はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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君達アウトドア派だよね?

「殺戮の日々だよ」ぐったりと疲れ、娘に愚痴をこぼした。
「ドンマイ」彼女は軽さを失わないよう注意を払いなぐさめてくれる。
いつものことだが、ゲストを招きバーベキューをすると、ウッドデッキの網戸開けっ放し率が急上昇し、結果たくさんの虫達が「こんばんは!」と喜んで入ってくることになる。「こらこら、招待したのは君達じゃないよ」と言いたいが、言ったところで誰も聞いちゃいない。
その後しばらくの間は、虫さん惨殺の日々をおくることになる。悲しい。殺される虫も悲しいだろうが私も悲しい。「別に殺したいわけじゃないんだよ」と誰彼となく言い訳したい衝動に駆られる。
「わたしはインドア派だけど、君達アウトドア派だよねー。お外に行こうよ、お外に」
できるかぎりは説得し外へ出てもらうが、言ってもわからない虫さんがほとんどで、殺し屋のごとく殺戮を繰り返す日々をおくることになってしまう。
 
しかしその、殺戮の日々もほぼ終息を迎えた。
洗濯を干しにウッドデッキに出た途端、肩に巨大コオロギが乗ってきたりはするが、アウトドア派の彼らは大概説得に応じてくれる。
「君は肩乗りコオロギじゃないよね? あまりに気安いぞ。マナーをわきまえようね」
巨大コオロギも、はいはいとでも言うように素直に飛んでいった。
隣の林のクヌギには、カブトムシやクワガタ、カナブン。そして今年はオオムラサキ大量発生の年なのか国蝶が蛾のようにむらがっている。
それをながめながら、ホッとした気持ちになる。やっぱ虫さんはアウトドア派に限るね。
         国蝶オオムラサキ 隣の林のクヌギを夫は昆虫酒場と呼ぶ

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いつも猿を見かける坂を下りつつ

朝、車中で模試に向かう娘との会話。
「きょうはお猿がいないねウキィ」
と、いつも猿を見かける坂を下りつつ、わたし。
「雨だからねウキィ」
と、調子を合わせる娘。
「お猿も雨宿りウキィ」
「猿はのんきだウキィ」
「お猿もいろいろたいへんなのかもウキィ」
「でも猿はきょう、模試じゃないウキィ」
「母もきょう、模試じゃないウキィ」
「母ものんきだウキィ」
「母もいろいろたいへんなんだウキィ。バナナを量り売りで買う夢をみたウキィ。バナナのヘタの部分を切り落としたら安くならないかと交渉したウキィ」
「そういう夢を見る母を持ったことが悲しいウキィ」
「お褒めいただき光栄ウキィ」
「ウキィ……」
受験生の娘との会話は気を使ってたいへんだ。ウキィ。
         娘とふたたび訪れた蓮池 今がいちばん綺麗かも

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今夜はバーベキューにしようか

「今夜はバーベキューにしようか」
夏が来たな。夫の言葉を聞き、わたしは思う。
「いいね」
いつも必ずそう答えることにしている。
たとえ雨雲が重く広がっていたとしても、炭を遠くまで買いに行かなくちゃならなかったとしても。それが毎週のことだったとしても。そして娘がバーベキューを喜ばなくなった最近でも。
 
夫はバーベキューに、使命を感じている。
家族で火を囲み焼いたものを食べる。ただそれだけのことだが、そこに何かしら自分の原点みたいなものを見出そうとしている。たぶん。
「ステーキを焼いてワインを飲もうか」とか「秋刀魚を焼いて日本酒にしよう」とかその時々に提案する。炭火で焼くと安いアメリカンビーフも美味しく、秋刀魚などはまったく違う食べ物かと思うほどに旨味が増す。
受験生の娘は焼けたときに、ふらっと食べにくる。子どもの味覚は正直だ。本当に美味しいものをちゃんと知っていて食いっぱぐれることはない。
わたしは着々とビールを飲み進め、ワインやら日本酒やらウイスキーやらを飲む夫とふたり、夜が更けていくのを感じながら火を見ていたりする。
そこに火がある。それだけでとても素敵な時間になる。
炎を上げず静かに熱を発する炭火からも「おいら燃えてるぜ!」的なパワーを感じ、そのおすそ分けをもらっているような気持ちになれるからかもしれない。
 
3人いた子ども達のうちふたりがそれぞれ外へ出て、ひとり残った末娘ももう1年もしないうちに県外に出ていくだろう。
ふたりきりでバーベキューをする日もそう遠くない。それでも夫は夏になれば週末ごとに言うに決まっている。
「今夜はバーベキューにしようか」
         連休は総勢20人で大バーベキュー大会をしました

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ポケット大賞

「おめでとうございます! 本日のポケット大賞はきみに決定いたしました」
わたしの言葉に夫が顔をゆがめた。
ポケット大賞とは、誰かの洗濯物のポケットに何か入っていたときに決定する我が家特有の賞だ。ぽけっとしてるとポケットを、もちろん掛けている。
きょうは夫のスラックスから50円玉が出てきた。
「あっそ」
夫はその50円玉をひったくろうとするが、わたしは阻止した。
「申し訳ありません。ポケット大賞事務局の決定で、ポケットに入っていたものはお返しできなくなりました」
「なにそれ」夫は、抵抗した。
「決定は決定です」わたしは容赦なく言う。
「最近、頻繁にポケット入れっぱなし事例が相次ぐので、そういう決定に至りました」「なんだよ、それ」
夫はさらに顔をゆがめる。
「本日はまことにおめでとうございました」わたしは締めくくる。
 
これまでのポケット大賞最優秀特別賞と言えば、息子だろう。24歳の東京に独り暮らしをする息子。彼が5歳くらいの頃だろうか、ダンゴ虫が20匹ほど半ズボンのポケットに入っていた。
それをどうしたのか、わたしは覚えていない。今のように、ポケット大賞おめでとうございますという余裕はなかっただろう。
夫の50円玉は、するりとなじみわたしの財布に納まった。
夏物のアジアン風ワンピースの飾りポケット。宝物が入ってそう?

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動機はメロン

父が旅先の北海道は空知からメロンを送ってきた。大玉のメロンをふたつ。
ひとつ目をふたりで食べてしまってから、娘が言った。
「完全犯罪にできないかな」
夫が3日間留守なのだ。その間にメロンを食べつくし、メロンがあったという事実を無きものしようという提案だ。うーん、と考えてわたしは答えた。
「そういう時に限って、あとでおじいちゃんから電話があったりするんだよ」
「で、お父さんがたまたまその電話に出ちゃって」
「メロン美味しかった? なんて聞かれて」
「メロンって、何のことですかってことになって」
「お縄をちょうだいする破目になるんだよねー」
だめだ、ふたつ目は残しておこうということになった。
いとおしそうに冷蔵庫の方をながめながら、娘が言う。
「メロンを独り占めしたいがために夫を殺す妻の話とか、小説にできそうだね」
わたしも冷蔵庫に熱い眼差しを向け、答える。
「おもしろいかも。動機はメロン」
「ないね」「ないか」
メロンがあるうちに、夫は帰ってきた。完全犯罪計画は未遂に終わった。
             二つ目の熟れたメロン

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350時間のビートルズ

走行距離が22,222キロを超えた。フィットを買ったのが去年の2月半ばだから1年と5か月近く。1日にして約46キロ以上走っていることになる。
運転は好きだ。思うままに移動している感覚が好きなのかもしれない。
それでも1日1時間近く走っているんだなと思うと、時間に対しての概念が揺らぐ。1年にすると、約350時間運転しているわけだ。
無駄な時間だとは思わないが、たいへん有意義だとは、まあ言い難い。
 
考え事をしたり、周りの車の運転に腹を立てたり、ナンバーを見て言葉遊びを楽しんだりと、そんな時間のお供はビートルズだ。
昨夏、突然ビートルズブームは降りてきた。夫が中学の頃から好きで何枚ものLPレコードを持っていることにも、伊坂幸太郎がビートルズファンだということにも、まったく関係のないところで、わたしはビートルズに捕まった。
遊びに行ったロスに住む友人のご主人が、ビートルズのコピーバンドを組んでいて、そのライブを聴かせてもらう機会に恵まれたのだ。
生演奏に、心を捕らえられた。
それ以来運転中はずっとビートルズを聴いている。1年たってもブームは去らず、このまままっしぐらに進みそうだ。
これって、1年間のうち350時間ビートルズを聴いていたってことなのだろうか。そう考えると「たいへん有意義でした」という判子を押してあげたくなるような時間に思えてきた。
          ぞろめってなぜかうれしくなるよね

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蓮池と左右についての考察

ずっと探していた蓮池を見つけた。
去年の夏、テレビで大輪の蓮がいくつも花ひらく様が放映された。しかしテレビでは、あまり大勢の人が来ても困ると口止めされていたのか場所を特定せず、ただ娘が毎朝使う無人駅の地名だけを言うにとどめていた。
「見たいね」「蓮って素敵だよね」
昨夏、娘と話し、朝彼女を送った後にフィットを走らせて探し回った。けれど、探しても探しても蓮池はなかった。そうこうしているうちに夏は終わり、蓮池の話は忘れてしまった。
ところが冷たい冬に、突然蓮池らしき場所を見つけた。たまたま、いつもと違う道を走っていた。
「右だったのか」
わたしは、ひとりごちた。なぜか駅の左側ばかりを探していたのだ。方向音痴のあてにならない勘と言うやつだ。
もともとわたしは、右と左がわからないという特技を持っている。
「そこ右に曲がって」
運転中、夫に言われると50%の確率で左に曲がる。
「あーもう、なんで右と左がわからないの?」
「うーん。なんでだろうねぇ」
わたしは、永遠に笑ってごまかし続ける。
子どもの頃は左手の甲の真ん中にほくろがあって、左右を判断しなくてはならない場面に立った時、そっと左手を見る癖があった。しかしそのほくろも、年月とともに消えてなくなり、左右を判断する材料がなくなってしまった。
わたしにはもう、右も左もわからない。
それでも蓮池は見つかった。蓮の季節はこれからだ。来週の晴れた日にでも朝15分早く出て、娘と一緒に蓮をながめよう。
          大輪の花を咲かせる大賀蓮(おおがはす)

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ボールペンのペン先と車のキーについて

掃除が苦手だ。
ぼんやりしているうちに埃がたまっている。なのにそれに気づかない。散らかっていても気がつかない。気づかないうちに、あれぇずいぶんと散らかってるなぁということになる。
「出したら、同じところにしまえばいいんだ」
夫は言うが、それができたら苦労はしない。彼はと言えば、ボールペンのペン先だってしまい忘れることはしない。
「またボールペン、ペン先出したまま出しっぱなし。ただ使ったらしまえばいいだけのことなのに、どうしてできないの?」
「うーん。どうしてだろうねぇ」
わたしは永遠に笑ってごまかし続けている。

娘にも言われる。出がけに車のキーが見つからないことが頻繁にある。
「いつも同じところに入れておきなさいって言ってるでしょう」
「ごめんなさい」
わたしは永遠に謝り続けている。

夫も娘も血液型はA型だ。
「O型だからな」
「O型だからね」
と言われ、O型のわたしは、どうせO型ですよどうせどうせ的ないじけモードに突入する。
こんなとき、オーストラリアに行っている娘がいたらなぁとしみじみ思う。彼女は、ボールペンのペン先はいつでも出しっぱなしだし、キーなんかわたしより頻繁に探し回っていた。うれしいことに、彼女はA型だ。
血液型だけで人を判断してはいけないのだ。
そんなことを思いつつ、きょうは1日掃除をした。


きれいになった玄関 なぜか臼やら壺が並んでいる

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青春いずこに

 「わたしの青春、見なかった?」
娘が真剣な顔で聞く。高校3年の下の娘。
「きのう、パソコンの前で見たけど」
「ないんだよ」
あっちこっち探し回った様子だ。彼女の真剣さに、かわいそうになってわたしも探す。ベッドの上にも、机の下にもない。
「しょぼーん」
と口に出して言う娘は、とてもかわいく、わたしは彼女が学校に行った後もさらに青春を探した。
 
探し物は、あきらめた頃見つかるもので、彼女の青春は、掃除中、洗面所の洗濯かごの下で見つかった。
「青春発見!」
と、授業中の娘にメールする。
帰りの車の中で青春を見つけた場所を説明すると娘は納得したように言った。
「たぶんブラウスを脱いだ時に、袖の中に入ったんだね。気づかないまま洗濯に出して、重力で落ちたんだ」
「それ以外に推理しようがない完璧なストーリーだね」
わたしは、笑って答える。
青くて丸い娘の青春。
それは、学園祭のテーマ「seisyun」と印字されたゴム製のリストバンドのことだ。
 

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蜂に刺された場所

娘の部屋を久しぶりに掃除した。オーストラリアにワーキングホリデーに行っている、上の娘。
「わたしのかわいい子達をよろしくね」
と101匹のリラックマと1匹の愛犬をわたしに託し、10か月の旅に出た。
ベッドカバーも夏仕様に替え、部屋を開け放ってベランダに布団を干す。そのとき見つけた。小さな蜂の巣だ。

そういえば、と思い出した。彼女が2歳の時だからちょうど20年前になる。キャンプ場で蜂に刺され、大声で泣く彼女を抱き上げ、小さなからだについた何匹かの蜂を素手で払った。
「毒吸いを持っています」
隣のテントの知らない誰かが、吸引式の毒吸いを取り出し、娘の刺された場所に手際よくそのスポイトのような器具を当て、毒を吸いだすやり方を教えてくれた。何度も繰り返し毒を吸いだしたおかげで、娘のからだはどこも腫れることなく、一件落着と思えた。
娘が泣き疲れて眠った頃だ。わたしは自分の手が腫れていることに気づいた。
「毒が回ってからじゃ、吸ってもあまり意味はないでしょう」
隣のテントの親切な人は、残念そうに言った。
「問題は、その指輪だな」
夫も残念そうに言った。
刺されたのは、左手の薬指だった。
薬指はどんどんうっ血していき、紫色に変色し始める。しかたなく、救急病院まで夫に連れて行ってもらった。
「指輪を切るしかありませんね。いいですか?」
医者は、ためらいを見せながらも言った。
「はい」
あまりに簡単に答えたわたしに驚いたように、医者は今度は夫に聞いた。
「あの、切っていいですか」
「しょうがないですね」
医者も夫も、わたしがためらいなくイエスと言ったことに、苦笑していた。でも、薬指と指輪だよ。どっちが大切かなんて、迷うことじゃないじゃん。切断は1分とかからなかった。
「何かが終わった気がするな」
夫は少し責めるような目で言ったが、20年たってもわたし達はまだ終わっていない。

22歳になった娘が、オーストラリアで蜂に刺されることなく、楽しい毎日を送れますようにと、リラックマの頭をなでた。


作りかけのところ悪いけど、明日には引っ越してもらうよ

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どれくらい田舎かというと

山梨の田舎町に住んでいる。
どれくらい田舎かというと、最寄りの駅まで歩いて、約1時間半。しかもそこは無人駅。もちろんスイカもパスモも使えない。切符さえ売っていない。まあ、すいすい改札を通り抜けられるところは自動改札と言えなくもないが、便利とはほど遠い。
無人駅を発着するバスなどあろうはずもなく、バスに乗るのなら2駅先の少し大きめの駅まで行くことになる。そのバスさえ2時間に1本もない上に、朝は遅く夕方は早くに店じまいをする。娘が自力で高校に通うことは、できない。
自転車なら、と思うかもしれないけれど、標高600メートルの我が家から急降下し、駅までふたたび同じ高さを登らなくてならない。歩くのとどっちがいいか、さあどうする? というような状況だ。
猿も恐い。今朝は、20匹ほど見かけた。赤ん坊を抱いた母猿、その周りをうろちょろしている子猿、からだの大きい雄猿。大小様々だ。彼らは人を見てもあわてて逃げる様子もなくマイペースで暮らしている。道路で溜まっている猿を押しのけて歩くには、多少なりとも勇気が必要になってくる。
当然、黒のフィットの出番となり、わたしが朝夕送り迎えをすることになる。
日が暮れて、誰もいない無人駅(という日本語が許されるならば)に、娘を待たせるわけにはいかないので、その時間にはケータイも携帯しメールチェックも怠らない。
「6時50分到着予定」
絵文字も顔文字もない無愛想な娘のメールに、夫は腹を立てるが、毎日お愛想を家族にふりまく女子高生の方がおかしいでしょうと、わたしは普通に返事を返す。彼女だって感謝の気持ちを伝えなくてはならない時には、きちんと伝えるのだ。こちらもこちらで返事は省き、夕食のメニューのみメールするのが習慣になった。
「ぱーぽつぁい(八宝菜)」「親子どーん」「鶏肉じゃが」など、夫がいない週の半分は、ひと品で野菜もたんぱく質もとれる簡単なものになる。
 
ちなみに親子丼を親子どーんと伸ばして発音するのは、中村航の『あのとき始まったことのすべて』(角川書店)の主人公が、給食で親子丼が出るたびに同級生の女子が「親子丼できたどーん」と言っていたことを思い出すというエピソードからきている。中村航の小説では『100回泣くこと』(小学館)がダントツにいい。それを文庫で買ってから一時期、娘とわたしの間で中村航ブームが訪れ、静かに去った。その名残りが「親子どーん」というわけだ。卵を落としてたっぷりと三つ葉を散らし、鍋にふたをした瞬間に「親子どーん、できたどーん」と二階にいる娘に声をかける。うちの親子どーんはとても美味い。
 
さて、ここがどれくらい田舎かというと、富士山と南アルプスと八ヶ岳が一望にできる人口五千人の町。数年前には村だった。うちから1分歩くと田んぼが広がり、2分歩けば山梨ワインのブドウ畑が広がっている。お米も野菜もとても美味しい。鳥の声や風の音が空に抜けていき、ふと無音を感じる瞬間がある。読書をするにはうってつけのいいところだ。


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「オオサワアリマサ」と唱える

南アルプスに彼がいる。疲れたときには電話して、車をとばして会いに行き、たっぷりゆっくり癒してもらう。
「もっと早く、来てくださいよ。ここまでひどくなるまえに」
行くたびに、叱られる。
彼はわたしが今まで出会ったなかで、最も優秀なマッサージ師だ。彼にマッサージしてもらった後には、からだ全体が、元に戻ったような感じがする。
たとえば、さっきまで数字の2だった自分が、1になってるような感じ。
「ありがとう」というわたしに、
「毎日意識して、背筋伸ばしてくださいね」
ちくりと注意することも忘れない。わたしは肩をすくめて、はーいと答える。
帰り道はビートルズを聴きながら、ゆっくり走る。乱暴な運転をする車がいても、気にならない。元に戻った数字の1のわたしには、「おいおい、事故るなよ」と知らない誰かを心配してあげる余裕もある。
 
からだはときどき、そうやって元に戻してもらうけれど、気持ちがくねくね曲がりくねってしまう時がある。数字の2どころか、メビウスの輪になってしまったんじゃないかってほど、収拾がつかなくなる時がある。
「到底、数字の1には戻れないよ」
落ち込みつつも、ぶつぶつつぶやきつつ手にとるのは、いつも大沢在昌のハードボイルドだ。読み進めていくうちに、曲がりくねった気持ちが、少しずつ元に戻っていくのを感じる。
人として正しくあるには、なんてことは、これっぽっちもかいてない。けど、小説の真ん中に数字の1的まっすぐさで、それが通っている。
なので、大沢在昌はけっこう読んできた。
メビウスな日々に、時間が取れず本を読めないときには「オオサワアリマサ」と唱えたりもする。
今、手元にその大沢在昌の『語りつづけろ、届くまで』(講談社)がある。普通のサラリーマン坂田が、人がいいゆえに極道の犯罪に巻き込まれていくシリーズ3つ目だ。うれしい。
来週、友人達と「生ビールたった5杯で愚痴こぼし放題の会」をすることになっているが、それまでにぜひ、数字の1に戻っていたいと思っている。

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数字の海へ

図らずも、数字とお友達の人生を歩んでいる。
仕事は経理事務だし、なにかのコミュニティに入ると、たいてい会計が回ってくる。たいした負担ではない。会社では社長や部長の方がたいへんだし、会計より会長の方がたいへんに決まってる。
ただ、わたしが算数が苦手だってことをほとんどの人が知らない。いまだに十本の指を使って数字を数えているということを知らない。そこに問題がある。
経理をしてるってだけ、会計をしてるってだけで、数字を見ると一瞬で理解する電卓のような、またはエクセルのような存在だと、カン違いでしかない認識をする人が多くいて、困る。違うんです、誤解なんですと言い訳したくなる。
なのになぜ、お金関係の仕事が回ってくるのか。それは単に「まじめそうに見えるから」
 
「まじめそう」の「そう」ってなんだ? よく言われるのに「優しそう」「大人しそう」「お酒飲めなそう」「白っぽい車に乗ってそう」というのもある。
どうしてそうまで、正反対に見えるのか。こちらの方が、申し訳ない気持ちになってしまう。O型的大雑把さと、みずがめ座的冷たさをあわせ持ち、わーわー騒いで大酒飲んで、黒のフィットでスピード出して、ほんと、ごめんなさい。違うんです、誤解なんですと、言い訳したくなる。
「いいのよ。会計は、まじめそうに見えることが大切なの」
そう言い切った先輩がいた。
自分は「まじめ」と「まじめそう」の狭間にいるんだな、と妙に納得した。そしてわたしは、さらに数字の海へと深く潜っていく。
 
ところで、数字遊びはきらいじゃない。
前を行く車のナンバーを見て、こっそり笑ったり、連想をふくらませることも多い。
「1616」で、人生いろいろだ、としみじみしたり、「8341」で、優しい。乱暴な運転はやめようと、突然、模範的ドライバーになったり。
「ひ・・・3」を見たときには、うわ、悲惨! と声を上げ、「は・・・3」を見て、うわ、破産! 悲惨より悲惨、と落ち込み「いいこともあるさ」と励ましてみたり。
そんな遊びを楽しんでいる。
 
そういえば、きょうは“ちい兄ちゃん”に会わなかった。毎朝、駅前ですれちがうのに。当然「ち・・23」というナンバーしか知らない車だ。わたし「7589」のこと、“名古屋くん”なんて呼んでるかもしれない。 今朝“名古屋くん”に会わなかったなぁ、なんて今ごろ思ってたりして。


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チタンのビアカップ

左手の甲にチタンのネジが2本入っている。この冬、骨折した骨をつなぐために手術したのだ。ネジは長さ2ミリだが、プラスドライバーでしっかりと回せるように、ネジ山は深いプラスの形に掘られていて、レントゲンを見るたびに、ああ、小さいながらもネジとしての役目をしっかり果たしてくれているんだなと思う。
「とうとう人造人間になったね!」
友人が祝いの言葉をくれたのもうれしく、ときどき手の甲をなでて、チタンの位置を確認するのが習慣になった。
新宿の小田急百貨店で、チタンのビアカップを見つけた時には、なつかしい友人に偶然出会ったような温かい気持ちになった。手に取ってみると、チタンのカップはとても軽く、いかにも、ちょうどよく泡立ったビールを美味しく飲めそうだ。
しかし。1万5千円!
なつかしい友人に似た他人の空似だと自分に言い聞かせ、わたしはビアカップを、そっと棚に戻した。チタンは2ミリのネジふたつで、がまんしよう。そう思いながら一度だけ振り返って銀色のカップを見つめた。


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ひとりランチ

元気が出ない時、ひとりランチをする。
黒のフィットを走らせ、ショッピングモールや、甲府周辺、ときには清里方面にも行く。
熱い湯麺や、手打ちパスタ、ハンバーグ定食、山菜の天ぷら蕎麦。誰かが作ってくれた熱々のごはんをゆっくりと食べる。それだけで、少し元気が出る。顔も知らない人に、作ってくれた人のパワーをもらう。
それから、ふらふらと本屋や雑貨屋を冷やかして、スーパーで夕飯の食材を買って帰り、キッチンに立つ。
包丁を持ち、これってわたしは毎日、夫と娘たちにパワーをあげているってことなのか? と、ふと考えながら、いやいやまさかと否定し、ビールを開け、野菜をきざみ始める。何かを与えているとしても、それはパワーでも元気でもないな、と考える。何か言葉にするとすれば、体温辺りだろうか。よっ、と友人の肩をたたいたときの体温くらいのもの。そう考えると何か得した気分になる。わたしはパワーをもらい、体温をほんの少し分け与える。
でも外食ってお金かかるじゃん。そう。自宅勤務会社員のわたしならではの贅沢。ひとりランチは素敵だ。


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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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