はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『花の鎖』

湊かなえの小説『花の鎖』(文春文庫)を、読んだ。
主人公は、3人の女性。梨花、美雪、紗月。それぞれに悩みを抱えている。
両親を亡くし仕事も失った矢先に祖母が癌で入院した梨花。死んだ母に毎年贈られてきた花束の送り主「K」を探す。以下本文から。

「そういや、俺もKだ。Kの正体が俺だったらどうする?」
「花の送り主が花屋? 匿名にする理由は?」
「それだ。年賀状を実名で送ってくる人が、花を贈るときだけ『Kより』なんて書かないよな。昔の話に名前がよく出てきたのに、手帳に名前が載ってない人とか思い当たらないのか?」
「全然。ママってそういう話を全くしない人だったから。今度はどこへ行こう、何をしようって先のことばっかり。パパとのなれそめを訊いても、どうだっけ? とか本当に憶えてなさそうだったし。パパもそういう人だったから、なおさらなんだろうね」
「ばあちゃんはどうなんだ? きっちりしてるじゃないか。一緒に住んでいる娘にあんな大きな花が届いたら、誰からか訊くんじゃないか?」
「もちろん、ばあちゃんにも訊いたよ。Kの秘書が来たときも一緒にいたんだから。そうしたら、見ず知らずの他人とも強い絆で結ばれていることがある、なんて、正体を詮索する気はないような言い方された」

結婚して3年の美雪。悩みは子どもができないこと。それさえ優しく受け止めてくれる夫だが、彼の仕事に陰りが見えてきた。以下本文から。

「和弥さん・・・」
話してくださいとは言えません。私と陽介さんはいとこ同士です。けれど、私は和弥さんの味方です。信じてください。そんな思いを込めて、和弥さんを見つめました。
「・・・あとは全部俺がやる、だってさ」
「どういうこと? 選ばれたのは和弥さんが応募した図面なんでしょ。陽介さんにそんなことを言う権利はないわ」
「権利はあるさ。知らないうちに名前が書き換えられていた。最終候補に選ばれたのはうちの事務所名義で応募した作品。代表者は、陽介だ」

バイトをしながら好きなイラストを描き、昔の恋人との辛い思い出を忘れようと、一人で育ててくれた母と生きる紗月。以下本文から。

母が誰かに相談や頼み事をしている姿を見たことは一度もなかった。小学校低学年の頃、母が熱を出して寝込んだことがある。誰かを呼んでこようかと駆け出そうとしたのに、母は一人で大丈夫だから行くなと言った。
「お母さんは一人で大丈夫だから。寝込んだら誰かに助けてもらえるなんて、体が覚えてしまったら、一生起き上がれないわ」
それを聞くと、自分も他人に頼ってはいけないような気がした。

3人の女性達は、花で鎖を編むように、花の記憶で繋がっていた。読み進めるうちにその鎖がほどけ「K」の謎が解けていく。
花は誰のためでもなく咲いているのだが、その可憐な姿は人の心に様々な変化をもたらす。人の心が動いたとき、それは記憶として残っていくのだろう。
コマクサの花を探して、八ヶ岳を登るシーンが印象的だった。いつも観ている八ヶ岳に、高山植物の女王と呼ばれる花が咲いていることを初めて知った。
日々漠然と眺めている山々だが、知っていることはほんのわずかなのだ。

子どもの頃に編んだ、シロツメクサの花冠を思い出すような表紙。
デビュー作『告白』が黒なら『花の鎖』は白。解説、加藤泉の言葉です。

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失くした文殻

便箋に手紙を綴ることは、今はもうほとんどない。
あるとすれば、子ども達に送る宅配便に一筆箋を添える程度だ。それさえも書き損じ、お気に入りの一筆箋をムダにしてしまうことも多い。メールに慣れ、字をかくことすら少なくなっているのだ。

何もかいていない一筆箋や便箋は、風ひとつ吹かない陽だまりで眠る水たまりのように穏やかだ。だがいったん一文字でも文字をかき込むと、その穏やかさは一瞬で消え、心のしずくを落としていくかのように、一筆一筆水たまりに波紋が広がる。まだ意味をなさない文字の羅列であっても、そこには心のしずくの跡がついていて、書き損じたものを丸めるときにさえ消えない。そんなことを考えていたからか、心のしずくの跡がついた書き損じ、それを「文殻」というのだと、ずっと思っていた。伝えたいことが伝えたいように表現できず、書き損じを重ねた文の残骸のイメージだ。

しかし「文殻」の本来の意味を、つい最近知った。デジタル大辞林によると
「読み終わって不要になった手紙。文反故(ふみほご)」
書き損じではなく、ちゃんと相手に渡り、読まれた後の手紙のことだった。貝殻の殻の字が使われていたことで不要な物だと思い込んでしまったのだろう。

先月、パソコントラブルでこれまでのメールがすべて失くなった。「文殻」だったので問題はないのだが、少し淋しい気がした。メールをかくときにだって、心のしずくは落としているし、誰かの心のしずくを拾ったりもしているのだ。だが、断捨離をしたようなすっきり感もあった。過去をすべて忘れるのがいいとは思わない。だけど失くした分だけ軽くなったからか、不思議と力が湧いてきて、今とこれからを生きていこうっていう気持ちになったのだ。

一筆箋達です。いちばん左が市内にある『平山郁夫美術館』のもの。
右側のツツジは、信州ビーナスラインのお土産です。
ツバメ達はいちばん右の封筒についていたメッセージカードです。

『平山郁夫美術館』は、カレンダーも素敵なんです。
7月は、ベネツィア。水路のある風景。

8月は『ロミオとジュリエット』の舞台となった街、ベローナ。

9月は、フィレンツェの街並みです。

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みどり、緑、ミドリ

ネイルを、更新してもらった。
迷った末に選んだ色は、白ベースに明るい緑。濃い緑のストーンも入れてもらった。じつは緑には、一度失敗したことがある。気に入って買った濃いグリーンのTシャツを着て出かけると、出先の鏡に映った自分がどうにも顔色が悪く見え、この色との相性が悪いのだと知ったのだ。緑にもいろいろある。もちろん緑色全般との相性が悪い訳ではないとは知っている。だが一度目の失敗の印象が強いと、臆病になってしまうものである。緑色。ネイルでは初めての挑戦だ。肌の色との違和感もなく、とても気に入っている。
そのうえ、思いがけずいいこともあった。期待していた訳ではないがこのネイルに変えてから、パソコンのキーを叩きながら、包丁を持ちながら、洗濯物を干しながらちらちら見える緑に、気持ちが和らぐのが判るのだ。
緑には、リラックス効果があるそうだ。太古の昔に外敵から身を守るために緑の茂みに隠れた記憶が残っているとも言われているらしい。

みどり、緑、ミドリ。見渡すと様々な緑色が目に入ってくる。この季節、我が家の居間では三方にある窓から木々の緑が見える。その色も、木によって、あるいは光の加減によって、違っている。
ふと、ずいぶん長いこと思い出さなかった記憶がよみがえった。
「綺麗な若草色ねえ」
子どもの頃、何度も聞いた母の言葉だ。母は、明るくやわらかい緑、若草色が好きだった。太古の記憶と、母の記憶。わたしのなかには、緑色に気持ちが和らぐだけの記憶があるのかも知れない。

白ベースに明るい緑を散らして、濃いグリーンのストーンを入れて。
ゴールドで縁どると、アジアンテイストな雰囲気が出ますね。

庭にも様々な緑があります。アップルミントはまさに若草色。

ポストの上には、ミントとよく似た色合いのカマキリくん。

イチイの緑は、ミントより濃い目ですね。赤い実が似合う色。

柊には、けろじがかくれんぼ。保護色なんだよね。

同じアマガエルでも、みんな違う色をしています。

モミジには空き家のハチの巣がありました。ごく薄い黄緑色。

ドウダンツツジに、仮面ライダー発見!

山椒は赤い実がはじけて、艶やかな黒い種が顔を出していました。

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庭の栗の栗ご飯

週末の土曜、庭の栗を収穫した。豊作である。
日曜の朝食に、栗ご飯を炊こうということになった。仕込みをするのは夜だ。
「一緒に剥くよ」と言ってくれた夫だが、夕方ご近所さん宅で飲み、酔っぱらって帰ってきた。鬼皮は栗剥き器で剥いてあったので、あとは渋皮を包丁で剥くのみ。
「酔ってるんでしょ。包丁持つのは危ないよ」
そう言って、彼の申し出を退けた。
夕食後、テレビを観ながらのんびりと栗を剥く。大粒の栗だったので、ふたり分の2合なら12個もあればいい。手を傷めることもなく、特に負担に感じもせずに剥けた。

だが翌朝炊きあがった栗ご飯を見て、ある疑問が浮かんだ。
夕べは、彼がビール持参でご近所さん宅に行ったので、わたしもキッチンドリンカーよろしくビールを空けて料理していた。そして風呂上りにまた1杯。夕食時にまた1杯。夫が開けたワインまでともに美味しく飲んだ。
「自分だって、じゅうぶん酔っぱらってたじゃん」
包丁を使い慣れているという自負もあったかと思うが、夫には危ないと言っておきながら、自分の状況は見えていなかったのだろう。

しかしそれ以上に、自分のことならなんとかできるという気持ちがあったのだと思う。夫が怪我をした場合、自分には判らない痛みや感情やそれに付随する諸々のことが発生し、わたしにはそれを把握することができない。そのことへの不安の方が大きかったのだ。
幽霊だって、どんなものであるか判らないからこそ、怖いのだ。
「わたしって、案外、臆病なのかも知れないな」
ほっくり炊けた栗ご飯に、自分自身の知らなかった側面を見た気がした。

ドングリが小さい訳じゃなくて、栗が大粒なんです。

炊けたー。お釜のなかでも、栗が粒の大きさを主張しています。

なめこ、若芽、油揚げ、大根に茗荷の味噌汁、塩鮭、モヤシとニラのナムル。
そして栗ご飯。ちょっと贅沢な日曜の朝食です。

甘い! ほっくほく。←ありきたりな表現だなあ。でもそうなんだもん。

ご近所さんに栗ご飯を持っていくと、カボスに変身しました。

夫が、薪ストーブ作業用の分厚い手袋で剥いたイガ残骸。

栗の木には、収穫後もまだ青い実が残っています。

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秋が来た朝

台風が温帯低気圧に変わり通り過ぎた朝。
毎朝飲む白湯、昨日のポットの残り湯が、いつもより美味しく感じられた。山梨の北、標高600mの我が家では、半袖では肌寒いほど冷え込んでいた。
「あ、今朝、秋が来たんだ」
そうつぶやくと、腑に落ちた。

栗が実を落とし、とんぼが群れをなして舞い、蕎麦が白い花を咲かせ、田んぼの稲粒が一粒ずつが日々重みを増しながら頭を垂らしていくのを眩しく眺めていた。もうすぐ秋が来るんだな。あるいは少しずつ秋になっていくのだなと。

しかし、秋はある朝突然、場所ごとに、家ごとに、いやたぶん、ひとりひとりそれぞれにやってくるものなのだと知った。日中は気温が上がり夏日となったが、わたしに来た秋は、一昨日の朝だったと言い切れる。気温が下がった朝の山々は、くっきりと輪郭を際立たせ美しかった。
「お、綺麗」
運転席の夫が、富士山を見て声をあげた。
「彼にも今朝、秋が来たのだろうか」
そんなことを考えながら、助手席で富士山を眺めていた。

南の方角、韮崎駅に向かう農道からはまっすぐ前に富士山が臨めます。

正反対の北を向くと、やはり正面に八ヶ岳。韮崎からの帰り道に。

八ヶ岳の方が、富士山よりずいぶん近いので、
アップにすると、夏山が秋に向かう様子が感じられます。

さらにアップにした八ヶ岳の最高峰、赤岳です。

こちらは権現岳。螺旋のようにも見える稜線が美しい山です。

足もとを見ると、稲刈りを待つばかりの稲穂が揺れていました。

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10分どん兵衛と無花果のお吸い物

10分どん兵衛が話題になっているという記事を読み、なるほどと納得した。
お湯を注いで5分待つのが定番のカップうどんだが、10分置くことで麺が汁を吸い、ほどよく柔らかくなるという。冷めることはないが、猫舌にはちょうどいい熱さで食べられるということだ。
製造元の日清は謝罪文を発表した。そこには世の中の多様性を見抜けなかったことを深く反省とある。5分にこだわり過ぎていたと。こうして食べるべき、という縛りからどん兵衛は抜け出したのだ。売り上げもアップしたという。
わたしも見習って、最近ハマっているカップ麺のフォーの食べ方を変えてみた。時間を長くするのではない。3分はフォーにはちょうどいいと思う。しかし食べるたびに口のなかを火傷するのだ。変えたのは、出来上がってからカップのまま食べるのではなく、器に移す。ザッツオール。それだけで、火傷せずに美味しく食べられるようになった。固定観念に縛られていては、自らがもっとも楽しめるカップ麺の食べ方にもたどり着けないのだ。
毎日の食卓のなかにもそういう縛り、けっこうあるんじゃないかな。

そんなことを考えていた折り、無花果をいただいた。
無花果といえば、冷やして生で食べるほか、コンポートやジャム、ヨーグルトに混ぜるのもスタンダードだ。しかし、いただいたその日にとんぼちゃんの日記でとても斬新な食べ方を知った。無花果のお吸い物。作り方も簡単だ。お吸い物の出汁に無花果を入れるだけ。さっそく作ってみたら、これが美味い。味噌汁にプチトマトを入れて食べることを知ったとき以来の感動だった。

こうしなくちゃ、こうすべき、これはない。そう決めつけていたら、見逃しちゃうものもあるだろうし、出会えないものも、たぶんある。
「10分どん兵衛と無花果のお吸い物」
なんとなく口にすると、そんな縛りを解く呪文のような気がした。

無花果の甘さはやわらかい。甘いものが苦手でも楽しめます。

無花果の木、初めて見ました。木が次々風船を膨らましているみたい。

白だしと昆布を入れて温めただけの汁に少し浸けて温めて。
やってみたら、癖になる美味しさ。

無花果と同じ方にいただいたミニというには大きいトマトを、
味噌汁に入れて。酸っぱさと味噌と出汁のマッチング。

最近ハマってるフォー。猫舌のわたしには、ちょうどいい熱さに。
カップのまま食べなくっても、いいんだよ。

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『星々たち』

桜木紫乃の連作短編集『星々たち』(実業之日本社)を、読んだ。
不意に桜木紫乃の短編集が読みたいと思い立ち、Amazonで注文した。桜木紫乃には、そんな行動をとらせてしまう不思議な魅力がある。心の奥底に広がるものを覗きたくなったとき、この作家の本を手に取るような気がする。

9つの短編からなる小説集は、体というものに翻弄され続けた塚本千春という女の半生を切り取りながら、彼女の周りの人々を描いていく。
1話『ひとりワルツ』千春、13歳。離れて暮らす母咲子を訪ねた。
「ねぇ、ブラジャー買おうよ。そんな大きなおっぱいに直接Tシャツ着てたら、周りの人に気の毒だよ」
千春は自分の胸を見下ろし「うん」とうなずいた。
「ばあちゃんは、なにも言わないの」
「さらし巻いておけって。でも、暑いから」
2話『渚のひと』16歳の千春と息子との仲に気をもむ女。
気づけば千春の鈍さや、細い目や、短い指や愛想の悪さなど、おおよそ魅力とはいえない部分を数えていた。この娘が圭一の気持ちを惹かない理由を精一杯心に溜めていく。
3話『隠れ家』父親殺しの血の繋がらない兄を慕う女。彼女の後釜でストリッパーになった千春は20歳。
ふと、彼女の本名を聞いていなかったことに気づいた。
「千春です」「いい名前じゃないの」
細い目が弧を描いた。杉原麗は二年を待たず人気が出るだろう。
4話『月見坂』母親と暮らす40過ぎの公務員と結婚。千春、22歳。
晴彦はその夜、初めて彼女を抱いた。
千春の体は、夜景の底に忍び込むような暗さをたたえていた。どんどん沈んでゆく男の体を、細い胴が受け止める。行き止まりに向かって体を進めると、豊かな胸が上下して思わず手を伸ばした。
5話『トリコロール』結婚前の妻の不貞を許さず暮らす理髪店の男。言い訳ができない妻。その息子と再婚した千春は赤ん坊を生む。
千春と名乗った女は決して清潔とは言いがたい風貌で、どこか愚鈍な気配が漂っていた。息子が右を向けと言ったら一日中右を向いていそうな女だ。二つ年上だというのに、姉さん女房のかいがいしさや頼りになる気配はまったくなく、膨らみ始めた腹を隠そうともしなかった。
6話『逃げてきました』千春、38歳。同人誌で詩をかく。
あのひとは わたしにはいってきたけれど
わたしは あのひとにはいることができなかった
ぬるいたいおんが いったりきたり ずっと
おわりがくるのを まっていた
7話『冬向日葵』最期を迎える咲子のため、男が千春(44)を探しに行く。
「ずっと死んだような目をして生きていけばいいじゃないの」
「なんだよ、千春ちゃんまでそんなこと言うのかよ」
「だって、そうすればいつか誰か助けてくれるもの」
8話『案山子』編集者をリタイアした男の前に現れた千春は、交通事故で片足を失くしていた。男は千春の半生を綴る。
「事故のときに顔に刺さった硝子や、車の細かい破片がときどきこんな風に皮膚から飛び出してくるんです。事故後すぐの手術ではぜんぶ取り切れなかったんですよ。いくらかでも元に戻ろうとしているのか、人間の体っておもしろいですね」
9話『やや子』千春の娘やや子は、それと知らず、千春の半生をかいた小説『星々たち』を手に取る。
やや子の胸の内側で、星はどれも等しく、それぞれの場所にある。いくつかは流れ、そしていくつかは消える。消えた星にも、輝き続けた日々がある。

夜空に輝く星。ここに届くまでの間にすでに消えてしまっている星もあるだろう。だけどかつては輝いていて、今その光が届いている。
人は星、みんな輝いていたいんだ。そして輝いていたときを心に留めておきたいんだ。千春も、彼女の周りの人も。そう思った。普通でいい。特別な光を放つことはなくともいい。そう思いながらも、わたし自身、小さくてもいいから輝いていたいと思う気持ちがあるのだと、しみじみと考えた。

濃く深いブルーに、何処か切なさを感じる表紙です。

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井津建郎『インド 光のもとへ』

市内の清里フォトミュージアムに、写真展を観に行った。
井津建郎(いづけんろう)『インド 光のもとへ』
井津は、インド、ベレナスで、死者が荼毘に付されるさまを目の当たりにし、それから10年後に本格的に写真を撮り始めた。ベレナスは、ヒンドゥー教徒が死後、ガンジス河に流されることを切望する聖地だ。そこでは人の死は、悲しむべきものではない。命は永遠に続いていく。死して光のもとへ帰ることは次の生への旅立ちであり、穏やかに受け入れられる出来事だという。

井津は、頭では知りつつも知りえなかったことに写真を撮りながら気づいていったのだと、写真を観ていくうちに判ってきた。自分とは圧倒的に違う感覚で「死」をそして「生」を捉えているのだと。
ベレナスの火葬場で、家族が集まって亡くなった人を焼く火を見つめながら談笑しているのを見たときや、火葬をする最後の儀式を行えるのは男性だけで、そのために男の子の誕生を願うのだと聞いたとき、火葬場で働く人の家族がその残り炭を使い夕餉の支度をするのがしきたりだと知ったときなどに。

死を迎える人々と家族に無料で部屋を提供する施設、モクティ・バワンでの写真もあった。通称「死を待つ家」の言葉そのままに捉えていたのだが、何年かかけ写真を撮っていくうちに違和感が生まれたそうだ。死を待つのではなく「家族とともに最期を生きる家」なのだと感じられるようになったという。
モクティは「解脱」の意味を持つ。「解脱」はこれまでの行いにより繰り返されていく輪廻転生から解き放たれた理想の状態で、そのために瞑想や断食が行われるそうだ。

宗教を持たないわたしは「死」について持論と呼べるようなものはない。今、生きてる。確かなことはそれだけだ。死してその先何が待っているのか、考えようとも知ろうとも思わない。ガンジス河のほとりで、最期を迎える人々の気持ちを理解しようとしても、理解しがたいものがある。
写真展には、寡婦や孤児達のポートレートもあった。
モクティ・バワンでの写真も含め身近な人の死を経験しているであろう人がほとんどだ。みな穏やかな表情をしているのがわたしにはとても印象的だった。

清里の森のなかに建てられたミュージアムです。

入り口に展示されていた、大きなカメラ。

反対側から見ると、こんな感じ。

気持ちのいい中庭がありました。

写真展は、10月10日まで。
井津建郎は「小児病院をつくった写真家」としても知られています。
アンコール遺跡で地雷で傷ついた子ども達と出会い建設を決意したそうです。
カンボジアのアンコール小児病院開院式での井津の言葉は、
「この病院では自分の子どもにすることはすべてやってください。
自分の子どもにしないことは、絶対にやらないでください」

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「普通」という言葉

「普通は、そうだよね」ということが、よくある。
例えば「普通は、ラーメンに葱とチャーシュー入ってるよね」とか、
「普通は、チェックのシャツにチェックのパンツ合わせないよね」など。
だけどその「普通」どうなのかな? と考えることがたまにある。

普通は、あの映画観たら泣くでしょう。(ツボが違うらしく当てはまらない)
普通女性は、甘いものが好きだよねえ。(超苦手で困ることがよくある)
普通は、天気予報雨なんだから、傘持ってくるでしょ。(よく、雨にぬれる)
こういう一般的にはそうかも知れないんだけど、そうはいかないものも多い。
好みや性格によって普通とずれている部分は、誰しもが持っているだろう。

しかし、わたしが最近違和感を抱くのは、その普通、本当に普通なの? と思うときだ。「普通」という言葉のなかにある偏見に気づくとき、とも言える。

先日東京に行ったとき、久しぶりに実家に帰った。
両親は板橋の団地でふたり暮らしている。相変わらずだなと思ったのは、父が料理し、母が片付けるというスタイルが崩れていなかったからだ。子どもの頃は出来合いの総菜が並ぶ食卓が嫌で、エプロンをしてハンバーグをこねるような「普通」のお母さんに憧れたものだが、人には向き不向きがある。母は料理が苦手で、父は得意だ。得意な方が得意なことをやればいいと今なら思える。
考えると、子どもの頃は自分の偏見に気づかず、母に「普通」を押しつけていた。申し訳ないことである。今でも、ときどき思い出す。母は、料理は苦手だったが編み物は得意だった。編んでくれたチュニックには丸いミカンをデザインしたポケットがつけてあったっけ。
母はもう、編み物はしていないようだが、父とふたり普通に暮らしている。
「普通に暮らす」そういうふうに使う「普通」は、偏見もなく、静かで穏やかないい言葉だ。

我が家の庭の「普通」な風景です。イヌタデ。ピンクが可愛い。

「秋桜」コスモスも、咲き始めました。

ホタルブクロは、最後の花を膨らませていました。

イチイの垣根に、赤い実がなっています。目を魅く赤です。

ムカゴも生っています。食べられるのかなあ。植えた覚えないけど。

「松の木さん。ウッドデッキの上じゃ、大木にはなれないよ」

そう話しかけているのは、アマガエルのけろじでした。

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車という仮面

車を運転していると、見ず知らずの人と小さなかかわりを持つことが多い。
狭い道をすれ違うときに、片手をあげて挨拶したり、会釈したり、軽くクラクションをならしたりする。道を譲ってもらったときには、ハザードランプを点滅させありがとうと伝えることもある。

しかし、嫌な思いをすることも多い。前の車が窓から吸殻を投げるのを目撃したとき。駐車場で車庫入れしている最中に割り込まれたとき。反対車線に大きくはみ出してカーブする車に危うくぶつかりそうになったとき。
「嫌だなあ。ああいうこと、したくないよなあ」
ひとりごち、ため息をつくよりほか、どうしようもない。
そういうわたしも、遅い車が前を走っているといらいらするし、駐車場でもいつでも何処でもお先にどうぞと譲っている訳じゃない。

ふと、考えた。車のなかにいると、顔は見えるけど、無意識に仮面を被っているような感覚になっているんじゃないのかな。
「ちょっとくらいずるいことしたって、判りゃしないさ」
そんなふうに思いやすい心理状態になってるんじゃないのかな、と。
車で割り込みをする人だって、人と人、顔を突き合わせていたら、きっと割り込んだりなどできまい。

大きな四駆に乗っていたら怖そうにも見えるかも知れないし、可愛い軽に乗っていれば甘く見られるってこともあるだろう。でもそれは、ただの仮面だ。
仮面を被っていたって、自分であることに変わりはない。

甲府方面に行くときに、たまに通る信玄堤沿いの道です。
信玄堤は、武田信玄が作った堤防だそうです。

川沿いの道。広めの一本道なのでスピードを出す車が多いです。

流れているのは、釜無川(かまなしがわ)。

信玄堤には、歩道があります。

土手を降りたところは、遊歩道や公園になっています。
桜並木もあります。土手に桜を植えるのは昔の人の知恵だとか。
花見客が土手を踏み固め、より強固な堤防になるのだそうです。

舗装されていない道もあります。獣道ならぬ人間道?
人もいろいろ。車もいろいろ。道もいろいろです。

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素材の旨みを味わうために

ご近所から野菜をいただくときには、これでもかというほどの量をいただく。トマト、トマト、トマト。胡瓜、胡瓜、胡瓜。ゴーヤ、ゴーヤ、ゴーヤ。ズッキーニ、茄子、茄子、茄子、ピーマン、ピーマンだ。
生で食べるほか、トマトはお浸しやピクルス、胡瓜は浅漬けにする。
ゴーヤはチャンプルーで食べることが多いが、食べるのが追いつかないほどいただく。他の素材で量を増やすとますます食べられない。なので、ゴーヤだけ消費するためにナムルを作った。これが美味い。ゴーヤを思う存分味わえる。初めて食べたときには抵抗があったゴーヤの苦みも、今ではそれを旨みと捉えられるほどに、すっかり馴染みの味となっていた。
家庭菜園で採れた無農薬のゴーヤ。素材がいいのだから、シンプルに味わうのがいちばん。凝った料理もいいけれど、素材そのものの旨みを味わうのもいいなと再認識。朝に夕にナムルを楽しんでいる。

素材そのものを味わう料理って、けっこうある。刺身。魚の塩焼き。焼き鳥。青菜のお浸し。じゃがバター。そう言えば、新米はそのままでも美味しくて、古米をおかずに新米を食べるなんて話も聞いたことがある。冷奴も、豆腐料理のなかではシンプルに素材を味わえる料理だろう。
先日、豆腐売り場でおもしろいものを見つけた。『マスカルポーネのようなナチュラルとうふ』エクストラバージンオリーブオイルがついていて、それをかけて食べるという。食べてみると、これがまた美味かった。キメの細かい木綿寄りのしっかりした豆腐に、フルーティなバージンオイルがぴったり合う。旨みの濃い豆腐と新鮮なオイルだからこそ実現する味だ。

素材の旨みを引き出すためには、素材自体の新鮮さ、美味しさだけではなく、調味料の良しあしも大切なのだなと、これもまた再認識したのだった。

おすそわけもしたんだけど、まだこんなに。2本分ナムルにしました。

緑鮮やかなシャキシャキした茹で加減が、好きです。茹で時間15秒。
すりおろしニンニク、塩、砂糖、酢、胡麻油、粗挽き黒胡椒で味つけして。
ここでも、新鮮な生ニンニクと太香胡麻油の旨みがキーになっています。

スイーツみたいな包装。相模屋さん、いろいろ出しています。

中には、エクストラバージンオリーブオイルとスプーンも。

オリーブオイルの旨みだけで、醤油も塩もいりません。

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稲絵アート、観る目もそれぞれ

市内で稲絵アートをやっている場所があると聞き、観に行ってきた。
と言っても、クリーニング屋さんに行くついでに足を伸ばしただけだ。
ふらっと立ち寄り、ぼんやり眺め、写真を撮って帰ってきた。その間に2組の見物客と遭遇した。

1組目は、70代くらいの男性。会釈をすると、立ち話になった。
「新聞で見て、甲府から来たんですよ」と、彼。
「わたしはテレビで。すぐ近くから、明野なんですけど」と、わたし。
「でもちょっと、写真を撮るにはねえ」
「もう少し高いところから、撮りたいですよねえ」
稲絵は2mほど高くなった畦から観られるのだが、全体を絵として楽しむにはもうちょっと高さが必要だと思っていたところだったので同意した。
するとそこに脚立を持ったやはり70代くらいの男性が現れた。
「ああいうの、持ってこなくっちゃダメなんですね」
わたしが言うと、話していた男性はにっこり笑って言った。
「どうぞお使いください。あれ、わたしのツレなんです」
予期せず、変わりばんこに脚立を抑えつつカメラを構えることとなった。わたしも脚立に上り撮影することができ、礼を言いしばらく話し込んでいた。
そこに2組目がやってきた。50代後半くらいかな。ご夫婦だろうか。
「小さいな」「これだけ?」と話している。
会釈をし、やはり立ち話になった。横浜から美ヶ原高原に行く途中、稲絵アートののぼりを見て立ち寄ったそうだ。がっかりしている様子が伝わってくる。他でもっと規模の大きな稲絵アートを見たことがあるのだそうだ。

不思議なものだな、と思った。
横浜から不意に立ち寄った人。甲府からわざわざ脚立を持って観に来た人。市内に住みクリーニング屋に行くついでに観に来たわたし。
そこまでの距離と、期待の大きさ、それまでの経験。そんなあれこれで、同じ稲絵も違って見えるのだ。テレビでは、子ども達が田植えをしたことや、稲刈りをする人を募集していることなども伝えていた。そんなこんなを知っているかどうかでも、違ってくるのかも知れない。
田んぼに描かれたフクロウ達の表情が、高見ではないが、そんな人間達を見物しているかのように見えてきたのだった。

フクロウの絵、判りますか? 向こう側の田んぼには月と星。
脚立に上って、手を伸ばして撮って、やっとこのくらいです。

近隣の山々と一緒に撮ると、こんな感じです。

右手手前の双葉、葉っぱの部分です。

アップにしてみました。4種類の苗で絵を作っているそうです。

北杜市の市の鳥は、フクロウなんですね。
山梨がその昔「星見里やまなし」と呼ばれていたことも知らなかった。
今月10日に、稲刈りだそうです。

駐車場には、無人の産直野菜販売所がありました。

野菜って綺麗だな。店頭にはトウモロコシもありました。

家に帰ると、玄関先の葉っぱに赤とんぼがとまっていました。
まだまだ暑いけれど、秋の気配は日々色濃くなっていきますね。

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『幸せになる百通りの方法』

荻原浩の短編集『幸せになる百通りの方法』(文春文庫)を、読んだ。
タイトルに騙されそうになるが、自己啓発本ではなく短編小説集だ。現代社会で人が生きていくなかで感じる悲喜交々をユーモアたっぷりに描いている。
リストラされた男、オレオレ詐欺の片棒を担ぐ売れない役者、婚活に参加するも冷めた目でしか相手を観られない女、ネットゲーム周辺、歴女を恋人に持つ男、原発事故から発生した節電問題と嫁姑、自己啓発本に夢中になる男。
今まさに現代社会で浮き彫りとなっている事象を切り取っていた。
今はオレオレ詐欺とは言わないが『俺だよ、俺。』が秀逸だった。大阪は、詐欺のターゲットから外してあるという。ほんまかいな。以下本文から。

「もしもし、ありがとうな」
「ええけど。なぁ、晃」「何?」
「あんた、ほんまはなんていう名前?」
「え」脳味噌が三秒ほど機能停止した。
「こんなんするの、やめとき」
さらに三秒。高村さんのほくほく顔が一転イヤホンから針が飛び出してきたように硬直した。パチさんの顔も。麻美さんが煙草の煙りをぷかりと吐き出す。
「あのな、うちの子の名前アキラちゃうの。ヒカルって読むん。なんぼうちの子がアホでも自分の名前を間違うたりするほどのアホに産んだ覚えはないわ」
やられた。向こうに逆にひっかけられたのだ。叩き切りたかったが、できなかった。
「すんません、番号間違えたみたいで・・・」
「嘘言い。あんた年は?」
高村さんが、電話の向こうに聞こえるのもかまわず叫んでいた。
「だめだ、早く切れ」でも、切れなかった。
「まだ若いんやろ。こないなこと早うやめて、まじめに働き。あんたのお母はん、こんなん知ったら泣くで」
おばちゃんの口調はきつかった。でも、東京の人間に「だめ」とひと言で切って捨てられるより、なぜか耳触りがいい。俺は晃の母親の言葉を黙って聞き続けた。昔、飼い猫の頭を丸刈りにして、隣のおばちゃんにこっぴどく叱られた時みたいに。

幸せになる方法は、百通りと言わず、人の数だけあるはずなんだよなあ。
ひとりひとりが違っていて当たり前なように、幸せだって違っているのが本当だ。そんなこと、誰しもが知っているのかも知れないけれど、それでも周りが気になって、比べてみたり、やっかんでみたりもする。
幸せになる方法はよく判らないけれど、読み終えて思い出したのは竹内まりやの『元気をだして』の歌詞だった。
♩ 幸せになりたい気持ちがあるなら 明日を見つけることはとても簡単 ♩

自己啓発本のようなタイトルをわざわざつけたところにも、
ユーモアのセンスを感じます。
決して自己啓発本を馬鹿にしない、謙虚さも感じられました。

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江戸東京博物館で

東京に出た際、初めて『江戸東京博物館』へ行った。
江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場として23年前に建てられた博物館だ。単純に、江戸の町を覗いてみたい、そんな来館者が多いのだと思う。

常設展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれ、主に江戸ゾーンを観て歩いた。実物大の日本橋を渡ると、江戸城とその周辺の街並みの模型が展示されている。建物もだけれど、人間の模型が細かくておもしろいと聞いていたので、じっくり観察した。表情までは判らないが、帯の結び方が違ったり、荷を担ぐ人は重そうにしていたり、何やら会話をしているようだったりと、ひとりずつにちゃんと個性がある。『江戸博』はコンセプトに「粋」を掲げているが、その粋が感じられるモノづくりへのこだわりを感じた。

ふと、火消(ひけし)の展示の前で立ち止まった。
先月、火災訓練で、消防団員に消火栓の開け方、ホースの使い方などをレクチャーしてもらったばかりだったのだ。実際に火事の消化を目の当たりにした経験もあるので、消防団のありがたみは身に染みている。
「火消は、江戸の頃から受け継がれてきた風習なんだよなあ」
そう考えてから、模型の人達が急に動き出したように見えてきた。
火消を観て、今の世のなかよりももっともっと助け合わなければ生きていけない時代だったのだろうとリアルに感じられたからだろうか。

ビルが立ち並ぶ街並み。情報が瞬時に手に入るスマホやパソコン。車に電車、飛行機での移動。洗濯機に冷蔵庫に食洗器を使った生活。変わったものを挙げれば数知れない。だが、いちばん変わったのは「人」なのかも知れない。
道端で会話を楽しむ模型の人々に、考えさせられたのだった。

実物大の日本橋を渡って、江戸ゾーンへと足を踏み入れます。
カメラは、フラッシュをたかなければOKです。

これは模型の日本橋です。人ひとりひとりとてもよくできています。

全体の半分でこんな感じ。江戸の町、のんびりとした雰囲気だなあ。

双眼鏡が置いてあって、自由に見られるようになっています。
お侍さんも商人達もいます。馬に乗ってるのは地主さんかな?

江戸城の模型には、松の廊下もありました。

こちらは松の廊下、実物大の絵だそうです。大きい!迫力あります。
全長50m、幅4mの畳敷きの大廊下だったそうです。

建具を作る職人の暮らしなども、実物大で展示されていました。

両国付近の模型です。芝居小屋が立ち並んでいました。

錦絵を売るお店。身分に囚われず絵師になることはできたとか。

町の火消が組のシンボルとして掲げていた「纏(まとい)」です。
左側の球と立方体は、芥子の実と升をデザインしたもので、
芥子、升で「消します」の意味を持っているそうです。

火消の纏、体験コーナー「担いでみてください(14㎏)」

日本橋にあった歌舞伎劇場、中村座を再現したものです。

伊藤晴雨幽霊画展やっていました。今月25日までです。

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ビールは、ゆっくり味わって

東京本社近くの神田の地ビールハウス『蔵くら』で、樽生ビールを楽しんだ。
樽生ビールは12種類もあり、メニューには、ライトなものから重みのあるものへと順番に並んでいる。ビールの絵に色がついていて、薄い黄色から、琥珀色へと進み、レッドビールは赤っぽく、黒に近い色のものもあった。
わたしはライトビール派で、一番上にある薄い黄色の伊予柑ホワイトから、夫は重みのある方が好きなようで、真ん中より重めなペールエールをオーダーした。地ビール屋さんだけあって、肴もビールにぴったりで、そのうえお洒落で凝っている。一味違うとはこのことである。

時間もビールの種類も、ゆっくりと重いほうへと流れていく。
「ビールは、ゆっくり味わって」
これが、最近のわたしの標語なのだ。

ひと月前ほどだろうか。たまに飲みに行く友人達5人とベルギービールの店で飲んでいた。やはりビールがいく種類もあり、うれしくなってばんばん飲んだ。そのとき、気の知れた友人の一人に言われたのだ。
「弱いんだから、もういい加減やめときな」
ハッとした。そうか。自分は酒に強いと思っていたのだが、その時代はもう過ぎ去っていたのだ。歳をとったと実感することが日々増えているくせに、酒に関してはすっかり自分を過信していた。昨日まですいすい歩いていた場所で突然つまづいたようなショックが、ベルギービールの酔いとともに身体を駆け巡る。そう言えば最近富に、彼女達には酔っぱらい過ぎて迷惑をかけることが多くなったと思い至り、さらに酔っていったのだった。

それから、ビールの飲み方を考えるようになった。
「ビールは、ゆっくり味わって」
ビールに限らず、何事もゆっくりと味わうべき年齢になっていたのである。
えっ? 気づくのが遅すぎるって? ほんと、これまでご迷惑をかけた方々、すみません。懲りずに一緒に飲みに行きましょう。ぜひ。

フルーティライトな伊予柑ホワイト(愛媛 梅錦ビール)

わーい! 生ビールがこんなにいっぱいあるー。樽生12種類。

夫は、重めのペールエール(長野 志賀高原ビール)
わたしは、ライトなベイビーブロンドミヤマ(長野 志賀高原ビール)
茹で鶏は、山葵、ポン酢、塩の三種類で楽しみました。

ゴールデンエール(神奈川 湘南ビール)グラスが違うと雰囲気もがらり。
肴は、鴨のハム。粗挽き黒胡椒が効いていました。

脱皮したての海老唐揚げ。ビールにぴったりです。

「〆にポテトフライはないんじゃない?」と、夫に呆れられました。
「だって、食べたくなったんだもん」スイートチリソースいけるー。

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ネイルと必然

先週、久しぶりの友人達と、ゆっくりと酒を酌み交わす機会があった。
そのときに、彼女達がわたしのネイルに目を留めた。一緒に食事をすると、爪は案外目に留まりやすいものらしい。食事をしたり飲みに行ったりしたときに、大抵ネイルの話になるのだ。そしてまた大抵聞かれるのが、これ。
「ご主人は、ネイルが変わったとき気づいてくれる?」
そこから、髪を切ったときにはとか、新しい服を買ったときにはとかいう話に発展する。そしてみな口をそろえたように言うのだ。
「うちは、全然気がつかないよ。興味がないみたい」
これは真実なのか、それとも照れが入っていて大袈裟に言っているのか、はたまた気づいていてもご主人が口にしないのか、その辺りは不明だが、みな本当に口をそろえて言う。50代という年齢に限らず、若い友人もである。
「え・・・うちは、すぐに気がつくよ」
口ごもりつつそう言って、驚かれるのもいつものことだ。

以前、偶然とシンクロについてかいたことがあった。
「偶然はけっこう頻繁に起きているものであり、シンクロするかしないかはそれに気づくか否かにかかっている。気づかなければ、その偶然は起こらなかったものと同じで認識されない。シンクロニシティとは、偶然を認識することで起こる現象だ」という考え方だ。

夫の場合、ネイルに気づくことが特別なのではない。彼は様々なことに「気づく」のである。それを顕著に感じる出来事がある。彼は、偶然知り合いに会う率がものすごく高いのだ。偶然出会ったときにも、気づかなければ会うことにはならない。だが彼は様々なシーンで知り合いに会う。その場に立ち会ったことも何度かあるほどで、それは彼が「気づく」からなのだと思っている。その彼が、共に食事をするわたしのネイルに気づくのは、必然と言えるだろう。

とは言え、気づいてくれるってうれしいものなんですよ、世のだんなさま方。

夫が「気づいた」秋の空です。
早朝6時前。新聞を取りに行った彼が呼ぶので行ってみると、こんな空。
「すっかり秋の空だね」としばし、ふたりで空を見上げました。

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『後妻業の女』

映画『後妻業の女』を、観た。
じつは文庫本を買い読んでいる途中だったのだが、あまりのくだらなおもしろさに先に映画観てもいいかもという気になったのだ。ということで、夫婦50歳以上割引きということもあり日曜の映画館に出かけた。

結婚相談所を営む柏木亨(豊川悦司)は、そこの会員、武内小夜子(大竹しのぶ)らを使い〈後妻業〉をしていた。ターゲットは高齢の資産家男性。女を後妻に送り込み、その資産を相続させ金を半分せしめる。金、金、金の世界だ。
ストーリーは、小夜子の91歳の夫、中瀬耕造(津川雅彦)が倒れるところから始まる。以下小説『後妻業』(文春文庫)柏木と小夜子の会話より。

「爺はなんで倒れたんや。毒でも服ませたんか」
「そんな危ないことするかいな。ワーファリンを胃薬と取替えといただけや」
「それはいつからや」
「もう二か月にはなると思う」
ワーファリンは血液の抗凝固薬だ。それを二か月も服まなければ耕造が倒れるのも無理はない。
「あんたいま、どこにおるんや」
「爺さんのマンション。農林センターから帰ってテレビ見てたら寝てしもた」
「耕造は気を失のうただけか。呻いたりしてなかったか」
「小さい鼾かいてた。あれはまちがいない。脳梗塞や」
耕造には不整脈があり、心臓内で生じた血栓が脳に飛んだのだろう、と小夜子はいった。

トヨエツは、セックス依存症で金の亡者なラテン系大阪男を、大竹しのぶは、奔放な魅力で男達を翻弄する後妻業のエースを好演していた。
はてさて、柏木と小夜子の悪事は暴かれるのか。耕造の娘、尚子(長谷川京子)と朋美(尾野真千子)が探偵(永瀬正敏)を雇い、捜査を始める。
以下小説『後妻業』本文から。

「この謄本見たら分かるやんか。誰が見てもおかしいわ」
「そらおかしいと思う。・・・しかし、戸籍は転籍するたびに、それ以前の結婚についての記載は抹消される。こうして、いちいち本籍地の役所から謄本や抄本をとって履歴を辿らんことには、小夜子が何回、入籍、転籍したのか分からんのや」
「小夜子は平成十五年以前にも、結婚、離婚をしてるよね」
「それはまちがいない。小夜子は後妻業で食うてるんやからな」
「守屋くん、警察に知り合いはいてないの」
「検事ならおらんこともない」
神戸地検に司法修習生時代の同期がいるという。
「そのひとに教えてよ。この十年で四人も死んでるんやで」

柏木は、言う。
「爺を騙すのは功徳や。たとえ一月や二月でも夢を見られるんやからな」
金も時間もあるけれど、足りないものがある。それを満たしてやって金をとるのは、いいことなのだと。
実際、シニア向けの結婚相談所は流行っているらしい。人が長く生きるようになった時代に流れゆく先の光と影が、スクリーンに見え隠れしていた。

文庫カバーは二重でした。映画『後妻業の女』は公開されたばかり。
上にかかっていたのは、そのプロモーション用の文庫カバーです。

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重なるときは重なる 山椒編

山椒が手をつないで、仲良くやってきた。というのは、もちろん比喩だ。
福井のお土産にと、天日干し粉山椒をいただいた。次に有馬温泉土産にと、ちりめん山椒をいただいた。そして久しぶりに行った店で、欲しかったガンラー(山椒入りの唐辛子調味料)を見つけて購入した。
わーい! 山椒三昧だ。山椒が重なる分には、文句はない。

重なるときは重なるとはよく言うが、悪いことは重なって起きるという意味で使われることが多いように思う。
我が家でも何年か前に、事故や怪我が続いたことがあった。そのときには、どうしてこうも悪いことばっかりと思ったが、今落ち着いて考えるとひとくくりにするような出来事ではなかったのだと判る。ひとつひとつの出来事に向き合い、対処していくほかないのだ。
何かが続く不思議は、人間が解明できない場所にある波のようなものが起こすことなのかも知れないが、それを受け止めていくのは人間なのだから。

ということで、それぞれの山椒をひとくくりにすることなく楽しもうと思う。粉山椒も、ちりめん山椒も、ガンラーも、風味も旨みもそれぞれなのだ。

鰈の煮つけにぴったりだった、天日干し粉山椒。
ちっとも辛くなく、ほんのりした香りを楽しめます。

有馬温泉の山椒屋さん『山椒彩家』のちりめん山椒。
神戸といえば小女子の釘煮だと思っていましたが、ちりめんも美味し。

『雲吞好』で購入したガンラーです。中華に重宝しそう。

我が家に常備している四川赤山椒のミルと『一休堂』の京七味。
京七味、山椒の味がほかの七味に比べて強いところが好きなんです。

庭では、山椒の実が真っ赤に染まっていました。

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水たまりができる場所

久しぶりに、傘をさして歩いた。
田舎に住んでいると、移動手段は車がほとんど。ドアツードアで、雨の日にも傘をささずに済んでしまうことが多い。
雨に降られたのは、所用で出かけた立川でのこと。土砂降りの雨だった。
街のなかは、歩道も車道も水が溜まっていない場所がないくらいで、サンダルの素足で水が跳ねないように気をつけて歩いたが、そんなことをしたって無駄だよと雨降り小坊主が笑ってるんじゃないかと疑うほど、ずぶぬれになった。

山梨に帰ってきても、降ってはいたが、しとしとと優しい雨で、水たまりも避けて歩けた。避けて歩きながら、水たまりをひとつひとつ、観察する。
水に映る風景。雨が起こす静かな波紋。見慣れた風景が雨に歪められ、異世界への入口のような顔を不意に見せる瞬間。

じっと見ていて、ふと気づいた。晴れた日には、水たまりができる場所は判らない。道の傾斜や凹凸に、晴れた日には目を向けることはない。しかし雨が降れば、同じ場所に水たまりはできるのだ。
もしかしたら、と思った。心のなかにも、晴れた日には判らない、水たまりができる場所があるのかも知れないと。何かがひっかかっていたり、ささくれだっている部分、弱っているところなんかが。晴れた日に凹凸を失くし、穏やかに暮らすことの大切さを、波紋に揺れる水たまりに思った。

立川駅北口ロータリーに置かれたオブジェ『絆』
屋根がついた場所ですが、木の彫刻なので雨を吸っていました。

ロータリーを歩く人も、土砂降りの雨に落ち着かない様子でした。

立川駅ナカの雲吞麺屋さん『雲吞好』の海老雲吞春雨四川風。
夏でも雨が降ると、温かいものが恋しくなりますね。

特急かいじで帰ってきて、韮崎駅から駐車場までの道で。
アンデルセンの『パンをふんだ娘』を思い出すような水たまり。

お隣り韮崎市のマンホール。武田の里とかかれています。
市の鳥チョウゲンボウと市の花レンゲツツジのデザイン。
周りには、武田の家紋「四つ 割菱」が並んでいます。

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田舎道を走るときには

一瞬、何の合図なのか判らなかった。手を挙げている子どもとお母さんらしき人がいる。わたしは運転中で、ようやく気づく。
「ああ、横断歩道を、渡りたいんだ」

ここ山梨は北杜市の田舎町に越してきて、16年が経つ。16年目にして初めて、昼日なかに横断歩道を渡ろうと手を挙げる人を見た。瞬時に判らなかったとしても、許してほしい。もちろん登下校の時間には、多くの子ども達が歩いている。しかし、それ以外の時間で見かける歩行者はまれで、いたとしても農作業をする方がほとんど。横断歩道の前で挙手する人に出会うことなど、狐や狸を見かけるよりもずっと少ないのだ。

東京生まれ東京育ちのわたしだが、だんだん田舎に馴染んできたなと思う瞬間が増えてきた。米や野菜の美味しさがあたりまえのこととなり、越してきたばかりの頃よく間違えていた松林を通る風の音と自動車が通る音も、いつしか聞き違えることがなくなった。野鳥のさえずりも、聴き慣れたBGMとなり耳に止まることの方が少ない。
しかし、馴染んで忘れてはいけないこともある。田舎道では、歩行者の多い都会よりもさらに、歩行者に注意を払わなければならない。「いないもの」と思い込んでしまうことが事故につながるのだ。

16年目にして初めて見かけた横断歩道の前に立っていた母子は、馴染んできた今だからこそ注意せよとのメッセージをくれたのかも知れない。
いや、狐の母子だった、という訳では・・・ないとは思うが。たぶん。

いつも通る道の横断歩道です。右手には、田んぼが広がっています。

あとひと月ちょっとで、収穫を迎える稲。頭を垂れています。

まさに田舎道です。トウモロコシ畑が空を仰いでいるかのよう。

夏の空と秋の空が、入り混じるような空を見かけるこの頃です。

ススキの穂が風に揺れていました。茅が岳の麓だけにススキもいっぱい。

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箸とバスタオル

神戸で暮らす義母が心臓弁膜症の手術を受けてから、ちょうど半年が経った。ふた月ぶりの帰省。会わずにいる間も日々回復していたのだなあと実感するほど、元気になっていた。しゃべり始めると止まらないところが、末娘とそっくりでうれしくなる。いや、もちろん末娘の方がお婆ちゃん似なのだが。

帰り道、台風で1泊足止めを食らい、我が家に帰ってきたその夜に、末娘が帰ってきた。正月以来の帰省である。その末娘、丸1日だけ滞在し、しゃべりたいだけしゃべり食べたいだけ食べ、台風のように去って行った。
往復4時間かけて1日でとんぼ帰りなんて、いったい何しに帰ってきたの? と言いたくなるが、彼女は自分の家を満喫していたようだ。
「のんびりする~」
「わーい、梨も葡萄も桃もある」
「すごい! 昼にうたたねができるほど、涼しい」
台風一過の後に残されたのは、洗濯物のなかで揺れる彼女が使ったブルーストライプのバスタオルのみだ。

そんな台風娘と入れ違うかのように、義母からメールが届いた。
「久々にあなた達に会って、台湾や広島の話を聞いたことなど思い出しています。お洒落なお箸でゆっくり食事をしながら。細い先まで丁寧に作られていて、こんな風にお洒落に暮らさなければと思いつつ」
宮島で土産にと選んだ優しいピンク色の桜模様の箸を、ずいぶんと気に入ってくれたらしい。義母のメールは、こう続いていた。
「よく揃って帰って来てくれました。一所懸命待っていたのだと我ながら可笑しくなります」
娘のバスタオルを見てわたしが感じるものと桜の箸を使い義母が感じるものは、似ているようでいて、たぶん同じではないのだろう。
陽の光を存分に浴びたバスタオルをたたみながら、似ているけれど、やはり同じではないふたりを思っていた。

これは我が家の夫婦箸です。モダンな模様と色が気に入っています。

この箸も、お気に入り。織部の醤油皿と一緒に。

庭と、ブルーストライプのバスタオル。

その庭では、ニラの花が咲き始めました。眩しい白。

栗の実は、どんどん大きくなっています。

ヤブランが、静かに薄紫の花を咲かせていました。

アップルミントは、伸び放題。雑草より強いです。

テッポウユリは、次々に大輪の花を開いていきます。

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厳島神社と「8」

広島に滞在したのは、ちょうど24時間。1泊2日とも言えない駆け足の旅だったが、宮島に渡ることもできた。海の上に浮かぶ厳島神社の床板を、踏んでみたいと思っていたのだ。

厳島神社の境内に入ってすぐに、夫が教えてくれた。
「ここの回廊って、数字の8にこだわって作られたらしいよ」
回廊の基本的な間隔は約2.4m(8尺)で、その間には床板が8枚敷き詰められ、108本の柱が立ち、社殿の灯籠、参道の石灯籠は108個。本社拝殿から大鳥居までは108間で、火焼前から大鳥居までは88間だという。
「8って、末広がりで縁起がいいって言うもんね」

だが、何故「8」にこだわったのかは、不明らしい。
数字には、それぞれパワーのようなものがあるというが、漢字の「八」は末広がりで縁起がいいと言われてきたし、数字の「8」は○が二つで角がなく円満を表すとか、無限大∞にも通ずるとも言われてきたようだ。
その他にも、日本では大きいことを表現する際にも「八」が使われる。八百万、八重桜、八雲、八千代、八十などなど。
昔々厳島神社を建てた人々が、何を思っていたのかは判りようもないが「8」というものを重んじ、大きく広がっていく「いいもの」だと捉えていたのだろうということは想像できる。それは、人間の力だけでは成せないものがあるのだと知っていた人々の祈りだったのかも知れない。
そんなことを考えながら、回廊を一歩一歩踏みしめて歩いたのだった。

平和記念公園前から船に乗って行きました。45分で着きました。

お出迎えしてくれた鹿くん。綺麗な毛並み。いっぱいいました。
野生だそうです。島のあちらこちらに影を見つけて涼んでいました。

厳島神社の長く続く廊下を、ゆっくり歩きました。

柔道少年。武道の格好をした多くの人が祈祷を受けていました。
必勝祈願のご利益があるようです。

敷き詰めてある板は、潮が満ちたときに持ち上がらないように、
きっちり等間隔で、隙間が空けられていました。
五重塔も、見えています。

渡れそうにないくらい急な反橋(そりばし)。
祭事の時勅使が渡ったことから「勅使橋」とも呼ばれたそうです。

西松原から撮った大鳥居です。そばをカヌーが滑っていました。

お参りも済んで、名物の焼き牡蠣にビールで喉を潤しました。

商店街はアーケードになっていて、食べ物屋さんも雑貨もいっぱい。

しゃもじは宮島名産物の一つ。しゃもじに似顔絵を描いてくれるお店も。
「食べきれないほどご飯がよそえそうだねえ」と、
小学生の女の子に話しかけるお父さんがいました。

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広島平和記念公園で

先週末、夫の実家である神戸に帰省した際、広島まで足を伸ばした。
平和記念公園へ行こうということになったのだ。

原爆ドーム近くの入り口から入り、ゆっくりと歩いた。
38℃を超える強い陽射しのなかで、水分補給をしながら足を進めたのだが、水を飲むたびに、熱風を浴び、水を求めてさまよった人々を思った。
原爆ドーム前では、笑顔で記念撮影する人を見て違和感を覚え、ドームを写真に収めることができなかった。
そして点在する慰霊碑を回り、手を合わせ、平和記念資料館に入った。

原子爆弾の悲惨さは、若い頃に訪れて知ってはいたつもりだったが、資料館を歩いてみて、あらためて感じた。
最初に熱で焼かれ、次に爆風で飛ばされ、建物が壊れ、その下敷きになり、次には至るところで火災が起き、降ってきた雨は黒く、それでも水を欲していた人々がそれを飲み、その後は放射能に蝕まれた身体に苦しむことになる。
起き上がろうとするたびに頭を殴りつけられるような連続の苦しみが、被爆した人々を襲ったのだと、あらためて知った。

資料館を出て、最後に原爆死没者追悼平和祈念館に入った。
そこには、原爆で亡くなった方々の遺影や名前のほか、多くの方の被爆体験記が公開されていた。
被爆5年後に広島市民によって刊行された『被爆体験記』は、反米的内容であると占領軍により配布禁止処分とされ、15年もの間、埃をかぶったままだったという。そこに寄せた大江健三郎の解説「何を記憶し、記憶し続けるべきか?」を読み、ハッとした。
「15年前この書物に加えられた不当な仕打ちは、もっぱら占領軍にその責を帰すべきことでした。しかし今、ここに公刊される体験記を、もし我々が再び不当に扱ってしまうとしたら、その責はすなわち、我々にあります」

もう一度、原爆ドームの前に立ち、写真を撮った。
観て感じたこと、知ったことを、きちんと記憶しておこう。戦争の、原爆の記憶を、自分のなかで不当に扱うことのないように、しっかりと考えよう。きっとその責任があるのだと、そう思った。

「二度と同じような悲劇が起こらないように」という戒めや願いを込めて、
ユネスコの世界遺産に、登録されているそうです。

対岸から見た原爆ドームです。宮島まで船が運行されています。
日本がこれから先、戦争をしない国であってほしいと願わずにいられません。

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『何者』

朝井リョウの直木賞受賞作『何者』(新潮文庫)を、読んだ。
就職活動中の大学生5人を描く、長編小説だ。
本文が始まる前のページに、人物紹介よろしく6人のツイッターの自己紹介が載っている。小説には、リアルでの会話の間に波間に見え隠れするかのように、ツイッターでの発信が挟まれていく。本音と建て前、プライドと自己顕示欲、誰かに認められたいという心の叫び、うまくいかない就活、そして恋。
みんながみんな、綺麗なままではいられずに、抗いもがく姿が描かれていた。
演劇を辞め就活する拓人。そのルームメイト光太郎は引退ライブを終えたところ。光太郎の別れた彼女、瑞月。その留学仲間、理香が拓人達と同じアパートに住んでいたことから、理香と同棲中の隆良を交え、5人で就活対策として集まるようになったのだが・・・。会って話すこと、ツイッターにかくこと、それを読んで思うこと、5人の歪みは次第に大きくなっていく。以下本文から。

「お前、こんなことも言ってたよな」
返事ができないでいると、サワ先輩の声が少し、小さくなった。
「ツイッターやフェイスブックが流行って、みんな、短い言葉で自己紹介をしたり、人と会話するようになったって。だからこそ、そのなかでどんな言葉が選ばれているかが大切な気がするって」
サワ先輩は、ツイッターもフェイスブックも利用していない。
「俺、それは違うと思うんだ」
サワ先輩は、用があるならメールじゃなくて電話して、と、いつも俺に言ってくる。
「だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ」
サワ先輩は、この現実の中にしかいない。
「だから、選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してるんだと思う」
俺はサワ先輩の背中を見つめる。
「たった140字が重なっただけで、ギンジとあいつを束ねて片付けようとするなよ」
いつのまにか、目の前には、目的の図書館がある。
「ほんの少し言葉の向こうにいる人間そのものを想像してあげろよ、もっと」

「自分は自分にしかなれない」文中の言葉が、胸に響いた。
自分以外の何者かになんてなれない。ツイッターで格好のいいことばかりかいても、何者かになったふりをし続けても。「アカウントを隠しても、あんたの心の内側は、相手に覗かれてる」という言葉の通りに。
大昔からある、本当の自分よりも強く格好よく見せたいという習性。それを利用し、SNSがプリズムを呼び起こす。織りなす光は、人の心の弱さだ。
それを見せつけられ、圧倒された。

この秋10月15日、映画『何者』公開予定です。
誰がどの役をやるのか、読み始めてすぐに判りました。

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朝の駅で

先週金曜、東京本社に出勤した。
いつもは夫を駅前のバスターミナルまで送るだけなので、平日の朝のホームは、ちょっと新鮮に感じた。駅にも朝の顔、昼の顔、夜の顔がある。
朝は、ちょっと慌ただしいなかに、これから1日が始まる希望が感じられる。
昼は、通勤通学ラッシュを終えたあとの気だるい感じが、改札口にさえだだよっている。夜は、おかえり、お疲れさまとねぎらい、1日に別れを告げ、眠りに入る準備をしているようだ。
ただこれは、長いこと子ども達や夫を送り迎えしてきたわたしが感じる駅だ。
ホームに立つひとひとりひとりに、それぞれの駅があり、そしてそれは、そのときどきの心の向いている方向でさえ変わっていくのだと思う。

そんなことをつらつらと考えていたら、電車のドアがぷしゅっという音を立てて開いた瞬間、『スライディングドア』という映画を思い出した。
タッチの差で、電車に乗れた場合と、乗れなかった場合のその後の運命を並行して描いた、グィネス・パルトロー主演のラブストーリーだった。
駅にはきっと、そんなドラマが、人の数だけあるのだろう。
階段を右足から上るか左足を先に出すか、文庫本のページをめくるかめくらないか、お茶を買うかスパークリングウォーターにするか。そんな些細な出来事とも言えないようなことで、この先の運命は変わったりするのだろうか。ふっと、考えてもしょうがないことを考えこんでしまう瞬間がごくたまにある。
だが、1時間に1本しか電車が来ないような田舎では、たった5分の違いで変わる運命など知れているような気もする。田舎には都会にないものも多いが、多少の運命などには左右されない大らかさが、あるのかも知れない。

午前9時少し前の韮崎駅ホームです。涼しい風が吹いていました。
9時1分のあずさに乗りました。東京駅までまっすぐ向かってくれます。

朝のなかでも昼に近い時間。出勤する人も遊びに行く人もいるのかな。

ホームから見下ろした大きな鳥居。学問の神様が祭られているとか。

この『小坊主』っていう呑み屋さん、なんだか気になるなあ。
もしかして、何年か前に行ったことがあったかも。

ホームから見上げた観音様は、南の空を眺めていらっしゃいました。

涼やかなお味の加賀の棒ほうじ茶を買って、さあ、出発。

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