はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小さな一歩

ずっと考えつつ、何もしなかった。
東北の人達のために、わたしが今出来ること。
2年前の震災直後には、何度か赤十字に募金した。しかしそれがどのように使われているのか不透明で、もどかしい気持ちもあった。直接誰かに託して、というほど親しい人がいるわけでもなく、何となく何もせず2年経ってしまった。同じように感じている人も多いのだろう。ヤフートップで「ピンポイント募金案内」という項目を見つけた。此処と思ったところに、直接募金しようという趣旨で、たくさんの支援活動が紹介されていた。その中で目にとまったのは「あしなが育英会」の活動だった。震災で親を亡くした子ども達の生活する施設を建設しようという取り組みだ。

東京に住む父は4月で84歳になるが、母と共に元気に暮らしている。父は80歳まで個人タクシーのドライバーを続けた。その退職の時、組合で積み立てた多くはない退職金の中から10万円募金したのが「あしなが育英会」だった。交通事故で親を亡くした子ども達のためにと、80歳まで安全運転でプロのドライバーを続けた父は、父なりに考えるところがあったのだろう。
「短足のわたしですが足長おじさんになった気持ちで、これからの日本を背負う孫達に役立ててもらえれば」と、東京交通新聞の取材にコメントしている。

それを思い起こし、こういうのは何かの縁なのだと、わたしも自分が働いたお金の中から身の程に合った額を「あしなが育英会」に募金することにした。震災で親を亡くした子ども達が生活していく場所を作るという、目に見えることに使われるお金だ。それを話すと夫も一緒に募金しようということになった。わたし達の小さな一歩。
 
上の娘が小学校4年生の時に作った作品です。

誰かが何処かで、少しでも明るい気持ちになれますように。

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春の訪れを感じて

「きのう、飛んでたね」と末娘。「うん。飛んだ!」と、わたし。
「急にあったかくなったからね」「春を感じるね」
「きょうも飛んでるよ」「うれしいねー」
暖かな日差しのリビングでの会話、春の訪れを喜ぶ3月に相応しいものだ。
「しかし、情緒のない春の感じ方だよね」と末娘。「全く」とわたし。
何しろ「飛んだ」のは「無線ラン」なのだから。我が家の無線ランは寒いと冬眠し、冬の間は有線が活躍する。
何度目かの春一番が吹き荒れ、わたしがタートルネックを脱ぎ、初めて丸一日薪ストーブに火を入れず、庭の雪柳の蕾がはち切れんばかりに膨らみ、それとほぼ同時期に毎年、無線ランが飛ぶ。我が家の春は、無線ランの冬眠からの目覚めと共に訪れるのだ。

友人からもらったレモンバームも暖かなリビングで育ってきた。そろそろ植え替え時期だろうか。いや、まだもう少し。外の風はまだ冷たくなる日もある。レモンバームに水をあげ、末娘と、彼女が引っ越す日取りなどを相談した。

ときどき葉を千切っては匂いを吸い込み、楽しんでいます。
「悲しみを追い出すハーブ」 効用のほどは如何に。

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新しい街のこだわりに触れて

何でもないことに、やたら笑える時がある。
娘が入学する埼玉の大学に行き、ふたり、ごみ箱を見て笑った。
「燃やすごみだって!」「燃やせないごみもある!」
山梨では、「燃やすごみ」は「燃えるごみ」「燃やせないごみ」は「燃えないごみ」だ。
「何か笑える」「可笑しい!」
変に盛り上がり、それぞれケータイで写真を撮り、また笑った。
わたしがこれまでに住んだところ、東京や川崎でも、燃やすごみではなく燃えるごみだった。だからそれが普通だったのだが、よくよく考えると、燃やすごみの方が正しい気もしてくる。
「燃えるごみって言ったって、ごみが自然発火したら問題だよね。人が燃やすから燃えるわけでさ」
埼玉って、そういうことにもこだわっていく街なのかも。などと考えた。
娘がこれから住む町の、小さなこだわりに触れ、彼女の世界が広がっていくような気持になった。
「彼女の世界は、未知数に広がっていくんです」
大学のごみ箱が、わたしにそっと耳打ちし、教えてくれた。

埼玉県全体が、こういう表示をしているのでしょうか?
他の県、市でもあるのかな? 

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人見知りしますか?

初対面の人と屈託なく話ができる人を見ると、すごいなぁといつも思う。
子どもの頃から人見知りだった。記憶の中でも印象的なのが、小学校2、3年の頃のことだ。大学生の従兄が友人を連れ、夕食を食べに来た。従兄のことは、好きだった。来るたびに面白い話を聞かせてくれたり、トランプやゲームを教えてくれたりして、楽しい遊び相手だったのだ。彼が来ると嬉しくて浮き浮きしたのだが、その日はいつも通りにはいかなかった。知らない人を連れて来たからだ。黒縁の眼鏡をかけた如何にも真面目そうな男の人だったと記憶している。母が夕食を作る間、居心地が悪くて家を出た。すぐ近くの公園でブランコに乗っていると日が暮れた。
「つまんないなぁ」
つぶやいた時に、従兄が迎えに来た。バツが悪くて家に帰りたくなかったのだが帰る場所は他にはない。結局、その夜も従兄が連れてきた友人も交えて楽しく過ごした。真面目そうに見えた黒縁くんも、よく笑いよく飲む普通の大学生だった。何処から打ち解けたのかは思い出せないが、わたしもよく笑う普通の小学生の女の子に戻っていた。人見知りとはこういうものだという、わたしのなかでは代表的なエピソードだ。

夫は、びっきーの散歩中に木を切っている人に出会い、話が合ったらしく、木1本分の薪をもらってきた。彼は本当にすごい。すごいなぁと、いつも思う。

娘と買い物に行っている間に、
薪はチェーンソーで切って、きれいに積んでありました。
切りたての木が見た目より重いことは、娘もわたしも知っています。
彼は本当にすごいよなぁ。

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新米魔女に似合いの帽子

出会ってしまった。一目惚れだ。勘違いかも知れないと自分を疑ってもみた。考えに考えあぐねた。しかし自分の気持ちに間違いはないと、すでに知っていた。一目惚れしたのは、アジアン雑貨の出店で見つけた帽子だ。
タイで仕入れたという布を中心に置いた、その出店には、帽子の他にも、ショールやブラウスやロングスカートなどもあった。色鮮やかな緑やオレンジ、シンプルな藍染めや生成りなど様々な色の布があった。すべすべした手触りのタイシルクもあれば、ごつごつした綿100%のものもあった。
「布が好きで」店主は、笑って言った。
如何にも、その通りなんだろう。アジアで仕入れた布で、日本人のデザイナーや作家に作ってもらっていると、ゆったりとした口調で話してくれた。
3度、帽子をかぶり、店を離れた。旅先でのこと。このまま帰れば、二度と会うことはないとわかっている。
1時間珈琲を飲み、考えた。そして戻った。もう迷いはなかった。
赤と黒のツートンの帽子には、孔雀の羽根をデザインした刺繍が手縫いで施してあった。孔雀と言えば緑やブルーの目を引く色合いをイメージするが、全く違う。黒地に赤の糸、そして小さなビーズ。赤の布地には黒が織り込まれていて、赤、黒のバランスのよさに魅かれた。
頭に帽子をのせた自分は、何処か魔女のように見えた。アジアの布と帽子作家と店主に魔法をかけられた、新米の魔女。
「魔女にしては、まだまだ若輩者だな」どんな魔法を使おうか。迷うなぁ。

いろいろ試してみましたが、気になったのは一つだけ。出会いなのかな。

孔雀の羽根も、今やネットで購入できるんですね。それってちょっと淋しい。
末娘が小学生の頃、拾った野鳥の羽根を集めて、
手作りの羽根図鑑を作っていたのを思い出しました。

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100通りの味噌汁

雨が窓を叩く音で目覚めた。ふと、朝なのか夜なのかわからなくなる。
しかしすぐに「卒業式の後、帰ってきて眠っちゃったんだ」と気づく。
娘の高校の卒業式。式の間は晴れ間も見えたが、午後から降り出したようだ。
「よかった」ベッドの上で、ようやく大きく安堵のため息をついた。彼女の3年間の高校生活が楽しい毎日であったことに。

卒業式でいつも思うことは、どの親にだって、自分の子が特別なのだということだ。代表で卒業証書を受け取ることはなくとも、特別に何かで表彰されることはなくとも、わたしと夫には彼女が何しろ一番であり、自慢の娘である。多分どのお父さんもお母さんも、そう思って座っているのだろう。
卒業生ひとりひとりに、家庭があるんだよなと、考える。
それぞれに、家族の会話があり、温かい食事があり、笑ったり喧嘩したりする場所がある。100の家族があれば、100通りの味噌汁の味があり、それはどこのが美味いとかいう意味を超え、違って然るべきものだ。
家庭って、不思議だな。ごく普通の家庭だと思える我が家だって、多分他の家から見たら、いろいろ違っているんだろう。実際、ごく普通の家庭なんて存在しないのかも。

ふらふらとベッドから起き上がると、夫が呆れた声を出した。
「よく寝たねー」
時計を見ると、もう夕方。ベッドに入ってから3時間経っていた。

娘が通った高校の正門を入ると、像が立っている。
プラトン、ソクラテス、アリストテレス。

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ピンクのトイレ

我が家のトイレは、信じられないことにピンク色だ。もちろんトイレ全体ではない。洋式のウォシュレット付きのイナックスの便器のことだ。これがトイレ全体ならば覚悟も決めよう。しかしクールなみずがめ座であるはずのわたしに、これは受け入れ難かった。家を建てたばかりの頃、トイレに入る度に落ち込んだ。「何故に、ピンク色に」と。

設計段階では、夫婦でイナックスのショールームに足を運び、設計士さんと共に型番まで決めたトイレはシックな空色だった。2つあるトイレの片方は、今でも型番通りのシックな空色だ。引っ越しの日に玄関のドアが付いていなかったのにも驚いたが、ピンクのトイレは衝撃的だった。ドアはこれから付く。しかし、トイレの色は変わりようがないのだ。
「どうしてまた、ピンクに?」驚くわたしに、設計士さんは答えた。
「大人のスペースは空色で、子ども達のスペースはピンクでしたよね?」
そうなのだ。設計士さんはイメージカラーを自分で考え、相談して決めたと思い込んでしまったのだ。そして2階にある子ども部屋から階段を下りた場所にあるトイレは、子どもスペースだからピンクにと。
こだわりが強く、一つ一つに意味を考え、設計をする人だった。こだわり過ぎ、意味を考えすぎた結果の一つがピンクのトイレなのだった。
一昨年、その設計士さんも亡くなった。我が家を建てた時にも十分お歳で、最後の作品になったと、のちに聞くことになった。

ピンクのトイレと共に、様々のものをいただいた。建てる前に此処の土を掘り、その土をこねて焼いたというぐい飲みも、その一つだ。わたし達に合った家をと設計してくれたことに、とても感謝している。今ではすっかり馴染んだトイレのピンク色を見て、ただ思う。情熱を傾けるということを体当たりで見せてくれた、人間らしい設計士さんだったなぁと。

ごつごつとして頑固そうな表情のぐい飲みは、設計士さんを思わせます。
頑固親父としても、設計と同じくらいにプロだったかも。

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誰とでもフィフティフィフティで

娘と旅行するのはいい。1泊のみ、それも受験のための旅だったが、おたがい無駄に気を使わないだけではなく、気づかいするツボを1ミリも外すことなく心得ている。一緒にいて心地よく、多少のトラブルがあっても、自然といちばんいい選択肢をアイコンタクトのみで分かり合えたりする。
「穏やかな旅だったね」「人の多さには閉口したけどね」
新宿で日曜のランチタイムに食事をするのは、山梨に慣れてしまったわたし達には難しかった。お腹は減っても目的地まで行くべしと、ふたり顔を見合わせ改札を目指した。一つしか席が空いてなければわたしが座り、荷物を持つ。娘は英単語帳をずっと開いていたが、わたしは鞄に入れた文庫本を読む気にはなれず、ただ重たい思いだけをしていた。しかしその文庫の重ささえもが、必要不可欠だった。その重さがなければ、しっかり立っていられなかっただろうと言い切れるような強風が吹いていたのだ。文庫の重さも含め、無駄なことは何ひとつなかった。

夫と旅行するのも、もちろん楽しい。だが母娘ならではの解放感を味わい、新たな発見をした気分になった。旅に発見は付き物だ。娘との距離を、近くもあり遠くもある距離を嬉しく感じ、彼女が思っているより大人になっていることを強く感じた。
フィフティフィフティ。そんな言葉を思い浮かべた。誰とでも、根っこの根っこのところではフィフティフィフティでありたい。そんなわたしを、彼女の中に見た気がした。そこに限りなく近い場所に、わたし達はいつの間にか来てしまったのだとしみじみ考えた。ひとりよがりかもしれないが、それってものすごく、いい関係になったってことなんじゃないだろうか。

娘のブラウスにアイロンをかけるのも、あと少し。結果はまだわからないが、彼女は大学受験を終え、高校を卒業する。

旅の発見その2 
電気ケトルは、沸騰するまでの時間がびっくりするほど短い!

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それさえ忘れなければ、だいじょうぶ

久々にスピッツの『空も飛べるはず』を聴いたせいか、夢を見た。
ジェットコースターに乗っている。傾斜のない曲がりくねったコースをスロースピードでカタンカタンと進んでいる。ピンクやら黄色やら水色やらパステルカラーのおもちゃのようなコースター。だがまとっているのは緊張感だ。夢に在りがちな直感で、このコースターは危険だ、脱線すると判る。さてどうする。もうスタートしてしまった。そこで気づく。パニックになるから危険なのであって、パニックになりさえしなければだいじょうぶだと。
「だって人は空を飛べるんだもの。それさえ忘れなければ何も問題ないじゃない。とっさに空を飛べることを忘れちゃうなんて、わたしったら」と。
わたしはコースターを離れ、宙に浮いた。ふわふわといつまでも浮いていた。

1年ぶりに帰国して「日本語の歌が聴きたい」という娘のリクエストに応え、前日、運転中スピッツを流していた。しばらくぶりに聴いたスピッツのメロディは、わたしの胸にも泣きたくなるような懐かしさで響いた。
「空を飛べることさえ忘れなければ、だいじょうぶ」
夜中に目覚めてひとり呟き、ストーブに薪を入れ、しばらく火を見ていた。

夜中に目覚めて、ストーブに薪をくべるのは習慣化しています。
だからこそ朝まで温度も下がらず燃え続けてくれます。

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待ち時間長き人生の安らぎ

胸を張って得意と言えることはあまりないが、待つことは得意分野だ。
娘の送り迎えなど、暗くなった無人駅で待たせるわけにはいかないので、早め早めに出発する。その上中央線はよく遅れるので、余計に待ち時間が長くなることも多い。読みたい本があれば持って出るし、調べようと思っていたレシピなどを検索する場合もある。
しかし本もケータイも開かずボーっと考え事をしたり、考え事をしているふりをしたりもする。ボーっとする時間が、必要不可欠な体質にできているのだ。
「時は金なりと言いますよ」と叱られそうだが、わたしの人生、半分はボーっとする時間で構成されている。これが無ければわたしではないと、今では確信する。時間がもったいないと思う時期も、とうに通り過ぎた。
ボーっと空を眺めたり、ボーっと風の音を聞いたり、ボーっと酒を飲んだりして、一日一日が過ぎて行く。豊かな時間だとも言えるし、空虚な時を過ごしているようにも思う。そしてそれは、どちらでもいいようにも思う。
昨日も一日、よく待った。免許証を紛失した娘のために運転手をし、警察署、運転免許センターで待ち、ケータイが壊れたままの彼女のためにdocomoショップでも、また待った。

そんなわたしのもっとも苦手とするところは、人を待たせることである。待っている時には安らかなる時間も、待たせていると思うと気が急いてどうにも落ち着かない。基本的に気が小さいのだ。
「やあやあ、待たせたね」と、のんびりと言えるような太っ腹な人間に、いつかはなれるのだろうか。ちょっと憧れる。

docomoショップの隣のマックで、ボーっと珈琲を飲みました。
うとうとと、すっかり眠たくなりましたが、
1年ぶりに運転する娘に冷や汗をかきつつ助手席に座り、目が覚めました。

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我が家の家訓

粉雪が舞う日、真夏のオーストラリアから娘が帰ってきた。1年間、オーストラリアでワーキングホリデーを楽しんできた娘だ。
娘の部屋は、ベッドカバーも洗い立ての冬使用に変えてあるし、ざっと掃除もした。疲れているだろうし、夕飯は茶碗蒸しと肉豆腐、紫大根の酢漬けという、お腹に優しい献立を用意した。そして午後3時、わたしは風呂に入った。
何故に風呂? と思われるかもしれない。彼の帰りを待ちわびる遠距離恋愛中の彼女じゃあるまいし、と。しかし風呂はキーである。
「お風呂、入るね」とわたしが言った場合は、すべて込々約30分で済む。ズボラなのでドライヤーもかけず、基礎化粧も簡単だ。しかし娘の場合、極普通で2時間は風呂場にいる。魚になっているんじゃないかと心配になるほどの長湯なのだ。我が家のギネスでは6時間を記録した。「風呂は、娘が帰る前に」我が家の家訓である。

帰ってきた彼女は、少しも変わっていなかった。
しかし言った。「お母さん、小さくなったんじゃない?」
娘が大きくなったのか。娘が見た世界が大きかったのか。
そしてオーストラリアでは一度も風呂につからなかったという娘の長湯は、これからも続くのだろうか。
「で、何て名前で、何歳なの?」「サムだよ。24歳くらいかな」
4月からひと月ステイする予定の、オーストラリア男子のことである。日本語を勉強中のサムに出会い、ステイを申し出たらしい。
春は静かに穏やかに近づいている……だけではなさそうだ。

お土産のアボリジニアート。カンガルーを中心に描かれたブーメランが素敵。
布に描かれたものは、草原の中ブーメランを持ち火を囲む人々だそうです。
地図マニアの夫のために地図を買ってくるところなどは、さすが娘歴22年。

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雑草も、うつむいて何かに思いを馳せる

ふきのとうが顔を出したんならと、水仙の咲く花壇の落ち葉の絨毯をめくってみた。やはり顔を出していた。水仙の芽がいっぱい。可愛い。何年か前にご近所さんにいただいてから、毎年咲く。花は薄めの黄色だ。
「そろそろ、落ち葉、片づけなくちゃなぁ」
毎年そう思いながらも、寒さに負け、億劫でもあり、落ち葉の絨毯は放りっぱなし。それでも強い植物は生き残る。その強さが、顔をのぞかせた緑の芽に感じられて愛おしくなる。

水仙の花言葉は「うぬぼれ」「自己愛」など、あまり好ましい言葉ではないが、ギリシャ神話に登場する美少年「ナルキッソス」(ナルシスト?)に由来すると言われている。ナルキッソスは、たくさんの女性から言い寄られるも、相手にせず恨みを買う。その噂を耳にした義憤の女神「ネメシス」は、水面に映る自分の姿に恋するよう魔法をかけた。彼はその片恋に憔悴して死に、水辺で水面をのぞくように咲く水仙になったという。
落ち葉に埋もれたうちの庭に芽を出す水仙には、そんな神話は似合わない。ただ力強く太陽を目指す雑草そのものだ。雑草だって、うつむいて何かに思いを馳せることもあるのだ。極々普通に生きているわたし達だって、そうであるように。うつむきがちに水仙が花を咲かせる時が待ち遠しい。

陽の光を浴びる緑に、うっとり見とれます。ついつい、時間を忘れて。
冷たい庭にも、春は一歩一歩、歩み寄って来ています。

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変化を受け入れて

山梨の春を呼ぶ市、十日市場に出かけた。木工品を集めた市。
夫が蕎麦打ちに使う、こま板を見繕うためだ。蕎麦を切るときに包丁にあてて使う、そのこま板の端が欠けてしまったのだ。
南アルプス市まで1時間ドライブし、誘導されるに任せフィットを駐車場に停め、のんびりと歩いた。お好み焼き。綿あめ。焼きそば。チョコバナナ。露店が並び人が溢れている。しかし、目当ての木工品は見当たらない。歩きに歩き市の端まで行ったが木工を扱った店は5つほどしかなかった。食べ物の露店は百件以上は出ているというのに。

市の始まりの頃は、蕎麦打ち用品やザル、包丁にまな板、臼や杵などを職人さんが買いに来たと聞く。しかし今歩いた市にはその頃の雰囲気はなかった。活気はあるが、祭りの質が変わっているのだとわかった。市も変わっていく。自然の流れなのだろう。変わったことを受け入れつつ、活気を保っていくその祭りの在りように魅かれた。それは、空に浮かぶ雲が形を変えて流れに身を任せているかのようでもあり、自分自身のなかにある心の形さえもが知らぬ間に変わっていくようでもあり。
変わっていくのを受け入れるのもまた、文化なのだろう。
木工品の店ですりこぎを買った。消費税込みで800円。木は白檀だそうだ。

臼は立派でしたが、値が張りました。
すりこぎはごつごつした山椒もありましたが使いやすそうな白檀にしました。
アボカドディップ、早くごりごりしたいです。


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オオタカ効果?

バードセイバーを窓に貼った。デザインは、この辺りにも生息し、空を舞う姿もたまに見かける絶滅危惧種、オオタカだ。
一番大きな北側の窓には、何年か前にフクロウのシールを貼った。その時にはバードセイバーという名前すら知らなかった。赤松の林だった場所に家を建てたせいもあるのか、越してきてすぐの頃、野鳥が窓に衝突する事故が相次いだ。窓に木や空が映り、そこへ行こうとして衝突してしまうのだ。
茶色の三日月斑が美しいトラツグミや、大きめの黄色いクチバシが特徴的なイカルなどが、衝突のショックで死んでいるのを見つけた。可哀想だし、もともとは彼らの場所だったところに家を建てた負い目もある。何とかならないかと思っている時にフクロウシールに出会った。効果テキメンだった。窓にシールを貼ってからは一度も事故が起こらなくなったのだ。

それがこの冬、ふたたび事故が起こった。
庭に水場を作り、向日葵の種を撒くようになったせいか。隣の林の赤松が松食い虫の影響もあって少なくなり、空が広く窓に映るようになったせいか。
それで、林側の窓にも一枚貼ることにした。フクロウシールは顔だけだが、大きく開いた目がポイントだ。睨みを利かせているらしい。新しく貼ったオオタカは全身が描かれ、如何にも飛びかかってきそうな雰囲気を漂わせている。向かって行く鳥もいないだろうと思わせる迫力がある。
「期待してるよ、オオタカ」と、わたし。
しかし夫の胸には別の心配が、ふくらみ始めていた。
「鳥達、来なくなるんじゃないかな? シール貼ってから全然来ないよ」
午後、いつになく2度目の向日葵を撒き、淋しそうな背中をこちらに向けて窓の外を眺めている。
「だいじょうぶだよ。来るって」わたしは、根拠なく言った。

日本野鳥の会オリジナルデザインのバードセイバー。
最近よく来るのは、シジュウカラ、ヤマガラ、カワラヒワ、エナガ、ツグミ、シロハラ、ヒヨドリ、山鳩など。ジョウビタキも、たまに見かけます。

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新しい鞄を持って

新しい鞄を買った。1週間前に見つけ、買おうか迷っていた鞄だ。
ひとつには、今使っている茶革の鞄がまだ現役で頑張っていること。さらには、値段が安くはないこと。そして、持ち手がもう少し長かったらな、という希望は叶えられないこと。それでもしかし、一目惚れしたわくわく感は7日経っても忘れられなかった。

今使っている茶革の鞄は、東京駅で買った。おととしのクリスマス、夫と初島に行こうと熱海行きの電車に乗るべく東京駅で待ち合わせた。そこで、気に入って使っていた鞄の持ち手が突然取れてしまった。だが突然と思っていたのはわたしだけのようで、よくよく見れば外れた持ち手以外の場所もかなり傷んでいた。修理が有効な様子ではないとすぐにわかった。突然訪れた別れに淋しさも大きかったが、新しく鞄を買うことに迷いはなかった。それから普段使いにも仕事にも、その鞄を使っている。A4の書類も入るし、普段着にもスーツにも合う。とても重宝している。

しかし、時は春待つ2月。末娘の大学入学と共に訪れる春は、わたしにとっても特別な春だ。そう思い鞄を買った。春になったら娘の新しい下宿先に何度も行かなくてはならないだろう。焼き物の里を巡るひとり旅もしたい。夫とイタリアに行きたいねと話してもいる。仕事以外にも出かけることが増えそうだ。
新しい鞄を抱え、考える。その鞄と行く場所について。その場所で出会う人々について。新しく訪れる時間について。

持ち手は革で、全体は布。中のポケットは、茶革です。
パッチワークと刺し子の中間的雰囲気が気に入ってます。


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飛べ! ヤマガラ

今まさに、珈琲を飲もうかというその時だった。
こつん、と音がして、窓に何かが当たった。野鳥だとすぐにわかる。わたしは夫とふたり外に出て、ぶつかった鳥が落ちていないか探した。
いた。ヤマガラだ。オレンジのエプロンが特徴的で、夫が庭に撒く向日葵の種を食べに、いつもやってくる可愛いやつ。
首を少し傾げている。首の骨が折れていたらアウトだ。ヤマガラは、ゆっくりと何度も瞬きを繰り返している。脳震とうを起こしているらしい。羽根は右翼が開いたまま。着地するどころではなかったようだ。
「瞬き、してるね」と、わたし。「うん。首、どうかな」と、夫。
するとヤマガラは、確かめるようにそっと首をまっすぐにした。
「折れてないね」「うん。よかった」
空はよく晴れていて風もなく、冬の日差しがやわらかい。
ヤマガラは、また確かめるようにそっと右翼を閉じた。
「……だいじょうぶだ。飛べ! ヤマガラ」
わたしは声をかけた。しかしヤマガラは動かない。わたし達は、リビングで珈琲(グァテマラの中煎り)が冷めていくことも忘れ、ヤマガラと一緒にいた。しばらくして、夫が言った。
「飛べないんじゃないの? こいつ」
その瞬間、ヤマガラは飛んだ。ふたりヤマガラを目で追いつつ歓声を上げる。
「今の聞いてたんじゃない?」「飛べるさ! って言ったみたいだったな」
ヤマガラは、くぬぎの木の枝にとまり、もう一度羽根を確かめるようにして何度か小さく広げ、それから空に飛んで行った。
「あれじゃ、ぶつかってもしょうがないな」
夫が一緒に立っている庭の一段下がった場所から、リビングの窓を見上げた。見上げると、窓には隣の林が映っている。林の木々の間には空が広がっている。ヤマガラは、そこへ飛んで行こうとしたのだ。
「鳥避けのフクロウシール、窓に貼るか」「うん。必要だね」
わたし達は、やれやれとリビングに戻り、珈琲を飲んだ。
珈琲もう熱くはなかったが、ヤマガラの小さな命に触れた時間のおかげで、冬の日差しのようにホットでマイルドでとても美味しく感じた。

近づいて見ると、意外とぽてっとしていました。
いつも見ている颯爽と飛び回るヤマガラとは、ふんいきが違っています。

夫が撮ったカメラ目線のヤマガラ。So cute!

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春の匂い

レモンバームの苗が届いた。東京で農業を営むご主人と暮らす友人からだ。
「レモンバームは悲しみを追い出すハーブ」だというわたしのブログを読み、新芽を庭の落ち葉の下から探しだし送ってくれたのだ。
昨日も雪が舞った凍ったうちの庭には、まだ植えられないが嬉しく受け取った。しばらくは鉢に植え、少し暖かくなったら庭に植え替えて、ハーブティーが飲めるくらいに育つまで楽しみに育てようと思う。
レモンバームの葉は、指でこすると強く香った。厳しい冬の中、芽を出したばかりだからだろうか。檸檬の匂いと、ハーブならではの匂い、土の匂いも混じってるかな。それから、春の匂い。
もう少し暖かくなったら、うちの庭にもすぐに馴染みそうだ。そう。もう少し。春までもう少しだけ。

新聞紙に包んで、紙袋にそっと入れてありました。
この重たい荷物は何だろうと、不思議に思い開けてびっくり。
玉手箱から、レモンバームが葉を伸ばす季節が待ち遠しいです。

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夜明けの影絵

冬の夜明け、葉を落とした木々は影絵のようで美しい。
毎朝、見とれつつフィットにエンジンをかけ、娘を駅まで送る。その途中で朝日が顔を出す。毎日の繰り返しの中にも、キラリと光るものに出会うことがある。たとえ一瞬だけでもハッとさせられたり、嬉しくなったり、幸せ感じたり。毎朝見る木々の影絵も、見るたびにハッとさせられる。見るたびに胸の中に澄んだ風が吹いていく。

たとえば朝食の目玉焼き一つ取ってもそうだ。白身は柔らかく固まっていて黄身はとろり。満足のいく出来栄えだとちょっと嬉しくなる。
たとえば、運転中。道を譲った際、相手の女性が、にこやかに頭を下げてくれた時にも。たとえば、本屋で。シックで素敵な装丁の本に出会った時にも。たとえば、パソコンを開いて。久しく会っていなかった友人から元気そうなメールが届いた時にも。たとえば、風呂上りに。セーターの前と後ろを間違えないで着られた時にも。(何故かよく間違える)たとえば、夕食で。娘が「肉じゃがってほんとに美味しいね!」とおかわりした時にも。そして毎日変わらず、よく冷えたビールを飲む時にも。

何でもない毎日の中にも、小さな喜びは散りばめられている。見過ごしがちな小さな小さな出来事を一つ一つ心に留めて暮らしていけたら、何も特別なことなどしなくても、けっこうハッピーに暮らしていけるんじゃないかな。
夜明けの影絵に一日が始まる瞬間、わたしは少しずつ冬が好きになっていくのを感じつつ、凍った空気と共にその風景を日々胸に刻む。

写真を撮っているうちに、空はどんどん明るくなりました。
ヒヨドリが一羽、飛び立って行きました。

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音楽のある暮らし

夫は、音楽が流れる空間が好きだ。
仕事をする時にも、本を読むときにも、酒を飲むときにも、昼寝をする時でさえ、ステレオからは、いつも音楽が流れている。最近はスマートフォン用のスピーカーを買ったので、気分に合ったメロディを流しながら風呂に入ることもできる。もちろんドライブにCDは必須アイテムだ。
ジャンルは様々。エリック・クラプトンのギターが大好きで、来日するたびにふたりで聴きに行くが、リビングでは落ち着いたジャズピアノを聴くことが多い。中学でハマったというビートルズのLPレコードは宝物だ。それなども気が向いた時にレコードプレイヤーでかけている。
 
それはいいのだが、ずっと腑に落ちないことがあった。彼はけっこう節約節電に厳しくコードを抜いたりスイッチを切ったりとマメにするのだが、ことステレオに関しては、その節電意識が顕著に薄れるのだ。
思い切って聞いてみた。散歩に出るのにステレオを消そうとしない彼に、スイッチを切っていいかと。
「帰って来た時に、音楽が流れてるのが好きなんだ」
それが彼の答えだった。
なるほど、と腑に落ちた。彼は音楽を聴くことが好きというより、音楽のある暮らしを楽しんでいるのだと。夫が散歩から戻るまで、彼の流したメロディを楽しみつつ、ひとりのんびりと洗濯物をたたんだ。

リビングのステレオコーナー。
夫念願のレコードプレイヤーも、1年半前に購入しました。
デッキに出る窓の脇にある背の高いスピーカーの上には、
よく見ると野鳥のための向日葵の種が置いてあります。

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義母からの手紙

義母から手紙が届いた。
まだ2週間ほど早いが、わたしの誕生日にと贈ってくれたものだ。嬉しい。
いつもこうして日にちが過ぎる前に、早め早めに手紙を贈ってくれる義母。素直に、すごいなぁ、真似できないなぁと思う。
これがほんとに、なかなかできないのだ。東京でひとり暮らす息子の誕生日だって、前日に慌ただしくプレゼントを買いに行き、直接そこから送った。日は前々からわかっている。なのに、ぎりぎりになって慌てる。あるいは、日にちが過ぎてしまってから慌てる。
「歳を取ると一日一日が、猛スピードで過ぎて行くなぁ」
などと義母には、言い訳にも聞こえぬだろう。

その手紙には、昔、恩師にいただいたという言葉が二つ、プレゼントのように並べられていた。
「疲れたら休みましょう」「足踏みも前進の一つですよ」
のんびり歩き過ぎているのかなと、折に触れ考えていただけに、ホッとした。お腹を空かせて凍った夜道を歩き、辿り着いた家で、思いがけず熱いスープを出してもらったように、心も身体もホッとして温まった。
「こういう手紙がかける人になりたいな」
人が好きで、楽しむことが好きで、ビールが大好きな義母は、憧れの女性だ。

薄いピンクと薄紫の便せんに綴ってありました。
折々区切りの時にと、プレゼントしてもらったアクセサリー達と。

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忘れていた気持ち

2か月ぶりに会った南アルプスの彼は、立派なパパになっていた。贔屓にしているマッサージ師くんに、痛めた右肩をほぐしてもらいに行ったのだ。
「明けましておめでとうございます」と彼。
「あ、そう言えば、赤ちゃん生まれたんだよね?」とわたし。
「あ、はい。ぶじパパになりました」
「おめでとう!」「ありがとうございます」
などと新年の挨拶だか何だかわからない会話を交わした。
マッサージをしてもらいつつ、彼の話を聞く。どのミルクがいいだの、赤ちゃんを入れる際の風呂場の温度のことで夫婦もめているだのを楽しそうに語る彼は、本当に2か月前とは、もう別人。すっかり立派なパパになっていた。
「外に出ても、子どもを見る目が変わりましたね。小さな子を見ると、にやにや笑っている自分に気づいてハッとしたり。まるで怪しいおじさんです」
「それは、怪しいかもねー」
笑いながら聞くほのぼのした話に、からだと一緒に心もほぐれていく。しかし次に続いた言葉には、感じ入るものがあった。
「ニュースを見ても、いじめだとか、子どもを取り巻く環境が、心配でたまらなくなりました」
ああ彼は、本当にお父さんになったんだなと思った。親になってみて、子どもがどんなに可愛いものか、愛おしいものか、そしてどんなに心配なものか、自分の視点でちゃんと見て、ちゃんと感じている。生まれたばかりの赤ちゃんの成長は目を見張るものがあるだろうが、同時にパパとママになったふたりも、急成長を遂げているのだ。
自分もこうだったのだろうか。親になったという実感が、確かに感じたものがあったのだろうか。まるで覚えていない。なにしろずいぶんと昔の話だ。とうに忘れてしまった気持ちだった。どれだけ記憶の糸を手繰り寄せても、どうにも思い出せないまま家に帰り、ベビードレスを出してみた。初めての赤ん坊が生まれてくるのを楽しみに25歳のわたしが編んだものだ。いまだ真っ白なベビードレスは手に取ると柔らかく、一つ一つの編み目には、いつか何処かで忘れてしまったものが確かに編みこまれていた。

編み物。ハマった時期が、あったなぁ。
手は付けるんだけど長続きしない性格のみ、長続きしてます。
おしゃれなかぎ針編みの本も今は出てるし、図書館で探してみようかな。

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窓の外は雪

窓の外では雪が降っている。未明から降り始めた雪は30cm積もり、午後になっても降りやまなかった。雪国ではない山梨には、除雪車の設備された町は少なく家の前の道も除雪されることはない。
「綺麗だねー。雪は窓から眺めるのが一番だね」とわたし。
「温かい部屋の中から、眺めて楽しむのが最高だね」と夫。
薪ストーブの温度は200℃まで上がり、リビングはとても温かだ。冷蔵庫には肉も野菜もあるし、パンもワインもある。雪が降ったら雪見酒だ。
夫はパンを切り、イタリアワインを開けた。
映画『アメリカン・グラフティ』をBGM代わりに流し、わたしはチキンを焼きトマトを切る。
美しく真っ白に染まる凍った外界と、別離した温かな室内。それを満喫するのは、我ら人間なのだ。
 
しかしああ、現実は甘くない。実際には夫に借りた四駆のハンドルを取られながら、雪道をたどたどしく走り、娘の送り迎えに必死だった。雪よ、もう降らないでくれ、頼むから。

朝起きてすぐ、北側の窓から撮りました。
その後、さらに積り枝の上で雪だるまが作れそうなくらいに積りました。
今朝は凍ってます。がんばります。
郵便屋さん、宅配便屋さん、雪のなかご苦労様。ありがとうございます。

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赤松の梁を見上げて

27年目に入った。結婚して27回目の記念日を迎えたのだ。
そのうちの13年近くはここで暮らしている訳だから、わたし達の暮らしてきた年数の半分近く、今の暮らしをしてきたことになる。ついこの間、越して来たばかりのような気もするが、時間は止まることなく流れ続けているのだ。
「不思議だ」
リビングの炬燵で、日課となった昼寝をしながら、うとうとと考えた。
隣では夫が高校サッカーの準決勝を観ながら「よしっ!」とか「おっしいなぁ」とか、声を上げている。
目を開けると、吹き抜けの2階の天井と梁が見えた。梁はこの土地に生えていた赤松だ。家を建てる1年前に切り倒し寝かせておいて、地元の大工さんに頼み、大黒柱や梁に使ってもらった。天井を見ながら、家を建てたばかりの頃を思い出した。赤松は1年で乾ききらず、柱や梁になってからも乾燥するたびにひびを入れたりねじれたりして、パキーン、パキーンとよく音を立てた。その音は何か切なく胸に響いたっけ。
隣の林では空に向かって伸びている赤松が、八ヶ岳から吹き降ろしてくる北風に揺れ、キー、キーと鳴いている。その音を家の中の赤松達は、何を思い聞いているのだろうか。今はもう柱も梁も鳴くことはない。時間はやはり、止まることなく音もなく流れ続けているのだ。

布を飾っている梁と、それにクロスしている梁が赤松です。
1階の天井は厚い赤松の一枚板で2階の娘達の部屋の床になっています。
吹き抜けの上には2つサーキュレーターを付けました。
2階に上がった暖気をリビングに下ろすためにものです。

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小さな芽吹き

新しいチュニックを買った。
アジアン雑貨屋で目についた時には、もう欲しくなっていた。今持っているあれとこれと合わせて着て、義母にもらったグリーンのストールを巻いてと、アレンジまで考えてしばし眺め、色違いのものを見て、値札を見て、手触りを確認し、試着した。
新しい服を買うとわくわくする。高価なものなんかじゃなくていい。気に入ったものを手に入れるのは、とても贅沢で、最高に素敵なことだ。
なかでもチュニックは大好きなアイテムの一つ。ジーンズに合うし、またジーンズのように年齢関係なく着られる。その上腰回りが温かい。年齢不詳を目指す人にはオススメ普段着&お出掛けOKアレンジし放題の優れものだ。
いつ何処に着ていこうかな。庭の雪柳の硬く小さな蕾のように、胸の中に小さな春が芽吹いた。わくわくする気持ちは、春を感じる瞬間と似ている。木々達の小さなわくわくが集まって春は、きっとやって来るのだ。

チュニックは、古代ローマで着られていた服だそうです。
ギリシャ語「トゥニカ」が語源。ローマ、行きたいなぁ。

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うっかり屋だからこその工夫

新年早々、うっかりパワー全開だ。
初詣に行った際、家族のお守りは買ったのに、自分のお守りは交通安全のものしか買わず、すっかり忘れていた。ふたつ返納したのに、家族の分を買い安心してしまったのだ。
所用で甲府まで出たので、せっかくだからと武田神社にお参りに行ってきた。正月には歩けないほどの人でにぎわうこの神社も、8日ともなると駐車場も空いていた。ゆっくりとお参りして、自分のためのお守りも並ぶことなく買えた。(お守りは買うと言わずに受けると言うんですね、ほんとは)
 
うっかりが多いのは、自分でよくわかっている。だから、出がけに火を消したか、鍵をかけたか、何度も確認する。そのために時間を前倒しして早めに出かける準備をする。会社の仕事で数字を入力する時も然り、家事も然り。料理で塩と砂糖を間違えないために、砂糖はブラウンのものを使っている。うっかり屋だからこそ、うっかり屋なりの工夫があるのだ。それでも工夫の甲斐なく、買い物に行き同じものを1週間忘れ続けたりもする。そういう時にはもう、それだけを目指して買いに行く。
でも今回のうっかりは、ちょっと得した気分だ。青空の下、にぎわいを終えた武田神社に、ひとりのんびりお参りするのは、ことのほか気持ちがよかった。うっかりも、悪いことばかりじゃないかな。と思うのは、わたしだけか。
三が日は鳥居が見えないほどの人で埋め尽くされます。
鳩も喧噪の後でホッとしたように、日向ぼっこしていました。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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