はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『リストランテ アモーレ』

井上荒野の連作短編集『リストランテ アモーレ』(ハルキ文庫)を読んだ。
本屋で発見したときには、わくわくした。井上荒野。短編集。料理小説。
「これこれ! こういうのが! 読みたかったの!」
本屋の店頭ではかろうじて声を出さずに済んだが、漠然と求めていたお宝を見つけた喜びが込み上げた。ああ、井上荒野はわたしのなかで「好きな作家」のひとりになったんだあと実感する。本屋で一冊の本を手に取りわなわな震えている人を見ると、手を握りしめ「よかったねえ!」と言ってあげたくなるのは、わたしだけではあるまい。そこは踏みとどまるけど。

目黒の小さなリストランテ「アモーレ」は、28歳のイケメンシェフ杏二と32歳の姉、偲(しのぶ)が切り盛りする小さな店だ。11話の短編にはそれぞれメニューがある。例えば8話目『本日のメニュー8』は、こんな具合。
 ブッラータのカプレーゼ
 野生アスパラガスのタリオリーニ
 茄子のグラタン
 豚と羊のロース肉の香草オーブン焼き
 不毛な男
一夜を共にする女性には事欠かないが恋に落ちたことのない杏二。ただ一人を思い続ける偲。放浪癖のある二人の父。常連客の訳ありカップルや訳ありひとり客、杏二の師匠とその彼女、その他諸々の恋愛と格別な料理が「アモーレ」のテーブルにはいつでも並んでいる。以下『本日のメニュー8』から。

「偲も知ってる女なのか、あれ?」
「あれって言われてもどれだかわかんないわ。いっぱいいるんだもの。たまたま前の晩に一緒にいた娘でしょ」
父は肩をすくめて見せ、私は「めずらしい雰囲気」ということについてあらためて考えてみた。
「そういえば、最近ちょっとめずらしい感じではあるわね」
「女ができたんじゃないのか」
杏二の日頃の素行を考えれば、おかしな言い草には違いない。でもそれは、私もちらりとは考えていたことだった。
「とうとう年貢を納める気になったってことかしら」
「へっへっへ」
父が笑った。あまり笑わないひとなのでこれもまためずらしいことではある。爽快な笑いかたとは言えなかった。
「それは無理だな。あいつは絶対そういうことにはならないよ」
「そう?」
「あいつの土地に草は生えない」
「うまいこと言うわねえ」
私は感心した。父親が息子を論評する言葉としてはどうかと思ったけれども。
「たまには店に来てみたら?」
いつか言おう、と思っていたことがなぜか今口から出た。
「いやだよ」父は言下に断った。
「不毛な男と不毛な男は相性が悪いんだ」

読み終えて感じたのは、きっと誰もが持っているような種類の淋しさ。店の名前に「アモーレ」ってどうよ、と読む前には思っていたのだが、そこは井上荒野。きちんと落としどころを心得ている。愛って、ともすれば幸せと対になっているような気がしてしまうけれど、じつは淋しさと対になってるんだよなあと、胸の奥に眠っていた何かを揺り起こされたような気がしたのだった。

井上荒野の料理小説を読むのは、3冊目。
これも短編集の『キャベツ炒めに捧ぐ』『ベーコン』
おもしろかったからこそ、手にとった文庫本でした。

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『ハドソン川の奇跡』

映画『ハドソン川の奇跡』を、観た。
経験豊かな機長の機転でハドソン川に着水した飛行機のニュースは覚えていたが、英雄と讃えられた機長サリーが、その後1年半にも渡り、乗客を命の危険にさらした容疑者として扱われていたことは、全く知らなかった。

2009年1月15日、USエアウェイズ1549便は、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸した直後、雁の群れに遭遇しバードストライクにより両エンジンが停止。機体は急速に高度を下げていき、目前には大都市マンハッタンが迫っていた。予測し得なかった危機のなか、機長サリーはハドソン川への不時着を決断する。そして着水後、乗員乗客155人はぶじ救助され、サリーの偉業は「ハドソン川の奇跡」と称賛された。しかし、サリーを待っていたのは、彼の決断に疑いをかける国家運輸安全委員会の執拗な調査と尋問だった。
空港に引き返せなかったのか。他の空港に緊急着陸できなかったのか。本当に両エンジンとも停止していたのか。不時着水は乗客の命を危険にさらす無謀な判断ではなかったか。
酒は飲んでいなかったか。睡眠はとれていたのか。夫婦仲は悪くなかったか。
サリーは、次第に追い詰められ、憔悴していく。

胸を打ったのは、サリーのプロ意識の揺るぎなさだ。
映画のシーンにはなかったが、彼はテレビのインタビューで「奇跡ではありません」「英雄と呼ばないでください」と訴えたそうだ。彼がやったことは、奇跡 = 「人の限界を超えた現象」ではないし、彼は、英雄 = 「危険を冒す者」(ある辞書の定義)でもないのだと。
それは決して謙遜している訳ではなく、危険な賭けに乗員乗客を巻き込むような真似はしない、というプロとしてブレない自信からくる言葉だった。
コンピューターでのシミュレーションで、空港への着陸が可能だったという結果が出ても、彼の自分への信頼が崩れることはなかった。

映画を観て、これまで何度となく飛行機に乗ってきたが、人が操縦していることすら意識しなくなっていた自分に気づいた。だがいつでも飛行機には、一瞬たりとも危機管理を怠らず真剣に操縦するパイロットがいる。
機械と共生せずには暮らせなくなった今、だからこそ人がやるべきこと、人にしかできないことがあるのだと知っておこうと思った。

原題は『SULLY(サリー)』機長の名前です。
映画広告の言葉は「155人の命を救い、容疑者になった男」

クリント・イーストウッド監督作品です。

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『嫌われる勇気』

ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)を、夫のkindle版で読んだ。彼に薦められたのだ。自分では手に取らない本を読む機会に恵まれたとき、本との出会いの不思議、そして人と人との繋がりの不思議を感じる。

この本は、副題に『自己啓発の源流「アドラー」の教え』とある。
心理学者アルフレッド・アドラーの思想を、判りやすく対話式にまとめたものだ。アドラー心理学を実践し、世界は何処までもシンプルで人は今日からでも幸せになれると説く「哲人」と、その考え方はあり得ないと反論する、世界の矛盾と混沌と不幸を抱えた悩み多き「青年」が、身近なことを例に挙げつつ、アドラーの考えに深く切り込んでいく。以下本文から。

 さて、彼女の悩みは赤面症でした。人前に出ると赤面してしまう、どうしてもこの赤面症を治したい、といいます。そこでわたしは聞きました。
「もしもその赤面症が治ったら、あなたは何をしたいですか?」
すると彼女は、お付き合いしたい男性がいる、と教えてくれました。密かに思いを寄せつつも、まだ気持ちを打ち明けられない男性がいる。赤面症が治った暁には、その彼に告白してお付き合いをしたいのだ、と。
 ひゅう! いいですね。なんとも女学生らしい相談じゃありませんか。意中の彼に告白するには、まず赤面症を治さなきゃいけない。
 はたして、ほんとうにそうでしょうか? わたしの見立ては違います。どうして彼女は赤面症になったのか。どうして赤面症は治らないのか。それは彼女自身が「赤面症を必要としている」からです。
 いやいや、なにをおっしゃいますか。治してくれといっているのでしょう?
 彼女にとって、いちばん怖ろしいこと、いちばん避けたいことはなんだと思いますか?もちろん、その彼に振られてしまうことです。失恋によって「わたし」の存在や可能性をすべて否定されることです。思春期の失恋には、そうした側面が強くありますからね。ところが、赤面症を持っているかぎり、彼女は「わたしが彼とお付き合いできないのは、この赤面症があるからだ」と考えることができます。告白の勇気を振り絞らずに済むし、たとえ振られようと自分を納得させることができる。そして最終的には「もしも赤面症が治ったらわたしだって」と可能性のなかに生きることができるのです。
 じゃあ、告白できずにいる自分への言い訳として、あるいは彼から振られたときの保険として、赤面症をこしらえてると?

哲人は説く。原因論で言えば、彼女は赤面症だから彼に告白できない。目的論で言えば、彼に告白することから逃げるという目的があって赤面症になっている。すべてを目的論で捉えていけば「今の自分」を受け入れる勇気が必要だと、おのずと判ってくるはずだと。

人は怒りを捏造するとか、自慢する人は劣等感を持っているとか、特別でありたい人が進む2つの道とか、おもしろいことがたくさんかいてあったけど、
いちばん共感したのは、過去はもう過ぎ去ったこととして、そして未来がどうであれ「今、ここ」でやるべきことをやればいい、ってことかな。
そう考えれば、世界は確かにシンプルだ。

哲学者、岸見一郎、古賀史健の共著です。
はりねずみの塩胡椒入れ、ソルト&ペッパーも興味津々の模様。

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『花の鎖』

湊かなえの小説『花の鎖』(文春文庫)を、読んだ。
主人公は、3人の女性。梨花、美雪、紗月。それぞれに悩みを抱えている。
両親を亡くし仕事も失った矢先に祖母が癌で入院した梨花。死んだ母に毎年贈られてきた花束の送り主「K」を探す。以下本文から。

「そういや、俺もKだ。Kの正体が俺だったらどうする?」
「花の送り主が花屋? 匿名にする理由は?」
「それだ。年賀状を実名で送ってくる人が、花を贈るときだけ『Kより』なんて書かないよな。昔の話に名前がよく出てきたのに、手帳に名前が載ってない人とか思い当たらないのか?」
「全然。ママってそういう話を全くしない人だったから。今度はどこへ行こう、何をしようって先のことばっかり。パパとのなれそめを訊いても、どうだっけ? とか本当に憶えてなさそうだったし。パパもそういう人だったから、なおさらなんだろうね」
「ばあちゃんはどうなんだ? きっちりしてるじゃないか。一緒に住んでいる娘にあんな大きな花が届いたら、誰からか訊くんじゃないか?」
「もちろん、ばあちゃんにも訊いたよ。Kの秘書が来たときも一緒にいたんだから。そうしたら、見ず知らずの他人とも強い絆で結ばれていることがある、なんて、正体を詮索する気はないような言い方された」

結婚して3年の美雪。悩みは子どもができないこと。それさえ優しく受け止めてくれる夫だが、彼の仕事に陰りが見えてきた。以下本文から。

「和弥さん・・・」
話してくださいとは言えません。私と陽介さんはいとこ同士です。けれど、私は和弥さんの味方です。信じてください。そんな思いを込めて、和弥さんを見つめました。
「・・・あとは全部俺がやる、だってさ」
「どういうこと? 選ばれたのは和弥さんが応募した図面なんでしょ。陽介さんにそんなことを言う権利はないわ」
「権利はあるさ。知らないうちに名前が書き換えられていた。最終候補に選ばれたのはうちの事務所名義で応募した作品。代表者は、陽介だ」

バイトをしながら好きなイラストを描き、昔の恋人との辛い思い出を忘れようと、一人で育ててくれた母と生きる紗月。以下本文から。

母が誰かに相談や頼み事をしている姿を見たことは一度もなかった。小学校低学年の頃、母が熱を出して寝込んだことがある。誰かを呼んでこようかと駆け出そうとしたのに、母は一人で大丈夫だから行くなと言った。
「お母さんは一人で大丈夫だから。寝込んだら誰かに助けてもらえるなんて、体が覚えてしまったら、一生起き上がれないわ」
それを聞くと、自分も他人に頼ってはいけないような気がした。

3人の女性達は、花で鎖を編むように、花の記憶で繋がっていた。読み進めるうちにその鎖がほどけ「K」の謎が解けていく。
花は誰のためでもなく咲いているのだが、その可憐な姿は人の心に様々な変化をもたらす。人の心が動いたとき、それは記憶として残っていくのだろう。
コマクサの花を探して、八ヶ岳を登るシーンが印象的だった。いつも観ている八ヶ岳に、高山植物の女王と呼ばれる花が咲いていることを初めて知った。
日々漠然と眺めている山々だが、知っていることはほんのわずかなのだ。

子どもの頃に編んだ、シロツメクサの花冠を思い出すような表紙。
デビュー作『告白』が黒なら『花の鎖』は白。解説、加藤泉の言葉です。

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『星々たち』

桜木紫乃の連作短編集『星々たち』(実業之日本社)を、読んだ。
不意に桜木紫乃の短編集が読みたいと思い立ち、Amazonで注文した。桜木紫乃には、そんな行動をとらせてしまう不思議な魅力がある。心の奥底に広がるものを覗きたくなったとき、この作家の本を手に取るような気がする。

9つの短編からなる小説集は、体というものに翻弄され続けた塚本千春という女の半生を切り取りながら、彼女の周りの人々を描いていく。
1話『ひとりワルツ』千春、13歳。離れて暮らす母咲子を訪ねた。
「ねぇ、ブラジャー買おうよ。そんな大きなおっぱいに直接Tシャツ着てたら、周りの人に気の毒だよ」
千春は自分の胸を見下ろし「うん」とうなずいた。
「ばあちゃんは、なにも言わないの」
「さらし巻いておけって。でも、暑いから」
2話『渚のひと』16歳の千春と息子との仲に気をもむ女。
気づけば千春の鈍さや、細い目や、短い指や愛想の悪さなど、おおよそ魅力とはいえない部分を数えていた。この娘が圭一の気持ちを惹かない理由を精一杯心に溜めていく。
3話『隠れ家』父親殺しの血の繋がらない兄を慕う女。彼女の後釜でストリッパーになった千春は20歳。
ふと、彼女の本名を聞いていなかったことに気づいた。
「千春です」「いい名前じゃないの」
細い目が弧を描いた。杉原麗は二年を待たず人気が出るだろう。
4話『月見坂』母親と暮らす40過ぎの公務員と結婚。千春、22歳。
晴彦はその夜、初めて彼女を抱いた。
千春の体は、夜景の底に忍び込むような暗さをたたえていた。どんどん沈んでゆく男の体を、細い胴が受け止める。行き止まりに向かって体を進めると、豊かな胸が上下して思わず手を伸ばした。
5話『トリコロール』結婚前の妻の不貞を許さず暮らす理髪店の男。言い訳ができない妻。その息子と再婚した千春は赤ん坊を生む。
千春と名乗った女は決して清潔とは言いがたい風貌で、どこか愚鈍な気配が漂っていた。息子が右を向けと言ったら一日中右を向いていそうな女だ。二つ年上だというのに、姉さん女房のかいがいしさや頼りになる気配はまったくなく、膨らみ始めた腹を隠そうともしなかった。
6話『逃げてきました』千春、38歳。同人誌で詩をかく。
あのひとは わたしにはいってきたけれど
わたしは あのひとにはいることができなかった
ぬるいたいおんが いったりきたり ずっと
おわりがくるのを まっていた
7話『冬向日葵』最期を迎える咲子のため、男が千春(44)を探しに行く。
「ずっと死んだような目をして生きていけばいいじゃないの」
「なんだよ、千春ちゃんまでそんなこと言うのかよ」
「だって、そうすればいつか誰か助けてくれるもの」
8話『案山子』編集者をリタイアした男の前に現れた千春は、交通事故で片足を失くしていた。男は千春の半生を綴る。
「事故のときに顔に刺さった硝子や、車の細かい破片がときどきこんな風に皮膚から飛び出してくるんです。事故後すぐの手術ではぜんぶ取り切れなかったんですよ。いくらかでも元に戻ろうとしているのか、人間の体っておもしろいですね」
9話『やや子』千春の娘やや子は、それと知らず、千春の半生をかいた小説『星々たち』を手に取る。
やや子の胸の内側で、星はどれも等しく、それぞれの場所にある。いくつかは流れ、そしていくつかは消える。消えた星にも、輝き続けた日々がある。

夜空に輝く星。ここに届くまでの間にすでに消えてしまっている星もあるだろう。だけどかつては輝いていて、今その光が届いている。
人は星、みんな輝いていたいんだ。そして輝いていたときを心に留めておきたいんだ。千春も、彼女の周りの人も。そう思った。普通でいい。特別な光を放つことはなくともいい。そう思いながらも、わたし自身、小さくてもいいから輝いていたいと思う気持ちがあるのだと、しみじみと考えた。

濃く深いブルーに、何処か切なさを感じる表紙です。

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『幸せになる百通りの方法』

荻原浩の短編集『幸せになる百通りの方法』(文春文庫)を、読んだ。
タイトルに騙されそうになるが、自己啓発本ではなく短編小説集だ。現代社会で人が生きていくなかで感じる悲喜交々をユーモアたっぷりに描いている。
リストラされた男、オレオレ詐欺の片棒を担ぐ売れない役者、婚活に参加するも冷めた目でしか相手を観られない女、ネットゲーム周辺、歴女を恋人に持つ男、原発事故から発生した節電問題と嫁姑、自己啓発本に夢中になる男。
今まさに現代社会で浮き彫りとなっている事象を切り取っていた。
今はオレオレ詐欺とは言わないが『俺だよ、俺。』が秀逸だった。大阪は、詐欺のターゲットから外してあるという。ほんまかいな。以下本文から。

「もしもし、ありがとうな」
「ええけど。なぁ、晃」「何?」
「あんた、ほんまはなんていう名前?」
「え」脳味噌が三秒ほど機能停止した。
「こんなんするの、やめとき」
さらに三秒。高村さんのほくほく顔が一転イヤホンから針が飛び出してきたように硬直した。パチさんの顔も。麻美さんが煙草の煙りをぷかりと吐き出す。
「あのな、うちの子の名前アキラちゃうの。ヒカルって読むん。なんぼうちの子がアホでも自分の名前を間違うたりするほどのアホに産んだ覚えはないわ」
やられた。向こうに逆にひっかけられたのだ。叩き切りたかったが、できなかった。
「すんません、番号間違えたみたいで・・・」
「嘘言い。あんた年は?」
高村さんが、電話の向こうに聞こえるのもかまわず叫んでいた。
「だめだ、早く切れ」でも、切れなかった。
「まだ若いんやろ。こないなこと早うやめて、まじめに働き。あんたのお母はん、こんなん知ったら泣くで」
おばちゃんの口調はきつかった。でも、東京の人間に「だめ」とひと言で切って捨てられるより、なぜか耳触りがいい。俺は晃の母親の言葉を黙って聞き続けた。昔、飼い猫の頭を丸刈りにして、隣のおばちゃんにこっぴどく叱られた時みたいに。

幸せになる方法は、百通りと言わず、人の数だけあるはずなんだよなあ。
ひとりひとりが違っていて当たり前なように、幸せだって違っているのが本当だ。そんなこと、誰しもが知っているのかも知れないけれど、それでも周りが気になって、比べてみたり、やっかんでみたりもする。
幸せになる方法はよく判らないけれど、読み終えて思い出したのは竹内まりやの『元気をだして』の歌詞だった。
♩ 幸せになりたい気持ちがあるなら 明日を見つけることはとても簡単 ♩

自己啓発本のようなタイトルをわざわざつけたところにも、
ユーモアのセンスを感じます。
決して自己啓発本を馬鹿にしない、謙虚さも感じられました。

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『後妻業の女』

映画『後妻業の女』を、観た。
じつは文庫本を買い読んでいる途中だったのだが、あまりのくだらなおもしろさに先に映画観てもいいかもという気になったのだ。ということで、夫婦50歳以上割引きということもあり日曜の映画館に出かけた。

結婚相談所を営む柏木亨(豊川悦司)は、そこの会員、武内小夜子(大竹しのぶ)らを使い〈後妻業〉をしていた。ターゲットは高齢の資産家男性。女を後妻に送り込み、その資産を相続させ金を半分せしめる。金、金、金の世界だ。
ストーリーは、小夜子の91歳の夫、中瀬耕造(津川雅彦)が倒れるところから始まる。以下小説『後妻業』(文春文庫)柏木と小夜子の会話より。

「爺はなんで倒れたんや。毒でも服ませたんか」
「そんな危ないことするかいな。ワーファリンを胃薬と取替えといただけや」
「それはいつからや」
「もう二か月にはなると思う」
ワーファリンは血液の抗凝固薬だ。それを二か月も服まなければ耕造が倒れるのも無理はない。
「あんたいま、どこにおるんや」
「爺さんのマンション。農林センターから帰ってテレビ見てたら寝てしもた」
「耕造は気を失のうただけか。呻いたりしてなかったか」
「小さい鼾かいてた。あれはまちがいない。脳梗塞や」
耕造には不整脈があり、心臓内で生じた血栓が脳に飛んだのだろう、と小夜子はいった。

トヨエツは、セックス依存症で金の亡者なラテン系大阪男を、大竹しのぶは、奔放な魅力で男達を翻弄する後妻業のエースを好演していた。
はてさて、柏木と小夜子の悪事は暴かれるのか。耕造の娘、尚子(長谷川京子)と朋美(尾野真千子)が探偵(永瀬正敏)を雇い、捜査を始める。
以下小説『後妻業』本文から。

「この謄本見たら分かるやんか。誰が見てもおかしいわ」
「そらおかしいと思う。・・・しかし、戸籍は転籍するたびに、それ以前の結婚についての記載は抹消される。こうして、いちいち本籍地の役所から謄本や抄本をとって履歴を辿らんことには、小夜子が何回、入籍、転籍したのか分からんのや」
「小夜子は平成十五年以前にも、結婚、離婚をしてるよね」
「それはまちがいない。小夜子は後妻業で食うてるんやからな」
「守屋くん、警察に知り合いはいてないの」
「検事ならおらんこともない」
神戸地検に司法修習生時代の同期がいるという。
「そのひとに教えてよ。この十年で四人も死んでるんやで」

柏木は、言う。
「爺を騙すのは功徳や。たとえ一月や二月でも夢を見られるんやからな」
金も時間もあるけれど、足りないものがある。それを満たしてやって金をとるのは、いいことなのだと。
実際、シニア向けの結婚相談所は流行っているらしい。人が長く生きるようになった時代に流れゆく先の光と影が、スクリーンに見え隠れしていた。

文庫カバーは二重でした。映画『後妻業の女』は公開されたばかり。
上にかかっていたのは、そのプロモーション用の文庫カバーです。

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『何者』

朝井リョウの直木賞受賞作『何者』(新潮文庫)を、読んだ。
就職活動中の大学生5人を描く、長編小説だ。
本文が始まる前のページに、人物紹介よろしく6人のツイッターの自己紹介が載っている。小説には、リアルでの会話の間に波間に見え隠れするかのように、ツイッターでの発信が挟まれていく。本音と建て前、プライドと自己顕示欲、誰かに認められたいという心の叫び、うまくいかない就活、そして恋。
みんながみんな、綺麗なままではいられずに、抗いもがく姿が描かれていた。
演劇を辞め就活する拓人。そのルームメイト光太郎は引退ライブを終えたところ。光太郎の別れた彼女、瑞月。その留学仲間、理香が拓人達と同じアパートに住んでいたことから、理香と同棲中の隆良を交え、5人で就活対策として集まるようになったのだが・・・。会って話すこと、ツイッターにかくこと、それを読んで思うこと、5人の歪みは次第に大きくなっていく。以下本文から。

「お前、こんなことも言ってたよな」
返事ができないでいると、サワ先輩の声が少し、小さくなった。
「ツイッターやフェイスブックが流行って、みんな、短い言葉で自己紹介をしたり、人と会話するようになったって。だからこそ、そのなかでどんな言葉が選ばれているかが大切な気がするって」
サワ先輩は、ツイッターもフェイスブックも利用していない。
「俺、それは違うと思うんだ」
サワ先輩は、用があるならメールじゃなくて電話して、と、いつも俺に言ってくる。
「だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ」
サワ先輩は、この現実の中にしかいない。
「だから、選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してるんだと思う」
俺はサワ先輩の背中を見つめる。
「たった140字が重なっただけで、ギンジとあいつを束ねて片付けようとするなよ」
いつのまにか、目の前には、目的の図書館がある。
「ほんの少し言葉の向こうにいる人間そのものを想像してあげろよ、もっと」

「自分は自分にしかなれない」文中の言葉が、胸に響いた。
自分以外の何者かになんてなれない。ツイッターで格好のいいことばかりかいても、何者かになったふりをし続けても。「アカウントを隠しても、あんたの心の内側は、相手に覗かれてる」という言葉の通りに。
大昔からある、本当の自分よりも強く格好よく見せたいという習性。それを利用し、SNSがプリズムを呼び起こす。織りなす光は、人の心の弱さだ。
それを見せつけられ、圧倒された。

この秋10月15日、映画『何者』公開予定です。
誰がどの役をやるのか、読み始めてすぐに判りました。

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『初恋温泉』

吉田修一の短編集『初恋温泉』(集英社文庫)を、読んだ。
裏表紙の紹介文には「温泉を訪れる5組の男女の心情を細やかにすくいあげる」とある。舞台となる5つの温泉は、すべて実在する。いつか行ってみたいと思いつつ読むのも楽しい恋愛小説集だった。
 『初恋温泉』(熱海 蓬莱 現、星野リゾート 界
初恋の人を妻とし、彼女のために店を大きくしようとがんばってきた男は、温泉旅行の前夜、離婚話を切り出される。
 『白雪温泉』(青森 青荷温泉
仕切り屋でおしゃべり同士のカップルが、温泉宿の離れで、沈黙し続ける男女に出会う。
 『ためらいの湯』(祇園 畑中
男は妻に、女は夫に嘘をつき、温泉宿で待ち合わせた。何も知らない男の妻からの電話が鳴る。
 『風来温泉』(那須 二期倶楽部
夫婦で訪れる予定だったが、男はひとりで山深い温泉ホテルにやって来た。ひとり旅の女との時間を過ごし、自分を見つめる。
 『純情温泉』(黒川 南城苑
親に嘘をつき、温泉旅行に行く高校生カップル。以下本文から。

行く、行かない、約束した、しないと言い合っていたのだが、その途中でどのように話が脱線したのか、どっちが先に互いを好きになったかという話になった。もちろん、付き合ってくれと学校帰りに待ち伏せして申し込んだのは健二だったが、健二としては「不可能だと思えば、告白なんかしない。同じクラスで真希の親友でもある喜多川が『健二のこと、かっこいいって言ってたよ』と教えてくれたので、告白したんだ」という言い分があり、真希は真希で「そんなこと言ってない。とつぜん告白されて、正直かなり迷ったんだ」などと、今さら後悔しているようなことを言う。
「だったら、なんで付き合うって言ったんだよ?」と健二は口を尖らせた。
「だって、あんなに必死に告白されたら、悪いなって思っちゃうじゃない」
「同情?」「最初はね」「うそだろ?」
「でも、今はそうじゃないよ」「ほんとかよ?」
「ほんとよ。もしそうだったら、わざわざ親に嘘までついて、温泉なんかに一緒にくるわけないじゃない」
「じゃあ、訊くけど、俺のどこがいい?」「どこって・・・」
いちおう喧嘩をしているのだが、この辺りから互いの口調も変わってきていた。健二が二つ並べられた布団を這って、真希の膝に頭を乗せると「馬鹿じゃないの」と言いながらも、その耳を抓んだり、鼻を抓んだりしてくる。
「なあ、露天風呂」と健二は言った。
「分かったよ、じゃあ、ほら、行こう」

温泉って、日常を忘れてしまうような特別な場所なんだよなあ。
無音という音が聴こえたり、透明という色に気づいたり、風が目に見えたり。温泉宿で過ごすそんな時間が、服を脱ぎ交わっても交わり切れない部分に、男と女それぞれが抱える孤独に、温かく寄り添っていた。

新緑を見上げたような、さわやかな表紙です。
本屋で手にとった訳は、吉田修一だという安心感と、
初、恋、温、泉、の漢字が4つとも好きだったからかな。

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『コンビニ人間』

芥川賞を受賞し発売された『コンビニ人間』(文藝春秋)を、読んだ。
著者は、村田沙耶香。いまだコンビニでバイト中の36歳の女性だそうだ。

古倉恵子36歳は、18年前、駅前のコンビニ、スマイルマートが開店したその時からアルバイトを続けている。コンビニ以外の場所では、これまで働いたことはなく、就職もできなかった。子ども時代にさかのぼれば、彼女は少し奇妙がられる子どもだった。以下本文から。

例えば幼稚園のころ、公園で小鳥が死んでいたことがある。どこかで飼われていたと思われる、青い綺麗な小鳥だった。ぐにゃりと首を曲げて目を閉じている小鳥を囲んで、他の子供たちは泣いていた。
「どうしようか?」一人の女の子が言うのと同時に、私は素早く小鳥を掌の上に乗せて、ベンチで雑談している母の所へ持って行った。
「どうしたの、恵子? ああ、小鳥さん・・・!どこから飛んできたんだろう。かわいそうだね。お墓作ってあげようか」
私の頭を撫でて優しく言った母に、私は「これ、食べよう」と言った。
「え?」
「お父さん焼き鳥好きだから、今日、これ焼いて食べよう」

その後も恵子の数々の言動や行動は問題視されるが、彼女には何が問題なのかが判らない。母親の「どうしたら『治る』のかしら」という言葉に、自分には修正すべき何かがあるらしいと感じるだけだ。中学以降、両親に心配をかけまいと、彼女は友達も作らず必要最小限しか口を利かず大学を卒業する。そして大学時代からバイトしていたコンビニで働き続けているのだった。
自分で働いて、誰にも迷惑をかけず暮らしているのだから、それでいい。本人に変化を望む気持ちはない。満たされていると言ってもいい。しかし周囲は誰ひとり、そうは考えないのだった。そんな折り、コンビニをクビになったダメ男、白羽が、恵子のアパートに転がり込んでくる。以下本文から。

「次に叱られるのは、古倉さん、あなたですよ」
「私・・・?」
「何で無職の男を部屋に住まわせているんだ、共働きでもいいが何でアルバイトなんだ、結婚はしないのか、子供は作らないのか、ちゃんと仕事しろ、大人としての役割を果たせ・・・みんながあなたに干渉しますよ」
「今まで、お店の人にそんなこと言われたことないですよ」
「それはね、あんたがおかしすぎたからですよ。36歳の独身のコンビニアルバイト店員、しかもたぶん処女、毎日やけにはりきって声を張り上げて、健康そうになのに就職しようとしている様子もない。あんたが異物で、気持ちが悪すぎたから、誰も言わなかっただけだ。陰では言われてたんですよ。それが、これからは直接言われるだけ」
「え・・・」
「普通の人間っていうのは普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」

はて。「普通」って、何だっけ。周囲と同じことだったっけ。
恵子は「普通」とは言い難い女性だが、恵子に「普通」を押し付け、求めようとする周囲の人達も「普通」だとは思えない存在だった。
結婚して子どもを生んだから幸せ、ではなく、結婚して子どもを生むのもまた幸せのひとつなのだと、その違いを混同することなく判っていたいと思った。
それにしても「人」である以上に「コンビニ店員」として生きていこうとする恵子がコンビニで働くさまはいい。何よりコンビニ運営が優先という潔さが心地よい。そんな場所を持つ彼女がちょっと羨ましいような気持ちになった。

表紙は、金氏徹平の現代アート『溶け出す都市、空白の森』より。
タイトルに使われた黄色に、理系思考アピールを感じました。

拍手

『走れ! タカハシ』

村上龍の連作短編集『走れ! タカハシ』(講談社文庫)を、再読した。
読みたくなったのは、夫のひと言。
「あ、タカハシ、走ってる」
夫は、ジョギングする人を見かけると、いつも走っているチームメイトの名を口にするのだ。
「そう言えば『走れ! タカハシ』って小説あったよね? 映画では『走れ! イチロー』になってたけど」
「タカハシって、カープにいた足の速い選手?」と、夫。
「選手のことはよく知らないけど、とにかくタカハシを応援する普通の人達をいくつかの短編で描いた小説だよ」
そんな話をしていたら、読まずにおれなくなったのだ。
タカハシは夫の言う通り、広島カープの盗塁王、高橋慶彦選手だった。
以下『part9 私は小説家である』より。

「ここは走るところじゃないよな」「どうしてよ!」
ムツミはタカハシが一番好きなのだそうだ。
「コージにじっくり打たすべきだ、ちょろちょろリードするとコージが打ちにくいだろ? コージは4番だぜ、2番じゃない」
「ヨシヒコはいいのよ、あたし走って欲しいわ、あの人が走るところ見るの好きなの」
タカハシは大きくリードをとる。スチールを警戒するエンドウは長い間合をとり、牽制球を投げ、ヤマモトもたびたびボックスを外す。結局、一分以上待たされてヤマモトはじれ、2球目を打ってショートゴロゲッツーだった。
「見ろ、タカハシがちょろちょろするから、チャンスが潰れたじゃないか、きょうエンドウすごいからなかなかランナーなんて出ないぞ」
エンドウもタカギも最高のピッチングで、ゲームは延長に入った。
10回の表だ。先頭打者のタカハシは、一球目大きなスイングでフォークを空振りした後、二球目をサード前に絶妙に転がした。また、ノーアウト一塁だ。今度は、タカハシのリードが小さい。しかし、ヤマモトはフォークボールを空振りの三振、ナガシマは速球につまってサードのファールフライに倒れた。次はコバヤカワだ。私の一番好きな選手だ。ところが、タカハシは、コバヤカワがボックスに立つと、再びリードを大きくしたのである。タカハシのバカがまたコバヤカワを打ちにくくしやがって、と私がブツブツ呟いていた時だ。
ひときわ大きくよく通る声で、
 走れ! タカハシ、
と、男の叫び声がしたのである。

スポーツ選手のファンにだって、いろいろな人がいる。そのひとりひとりに人生がある。そしてその人生のなかでも大切な瞬間がある。タカハシが走っているから、がんばれる。そういう人もたくさんいたのだろう。
折しも昨日、イチローが3000安打を達成した。映画版ではオリックス時代のイチローが登場する他、3人の普通人イチローが、再起をかけ、夢を追い、奮闘するらしい。映画版も、観たくなってきた。
そう言えば、愛用のストレッチポール、イチローも使っているのだとか。

1986年に刊行された小説を、文庫化したものだそうです。
ちょうど30年前。昭和な味わいが出ています。

久々に開いて、驚きました。昔の文庫本って、字が小さい!
1989年発行の文庫です。今時の文庫は老眼の人にも優しいんだな。

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『空港にて』

村上龍の短編集『空港にて』(文春文庫)を、再読した。
久しぶりに羽田空港に行く際、出がけに本棚から引き抜いたのだ。
裏表紙の紹介文には「日本のどこにでもある場所を舞台に、時間を凝縮させた手法を使って、他人と共有できない個別の希望を描いた」とある。
コンビニ、居酒屋、公園、カラオケ、披露宴会場、駅前、クリスマスの街角、そして空港。主人公が見た周囲の人々を細かに描写しながら、それを見て思いつく心象風景を描くことで、心の奥底を炙りだしていく。空港にて、普段は目に留めない周囲の様子を、小説のように心のなかで描写していくのもおもしろいかも知れないと、鞄に入れたのだ。以下表題作『空港にて』より。

週刊誌を読んでいた男が席を立ったあとに、夫婦だと思われる初老の二人のうち男のほうが、わたしの向かいに座った。二人はいかにもこれから田舎に戻るというような身なりで、顔や腕が日焼けしている。男はしわの寄った白いワイシャツに赤のネクタイをして、袖が短すぎる焦げ茶色のスーツを着ていた。薄い髪を整髪料でべったりと後ろになでつけていて、大きなショルダーバッグを大事そうに抱えていた。女は小柄だったが背中が曲がっているのでその分余計小さく見えた。顔だけに不自然に白く化粧をして、白のブラウスの上に太い毛糸で編んだオレンジ色のカーディガンを着て、無表情だった。
その人について知らなくても顔つきや化粧や服装や態度からいろいろなことがわかるものだ。都市に住んでいるのか、都市の近郊か、それとも飛行機に乗らなければたどり着けない田舎か、だいたいわかる。身につけているものからはその人の経済状態がわかる。顔色や姿勢から健康状態がわかることもあるし年齢はだいたい一目で見当がつく。わたしは自分の手元を見た。左の手首にはカルティエの腕時計がある。風俗で働き始めてから唯一自分のために買ったものだ。他人はこの腕時計を見てこの女は風俗で働いているとわかるのだろうか。

久しぶりに行った羽田空港には、当然だが様々な人がいた。
自分のなかに深く潜る穴があるのならば、その場所にいる人すべてに、そういうものが存在するのだろう。その無数の穴に光が射すといいな、と思う。そして、射してくる光を逃さずに見つけよう、ともまた思うのだ。

単行本は『どこにでもある場所どこにもいないわたし』というタイトル。
文庫化にあたり、改題しています。

羽田空港国際線ターミナルです。

サマーバケーションの季節ですが、人出は少な目でした。

面白てぃしゃつ屋さん。外国土産っぽいですね。

草履や手拭い、扇子やうちわも並んでしました。
明日から、台北3泊4日の旅日記、スタートします。

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『ベーコン』

井上荒野の短編集『ベーコン』(集英社文庫)を、読んだ。
読んだばかりの『キャベツ炒めに捧ぐ』と同じく、食べることが鍵になる短編ばかりを集めている。しかし雰囲気はまるで違う。登場人物の孤独が『キャベツ』より、はるかに色濃く描かれている。裏表紙の言葉を借りると「人の心の奥にひそむ濃密な愛と官能を、食べることに絡めて描いた短編集」だ。
以下表題作、死んだ母の恋人を訪ねる『ベーコン』より。

私と沖さんは、炉を囲み、向かい合って座った。炉の縁には、脂やソースの染みが点々と付いていた。沖さんと母は、幾度もこうして食事をしたのだろうか。私の想像はなぜか上空を駆け抜けて、沖さんがこの炉を作っているところや、そのそばでしゃがみ込み、膝の上に顎をのせて、幸福そうに作業を眺めている母の姿までが浮かんできた。私はそれを振り払うように、
「沖さんは、最初からそんなふうに逞しかったの」と聞いた。
「いや。べつに」沖さんは炉の上のベーコンに向かって呟いた。
「沖さんは、床上手だったの」
沖さんは、ゆっくり顔を上げて、私を睨んだ。
「よく、そういうことが言えるもんだな」
「母のことなんか、何も覚えていないもの。私には他人なのよ」
私は言い返した。
「あなたはお母さんによく似ているよ」
ベーコンはゆっくり炙られていった。脂身がぷっくりと膨らみ、次第に透明になって、端のほうから少しずつ、ちりちりと焦げていく。脂が炭の上に落ちて、香ばしい細い煙になった。匂いにつられたのか、他の理由でか、豚が二頭、そばに寄ってきた。「ほい、ほい」と沖さんは豚の尻を叩いて追い返し、ベーコンを裏返した。

食べることなく、生きていくことはできない。では、人を愛することなく、生きていくことはできるのだろうか。9編目の『目玉焼き、トーストにのっけて』から引用すると「ビッグマックに今ならポテトがついてくる、みたいに」そのふたつはセットになっているのかも知れない。

表紙は、レースとフォークのお洒落なデザインです。
単行本の表紙とは、全く違うものになっています。
文庫化の際『トナカイサラミ』を追加収録したそうです。

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『キャベツ炒めに捧ぐ』

井上荒野の連作短編集『キャベツ炒めに捧ぐ』(ハルキ文庫)を、読んだ。
肝っ玉おっかさんたちの家庭の味と地元タウン誌にかかれる「ここ家」のお惣菜は、とびきり美味い。東京は私鉄沿線の小さな商店街。店を切り盛りするのは、にぎやかなオーナー江子(こうこ)、口の悪い古参の麻津子、物静かな新入りの郁子。ともにアラ還で、独り者。そして、それぞれに別れた男への忘れえぬ思いを抱えていることが共通していた。以下『あさりフライ』より。

まずはビールを一口。それから熱々のフライを、最初はそのままひとつ食べる。はふはふはふ。ほいひー、と江子は声に出して感嘆した。二つ目はレモンを搾って。串三本目でいちどソースをかけてみよう、と計画を立てる。
春は貝だ。
三月はじめ、夜はまだ少し肌寒いけれど、空気はねっとりやわらかくなってきて、ちゃんと春めいている。春の空気には貝の味がしっくり合う。白山もよくそう言っていた。江子は三本目のあさりをぱくりと食べ、あ、そうだわそろそろソースだわと思い出して、串に残ったひとつにウスターソースをほんの少しかけた。きつね色の衣に染みこんでいくソースの焦げ茶色をじっと見つめる。
あの日もあさりフライを食べていた。白山から別れを切り出された夜。
江子、すまない。白山は突然そう言った。恵海と別れられなくなった、と。江子はあさりフライを食べ続けた。それはちゃんとおいしかった。おいしいのに、白山は別れ話を続けようとしていた。

それを食べるたびによみがえる、苦い思い出。誰にでも、そんな料理や素材があるだろう。ともに暮らした誰かと思いを残したまま別れることになったとしたら、美味しく食べたはずの料理も、たぶん苦い味に変わってしまう。
物語は入れ代わり立ち代わり、そんな3人の視点で紡がれていく。
60歳。まだまだ立派に恋をする年齢なのだ。

連作短編11編のタイトルになっているのは、料理や素材です。
『新米』『ひろうす』『桃素麺』『芋版のあとに』『あさりフライ』
『豆ごはん』『ふきのとう』『キャベツ炒め』『トウモロコシ』
『キュウリいろいろ』『穴子と鰻』季節感がふんだんに盛り込まれています。

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『陸王』

池井戸潤の新刊『陸王』(集英社)を、読んだ。
「こはぜ屋」は、創業百年の老舗足袋屋。時代の流れには逆らえず、従業員20人の零細企業をやっとのことで切り盛りしている。銀行からの融資を引き出そうと四苦八苦していた社長の宮沢は、思いつきから新規事業を立ち上げる。老舗足袋屋のノウハウを活かした、足に優しいランニングシューズを開発しようというものだ。シューズの名前は「陸王」。「こはぜ屋」で、昔々に作っていたマラソン足袋の名からとったものだ。
資金難にあえぎながらも、ソール(靴底)素材開発まで漕ぎ付けた「こはぜ屋」だが、新規参入の難しさに加え、大手シューズメーカーの悪質な妨害に悩まされる。以下本文から。

「もし君が今回他社のシューズを選んだとしても、私やうちの社員たちが、君を応援し続けるということは変わらない。みんなそれを承知で、君にメッセージを届けたいと思ったんだ。それだけは忘れないでくれ」
「宮沢さん・・・」
茂木の胸を温かなものが満たしていく。
「たまにはいいじゃないか、こういうのも」
宮沢はいった。
「私は『陸王』というシューズを企画して、試行錯誤しながらここまで来た。その過程でいろんなことを学ばせてもらったけど、中でも特に、教えられたのは人の結びつきだ」
意外なひと言だった。
「金儲けだけじゃなくてさ、その人が気に入ったから、その人のために何かをしてやる。喜んでもらうために何かをする。ギャラがこれだけだから、これだけしかしないという人もいるけど、そうじゃないんだな。カネのことなんかさておき、納得できるものを納得できるまで作る」
宮沢は澄んだ目をしていた。
「社長がそんなこといってちゃいけないかもしれないけど、損得勘定なんて、所詮カネの話なんだ。それよりも、もっと楽しくて、苦しいかもしれないけど面白くて、素晴らしいことってあるんだな。それを『陸王』が教えてくれた」

人のために、何かをしたい。それは果たして、生き方として正しいのかと言う人もいる。「人の為」とかいて「偽り」だ、自分の人生なのだからと。
それでも人は人とのつながりがなければ、生きてはいけない。そんなあたりまえのことが、ページをめくるたびに心にしみていく小説だった。

大好きな友人の口癖を、思いだした。
人間は自分のためだけじゃなく人のために生きるようにデザインされている。

新聞広告を見て、夫がすぐさま購入し、読み始めました。
Kindleの、それが大きな利点の一つ。彼が読み終えてから借りました。

店名の「こはぜ」は、足袋のかかと上部についた金具のことでした。
ソール、アッパーも、小説のなかで頻繁に登場するシューズ用語です。

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『蛇行する月』

桜木紫乃の連作短編集『蛇行する月』(双葉文庫)を、読んだ。
6章ある章タイトルは『1984 清美』などと、西暦と女性の名で構成されている。1984年。小説の始まりは、北海道は釧路。高校の図書部で仲の良かった清美、桃子、美菜恵、直子、順子の5人が卒業した年だ。清美は、セクハラとパワハラが横行する割烹ホテルで働く日々。ある日、順子からの電話が鳴った。働いていた和菓子屋の職人と駆け落ちするという。20歳も年の離れた彼との間に子どもができ、東京に逃げるのだと。
『1990 桃子』桃子は、職場での不倫に疲れ、東京の順子に会いに行く。順子から来た年賀状の「わたし今、すごくしあわせ」の一行が気になってしょうがなかった。籍も入れられず、貧しい暮らしの何処に「しあわせ」があるのか、見てみたかった。その後1993、2000、2005、2009と和菓子屋の女将と順子の母を挟み、それぞれの女達の視点で物語は紡がれていく。以下『2000 美菜恵』より。

同封されていた写真には、はにかむ青白い顔の少年と、エプロン姿の順子が写っていた。背後にラーメン屋のカウンターがある。肩を寄せ合う母と息子の姿だ。美菜恵は化粧気のない顔とお下げにした長い髪に釘付けになった。高校時代の調理実習時間とほとんど変わらない格好だ。シミだらけの頬と目尻や口元の皺が、順子のこれまでを物語っている。肌の手入れも流行の服もなかった十数年が、すべて写真に写っていた。これが今の須賀順子だ。
長く見ていると、この笑顔に自分のすべてを否定されているような気がしてくる。全身から、立ち上がる力が抜けてゆきそうだ。谷川がこの写真を見たらどう思うだろう。見栄ばかり張っている美菜恵と比較して、後悔したりしないだろうか。急激に酔いがまわった。直子がトイレから戻ってきた。
「ねぇ、これが今の順子なの」
「そうだよ。ただのオッカさん。いつも前しか見てないし、次のことなんかちっとも考えてない。打算も予算もない、須賀順子のまんまだよ」

順子の「しあわせ」を垣間見た女達は、自分と比べずにはいられなくなる。何がしあわせなのか判らなくなる。自分の立っている場所がぐらつくような感覚に陥る。そうして、自分なりの答えを出していく。
読みながら、女達と一緒に、そんなぐらつくような感覚に陥った。
「しあわせ」って、なんだっけ。

表紙の親子は、順子の家庭を描いたものでしょうか。
だとすると東京かな。温かな気持ちになるような絵です。

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『希望荘』

宮部みゆきの杉村三郎シリーズ最新刊『希望荘』(小学館)を、読んだ。
4編の推理小説から生る、連作短編集だ。杉村三郎は、菜穂子と離婚し、今多コンツェルンを退職して2年後、東京で私立探偵をしていた。

『聖域』では、死んだはずの老婦人を見かけたと近所の女性から相談される。
『希望荘』は、「人を殺めたことがある」と匂わせる告白を残し亡くなった老人。父の真意を確かめたいという男性から依頼される。
『砂男』では、杉村が、離婚後しばらく身を寄せていた故郷(なんと、どう考えてもここ山梨県北杜市らしい!)で事件に巻き込まれる。
『二重身(ドッペルゲンガー)』では、東日本大震災のとき行方不明となった母の恋人を探してほしいと女子高生に依頼される。以下『二重身』より。

「不吉だというのは、ドッペルゲンガーを見ると間もなく死ぬという謂れがあるからでしょう」
昭見社長は面食らったらしい。
「貴方も詳しいんですね」
「僕はこの稼業に入る前に、編集者をしていたことがあるんです」
「それはまた、畑違いな転職をしたものですな」
「はい、いろいろありまして」
実は、と指で鼻筋を掻きながら、昭見社長は言い出した。
「私どもの親父が、その体験をしているんです。会社から帰宅したら、玄関先に自分がいて、座って靴を脱いでいたと」
驚いて立ちすくんでいると、その分身は悠々と家の奥へ入っていったそうだ。
「慌てて後を追いかけても、姿は消えていた。親父があんまり騒ぐので、母は救急車を呼びそうになった」
それから三日後、昭見兄弟の父親当時の昭見電工の社長は脳出血で急死した。
「葬儀のとき、母からその話を聞いた豊が言い出したんです」
親父は、ドッペルゲンガーを見たんだ。

読み終えて思うのは、やっぱり杉村三郎はいいな、ということだ。
何がいいって、人と対峙するときの姿勢がいい。例え相手が子どもだとしても、決してばかにしたり大人ぶったり、あるいは媚びたりもしない。どんな相手に対しても尊敬できるところは尊敬し、受け入れられない部分は受け入れない。常にフラットでいる、という感じ。それは、相手に対する先入観に左右されないということだ。彼の根底にある人間を尊重する気持ちが、そうさせているのだろう。探偵としても、たぶんそこが武器となっているのだと思う。
左足の不自由な若き調査事務所所長、蛎殻昴という魅力あふれる新キャラも登場した。私立探偵杉村三郎シリーズのこれからに、ますます期待したい。

『誰か』と『名もなき毒』では、仲睦まじい三郎、菜穂子夫婦のファンでしたが、『ペテロの葬列』でふたりが離別し、驚かされました。

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『二重生活』

小池真理子のサスペンス『二重生活』(角川文庫)を、読んだ。
大学院生の珠(たま)は、大学時代のゼミで「何の目的もない、見ず知らずの人の尾行」を題材にした本に出会った。珠は、ある日唐突に実行を思いつき、近所に住む男性、石坂の後をつける。一点の曇りもない幸せを絵に描いたように妻と娘と暮らす石坂だったが、待ち合わせ場所に現れた若い女に、聞いている方が恥ずかしくなるような愛の言葉をささやくのだった。

「理由なき尾行」に焦点を当てて描かれているが、読んでいくとすぐに、珠という女性の内面へと深く深く沈んでいくような感覚に陥る。珠は、尾行し他人の秘密を垣間見ることで、自分の内面を深く見つめざるを得ない心理に導かれていくのだ。以下本文から。

いつもは「桃子さん」と呼んでいるのに、メールの中でだけ、何故「桃っち」になるのか、ということについても、珠は、その本当の理由を質そうとはしなかった。卓也がメールの中で桃子のことを「桃っち」と書いてきたとしても、その真の理由など書いた本人ですらはっきりわかっていないに違いないのだ。
それなのに、と珠は思う。石坂史郎を「文学的・哲学的」に尾行し始めて以来、いつからともなく、自分が卓也と桃子のことで、理由のはっきりしない猜疑心を抱くようになっている。何か具体的、現実的な出来事があったのならまだしも、卓也はこれまでと何ひとつ変わらない。彼を疑わねばならない理由など、本当に毛筋ほどもないというのに。
やはり、石坂史郎を尾行することによって知った一連の秘密が、自分自身にも影響を及ぼしているのだろう、と珠は考えた。不思議だった。
結局のところ、人は秘密が好きなのだ。それを抱え込むことによって、どれだけ自分自身が苦しむか、知り尽くしていても、秘密は怪しい媚薬のように、人を惑わせる。秘密を抱えて生きている石坂史郎の気持ちの何分の一かが、珠にはわかるような気がしてならない。

尾行で垣間見た他人の秘密により、思いがけず自らのなかへと深く落ちていく珠。人は普段、自ら落ちそうな穴に蓋をして、うまく生きているのかも知れない。自分の心の奥底を覗くことは、たぶんいいことばかりではないのだろう。

映画『二重生活』は、今週末から公開されています。
山梨ではやらないんだけど、どうしてくれよう。

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『エッセンシャル思考』

社内で流行っているビジネス書を、読んだ。
『エッセンシャル思考 最小の時間で成果を最大にする』(かんき出版)
著者はグレッグ・マキューン。シリコンバレーのコンサルティング会社 のトップだ。ビジネス書として全米でベストセラーになった本だが、ビジネスだけではなく、生き方を見直すためのアドバイスがかかれている。エッセンシャルとは「欠くことのできない」「本質的な」などの意味を持つ。

第11章『拒否 断固として断る』にあったエピソードが印象的だった。
12歳のシンシアは父親とのデートを数カ月前から楽しみにしていた。ふたりでプランを完璧に練り上げ、わくわくしながら父親の仕事が終わるのを待っていた。以下本文から。

ところが当日、講演会場を出ようとしたとき、父親の仕事仲間にばったり出くわした。学生時代からの友人だが、会うのは数年ぶりだ。興奮して再会を喜ぶふたりを、シンシアは横で眺めていた。父親の友人はこう言った。
「われわれの会社と仕事をしてくれるなんて、うれしいよ。ルイスも僕も完璧な人選だと確信しているんだ。ところで、埠頭に最高のシーフードを食わせる店があるんだが、よかったら一緒にどうだい。もちろんシンシアも一緒にね」
父親はそれを聞くと、勢いよく言った。
「それはいいね。埠頭でディナーとは、最高だろうな!」
シンシアは意気消沈した。楽しみにしていたケーブルカーも映画もおやつも、これでおじゃんだ。シーフードは好きじゃないし、大人たちの会話を聞きつづけるなんて退屈すぎる。だがそのとき、父親はこうつづけた。
「でも今夜は駄目なんだ。シンシアと特別なデートの約束をしているものでね。そうだろう?」
父親はシンシアにウインクし、そっと手をとって歩き出した。会場をあとにしたふたりは、サンフランシスコで一生忘れられない夜を過ごしたのだった。

「本当に重要なのは何か?」
人生の分かれ道に直面したら、自分にこう問いかけてほしい。
そう、グレッグ・マキューンは、この本の随所で言っている。

夫が購入した Kindle 版です。

これは、どちらも同じだけのエネルギーを使っている図。
左は、あらゆる方向に努力が引き裂かれてしまい、どの方向にも
ほんの少しずつしか進めない。右は、努力の方向が絞られているから、
とても遠くまで進むことができる。

エッセンシャル思考モデルの表です。
非エッセンシャル思考では「みんな・すべて・・・やらなくては。どれも
大事だ。全部こなす方法は?」と考え、エッセンシャル思考では、
「より少なく、しかしより良く・・・これをやろう。大事なことは少ない。
何を捨てるべきか?」と考える、とあります。

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『ふたつめの月』

近藤史恵の連作短編集『ふたつめの月』(文春文庫)を、読んだ。
老人が探偵役をするコージーミステリー『賢者はベンチで思索する』の続編だ。主人公、久里子は少し成長し23歳になっていたが、就職したばかりの会社を突然クビになり、途方に暮れているシーンからのスタートである。
1話目。久しぶりにあった会社の友人は、解雇されて辞めたはずの久里子が自ら辞めたような口ぶりで話す。「何かがおかしい」久里子は赤坂老人に、もやもやした気持ちを聞いてもらうのだが。
2話目。料理修業でイタリア留学中の弓田が、一時帰国した。気持ちは伝え合っていなくても恋人だと思っていた久里子に、弓田は年下の幼馴染み、明日香の相談役を頼むのだった。
表題作の3話目。赤坂老人が、久里子の目の前で自動車事故に遭う。入院した赤坂は、久里子に頼みごとをした。街灯をひとつ壊してほしいと。本当にやりたい仕事。大好きな弓田の気持ち。謎だらけの赤坂の真意。刑事が追う真相。久里子の頭のなかは、未完成のパーツがばらばらに散らばっているようだった。以下本文から。

「自分がどうしたいかわからなかったら、どうすればいいんですか?」
自然に抗議するような口調になってしまった。
「そうだね。簡単に決められる人の方が世の中には少ないだろう。でもそれなら、自分の心が決まるまで、待てばいい」
それならば、今と一緒だ。久里子の表情に気づいて、赤坂は笑った。
「不幸になる人の多くは、相手がなにかをしてくれるのを待っているんだ。相手がなにかしてくれれば、今の状況も変わるかもしれないと思って待っている。でも、そうではなくて、自分の心が決まるのを待ちなさい。そのふたつは、大きく違うよ」
赤坂は飲み終えたカップを、ベッドの脇に置いた。久里子も黙って赤坂の話を聞いていた。赤坂は弓田のことだけではなく、自分のことについて、話しているような気がした。
「もし間違っても、しくじっても、自分の選んだ方向なら、それなりに歩くことができるものだよ。自分で選ばずに、嫌々歩く道がいちばんつらいはずだ」

待つことがいけないのではない。自分の人生を誰かに委ね、何もせず待ってばかりいて、挙句不幸だと嘆くのは、もう他の誰のせいでもなく自分自身が選んだ道、選んだ不幸だ、ということなのだろう。
赤坂じいさんのこういう、ちょっと厳しい、けれどフェアだと思えるような考え方、好きだなあ。

『賢者』は、飼い犬たちの事件から始まりますが、
『月』では、久里子の愛犬アンとトモは、愛すべき脇役に徹します。
続き、出ないかなあ。かいてほしいなあ。読みたいなあ。
『月』の解説は表紙のイラストを描いた、松尾たいこです。

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『ファミレス』

重松清の長編小説『ファミレス』(角川文庫)を、読んだ。
夫婦モノであり、料理小説でもある。珍しいなと思ったのは、その夫婦の年齢が50歳前後。主役の夫婦は、子ども達が就職や進学を機に家を出て夫婦二人になったところ。同年代と言ってもまあいいであろうお年頃なのだ。
中学校教師、宮本陽平(48歳)は、息子を地方大学に送りだしたその日、妻、美代子の署名入りの離婚届を見つけてしまう。夫婦関係に何も問題はないと思っていただけに、愕然とする陽平。料理が唯一の趣味である彼は、キッチンに並んで料理しながらも、妻の様子を気にかける毎日となった。
料理友達で、雑誌編集長の一博と惣菜屋を営む康文も、それぞれに家庭の悩みを抱えていた。小説は、陽平、一博、康文の3視点で紡がれていて、さらに陽平は職場の中学でも心配事に追われ、物語は、彼のやるせない気持ちを置き去りにしたまま進んでいくのだった。以下本文から。

「おひとりさま」で座っている中年男性の面々も、かつてはカミさんや子どもたちとファミリーレストランのテーブルを囲んだことがあったのだろうか。
窓の外に目を移すと、雨はいつのまにか本降りになっていた。かなり強い雨脚だ。さっきまでの中途半端な降り方よりも、いっそこのほうがすっきりする。
若い連中は「あーあ、けっこう降ってきちゃったよ」「サイテー」「梅雨入りじゃね?」「まだ早えよバーカ」とぼやいている。ベンチシートにヘルメットが見えているから、バイクで来ているのかもしれない。小さな子どもを連れたママのグループも困っている様子だったし、お年寄りの皆さんも、やれやれ、と外を眺めていた。
だが、「おひとりさま」たちは嘆かない。あせらない。にわか雨ごときでおたおたするな、という達観なのか、諦念なのか、ただ無気力なだけなのか、困惑も動揺もなく、コーヒーを啜り、ハンバーグを頬張って、若い連中よりもずっとぎこちない手つきでスマホを操作する。
そんな彼らを見ていて、ふと思った。ファミリーレストランの略称「ファミレス」はほんとうは「ファミリーレス」家族なし、という意味なのではないか?

小説のなか、妻、美代子が寿司屋のカウンターで、おひとりさま体験を楽しむシーンがある。何を隠そう、わたしはおひとりさま行動が大好きだ。もちろん、家族や夫婦、友人達との食事も楽しいが、ふらりと一杯呑み屋で酒と時間を楽しめる女性に、強く憧れている。でもそれって、家族がいる、夫がいるという裏打ちがあってこそ楽しめることかも知れないなあ、とも思うのだ。
はてさて、陽平、美代子夫婦の運命や如何に。

上巻は、一人の食卓。下巻は、団欒っぽい表紙絵になっています。

来年1月映画公開だそうです。映画版タイトルは『恋妻家宮本』
監督は『家政婦のミタ』などの脚本で知られる遊川和彦。
主演は阿部寛と天海祐希。二人が夫婦を演じるのは初めてだとか。

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『賢者はベンチで思索する』

近藤史恵のコージーミステリー『賢者はベンチで思索する』(文春文庫)を、読んだ。コージーミステリーというのは、殺人などは起こらない日常のなかの小さな謎解きをするような推理モノで、ゆったりとした居間のソファで紅茶などを楽しみながらくつろいで読めるという意味がある。
主人公は、21歳の久里子。就職が思うように決まらずファミレスでバイト中。探偵役は、窓際の席でぼんやりと何時間も粘る老人、国枝。認知症気味だと周囲に心配される国枝だが、公園で久里子と会う時には、まるで別人のように頭がキレるのだった。
その公園で、毒入りの餌を犬が食べる被害が多発。久里子の愛犬アンも被害に遭う。久里子の弟、浪人生の信は毎晩夜中に出かけていくが、その事件に関係しているのだろうか。そしていったい、国枝は何者なのか。国枝と関わった3つの事件が、生きあぐねていた久里子を少しずつ変えていく。以下本文から。

いつか現実を受け入れることができたら、彼に話そう。久里子はそう考えた。さっき、小さな声を出してしまったのは、以前も同じことがあったのを思い出したからだ。
いちばん最初にあの人とことばを交わした日。久里子はとても悲しい気分だった。美晴に、子犬が死んだことを知らされて。でも、その子犬は久里子にとっては会ったこともない子犬だから、自分が悲しいのはおかしいと思っていた。
あの人は言ったのだ。
それでも、きみは悲しいのだろう、と。
その一言で、久里子の気持ちはとても楽になったのだ。
さっき、弓田くんも似たようなことを言ってくれた。
― でも、七瀬さんが落ち込んでるのも事実だろ。
ときどき、久里子は自分の気持ちがわからなくなる。悲しいのか、腹立たしいのか、つらいのか、そんなごっちゃになった感情が、だれかの一言でうまく整理できることもあるのだ。

家族でも恋人でも友人でも、知らない面があるのは当然のこと。その人を信じられるか否かは、共に過ごした時間や、交わした言葉や、その温度や、そういったもので測るしかない。いつも隣りにいる人を不意に疑ってしまうような日常のなかの小さな謎の数々は、たぶん誰のそばにも潜んでいる。

蜷川実花 × 文春文庫『夏の青春フェア2016』に選ばれた文庫。
こういうフェアで、好きな作家の本を手にとってもらえる機会が
増えることは、ファンにとってうれしい限り。
近藤史恵作品を読んだのは、数えたら17冊目でした。
全くはずれのない、圧倒的に信頼できる作家さんです。

拍手

『神様が殺してくれる』

森博嗣のミステリー『神様が殺してくれる』(幻冬舎文庫)を、読んだ。
読み始めてすぐに陥った。外国の作家が紡いだ物語のなかにいるような錯覚に。栞を挟むたび、我に返る。あ、森博嗣だった、日本人作家だったんだと。それはラストまで続いた。主人公がフランス人だったからというだけではないだろう。それだけでも森博嗣ってすごいと思わざるを得ないのに、ラスト、きちんと驚かせてくれる辺り、もうミステリー好きにはたまらない小説だった。

一人称の語り手、主人公レナルドは大学時代、年下のレオンとルームメイトだった。親しい間柄ではなかったが、レオンのことは忘れたことがなかった。それはレナルドの特別な感情ではなく、レオンに会ったことがある人ならみな持つものだった。誰もが忘れられないほどにレオンは美しい男だったのだ。
事件は、レナルドがインターポール(国際刑事警察機構)で働くようになってから起こった。パリの女優殺人。ミラノではピアニストの男性が絞殺された。それ以前にも、ベルギーの大富豪が同じ手口で殺されていたことが発覚する。そのすべての事件に関係していたのが、レオンだった。以下本文から。

「あまり詳しいことは言えないのですが、その、殺人現場、イザベル・モントロンが殺されていたその部屋に、リオン・シャレットがいたのです」
「それは、つまり、その、彼が殺人犯だということですか?」
と僕はきいた。当然の質問だろう。
「重要な参考人ですね」刑事は簡単に答えた。
「本人は、何と言っているんですか?」
「それが、私たちがこちらへ来た理由なのです。昨日のことですが、リオン・シャレットは、貴方がモントロンを殺したと供述しました。貴方の名前を挙げた。レナルド・アンペールだと。もともと、神様が女の首を絞めた、と話していました。それを見ていた、とも。ところが、その神の名前が、レナルド・アンペールだと言いだしたのです」
これには驚いて、言葉が出なかった。数秒間、息も止めていただろう。

読み終えて、愛というものが向かう先を、捻じれて変わっていくものを、その不可解さを思った。解説の萩尾望都が、プラトンの『饗宴』を挙げ、人は何故人を愛するのかをかいている。
「大昔、人は背中合わせに張り付いていた。二つの頭、二つのボディ、四本の手、四本の足を持っていた。そのボディの性は色々で、男の性と女の性を持つボディ、男だけの性を持つボディ、女だけの性を持つボディがあった。これらのボディ達はとても満足していた。ところが神様はある日、このボディを二つに分けてしまった。分けられてしまったボディ達はかつて己のそばにいた自分の片割れを追い求めるようになった。元の自分に戻り、悲しみと孤独が消えるように。だから人はかつての自分の片割れを追い求めるのだ。男の性のみだった者は片割れの男を、女の性のみだった者は片割れの女を、男と女の性だった者は己とは違う性を。一つに戻ろうとする祈り、これを愛というのだ、と」

帯の文句「女にしては美しすぎる」は、本文からの引用です。
帯の顔、EXILE / 三代目 JSB 岩ちゃんのことではありませんよ。

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『大きな鳥にさらわれないよう』

川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)を、読んだ。
何百年後、何千年後の遥か未来を描いたファンタジーだ。その未来には、今の世界が崩壊を迎えた後、小さな集落ごと、たがいに交流することなく、作物を育て動物を狩りながらもコンピューターを操り暮らす人々がいた。

ある集落では、男達は工場で働き、女達は集団で子どもを育てる。工場は、食料と子どもを作るためのものだった。
また、ある集落では、人の名は数字だった。苗字が15ならいちばん先に生まれた子どもは「15の1」という名になる。
ある集落では、クローン技術によって作られた「わたし」が何人もいた。若いわたしは、年老いたわたしから役割を受け継いでいく。
ある集落では、光合成もする食事を摂らずとも生きていけるタイプの人間がいた。火を起こしたいと思うだけで起こせる者も、心が読める者もいた。
「見守り」と呼ばれる様々な集落を偵察して回る人達がいた。集落と集落の摩擦が起きることはなかった。戦争は、何処にも起こらない。
人の生の意味は、命を繋ぐことのみに向かっていく。生殖のためだけにセックスをする。誰の子どもでも関係なく育てる。クローンを作る。
いつしか希望らしきものも、憎しみらしきものも忘れ去られていた。だがそのなかにも、希望や憎しみの意味を知りたいと思う者もいた。以下本文から。

「ねえ、憎むって、どういうことなのかな」
あたしは、30の19に聞いてみました。
「わからない。でも、もしかすると、少しはわかるかもしれない」
不思議な返事を、30の19はしました。わからないけれど、少しわかる。それはいったい、どういうことなのでしょう。
「前に、昨日の昨日のもっと前の話をしただろう」「うん」
「何十万という人がいたって、言ってたよね」
何十万、などという数字は、想像しようとしてもできなかったと、30の19は言いました。
「あたしも、同じ」「だから」
30の19は言うのです。わかろうとしないで、ただみずうみに泳ぎに出る時水に体をまかせるように、その数字に身をまかせる。すると、少しだけ、何十万という感じが、向こうからやってくる。30の19は、説明するのでした。
「でも、それ以上のことは、わからないな」
明るく、30の19は笑いました。
「何十万という数字がどんなものかはっきりわかる、とか、憎しみを誰かにおぼえる、とかいうことは、ぼくらには生まれつきできないんじゃないかと、思うんだ」

タイトルの「大きな鳥」って、何のことだろう。読み終えてから、ずっと考えていることだ。神様のような、わたし達を俯瞰している存在のことだろうか。もしかすると、そういうものが今もこの世界の何処かにいるのだろうか。

川上弘美は、新刊を買うことを自分に許している作家のひとり。
本屋さんで見つけると、わくわくします。
ネットで見つけたときよりも、今すぐ手にとれる感がいい。

見返し部分のブルーが、ハッとするほど綺麗です。空かな、海かな。

カバー全体の絵は、こんな感じです。未来というよりむかしな雰囲気。

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『橋を渡る』

吉田修一の長編小説『橋を渡る』(文藝春秋)を、読んだ。
新次元の群像ドラマと謳われるこの小説は、ビール会社の営業課長、明良(あきら)、都議会議員の妻、篤子、テレビ局の報道ディレクター、謙一郎の3人を中心に、その周囲で起こる2014年、春、夏、秋の出来事を描いていく。
そして4章目である冬は、2085年に飛ぶ。70年後の世界では、人の細胞から作られた「サイン」と呼ばれる普通に感情を持つ人間 ― 生殖能力がなく、身長は低め、寿命は40歳くらい ― が存在し、彼らをロボットのように扱う差別社会ができていた。

タイトル『橋を渡る』は、自ら選ぶことのできる選択肢の数々を、橋を渡るか渡らないかに例え、渡った橋の向こう側と渡らずにいたこちら側との微妙な違いを表現しようとしている。以下、春 ― 明良の章から。

堀下にあるY駅には、そのホームを跨ぐように橋がかけられている。すぐそこにある迎賓館と対応させて作られたネオ・バロック様式の橋で街灯には美しい九つのランプが並んでいる。
この街灯の一つを包み込むように大きな桜の木がある。
明良たちは今の家に越してくるまで、八年ほど駅向こうのマンションに暮らしていた。そのころから春になるとこの桜を見に来ている。
深夜、人や車が減り、都心の寂しさがただよう橋を明良たちは渡った。今年も内側からライトアップされた満開の桜がそこにあった。
いつものように見上げて、明良はふと視線を落とした。この十年、毎年感じていた感動がなぜか今年に限ってない。少し焦って横を見る。心なしか、歩美の横顔にもそれがない。いや、去年あったのかも曖昧になってくる。
「きれいだよな」と明良は言った。
「うん」と返事は短い。
明良は今渡ってきた橋を振り返った。子供じみた発想だったが、もう一度渡り直せば、例年の感動が味わえそうな気もした。

渡った橋の向こうに何があるのかを知る前と、知った後では、何気ない風景さえも違って見えることがある。小説は、一人の小さな選択が未来を変えていく可能性を描いている。橋を渡るか、渡らないか。行動するか、しないか。言うか、言わないか。知るか、知らないかさえも。
読んでいて、わたし達一人一人の小さな選択が、未来を変えていくかも知れないのだと突きつけられる感覚に陥った。
戦後70年にかかれた、この小説。では70年後は? と問いかけてもいる。
戦争をしない国を選んだ70年前の一人一人と、これから多くのことを選んでいくわたし達一人一人の心の重さは変わらないはずだと。

夫が、Kindle 版で買った小説です。表紙は → こちら
『週刊文春』で、連載されていたものだそうです。
2章目の篤子は、その『週刊文春』のクレーマーでもありました。
実際にあったニュースが取り入れられているのも週刊誌連載小説ならでは。
都議会の女性議員へのセクハラ野次や、マララさんのノーベル賞受賞など、
登場人物が、社会的出来事をどう受け止めていたのかも描かれています。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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