はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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何か、素敵?

コンパクトデジカメを、常に携帯している。
あ、と思ったときには、すぐに写真に収めたい。たとえば、散歩道で知らない花を見つけたとき。八ヶ岳がいつになく、くっきりと見えたとき。変わった形の雲を見たときなどだ。あまり会いたくはないが、蛇と出会ったとき、とっさに写真を撮ったこともある。

そんなふうにして、昨日、買い物帰りのスーパーの駐車場で、空の写真を撮っていた。うろこ雲と呼ぶべきか、ひつじ雲と呼ぶべきか迷うような秋の雲が空いっぱいに広がっていたのだ。空を見て歩いていたら、深呼吸をしたような気持ちよさに、買い物かごを乗せたカートをとめて、カメラを構えた。すると、声をかけられた。
「何か、素敵?」
同じように買い物を終えた、知らない女性だ。たぶん年上の。
「雲が、綺麗で。形がおもしろくて」
答えると、彼女は、わたしと並んで空を見上げた。
「ほんとうだ。あのでこぼこなんか、おもしろいわね」
「ですよね」
ふたり、笑顔になる。
会釈をして別れ、それぞれカートを押し、車に向かった。ただそれだけのことだったが、同じものを見て笑顔になって。ただそれだけで、ずいぶんと気分がいいものだなあと思った。
わたしは、ああいうふうに気軽に声をかけることはできない。気負いなく、そういうことができる人に、ただ憧れるのみだ。

声をかけられた時に撮った写真です。南西の空。

明野に着いた頃、雲達は、こんな感じに流れて広がって。

八ヶ岳のある北の空には雲はなく、青い空が広がっていました。

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米茄子の記憶

スーパーで米茄子を見かけた。同じ北杜市は白州町の産直野菜だ。ついなつかしくなって購入した。米茄子(べいなす)の記憶は、遠い昔にさかのぼる。

ちょうど30年ほど前のことだ。出会って間もない頃、夫が連れて行ってくれた一杯呑み屋の看板料理が、米茄子のそぼろあんかけだったのだ。夫の行きつけの店だったので、彼も、米茄子と言えば、と思い出すのはその店となる。
「なつかしいねえ」と言いつつ、しかし店の名が思い出せない。
「高田馬場だよね? 『轍(わだち)』じゃなかったっけ?』と、わたし。
「『轍』は、新宿だよ。うーん。何て店だったかな?」
結局、検索し見つけるまで、ふたりとも思い出せなかった。おやじさん一人で切り盛りしていたその一杯飲み屋は『一合目』という名だった。
「よく食べたなあ、米茄子」
購入した米茄子はオリーブオイル焼きにしたが、今度は『一合目』のそぼろあんかけを再現してみようかという話になる。
「少し、甘味があるそぼろあんなんだよね」
「うん。甘くて生姜が効いてたかな」
「そう言えば、銀杏が入ってた。そろそろ、銀杏の季節だね」
夫は、いく度も食べた味。記憶もわたしよりも深くはっきりとしたものなのだろう。わたしには、その時に初めて知った米茄子という種類の大きな茄子のインパクトの方が強かったせいもあるのか、美味しかったという曖昧な記憶のみがただうすぼんやりと残っている。
そして、米茄子の味と同じく、その頃何を考えていたのかなどは、あまり思い出せない。記憶はいくつかのシーンをちぎり絵にしたかのようにきれぎれになっていて、その一つ一つは、車窓からぼんやりと眺めた、過ぎ去っていった風景のようだ。
そのなかで、ただひとつ覚えているのは、あの頃、夫に恋をしていたということだ。それにしても、あの頃のわたしは、思いもよらなかっただろう。30年後も、その米茄子の彼と共に暮らし、ふたたび三たび、米茄子をつつきつつ、変わらず酒を酌み交わしているなどということは。

この丸っこさがまた、可愛いんですよね。アメリカの(だから米茄子)
ブラックビューティーという品種を日本で改良したものだそうです。

オリーブオイルとニンニクが沁みて、ワインにぴったり。
とろけるやわらかさには、米茄子、ただ者じゃない!と思いました。

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ウラギンシジミのなかの夕焼け

庭で羽を閉じ、じっとしている蝶を見かけた。
ずいぶんと白い。わざわざ白い絵の具を塗り重ねたかのような白さである。だが、次の瞬間、蝶はふわりと羽を開いた。
「わっ、オレンジ?」
開いた羽のなかは、何とも鮮やかなオレンジ色だったのだ。
調べれば、ウラギンシジミというシジミチョウの仲間だとか。
蝶の羽は、開いた中側を表と呼ぶのだそうだが、その表側は、外敵に見つからないよう進化の過程で木の幹などに似せた色になっていった蝶も多いらしい。しかし、何故に裏表こんなにも違う色になったのかは調べても判らなかった。

「ため息が出るほど、白いよなあ」
ウラギンシジミという名。その白の深さに白銀を思い、名づけた人の感性にうなってしまう。
「そして、驚くほど明るいオレンジ色」
赤茶けた木の幹に、澄ましてとまっているウラギンシジミを思い浮かべる。
思い浮かべた途端、まぶたの裏側の風景は、山燃ゆる秋の夕焼けとなり、視界のすみずみまでその夕焼けが、明るく広がっていったのだった。

本当に真っ白。モンシロチョウよりも白いです。
赤いのは、落ちた垣根のイチイの木の実。

それが羽を開くと別人! いや、別蝶です。ちなみにこの子は、雄。
雌は、もっとジミーなグレーっぽい茶色をしているそうです。

庭には、他にも小さな生き物たちがいっぱい。
オキナワスズメウリの葉には、おんなじ色したバッタくん。

秋の顔、赤とんぼくん達も、たーくさん飛んでいます。

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『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』

山田詠美『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』(幻冬舎文庫)を読んだ。ファンタジックな表紙絵からは想像もつかない、家族の死がもたらす混乱と喪失をリアルに描いた小説だ。そして、再生を。

二つの家族は、共に暮らし始めることとなった。11歳の長男澄生と9歳の長女真澄を連れた美加と、4歳の創太を連れた誠が結婚したのだ。すぐに生まれたのは女の子で千恵と名づけられた。子ども達も含め、それぞれが幸せになるための努力を惜しまず、努力した分だけきちんと幸せになっていくような、そんな家族になっていった。
3人の兄となった澄生が、17歳で突然雷に打たれ死ぬまでは。
小説は、その15年後、大人になった子ども達の視点で語られる。
真澄は30歳。大切な人を失う怖さに人を愛することの難しさを感じていた。
創太は25歳。兄の死から立ち直れない義母である母を誰よりも力づけてきたが、兄を越えられないことに傷ついてもいた。母と同じ年頃の女性と恋愛中。
千絵は20歳。大学生。兄の死後の幸せとは対極にある家族の記憶しか持たず、中学高校と、その兄が原因でいじめにあう。兄の死が変えていく家族というものを目の当たりにし、自分が今できることを考えようとする。

震災でたくさんの人が亡くなったときに、ビートたけしが言ったそうだ。
「あれを二万人が死んだ一つの事件として考えてはいけない。ひとりが死んだ事件が二万件あったと考えるべきだ」
解説の長嶋有は、この小説は、その一人の死に対してさえ、受け止め方もそれぞれ、悲しみも多様だということを、3人の兄弟達に寄り添うことによって描いているのだと言う。

人はいつか死ぬ。健康な人でも、明日、突然死んでしまうかも知れない。普段は忘れているが、頭の隅ではみな理解していることだ。小説の家族は、普段からそれを忘れることができずにいるのだろう。
死ぬまでに心の準備ができるような死に方をしたいという言葉を、同年代の人からも聞くようになった。明日自分が、または大切な人が死ぬかもしれないとは、実際には、なかなか考えられないものだ。

表紙の音楽隊は、6人家族かな。赤い屋根の家とピンク色の薔薇。
幸せを絵に描くと、こんな感じなのでしょうか。

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エノキの卵とじ、そして納豆

一人の朝ご飯。久しぶりに味噌汁は、エノキの卵とじにした。
夫との朝食は、大抵目玉焼きを焼くので、味噌汁に卵を落とすことはない。卵を焼かず、納豆にする朝もあるが、彼は納豆には生卵派なので、やはり卵とじをすることはないのだ。わたしは納豆には卵なし派で、二人の食卓の朝も、それぞれの食べ方で食べるのだけれど。

久しぶりに口にするものは、なつかしい味がする。小さな記憶が甦る。
「あ、これ、末娘が好きだったな」
そう思って、ん? と首をかしげた。あれ? 上の娘だったかも。いや、息子が好きだったのかも知れないと。
空気がひんやりとしてきた朝、熱い卵とじは、身体だけではなく心まで温めてくれる。じつは、わたし自身が好きな味なのだ。

そんなことを考えて、不意に思い出した。
小さな子どもはよく擦り傷を作る。ちょっとひどいときには、軟膏を塗ってやった。風呂上りに軟膏を塗ろうとして、3人のうち、誰の膝小僧の傷だったかと混乱してしまうことが、よくあった。さらには、そこに自分さえも混ざり、子どもの膝に軟膏を塗ろうとして、実際の傷はわたしの膝だった、ということすらもあった。忙しい毎日だったということはあるが、たぶんそれだけではない。子ども達がまだ、母親である自分に本当に近い存在だったのだろう。

今では彼らも、ずいぶんと遠い場所にいる。逆に遠い場所にいるから記憶が混乱しているのだ。納豆に生卵を落とすのが好きだったのは、誰だったか。そんなことすら、もう思い出すこともできないほどに。

どちらも葱たっぷり。九条葱を使いしました。
納豆も味噌汁も、葱の量で味そのものが変わりますね。

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付随するもの

このところ、夜中によく咳が出て目が覚める。
風邪という訳ではない。3年ほど前から気管支が敏感になり、咳とは共生している状態なのだ。
咳が出るのはしょうがないことだが、周囲に迷惑をかけるものだと意識はしている。公共の乗り物に乗る際や映画、芝居を観る時などは、すぐに咳がおさまるように水分と龍角散を用意しておく。愛用しているのは『龍角散ダイレクト』ミント味。1回分の顆粒が小袋に入っているもので、服用に水も不要だ。真夜中にも、隣りのベッドで眠る夫を起こさないように活用している。すぐに咳が止まるのは、気管支のぐあいも重症ではないのだろうとも思っている。

ただ、咳が出て水を飲み、龍角散を口に含んだ後、すぐに眠れるかと言えば、そうではない。昨夜も朝が白んでいくのを、薄ぼんやりと眺めていた。なかなか明るくならないので、ずいぶんと日の出が遅くなったものだと思いつつ、急に不安になる。このまま、朝が来なかったらどうしようかと。しかし、陽は昇った。秋は、思ったよりも急速に深まっているのだ。
朝方目覚めて、日の出の時刻、静かに変化してゆく明るさに秋を感じる。それはそう悪くもない感覚だ。咳が出るようになったきっかけは、何かのストレスだったような気もするが、そう悪くもない付随するものもそこにはあるのだなあと、明けていく朝に思ったのだった。
ベッドでは、いつもハリーとネリーが見守ってくれています。
ありがと、はりねずみの手袋達。もうすぐ、きみ達の季節になるね。

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『はぶらし』

近藤史恵の『はぶらし』(幻冬舎文庫)を、読んだ。
解説の書評家、藤田香織はかいている。「極めて切実な女子小説でもある」と。また、帯には「心理サスペンスの大傑作!」とある。サスペンスの色濃い女子小説ということか。
十年以上会っていない、高校時代、親友というほどではないにしろ、まあまあ仲が良かった同級生から突然電話が鳴った。「今すぐに相談したいことがある」真夜中である。近くまで来ているという彼女の言葉に、ファミレスで待ち合わせることにしたが、そこには、行くあても金もない7歳の子どもを連れた、やつれた友がいた。
「あなたなら、どうしますか?」と言外に言っているのが、この小説だ。

「一週間だけ泊めて」と拝み倒され承知した主人公、鈴音は36歳、独身の脚本家。子どももいない。居候することになった水絵は、甘い顔を見せれば見せるほど頼ってくる。以下本文から。

「鈴音は・・・うまくいってるもの」「え?」
「鈴音は、ラッキーで恵まれてるもの。仕事もうまくいっているし、旦那や子供に時間を取られることがないし・・・そんな人は滅多にいない」
はっとして、鈴音は彼女を見た。
「鈴音が脚本書いた映画、いっぱい見たわ。売れてる役者さんがいつも出てて、わたしとは違う世界で仕事しているようでまぶしかった」
「裏方だわ。役者さんたちと直接会うことだってほとんどないし」
もちろん、どうしても会いたいと主張すれば会えることもあるだろうが、鈴音はあまりそういうことに興味がない。役者は役者で、華やかそうに見えても現場は過酷な仕事だ。お互いの持ち場でちゃんとやれてればいいと思っている。
「でも、収入だって普通よりずっと多いんでしょ。ほかの人とは違う」
水絵はもう一度繰り返した。
「恵まれてるわ・・・鈴音は」
ようやく、なぜ水絵が鈴音を頼ろうと考えたのかが理解できた。一見派手に見える職業で、独身で、子供もいない。だから頼ってもいいと考えたのだ。

「人」という字は、支え合い成り立っているとは、よく言うことだが、支え合うことと、寄りかかることは違う。人と人とは助け合うべきものだということは判るけど、と 鈴音は思う。いったい何処まで助けるべきなのだろうかと。

買って返すからと、鈴音に歯ブラシを借りた水絵。返し方が微妙でした。
人と人との歪みはいつも、小さなところから始まるのかも知れません。

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茄子を探して

「茄子、買い忘れた!」
隣りの市のスーパー。レジで会計を済ませてから、気がついた。何ということであろう。夫のリクエストは、茄子と挽肉のカレーだというのに。
しかし、振り返るとレジの向こうには長蛇の列。茄子一つで、ふたたびここに並ぶというのは、考えられない。シルバーウィークの弊害だ。
「帰りに、コンビニに寄ろう」
帰路にあるいくつかのコンビニには、野菜も置いてある。ただ、茄子があるかどうかは確実ではない。やはり1件目のコンビニには、茄子はなかった。
「そういえば、この先に『よってけし』があったはず」
産直野菜を置いてある販売所だ。町内の野菜直販所は夕方早く閉まるので、もう閉まっているかと恐る恐る車を停めると、まだ開いていた。『よってけし』というのは甲州弁で「よっていきなよ」という意味だ。
だが、探せど探せど茄子がない。秋もまだ早いのに茄子がないってどういうこと? 売り切れなの? と絶望的な気持ちになっていると、一つの袋に目が留まった。はっきりと黄緑色だし形も違う。ずいぶんと細長い。だが、それは茄子だった。袋には「マーボナス」とかいてある。
「麻婆茄子? カレーに入れるんだけどな」
そう思いつつも、誰も並んでいない『よってけし』のレジで、ぶじ茄子を買うことができ、心のなかでガッツポーズをしたのだった。

偶然買った「マーボナス」は「麻婆茄子」ではなく「マー坊」という種類の茄子だった。もちろん麻婆にも合うが、油との相性が良く、炒めて美味しい茄子だそうだ。我が家の茄子カレーは、茄子をオリーブオイルで焼いてから仕上げ時に入れるタイプ。これからも「マー坊」にしようと思ってしまうほどにぴたりとハマり美味かった。茄子を探して走り回った甲斐もあったというものだ。

ところで翌朝、夢を見た。カレー鍋のフタをとると、茄子だけがなくなっているという夢だ。おのれ、夫め! 茄子ばかり食べたな! と夢のなかで疑ったわたしの意地汚さよ。リクエストしたのは夫だったが、いちばん茄子に執着していたのは、どうやら自分の方だったようだ。

『よってけし』で購入した「マー坊」です。

『よってけし』のおかげで、茄子たっぷりカレーになりました。
グリーンカレーやキーマカレーも美味しいけれど、
ルーでつくる家庭のカレーも大好き。ジャワカレー辛口とこくまろ辛口を
ブレンドして、チリペッパーやガラムマサラなどを入れています。

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『すばらしい日だ金がいる』

末娘と一緒に、劇団アマヤドリの芝居『すばらしい日だ金がいる』を観た。「悪と自由の三部作」の公演を終えたアマヤドリの次なるテーマは「うつ」と「競争」。深刻なテーマを喜劇仕立てにしたものだ。
主人公は、山も奥深い辺境の地で行われる勉強会(うつ患者同士がディスカッションする場)に参加する一人の女性大野まりか。仕事一筋で働きづめだった彼女は、ある日突然失踪し、勉強会が行われる山奥に部屋を借り、住みついてしまう。仕事へのストレスから発病したようにも思えたが、まりかの心の奥には、置き去りにしてしまった聞き分けの良すぎる高校生の娘ゆみとの確執が深く根をはっていた。以下、脚本から勉強会のシーン。

「なんでも言って欲しかったんだよね、大野さんは?」
「そうかもしれません。そうして欲しかったんだと思います」
「それじゃないですか、不満って? ねえ?」
「ああ、なあ。それちゃう?」
「では、大野さんはその不満を、ちゃんとゆみさんに伝えていましたか?」
「いいえ。それはそんなに、強くは言えませんでした」
「どうして?」
「だってそんな・・・。たまになんか、言うこともありましたけど・・・むしろ、私の方が聞く耳を持っていないような状態でしたから」
「全部自分のせいにしてはいけないんです。『過度の個人化』です」
「そうですけど、でも」
「ここはあえて自分のことは棚にあげて。我儘になって言ってみてください」
「ですから・・・。なんでも言って欲しかった」

結婚を控えたゆみ。娘の結婚式に出席しない決意のまりか。ふたりの仲を修復させようと、訪ねて来たまりかの妹達。そこで彼女達の間に入って話を聞こうとする勉強会講師は、カウンセリングによる治療を薦める活動をしつつも、実際自らは抗うつ剤依存の患者なのだった。

まりかの胸にあるのは「母には何を言っても無駄だと、気持ちを伝えるのをやめてしまった娘」に「伝えたいけれど、うまく伝わらないもの」
人は、誰かに何かを伝えようとする思いで生きている。だからもし何を言っても伝わらない時が来たとしても「伝わるかもしれない、という可能性に賭けてもいい」のだと、まりかはディスカッションをするうちに思い至るのだった。

本当の気持ち。正確な気持ち。それを誰かに伝えることなど、もしかしたらできないのかも知れない。それでもみんな、今日も誰かに何かを伝えている。

劇場入口にあったポスターです。9月27日まで。
鎖に繋がれた青い兎と赤い猫の表情が、印象的。

吉祥寺シアターの外観も、目をひきます。
方向音痴のわたしには、親切にも見える判りやすさです。

チケットと脚本とキャストやスタッフなどがかかれた当日用パンフ。

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栗の美しさ

毎年お米を分けてもらっている田んぼのお婆ちゃんより一足早く、近所の農家さんに新米をいただいた。
朝ご飯に白米を炊くと、やはり全く味が違う。もちもちだし、新鮮な米の甘みが口のなかに広がる。獲れたての新米は、本当に美味しい。収穫して一年経ったお米も、毎日美味しいと食べていたが、違う植物の実なのではないかと思うほどに違うのだ。

その新米で、お昼に栗ご飯を炊いた。ちょうど庭の栗を収穫したのだ。
収穫したての栗は美しい。つやつやと光っている。
収穫したと言っても、木の下に落ちた栗のいがを夫が底の厚い靴で抑えて割り、拾うのだ。考えてみれば、栗は頑丈な棘を持ったいがに護られ、鳥に実を突かれることはない。枝を離れ落ちるまでゆったりと熟していく。そこにこの艶やかな美しさが生まれるのかも知れない。そうか。美しいものには棘があるって、栗のことだったのか。そして、美味しいものにも。

毎年、収穫の量が増えている、まだ細い幹に生った庭の栗です。

夫が菓子箱に拾い集めた、栗達です。

もちもちの新米とほっくほくの栗。まさに秋の恵みですね。

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笑顔を作る

朝、鏡の前に立ち、笑う。
作り笑いでも何でもいいから、朝そうやって鏡の前と向こう側で笑顔を見せ合うと、その日の体調がよくなるという話を聞いた。一日一日の体調がよくなれば、自然と健康な心と身体になっていく。笑うことが身体にいいとは聞いたことがあったが、作り笑いでも効果があるとは初めて聞いたことだ。

そんな健康法を実践し始めてから、生活のなかで小さな笑顔を探すようになった。たとえば、壁の木目が作る目と口のような形。3つの点があるところに顔を見出すのは、外敵から身を守るための防衛本能のなせる業らしいが、じっと見つめていると、あ、笑ってると思う瞬間があり、そう思った瞬間、また自分も笑顔になっていることに気づく。

子ども達も巣立ち、仕事も在宅勤務。夫が東京に出勤している間、丸一日誰とも会話しない日もある。それが淋しいということはない。どちらかと言えば気楽な生活だ。会いたいと思えばいつでも会える友人もいる。そして、上の娘が十日ほどで帰ってくる。しばらく一緒に暮らすことになるだろう。わたしのなかに会話も笑顔も増え、気楽は少し減るのだろう。そう考えると、これまで子ども達に、ずいぶんたくさんの笑顔を貰ってきたのだと気づいた。子ども達の笑顔もだが、わたし自身の笑顔も。

玄関にいるフクロウくん。瞳に微笑みをたたえています。

こちらも玄関にいる置物の沈思(ちんし)さん。
名は、陶芸作家の方がつけたものです。何を思っているのかな。

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秋いちばん散歩日和

ついこの間まで、アイス珈琲で喉を潤していたのに、熱い珈琲が恋しくなるような涼しい日が続いている。焙煎したての新鮮な豆を買い、久しぶりに珈琲をドリップしようと珈琲カップを出すと、焼き物特有のそのひんやりとした感触にもまた、驚く。季節は移っているのだ。

シルバーウィークと呼ばれるようになった連休初日は、青い空が気持ちよく、朝食前に散歩をしようと夫に誘われた。2年前に死んだ愛犬びっきーとよく散歩した長い方のコース40分ほどを歩く。ゆっくり歩いているのに、すぐに息が切れてきた。坂道が多いこともあるが、それだけではない。
「体力、落ちてるよね」と、夫。
「びっきーと歩いた頃と比べると、確実に落ちてるね」と、わたし。
「でも、散歩するにはいちばんいい季節だよね」「まさに、散歩日和」
青い空の下、のびのびとした山々を見るのも久しぶりで嬉しくなる。迫るように眼に入ってくる南アルプスだが、山頂は遠い。きっと、あそこまで行くことはないだろう。目を凝らして、遠い遠い山頂を見つめた。そしてふたたび歩き始め、今度は足もとのツユクサに目をやる。濃い青が眩しい。不意に、ここから見える山々にも、ツユクサは咲いているだろうかと考えた。すると、遠くに見える山々が急に近しいもののように思えてきた。不思議である。
そんな風に、遠く山々を見つめ、足もとの花々を見つめ、息が切れないくらいのスピードで、秋の散歩日和を楽しんだ。

八ヶ岳です。冷たい空気に、冬の顔をちらつかせています。

南アルプスは、鳳凰三山と甲斐駒ケ岳です。

田んぼの畔には、ツユクサ。秋の長雨で生き生きとしています。

昼顔の仲間、マルバルコウも、咲いていました。

吾亦紅が群生していました。とても好きな花の一つです。
でも写真に撮るのは、難しい・・・。

コスモス達も、秋風に揺られ気持ちよさそう。

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『薔薇を拒む』

近藤史恵のミステリー『薔薇を拒む』(講談社文庫)を、読んだ。
両親を事故で亡くし施設で育った博人は、大学進学の援助を条件に高校を中退し、山奥の洋館に住み込みで働き始める。住人は40代の美しい母親と博人と同い年の美少女、小夜。働くのは執事役、家庭教師、家政婦2人、そして博人と同条件で雇われた同い年の樋野の合わせて6人。そこは隔離されたと言っていいほど田舎にある洋館で、しかし世の中から冷たい扱いを受けてきた博人にとっては、心安らかに過ごせる居心地のいい場所となっていく。そんななか、静けさを破るようにひとりが殺された。

小説のタイトルは、シャンソンの歌詞である『澄んだ泉にて(A la claire fontaine)』からつけられている。
「わたしは恋人を失った。わたしが彼にふさわしくなかったから、あの人がくれた薔薇の花束、それさえもわたしは拒んだ」
小夜が、作中でくちずさむフランス語の歌だ。
そして薔薇は、博人から見た小夜のことである。閉じ込められたかのような空間と穏やかな時間は、博人と、そして樋野を恋に落とすにはパーフェクトな環境だった。たとえそれが、仕掛けられた罠だったとしても。以下、本文から。

樋野は前髪をかき上げた。
「こんな罠があったとはな・・・飯と住むところに困らなきゃなんでもいいと思ったのに」
罠。小夜はまさに罠だった。心まで搦め捕られて動けなくなる。
樋野はつぶやいた。
「怖いんだ」「怖い?」
彼は下を向いて、何度も指を組み替える。
「俺には親父の血が流れている。自分がなにをするのかわからなくて怖い」

本を閉じ思ったのは、ミステリーっていいな、ということだ。
読んでいる間は夢中にさせてくれるし、最後にはきちんと裏切ってくれる。この小説には特に、ラストに驚かせてくれてありがとうと言いたい。ラスト、それまで読んできた世界が一変するミステリーの醍醐味を味わわせてもらった。

途中、栞が挟んである場所まで読み進めて、ああ、講談社文庫! と
うれしくなるのは、マザーグースの歌の栞がシンプルで素敵だからです。

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いちばん、最初に?

旅から帰ってきた翌日、埼玉の大学に通う末娘が帰ってきた。夏休みだ。
彼女が帰省してしたいことは、まず、家のご飯を食べる。そして、しゃべる。それから、洋服を買いにいく。(母に買ってもらうのが目的)
「オムライスとハヤシライスとミートソースとハンバーグとポテトサラダと山芋のソテーと里芋の煮物と寿司と、いろいろ食べたい!」
帰省してきた日は、太った北海道新秋刀魚を塩焼きにし、夫と3人食卓を囲んだ。少しやせた彼女を心配していたが、心配はない。食欲の秋のようだ。

翌日はハンバーグやらポテトサラダやら煮物などを作り、ふたりでの夕飯。我が家のハンバーグは、玉葱を炒めないサクサク玉葱の食感を楽しむタイプだが、ソースは特に作らず、それぞれ好きなように食べる。ケチャップでもよし、大根おろしに醤油をかけてもよし。
「はて? 末娘は何をかけて食べていたっけ?」
疑問は解けぬまま、食卓に着くと、彼女は冷蔵庫からお好みソースを出して来た。お好み焼き用の「おたふく」の甘めのソースだ。
「お好みソースだったか!」思い出し、ぽんと膝を打つわたし。
娘はというと、お好みソースに語りかけている。「きみ、やせたね」
夫婦二人の暮らしとなり、お好み焼きをする機会も減った。当然、お好みソースを使う回数も減り、コンパクトサイズを買うようになったのだ。
こうして暮らしは変わっていくが、好みはそうそう変わらないようだ。

そんな娘の変わらないところをいくつか目にして、微笑ましく思った。
しゃべっている途中「いちばん最初に」と言ってしまい、彼女は「ああ、言っちゃった!」と苦悩する。「最初」という言葉は「いちばん」をつけなくとも「いちばん」の意味を持つ。「頭痛が痛い」という日本語を許せないのと同じく彼女には許せない日本語なのだ。美しい日本語を愛する彼女は変わらない。
わたしが「やばい」と言ったときなど、しらっとした顔をし「それは野の梅のことでしょうか?」などと言う。
彼女も、大学に通い、ひとり暮らしをし、ずいぶんと変わっているのだろうが、そんな変わらない彼女との時間をつかの間楽しんだのだった。

小さ目のハンバーグを、3個でも4個でも好きなだけ食べるのが我が家流。
お好みソースで、ハンバーグ。食べてみてはいかが?

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ちょっと時差ボケ

旅から帰って来てから、よく夢をみる。
それが、旅の空の下で目にした素敵な風景だったりしたら、旅の余韻を楽しめるかも知れないが、そうではない。いちばんよくみるのは、車関係の夢である。たとえば。

我が家の駐車場から夫の車にエンジンをかけ、出発しようとしていたら、RV車が突っこんできて追突された。エンジンをかけたが、まだアクセルは踏んでおらず、駐車場のなかに突っ込んできた向こうの非であることは明確だ。当然、修理と補償などの話をする。夫の車であるから、こちらも更に真剣になる。だがRV車から降りてきた若い男は、へらへらと笑っていた。
「ちょっと、ぶつけただけじゃないか」
唖然とするが、無視して話を進める。しかし、助手席から降りてきた年配の男性も、やはりへらへらと笑っている。
「まあまあ、かたいこと、言わないで」
かたいも、やわらかいもない。だが、怒りを抑えつつ交渉するわたしの前で、最後までふたりはへらへらと、まあまあまあ、などと言いつつ笑っていた。

「なんなんだよ、いったい」目覚めてなお、憮然とする。
憮然としながら、しかし冷静に分析する自分がいた。
旅の間みなかった車の夢をリアルにみるのは、毎日運転するという生活に、多少なりとも緊張を感じているからだろう。旅から帰って来て駐車場に停めた車を見た途端、頭をよぎったのは、十日も運転していなくて、バッテリーだいじょうぶかなってことだった訳だし。
そしてパリでは、フランス人との感覚の違いを目の当たりにした。夢のなかの住人達は、車をぶつけたくらい、へらへら笑いで済ますのが常識なのかも知れないと思い至る。そう考えるとこの夢は、普段の自分と、旅で受けたカルチャーショックの両方を、しっかり表現した佳作であるように思えてきた。
そんなこんなで、夢にうつつに、ちょっと時差ボケな日々。

旅を終え帰ってきたら、明野は、稲刈りシーズンに突入していました。
稲は、重たそうに頭を垂れています。息を吸い込むと、稲の匂い。

すでに稲刈りを終えた田んぼも、ちらほら見られます。

秋のトンボは、人なつっこいなあ。

田んぼの畔には、彼岸花が咲いていました。赤が眩しい。

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イザベルとの再会

パリで最後の夜、パリジェンヌ、イザベルと再会した。
3年ほど前に、2週間ほど我が家にステイした上の娘の友人だ。3年前には、自己主張が強い彼女に、娘も夫もわたしも驚かされることが多かったと、なつかしく思い出す。
「わたしがダイエットしてるのを知ってて、どうして肉を出すの?」
そう言いながら、誰よりもすき焼きの肉をたくさん食べたイザベルは、表情にも勝気な性格がにじみ出ていたし、フランス人は自己主張が強いのだと、自分でも言っていたっけ。

だが、イザベルに会い、驚いた。
何かがほどけたように、やわらかい表情になっていたのだ。
「エッフェル塔には、結局行けなかったんだ」夫が言うと、
「それは正解よ。人が多いだけだもの」と笑う。
その口調はやわらかく、わたし達への気遣いも感じられた。夢に向かって勉強を続けている途中ではあるというが、23歳から26歳までの3年間で、ああ彼女は、大人になったんだなと思った。それがこんなふうに表情に表れるということは、いい時間を過ごしていたのだと判り、とても嬉しくなった。

そのイザベルが、言った。カナダにいる娘のことだ。
「昨夏パリで会ったときに、彼女はすごく変わっていてびっくりした」
まず外見が。以前は、いつでもきちんと化粧をしてひらひらした服を着ていたのに、ノーメイクでジーンズにTシャツ姿だった。そして中身も。以前は他人に合わせることが多かったのに、それがはっきりとした考えを持ち、反論だってするようになっていた。だから様々なことについて、ふたりでディスカッションしたというのだ。それが楽しかったと。
確かに彼女の外見は、はっきりと変わったよねと3人で笑いながら、考えた。
「そうか。親からは見えないところもあるけど、娘も変わってるんだ。もしかしたら、イザベルと同じくらいに」

そして、思った。人って、変わるんだな、と。彼女達は若い。けれど変わったのは、若いからというだけではないような気がする。人はいつでも、変わっていくし変わっていけるんじゃないかと、イザベルに再会し、思ったのだった。


  



  



  



  


photo by my husband
パリの旅行記は、これでおしまいです。夫が撮った写真を見ると、
そこにいた時には見えなかったパリが、写っているように思います。

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二度目のしぇー

夫はこのパリの旅で、二度「しぇー」をした。
一度目はオランジュリー美術館で、楽しみにしていたモネの『睡蓮』の絵のコーナーが閉鎖中で観られなかったとき。
そして二度目は、何と言うことであろう。旅行前からチケットをとり正装までしていったオペラ座で「ストライキで公演中止」と言い渡されたときだった。
その日は、連日歩き回って疲れていたこともあり、寝坊して近所にランチを食べに行っただけで、あとはオペラ鑑賞のために鋭気を養おうとアパルトメントでごろごろして過ごすというオペラのための日だったというのに。

しかし、返金の手続きをし、オペラ座の外に出た時にはもう、ふたり顔を見合わせて笑っていた。ありえない出来事に、ここは日本じゃないんだよなあという解放感を感じ、可笑しくてたまらなくなったのだ。
夫は一度目の「しぇー」で足が逆だと指摘され、今度こそ正しい「しぇー」をするぞと意気込み、わたしもオペラ座のてっぺんのモニュメントが入るよう写真の構図を考えた。そして、正しい「しぇー」を撮影し終えて満足し、すぐ近くのブラッスリー(ビアホール)に飲みに行くことにした。

自棄になっていたこともあり、パリ名物、生牡蠣を注文した。昔一度だけ牡蠣にあたりじんましんで2週間苦しんだことがあり、これまで不安で食べられなかったのだが、これで体調を崩すならそれもよし、くらいに思ったのだ。その生牡蠣は、夢のように美味しかった。夫は、申し訳なさそうにするオペラ座の女性に「ネクスト・チャンス」と言っていたが、次回があったとして、ふたたびストで公演中止になったとしても、ここで生牡蠣を食べられたら、それでいいかも、と思ってしまうほど、そう。パリで食べたなかで一番美味しいと思っていた近所のパン屋のチーズパンに匹敵するほどに、美味かったのだった。

オペラ座の一つ『パレ・ガルニエ』の外観です。

なかでは未練たらたらに、模型を写真に収めました。
「この辺りの席だったね」とは、夫。

オペラ座にほど近いブラッスリー『ル・グラン・カフェ』で飲みました。

生牡蠣が入ったシーフードプレート。檸檬でシンプルに食べるもよし、
エシャレット入りのビネガーソースで食べるもよし。

正装して正しい「しぇー」を披露する夫でした。

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おススメスポット、パッサージュで

パリのおススメスポットの一つに、パッサージュがある。
ガラスの屋根に覆われたアーケードで、18世紀後半に造られ、全天候型であり、当時は最先端をゆくショッピング街としてパリ市民に愛されたという。時代が移った今では、ガラスの屋根から漏れる光が、何かなつかしい雰囲気の歴史ある商店街という感じ。オペラ座の東側に点在している十以上のパッサージュには、それぞれ特色があるのも面白い。
アパルトメントから歩いて行ける本格カレーのエスニックな香り漂うパッサージュ・ブラディと、オペラ座から二駅の切手屋が多いパッサージュ・パノラマ、おもちゃ屋が並ぶパッサージュ・ジュフロワ、古本屋街パッサージュ・ヴェルドーを歩いた。

「餃子バーで、お昼食べようか」「いいね」
パッサージュ・パノラマには、餃子が美味しく行列ができる人気店があると聞いていた。ほどなくして到着したその店は、昼時には少し早かったのかまだすいていて迷わず店内に入った。
「おふたりですか?」
カウンターに通してくれた女性は日本人。ホッとして餃子とビールをオーダーする。見るとカウンター内で餃子を焼く女性も、ビールを出してくれた女性もみんな日本人で、日本語でやりとりしている。フランス人の客にはスピード感あふれるフランス語で、相手によっては英語で会話しながら、けれどたがいに声をかける時には日本語でしゃべりながら、彼女達は生き生きと働いていた。
「若い日本人が、パリで元気に働いてる姿って、いいね」
店を出た後、夫が言った。彼女達は多分20代後半から30代前半で、とても一所懸命、そしてとても楽しそうに仕事をしていたのだ。前日には、バゲットコンクールで優勝したパン屋で働く若い日本女性を見かけたばかりだった。
「ほんと。みんな溌剌としてたね」わたしも、うなずく。
歴史あるパッサージュにできた新しい店で、元気よく笑顔で働く彼女達。何故パリで働き、暮らそうと思ったのだろう。
「夢」という答えが、彼女達には似合っているように思えた。

こんな全天候型の商店街が、古き時代からあったんですね。
  
カフェやビストロ、ピザ屋さんなど飲食店もたくさん並んでいました。
左側の写真は、切手屋さんの看板です。お洒落!

パッサージュ・パノラマには、本当に切手屋さんがいっぱい。
世界じゅうの古切手が、10枚2ユーロで売っていました。

餃子バー。行列ができるほどではありませんが繁盛していました。

ぱりっと焼けていてあっさり風味。ビールは一番搾りもありました。

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赤信号の捉え方

パリで驚いたことの一つは、信号無視する歩行者の多さだ。
多いというより、車が通っていなければもう、必ずと言っていいほど、信号が赤でも渡ってしまう。老若男女みんなである。

また、驚いたことのもう一つは、服装がジミーなのだ。
「なんか、街に色が少ないよね」夫に言うと、教えてくれた。
「パリの人達は、モノトーンが好きらしいよ。車も黒と白が多いし、若い女性だってグレーや黒の服だし」
よくよく街を見てみると、本当にそうだった。明るい色やパステルカラー、派手な柄の服装をしているのは旅行者っぽい人に多い。車もたまに黄色いのが通るが、それは郵便局カラーで、配達の車なのだった。

また、これは事前情報で聞いてはいたことだが、店で買い物をして感じる店員さんの冷たい感じ。「メルスィ」とは言っても笑顔を見せることは少ない。というか、怒っているようにさえ思えることもある。

しかし十日間パリで過ごし、これはこちら側の勝手なイメージなのではないかと思い当たった。もともとの意識が違うんじゃないかと気づいたのだ。
信号無視に関しては、車が通っていないときには赤青関係なく渡っていいものだと思っているのかも知れない。
パリジェンヌはお洒落 = カラフル、と思いこんでいたのもこちらの勝手なイメージだし、店員さんも決して怒っている訳じゃなく、接客時に笑顔を見せるという習慣がないだけなのだろうと思えてきた。
そう気づいて、ぐるりと見回してみると、フランスの人達はとてもフレンドリーだった。いつものチーズパンはないの? と、身振り手振り交え伝えようとするわたしに、店の奥から焼き立てのチーズパンを持ってきた彼女は、笑っていた。それは営業スマイルではなく、最近毎朝買いに来るチーズパンが好きな変てこな日本人に対する呆れ笑いだったが、とても親しみがこもっていた。

信号機の人型マークの手足の長さや雰囲気が違っているのは、
違う国なんだから当たり前だと思うんだけど・・・。

これをそのまま放置しつつ使っているところは、理解しがたい。
やっぱり、国民性の違いかなーと思います。

アパルトメントのベランダから見下ろした、マジャンタ通りです。
圧倒的に黒と白の車が多く、次にシルバー、そして濃いブルー。
通りを歩く人も、モノトーンの服装が多かったです。

郵便局 LA POSTE は、黄色に青のツバメのマーク。

ポストはもちろん、黄色です。

切手は、自動販売機で売っていました。
自販機の多くは、お札は使えませんが、クレジットカードOKです。

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ベルサイユの庭

パリを旅するにあたり、わたしは『パリこれ!』(新潮文庫)「住んでみてわかった、パリのあれこれ。」という、とのまりこのエッセイを読んだが、夫はフランス革命を中心に歴史本を読みながら旅をしていた。
「パリを知るには、ベルサイユを見てみないと」
わたしはミーハー的にベルサイユ宮殿に行ってみたかったのだが、夫は違う意味でぜひ行きたいと思っていたようだ。パリから電車を乗り継いで30分と少し。ベルサイユ宮殿を訪ねた。人の波にもまれての宮殿探訪だったが、ルイ16世とマリーアントワネットが暮らした宮殿の部屋より何よりハッとさせられたのは、庭の広さだった。
「なんだ、この風景は!」「いくら何でも、広すぎでしょう!」
歩き回る気満々だったのに、広さのレベルの違いに、ふたり呆然と立ち尽くした。水のない土地に運河を作るため水をひいたという。自動車もない時代に、いったいどれだけの人の手と時間を費やしたのか。想像もつかない。作ろうとした人達の発想に暴力的なものさえ感じるほどだ。

フランス革命ののち、ギロチンで処刑されたルイ16世とその妻マリー・アントワネット。ふたりは結婚したとき15歳と14歳だったそうだ。この広すぎる場所で、どんな思いを持って暮らしていたのか。この広さを把握することさえできないわたしには、知る由もない。

庭の向こう側どころか中腹にもたどりつかず、宮殿を振り返って。

反対側。十字の形をした運河です。
いったい何処まで続くんだろうか。広すぎます、ほんと。

マリー・アントワネットが暮らした離宮への入口です。
離宮も遠く、行くのを断念しました。

現代アートが、庭のあちらこちらに点在していました。
真ん中の鏡のようなものも、その一つです。

音楽に合わせて踊る噴水。綺麗でした。

池では白鳥が、ゆったりと水面を滑っていました。

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犬とセーター

「いい知らせと悪い知らせがある」とは伊坂幸太郎『マリアビートル』に登場する殺し屋の口癖だがそれとは全く関係なく、いいことと悪いことがあった。

まず悪いこと。セーヌ川南の左岸、サン・ジェルマン・デプレを歩いてた時だった。驚いて息を呑み、立ち止まった。歩道沿いの建物の一階の窓、大きな犬がじっとこちらを見ていたのだ。動かないのでぬいぐるみかと思ったのだが、本物の犬だった。
「びっくりした!」
笑いながら夫に言うと、夫も笑ってカメラを向けた。その瞬間だった。
「冷たい!」
空から、水が降って来たのだ。髪も服も濡れてしまった。夫は少し離れていたのでぶじだった。どうやら上階の人が窓から水を捨てたようだ。ベランダの植木に水をあげたのかも知れない。
「ひどい・・・」半泣きである。
「もう、パリ嫌い」ぶつぶついうわたしを、夫がなだめる。
「歩き煙草の人は無神経で危険だし、道を譲ってもメルスィも言わないし」
わたしのぶつぶつは続く。海外旅行でのカルチャーショックは何処に行ってもあるものだが、まさか頭から水をかけられるとは思いもよらなかったのだ。

だがもちろん、いいこともあった。
「あ、素敵な本屋さん」「うわ、高級お惣菜屋さん」「雑貨屋さん!」
歩く道々、面白そうな店が並び、それが個性的。値段が高くて、ウインドウショッピングしかできないことも多いが、楽しい。夫がカメラを構えるたびにわたしも立ち止まり、わたしが面白そうな店を見つけるたびに、夫も立ち止まるから、のんびり歩いていたのだ。
そんな散歩道で水をかけられてすぐに、素敵なセーター屋を見つけた。
「あ、いいかも」
カメラを構えて立ち止まった夫に、この店にいるからと言い置き、セーターを手に取って見てみた。やわらかく軽く、シンプルなデザイン。そして何よりリーズナブルな値段だ。パリで服を買うつもりはなかったが、この値段なら日本で新しいセーターを買うのと変わらない。
「スィル・ブ・プレ」
レジに持って行くと、隣りでセーターを見ていた女性に声をかけられた。
「とっても、似合います」
日本語だ。彼女はオーストラリアから来ていて、お嬢さんが京都に住んでいるのだと話してくれた。
気に入ったセーターを褒められたこと。日本語で、笑顔でフレンドリーに話しかけられたこと。濡れた服をすぐに着替えられたこと。このところの冷たい空気にぴったりの温かいセーターだったこと。そして、パリの街のブティックでセーターを買えたこと。そのどれもが嬉しかった。そう思えば、頭から水をかけられたのも、悪くなかったかな。いや、もう二度とごめんだが。
  
夫が撮ったぬいぐるみ犬とセーター。あせたブルーが気に入っています。

サン・ジェルマン・デプレの有名カフェ『レ・ドゥ・マゴ』

絵本屋さんです。通りの向かい側の建物が写真に写りこんでいます。

可愛い看板は、お肉屋さんでした。

お肉屋さんの店先では、チキンがローストされるいい匂いが!

ランチは、もと魚屋さんだったというカフェで、サバ定食。

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パリのアパルトメント事情

パリで借りたアパルトメントは、サン・マルタン運河近く、メトロのジャック・ボンセルジャン駅前、徒歩0分、隣の多くの線が交差する乗換駅レピュブリックまでも歩いて5分ほど。パリ北東に位置するが、とても便利な場所にある。スーパーも2分歩けばBIOにこだわった店があるし、パン屋、カフェ、水やビールなどを買えるコンビニ的な店(もちろん24時間営業ではない)は、ジャック・ボンセルジャン駅前にある。
その便利さにも増して、つい「そろそろ、うちに帰ろうか」などと夫に言ってしまうほどに居心地がいい。ホテルに滞在するのとはまた違った、ゆったりとくつろげる雰囲気があるのだ。ここでしばらく暮らせただけでも、パリに来てよかったとにっこりしてしまう。

居心地の良さの裏付けになる必要不可欠なものは、セキュリティである。貸主さんによると街なかでの掏摸も多いが、泥棒も多いという。それだけにセキュリティはしっかりしているのだ。何しろ部屋に入るまでに鍵を開けなければならないドアが4つもある。たいへんだが安心だ。部屋自体の魅力もあるが、安心の裏付けは大切である。

しかし、そのドアにまた日本との違いを感じる。ナンバーを入力するタイプの通りに面する最初のドアは大きく重く、そして鍵がかかってさえもしっかりは閉まらない。外から郵便くらいならドアの隙間から入れられる。ぴたりと閉まる日本の平均的玄関のドアに慣れていると、どうしてこういう造りにしているのだろうかと疑問に感じざるを得ない。最先端のタッチ式キーなどを使いつつも、ドアに隙間が空くのは良しとする。不思議である。
駅に設置された自動販売機にも、同じことを感じる。販売機のなかがガラス越しに見えるタイプの日本でいえば古いタイプのものだが、クレジットカードが使える。2ユーロのジュースを買うのにもクレジットOKなのだ。

毎日開け閉めする、がたがたとした電子ロックのドアに、新しいものと古いものをどう取り入れていくか、というところの感性の違いを、日々感じた。日本は、新しいものにばかり目を向けすぎているのかも知れないとも思いつつ。

マジャンタ通り沿いにある入口のドアです。

2つ目のドアを開け、螺旋階段を上って、3階の部屋でした。
  
3つ目のドアを開けて、4つ目は、真っ白いドアです。
  
ドアを開けると廊下の先にはキッチン。リビングはアジアン風です。

朝食です。近所のパン屋さんのチーズパンがもちもちでハマりました。
毎朝、散歩がてら買いに行って、焼き立てを楽しみました。

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静物画のなかの時間

パリには大きな美術館がたくさんある。すべて観て回るのはムリだが、ルーブル美術館、ピカソ美術館、現代写真を展示したジュ・ド・ポーム、そしてオランジュリー美術館へと足を運んだ。
そのなかで何故かは判らぬが、心魅かれた一枚の絵があった。
オランジュリーに展示してあったアンドレ・ドランの『台所のテーブル』だ。
絵のことも芸術も、よくは知らないわたしだが、観て、ただ魅かれる、そういうものを大切にしたいと観て歩いたなかで、意味などなく本当にただ強く魅かれた絵がそれだった。いちばん魅かれた絵が静物画だということに自分への疑問を感じもしたが、いや、静物画なのに表情が深い、というところに惹きつけられたのかも知れないと思い当たった。

そして日本語のガイドを聴いて、なるほどとうなずいた。
ドランは、静物画を描くなかで「時間とは何か」という問いを、絶えず繰り返していたという。それは更に「生命とは何か」「死とは何か」という問いかけへと発展し、それらの問いを深く深く見つめ、静物を描いていたのだそうだ。

絵を観てガイドを聴き、その絵から読み取れないストーリーを楽しむのもいいが、ドランのその解説は、何故、自分が『台所のテーブル』に魅かれたのか、すとんと腑に落ちるようなものだった。ガイドを耳から外し、ふたたび目を凝らし、絵のなかのテーブルにのせられた時間に思いを馳せた。

アンドレ・ドラン『台所のテーブル』落ち着いた色合いにも魅かれます。

ルノワール『雪』の解説では「風景のなかに白という色はない。
雪には空の青が映りこんでいるはずだ」と後輩に教えたとありました。

ウトレロ『ベルリオーズの家』モンマルトルの風景だそうです。
ルーブルもオランジュリーもピカソ美術館も、撮影OKでした。
絵画保護のためにストロボ禁止ですが、解放感を感じました。

観たかった『睡蓮』の展示がないことにショックを受け、
オランジュリー美術館の前で、しぇーをする夫です(笑)

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ノートルダム大聖堂は遠かった

自他ともに認める方向音痴である。
残念ながらそれは、パリに来ても変わることはない。
地下鉄のホームに立てば、電車が到着すると必ずと言っていいほど驚く。来ると思っていた反対方向から電車が来るのだ。だが電車はいい。反対方向から来ても、それを受け入れて表示に従えば正しい方向へと進むことができる。
夫はと言えば、地図マニア。旅先では必ず地図を買う。信じられないことに、進行方向に地図を回して見なくとも、現在地と目的地を把握できる。把握できるどころか、途中に何があるかも瞬時に脳にインプットできるのだ。なので、あらぬ方向に進もうとするわたしを引き戻す役目を、彼は担っている。

パリに来て4日目。ノートルダム寺院を目指し、シテ島に向かった。前日、途中で横道にそれ、たどり着かなかった場所だ。
オランジェリー美術館を観て、マドレーヌ寺院のランチを食べ、その午後のことだ。突然秋が来たような寒さに、途中GAPに寄り夫のパーカーを買った。オランジュリーで一番観たかったモネの『睡蓮』の部屋が閉鎖中だったことと、急な寒さに疲れていたことが起因しているとは思うのだが、ふたりとも降りる駅の名を確認せずに降り立ってしまった。駅の外に出て、ようやく気づいた。メトロのシテだと思って降りたところは、乗ったはずのシャトレだったのだ。狐にでも化かされたような気分だった。
「どうして? 確かにシャトレで乗り換えたのに」
「シャトレから乗って、シャトレで降りたってこと?」
ふたたび乗り直すも、疑心暗鬼にならざるを得ない。
「次もシャトレだったら、どうしようか」
「メトロのシャトレから、一生出られないってこと?」
「シテは、遠い・・・」「ノートルダムは、遠い・・・」
時間のひずみ。ブラックホール。メビウスの輪。不穏な言葉ばかりが頭をよぎるが、着いた駅はちゃんとシテだった。夫が、地下鉄路線図を見直している。
「シャトレ駅は、もう一つの駅と繋がっているんだ。乗り換えの時、ずいぶん歩くなあと思ったら、一駅分歩いてたんだよ」
「なんだ、そうか。東京駅と大手町。永田町と赤坂見附みたいなやつね。一瞬、パリには魔法が存在するのかと本気で思っちゃった」
そんなふうにしてたどり着いたシテ島のノートルダム大聖堂は、息を呑むほど荘厳な建物だった。

『ノートルダムの鐘』って映画があるけど、鐘は何処だろう。

メトロのシテ駅前。やっと着いた~。駅前には植木市、いやガーデニング市?
日曜には、うさぎや小鳥、小動物を売る小鳥市になるそうです。

パリはシテ島から広がっていった街だとか。ゼロ地点は、ここ。
パリができた場所に立った記念写真を撮る人であふれていました。

なかに入って、ふたたび息を呑みました。
大きさ、高さ、美しさに、圧倒されてしまいました。

ステンドグラスも、綺麗でした。

怪物ガーゴイル達は、なんと雨どい。お洒落ですね。
数えきれないほどいました。そして表情もそれぞれ。

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パリでは歩きすぎにご注意

「蚤の市とマルシェを、観に行こうよ」
市をぶらぶら見て回るのが好きなわたしが言いだして、パリは東側に位置するバスティーユの市に向かった。
ガイドブックによれば「マレ・バスティーユ地区」とくくられる歴史的建造物と最新トレンドが共存するお洒落な街。市がなくとも歩けば楽しそうだった。
「そこからシテ島に渡って、ノートルダム寺院に行こう」
夫が、さくさくと計画を立ててくれた。シテ島は、セーヌ川に浮かぶ島だ。
「夕飯食べるビストロも、探そうか」「いいね」
晴れたパリ。そんな風にして、地下鉄に乗りバスティーユに向かった。
迷うこともなく、蚤の市とマルシェが併設しているマルシェ・ダグリールに到着。色とりどりの野菜やフルーツ、花の他、チキンの丸焼きを売る肉屋や魚屋、チーズ専門店やワインがいく種類も並ぶ酒屋もある。見て歩くだけで、楽しい。蚤の市には、古本やアフリカの雑貨、衣類、アクセサリーなどが並んでいる。古本屋ではりねずみの絵本を見つけ、3ユーロで買った。

マルシェ・ダグリールを堪能し、バスティーユからマレへと向かった。
「街並みも、店もお洒落だね」
夫は、立ち止まってはカメラを構える。
「地図にはないけど、綺麗な庭園があるよ」
ふらふらと入って、ベンチで深呼吸する。
「ここまで来たら、ピカソ美術館が、すぐそこだよ」
「リニューアルした建物がかっこいいって、友達オススメの美術館だ」
ピカソ美術館は絵のコレクションもさることながら、建物が本当にかっこよく、すっかり長居してしまった。そこで、ふたりアイコンタクト。
「シテ島は、今日はもう、やめようか」
「ノートルダム寺院は、明日か明後日ということで」
地下鉄乗る? いや、地下鉄乗るのがもったいないほど面白い街並みだよ。などと言いつつ、結局アパルトメントまで歩いてしまった。
「疲れたあ」「歩き過ぎだろ」
言いあうも、誰のせいでもない。パリはけっこう狭いから、歩けてしまう。体力に自信がある訳じゃなし、歩き過ぎに注意しようと出発前から話し合っていたというのに、やはりハマってしまったのだった。

青空市のマルシェでは、フルーツが綺麗に並べられていました。

野菜も綺麗。大きさと形が、日本で見るものと微妙に違って面白い。

魚屋さんの店頭には蟹。生きてうごめいていました。

古本市で買った絵本と、休憩に飲んだハーブティ。
ほんとはカフェオレ、頼んだつもりだったのにどうして?

マレ地区にはめがね屋さんが多かった。パリの鯖江?

パリでもっとも古いユダヤ人街。名物ファラフェルを売るお店です。
ピタパンにひよこ豆のコロッケと野菜を挟んだサンドイッチは、
とってもスパイシーで、美味しかった!

ピカソ美術館の中庭で休憩。抜けるような青空が広がっていました。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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