はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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冬には冬の野菜を

根菜ときのこの田舎汁を、煮た。
鶏肉をほんの少し入れたが、山吹の白味噌で、薄い味つけ。さっぱりしているが、これが温まる。それもそのはず。冬に作られる根菜類は、身体を温める作用があるという。逆に夏に作られるトマトやキュウリは、身体を冷やす作用があるらしい。上手くできているものだ。

大根、人参、蓮根、じゃが芋、葱、玉葱は芯も一緒に、ごろごろと大きめに切り、出汁で5分も煮たら、あとは味噌とみりんを入れて、やわらかくなるまで煮る。味噌汁と違い、味噌を入れてから煮たてることも気にしない。こっくりと味が沁みるように、途中で味噌を入れるのだ。

飲んで帰ってきた夫が、夜中に「何かない?」と言うので、これを出すと喜ばれた。日本の昔話などで、雪のなか道に迷った旅人がたどりついた家で、囲炉裏にかけてある鍋といったら、やはり田舎汁だろう。
そんなことを考えていると、カナダにいる上の娘からメールが来た。寒くて忙しくてニキビができた、とある。野菜たくさん食べてね、と返しつつ、田舎汁が、ここには温かく煮えているんだけどなぁ、と残念に思う。

カナダ、スープで検索すると、聞いたことのない豆のスープや、トマトと生クリームのスープ、チーズ入りミネストローネなどが出てきた。
冬に冬の野菜を食べるように、彼女も、カナダではカナダのものを食べ、温まっているのだろう。
娘が想像もつかないほど、遠い場所に居るのだと、不意に実感した。

きのこは、生協でセットになっていた椎茸、シメジ、トラマキ茸を入れて。
真ん中に見えるのが、玉葱の芯。これがまた、甘いんです。

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大雪の記憶

金曜の朝、雪は降り始めた。予報では、東京でも積もると言われ、ここ山梨北部では、積雪20㎝が予想された。
「食材、買い込んでおいた方がいいよ」と、夫。
「うん。積もる前に、買い出しに行ってくる」と、わたし。
二人共通の不安は、積雪が予報よりも大幅に上回ること。昨年2月、除雪車のない山梨に1mを超える雪が積もり、陸の孤島となった記憶が甦ったのだ。
おでん、だな。わたしが考えていると、「おでん、だな」と、夫。
ハッピーアイスクリーム! とは言わなかったが、心のなかで笑った。

昨年のその大雪に閉じ込められた時、やはり買い出しを済ませていた我が家では、熱いおでんと熱燗で温まったのだ。その時の記憶が、大雪 = おでん、の方程式を、二人のなかに創り上げたのだろう。
それ故の「おでん、だな」だったのである。
幸い積雪量は、予想を下回った。夫は、週末予定していた、木こり作業に出かけることもできた。そしてもちろん、おでんをたっぷりと食べ、温まった。

記憶というのは、思いもよらないところで結びついているものだ。何年も思い出すことのなかった恋も、鍵をかけてしまっておいたはずの出来事だって、何かの拍子に、ふと思い出すことがある。それは自分でもどうすることもできない出会いがしらの事故のようなもので、思い出したいことだけを選別することは不可能だ。おでんを思い出すくらいは、事故でもなんでもない訳だが。

冬の間に、あと何回、おでんを煮るのだろう。おでんと熱燗で温まるのは嬉しいが、大雪は嬉しくない。空の上にいる誰かが、おでんの匂いで大雪を思い出し、はりきって降らせたりしませんように。

薪ストーブでエコ調理。弱火よりもやや弱火なので5時間置いておきました。
もちろん蓋をして、じゃが芋は丸いまま途中で追加して。

練りモノは、どんどん新しいものが出てきますね。
「蓮根蒸し」と「蟹しんじょ」というのを入れてみました。

夫の木こりの様子です。ルリビタキが、飛んでいたそうです。

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心を通過していく

早朝は、零下となるこの季節。朝の楽しみは、白湯である。
薪ストーブの燃え残った火の上、まだ温かいやかんのなかの白湯。魔法瓶のなか、前日の残りの湯がゆっくりと温度を落としていった白湯。
どちらも、やわらかく温かい。

「白湯は、熱めを、ゆっくりと飲むのがいいんだって」
夫が、何処からか仕入れてきた情報だ。
熱めの白湯を、時間をかけて身体に入れていくことで、胃までの道のりの間、食道からも水分を吸収できるらしい。そして、胃に到達した時に、冷めていることもなく、お腹が冷えずに済むそうだ。ということで、毎朝、熱いくらいの白湯を、たっぷり飲むのが、習慣になっている。

たかが、水。されど、水。60%以上が水分でできた人間の身体は、常に水分を欲している。白湯を飲み、気持ちもふっと潤い和らぐのは、胃までの間に、心も通過していくんじゃないかな。多分だけど。

薪ストーブ周辺に射しこむ、陽の光。早く春が、来ないかなぁ。

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ふらっと、ここに

週末は、新メニューにも挑戦したが、ランチが美味しい店も開拓した。
小淵沢をドライブした帰り。「お腹、空いたね」という話になり、車を走らせたのだ。あそこに行こうかと最初に話が出た蕎麦屋は、閉まっていた。北杜市では、珍しいことではない。雪道に阻まれ観光客が減る厳寒期には、店を開けないところも多いのだ。
「どうせなら、初めての店に行きたいよね」と、夫。
「常に挑戦する、きみの生き方には、感銘を覚えるよ」と、わたし。
だが、不安にもなる。ハングリードライブの再来かとも、思えたのだ。川崎に住んでいた頃、会社帰りにふたり、空腹で走った道を思い出す。

しかし『ふらここ食堂』は、開いていた。
陽当たりのいい店内は暖かく、まるでわたし達を待っていてくれたかのようだった。石仏の写真を撮るのに夢中になっていた夫は身体じゅう冷えきっており、ランチに珈琲がついていることが、ことのほか嬉しかったらしい。
前菜には、ひよこ豆のスープがついていて、今月から入社したアメリカ男子の話題になる。ひよこ豆のディップを作り、会社でみなにふるまったという。
「それが、美味しかったんだよ」と、夫。
「食べてみたーい!」と、わたし。
わたし達の会話は、家族のこと以外に、まるで家族のことのように、会社のことが話題になる。それから、意味のないくだらない話題も。
「ひよこ豆って、ひよこの形してるのかな?」「ンな訳ないじゃん」
「レンズ豆って、何故に、レンズ?」「透明だからでしょ」「そうなの?」「嘘」「それにしても、豆流行りだねぇ」などなど。
そして「ふらここって、イタリア語なのかな?」「さあ」
「やっぱ、ふらっとここにが、ネーミングの由来だと思うなぁ。わたし達も、ふらっとここに来ちゃった訳だし」
「ふらっと」という言葉が好きだ。バランスを崩している時に水平を感じさせてくれる言葉「flat」と「ふらふらっと」の不安定にも思える自由さを感じる。頭のなかが、何処までも駄洒落でできているのが判る発想だが。
庭には「ふらっと」ジョウビタキが飛んできて、飛び去っていた。

看板よりも、煙突に目が向くわたし達。お風呂も薪で沸かしてるのかな?
築160年の古民家だそうです。

前菜、少しずついろいろが嬉しい。ひよこ豆と里芋のスープ。
蛸のカルパッチョ。レンズ豆のトマト煮。蟹のライスコロッケ。
豚肉のリエット。野菜のバーニャカウダ。

箸置き(夫がそう言っていました)も、お洒落~ ♪

ランチパスタ。わたしは鶏と牛蒡のニンニクソース。

夫は、鹿のラグーソース。大根が入っていました。

甘いものが苦手なわたし。チョコレートムースは夫に食べてもらいました。
一口だけいただきましたが、甘さ控えめ、ビターな感じです。
珈琲 or 紅茶がついて、1600円也。お近くの方はどうぞ。

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1+1=2ではなく

週末。最近、夕飯のメニューがマンネリ化してるから、何か新しいものを作ろうと、夫とそれぞれ、1品ずつ作ることにした。
夫は「レバーペースト」わたしは「ポークソテーonビネグレットソース」
どちらも、我が家ではけっこう活用されてきた料理本『バルめし』に載っていたのだが、彼は、昔行きつけだった今はもうないワインバーのレシピをネットで検索。わたしも「ビネグレットソース・肉」で検索し、偶然にも、二人ともが2つのレシピをもとに、作り始めた。

ネット検索し「ビネグレットソース」と呼ばれているものは、酢とオリーブオイル、野菜が入っているソースだと判った。何を入れるかは、けっこう自由。『バルめし』では、玉葱、パプリカ、エシャレット、ピーマン、トマトが入っていたが、ネットレシピは、玉葱、トマトは同じだが、あとはニンニク、パセリのみ。両方を見比べて、玉葱、トマト、パプリカ、ニンニク、それから冷蔵庫にあった、かいわれ大根を入れてみる。
夫は夫で、やはり2つのレシピを見比べて、考えながらキッチンに立っている様子。包丁を握る手をじっと見つめると「お風呂、入ってくれば」と、追い払われてしまった。

そして、出来上がった新しい味は? ふたりとも「美味しい!」と自画自賛。
2つのレシピを、経験則をもとに分析しつつ作ったのがよかったようだ。
1 + 1 = 2 ではないんだよなぁと、実感する。二人で作った2つの料理は、倍楽しめた。まあ、夫の経験則は、作るより食べる方が、かなりの割合で勝ってるかも知れないが。
「レシピ、記録しておいた方がいいよ」と、わたし。
すると夫は「ここに、入ってるから」と、頭を指さし、得意気に言う。
まあ、プロじゃないもんね。同じレシピで作っても、同じ味が出せる訳じゃなし。果てさて、我が家の新メニューの行方は、如何に。

トマトやパプリカが入ると、華やかですね。お花畑みたいです。
キャンティをあけて、イタリアンな夜でした。
*レシピメモ「ビネグレットソース」*
ニンニク1片、紫玉葱小1個、黄パプリカ半分、トマト1個、かいわれ大根少々。オリーブオイル大さじ1、白ワインビネガー大さじ2、塩胡椒。
野菜はみじん切り。ニンニクは細かく、あとは荒みじんに。
すべて混ぜ合わせて、少し置く。温かいものに使う場合は、湯煎で温めて。
この分量で2回分使えました。翌日は、鯵のソテーに。魚の方が合うかも。

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不思議! 冷凍たまご

冷凍たまごを、作ってみた。友人、とんぼちゃんの日記で、知ったものだ。
たまごを冷凍庫に入れ、冷凍する。そして、冷凍庫から出し、解凍する。それだけである。それだけだが、黄身が、生なのに半熟のように固まるのだ。そして、もっちりとして半熟とはまた違う食感。
ネットレシピを検索したところ、黄身を15分ほど醤油に漬けておけば、簡単醤油漬けの出来上がり。それを熱々のご飯にのせて、いただいた。
おもしろい! 不思議! そのうえ、美味しい! と、楽しみつつ。

子どもの頃、温泉たまごができる理由を知り、その不思議さに驚いた。黄身と白身の固まる温度が違う訳だが、ひとつ個体なのに、それぞれ個性を持っているんだな、と。また高校の頃、お菓子作りにハマり、たまごを始終泡立てていた。強く泡立つのは白身、メレンゲであり、黄身ではない。その性質の違いも知った。マヨネーズも茶碗蒸しも、たまごの性質からできた料理法である。
たまごって、親しくなればなるほど、その不思議さに驚かされる食品だ。そこへ持って来て、今度は冷凍たまご? たまごの不思議は、何処まで続くのか。

命のもと、だからなぁ。うん。不思議で、当たり前なのかも知れない。解明されていない不思議達が、たまごの向こうに、見え隠れしていた。

殻を、むいたところです。このまま常温で解凍して。

溶けました。黄身は、ちゃんと固まっていました。

醤油に漬けること、15分。途中でひっくり返して、待ちます。

食感もっちりの事実、体感しました。美味しい!
白身は、残り物の白菜スープに入れて、残さずいただきました。
醤油漬けの黄身を入れて、おむすびに、なんてレシピもありました。

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葱1本うどん

年初めに東京本社に出勤した際、風邪をひいている社員が多いことに驚いた。
「わたし、3年に1回くらいしか風邪ひかないんだよね~」
そう言うと逆に驚かれ、秘訣を聞かれたが、何も思い浮かばず、
「毎日、ビールは、飲んでるけどなぁ」と、考えた挙句、答えた。
「あ、喉が痛い時にビール飲むと、美味しいですよね」
「だよねぇ。アルコール消毒かな」
などという話に落ち着いたが、真実ではあるまい。

山梨に帰って来て、秘訣ねぇ、と考えた。
そして、これ、というものがあるとすれば、と答えを導き出したのだ。
それは、ひとりランチに7割の確率で登場する「葱1本うどん」である。
熱々のうどんに、葱を1本分、刻んでのせる。それだけだ。
うどんは細く、コシがある乾麺で、6分で茹で上がる。
ときに卵を落としたり、シメジがあれば入れたり、うどん用に常備してあるあげ玉をのせたり。七味をたっぷりかけるのは、当然のこととして。
寒い季節には、これを週に3回は、食べている。葱は生協で頼むだけでは足りず、スーパーに足を運ぶたびに購入。
「こんなに葱食べてる人、いないかも」
習慣化しているので気づかなかったが、考えるほどに、そんな気がしてきた。
次回出社時に、教えてあげよう。風邪をひきやすい方、どうぞお試しあれ。

贅沢なのは「葱だけ」のうどんです。

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生姜の匂いと陽の光

市販のレモンジンジャーティーを切らしたので、作ってみることにした。
生協で買った国産の檸檬と、生姜。材料は、それだけだ。
生姜と水を鍋に入れ、薪ストーブの上に30分ほど置いておく。部屋じゅうに生姜の匂いが漂い出した頃、それを、輪切りにした檸檬を入れたティーポットに注いで、4分ほど待つ。出来上がり。

ティーポットの注ぎ口で漉されたエキスが、やわらかく辛く、身体が温まる。
市販のハーブティーより、値段も安く、しばらくハマりそうだ。何より、部屋じゅう生姜の匂いでいっぱいになるのがいい。生姜と檸檬を、大目に注文しておこう。正月の残りの柚子で、試してみるのもいいかも知れない。

昨日は穏やかに、晴れていた。庭に残った雪も、ずいぶん解け、土の匂いがする。週末、夫が茗荷畑に、薪を燃やした灰を撒いていた。
生姜は育てたことはないが、茗荷とは兄妹の仲。生姜の方が兄さんだそうだ。語源の説の一つに香りの強い生姜を「兄香(せが)」やや弱めの茗荷を「妹香(めが)」としたというのがあるので、勝手にそう思っているだけだが。
茗荷の兄さんなら、妹と同じく手をかけずとも育つだろう。今年は、生姜も植えてみようかなと、まだ雪残る庭を眺めた。
加熱することで、身体を温める効用が生まれる生姜は、陽の光の熱を浴びたら、土をも温めるのだろうか。檸檬ジンジャーティーの効用で少し血行が良くなった背中を伸ばして、冬の庭に立ち、陽を浴びた。太陽の周りを回る地球に立っている自分を感じた。

生協の国産レモンは傷もありますが、皮ごと使えるのがいいですね。

薪ストーブでの調理は、急がない時に。のんびりエキスを出してくれます。

置いておく時間が長いと、檸檬の酸味が強くなります。それも美味しい。

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自分を疑え

「甲府までいった時に、買ってくるね」と、わたし。
「じゃ、お願いするわ」と、夫。
このところ、そういった会話が、夫婦の間で交わされることが何度かあった。
スーツを着ても履ける暖かめの靴下だとか、今治のタオルだとか。
甲府まで、というのは、大抵イトーヨーカ堂付近まで、ということで、いつものスーパーで買えそうで買えない日用品の品々のことだ。

先週、所用で甲府まで、車を走らせたときのこと。
靴下とタオルと、自分の細々としたものを買い、完璧だ! と思いつつも、不安になった。いざヨーカ堂まで行くと、頼まれたものを突如忘れてしまうことも多いのだ。
「このあいだも、すき焼きの時、ラードもらうの忘れたしなぁ」
豚すきなのに、牛のラードをもらってもいいものかと疑問に思いつつも、忘れたという事実にだけ、注目してみる。
「自分を疑え」
標語をかかげ、思い出せないまま、売り場をもくもくと歩いた。歩くにつれ、不安はつのっていく。と、靴売り場にさしかかり、思い出した。
「そうだ! 靴の中敷き買って来てって、頼まれたんだった」
これでもう完璧だ!やっぱり、自分を疑うことは大切なのだ。ホクホクと喜びをかみしめながら、ヨーカ堂を出て、車を走らせ、ラーメン屋に寄った。

平日のラーメン屋は、昼時も空いていて、のんびりとした気分になる。
後ろに並ぶ人もなく、券売機で券を買うときにも、どれにしようかなと、ゆっくり厳選した。そのうえで、店の看板「ばんから」を選んだ。
カウンターでもいいと思っていたが、テーブル席を案内され、待ち時間に本を開いた。すると、ラーメンではなく店のお姉さんがやってきた。
「あの、券売機のおつり、とり忘れていましたので」
「あ、ほんとだ! ありがとう」
なんと落とし穴は、ラーメン屋にまであったのだ。これは自分に対する疑いを、さらに深めていかねばと、熱々のラーメンをすすったのだった。

麺かため、味うすめ、脂少なめにしました。じゅうぶん脂入ってました。
いろいろ厳選しすぎでしょう(笑)

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20年に乾杯して

成人式に、末娘は、帰って来なかった。
正月に帰省したばかりだということもあり、仲のいい友人達とは今でも会っているらしく、同窓会の意味合いも薄く、彼女にとってはまるで興味が湧かない行事だったようだ。
わたしも、夫も、二十歳の頃、やはり成人式に出席することもなく、バイトやら何ならで、忙しく過ごしていた。息子も、然りである。
「全く、こういうところは、親に似るものなんだな」
と愚痴る夫は、嬉しそうでもあった。
お祭り好きな上の娘が、義母とわたしの母の前で振袖を着てくれたので、自分達ができなかった親孝行もでき、ホッとしていたこともある。

本人不在で、スペイン産の白ワインを開け、夫と祝った。その日は、29回目の結婚記念日でもあったのだ。
「あー、わたしが料理してる間に、半分以上飲んじゃってる! ひどい!」
「そ、そんなことないよ。ほら、まだあるじゃん」
30年目突入と共に、いきなり、夫婦喧嘩で始まった宴であったが。

末娘がお腹にいるときに、夫は、会社を起ち上げた。娘が生まれた頃の話になると、それは会社が生まれた頃の話にもなる。
「生活もぎりぎりで、二人とも追い詰められてて、おたがいを思いやる余裕もなくて、よく喧嘩したよねぇ」と、わたし。
「そのなかで生まれたあいつは、希望の星だったよなぁ」と、夫。
生まれた子どもが大人になるように、会社が大きくなるわけではなかったが、その月日を思うとき、同じように成長しているのだと感じる。それは、娘と会社の年輪を見つめてきた、わたし達二人にだけ見えるものなのかも知れない。
「彼女は、希望の星だった」
夫は、ワインを空にして、ウイスキーを飲み、何度も繰り返した。
我が家で一番小さかった、いつもにぎやかに笑っていた末娘の明るさに助けられて、これまでやってこられたのだと。
「そうか。助けられていたんだ」
夫にそう言われて、すっと腑に落ちた。今でこそ海外を飛び回ってる上の娘も、明野に越して来て友達ができるまでの間、淋しそうにしていたっけ。だが家では、淋しいと思う暇もなく、妹が遊ぼう遊ぼうとくっついていた。家族みんなが、そんな風にして彼女に助けられていたのだ。
薪ストーブで熱く燃える炎を見ながら、あっという間だったとは言い難い20年を思い、わたしもまた、深く深く酔っていったのだった。

ストーブに薪を入れつつ、炬燵でまったり飲みました。
スペインで買った、うなぎの稚魚の缶詰も開けて。
昨日は、久々に二日酔い。
最後のウイスキー、やめればよかった・・・。

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思いがけず届いた珈琲カップ

寝坊した休日の朝。遅い朝食を食べていると、宅配便が届いた。
やかんが入りそうな大きさの段ボールだ。開けると新聞紙を詰めた真ん中に厳重に包まれた珈琲カップが入っていた。陶芸作家の森下真吾さんからである。

昨年、茶碗を修理してもらい、夫と工房を訪ねた時に見せてもらった、どっしりとした藍色の珈琲カップだ。
「今はもう、手に入らない同じ土で作った珈琲カップもあるんですよ」
珈琲の渋がつき、埃をかぶったそのカップに、夫は一目惚れした。
「これ、欲しいなぁ」手にとってしげしげと見つめる、夫。
「一度、外に出して使われたカップですが、いろいろあって戻って来たんです。それでよければ、もう一度窯に入れて焼けば、渋もきれいに消えますよ」
森下さんは、快くそう言い、譲ってくれることとなったのだ。
その後、メールが行き違いしているうちに、年末年始の雑多な日々のなか、連絡せずに時を過ごしてしまった。
そして、昨日の宅配便である。全く、申し訳のないことだ。
すぐに電話し、お礼を言う。失礼を詫びると、茶碗を大切に使っていただいていることが嬉しかったから、と言ってもらい、こちらも嬉しくなった。

さっそく、珈琲をドリップし、夫のために新しくやって来たカップに注いだ。
「うちの珈琲は、美味しいねぇ」と、自画自賛になることを承知で、わたし。
先週は留守にしていて、自分でドリップした珈琲を飲むのは久しぶりだった。
「そりゃ、そうだよ」と、夫。
好みで選んだ豆を、好みの深さに煎ってもらい、好みの粗さに手回しのミルで挽き、自分でドリップして、気に入った珈琲カップで飲むのだから。
「これだよ。この重さ!」と、嬉しそうに、夫。
彼は、珈琲よりもカップを楽しんでいるようにも見えなくはなかったが。

2つとも森下さんの作品です。手前の藍色のカップを送ってくださいました。
やかんでお湯を沸かす間に、手回しのミルで豆を挽いて。

新鮮な豆は、お湯を注ぐと、ゆっくりと膨らんでいきます。

陽が射した温かなキッチンで、珈琲をドリップする幸せ、感じます。

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デジタルでアナログな夜

夫に誘われ、神楽坂『カーヴ・ド・コンマ』に、ワインを飲みに行った。
年初め。仕事始め。経理を担当するわたしも、四谷にある東京本社に挨拶に行き、その夜、今年もぶじ会社が新しい年を迎えられたことに、乾杯したのだ。

夫は、そのフレンチレストランは2度目だという。落ち着いた雰囲気で、ワインに合う料理がとびきり美味しいのだと、教えてくれた。
店内には、ガラス張りのワインセラー兼ワインショップが併設されていて、ボトルで飲みたい場合には、ひんやりとしたそのセラーを歩き、選ぶことができる。もちろん、ソムリエが、アドバイスをしてくれる。わたし達は、ビールとシャンパンで乾杯し白を1杯ずつ飲んでから、赤のボトルを選ぶことにした。
「今夜は、カベルネにしようかな。渋みはあっても、軽めのもので」
夫は、ビール党であるわたしが、赤ワインのなかでもカベルネなら飲みやすいのだと知っている。そして年末年始の胃の疲れもあるから、あまり重くなく。
ソムリエは、4本ほど提示し、夫がそのなかから1本を選んだ。

ソムリエは、籠に斜めに入れたまま、慣れた手つきでコルクを抜いた。
「そうやって、斜めにしたまま、開けるの、初めて観ました」と、わたし。
「こうして斜めにして開けることで、空気が静かにワインに入っていくので、澱も起たないんですよ」
彼は、聞いたことには一つ一つ、丁寧に説明してくれた。派手なパフォーマンスはなく、静かにグラスに注いでくれる。
「どちらかというと開きやすいワインなので、おふたりで味が変わっていくのを楽しみながら、召し上がってください」
「メインの肉を食べる頃に、一番美味しくなっているって寸法ですかね」
夫の言葉に、ソムリエの彼は、笑顔でうなずいた。

そのメインの鹿肉が出されると、彼がやって来て、籠に寝かせたままだったワインを両手で持ち上げ、まるで大切な赤ん坊でもあやすように見つめた。
「何を、しているんですか?」と、夫。わたしも、不思議に思い見ていた。
「いえ。愛情を込めているんです」と、笑いながら、彼は答えた。
「またまたー」「うそでしょう」と、わたし達。
「いえ。うそではありませんが、ここで温度を1℃上げておくと、料理に合わせて美味しくなるんです」
彼は、ここのワインは、船便で運ぶ間もインターネットで常に温度管理ができるようにしているのだと説明してくれた。ワインは温度管理が重要なのだと、そう言いつつ手で温める姿は、とても微笑ましく映った。そしてもちろん、彼が愛情を込めて1℃上げてくれたワインは、格別に美味しくなっていた。
「インターネットで遠隔管理したり、手で温めたり。全く、デジタルなんだか、アナログなんだか」
人間のやることなのだから、どちらと区別することもないのだと笑いつつ、開いて味わいが深くなった赤ワインをふたり、空にした。

綺麗な前菜は、鮪をスモークしたものに、海老やマッシュルームなどが、
飾られています。スモーク臭が丁度よく、ワインにぴったりです。

斜めに寝かせたワインです。くるくる回して飲みました。

ミンチにした鹿肉のパイ包み焼き。柔らかくて癖がありません。
ワインを飲むのを忘れてほおばってしまうほど、美味でした。

付け合せの野菜は、一つ一つ、違う鍋で蒸し焼きにしたそうです。
「お正月のお煮しめみたいだね」と、夫と話しながら味わいました。

デザートもいただきました。ブリオッシュには赤ワインが沁みていました。
さっぱりとして味わい豊かなデザートがいただけるのは、嬉しいことです。

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東京を見降ろして

浜松町、世界貿易センタービルの40階、展望室で、友人と待ち合わせた。20代の頃、働いていた会社の同僚である。
「久しぶりに、ランチでも、どう?」とメールすると、すぐに返信があった。
「世界貿易センタービルの展望室の東京タワーが見える席で。お弁当とビール、持って行きます」
メールを見て、思わず「おお!」と声を上げる。想定外のシチュエーションだが、彼女らしくもある。その提案にまかせ、楽しみに出かけることにした。

そこの展望台に上るのは、初めてだった。早めに着き、東京タワーを眩しく眺める。ほどなくして現れた彼女は、2年ぶりくらいだろうか。だが、ちっとも変わっておらず、挨拶もそこそこに「展望台、1周してみた?」と聞く。
まだだと言うと「じゃ、いこう」と、歩き始めた。
「ここ、よく来るんだよね」と言う。のんびりしたり、勉強したりだそうだ。
歩きながら、東京を見降ろすうち、気持ちが解放されていくのを感じる。
「高いところって、いいなぁ」と、ぼんやり考えたりした。

彼女が買って来てくれた寿司やサラダをつまみつつ、缶ビールを飲み、あれこれと喋った。明るくポジティブな彼女だが、もちろん悩みごともある訳で、それはもちろん、こちらも同じことで、たがいに長く生きてきたものだよなぁと、昔を振り返り、笑った。

「新しい年は、いいことばかりだといいな。でも、いいことも悪いことも、同じだけ起こるものなのかな」
彼女のつぶやいた言葉に、きっと、いいことばかり起こると予言してあげたかったが、あいにくとわたしには、そんな能力がある訳でもない。
「8×8 = 64で、はははと笑うのが64%、4×9 = 36で、しくしく泣くのが36%、それが人生だ、とも言うよ」
そう言うと、彼女は「そうか」と、嬉しそうに笑った。

わたし達の周りにも、東京を見降ろしている人達が何人かいた。同じ景色を見ていても、感じる気持ちも、考えていることも、当然、違うのだろう。
そして、見降ろしたその街にも、様々なことを思い、考え、悩み、生きている人々がいるのだろうと、思わずにはいられなかった。

友人が買ってきてくれたお寿司と、サラダと、ビール2缶ずつ!

東京タワーが、こんなに近くに見えるってだけで、うん。嬉しい。

スカイツリーも、ビルの合間に、小さく見えていました。

東京が夕焼けに染まり陽が暮れるまで、おしゃべりに花を咲かせました。

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オフには、お麩で

正月休みに、すき焼きをした。贅沢は言わず、豚すきである。
昨年見つけた山梨では珍しいお麩屋さん『岡田屋』で、すき焼き用の麩を買ってあり、それも楽しみにしていた。
「オフには、お麩で」などと、駄洒落が、思い浮かぶ。
というのも、パソコンで「おふ」を変換すると「オフ」や「OFF」になるので、脳内で「お麩」=「オフ」と変換するようになってしまったのだ。

日本語と英語で、同じ音の言葉を繋げてみると、けっこうおもしろい。
森博嗣の小説で、S&Mシリーズは、すべて英語のタイトルが合わせてつけてあるのだが、『封印再度』の英語タイトルが『Who Inside』なのだ。どちらも内容に合っていて、作家の悪戯心と言葉遊びの巧みさに感心させられた。

「good sleep」が「ぐっすり」に聞こえるなど、同じ意味の言葉もあったりする。
公園で遊んでいた子どもが、外国人の背中に向けてボールが飛んできたのを見て「あぶない!」と言ったところ「Have an eye!」と聞こえ、ボールを避けられたという話を聞いたこともある。

そんな言葉遊びとは関係もないが、すき焼きの汁が沁みた麩は、思わず「お麩、美味しい!」と言ってしまうほど美味しかった。
スローフード代表選手のお麩。英語圏の人にも楽しんでもらえるといいな。
これからも「オフには、お麩で」楽しもう。

年末に『岡田屋』さんで、お雑煮の飾り麩と一緒に買っておきました。

ふっくら戻すと、食パンを連想させる四角いお麩です。

最初に肉を炒めて、砂糖と醤油で味つけするのは、神戸出身の夫の役目。
ワリシタを使ったすき焼きは、食べたことがありません。

仕上げに春菊を入れて、煮えるのを待ち、出来上がり。

翌日、余ったお麩と牡蠣を、バター醤油味で焼きました。
牡蠣の旨味たっぷりのお麩!おススメです。写真はピンボケ~。

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まな板の感触

まな板は、3枚を使いまわしているが、2枚はプラスチック。1枚は天然木の大きなもので、家を建てた時に大工さんからいただいた手作りのものである。
今年の御節作りは、その木のまな板で、すべての野菜を切った。

毎年30日になますを作り、その夜、蓮根や牛蒡を水にさらし、あとは大晦日の仕事にしている。
そのなますにする大根を刻んでいて、おやっ、と思った。木のまな板が、包丁を柔らかく受け止める感触に、プラスチックのまな板との違いを感じたのだ。そう言えば、木のまな板を使ったのは久しぶりだった。
大根1本を細く細く千切りにしながら、何故かのんびりとした気持ちになる。
トン。トン。トン。
木のまな板のその感触が、その音が「1歩、1歩」と言っているように思えたのだ。まな板が包丁を受け止める度に、柔らかなものが心のなかに広がっていく。1歩、1歩と。
ゆったりとした気持ちで、煮しめを煮、鰤を焼き、鶏の照り焼きを作り、数の子の薄皮をむいた。そして、夕方、末娘が帰ってくる頃には、すべてが出来上がり、娘とふたり楽しくお重に詰めることができた。
木のまな板のよさ、再発見。見落としているものが、まだまだあるかもしれないと思った出来事だった。

我が家の御節です。煮しめは、土井勝の味。
フランス料理店でバイト中の娘は、大晦日、フランス風御節を
詰めてきたそうです。丁寧に詰めるので、バイト先でも重宝されたかな。
詰めながら、栗をけっこうな数、つまんでいましたが・・・。

お吸い物風薄味のお雑煮です。鶏と三つ葉、柚子、生麩を飾って。

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新参者のぐい飲み

行きつけの雑貨屋『京MONO』で、夫がぐい飲みを買った。
「違うタイプのぐい飲みが、欲しい」
そう言って選んだのは、古九谷焼き。といっても、その写しだ。何万円もする高価なものではない。
わたしは、どうしても土をこねて焼いた感じのものが好きで、そちらに手を伸ばしがち。そのたびに、夫が言う。
「似たようなのが、あるでしょう」
織部に手を伸ばした時も、然り。すると『京MONO』の店主が、言った。
「以前お買い求めになられた、黒織部と同じ作家さんの作品ですよ」
「ああ、あれ!」
やはりわたしが、気に入って買ったものだった。しかしもう、10年近く前になるのではないだろうか。
彼が覚えていたことに、驚いた。そして嬉しくなった。

「覚えてるなんて、びっくり」と、帰りの道で、わたし。
「それだけ一つ一つの物へのこだわりと愛着があるってことだよな」と、夫。
そのこだわりと愛着に包まれ、店頭で育まれた器達。新しいぐい飲みも、大切に使わせてもらおう。そう思い、食卓に出した古九谷を写したというぐい飲みは、店頭に並んでいる時よりも、ずいぶんと存在感を増していた。
「大切にされてきたモノは、生き生きと輝く場所を心得ているのさ」
新参者のぐい飲みが、つぶやいた気がした。

釣り人が描かれています。周りのエンジが濃いところが、好きです。
木箱のなかには、写した人の略歴が入っていました。
photo by my husband.

黒織部と並べて。対照的な雰囲気ですが、似合いの二つのようにも見えます。

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言葉として認識されない言葉

「わたしって、案外、せっかちなのかも」
時に、そう思う。例えば駅ナカの立ち食い蕎麦屋で。
大抵、券売機でチケットを買い、カウンターに置き、蕎麦かうどんかを告げるのだが、わたしの発する「お蕎麦で」は、聞き流されることが多い。チケットを置いた瞬間に告げるからか「蕎麦とうどん、どちらになさいますか?」と、聞き直されてしまうのだ。
またか、と思いつつ「お蕎麦で、お願いします」とふたたび告げる。

また例えば、日々買い物するスーパーのレジで。
レジ打ちが終わり「いくらいくらです」と言われ、クレジットカードを出す時に「一括で」と告げる。だが、やはりその言葉も聞き流されることが多い。大抵は、カードを機械に通した後「ご一括になさいますか?」と、聞かれる。そしてわたしは、うなずくのだ。

仕事の流れがあるのは、判る。聞かれるまで待つ方が、いいのかも知れない。何も言わず、カード置く人が多いのだろうとも思う。流れのなかでの言葉のやり取りは、言葉として認識されず流されていく。
ただ、立ち食い蕎麦屋でも、スーパーのレジでも、こちらから何かを伝えることも大切なんじゃないかなと、何処かで思っている自分がいるのだ。

いつものスーパーで、実習中という名札を付けた女性がいる。彼女はレジ打ちが遅い。慣れていないこともあるのだろうが、一つ一つの動作が丁寧なのである。「いくらいくらになります」という彼女に、やはりわたしは言う。「一括で」機械を通した後、彼女は「ご一括ですね」と微笑んだ。彼女は、わたしの言葉を言葉として聞いていた。年末の、ちょっと嬉しい出来事だった。

甲府の駅ナカの蕎麦屋で。とろろ蕎麦にも葱たっぷりで嬉しかったです。

秋に訪ねた同じ北杜市の三分一湧水の蕎麦屋で。ここはおススメです。
今年も、蕎麦、たくさん食べたなぁ。
年越し蕎麦は夫が打つのが恒例。楽しみです。

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父が漬けた白菜

東京は板橋に住む父から、手製の白菜の漬物が届いた。
毎年のこと、楽しみに待っている荷物である。何年、いや何十年前から覚えたかも判らぬが、年季が入っているのは判る。毎年心待ちにするほどに、毎年、期待を裏切らず、美味いのだ。白菜といえば、鍋。という生活していると、瑞々しく生でジューシーな白菜の漬物を食べ、ハッとする。毎年のことなのに、嬉しい驚きが、そこにはある。

漬け方を教えてもらおうと思いつつ、教わらないまま、父は今年、86歳になった。元気である。生まれ育った北海道まで、ひとり鼻歌混じりに運転して行ってしまうほどに元気だ。何しろ80の歳まで、タクシードライバーだったのだ。母とふたりケンカしながら暮らしているのも、いいのかも知れない。

そんな風に元気だというのがベースにあるのだが、わたしと実家との距離は、かなり離れている。東京と山梨という距離以前に、昔から親子にしては、ずいぶんとパーソナルスペースの取り方が大きかったのだ。たがいに立ち入らずに暮らしてきたと言ってもいい。会わずとも、元気でいれば、それでいいと思ってきた。顔を合わせるのは1年に一度、正月くらいのものだ。
それが今年は、3度になった。正月の他に、夏バテした父を見舞った時と、親戚の葬儀と。2年前に妹を亡くした父からの電話が鳴ることも多くなり、距離はわずかだが、縮まっているような気がする。これからは、少しずつ縮まっていくのだろうか。それが、自然なことなのかも知れない。
父が漬けた白菜を食べながら、親子の距離を思う。

上の娘が、ヨーロッパを旅した後、カナダで働き始め、来年の秋までは帰らないつもりだと言った時にも、淋しいとは思わなかった。まさに「元気でいれば、それでいい」だ。わたしと彼女のパーソナルスペースは、やはり親子にしては大きい方なのだろう。
だがその距離は、両親とわたしより、ずっと近いとも感じている。彼女はカナダで、わたしのブログを読んでいるという。わたしも彼女のブログを読み、facebook で写真を見る。そこには、面と向かって会話するのとはまた違った面白さがある。新しい発見もある。だがそれも、顔をつき合わせて暮らした20年以上の日々があってこそのものだとは、判っている。

親子でも、大人になればひとりの人と人。しかし離れていても、親子は親子である。だっこしていた日々を思えば、パーソナルスペースは大きくなっていく方が自然だ。だがこればかりは、どのくらいが普通ということはないのだろう。多分、それぞれにちょうどいい距離を、見つけていくしかないのだ。

ニンニクと唐辛子が効いています。ちょうどいい漬かりぐあいでした。

塩味薄めで、いくらでも食べられます。お茶にもビールにもぴったり。

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ハジメちゃんに教わったことと教わっていないこと

毎朝のことであるが、胡椒でクシャミをする。
漫画じゃあるまいしと自虐的笑いをもらしつつ、毎朝のことであるので気にも留めなかったのだが、冬になり、クシャミをする際に身構えている自分に気づいた。頭の記憶というよりも、身体が覚えているのだ。昨年の冬、胡椒でクシャミをし、ぎっくり腰をやってから、冬の朝のクシャミには自然と注意深くなっているから不思議だ。腰を落とし体制を整え、クシャミをする。中学の頃、テニス部で「腰を落として構えろ」と言われた姿勢である。これが三つ子の魂百まで、のうちに入るのかは疑問だが。

考えてみると、夜も胡椒をふんだんに使うことが多いのに、クシャミをすることは少ない。何故か。推測であるが、粗挽き黒胡椒を使うことが多いのだ。朝は、というと、優しい味の細かく挽いた白胡椒を使い、もやしや、玉葱や、ほうれん草を炒める。定番の目玉焼きも、夫の好みで、醤油派でもソース派でもなく、塩胡椒派なので、そこでも使う。そのたびに、クシャミをする。
玉葱を刻んでも涙は出ない体質なのに、白胡椒にはめっぽう弱いらしい。
玉葱は、半分に切ってから水でよく洗うと、涙が出ない。子どもの頃に見たアニメ『天才バカボン』で、ハジメちゃんが論理的に説明していて、それ以来、実行している。漫画は、真実を語るのだ! それでいいのだ!

しかし。と、ふと気づいた。ラーメンを食べる際、辛葱ラーメンでない限り、胡椒をたっぷりとかける。ラーメン屋に置いてあるのは、大抵が細かく挽いた白胡椒。なのにラーメン屋でクシャミをすることは、まれだ。火にかけたフライパンの上で、塩胡椒をすることで、空気中に胡椒が拡散するのか。
空気中の見えない胡椒に、翻弄される朝が続いているが、原因は究明されてきた。ハジメちゃんなら、何かいい方法を教えてくれるだろうか。

一昨日の朝食です。もやしは、切らずに炒められるので忙しい朝にぴったり。
味噌汁には、油揚げと椎茸、長葱、豆苗を入れました。

朝の残りの味噌汁に、バターを落として胡椒していただくのが好きです。
北海道の牧場の出である両親の影響かも知れません。味噌汁&バターらぶ。

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『ひょうたん』から餃子

神戸に住む夫のいとこから、餃子が届いた。
知る人ぞ知る神戸名物『ひょうたん』の味噌ダレ餃子である。
夏に帰省した際、その『ひょうたん』に、餃子を食べにいこうと言いつつも、実現しなかった。方向音痴は、わたしの領分であるが、地図マニアである夫が、以前食べにいったにもかかわらず、たどり着けなかったのだ。
「『ひょうたん』の味噌ダレ餃子が、食べたかった」
いとこくんは、淋しげに言う夫の言葉を、覚えていてくれたのだろう。
届いた時には、その気持ちが嬉しく、ふたり歓声を上げた。そしてまた、それが餃子であることをしみじみ嬉しく思い、さっそく焼いてたらふく食べた。
熱々の餃子を、頬張る。そこに、写真を撮るという余地は、存在し得なかった。夫は、しかたなくお礼のメールに、完食した空になった皿の写真を添付し、送ったのだった。

それから10日ほど経った昨日、ふたたび冷凍庫で眠っている餃子を、起こすこととなった。14個入りを、5箱も送ってくれたのだ。
焼き方は素人だが、それを補ってくれるのが『ひょうたん』独自の味噌ダレ。餃子自体の味は薄く、赤味噌ダレをたっぷりつけて食べるのが、ひょうたん流だ。味噌ダレには、醤油や酢、ラー油などを好みで混ぜて作るよう注意書きがあり、夫が辛めに作ってくれた。
ご飯にも、あう。もちろんビールにも、あう。皿の上にのっているのは、餃子というより、もう幸せそのものだ。
中国では、縁起がいいと祝いの席にも並べられる餃子。食べた数を数えるのは、タブーだそうだ。幸せの数など数えるのは野暮というもの。頬張った数は数えずに、いとこくんに感謝し、ただただ美味しくいただいた。

赤黒のロゴが、お洒落! この箱だけでも、魅かれますねぇ。

2度目とあって、焼き方もマスターしました。中はジューシー、皮はパリッ。

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おまけは笑顔

郵便局で年賀状を買った際、おまけをもらった。
「どれでもいいですよ。2つくらいどうぞ」
気前よく言われ、段ボールいっぱいに入っている様々なモノから選ばせてもらう。「迷うなぁ」と言いつつ真剣に厳選していて笑われたが、抗ウィルスティッシュひと箱と、キッチン用品から折りたためるザルを選んだ。

何の気なしに選んだザルだった。だが、使ってみて「おっ」と目を留めた。
ザルの穴が、笑顔の形に繰り抜かれているのだ。よくよく見ると、真ん中は太陽がサンサンと輝いているデザイン。その周りに笑顔マークがたくさん並んでいる。忙しくキッチンに立ったのだが、思わずこちらも笑顔になった。

「笑顔って、伝染するんだな」
ほんの小さな、まさにザルの穴ほどの小さな小さな出来事だが、ずいぶんとホッとした気持ちになり、鼻歌混じりに料理を始めたのだった。

こんな感じに、にこにこしています。

裏返してもまた、にこにこ。

折りたたんでもまた、にこにこ。

これもいただいた、大きな株のブロッコリーを茹でました。
ブロッコリーって、この時期にもできるんですね。

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野菜&オイルで温まろう

韓国風白菜鍋で温まり、感じたことがある。
温まるのに大切な鍵は、オイルだ。白菜鍋には、鶏もも肉と豚バラ肉の脂がたっぷり入っている上に、胡麻油を更に入れる。白菜に沁みたその油達が、身体を芯から温めてくれているように思ったのだ。

なので野菜スープを煮た際、新しい試みに挑戦してみた。
煮上がりに、エクストラバージンオリーブオイルを回しかけてみたのだ。
これが何ともジューシーで美味しかった! そして期待したように、身体がほかほかと温まった。

オイルが、鍋や器に膜を張る役目をしてくれて、料理自体冷めにくくなることもあると聞くが、じつは胃のなかでもおなじように冷めにくいそうだ。
「温まる訳だよなぁ」
エクストラバージンオリーブオイルは、さっと回しかけるだけで、あっさりしている割には味わいも深くなる。寒い朝、味噌汁に入れるという人もいる。

野菜&オイル効果で、身体の芯から温まれば、気持ちもほっこりして、喧嘩している相手にさえ優しくできそうな気がしてきた。

鍋に入れて煮ればいいんでしょ的な雑さ(笑)でも美味しいんですよ~。
野菜スープというより、キャベツの丸ままスープ。

『野菜スープのウインナにはマスタードがないと食べられないで症』発症中。
もしも世界から辛いものがなくなったら、と思うと恐怖を感じるわたし。

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カナダにレンゲはあるのか

夫が、おそるおそるカレーを食べる娘に、声をかけた。
「あの、それ、スプーンじゃなくて、レンゲなんだけど」
すると娘は、すました顔で言った。
「いいじゃん。自分がよければ、何で食べたって」
私も、夫に加勢した。
「いや、レンゲっていうのはラーメンとかうどんとか、汁物を食べるときに」
「だから、いいじゃん。美味しく食べてるんだから」
昨年のこと。今はカナダでワーキングホリデー中の上の娘との会話である。

末娘によると「自分で考えなさい」または「お好きなように」というのが、わたしの口癖であり育児の方針だそうだ。それによりレンゲでカレーを食べる娘が出来上がったのかと思うと、何かが違ったのかも知れないとの疑念が湧いてくる。湧いてくるが、子育てに正解なし。精一杯やったことに変わりはない。

この冬初、韓国風白菜鍋を煮て、翌日は雑炊にして温まった。その雑炊を食べるときに、久しぶりにレンゲを使い、思い出したエピソードだ。

自分で考えて、好きなようにカナダに渡った彼女だが、向こうはマイナス20度の寒さだという。
「カナダに、レンゲはあるのかな」ふと心配になった。

*我が家の韓国風白菜鍋の作り方*
干し椎茸の戻し汁に戻した椎茸と鶏がらスープの素を入れ、沸騰させる。
鶏もも肉、豚ばらスライスを入れ、灰汁を丁寧にとる。
刻んで洗った白菜を鍋いっぱいに入れ、胡麻油を回しかけ混ぜ、20分煮る。
食卓で、塩、七味唐辛子をまず器に入れ、熱々をよそう。
好みでコチュジャンを使ってもいい。(夫は、コチュジャン派)
翌日、白菜を足したもの。さっぱりした感じになります。
2杯目からは皿に塩と七味ルールは、守られていません。

卵雑炊、温まりますね~。いつでも、七味は必需品!
問題のレンゲです。わたしも気に入ってるけど、カレーには・・・。

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むかごに感じる生命力

町の野菜直販所で、むかごを売っていた。
「なかなか、出てこないんですよ」
直販所のお兄さんが、ここで売るのも、珍しいのだと言う。
林のなかで蔓にくっついているむかごが、ひとつふたつ生っているのを見かけることはあるが、それだけでは料理もできない。袋入りを一つ買った。
POPには「塩茹で、ニンニクバター炒めなどで」とかいてある。
「ニンニクバター炒めにしようかな。茹でてから炒めるんですかねぇ?」
聞いてみるが、お兄さんも首を傾げるだけ。とにかく、やってみようと、楽しみに帰ってきた。

夕食の一品にと、洗ってそのまま、薄切りニンニクとバターを火にかけ、弱火で10分ほど炒めた。味見をすると、ほくほくとした味わいになっている。塩胡椒をすれば、ワインにもぴったり。のんびりとした晩酌になった。

ヤマイモ種の肉芽であり、地中ではなく葉と共に蔓に生るむかごは、そのまま種にもなり、山芋を収穫することもできるらしい。そこから生命が育つモノは大抵そうだが、栄養価も高く、高血圧などに効果があるそうだ。皮ごと食べるから、繊維もたくさん摂れる。
何より、ホクホクとした味わいのなかにワイルドさを感じるところが好きだ。植物の持つ生命力を分けてもらっている気がする。
そんな野性味あふれるむかごを味わいながら、いつも様々な野菜達に、生命力を分けてもらっているのだなぁと、再認識した。

ころころしてて、可愛いところも、魅力的!

直販所のPOPで、美味しいとかかれていたニンニクバター炒め。

翌日は、むかごご飯にしました。炊ける時の匂いが香ばしかったぁ。

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わたし達のご飯でできている

友人宅で、忘年会をした。気心知れた女子5人、わいわいと飲んだ。
その何度かおじゃましたこともある素敵な家に住む友人は、気づかいの人。料理にもその性格がありありと見てとれて、一同感心した。
「すごーい!」「たいへんだったんじゃない?」
食べる前から、美味しさを感じるような盛りつけ術。それも少しずつ、いく種類もの料理を丁寧に並べてある。

また、ニンニクや香辛料の効いた豚のリエットを作って来てくれた友人もあり、作ったことのない料理に舌鼓を打ち、みな、うなずく。
「うわ、美味しい!」「ワインにぴったり!」「みんな、料理上手だねぇ」

すると、ひとりの友人が言った。
「そりゃあ、料理上手だよ。みんな、お母さんなんだもん。子ども達は、わたし達が作った料理で、大きくなったんだから。わたし達のご飯で、できてるみたいなもんじゃない」
「ほんとだ!」「その通りだねぇ」

「年を忘れる」とかく忘年会だが、今は別々に暮らす子ども達と、毎日一緒にご飯を食べたことを、しみじみと思い出した。幼い息子と一緒に味噌汁の出汁用にと煮干しの頭とハラをとったこと。ダイエットすると言う中学生の上の娘のために毎日オニオンスライスを刻んだこと。末娘が大好きで二人の夜によく食べた水菜のハリハリ鍋。大鍋に作ってそれぞれ好きなだけよそった親子丼。
もし、そんな風にわたしが作ったご飯で、子ども達ができているとしたら、これから先、様々なことがあるだろうけれど、なんとか生きていってくれるだろうと、根拠なく思えたのだった。

芸が細かい! 写真を撮った後、煮魚に針生姜をのせてくれました。

海鮮アボカドサラダ。中華とバジルのドレッシングが、
手作りで用意してあって、たくさんいただきました。

ジャンボロールキャベツを切り分けてくれました。チーズブロッコリーは、
別のお鍋で作ってあって、そんなひとつひとつに温かみを感じました。

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水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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