はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
[11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21

初詣で、娘に教わったこと

「おみくじは、読み返してプラスになることがかいてあるなら、持ち帰った方がいいんだって」
2日。娘達と夫と4人、隣りの韮崎市『武田八幡宮』へと、初詣に行った。
お参りし、みくじを引き、焚火の周りで覗きあったりしつつ読んだ。大吉、中吉、小吉とそれぞれだが、失物やら旅行やら細部を読みあっては、笑った。
それを御神木などに結んでいくか、持ち帰るかで、迷っていたら、上の娘からのアドバイス。なるほどと、持ち帰ることにした。
末娘は、元々みくじは保存する派。ひとりひとりの考えでいいのだとは思っていたが、上の娘が言うことには、すとんと納得した。
忘れた頃に読み返すのも、またよし。その時には、今の自分には判らないことが、文面から読み取れるかもしれない。

「娘に、教えてもらうようになったか」
嬉しいような淋しいような気持になる。だが考えれば、子ども達には、幼い頃からたくさんのことを教えてもらっていたようにも思える。
彼女が小学校に上がった時、入学式翌日のことを思い出した。外まで見送りに出て、玄関に戻ると置きっぱなしの上履き袋。一日目から忘れて行ったのだ。
「届けようか。いや。忘れた自分が困るのだと知る機会を奪っちゃダメだ」
新米の母親は、それでも、小さな娘が大きな小学校のなかで泣いているんじゃないかと気を揉み、首を長くして帰りを待った。
「上履き、忘れちゃったね」お帰りも言わず、開口一番にわたし。
すると彼女は、いたずらっぽい笑顔で言ったのだ。
「忘れちゃったから、靴下で滑ってスケートしたよ。楽しかった!」
拍子抜けし、わたしも笑った。子どもは、自分で生きていく力を持ってると、娘に教わった瞬間だ。
今は、大人も子どももない。これからも是非、多くを教えてもらおう。

末娘は、七五三も此処でお参りしました。馴染みの神社です。
  
立派な御神木です。いったい何年、立っているんだろう。

拍手

ウオーキング始め?

油断した。油を切らした訳ではない。切らしたのは、何ということであろう。ビールである。
「落ち込んで、います」と、夫に告白するわたし。
御節をつまみつつ、紅白やポール・マッカートニーのライブDVDやらを見ながら、今年も無事に年越し出来たなーと、脱力ムードで、夫はワイン、わたしはビールをだらだら飲んでいた。
しかし、冷蔵庫のマイビール『のどごし生』がなくなったので、玄関に置いてあるビール箱に取りに行き、愕然。3缶しかないではないか。元旦の朝は、家族で新年の挨拶をし、日本酒を呑む習慣。買い物には、行けない。
「自分で、飲み過ぎただけじゃん」と、笑う夫。
「いっぱい買い置きしたつもりだったんだもん」と、半泣きでわたし。
「それでも、飲むか?」「飲む。年越しだもん」
そして、ビールは残り2缶に。わたし的には、全く足りない缶数である。

元旦の朝は、娘達と夫と4人、和やかに御節やら雑煮やらを食べて過ごした。それからぐっすり眠り、起きると午後2時。天皇杯決勝を観ている夫をちらりと見て、ひとりこっそり、外に出た。
「歩いて、買いに行こうかな」
最寄りのコンビニまで歩けば、往復1時間はかかるだろう。
「ウォーキング始め、かな」
びっきーと歩かなくなって、ひと月ほど。上の娘は、すぐにウォーキングを始めた。年明けも、夜中に友人達と歩いたという。
だが、わたしが歩きだしたのはコンビニとは反対方向だった。
「空が、綺麗だなぁ」と、上を見上げ、
「木々の影が、素敵に並んでる」足元を見ながら、深呼吸する。
とりあえず『一年の計』という言葉は、さっさと忘れ去ることにした。

雲は、意外と速く流れていました。急いで何処へ行くんだろう。

林の影が、長く伸びています。林を歩かなくても森林浴できそう。

拍手

変わっていく、未来

春には、此処、明野町に越して来て14年になる。
14年前には保育園に通っていた末娘も、すでに大学生になり、ひとり暮らしを始めた。14年も経てば、当然である。当然であるが、帰省した末娘に久しぶりに会い、何も変わらない自分が此処にいることや、子ども達がやたら大人びて見えたりすることに、隙を見せると不意打ちを食らう。まるで幻影でも見ているみたいに、不思議でしょうがなく思えてしまうのだ。

暮れゆく年の瀬。御節作りの合間に、ひとり玄関の外に出て深呼吸した。
八ヶ岳が見える。見えるが、隣りの林の木が、意地悪でもするかの如く枝を伸ばし、美しい山の全容は見せてくれない。その枝を伸ばしている木にしても、14年前には、八ヶ岳を隠すほど伸びてはいなかった。
「変わって、いくんだなぁ」声に出してみる。

1本の木も、ひとりの人も、遠く見える八ヶ岳も、地球も、手を伸ばしても到底届かない宇宙の果てだって、変わっていくのだ。
暮れかけた空。ちっぽけな自分という存在と、その未来を、静かに見上げた。

背のびをして、撮りました(笑)

末娘が詰めたお重です。「綺麗!母親に似ず、几帳面だ」とは夫。
野菜それぞれに合った味付けで、ひとつひとつ煮たのはわたしなんだけどな。

実家の父が漬けて、送ってくれた漬物。フルーティで美味しいんです。
変わらない味もあります。まだ伝授してもらっていませんが。
☆今年も、どうぞよろしくお願いします☆

拍手

手と懐と、逆輸入

「猫の手も借りたい」と乞われた訳ではないが、娘が手を貸している。
去年オーストラリアに1年間行っていた、上の娘である。何に手を貸しているのかと言えば、ネイルモデル。ネイルの練習にと、文字通り手を貸しているのである。来月のTOEIC試験のためにバイトを辞めたばかりだが、一度試しにと行ってみると、ネイルが映える手と爪だと、見込まれたという。
「人間、取り柄ってあるもんだよねぇ」と、わたし。
「どうせ、ネイルに向いた手と爪がわたしの唯一の取り柄ですよ」と、娘。
「いやいや。きみはたくさん長所を持ってるよ。ぼーっとしてるとことか、ぼーっとしてるとことか、ぼーっとしてるとことか」「それ、長所じゃないし」
などと笑いつつも、手と爪を綺麗に保つべく、ハンドクリームを塗り手袋をして眠る彼女の手は日に日に綺麗になっていくように見える。
「おねぇは、真面目だねぇ」と妹に言われるほど、彼女は素直だ。

ところで「手を貸す」も、そうだが、人の身体の部位は比喩に多く使われる。
彼女は最近、外国人の友人に「懐が温かい」という言葉を教わったそうだ。
中学高校時代、勉強というものに嫌悪しか持たなかった彼女は、こういった逆輸入を体験することが多い。
「今日は、ブランチで」とのわたしの言葉に、
「お母さん、ブランチって英語よく知ってたね?」と、彼女。
「いや、それ、すでに日本語だから」と、呆れつつわたし。

また「女はクリスマスケーキって、知ってる?」と、彼女。
「25過ぎたら、売れ残りで、安くなるっていうんでしょ?」と、わたし。
「えーっ、それ、日本でも言うの?」「日本で言われ始めたんじゃないの?」
などなど。1年間のワーキングホリデーで彼女が吸収したことは、嫌で嫌でしょうがなかった学校での勉強(?)もたっぷり含まれている。

彼女は今「懐が温かい」生活は求めていないようだが、様々な人の「懐に飛び込み」「懐の広い」人になっていってくれたらと、静かに傍観している。

親子なのに、どうして!?というほど、爪のかたちも手の大きさも違います。
おてんば娘なのに、何故!?というほど、お淑やかそうに見えますね。

ハリー「姫の、真似」ネリー「いやーん!」

ネリー「ハリー、ひどい! 倍返しだー!」ハリー「うわっ! ごめーん」

ネリー「ちゅっ♡」ハリー「あれ?」

拍手

気難しい奴

気難しい奴だ。
がんがん燃えている時には「俺に触ると火傷するぜ」とか笑って、放っておいて欲しがるくせに、3時間も放っておくと、すぐにすねる。
薪ストーブのことである。

扉を開けると、一気に温度が下がるから、燃え始めたらなるべく開けずに放っておくのだが、酸素を欲しがったり、酸素の通り道を作ってもらいたがったりもする。
開けたら手早く作業しないと「温度下がったじゃん」と、また文句を言うし、さっきまでいい感じの種火になっていて、ここは開けない方がいいかなと判断しても、じつは薪を食べたがっていたりもする。
一から火を入れるのは手間もかかるのだが、時には、すべての灰を出してやらないと、温度が上がりにくくなり、不機嫌になったりもする。

「手がかかるねぇ」と、上の娘。「全くねぇ」と、わたし。
だが、今年はリビングに灯油ヒーターは出さず、床暖房と薪ストーブオンリーで冬を迎えた。そのパワーは大きい。必要のなくなった木を燃やすことは、地球の循環に含まれる自然なことであるというし、電気やガスも使わない。環境に優しい優れものなのだ。
木を切って、割ってくれる夫に感謝し、毎朝、すねている薪ストーブのご機嫌伺いをする日々。部屋の中に火がある生活を楽しみつつ。

夜中まで100℃を超えていた温度計ですが、朝には下がっています。

開けてみると、まだ炭が赤く残っている感じ。

薪を入れ、新聞紙を1枚の4分の1に切って丸めたものに火をつけて、
「ご機嫌直して、燃えてねー」それが、なかなか、燃えてくれません。
「朝まで放っておいたくせに」と、すっかりすねている薪ストーブくんです。

午後、娘達に世話を頼んで出かけました。帰ってみると、超ご機嫌!

170℃くらいまで温度を上げ、火を踊らせ不敵な笑いを見せていました。

拍手

旗振りは、遠隔操作で

大掃除と言うと、俄然張り切って旗振りをする夫が、今年に限り年末ぎりぎりまで仕事である。息子はバイトが忙しいようで帰ってこないし、娘ふたりと女3人で、のんびりモードばかりが漂う年末だ。
昨日は揃って寝坊し、それぞれブランチを好き勝手食べ「勉強しなきゃだけど、やる気にならなーい」「掃除しなくちゃだけど、やりたくなーい」と上の娘とわたしが言えば、末娘は「わたしは、休みに来ました」と宣言する、といった調子で、のんべんだらり。

しかし、パソコンを開くと夫からのメールが。
「リビングの窓拭き、娘達にやるように言っておいてv」
遠隔操作でも、旗振り役は、やる気満々の様子。仕事が忙しいだけに、気持ちのいいお正月を過ごしたいとの気持ちが膨らんでいるようだった。
「早い者勝ち」と、末娘は末っ子の要領の良さで、拭きやすい窓を選んで拭きはじめた。後攻の上の娘は「拭けてないじゃん」と、妹の拭き方にアドバイスしつつ拭き始める。妹も「お姉ちゃんの知恵袋だー。すごい」と、姉に従い和やかに窓を拭いている。10枚以上あるリビングの窓は「お父さんの分」と、ステレオの後ろの窓を残し、さっぱりとしていった。
こうなると、わたしもやらざるを得ず、洗面所の大きなマットを洗い、風呂場、廊下、和室と少しずつ攻めていった。

大掃除とまではいかなくとも、中掃除くらいにはなったかな。メール1本だが、夫の旗振り効果は、絶大である。

上の娘の掃除のあとです。何か、忘れてない?

トイレには、庭の南天を飾りました。

カレンダーも、来年のものを掛けて、っと。
  
末娘が磨いた窓では、レインボーメイカーが虹を量産していました。
洗面所のマットも、太陽を浴びて気持ちよさそう。

拍手

遠くを見て、また、近くを見て

「びっくりした?」とは、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』に登場する殺し屋キルオの決めゼリフだが、それとは全く関係なく、びっくりした。
クリスマスイブ前日のことだ。
上の娘が、プレゼントらしき包みを出し「これ」と言う。
「ど、ど、ど、どうしたの?」と、夫。
「オーストラリアでは、クリスマスに両親にプレゼントするんだよ」と、娘。
「わたし達に、クリスマスプレゼントってこと?」と、わたし。
「そう」と、娘。

綺麗に包装された箱を開けると、ペアのワイングラスが入っていた。我が家にはないタイプのカーブが入った小さめのグラスだ。
「ワインを選んで注文できるんだ?」「すごい!」
こういうのって、なんだか照れくさく、3人言葉少なになる。

春からヨーロッパに行きたいとお金を貯めている娘から、何か贈り物があるとは、思いもよらなかった。
びっきーがいなくなった玄関には、今は2台の自転車が置いてある。ヨーロッパを自転車で回りたいと、借りてきて練習を始めたばかりだ。英会話サークルだけではなく、国際交流と名のつく場所に顔を出し、忙しくしている彼女には、目の前のクリスマスは在って無きものだとも、思っていた。

「遠く海外だけじゃなく、近くも見ていたんだな」
夫が帰らない夜、たまにはワインもいいかと、ひとり乾杯した。わたしも、もう少し遠くを見てみようかなと。

カタログには、様々な国のワインがありました。

綺麗な包装紙。白い紙と透明なビニールの間で、切り紙達が揺れ動きます。
  
赤ワインは、心も身体も、温まりますねぇ。

拍手

車を脱ぐ瞬間

運転するのが好きだ。だがまた、車を脱ぐ瞬間が、好きだ。
山梨の田舎町に越して来て、車がない生活はあり得なくなった。
毎日、当たり前のように車を運転する。誰かを訪ねるのも、買い物に行くのも、食事に行くのもドアツードア。
車をまとい、人間ではなくなったような違和感を覚えつつも、それに慣れていく。しかしその違和感に、解放感が気づかせてくれる。それが車を脱ぐ瞬間。
普段の買い物などでは、気づかない。気づかされるのは、東京に出かける時、駅近くの駐車場から駅まで歩く3分ほど。
「あ、わたし今、車じゃない。人なんだ。ほら、歩いてる」
わたしが歩く脇を、車が通り過ぎる。さっきまでの自分は、今通り過ぎた車と同じ立ち位置にいた。それが車を脱いだ瞬間、トランプを裏返したように立場が変わる。
緊張していたのだ、とまた気づく。普通に毎日運転しているのだが、それでも、何処か緊張していた。人を轢けば加害者になる恐ろしい乗り物を操っているという緊張。そしてまた、気づく。車を脱いだ瞬間、スピードを上げて通り過ぎる車達にヒヤッとし、あ、今わたし人なんだ。気をつけなくちゃって。

人であること。車を身にまとうこと。その両方の立場を、わたしは知っている。駅までの3分ほど、そんなことを考えつつ、ゆっくりと歩いていく。

川沿いの道は狭いので、車はあまり入って来ませんが、
朝は、韮崎高校に通う高校生達で、いっぱいになる時間があります。
  
橋を渡って、向こうが駅です。人間になったわたし。にしては足が長い?

川で、鴨をよく見かけます。昨日は、6羽泳いでいたかも?

拍手

箱根湯本散歩

箱根は宮ノ下に2泊し、ようやく天気に恵まれた帰路。早めに登山電車に乗り、箱根湯本を2時間ほどぶらぶらした。

テーマは、夕飯用に干物を買う。それから土産を3つほど選ぶ。それだけ。
なので、ゆったりのんびり、ただ散歩を楽しんだ。
「試食で、干物を自由に焼ける店があるんだよ」
夫に言われるまま、ついて歩く。方向音痴のわたしは、地図マニアでもあり、さらに新しい道を開拓することの大好きな夫にすべてを委ね、ただただ冬の陽が射す道を、気持ちよく歩くことができた。

橋を渡り、温泉郷と呼ばれている辺りを歩くと、道々に小さな温泉が湧いていて面白かった。
すぐに触りたがるわたしに「ものすごく、熱いかも知れないよ?」と、夫。
「熱めの、いい湯かな」とか「ぬるめだ」とか、品定めする、わたし。
湯本駅前通りは『あじさい通り』と名付けられていた。
登山電車から冬枯れの紫陽花が所々に見えたので「紫陽花の頃には、綺麗だろうねぇ」と話したりしていたのだ。知らなかったが、紫陽花の季節、登山電車は『あじさい電車』と呼ばれるそうだ。

土産物屋の合間には、雑貨屋や靴屋、カフェなどもあり、冷やかして歩いた。
「箱根、いいとこだなぁ」青空の下、深呼吸する。
20年以上前に、子ども達を連れ、実家の父と母と強羅を訪ねて以来だ。その時は、上の娘がまだハイハイをしていて、温泉につかっていてものんびりという訳にはいかなかったと思い出す。そして、息子と末娘が7歳違うこともあり、子ども達との蜜月はけっこう長く、十分に堪能した。
幼い子ども達を連れての家族旅行も楽しいが、夫婦でのんびり旅もまたいい。同じ箱根だが、20年前とは違う場所のようだった。箱根も変わったのだろうが、わたし自身の立っている場所がずいぶんと変わったのだと実感する。
駅でロマンスカーを待つ間も、ふたりのんびり。
「やたらと若いカップルが多いね」「若者の間で箱根、流行ってるのかな?」
行き交う人を、ぼんやりと眺めつつ、くすくす笑った。

登山電車のスイッチバック地点。運転手さんも進行方向の先頭に移動します。

箱根登山電車『塔ノ沢駅』のエキナカにある銭洗弁天様。
  
試食は、ご自由に焼いてくださいという干物の店『山安』湯本山里店
鯵とカマスとエボダイを、焼きましたが、買ったのはキンメダイ。
あちらこちらに沸いている温泉を触ったりしつつ、ぶらぶら。

箱根蕎麦とは、自然薯のとろろをたっぷりのせた蕎麦のことらしい。

あ、面白そうな靴屋さん。入ってみようか。

全く箱根らしくないアンティークな雰囲気のカフェで、休憩しました。

拍手

富士屋ホテル探訪

『富士屋ホテル』本店は、箱根は宮ノ下にある。
何故、富士山が見えない場所に『富士屋ホテル』本店があるのか。

宿泊した場所からすぐ近くだったので、観光がてらぶらぶら歩いて行った。
『富士屋ホテル』がある通りは、セピア通りといい、骨董屋が並んでいた。どの店にも、外国人観光客向けに英語の説明書きがある。

ドアを開けてすぐ、古い建物の醸し出す雰囲気に圧倒されつつ、ランチにサンドイッチを食べ、鯉が泳ぐ池のある庭園を歩いた。

創業者の山口仙之介は、明治4年に二十歳でアメリカに渡り、7年後明治11年の創業時に、3つの条件を元に立地条件を、箱根、宮ノ下に選定した。外国人憧れの地、箱根か富士山周辺。東京から近距離。そして、温泉が湧いている。その3つ。「外国人対象の本格リゾートホテル」を目指し「箱根」に「富士」の名が付いた高級ホテルを創ったという。

先週、上の娘が話していたことを思い出した。
「甲府には外国人がいっぱいいるのに、英語の表示が少なすぎるよ。レストランのメニューとか、もっと英語にすれば外国の人も住みやすくなるのに」
江戸の世に生まれた千之助さん。富士屋ホテルが2つある山梨の今を見たら、嘆くだろうか、それとも異様なほど情報ばかり発達した時代の流れのなかで、何故かフリーズしたままの大切な部分が多いことに呆れ果てるだろうか。
いや、きっと、変えていこうとするに違いない。
彼なら、平成の世に生まれ英語を学び世界に目を向け始めた娘に、画期的なアドバイスしてくれるかも知れないなと、歴史を感じる建物を見上げ、考えた。

富士、フジ、ふじ、FUJI、様々なところに富士山マークが。

サンドイッチを頼んでから、箱根富士屋バーガーがあることに気づき、
「あー、これにすればよかった!」と、夫。観光客らしき発言(笑)
三角のサンドイッチまで、富士山に見えてきました。

ランチしたテラスから見えた庭園には、太った鯉がたくさんいました。
  
苔生す庭園の池。   ホテルの外装は、赤が効いた不思議な雰囲気です。
    
おや? びっきー、こんなところに? さらに、こんなところにも富士山が。
銅像は、創業者の愛犬フワくん。ジャーマン・シェパード・ドッグです。

拍手

日頃の行い?

ロマンスカーに乗って、箱根に来た。
「今年も、お疲れさま」と、夫が計画してくれたものだ。
あいにく雨だったが、わたしは、美味しい食事と美味い酒があればいい。天気に落胆する季節は、人生のなかで、とうに過ぎている。
ロマンスカーで座った先頭車両は展望席とうたわれた席だったが、他の車両の指定席と値段も変わらず、損得勘定も湧かない。車掌が申し訳なさそうに頭を下げつつ、フロントガラスを何度か拭きに来るのを、こちらも申し訳なく思いつつも、返って面白がって見ていた。

昔、運動会の挨拶で、何人かの校長先生が同じ話をしていたのを思い出した。
「青空の下、今日この日を迎えられたのは、みなさんの日頃の行いがよかったからに違いないと思います」
そう聞くと、いつも落ち着かなくなった。
みなさんって、何百人いるんだっけ? みんながみんな、日頃からいいことばかりしている訳なんかないんだし。だいたい自分だって、そうだし。昨日、給食の残りのパンを寄り道して放し飼いの犬(茶色い犬だからと『チャドッグ』と、勝手に名まで付けて可愛がっていた)に、食べさせたし、などと考えている間に、退屈な挨拶はいつも終わっていた。

夫とそんな話をして笑いつつ、刺身をつまみ、日本酒を呑んだ。逆パターンで日本酒を味わってからビールに切り替えたのだが、ラスト日本茶を夫が頼むと、ほんの少しだけ残ったビールが下げられてしまった。
「どうしたの?」わたしの表情が変わったのを見て、夫。
「ビビビ、ビール、まだ残ってたのに」と、泣きそうになりながら、わたし。
「それって、やっぱり」と、くすくす笑いつつ、夫。
「どうせ、日頃の行いが悪いからですよ」と、日本茶をすすり、わたし。
そのお茶は、丁度良く熱く、やけに美味しく上品な味がした。悔しい。

冷やで飲んだ日本酒は宮城の『乾坤一(けんこんいち)』と、
島根の『王禄(おうろく)』は、対照的な味でした。
乾坤一は、フルーティ。王禄は、渋めの辛口。どちらも捨てがたい!

刺し身の分厚さに、海に近づいた贅沢を感じました。

鯛の兜煮。まずその大きさに驚き、また美味しさに驚きました。

夜も更けて、窓を開けると、箱根は宮ノ下のトレードマーク、瓢箪が。

拍手

目の前に大きく存在しつつも、見えないもの

目の前に在るものが、目に入らないことがある。
例えばキッチンで胡椒を探していて、そこに在るのがあまりに自然すぎて、逆に目に入らず、探し回ってしまったり。
そんな日常のトラップにはよくハメられるが、目の前に在るものの存在が大き過ぎて見えなくなってしまうということも、ままある。

「正月用に、徳利を新調したいね」と、夫と話していた。
陶器選びの好きなわたしが、ひとり探すのもいいが、もう10年以上は徳利を新しくしていない。たまにはふたりで選ぼうかという話になり、韮崎は『京MONO』の暖簾をくぐった。行きつけの雑貨屋だ。

暖簾をくぐるなり、見えていなかったものが視界に入ってきた。
「あ、もう、お正月が来るんだ」
何を言っているんだか、である。正月用にと、徳利を探しに来た店なのだ。
スーパーでしめ飾りや鏡餅が、一角を作り並べてあるのも日々目にしている。年末に帰省するのかと息子や末娘にメールもした。御節の材料も、そろそろ生協で注文する時期だし、義母からは、正月用にと金箔入りの純米酒が届き、実家からも北海道の数の子たっぷり松前漬けが届いた。
しかし、それらすべてが、日常というパズルのピースとしてかちりとハマり、違和感なくすっぽりと隠れてしまっていたのだ。
それが、ほんの少し日常と違う場所で、ようやく目に入ってきた。

遠い昔、ままごとをした日のワンシーンを思い出した。
「バナナ、どこ? ねぇ、バナナ、知らない?」と、わたし。
3人くらいの女の子がいて、ゴザの上に座って、小さな茶碗やら鍋やらがある。その小さなゴザの上の世界で、みんなで、本物よりもよほど色鮮やかで固く房と房がくっついた作り物のバナナを探した。
だが、ふと気づいたのだ。バナナは、わたしの小さな手のひらのなかにしっかりと納まっていることに。みんなで、大笑いした。

『京MONO』で、わたしは、手のひらのなかにあったお正月を見つけた。徳利は、夫と吟味し、飲み過ぎないようにと2合ほどの大きさのものを選んだ。

お正月が、みんなしてやってきたような雰囲気。楽しい!

徳利も、大小様々、色とりどり。たくさんあって、迷いました。

欠けた口を、金で接いだという『金接ぎ』を施したものを選びました。
熱燗を飲む楽しみがまた、一つ増えました。

拍手

一瞬だけの贈り物

朝、6時半。
凍ったフロントガラスを溶かすため、エンジンをかけようと外に出て、息を飲んだ。突然視界に入ってきた朝焼けが、思いもよらず綺麗だったのだ。
朝焼けを見られたのは、一瞬だけ。
10分後、夫と車に乗り込んだ時には、すでに赤みは消えていた。
「赤岳が朝焼けに、染まってる」と、夫。
(朝焼け、今度は、あっちに行ったんだ)と、ひとり思うわたし。
その八ヶ岳も、夫を駅まで送った帰り道にはもう、凛と白く輝く姿を自慢げに見せていた。駅まで行く途中で、朝日が昇ったのだ。

たった一瞬だけの贈り物。空が起こす、大きな大きな不思議。
「いいもの、もらったな」と、つい笑みがこぼれ、
凍った朝が、胸に流れた微かな温かいもので溶けていく気がした。

色合いも、流れる雲のように変化していきます。

夜明け前にしか見られない、影絵です。

八ヶ岳の朝焼けは撮り損ねましたが、朝日を浴びた姿もまた、凛々しい!
これから積もったり溶けたりを繰り返し、雪化粧を濃くしていきます。

拍手

再来年の話をすると?

さすがに『来年の話をすると、鬼が笑う』という時期は過ぎたが、再来年ならどうだろう? 鬼は泣くのか怒るのか、それとも暴れるのか呆れ果てるのか。

夫がにわか木こりになり、このところ週末ごとに森に入っている。と言っても、年輪80年程はあるらしき大木を倒すのは、いくら何でも危ないので、森に薪割り機とチェーンソーを持ち込み、切ってもらった木をその場で切ったり割ったりして、軽トラに載せ運ぶ、という作業だ。
わたしや上の娘では、持ち上がらないような丸太を、大量に持ち上げるのだから、身体も痛くなるだろう。しかしわたしは「ムリしないでね」と送り出すしかない。その作業もほぼ落着き、ホッとしている。
今年は、夫がひざを痛めていて、仲間にずいぶん助けてもらったようだ。薪割り機を共有する6人のうちの3人で山に入ったと言う。その夫以外の二人が、すごいのだ。70代だというのに、元気そのもの。重たい薪も何のその。それも「この薪は割りにくいからやめよう」と夫が言うと、俄然むくむくとやる気を出すというチャレンジ精神を持ち合わせている。
なので、こっそりと、しかしもちろん尊敬の念を込めて『年寄りの冷や水ペア』と、呼ばせてもらっている。

「ひざ痛いんなら『年寄りの冷や水ペア』に任せておけば?」と、わたし。
「そういう訳に、いかないでしょう」と、夫。

それがまぁ、再来年以降に使う、薪なのだ。八ヶ岳下しに吹きさらし、よく乾いた頃に、ようやくいい薪になる。
『来年の話をすると、鬼が笑う』という言葉には、諸処由来説はあるにしろ、どうなるかも判らない先の話をしてもしょうがない、架空の存在である鬼だって笑っちゃうくらい現実味がないよ、という意味がある。
再来年の話をしたところで、鬼だって、もはや聞いてもいないだろう。人間だって、今日一日どころか、今を生きるのに精一杯なのだ。

庭の表側、道路沿いに、こんなにたくさん。

寒空の下、けなげに伸びるアップルミントも、あえなく薪の下敷きに。
あまりに強すぎて、雑草扱い。それでも負けずに、春には芽を出すでしょう。

そして、隣の林との間には、さらにこんなにもたくさんの薪が。

拍手

小さな小さな贅沢に

新しい年を迎える準備として、タオルを新調した。
ほんのちょっとだけ贅沢し、手触りのいい物を選んだ。
びっきーの顔や身体を拭くために、古いタオルを何枚も使ったこともあり、最近買い替えていなかったこともあり、キッチン用、洗面所用、トイレ用と、すべて新しいものを選んだ。

そんなプチ贅沢は金銭的なものではなく、選ぶ時間の楽しさや、使った時に手に触れる柔らかさや、気に入った色柄を日々目にする喜びなど、いつもの毎日にわずかな彩りがプラスされるという在るか無しかのようなものである。

これまで気に入って使っていたトイレ用のシンプルなタオルは、百均で気に入って買ったものだ。ずいぶん長いこと愛用した。
何もかもがあふれ出し、何処へ向かうかも判らない今の時代だからこそ、小さな小さな贅沢に心温かく過ごせる自分でありたいと、ゆっくりと、そしてしっかりと楽しみつつタオルを選んだ。

最近自分でも意外なほど、明るい色を、選ぶようになりました。
  
お歳暮などの買い物を終えると、甲府駅前はライトアップされていました。
ずいぶんスマートだけど、富士山? いや、クリスマスツリー?

拍手

「こぴっと、しろし」

葉が枯れ、落ちたこの季節でも、森林浴効果はあるのだろうか。
それは庭を歩くと、判る。絡まった気持ちが、スッとほどけるのだ。
葉が太陽を競って浴び、しきりに光合成する季節ではなくとも、植物の力は、いつでも静かにそこにあり、新たな命の準備期間である冬のあいだも、ただ一心に春を目指して生きている。

ぼんやりしていると、庭中の木達に声をかけられていた。
「こぴっと、しろし」「こぴっと、しろし」「こぴっと」「こぴっと」
甲州弁で「まあ、しっかりやんなよ」くらいの、柔らかい応援の言葉。
「こぴっと…… 、しろし」
自分でも、言ってみる。

言葉って不思議だ。覚えたての甲州弁が、ふと一人たたずむ庭で弾んでいく。
「こぴっと、しろし」「こぴっと、しろし」「こぴっと」「こぴっと」
春待つ木の芽達の影に、そう口ずさむ小人の姿を見たのは、いつ何どきでも反応してしまう駄洒落脳のせい?

白いライラックの芽は、もう準備万端という感じで冬を迎えます。
  
姫シャラは、花のガクが残っていて、まだ楽しませてくれているよう。
右は、ナナカマド。7回釜戸にくべても、燃え尽きない薪になる、
というのは、ホントか嘘か。まだまだ、薪になる太さではありません。

ピンクの花を咲かせるハナミズキ。今年、隣に白を植えました。

庭に一番たくさんある雪柳。
春、まだ冷たい空気のなか、白く眩しく咲いてくれます。

カマキリの大きな卵が、地面より50㎝ほどの高さにありました。
その年の積雪を、予測して生むのだとか。50㎝は、嫌だなぁ。

拍手

玄関に咲いた、蓮の花

植物の持つその姿かたちは、摩訶不思議である。
その姿を、植物の持つ柔らかさ、しなやかさとは対極に在る鉄で、表現しようという人がいることも、また摩訶不思議である。
夫の友人である鉄のアーティスト『鉄刻屋』さんに、玄関のランプシェードを頼んでいた。彼の個展には夫婦で出かけたし、表札とキッチンの引き出しの取っ手36個も作ってもらい、親しくもなっていたので、ざっくばらんに相談しイメージを膨らませていった。伸びゆく葉を表現したものを見せてもらっていたこともあり、植物がいいかなとは思っていた。
だが「例えば花なら何がいいでしょう? 」と聞かれた時には考え込んだ。

考え込み、しかし30秒ほどで答えは出た。「蓮の花が、いいな」
ふと浮かんだ回答は、出来上がってみると偶然ではなく必然だったと思えた。
若い頃は黄色いスターチスが好きだった。華やか過ぎず、それでも精一杯明るく黄色に咲き、枯れてからも長く色を損なわずにドライフラワーとして飾られる。脇役で目立たない優しい花だ。スターチスを知ったきっかけは友人の恋だった。花屋の店員に恋した彼女につき合わされて、花屋に通った高校の頃。少女漫画かいなと思うような事実である。

年月が過ぎるのと共に、心のいろいろな部分が削られていく。研ぎ澄まされるという解釈もできるが、ぼろぼろ落としていくようにも感じる。その過程で好きな花もスターチスも削られていった。今わたしには、特別好きな花はない。
蓮は、末娘が好きな花だ。蓮が描かれた紅茶茶碗を彼女が持っていったので、我が家に蓮の花はなくなった。だから一つ欲しいなと、ふと思ったのである。

蓮はとても素敵に玄関に咲いた。その蓮をカメラに収め、上の娘に聞いた。
「好きな花、ある?」「ない」
即答だった。今彼女は、わたしがスターチスをまだ好きだった年齢である。
いや無論、好きな花が在っても無くてもいい。だが記憶に残るシーンに、花が添えられているというのもいい。興味を持つことも生きていく時間を豊かにしてくれる。オーストラリアで1年過ごし、日本を知りたくなった彼女は、華道のサークルに入ったばかりだ。これからの人生、彼女にたくさんの花の洗礼が降り注ぎますように。

フラッシュをたくと、実際と違って平坦な写真になってしまいますが……

暗いままで灯りを楽しむと、こういう雰囲気に。

蓮の花と、蕾の部分。試行錯誤の末、この形の蕾になったそうです。
この蓮が鉄刻屋さんにとっても、特別なワンシーンになるといいな。

まえださんちの表札。錆を活かしてのデザインです。

取っ手のデザインはわたしが。と言っても、これ↑(笑)

が、これになりました。とっても(笑)いいでしょう?

拍手

誰かを、思い出す季節

すべては意識の外にあり、街で見かけるツリーにも無反応。子ども達の枕元に、真夜中こっそりプレゼントを運ぶ時期もとうに過ぎた。そんなわたしだが、やはり季節は平等にクリスマスを運んでくる。

電車の待ち時間、雑貨を見て歩いた。するといつにないことに思ってしまう。
「あ、これ、末娘に似合いそう」「これは、上の娘に」
「彼女(友人)は、こういうの好きそうだな」「これは、義母に」
「これなんか、お世話になった、あの方へいいかも」
プレゼントをするつもりもないくせに、俄然買う気満々になり、誰かを思い出し、また誰かを思い出し、電車を乗り過ごしてまで物色した。

けれど結局、夫は壊れたステレオを買い替えたいからクリスマスにと言っていたし、大学生の娘達には、サンタからひらりとお札が降ってくることになっている。第一母親が選んだアクセサリーやら帽子やら、喜ぶとも思えない。見るだけ見て、気に入ったミニバッグを一つ、自分に買った。

知らず知らずにクリスマス、わたしにもやって来ているのだなぁと実感した。
誰かを不意に思い出す、不思議な季節だ。そして忘れる間もなく、年賀状という仕事が待っていて、誰それは、また誰それはどうしているやらとまた思う。忘年会シーズンとは言うけれど、思い出すことの方が多いかも。

バッグは色もサイズも揃っていて、迷いました。

ペンケースや手袋、象のぬいぐるみもありました。

「きみ、新人くん? なかなかいい色じゃない」と、ハリー。
「うん。手触りもいいね。それに、ひどく軽いんだね」と、ネリー。
手袋のはりねずみ2匹が、活躍する季節になりました。
「か、かまないでぇ」と、新人くん、ややおびえている様子。

拍手

心のかたち

心のかたちは、ハート型でも心臓のかたちでもないと思う。

イメージするに、それは木のようなかたちなのではないか。いく本もの枝が張り出し、日々周りの出来事にぶつかって姿を変えていく。
その木のかたちをした心に、いろいろなものが引っ掛かり、たとえば充実した日々には生き生きと葉がしげり、嬉しいことが引っ掛かった時にはピンクの花が咲き、おしゃべりしていっぱい笑った時にはポップキャンディーがたわわに実り、怒りに震えた時には自らの葉をめらめらと燃える炎で焼きつくしてしまい、傷ついた時にはいく本もの枝を折り幹まで傷めてしまう。
そんな風にして、少しずつ空に向かっていく。

零下になった初冬の朝。凍った三日月を浮かべた青空の下、木を見上げた。
自分を見つめるような心持ちで、葉を落としてゆく木々を、ただ見上げた。

三日月は、うっすら笑っているように見えました。
  
左はすぐ隣の林の木です。  右は町内にある『穴塚古墳』の木。

向こうに見えるは、八ヶ岳。人間って、小さいなぁ。



拍手

苦手なあいつ

「あっ、踏んじゃった!」
そーっとスリッパを持ち上げて胸を撫で下ろした。踏んづけたのは、猫柳の綿のような部分。何故に部屋のなかに猫柳? と思われるかもしれないが、今、薪ストーブの焚き付けに使っている枝が猫柳で、これがまたよく燃えるのだ。
何を踏んだと思ったのかと言えば、虫好きなわたしでも苦手な虫、独特の嫌な匂いを放つカメムシである。大きさ的に丁度同じくらいなのだ。

この季節、彼らはよく家のなかに入ってくる。洗濯物にくっつき、または、薪の隙間で眠っていたところを起こされ、部屋のなかをうろうろしたり飛び回ったりするのだ。殺すと匂いを放つので、いつも外に出す。
必殺技は、飛んでいるところに静かに箒を逆さに持ち、じっとしているというもの。すると必ずと言っていいほど、彼らは好んでそこにとまる。それを外に出て、振り落とすのみ。簡単である。

カメムシで思い出すのは、春に県外の大学に通いだした末娘だ。彼女はそんなことで思い出されていると知ったら、余りの不名誉に怒りあらわにするかも知れない。だが、普段はクールな彼女がカメムシを恐がる様子は、思い出すと微笑ましく、さいたまではカメムシ対策はどうしているのだろうかと、くつくつ笑いつつも心配にもなる。
娘はその名を呼ぶのも嫌だったらしく「あいつ」と呼んでいた。
たまに彼女が「あいつ」の悪口を言うのを耳にし、
「あ、今聞いてたかも、あいつ」そんな子どもだましな、わたしの脅しにも、
「ごめんなさい! どうか来ないでください」と、慌てふためき拝んでいた。
もう、虫程度のことじゃ、動じなくなっただろうか。否。あの嫌がり様はちっとやそっとじゃ治るまい。毎晩、拝みつつ眠っているかも知れない。

いやいや。末娘を思い出させるものは、もちろん「あいつ」だけではない。
彼女が好きな『不思議の国のアリス』(彼女は作者ルイス・キャロルの命日には黒い服を着る)や、恩田陸の小説、長芋のグレープシードオイル焼きや、プリン(高校の友人達に半嫌がらせで誕生日、教室の机に30個のプリンタワーを作られていた)、片方持って行ったペアの紅茶茶碗を見ても思い出す。
であるから「あいつ」を見てきみを思い出す母を、まあ、許してやってくれ。

猫柳の枝は、よく乾いていい焚き付けになりました。

この薪のなかに、いったい何匹の虫が眠っていることやら。

薪小屋の隣の紅葉の下は、綺麗に絨毯が敷かれていました。

拍手

文具屋、大好き

思い込みの種は何処にでも眠っていて、一滴の小さな水をきっかけに、勢いよく芽を出す。芽を出し、そこで摘まれるものも多いが、ジャックが蒔いた豆の種の如くグングンと空までも伸び、他者までもを巻き込み、さらに生き生きと伸び続けるものもある。

「『インクポット』ってさぁ、山梨にしかないんだね」
久しぶりに会った埼玉は浦和に住む末娘に言われ、その事実を知った。
「うそ。東京にたくさんあるチェーンだとばっかり思ってた」
「わたしも」と彼女。引っ越して、何処にでもあるだろうとネット検索したところ、山梨の大型文具専門店と、出て来て驚いたと言う。
夫に言うと、彼は東京勤務であるにもかかわらず「えっ? そうなの」
我が家で『インクポット』といえば、東京の店で定着していたのだ。

ひとつに、山梨に越して来た後に出来た店だということがある。
「甲府にスタバ、出来たんだって」「わっ、行ってみよ」
「マツモトキヨシ、ショッピングモールに入ったんだって」「ほー」
「スイカ、韮崎まで使えるようになったんだって」「西瓜?」
と言った感じで、東京のチェーン店が山梨に来た、隣りの市に来た、などの喜びに近いものを抱き『インクポット』に出かけていたのだ。
もうひとつは、ロゴのクールさ。山梨にはないシンプルなロゴだ。そのロゴが言っているのが聞こえた。「東京から来ました。よろしくお願いします」
そして商品の豊富さと、質の良さ。外国のメーカーものも揃っている。これは山梨には今までなかったよね、と思い込みの芽は、我が家の屋根を突き破り、空高く、勢いよく伸びていったのだった。

今では『インクポット』は、山梨発の店だと知っている。それでも、大きな文具専門店に行くわくわく感は、何も変わらない。

赤と深い緑が効いている上に、インクの絵はアンティークな雰囲気。
このデザインは、山梨っぽくなーい。と、思います。

ロルバーンのノートは、カラフルでいくつも欲しくなりますが、我慢!

来年のカレンダーと、スタンプを購入しました。

拍手

初冬の庭で

庭で種を作り終えたテッポウユリが乾燥し、ドライフラワー化している。
この花を終えた後の種の部分を「花がら」と呼び、ドライフラワーとして使うことは、庭に咲くようになってから初めて知った。
何年か前から、何処からか種が飛んで来て、自然と咲くようになったテッポウユリ。清楚で大きな白い花は、胸がすくように凛と咲く。草取り自体サボりにサボってはいるが、その際にもテッポウユリやスミレ、ホタルブクロなどは、抜かないように大事にしている。勝手に咲く花達は強く、抜きさえしなければ、水をあげることなどなくとも元気に育ち花を咲かせる。

そのユリが種ばかりになった初冬の庭で、テッポウユリの蕾を見つけた。小さく膨らんでいる。可愛い。いちばん先に咲いた花が種を落としたのだろう。1年待つことをせず芽を出し、花をつけたのだ。

木々の葉が紅葉し、そして落葉し、枯れた草も多いなか、静かに生まれている命があることを思うと、胸が温かくなる。冬の初めの静かな庭。しかし静けさとは裏腹に、植物達は忙しくしているのだ。来春のために種を大きく育てるなど冬支度をしたり、また、今のうちに花を咲かせるぞと冷たい風に負けず、小春日和に太陽の日差しをうんと浴びたりと。
『混在する』という言葉が好きだ。散らかっている方が何故か落ち着くのと同じような感覚。『整理整頓』が出来ない、わたしだからこそかな。

夕方からは雨が降り、蕾を濡らしていた。今週中には咲くかな、テッポウユリ。手のひらに収まるような、小さな楽しみがひとつ増えた。
  
咲き終えて、種を作っている百合達の脇に見つけた、小さな蕾。

南天は、これからがいちばん綺麗です。

今年いただいたニラの苗が付けた種。朝顔の種と似ています。

ブルーベリーは、実をつけなかったけれど美しく紅葉しました。
  
出産間近のカマキリ母さん発見。
イタリアンパセリは、種を落とし芽を出しを繰り返し、まだ収穫中。

拍手

ヴァンフォーレ甲府、J1残留決定!

海鮮鍋を、食べていたはずだった。海の幸の旨味がいっぱいの熱々の鍋。
ところが、口に入れてみたら、それは鶏肉だったのだ。
「ああっ! 鶏肉食べちゃったぁ!!」
そこで目が覚めた。悪夢だった。

鶏が苦手、ということではない。逆に鶏肉は、大好きだ。なのに何故こんな夢を見たかと言えば、単純極まりない脳の構造が読み取れる。
山梨唯一のJリーグチーム・ヴァンフォーレ甲府の応援で、金曜土曜の週末2日間、わたし達夫婦は鶏肉断ちをしているのだ。
名付けて『目指せJ1残留! ヴァンフォーレ応援ジンクス、我らが甲府はチキンじゃない! チキン断ち作戦』
それなのに、食べちゃった! という土曜の朝の悪夢だった。

今期J1に昇格したも、Jリーグ史を塗り替えるまさかの8連敗を喫し、夫とふたり、考えに考えた作戦だ。それから勝ち点を着々と積み上げ、土曜のホームで迎えた大分戦。引き分け以上で自力の残留を決められるというところまで持ってきた。
「だいじょうぶ。チキンは食べてない。ただの夢だ」
わたしは自分に言い聞かせ、応援にのぞんだ。

夫が足を負傷していたため、家での観戦。ところがである。何ということであろう。契約しているにもかかわらず、スカパーが映らない。アンテナが折れていないことを確認し、スカパーに電話をかける夫。どうしても映らなければ、今からでもスタジアムに行こうかと考えつつ、それでも冷静に電話のサポートに従い、あれこれやっている。テレビにヴァンフォーレのユニフォームが映ったのは前半20分。0-0だ。
「疲れたぁ」「いっきに、疲れたね。でも試合はこれからだ」
ふたり缶ビールで乾杯し、洗濯物をたたむこともせず集中して応援した。
結果は0-0のまま。大きな勝ち点1を積み上げ、ヴァンフォーレは見事、自力でのJ1残留を勝ち取った。

「おめでとう!」ふたり、ふたたび乾杯した。
「これで、心置きなくチキンが食べられるね」「思いっきり食べよう」
その時ちらりと頭をよぎった。来期も、金土のチキン断ち、するのかな?

応援グッズ。カッパは、雨に降られた夫が購入しました。
夫は年間サポーターなので、パスポートでホームの試合はすべて観られます。

小学生だった末娘が、入場券と共に配られるくじで当てたサインボール。
記憶にありませんが、奇しくも初勝利の日だったようです。

拍手

「いっさら、見んずら」

北風が、吹き始めた。
まだまだ本番ではないが、八ヶ岳を覆った雲が準備している姿が見える。
冬はもう、すぐそこまで来ているのだ。
あの雲のなかで、八ヶ岳の山々は、うっすらと雪化粧していることだろう。

ここ明野町がまだ村だった13年半前、縁もゆかりもない土地に、わたし達家族は、赤松の林に家を建て、越して来た。
毎日を過ごすにつれ驚いたのは、北風の強さとその音だった。松林が奏でる風の音を、車が通過する音と聞き分けられず、歩いていて何度車を避けようと振り返ったことか。しかし、そこにはただ北風が笑って吹いているだけなのだ。
南アルプスや八ヶ岳の山々の美しさにも、圧倒された。八ヶ岳を窓から眺められる場所にと、選んだ土地だ。だが、地元の人からすれば、何故にこんなにも八ヶ岳から吹き下ろす北風にさらされる場所に家を建てるのかと、不思議がられていたようだ。

立ち話をしていて「山が綺麗ですね」と言うと「山なんか、いっさら見んずら(ちっとも見ない)」と言われた。彼らが見るのは、八ヶ岳にかかった雲なのだそうだ。雲を見て「北風が吹く」「八ヶ岳下しが来る」と判ると言う。
静かな朝でも、綿菓子で覆ったような雲が八ヶ岳全体に広がっていると、午後には必ず八ヶ岳からの冷たい北風が吹き下ろしてくる。これからの季節、晴れた空の下、小雪が混じることも増えていく。

北側の木が育ち、今は窓から眺めることはできなくなったが、散歩の度に、車で走る度に見る山々の美しさには圧倒される。10年以上経っても、山が綺麗だと思ううちは新参者なのかもしれない。しかし新参者だからこそ見えるものがあるのならば、それを失わずにもいたい。
そんなことを思いつつ、北風が強くならないうちにと薪を運び入れた。

朝は、赤岳(向かって右側)の頭が少しだけ顔を出していました。

昼、雲はふんわり乗っかってるといった感じ。

午後、形を変えつつ、だんだん分厚くなっていきました。
夕方には、強い北風が、背の高い赤松を揺らしていました。

拍手

神楽坂散歩

ポールのコンサートの待ち合わせ時間まで、ひとりふらりと神楽坂を歩いた。
坂の途中までは何度も歩いた道だし、いつも立ち寄る陶器屋もある。お湯呑みペアの『昼の桜&夜の桜』は、そこで買い求めてもう長く使っている。
だが、行ったことのないところまで行こうと、ふらふらとウインドウショッピングと呼ぶにはカタカナ的ではない『散歩』を楽しんだ。そして、もう少し、もう少し先までと、ただただのんびり歩いた。小春日和である。

神楽坂がいいのは、真っ直ぐ歩いて面白いところだ。真っ直ぐ行って真っ直ぐ戻る。迷うことはない。方向音痴な人間には、とてもフレンドリーな場所だ。
「真っ直ぐって、いいね! 神楽坂くん」と、いいねをクリックしたくなる。

その、いつもより先に『赤城神社』はあった。
2009年に建て替えたとあり、建てたばかりの美術館のような綺麗な境内。ふらっと何故か左に逸れて進むと(ここら辺りに方向音痴の素質が、強く感じられるのだが)小さめの鳥居があった。『八耳(やつみみ)神社』とあり、小さく奉られている。
「あらゆることを聞き分ける天の耳」を持つ聖徳太子が御祭神。
「八耳さま、八耳さま、八耳さま」と3回心のなかで唱えてから願い事をすると、その天の耳で聞き、かなえてくれると言う。
お参りし、しばらく立ち止まって考えていた。
「あらゆることを聞き分ける、かぁ」
人は、そういう耳は持っていない。だから、考えるのだなぁと。
たとえ聞き分けることが上手く出来なくとも、たとえ答えは出なくとも、考えて考えて考えて、日々生きていくしかないのだ。

ふらふら歩いていたら、パッと目の前が開けて、赤城神社に出ました。

お参りして、神社の敷地内にある『あかぎカフェ』で休憩。
ランチもできる、ちょっとお洒落な空間です。
  
神楽坂は、新しいお店と古いお店が混在していて、面白いです。
広島風お好み焼き屋さんなのに、何故に野菜が並んでるの?
 
戦利品は、ハンドキーパーの梟の『ほーすけ』両羽根の後ろに穴があって、
冬の間、冷たくなった右手くんと左手くんを温めてくれそう。
これは、飯田橋の駅ビル『ラムラ』の雑貨屋で購入しました。

拍手

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
Template by repe