はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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夜のマドリードで 2

最後の夜は、マドリードで過ごした。
ガンバス・アル・アヒージョが有名な店で、スタンディングで飲み、その後、3度目となる、ふたりお気に入りのバルへと足を運んだ。

特別有名ではないと思われるそのバルは、昨年の旅で、初めて飲みに行った。マドリードの喧騒のなか、それを味わいつつもゆったりくつろげる雰囲気に、訳もなくわくわくしたことを覚えている。
今回も2日目の夜、地下鉄2駅半ほど歩き、そのバルへと飲みに行った。
店は混んでいて、カウンターの隅で、ふたり背の高いスツールに腰掛け、わりと静かに飲んでいた。わたしは、ビール。夫は白ワイン。何を話すでもなく、カウンターのバーテンダーを観ていた。ひとり忙しく立ち働く彼の仕事ぶりが、まるでショーでも観ているかのように、素晴らしかったのだ。
生ビールやワインを注ぎ、タパスを盛り付け、グラスを洗い、カクテルを作る。動きに無駄がないだけではなく、美しい。時にカウンター席の客と短くしゃべり、言葉が通じないわたし達にも、何度となく笑顔を向けてくれる。

夫が、彼の作っているカクテルを観て「ピナコラーダ」と、つぶやいた時。
彼は「ビンゴ!」とでもいうように、親指を立て、ウインクした。そして、そのピナコラーダの残りを小さなグラスに注ぎ、すっとわたし達の前に置いた。その仕草が、何ともかっこよかった。もう、参ってしまった。

そんなこともあり、最後の夜はそのバルで、と決めていた。
「彼、覚えてないよね?」「まあね。彼らからしたら、東洋人はみんな同じように見えるかも知れないし」「かもね」
などと話しつつ、やはり満員の店のカウンターの隅に座ると、なんと、彼が握手を求めてきた。
「やあ、また来てくれたんだね」
言葉はなかったが、そう言っている。わたし達も、笑顔と握手を返した。そしてその夜も、彼のショーに見とれつつ、ふらふらに酔っぱらったのだった。

そうそう。その彼が、ふと外を見てつぶやいた。「lluvia(ユビア)」
雨のことである。覚えた単語のなかの一つだ。わたしも振り向いて外を見た。静かに雨が、降り始めていた。あまり役に立たなかったわたしのスペイン語だが、その瞬間、ああ、勉強してよかった、と思えた。

タパスを盛り付ける、彼。一つ一つの仕事が、とても丁寧です。

わたし達がオーダーしたハモン・セラーノをカットする、彼。
 
えも言われぬ美味しさの、ハモン・セラーノ。

これは、昨年の写真です。この並んだグラスが目印になりました。
 
なんでもない風景が、お洒落に見えてしまいます。
☆2度目のスペイン旅日記も、今日で最終回。読んでくださった方、
ありがとうございました。明日からはまた日々徒然かいていこうと思います☆




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バルセロナ・アクシデント

最終日。ガリシア地方サンティアゴ・デ・コンポステーラから、早朝の飛行機に乗った。ディスカウントの飛行機では、マドリード行きは、バルセロナを経由するしかなく、どうせなら乗り換え時間をたっぷりとって、バルセロナで4時間くらい歩き回ろうと計画した。

「今日は気を引き締めていくよ。バルセロナは、危ないから」と、夫。
「そうだね。最後まで楽しめるように、気をつけよう」わたしも、うなずく。
ここは、日本ではないのだ。ここまでトラブルがなかったことが、ラッキーだったのだと自分に言い聞かせた。

バルセロナでは、前回行かなかったグエル公園を散歩しようと、予定はそれしか入れず、バスと地下鉄で移動した。
昨年旅した時には、回数券を買い、何度も乗った地下鉄。駅名も懐かしい。
「あー、前に歩いたランブラス通り、行きたくなったなぁ」と、わたし。
「グエル公園、やめる?」と、夫もノッテくる。
それでも予定通り、グエル公園に到着。ところが、思わぬアクシデント。観光客が多く訪れるようになったために、入場制限をしているという。
「今販売しているのは、14時半のチケットです」
それでは、飛行機に間に合わない。動物園で檻の外から眺めるかの如く、公園の周りを1周し、ふたり肩をすくめて「グエル公園は、もう見たね」「じゅうぶん見た」と言い合い、ランブラス通りへと向かった。

その地下鉄での出来事。乗ろうとした途端、ホームで少女が何か叫ぶと同時に、警官が走ってきた。わたし達と一緒に乗り込んだ男性5人ほどが、慌てて電車を降り、走り出したが捕まったようだ。何事かときょとんとしていると、スペイン人の男性が、夫に「英語、しゃべれる?」と聞いてきた。
「いやぁ、危なかったよ。あいつら、きみの鞄に手をかける瞬間に、捕まったんだ。気をつけた方がいいよ」
狙いは、夫の一眼レフだろうか。しかし、がたいのいい髭づらの夫を狙うこと自体、不自然だ。狙われたのは、わたしかも知れないと夫は言う。考えてみれば、ふたり取り囲まれた状態だった。地下鉄に乗る時には、ドア周辺に人が集まる。その瞬間を狙うのが手口だとも考えられる。危険が潜んだ街なのだと実感し、背筋が寒くなった。

ぶじ地下鉄を降り、懐かしいランブラス通りに出た。
「サン・ジョセップ市場だぁ。お昼、此処で食べようよ」と、わたし。
「まずは、ビールが飲みたいな。バルセロナの暑さには参ったよ」と、夫。
飛行機までの時間を、そこで過ごすことにした。よく冷えたスペインビールは美味しく、海鮮に舌鼓を打ち、お腹も満たされた。あとは、バス停まで歩き、空港に行けば飛行機が待っている。心配はないだろう、と思っていたが、その5分後、わたしは夫にヘルプ! の電話をかけることとなる。
「もしもし、わたし。トイレのドアが開かない。閉じ込められた」
木製のドアは、建てつけが悪く、うんともすんとも動かなくなっていた。
夫は、女性用トイレに入る訳にもいかず、店の人に訳を話すが、うまく伝わらない。長い長い10分間を過ごし、ようやく救出されたのだった。
「トイレに閉じ込められる人も、珍しいねぇ」夫は、意地悪く笑っている。
「笑い事じゃないよ!」
夫にパンチをくらわすわたしを、店員さんも笑って見ていた。

全く、たった4時間ほどの滞在だったというのに、アクシデントの連続。さすがはバルセロナ。ただでは帰してくれない街なのだ。

グエル公園。入場できた人を、見下ろすわたし達の目線で。
 
ガウディならではの、リサイクルタイルのモザイク画。
 
遠くには、サグラダ・ファミリアがうっすらと見えていました。

地下鉄は、グエル公園のあるこの駅から、リセウまで乗りました。
   
市場を眺めながら飲むビールは、最高! トイレ事件の店で。

サン・ジョセップ市場のにぎわい。市場、大好き~♪

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笑顔の連鎖

スペインのなかでも、わりとマイナーなガリシア。日本のガイドブックには、ほとんど載ってさえいない。分厚い『地球の歩き方』でさえ、3つの街を10ページほどで紹介しているだけだ。
そのガリシアに行こうと思ったきっかけは、神楽坂にあるスペイン・バル『el camino』で食べたガリシア料理だった。
「ガリシアは、いいですよ。海の幸もワインも美味しい」
スタッフの男性は、夫婦で行く度に、ガリシアの良さを語る。洗脳された訳ではないが、今度スペインに行くのなら、ガリシアに行きたいと、自然と思うようになっていた。という訳で、石畳の街と、地の果てフィステーラを旅した真の目的は、やはり食である。

サンティアゴ・デ・コンポステーラでの最後の夜は、スタンディングバルではなく、落ち着いて食事した。この日のために、ガリシア料理では一番有名な蛸を茹でたもの「プルポ・ア・ラ・ガジェガ」も食べずにいたほど、此処での食事を楽しみにしていた。ワインもこの地方の白「リアス・バイジャス」ほど近い土地で作られた赤「リオハ」がある。
食事をしたのは、飛び込みで入ったバルと併設されたカジュアルなレストランだったが、サービスは一流だった。何しろサーバントの女性の笑顔がいい。ゆっくり話を聞き、判りやすい英語でユーモアを交え、対応してくれた。
「彼女は、優秀だ」
夫は感心していたが、彼女だけではないことが、すぐに判った。
料理の盛り付けも、もちろん味も申し分なく、ワインを選ぶときに説明してくれた男性も、笑顔が素敵だった。店じゅうが明るく、活気がある。
そういう場所にいると、気持ちは明るい方へと向いていく。笑顔の連鎖が、そこにはあった。
「いい店だね」「うん。すごく気持ちのいい店だ」
伝染した笑顔で、ガリシア最後の夜を楽しみつつ、ふたりリアス・バイジャスを、ゆっくりと飲み干した。

店の入口は、バルになっています。スタンディングで飲む人もいました。

「プルポ・ア・ラ・ガジェガ」茹でたじゃが芋と蛸のシンプルな料理。

おススメだという「ガンバス・ア・ラ・ブランチャ」海辺ならではの味。

マッシュルームのアヒージョ。オリーブオイルが煮立っていました。
 
可愛いボトルのリアス・バイジャス。日本でも売ってるかな?

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「地の果て」フィステーラ

サンティアゴの名がつくこの街は、キリスト教3大聖地のひとつだ。
9世紀初頭に、聖ヤコブの墓が見つかって以来、巡礼者が目指す聖地となった。スペイン北部を横断する800㎞の道を歩く、巡礼の旅、終着点が、サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルなのだ。
カテドラル前の広場では、旅を終え、放心したように身体を横たえる旅人達の姿も見られた。
「どうして、歩くんだろう?」
800㎞もの徒歩での旅。わたしには、想像もつかない。
「何かを、探しているんだろうな」と、夫は言う。
その旅人が、さらにその先90㎞を歩き、目指す場所がある。
「地の果て」を意味する町の名はフィステーラ。大西洋が見渡せる灯台まで行き、巡礼の旅で履いた靴や衣類を燃やし、海に流したという。

そのフィステーラに、ふたり向かった。
レンタカーを借りて海沿いを走ろうと、ふたりで海外免許を取得してあった。
ところが、車はマニュアル。わたしはオートマしか運転できない。夫も左ハンドルでのマニュアルは初めてで、緊張した面持ち。頼りのスマホナビも気分屋で、英語になったり日本語になったりする。音声は当てにはならず、わたしが伝えるしかない。方向音痴の自分にナビができるのかと不安を抱えながらも、目的地を登録したスマホを助手席でしっかりと持ち、車は走り出したのだ。
「あ、もうすぐ小さい分岐」
なんとか街を脱出し、緑広がる郊外の一本道に出るが、所々に小さなロータリーのようになっている分岐がある。その度に「小さい分岐」と言っていたのだが、そのうち面倒になり、それを「ペケーニョ」と名づけた。スペイン語で小さいという意味だ。
「次のペケーニョを、右ね」
ペケーニョという言葉に、ハンドルを握る夫は、緊張が解けたように笑う。
「ほい、ペケーニョ、右。あってる?」「うん。だいじょうぶ」
そんな風に走って1時間半。何度か道を間違え、最後にはスマホナビがお手上げとなりスーパーで道を尋ね、ようやくフィステーラの灯台にたどり着いた。

「大西洋まで、来ちゃったね」「うん。着いたねぇ」
ふたり、それしか言葉が出なかった。
何故か『遠くへいきたい』という歌を、思い出した。遠くへ来たなぁと、空っぽになった頭で、ただ、それだけを思った。
 
フィステーラの灯台。着いた時には、降っていた雨もやみました。

記念スタンプは、石の上に無造作に置かれて。

灯台の先の海辺には、靴のオブジェがありました。

「ああ、大西洋!」曇天でしたが、訳もなく感動しました。

下を見て、また、打ち寄せる波の強さと大らかさを感じました。
 
ありがとう! 赤のプジョーと、導いてくれたカミーノ(道)達。
巡礼の道は『el camino』と呼ばれています。『道』という言葉ですが、
ここでは、道すなわち巡礼の道を表しています。photo by my husband

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ガリシアは、いつも雨

「ガリシアは、いつも雨よ」
Tシャツを買った店の女性が、肩をすくめた。
確かに。晴れたのは着いた日のみで、あとはずっと雨。雨の多い土地だということは知っていたが、初日の晴天に、すっかり油断していた。
「あー、昨日、もっと写真撮っておけばよかった」夫も同じく、である。

たがいに晴れ男、晴れ女だと言っていたのに、新婚旅行からして雨だった。マイナスとマイナスでプラスになるように、何かが作用していたのか、何かあるごとに、よく雨が降った。
だが、30年近く一緒にいれば、雨の日も晴れの日も当然ある訳で、いつの間にか、そんなことを言い合ったことすら、忘れていた。

ガリシアは、いつも雨。しかし、雨が降ったら、傘をさせばいい。石畳の道をすべらないように、ゆっくり歩くのもいい。
石造りの街を濡らす雨は、静かにスローペースで降っていた。

雨のなかたどりついたカフェには、めずらしくカプチーノがありました。
 
石に苔生す様も、いたるところに見られます。

ガリシアを象った、マンホールも、雨にしっとり濡れていました。

街角で、『ガイタ』バグパイプを奏でる人。
 
雨に濡れる石畳。教会の鐘も、湿った音をたてていました。

街のあちらこちらに、水場がありました。photo by my husband

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ガリシアの空気

5日目。スペイン北西部、ガリシア地方は、サンティアゴ・デ・コンポステーラに、移動した。石造りの街並みの美しさに、思わず声を上げる。
「わぁ、テレビのなかの世界みたい!」
感動は、言葉にならず、陳腐なセリフを吐かせた。もう、この街を歩けるというだけで、嬉しかった。「来てよかった」を連発し、とりあえず散歩した。
青い空。白い雲。石造りの家々。ダークオレンジの屋根の色。

晴天に浮かれ、ふたり、久しぶりに半袖で歩く。
何かが違うなぁと、思う。空気が違うのだろうかと、考える。ハイになってる自分に気づき、ようやく考え至る。
「なんか、喉、痛い」と、わたし。
「えーっ。雨に濡れたまま、シャワーも浴びずに寝るから」
夫が顔をしかめた。どうやら、風邪をひいたようである。

その夜は山盛りのサラダと肉をしっかりと食べ、ベンザブロックを飲んだ。スペインの風邪に日本の風邪薬は効くのかと考えつつ、ことんと眠りに落ちた。

青空が、街じゅうを祝福しているような気持のいい日でした。

サン・マルティン・ピナリオ修道院。

こんな街に住んでみたいなぁと、思わずにはいられません。

小さな路地ばかりの旧市街には、お洒落なパン屋さんも。
  
ホテルも人形の家のよう。入り口にはウエルカム人形が立っていました。

風邪に効いたのは、ベンザブロックよりカスパチョかも知れません。
スペインの冷製スープには、トマトがたっぷり入っています。

山盛りのポテトも、美味しかった! じゃが芋の味が濃いんです。
地元のオジサン達が笑顔で食事する姿が印象的だったレストランで。

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サン・セバスチャン散策

夫に、懇願された。「頼むから、ひとりで行かないでくれ」と。
朝食の帰りに、水を買いに、スーパーまで行くだけのことなのに、である。
ホテルの冷蔵庫の水は高価なので、1.5リットルの水を毎日スーパーで買っていて、水を買うのにも慣れていた。
「だいじょうぶだよ。水買うくらい、ひとりで行けるから」
わたしの言い分に、彼は耳を貸さなかった。
「そんなことで、1日ふいにしたくない。だいたい、どっちがホテルだか、判ってるの?」「こっちでしょ?」歩き出すわたしを、彼は制した。
「反対だよ」彼は、呆れた顔をし、結局、ふたりで水を買って帰った。

サン・セバスティアンは、気持ちのいい海辺の街だ。
リゾート化されてしまい、つまらない街になったとの噂もあったが、全くそんなことはなかった。素朴で、人なつっこい街である。

「丘の上まで、登ろうか」夫の提案に「いいね」と、わたし。
ビーチ沿いの道を、歩いた。
「泳いでる!」と、驚く。暖かいとは言え、しっかり秋だ。
「彼らは、寒くないんだねぇ」と、呑気に夫が言う。
「外海まで、散歩しようか」夫の頭から少しずつ丘の上が離れていく。
「おー、結婚式やってる!」「わ、素敵」
笑顔の花婿と、ウエディングドレスの裾を揺らす花嫁が、桟橋を歩いていく。
「シーカヤックだ」「エスキモーロールの練習してるね」
エスキモーロールとは、一度逆さになって海に潜り、くるりと起き上がる技のことだ。ずいぶん前のことだが、夫とふたり、1日カヌー教室に行ったことを、懐かしく思い出した。
「あ、旧市街の入口だ」「おー、いい感じの道」
「とりあえず、調べたバルの場所、確認しに行こうか」と、夫。
「この街を歩いてバルに行ければ、それでいいかな」と、わたし。
そんな風にして、昼からバル巡りの1日は、始まっていったのだった。

迷子になって1日をふいにすることはなかったが、丘には登れなかった。それは、わたしがバル巡りだけでじゅうぶんだと主張したせいだと、夫は言うが、彼だって街を歩くうちにどうでもよくなったのだと、わたしはにらんでいる。

赤ちゃんからお年寄りまで、水着で遊んでいました。

ハッピーウエディング! どうぞ、お幸せに ♪

そのすぐ横では、シーカヤック教室。子ども達は真剣な様子でした。

漁船の停泊所もあります。海の幸が美味しい訳ですねぇ。
  
それでも、街が呼んでいる~。ふらふらと、バルの待つ街へ・・・。

広場では、アートフェスティバル。にぎやかな笑顔がいっぱい。

フェイスペインティングの露店もあって、子ども達が並んでいました。

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雨宿りのバル

3日目の夜、バスク地方は、サン・セバスティアンに移動した。
美食の街と言われるここでの目的は、バル巡りだ。夜8時。シャワーを浴びて、もう飲んで寝るだけの体制を整え、夜の街へと繰りだした。
下調べはしていったものの、暗いなかで店を探すのは難しい。というのも、街じゅうバルだらけなのである。
「とりあえず、人があふれてる店に入ろうか」と、夫。
1軒目に入ったバルは、テーブル席もあるにはあるが、店じゅう立ち飲みの人でいっぱい。カウンターには、様々なピンチョスが並べられている。ピンチョスというのは、パンの上に具をのせたバスク地方のタパス(酒の肴)だ。
そこで、流暢な日本語をしゃべる店員さんが、注文の仕方を教えてくれた。皿に好きなピンチョスをとる。飲み物を頼み、皿を見せて会計をする。あとは店の外でも中でも、好きな場所で飲んで食べる。他の店でも、大抵がそうだった。バルを梯子するのも普通のことらしく、ピンチョス一つに飲み物だけでも、歓迎してくれる。初日から、その独特の雰囲気を楽しみ、ピンチョスの品定めをしたりしつつ、3軒梯子した。
そして、2日目には昼に2軒、昼寝をたっぷりしてから、夜にはまた、3軒のバルを楽しんだ。

ドラマは、最後の店で起こった。
「うわぁ、すごい雨! 傘、持ってこなかった」「こりゃ、ひどいなぁ」
2軒目のバルを出ると、土砂降りだった。ふたり次の灯りが見える場所まで走り、名も知らぬバルに駆けこんだ。
無愛想な親父が、夫に、眼鏡を拭けとタオルを渡してくれた。それほどわたし達は、ずぶぬれだったのだ。
「ずぶぬれだね」と、言ったかどうかは判らない。
ひとりで呑むフランス人でバックパッカーの男性が、話しかけてきた。彼は、英語は話せないと言う。夫の英語と、彼のたどたどしいスペイン語。会話はジェスチャーを交えても、通じない部分も多かった。ところが、ある時点で、大きな盛り上がりを見せた。3人とも、エリック・クラプトンが大好きたということが判明したのだ。
『ティアーズ・イン・ヘブン』をわたしが鼻歌で歌い、夫が『レイラ』のイントロを歌う。彼は「クラプトンも含め、すべてのギタリストは、ジミ・ヘンドリックスに影響されている」と熱く語った。そして、変わらぬ強さで降り続く雨に帰りあぐねていたわたし達に、1杯ずつ、ご馳走してくれた。その後、何をしゃべったかは覚えていない。何しろ、その日6杯目のビールだったのだ。
覚えているのは、その土砂降りのなか、20分ほど歩いてホテルに帰ったことだ。ふたり笑いながらクラプトンを歌い、雨に濡れることさえ楽しく、まるでティーンエイジャーのように陽気に歩いた。
その雨宿りのバルの名は、ふたりとも覚えていない。多分もう一度探し歩いても、見つからないんだろうな。あのバルが、本当にあったのかさえも怪しい。

バルのなかは、とてもにぎやかでした。客足が途絶えません。

山盛りのピンチョス。なくなると、どんどん出てきます。

洒落た感じに、並べられた店も。芸術品のようです。

やっぱり茄子を食べるわたし(笑)蟹味噌のチャングロは、名物。

カップに入った、こんなお洒落なチャングロも、ありました。

何故か、きのこも山盛りに積んでありました。焼いてくれるようです。



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『裸のマハ』に見た画家の想い

3日目。前回、マドリードで行けなかった『プラド美術館』に行った。
トレドでは、エル・グレコの人物画を堪能し、ああ、人って何て綺麗なんだろうと、これまで感じなかった感覚に驚いていた。
それでもゴヤの『裸のマハ』には、目を見張った。
『着衣のマハ』が、その後描かれ、2つの絵が並べられていたが、断然『裸のマハ』の方が、美しかった。
エル・グレコの絵では、主に人の顔の美しさに注目したが『マハ』を観て、その裸体に美しさに感じいった。驚愕したと言ってもいい。
「マハって、美人じゃないよね」と、わたし。
「だから、ガイドブックの写真とかじゃ、特別な絵だとは思えないのかもね」
夫も、感銘を受けたようだった。
確かに、写真で見ても、興味は湧かなかった。描かれたものを、実際に観る価値を『マハ』のおかげで目の当たりにすることができた。

ひと、ヒト、人。主に宗教画に描かれた、無数の人。そして、それを観る無数の人。その人いきれに思わず目をつぶり、そっと目を開けると、人を描くなかに、自分を見つけようとした画家達の想いが、見える気がした。

『プラド美術館』入口。首都マドリードで一番大きな美術館です。

巨大な絵の幕をくぐると、石造りの建物には何やら刻まれています。
ラファエロの名前があるということは、画家たちの名前でしょうか。

絵画を満喫した後、近くの公園を散歩しました。これ、何の実かな?

中身は、栗の実に似てるんだけど。日本にもあるのかな?

サン・セバスティアンへの移動時間まで、古本市を冷やかしました。

「あ!『不思議の国のアリス』スペイン語版。欲しいけど、
ここで買っちゃうと、重たいしなぁ」あきらめました。

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古都トレドのステンドグラス

2日目。マドリードから、電車に揺られ、古都トレドを訪ねた。
16世紀まで首都であったトレドだが、今はもう都であったことすら街自体が忘れているかのように、静かなたたずまいだ。
折しも、秋の風心地よい散歩日和。駅から20分ほど、のんびりと歩いた。
トレドを愛したというエル・グレコの絵を堪能し、古都の街並みを楽しみ、そして目的地の一つ、カテドラルに着いた。

わたしは宗教は持たないが、教会の神聖な空気には、何か感じるものがある。胸が、しんとしていく。しんとした気持ちで、上を見上げたくなる。
トレドのカテドラルは、ステンドグラスが、特別に美しかった。
数えきれない数のステンドグラスの窓を観て、ひんやりとした広い教会を、立ち止まっては歩く。
カラフルなステンドグラス達は、暖かく微笑むように、語りかけてくるようだった。美しいものを見て、心が変化するとしたら、それは悪い方向ではないだろうと、素直に思えた。

「そろそろ、いこうか」
夫に声をかけられて、視線を足元に戻すと、床にステンドグラスの色を映した影が見えた。
「太陽の光があるから、ステンドグラスは美しいんだ」
当たり前のことに、ハッとした。その瞬間、宇宙の大きさが、胸に広がっていき、もう一度見上げたステンドグラスは、光を増しているように見えた。

カテドラル。道に迷いつつも、この塔を目印にたどりつきました。

ステンドグラスの窓、いったいいくつあるんだろう。30~40?

アップにすると、一つ一つに、物語も見えてきます。

上を見ているだけじゃだめだよと、教えてくれた光達。

都であった場所は、川に囲まれています。橋から撮った風景です。

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夜のマドリードで

遅めの夏休みをとって、夫とスペインに、やって来た。
昨年6月に旅して以来、すっかりスペインに魅せられてしまったのだ。今回は、北に行ってみようと、バスク地方とガリシア地方を旅することにした。
スタートは、首都マドリード。行き当たりばったり旅の、始まりである。

マドリードは、特急の拠点となるアトーチャ駅近くのホテルを、選んだ。ホテル到着は夜8時半。なのに、まだ夕方のように明るい。初日は、とりあえず軽くバルで乾杯しようかと、ホテル近くを散策した。駅前なので、ファーストフード的な明るさと気軽さが特徴の店がいくつか並んでいた。
「あ、ここにしよう」夫が、足をとめた店に入った。
「やっぱり」と、彼はうなずく。「外から観ても、一目瞭然だったんだよ。店の人も客も、みんな同じ方向を、無心に見つめているからさ」
サッカー中継だ。夫も、店に入るなり、同じ方向を見つめる彼らに同化した。

わたしはわたしで、その日、ちょっと気をよくしていた。丸暗記そのままだが、タクシーに乗った際「○○ホテルまで行ってください」とのスペイン語が通じ、運転手さんが笑顔を見せてくれたのだ。
その調子で、バルでも注文しようと構えていると、カウンターのなかの店員さんが、椅子を指差し「もひとつ」と言う。ふたりで座るのに、ひとつしかなかった椅子を「もひとつ」持って来て座れと言っているようだ。それはスペイン語なのか? と疑問に思っていると、並べてあるタパスを指差して「タコ」とか「ミミ」(豚の耳)とか言い始めた。わたしは対抗している訳ではもちろんないが混乱し、やたらスペイン語で聞く「これは何? 卵とポテト? じゃ、これ一つください」「ビール、ふたつね」
飛び交う不思議な、日本語とスペイン語。

その時、わーっと歓声が上がった。マドリードの選手が、惜しいところでゴールを外したらしい。
「惜しいなぁ」と、夫。
他の客も、口々に何か言ったり、大きくため息をついたり、思わず立ち上がったりしている。その瞬間、スペイン語も英語も日本語も、関係なかった。ため息の方向性も、表情さえ似通っている彼らに、言葉はいらないのだ。
サッカー中継ではなく、言葉を使わず通じ合う彼らを観つつ、日本語をしゃべる店員さんを前に、よく冷えた生ビールと、マドリードの夜を味わった。

『エル・ブリジャンテ』アトーチャ駅から徒歩30秒。

ポテトサラダは、ローストパプリカと、刻んだオリーブが効いていました。
『エンサラダ・ルサ』スタンダードなポテトサラダです。

夫が注文した『クロケタス』チーズと生ハム入りのコロッケです。

レアル・マドリードではなく、アトレティコ・マドリードの試合でした。
右手前が、夫。途中で店を出ましたが、翌朝のニュースで勝利を知りました。

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プレゼント選びは難しい

プレゼントを選ぶのは、難しい。
昨年、スペイン旅行の際、娘達にと選んだ土産は、ことごとく外れた。
末娘には、Vaho のペンケース。彼女の好みに合わせ、地味な色合いのものを選んだ。そして、留守番全般を引き受けてくれた上の娘には、奮発してスペインブランドのバッグを買った。(と言っても、4千円くらい)
上の娘は「ありがとう」と、笑顔で手にしたが、全く使わない。末娘に至っては、一緒に送った緩衝剤のミルキーの方が嬉しかったらしく、ペンケースのことには触れず「わーい。ミルキーありがと」とのメールをよこした。
考えあぐねた末、上の娘が旅に出る前に聞いてみることにした。すると彼女は、言いにくそうに答えた。
「だって、派手なんだもん」「えーっ、可愛いのに!」
そして結局、わたしが使うことになったのだった。

末娘と会う際に、そのバッグを提げて行き、自慢した。
「いいでしょ? おねえがいらないって言うから、もらった」
すると彼女も、言いにくそうに言う。
「それは・・・、いらないかな。わたしも」「えーっ、何それ!」

プレゼント選びのコツとして、よく言われるのは「自分が欲しいと思うものを選ぶと喜ばれる」というものだが「わたしが欲しいんだけど、ちょっと派手かも。でも娘は若いんだからいいか」と選んだものだったのだ。
「全くもう。わたしのブーツやサンダルは、勝手に履いて出かける癖に」
もう土産は買わないと、すねて言うと、彼女達は口を揃えて言った。
「うん。いらない」
脱力し、贅沢はさせた覚えもないが、ふたりとも、子どもの頃から気に入ったものしか身に着けなかったことを、思い出した。

表側。開けると、外ポケットが2つ。ケータイやスイカ入れに便利です。
ヤモリくんのブローチは、最初からついていました。

裏側です。ファスナーつきのポケットがいっぱい。使いやすいんですよ~。
上の娘のヨーロッパ貧乏旅行の様子は、こちら『23歳旅人いぶき』

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『ガウディ × 井上雄彦 ― シンクロする創造の源泉』

『ガウディ × 井上雄彦 ― シンクロする創造の源泉』を観に行った。
ガウディの建築物は、去年スペインを旅した際、3つほど、じっくりと観たので、懐かしい気持ちになる。
ただ、ガウディの人となりについては、初めて知ることも多く、新鮮な気持ちで会場を歩くことができた。子ども時代からのガウディの生涯を、井上雄彦が漫画に描き、展示するという試みだったからだ。

ガウディは、子どもの頃、リウマチで歩けないほどの痛みに襲われることが多かったという。だが、その痛みにより、自分の足に骨があることに気づく。それを描いたシーンには、ハッとさせられた。元気で走り回っている子どもなら、自分の身体の成り立ちなど、考えないのが普通だろう。ガウディは気づき、人間の身体や、植物や動物の姿を、深く深く見つめていくこととなる。そして、人の身体に寄り添った四角くない建築物を創っていく。「痛み」というマイナス要素が、建築家ガウディの出発点だったのだ。

人生、マイナス要素など、ない方がいい。だがもちろん、そうもいかない。しかしそこから生まれるものだってあるかも知れないのだと思うと、不意に道が開けるような気がしてくる。そう言えばわたしも、去年 frozen shoulder (五十肩)になり、痛みに苦しんだが、その分様々なことを考え、文章にしてきた。ガウディのように、壮大なプロジェクトではないが、わたしにとって、普段考えないことを、深く考える大きなきっかけになったことは確かだ。
これからもしマイナス要素にぶつかったら、ガウディを思い出そう。それを受け入れ、じっと見つめることで、プラスの要素が生まれるかも知れない。

カサ・バトリョの写真を集めてみました。海をイメージしているような
渦を巻いた天井と、ステンドグラスは、水泡や貝殻のよう。
 
ドアも階段も、四角くありません。取っ手は握りやすさを重視しています。

テラスに出る部屋。パーティ会場にもなったとか。
  
タイルに囲まれた、中庭。同じ色に見えるように、青の濃さが、
グラデーションになっています。配色も考え尽くされてるってことかな。
屋上のオブジェは、廃棄タイルのリサイクルだそうです。ガウディは、
すでにエコロジーに、こだわりがあったようです。photo by my husband
 



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行動の意味を考える

スペイン語講座、2回目の授業で、先生のベガに言われた。
「勉強してきました。やってきました。それだけじゃ、ダメ。覚えないと」
まったくその通りなのだが、宿題をやったことで、すっかり安心してしまう自分がいる。だが、授業を受けると「覚えて来てね」と言われたことの半分も覚えていないことが判り、唖然とした。

ふと思い出すのは、以前同じマンションに住んでいた女性の話だ。
彼女の夫は、夜が遅い仕事で、毎日、彼女と子どもが眠ってから帰ってくる。彼女は夫のために夕食を作り、テーブルに並べて置く。帰ってきた彼がそれに手をつけることはあまりなく、朝、手つかずの食事がそのまま残っていることが多いのだという。彼女は、残された料理を捨てる。朝食はとらない習慣で、彼はまた出勤していく。そしてまた、彼女は夕食をテーブルに並べるのだ。
「作って並べておくことが、大切なのよ」
彼女は、笑って言った。その顔は、自分を笑うかのように見えた。本当にそれが大切なのだろうかと思いつつ、わたしは何も言えなかった。彼女は今も、食事を作り、捨て続けているのだろうか。
彼女に会うこともなくなった今ではもう、知る由もない。

「学びの先にあるものを、見なくっちゃなぁ」
よく冷えた生ビールとタパス(スペインバルで出すつまみ)を遠くに臨み、日々彼女に捨てられる料理を背中に思いつつ、考えた。

去年行った、バルセロナのサン・ジョセップ市場です。

なにしろいろいろが、大量に並べてありました。それが楽しい ♪

見ているだけでも、おもしろかった!  photo by my husband

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新しいこと、始めよう

「何か、新しいこと、始めたら?」
この1年、様々な人に言われてきた。
末娘が大学に入り、ひとり暮らしを始めた。東京に住む息子は、もう3年も帰ってこない。真ん中の娘は「いつか帰ってくるよ」と、ヨーロッパに旅に出た。それを知っていたかのように、雄犬びっきーが死んだ。経理の仕事量は増えたが、自由な時間が、少し増えた。
そんなわたしを、みな心配して言ってくれているのだ。

「わたしがいなくなったからって、蛙なんか、可愛がってるんだね」
末娘には、憐れみの眼差しで言われる始末だ。

「これでもけっこう、毎日楽しいし、充実してるんだけどなぁ」
これを始めました、という宣言が必要なのかも知れない、と考えてみる。
「毎日のことをブログに、かいてます」と言ったところで「あ、ブログね。最近みんなやってるよね」で、終わる。
「人生、もうめっちゃ楽しんでます!」的な、誰もが納得してくれるような趣味を、見つけた方がいいのだろうかと、さらに深く考えてみる。

そんな訳で『スペイン語講座』に、通うことにした。
それじゃ、誰も納得しないって? はい、そうです。ただ、やってみたいだけです。まあね、いいんだよ。自分さえ納得していれば。という訳で、心配してくれる家族や友人には申し訳ないが、スペイン語を勉強することにした。

Oiga,Una cana.por favor.(オイガ ウナカーニャ ポルファボール)
「すいませーん。生ビール、くださーい!」
これだけは、忘れないで言えるんだけど「レモンは入れないでね、ワインでも割らないで。生ビールオンリーで飲みたいんだから」と、きちんと言えるようになるのが目指すところだ。

去年行った、スペインのバル。雰囲気あります。photo by my husband

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もう雪は、写真で見るだけでいい

昨日も、雪で止まったままのJR中央線が特急運休を、前日のうちに早々決定し、予定していた東京行きが叶いそうもないので、現実逃避を決め込んだ。
昨年6月に、夫とふたり気ままにスペインを旅した写真を、見るともなく見る。どれを見ても懐かしいが、すでに忘れている出来事が多いことに驚いた。

例えばバルセロナの街角で、大道芸人よろしく巨大なシャボン玉を作るふたりを見かけ、また例えばグラナダでは、夫がアラブ風呂に入っている間、ひとり歩いたアラブ人街のカラフルさに目を見張った。夜のコルドバでは橋の上で、操り人形のギター演奏に聴き入ったし、マドリードでは、スペインの中心『おへそ』で写真を撮っている親子の笑顔を見て、思わずこちらも笑顔になった。

今更のようだが、写真ってすごい! と再確認した。一瞬のうちに記憶が甦る不思議。視覚が記憶の部屋をノックした途端、ドアは大きく開けられ、出てくること、出てくること。記憶の断片達が。
子ども達が小学生の頃、運動会で絶えずビデオを回し続ける親に「自分の目で、今しっかり見なくていいのか?」と、微かな反感を覚えた記憶もあるが、記録も大切だ。特に今さっきのことさえ、すっかり忘れ去ることを特技とした現在、なおさら大切だと実感する。

しかしどちらかと言えば、その時にしか感じられないものを、身体いっぱいに浴びる方が自分には合っているのだと知っている。だがそれでも、もう雪はいい。もう、思う存分体感した。雪国の方々のご苦労も、身に沁みた。
昨日ようやく中央自動車道が開通し、滞っていた物流が入ってき始めた。その対向車線を夫の運転で走り、予定通り東京に来ることは出来たのだが、明日には再び雪の予報。あのさぁ、もう雪は、写真で見るだけで十分なんですけど。

シャボン玉って、虹色ですよね。つかの間の美しさに魅かれるのかなぁ。
いや、子ども達には、そんな感傷は無関係。ただただ楽しんでますね。

狭い路地に、ひしめき合うかのように並べられた雑貨や衣類。
その数の多さと色遣いの明るさに、見るだけで楽しい気持ちになりました。
路地を出ると、すぐ隣にブランド店街があるのにも、驚きです。
  
演奏は、シチュエーションのせいもあるのか、とてもロマンチックでした。
おへそで笑顔! 世界中、変わらないものがあるなぁと笑いました。

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葡萄とも檸檬とも違って

新しいトートバッグにパソコン入れて、東京に行った。
スペインの『Vaho』というブランドは、撥水性の布を使ったポスターをリサイクルしてバッグや財布、名刺入れ、リュックなどを作っている。丈夫でパソコンを持ち運ぶのにぴったりだ。
『Vaho』は、スペインに何店舗もあり、どこも小さめの店だが展示方法が斬新だった。店の白い壁には磁石がつくようになっていて、すべての鞄のなかに磁石を入れ、壁にペタペタ貼ってあり、鞄を手に取ってみて、またペタンと壁に貼り付ける。
ポスターのリサイクルだということもあり、色やデザインなど本当に様々で、同じものはひとつもない。世界に一つだけのバッグである。

「あ、これ素敵」わたしの目当ては、最初からトートバッグに絞られていた。
バッグを手に取ったその時、夫が呼んだ。「これ、どうかな?」
彼は、ショルダーバッグを見ている。わたしは、トートバッグをペタンと壁に戻し、夫が見ているショルダーのコーナーに行った。あれこれと言い合い、迷っていた彼は大きめのショルダーバッグをひとつ買うことに決めた。
さて。と、わたしはトートのコーナーに戻った。そこで衝撃的なものを目にした。素敵だと思ったトートバッグを腕にかけた女性だ。
「あ、あ、あ、あれ、いいなと思ったのに」夫に、こそこそと言いつけた。
「いいと思ったら、離しちゃだめだよ。同じものはないんだから」
後の祭りである。その女性は気の強そうな顔をして、強い口調でスペイン語を(たぶん)しゃべり、柔らかい色合いのトートを好みそうには見えなかった。トートが買われて店から出て行くまで、彼女の気が変わるのを祈りつつ、わたしは成すすべもなく見守った。
「悔しい!」「そりゃ、悔しいねぇ」
夫はショルダーバッグを買い、機嫌よく歌うように言う。
「悔しい! 悔しい! 悔しい!」「そりゃ、悔しいよねぇ」
などと言いつつ歩いていたら、もう一つの『Vaho』の店舗の前を通った。そこで、今持っているバッグに出会ったのだ。
「こっちの方が、さっきのバッグよりいいよ」と、夫。
「イソップの狐が取れない葡萄を酸っぱいって言って、手に入る檸檬を甘いってかじってるのと同じような気もする」と、ひねくれてわたし。
しかし今では、このトートがとても気に入っている。葡萄とも檸檬とも違うところは、バッグは使うほどに味が出て、自分の物になるということである。気の強そうな彼女のトートも、今頃何処かで彼女に馴染んでいることだろう。
   
表も裏もマチの部分もなかにも、様々なポスターが使われています。
  
展示しているのを見たり、手に取ったりするだけで楽しめました。

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(スペイン徒然後日談)女がミシンを出す時

中学の家庭科で初めてパジャマを縫った時、布を切るのが恐かった。切ったら元には戻らない。失敗は許されない。そんな緊張のなか、パジャマ作りをしたのを覚えている。
しかしそれから30年と少し経ち、その頃の緊張が微笑ましく思えるほど、難なくスカートの裾を切ることができた。
「自分で切って、自分で縫って、自分で着るんだから」
評価など遠いところに行っている。ちょっと裾が長いから、短くするだけ。そのシンプルさが久しぶりにミシンを出すきっかけのひとつとなった。

何年振りだろう。末娘の体操着の巾着袋を縫った、それ以来だろうか。
実は、切りっぱなしで縫わなくてもいいかなとも思っていた。
ユニクロの千円のサマードレス。ユニクロの隣のお直し屋さんに持って行くと「裾上げで3,800円です」と言われ驚いた。驚いて嫌にもなった。重い腰を上げるという言葉があるが、しばらくぶりに使うものを出すことは、思いのほかエネルギーがいるものだ。ミシンもしばらく使ってないし、もう切っただけでもいいかと思ったのだ。

だが旅行前、夫の言葉に縫わざるを得ないと覚悟を決めた。
「せっかくスペインに行くんだし、女性は旅行でお洒落も楽しまなくちゃね。荷物が多くなってもかまわないから気にしないで」
いつになく優しい言葉に、切りっぱなしのサマードレスは着られないなと覚悟を決め、ミシンを出した。
ミシンを出すきっかけは、いくつか必要だ。いくつかのきっかけがあって初めて必要に迫られ、女はミシンを出すのだ。

鋏を入れる瞬間が、今となっては何とも言えず快感です。ジョキ!

アイロン台の上で。なんとかちゃんと仕上がりました。
ミシンもコンパクトになりましたね。母の足踏みミシンが、なつかしい。
「そういう電気を使わないものを復活させればいいのに」と、娘。
「でもあれ、すごく大きくて場所取るんだよね」とわたし。節電も難しいな。
   
身長161cmでこの長さ。やっぱもとが長すぎたんだよね?
海辺に立つ像のコロンブスも「そうだそうだ」と言っているようです。
夕暮れのバルセロナ港で。夕暮れと言っても午後9時前。
photo by my husband

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(スペイン徒然後日談)遺書を見つけて

パソコンの中に、遺書を発見した。推理小説の話ではない。旅行前のこと。マイパソコンを朝開くと、その中に子ども達宛ての遺書があったのだ。酒もほどほどにと思うのは、こういう時である。
特別に海外旅行に不安がある訳ではないと思っていたのだが、飛行機に乗るのはやはりそれなりの覚悟が必要なのだろうか。しかし、そんなものをかき残すこと自体縁起が悪いではないか。それなのにの遺書である。

読んで笑ってしまった。
「いいお母さんになれなくてごめんね」まずは謝っている。
「でも、いいお母さんになれる人なんかいるのかな?」謝った途端に言い訳。
「幸せになってね」終わり。
なんだよーと思う。遺書なんかじゃなくったって、今言えばいいじゃん。今言えることしかかいてないじゃん。
だから、言おう。今言おう。でも面と向かうと言葉は違ってきそうだ。
「きみが好きだよ」その辺りの言葉だろうか。
それを子ども達に伝えるには、言葉で足りるのか。いや、すでに何度も言っている気もする。他の言葉を考えようか。思いつかない。やっぱ、遺書かな。などと考えを巡らせつつ、かきかけの(?)遺書を削除した。

スペインでも飛行機雲は同じですね。『サグラダ・ファミリア』で。

バルセロナのカテドラルで。

こんな恐いシーンも。いえいえ、ポスターでした。
photo by my husband

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(スペイン徒然後日談)時間を守る国

スペインに行き、驚いたことがある。
スペインの人は、時間にきっちりしているということだ。何年か前に夫と娘とイタリア旅行した時には、そのルーズさ、電車はいつ来るかわからないし、列に並んでいる時に割り込むのが平気な文化に驚いたものだった。だがイタリアとスペインでは全く正反対というほど、スペインの人は時間を守るし、割り込みしたりもしない。基本的に真面目なのだ。同じラテン系の国なのに、こうも違うとは。(真面目で割り込みしないイタリアの人、ごめんなさい)

「3ミニッツ」三本指を出して3分経ってから来いと言う。『サグラダ・ファミリア』のエレベーターに集合時間13分前に行った時のことだ。
「3分って」「細かいなー」ふたり苦笑した。
メトロでは、電車が来る時間を何分前と表示するし、新幹線AVEも時間ピッタリに発車した。バスではお年寄りに席を譲るのが当然という雰囲気も感じられた。ホテルのロビーに頼んでフラメンコを予約した時にも、9時半に予約が取れなくて10時半になったと、後でちゃんと教えてくれた。こういう普通のことが、嬉しい。
「日本と似てるかも」「確かに」
シーフードが好きなところも時間を守るのがマナーであるところも、日本と変わらないスペイン。わたし的には、もうすでに故郷の如く近親感いっぱいだ。

そう言えば、スペインを旅した時でさえ、夫は夜中にテレビを観ていた。コンフェデレーションカップ。イタリアVS日本。残念ながらイタリアが勝った。どうしてあの、ルーズな国の人が、こんなにサッカーが強いんだろう?
翌朝、寝不足顔で憮然とした表情の彼に結果を聞いて、ただ思うのだった。
(真面目で割り込みしないイタリアの人、ほんっとごめんなさい)

あと2分です。メトロの駅で。バルセロナでもマドリードでも、
10回分の回数券を買い、夫とふたりちょうど5回ずつ乗りました。
      
『サグラダ・ファミリア』は、    電車に自転車コーナーがある不思議。
130年以上建築中。        車内でのケータイはOKみたい。
たった3分待つくらい、何のその。  あちこちで着信音が鳴っていました。
    
親近感がわいても判らない雰囲気は街じゅうにありました。

ケーキ屋さんのショウウインドウで。photo by my husband

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カーニャとセルベサの謎

旅の終着点は、出発点と同じバルセロナだ。バルセロナの空港から朝一番の飛行機に乗るため、マドリードからスペイン版新幹線AVEに3時間揺られ、最後の夜はバルセロナで過ごした。

12泊13日。スペインにもずいぶんと慣れ親しんだ気がする。ビールの注文の仕方も、途中から気づいて変えた。「カーニャ」というのは「生ビール」の意味もあるが「小さい」という意味もあり、小さなコップのビールを何杯もおかわりすることになる。「セルベサ」と頼むとワイングラスや細長い大きめのグラスにたっぷり入れてくれる。
「ウナ・セルベサ・ポルファボール」(ビールください)
オーダーもスムーズだ。ところがである。バルセロナのバルで出て来たのは、なんとビールの炭酸割り檸檬風味だった。
「セルベサ?」と抗議の色も濃く、しかし言葉にできないわたし。
「スィ。セルベサ・コン・リモン」(ええ。檸檬ビールです)
夫とふたり、この出来事について推測した。
「バルセロナじゃセルベサって言えばこれがスタンダードなんじゃない?」
「マドリードでもコルドバでも、通じたのにぃ」
「カタルーニャ地方(バルセロナがある東側)は、カタルーニャ語だし」
「東京と大阪で、エスカレーターで立つのが左右違う感じ?」
「ちょっと違うけど、まあ、そんな感じなんじゃない」
「あーん。ビールが飲みたいよー!」「スペインは、まだまだ奥が深いな」

ということで最後の夜は、ふらふらと散歩しつつバルをハシゴし「ビア・プリーズ」と英語でビールを注文したのだった。

左端にある陶器の素敵なビールサーバー。なのに「コン・リモン」とは。
     
憎き『セルベサ・コン・リモン』 カタルーニャの旗を飾った窓も多いです。

こういうのが飲みたかったのに!

嬉しかったのは、最後の夜の散歩で、
オリーブの木にとまった小鳥と再会を果たしたことです。
photo by my husband

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市を歩く

マドリードの『サン・ミゲル市場』はバルセロナの『サン・ジョセップ市場』と違い、整然とした雰囲気だ。マドリード3日目は、市場で朝食を取り、蚤の市でも見てのんびりしようということになった。計画では近郊都市のトレドまで日帰りで行くという案もあったが、何しろよく歩いた旅だった。ふたりとも疲れていて、とにかくのんびりをテーマに始まった1日だ。

『サン・ミゲル』は、フードコート形式で真ん中にテーブルと椅子があり、何処の店で買ったものでも食べたり飲んだりできる。初めての朝のように注文を間違える心配もない。指をさして頼めばいい。わたし達は、ふたり珈琲を買いテーブルを確保し、交替で好きなものを買って来て食べることにした。
夫はパンに蟹サラダを乗せたタパスなどをふたつ。わたしはガスパッチョとコールスローサラダをパンに乗せたものとベリーの生ジュース。〆て約17ユーロ、ひとり1100円くらいだから高くついたようにも思うが、市場の面白さを味わえて元は取れた感いっぱいだ。

それから蚤の市を見に行った。のんびり見て歩く。しかし市は行けども行けども続いていて、結局メトロの駅3つくらいは歩いただろうか。
「なんでまた歩いてんの?」「こんなに大きな市だったとは」
「歩いて歩いて、歩き回る運命なのかも」と、夫。
そんな運命いやだ! というわたしの声は、疲れ切っていて言葉にならない。
もう一歩も歩けないと思った頃、ようやくメトロの駅を見つけ、ホテルに帰ってシエスタ(昼休み。昼寝をする人も多いらしい)を取ったのだった。

タパスもガスパッチョもパエリアも、美味しそうでした。

オリーブその他ピクルスを串に刺したもの1本から売ってます。
でもオリーブは何処の店でもお通し(?)で出てきて百個は食べました。

エイや蛸、牡蠣、海老、亀の手。何でもあります。
  
カクテル屋さん? アメリカン?       カプチーノは模様入り。

わっ楽しそう! と見て歩いた『カストロ・蚤の市』

しかし歩けど歩けど、市は延々と続いていました。
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想像することの大切さを考える

ピカソの『ゲルニカ』を観た。マドリードには3万点以上の絵画や彫刻を所蔵する『プラド美術館』もあるが『ゲルニカ』を観ようとあえて規模の小さな『ソフィア王妃芸術センター』に足を運んだ。
スペインはバスク地方の小さな町ゲルニカをタイトルとしたその大きな絵は、2か月もかけずに描かれたものだという。ドイツ軍が、人口六千人足らずの町を空から襲撃し、一般市民約千五百人が負傷し五百人以上が亡くなった。それを知ったピカソが、パリ万博に間に合わせようと短期間で描きあげたものだ。
逃げ惑う人、死んだ子どもを抱いて泣き叫ぶ母親、落ちた首や手足。そのモノクロの絵のなかでも印象に残ったのは牛と馬の表情だ。何が起こったのかわからず、ぽかんとしている。それが、何もわからないままに死んでいった人の無念を代弁しているかのように、わたしには見えた。

行きの飛行機の中で期せずして、百田尚樹の『永遠の0(ゼロ)』(講談社文庫)を読んだ。途中でやめられなくなり一気に読んだ。26歳の主人公健太郎は、特攻で死んだ祖父の生き様を調べるため、戦友達に話を聴きに行く。フィクションだが事実を調べつくしてかかれた特攻隊の話だ。
そのなかに、初めて特攻のことを聞いた時にどう思ったかとの彼の質問に、元特攻隊員が、それほどの衝撃は感じなかったと答えるシーンがある。
「おそらくその頃は、人間の死に対して鈍感になっていたのでしょう。新聞でも『玉砕』という文字は珍しくありませんでした。玉砕の意味ですか? 全滅という意味です。ひとつの部隊総員が死ぬことです。全滅という言葉を『玉砕』という言葉に置き換えて、悲惨さを覆い隠そうとしたのです」

人は、人間の死に対してでさえ鈍感になれるんだ。そんなことを考えつつ観たピカソの『ゲルニカ』は、こう語りかけているかのように感じた。
「目の前で起こったことだと想像して、心の目でしっかり見てください」

『ソフィア王妃芸術センター』は、新幹線AVEが停まるアトーチャ駅近く。
巨大な顔は駅前にあるオブジェです。眠ってる子と起きてる子ふたりいます。

外にはこんなオブジェがありました。

なかにはこんなオブジェが。牛の上に豚その上には羊。
肉の部位がかいてあります。何故、角が?

これも芸術だそうです。ひとりずつゆっくり上っては降りていきます。
何を表現しているのか、よくわかりませんでした。

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マドリードでグラナダを知る

首都マドリードは、当然の如く都会だった。
ホテルの近くメトロの『ソル駅』の周りには『ムセオ・デル・ハモン』というスペイン名物生ハムの店がある。『ハモン・セラーノ博物館』という名前そのままに生ハムの塊が何本もつるされ、もちろん買って帰れるし、カウンターでは生ハムサンドウィッチを食べてビールや珈琲を飲める。『ガンバスー・アル・アヒージョ』(芝エビのにんにくオイル煮)が美味しい海老専門店もある。どちらも立ち飲みバーになっていて値段も手ごろ。料理が出てくるのも早い。客の回転が速いから、安くもできるのだろう。いつも人であふれている。

そんなマドリードで、ふたたびグラナダに出会った。陶器の老舗『カサ・タラベラ』のドアを開けるとたくさんの『グラナダ焼き』が目に入ってきたのだ。店主はこだわりが強く頑固親父を地でいくタイプとみた。店には鍵が掛けてあり、接客中に他の客が来ても開けようとしない。わたし達は運が良かったのだ。彼はとうとうと(多分あまり得意ではない英語で)話し始め、次の客がドア越しに覗くと、また鍵を閉めた。
ひとつひとつがハンドメイドであることや時代によっての違いがあること、色を重ねたものよりも白と青のグラナダ焼きの方が難しい故に高価であることなど。グラナダはいいところだったと夫が話すと、嬉しそうな顔をしてまたしゃべりだす。
「これ、ホテルの部屋にあった絵だね」「ほんとだ」
そこで初めてわたし達は、その絵が最もスタンダードなグラナダ焼きだと知った。グラナダでは、様々な絵のグラナダ焼きがありわからなかったのだ。マドリードに来て初めてグラナダ焼きのことを知る。不思議な体験だった。

フラメンコもマドリードで観に行った。発祥はアンダルシアだが、残念なことに発祥の地では観光客向けになってしまい昔ながらのフラメンコは観られないそうだ。シンプルで上質なフラメンコはマドリードでと聞き、ホテル近くのタブラオ(フラメンコショーをやる店)の老舗に出かけた。グラナダで歩いた『アルハンブラ宮殿』を模したという内装、舞台の背景も観たままの風景。ついこの間歩いた場所だが、懐かしくも感じる。
ショーは始まった途端、踊り手の表情が身体全体の動きや指先にまであふれでていて、目が離せなくなった。独特のリズムがてんでバラバラになったと思ったら、歌、手拍子、タップ、ギター、動きのすべてが重なり、止まる。その瞬間、時が止まったような錯覚に陥る。面白かった。
グラナダを旅して、その後訪ねたマドリードだからこそ味わえるグラナダ。こんな風にしてまた何処かでスペインに出会えるかも。フラメンコの踊りに圧倒されながら、身体じゅうでスペインを感じていた。

グラナダのホテルの部屋に大きく飾られていた、
グラナダ焼きスタンダードな花の模様。
     
陶器屋『カサ・タラベラ』     タブラオ『トーレス・ベルメハス』で。
     
マドリードは『マヨール広場』    海老専門店『カサ・デル・アブエロ』

『ムセオ・デル・ハモン』は、いつも人であふれていました。
photo by my husband

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言葉はなくとも

コルドバでは、イスラム教とキリスト教が混在した教会『メスキータ』やコロンブスが新大陸発見の資金を援助してもらうために王に謁見したという城『アルカサル』を観て歩いた。夫もわたしも宗教は持たないが、教会の空気に心がしんと澄み、歴史の重さを味わうこともできた。

そんな観光客も多いのだろう。わたしから見ると、スペイン国内旅行の家族なのかアメリカから観光に来たグループなのか、フランス人かイタリア人か、全く区別がつかない。そういう場所では覚えたてのスペイン語「ペルドン(失礼)」と道を通してもらうより「エクスキューズミー」と言った方が早く、英語をもっと勉強すべきだと実感した。

『アルカサル』の塔の上でも、英語圏の人なのかスペイン人なのかわからない女性が石のベンチで休んでいた。わたしも夫が写真を撮る間、日陰に入って休み、ぼーっと少し高い場所にとまる鳩を眺めていた。その時だった。鳩が飛んだと思ったら、空ではなくアーチ形の入口から塔の中へと入っていったのだ。
「オゥ!」と、休んでいた女性。
「わあっ!」と、わたし。
思わずふたり顔を見合わせ、笑った。ふたりとも一言も発することなく、同じ気持ちでただ笑った。
「鳩ったらなかに入ってどうするつもり?」「迷子にならないのかしら?」
言葉はなくとも一緒に笑うことで気持ちが通じ合った。不思議な一瞬だった。
ところで、その女性も然りだが海外では多くの人が年上に見える。彼女も年上だと思ったが、じつはわたしよりずいぶん年下だったりするのかもしれない。
だが「マダム」と呼ばれると、うろうろ歩き回りたいほど落ち着かない気持ちになるわたしは、海外では精神年齢もさらに下がるということで、年上に見える人はみんな年上ってことでいいかな。

真ん中の塔の上での出来事です。
   
塔のなかは迷路のよう。         水に美を求めたアラブ様式の
でも鳩の心配は無用でした。      『アルカサル』の庭園。
彼らは巣を作り、塔に住んでいたのです。

川越しに見たライトアップされた『メスキータ』
夜10時を回っても、橋はカップルやファミリーでいっぱいでした。
人形にバイオリンを弾かせる大道芸が素敵で、しばらく足を止めました。

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09 2019/10 11
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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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