はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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夕暮れの八ヶ岳

「ヤツを撮りに行くけど、行く?」
びっきーの散歩から帰った夫が、上着も脱がずにカメラを持ち忙しく言った。夕暮れの八ヶ岳を撮りたいのだとすぐにわかったので、ダウンを羽織り、何も持たずにフィットを飛ばした。町の外れまで5分。夕暮れに間に合った。
「綺麗だねー」
わたしはしばし夕暮れの八ヶ岳を眺め、あとはインドア派らしく車からガラス越しに見ていた。アウトドア派の夫は、冷たい空気にもめげず望遠レンズを付けた一眼レフを構え、いく度もシャッターを切っている。その間に八ヶ岳は少しずつ少しずつ色を変えていく。ここ2日ほど雲隠れしていたヤツは、その間にたっぷりと雪化粧を施していて、夕焼けが映えた。
わたしがいる車内からは、南アルプスの山々も八ヶ岳も見渡せたが、彼は無心にヤツだけを捉えようとカメラを向けていた。
 
道行く車がスモールライトを点灯し始めた頃、夫は車に戻ってきた。
「色を変えていく姿が面白いね」と、わたし。
「すごいよね。どんどん変わっていくね」と夫。
毎日見ている八ヶ岳。だがこんな風に日が暮れていく様をじっくり見るのは初めてだった。
「いいもの見せてもらった。ありがとう」
そう言ったわたしの横で夫は、冷たくなった指先でカメラをいじり、撮った写真を無心に見ている。その彼を見て考えた。夫婦ってこういうものかもと。彼が見たいと言った風景を一緒に眺めたり、わたしが読んだ本を彼が読んだり、彼が聴く音楽をわたしが聴いたりして、毎日がほんの少しずつ豊かになっていく。それってけっこう素敵なことかもと。

夫の作品を1枚分けてもらいました。
左から阿弥陀、中岳、赤岳だそうです。わたしにはどうしても覚えられない。

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叱られた夢

夫とふたり、初詣の帰り道、甲府まで買い物に出た。
その途中、車線変更に失敗しそうになり、ヒヤッとした場面があった。ドライバーはわたしだ。ドライブは好きだが自分の運転技術に自信がないわたしは、いつも注意しすぎるくらいに注意を重ねて運転している。それで事無きを得たというところはあるにしても、全く呆れる。いつまでたっても車線変更がうまくならない自分にだ。
 
初夢はぐっすり眠ったせいか覚えていないが、昔見た夢を思い出した。末娘が小学校高学年の時に担任してもらった先生に、わたしが叱られている夢だ。
「いいですか、お母さん。苦手なことから逃げていては、いつまでたっても苦手なままなんですよ」
勉強も遊びもいつも一所懸命で、子ども達を丸ごと包むような懐の大きさも持った彼は、子ども達に「マルちゃん」と、ちゃん付けで呼ばれていた。マルちゃんはわたしよりもずいぶん年下だったが、臆さず淡々とわたしを叱った。もちろん夢の中でだ。
「やらなければ、できるようにはならないんです。挑戦してみることで初めて克服できるんですよ」
わたしはうなだれ、はい、はいと話を聞いている。
「失敗したっていいじゃないですか。やってみましょう、車線変更」
しかし、マルちゃん。車線変更、失敗して事故ったら洒落になんないよ。そう思いつつも、わたしは目が覚めるまで、ただただ叱られ続けていた。
山梨に越してきて、春には13年になる。バイパスに出ない限りは車線変更の機会さえない田舎だが、それにしても呆れる。苦手な車線変更から逃げ続けている自分にだ。
 
子ども達には、苦手なことにも挑戦して欲しいと思ったりもする。やりもせずに苦手だからと遠ざけていては、体験できるはずの楽しいことも体験できず、人生もったいないんじゃないかとも思ったりもする。ところが自分はと言えば、この有様。子ども達にあれこれ言う資格など持ち合わせていないのだ。
「今年こそ、上手く車線変更できるように練習しようかな」
買ったばかりの朱色も鮮やかな交通安全のお守りを、フィットに乗せた。

お隣の韮崎市は武田八幡宮に初詣に行きました。
御神木と鳥居の向こうに見えるのは我が町の茅が岳です。

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雲は形を変えて

夫に誘われるまま、隣町のそのまた隣、高根町の温泉に行った。
正月2日も正午。「たかねの湯」は、人もまばらでゆったりと身も心も芯から温まることができた。館内は温かく髪も乾かさずにマッサージチェアに座った。10分百円。マッサージチェアの前はガラス張りで山や木々や空が広がる。マッサージをしながら流れる雲を眺めた。テレビでは、箱根駅伝の中継が流れている。箱根は風が強いらしい。「たかねの湯」から眺める雲もすぐに形を変え、流れていく。
 
「行雲流水」(こううんりゅうすい)という四字熟語が頭に浮かんだ。
空を行く雲と流れる水。自然のまま、成り行きに任せて行動することをたとえて言う。物事に執着せず、他の力に逆らわないで、淡々と。好きな言葉だ。
「今年も、新しい年をぶじに迎えられたなぁ」
流れる雲を眺め、ようやく一息ついた心持ちになった。
空を行く雲のように、川を流れる石のように、流れて流されて、心も形を変えていくのかな。10分経ってマッサージチェアが動かなくなってからも、しばらくの間、形を変えていく雲を眺めていた。

温泉につかり、マッサージの後、食堂でランチをして帰ってきました。
夫は「チキン南蛮丼」わたしは「ベジ味噌ラーメン」
生ビールは、娘の迎えがあるので彼に譲りました。ポイント1取得!

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終わりではなく

失敗した。雪掻きで右腕を痛めてしまった。びっきーに引っ張られて痛めた肩を騙し騙し使っていたのだが、それがよくなかったのか、最近、腕まで痛くなっちゃったなと思ってはいたのだ。
しかし無理しなくていいと夫に言われたにもかかわらず、雪掻きに参戦した。自分ではだいじょうぶ、大したことはないと軽視していた。
包丁を持ってもハンドルを回してもビールを飲んでも痛く、3年前に左手を痛めた時のことを思い出し落胆した。完全回復までに1年かかったのだ。しばらく薪は左手で1本ずつ運ぶしかなさそうだ。
「あーあ」声に出して嘆いてみても状況は変わらない。
 
「終わりよければすべてよし」と言う言葉で語るなら、あまりよくない1年だったのかなと振り返った。しかしいやいや。十分いいこともあったよと考える。考えて「まだ終わってない」答えはそこに落ち着いた。
元旦の朝もわたしは目覚めるだろう。たぶん。「完」ではなく「つづく」だ。

サラサラとした綺麗な新雪でした。
真っ白いなぁと眩しく眺め、一息ついてから、やれやれ、と思います。
坂の急カーブはうまく下れるだろうかとか、雪掻きだぁなどと。
厄介だけど、雪って白くて綺麗で憎めないやつなんだよな。

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氷の厚さに南半球にいる娘を思う

犬小屋の横に置いてあるびっきーの水が毎日凍る。
その厚さも日に日に分厚くなってきた。落ち葉や松葉が舞い降りてきては、氷を飾っている。氷を捨て新しい水を入れると、びっきーは待ちかねていた様子で喉をならし飲み始める。
寒いのに冷たい水ではからだも冷えるばかりだろうと、ぬるま湯を入れたこともあった。しかし完全に彼の気を損ねたようで、酷い仕打ちだとでも言うように憮然とした顔をし、ぬるま湯の中に周りの土を鼻で掘って入れ、あっと言う間に水をダメにしてしまった。温かいお湯ではなく水に近いぬるま湯だが、びっきーにとっては水ではない他のものに思えるのだろう。何度繰り返しても同じことをするので根負けした。彼の要求通り、氷のように冷たい外の水道水を入れるしかないと悟った。
頑固だよなぁと、半ば呆れつつ思う。この分厚い氷くらいの頑固さだ。言葉が通じたら、わかってくれるのだろうか? いやいや、理由を理路整然と語り反論したりするのかもしれない。

「真夏のオーストラリアで扇風機の風に涼んでるきみの飼い主から、2月半ばに帰るってメールがあったよ」
びっきーに報告した。
娘には、水が冷たかろうがぬるかろうが気にも留めない大らかな所もあるが、びっきーの頑固さは、やはり飼い主譲りだろう。こうと決めたら譲らない頑固さも持ち合わせているのだ。この分厚い氷ほどの、そう簡単には溶けそうにない頑固さ。そうでもなければ、片言の英語を使い、ひとり海外で1年間働いたりなど、できないだろうとは思ってもみるが。
「びっきーが、首を長くして待ってるよ」
分厚い氷を眺めつつ、寒空の下、南半球にいる娘に向けてつぶやいた。2月。真夏のオーストラリアから春を連れて帰って来てくれるかな。

フィットの外気温表示では今のところの最低気温は-8℃。
氷も分厚くなる訳ですね。
道路の雪もまだ少し残っていますが、タイヤが滑るほどではありません。

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湯島天神の転がらない鉛筆

受験生の娘に先月、湯島天神のお守りを買って来た。
去年、修学旅行で行った大宰府のお守りもあるし、いくつもあっても逆にご利益が薄れるような気もするし、あまり喜ばないかもしれないなと思いつつも手渡した。しかし湯島天神と聞くと、娘は意外にも嬉しそうな顔をした。
「鉛筆は売ってた?」と娘。
「あったと思うけど」と曖昧な記憶をたどり、わたし。
「鉛筆があったら、欲しいな」と娘。
聞けば、夏にふたりで観ていたアニメ『黒子のバスケ』の如何にも秀才という顔をした緑間(みどりま)が、勉強ができない火神(かがみ)に呆れ、これを転がして答えをかけと言った鉛筆が、湯島天神のものだったのだ。通称「緑間鉛筆」百発百中とはいかなくとも90%以上の正解をたたき出す。
 
所用で東京に行き、緑間鉛筆ではないものの湯島天神で鉛筆を買って来た。手に取ると鉛筆は六角ではなく四角で、そもそも転がらないものだった。
しかしサンタに合格を頼もうかと迷った挙句「自力で手に入れられるものを頼むのは嫌だよね」と腕時計を頼んだ彼女のことだ。湯島天神の鉛筆は、試験会場で転がされることはないだろう。それでも、彼女の頑張りに一役買ってくれるかもしれない。
神経質な理屈屋、そのくせ常にげんを担ぐ天才シューター緑間は、あまり好きになれないキャラだが「緑間、よろしく!」鉛筆に願をかけた。

女坂を登った湯島天神の入り口です。
本堂は、初詣用にお賽銭箱の増設工事中でした。
あまり風情のある風景ではありませんでしたが、だからなおさら、人ってこうして季節季節の階段を上るように生きているんだなとしみじみしました。

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サンタは慌ただしい朝に5分だけ顔をのぞかせた

「クリスマスプレゼントは、マフラーにしてね」
今年チェスターコートを新調した夫からのリクエストを受け、ひと月ほど前に、色を合せてマフラーを購入した。そして、一応リボンをかけてもらった包みを夫に渡した。
「あ、これ。マフラー」
しかし夫は、あからさまに抗議の態度を示した。
「クリスマスプレゼントなんだからさ、イブの夜とかでしょ、普通」
だがせっかくコートに合わせて選んだマフラーなのだ。今ここにあるのに、ひと月も待つのはもったいない。
「だって、ここにあるのにクリスマスまで待つの?」
「そりゃそうだよ」
夫は頑なに袋を開けようとしない。もったいないなぁと思いつつ、袋をしまった。しかしそれから一週間後の朝、出掛けに夫が新調したコートに去年のマフラーを巻いてるのを見て、
「絶対、こないだ買ったマフラーの方が合う」わたしは主張した。
「じゃあ、持って来てよ。あと5分で出るよ」
わたしは、大急ぎでリボンをほどき、箱を開け、マフラーのタグをはずし、夫に手渡した。
「メリークリスマス!」
「まだ、クリスマスじゃないけどね」
そう言いつつも、彼も気に入った様子で、コートを買った店の店員に教わったというミラノ巻きをし洗面所の鏡で確認している。
「いいね」と夫。
「いいじゃん。ぴったり!」わたしは、褒めちぎった。
そして夫は慌ただしく出かけて行った。新しいマフラーはとても温かそうに見え、わたしも幸せな気分になった。
イブの夜のプレゼントはなかったが、その慌ただしい朝の5分の間に、たぶんわたし達夫婦にはサンタがやって来たんだろう。ちょっとファンタジックで特別な、そしてごくごく普通でもある朝の5分間だった。

ミラノ巻きと聞いて、カリフォルニアロールを連想するのは、わたしだけ?
サンタがサーフィーンする国にいる娘はどんなクリスマスを迎えたかな。

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日和見フィット

冷え込んだ朝、車中での娘との会話。
「あれ? フィットの外気温表示、3℃になってる」とわたし。
「嘘だぁ。そんなわけないよ、こんなに寒いのに」と娘。
「だよねー」「おかしいねー」と話して、ふと見ると表示が-3℃に。
「あー、やだなぁ。フィット、あわてて修正した」と娘。
「嘘がバレて誤魔化したね、今の」とわたし。
 
翌日はいきなり-6℃だった。
「うわっ、正直すぎるでしょう」とわたし。
「思いやりが欲しいね」と娘。
「正論を言うやつは嫌われるんだよ」
「せめて-4℃くらいにするのが常識だな」
「あ、-5℃になった」「無言で、しっかり聴いてるし」
朝の寒さに切れて、ふたりフィットに言いたい放題だ。それにしてもフィットの日和見的な反応は、やけに可笑しい。可笑しくて、ふたりで笑う。笑うと体温が上がる気がする。日和見フィットのおかげで、無人駅のホームに立つ娘の周りの気温は1℃くらい上がっているんじゃないかな。たぶん。
 
「だってだって、そういう設定なんだもん!」とか、
「もう! 走るのやめた」とかフィットが思ったかどうかはわからない。
「ごめんなさい。毎日ありがとう」
降りる時に心からの礼を述べたが、凍った黒のフィットは憮然としているように見えた。

玄関の前の駐車場。八ヶ岳は朝焼けに染まっていました。

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バカはシャングリラを目指して

この町の子ども達は、アメリカセンダングサのことをバカと呼ぶ。黄色く小さな花を秋に咲かせるこの雑草は、種が服に付きやすく、タンポポのように飛ぶことはないが、動物や人に付いて移動し、あちこちに生息している。
で、子ども達は、友達の背中にその種をくっ付け、囃し立てるのだ。
「バカが付いてるぞー!」「バカだらけー!」
他愛のない遊びだ。他の町でもこの植物は、バカと呼ばれているのだろうか。
 
ネット検索してみたら、なんと様々な地方でバカと呼ばれていることが分かった。まるでアメリカセンダングサの種のようだ。人の口という媒体を通し、その通称さえも雑草の如くしぶとく生き残り、広がったのだろう。
世界中を旅するバカを思い浮かべ、洗濯物に付いた種を一つ一つ取り除く。
「旅に出ようかな」
小さく細い種をつまんで、つぶやくと、娘達が一時期よく聴いていたロックバンド、GO!GO!7188の『シャングリラ』のメロディが思い浮かんだ。
♪ 泣いてばかりじゃマスカラが落ちてしまうから そろそろ旅に出なくちゃね
『シャングリラ』には、理想郷って意味があるらしい。わたしもバカのように、シャングリラを目指そうか。そろそろ旅に出なくちゃね。

花はすっかり終わりました。散歩中、びっきーにもよくくっ付いてます。
散歩コースには畑の如く、アメリカセンダングサが広がる空き地があります。

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一瞬の小さな出来事

娘と一緒に流れ星を見た。双子座流星群が流れた夜だ。
夜9時まで友人達と勉強会をする娘を迎えに行き、帰ってきたのは9時20分くらいだろうか。車を降りると星がいつもに増して数多く輝いていた。
「おー、オリオン座がくっきり見える」
わたしの言葉に娘が顔をあげた瞬間、星が流れた。
「流れ星!」「うわっ、久々に見た!」
寒空の下ふたり歓声を上げた。
「そう言えば、今夜双子座流星群が流れるんだった」
「そうだった!」
流れ星を見た後にふたりで気づいた。朝、娘からその情報を聞いたばかりだったのに、すっかり忘れていたのだ。後から気づいたことがまた可笑しくふたりで笑う。流れ星は、確かな存在感を示し綺麗な線を夜空に描いたが、何か儚く、まるでわたし達、母娘へのプレゼントのような気がして嬉しかった。
一瞬の出来事。ほんの小さなことだ。きっと娘はすぐに忘れてしまうだろう。だから余計に取っておきたいと思った。朝聞いた情報すらすぐに忘れてしまうわたしだが、忘れずにおこうと、胸の中の大切な場所にしまった。

リビングに置いてある貝殻でできた教会。知人の画家さんが作ったものです。
蝋燭のようにちらちら灯るライトが入っていて雰囲気があります。
こんな教会に住んでいたら、いつでも流れ星が見られそう。

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亀の首が手放せない季節

娘はいつも薄着で、まとわりつく感じが嫌いなのかタートルネックは着ない。
しかしあまりに寒い時、家の中でマフラーを巻いている。
「タートルネック着ればいいのに。いつでもユニクロで買ってくるよ」
わたしが言ってもイエスと言わない。薄手の物なら持ってもいるはずだ。なのに、マフラーだ。
そのマフラーをしたまま、彼女は炬燵でうとうとしていた。
そして「うわっ! 」と、突然起き上がった。
「どうしたの?」と、わたし。
「いやー、びっくりしたー。首になんか布が巻きついてて、何これ? って思ったらマフラーだった」
「だからー、タートルネック着ろって言ってるのに」
「タートルネックってさ、直訳すると亀の首だよ」
「ほんとだ」言われてみると笑ってしまう。
「亀の首ってさーって感じじゃん」「だねー」
しかし母は、その亀の首を手放せない。亀の首なしでは即座に風邪をひき、寝込む様が見えている。だから毎日亀の首を着ている。
とはいえ亀の首? 言葉って不思議だ。

タートルネックはほとんどユニクロの無地のもの。
ちょっとアレンジすれば、楽しくおしゃれに着られます。

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難を転ずる小さく赤い実

今年は庭の南天がたくさん実をつけた。
赤い実と緑の葉の組み合わせはクリスマスカラーにも関わらず、お正月を連想させる。和の雰囲気を持つせいもあるが、縁起がいいとお正月に飾られるからだろう。南天(なんてん)は、その音から難を転ずると言われているのだ。
 
わたしの難、転ずるかな。今年もいろいろなことがあった。転じて福になるような種類のわざわいなら自分で転じてきた気もする。夫と、またはひとりで、それから友人達と飲みたいだけ酒も飲んだし、時には怒り、時には泣き、時には眠りたいだけ眠り、時にはしゃべりたいだけしゃべり、笑いたいだけ笑って、わざわいだって何だって笑い飛ばしちゃおう! って感じで。
Look at the bright side. 
「どんな出来事にもいい面は必ずあるし、明るい側面を見て生きていこうよ」
南天を見ながら、今年の夏、友人にもらった言葉を思い出す。
ひと房切って、南天を窓際に飾った。難を転ずる小さく赤い実も「それでいいさ」と笑っているように見えた。

夫の友人のガラス工房の花瓶に、南天はよく似合います。

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初雪

休日の朝。カーテンを開けると「雪?」娘が嬉しそうな声を出した。
「こんにちは」と挨拶するようにウッドデッキにはうっすらと初雪が積もっている。今年は早いなぁと思っていたら「例年より1日早い初雪」と、朝のニュースが聞こえた。
そうか。早いわけでもなんでもなく、もう初雪が舞う季節なのだ。
12月に入り1週間。書類やメールで12月という文字を何度も目にしているというのに、わたしの中ではまだ、11月が終わらず居座っている。
今年中にやろう、年内にやっておこうと思っている様々なことがあるのに、時は容赦なく過ぎて行く。たぶんそれで自分の時間を止めていたのだ。11月という何とも中途半端な場所で。
雪はしんとも言わず教えてくれた。「今年もそろそろ、おしまいですよ」
何処までも雪は白いなぁと思いつつ修正した。
「今年中に」を消し「今期中に」春が来るまでにということで、ま、いっか。

と言いつつ、忘年会で「去年は」と今年のことを言ってしまいました。
何処までボケているのやら……

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匂いの記憶

たまに気分転換にお香を焚く。
お香には「香道」と呼ばれる作法やら何やらもあるらしいが、わたしは、ただ焚いて香りを楽しんでいる。香りを楽しむことは「聞香(もんこう)」香を聞くと言う。嗅ぐと言わないのは匂いに問いかけ、その答えを聞くという意味合いがあるそうだ。
確かにお香を焚くと、心がしんとする。気持ちが落ち着くことで、何かを問い答えを聞く空間が、そこに生まれるのかもしれない。
 
匂いの記憶がある。川崎に住んでいた頃、子ども達が通う幼稚園までの道程に沈丁花が咲く庭があった。まだ春と呼べない冷たい空気の中で咲く沈丁花の香りは強く、嗅ごうとしなくとも道行く人の中に入ってくる。
「あ、沈丁花咲いたんだ」大きく息を吸い込む。
3人の子育て中、忙しい母は、季節も何もかも忘れてしまうことが多く、毎年のように沈丁花に、もうすぐ春だよと教えてもらった。もうすぐだよ。だから、だいじょうぶ。そんな風に励ましてくれているようにも感じた。
まだ冬はこれからだが、お香を焚くと春を感じる。たぶんわたしの中の匂いの記憶が、沈丁花が咲くようにふわりと開くのだ。

葉っぱに乗ったテントウムシの香炉、とても気に入っています。
金属でできた双葉も春を呼んでくるようです。

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薪運び

週末、夫とふたり、ウッドデッキに薪を運んだ。
デッキの上には、夫が作った簡易薪置場があり、ここに運んでおけば雨に降られることなく北風に吹かれることなく、薪小屋まで行かずともリビングに薪を運べる。楽ちんだ。
「肩が痛いなら、ムリしなくていいよ」と夫。
「だいじょうぶ。軽い薪だけ運ぶね」
びっきーに引っ張られた肩もだいぶよくなった。
黙々とふたり薪を運び積む。空気は冷たかったが、薪を運ぶうちにからだが温まった。薪ストーブは、割って運んで燃やし3回温まると言われる通りに。
夫は4か所ある薪小屋の、どの場所に、いつの薪が積んであるか知っている。わたしは覚えられないので、指示に従って運ぶ。何も考えず運ぶ。からだを動かす単純作業の気持ちよさを味わうのみ。しかし彼は試したがりなので、古い薪から順々に燃やすのが基本だが、まだ1年置いていない薪でも、これは燃えそうだというものを試したがる。どれが火力が出て、どれが燃えやすく、しかしすぐに燃え尽きてしまう薪もあり、そんな薪を判別、分類、鑑定するのが好きで、頭も使って運んでいるようだ。
「この桜は、イマイチ火力が出ないな」
「確かに去年よく燃やした梅の方が、火力抜群だったね」
わたしは、試したがりさんの薪鑑定結果報告を受け、感想を述べる。
「さっきの丸太の薄切り、よく燃えたよ」
「あれは、カラカラに乾燥してたからな」
そして彼の薪にまつわる思い出話を聞く。
「この桜はさ、ほら、あそこのスタンドの近くの」
割られてすっかり乾燥した薪が、切り倒されたばかりの大木だった時のことや、譲ってくれた人の話だ。
ストーブの中では、薪が勢いよく炎を上げている。
わたしには薪鑑定能力はまるでないが、薪を運び、それを燃やし、部屋を温める。そのシンプルさが、とても気に入っている。

今回運んだ薪はすべて桜の木でした。木肌が綺麗です。
ここに置くのはさらに陽に当てて乾燥させることにも繋がります。
1階と吹き抜けで繋がっている2階には娘達の部屋があり、
温まった空気はいちばんに末娘の部屋に上がっていきます。
ストーブの恩恵、最もあずかってるのは彼女かも。

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7時1分の謎

毎朝、7時1分に7時1分と会う。
無人駅に同じように送り迎えをしている「・7  01」というナンバーの車を娘とわたしは7時1分と呼んでいる。
娘は7分の電車に乗るので信号待ちや何かを考えて7時過ぎには着くようにしている。同じ電車に乗る同じ高校に通う男の子を送って来ているようだが、娘とは知り合いではないらしい。その7時1分が、いつも子どもを降ろした後もしばらく停車しているのが気になっている。母親と思われる人は、煙草を吸うでもなくケータイをいじるでもなく、珈琲をドリップする様子も見られない。
「7時1分、なんですぐに帰らないんだろう?」
駅に着き、助手席でマフラーを巻き始めた娘に疑問を投げかけてみた。
「見守ってるんじゃない? あの子が学校に通うのもあと何日だわとか」
感傷にひたって、毎朝背中を見つめているのか?
「あ、助手席に犬がいる。犬が改札辺りずっとを見てる」
無人駅なので改札はないのだが、毛の長いベージュの小型犬は、確かに男の子が歩いて行った方を見つめていた。
「犬が見守ってるのかな?」「ワン」
娘は相手にしていられないというように擬音で返事をし、マフラーを巻き終え車を降りた。
「お兄ちゃん、行っちゃったね」「ワン」
「淋しいけど、お家に帰ろうね」「いやだワン」
などという会話が繰り広げられているのだろうかと思いつつも、わたしは7時1分を残し、毎朝、駅を去る。
永遠に解けない謎というものが、人生には散りばめられているのだ。
帰り道、見つけて手折った野生のツルウメモドキ。
何処に飾ろうかな。

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家宝に穴が

キイロスズメバチの巣に穴が開いた。
夫は壊さないように軒下から降ろし家宝にしようと思っていたらしく、すっかり気落ちしている。果報は寝て待てというが、寝て待ってる間に家宝に穴が開くこともあるのだ。
「もういいや。無理して降ろすことないし放っておこう」
蜂は見かけなくなったが、まだ中にいるかもしれない。しっかり軒下にくっついているからノコギリで切らなきゃならないだろうとか、下で受け止める人が必要だとか言っていたので、それで刺されでもしたら嫌だなぁと思っていたが、その心配はなくなったようだ。しかしまた別の心配が浮上した。
 
「問題はキツツキだな」と夫。
蜂の巣だけじゃなくて家にも数か所穴が開いている。今も時々やって来てコツコツ音を立て仕事に励んでいるのだ。コゲラか。アカゲラか。悪戯につついているわけではないだろう。家に巣を作るキツツキもいるという。ペンキを塗ってから数年経つし、調度いい頃合いの木を見つけたと喜び勇んでやってきているのかもしれない。
北側の軒下は我が家で一番高い場所にあり、地面からだと6m程。梯子をかけても届かない上に地面のすぐ下は傾斜になっていて一番下までいくと約10m真っ逆さまに落ちることになる。危険は蜂の巣だけではないのだ。
「とりあえず、蜂の危険が無くなるまで様子見かな」
しばらくサスペンドするということで落ち着いた。
やれやれ。一難去ってまた一難。蜂の巣騒ぎはどこまで行くのやら。
よーく見ると穴の中に蜂の巣模様が見えます。
みんなで協力し、こんなにも緻密なものを作り上げる蜂ってすごい!

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母親の影響力を消す努力

娘は受験生であるから、間違ったことは教えられない。しかし、わたしは自分の知識にまったく自信がない。そういう時にはどうすればいいのか。母が言うことを信じてはいけないと、きちんとすり込むことが大切なのだ。
「東京と山梨ってキロにするとどのくらいの距離?」
娘に聞かれ、わたしは考えて答えた。
「200kmくらいかな」「そうか」
しかし、ここで話を終えてはいけない。
「では今、母が答えを出すまでの頭の中をお見せしましょう」
わたしは、真実を偽ることなく話し始める。
「まず、新幹線はどのくらいの速度で走るか考える」「はあ」
「時速250キロ♪」と新幹線の歌を歌う。「はあ」
「で、あずさは新幹線より遅いから150キロくらいと考える」「はあ」
「新宿、甲府間あずさで1時間半だから、200キロかなって」「……」
「なので信憑性はまるでありません」
「わかったけど、その新幹線の歌って何?」
「びゅわーん、びゅわーん、びゅわーん、走るぅーーー♪」
「返事になってないけど……」
とまあ、こんな感じで母の知識の信憑性のなさを度々アピールしている。
(JRによると新宿甲府間123.8kmだそうです)
 
母親の影響力と言うのは、頭で考えるよりも大きなものだと、わたしは思っている。子どもの頃の体験から得たものだ。
「お母さん、牛って漢字は、上、出るの?」と小学3年生のわたし。
「出ないよ」と母。しかし出ないと午だ。それをわたしは、中学に上がるまで信じていた。母の言葉を信頼していたのだ。
中学に入り気づいた時には苦笑した。たぶん母には悪気はない。何か他のことをしながら娘の言葉に答えたのだろう。生返事をしただけだ。母親って。と中学生のわたしは自分に呆れながらも思ったものだ。
 
「駿河って静岡だよね?」と娘。
「わかんないけど、海の辺りってことはわかる」とわたし。
「河なのに?」「では、今考えたことをお話ししましょう」「はあ」
「駿河のするは、するめのするだから、海の近く」
「河はどこ行ったの?」「3文字の内の2文字の方が強い」
「……」娘は無言になった。

オーストラリアの娘が撮った海 駿河ではありません
タスマニアのブルーニーアイランド

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晴れの日も雨の日もある人生を

連休、夫の高校時代からの友人が山を観に来た。
東京在住の彼はこれまでに2度、美味しいワインを持って泊りがけで遊びに来ているが、八ヶ岳も南アルプスも富士山も裾野ですら観ることができなかった。いつも雲が山を覆い尽くしているのだ。
「雨男ならぬ雲男なんとちゃう?」
故郷神戸の友人がそこまで来ていると思うからか、夫の口から関西弁が出た。
「クモオトコって、蠅男じゃないんだから」とわたし。
「晴れることも雨に降られることもない曇りオンリーの人生や」
そして彼は、小雨混じりの空模様の中やって来た。
「雨と共に来ました」と、もう会った途端に自虐的セリフ。
昨日までくっきりと見えていた山々が雲の向こうにすっかり姿を隠している。
その日は夫とふたり蕎麦を打ち、夜は手作りイタリアンでワインを3本空け、3人ずいぶんと酔っぱらった。
翌朝目覚めるも、どんよりとした空。一同言葉少なになるが、八ヶ岳大橋までドライブすることにした。
 
八ヶ岳に少しずつ近づいていく。雲が少しずつ少しずつ流れていく。大橋に着いた頃、八ヶ岳は、その姿を半分覗かせていた。しかし一番高い赤岳の雪化粧した頭に小さな雲がちょこんと乗って動かなくなった。
「ふーっ!」と夫が、届くはずのない息を、雲に向かって吹きかける。
そのせいだろうか。30分ほどすると八ヶ岳を覆う雲はすべてスーッと流れて消えた。八ヶ岳は照れたように、その全容を彼の前に現した。
「本当に、あったんやな」
山の存在自体否定しかけていた彼は、八ヶ岳をじっと見つめた。南アルプスも富士山も、うっすらとだが姿を見せ、実在することをアピールしている。彼が雲男だという疑いは晴れた。彼の人生には晴れの日も雨の日もあるのだ。

八ヶ岳大橋で 赤岳の頭に雲を乗せた八ヶ岳 左側はまだ雲の中

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ゆっくりと訪ねたい地

このところ、東京に出かける度に帰りのあずさが遅れる。
あずさが遅れるといやーな感じがする。失敗したことがあるのだ。うっかり眠って乗り過ごした。それも遥か松本まで。
2年ほど前のこと。飯田橋で2時間ほど友人達と愉快に飲み、
「お先に。8時のあずさで帰るから」きちんとお金を払って店を出た。いいお酒だった。ところが新宿に着くと、あずさが動いていなかった。鹿を轢き1時間遅れだそうだ。新宿の駅中で1時間待つのもばかばかしいので外に出た。西口の立ち食い蕎麦屋が夕方には立ち飲み屋になる。
「ビールでも飲みながら待つか」
ゆっくりと生ビールを2杯空けた。隣には枝豆をつまみながら上司とサワーを飲むサラリーマンや、ビールを片手にから揚げを頼む若者がいた。酔っているという自覚はなく、娘に翌日のお弁当用のパンを買い、きちんと1時間後に遅れてやって来たあずさに乗った。指定席に座り「遅くなっちゃったな」と思った時には眠っていた。だいじょうぶ。甲府に着く10分前にアラームをかけてある。準備は万全だ。
しかしその後自分が取った行動は、とても疑問が残るものとなる。甲府で鳴ったアラームを車掌に注意され「すみません」と謝りアラームを止め、ふたたび眠った。次に起こされたのは松本だった。新宿から昏々と眠ること3時間。甲府までが1時間半だから倍の距離を乗り過ごしたことになる。
「次の鈍行なら無料で戻れますが今日はもう電車がありません」JR職員は慣れた調子で明日朝一番の鈍行ならこの切符で乗れると言った。駅前の東横インでは「乗り過ごしですね。五千円でいいです」乗り過ごし客一まとめ的な扱い。もちろんわたしも乗り過ごし客なので文句は言えない。
娘達に電話してあきれられ、翌日妹を学校の時間に駅まで送ってくれと上の娘に頼む。始発で鈍行に乗り、娘が使う無人駅で待った。パンを渡し謝る。
「お父さんに言うの? 言わないの?」
顔を見るなり上の娘が畳み掛けるように言う。
「ギャグにするしかないね」と答え夫にメールすると、
「しばらく謹慎のこと」と当然のごとく冷たい返事。
松本の滞在時間は5時間弱。できればゆっくりと訪ねたい地である。
娘が通う無人駅

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ペンキ塗りは計画的に

夫と一緒に何かの作業をすると、性格の違いが顕著に表れる。
週末、ウッドデッキのメンテナンスでペンキ塗りをした。
「何処から塗ったらいい?」とわたし。
「じゃ、そっちの端から」と夫。
ふたり黙々と端からペンキを塗り始めた。しばらくして。
「あー、そこ塗っちゃったら、部屋に入れなくなるじゃん」
夫に言われ気づく。ひとつだけリビングに出入りできるようにと開けておいた場所の半分まで、わたしは塗ってしまっていた。
「あー、ほんとだ。ははは。まいっか。ここから入れなくてもさ。玄関から入ればいいじゃん」
わたしは、そのまま塗り続けた。夫が先に塗っていた場所まで到達し、出入り口の方から塗り始めた。
「あのさー」と夫に言われまた気づく。周りはペンキの海で、わたしは塗っていない孤島にひとり立っていた。
「あれ?」わたしは海を飛び越えまだ塗っていない陸に着地した。陸はまだ近く、問題はなかった。
「君には計画性ってものがないの? 出入り口に向かって塗れば、そこから部屋に逃げられたものを」
わたしは陸から手を伸ばし孤島を塗り終えた。
「終わりよければ、すべてよしさ」
「普通は考えて塗るでしょう」夫は呆れ顔だ。
しかし、わたしだって何も考えずに塗ってたわけじゃないのだ。
「あーあ、嫌だなぁ。先のことばっかり考えてる人生なんて」
「だから、ペンキ塗りの話だって!」
ペンキを塗り終え、紅茶と買ってきたサンドイッチでお昼を食べた。夫はミルクたっぷりミルクティー。わたしはストレート。
性格も紅茶の好みも違うが、ふたり一緒にウッドデッキにペンキを塗り、ふたり一緒にお昼を食べた。ふたりの方がペンキは早く塗れるし、ふたりの方が簡単なお昼もずっと美味しく食べられる。
もちろんケンカになることも、ないわけじゃないけれど。

その日コゲラ(小さめのキツツキ)が家をつつきに来ました
「コゲラだ! かわいい」とわたし
「あいつ、人んちをつつきやがって」と夫
娘は冷静に言いました 「あそこの外板に虫がいるのかな?」

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世界は嘘で回ってる

嘘をついた。南アルプスの彼にだ。
酔って頭をぶつけたことを言えなかった。かっこ悪い。ただそれだけの理由だ。しかし頭をぶつけたことを言わない訳にはいかない。贔屓にしているマッサージ師の彼はいつも最後に頭を指圧してくれる。
「立ち上がった時に、出っ張りがあるのに気がつかなくて」
「立ち上がる時、加減する人はいないっすからね」
彼は優しく笑った。そしてむち打ちの症状が出ていないか注意しながらマッサージしてくれた。とても楽になった。
 
つまらないことで人は嘘をつく。他愛のない、つかなくてもいい嘘をつく。嘘を重ねて生きている。彼は、雨の中拾った子猫が、来月出産予定の奥さんの大きなお腹で眠るのが好きなことや、子猫のために、ずっと飼っている4匹の猫の小屋を作ったことなどをにこやかに話しながらマッサージしてくれた。その中には嘘は無いように思えた。
小説や映画では、誰かが言った一言が分かれ道になり世界が変わってしまうというストーリーがあったりするが、わたしがついた小さな嘘は、世界の歯車をほんの少しでも狂わせただろうか。南アルプスの彼が、新しく作った猫の小屋でふとわたしが言っていたことを思い出し、棚に頭をぶつけずに済んだというストーリーも考えられる。しかしその逆も考えられる。酔ってぶつけたと言っていたら、彼はその日は酒を飲まずそれがいい方向に傾いたかもしれない。
しかしまあ、このくらいの小さな嘘は日々そこ此処に転がっているのだ。世界の歯車は小さな嘘で回ってると言ってもいいくらいだ。
 
週末、夫が壊れた引き戸を修理してくれた。壊して申し訳なかったなぁと思いつつ戸をきれいに拭いた。玄関が少し明るくなったような気がした。

引き戸が直って平穏を取り戻した玄関

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レグウォーマー同盟

冷たい朝もレグウォーマーを履けばとても温かい。
レグウォーマーファンのわたしは、普段履きのユニクロの安物から、ジーンズの上におしゃれに履ける模様編みのもの、目立たないけどスカートの下に履いてもおかしくない大人しい色合いのものと、いくつか揃えて楽しんでいる。
娘に薦め嫌がられたが、まあいい。わたしにはレグウォーマー同盟の仲間がいる。クリーニング屋のおばちゃんだ。
何年か前に、風邪をひいたと言うおばちゃんにレグウォーマーを薦めたら、
「運転できんから、買いに行けなくてさ」というので、
ユニクロの990円のレグをプレゼントした。
それ以来、今頃の季節になると、クリーニング屋の店先でこんな会話をする。
「寒いねぇ」「冷えますねぇ」「もう履いたよ」「わたしも!」
そして店先でふたりジーンズを捲ってレグを見せ合うのだ。見せ合って笑う。笑うとからだじゅうほかほか温かくなる。毛玉のついたユニクロのレグは、毎年そうしてからだじゅうをほかほかと温めてくれる。
ジーンズ用の2色使いのレグウォーマー
温かいカラフルな飾りがついたショールと合わせて

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「ツイ禁」って知ってる?

新宿で久しぶりにデパ地下に行き、珈琲豆を買った。山梨にも美味しい豆を焙煎する珈琲屋はあるが、このごろいろいろな味を楽しむことを覚えた。
「デパ地下」をちゃんと変換してくれるパソコンは賢い。しかしさすがに「ツイ禁」(ついきん)は変換できなかった。娘に聞いた目新しい言葉だ。
受験生である彼女は、友人達とツイッターでジョークを言い合ったりして遊ぶことが多いようだが、それにハマりすぎてもいけないとツイッターを自ら禁止する友人もいるとのことだ。ツイッターを禁ずる。それが「ツイ禁」だ。ツイッターを減らす「ツイ減」(ついげん)なる言葉も使うそうで、もう大人には訳わからん状態だ。
4つの音からなる言葉が日本人にしっくりくるのはわかる。パソコンもケータイもリモコンも、すでに元の言葉より馴染んで使ってしまっている。
わたしは使わないが誕生日プレゼントは「誕プレ」だし、『世界の中心で愛をさけぶ』は「セカチュウ」と略された。「百均」を百円均一の店と呼ぶ人はもはやいないだろう。
綺麗な言葉を使いたいとは思っているが、4つの音からなる略語には受け入れてもいいかなという面白さもある。「デパ地下」だってデパートの地下食品売り場の略だと思うが、「食品」が抜けていても「デパ地下」の中には食品売り場の意味が色濃く表現されている。その辺りがなんとも面白い。
娘は「ツイ禁」も「ツイ減」もしていない。自分でコントロールできる場所にいたいのだそうだ。新しい言葉を受け入れつつも彼女は美しい日本語が好きだ。小学校卒業時に選んだ好きな四字熟語は「花鳥風月」だった。
そういえば、オーストラリアでワーキングホリデー中の娘がら「メルボルンからタスマニアに渡った」とメールがあった。小学生の頃、彼女が選んだ四字熟語は「十人十色」変わらずに彼女らしくやっているようだ。
タスマニアの草原 タスマニアデビルには会ったのかな?
CouchSurfing(カウチサーフィン)を利用して
いろいろなお家にお世話になったみたいです
カウチ=ソファーをサーフィンする つまりソファーを渡り歩くという意味で
海外旅行者を受け入れてくれるお家があるんだそうです

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永遠に付けられることのない第2ボタン

「ネクタイが似合うね」
制服でブレザー姿の娘が久しぶりにネクタイを締めていた。娘の学校は進学校ならではの自由さがあり、女子のリボンやネクタイなどは何を付けてもいいことになっている。付けなくてもOK。ショッキングピンクのスカーフだってOKだ。娘はモノトーンのチェックのネクタイをぴしりと締めていて、かっこよく見えた。しかしわたしの言葉に彼女は顔を曇らせた。
「それは何かの暗喩?」
「いやー、早くブラウスのボタンを付けろなんて言ってないよ」
「言ってるじゃん!」
娘は、とれてしまったブラウスの第2ボタンを付けるのをずっとサボっている。ボタン付けくらいは自分でやるように言ったのだが、サボり続けている。それを隠すために普段はしないネクタイを締めているのだった。たぶん、彼女のブラウスの第2ボタンは永遠に付けられることはないだろう。
「まったく誰に似たんだか」
駅で娘の後ろ姿を見送りながら口をついて出た言葉に、自分で苦笑する。わたしに似たのだ。ボタン付けくらい簡単にできるのだが、ただただ面倒でついサボる。後まわしにしてしまう。アイロンかけもおなじくで、つい溜める。
しかし、そんなわたしだが娘の制服のブラウスだけは、毎日アイロンをかけている。かけなくても着られるタイプのものだが、アイロンをかけたブラウスに娘が毎日手を通す。それだけで風邪をひかないような気がするのだ。第2ボタンがとれたままのブラウスにも、クスリと笑いながらアイロンをかける。永遠に付けられることのない第2ボタンは今何処にあるのだろうかなどと、思いめぐらせつつ。

お菓子の箱を利用した裁縫箱 リスくんとカラフルな針山がお気に入り
夫はシャツにこだわっているのでボタンをつける糸の色も様々です

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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