はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説ドラマ化の恩恵

東野圭吾『新参者』(講談社)ドラマ化では、痛い目にあったわたしだが、小説ドラマ化の恩恵にも預かっている。
アイロンをかけつつ、ビールを空け、何気なくつけたテレビでドラマ『アルバイト探偵(アイ)/100万人の標的』がやっていた。大沢在昌との出会いである。それも、ドラマはもちろん面白かったのだが、わたしが2時間見ていたのは、椎名桔平だった。
「椎名桔平、かっこいい!」
ただただそうつぶやきながら、アイロンもかけずにビールを空け、ぼーっと2時間テレビを見つめていた。そして翌日本屋に走り『アルバイト探偵』シリーズの文庫全6巻を購入した。読んでいる時も、同じくつぶやいていた。
「冴木涼介、かっこいい!」
椎名桔平が演じた私立探偵だ。主人公はその息子、高校生の冴木隆(りゅう)なのだが。隆に言わせると涼介は「ずぼらで頼りがいゼロ、そのうえ女好きという、まったくの不良中年」だが、探偵としては超優秀で、隆は涼介の仕事、探偵をアルバイトで手伝っている訳だ。その不良中年に、すっかり参ってしまった。ページをめくりながらニヤニヤしていた自分が今も目に見える。
いや、もちろんストーリーにもわくわくさせられ通しだったのだが。

隆いわく、涼介の仕事を手伝ってしてきたことは、
爆弾を背中にしょわされる。殺し屋をおびきだす囮になる。
遠い異国のジャングルでワニの餌にされかかる。
完成途中のジェットコースターで拷問にかけられる。
撃たれる。刺される。殴られる、は数えきれない、などなど。

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加賀恭一郎が好きだった

加賀恭一郎が好きだった。大学生だった加賀も、警視庁捜査一課にいた加賀も、練馬署で働く加賀も、日本橋署にやって来たばかりの加賀も。しかし、それも今や過去形だ。自分でも「好き」と言えるかどうかわからなくなってしまった。すべては『新参者』(講談社)ドラマ化のせいである。

東野圭吾は特に好きな作家だという訳ではないが、読みやすさと面白さに魅かれ読んできた。そして加賀恭一郎に出会った。出会ってすぐに加賀恭一郎シリーズの熱烈なファンとなった。文庫の帯に「彼は解く、事件の裏側を」とあるが、刑事、加賀は犯人逮捕で事件を終わらせない。被害者、加害者、事件にかかわるすべての人のなかで事件が終結するまで真実を追いかけていく。
なかでも一番好きなのは『新参者』日本橋署に着任したばかりの加賀は、ひとり暮らしの女性絞殺事件を追い、人情に篤い日本橋の地を新参者として歩き回る。煎餅屋にも料亭にも瀬戸物屋にも時計屋にも、それぞれが抱えた小さな秘密があり、証言が微妙にずれていく。加賀は殺人事件を追いながらも、それぞれの小さな事件をも、見過ごすことなく解決に導いていった。連作短編のような趣もあり、その店や家族や人とのつながりなどを一話ごとに楽しめる。ラストはしびれた。わたしの読書体験のなかでも久々の大ヒットだった。

だからドラマ化すると聞き、不安になった。誰でもそうだと思うが、好きな物語だからこそイメージを壊してほしくはない。だが、ドラマ『新参者』は、なかなかの出来で、ストーリーは知っていても日本橋の風景や、映像化ならではのセリフ回しや表情など、役者も揃っていて楽しめた。最終回を観終わって、やれよかったと安堵した。しかしそれで終わりではなかった。
次の巻『麒麟の翼』(講談社)が、発売された。喜び勇んで新刊を購入したわたしは、ページを開いて愕然とする。これまで漠然と思い描いていた加賀恭一郎の顔が、きっぱりと俳優、阿部寛のものになっていたのだ。読み終えてからも釈然としなかった。阿部寛は嫌いじゃない。コメディもシリアスも演じられるマルチな役者だと買ってもいる。
「でもでも。わたしの加賀恭一郎は、阿部寛じゃないのに!」
映像化のイメージの強さに負けた。完全なる敗北である。

今のところシリーズは全9巻。左から発売順に並んでいます。
『赤い指』(講談社)からは、新刊リアルタイムで読みました。

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足りないものは

「ゆっくり休んでね」とは、よく聞くフレーズだ。
何か大きな仕事を終えた時、風邪で熱を出した時、溜まっている有給休暇を取って海外旅行に出かける時、または夫が出張に出た主婦などに向けられる。
言葉をかける方は「いいね。うらやましいな」とか「休むべき時が来たね、お疲れさま」というニュアンスをにじませつつ、実際にはさしてうらやむこともなく、何も考えず口にする。
それが「百年くらい休んでね」となると「もうきみとは会いたくもなし」ときっぱり意思を持った発言となる。だが「ゆっくり休んでね」と言われると「ゆっくり休めていーね。全くほんとにどーでもいーね」と言われているような気持ちになる。ひねくれて「眠り姫の如く百年眠ったところで、もうその先の未来はないのに」と思ったりする。

わたし、疲れている。ふいに気づく。数字の1のように真っ直ぐだったはずの心が、数字の2になってしまっている。またはメビウスの輪のようにねじくれて、収集が着かなくなっている。
「オオサワアリマサが、足りない」
口を突いて出る。と同時に、泣きそうにもなる。弱音を吐く。
「オオサワアリマサがないと、もうだめだ」
気がつくと、本屋で大沢在昌の新刊『冬芽の人』(新潮社)を買っていた。何も考えずに読み始めた。大沢在昌のハードボイルドは、数字の1だ。人として忘れてはならないものが、真っ直ぐに通っている。読み終わった頃には思えるようになってるかな。「ゆっくり休んでね」って思いやりの言葉だよね、と。

気づいたら、ペパーミント&ローズヒップのハンドクリームと、
メープルのハンド指圧ボールも買っていました。癒し、求めてるのかな。

装丁が素敵。
ピンクのラインが入った薄いカバーの中には、空に大きく伸びた冬枯れの木が、透けて見えます。ストーリーと関係あるのかな。楽しみ!

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あなたは受け入れすぎるのよ

江國香織『ぼくの小鳥ちゃん』(あかね書房)の一節を、ふいに思い出した。
「一羽の小鳥として、私ががまんならないとおもうあなたの欠点を教えてあげましょうか」
いつだったかそう言われたことがある。昔ここにいた― ある日いきなりやってきてやがていきなりいなくなってしまった― こげ茶色の小鳥ちゃんにだ。
「欠点?」ぼくは訊き返した。夏でぼくたちは窓をあけた部屋のなかにいた。
「あなたはうけいれすぎるのよ」
小鳥ちゃんはぼくの目をみずにそう言った。
「いけないことかな」
「ときどきとても淋しくなるの」
小鳥ちゃんは顔をあげてぼくをみた。切るようにかなしい目をしていた。

「受け入れすぎるのは、いけないことなのかな」
このシーンは、常にわたしに問いかけてきた。在るがままを受け入れてしまいがちな自分に向けて、言われているように思えたからだ。他人の言葉を額面通りに受け取りすぎたり、改善できることに目が向かなかったり、在るがままを受け入れることは、確かにいいことばかりじゃない。そして小鳥ちゃんは、
「自分以外でも受け入れたであろう僕に、淋しさを感じてたのかな」
などと考えつつ、洗濯物をたたんでいたら、オーストラリアから帰って来たばかりの娘の靴下が3本同じものと、片方しかないものがあるのに気付いた。
「これ、3本あるんだけど?」と、わたし。「あー、あるね」と、娘。
「これ、片方しかないんだけど?」「ないねー」
「もしかして、これとこれ、合わせて履いたりしてたの?」
「うん。だって、靴履いちゃえばわかんないじゃん。服とか買うお金があったら旅行とか他のこと、いろいろしたかったし」
絶句した。確かに貧乏旅行だっただろうが、さすがにそれは受け入れられない。いくらわたしでも。呆気に取られ娘を見つめたわたしは、切るように悲しい目をしていた、かも。

拾ったというツナギのジーンズのポケットに入っていた、娘の日本円全財産。
「ポケット大賞おめでとうございます」わたしは言った。
我が家では洗濯物のポケットに入っていたもので『ポケット大賞』が決まる。
「制度が変わり、洗濯物に入っていたものはすべて没収になりました」
しかし、ありえないとの一言で小銭は、娘に奪い取られました。

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頭を振って、忘れつつ

「最近、忘れっぽくなって、やばい」夫が嘆いている。
会社を出る時に、あれやこれや忘れて取りに戻ることが多くなったそうだ。まあ、わたし達の年齢なら物忘れのひとつやふたつや30くらいは当然である。
「ほら、あれがさ」「うん、あれね」
ツーカーとも言えなくもない会話だが、ふたりして「あれ」なるものの名が思い出せず、しかし困ることもないので放っておく。まあ、わたし達の年齢なら、こんなことも当たり前だろう。だが、忙しい朝の出来事だった。
「行ってきまーす」夫が玄関で靴を履こうとしている。
「お父さん、鞄、忘れてるよ!」追いかけるわたし。
「あ」夫は二の句が継げず、ふたり苦笑いするよりなかった。財布も手帳も、パソコンだって入った七つ道具入りの鞄だ。サザエさんじゃないんだからと苦笑しつつ、しかしまあ、わたし達の年齢なら、許容範囲? だろうか。

わたしはもともと夫より遥かに忘れっぽい。だがら忘れっぽい人には寛容だ。
山本文緒の短編集『ブラック・ティー』(角川文庫)に収められた『ニワトリ』は、そんな意味合いでも大好きで、繰り返し読んだ小説。
主人公は、忘れっぽいを通り越し、様々なことを気にも留めず22歳まで暮らしてきた。それがある日、ルームシェアしている妹に言われる。子どもの頃から今までに、貸したのに返してもらってないものをあげ連ね、返してと。

「お姉ちゃんって、本当にニワトリね」
赤く染まった化粧パフをゴミ箱に放って、妹はぽつんと言った。私は湯飲みに伸ばした手を止める。
「脳みそがさ、ほんのちょっとしか入ってないんじゃないの。で、トサカ振ったとたんに、何もかも忘れちゃうのよ、きっと」
妹は今まで見せたことのない、大人の笑顔でそう言った。

落ち込んだ主人公は、恋人に会いに行こうと考えて、昨夜別れようと言われたんだったと思いだし愕然とする。しかしラストには思わぬ展開が待っていた。
頭を振って忘れつつ、生きていくくらいの方が丁度いいのかも。
「忘れることは人間の特技だ」とは何処のどなたの言葉でしたっけ。忘れた。

山本文緒、短編集コレクション。
『プラナリア』(文春文庫)は「無職」を巡る5つの短編。直木賞受賞作。

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すりこぎセンチメンタル

山梨春の市、十日市場で買ったすりこぎでアボカドを磨り潰した。
白檀の枝を使ったという枝の形そのままのすりこぎ。使い心地の程はというと、ばっちりだった。小さめのマイすり鉢には長すぎると思っていたのだが、いざする段となると、これまで使っていた短いすりこぎとは違い、力が要らない。てこの原理なのだろうか。何しろ楽にすりつぶせる。「おー!」と驚きの声を上げるほどだった。いい買い物をしたと嬉しくなる。久しぶりに作ったアボカドと鮪のユッケは、また格別だった。

市ですりこぎを見つけた時に思い出したのは、川上弘美の『センセイの鞄』(平凡社)のワンシーンだった。37歳のOLツキコは、高校時代に国語を教わっていた30以上も年上のセンセイと、飲み友達である。
ふたりは、ある日喧嘩をし、同じ店で酒を飲みつつも口をきかないという日々を送っていた。巨人とアンチ巨人の、他愛もないが根も深い喧嘩だ。そのツキコが、合羽橋で仲直りにと卸金を買う。
「光っている刃物を見ているうちに、センセイに会いたくなった。そこに肌が触れれば、すっと切れて赤い血がにじみ出るだろう鋭い刃先を見ているうちに、センセイに会いたくなった。刃物の光がなぜそんな心もちを引き出すのかそのからくりは判らない、しかし無闇矢鱈とセンセイに会いたくなった」

すりこぎに刃はなく、わたしには喧嘩している相手もないが、そのシーンを思いつつ、市で手にした。物との出会いも縁。たぶん、白檀のすりこぎを使うたびにツキコの切ない心持ちを思い出すことだろう。

白くて綺麗な、でも節がしっかり残っているすりこぎです。

鮪と紫玉葱をメッツァルーナ(半月型包丁)で一緒に叩いたら、ピンク色に。
黄身を混ぜるとコクが出ます。ざっと混ぜてから、わさびソースをかけて。
味付けは、レモンとオリーブオイル、塩、粗挽き胡椒。

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話すこと、聞くことがあってこそ

宮部みゆきの時代物は、これまで手を付けなかった。現代ミステリーのみ読んでいた。ファンタジーには挑戦はしたものの、読み終えることはなかった。時代物は完全に食わず嫌い。しかし、友人にオススメをセレクトしてもらい、初めてその敷居をまたいだ。
読んだのは『おそろし―三島屋変調百物語事始』(角川書店)曼珠沙華の赤で鮮やかに彩られた表紙をめくると、花や手毬の和紙に目を魅かれる。装丁からもこだわりにこだわって作られた本だとわかる。

江戸は神田三島町の袋物屋、三島屋(みしまや)が舞台。17歳のおちかは、ある事件があってから心を閉ざし、実家を出て叔父の店、三島屋で働くことになった。他人に心を閉じたおちかを案ずる叔父の計らいで、人々はおちかに語り始める。胸の奥に秘めた不可思議な自分の物語を。「百物語を聞く」それが、三島屋でのおちかの仕事となったのだ。
百物語とは、日本の怪談会のスタイルで、百本の蝋燭を灯し、代わる代わる怪談や不思議話、因縁話などを語る。百の話を語り終え百本目の蝋燭を消すと本物の怪が現れるという言い伝えがある。おちかが聞くのは1対1で明るい昼間だが。一人目は曼珠沙華の花に人の顔を見る老人。二人目は屋敷にたたられた美しい女。三人目は、おちか本人。四人目は、悲恋の末、亡くなった姉の手鏡の話をする女。
おちかは、語りに心を傾けるうち、自分の傷とも向きあうようになっていく。
そしておちかに語った人々も、それぞれ自分のわだかまっていたものに向き合おうとしていく。
話すことの力、聞くことの力。その大切さを再認識した。
わたしには百物語と呼ぶような類の物語はないが、小さな出来事を家族や友人と、あーでもないこーでもないと話すこと聞くことがなければ、どんなにか無味乾燥な毎日になるだろうと改めて考えた。考えて、ぞっとした。読んだばかりの怪談よりも、余程の恐怖を覚えた。それがあってこそ生きているんだと実感した。小さな幸せをまた、見つけた。

町の洋裁教室で教わって作ったパッチワークの巾着袋。
三島屋の袋物とは、全く違うとは思いますが、一応披露します。
内側は違う布で、ポケットも付けました。

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何でもある日?

ティーパーティは「何でもない日」に任せ、誕生日の昨日、いつもならしないことをした。「何でもない日」とは『不思議の国のアリス』ディズニー版。いかれ帽子屋と眠りネズミ、三月ウサギのティーパーティで、3人が祝っている日のことだ。誕生日は年に1度だが、誕生日じゃない「何でもない日」は年に364日。だったら何でもない日の方を祝って毎日パーティをしようじゃないかという、何とも可笑しく素敵でめちゃくちゃなシーンだ。
(ちなみに原作では、『鏡の国のアリス』でハンプティダンプティが「誕生日じゃない日にプレゼントをもらう方が得だ」とアリスに話すだけ)
で、その何でもない日じゃなかった昨日は、何でもない日にはしないことをしようと考えた。夫は仕事で東京泊だし、娘は夜9時まで勉強会だと言う。たっぷりと1日ある。いつもしないこと。いつもしないこと。考えたあげく大掃除を始めた。掃除はもともと苦手だが、右手を痛めて言い訳もでき、さらにサボっていたのだ。幸い間違えて春が来たかのようなぽかぽか陽気。窓を開け放ち、あちこちの部屋を回り、埃を落とし、丁寧に掃除機をかけた。ガスコンロとシンクも磨く。腰と腕は怠くなったが、さっぱりしたこともあり疲れも気持ちいい。炭酸水を飲みつつ休憩し、思いつく。
「ついでに、初めての体験にも挑戦しようか」
そう。何でもない日の反対は「何でもある日」だ。
「初めてと言ったら、トマトラーメンだな」一瞬で決まった。
東京本社近くに店はあるが、山梨では甲府に1件あることしか知らない。食べたことのないその味を体験するため、フィットを飛ばした。
甲府市昭和の『あかなす屋』メニューを見ると、トマトラーメンと、それをアレンジしたものの他に、如何にも辛そうなトマト酸辣湯麺(サンラータンメン)もある。一瞬迷うが初志貫徹。初めて食べたトマトラーメンだが「あれ? この味知ってる」というのが一口目、スープを飲んでの感想だった。以前、和風のパスタ屋で食べた京野菜のミネストローネスープパスタととてもよく似ていた。蓮根や茄子、水菜、柔らかく煮た九条葱などがトマトスープに合い、とても美味しかったので覚えていたのだ。好きな味だ。で、トマトラーメン初体験。硬めの細麺はこしがあり、スープは塩味控えめだがトマトの酸味で濃厚さも感じられ、ほんのり香るニンニクが効いている。癖になりそうな味だった。
さて。明日は「何でもない日」何が起こることやら。

ミネストローネとラタトウィユの中間くらいの味付けかなと思っています。
作るんなら、でも、京野菜のパスタかな。挑戦してみます。

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サンキュー! ローバー

マイカー、フィットが1週間の休暇を取っている。積雪休暇だ。

町内の道は所々トラップのように凍っていて、二駆のフィットでは心許ない。なので夫の四駆、ランド・ローバーが活躍中だ。雪が降りしきる中も、翌日の凍った朝も、パワーのあるローバーだから安心して運転できた。

町内でも、家から歩いて15分下れば、もう凍った道はない。町道沿いに住む人には四駆は必要ないかもしれないが、標高600mの我が家には、なくてはならない存在だ。だが大きいだけにハンドルもアクセルも重く、雪道の運転という緊張感も加わり、比喩ではなく身体中が痛くなった。運転席から降りた時これってスケート靴を脱いだ時の感じと似ているなと思うほどに。そして江國香織『ぼくの小鳥ちゃん』(あかね書房)の大好きなシーンを思い出した。

「これこれ」彼女が笑いながら言う。
「私これも好き。すごくおかしいんだもの」
もちろん、ぼくにはこれというのがなんのことだかちゃんとわかった。スケートのあと、普通の靴で歩こうとするとぎくしゃくする、足が地につきすぎる、とでも言いたいような、あの妙なかんじのことだ。
ぼくたちは、そのへんなかんじをたのしみながらスケートリンクをあとにした。くらくなりかけた空に、かげのうすい三日月がはりついている。

 

そんなわたしだが、ローバーを運転するのは嫌いじゃない。目線が高くなり、運転席からの景色が広がる。それがとても心地いい。春が来るまでは、いく度となくローバーのお世話になりそうだ。

「サンキュー! ローバー。明日も頼むよ」わたしは、ボンネットに触れた。
「もちろん」ローバーは、力強く答えてくれた。

南アルプスの甲斐駒ケ岳を背にして。

まだまだ、路肩の雪は解けてくれません。




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夢の名残りの中で

雪の中、庭の木々は芽をふくらませ始めている。

雪柳も、ハナミズキも、ヤマボウシも、ライラックも、紫陽花も。

雪柳は小さな丸い蕾をたくさん付け、紫陽花は緑の頭の下に、手足を伸ばしたくてしょうがないとでもいうように芽達が息づいている。

「やる気満々だなぁ」思わずつぶやいた。

冷たい北風の中、木々の春を待つ気持ちは、わくわくとふくらんでいく。

「冬の間、ぐっすり眠れた? それとも、夢見てたのかな?」

 

先日、児童文学研究会の『グリム童話を聞こう』(グリム童話と、シャルル・ペローの比較)に参加した。

読み比べてくれたのはグリムの『いばら姫』とペローの『眠れる森の美女』

違いはたくさんあり興味深かったが、眠りに落ちた百年という長い年月、素敵な夢を見ていたという『眠れる森の美女』と、眠っているのにも気づかないうちに目覚めた様子の『いばら姫』どっちが幸せな眠りなのだろうかと考えた。

物語として個人的に好きなのは断然グリムの『いばら姫』だったが、春を夢見つつ眠りから覚めるのを待つのもいいな、と思った。そんな夢の名残りの中で、木の芽達のわくわくと春を待つ気持ちが生まれるのかもと。

 

「とりあえず、おはよう!」

冬の太陽を浴びる、寝起きの木々に挨拶した。

濃いピンクの花を咲かせる紫陽花の芽です。

南天が雪に負けずに起き上がろうとしていました。




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珈琲ミステリー

行ってみたい珈琲屋ができた。しかし残念ながらこの世にはない。
『萩を揺らす雨』(文春文庫)吉永南央の物語の中で、素敵に描かれている珈琲屋だ。珈琲屋と言っても扱うのは豆のみで、試飲の珈琲は1杯に限り無料。珈琲豆の他にはあちこちの焼き物の里から仕入れた和食器を置いていて、珈琲好き&和食器大好きなわたしには、夢のような店だ。扉をくぐれないのが全く残念でしょうがない。
その珈琲屋「小蔵屋(こくらや)」を営むのは76歳の草(そう)さん。小粋なおばあちゃんだ。その草さんが日常の謎を解き明かす連作短編集だというので手に取った本だ。
なにしろ、珈琲、和食器、コージーミステリーと、好みのものが揃いも揃っている。お宝発掘! と浮き浮きしつつ文庫を衝動買いした。草さんは無料の珈琲目当てに来る客達の会話から街で起こっている事件に気づき、性分から放っておけなくなり様々な事件を追い始める。連作短編を追ううちに草さんのこれまで生きてきた道のりやドラマが見え隠れするのも面白い。面白く、また切なく胸を突かれたりもする。
コージーミステリーは、居心地のいい居間で紅茶と焼き菓子を味わいつつ読むのにぴったりした軽いミステリーだと言われている。しかし小蔵屋には、やはり珈琲が似合っている。草さんの生きてきた道のりが甘くはなかったように、苦みもたっぷり含んだ珈琲がお似合いだ。夫用に買った酸味系ではないブラジル産の豆を挽いてドリップし、またページをめくった。
春になったら、焼き物の里を訪ねる旅をしたいと思っています。
気に入った陶器をひとりゆっくり探して歩きたい。
そんな旅にずっと憧れていました。子離れの旅?

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面白きかな、人間

余韻に浸っている。宮部みゆきの最新三部作『ソロモンの偽証』(新潮社)を読み終えたばかりだ。
推理物だし法廷ドラマだが、その主役は中学生達。わたし的には、推理小説としての面白さよりも、中学生ひとりひとりの人物設定、心理描写に魅かれた。

大雪のクリスマスイブ、夜中に中学の屋上から落下し死亡した柏木卓也。幼い頃から病弱で死との親和性が高く、突き詰めて考えることに囚われた小さな仙人。彼の死は自殺だったのか。
告発状により殺人の容疑をかけられた、札付きのワル大出俊次。カツアゲ、暴力、いじめ。深く考えず行動し、結果多くの生徒を傷つけ嫌われてきた問題児。裁判の被告人席に彼が座る。
刑事の父を持つ優等生にして美形、常に自分に完璧さを求める藤野涼子。真実を知りたいという気持ちから学校内裁判を提案し、検事を務める。
当たり障りのない学校生活を望み、自分の力量を隠してきた野田健一。家庭内のある事件をきっかけに変わろうとしていた彼は、弁護人助手に名乗り出た。
学校外の柏木卓也の友人で、幼くして両親を亡くした神原和彦。目元の涼しい整った顔立ち、小柄で女子のように色白な彼は、第一印象にそぐわず堂々と弁護人を務める。
 
登場する大人達も、ダメダメなキャラばかりではない。むしろ魅力的な人物も多く、自分にできる最善を尽くそうとする姿も印象的だ。しかし子どもの可能性は計り知れない。そういう意味では大人に勝る魅力を持ち得る存在だ。読み終えた後は、成長した中学生達ひとりひとりが、その後どんな人生を歩んだのだろうと想像が膨らみ、わくわくした。今その余韻に浸っている。
面白きかな、人間。と、再確認した小説だった。
写真を撮るために、本棚の整理をしました。これって偽証? いや、偽装?
上の段はまだぐちゃぐちゃです。良心に従い真実のみを証言しています。

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栞を起こす瞬間

久しぶりにゆっくりと本屋を散策した。そして、これまたずいぶん久しぶりに新刊を購入した。このところ、図書館率が高かった上、持ち運びに便利な文庫を買うことが多かった。
買ったのは、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』(新潮社)。分厚い上に三部作。ゆっくりと楽しめそうだ。
新刊を手にする楽しみのひとつに、栞がある。本に付いている紐栞のことだ。誰もまだ読んでいないという証拠のように、本の中に丸まっている。その様子が眠っているように見えるのはわたしだけだろうか。本を読み始め、眠っていた栞を起こし自分のページに挟むその瞬間、本はようやく自分の物になる。そんな感覚が好きなのだ。
 
宮部みゆきは、東京でひとり暮らしをしている息子が大好きな作家だ。彼も買っただろうか。昔は、彼が買った新刊をよく貸してもらった。彼に借りる本の栞は、いつも丸まったままだ。栞を起こす楽しみも一緒に借りられるのが、嬉しかった。
「栞、使わないの?」と聞いたことがある。なんと返事は。
「読み始めたら、一気に読んじゃうから必要ない」
小さな頃から本の虫だったが、その集中力には驚かされる。
しかし、たまにメールすると、読書で培ったボキャブラリーを披露する気持ちはまったくないことがわかる。
「元気にしてる?」なんと返事は。「普通」
「そうですよね。普通ですよね。あー普通でよかった」
その時点でくじけ、母は返事を返す気力を無くすのである。

まだ1巻しか買っていません。
2・3巻は図書館で予約しようかなと夫に言うと信じられんと呆れてました。
買い揃える楽しみと、節約の主婦感覚。どっちを取るか悩むところ。
でも図書館で予約検索したら6人待ち。さすがに待てないなぁ。
写真の文庫『人質カノン』は、わたし的には帯インパクト大賞です。

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未来と意志

WILLという英語は、未来を表すが、意思という意味も持つ。
『WILL』本多孝好(集英社文庫)を読んだ。『MOMENT』の続編、連作短編集だ。
『MOMENT』は、病院でバイトする大学生神田が死に際に立つ人々の願いを叶えていくと言う話だったが、『WILL』は神田の幼馴染みで葬儀屋を切り盛りする29歳の女性、森野の話だ。
リビングウィルとは遺言書のことであるが、直訳すると「生前の意思」ということになるらしい。未来と意思。それを森野に問いかけるように、葬儀屋を訪れる人々を綴る連作は流れるように進んでいく。
「未来ってのはいつだって、意思と一緒にあるってことだな」
18歳で亡くした父の言葉を、森野は心に留めていた。心に留めながら、そこに留まらず日々を暮らしていた。
『MOMENT』で悩み苦しみ考えていた神田が、森野を受け止める大きな存在となっているのも印象的だが、森野の考え方や葬儀屋に訪れた人々への接し方など、小さな驚きがそこここに秘められている物語だ。亡くなった父から送られてきたメッセージの意味を探す娘、自分が喪主になり葬儀のやり直しをしたいという愛人、亡くなった夫の生まれ変わりだという中学生と思い出話をする老女。森野の日々は平穏ではない。
「連作短編集だけど、最後まで読まないとだめ」
娘に言われて読み終えた。読み終えてよかったと思った。
連作短編集は、最後まで読むべきと再確認した。

わたしには、今しか見えていないのかもしれないな。
未来って、意志で変わっていくものなのか。薪を入れれば火は燃える。入れなければ消える。本を閉じ、わたしはストーブに薪を入れた。

薪を見てこれは桜、これは梅と少しは分かるようになりました
身近にある松はヤニで煙突が詰まるので燃やせません 残念!

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感応式信号の怪

土曜の朝は、車が少ない。
娘は、土曜もおなじく朝7時の電車に乗って学校に行く。7時前の道は空いているという次元ではなく、最初の信号まで車を見かけないことがあるくらいだ。最初の信号は家から駅までの半分の距離にある。駅までの信号は3つ。そのどれもが感応式だ。
その中で、こちらに感応する信号は先の2つ。最初の信号は交差する側に感応する。その感応式の信号だが、誰もいないのに感応していることがある。あれは何故なのだろう。
昨日も十字路にはどう見てもマイカーしかなく人影もないのに、交差する側が何かに感応して、こちらは赤信号で待たされた。
「なんで感応しちゃってんの?」
わたしの言葉に、娘がおどろおどろしい雰囲気をかもし出しつつ言った。
「いないものが、いるのかも」
「い、いないものに感応?」「そう。いないものはいるんだよ」
朝からホラーの話だ。
綾辻行人の『Another』(角川書店)を読み終え、すでに読んだ娘と毎週楽しくアニメ化されたものを観ている。
ホラー&推理ものなので、わたしが読み終えるまで彼女はネタバレしないよう気を使ってくれていた。今はネタバレトーク万歳! と、ふたりでアニメを批評したりしている。
そして観終わった後は、恐い。ラストまですべて知っていても恐い。
主人公恒一が転校してきた夜見山中学3年3組は、死に近い場所にあった。26年前のこと。事故死したクラスの人気者の死をクラスメイト達は受け入れられず、そこにいるものとして卒業までの日々を過ごした。だが卒業写真を見て彼らは愕然とした。事故死した子も笑って写っていたのだ。その次の年からだった。3年3組の生徒とその家族が事故や病気で何人も死ぬようになったのは。Another、 もうひとり。そのタイトルの持つ意味とは?
「恐い話ってさぁ……、恐いね!」
クールな娘が表現を放棄するほどには、恐い。つい一気読みしてしまうほどの恐さを持つ物語だ。

最初の信号「まみょうだ」 読めない地名ランキングに入るよね? これ

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My family in Japan「小説にならない家族」

オーストラリアの娘がアボリジニ・アートに挑戦したとfacebookに絵をアップしていた。アボリジニ・アートなるものがドット・ペインティングで描かれたものらしいということはわかったがそれ以上は不明だ。手法は何にしろ娘は6枚の花びらで家族を表現したかったらしい。夫とわたし、兄、妹、びっきー、そして自分。タイトルは『My family in Japan』
 
ちょうど末娘と家族の話をしたばかりだった。それは作家重松清が描く家族についての話だ。
「重松清が描く家族って、なんか問題抱えてる家族がほとんどだよね」
娘が言うので、
「だって問題がない家族なんて小説にならないじゃん」
わたしが答えた。
「だよねー」と娘が受けあう。
「うちの家族なんか小説にしようがないもんね」と娘。
いやいやうちだっていろいろあるんだよと思いつつ、娘が言った「小説にならない家族」という言葉にホッとする。
重松清の『みぞれ』(角川文庫)という短編集に『電光セッカチ』という話がある。セッカチな夫とのんびりした妻の話だ。
「あの人は待つことが嫌いだ。むだな空白が大嫌いだ」
で始まるこの小説、夫が急かすのが原因で小学生の息子がチック症になる。結婚当初はそんな性格の不一致も大らかに考えていた妻も、ついに耐えられなくなり家を出た。この話はそれでアンハッピーエンドとはならない。ハッピーエンドになるかどうかは彼ら次第。そんな小さなすれ違いはどこの家族にもあるんじゃないかとわたしは思うのだが。
 
娘の絵は、小学生の頃に彼女が描いた向日葵の絵ととてもよく似ていた。海外に行って、ずいぶん変わったであろう彼女の変わらずにいる一面を感じ、胸が温かくなった。

アボリジニの歴史に触れた娘が帰ってくるのが楽しみです


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まだ死ぬ訳にはいかない

蜂が家の中に入ってきた。いつ? 何故? とパニックになる。パニックになりつつ、わたしが真っ先にしたことと言えば指輪を外したこと。薬指を刺され結婚指輪を切断したことがあるのだ。「人間信頼と学習が大事」と伊坂幸太郎も小説の脇役に言わせている。蜂とは信頼関係を持てるほどの仲ではないので、とりあえず学習したことを活かそうと考えた。そして指輪を外すと不思議と気持ちが落ち着き、蜂に交渉しようという余裕が生まれた。
出て行ってくださいとお願いし、窓を全開にする。が、当然そう簡単には応じてもらえない。蜂の方も天井付近を飛び回り、ここは何処? と戸惑っている様子だ。「だからー、窓はこっちだってば」と示そうにも、攻撃を仕掛けると勘違いされるのも嫌だ。仕方なく「ハチアブマグナムジェット」を構え天井にとまるのを待つこと5分。「ごめんなさい」と謝りつつ、ジェットを噴射した。天井から床に落ちた蜂にとどめの噴射をし苦しむ様子を観察。1分ほどで動かなくなった。
「別に殺したい訳じゃなかったんだよ」と言い訳するも誰も聞いていない。しかし仲間が窓から見ているかもしれない。気づかれないよう静かにティシュにくるんでゴミ袋に入れた。
 
綾辻行人の『Another』(角川書店)を読み始めたばかりだ。図書館で借りた本には「ホラーに推理を交えた新境地」という新聞記事が貼ってある。ミステリーは好きだが恐がりだということもありホラーはほとんど読まない。それがこの本を手に取った瞬間、ムラムラと血なまぐさい話が読みたくなり借りてしまった。田舎の中学校3年3組に伝わる呪い。転校してきた主人公恒一は、それについて何も知らない。不審な死を遂げていくクラスメイトとその家族。影のある少女、鳴(めい)。恒一は少しずつ真実に近づいていく。
 
この本を読むわたしがここで不審な死を遂げてしまったら、新しい呪いを生みそうだなと思いつつ、蜂に立ち向かった。まだ死ぬ訳にはいかない。せめてページをめくらずにはいられないほど面白いこの本を読み終えるまでは。
天に召された蜂さん 成仏してください
珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属のご近所さんは
蜂に刺された経験も豊富 キイロスズメバチには1度に8ヶ所刺されたそうで
彼の鑑定結果この蜂はキアシナガバチまたはセグロアシナガバチだと判明
スズメバチだと思ったのになぁ

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オリーブだけのマティーニ

「はんぺんのないおでんなんて、おでんじゃない」と言う娘の発言を聞いて、昔彼女がよく引用したアニメのセリフを思い出した。
「何とかのない何とかなんて、オリーブだけのマティーニみたいなものだ」
マティーニを飲んだことのない中学生の彼女が言うのがわたし的にはとても可愛らしく、ふたりの間でしばらく流行った。「オリーブのないマティーニ」ではなく「オリーブだけのマティーニ」と言うところがいい。洒落が効いている。雰囲気だけでもお裾分けしようと思い、夫と飲みに行ったときに、マティーニの写真を娘にケータイメールで送ったりもした。
 
普段はビール(のどごし生はビールではありませんね)しか飲まないわたしだが、食事の後にゆっくりバーで飲むのだってもちろん嫌いじゃない。
しばらくギムレットにハマり、機会があるたびにギムレットを飲んで飲み比べた。きっかけは村上春樹が訳したレイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』(早川書房)。この小説には有名なセリフがある。
「ギムレットを飲むには、少し早すぎるね」
このジンとライムジュースのカクテルが、物語の重要な役割を果たしている。
私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するハードボイルドの1作目だ。
村上春樹はあとがきでこうかいている。
「寡黙でタフで頑固で機知に富み孤独でやくざでロマンティックなマーロウ」好きにならざるを得ない探偵だ。
 
けれど最近のお気に入りはマティーニ。きっかけは北村薫の小説『飲めば都』(新潮社)。文芸編集者の都は本も好きだが酒も大好き。仕事も精一杯やるが酒も精一杯飲む。飲んでは失敗する。しかし酒好きの周りの人の目は彼女に優しい。この本に「通はマティーニから」ってセリフが出てきた。それからわたしは、またあちこちでマティーニを飲みたくなったわけだ。
こうしてビールを飲みながら本を読み、本に影響されてまた酒を飲む。それにしてもマティーニもギムレットも強い酒だ。ビールのようにくいくい飲んではいけない。……との夫の注意と心配を受け流しつつ、そろそろまた素敵なバーに飲みに行きたくなっちゃったなぁと5年前新刊で買った分厚い『ロンググッドバイ』のページを秋の夜長にめくったりしている。         

娘にお裾分けで送った昔の写真
オリーブがとてもやわらかくまろやかなマティーニでした

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眠りに囚われて

眠りに囚われてしまった。
春眠暁を覚えずと言うが、秋だと言うのに毎日眠くてたまらない。
夜はだいたい10時半頃寝て朝5時半に起きる。7時間睡眠。娘の学校の時間があるから規則正しい。それが暑い夏睡眠が足りなくなり、午後3時間くらい昼寝をするようになった。秋になりそれでも足りなくなった。朝のいろいろを済ませ午前中も2時間眠るようになった。12時間睡眠。1日の半分は眠っていることになる。眠らないと頭痛に襲われるので許される限り眠る。
優先事項……経理の仕事、洗濯、買い物、食事の支度、娘の送り迎え、びっきーの散歩などをこなして、あとはベッドでごろごろしている。
これが噂の更年期というものかと、受け入れ態勢万全だ。やらなきゃならないことをやり、眠りたいだけ眠ろうと思う。もっともっと眠りが必要になって起きている時間が無くなってしまったら、それはその時に考えよう。まさか温暖化で人間も冬眠する身体に進化(?)していってるわけじゃないよね?
 
村上春樹の短編に『眠り』がある。『TVピープル』(文春文庫)のラストに収められたその小説は、逆に眠りが訪れなくなった女性の話だ。
歯科医の夫と小2の男の子と穏やかに暮らしていた私。ある日突然眠りが必要なくなり、これまで眠っていた時間を自分のためだけに使うことに喜びを感じるようになる。そして家族との日々の生活が無味乾燥に思えてくる。
「私は義務として買い物をし料理を作り掃除をし子供の相手をした。義務として夫とセックスした。慣れてしまえばそれは決して難しいことではなかった」
私は、学生時代のようにチョコレートを大量に食べながら何時間も本を読み続け、毎日1時間泳ぎ、夜中にドライブした。できる限り自分の時間を有効に使おうと考えた。私に眠りは訪れなかった。そこには間断のない覚醒だけが確実に存在した。
 
もし今余分に眠っている分が、後々返ってくるとしたら何をしよう。いや。それ以前に眠りのない生活なんてお断りだ。

野菜たっぷりのシチューを食べて今日もぐっすり眠ろう

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心地よいミステリー

「やった! 久々のヒットだ」と感動するわたしの横で娘が言った。
「また1塁打だよ」と言っても、どちらも野球の話ではない。ホームランバーを食べる娘にわたしが言う。「1塁打だって大切なんだよ」
 
久々のヒットを飛ばしたのは初めて読む作家、近藤史恵。『タルト・タタンの夢』(東京創元社)だ。
下町にある小さなフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」が舞台。「パ・マル」とはフランス語で「悪くない」という意味。名付けたのは風変わりなシェフ三舟。気取らないけれどフランス料理好きな人が舌鼓を打つような素敵な料理が人気だ。そして物語は、客達が巻き込まれた小さな事件の真相を三舟シェフが解いていくコージーミステリー。コージーミステリーとは、居心地の良い居間で香り高い紅茶に焼き菓子でもお供にくつろいで読むのに適したミステリーと言われている。
日常に潜む謎を、独特の観察力で話を聞くだけで推理し、三舟シェフがスマートに解き明かしていく。「パ・マル」で働くのは、ギャルソンのぼくこと高築、ソムリエのボーイッシュな女性金子さん、穏やかな厨房スタッフの男性志村さん。そして髭づらで髪を後ろに結わえた一見恐そうに見える三舟シェフの4人。ぼくと金子さんが20代、厨房のふたりは30代と若い店だ。
ミステリーの謎解きと、物語や店のおしゃれな雰囲気、そして何と言っても美味しいフランス料理を楽しめる連作短編集。三舟シェフの鮮やかな謎解きは、誰もが持っている胸に秘めたわだかまりのようなものを溶かしていき、心地よい読後感を約束してくれる。
しかし残念ながら、わたしはフランス料理に詳しくない。タルト・タタンが林檎のタルトってことくらいはわかるけど、ロニョン・ド・ヴォー? オッソ・イラティ? うーん。これはフランス料理を食べに行かなくちゃならないな。「パ・マル」のようなビストロがあるといいんだけど。
ちなみに『ヴァン・ショーをあなたに』という続きがあるようだ。ヴァン・ショーはスパイシーなホットワインで、三舟シェフは疲れた時や傷ついた人にこれを薦める。楽しみだ。
1塁打の短編だって、読み重ね、読み終わる頃には、ホームインした快感が味わえるものなのだ。

北側の窓に並べたワインボトル フランスワインはどれでしょう?

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南アルプスの夕焼け

昨日は夕焼けが綺麗だった。夕刻、娘を迎えに行く途中、車を停めてしばらく眺めた。南アルプスの山々が気温の冷え込みもありくっきり見える。取り分け夫の好きな甲斐駒は、ごつごつした身体で冷たい空気を気持ちよく吸い込んでいるようにのびのびとして見えた。
 
夕陽が印象的な役割を果たしている小説がある。本多孝好の『MOMENT』(集英社文庫)だ。夕陽で始まり夕陽で終わるこの小説の舞台は病院。
 
「死ぬまさにその瞬間、自分は何を思い浮かべると思う?」
まるで夕陽に向かって問いかけるかのように彼は言った。
「昔読んだ4コマ漫画のひとコマとか」「4コマ漫画のひとコマ?」
夕陽から視線を外して、彼は聞き返した。
 
主人公は総合病院で掃除のバイトをしている大学生、神田。
そこには「死を間近にした人の願い事をひとつだけ叶えてくれる必殺仕事人伝説」があった。神田はある末期患者の願い事を叶えてから、噂の必殺仕事人として動くようになる。
老婦人は初恋の人に復讐したいと願い、口の悪い老人は戦争で殺した仲間の家族を見守りたいと願い、14歳の少女は修学旅行で1度だけ会った大学生に会いたいと願う。
死を間近にした人々に接し、神田はその重みを受け止めていく。
 
死を目前にして何を思い何を願うか。今はまだわからない。夕陽が沈んでいくように、いつかその時は来るんだろうけど。

真ん中が甲斐駒ケ岳 もうすぐ冠雪かな

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真っ青なポロを見かけて思うこと

真っ青なポロを見かけた。
「あ、小鳥ちゃん」わたしのバイブルを思い浮かべる。
江國香織の小説『ぼくの小鳥ちゃん』(あかね書房)だ。
主人公ぼくのガールフレンドの愛車が真っ青なポロ。初めて小鳥ちゃんを読んだ時には知らなかったが、今はポロがフォルクスワーゲンのスマートな車だと知っている。できれば車を買い替える際ポロに乗りたかったが、やっぱ燃費だよねと、フィットハイブリッドを買った。それでもポロを見かけるたびに「あ、小鳥ちゃん」と思ってしまう。
 
ぼくによれば―ポロに乗るタイピストのガールフレンドは、タイピングの腕が一流なだけでなく、料理も整理整頓もほころびを縫うのもとても上手で、能力を問われるおよそありとあらゆることに、その才能を発揮する。
そんなぼくの部屋に、冬の朝小鳥ちゃんはやって来た。ぼくが窓際でミルクコーヒーを飲んでいる時に(決してカフェオレではなく)不時着。そんな感じで。プライドが高く口が悪く、それでも甘え上手な―たぶん白い文鳥の、小鳥ちゃん。
ぼくによれば―小鳥ちゃんはしりとりが好きだ。退屈するとすぐにしりとりをしたがる。小鳥ちゃんのしりとりはおわらない。「ん」がついてもいいルールなのだ。海、と小鳥ちゃん。三日月、とぼく。きんかん、と小鳥ちゃん。カンボジア、とぼく。あるいはいきなり、ごはん、と小鳥ちゃん。ハンカチ、とぼく。ず-っと続くのが好きなのと小鳥ちゃんは言う。「それに、言っちゃいけない言葉があったりしたら、気になってどきどきしちゃうでしょう?」「それがおもしろいんじゃないか」と言うぼくに小鳥ちゃんは言い放つ。「悪趣味」
ぼくと小鳥ちゃん。そしてガールフレンド。三角関係ともいえない三つの点。世界は冬で部屋の中は温かい。ぼくの部屋にはガールフレンドとの写真が置いてあって、彼女がやってくるたびに小鳥ちゃんは写真立てをぱたんと倒す。それがいつも通りの風景で微笑ましくもある。
ある時はスケートをしたがり、ある時は病気だと言い張って薬(ラム酒をかけたアイスクリーム)をねだり、そしていつでも洗濯機がぐるぐる回るのを眺めるのが好きな小鳥ちゃん。それをひとつひとつ大切に受け入れていくぼく。
一緒に暮らすふたりの距離として、ぼくと小鳥ちゃんの関係がわたしは好きだ。気遣いながらもわがままを言い、悪態をついたかと思えば思いやる。車も運転できず何の取り柄もない不器用なぼくだが、小鳥ちゃんが彼をルームメイトに選んだのがよくわかる。
 
この間、オーストラリアの娘と久しぶりにスカイプでしゃべった。ハウスメイトとも仲良く楽しくやっているようだった。彼女は人との距離の取り方が上手くシェアハウスで暮らすのには向いているようだ。それでも日々穏やかにとはいかないだろう。
真っ青なポロを見かけて、ぱたんと音を立てて写真立てを倒す小鳥ちゃんを思い、娘を思った。

娘からのバースディプレゼントの写真立てはレトロなタイプライター形
今のところぱたんと倒す小鳥ちゃんは現れない

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涙の効用

娘が高校から「カウンセラー便り」なるものをもらってきた。
「笑いの効用」とある。笑うことがリラックスや、やる気に繋がると、笑いをオススメしていた。娘と笑った。オススメの通りというわけではない。
「なにこれ、ありえなーい」「笑える」と笑ったのである。
笑いについて笑ったせいか、ふたりとも壊れたように大笑いした。
「なんかすっきりした」「くやしいけどすっきりした」とまた笑った。
笑いに効用があるとは、よく聞く話で否定もしない。わたし達が笑った分だけ「カウンセラー便り」も成功を収めたとも言えるかも。
しかし一時期わたしは涙の効用の方に助けられた。
子どもが小さい頃、子育てのストレスもあり、よく泣いた。子どもが眠ってからアイロンをかけつつレンタルした映画を観ては泣いていた。ラブコメが多かったかな。そして本を読みまた泣いた。泣いて泣いてすっきりした。
 
山本文緒の短編にはたっぷり泣かされた。『絶対泣かない』(角川文庫)は絶対泣ける、涙の効用体験をしたい人にはオススメの小説だ。
テーマとして職業を置き、フラワーデザイナー、体育教師、漫画家など、女性が働く中で様々な思いを抱え何かにぶつかり何かに出会い進んでいく。そんな姿を独特の視点で描いている。
デパート店員の『今年はじめての半袖』がわたしは大好きで何度も読み返した。失恋し会社を追われた主人公は自殺しようと考える。両親が死んだら死のう。でもそれまでは働き生きていくしかない。考え込まぬよう働いて働いて、働いた。その先にあったものとは……。
何も考えたくない時にからだを動かす。それは正解かもしれない。笑ったり泣いたり、からだを動かしたり、そうやって進んでいくしかないのだ。

「上を向いて歩こう」と秋空を眺めてみる

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駄洒落と小6女子の凍った視線

『AERA』に勝った!『AERA』とは朝日新聞出版の雑誌だ。昨日の新聞広告に載っていた『AERA』の一行コピーと言われる駄洒落ニュースに「絶滅、カワウソ~。」とあったのだ。
ニホンカワウソの絶滅が確認されたのはもう半月も前で、わたしも8月30日のブログ読書徒然に「カワウソだね?」というタイトルでかいている。
『AERA』は読んだことはないが、この駄洒落ニュースには注目していただけにうれしい。
「見て見て!『AERA』に勝った!」夫に見せるが相手にされない。
娘に言うと冷めた目で見られた。「何その無駄な優越感」
 
なので、ひとり淋しく『AERA』の一行コピーをネットで検索した。
「ポッポと辞めました。」鳩山首相8ヶ月で辞任。「イトカワいし、はやぶさかな。」小惑星探査機はやぶさ、小惑星イトカワの埃を持ち帰る。「強くなったワケは、なんでしこ?」サッカー女子なでしこジャパン、急成長などなど、話題のニュースをきちんと(?)駄洒落にしている。ちなみに動物ネタは久々かな。「あちこち出没には、クマった。」以来?
娘が気分転換に2階から降りてきて、何してるのーと言うので、駄洒落ニュース検索と返すとふたたび「うわっ、何その無駄な検索」と言われた。
が、ふたりで見て笑ったりあきれたり、しゃべったりする。
「クマったは、先生が言って、小6女子に冷めた目で見られるレベル」と娘。
「小6女子ってのがリアル。中学生には大人に対するあきらめがあるよね」
「まあね。奴も人間だからな、しょうがないなって」「でも小6女子は恐い」
「凍った視線が突き刺さって致命傷を負いかねないね」などとしゃべった。
 
ところで、駄洒落好きさんにオススメの絵本がある。『だじゃれすいぞくかん』『だじゃれどうぶつえん』『だじゃれしょくぶつえん』(絵本館)などのシリーズだ。文は中川ひろたか、絵は高畑純。これがおもしろい!
マグロが暗い顔して「おさき マっグロ」と言ったり、寝起きのひつじがベッドで時計を見ながら「わっ ひつじ!」と言ったり、公園のベンチにゆったりもたれかかりネクタイをしめたサボテンが「しごと サボっテン」と言っていたりする。絵とのコンビネーションも絶妙。できれば親しい誰かと一緒に笑ったり、くだらなーいなどと言ったりしながらページをめくりたい絵本だ。子ども向けというより大人に受けるかも。
小6女子だっていずれ大人になり駄洒落を言うようになるかもしれないのだ。

「きのう きょう アシカ」「かラーイオン」「きゅうり とまれない」

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「まったくきみ達ときたら」

夫の口癖のひとつに「まったくきみ達ときたら」というのがある。それはだいたい「よくそんなくだらないことをべらべらとしゃべり続けられるね」と続く。遠まわしにうるさいと言っている訳だ。
反抗期の子どもに対し、大切にしてきた母の心得が2つある。
美味しい料理を作ることと、共にくだらないおしゃべりをして笑うこと。だいだいこの2つができていれば、反抗期も難なくやり過ごせる。
学校のことなど話さなくていい。テレビや本、ダイエットにお菓子作り、腹の探り合いなどなくただ楽しくしゃべって笑う。そうして毎日しゃべっていれば、いざ何か心配事があったときにも話しやすくなるというものだ。
心得を大切にし、わたしはもう反抗期も過ぎた娘達ともよくしゃべる。あきれるほどくだらないおしゃべりで盛り上がる。で、夫の口癖の出番となるのだ。
 
その口癖がこのあいだ、娘の口をついて出たという。いきさつはというと。
「恩田陸って女だったの?」と新聞を読む夫。
「知らなかったの?」とわたし。居間での会話だ。
「ずっと男だと思ってた」と新聞の写真を見ながら夫。
それを2階の部屋で娘は聞いていたそうだ。居間の吹き抜けのちょうど上が彼女の部屋になっていて会話は常に筒抜けだ。
「生まれた時から女ですよ、恩田さんは」
作家恩田陸ファンの彼女の本棚には約20冊もの恩田文庫が並んでいる。
「何冊か読んだよね?」とわたし。「何読んだか忘れたな」と夫。
「水路がある町の橋の上で男が死んでるって話読んでたじゃん」
「ああ、あれね。タイトル忘れたけど読んだな。」
「それは『きのうの世界』(講談社文庫)だっつーの」
2階でイライラしながらも聞いている娘。
「それからほら『上と下』」「あ『上と下』ね。うん、読んだ読んだ」
「だからそれは『上と外』(幻冬舎文庫)だよ! 下じゃない、下じゃあ! まったくきみ達ときたら!」
とっさに夫の口癖が出てしまったのだと、2日ののち娘は語った。

アジアン雑貨屋で見つけたお気に入りの猫のブックエンド『上と下』

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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