はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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負のスパイラルから抜け出して

師走。このところ忙しいせいか、気がつくと負のスパイラルに陥っている。

夜中に目覚めた時、月明かりがひどくまぶしかったり、丁寧にドリップした珈琲が、マグの底に1㎝ほど残っているのを見つけたり、ずっと見つからなかったキッチンバサミが、所定の位置にあることに気づいたり、雪が降りだしたのを見て、綺麗だなとか大変だとか思う前に、自分のくしゃみに驚いたり。
そんな小さなズレが、何かを狂わせていくのを感じる。
「あの時、こうしていたら、何かが変わっていたかもしれない」
「あの人は何故、あんなことを言ったのか」
「あの頃、どうして、あんな風に思えたんだろう」
「こうしていたら」「何故」「どうして」
頭のなかにできた螺旋階段は、上っていると思ったら下っていて、下っていると思ったら上っている。くねくねと続く螺旋に、終わりはない。

と思っていたら、驚いた。螺旋には、終わりがあったのだ。
「なんか、疲れちゃった」
負のスパイラルの終わりは、悩みごとにも長続きしない体力低下に起因していた。笑っちゃうほどあっさりと気持ちは晴れ、積雪に雨降る冷たい夕刻、丁寧にドリップした珈琲を最後の一滴までゆっくりと飲み干し、ひとりごちた。
「うーん。歳をとるのも、案外いいかも」

イチイの垣根。道路の雪は、すぐに解けてしまいましたが、朝は凍りそう。

南天も、凍えていました。赤い実が、雪うさぎ連想させますね。

ポストと鉄製の表札です。ポスト、ペンキはがれてきたなぁ。

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片思いが実った途端

「えっ? フジテレビ、観られないの?」
越して来て15年。何度、驚かれたことか。
「そうだよ。山梨には、フジテレビないからね」
まあ、これは事実である。山梨には、フジテレビ系列のテレビ局は存在しない。だが、大抵の家では、フジテレビが映る。ケーブルテレビの配線が届いていれば、山梨には存在しないフジテレビもテレ朝も、テレビ東京だって、ちゃあんと観られるのだ。
だが、田舎な我が家には、その配線は届いていなかった。何度か交渉したが、この15年間、ケーブルテレビが振り向いてくれる気配すら感じなかった。
さて、ところが。先週、ようやく配線工事が終わったとの報告。長い長いフジテレビへの片思いも、成就の時を迎えたかに見える事件である。
しかし、時すでに遅し。フジテレビが観られないと嘆いていた子ども達も県外に出て行き、見たいドラマはオンデマンドで観られる時代へと移行している。
長い片思いで気持ちが冷めただけなら、いざ知らず、状況も大きく変化しているのだ。今は冷静に「どうしようかな」と、加入を逡巡している。逡巡できる幸せを、しばらく味わうのもよかろうと、15年の月日を、振り返っている。

不意に思い出したのは、子どもの頃に何かで読んだ童話の記憶だ。
悪事を働いた魔法使いが、ビンに閉じ込められ、海に流されてしまう。最初の百年は、助けてくれた人に、金貨をたんまり出してやろうと考えていた。だが、助けられることはなかった。次の百年は、どんな願いでも叶えてやろうと待っていた。だが、手は差し伸べられなかった。そして、次の百年目、ビンの蓋を開けた男がいた。
「次の百年、俺が何を考えて、ビンのなかにいたと思う?」
魔法使いをビンから出した男は、期待に胸を膨らませる。だが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「殺してやろうと、決めていたのさ」
その後、男が殺されたのか、知恵を絞って助かったのかは、記憶にはない。

時と共に、気持ちは変わる。状況も変わっていく。
片思いが実った途端、すっと気持ちが冷めることだって、ままあるのだ。

山を見上げて、そのふもと、小さなことに一喜一憂している、
小さな小さな人間を、つまりは自分を思います。
我が家の前から見た、朝焼けに染まる、南アルプスは鳳凰三山。

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電気ストーブの罠

洗面所の暖房は、電気ストーブを使っている。
カーボンヒーターのスリムタイプと呼ばれる細長く背の高いもので、すぐに熱を発光してくれるので、使う時だけつけるようにし、省エネにもなる。風呂に入る前につけておけば、上がった時に暖かく、重宝している。

その電気ストーブを使うに当たり、今年は失敗を重ねた。
一度目。やはり風呂に入る前に、つけておこうとしたのだが、裸で上がると、洗面所は冷たいままだった。コンセントを差し込んだはいいけれど、スイッチを入れ忘れた。わたし的には、これはよくある失敗だ。一つ(コンセントを差し込む)を済ませた安心感から、次の手順(スイッチ)を忘れたのだ。
銀行の窓口で、通帳をカバーから外した安心感から、通帳ではなくカバーを渡してしまい、バツの悪い思いをしたことを思いだす。
二度目。今度こそと思っているので、もちろん、コンセントを差し込み、スイッチをオンにした。浮き浮きと風呂から上がると、しかし、電気ストーブは、冷たくしんとしていた。壊れたのか? 否。差し込んだコンセントを見ると、それは夫が使うドライヤーのコンセントだった。
冷蔵庫を開け、マヨネーズを出したとばかり思っていたら、食卓で手にしていたのはケチャップだった時の悲しさと似ている。
そして、三度目の正直で、ようやく電気ストーブのついた洗面所に風呂から上がることができたのだった。生きていると、様々なところにトラップは仕掛けてあるものなのだ。全くもって、信用ならない。電気ストーブが? 否。もちろん、自分が、である。被告、電気ストーブも言っている。
「罠など仕掛けていませんし、仕掛けようという気さえありませんでした」

「その点、薪ストーブは、いいなぁ」
薪を入れて、火をつける。そこにはコンセントもプラグもスイッチもない。いたってシンプルだ。
しかし、その作業は電気ストーブの数十倍もの労力を必要とする。薪を運ぶのもそうだが、機嫌が悪いとなかなか燃え始めてくれず、火を入れてから3時間は部屋も全く温まらない。常にご機嫌伺いをし、薪を入れ足さないと消えてしまう。そういう自己主張の強いたいへんさに、わたしさえもが忘れずに使える所以があるのかも知れない。

まあ、どちらにしても自分を過信せず(過信する要素は何処にもないのだが)、気をつけて使わせてもらい、暖かい冬をすごしたいと思っている。

機嫌がいい時の薪ストーブ。がんがん燃えています。上で回っているのは、
ストーブの熱で回るタイプの温風機。その熱を部屋に送ってくれています。

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田舎のはりねずみ?

週末、芝居を観たり、友人達と忘年会をしたりと、東京で遊んできた。
「都会は、いいよなぁ」
たまに遊びに行くと、夜のネオンが呼んでいるぜ、なんてウキウキしてしまう。何がいいかって、帰りの運転を気にせず飲めるところがいい。

そんなことで週末は思いっきり遊び、昨日は思いっきり仕事をした。
そして夕方、一段落したところで、郵便局に会社の税金納付に行った。
郵便局では、プリント済みの年賀状も売り切れマークが多くなり、年の瀬を実感する。ふと、見るともなしに切手コーナーを見ると、ぐりとぐらの切手があり、思わず購入した。
「これ、人気で。都会じゃあ、もう売り切れみたいですよ」
郵便局長さんが、ちょっと自慢げに言う。
「ですよねぇ。あって、びっくりしました」と、わたし。
ネットで発売を知り、欲しいなぁと思っていたにもかかわらず、買いに行くのをすっかり忘れ、すでにあきらめていたのだ。
「田舎ならでは、ですね」と、局長さん。
「ほんとですね。得しちゃった感じです」と、わたし。
図書館でも、都会では何十人待ちだという新刊が、本棚に並んでいて、ラッキー! と思うことも多い。まさに、田舎ならでは。
「田舎は、いいよなぁ」帰りの車で、八ヶ岳を眺めつつ思う。
そして、夜のネオンと生ビールののどごしを思い「都会もまた、いいんだよなぁ」と思うのだった。

カステラの絵もいいけど、苺も素敵。使うのもったいないなぁ。

昨日の八ヶ岳です。ますます白くなり、美しくなっていきます。

庭の南天も、八ヶ岳に負けず、ますます実を赤くしていきます。

葉を落としたもみじから、隠していたかのように鳥の巣が出てきました。
もう使い終わったのかな? ビニールの紐も何処からか拾ってきたようです。
写真を撮っている最中も、キツツキが木をつつく音が響いていました。

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丸いものは丸く

朝、洗面所でワンディ・コンタクトレンズを手にした途端、デジャヴュのような記憶の波が押し寄せ、不意に思い出した。

その朝、見た夢だった。
やはり同じように、朝の冷たい洗面所で、コンタクトレンズを入れようとしている。しかしコンタクトは、なかなか瞳にフィットしてくれない。裏表が逆なのかと、鏡の前で人差し指の上に乗った透明でやわらかい物体をじっと見る。
すると、こともあろうに、それは丸ではなく四角いのだった。いつもの丸のコンタクトに、まるで羽根つき餃子の羽根、それも四角いフライパンで焼いた、でもついたかのように、ひらひらと四つ角が、頼りなく揺れているのだ。

さて実際には、コンタクトは丸かった。たまに不良品で、餃子のように折りたたまれたままくっついてしまっているものもあるが、ぶじ良品だった。
「コンタクトが、丸くてよかった」
丸いものは丸く、四角いものは四角く。そんな普通の日常が、自分の手のなかにあると思うとホッとした。

昔、友人に絵を描いてもらって作った、手作り絵本『まるいもの』
「ドーナツ ふうせん おつきさま   まるいものを ならべた」

「グレープフルーツ ゆきだるま」

「まるいものを ならべた
 あさつゆ くものす とんぼだま かとりせんこう アルマジロ」
まるいものを、ただ並べただけの、絵本です。

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サンタの痕跡

12月。カレンダーも、最後の1枚となった。
サボテンのカレンダーも、いつもの落ち着いた雰囲気に、華やかさをプラスしている。クリスマスリースだ。

クリスマス飾りを出さなくなって、3年ほど経つ。受験などもあって、子ども達が一緒に飾りつけを楽しむ様子もなくなり、師走の忙しさに、思い切ってやめたのだ。やめてみたら、思いのほか重荷だったようで、肩の荷が下りたとはこのことさ、とでもいうかのように、楽になった。
もちろん、サンタ役をすることも、もうない。
子ども達の枕元に、プレゼントを置いた夜も、遠い昔だ。大抵はサンタの二人も酔っていて、彼らが寝つくまで、あくびをしながら待ったものだった。

あれは、上の娘が小6の時だったと思う。そっと部屋に入ると、ベッドの上に、赤いコートが置いてあった。
「あ、サンタさん、忘れ物!」
一瞬、真剣にそう思ってしまい、我に返る。
ただ娘が、コートを置いたまま、眠っていただけだった。
クリスマスの夜には、大人のわたし達でさえ、サンタの痕跡を不意に見つけたりすることが、不思議でもなんでもなく、あるものなのだ。

人の心は、サンタだって創りだせる。
そう思うと、何かし忘れているような気持ちになる、師走である。

サボテンのカレンダー。リース、丸いところが好きです。
蝋燭のサボテンくんも、ラス一のカレンダーにしみじみしています。

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早起きの朝に

夜中に目が覚めて、トイレに起きた。キッチンで白湯を飲み、ふたたびベッドにもぐり込む。
「まだまだ、真っ暗。布団のなかはぬくぬく。しあわせ感じるひと時だなぁ」
実感していると、隣のベッドで寝ていた夫が言った。
「今、目覚まし、鳴ったけど、寝ちゃうわけ?」
ショックが隠せず、辛うじて言葉にしたのは「うそ」のひと言。
昨日は、週に2回の5時半起きの日だったのだ。日々の小さな出来事に、一喜一憂してばかりもいられないが、これは大ショックだ。
「まだ、眠れると思ったのにぃ!」

朝食を済ませ、6時45分には家を出た。東京に出勤する夫を、駅まで送るため、往復40分ほどの朝ドライブだ。
「八ヶ岳が、綺麗だよ」と、夫。
「早起きは三文の徳って、言うもんねぇ」一緒に、八ヶ岳を眺める。
「こうして、朝の綺麗な八ヶ岳が見られるのも、俺のおかげだな」
夫の言葉には、一瞬疑問も感じないわけではなかったが、
「全くもって、その通りだね」としか、答えようがない。
八ヶ岳は、日々少しずつ、雪をまとう部分を増やしている。同じようで、同じではない。雲の形と同様、その時々にしか見られない風景だ。

今少しの間、ベッドのぬくぬくを感じていたかったが、八ヶ岳からの早起きのご褒美を、嬉しくいただいた。
次回は、疑うことを忘れずにいよう。目が覚めて真っ暗でも、もしや朝ではないかと疑ってみることで、ショックも軽減されるはずである。

昨日の朝7時20分頃の八ヶ岳。午後にはもう、雲に隠れていました。

最高峰、赤岳です。やっぱり一番に雪をかぶります。

シャープな雰囲気をかもし出す、大好きな権現岳。

南アルプス連峰も、少しずつ雪をまとってきました。

丸い形の甲斐駒ケ岳。アップにすると、迫力ありますねぇ。

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ヴァンフォーレ甲府に乾杯!

この週末、ヴァンフォーレ甲府が、J1残留を決めた。
1年間、応援してきただけに、とても嬉しい。そして、ホッとした。

土曜日のサンフレッチェ広島戦は、ホームゲーム。夫とふたり、甲府は、小瀬公園の中銀スタジアムに観戦に行った。
「いつもと変わらないゲームができれば、勝てる可能性もある」
昨年の優勝チームである広島だが、甲府は堅い守りが持ち味のチームだ。守り抜いて、チャンスを待つのみ。残りあと3試合となり、負けが続けばJ2降格かという崖っぷちだが、平常心で試合に臨んでくれればこのチームならやれる! と、サポーターも、力が入っていた。

試合前、スタジアムでサンドイッチを買う時に、夫が言った。
「今日は、チキンはやめとくわ」大好物のチキンバーガーを見つめる。
昨年「わたし達が、チキンを食べると負ける」というジンクスに、試合の日はチキン断ちをしていたのだ。
(あ、でもそれ、去年のジンクスじゃ?)
わたしは思ったが、平常心を装いつつも、力が入っている彼に、何も言えなかった。そして、影になり冷え込みそうな予感から「今日はビールやめようかな」とのわたしの言葉に「飲みなよ。いつもと違うことは、しない方がいい」と、運転手の夫。わたしがスタジアムで生ビールを飲んだ日は、かなりの確率で勝利を収めているのだ。彼の言葉にうなずき、生ビールを買いに走る。
ふざけているかのようだが、これが大真面目。隣のカップルも、男性の方が武者震いなのか落ち着かず、彼女に「貧乏ゆすりやめてよ」と叱られていた。
いやいや。いつもと変わらないようにって、なかなかに難しいものだ。サポーターのわたし達でさえこうなんだから、選手達は、相当なプレッシャーのなか、ボールを追っているのだろうと実感した。

0-0で迎えた後半、ペナルティエリア内のファールでPKをとったヴァンフォーレは、キャプテン山本英臣が、落ち着いてゴールを決めた。
そして、さらに追加点を挙げ、2-0で堂々の勝利。
追い込まれたプレッシャーに打ち勝ち、平常心というよりは、いつにも増してモチベーションを上げ、いつもと変わらないゲームをやってのけたのである。
すごい! としか言いようがない。J1ヴァンフォーレ甲府に、乾杯!

山々に囲まれた、気持ちのいいスタジアムです。来年はここで、
J1昇格を決めた、長野の松本山雅とも対戦するんですね。

甲斐の国、武田信玄の軍機に記されたという『風林火山』の旗。

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枯れ葉舞い散る小春日和

小春日和の昨日、庭で薪を運んでいたら、隣りの林から、クヌギの葉がいっせいに舞い降りてきた。優しい風に吹かれ、我が家の庭に着地する。
都会では、隣りの家の庭木から落ちる葉が原因で、ご近所関係がぎくしゃくしたりということがあると聞くが、明野でそんなことを言う人はいない。落ち葉舞い散る季節になったと、しみじみ思うか、集めて堆肥にしようと大きな袋を持ち出すかの、どちらかだ。

わたしはもちろん、しみじみ派だが、また掃除がたいへんだよなぁ、とも思う。思いつつも、雪のように静かに舞い落ちる葉に、今はただ見とれていようと、しばし薪運びの手を休め、林を眺めていた。

何度か、舞い落ちるまでの瞬間を撮ろうと試みたが、無駄だった。ゆるりとした動きのなかにも、捉えられない予測不可能なものがある。まるで生きているかのように「舞う」のである。その動きが表現するものに、落ち葉一枚一枚の意志を見た気がした。
ぐんぐんと伸びる春とは対照的だが、この季節、植物達は、重さを失うことで可能になる、かろやかな「舞い」を披露してくれるのだ。

ハナミズキの葉も、ますます赤を濃くしています。

南天には、緑の葉と、赤い葉がありました。
  
百合は種を膨らませ、ネコジャラシも色づいています。

庭のモミジも、赤く染まった葉を、少しずつ落としていました。

林から降ってきて、着地したばかりの葉っぱのフレディ。

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アイビーなのは、アイビーだから

今、庭で一番元気がいいのは、アイビーだ。
冬蔦(フユヅタ)の種類らしく、寒さに強い。朝方には縮こまっているかのように見えても、陽が当たれば、のびのびと太陽に向かって行く力もある。
おもしろいと思うのは、葉の色や模様が、それぞれ違っているところ。肥料も水も何もやっていないので、すべて自力だ。生まれた場所で、水を吸い、陽にあたるしかない。そのそれぞれ違う葉の様子は、どれも個性があって楽しい。

ところで、アイビーと言えば、昔流行ったトラディショナルなファッションを思い浮かべてしまう。だから、覚えやすい名だということもあるが、じつは、この二つには関連があった。
60年代に流行ったアイビーは、アメリカ東海岸の名門私立大学グループ「アイビーリーグ」の学生達の間で広まっていたもので、そこから「アイビー」と呼ばれるようになったという。
そしてその「アイビーリーグ」はというと、どの大学にも蔦が絡まり、つまり学舎はアイビーでおおわれていた訳で、そこから名づけられたそうだ。

冬蔦のアイビーが、流行したファッションの名づけ親だったとは。
言葉とは、蔦が伸びていくかのように、思いもよらぬところまで伸びていき、進化し続けていくものなのかも知れない。
冷たい空気のなか、太陽に向かうアイビーに、思うのだった。

伸びている途中の小さな葉は、太陽の方へと向かい、浮いています。

白っぽいのは、日影にいるからかな? 判りません。

何処までも伸びていくぞという、強い意志が感じらる場所にも。

陽当りのいい場所で、つややかな明るい色の葉っぱもありました。
でも、陽当りだけではないようです。色も模様もそれぞれです。

置きっぱなしにした丸太を占領し、居場所にしてしまいました。
庭の真ん中で、自然のオブジェになっています。

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カーディガンの夢

夢を見た。友人が、カーディガンを編んでくれた夢だ。
実在する彼女が、編み物をするかどうかは知らないが、いつも集まる女子会のメンバー全員に同じカーディガンを、編んでくれたのだ。
太い毛糸をかぎ針でざっくりと編んだ、黒いカーディガンで、金の糸で全体に飾りがついていて、とてもお洒落なものだった。
「ありがとう。忙しいのに、編むのたいへんだったでしょう」
「金の糸が、綺麗だね」「あったかい!」「うれしいなぁ」
みんなでカーディガンを褒めると、彼女はただ、にっこり笑うのだった。

さて。目が覚めて、ふと思ったのは、夢のシーンが何処かで見たことのあるようだということだった。
「ああ! アンデルセンの『野の白鳥』だ」
魔女に白鳥にされてしまった王子である11人の兄達を救うため、イラクサでセーターを編む妹王女エリサ。出来上がるまでは決して口をきいてはならないとの言いつけを守り、その奇行故に魔女と呼ばれ、処刑される寸前までセーターを編み続けた。そして、編み上がったセーターを白鳥達に投げる。そのシーンが印象的な童話だ。
もちろん王子達は、元の姿に戻り、エリサの勇気と愛に感謝し、みな幸せに暮らした。悪い魔女以外は、という物語である。
『白鳥の王子』というタイトルの方が、スタンダードかも知れない。

「元の姿かぁ。夢のなかで彼女は、わたしに、本当の自分に戻るようにと、カーディガンを編んでくれたのかなぁ」
本当の自分って、いったい何だろう。そんなことを考えつつ、何年か前に気に入って買った、黒いカーディガンを出し、着てみた。
「な、なんか、二の腕がきつい」
びっきーとの散歩をしなくなってから、2キロ太ったわたし。元の姿に戻るためには、まずダイエットが必要なようである。とりあえず、サボっていた体操を2日分、まとめてやった。
いや、体操をサボるわたしこそ、本当の自分のような気もするのだが。

袖口の毛玉が、だいぶ目立つようになっちゃったなぁ。

カラフルだけど、落ち着いた雰囲気の刺繍にに魅かれました。

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一足遅れの紅葉狩り

「ちょっと、遅いかもね」「まあ、いいか。蕎麦、食べてくるだけでも」
週末、予定していた訳でもなく、夫とふたり、なんとなく紅葉を見に出かけようということになった。
「どっちに、行く?」「大泉方面は、さすがにもう、紅葉終わってるよね」
車に乗り込んでから、相談し、久しぶりに昇仙峡へ行ってみようということになる。我が家からだと南側になるので、北から紅葉が降りて来るのなら、との判断だ。30分も走れば、昇仙峡に着くのだが、夫は石仏の写真を撮るのが趣味で、やはり石仏を見つけた。撮影する彼を待ち、わたしはぶらぶらと歩く。

やがてまた、車を走らせ、昇仙峡近くの金櫻神社に着いた。せっかくだからと、お参りをした。
「七五三かぁ」「ちょうど15日だね」小さな着物姿を微笑ましく眺める。
もみじの赤は美しく、秋の空は高く青い。

昇仙峡に着くと「まずは、蕎麦だな」と、夫。「いいね」と、わたし。
「蕎麦通の店、車で5分」の看板につられ、そこまで行ってみることにした。
古民家の味わいのある蕎麦屋。ざる蕎麦と天麩羅をオーダーすると、蕎麦粥と漬物も出してくれた。二人分の蕎麦は木の箱に盛ってあり、どう見ても3人前はある。コシがあり美味かったのでふたりたいらげたが、満腹になり過ぎた。
「食べ過ぎて、眠くなっちゃった」と、わたし。「帰ろうか」と、夫。
見渡した森の木々は、すでに紅葉の時期は過ぎたことを伝えていた。

だが帰り、ふたたび石仏を見つけ、しばし夢中になる夫。
「これはもう、紅葉狩りと言うより、石仏狩りだな」
わたしは、こっそりと、ひとりごちる。
まあ、初志貫徹とはいかずとも、いや、初志があったかどうかもあいまいである訳だが、初冬のいい休日だったことに変わりはない。

金櫻神社の紅葉は、青い空と相まって、美しい赤を輝かせていました。

足元にも、まだ真っ赤な紅葉の葉。風もなく、穏やかな日でした。

ちょうど七五三当日。可愛らしい着物姿と、いくつか出会いました。

花より団子。荒川ダム付近の蕎麦『轟家』へ。まず蕎麦粥が出てきて、

これがまた、二人分なんですが、食べきれない量。夫ががんばりました。
蕎麦ちょこと比べて見ていただくと、蕎麦の多さが判ると思います。

紅葉狩りには、やっぱりちょっと遅かったかも知れません。

夫が撮った、陽だまりのなかの石仏さんです。

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流れゆく雲を見て

二階のベランダから、煙突を見上げていたら、自分の身体がぐらりと傾いだような気がして、軽いパニック状態に陥った。
何のことはない。煙突の向こうに見える雲が、速度を増して流れていっただけのことである。煙突に視点を置いていたため、自分の方が動いているような錯覚を起こしたのだ。

八ヶ岳から吹き下ろしてくる風も弱まり、気温が上がった週末。だが、空の高いところを流れる雲達は、強い風で押し流されているのだろう。見る間に形を変え、スピードを上げて流れていく。

こんな風に一瞬でも何もかもが判らなくなったりすると、不意に不安になり、いつも同じものを同じように見てしまいがちな自分が、ふっと見える。視点を変えることは、時にとても大切で、視点を留めてばかりいることは、自分の立っている場所さえもが判らなくなってしまうほど、危ういことなのだ、と。
「雲は、東へと流れていく。わたしは、ここにいる」
流れゆく雲と自分に向かい、言葉にすることで、しっかりと確認した。

高いところで上を見上げたので、クラッときたのかも知れません。

白い雲。気持ちよさそうに、流れていくなぁ。

向こうに見えるは、金が岳(かながたけ)茅が岳(かやがたけ)と
並んでいる近隣の低山です。山も、雲を眺めているようでした。

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ウィスキーの樽でできたテープカッター

昨日、ようやくセロテープを買って来た。
テープカッターを購入してから、なんとひと月が経過している。
その間、木製のテープカッターは、リビングの仮住まいにすっかり馴染み、隣りの小物入れなど達と、和気あいあい打ち解けるまでに至った。

夫はずっと、会社で使う、デザイン的にも心魅かれるようなテープカッターを探していた。広告を仕事にしているので、身の回りに置くものも、何かインスピレーションが湧くような、ちょっと変わったモノを置きたいのだと思う。それを知っていたので、同じ北杜市は高根町の手作り家具工房『我楽舎(がらくしゃ)』に立ち寄った際、ウィスキーの樽をリサイクルして作ったテープカッターに目を留めた。仕事部屋にも置こうと、二つ欲しいと申し出ると、一つしかないとのこと。同じものを、もう一つ作るのと言うので、出来上がりを待つことにした。そして半月後、ぶじ購入。会社にはすぐに送り、テープカッターは、すぐさま働き始めた。
「デザイン重視で、使いにくいものもあるけど、これはいいね」
夫も気に入ったようだ。

ところが、我が家に置かれた方のテープカッターには、なかなかテープが取り付けられなかった。
「半透明のテープの方が、劣化しにくい」との夫の意見で、いつものスーパーにはないものを探していたのだ。
そしてそのまま、忘れてしまった。切羽詰っていないことは、何でも先送りにする悪い癖が、出たのである。
しかし、心の何処かで、気にはなっていたのだ。「このままでは、いけない」と思い立ち、昨日、ホームセンターで探そうと、セロテープだけのために車を停めた。やはり半透明のモノは、なかった。テープカッターが何とも不憫になり、ごく普通の透明なセロテープを買い、ようやく取り付けたという訳だ。

「今まで、ごめんね。これから、よろしく」
テープカッターを仕事部屋に置き、声をかけた。半透明のセロテープは、先送りにはせず、セロテープを使い切るまでには(笑)ぜひ探そうと思う。

リビングの小物と化していた頃の、テープカッター。

始動して、生き生きと仕事を始めたテープカッター。
我が家には、樽リサイクルの椅子とペン立て、キーフックがあります。
その様子をかいたブログは、こちら『常識に囚われず、推理すること』

森のなかの家具工房『我楽舎』の外観。裏が作業場になっているそうです。

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座席の上のハンカチ

先日、東京へ行った時のこと。
中央線の快速に乗った。席はまばらに空いていて、立っている人もいたが、余裕で座ることができた。荷物を膝に置き、文庫本を取り出す。そしてふと、向かい側の端の座席が不自然に空いているのを感じた。
開いている席には、ハンカチが置いてあったのだ。誰かの忘れ物だろう。
だが、ハンカチ自らの意思とは無関係に、その席を押さえているように見えた。席取りでハンカチを置く人も少なくない。見覚えのある光景。その威圧感を感じてか、その席に座ろうとする人はいなかった。

しばらくすると車両のすべての席は埋まった。もちろん、ハンカチが座っている席以外は、ということだが。
そこへ乗車してきた白髪の女性が、ハンカチを手すりに掛け、その席に座った。そしてしばらくして、立ち上がり、手すりのハンカチを座席に戻し、降車した。ハンカチはまた、自らの意思とは無関係に席取りをする羽目に陥った。

それを夫に話すと、意外な言葉が帰ってきた。
「それって、ネットワークだったりして」
ハンカチを置いた席に座る人は少ない。それを利用し、ハンカチを座席に置いておき、そのネットワークを知る人だけが座り、またハンカチを次の利用者のために戻しておくというものだ。
「まさか、ねぇ」わたしは答えたが、考えさせられた。
席を譲った経験は、何度もあるが、世の中善意だけで動いている訳ではないと知っている。遠い昔、大きなお腹でシルバーシートに座っていると、杖をついたお婆さんが乗って来た。他に譲る人はいなかったので、わたしが譲った。わたしに席を譲ろうという人はいなかった。

あのハンカチ(グレーのチェックだった)今は、どうしているのだろう。

これは、友人の雑貨屋さん『マッシュノート』で買ったタオルハンカチ。
カラフルなところも、鳥と花の模様も気に入っています。

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ツルウメモドキに笑う門

庭の北側の石垣を歩いていて、ツルウメモドキを見つけた。
昨年までは、なかったものだが、満開と言いたくなるほど、たくさんの赤い実をつけ、花のようなオレンジ色のガクを開いている。ハッとするほど綺麗だ。
「鳥が、運んできたのかな」
暖色のコントラストを嬉しく眺める。ツルウメモドキは、散歩道で見かけても立ち止まるほど、その実が可愛らしく好きなのだ。それが庭で見られるとは。

花言葉のひとつに「開運」とある。実が生ってから、ガクが開く様に「運を開く」と連想したのだろう。
「いいこと、あるかな」そう思うと、自然と笑顔になる。

その後、夫とふたり、今年初めて、渡り鳥ジョウビタキを見た。羽根にぽつんとついた白い模様が、目に眩しく、ふたたび笑顔になる。
笑顔になると、心もほっこりし、久しぶりに、この諺を思い出した。
『笑う門には、福来たる』

赤とオレンジに、自然が創った美しさを感じます。

冬の野に、この色。太陽の暖かさが、いっぱい。

散歩道でも、こんなにたくさん実が生ってるところは珍しいです。
嬉しいな。種を撒いたのは、ジョウビタキくん?

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冬の訪れを前に

一度、木枯らしが吹いてから、静かに温かな日々が続いている。小春日和。11月にしか使えないその言葉がぴったりの暖かな陽射しが降り注いでいる。
多少の気温差はあれど、薪ストーブを焚くほどではなく、部屋のなかでもフリースを着込み、野菜スープなど温かいものを煮たりして、冬が訪れる前の時間を楽しんでいる。

「小春日和」という言葉が好きだ。11月にしか使えないというところに特別さを感じるし、英語で言う「インディアンサマー」は「神様が冬眠前にキセルで煙草を吸い、その煙が暖かな日を作る」ので、その日に冬支度をするというのものらしく「あ、神様、キセルふかしてるなぁ」と空を見上げるのも楽しい。11月を「春」や「夏」と呼ぶのも素敵だ。

昨日は、八ヶ岳に雲が乗っていた。八ヶ岳の上にかぶさるようにかかる雲は、八ヶ岳おろしが吹く前兆だとも言われるが、雲の感じが、それとは違っている。柔らかく優しい秋の雲だ。北風は吹かないかも知れないと思っていると、やはりそうだった。八ヶ岳おろしの雲かどうか、見て判るほどには、長く暮らして来たと言うことらしい。

「北風のなか、薪運びをする日々が始まるねぇ」
「これだけ晴れてると、今夜は冷えるかも知れないよ」
昨日、出張から帰って来たばかりの夫と、薪を運んだ。薪を運びながら、夫が北側の軒下を見上げて言う。
「あの穴、埋めなくちゃなぁ」「ああ、キツツキがつついた穴ね」
我が家は、よくアカゲラやコゲラなどのキツツキ達に、つつかれるのだ。
「新聞の冬前家診断チェック表に、かいてあったんだ」
そのままにしておくと、蜂などが巣を作るらしい。
「外板が、はがれかかってる所もあるしね」「あ、ほんとだ」
「でもまあ、とりあえず、今夜は薪ストーブ燃やそうか」「いいね」
霜月の春を楽しみつつも、冬を迎える準備として、やっておくことは、まだまだありそうだ。神様は、あと何回キセルをふかしてくれるだろうか。

八ヶ岳は、雲を嫌がらず、おしゃべりしているような感じでした。

上の方には、こまかいうろこ雲の子ども達。

東の空にも、大きなうろこぐもが広がっていました。

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方向音痴からの方向転換案

東京駅前の丸ビルで、友人達と待ち合わせた。ランラララン、女子会だ。
温かな陽が射す秋の終わり。幸い時間に余裕があったので、ちょっと歩くのも気持ちがいいかなと、よせばいいのに、東京駅周辺を散策することにした。
そして、わたしのことだから、当然迷子になった。

日本橋口の方へ行ってみようと、駅ナカを歩き始めたのだが、日本橋口が見つからない。駅ナカは同じような店がいくつも並び、歩けど歩けど、日本橋口には、たどりつかないのだ。
山で道に迷った時に、必死に下山しているつもりが、2時間も歩き、ふと、ここはさっき通った道だということに気づいて、パニックになり遭難するという話を聞いたことがある。それと同じ体験も、してしまった。
「あ、この店、さっきあった。なんで、ぐるぐる回ってんの?」
わたしは、山には絶対に登らない方がいいと、確信した。

ようやく外に出て、日本橋川を眺め、わたしが授かった方向音痴という人より秀でた能力について、考えた。
スローライフ、スローフードなどに、注目が集まる時代。ゆっくり迷いながら歩くことにも、注目してみてはどうか。人としての経験値が、道に迷えば迷うほど、上がっていく。そんな風に考えたら?
「あ、また迷子になったんですか? すごい! うらやましい」
「どうしたら、道に迷えるのか、コツを教えていただけませんか?」
「ナビがあっても、迷うんですってね? 上級なテクニックですね」
「きみ、遅刻は困るなぁ。なに、迷った? 迷子遅刻申請の書類出しといて」
世の中自体が、そんな風な基準になったら?まあ、なんてことには、ならないだろうな。だいたい、何回迷えば気がすむんだよ。経験値、上げろ、自分。

もうすっかり見慣れた、レンガ色の東京駅。

もと郵便局KITTEには、丸ビルなどが映っていました。

八重洲北口には、こんな場所も。石垣の上には、緑が。

丁寧に管理された植物たちもまた、綺麗です。

「しはくこちい」? いえ「一石橋(いちこくばし)」です。

日本橋川沿いには、同じような橋が、並んでいます。トラップなのか?

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夫の茶碗

「お茶碗、そろそろ、買い換えたら? 買ってこようか?」
わたしの言葉に、夫はずっと「うん」とか「あー」とか、生返事をするのみで、うなずかずにいた。そのご飯茶碗には、いくつか欠けた場所はあったが、気に入って使っていたのだ。だからわたしも、強くは言わなかった。
それが、ある朝彼は、茶碗を持つなり、言ったのだ。
「そろそろかな」と。
わたしには、昨日と変わらぬように見えたが、手に持った感覚が、潮時を伝えたのかも知れない。
「茶碗、探しておいて」と言い置き、夫は出張に出かけた。

わたしは考えた挙句、その茶碗を焼いた陶芸家、森下真吾さんの工房に、行ってみることにした。彼の器は、様々なギャラリーなどで購入し、いくつも愛用しているが、工房まで出向くのは初めてのことである。
電話すると、欠けた物なら直せるかもしれないから、持ってきてくださいとのこと。茶碗をくるんで鞄に入れ、車で走ること40分。『陶・SHINGO』は、同じ北杜市は、小淵沢にある。
森下さんは、とても気さくな方で、珈琲を淹れてもらい、おしゃべりしながらゆっくりと作品を見せてもらった。
彼は夫の茶碗を見て、目を細めた。「懐かしいなぁ。嬉しいなぁ」
その茶碗も、簡単な形の金接ぎで直せるという。安心して、違うタイプの茶碗を選ぶことにした。

たがいに東京出身だと判り、しゃべっているうちに小学生の頃の話となり、ご両親の仕事の都合で何年かイランで過ごしたのだと話してくれた。
「やっぱり、ずいぶん影響を受けたんじゃないですか?」と聞くと、
彼は、うなずいた。作風が無国籍なイメージを与えるので、そう聞かれることも多いのだそうだ。
「だけど、もちろん、それだけじゃなく、今まで生きてきたすべての時間が、今の自分を作り、作品に影響を与えているんだと思うんですけどね」
それは、そうだよなぁと納得する。自らを振り返っても、これまでの何十年かもそうだし、昨日も今日も、そうだ。昨日の小さなこの出会いだって、これからのわたしを作っていく一つのピースとなっていくのだろう。そしてこうして話ができたのも、わたし達夫婦が、茶碗を大切にしてきたからだ。それもきっと、わたし達のこれまでが、関係しているはすだ。
そう思うと、何でもない毎日や小さなひとつひとつの時間の積み重ねが、使い込んだ茶碗と同じく、急に愛おしく感じられた。

『陶・SHINGO』の外、入口には、たくさんの人形達が。
独特な不思議世界を、創りだしているよう。

大きな器に珊瑚礁。たまった雨に、木々の影が映っていました。
 
おもしろいお面、お面、お面。龍のやかん or 鍋は、薪ストーブに。
口から湯気が出てくるという、遊び心いっぱいの作品です。

珈琲カップも欲しくなりましたが、がまんしました。

欠けてしまった、夫の茶碗です。大きくて、分厚くて、
柄もダイナミック。男の茶碗! って感じですね。

新しく購入したお茶碗。全く違った感じですが、大きさは近いです。
欠けたお茶碗が戻ってきたら、わたしが使おうかな。

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セイタカアワダチソウと小さかった頃

今、明野ではセイタカアワダチソウが、そこ此処に、咲き乱れている。
アキノキリンソウ属だが、別名アワダチソウと呼ばれるアキノキリンソウより大きくなるという理由で「セイタカ」と、つけられたそうだ。

「小学生の頃は、背が高い方だったのよ」義母が、言った。
「えっ、わたし、6年間ずっとクラスで一番、小さかったんです」
大人になってから初めて会った義母は、自分より背の高いわたししか知らない。驚くのも当然のことである。
今では161㎝ あるのだが、当時は、背が低いことに、けっこう強いコンプレックスを感じていたのだ。
今はどうだか知らないが、あの頃は背の順で並ぶのが常で、わたしはいつも一番前。何かの際に「一番前、しっかりしろ!」と叱られる回数が増え、損しているよなぁとの思いもあった。何しろ、ぼーっとしている性格は、今も当時も変わらないのだから。

6年生の頃、特別仲良しだった子は、クラスで一番背が高かった。大人びて見える彼女に憧れてもいた。『少女コミック』と『マーガレット』を片方ずつ買って、交換しようと言い出したのは彼女で、そんな発想もまた、大人っぽく感じられた。中学は違ったのだが、その後高校に入ってから、バイト先が一緒になった。わたしはすでに、今の身長。彼女とも、そう変わらなくなっていた。だから、という訳ではないのだろうが、再会した時に驚いた。
「こんなに可愛らしい、子どもっぽいところがあったんだ」と。

そう考えると、ずっと会っていない小学校の頃の友人達からしたら、わたしはきっと、一番小さい子のままなのだろう。
セイタカアワダチソウを見上げつつ、小さかった頃の自分に思いを馳せた。

空に向かって、ぐんぐん伸びていくセイタカアワダチソウ。

それを見下ろす、南アルプス連峰は、甲斐駒ケ岳。

散歩コースにあるワイン用の葡萄畑の脇にも、咲いていました。
葡萄は、そろそろ、収穫なのかな。重たそうに実を揺らしていました。

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この秋初めての北風

この秋初めて、北風が吹いた。
「松を倒してもらっておいて、よかったな」
乾いた冷たい風を感じつつ、洗濯物を取り込みながら、隣の林を眺めた。
松が3本、倒れている。マツクイムシに幹の内部を蝕まれ、立ち枯れした赤松だ。ひと月ほど前に役場に相談し、切り倒してもらった。
隣の土地の持ち主も、よく判っているようで、了解は得てある。松が倒れて、家が壊れてしまってからでは遅いのだ。

立ち枯れした木と言っても、なかが空洞になっている訳ではない。ずっしりと重い。道路に倒れ、しばらく通行止めとなる風景も、何度か見てきた。枯れかけた松の脇を通る時には、いつも気をつけている。
これからは、もっと気をつけなくなくてはならない。倒木があるのは、圧倒的に冬が多いのだ。幹が乾いて折れやすくなるのか、八ヶ岳おろしと呼ばれる北風の強さに負けてのことか、雪の重みに耐えかねてか。そのどれもが重なって起こる現象なのか。

我が家も、家を建てる前には、赤松の林だった。その松を切り倒し、製材してもらって建てた家である。大黒柱も梁も、軸になっている木材は、この土地の赤松。なので、東側にも西側にも、赤松林がある。もとは続きだった林だ。
マツクイムシは、松が枯れると次の松へと移っていく。この辺りの赤松は、今では、越してきた頃の半分もなくなった。

月日が過ぎていくのと同様に、どうしようもないことではあるのだけれど、
「淋しい気持ちが湧くのは、わたしだけだろうか」などと思ってしまう。
居間の大黒柱からも、梁からも、切り倒された赤松が、見えている。
いや。切り倒されて柱となった赤松がどう思っているかなど、人間であるわたしには、知る由もないことなのだが。

我が家の赤松は、樹齢80年ほどでしたが、この木は60年ほど。

松はヤニが強く、煙突が詰まるので、薪にはできません。
このままここで、朽ちていくのかな。

林のなかには、あちらこちらに漆が。美しく紅葉しています。
まだ緑のもの、黄色くなったものもありました。

足元には、きのこもたくさん生えていました。

これ、何の実でしょう? 綺麗なうえに、美味しそうなんだけど?

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秋晴れの週末に

この週末、こんなに晴れたウィークエンドは、過去に類を見ないというほどの秋晴れだった。
「こんなにサービスせんで、ええんとちゃう?」関西弁で、空に向かって夫。
『秋の明野へようこそ』ツアーと題して、神戸に住む、夫の両親を招いていたのだ。とは言え、毎日八ヶ岳を見ているわたしでさえ、こんな八ヶ岳は見たことない! というほど、ヤツは秋空の下、のびやかにしている。それは、
「八ヶ岳さん、何か、はりきっちゃってる?」と、聞きたくなるほどだった。

いつにする? あの週はダメ、ここは出張、など、相談した上、バタバタと決まった予定だった。それが、こんなご褒美をもらったような週末となるとは。

まあそれは、そうかも知れない。わたし達夫婦の倍ほど、もう60年近く夫婦をやってきているのだから、天のサービスだって、よくもなるだろう。
「がんばってますね! お義母さんのために八ヶ岳、微笑んでいますよ」
わたしは夫君にはなったことがないから、よく判らないので、同じ女性として義母に、ぜひエールを贈りたい。たがいの立場を理解しようとする想像力がないことには、長く一緒にいるのは難しいことだよなぁと自分を振り返りつつ。

1週間ほど、ウッドデッキには姿を見せなかったアマガエルのけろじも、枯れかけた蕗の葉の上で、見てみて! というかのように、じっとしていた。
「あ、けろじ、いた!」わたしの言葉に、義母も歓声を上げた。
「ほんと! 可愛い。じっとして動かないけど、目はきょろきょろしてる」
もみじの葉には、カマキリ。ウッドデッキの階段には、赤とんぼ。
「本当に赤いのねぇ。こんなに近くに赤とんぼを見られるなんて!」と義母。
『秋の明野へようこそ』ツアーは、予想以上に喜んでもらえたようだった。

そして、ふたりを見送った帰りの車中、ぽつりぽつりと雨は降ってきたのだ。

またとないほどの秋晴れ。「普段の行いが、いいからや」と夫と義父。
ふたりとも、自分のことをさして、言っているようでした(笑)

両親が到着した金曜日の八ヶ岳です。うーん。晴れ晴れとした表情!

昨日、中央高速を走り、塩尻駅まで、ふたりを送っていきました。
紅葉の季節だけに、諏訪湖サービスエリアは、車がいっぱいでした。

諏訪湖を眺めつつ、ソフトクリームを食べながら、休憩。
どちらを向いても、紅葉が綺麗でした。でも、雲が少しずつ出てきて。

遠くには、諏訪湖のスワンが、ゆったりと泳いでいました。

けろじ、鳴いた? ぽつぽつと降りだした雨は、そのせい?
頭のてっぺんだけ冠をかぶったように緑の、白っぽい子でした。

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枕元の靴下

夜中にふと目覚めて、あれ? と思うことが、最近よくある。靴下だ。
秋も深まり、風呂で温まってベッドに入っても、足が冷たくなることが多く、靴下を履いて眠る季節になった。
その靴下が、ふと目覚めると片方だけ、脱いである。

それは、脱げたのではなく、確実に意思を持って脱いでいるのだ。というのも、わざわざ枕元に置いてあることから、容易に推測できる。脱げたのなら、足元にあるはずであろう。
不審に思っていたので、気をつけて見ていると、脱いでいるのは左足に限られている。
「左足くんだけ、暑がりなのかな?」
考えるも、答えは出ない。目覚めた時には、右足くんも、程よく温まっていて、左足くんに倣って靴下を脱ぐ訳だが、うとうとしつつ考える。
「右足くんは、脱ぎたくなかったのかな?」
しかし、靴下の窮屈さから解放された足達に、眠気は加速し、うとうとしている間に、すっと眠りに入ってしまう。

さらに考察するに、わたしは、右横を向いて眠ることが多いと判明した。
右横を向いた状態では、左手くんと左足くんが、当然近くなる。靴下を脱ぐのも容易だ。しかし、右手くんと右足くんは、遠く離れている。靴下には手が届かない。
「ただ、それだけのことかぁ」
そう思いつつも、毎日同じ方向で眠るのは、骨格や筋肉に片寄りが出るのではないかと心配にもなる。今更ではあるのだが。
「夜中に目覚めた時に、右足くんの靴下だけ脱いでいる状態を目指そう!」
左横を向いて眠る、挑戦は始まった。

ベッドの枕元に大抵あるのは、今読んでいる本とハンドクリーム、ケータイ。
寿命が来たケータイを買い換えました。ガラケーからガラケーに。
今どきめずらしい! と言われますが、月々けっこう大きな節約になります。

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野葡萄のグラデーション

散歩道の野葡萄も色づき、綺麗なグラデーションを、見せてくれている。
同じ蔓に、青や紫や水色の実をつける、野葡萄。不思議だ。

いや。果たして、不思議なことなのだろうか。不思議だと思うことこそが先入観なのかも知れない。同じ植物には、同じ色の実が同じように生ると思い込んでいる自分が、不意に見えた。
「野葡萄から見たら、同じように色づく他の実達の方が、よっぽど不思議に見えていたりして」
じっと、そのグラデーションを見ていると、美しさに心洗われてく。

隣の林の山桜も、赤く紅葉し始めた。
木の下に立ち、見上げると、その赤は陽の光で色を変えたが、落ちた葉には、ハッとする赤が多く見られ、身近な秋を楽しんでいる。

その陽に透かして見た葉は、虫食いだらけで、ふと何やら暗号か、知らぬ国の文字のようにも見える。虫達のいたずらがき。メッセージがある訳でもないが、ないとも言いきれないぞと考えたりした。
感じる心次第。植物や虫達のメッセージは、受けとる気持ちがあればこそ、降ってくるものなのかも知れない、と。

野葡萄の色は、日々変わっていきます。

宝石のようです。ペンダントにするなら、どの色にしようかな。

文字のようにも見えるのは、文字に慣れている人間だからですね。

落ち葉の赤は、今だけの宝物。たくさん見ておかなくっちゃ。

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千日紅と毛糸のボンボン

春に植えた千日紅(せんにちこう)が、まだまだ咲いている。
好きで、毎年植えている一年草。丸く花を集めた形が可愛らしく、今年植えた濃い紫色は、目にも鮮やかだ。

その形に、よく毛糸の帽子についている、ボンボンを思い出した。
小学生の頃、そのボンボン作りにハマったことがあった。束ねた毛糸をきつく縛り、周りを切りそろえて、綺麗に整えていく。何に使う訳でもなく、ただただ、その作業が楽しかった。なかなか、綺麗に長さを揃えられず、どんどん小さなボンボンになっていったっけ。
そんなことを思い出し、毛糸の帽子を出して、陽にあてた。
チェコを出て、カナダに渡ったばかりの娘の帽子も、干した。
びっきーと歩く時に、よくかぶった帽子も、干した。
遠い昔、友人が編んでくれた帽子も、干した。
干しながら、記憶の束は、ボンボンのように、綺麗に切りそろえる訳にはいかないものだよなぁと、しみじみとした。

ところで、春から夏を過ごし秋までずっと見てきた千日紅だが、アップで写真を撮り、またもや(!)初めて気づいたことがあった。
千日紅は、ただ丸いだけではなく、よくよく見ると渦巻くように花びらを開いていて、そのなかには白も混じっており、けっこう「花」然としているのだ。遠くで見て、また近づいて見て、可愛い花だなと再認識した。

毎日見ていたのに、白い花が規則的に入っていることも知らずにいました。

まだこれから、開いていく花達もいます。

秋の陽の光が強くて、そのままの色には撮れませんでした。

左は上の娘の帽子、真ん中は若い頃友人が編んでくれた帽子、
右は、びっきーとの散歩で一番よくかぶった帽子です。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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