はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16

トリュフ塩が、腑に落ちない訳

『トリュフ塩』なるものを、いただいた。
上品な箱に入った、その塩は、瓶を開けた途端、キッチンじゅうに広がる個性強い匂いを持っていた。
「これ、少な目に使った方がよさそうだよね?」と、わたし。
「そうだね」と、夫も同意した。それだけ強烈な匂いだったのだ。

夕飯のポークソテーを、トリュフ味で楽しもうと、相談はまとまっていた。
ところが、焼いた豚肉を食べてみると、トリュフ味というには、匂いほど味がしない。匂いもかなり柔らかくなっている。ただ、肉の旨味がいつもより増し、美味しく感じた。
「うーん。美味しい! いいかも、これ」ふたりで、そう言いつつも、
「でも、ちょっと足りなかったのかも知れないね」と、
皿にトリュフ塩を少し盛り、焼いた肉につけて食べてみる。
「うーむ、やっぱ、じゅうぶん塩味足りてるし、そのままの方が美味い」
美味しいんだから、いいじゃん、と思う気持ちと、トリュフを味わいたいという気持ちが、両天秤にかけられ、揺れ動くなか、その日の夕食は終わった。

さて、リベンジ。全く違う料理に使おうと、レシピを検索した。
卵料理レシピが多く、シンプルにプレーンオムレツに使ってみる。
「美味しいね」「トリュフ塩の味だね」と、美味しくいただく。

シンプルな料理に合うのは判ったが、それにしてもこれはシンプルすぎるんじゃない? と疑問符が浮かぶようなレシピも発見した。
冷奴に、トリュフ塩をかけるだけというものだ。またこれが、美味かった。トリュフの味も、ようやく舌に馴染んできた感じがする。

しかし、何か腑に落ちない。何だろう。いったい何なんだろうか、と考え、ぽんと手を打った。
「そう言えば、トリュフ。まともに食べたことないじゃん!」
全く、腑に落ちない訳である。舌に馴染んできたのはトリュフの味ではなく、トリュフ塩の味だったのだ。世界三大珍味という、あまりに有名な食材だったため、勝手に創りあげたイメージが、自分のなかにできあがっていたが、じつはそれは未体験の味だったのだ。
これはもう、ぜひぜひ、トリュフ、食べて見なくっちゃ。

化粧品かと勘違いしそうな雰囲気の、お洒落な箱に入っていました。

ポークソテーは、蓮根やオクラなど、炒め野菜と盛り合わせました。

見た目は、ごく普通のプレーンオムレツ。が、一味違います。

山芋とオクラをのせて、わさびで、&トリュフ塩味だけのもの。
やっぱり薬味はのせたほうが、トリュフ塩バージョンも美味しかったです。

拍手

ブルスケッタに祈りを込めて

朝日新聞の生活欄に載っていたレシピを見て、夫が言った。
「今夜は、ブルスケッタにしよう」
新聞をのぞきこんで「いいね」と、わたし。
「ワールドカップ、日本戦の前祝いってことで」と、夫。

夫は、昨日のワールドカップ1次リーグでのスペイン大敗を気にしてか、スペインワインを何本か買い込んだ。
カリッと焼いたフランスパンに、野菜や魚などをのせるブルスケッタ。具は3種類、用意した。茹で卵はイタリアンパセリとマスタードが効いた荒みじん切り。トマトはすりおろしたニンニクと刻み玉葱を、オリーブオイルで和えて。鯛は白ワインビネガーとオリーブオイル、パセリとピンクペッパーで飾る。

自画自賛になるが、ひと手間かけた料理は美味しく、ワインも進み酔っぱらった。酔いつつ、ドラマなど観つつ話していた。何故そういう話になったのか。
「あの歌、なんだっけ?」と、夫。
♪ いつものように 幕が開き ♪
「ちあきなおみ、だよね」と、わたし。
母の十八番なのだ。わたしが小学生の頃、よく歌っていた。今年80歳になったが、最近でも歌っているのだろうか。
「うわっ、タイトル思い出せない」夫が、頭を抱え始めた。
「惜別とか? 黒い縁取りの手紙? うーん、違うな」一緒に頭を抱える。
頭を抱えつつ、ふたり歌う。
♪ あれは3年前 とめる あなた 駅に残し ♪
検索すれば、すぐに答えは出てくるだろう。だが、夫は拒んだ。ふたりあれこれ言いつつ、無駄に時間を過ごし、半時間ほど経っただろうか。
「喝采!」夫が言った。「喝采だ!」わたしも、声を上げた。

本日の日本初戦。テーマはもちろん『喝采』だ。がんばれ! 日本!

イタリアでは、トマトやレバーペーストのブルスケッタがスタンダード。
スペインではピンチョスと呼び、種類豊富な具に爪楊枝を刺したものが、
北のバスク地方で、よく出されるタパス(おつまみ)だそうです。

茹で卵には、イタリアンパセリ。トマトにはバジル。
庭のハーブ達、大活躍。昨日、オレガノの苗も買ってきました ♪

拍手

どっちでもいい母娘?

失敗続きである。
生協で届いた、初物のアスパラガスを、嬉しくいただいた。
「北海道の、よなろ産だって」と、わたし。
「よなろ? そんな地名聞いたことないけど」と、夫。
「あ、なよろ(名寄)だった」夫は、呆れ果て、苦笑するのみだ。
「漢字で、かいてよ、漢字でさぁ」と、八つ当たりするしかない、わたし。

また、中華料理を食べた時のこと。
「あ、美味しそうな、しんてん!」と、わたし。
「てんしん(点心)だろ!」今度ばかりは、笑いをこらえられずに夫。
ウエイターさんも、笑いをこらえている。
「ほらー、わたしのひと言で、場が和むじゃん」苦笑しつつ、わたし。
和ませる必要もない、夫とふたりの食事だったが。

空港と航空も、よく間違える。羽田こうくう、と言ったりする。
カルボナーラをカルボラーナと言ったりもする。今こうして、かいていても、どちらが正解なのか判らなかったりもする。
原因は、はっきりしている。
「判ればいいじゃん、どっちだって」という、性格から来ているのだ。

「全く、あいつの母親だよなぁ」と、夫が上の娘の名を口にする。
「一緒に、しないでよ」と言いつつ、
「全く最近、彼女に、似てきちゃったよなぁ」と、こっそり思う。
外科を「がいか」と読んでいたのも、破傷風を「はふうしょう」と読んでいたのも、上の娘24歳。昨年23歳の時である。
そして、考える。これって、わたしが娘に似ているんじゃなく、娘がわたしに似ているのか、と。まあ、それこそ、どっちでもいいことなんだけど、と。

硬めに茹でて、マヨネーズで食べました。日本酒にも合います。

いただき物の秋田の日本酒『福小町』だって、ひらがなでかいてあったら、
『ふくこまち』いや・・・読み違えようがないかも(笑)

点心って、なかの熱々スープが美味しいんですよねぇ ♪
下のオレンジ色、タレのように見えるでしょ?
これが、人参の薄切りを、柔らかく茹でたもの。
まず目で味わうために、手をかける大切さ、感じました。

拍手

熊の胆を飲み、海老のように背中を丸めて

熱海から船に乗って、初島に来ている。
土砂降りであるが、それはいい。庭に残して来た植えたばかりのドクダミを思うと、雨を見つめる目も優しいものとなる。人の心理とは不思議なものだ。

だが、そんな心持ちと身体とは連携していない部分も多く、船酔いした。たった23分の船旅。何度か訪ねた初島行きの船で、これまで酔ったことはない。波は高く揺れも激しく外を見てもつまらないので夫のスマホをいじっていた。
「スマホなんか、いじってるから」と、夫。「スマホの、ばか」
返す言葉も、無意味で弱々しい。ホテルに着いた途端、ベッドに横になった。横を向き、海老のように背中を丸める。

「海老みたいに、背中を丸めて寝ていればだいじょうぶ」
とは、幼い頃、よく聞かされ元看護婦だった母の言葉だ。
小学生の頃、原因不明の胃痛によく悩まされた。お腹をこわしている訳ではなく、ただただ、胃が痛いのである。
そんなわたしに、母は、決まって漢方薬『熊の胆(くまのい)』を飲ませた。富山の薬屋が持ってくる胃薬で、黒く四角く匂いのきつい錠剤だ。
『熊の胆』を飲み、海老のように丸くなり、半日眠る。すると翌日にはもう、すっかり元気になっている。
中学に上がってからは、それもなくなった。いったい何だったのか今でも判らない。煎餅布団に横になり、胃は熊で、背中は海老になった自分を、静かに受け入れる時間。そういう時間が必要だったのかも知れない。ストレスだとか、学校で何かあったとか、今の時代なら原因究明をするだろう。そんな詮索もなく、ただ眠ることで回復した。いい時代だったとも言える。
価値観の違いに反発することが多く、影響を受けまいと思ってきた母。だが、大人になった今でも自分のなかに母の言葉が残っていることを感じる瞬間は少なくない。家族とは、否が応でもたがいに影響し合う存在なのだ。
25歳で母親になった時、子どもが自分などの影響を受けることに、突然恐怖を感じ、途方に暮れたことを思い出す。その途方に暮れた日々さえ、どうやって超えて来たのか思い出すこともできないほど、遠くなってしまった。

海老になり1時間眠ると、夫が風呂から上がってきた。
気分はすっかりよく、ゆったり風呂につかり、夕食には美味しくビールの飲んだのだった。めでたしめでたし。

前菜盛り合わせは、海の味、いっぱいでした ♪

刺し盛りいろいろに、生芝海老がのっていました。
「丸まってるなぁ」と思いつつ、いただきました。

あわびが効いた熱々海鮮グラタンと、さわらの西京焼き。
ちょっと日にちは過ぎたけど、夫の誕生日を祝って、乾杯!
夫は日本酒、わたしはビール。お酒も、ほろほろと進みました。

初島でもドクダミが、しっとり雨に濡れていました。

拍手

みりんは、年齢確認が必要な商品か?

末娘は、かたくなに「みりんは、買えない」と言い張っている。
まだ19歳。未成年である自分は、アルコールが多く含まれるみりんを、買うことはできないのだと。
故に「みりん送ってー」とメールをよこすのだ。
19歳。大学2年。ひとり暮らしの女子が、肉じゃがやら鳥の照り焼きを作るのに、みりんを買って、咎められる訳がない。もちろん、レジに持ち込んだ途端、警官に取り囲まれ手錠をかけられるなんてことは、起こるはずもない。
「ためしに、買ってみればいいじゃない」
そう言って聞かせるのだが、彼女は、断固として「みりん購入は、できない」と言い張るのだ。

そして「スパゲッティとハヤシライスのルーもほしい」と、メールは続く。
みりんのみ送るのはばかばかしいので、リクエストの他にも、菓子やら紅茶やらドレッシングやら読み終えた本やら、箱いっぱいに詰めて送ることになる。
「さすが、さは! ほしいものばっかり! ありがとー」
久々に彼女が小学生の時につけたニックネームで呼ばれ、嬉しくなる。

しばらくすると、今度は「お米送ってー」と、メール。
米は家族の1年分、玄米で買ってあるので精米し、また送るのだが、ついつい他のものも入れてしまう。それを繰り返して、1年と少し経つ。10月には彼女も二十歳になり、晴れてみりん購入が可能になるのだ。感慨である。
「でもさ、どう考えても、みりん買えるでしょ」
そう思いつつ、甘え上手の末娘に、してやられている。うーむ。
  
みりんのアルコール分は、9.5% 赤ワイン、14.5%
まじまじ見て、笑っちゃいました。『こってりん』このネーミング!

夫が最近飲んでいる、スーパードライプレミアムは、6%
わたしの、のどごし生は、5% うーん。みりんより少ないぞ。
みりんは、そのまま飲まないけどね。

我が家の肉じゃが味つけ比率は、砂糖2みりん2薄口醬油4です。
末娘は、味つけ、どうしてるのかな?

拍手

ドラマのなかの料理

池井戸潤原作ドラマ『花咲舞が黙ってない』を、毎週見ている。
『半沢直樹』の女性版ともうたわれた、銀行モノだ。ドラマは1回ずつ完結の水戸黄門的、正義はスカッと勝つしかないぞストーリーで『半沢』よりも軽く、コメディタッチで描かれている。
臨店勤務となった主人公、花咲舞(杏)と、出世コースを外れたベテラン行員相馬(上川達也)は、問題の起こった支店に足を運び、指導するのが仕事だが、行く先々で問題の根源となる隠された事件を解決していく。出世や金にしか頭にない支店のトップ達を斬っていく訳だから、爽快だ。

「でも、ちょっと飽きたかな」と言ったのは、夫だった。
まあ毎回、同じようなストーリーだとも言えるわけだから、彼がそういうのも判らないでもない。だがわたしが、このドラマで一番好きなシーンは、ストーリーとはまるで別のところにある。

舞の父親(大杉漣)は、男手ひとつで舞を育て上げ、脱サラ後、小料理屋を営んでいる。大杉漣の優しい笑顔もいいが、料理がいい。高級なものではなく、カブの煮物や、海老しんじょなど、手をかけ、食材を厳選したという感じの日本の家庭料理だ。上司の相馬はバツイチの独り者。支店へ向かう際にも、昼食の店を調べて出かけるほどの食通だ。彼は、舞の父親の店の常連客でもあり、料理をつまみながら、3人で会話するシーンが当然多くなる。そのシーンが大好きなのだ。

「豚肉の塩麹漬け、山椒風味だよ。花咲舞の料理見てアレンジしてみた」
「そんなん、ドラマに出て来たっけ?」夫とは、やはり目線が違うようだ。
『ごちそうさん』は終わったが、杏と料理はドラマのなかで、いまだ共演している。ただし舞は、料理は、からっきしダメという設定だが。

しっかり塩麹に漬かった肉に、山椒のぴりり。
肉の塩味だけで、オニオンスライスもたくさん食べられました。

もう茎はかたくなって口に残るので、葉を千切ってパラパラとのせて。
千切る時に、食卓じゅうに、香りが広がります。

庭の山椒の葉はのびのびと大きくなり、たくさん実をつけています。

今年は、嬉しいことに、新しい芽を2つ発見しました ♪

拍手

マイブームは、お茶漬け

「びっくりした?」とは、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』に登場する殺し屋キルオの決めゼリフだが、それとは全く関係なく、びっくりした。

「こ、これは!」お茶漬けを、久しぶりに食べ、頭の上に、びっくりマークがポンッと3つほど、浮かんだのである。
感動すらしていたのだが、新宿でのランチ。声には出せない。
「確かに『さらさら』この擬音を表現するには『さらさら』しかない!」
『お茶漬けを、さらさら食べる』
この言い回しを、最初に思いついた人は、うーん、偉大だ。

ランチはお茶漬け膳で、しっかりおかずがついていて、まず、ご飯を普通に食べ、2杯目はお茶漬けでどうぞ、との説明を受けた。茶漬けにする際のトッピングも、6種類から2種類選べ、鰹節、焼き海苔、あられ、わさびはテーブルにあって、使い放題というお茶漬け中心の店。
そこで、蛸わさびと高菜漬けをのせ、お茶ではなくポットの熱い鰹だし汁を注ぎ、食べた茶漬けが、まさに『さらさら』だったのだ。

それから、おうちランチは、お茶漬けがマイブーム。インスタントだが鰹だしをかけ、最初はあるもので適当に作っていたが、だんだん凝って来て、買い物中も頭の片隅にはいつもお茶漬けが、でんと居座っている状態だ。
「オクラ入れたら、美味しそう。昆布とシジミの佃煮もいいな」
浮かれて、夕食のカレーの肉を買い忘れるほどの、力の入れようである。
♪ さーさのーは さーらさら ♪
季節を先取りして歌いつつ、ひとり茶漬けの準備をする幸せ。
春の小川の季節は、さらさらと駆け足で、いつのまにか過ぎて行った。

新宿ルミネエスト『こめらく 贅沢なお茶漬け日和。』にて。
メニューは、種類も豊富でしたが、茄子好きのわたしは、当然、茄子。

使い放題と言われると、たくさんのせたくなります。貧乏性?

あるもので、簡単茶漬け。梅干し、紫蘇、茗荷、鰹節、焼き海苔、木の芽。
庭の木の芽は、一番美味しい季節は過ぎたけど、まだまだ毎日食べています。

お茶漬け用に買った、しらす干しと桜海老を入れた、豪華バージョン。
オクラを入れると、粘り気が出て、それはそれで美味しいんだけど、
さらさら、という擬音とは違った感じになりますね。
わさびは、お刺身についているものを、いつも保存してあって、
思い切って一袋入れちゃいます。辛さも風味もほどよく魚類と相性ぴったり。

お昼、お茶漬け一杯で済ませると、4時頃もうお腹減っちゃって、
じゃあ、おやつにお茶漬けを、ってこれ、太りそう(笑)
超簡単バージョン。昆布とシジミの佃煮に、三つ葉と煎り胡麻のみで。

拍手

タラの芽のクリームパスタ

タラの芽を、大皿に一杯いただいた。家庭菜園を趣味とする近所の方からだ。
タラの芽に種類があることすら知らなかったが、我が家の棘があるものと違い、棘なしのタラの芽だ。だが、灰汁(あく)も苦みも濃く、天麩羅にするとこの上なく美味い。味が濃いのだ。

しかし、天麩羅では、こんなにたくさん食べられない。試しに味噌汁に入れてみたが、夫には不評だった。
「苦いね。好んで食べたいと思う味じゃないな」
そこで、今度は湯がいて水にさらし灰汁を抜き、マヨネーズと胡麻しゃぶのタレで食べてみた。
「うーん。やっぱり苦みが強すぎる」好評、とまではいかなかった。

すると、夫が思い出したという。
「前にイタリアンの店で食べた、タラの芽のパスタ、美味かったんだよね」
クリームソースだそうだ。こういう時こそ、頼みはネット。だが検索するも、タラの芽のパスタでヒットするのは、ペペロンチーノ味ばかり。
どうしたものかと迷ったが、こういう時こそ、いつもの口癖が出る。
「まぁ、いっか。タラの芽のクリームパスタ。作ってみようじゃないの」
鶏肉も食べたいという夫の提案も取り入れ、鶏肉とシメジとタラの芽で、クリームパスタを作った。だが、仕上げに灰汁抜きしたタラの芽を入れようとした、その時。夫が「あっ!」と声を上げた。
「ごめん。あれ、ふきのとうのクリームパスタだった」
「えーっ、どうするよ」ふたり、顔を見合わせるが、お腹も減っていた。
「えーい、ままよ」(これは、死語でしょうか)
刻んだタラの芽を入れ、ひと煮立ち。かくして、タラの芽のクリームパスタは完成した。そしてワインを開け、恐る恐る食べてみると。
「美味い! イメージ通りだ」と、夫。
クリームソースに苦みは緩和され、主張のやわらかい旨味となっていた。
「きみって、すごいね! リクエスト通りに、何でも作れちゃうなんて!」
パスタを頬張りつつ、夫。大げさだなと思いつつも、嬉しくなる。
彼は、こと料理に関しては、褒め上手上級者だ。嘘はつかず、本当に美味しいと思った時にだけ、必ず「美味しい」と言う。それもオーバーアクションで何度も言う。実は、わたしの料理の腕は、彼のこの姿勢と言葉に育てられているのではないかと思うほどに。
たかが『タラの芽パスタ』されど『タラの芽パスタ』
美味しいものは、食卓に平和と笑顔をもたらすのだ。

味噌汁などに使っても、まだこんなにありました。
「いただいたタラの芽、すごーく美味しかったです」と、
わたしも夫を真似て、ご近所さんに言った結果が、これ(笑)

マヨネーズも胡麻しゃぶのタレも、合いますが、苦味は強いです。
日本酒の肴としては、いい感じかも。

クリームソースは、レンジでチンの栗原はるみレシピです。
手軽に作れて、シンプルな美味しさ。タラの芽にぴったりでした。
固めに茹でれば、ワインを開けた頃、ちょうどアルデンテ ♪

拍手

こうもり、アベック、パーマ屋さん

2年ぶりである。何が? 酒など見たくもないほどの二日酔いが、だ。
気が置けない友人5人での女子会で、大いにしゃべり、大いに笑い、大いに飲んだ。大いに大いに飲み過ぎた、のである。生ビールをチェイサーに、白ワインを飲んではいけない。そんなことも忘れるほどに、楽しくいい酒だった。
当然、記憶も途切れ途切れ。だが、友人が発した「パーマ屋さん」という言葉の甘い響きは、しっかりと残っている。

「この間、西麻布のパーマ屋さんに行ってさぁ」と、友人。
「パーマ屋さん?」「懐かしい響きだぁ」「いいなぁ、西麻布」
みな、口々に勝手なことを言い、彼女の話は、一向に進まない。

「えーっ、パーマ屋さんって、そんなに可笑しいかなぁ?」と、彼女。
「それ、カップルをアベックって言うのと、同レベルだよ」
「普通、美容室とか言うよねぇ?」「懐かしい響きだ」「やっぱ西麻布だよ」
話し進まず、酒のみが進む。

「いいじゃん、パーマ屋さんで。だからぁ、パーマ屋さんに、行ってさぁ」
「はいはい。パーマ屋さんね」「懐かしい響きだぁ」「西麻布のね」
いったい何を、しゃべっていたのやら。とにかく明るい色に染めた彼女の髪はとても素敵で、照れ臭そうに「パーマ屋さん」を連発するのがレトロ可愛く、5人、大いに笑ったのだった。その「パーマ屋さん」の懐かしくも甘い響きにやられ、大いに、全くもって大いに、酔っぱらってしまったのかも知れない。

翌日、二日酔いで立ち寄った駅ナカの蕎麦屋。ぼんやり、かけ蕎麦をすすっていると、レトロな言葉が、頭痛の波と共に流れていった。
「チャックはファスナーで、ズボンはパンツ? スパゲッティはパスタで、デザートはスイーツ。バナナは、おやつに入らない」
崩壊寸前である。その時だった。隣に座った70代だろうか、男性が、立ち上がった他の男性に、声をかけた。
「おう、だんな。こうもり!」
声をかけられた男性は、足元に忘れた傘を持ち、頭を下げた。
「かっこいい!」崩壊寸前の頭に、メスを入れられたような痛みが走る。
こうもり、アベック、パーマ屋さん。レトロな言葉って、時に可愛く、かっこいいものなのだ。

所用で出かけた九段下の帰り道、千鳥ヶ淵を散歩しました。

ツツジもほとんど終わっていましたが、気持ちのいい春の日。

青々とした銀杏からこぼれる、太陽の光。散歩日和でした。

女子会は、飯田橋のイタリアンで。なのに、ギリシャのワイン(笑)

あー、これ食べたの、覚えてない! 悔しい!(笑)

拍手

にごれる飲みて、しばしなぐさむ

夫が出張土産にと、長野は佐久のにごり酒を、買って来た。
青く細い瓶もお洒落な、その名も『藤村のにごり酒』
島崎藤村が佐久を訪れた際に、かいた詩の一節が、ラベルにかかれている。

千曲川 いざよう波の 岸ちかき 宿にのぼりつ
にごり酒 にごれる飲みて 草枕 しばしなぐさむ

「にごり酒、昔は、苦手じゃなかったっけ?」夫に聞くと、
「何年か前に飲みに行った店で、にごり酒を熱燗で出してくれてさ、まさかと思ったんだけど、それが美味かったんだよね」と、夫。
「ふうん。酒との出会いもまた、ドラマなりだね」
よく冷えたにごり酒は、フルーティーで、美味かった。

「濁る」という言葉は、悪い意味で使われることが多い。心が濁る、などは辞書を引くと「精神が健全ではない。けがれる」と、手厳しい。
「でも、濁るって、いろんなものが混ざってるってことなんだよなぁ」
にごり酒に、ほろほろ酔い、考えた。
手元の、山のグラスを見る。底を山型に削ってあり、それが曇りガラスとなっていてまるで雪山のように美しく見える。
「曇る」も、目が曇る、などと使われるが、透明な部分と曇った部分のコントラストが、このグラスの命だ。
濁るのも、曇るのも、時にはよしかなと、濁れる酒に、しばしなぐさんだ。

「飲みすぎ注意」と牽制しつつ、ふたり酔っぱらいました(笑)

旅して、詩をかくって、素敵だなぁ ♪ 憧れます。

何年か前にふたりで安曇野までドライブした時に、気に入って購入しました。
手作りで、オウトツをつけて削ってあるところが、本物の山っぽい!

拍手

後の祭りだからこそ、言える?

ギックリやってしまった。腰である。
いつも通りに朝起きて、朝食にキャベツをバターで炒めていた。味付けは塩胡椒。シンプル・イズ・ベスト。そして、毎朝のことながら、クシャミをした。花粉症の方に敬意を払いつつ、いまだ発症しないわたしだが、胡椒でクシャミは、朝の日課である。3回立て続けにクシャミして、違和感に気づく。
「あ、やっちゃったかも」これまた朝の日課でストレッチする、夫に言う。
「腰。やばいかも」前屈していた夫が顔を上げ、振り向く。
「と、とりあえず歩けるから、重症じゃないみたい」
味噌汁も完成し、ご飯も炊け、お茶も濃く急須に入っているし、キャベツとウインナも炒めてある。あとは目玉焼きを焼くのみ。
「俺が、焼くから」と言う夫に目玉焼きを任せ、椅子に座る。
落ち込んだ。朝食後、コンディションを取り戻すようイメージしつつ、歩いて休み、歩いて休み、落ち込んでは休みした。

「あーあ。連休中、庭の草取りもしたかったし、花も植えたかったし、寝室の大掃除もしようと思ってたのに」
ぼやいてみて、自分で笑った。ぎっくり腰にならなかったら、果たして、そんなことを真面目に考えただろうか。後の祭りだからこそ、突然連休が惜しく思えたりするんじゃないんだろうか。
「いやいや。ほんとにやろうと、思ってたんだから」
またしても自分に言い訳しつつ、ベッドでごろごろ本など読み、そんな連休もまたよしと、何故か穏やかな気持ちになるのだった。

我が家の超スタンダードな、朝ご飯。納豆もたまに登場します。

卵ふたつ分の目玉焼きを焼くのに、丁度いい大きさのフライパンで。

このフライパン、けっこう重宝しています。アサリのワイン蒸しも、
海老のアヒージョも、いつもこれで作って、そのまま食卓に。

「歩いた方がいいよ」と腰痛歴の長い夫に言われ、歩いていたら、
なんとコシアブラを、ゲット! 腰痛も歩けば、コシアブラに当る ♪

拍手

ノビルは『ジャックと豆の木』の如く

ノビルを、収穫した。と言っても、庭の草取りをしていて抜いたら、ごそっとノビルの白い根が、眩しく光っていただけのことだ。
あっちにもこっちにも、伸びているノビル。いくら美味しく食べられると言え雑草の如く扱われるのは、仕方のないこと。それも抜くと根っこが土に残ることも多く、シャベル等で丁寧に収穫しなくてはならず、普段はそこまでしないのだ。「たまには、食べてよ」とノビルの方も思っていたのかも知れない。

最近ハマっている、茹で卵ディップのレシピに使うことにした。いつもはエシャレットを使うのだが、ノビルで春の庭の味を楽しむのもいい。

場所を問わず「伸びる」雑草の代表格として『ノビル』と名づけられたのかとばかり思っていたが『蒜(ひる)』と呼ばれる葱やにんにくなど辛みを持つ野草に分類され、野に生息するから『野蒜』と名付けられたのだそうだ。

茹で卵ディップは、いつになく不思議と美味しかった。ノビルの辛さはエシャレットよりは優しく、自己主張なく、そこに収まっていた。
夫とわたしは、ノビルの味を探しながら、ワインを飲んだ。
「今、ノビルの味がした」「あっ、ほんとだ!」
思い出していた。子どもの頃、東京は板橋の畑のあぜ道で摘んだノビル。結婚し何年かして住み移った川崎のマンションの庭で、子ども達と摘んだノビル。ノビルは『ジャックと豆の木』の如く記憶のなかをどんどん伸びていく。
空を見上げ、伸びゆくノビルを探すかのように、その味を探しつつ、ワインを飲むのもまたよし、と昨夜も酔っぱらっていったのだった。

収穫は大漁でも、料理するのは細かい作業。大変です。

それにしても、綺麗に輝く白だなぁ。

庭のイタリアンパセリもたっぷりと、刻みました。

ワインが進む『肴』代表的な、カナッペです。

拍手

はかなき夢のカフェラテアート

『ブラック・アンド・タン』が上手く作れず、ドリンクアートの難しさを知った。なーんて、そんなに簡単に作れる訳もなく、やっぱ、プロに作って出してもらうのがいちばん。と、どういう脈絡なのか自分でも計りかねるのだが、カフェラテアートを飲みに行くことにした。

セルフサービス形式の気軽な雰囲気で、お手頃ランチも食べられ、淹れるところを見せてくれる店が新宿にある。
観ていたら、エスプレッソに泡立てたミルクを注ぐだけ。に、見えるのだが、みるみるうちにカップのなかに、波紋が広がっていく。そこにラスト一文字に切るように細く注ぎ入れ、出来上がり。見るだけなら簡単だが、これは作れないと実感した。
「プロにしか作れないものを、楽しむ贅沢。ふふ」
ゆっくりとテーブルに運び、アートが壊れないようにそっと置く。さて、座って写真を、と思った途端だ。膝をテーブルにぶつけ、カフェラテがソーサーにこぼれるのが、スローモーションで見えた。
「嘘」ひとりつぶやくが、もちろん嘘ではない。
カフェラテアートは、はかなき夢の如く、一瞬にして崩壊した。
「ごめんなさい」全く誰に、謝っているんだか。
口をつけたカフェラテは、とても美味しかった。濃いエスプレッソと泡立てたミルクのきちんとしたカフェラテなど、本当に久しぶりだったと気づく。大抵は、アメリカンをブラックで飲んでいる。その方が外れがないからだ。

意を決し、おかわりすることにした。おかわりだからか、ハートをプラスしてくれた。今度こそ、一瞬の夢には終わらせない。こんなに慎重に椅子に座ったのは、生まれて初めてかも知れない。そして2杯目のカフェラテは、わたしがサンドイッチを食べ終わるまで、カップのなかで静かにハートを浮かべてくれていたのだった。
いやぁ、緊張した。こんなに緊張して珈琲を飲んだのも、また、生まれて初めてかも知れない。いまだ、夢だったのではと思うほど、不思議な時間だった。

心静かにいただいた、2杯目のカフェラテ。

スモークチキンとパプリカのベーグルサンドも、美味しかった!

店の入口には、大きな珈琲焙煎機がありました。美味しいはずだよ~。

新宿西口、野村ビルB1F『Paul Bassett』レストランと併設されています。

拍手

薬味、大好き

『薬味』が、好きだ。
葱も茗荷も紫蘇も、生姜もわさびもにんにくも、柚子も三つ葉も木の芽も、七味唐辛子も山椒の水煮も、自己主張の強い薬味達の味が、大好きなのだ。
隠し味と呼ぶには、全く隠れる気配もなく、堂々と頂にのっかっている様も、またいい。冷奴に、ちょこんと座るようにのった茗荷と生姜と鰹節の姿に、ほれぼれする。薬味嫌いの末娘が、真っ白い豆腐に醤油だけかけて食べているのを見ると、つい言いたくなったものだった。
「生姜がのってない冷奴なんて、まるで、生姜だけの冷奴みたいなもんだよ」
それくらい、食卓では薬味を大切にしている。

『薬味』の語源は『五味』で、中国から流れて来たそうだ。甘い、苦い、酸っぱい、辛い、しょっぱいと、5つの味覚で食べ物を分類し、ひとりひとりの体質や病状に合わせて摂取するのがよいと言われていたとか。体調に合わせて調節したり、食中毒を防いだりすることで、薬の役割をしてきたという。

とは言え「ほどほどに」が出来ないわたしは、調節など丸っきりしていない。食べたい量が身体が欲している量なのだと、豆腐を食べているのか薬味を食べているのか判らなくなるほどに、たっぷりのせてしまう。
葱や茗荷の美味しさは、覚えるほどに止まらず『鰯と茗荷の酢味噌和え』などは、白髪葱は2本分、茗荷は6本も千切りにし、主役の鰯が肩身の狭い思いをするほど、バリバリ食べている。茗荷は、確か何かの効用があったかと思うのだが、食べすぎたせいか、もう忘れた。(何だっけ?)
はーるがきーた ♪ と歌いながら、庭の山椒の木からほころび始めた小さな木の芽を摘み、味噌汁に入れ「摘み立ての春の味は、柔らかいなぁ」と、おかわりに、ふたたび庭に出ては、山椒に感謝しつつ摘んだりしている。
うーん。薬味ホリックには、何とも嬉しい春である。

これから冷奴の季節。いろいろな薬味で楽しめますね。ちりめんじゃこや、
納豆、オクラ、山芋などねばねばトリオに、わさびでもイケますねぇ。

山椒さん、今年も葉っぱを開いてくれて、ホントにありがとう ♪

茄子の生姜焼きも、茗荷と紫蘇をたっぷりのせれば、ご馳走に。

『鰯と茗荷の酢味噌和え』大皿で、どどーんと盛り付けます。

拍手

タラの芽の天麩羅のお昼のご飯

庭のタラの芽を、天麩羅にして食べた。
「山菜の天麩羅のなかで、タラの芽が一番好きかも」と、わたし。
「俺も」口数少なく、一心に天麩羅を頬張る、夫。
揚げ立てを、これほど真剣に食べてもらえれば、料理する側としては本望。いそいそと、昼食から蓮根や舞茸、帆立なども揚げた。

しかし、『タラの芽』と聞き、なにか引っかかるものを感じるのは、わたしだけだろうか。何故『タラ』ではなく『タラの芽』と呼ぶのだろうか。『菜の花』にも同じ感情を抱く。『チューリップ』を『チューリップの花』とは、あまり言わない。『な』一音では、収まりが悪かったからか。
考えると、深い落とし穴に落ちていく。
『ふきのとう』は蕗の蕾(つぼみ)だし、茎も食べる訳だから、呼び名を変える必要があったのだろう。『筍』は、竹の子だが、漢字一文字を持っていて、自立している感がある。
多分、しりとりでは『タラ』や『タラの芽』はOKでも『タラの木』はアウトだろう。もちろん『筍』はOKで『猫の子』はアウトだ。などとくだらないことを、延々と考える。
そのうち春の庭の草や花達が、ゲシュタルト崩壊を起こし始める。
『ふきのとう』と10回言ってから『タラの芽』を食べたら『ふきのとう』の味になるだろうか。

「春の、庭の、タラの木の、タラの芽の、天麩羅の、お昼の、ご飯」
つぶやいてみたのは、うららかな春だから。春が来たのをいいことに、崩壊しようとする言葉達を、しっかりと拾い集めておかなくちゃ。
  
タラの芽は、まだいくつか残っています。木の芽も出てきました。
ん!? 『木の芽』って、どうして『山椒の芽』じゃないんだ!?

夫が収穫しました。14年前に新築祝いにいただいた苗が広がりました。

ランチにしては、ちょっと贅沢。天つゆを用意し、大根と生姜も下ろして。

タラの芽は、塩で。春の味わいが口のなかいっぱいに広がります。

拍手

迷えるタンメン

よく迷う。道にも迷うが、道のことではない。様々な小事に、日々迷うのだ。
例えば、映画館でチケット購入の際、座席表を前に迷う。真ん中辺りで後ろの方がいいけど、空いてるならちょっとくらい脇の方でも、隣に人がいない方がなおいいなとか考えつつ、選ぶ。
「ブルーの表示の座席から、お選びください」
受付くんが言っているのにもかかわらず、迷っているからちゃんと聞いていない。白い表示の席を選び、指摘される。
「すみません。ブルーの席が、空席ですので」
突然のことに、焦る。(受付くんにとっては、全く突然のことではない訳だが)焦って、ただ近くの席を選ぶ。そして後になり後悔する。他にも空席いっぱいあったのに、両隣、詰まっている席にしちゃった、と。

さらにドリンクを買うかどうか迷い(途中でトイレに行きたくなったら嫌だしなぁ。でも喉渇いたなぁ)何を飲むか迷い、上映までの待ち時間に他の映画のチラシを見て、今更ながらに迷う(こっちの映画の方が面白そうだったかも)優柔不断と言うよりは、そもそも肝っ玉が小さ過ぎる、迷える子羊なのだ。

そんな風に、迷い道ふらふらしたあげく観た『しらゆき姫殺人事件』は、面白かった。個人的な意見を言えば、小説よりも好きだった。
綾野剛のダメな奴ぶりが、堂に入っていた。中村義洋監督が、あとからプラスしたという2つのシーンが映画の核になり、胸に迫ってきた。
映画に圧倒され、観終えて、いつも気づく。観る前に迷っていたことすべてが、別にどうでもいいことだったと。

遅いランチはもう、迷いたくないとタンメン屋に入った。
タンメンは、いい。どんぶりひとつだし、あれこれトッピングに迷わずとも、野菜もたっぷり入っている。ビュッフェがあまり好きじゃないのは、もしかすると迷うのが嫌だからなのかなと、タンメン屋のメニューを開く。
「タンメン。塩味で」味噌も醤油もあったが、タンメンは塩に限る。
すると、女の子が、元気いっぱい、にこやかに高い声で言った。
「麺のグラムは、3種類から、野菜のグラムは2種類から選べます」
選択肢は、いったい何処まで広がっていくのだろうか。

タンメン登場で、またびっくり! 可愛すぎる、キャベツのどんぶり!

青虫くん、乗っかってるんですけど? あくまで個人的な意見ですが、
ラーメンなんだから、ラーメンどんぶりで出そうよ。
迷っても、選んでもいない、こんなアクシデントも日々ありますよね。

麺は少な目、野菜多め360gを選びました。
炒めた野菜が香ばしい、こってりタンメンでした。
選択肢が多いのは、いいことだとは・・・思いますけれどね。

拍手

笑って食べよう、春の天婦羅

庭のふきのとうと、咲いたばかりの春蘭を天麩羅にした。
昨夜は、他にも菜の花や新じゃがなども揚げ、春の天麩羅を満喫。
天麩羅は、揚げたてを食べて欲しくて、わたしは座る間もなくテーブルとキッチンを行ったり来たり。缶ビールを飲みつつ、天麩羅を摘まみつつの、わたしにとっても楽しい時間である。全部揚げてしまってから席について、みんなでいただきますというのもいいが、しなびていく天麩羅を見るのは悲しくもあり、揚げたての天麩羅を食べてもらいたいという気持ちの方が勝ち、それが我が家の形になっているのだ。

先週行った仙台の蕎麦屋で、しなびていく天麩羅を見た。
わたしが座ったカウンター席の二つ隣りに、歳の頃もわたしとそう変わらない男女が座っていた。ポツリポツリと何かをしゃべていたが、そのうちに女性がいきなり席を立ち、出て行ってしまった。男性は慌てて会計を済ませ、女性の後を追った。後に残ったのは、ふた口ほどは食べたのだろうか。手をつけられていないようにも見える伸びた蕎麦としなびた天麩羅が二人分。
すると、カウンター席の反対側に座っていたやはり同じ年の頃の女性が、店員相手に大きな声で怒りだした。
「失礼ですよね。食べもしないで出て行くなんて。許せないわ!」
店員の女性は、ただただ頭を下げるのみ。怒った女性は、店員が同調しないことにもさらに苛立ち、投げつける様な言葉を続ける。
わたしは、出て行った二人よりも、怒っている女性の方に違和感を覚えつつ、しなびていく天麩羅を見ていた。
そしてその後、わたしの前に並んだ、揚げたての野菜の天麩羅と蕎麦を味わった。蕎麦も天麩羅も、とても美味しかった。
「石臼で蕎麦粉、挽いてるんですね?」カウンターから石臼が見え、聞いた。
「はい。そうなんですよ」店員の女性は、笑顔で答えてくれた。
そうだよ。怒るより、笑おうよ。彼女の笑顔を見て、思った。
手をかけ心を込めて作った食べ物が無駄になるのは悲しいことだけれど、彼らに何があったのかは判らないし、誰だって同調して怒って欲しいのは、親しい人にだけなんじゃないかな、と。

昨夜は、天麩羅を食べ、ビールと日本酒を飲み、WOWOWで撮ったボブ・ディランのライブを観ながら、夫とふたりたくさん笑った。

毎年少しずつ、増えています。今年は株も2つになりました。

アップで撮ったら、パソコンから質問が「この人物は誰ですか?」
顔に見えたみたいですねぇ。パソコンも万能ではないと思うとホッとします。
  
タラも、もう少しで食べられるかな? 土筆もあちこちに顔を出しています。

タラの芽を見ていたら、堰向こうにキジ発見! 時々見かけても、いつも、
「忙しい! 忙しい!」とでも言っているように走っていってしまうので、
写真が撮れたのはラッキーでした ♪ よく、太ってるなぁ。

こんな感じの食材を、集めました。魚は鱚(きす)を揚げました。

春蘭は甘く、ふきのとうはほろ苦く。うーん、お腹も春でいっぱい。

拍手

丁寧な暮らし、始めよう

「雑、だよなぁ」
このところの自分を振り返り、落ち込む。やることなすこと雑、なのだ。
化粧をしなくなった。日焼け止めオンリーで、口紅も引かず眉も描かず買い物に行く。ジャージのまま寝て、ジャージのまま起き、出かける用事がない日はそのまま仕事をする。髪をとかすことすら忘れることも多い。
まだまだ寒いのに、ひとりの夜には薪ストーブを焚かなくなった。もこもこに着込み、余計に肩が凝る始末。薪の火を楽しめるのも、もうあとわずかだというのに。かといって、マッサージにマメに通うかと言えば、それも面倒がる。
ご飯を炊くのをサボり、朝ご飯は、お腹が減ったら仕方なくうどんを茹でる。缶ビールはグラスに注がず、缶に口をつけて飲む(これはいつものことか)
大好きな珈琲さえ淹れることすらせず、かといってインスタントも飲みたくない訳で、紅茶を飲もうかと思うだけ思うが、さらにそれも、湯を沸かすことさえも面倒になり、水を飲んですます。
いったいひと月の間に、わたしに何があったのだろうか。

何かのせいにするとすれば、それは上の娘が出て行ったからに他ならない。
息子は8年前に、末娘は1年前、大学入学と同時にひとり暮らしを始めた。春に山梨の大学を卒業した上の娘は「うーんどうしようかな」と言いつつ、先月から東京はわたしの実家に移り住み、「どうなるかわからないんだー」と言いつつ、事後承諾で3カ月契約の派遣社員になったからと、メールしてきた。その後は、海外に高飛び、いや、旅行なのか勉強なのか働きに行くのかよくわからないが「ヨーロッパ行きの航空券、買ったって言ったっけ?」と、思い出したように言う。(聞いていません)7月には立つそうだ。

息子と末娘が、パッといなくなったのをカウンターパンチと呼ぶならば、彼女の場合は、こんなにじわじわ攻めなくてもいいんじゃないかと思うようなジャブの応酬。効いていないようなスローなジャブが、だんだん効いてきて、すっかり参ってしまったのだ。

久しぶりに、自分のために珈琲を淹れた。煎りたて、挽きたて。浅煎りケニアの優しい酸味が胸に沁みる。じっくり味わい、化粧をして出かけた。
立ち止まり、気づいたのなら、そこからまた歩き始めればいい。
今より、ちょっとだけ丁寧な暮らし、始めよう。始められる、かなぁ。

最近は『珈琲問屋』に、郵送でお願いしています。
夕方までに電話すると、それから焙煎した豆が翌日には届きます。

珈琲豆密封用のお気に入りの缶。300g分で、丁度いっぱい。

生真面目O型のわたしは、スケールでグラムを量ります。

届いたばかりの煎りたて、挽きたて珈琲は、膨らむ膨らむ ♪

ちなみに20gは2杯分。たっぷり楽しめます。

拍手

保険を、かけ捨てにしないように

どうしても、保険をかけてしまう。
「あれが足りなかったら、困るかも」「もし、あれも必要になったら」
家族との食事を精一杯楽しもうと、そんな風に買い物をするから、野菜庫や冷凍庫が満杯になり、すみっこで傷んでいる可哀想な生姜や、しなびた人参が発掘されることとなる。

この春から、上の娘が東京はわたしの実家に拠点を移し、バイトをしている。月曜火曜は、夫も東京に行くので、昼も夜も、ひとりご飯だ。
うどんで、いいか。と、サボることもしばしば。
しかし、もしかするとこれは、冷蔵庫の整理には、丁度いいのではないかと気づいた。
国産のアスパラが出ていたので、固めに茹でて、サラダにしようと思っていたのだが、週末ヴァンフォーレ甲府が初勝利。「すき焼きにしよう!」ということになり、「まあ、1勝だから豚肉だね」「優勝したら、牛ですき焼きかな」と、ふたり、ぶたすきを、お腹いっぱい食べた。そこには、アスパラを茹でる隙間はなかった。
紫キャベツと林檎と鶏のコールスローサラダも、新しいレシピを見て作ろうと、材料を買ってあった。だが、それも、週末の献立から外された。

自分だけのために、手間を惜しまず料理するほど、マメではない。綺麗でちょっと贅沢な、野菜達。ザクザク切って下ゆでも何もせず、炒めてみた。オリーブオイルに、にんにくも大きめのざく切りで、わいわい炒めた。味付けは塩胡椒。皿に盛ってから、お好みでバルサミコ酢をかけて、出来上がり。何と簡単。しかし、何とも贅沢。
「贅沢は、敵だ」との戦時中の言葉をもじって「贅沢は、素敵だ」と言ったのは誰だったっけ。
これからは、保険をかけた野菜達を、かけ捨てにしないよう、若者言葉では『ぼっち飯』と言われるひとりご飯だけど、精一杯楽しもう。気合いを入れ、フライパンでにぎやかに騒ぐ野菜達の声に、耳をすませた。

野菜って、ほんと、綺麗ですよねぇ。

シンプルな味付けで楽しむのに、春野菜は適してると思います。

拍手

人生の至る所に仕掛けられている葱の青い部分

暗がりで、転んだ。新鮮な葱の青い部分を、踏んだのだ。
踏んだ右足は、後ろに滑り、前のめりに転んで膝小僧をしこたま打った。
「だいじょうぶ!?」夫が、飛んできた。
暗がりとは言っても、家のなか。キッチンからリビングに向かう途中である。我が家の照明は、暗い。
「なんで、こんなとこに、葱があんの?」と、わたし。
確かに、有機栽培のはち切れんばかりに新鮮さを漂わせる葱を買った。ラタトウィーユに入れるには、最適のよくしまった葱だったからだ。ラタトウィーユには、白い部分のみ入れた。だが、青い部分は、まだキッチンに置いてあり、落とした覚えはない。

「突発的な痛みは、怒りを呼ぶんだよ」
とは、ずいぶん前に通っていた整体師の言葉だ。2階の天然木の手すりが痩せて、体重をかけた途端落ち、腰を打ってしまった時、お世話になったのだ。
「いやー、怒りより、手すり直すの手配しなくっちゃとか、お金かかるなぁとか、考えましたけどね」と、わたし。
「女性は、現実的だな」と、呆れ顔で言われたのを覚えている。
今回も、怒りはなかった。ただ、こういうトラップは、人生の至る所に仕掛けられているのだと、静かに考えつつ、足首をひねっていないか、確認した。
そしてただ、何故葱が落ちていたのか判らぬが、自分の仕業以外に考えられないことから、転んだのが夫ではなく自分でよかったと、打算的に考えるのだった。何しろ、整体師の言葉通りならば、男は、突発的な痛みに怒りを覚えるものなのだから。
「だいじょうぶ。骨は折れてないし、ビールもこぼしてない」
片手に缶ビールを持ったまま転んだわたしの言葉に、夫は、呆れ顔で食卓に戻るのだった。

春。人生の至る所に仕掛けられている葱の青い部分も、新鮮で滑りやすくなっている。一歩一歩、注意して歩くに越したことはない。自分に限って、そんなことは絶対にないと思っているそこのあなたも、どうぞ、ご注意あれ。

夏によく冷やして食べるのもいいですが、冬に熱々を頂くのもまたよし。
長葱を入れるのが、我が家風です。

近所の畑の、葱です。見るだけで滑りそうだと、つい思ってしまいます。
明野の畑にも、少しずつ春が来ているんですねぇ。

拍手

毎食ごとに、春を感じて

焼きそばには、キャベツと豚肉と相場は決まっているが、我が家ではレタスを入れる。豚肉を炒めて麺を入れると同時にたっぷりのレタスを入れるのだ。シャキシャキ感が残っている方が美味しく、ここからが腕の見せ所で、手早く仕上げなくてはならない。

このレシピは、上の娘が中学の時、彼女のボーイフレンドが遊びに来て作ってくれたもの。最近の中学生は『おうちごはん』を作りっこしたりするんだなと、驚いたのを覚えている。彼の家が焼きそばレタス派な理由は、5月には『レタス祭り』がある明野ならでは、なのだろうか。
(『レタス祭り』では、百円でレタス食べ放題! って、そんなに食べられないんだけど、青空の下で生のレタスを頬張るのも、またよしかな)
それ以来我が家でも、焼きそばは、レタスがあればレタスで作っている。

明野に越して来て、レタスに火を通して食べる美味しさを、あらためて知った。レタスの煮びたしは、今では我が家の定番となっている。越して来た頃は、10個ものレタスを一時に頂いて、ダメにしてしまったこともあったが、今では毎日でも美味しく食べられる。水分を飛ばしたレタスなら、けっこうたくさん食べられるものなのだ。

レタスの語源は、ギリシャ語で『牛乳』を意味する言葉だそうだ。新鮮なレタスを切ると切り口から白い汁が出て来るところから名付けられたとか。
スーパーで買ったレタスは香川県産だった。町内で採れた白い汁したたるレタスを生でバリバリといく、新鮮レタスの季節も、そう遠くない。こうして毎食ごとに春を感じ、意識のなかに、自然と春が色濃くなっていくんだな。

いつもレタスは1個分、ちぎって洗ってしまいます。
残りもその日のうちに、だいたい食べきってしまうので。

もちろん、紅生姜はたっぷりと。
息子が3歳の頃「ドバッと出ないように」と何度も唱えつつ、
青海苔をかけていたのを、焼きそばを食べるたびに思い出します。

夕飯には、残りのレタスに、人参とオレンジのサラダをのせて。
オリーブオイルと白ワインビネガーと、クミンシードを効かせて。

拍手

春を感じつつ、まだ気配残る冬を楽しむ

義母の誕生日に、苺を送った。博多のあまおうだ。
「こんな立派ないちごがあるのですね。まるで芸術品です」
春生まれの義母は、とても喜んでくれた。ネットで送ったわたしは、芸術品が観られず、惜しい気もするが、すぐにひとつ摘まんでみたという、義母からのメールに、嬉しく春を感じた。

先日は、朝食の味噌汁をひと口すすり、夫が言った。
「おっ、これ、菜の花?」嬉しそうである。
「うん。県内産のが出てたから、買ってみた」
庭のふきのとうも、天麩羅にして楽しんだ。
野菜や果物に、春を感じる季節なのだ。

ところが、思わぬところでも春を感じることとなった。
「まだ寒いし、今夜は、おでんにしようかな」
おでんの食材コーナーに行くと、コーナーは様変わり。今年よくおでんに入れていた、蛸や舞茸のつみれもなくなり、生姜味の魚河岸揚げもない。牛筋の串もない。動揺したせいで、はんぺんも買い忘れた。(関係ないが)
季節を先取りも大切だけど、まだまだ、おでんは食べたいのに。
「待ってくれー!」と、冬という袋に、ぴょんぴょん飛び込んでいくおでんの食材達を追いかけたい気分になる。春を感じつつ、まだそこ此処に気配残る冬だって、もうちょっと楽しみたいのだ。そう思うのは、我がままなのだろうか。まあ、どんな季節も惜しまれつつ過ぎていくってことかな。

スーパーで買った『さがほのか』甘すぎないところがわたし好み。
確かに苺は芸術品と言ってもいいくらい、綺麗ですね。

ふたりで食べるには丁度いい量の収穫。来週も出てくるといいな。
  
花を綺麗に揃えて束ねて売っている菜の花も綺麗だけど、
ほうれん草や小松菜のような袋入りも、ワイルドな感じで好きです。
出て来たばかりの春の味は、濃く瑞々しいのが嬉しい。

でっかい新じゃが入りの、春おでん?

拍手

飛べるとこまで

同じ明野町内にある『草至庵』に、初めて蕎麦を食べに行った。
同じ町にあるにもかかわらず、テレビを観ていて偶然知った。夫は前から耳にはしていたようで、一度行ってみたいねという話になったが、すぐに行けると思うからか足を運ぶことなく1年程が過ぎ、ようやく実現する運びとなった。

庭には、山羊が6頭ほどいて、鳥小屋では、烏骨鶏が20羽ほど「コッココココォ」と鳴いている。その烏骨鶏の卵の出汁巻きが、看板料理なのだそうだ。
店は、200年前の古民家を再生したという建物。その広さと梁の黒に、思わず天井を見上げる。
蕎麦は、美味かった。しっかりと、こしがあるのに硬くない。蕎麦と、畑で作ったという野菜のかき揚げ、出汁巻き卵を食べ、異世界の雰囲気に、夫とふたりしゃべることもせず、日常から解き放たれたかのようにぼんやりした。

遠い昔を思い出した。小学生の頃、縁日で何も考えずに買ったヒヨコが育ち、赤いトサカが綺麗な、大きなオスのニワトリになった。借家だったが一軒家で、家の前の広場を庭のように使っていて、父がそこにニワトリ小屋を作った。わたしは『トット』というベタな名前をつけ、可愛がっていた。
鳴き声がうるさいと時々大家のおばさんに言われたが、トットは気にせず、毎朝元気いっぱい「コケコッコー!」と鳴くのだった。
ある日、そのトットがいなくなった。日曜、家族で買い物に出かけ、夕方帰ってくると小屋のなかは空っぽ。網をクチバシで突き、鍵を開けて脱走したらしい。両親と弟と妹とみんなして探した。
「トット―!」と名を呼びつつ、薄暗い夕闇のなかを探し回った記憶は古い映画のワンシーンのように、わたしのなかに残っている。そして。
「あ、トットがいた!」見つけたのは、弟だっただろうか。
上を見ると、トットがいた。家族みんなで、トットを見上げた。トットは鳴きもせず、得意そうにすまし、物干し竿にとまっていた。
「トット、飛べるんだ!?」「鳥なんだもんね」「すごい!」
口々にトットを褒め、笑った。ニワトリは、空を羽ばたくことはできずとも、人間の頭よりも高いところまで飛ぶことはできるのだ。
「トット。飛べるとこまで、飛んでみたかったのかな?」
わたしは、忍者のように屋根から屋根へと飛び移るトットの姿を思い浮かべた。もしかしたら、そんな風に散歩して、帰ってきたのかも知れないと。

「コココォ」と鳴く烏骨鶏の出汁巻き卵を味わいつつ、得意そうに物干し竿にとまっていたトットを思い出した。思い出し、ひとりこっそりと笑った。

子山羊2頭は、大雪だったバレンタインの夜に生まれたそうです。

黒く高い梁に圧倒されます。吾亦紅のドライフラワーが飾ってありました。

立派な囲炉裏も、ありました。昔話に出てきそう。

烏骨鶏の出汁巻き卵は、薄味で熱々。美味でした。

かき揚げは、春菊のほか、じゃが芋とムカゴ入り。

器は、古いものが好きで、昔から集めていたものを使っているそうです。



拍手

探究する喜びに、目覚めて

気にかかる、という言葉を最初に使った人はすごいよなぁと感心する。
何かこう、背中の辺りの見えないところに引っ掛かっているような感じと言えばいいのだろうか。そんな風な引っ掛かりがあることは、知っていた。底面化で蔓延している空気には、背中の辺りでは気づいていたのだ。それでもキッチンを切り盛りするようになって30年近く経つと、自分の背中の辺りのことなど、忘れた振りをするのにも慣れてくるものだ。
気にかかっていたのは、献立のマンネリ化だ。
「探求してないなぁ」そう、認識させてくれたのはDVDで観た映画だった。

『天地明察』
本屋に平積みになっていた本は、手に取ってはいないが、昨夏観たという友人に薦められた時から、いつか観たいと思っていた。
今年は大河ドラマ主演で注目株の岡田准一が、新しい暦創りに挑む安井算哲(やすいさんてつ)を演じている。
芯になるストーリーは、八百年もの間使われてきた中国渡来の暦に、狂いが生じていると発覚していた江戸時代前期。それを知りつつも朝廷は、幕府からの申し入れにも耳を貸さず、古くからの暦を使い続けようとした。新しく正しい暦に変えていくことは、朝廷支配の世を変えることだと恐れを抱く者もあり、容易ではなかったのだ。

映画は、よかった。何がよかったかと言えば、岡田准一の嬉しそうな顔が、何にも増してよかった。算術を解く時に夢中になりこぼれる笑顔。星を見上げる時の澄んだ瞳。新しい発見に躍り上がる心。
人間の持つ『探究心』を、そして『探究する喜び』を描いた映画だと、彼の顔には、はっきりとかいてあった。

「探求、かぁ」
上映後、明るくなった映画館で一人、とり残されたようにぼんやりと、リビングのテレビの前で考えた。そして、新たな誓いを立てるのだった。
「新しい料理に、挑むぞー!」
そこかい!? と『天地明察』を観たすべての人にツッコミ入れられそうだけど、映画も本も、詩も音楽も、観た人読んだ人聴いた人それぞれが、その時々の気持ちに沿って、限りなく自由に感じるべきものだとわたしは思うのだ。

セロリの千切りサラダも、我が家では定番です。
でも昨夜は、最初ににんにく醤油で焼く鶏ささみのにんにくを倍の量に。
コクが出ました! でも、ちょっと味が濃かった。次につなげよう!

海老のアヒージョも、何度も作っています。
でも昨夜はレシピを見て、レモンを絞ってみました。さっぱり風味!
  
料理本の新しいレシピも楽しいけど、食材についてくるものも面白い。
右は、茗荷についてきたレシピです。美味しそう!

拍手

そろそろ、友人と呼べる仲に

「よく、降るなぁ」
まだ雪が残る庭に出て、イタリアンパセリを摘んだ。雨は、いったい何を自棄になっているのかと問いたくなるほどに、派手に降っている。
「けど、冷たくないんだよなぁ」
パセリを摘む指先が濡れるも、凍ることはない。つい先週までは、カメラのシャッターを切る手に、よく雪女が息を吹きかけて来たのに。
頭を出したふきのとうや水仙が、春の雨を喜んでいるのが伝わってくる。傘にあたる雨音も、心なしか楽しそうに聞こえてくる。

イタリアンパセリは、何年か前に植えたものだ。種を落としては芽を出し、冬の間もひっそりと落ち葉の下で生息していた。種が飛び、隣りの林にも広がっている。育てるでもなく手などかけずとも、強く強く生きているが、枯れずに冬を越したのは初めて。根もしっかりと張って来たのだろう。昨夏は、パセリ好きなキアゲハの幼虫も見かけた。
しかし、土地にはすっかり馴染んだのだろうが、たまにちぎって料理に使うだけのわたしとは、友人というよりは、特別親しくもない知り合い程度の仲である。だいたいわたしは、植物を枯らすのが特技と言ってもいいほど。触るだけで植物が元気になるという『緑の指』には程遠く、言うなれば『茶色い指』を持つ。触っただけで枯らしてしまうんじゃないかとの危惧もあり、一定の距離を置いているのだ。

だがイタリアンパセリも強く育っていることだし、今年は少し手をかけて、友人と呼べる仲になれるよう努力しようかな。
そうして、山盛りイタリアンパセリオンリーサラダに挑戦しよう。オリーブオイルと酢、下ろしニンニク、塩胡椒の手作りドレッシングで。
「や、やめてください。今のままが、いいんです」
イタリアンパセリの微かな叫びが、雨音に混じって聞こえた。ような気がした。ふふふ。まあ、そう言わず、仲良くやろうぜ!

雨が降るのを、温かい部屋のなかから眺める幸せ。
わずかに雪が残る隣の林は、霧に煙っていました。

イタリアンパセリは濃い緑をして、摘んでと言っているようでした。

茹で卵に、マヨネーズの他、エシャレットとマスタードもたっぷり入れて。
ワインのつまみに持って来いの、簡単一品に映える緑。

拍手

07 2019/08 09
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
Template by repe