はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

左手くん、ふたたびトリガーについて語る

「読んだばっかりの『エッセンシャル思考』にさ、トリガーを作るっていうのが出てきたじゃない?」と、左手くん。
「それって、前に左手くんが教えてくれたトリガーポイントのトリガーのこと? 確か、英語で引き鉄のことだったよね」と、右手くん。
「そうそう。身体にも心にも、実際の痛みや感情とは別のところに引き鉄になるポイントがあるって話したねえ」
「で、トリガーを作るって、引き鉄を作るってこと?」
「うん。知らず知らずのうちに引かれてしまう引き鉄も多いんだけど、それを自分で作ることで、いい習慣を作っていこうって作戦なんだ」
「『エッセンシャル思考』では、ここのところかな。以下本文から」

会社帰りのケーキ屋がお菓子を買うトリガーになっているなら、その店を見た瞬間に向かいの惣菜屋でサラダを買うようにすればいい。目覚ましの音がメールチェックのトリガーになっているなら、目覚ましが鳴った瞬間に本を手にとって読みはじめるといい。最初はかなり抵抗があると思う。それでも新しい行動をやりつづけていれば、トリガーと行動の新しい結びつきがだんだん脳に定着していく。やがて新しい行動が習慣化し、無意識のうちに新しい行動が引き起こされるようになるはずだ。

「で、僕は手としてね、もっと大切にしてもらうためのトリガーを作ろうと思うんだ。最近、ハンドクリーム塗ってもらえなくなったと思わない?」
「うん。確かに冬場と違って、なかなかハンドクリーム塗ってもらえなくなった。でも、何処にどうやってトリガー作るつもり?」
「そうだなあ、ねえ、いちばん塗ってほしいときはいつだと思う?」
「うーん。洗い物をしたあとかな」
「よし。じゃあ、キッチンにトリガーを作ろう」
「ハンドクリームをさ、目立つところに置いておくとか?」
「それいいんだけど、キッチンごちゃごちゃしてて、目立つかな?」
「だよねえ。しょうがない。片づけるか」
「そうだね。ハンドクリームだけ、ぽつねんと置いてあったら、いくら何でもも気づくでしょ」
いそいそと、左手くんと右手くんはキッチンにハンドクリーム・トリガーを作っていった。果たして、彼らの目論見は成功するのだろうか。こうご期待!

左手くんが、トリガーポイントを作る前のキッチン。
オリーブオイルやビネガーの他、買ってきた食品の袋もあります。

トリガー完成図。ロクシタンのヴァ―ベナ・アイスハンドクリーム。
小さいだけに、しっかり自己主張してくれそうです。
あとは、またモノを置かないっていうのが、むずかしいんだよね。
そして、いい習慣を作るためには片づけが不可欠だと学習・・・。

初夏の庭です。ヒメシャラの白い花、大好き。
別名、夏椿。咲いては、ぽとりと落ちています。

木苺が、あちらこちらに真っ赤な実をつけています。

ブルーベリーは、少しずつ熟していく途中。

ガク紫陽花が、ようやく色づきました。

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一瞬を引き延ばせる力(仮説)

「いたっ!」と、左手くん。
「だ、だいじょうぶ?」と、右手くん。
「だいじょうぶだと、思ってたんだけどなあ」
「たいしたことないよって、言ってたもんねえ」
ミルで珈琲豆を挽きつつの、左手くんと右手くんの会話だ。
「利き手の僕の方が注目されがちだけど、しっかりと押さえる力があってこそミルを回せるし、だから珈琲豆を挽くことだってできるんだもんね」
右手くんの言う通りだ。動きが大きい方が、働きも大きいように感じるが、じつはそうでないことも多いのだろう。
「力には、自信があるんだけどなあ」
左手くんは、右手くんにさすってもらい、力なく言うのだった。

数日前のこと。断捨離に力を入れていたわたしは、段ボール4箱分の古本を処分した。何故そんなにもためてしまったのかというと、表紙が破けていたり、汚れたりしていて何処も買い取ってくれない本を廃棄するのに忍びなく、役立ててくれるところを探していたのだ。それを見つけ、仕分けし、郵便局に取りに来てもらった。わたしにとっては、けっこうな力仕事だった。
「ムリしないで」と夫に言われていたにもかかわらず、ムリだと思わぬままにムリしていたのだろう。自分の身体だが、自分で思うよりもずいぶんと、ムリが効かなくなっているのだ。事故は、そういうときに起こるもの。
本の入った段ボールにつまずき、玄関の三和土から土間へと落下し、転倒した。あっ! と思ってから落ちるまで、何故かスローモーションのように感じられた。その間、たぶん一瞬のことだったのだろうが、スローモーションだったことで考える余裕が生まれた。「手をついてはいけない。今下になっている左手くんは、手の甲を一度骨折している」と。そして身体を丸め、肘から落ちた。結果、左肘の打撲だけで、大事には至らなかった。

「『火事場の馬鹿力』って、とっさのときに、いつもは出せないような力が出せることを言うじゃない?」と、左手くん。
「非力な人が、ものすごい力出しちゃったりする、あれ?」と、右手くん。
「うんでもね、もともと人間って、普段は身体に負担がかからないように力をセーブするようにできてるんだって。だから火事場で出せる力は、本来持ってる力なんだよ」「そうなの?」
「そうなんだよ。だからもしかすると、って思ったんだよね」
「とっさのときに、一瞬を引き延ばせる力もあるんじゃないか、とか?」
「そうそう、昔もあったじゃない。右手くん、大活躍だったよね」
「ああ、あれね。あった、あった」
そう言えば息子が2歳のとき、彼が階段から転げ落ちるさまがスローモーションに見え、上から追いかけたことがあった。途中で右手くんが彼の足をつかむことができ、やはり事なきを得たのだった。
「人の力には、計り知れないものがある、ってことかな」
「もうだめだと思ったときにも、あきらめちゃいけないってことなのかも知れないねえ」

とは言え、大事には至らなかったが、左手くんのダメージは大きかったようだ。打撲だけではなく全体が軋んでいるらしい。
「それにしてもさあ、転ばないように気をつけてくれないかなあ」
「全くだよ。不注意極まりないよねえ。どうにかしてほしいよねえ」
左手くん、右手くん、ほんとうにごめん。

こちらは、落下転倒事件の現場、玄関の三和土です。

左手くん、がんばりました。右手くんも、お疲れさま。
おかげさまで、美味しい珈琲を飲ませていただけます。

カリタの手回しミル。豆を挽く粗さも、好みに合わせてあります。

お気に入りの器達。温かみのあるごつごつした感じが好きです。

美味しく入りました。豆は、イルガチェフェ。ほどよい酸味です。
左手くんと右手くんの会話は → frozenshoulder 徒然で。

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切手、その名の由来

「切手って、ちょっと親近感湧く言葉だよね」と、右手くん。
「なにしろ、手がつくもんね」と、左手くん。
最近、痛みもあまり感じない様子の左手くんと右手くん。右手くんが frozen shoulder (五十肩)だった頃の切羽詰まった雰囲気は、もうない。
「そのお仲間の切手さん、最近ずいぶんお洒落なものが増えたよね。記念切手っていうの?」
「何かの記念で記念切手を発売したのは、昔の話らしいよ。今は、特殊切手って言うんだって。他にもふるさと切手とか、グリーティング切手とか」
「ふうん。でもなんでさあ、切手って手がつく言葉になったんだろう?」
「ああ、それね。切符手形の略なんだって。で、その手形は、むかーし大切な書類には、手に墨や朱肉なんかを塗って捺したところからきてるらしいよ。」
「そうかあ。手の形って、大切なものとして扱われていたんだね」
「一人一人、違うもんなあ。きみと僕でさえ、違うもんね」
「違うって、大切なことなんだね」
「だよね。違うって、すごいことなんだよねえ」
「で、お仲間の切手さんは、大切な書類の仲間って訳だね」
「そうそう。なんか、そういう仲間がいるって誇らしいねえ」

お年玉付き年賀はがきが1枚当たり、切手シートを受け取りに行った際、その特殊切手を買ってきた。切手収集をしている訳ではなく、ただ使うためだ。
楽しんで使うために買ってきたのだが、大切な書類の仲間なのだという左手くんと右手くんの会話を聞き、小さな薄っぺらい切手というものにその存在の大きさを感じた。まあ、手の仲間かどうかは・・・大きな疑問ではあるが。

左にある白とグリーンのシンプルな切手は、パリの郵便局で買いました。
右の蓮の花の切手は、ベトナムの郵便局で。これは使った後の古切手です。
外国で、郵便局に行くのも、また楽し。
日本の綺麗な切手達、外国の人からはどんなふうに見えるのかな?

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相手を思いやるために

「いやいやいや。久しぶりの登場ですね」と、右手くん。
「いやいやいや。まったくもって、久しぶり」と、左手くん。
右手くんが frozen shoulder(五十肩)を患い、完治してからもう2年半が経った。毎日のように何かをつぶやいていた右手くんと左手くんも、最近では穏やかな落ち着いた日々を送っている。
「ところで、左手くん。傷めた肘の具合はどう?」
「少しずつ回復に向かっているみたい。きみがいつも重い方の薪を運んでくれているおかげだよ。ありがとう」
「いやあ、もとはと言えば、年末きみにだけ重い荷物を運ばせたのが悪かった訳だしさ。おたがいさまだよ」
「あのときは、だいじょうぶだと思ったんだけどなあ」
「無理は禁物だね」
「きみの思いやりには、いつも感謝してる。それでちょっと無理しちゃって」
「うん。そうだと思ったよ。でもさ、相手を思いやるために、とっても大切なこと、知ってる?」
「何だろう?」
「それは、自分をいちばんに思いやることだよ」
「自分を? 思いやるの?」
「左手くんは、今回、僕を思いやって無理をして肘を傷めたんだよね。それはうれしいけど、僕にはきみが元気でいてくれることの方が大切なんだ」
「うれしいなあ。ありがとう、右手くん。もう無理はしないよ。それに、結果的にきみに負担をかけちゃうことになっちゃったし」
「まあ、それもあるけど、そういうことだけじゃなくってさ」
「もちろん、判ってる」
左手くんと右手くんは、相変わらず仲がいい。まあ、切っても切れない間柄だし、たがいの立ち位置も理解しやすいのだろう。

自分を思いやり、また相手を思いやる。これはなかなか難しい。「人」という字は支えあっているようにも見えるが、片方だけが支えていてもう片方は寄りかかっているだけというようにも見える。思いやりを持って接していた相手に頼られすぎて、ポキリと折れてしまう人も多かろうと考えてみる。人は弱い。頼れる相手には頼りたくなるし、甘えられる相手には甘えたくなる。そして自分が相手に寄りかかり支えられていることなど、すぐに忘れてしまう。
パソコンで打つゴシック体の「人」という字はいい。右も左もまったくたがわず、支えあっている。

人がまっすぐ前を向き歩く姿も「人」という字に似ているんですね。
パリはシャンゼリゼ通りにある、シャルル・ド・ゴールさんの像。

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口から出まかせの日?

「今日は、エイプリールフールだねぇ」「ふふふ、ちょっとわくわく」
「いやいやいや。きみは普段から嘘つくの好きだからなぁ」
「いやいやいや。きみこそ、しれっとした顔で嘘つくよねぇ」
牽制し合っているのは、もちろん左手くんと右手くんだ。薪運びの季節もほぼ終わり、左手くんの腱鞘炎もよくなったようだ。
「ところでさ、耳の日は、その形から3月3日じゃない?」
「うん。目の日は、眉もセットのその形で10月10日だよねぇ」
「そうそう。鼻の日は、語呂合わせで8月7日。は、な、の日」
「で、11月11日が、ポッキーの日」
「それなんか、関係ある?」「いやいやいや」
「そういえばさ、手の日って聞いたことないよね?」と、右手くん。
「そうくると思って、調べました」と、左手くん。
「『いい手の日』を11月10日に決めたのは、ユースキン。手荒れが始まる時季なんだって。そして『手と手の日』を10月10日に決めたのが、ニベア。『てとて』『テンとテン』という発想だとか」
「おー、ハンドクリーム会社的には決裂した2つの日にしちゃった訳なんだ」
「まあ、手の日が増えることには異論はないけどね」
「確かに。普段気にしていないことを、ちょっとでも気に掛ける日が2つあるってことだもんねぇ」
「きっかけって、大事だよね。どうでもいいようなきっかけから生まれる大切なことだってある訳だしさ」
「まあ、何とかの日っていうのは、そういう意味合いが強いのかもね」
「ポッキーの日も?」「いやいやいや」

そこで、ハタと右手くんが動きをとめた。
「手の日が2つあるって、さっきの話、ほんと?」
左手くんは、いじわるそうに笑う。
「今日は、口の日とも言えるね。口から出まかせの日」
「それって、口のことを気に掛ける日とは、違うような・・・」
口ごもった右手くんは、しばし考え、ない口を開いた。
「そういえば、口の日ってないもんね。4月18日が『よい歯の日』だけど『よい口の日』って聞かないし」
「えーっ、それ、ほんと? 虫歯予防デーは6月4日じゃん」
「ふふ、ふふふふふ」今度は、右手くんが不敵に笑うのだった。
*文中に出てくる何とかの日はすべて本当です。嘘がつけないふたりだなぁ*
*楽しいエイプリールフールになりますように*

残念ながら、ユースキンもニベアも使っていません(笑)
ハンドクリームはアベンヌが肌に合うみたいで、愛用。
ときどき、ロクシタンのフットクリーム塗ってます。
リップクリームはDHC。最近、普段、化粧しなくなりました。

ある春の日の洗濯物です。
「春風さんの悪戯?」と右手くん。左手くんが、笑って返していました。
「おんなじユニクロ同士ね。お茶しなーい?」洗濯物世界でも、女性強し?

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ガラスの手首と、あったりなかったりする時間

「ごめんね。僕をかばってくれたばっかりに」
「何、言ってんだよ。おたがいさまじゃないか。もとはと言えば、きみにばかり頼っていた僕のせいなんだし」
「薪は、重いよねぇ」
「うん、重いね。けど、運ばなくちゃ。僕らだって冷たくなっちゃうし」
「で、痛みはどう? 左手くん」「使わなければ、痛みはないよ。右手くん」

年末、右手くんの腱鞘炎が、再発した。原因は、薪運びである。そして、右手くんをかばっているうちに、今度は左手くんが、発症した。右手くんは、軽度だったようで幸いすぐに治ったが、もちろん無理はできない。両方の手に無理をさせずに薪を運ぶのは、至難の技である。
以前、右手くんも左手くんも、腱鞘炎を患った経験がある。最初は、ピアノで。そして、次は赤ん坊だった子ども達を抱っこしていた日々に。そしてここ数年は、薪運びで。腱鞘炎は一度やると、癖になりやすい。彼らは、ちょっと重いものを持つとすぐに傷めてしまう、ガラスの手首の持ち主なのだ。

「ふたりで、1本ずつ、運ぼうよ」「回数は増えるけど、重さは減るもんね」
「右足くん、左足くん、往復が倍になるけど、よろしくね」
「おう! 合点承知」右足くん、左足くんは、快諾した。

重いものが持てないというのは、不便だ。だが、歳を重ね、不便に慣れることも必要なのだと思えるようになって来た。
最近「時間がない」という言葉を耳にすると、すぐにゲシュタルト崩壊する。
「時間って、普遍的に存在するものなんじゃないの?」と、左手くん。
「あったり、なかったりするものなんだ?」と、右手くん。
単純なる疑問から崩壊した言葉は宙に舞い、その言葉の持ついとも簡単な意味合いがバラバラに砕け、スローモーションで落ちていく。

子ども達が幼かった頃、様々なシーンで「時間が」なかった。夫に子ども達を見てもらい、スーパーにいく時にはいつも走って行ったし、風呂では、湯船につかるのは赤ん坊と一緒の時だけだった。3人の子ども達と共に入浴した10年ほどは、ひとりで湯船にはつかることはなかった。「時間が」なかったのだ。だが今考えるに、本当に時間はなかったのか。たったの5分でも、湯船につかることができないほど、時間はなかったのか。いったい何をそんなに、急いていたというのだろうか。

今は、薪を両手で、1本ずつ運ぶ「時間が」ある。薪1本を両手でしか、運べなくなった、とも言えるのだが。
それでも仕事が切羽詰ると、ふと、あの頃のことを思い出す。10年も湯船につからずに、懸命に生きていた「時間が」なかった頃のことを。

昨日の朝10時。雪はまだ、それほど積もっていません。南側の薪小屋。

北側には、家の軒下(見えない場所)にたくさんの薪が積んであります。
丸太は、年末に切り出したばかりのもの。庭というより、薪置場ですね。

「右手くん、左手くん、まあ、ムリすんなよ」と、ハリー。
「雪のなかの作業、気をつけてね」と、ネリー。

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左手くんと右手くんと肩書き

「久しぶりで、緊張するね」「ほんと、ずいぶん久しぶり」
「すっかりよくなったもんね」「体操だってできるしね」
「体操始めたはいいけど、サボりがちなのが、気になるけど」と、左手くん。
「うん。僕らは、やる気満々なんだけどねぇ」と、右手くん。
久々に frozen shoulder (五十肩)を患った右手くんと、そのサポート役だった左手くんの登場だ。
患ったのは1年前。その痛みの記憶も、遠くなってきた。自分の痛みでさえ忘れてしまうのだから、人の痛みを理解するのは、難しいはずである。

「でも、僕、もう frozen shoulder じゃないよ。元 frozen shoulder って、言ってほしいな」
「そうだよね。ん? でも僕は、治ったには治ったけど、骨折した手の甲に、まだビスが入ってるから、現在進行形でもあるなぁ」
「じゃあ肩書きをつけるとしたら、左手(元小指中手骨部分骨折、現在チタンのビス2本入り)って、感じかな?」
「五十肩だけに『肩』書き?」「あ、この駄洒落、判ってくれた?」
「でもさ、辞書によると『肩書き』って、職業をかくみたいだよ」
「そうなの? 職業かぁ。僕ら手には、手に余るほど多いなぁ」
「はいはい。また、駄洒落ね。ちょっと意味がずれてるような気もするけど。僕はねぇ、自分の仕事は、けっこうはっきりしてるんだ」
「へぇ、 何?」「君のサポートだよ」「そっか。なんだか、嬉しいなぁ」
「だからもし犯罪を犯して新聞に載るとしたら、左手(右手さんサポート業)かな」「いや、犯罪に手を染める必要はないけどさ、今朝未明、左手(右手さんサポート業)の身柄を捕獲、とか?」
「そうそう。あ、でも職業の他に、前科も肩書きって言うらしいよ」
「ああ、前科何犯ってやつ」「何か声のトーンが落ちたけど、どうかした?」
「だってさ、子ども達が小さかった頃、いたずらした手をペチッてたたいたの、僕だもん。前科百犯くらいかも」
「そんなことないよ。君のペチッはペチッ以上の音には、ならなかったし。それに、頭をなでたのも背中をとんとんしたのも、君の方が圧倒的に多いしね」
「懐かしいなぁ。なでなで、とんとん」
「うん。懐かしい。あれは、僕ら手にとっては、素敵な仕事だったねぇ」
「でもあの頃、僕らたいへんだったよね」「抱っこし過ぎて、ふたりして腱鞘炎になってさ」「なでなでするのさえ、ヘロヘロだったよね」「今朝未明、右手(ヘロヘロなでなで)の身柄を確保」「もう! しみじみしてたのにぃ」

しみじみする左手くんと右手くんの会話を聞きながら、左手くんに倣い、わたしが新聞に載るとしたら、自分から果てしなく遠いと思われる「会社役員」って肩書きがつくんだろうなぁと考えた。
そう考えると、新聞で読む肩書きは、まるっきり別人のイメージを創り上げることもあるのだと判る。他愛ない、左手くんと右手くんの駄洒落攻撃だったが、同じ肩書きでも、ひとりひとり違う。そのことを覚えておこうと思った。

カナダにいる娘に送る手袋を、買いました。
「シーです。よろしく」「プーだよ。よろしく!」

「口のなかは、ピンクだよ」「あ、プー、はずかしいったら!」

「なになに、新入りくん?」「あー、黒ヒツジくん達、可愛い!」
「シーです。よろしく」「プーだよ。よろしく!」
「ネリーよ、よろしく」「ハリーだよーん。仲良くやろーぜ!」

「そっかぁ。すぐにカナダに行っちゃうんだね」
「向こうは寒いらしいから、手を温める仕事も、やりがいあるよねぇ」
「はい! がんばります」「またいつか、会えるよね」

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「幸せだ」って、言ってみませんか?

読み終えたばかりの中島京子『花桃実桃』(中公文庫)で、ストーリーとは関係なく、印象に残った言葉があった。以下、本文から。

人は思う以上に自分の言動に左右されるものである。須崎先輩が自分を「ワル」だと名乗ることによって、どんどん「ワル度」を増していったように。

妙に、納得した。
「楽しい ♪」と言えば、より楽しくなるように、「憎んでやる!」と言ってしまったら、より誰かへの憎しみが増すように、確かに「楽しい度」も「憎しみ度」も、言葉にした途端、それが見えない形を持ち始め、自分のなかに広がっていく気がする。そう考えると、負のオーラを持つ言葉は、口にしないでいられるなら、口にしない方がいいのではないか。
以前、友人に聞いた「言霊(ことだま)」の話を思い出す。口にした言葉は、勝手に魂を持って歩き出す、といったような話だ。

そこで「はい、はーい!」左手くんが手を挙げた。
「でもさ、痛いって言葉にすることで、楽になることもあるよね」
「うんうん。言えてる」右手くんも、同意する。
確かに、1年前 frozen shoulder(五十肩)を患った右手くんは「痛いよー」と言うことで、その痛みを四方八方に散らしていった感がある。
「痛みや苦しみは、言葉にすることも大切だと思う」と、右手くん。
「ただそれは、痛い、苦しいって言葉よりももっと重みを持った痛みや苦しみの場合に限るんじゃないかな」と、左手くん。
「そうだね。痛いの痛いの飛んでけ~で、飛んでっちゃう痛みなら、逆に痛くないって言葉に助けられるかも」と、右手くん。
「言葉って不思議だね」「口から出て消えていくだけのものではないんだね」

口を持たない右手くんと左手くんの、しみじみした会話に耳を傾けつつ、ひとり、今の気持ちを言葉にしてみた。
悩みも心配事も、多々あれど「わたし、今、幸せだ」
そして、言葉にして気づいた。かの名曲『幸せなら手をたたこう』は、小難しいことは何も言わずとも、口ずさめば「幸せ度」がアップする歌なのだと。
右手くんと左手くんが、顔を見合わせ(?)ぽんっと手をたたいた。

ウッドデッキで、けろも、幸せそうに笑っています。

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オー! 脳!

「ずいぶん、動くようになったね」「うん。ありがとう」
「1年前は、どうなることかと思ったけど」「ほんとだよね」
「がんばったよね、右手くん」「いやいや。きみのおかげだよ、左手くん」
右手くんが Frozen shoulder(五十肩)を患ってから、1年が経った。
今では背中で左右の手を繋ぐこともできるし、それを上にあげられる高さも少しずつ上がってきた。

「同じ手、同士だもんね」「左も右も、ねぇ」
「だけどさ」「うんうん。そうなんだよね」「そう。これ変だよね」
庭で山椒の実を収穫し、実から茎をとる作業をしていた時だ。
「きみが実を持って、ぼくが茎をとる方が、いい感じだね」と、左手くん。
「ほんとだ。ぼくが利き手だとか、先入観なしに作業してった方がいいね」
相談はまとまっていたのに、作業中、何度も中断した。
「右手くん、だから、きみが実を持つ方だって」
「左手くんこそ、茎をとる方でしょ?」
いつの間にか、逆になっている。やりにくいのに、そうなってしまってる。そればかりか、茎と実を置く場所が、逆になっていたりもする。
「なんでー?」「どうしてー?」右手くん、左手くんにも判らないようだ。

全く、脳の指令は、理解できない。オー! ノー(脳)!である。右手くんと左手くんのおかげで、美味しい山椒の佃煮はでき、文句はないんだけれど。

収穫は、摘むのは、右手くん。ボールを持つのは、左手くん。

右、茎。左、実。って唱えても、いつの間にか、逆さまに?

さくらんぼとはちょっと違うけど、カップルで、みのった実。
並べてみたら、双葉みたい。可愛いです ♪

新鮮な山椒の実と小女子を、薄味で煮た佃煮。白いご飯にぴったり。

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左手くん、トリガーポイントについて語る

「毎日が、穏やかに過ぎていくねぇ、左手くん」
「うん。雪はもう、見たくもないけどねぇ、右手くん」
frozen shoulder(五十肩)を患っていた右手くんは、全快とまではいかずとも、痛みがすっかり引き、穏やかな心持ちのようだ。右手くんをサポートしてきた左手くんも、おなじく穏やかな心持ちになっている。
「そう考えるとさ」と、左手くん。
「身体の痛みと、心の痛みは、繋がっているんだって実感するよね」
「うん。まさに、その通りだね」と、右手くん。
「ところで、トリガーポイントって知ってる?」と、左手くん。
「トリガーって、英語で引き鉄のことだよね? そのポイント?」
「うん。身体の筋肉は思いもよらないところで繋がっていて、痛むところとは別の場所に、痛みを発生させる引き鉄になるポイントがあるんだよ」
「複雑なんだねぇ、僕たちの身体は」
「その上、心は更にね。痛むところだけ、守ろうとか、癒そうとかとしても、痛みの引き鉄は別のところにあったりするんだ」
「例えば?」と、右手くんが身を乗り出す。
「例えば、失恋して胸が痛くなるだろ?」「おっと、いきなり失恋かい?」
「でも、よくあることだって自分に言い聞かせて普段通りに会社に行ってさ」
「がんばって、乗り越えようと必死なんだね」
「ところが、ようやく笑顔が戻った頃にさ、駅ですれ違っただけの男に『どけよ、のろま!』って言われた途端、引き鉄が引かれてさ」
「自分のトロいところが、ダメだったんだ。悪いのはわたしだったんだわぁって、立ち直れないほど、ずどーんと落ち込んじゃう訳だね」
「例えその男が1日に千回『のろま!』って口癖を、口にするとしてもね」

「また例えば、年頃の娘が夜遅くまで帰って来ないと、親は心配するだろ?」
「うん。おろおろしちゃうよね」
「それが門限1分前に駆け込みセーフだったりすると、その心配は何処にも行きようがない訳だよ」「おろおろ損だ。腹も立ってくるよね」
「で、帰ってきた娘が、鞄をソファーに投げてお風呂に入ろうとしたら」
「引き鉄、引いちゃったんだね。ちゃんと片づけてお風呂に入りなさーい!」
「怒りの引き鉄、だね」「せっかく門限守ったのにねぇ、残念」

「また例えば、就活が上手くいかなくってさ」「今度は就活?」
「面接に行けども行けども、落ちまくって、それでも泣きたい気持ちを必死にこらえてがんばってる時に、親友が内定もらったって遠慮がちに言うんだ」
「そりゃ辛いけど、おめでとうって言わなくちゃね」
「もちろんさ。おめでとうって言った途端、よかったね、よかったねって、涙が止まらなくなっちゃって、もう、悲しいのか、嬉しいのか」
「うぇーん。涙のトリガーポイントだ」

「また例えば」「まだ、あんの?」「芋が転がって」
「それ笑いの引き鉄、でしょ? だいたい芋じゃなくて、箸だし」
すっかりとは言えなくとも回復した右手くんと左手くんの『トリガーポイント』についての会話は、止め処を知らず続くのだった。

「雪だねぇ」と、ハリー。「綺麗だねぇ」と、ネリー。
「雪が、降ったら雪見酒だねぇ」と、わたし。
ふたり声をそろえる「雪は、酒のトリガーポイントじゃない!」

昨日朝10時、まだまだ雪降りしきる家を後に、東京に出てきました。

雪道の運転も慣れたけど、あーあ、もういい加減にしてほしいよ。

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恐るべし『キョウミミニチヨウ』

「ようやく肩が楽になったと思ったら、これだよ」「季節到来だね」
「親指の根元って取りにくい上に、結構痛むんだよなぁ。全く」
「ほんのちょっとのことなのに、どうして出来ないんだろうね」
「2、3本だからとか、見つからないからとか、言い訳してさ」
「天性の面倒くさがり屋だから、しょうがないとは言え」
「それも自分で片づけないで、置きっぱなしにして失くすんだよ」
「片づけられない女選手権代表だから、しょうがないとは言え」
「軍手をするひと手間で、棘なんか刺さずに済むのにねぇ、左手くん」
「薪運びの季節本番、気をつけ様がないけど気をつけようね、右手くん」

まだ完治とは言えないまでも、frozen shoulder (五十肩)の痛みが引いた右手くんと、サポート役の左手くん。言いたい放題であるが、言われても仕方のない事実。軍手をせずに薪を運んで、右手くんの親指の根元には大きな棘が刺さり、チクリと痛んでいる。薪運びは苦ではないが、面倒な部分をスキップする癖が、どうにも治らない。娘達には「危ないから、軍手しなさい」と、口うるさく言っていたにもかかわらずだ。

ところで棘と言えば、子どもの頃、よく言われた。
「抜かないと血管を通って心臓まで行って、刺さって死んじゃうんだよ」
根も葉もない嘘である。こういう判りやすいくだらない嘘って、けっこう好きなんだけど、今でも子ども達の間では、言われたりしているんだろうか。
確かに棘を抜いた方が化膿したりせず治りも早いだろう。だからそんな風に言われて来たのだ。だが人間の自然治癒力は、異物を外に出そうと働くそうだ。

結局、夫が棘を抜いてくれたのだが、余りの痛さに、
「自然治癒力に任せるから、もういい」と、半泣きでわたし。
しかし、彼は最後まであきらめない。泣こうがわめこうが、彼に頼んだ時点で、棘の行方は決まっていたのだ。末娘が幼い頃、耳かきが嫌で逃げ回っていたのを思い出す。もちろん耳かきを持って追いかけていたのは夫である。
普段は人の話に耳を傾ける夫だが、棘抜きマン、または耳かきマンに変身した時には通用しない。神戸出身の彼は、末娘によく言っていた。
『キョウミミニチヨウ』何のまじないかと思えば、今日は耳は日曜で休みです。聞こえません。聴きませんという意味の関西弁だった。耳が日曜になった彼には、何を言おうが、もはや通じないのだ。
「右手くん、ごめん。今度から軍手するから」
その言葉に右手くんは答えなかった。嘘つき、と思っているのは歴然である。
  
陽当りのいいウッドデッキの薪置場と、棘刺す気満々の薪達。
薪小屋からウッドデッキまで運ぶのは、夫がやってくれます。
彼は、皮の軍手ご愛用。必ず手袋を着用します。

右手くんがよくなり、日々の薪をウッドデッキから運ぶのは、
わたしの役目となりました。

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右手くん、frozen heart について考える

「凍った冬が来る前に、きみの肩は溶けそうだね」
「ありがとう。今日で4回目の注射だったけど、本当に楽になったよ」
「きみの状態、五十肩を英語で frozen shoulder って言うって聞いた時に、僕が何を考えたと思う?」
「え、何だろう?」「アンデルセンの『雪の女王』なんだ」
「はいはい『雪の女王』ね。少年カイの目と心に刺さった氷の欠片を、少女ゲルダの温かい涙が解かすんだったよね」
「それが、刺さったのは女王の氷じゃなく、町に来た悪魔の鏡の欠片なんだ」
「鏡の?」「そう。そうなんだけどさ、カイの心を凍らせたのは、悪魔でも雪の女王でもないんじゃないかって、常々僕は考えていてさ」
「じゃあ、誰がカイの心を?」「鏡の欠片に映った、カイ自身だよ」
「カイが、自分自身で、自ら心を凍らせてしまったってこと?」
「うん。だから、きみが自分の心を凍らせないように助けたいと思ったんだ」
「そうかぁ。確かに僕、心まで凍りつきそうだった。frozen heart にならずに済んだのは、きみのおかげだったんだね」
「いやいや。きみが、がんばったんだよ、右手くん」
「きみが元気づけてくれて、どれだけ心強かったか。ありがとう、左手くん」

4度目の注射までこぎつけ、ほぼ痛みが引いた右手くんは、ムリをしないようにしつつもリハビリに精を出している。洗濯物も率先して干しているし、薬缶のお湯をポットに注ぐのも最後まで出来るようになった。治るまで長くて2年かかる場合もあると聞いた時には愕然としたが、注射治療を教えてくれた友人だけじゃなく、漢方を分けてくれた友人や義母、経験談を話してくれた友人、重い荷物を運んでくれた家族にも感謝の気持ちが湧き、心は frozen するどころか、ぽかぽか小春日和だ。

凍った心を溶かすのは、難しい。子ども達が幼い頃に、何度も経験したことだが、子どもが言い出したら聞かない状態になった時が、frozen heart 状態に似ていると、わたしは思っている。
小さなことで小さな心は凍る。たとえば、友達の家に迎えに行ったのに「まだ遊びたい。帰りたくない」と駄々をこねる。その時には、そう思っていたのだろうが、説得されるうち時間も経ち、お腹も減り、自分も帰りたいと思っても、心は「帰りたくない」のまま、凍りついてしまっている。子ども自身、困っているのだが、そうなると心の方がなかなか溶けてはくれないのだ。

大人になっても、自分が全く大人らしくなったとは思えない。それを考えると、大人だって子どもの時と同じく、小さなことで心が凍る時だってあるのだと判る。逆に、歳を重ね、様々な経験を積んだ心には、氷の欠片の1つや2つや30個くらいは、もともと刺さっている。その frozen した heart を溶かしてくれるのは、多分、小春日和な友人や家族、そして何よりまずは自分なのだと、右手くんと左手くんと共に日向ぼっこをしつつ考えを巡らせた。

柿をいただく機会が増えました。陽だまりを集めたような色。

びっきーの散歩用の手袋も、一緒に日向ぼっこ。

ドウダンツツジも、小春日和の太陽を浴び、真っ赤に色づきました。

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思わぬお宝

はりきって掃除した。
週末、夫の友人達が1泊で遊びに来る。気持ちよく過ごしてもらいたい。という気持ちもあるが、モチベーションが上がったのは、お医者様の一言である。
「リハビリがんばってるねぇ。すごくよくなってる。画期的だ」
いくつになっても、褒められれば嬉しいものなのだと実感した。それに加え frozen 中の右手くんが、めきめきよくなっているのが自分でも判り、それがまた嬉しい。ステロイド注射も3回目。効果ありだ。
右手くんを傷めてからというもの、まともに掃除らしい掃除をしなかったこともあり、大掃除の覚悟で挑んだことも、モチベーションアップに繋がった。

まずはトイレからと、飾ってある写真立てを持ち上げ、埃を掃った。すると、写真立ての後ろに思わぬお宝が眠っていた。
夏、京都で友人が連れて行ったくれた香老舗『松榮堂』の匂い袋が入っていたビニール袋だ。そのなかには、匂い袋『誰が袖』シリーズをイメージした古今和歌集にある歌がかかれた紙が入っていた。

 
 色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも

思い出した。ビニール袋についた香りももったいないと、トイレの見えない場所に置いたのは自分である。2か月経って、ゆっくりとこの歌を味わえるとは、思ってもみなかった。
しばらく掃除の手を止め、紙にまだ残る香りを胸に落とした。その後、掃除がはかどったことは、言うまでもない。

「ところで右手くん。さっきの独り言聞いた?」
「もちろん。心の底から発した声でしみじみ言ってたよねぇ、左手くん」
「ああ、きれい好きな、掃除上手なお嫁さんが欲しいなぁ」
「お嫁さん、もらったところで破綻するね」「性格の不一致過ぎ」

写真は夫がイタリアで撮ったものです。プリンターの調子が悪くて、
偶然こんな色合いになりました。面白いので飾ることに。
陶器のポプリケースは、結婚祝いにいただいたもの。物持ちいいなぁ。

写真立ての後ろには、この紙がビニール入って置いてありました。

掃除すると、何故か花を飾りたくなります。庭の紫式部。
花瓶に挿している間に実がポロポロ落ち、植物の儚さを感じました。
  
『9』ということは、少なくとも1~8も何処かにあったんでしょう。
和室に移動した、木製のタペストリーの下に隠してありました。
このお宝は、昨年見つけたものです。誰が隠したんだか。

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夜の闇に呼ばれる時

「今夜は、闇が濃いね」「今夜は、けっこう痛むんだ? 眠れないんだね」
「うん。このところよかったんだけど、波があるみたいだ」
「眠れない時ってさ、夜の闇に呼ばれるって言うか、物事、悪い方へ悪い方へ考えちゃうよね」
「全く、その通りだよ。嫌なことばかりが、膨らんで大きくなっていく」
「そんな時にはね、小さな事実を思い浮かべるといいんだって」
「小さな事実?」「うん。実際に起こった、嘘のないほんの小さな出来事」
「羊じゃなく?」「そう。たとえば今日、前を走っている車のブレーキランプが切れてたよね? 教えてあげたいってじれったくなるじゃない、あれ」
「なるねぇ。教えてあげたいのは山々だけど、伝えられないもどかしさ」
「それで、自分はだいじょうぶかなと思っても、それがまた見えないんだよ」
「そうそう。車の姿見とかあるといいよね。美容室で、後ろ姿を確認するみたいにできるとさ」
「それは、大きく出たな、右手くん」「大きいかな? 左手くん」
「もっと小さくいこうよ。たとえば、こないだ電車でしゃっくりしてた女の子がいたじゃん。ワァッてびっくりさせてあげたい衝動に、駆られるよね」
「あれね。けっこう我慢するのたいへんかも。でもさ、電車中の人がいっぺんにワアッて驚かせたら、電車がびっくりして停まりそうだね」
「右手くん、また話が大きくなった」「ごめん。小さくだったね、左手くん」

frozen shoulder(五十肩)になった右手くんが痛まずとも、訳もなく眠れない時もある。子ども達が幼い頃「お母さん、眠れない」と甘えてくることがよくあった。「楽しいことを考えなさい」とか言ったように記憶しているが、今、自分がそう言われても「楽しいこと?」と悩んでしまう。返って眠れなくなりそうだ。それなら、左手くんの言うように、小さな事実を羊を数えるが如く、数えてみるのもいいかもしれない。事実は事実であり、闇に呼ばれ悪い方へと、大きく膨らんでいくこともない。真実の行方を追うこともない。

先週、真夜中に、地震で目覚めると、上の娘が寝室にやって来た。
「地震だね」と、声をかけると「恐い。恐い。恐い」と震えている。
山梨は震度2くらい。東北はどうだろうと心配にはなったが、娘の恐がり方が普通ではなかったので聞くと、
「明日の学祭で『お化け屋敷』やるんだけど、そのメイクとかさっきまで印刷してたら、地震まであって恐くなっちゃった。眠れないー」
自分で企画した『お化け屋敷』で、自分で考えたメイクを友達に教えて印刷し、夜中に恐がっている彼女に、思わず笑ってしまった。笑って「一緒に寝る?」と誘ったがさすがに23歳ともなると誘いにはノッてこなかった。
「楽しいことを考えなさい」とも、わたしも、もう言わず、すごすごと部屋に戻る娘の背中を見守りつつ、くつくつといつまでも笑っていた。

夫のベトナム出張土産は珈琲でした。7粒で1グラム。小さく軽い事実です。

見るからに深煎り珈琲だと思い、アメリカンに淹れました。
夜の闇の濃さも、アメリカンに出来たら、楽しめるかも。

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痛みは形を変えるのか

「時々、恐くなるんだ」「何が?」
「この痛みが、何か悪いものに変わるんじゃないかって」「悪いもの?」
「うん。たとえば、憎しみとか悪意とか。憎しみからは、何も生まれないって、よく言うけどさ、それなのに何故、憎しみが生まれるんだろう」
「だいじょうぶ。痛みを知っている人は、その分だけ優しくなれるって、言うじゃないか。痛みが何かに変わるとしたら、優しさだと思うよ」
「そうかなぁ。なんだか不安なんだよ」
「じゃ、森に行ってみない?」「森?」
「森林浴は、身体のなかのいろいろなものを浄化してくれるって、言うよ。都合がいいことに、森なら、そこらじゅうにあるしね」
「森林浴かぁ。うん、いいかも。森があるし。ところで『森がある』と『盛り上がる』って似てない? 左手くん」
「そのギャグ、『注意して』と『チューして』って似てるねって言うくらい、やばいよ。右手くん」

痛みは、左手くんが言うように、優しさに変わるのだろうか。ずっと痛みが続いていたら、それが何か悪いものに変わっていくんじゃないかと言う、frozen shoulder(五十肩)中の右手くんの不安も判る。
そんな不安と痛みを浄化するために、ただ森を歩いた。
右手くんと左手くんがハマった、くだらないギャグの応酬を聞き流しつつ。

野生のキウイが、たわわに実っていました。鳥が種を運んだのかな?

正体不明のキノコも。毒ありそう~。きのこ図鑑を見ると、
有毒のテングダケ科『タマシロオニタケ』によく似てます。
photo by my husband

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犬も歩けば

「果報は寝て待て?」「それ、逆じゃない?」
「じゃ、棚からボタモチ?」「それも違う感じ」
「犬も歩けば棒にあたる?」「いや、それはマイナスイメージでしょう」
「そんなこともないよ。『犬も歩けば』は、外を出歩くことで、危険なことに会うってイメージがあるけど、幸運に出会うって意味もあるんだ」
「そうなんだ? 知らなかった。それはそうと、よかったね。右手くん」
「うん、なんだか信じられないけど、楽になったよ。ありがとう。左手くん」

先週、雨で迷いに迷った挙句観戦に行ったヴァンフォーレのホームゲームで、ばったり友人と会った。前回の観戦でも遠目に挨拶を交わしていたので、ばったりと言うのも変かもしれない。彼女のご主人は夫のチームメイトだ。ヴァンフォーレの試合で出会う確率は高い。その彼女に世間話ついでに言ったのだ。
「五十肩になっちゃって」すると病院は何処に行ったのかと真顔で聞かれた。
「わたしも何年か前にやったのよ。それが、注射ですぐ治ったの」
「マジ?」「マジマジ!」

昨日、紹介してもらった病院で注射を打ってもらった。
「注射した途端、上がらなかった手が上がるのよ」という彼女の言葉に、
「またまたー」と思っていたわたしだが、注射すると手は上がった。
全くの全快と言うわけには、もちろんいかない。まだまだ不便だし痛みはひいてない。しかし、風呂で髪を洗う時、また洗面所で髪をとかす時「おおー! ここまで届くの?」と感動する右手くんの歓声を聞いた。

外に出れば危険なこともあるかもしれないが、外に出ることで幸運にも巡り合えるかも知れない。右手くんと左手くんの会話に聞き耳を立てつつ、稲刈りの終わった田んぼが広がるいつもの道を散歩した。
インドア派のわたしだが、今度のことで痛感した。人間も歩かないと。
(注)治療の仕方は、人それぞれ。合う方法が見つかるといいですね。

稲刈り後の田んぼと秋の空。
農家さんは、すでに来年のために肥料を撒いていました。

畔、一面にヤクシソウが咲いています。可愛い。

猫じゃらしも、赤くなってきました。

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決して判ることではないと知っておくこと

「痛みについて考える時、思い出す女性がいるんだ」
「もしかしたら、『ねじまき鳥クロニクル』の加納クレタ?」
「うん。ありとあらゆる痛みを背負って生まれた、クレタ」
「やっぱり。僕も骨折した時には、クレタのことを考えたよ」
「痛みというのは、個の存在のなかにあるもので、誰かと比べたりはできないとは思うんだけど、もしクレタのように身体じゅうのあらゆる場所がいつも酷く痛んでそれがいつまで続くか判らないとしたら、ものすごく辛いだろうね」
「全く同感だよ。それに最近考えるんだ。きみの痛みは、僕の想像を遥かに超えているんだろうなって」
「いや、きみは僕のことを判ってくれていると思うよ、左手くん」
「だといいんだけど。まあ同じ、手ではあるからね、右手くん」

frozen shoulder(五十肩)になった右手くんは、整骨院の治療が一段落し、リハビリとマッサージの時期を迎えた。だが、またも夢のなかでソフトボールをアンダースローで思いっきり投げてしまい、よせばいいのに現実世界でも同じ動きをして、真夜中、右手くんの悲鳴に飛び起きる羽目になった。それが丸1日痛み続け、ふたりの会話と相成った訳だ。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)「第1部 泥棒かささぎ編」に登場する加納クレタは、その痛み故に二十歳で命を絶とうとした。しかし未遂に終わった自殺が、彼女の人生を変えることになった。再度自殺を試みようとした彼女は、違和感に思い留まる。長いこと考えて彼女が気づいたのは「痛みがなくなっている」ことだった。

人の痛みというものは、簡単に想像し判ったつもりになったりできるものではない。それは、身体の痛みも、心の痛みも同様だ。人の痛みを想像することは、とても大切なことだと思う。だが、同じ傷でも、人によって痛みは違う。決して判るものではないと知っておくことも、また大切なことだと思うのだ。

半透明のカバーが付いている、美しく分厚い3部作です。
「私はいろんな人たちに、痛みについて尋ねてみました。でも誰も真の痛みがどういうものなのかなんてわかってはいませんでした」
クレタは中学の時に、他の人間には痛みがないことを初めて知り、
生きることの不公平さ、不公正さに衝撃を受けました。
☆Frozen shoulder徒然、カテゴリーに追加しました☆

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右手くん、思いっきり弱音を吐く

「今日は、思いっきり弱音を吐いてみない?」
「負のスパイラルから、抜け出すために?」
「うん。きみはいつも、我慢しすぎていると思うんだ」
「だからって、弱音を?」「そう。たまには思いっきりね。そうだ、あの晴れた南アルプスの山々に向かって『大弱音吐き大会』をしようよ」
五十肩になり何もかも上手くいかないと負のスパイラスに陥った右手くんは、左手くんの言葉に、感極まった様子だ。
「わーん! 痛いよー! ものすごーく痛いんだよー! 痛くて眠れないんだよー、もうやだよー、疲れちゃったよー、うぇーん!!」
「そうか、…… そんなに痛いんだ。我慢してて辛かったね、右手くん」
「へへ。ちょっと恥ずかしいけどすっきりしたかも。ありがとう、左手くん」

五十肩になった右手くんは、自然治癒を待たず先週から整骨院に通い始めた。電気治療を3種類と引っ張ったりねじったり、これがけっこう痛い様子だ。
しかし寡黙な右手くんは、一言も弱音を吐かず我慢している。その姿はいじらしくもあるが、また痛々しくもある。
いつも我慢してしまうタイプの人は特に、たまに思いっきり弱音を吐くのもいいんじゃないかなと、わたしは思う。晴れた南アルプスの山々に向かって『大弱音吐き大会』企画したら、人、集まるかなぁ?

昨日は朝冷え込み、南アルプスの山々がくっきり見えました。
ごつんと丸い真ん中の山が甲斐駒ケ岳。うーん、秋の空。

八ヶ岳も、深呼吸でもしているかのように気持ちよさそうに見えました。
ケータイで撮っても、このくらいは綺麗に撮れるほど空気が澄んでいました。

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右手くん「ちょっといいこと」を数える

「今日は『ちょっといいなと思ったこと』を数えてみない?」と、左手くん。
「負のスパイラルから、抜け出すために?」とは、右手くん。
「うん。ちょっとだけってとこが大切なんだ。大きないいことじゃなくてさ」
何もかも上手くいかないと落ち込んでいた右手くんは、少し考えて言った。
「トマトを切ったんだ」「うん。包丁は、きみの担当だもんね」
「トマトを半分に切ると、両側にひらく感じで割れるだろう?」
「割れるねぇ。桃太郎の桃みたいに、パカッとね」
「そうそう。桃太郎の桃! あの瞬間が、たまらなく好きなんだよ」
「うん。確かにあれ、面白い」
「今日は、皮がささくれることなくスパッと切れて、まな板からも落ちなかった。熟しすぎてもいなくて固くもない、綺麗なトマトだったよ」
「いいね! それ、完璧な『ちょっといいこと』だ」
「なんだか元気が湧いてきたよ、左手くん」「うん。よかった、右手くん」

いまだ右手くんは、負のスパイラルから抜け出せないでいる。五十肩は、出口が見えないだけに、彼のダメージは相当なものであったと考えられる。
夢の中で何かを拾おうと、つい現実世界で手を伸ばしてしまった右手くんの悲鳴に、目が覚める夜もある。
しかし人生いつもいつも順風満帆のはずもない。追い風はなくとも、嵐の波に飲まれたというほどの出来事でもなく、どちらかと言えばこれは、凪なのだと考える。帆に風を受け前に進むことはないが、広がっているのは静かな海だ。
心配した義母が、メールをくれた。
「気づかずにムリをしてる時には、身体がストライキを起こすものだ」と。

凪は「和ぎ」とも、かき、気持ちが和むという意味も持つ。
ストライキ中(?)の右手くんには、ゆっくりと休んでもらい、わたしはわたしで、凪の時間を楽しもうと思う。

「おぎゃあ!」いやいや。トマト太郎は、さすがに生まれませんでした。

トマトとインゲンの雑炊は、夏の味。
とろっとした卵を、軽く混ぜて食べるのが好きです。
玄米を混ぜたので、ぷちぷち食感も楽しめました。

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右手くん、負のスパイラルに陥る

「負のスパイラルに陥っている。何もかもが上手くいかないんだ」
「だいじょうぶだよ。僕がついてるじゃないか」
「自分のダメさ加減が身に沁みるよ。僕の役割まで、きみに負担させてしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」
「いいんだよ。おたがい様じゃないか。今まできみがどれだけしんどい思いをして働いて来たのか、僕にとっても考えることの多い日々だよ」
「すまない、左手くん」「ほんと、いいって、右手くん」

整形外科で右肩を診てもらい、五十肩と診断された。判ってはいたが、はっきり言われると応える。
「痛いのって切ないよねぇ」とお医者様。
「切ないですねぇ」と、わたし。切ないのだ、本当に。Tシャツを脱ぐだけで、シートベルトを締めるだけで、寝返りを打つだけで痛さに顔をゆがめる。
冷やさない。使わない。治療法はそれだけだそうだ。サポーターと温湿布を買い、ノースリーブをやめた。風呂で温め、料理には生姜を使うようにした。それで少ーし楽になった。左手くんが、がんばってくれている。不器用に浴槽をこすり、不器用に食器棚の皿に手を伸ばし、不器用に、不器用に。

ハハハと笑えば8×8=64。シクシク泣けば4×9=36で、足すと100になると言った人が居たそうな。笑うのが64%泣くのが36%。それが人生だと思うとだいぶ楽になる。
五十肩なんか、ハハハと笑って乗り切る64%のうちかな。
   
スパイラル=螺旋ということで、
ガウディが手掛けた『バトリョ邸』の螺旋階段。
何処までも上って行きたいような、何処までも落ちていきたいような。
でも五十肩って、ひねると痛いんだよね。
螺旋階段見てるだけで、ズキズキと痛むような。

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毎日は、小さな大切なことで満ちている

移行した。びっきーに引っ張られ、半年以上前に痛めた右腕と右肩。重いものを持つにはあまり不便を感じなくなったのだが、Tシャツを脱ぐ際や、右側の物を取ろうとした時、友人に手を振ろうと上にあげた時などに、酷く痛むようになったのだ。それは、腕を抱え、しばらく動けないほどの痛みである。もしやとは思っていたが、これぞ噂の五十肩。痛めた時には、左手をやった時と同じくテニス肘で、1年騙し騙し使えばよくなるだろうと高をくくっていた。まさか、五十肩に移行しようとは。

一番困るのが、風呂の水を替えて洗う作業だ。料理や洗濯は、気をつけてさえいれば、難なくこなせるが、手を伸ばしスポンジで風呂場から浴槽を洗うのは左手では上手くいかない。痛いなぁと思いつつやっていた。
ところが昨日、発見した。浴槽の中に入ってしゃがみつつ洗えば、左手でもしっかりと洗えるのだ。目から鱗である。

簡単なことだが、こういう工夫が大切なんだよなぁと、風呂を洗いつつ考えた。数年前にひざの手術をした義母も、毎日を工夫し生活しているのだろうと想像した。日々の生活は、少し見方を変えてみるだけで、小さな発見に満ちているのかも。小さなことだけど、大切なことだ。

先日ランチした友人に、どうも五十肩のようだと言うと、肩甲骨の内側の筋肉を鍛える体操を教えてくれた。
「こんな簡単なことで、こんなに楽になるなんてって驚くほど効いたのよ」
と、彼女。小さな工夫。小さな発見。簡単な体操。毎日とは、小さな大切なことで満ちているのかも。

ランチの後、友人が博物館で見つけたと言って、プレゼントしてくれました。
小さなはりねずみが、こんなに嬉しいなんてと自分でも驚くほど嬉しかった!
小さな発見にも、小さなプレゼントにも、
感じる心は、宇宙ほども大きくなったりするものです。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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