持って暮らしていたのか。この広さを把握することさえできないわたしには、知る由もない。

庭の向こう側どころか中腹にもたどりつかず、宮殿を振り返って。

反対側。十字の形をした運河です。
いったい何処まで続くんだろうか。広すぎます、ほんと。

マリー・アントワネットが暮らした離宮への入口です。
離宮も遠く、行くのを断念しました。

現代アートが、庭のあちらこちらに点在していました。
真ん中の鏡のようなものも、その一つです。

音楽に合わせて踊る噴水。綺麗でした。

池では白鳥が、ゆったりと水面を滑っていました。

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犬とセーター

「いい知らせと悪い知らせがある」とは伊坂幸太郎『マリアビートル』に登場する殺し屋の口癖だがそれとは全く関係なく、いいことと悪いことがあった。

まず悪いこと。セーヌ川南の左岸、サン・ジェルマン・デプレを歩いてた時だった。驚いて息を呑み、立ち止まった。歩道沿いの建物の一階の窓、大きな犬がじっとこちらを見ていたのだ。動かないのでぬいぐるみかと思ったのだが、本物の犬だった。
「びっくりした!」
笑いながら夫に言うと、夫も笑ってカメラを向けた。その瞬間だった。
「冷たい!」
空から、水が降って来たのだ。髪も服も濡れてしまった。夫は少し離れていたのでぶじだった。どうやら上階の人が窓から水を捨てたようだ。ベランダの植木に水をあげたのかも知れない。
「ひどい・・・」半泣きである。
「もう、パリ嫌い」ぶつぶついうわたしを、夫がなだめる。
「歩き煙草の人は無神経で危険だし、道を譲ってもメルスィも言わないし」
わたしのぶつぶつは続く。海外旅行でのカルチャーショックは何処に行ってもあるものだが、まさか頭から水をかけられるとは思いもよらなかったのだ。

だがもちろん、いいこともあった。
「あ、素敵な本屋さん」「うわ、高級お惣菜屋さん」「雑貨屋さん!」
歩く道々、面白そうな店が並び、それが個性的。値段が高くて、ウインドウショッピングしかできないことも多いが、楽しい。夫がカメラを構えるたびにわたしも立ち止まり、わたしが面白そうな店を見つけるたびに、夫も立ち止まるから、のんびり歩いていたのだ。
そんな散歩道で水をかけられてすぐに、素敵なセーター屋を見つけた。
「あ、いいかも」
カメラを構えて立ち止まった夫に、この店にいるからと言い置き、セーターを手に取って見てみた。やわらかく軽く、シンプルなデザイン。そして何よりリーズナブルな値段だ。パリで服を買うつもりはなかったが、この値段なら日本で新しいセーターを買うのと変わらない。
「スィル・ブ・プレ」
レジに持って行くと、隣りでセーターを見ていた女性に声をかけられた。
「とっても、似合います」
日本語だ。彼女はオーストラリアから来ていて、お嬢さんが京都に住んでいるのだと話してくれた。
気に入ったセーターを褒められたこと。日本語で、笑顔でフレンドリーに話しかけられたこと。濡れた服をすぐに着替えられたこと。このところの冷たい空気にぴったりの温かいセーターだったこと。そして、パリの街のブティックでセーターを買えたこと。そのどれもが嬉しかった。そう思えば、頭から水をかけられたのも、悪くなかったかな。いや、もう二度とごめんだが。
  
夫が撮ったぬいぐるみ犬とセーター。あせたブルーが気に入っています。

サン・ジェルマン・デプレの有名カフェ『レ・ドゥ・マゴ』

絵本屋さんです。通りの向かい側の建物が写真に写りこんでいます。

可愛い看板は、お肉屋さんでした。

お肉屋さんの店先では、チキンがローストされるいい匂いが!

ランチは、もと魚屋さんだったというカフェで、サバ定食。

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パリのアパルトメント事情

パリで借りたアパルトメントは、サン・マルタン運河近く、メトロのジャック・ボンセルジャン駅前、徒歩0分、隣の多くの線が交差する乗換駅レピュブリックまでも歩いて5分ほど。パリ北東に位置するが、とても便利な場所にある。スーパーも2分歩けばBIOにこだわった店があるし、パン屋、カフェ、水やビールなどを買えるコンビニ的な店(もちろん24時間営業ではない)は、ジャック・ボンセルジャン駅前にある。
その便利さにも増して、つい「そろそろ、うちに帰ろうか」などと夫に言ってしまうほどに居心地がいい。ホテルに滞在するのとはまた違った、ゆったりとくつろげる雰囲気があるのだ。ここでしばらく暮らせただけでも、パリに来てよかったとにっこりしてしまう。

居心地の良さの裏付けになる必要不可欠なものは、セキュリティである。貸主さんによると街なかでの掏摸も多いが、泥棒も多いという。それだけにセキュリティはしっかりしているのだ。何しろ部屋に入るまでに鍵を開けなければならないドアが4つもある。たいへんだが安心だ。部屋自体の魅力もあるが、安心の裏付けは大切である。

しかし、そのドアにまた日本との違いを感じる。ナンバーを入力するタイプの通りに面する最初のドアは大きく重く、そして鍵がかかってさえもしっかりは閉まらない。外から郵便くらいならドアの隙間から入れられる。ぴたりと閉まる日本の平均的玄関のドアに慣れていると、どうしてこういう造りにしているのだろうかと疑問に感じざるを得ない。最先端のタッチ式キーなどを使いつつも、ドアに隙間が空くのは良しとする。不思議である。
駅に設置された自動販売機にも、同じことを感じる。販売機のなかがガラス越しに見えるタイプの日本でいえば古いタイプのものだが、クレジットカードが使える。2ユーロのジュースを買うのにもクレジットOKなのだ。

毎日開け閉めする、がたがたとした電子ロックのドアに、新しいものと古いものをどう取り入れていくか、というところの感性の違いを、日々感じた。日本は、新しいものにばかり目を向けすぎているのかも知れないとも思いつつ。

マジャンタ通り沿いにある入口のドアです。

2つ目のドアを開け、螺旋階段を上って、3階の部屋でした。
  
3つ目のドアを開けて、4つ目は、真っ白いドアです。
  
ドアを開けると廊下の先にはキッチン。リビングはアジアン風です。

朝食です。近所のパン屋さんのチーズパンがもちもちでハマりました。
毎朝、散歩がてら買いに行って、焼き立てを楽しみました。

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静物画のなかの時間

パリには大きな美術館がたくさんある。すべて観て回るのはムリだが、ルーブル美術館、ピカソ美術館、現代写真を展示したジュ・ド・ポーム、そしてオランジュリー美術館へと足を運んだ。
そのなかで何故かは判らぬが、心魅かれた一枚の絵があった。
オランジュリーに展示してあったアンドレ・ドランの『台所のテーブル』だ。
絵のことも芸術も、よくは知らないわたしだが、観て、ただ魅かれる、そういうものを大切にしたいと観て歩いたなかで、意味などなく本当にただ強く魅かれた絵がそれだった。いちばん魅かれた絵が静物画だということに自分への疑問を感じもしたが、いや、静物画なのに表情が深い、というところに惹きつけられたのかも知れないと思い当たった。

そして日本語のガイドを聴いて、なるほどとうなずいた。
ドランは、静物画を描くなかで「時間とは何か」という問いを、絶えず繰り返していたという。それは更に「生命とは何か」「死とは何か」という問いかけへと発展し、それらの問いを深く深く見つめ、静物を描いていたのだそうだ。

絵を観てガイドを聴き、その絵から読み取れないストーリーを楽しむのもいいが、ドランのその解説は、何故、自分が『台所のテーブル』に魅かれたのか、すとんと腑に落ちるようなものだった。ガイドを耳から外し、ふたたび目を凝らし、絵のなかのテーブルにのせられた時間に思いを馳せた。

アンドレ・ドラン『台所のテーブル』落ち着いた色合いにも魅かれます。

ルノワール『雪』の解説では「風景のなかに白という色はない。
雪には空の青が映りこんでいるはずだ」と後輩に教えたとありました。

ウトレロ『ベルリオーズの家』モンマルトルの風景だそうです。
ルーブルもオランジュリーもピカソ美術館も、撮影OKでした。
絵画保護のためにストロボ禁止ですが、解放感を感じました。

観たかった『睡蓮』の展示がないことにショックを受け、
オランジュリー美術館の前で、しぇーをする夫です(笑)

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ノートルダム大聖堂は遠かった

自他ともに認める方向音痴である。
残念ながらそれは、パリに来ても変わることはない。
地下鉄のホームに立てば、電車が到着すると必ずと言っていいほど驚く。来ると思っていた反対方向から電車が来るのだ。だが電車はいい。反対方向から来ても、それを受け入れて表示に従えば正しい方向へと進むことができる。
夫はと言えば、地図マニア。旅先では必ず地図を買う。信じられないことに、進行方向に地図を回して見なくとも、現在地と目的地を把握できる。把握できるどころか、途中に何があるかも瞬時に脳にインプットできるのだ。なので、あらぬ方向に進もうとするわたしを引き戻す役目を、彼は担っている。

パリに来て4日目。ノートルダム寺院を目指し、シテ島に向かった。前日、途中で横道にそれ、たどり着かなかった場所だ。
オランジェリー美術館を観て、マドレーヌ寺院のランチを食べ、その午後のことだ。突然秋が来たような寒さに、途中GAPに寄り夫のパーカーを買った。オランジュリーで一番観たかったモネの『睡蓮』の部屋が閉鎖中だったことと、急な寒さに疲れていたことが起因しているとは思うのだが、ふたりとも降りる駅の名を確認せずに降り立ってしまった。駅の外に出て、ようやく気づいた。メトロのシテだと思って降りたところは、乗ったはずのシャトレだったのだ。狐にでも化かされたような気分だった。
「どうして? 確かにシャトレで乗り換えたのに」
「シャトレから乗って、シャトレで降りたってこと?」
ふたたび乗り直すも、疑心暗鬼にならざるを得ない。
「次もシャトレだったら、どうしようか」
「メトロのシャトレから、一生出られないってこと?」
「シテは、遠い・・・」「ノートルダムは、遠い・・・」
時間のひずみ。ブラックホール。メビウスの輪。不穏な言葉ばかりが頭をよぎるが、着いた駅はちゃんとシテだった。夫が、地下鉄路線図を見直している。
「シャトレ駅は、もう一つの駅と繋がっているんだ。乗り換えの時、ずいぶん歩くなあと思ったら、一駅分歩いてたんだよ」
「なんだ、そうか。東京駅と大手町。永田町と赤坂見附みたいなやつね。一瞬、パリには魔法が存在するのかと本気で思っちゃった」
そんなふうにしてたどり着いたシテ島のノートルダム大聖堂は、息を呑むほど荘厳な建物だった。

『ノートルダムの鐘』って映画があるけど、鐘は何処だろう。

メトロのシテ駅前。やっと着いた~。駅前には植木市、いやガーデニング市?
日曜には、うさぎや小鳥、小動物を売る小鳥市になるそうです。

パリはシテ島から広がっていった街だとか。ゼロ地点は、ここ。
パリができた場所に立った記念写真を撮る人であふれていました。

なかに入って、ふたたび息を呑みました。
大きさ、高さ、美しさに、圧倒されてしまいました。

ステンドグラスも、綺麗でした。

怪物ガーゴイル達は、なんと雨どい。お洒落ですね。
数えきれないほどいました。そして表情もそれぞれ。

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パリでは歩きすぎにご注意

「蚤の市とマルシェを、観に行こうよ」
市をぶらぶら見て回るのが好きなわたしが言いだして、パリは東側に位置するバスティーユの市に向かった。
ガイドブックによれば「マレ・バスティーユ地区」とくくられる歴史的建造物と最新トレンドが共存するお洒落な街。市がなくとも歩けば楽しそうだった。
「そこからシテ島に渡って、ノートルダム寺院に行こう」
夫が、さくさくと計画を立ててくれた。シテ島は、セーヌ川に浮かぶ島だ。
「夕飯食べるビストロも、探そうか」「いいね」
晴れたパリ。そんな風にして、地下鉄に乗りバスティーユに向かった。
迷うこともなく、蚤の市とマルシェが併設しているマルシェ・ダグリールに到着。色とりどりの野菜やフルーツ、花の他、チキンの丸焼きを売る肉屋や魚屋、チーズ専門店やワインがいく種類も並ぶ酒屋もある。見て歩くだけで、楽しい。蚤の市には、古本やアフリカの雑貨、衣類、アクセサリーなどが並んでいる。古本屋ではりねずみの絵本を見つけ、3ユーロで買った。

マルシェ・ダグリールを堪能し、バスティーユからマレへと向かった。
「街並みも、店もお洒落だね」
夫は、立ち止まってはカメラを構える。
「地図にはないけど、綺麗な庭園があるよ」
ふらふらと入って、ベンチで深呼吸する。
「ここまで来たら、ピカソ美術館が、すぐそこだよ」
「リニューアルした建物がかっこいいって、友達オススメの美術館だ」
ピカソ美術館は絵のコレクションもさることながら、建物が本当にかっこよく、すっかり長居してしまった。そこで、ふたりアイコンタクト。
「シテ島は、今日はもう、やめようか」
「ノートルダム寺院は、明日か明後日ということで」
地下鉄乗る? いや、地下鉄乗るのがもったいないほど面白い街並みだよ。などと言いつつ、結局アパルトメントまで歩いてしまった。
「疲れたあ」「歩き過ぎだろ」
言いあうも、誰のせいでもない。パリはけっこう狭いから、歩けてしまう。体力に自信がある訳じゃなし、歩き過ぎに注意しようと出発前から話し合っていたというのに、やはりハマってしまったのだった。

青空市のマルシェでは、フルーツが綺麗に並べられていました。

野菜も綺麗。大きさと形が、日本で見るものと微妙に違って面白い。

魚屋さんの店頭には蟹。生きてうごめいていました。

古本市で買った絵本と、休憩に飲んだハーブティ。
ほんとはカフェオレ、頼んだつもりだったのにどうして?

マレ地区にはめがね屋さんが多かった。パリの鯖江?

パリでもっとも古いユダヤ人街。名物ファラフェルを売るお店です。
ピタパンにひよこ豆のコロッケと野菜を挟んだサンドイッチは、
とってもスパイシーで、美味しかった!

ピカソ美術館の中庭で休憩。抜けるような青空が広がっていました。

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パリの夢追い人達

初日は曇り。モンマルトルの丘を歩いた。
映画『アメリ』の舞台となった場所だ。スタート地点のサクレ・クール寺院はミサの最中で、宗教を持たないわたしだが、しんとした心持ちになる。しかし歩き始めるとすぐに、調子の外れた日本語で声をかけられた。
「マジ可愛い」
通り行く観光客を絵に描こうという路上画家(?)だ。しかし、50歳を過ぎたわたしに「マジ可愛い」とは。まあ、そんなことを言われたのも初めてで悪い気はしなかったのだが、絵の押し売りだというのは見え見えだ。呼び止めながらすでに描き始めるような仕草をしていたし、いくらわたしがぼんやりしていても判る。
「ノン・メルスィ」
夫がすかさず言ったので、深追いはしてこなかったが「恥ずかしいの?」「何故だめなの?」と後ろ髪を引かれるようなことを日本語で言う。テルトル広場までの短い道のりで、何人もに同じように声をかけられた。だが呆れつつも、彼らは画家を目指しながらこうして稼いでいるんだよなあとも考えた。

たった一日で、他にも路上でパフォーマンスをしている人を何人も見た。
ギターやハープ、見たことのない打楽器と、音楽がほとんどだ。いや、路上どころか地下鉄の駅構内や、電車のなかで楽器をかきならし声を上げて歌う人もいる。見ている人がうるさいと文句を言うことはなかった。手拍子をしたり拍手をする人、チップを渡す人もいるし、その他の人達も、苦笑いしつつ温かく見守っている感じがした。
夢を追いがんばっている人を応援したい気持ちはあるが、心が動かされなければ絵を描いてもらったりメロディに聴き入り立ち止まることはしない。電車の中でも、ただ苦笑いしつつ温かく見守っている人達の仲間入りをした。

モンマルトルの丘というだけあって、坂道だらけ。石畳が素敵でした。

映画『アメリ』のなかで、アメリが働いていたカフェも坂の途中に。

アートギャラリー。気軽に入れる雰囲気でした。

小説の主人公を彫刻にした『壁抜けの男』
透明術を使って壁抜けしている途中、術が解けてしまうシーン。
アートが中心のモンマルトル。多くのアーティストが集う街です。

午後、凱旋門まで地下鉄に乗り、シャンゼリゼ通りを歩きセーヌ川へ。
セーヌ川のほとりでは何をするでもなく船着き場の階段に座る人が多く
若者達が座り込んで演奏していました。太鼓の音がリズミカルでした。

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サン・マルタン運河の風

夏休みをとって、パリに来た。
夫と相談し、今年はパリに、という話になったのだ。スペインに心酔しているわたし達だが、行ったことのない場所で、行ってみたい場所は果てしなくある。夫は機会あって何度か訪れているパリだが、わたしのなかでは行ってみたい場所のなかでもかなり上位。そのなかでも、何と言っても食を楽しめそう。そんな理由でセレクトした。
スペインやイタリアに比べると、物価が高いのかホテルも高価だ。なので、安価でアパルトメントを借り、そこを拠点にのんびりパリを歩きまわることにした。やたらと移動しなくとも歩きまわって楽しそうな場所なら果てしなくありそうなのも、パリである。

「初日は、何処に行く?」と、わたし。
「とりあえず、散歩だな」と、夫。
朝食がてら散歩に出たのは、アパルトメント近くのサン・マルタン運河。運河をなでていく風もことのほか冷たく、日本の夏から解放されたことを知る。
気持ちのいい風を吸い込み、橋を渡ろうと運河をのんびり眺め歩いているときのこと。橋の手前でいきなり踏切りが降りてきた。
「船が通るから、橋が上がるんだ」夫も驚いて見ている。
そこは運河の高低差を調節するために川を閉鎖して水位を上げていき、階段をのぼるようにして船が進んでいく場所だった。日本でも見かけるような上に開閉する形ではなく、橋は横にスライドしていく。何でもないことだが、その縦横の違いに、異国にいるのだということを実感した。

帰りにスーパーで粉に挽いた珈琲を買った。ホテルと違いアパルトメントは、清掃などしてくれる訳ではないが、珈琲メーカーもガスコンロも食器もある。洗濯機もある。自宅で暮らすような気ままさで、異国の風を感じることができるかも。そんなパリでの二人旅、はじまりはじまり。

橋が横にスライドしている様子です。踏切待ちも時間がかかります。

ようやく開いて、ゆっくりと船が進んでいきます。

橋の反対側。両方を閉鎖し、水位をあげているところです。

同じ水位になったところで、スタート。そしてもう一度同じことを
繰り返します。気が遠くなるような作業ですね。

その2キロほど先は、貯水池になっています。



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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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