はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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電池が切れたスケール

騙し騙し使っていた。
毎日、珈琲豆を量るスケールの電池が、失くなりかけていたのだ。
ボタン電池なので買ってこなくてはならず、外して買いにいっても、小さなものだし忘れてしまうことが容易に予想できる。そのうえ、電池自体が小さいのでしょうがないことだが、電池の種類である数字の文字が小さい。十年以上になる老眼を、また騙し騙しコンタクトレンズを変えずに使っているわたしには、読みとることさえもが簡単ではないのだ。

スケールには「8888」の文字がスタート時点で表示される。そのあとすぐに「Lo」と表示されるのは「電池が失くなりかけていますよ」という意味。
「面倒くさいなあ」
真意はまあ、ただそれだけのことなのだが、何故に「8888」は表示できて、重さを量れないのかという意義を込めて、ふたたび三たび「ON」ボタンを押す。すると「しょうがないなあ」といった感じで「0」の表示が出る。
「最後の力を振り絞って、量りますよ」
「そうだ。よしよし。がんばれ!」
そんな会話をスケールと交わす日々だった。が、その電池もついに力尽き、何も表示することができなくなった。

そういえば、キッチンタイマーも表示をあきらめ、ちかちかと力なき光を発している。スケールと同じく、あれば便利だがなくてもなんとかなるものの類だ。そうそう、リビングに飾った陶器の時計も、針を止めたままだった。
それもこれも、わたしのズボラさゆえに、放置されているのだ。
「ごめんねえ」
スケールとキッチンタイマー、陶器の時計。すべて電池を入れ替えた。
やってしまえば、なんともないことなのだが、面倒だなと放っておいていることのなんと多いことか。
新しい数字や時間が表示されると、やはり気持ちがいい。まるで、珈琲豆や時間や今吸い込んだ空気までもが新しくなったようにすっきりとしたのだった。

このときばかりは、脇役ではなく中心にいるスケールさんです。
「最後まで電池を使い切るのは、エコとも言えるよねえ」と、わたし。
「エコのためにやってるとは、到底思えませんでしたよ」と、スケールさん。

夫と飲む二人分の珈琲は、だいたい32gくらい。
スケールでわざわざ量っておいて、くらいって。と自分でもちょっと呆れる。
タニタのこのスケールも、年季が入って来たなあ。

美味しい珈琲が飲めるのも、スケールやドリッパーやヤカンたちのおかげ。
新入りのはりねずみの布巾に、そう話してやりました。

リビング西側の窓に置いた、陶器の時計。イタリアの海だそうです。
キッチンタイマーさんは、またの機会に。

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ウッドデッキのペンキ塗り

よく晴れた昨日の土曜日。ウッドデッキのペンキを塗り直した。
傷んだ場所を夫が張り替えてから、寒くなる前に塗らなくちゃと思いつつ、薪ストーブに火を入れる時期までずれ込んでしまったのだ。
しかし、これぞまさにペンキ塗り日和。暑くもなく寒くもなく、風も吹かず、翌日まできちんと晴れて、乾いてくれること請け合いという週末となった。

「考えて塗らないとね」と、夫。
ペンキ塗りは、目の前を見つめる作業。塗っているうちに全体が見えなくなり、自分の周りを塗り潰してしまって、閉じ込められる可能性がある。
「端から、塗っていこう。一応、すべての窓の鍵は開けておいたよ」
「まずは掃いてよ。竹箒でいいから」
「キノコもとるね」わたしの言葉に、夫が苦笑する。
「まったく、どうしてキノコが生えてるんだよ」
「子どもの頃住んでた家の木のお風呂に、キノコ生えてたなあ」
「それ、何回も聞いた」「えーっ、最近言ってないよ」
「じゃあ、たぶん、前にペンキ塗ったときだ」
「デッキにペンキ塗るたびに、思いだすのかなあ」
そんなふうにぽつりぽつりと話しながら、ふたりローラーでペンキを塗っていく。なんとか閉じこめられずに、塗り終わってから、夫が言った。
「我々は、たいへんな失敗をしてしまったかも知れない」
「えっ? なに?」「塗る前に、薪運ぶの忘れてた」
「あー! そうだった!」
薪ストーブに火を入れ始めて、一週間ほどになる。我が家のウッドデッキは西側にあり、いくつかある薪小屋も西にある。毎年のことで、ウッドデッキを上って薪を運ぶスタイルは、すっかり定着している。それなのに。
いつも歩いている場所が通行止めになるということの不便さに、あらためて気づかされたペンキ塗りだった。
薪はどうしたかって? ペンキ塗りに疲れてわたしが昼寝をしている間に、夫が遠回りになる玄関から運んでおいてくれました。感謝しております。

「おまえんとこじゃ、デッキでキノコ栽培してんのか」と夫の友人。
栽培はしていません! 勝手に生えてくるだけなんです!

使用前? 塗る前、の風景です。

使用後? 塗ったあとです。すごく綺麗になったんだけど、
写真には、なかなかそれが写りませんでした・・・。

いつもウッドデッキに野菜を置いていってくれる農家さんのために、
はり紙をしました。いや。すぐに忘れそうなわたしのために、かな?

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笠雲をかぶった富士山

朝7時過ぎ。夫を韮崎駅へと送る車中、少し霞んだ富士山が見えた。
笠をかぶっている。深まる秋の冷たい朝の空気に似合う、くすんだ空色の富士山のてっぺんに、そこから風に流され横に外れていったのだろう。三角が広がっていく途中、というような形の雲が見えた。
「綺麗だねえ」運転する夫と共に、眺める。
韮崎駅までは、富士山に向かって走るので、ゆっくりと眺められるのだ。
いつでも見られる場所に住んでいても、富士山が見えるといいことがあったような気分になるのは何故だろう。

帰宅して、空の図鑑とも言える『空の名前』光琳社出版を開いた。
山頂にかかる三角の山形の雲は「笠雲」
それが流れていくと「つるし雲」とも呼ばれるらしい。
そこで、ふと目を留めたのは「風の伯爵夫人」という名だった。
イタリアのシシリー島の人々は、エトナ山の山頂付近にできる笠雲やつるし雲を「風の伯爵夫人」と呼んでいます、とある。
江戸の頃、入道雲を「坂東太郎」と呼んだそうだが、お国が変わっても人に例えた名がつけられていたとは。

山にかかる笠雲やつるし雲は、強風を告げる。
『空の名前』には、そうかかれていた。昨日も例外ではなく、強い木枯らしが吹き、木々の葉をずいぶんと散らしていった。
イタリアでは「伯爵夫人」と言えば、風を吹き荒らし通り過ぎるような女性が多かったのだろうかと、揺れる林の木々を眺め、想像を膨らませたのだった。

東山魁夷の絵のような稜線。ファンタジックな雰囲気でした。
右上の足跡のような雲が、イメージを広げていきます。

韮崎駅方面へ向かう農道。稲刈りもすっかり終わりましたねえ。
帰り道、ちらりと見ると、雲はすっかり散らばっていました。

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柿の葉色のとんぼ

洗濯物を干していて、ウッドデッキにとまっていたとんぼに目を留めた。
季節柄よく見かけるようになった、赤とんぼとはまた違う面持ちだ。緑というかブルーというか、寒色系の眼をしている。しかし、同じ寒色であるシオカラトンボのすっきりスマートな水色とも違うやわらかな雰囲気を感じ、じっと見つめた。調べるとダビドサナエというらしい。

その色を見ていて、行きつけの美容室『ETT』での話を思い出した。
簡単にパーソナル・カラー診断をしてもらったのだ。わたしはフォーシーズン・カラーで言うと、オータム。イエローが肌のベースになっている、秋らしい落ち着いた色合いの服装が似合うタイプだとか。
それぞれの季節に合う色が図鑑のように載っているカラーの綺麗な本を見せてもらい、ふむふむとページをめくると、意外に思ったことがあった。
「オータムでも、一概に暖色系が似合うって訳じゃないんだねえ」
「そうなんです。ブルーや紫のなかにも、黄みがかった肌のオータムやスプリングの人にも合う色があるんですよ」
「そういえば、ターコイズは好きで、よく着るなあ」
「ターコイズ、オータムの肌の人には似合う色なんですよねえ」

緑がかったブルーの眼をしたダビドサナエは、道々見かける柿の木の様子と、色合いがとても似ているように思えた。紅葉し始め緑がくすんだ葉と日々色づいていく橙色の柿の実。ブルーなのにやわらかな感じがしたのはそのせいか。
「見慣れないとんぼがいるよ」
夫を呼んで、ウッドデッキに戻ると、もう飛び立ったあとだった。

ウッドデッキで休んでいた、ダビドサナエ。
早苗の頃、春に飛び始めるとんぼだそうですが、秋の色を感じました。

通り道にある柿の木です。たわわに実っています。
まさに、オータムカラ―ですね。

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ノーベル賞の余波

最近、家は、韮崎と近いのかと聞かれることが増えた。韮崎市出身の大村智さんがノーベル賞を受賞した、その小さな小さな余波である。
「韮崎駅までは、車で20分くらいかな」
話の流れで、最寄り駅なのかとまた、聞かれる。
「最寄りは、無人駅の穴山。そこまでは、車で13、4分かな? 歩くと、うーん、1時間ちょっと? いや、1時間半くらい?」
歩いたことがないので、話は曖昧になっていく。
「ハイジの村? 近いよ。車で2分くらい。歩いて行ける距離だね」
町内のテーマパーク『ハイジの村』に行くことはまずないが、前の道はよく通るし、明野でも標高の高いその付近は、富士山、南アルプスの山々、八ヶ岳が三方に見渡せるパノラマスポットでもあり、友人が来た時などには、遠まわりして山を眺める場所でもある。

そんなふうに話す機会が増え「歩ける距離」「歩けない距離」と、口にすることも自然と増えた。そのたび、違和感を覚える。
「歩けない距離」と言っても、1時間や2時間、本当に歩けない訳ではない。
息子は中学時代よく、バス代往復千円で本を買うために、韮崎駅までの往復4時間を歩いていた。しかし、それは歩ける距離であるとは言い難い。
だがしかし、とも思うのだ。海の向こうまでは歩いて行くことはできないが、地面がつながっていれば、何処までも歩いては行けるのではないだろうかと。

そんな流れで、行ったことのない遠く知らない数々の土地を、思い浮かべるようになった。歩いて行けるかもしれない、こことつながっている場所に思いを馳せるのは、思いのほか楽しいことだ。
「韮崎の隣町に住んでいるだけのわたしにも、小さな波が打ち寄せたんだな」
そう思わずにはいられない。同じ時代に生きている人と人とは、歩いて行ける場所のように、つながっているのだ。たぶん。
ノーベル賞の余波による影響は、多種多様。きっと数えきれないところで、様々小さな変化が巻き起こっているんだろうな。

肉眼で見た感じにもっとも近い明野から眺めた八ヶ岳の写真です。
毎日のように眺めていると、近いような気がしますが、
歩いて行くことも、登ることも、たぶんないんだろうな。
大村智さんも、韮崎から八ヶ岳を眺めたんでしょね、きっと。

コンパクトデジカメですが、望遠で撮るとこんな感じになります。
権現岳は、形がかっこよくて大好きな山です。

八ヶ岳の中では一番高い山、赤岳。2899mあります。

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娘の靴下

今月から共に暮らし始めた上の娘25歳は、よく左右違う靴下を履いている。
「靴下、違ってるよ」
うっかり屋の彼女のこと。間違えたのだと思い指摘した。
「あ、これ? わざとだよ。お洒落でしょ?」
そう笑いつつも「片方失くしたんだー」とつけ加える。
洗濯していると否が応でも判るのだが、片方になった靴下は、そのワンセットだけではない。黒とピンクを合わせたり、シンプルチェックとにぎやかな柄を合わせたり、彼女なりのこだわりはあるらしい。

靴下くらい、買えばいいのに。そう思いながら、しかし、言うことはしない。
彼女はお金がない訳ではなく、お金を使いたいものを選んでいるだけなのだ。
自分のやりたいことのためには、靴下が左右違っていることくらい、些細なことだと考えている。それを知っていて、言えることは何もない。
洗濯物をたたみながら、考えた。
彼女の靴下達は、とても幸せな生涯を送っているのではないか、と。相方に穴が空いたり、行方不明になったりとの不幸な出来事が起きたその後も、新しいパートナーと出会い「黒くん」「ピンクちゃん」などと呼びあいながら、歩き続けている。娘の足をサポートするという仕事を、こなし続けているのだ。

左右違う靴下を履いてまで、やりたいと思えることが、わたしにはあるだろうか。かつて、風呂のないアパートでひとり暮らしをしていた頃は、食べるものがなくなるとよく、小麦粉を薄く溶いてフライパンで焼いて食べたっけ。そう。彼女と同じような頃が自分にもあったのだと思い出すが、そういう季節は通り過ぎたのだと思わざるを得ない。今はただ、新しいパートナーと暮らす靴下達を応援している。無論、娘もだが。

これは、わたしの靴下達です。こんなふうに組み合わせたら楽しいかな?
えっ? 冒険がない? いやいや、これでも履いて出かける勇気は・・・。

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キーと鍵の違い

週末、夫婦それぞれ、所用で出かけることとなった。
夫は、彼の実家がある神戸に。わたしは、末娘がいる埼玉に。
駅までは一緒に車で行き、韮崎に借りてある駐車場に車を停め、逆方向の電車に乗る。その道すがらの会話である。
「きみは、あれで帰るんだよね。鍵は持った?」
会話のなかに「あれ」や「これ」が増えたのは、五十代になってからだったか。わたしは「あれ」を聞き流し、答えた。
「鍵持ってるよ。わたしが閉めたじゃない」
「えっ? 俺も閉めちゃったよ。2回閉めたら開いちゃうじゃん」
そこでハタと、会話の食い違いに気づいた。
「ああ、車のキーのこと? 家の鍵のことかと思った」
夫が「あれ」と言ったのは、2台ある車のうちのさっきまで夫が運転していた赤い車の方だったのだ。だから、先に帰るわたしが、キーを持っているのかどうか確認したのだった。

わたしのなかでは、家は鍵、車はキーと使い分けている。
だが当たり前のことだが、長く一緒に暮らしていても、言葉の使い方はそれぞれだ。夫は両方とも鍵と言ったり、車はたまにキーと言ったりする。昔は気づかなかったそんな言葉の違いも「あれ」や「これ」が増えてきたことで、表面化するようになったのかも知れない。

似た者夫婦という言葉がある。もともと趣味や性格が似ている夫婦のことを言うそうだが、ずっと一緒に暮らしていると、価値観や考え方は似てくる方が自然だとも思える。そういう意味では、わたし達も似た者夫婦だと言えるだろう。だがいくら似た者夫婦でも、言葉の選び方など小さなこと一つ一つをとって考えてみれば、それぞれに違ったルールを持つ人と人だ。
そんなことを考えつつ、同じ駅のホームから逆方向の電車に乗り、それぞれの目的地へと向かったのだった。

夫が2年前から乗っている、マツダのディーゼル車です。

駐車場には、毎年この時期、ピンクの千日紅が咲きます。
砂利のなかに、根がはっているのでしょうか。

その、お隣りの韮崎市は、ノーベル賞で大盛り上がり。韮崎駅前です。
大村智さん、ノーベル医学・生理学賞受賞おめでとうございます!

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自分のなかの先入観に気づいて

「それ、日本にはないような柄だねえ。さすが、カナダ帰り」
上の娘のシャツを褒めると、彼女は笑って言った。
「これ、カナダに行く前に、東京のお婆ちゃんに貰ったんだよ」
「うそ。じゃ、あそこで買ったやつ?」
「とげぬき地蔵のこと?」
大笑いである。
東京のお婆ちゃんというのは、わたしの母のこと。母は、お婆ちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨のとげぬき地蔵が好きで、よく行くのだ。娘が貰ったというシャツも、そこで買ったものだということは容易に想像がついた。外国で作られたモノなどではなかったのだ。

考えるに、いや、考えずとも判ることだが、カナダから帰ったばかりの彼女が着ていたから、そう見えたのだろう。気がつかないうちに、先入観で見ていたのだ。日頃から、先入観などに支配されずに物事を見渡せる眼を持ちたいと思っているというのに、普段の何気ないところに落とし穴はあるものだ。

夜、寒くなってきたと思っていると、娘がフリースを着てきた。今度こそ、間違いないだろうと思い、声をかけた。
「それは、さすがにカナダでしょう。うん。カナダっぽい」
しかし、娘は苦笑して言った。
「これも、カナダに行く前に、神戸のお婆ちゃんに貰ったんだよ」
外国と日本の違いが判ると思うこと自体が、おごりなのだと知ったのだった。

このさくらんぼ柄が、とげ抜き地蔵産(?)のシャツです。
これで、母がカナダから取り寄せたシャツだったりしたらすごいな。

こちらが、義母に貰ったというフリースです。

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ウッドデッキの補修に思う

週末、夫がウッドデッキの補修をした。
今年の夏も客人を招き、何度かウッドデッキでバーベキューをしたが、その際、とうとう板を踏み抜いてしまったのだ。踏み抜いたのが夫本人だったので笑い話で済んだが、まじめに何とかしなくてはならないということになった。ここ何年か、何枚も板を張り替えてはいたが、踏み抜いてしまうまでそのままにしておくことはなかった。様々なことが重なり手をつけられず、夫はずっと気にしていたようだ。

ようやく木材を入手したのが先週。15年前に、建てた家の余りの木材を使ったこともあり、ホームセンターなどで売っているものではサイズが合わず、手配にも時間がかかってしまった。この週末で、かたをつけるぞと、夫は強い意志で臨んだようだ。日曜大工という言葉に漂うのんびりとしたものはそこにはなく、あるのは、家の修理と言った方がぴったりくる切実さだ。

家を建てて15年。補修が必要なのはウッドデッキだけではない。特に外板は、雨風にさらされ陽に当たる。ウッドデッキと同じくメンテナンスが重要になってくる。この機会にと、木材をお願いした大工さんに家を見てもらった。夫と同じく50代半ばのその大工さんが言った言葉が、印象的だった。
「家は、あとどのくらい暮らすか、生きるかって考えながら補修していく」
ものなのだそうだ。歳をとってから、大がかりな補修をしなくてはならなくなっても、経済的に無理が出てしまうことも多く、その辺りのバランスを考えながら見通しを立てていくべき、だということだ。
「あとどのくらい生きるのか、見通しを立てる歳になったってことかな」
先のことは、判らないことだらけだ。だが、気持ちよく暮らしていけるように考えていかなくてはならない時期に入ったのかも知れないと、夫が張ったウッドデッキの真新しい板を見て思ったのだった。

まずはサンダーをかけて、表面をなめらかにして。

ペンキは2度塗り。根気のいる作業ですね。頭が下がります。
「ペンキ塗り、手伝うよ」という申し出は、丁重にお断りされました。
以前わたしがペンキを塗って、体調を崩し寝込んだ前科を覚えてるのかも。

まるでピアノの鍵盤のように、色の違いがくっきり。
100本以上ある板のうちの15本が、新しくなりました。

隣りの林には、コゲラが来てクヌギの木をコツコツやっていました。
日曜大工? いえいえ。彼らはこれが本業なんですよね。

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ケータイのない時代には戻れない

上の娘が、帰ってきた。
ヨーロッパを何か国か周り、カナダでワーキングホリデーをして、1年3カ月ぶりの帰国である。
帰路、家に帰るまでの間、WiFiが使えるところでは連絡がとれたが、WiFiが使えない場所では連絡がとれない。日本では使えないケータイらしい。
「昔は、待ち合わせしてすれ違ったりって、よくあることだったよね」
迎えに行く道すがら、ケータイがなかった頃の話を、夫とした。
到着は真夜中の0時半。JR竜王駅前の高速バスの停留所だ。もちろん、その付近でWiFiが使える場所はない。
「そうそう。よく待たされたよなあ」「それ、逆でしょ!」
などと、笑いながら話す。しかし、今回はバスの停留所で待つわけだから、すれ違いはないだろうと心配もしていない。ただ、高速バスは高速の混みぐあいで時間が読めないから、早めに行って待っているとだけ伝えておいた。
案の定、バス停には人の気配はなく、静まり返っていた。待つのみである。

30分待ち、バス到着の定刻となる。だがバスどころか、迎えの人も誰も来ない。心配しつつも、渋滞がひどかったのかとも考える。
「早く迎えに来過ぎたね」「だと思ったんだよ」
夫は助手席で、本を読んでいる。わたしも雑誌を持ってきたが、集中できない。さらにしばらく待った後、気晴らしに散歩することにした。
「ちょっと、行ってくる」と夫に声をかけ、車のドアを開けた途端、20メートルほど先に誰かの姿が見えた。のんびりとした感じで歩くその姿は遠目に見ても我が娘。のちに「幻かと思った」と夫に言わせたその姿は、まぎれもなく本物だった。のんびりモードだったのは、疲れと重すぎた荷物のせいらしい。
「バスは?」「一時間も早く着いちゃって、駅で待ってた」
「ずっと駅にいたの?」「駅に来るかと思ったんだもん」
「どうしてバスで帰ってくるのに、駅に行くんだよ?」
双方ともが、すぐ近くで待っていたとは、大笑いである。
「やっぱり、ケータイは必要だね」と、娘。
「まあいいさ。1時間後でも会えたんだから」と、わたし。
「じゃあ、1か月くらいケータイなしでも、いいかな?」と、娘。
「それは、やめてください」と、夫。
すれ違いをしつつ待ち合わせした時代をなつかしく思いながら、そのなつかしい時代に後戻りすることはできないのだと、あらためて感じる出来事だった。
さて。これから、娘との生活が始まる。

JR竜王駅近くの高速バスのバス停です。新しく作り直したばかりの
大型駐車場があります。トイレには、ウォシュレットもついていました。

スーパームーンからは何日か経ち、すっかり欠けていたお月さま。
それでも、娘が待つ夜の街を、明るく照らしてくれていました。

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何か、素敵?

コンパクトデジカメを、常に携帯している。
あ、と思ったときには、すぐに写真に収めたい。たとえば、散歩道で知らない花を見つけたとき。八ヶ岳がいつになく、くっきりと見えたとき。変わった形の雲を見たときなどだ。あまり会いたくはないが、蛇と出会ったとき、とっさに写真を撮ったこともある。

そんなふうにして、昨日、買い物帰りのスーパーの駐車場で、空の写真を撮っていた。うろこ雲と呼ぶべきか、ひつじ雲と呼ぶべきか迷うような秋の雲が空いっぱいに広がっていたのだ。空を見て歩いていたら、深呼吸をしたような気持ちよさに、買い物かごを乗せたカートをとめて、カメラを構えた。すると、声をかけられた。
「何か、素敵?」
同じように買い物を終えた、知らない女性だ。たぶん年上の。
「雲が、綺麗で。形がおもしろくて」
答えると、彼女は、わたしと並んで空を見上げた。
「ほんとうだ。あのでこぼこなんか、おもしろいわね」
「ですよね」
ふたり、笑顔になる。
会釈をして別れ、それぞれカートを押し、車に向かった。ただそれだけのことだったが、同じものを見て笑顔になって。ただそれだけで、ずいぶんと気分がいいものだなあと思った。
わたしは、ああいうふうに気軽に声をかけることはできない。気負いなく、そういうことができる人に、ただ憧れるのみだ。

声をかけられた時に撮った写真です。南西の空。

明野に着いた頃、雲達は、こんな感じに流れて広がって。

八ヶ岳のある北の空には雲はなく、青い空が広がっていました。

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付随するもの

このところ、夜中によく咳が出て目が覚める。
風邪という訳ではない。3年ほど前から気管支が敏感になり、咳とは共生している状態なのだ。
咳が出るのはしょうがないことだが、周囲に迷惑をかけるものだと意識はしている。公共の乗り物に乗る際や映画、芝居を観る時などは、すぐに咳がおさまるように水分と龍角散を用意しておく。愛用しているのは『龍角散ダイレクト』ミント味。1回分の顆粒が小袋に入っているもので、服用に水も不要だ。真夜中にも、隣りのベッドで眠る夫を起こさないように活用している。すぐに咳が止まるのは、気管支のぐあいも重症ではないのだろうとも思っている。

ただ、咳が出て水を飲み、龍角散を口に含んだ後、すぐに眠れるかと言えば、そうではない。昨夜も朝が白んでいくのを、薄ぼんやりと眺めていた。なかなか明るくならないので、ずいぶんと日の出が遅くなったものだと思いつつ、急に不安になる。このまま、朝が来なかったらどうしようかと。しかし、陽は昇った。秋は、思ったよりも急速に深まっているのだ。
朝方目覚めて、日の出の時刻、静かに変化してゆく明るさに秋を感じる。それはそう悪くもない感覚だ。咳が出るようになったきっかけは、何かのストレスだったような気もするが、そう悪くもない付随するものもそこにはあるのだなあと、明けていく朝に思ったのだった。
ベッドでは、いつもハリーとネリーが見守ってくれています。
ありがと、はりねずみの手袋達。もうすぐ、きみ達の季節になるね。

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笑顔を作る

朝、鏡の前に立ち、笑う。
作り笑いでも何でもいいから、朝そうやって鏡の前と向こう側で笑顔を見せ合うと、その日の体調がよくなるという話を聞いた。一日一日の体調がよくなれば、自然と健康な心と身体になっていく。笑うことが身体にいいとは聞いたことがあったが、作り笑いでも効果があるとは初めて聞いたことだ。

そんな健康法を実践し始めてから、生活のなかで小さな笑顔を探すようになった。たとえば、壁の木目が作る目と口のような形。3つの点があるところに顔を見出すのは、外敵から身を守るための防衛本能のなせる業らしいが、じっと見つめていると、あ、笑ってると思う瞬間があり、そう思った瞬間、また自分も笑顔になっていることに気づく。

子ども達も巣立ち、仕事も在宅勤務。夫が東京に出勤している間、丸一日誰とも会話しない日もある。それが淋しいということはない。どちらかと言えば気楽な生活だ。会いたいと思えばいつでも会える友人もいる。そして、上の娘が十日ほどで帰ってくる。しばらく一緒に暮らすことになるだろう。わたしのなかに会話も笑顔も増え、気楽は少し減るのだろう。そう考えると、これまで子ども達に、ずいぶんたくさんの笑顔を貰ってきたのだと気づいた。子ども達の笑顔もだが、わたし自身の笑顔も。

玄関にいるフクロウくん。瞳に微笑みをたたえています。

こちらも玄関にいる置物の沈思(ちんし)さん。
名は、陶芸作家の方がつけたものです。何を思っているのかな。

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秋いちばん散歩日和

ついこの間まで、アイス珈琲で喉を潤していたのに、熱い珈琲が恋しくなるような涼しい日が続いている。焙煎したての新鮮な豆を買い、久しぶりに珈琲をドリップしようと珈琲カップを出すと、焼き物特有のそのひんやりとした感触にもまた、驚く。季節は移っているのだ。

シルバーウィークと呼ばれるようになった連休初日は、青い空が気持ちよく、朝食前に散歩をしようと夫に誘われた。2年前に死んだ愛犬びっきーとよく散歩した長い方のコース40分ほどを歩く。ゆっくり歩いているのに、すぐに息が切れてきた。坂道が多いこともあるが、それだけではない。
「体力、落ちてるよね」と、夫。
「びっきーと歩いた頃と比べると、確実に落ちてるね」と、わたし。
「でも、散歩するにはいちばんいい季節だよね」「まさに、散歩日和」
青い空の下、のびのびとした山々を見るのも久しぶりで嬉しくなる。迫るように眼に入ってくる南アルプスだが、山頂は遠い。きっと、あそこまで行くことはないだろう。目を凝らして、遠い遠い山頂を見つめた。そしてふたたび歩き始め、今度は足もとのツユクサに目をやる。濃い青が眩しい。不意に、ここから見える山々にも、ツユクサは咲いているだろうかと考えた。すると、遠くに見える山々が急に近しいもののように思えてきた。不思議である。
そんな風に、遠く山々を見つめ、足もとの花々を見つめ、息が切れないくらいのスピードで、秋の散歩日和を楽しんだ。

八ヶ岳です。冷たい空気に、冬の顔をちらつかせています。

南アルプスは、鳳凰三山と甲斐駒ケ岳です。

田んぼの畔には、ツユクサ。秋の長雨で生き生きとしています。

昼顔の仲間、マルバルコウも、咲いていました。

吾亦紅が群生していました。とても好きな花の一つです。
でも写真に撮るのは、難しい・・・。

コスモス達も、秋風に揺られ気持ちよさそう。

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ちょっと時差ボケ

旅から帰って来てから、よく夢をみる。
それが、旅の空の下で目にした素敵な風景だったりしたら、旅の余韻を楽しめるかも知れないが、そうではない。いちばんよくみるのは、車関係の夢である。たとえば。

我が家の駐車場から夫の車にエンジンをかけ、出発しようとしていたら、RV車が突っこんできて追突された。エンジンをかけたが、まだアクセルは踏んでおらず、駐車場のなかに突っ込んできた向こうの非であることは明確だ。当然、修理と補償などの話をする。夫の車であるから、こちらも更に真剣になる。だがRV車から降りてきた若い男は、へらへらと笑っていた。
「ちょっと、ぶつけただけじゃないか」
唖然とするが、無視して話を進める。しかし、助手席から降りてきた年配の男性も、やはりへらへらと笑っている。
「まあまあ、かたいこと、言わないで」
かたいも、やわらかいもない。だが、怒りを抑えつつ交渉するわたしの前で、最後までふたりはへらへらと、まあまあまあ、などと言いつつ笑っていた。

「なんなんだよ、いったい」目覚めてなお、憮然とする。
憮然としながら、しかし冷静に分析する自分がいた。
旅の間みなかった車の夢をリアルにみるのは、毎日運転するという生活に、多少なりとも緊張を感じているからだろう。旅から帰って来て駐車場に停めた車を見た途端、頭をよぎったのは、十日も運転していなくて、バッテリーだいじょうぶかなってことだった訳だし。
そしてパリでは、フランス人との感覚の違いを目の当たりにした。夢のなかの住人達は、車をぶつけたくらい、へらへら笑いで済ますのが常識なのかも知れないと思い至る。そう考えるとこの夢は、普段の自分と、旅で受けたカルチャーショックの両方を、しっかり表現した佳作であるように思えてきた。
そんなこんなで、夢にうつつに、ちょっと時差ボケな日々。

旅を終え帰ってきたら、明野は、稲刈りシーズンに突入していました。
稲は、重たそうに頭を垂れています。息を吸い込むと、稲の匂い。

すでに稲刈りを終えた田んぼも、ちらほら見られます。

秋のトンボは、人なつっこいなあ。

田んぼの畔には、彼岸花が咲いていました。赤が眩しい。

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雨の日はよく眠れるpart2

雨の日はよく眠れるとかいたが、最近雨が降らずともよく眠れる。
夏の終わりの涼しさが、突然やって来たからか?
否。まあそれもあるかも知れないが、涼しくなってからもぱっちりと眼が冴えて眠れないことも多かった今日この頃。
「眠り方、忘れたー」と、ベッドでじたばたする日々だった。
突然眠れるようになったのは、久しぶりに指圧をしてもらってからだ。肩が凝っていたのは判っていたが、びりびりと痛みを感じるまで放っておいた。慢性的なものであるから、身体も慣れるだろうと他人事のように傍観し続け、悪化してしまったようだ。肩が痛くて眠れないという自覚は全くなかったのだが、指圧を受けたその日からぐっすり眠れるようになったのだ。
自分の身体は自分がいちばんよく知っている、などというのは過信である。
自覚のない症状だらけで、感じるのは「疲れたなあ」というだけ、ということも多々あるのだ。

それ以後、慢性的だからと言い訳し、肩凝りを放置するのをやめた。湯船でゆっくりマッサージしたり、頻繁に肩を回したりしている。
だけどそのうち、また忘れちゃうんだろうな。と、マッサージや体操どころか肩が凝っていることさえ忘れてしまう自分を、俯瞰もしている。いや、それどころか、今日眠れなかったということすら昼には忘れてしまう自分を。

雨に濡れながらも、ゆっくりと花開いていくムクゲです。

オキナワスズメウリは、雨がうれしそう。のびのび伸びていきます。

イチイの垣根には、今年も赤に近いピンク色の実が生っています。

けろじは、薪小屋で雨宿りしていました。何を見つめているの?

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運転しない日をつくる

最近、車を運転しない日を作っている。
末娘の送り迎えをしていた頃には、朝夕必ず乗らなくてはならなかったが、今では夫の送迎と、買い物その他だ。車じゃないと何処にも行けない場所に住んでいる訳だが、送迎がない日に買い物その他の用事ででかけることをやめるだけのこと。あれ買い忘れたとか、今すぐ図書館で調べたいものがある、などという時にも我慢する。環境のためにわたしができる、ほんの小さなことだ。

「今日は乗らない」と決めた日には、運転するときには必ずつけるコンタクトもお休みしている。眼鏡は度が弱めに作ってあるので、運転するには不安だが、十年以上前から老眼が入り、請求書を何枚も確認したり、読書したりする時には、眼鏡の方が楽なのだ。ワンデイの使い捨てコンタクトだということもあり、運転する日には一日じゅう外せない。それが眼球運動になり老眼が進まないという利点もあるが、わずかずつだが読みにくさは増している。目にも休みの日を作るのもいいかも知れないとも思い始めたのだ。

丸一日、運転をしない日を作り、感じたのは、老眼の進みぐあいだけではない。じつはちょっとそこまでドライブが、けっこうストレス解消になっていたらしいと判った。運転したいなあと、不意に思うことがあるのだ。
人のチカラでは絶対出せないスピードで移動している時間が、好きなのかも知れないと分析してみる。自分はじっとしているのが好きなのだと思っていたが、そんなところで静と動のバランスを取っていたとは。だからと言ってエンジンをかけてはいけないと、もちろん我慢している訳だが。

愛車、黒のフィットに映った夏の空。走行距離が減ったこともあるけど、
ハイブリッドに変えてから、ガソリンを入れる回数がかなり減りました。

眼鏡は二つ持っています。何年も前につくったものなので、度も弱め。
先日細い方のつるの部分が外れ、修理してもらいました。200円でした。

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ポケットをお忘れなく

新しい鞄を買った。ペットボトルが入るものが欲しかったのだ。
二つ隣りの市にあるショッピングモールで探した。気に入ったものは「あんよが始まったらマミールーミニ」という札がついていた。ペットボトルの他、哺乳瓶なども入れて使えるらしい。
「いや、赤ん坊はいないんだけど」
一瞬迷ったが、使いやすさを求めて作ってあり、軽くてコンパクト。しっかりした作りで、しかもリーズナブルな値段だった。何も迷うことはないのだ。
レジに持っていく時だけ「わたし、お婆ちゃんになった訳ではなくて」とか「最近太ったけど、妊娠してる訳でもなくて」と言い訳したい気持ちに駆られたが、もちろん何も言わなかった。

さて。赤ちゃん連れのママが使うために、ペットボトルコーナーの他にも、やたらとポケットがついている。最初にいいなと思ったのが、フラップを閉めたままでも中身が取り出せる斜めに着いたポケットだ。
「ここにハンカチを入れたら、鞄を開けなくてもすぐに出せるな」
さっそくタオルハンカチを入れた。
しかし、自分でも信じがたいのだが、フラップを閉めた瞬間、ハンカチの入ったポケットは見えなくなる訳で、そこにハンカチを入れたということを忘れてしまった。そして外出した際に、鞄のなかを探り「あー、ハンカチ忘れた」と嘆くこととなり、トイレでは、エコじゃないなと思いつつ、ペーパータオルを使ってしまった。
「ふつう、そこで思い出すだろ!」自らツッコミを入れるも空しい。

ポケットがいっぱいついているのは便利だが、忘れっぽいわたしに、使いこなせるだろうか。やっぱり若いお母さん用なのかな、とちょっと距離を置きつつ、新しい鞄を使っている。

これがフラップを閉めた状態です。両サイドにペットボトル入ります。

ここにハンカチを入れているのですが・・・。

ショルダーを外して、ファスナーを開け、取っ手で持つこともできます。

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テッポウユリの白

庭でテッポウユリが、咲き始めた。
細長い蕾が大きく長くなるにつれ、重たそうにしていたが、咲く時はあっという間だ。前日は青い蕾だったのにと、咲いているのを見て驚いた。春に花を植えていて根っこを傷つけてしまったものも、ちゃんと咲いている。うれしい。

白く大きな花は、ぱっと目を惹く。ずっとそこに蕾でいたことを知っているわたしでさえも、一瞬息を呑むほどに驚かされた。一面に降り積もった雪を目にしたときに感じる、心洗われる感覚。たった一輪の花が、その感覚を味わわせてくれるのだ。つくづく白って特別な色なのだなあと感心する。

人は白いものを、汚してはいけないという気持ちを無意識下で持っているそうだ。この季節、野山にたくさんの真っ白なテッポウユリが咲く。テッポウユリ達を見て、野山にごみを捨てていく人も減るだろうか。減るといいな。

可憐という言葉を連想する花です。なのに、とっても強いんです。

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坂東太郎を眺めて

綺麗に湧いた雲を見るたびに、空の図鑑とも言える写真本『空の名前』(光琳出版社)を開く。8月も半ばを過ぎ、最近は秋を感じる鰯雲なども見かけるようになった。雲に対してなど薄っぺらな知識しかないが『空の名前』をめくることで、少しは知ることができ、楽しんでいる。
入道雲のページには、江戸では入道雲を「坂東太郎」と呼んでいたとかかれている。モノに名前をつけたり、擬人化したりするのはわたしも好きだが、遠い空の雲にたぶんその頃には親しみ深い名前であっただろう「太郎」と名づけ、呼んでいたとは洒落ている。
「坂東太郎」とは、本来、利根川をそう呼んでいたらしいが、その利根川の源流で育った雷雲が川に沿って下って来て、関東平野で暴れ回ったためにそう呼ばれるようになったとある。
そう言えば、アメリカでは竜巻に女性の名前をつけるらしいから、さほど変わったことではないのかも知れない。
京都では、丹波方面の入道雲を「丹波太郎」奈良方面のものを「奈良二郎」和泉の方角に出る雲を「和泉小次郎」と呼んでいたというから、芸が細かい。
インターネットなどない時代、雲を見て得る情報も多かったのだろう。それだけに、親しみを込めて人の名前で呼んでいたのだろうか。

流れる雲を見ていると、気持ちが晴々していく。きっと今見ている雲が、二度と見ることができないものだからだろう。地面から見上げる人の気持ちも、新しく変わっていくのだと思う。

入道雲って綺麗ですね。山と田んぼと青い空。

八ヶ岳の上にいた流れゆく鰯雲。秋の匂いを感じます。

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夏こそアームウォーマー

東京駅で友人と待ち合わせした際、少し早めに着いたので、駅ナカをぶらぶらした。新しくなった東京駅自体が観光名所となり、また多くの新幹線発着所となっているため、駅ナカの土産物屋風の店も、行く度に充実していく。夏休みだということも手伝って余計にぎやかだったのかも知れない。
和物の店がいくつか並んでいて、カラフルな手ぬぐいや扇子などを手に取っては、眺めた。北欧などのカラフルな食器にも目を魅かれたが、和の鮮やかさと落ち着きが心地よく、和物コーナーで立ち止まり、しばし心穏やかな時間を過ごした。そこでふと、手に取ったのが、アームカバーだった。
ガーゼのようなやわらかく軽い生地でできている。見本を広げると、親指を出す穴も開いていて、使い勝手もよさそうだった。
「奈良の靴下屋さんが、作ったものなんですよ」
若い女性の店員さんが、微笑む。
「靴下屋さんですか」
靴下屋さんが腕にはめるモノを作るというのが意外で、感心してしまう。
いやなに、考えてみれば、意外でもなんでもない。今まで、誰が作っているのかなど考えていなかっただけのことである。
運転中の日焼けが気になりつつも、何もせずに夏を迎え、迎えたばかりだと思っていた夏もいつしか暦では残暑と呼ぶ頃になってしまった。今ここでこれを手にとったのも、何かのご縁。今からでも遅くないよという、天からのメッセージか、と腕にはめてみる。
「UVカットももちろんですが、冷房対策にいかがですか?」
年若い彼女は、爽やかに言う。

そう言われ、リンパマッサージの仕事をする知人の言葉を思い出した。
「夏の方が身体は逆に冷えることが多いから、靴下履いてくださいね」
それでサンダルではなく靴を履き、東京に出てきたのだった。夏の方が冬よりも身体が冷えるのは、なにも冷房だけが原因ではない。暑いから少しでも涼しくと裸足になりがちだが、足首やふくらはぎを冷やすことで身体全体のリンパの流れが滞るのだという。暑い暑いとひどく疲れたりするのも、足を冷やしたために身体の芯の部分が冷えてしまっているから、ということも多いそうだ。
「夏は暑い」という常識的な意識を捨てることは難しいが「足は冷やさない」という意識をそれ以前に持つことならできそうだ。そして、それなら。
「腕だって、もちろん冷やさないない方がいいよね」
やわらかな風合いに魅かれたアームカバー。車中以外にも、ちょっと冷えそうな場面などでアームウォーマーとして活躍してもらおうと購入したのだった。

手染めのグッズがたくさん。見ているだけで楽しかったです。
東京駅駅ナカで日本土産を買っていく外国の方も、多いんじゃないかな。

『日本市』というのは、奈良の靴下屋さんが展開するブランド名のひとつ。
右側の藍色の部分に、親指が出るように穴が開いています。

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説明する人と、それを聞く人

週末、この夏初めて室内温度が30℃を越えた。エアコンがなくても過ごせていた夏は、何処へ行ったのか。
「涼しい場所まで、登ろうか」
夫の提案で、標高の高い方へとドライブすることにした。
「何処に行く?」「ノーアイディア」
やる気なく、だらだらとしたドライブだ。なんとなく北杜市も長野寄りに向かううち、県境の先、野辺山辺りなら涼しいだろうと、目指すことになった。
野辺山駅は、日本一標高の高いJRの駅だ。1345mある。走っていると、大きなパラボラアンテナのようなものが見えた。道標に『国立天文台・野辺山宇宙電波観測所』とある。行ってみることにした。

入場無料で自由に見学ができる、その広々とした場所には、ボーイスカウトの集団やら家族連れやらカップルやら、見学者がけっこういた。
陽が当たる場所は暑かったが、日陰は涼しかった。
「宇宙人って、やっぱり頭が大きな二頭身タイプ、思い浮かべるよね」
わたしが思いついたままに言うと、夫に冷たい目で返された。
「ここには宇宙人、いないから。宇宙からの電波を観測する場所なんだから」
「そうなの? いないんだー、なあんだ」
暑さにやられ、すでにわたしの思考回路は壊れてしまっていた。だが、前を歩くカップルを見ると、男性が女性に熱心に説明している。
「天体から放出される電波は、とても弱いんだ。だから、人工の電波が少なくて標高の高い野辺山で研究されているんだよ」
すれ違った親子も、父親と思われる人が小学生らしき息子くんに説明していた。女性同士の二人連れも片方が片方に、やはり熱心に話している。
「説明する人と、それを聞く人がいるんだな」
思考回路が回らないまま、ぼんやりと考える。そのとき、足もとに白線が見えた。長く道の先まで続いている。いちばん大きな電波望遠鏡の直径と同じ長さ、45mとかかれていた。
「電波望遠鏡の直径の長さは、このくらいあるんだよ」
足もとの白線を指さし、珍しく、夫に説明する。
「本当だ。気づかなかった。きみは、いろいろなところを見ているんだね」
えへん。と胸を張ったわたしは、じつは陽の光が眩しくて、足もとのみを見つめて歩いていたのだが、たまには説明する側に立つのも気持ちがいいものだなあと、少しだけ涼しい野辺山を、機嫌よく歩いたのだった。

こちらは、6台ある直径10mのミリ波干渉計です。

これが、世界最大級のミリ波干渉計、直径45mの電波望遠鏡です。

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桔梗の濃い紫色

桔梗の花が、好きだ。濃い紫色。その色にとても魅かれる。
何色が好き? などというクエスチョンには「迷うなあ」と優柔不断さいっぱいで答えられないし、白も黒も、赤も青も黄色も、それぞれ好きだったりする。それでも紫に特別心魅かれるものがあるのは否定できない。

何故だろうと考えて、紫は、赤と青をブレンドした色だったと、子どもの頃に絵の具を混ぜたことを思い出した。そしてさらに『冷静と情熱の間』(角川書店)という青と赤の二冊の小説を思い出す。女性視点を江國香織が、男性視点を辻仁成が、交互にかいていった合作の恋愛小説だ。
冷静からは青い色を、情熱からは赤い色を連想する。紫は、そんな二面性を持つ色なのだ。静と動、という相反するものを持つ色とも言える。

自分でもままならない、自分のなかの相反するものを知らず知らずに感じとり、訳もなく桔梗の紫に魅かれるのかも知れない、と考えてみる。
今、庭には桔梗が、毎日のように新しい花を咲かせている。

庭の桔梗です。強い陽射しのなか、風に揺れていました。

こちらは、紫式部の花。緑色の実が、根元の方からできてきています。
花よりも実の方が、濃いめの紫に色づいていきます。

様々な種類の蝉の抜け殻が、あちらこちらに点在中。

蕗の葉の上にはけろじが。影に入りこんでいました。

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きらきら輝いてる夏ですか?

「毎日楽しいこと、きらきら輝いてる夏ですか?」
東京に住む友人から、メールをもらった。正月明けに貿易センタービルの展望室で、缶ビールを飲みながら弁当を食べて以来だから、半年ぶりである。

そのメールを読み、ハッとした。毎日、ただただ暑いよなあと、きらきらどころか、ぐだぐだと過ごしていたのだ。
下を向いて黙々と歩いているときに、空が青くて眩しいよ、と、ぽんと肩をたたかれたような気分だった。歩くことに夢中になるがあまり、足もとしか見られなくなっているとき、というのが、生きていればままあるものだ。

その友人が、昨日、息子くんと訪ねてきてくれた。短い時間だったが、ゆったりとおしゃべりをし、一緒に明野名物の向日葵畑を観に行った。
顔を上げ、見た夏は、きらきらと輝いていた。

明野向日葵『サンフラワーフェス』開催中です。

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新しいノート

本棚を物色していたら、新しノートが出てきた。買ったまま、仕舞いこんでいたらしい。カエルが表紙にかかれた、なかは無地のノートだ。
そのカエルを見て「おお!」と思わずつぶやく。気に入って購入したことを思い出したのだ。それなのに、使いもせず忘れてしまうとは。
さっそく開き、何に使おうか考えた。真っ白いノートは、いい。何かが新しく始まる予感がする。あれこれ考えるだけで、楽しくなる。

そのとき、外でパラパラと音がした。夕立ちだ。ザーッときた。
「きみ、鳴いた?」
ノートのカエルに声をかける。本棚から出られて、よほどうれしかったのだろう。湿った空気に、気持ちよさそうにしていた。

表紙のカエルくん、水かきの辺りのリアルさがいい感じです。

薪置場の波板が木陰になっていて、そこで涼んでいたけろじ。
このあと跳ねて反転しました。その姿は上の絵のように手足が長かった。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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