はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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蜂の巣を守らんとする夫と注射を痛くないと言う娘

軒下のキイロスズメバチの巣を、ヒヨドリがつつきに来た。
蜂の元気もなくなり、数も減った。天敵だという大スズメバチも見なくなった。夫は攻撃を仕掛けてくるものもいないのであれば軒下から降ろし保存しようと考えていたようだが、敵は思わぬところにいた。
憤慨する夫に「鳥は飛べるからねぇ」とわたし。
「地べたをはやくは走れないけどねぇ」と娘はクールに、金子みすずの『わたしと小鳥とすずと』を引用し「自然の摂理だよ」と言った。
「俺も自然の摂理のうちだ! あいつら、追っ払ってやる」
「そ、それは」「違うでしょう」
わたし達は顔を見合わせた。
そしてヒヨドリを追い払う夫を残し、ふたりでインフルエンザの予防接種に行った。道々、雪化粧した富士山がとても綺麗だったので、娘に言った。
「富士山、綺麗だねぇ」
すると娘は、一瞬躊躇して言った。
「いつも綺麗だと思えるお母さんがすごい」
考えてみれば、娘は5歳からこの町に住み、富士山と南アルプスと八ヶ岳を一望にできる小学校で6年間過ごしたのだ。山はただ山であって最初からそこにあるものなのだろう。
ここで共に12年暮らしてきたが、感じ方は違うんだなと考えさせられた。
注射を終え、帰ってくると夫が「痛かった?」と聞くので、
「痛かった!」とわたしが答えると同時に「ぜんぜん」と娘が答えた。
同じ注射を打っても、感じ方もリアクションも違うのだ。
蜂の巣を守らんとする夫と、注射を痛くないと言う娘。
「みんな違ってみんないいのかな」
娘にならい、金子みすずを引用しつつ考えるのだった。
富士山をケータイで撮るのはむずかしい!

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明るく暖かい庭で

「灰が溜まりました」
電話をすると、すぐに軽トラが玄関の前に停まった。庭いじりが大好きで家庭菜園も本格的な近所のご夫婦に、毎年灰を分けている。うちのストーブの灰を撒くその庭は、この辺りでも綺麗だと評判だ。ガーデニングというのとは違い、花も野菜も楽しんで作っているのがよくわかる明るく暖かい庭だ。
 
末娘は越して来た頃、よく遊びに行かせてもらった。
「田舎の孫だから」と、ご夫婦にはとても可愛がってもらい、何をしているのかと見に行くと、お菓子を食べながら寝転がってマンガを読んでいたり、ゲームをしていたり。本当のおじいちゃんおばあちゃんの家にいるようなくつろぎ方をしていて笑ってしまった。
東京に本当のお孫さんがいるおふたりは、わたしの親ほどの年齢だと聞いたが、とても若い。ウォーキングと庭いじりが若さの秘訣のようだ。
そして何故かびっきーも、とても懐いている。わたしが帰ってきても顔すら上げないびっきーが、ふたりが家の前を通るだけで甘えるような声を出して鳴くのだ。散歩で、明るく暖かいその庭の前を通ろうものなら、迷わず道を直角に曲がり尻尾を振って突き進んでいく。
ふたりは娘にもびっきーにも特別なことは何もしていない。ただただ可愛がってくれているのだ。それが特別かと言えば、確かにとびきりの特別だ。
 
そのご主人が、灰を入れるバケツを両手に提げて来た。
そしてバケツの中から「はいよ」と枝を付けたままの柿を出した。
「あ、柿だ。うれしい。いただきます」
遠慮なくいただいた。灰のバケツに入っていた柿は、まだ少しかたかったが、口に入れると自然の甘みが広がった。明るく暖かい庭で育った柿に、陽だまりのような甘さを感じた。

灰をすっかりとった薪ストーブはよく燃えます
灰をとるのをサボって燃やしていると 夫にすぐバレます
「灰をとって燃やすときれいに燃えるんだよ」
「そうだね」(やっぱ、バレたか)

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トートバッグにパソコン入れて

トートバッグにパソコン入れて、東京に出かけた。
何処に出かけてもスタバかマックがあればネットに繋がるので、仕事も滞ることがない。友人にプレゼントしてもらったバッグにはパソコンがすっぽり入り、丈夫で持ちやすく、重宝している。人目を引くデザインもお気に入りだ。ちょっと重たいパソコンも楽しく持ち歩ける。
 
バッグを提げて、夫が3人のデザイナーと立ち上げたばかりのデザイン会社に初めて顔を出した。若いデザイナーが笑顔で迎えてくれた。スタート地点に立つというのは素敵なことだ。応援しようという気持ちが湧いてくる。
これから様々なデザインを生んでいくであろう会社の内装は、真っ白だった。真っ白いノートを思わせる白。明るく眩しい白だ。ここからきっと、トートバッグのようにカラフルな作品も生まれていくのだろうと、白い壁をそっと指でなぞってみた。

トートバッグの反対側は青い鳥が池でとった魚をくわえている絵
マチの部分も蜘蛛の巣がアートな感じで描かれていて
内側にも白地にブルーで描かれた絵がいっぱい

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「あっ、薪だ!」

夫はスモーク以外、料理はほとんどしない。だがバーベキューやお好み焼きで焼く人になるのは彼だ。彼は焼きながらもしっかり食べられるという特技を持っている。わたしだったら焼くのに集中してしまい自分が食べるのがついおろそかになる。しかし彼は違う。食べながら焼けるのだ。すごい。一度に二つ以上のことができる人ってすごいと思う。
運転一つとっても、いつもそうだ。夫がドライバーの時には、彼は様々な景色を視界に入れつつ運転することができる。だから、様々なものに気づく。
「あっ、薪だ!」「えっ? どこどこ?」「鳥の巣がある!」「どこに?」
わたしは助手席にいながら見逃すことが多い。なんとなく前を見ていないと不安なのだ。そしてこと薪に関しての彼の反応にはびっくりさせられる。切り倒した木があるとそれがすべて彼の頭の中で薪に変換され、あ、こんなところにも、えっ、ここにも薪がある、ということになる。薪ストーブ用の薪を常に欲しているのだ。
ドライブするたびに「あっ、薪だ!」「えっ? どこどこ?」を繰り返すので、わたしは彼の目を薪だけが特別に見えやすい目「薪目(まきめ)」と呼んでいる。
今我が家の薪は3年または4年分のストックがあり、もう置く場所もないくらいだ。それでも彼の薪への欲求は無くなることはない。あちこちで薪はないかと声をかけ、呼ばれればチェーンソーを持って切りに行く。それを軽トラに積んで持ち帰り、薪割り機で割って薪小屋に積む。
夫の「薪目」と薪への情熱のおかげで、今年も温かくすごすことができる。
わたしはただ薪を運び、薪を燃やして部屋を温め、一度に二つ以上のことができる人ってすごいよなぁとビールを飲む。薪への彼の情熱はほんとうにすごいなぁと火を眺めつつただビールを飲む。薪ストーブで温まった部屋でよく冷えたビールを飲むのは至福の時だ。

薪割りのあと
チェーンソーで切って軽トラで運んで薪割り機で割って薪小屋に積む人と
部屋に運んで燃やしてビールを飲む人 役割分担ばっちりだね!


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ちょっとだけ遠まわり

車のフロントガラスが初めて凍った、秋晴れの日。
ランチがてら夫と町内ミニドライブをした。野菜直販所で大根を買い、たわわに実った林檎畑を眺め、町内の畑で収穫した蕎麦粉をつかった蕎麦を食べた。熱い蕎麦に体の芯から温まった。
「ちょっとだけ遠まわりしない?」
わたしには、夫がそう言いだすのがわかっていた。彼は遠回りが好きだ。いつもと違う道を歩いたり、ドライブするのが好きだ。常に違うもの、新しいものを求めて止まない心を持ち合わせているのだ。
ふたりで出掛けるときにはわたしが運転手になることが多く、彼は助手席で指示を出す。
「あ、そこ曲がって」「えーっ! もうちょっと早く言ってよ」
「だって、今急にこっちに行きたくなったんだもん」
などという会話になることも日常茶飯事だ。
だが最近になって気づいた。自分がひとりでも遠まわりするようになっていることに。
ふたり山を上へ上へと登った。
「向こうの林がきれいだよ」助手席の夫が言う。
「じゃあ、行ってみようか」わたしはハンドルを左に切った。
程なく真っ赤に紅葉したもみじを見つけた。真っ青な秋空の下、もみじが風に揺れるのを見ている時間は思いがけずもらったプレゼントのようにうれしく、しみじみと平穏を感じた。

うちの庭のもみじは紅葉しません 何故!?

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はりねずみのハリーとネリー

久しぶりにアジアン雑貨屋『チャイハネ』の前を通ったら、アニマル手袋が売っていた。我が家に住むはりねずみの手袋ハリーとネリーの兄弟たちだ。家に帰りさっそく手袋を出した。ハリーもネリーも虫に食われることもなく元気に夏眠から目覚めた。
「今日チャイハネで、きみ達の兄弟を見たよ」
「僕らの?」とハリー。「わたし達の?」とネリー。
「うん。真っ赤なへびくんも元気そうだったし、黒羊さんもクールだった。もちろんはりねずみもいたよ」
「もう冬かぁ」とハリー。「お外に出られるね」とネリー。
2匹とも、たっぷり眠ったせいか気持ちよく目覚めたようだ。
ちょっと気が強いハリーは左手担当。おっとり優しいネリーは右手の担当だ。ハリーは2月に左手を骨折してからわたしの手を守ってくれたし、ネリーは甲斐甲斐しくサポートしてくれた。
「手はすっかり治ったのね、よかった」とネリー。
「ありがとう。今年もよろしく、ネリー」
「今度転んだ時には守ってやるよ」とハリー。
「ありがとう。頼りにしてるよ、ハリー」
「ところで、もう一人のママは元気?」とネリー。
「しばらく僕らを預かってくれたママだよ」とハリー。
「うん。彼女もハリーとネリーに、早く会いたいなぁって言ってたよ」
そう言うと2匹は飛び跳ねて喜んだ。
去年の冬、水道橋の飲み屋で友人達と楽しく飲んですっかり酔っぱらい、何ということであろう。2匹を置き忘れてきてしまったのだ。その後ハリーとネリーは、取りに行ってくれた友人宅でしばらくお世話になることになった。そして彼女に名前を付けてもらった。ずいぶん可愛がってもらったらしく2匹は彼女が大好きだ。おかげで置き忘れたことを責められることもなく、わたしは2匹と友好な関係を築くことができ、今に至っている。ハリーとネリーと、それから友人のおかげで今年も温かい冬を迎えられそうだ。

なくしたと気づいてすぐ JRに問い合わせました
「はりねずみの形の手袋なんです」「何色ですか?」
「ベージュで目が黒、口の中はエンジで茶色の毛が付いてます」
「そのような落し物の届け出はありませんでした」

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サボテン日和

雨の日曜日サボテンを買った。サボテン日和だった。
心がささくれ立っていて仲間がどうしようもなく欲しくなったのだ。棘々しい針を持っているやつが。ほんの小さなことで人の心はささくれ立つ。たとえば、前を走ってるミニクーパーのブレーキとウインカーのタイミングがやたら遅い癖に直進車を無視して右折していったこととか、それを見てイライラと舌打ちをした自分、買い物に行ったパン屋でまだバケットが焼けていなかったこと、さらには日曜なのに雨が降っていること、その鬱陶しい日曜に仕事が山積みになっていることなど。一つ一つはまったくつまらないことなのに、
「何だよ何だよ。ついてないよなぁ。わたしって世界一ついてないかも。やだなやだな。人間なんてラララーララララーラ♪」
などと棘々しい気分に陥ってしまう時があるのだ。バイオリズムか月の満ち欠けか。昨夜は十三夜さんだったからそういうことが関係しているのかもしれない。「サボテン買ってますます棘々!」と自棄になり、壊れたポストのビスを買いに行ったホームセンターでサボテンを選んだ。
 
しかし触ったサボテンの針は、指には刺さらず柔らかかった。
「見た目に左右されないでください」
サボテンの声が聞こえた。わたしの心も自分で思っているほどには棘々してないのかもしれないな。
新しい住人サボテンくんと仲良くやろうと思います
なんせおなじく針を持つ はりねずみですから

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冬支度、着々

夫が立ち上げた新会社設立に必要な日用品の買い物に出掛けた。グラスやお湯呑み、珈琲カップ、タオルなどを二人で選び会社に送った。その後ユニクロに行って部屋着やヒートテックのタートルネックやスリッパを買った。
薪ストーブの煙突掃除もした。炬燵も出しソファカバーも冬使用にした。寝室のベッドカバーも変え毛布も出した。冬支度着々だ。
ひとつの布が変わるだけで肌触りだけじゃなく雰囲気が冬使用になる。目から温かくなる。当たり前だけれど不思議だ。
「見た目に左右されるな」とはよく聞く言葉だが、それは人が見た目に左右されやすいが故にある言葉だ。人は見た目に左右されるのだ。そしてそれ故に暖色のウールが入った布を見て温かいと感じる。足を入れたスリッパは見た目よりずっと温かかった。温かく足にフィットした。

1000円のユニクロのスリッパ
わたし的にはチロリアン風の可愛らしいのに目を留めたけど
夫の好みも考え選びました 彼も気に入ったようです フィット感が特に

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星空の下でバーベキュー

アボリジニ・アートに挑戦した娘からメールが届いた。
「アボリジニは座っている人をUで表して、真ん中にある二重丸はバーベキューの火、周りにある丸は星です。向日葵じゃないよ」
星空の下、家族で火を囲みバーベキューをしている絵なのだった。
 
家族揃って=バーベキューと言うところがなんとも娘らしい。
山梨に越してくる前は、よくキャンプをした。星空の下、バーベキューした夜がいったい何度あったのかというほど本当によくキャンプした。1週間北海道横断キャンプも3回したし、山梨の他、富士五湖の湖畔や長野や新潟、何泊かで数えたら百夜は超えるんじゃないだろうか。家を建てる前にここでもテントを張った。いつもいつも星空の下という訳にはもちろんいかず、雨の中のテントの匂いも懐かしい。
アクシデントもたくさんあった。夜中にふと気がついたら面識のない猫がテントの中に丸まって眠っていて悲鳴を上げたこともある。キャンプ場は川沿いにあることが多く鉄砲水も経験した。水位がぐんぐん上がりおかしいと思った瞬間、娘を抱き上げて川から出た。取り残された子もいて、誰の子だとか関係なくお父さん達が川に入って助け、難を逃れた。豪雨で避難勧告が出てテント場を移動したこともあった。薬指を蜂に刺され結婚指輪を切断したのもキャンプ中だったし、息子が悪戯して切り株に斧を振り下ろし、それが足の甲に刺さったこともある。救急病院で縫ったその後は北海道横断病院巡りになりそれでも予定通りキャンプし過ごした。今考えるとめちゃくちゃだ。よく付き合ってくれたなぁ、子ども達よ。
 
そんな記憶が絵に現れたのかとも思いつつ、娘が小学生の時に描いた向日葵の絵を眺めてみた。やっぱりよく似てると思うんだけど?

版画で描いた作品 とても素敵に描けていたので 今も廊下に飾ってあります

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こだわりのモンブラン

娘と町のケーキ屋『ドゥ・ミール』にモンブランを食べに行った。ここのモンブランはパティシエのこだわりで持ち帰らせてくれない。オーダーしてから台になるメレンゲに生クリームとマロンクリームをしぼる。メレンゲがカリッとした状態で味わってほしいというのが理由だそうだ。それを、娘の18歳を祝って食べに行こうと言う約束をしていた。誕生日は過ぎたがモンブランは待っていてくれた。なにしろ彼女のバースディは栗の季節だ。甘いものが苦手なわたしはレアチーズにし、ふたりしゃべりながらケーキを食べた。
土曜の赤坂が街コンで若者だらけだったことや、ひとり散策しバリの雑貨屋を見つけたこと、陶器屋でいい皿があったが重くて買うのを断念したことなどをわたしがしゃべり、模試で疲れ果てて友人達とセブンイレブンを冷やかしに行ったら疲れ果てた同級生が狭いコンビニの店内にひしめいていたことや、ひとり暮らしへの憧れや、ミルフィーユの魅力と食べにくさについてなど娘がしゃべった。末娘とは何回かこうしてふたりモンブランを食べに来ている。それももうこれで最後かもしれない。来春娘が都心の大学に行ってしまえば、なかなか機会も作れないだろう。
モンブランについては、家まで車で3分のジモティなんだから持ち帰らせてくれてもいいのにとも思うが、パティシエのこだわりのおかげで、娘とのゆったりとした時間を貰ったとも言えるかな。
そんな時間を過ごしたあと、ふたりあーでもないこーでもないと言いながら夫への土産に木苺のショートケーキを選び『ドゥ・ミール』を後にした。

写真を撮る時に「フォークを同じ方向に揃えようよ」と娘に指摘されました
レアチーズは檸檬の酸味が効いていて美味しく食べられました
この町にケーキ屋はただひとつ スーパーもコンビニもないこの町に
こだわりのケーキ屋があること自体 奇跡と言えるかも

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時間を巻き戻して

同窓会に出席した。と言っても学校関係ではない。十代の頃にバイトしていた喫茶店のバイト仲間と常連のお客さんとの女子会だ。出席者は8名。バイト仲間3人とは何年かに一度会っていた。結婚や出産などの祝い事で、式に出席したり、おたがいの家に遊びに行ったり、山梨にふらりと夫婦で来てくれた友人もいるし、上の娘が小学生の頃、後転ができずに困っていた時に上手に教えてくれたのもバイト仲間のひとりだ。そんな風にしてもう30年程のつきあいになる。不思議な出会いだ。
しかし常連のお客さんと会うのはほぼ30年ぶり。話すことあるのかなーと不安も抱えつつ、イタリアンで飲み放題の女子会を楽しみに喫茶店のあった赤坂に出かけた。危惧することは何もなかった。時間を巻き戻すことは難しくなく当時の話に花が咲いた。そして30年。何事もなく過ぎて行った人などいる訳もなく、家族のことや仕事や趣味、抱えている心配事など、話題に尽きることはなかった。食べて飲んでしゃべった。楽しい女子会だった。
 
その中で、最近の子はカセットテープを知らないという話が出た。今は音楽もデータという認識。小さなウォークマンに何千曲も入るし、それをブルートゥースでやり取りすることだってできる。「時間を巻き戻す」という言葉の語源を知らずに使っている子もいるんじゃないかな。わたし達はゆっくりカセットテープを巻き戻すように、時間を巻き戻すことができた。カタカタとアナログな音を立てて巻き戻したカセットと、自分が重なるのを感じた。

待ち合わせた赤坂見附の交番前から見えるビル達
交番前の広場で「ドーン・ジャンケンポン」をして遊んだっけなぁ

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キングコングと蝋燭

25時間蝋燭を購入した。防災用に必要だねと、ずっと夫と話していて、たまたま小淵沢に出かけた時に露店を出していた蝋燭屋さんに出会ったのだ。
初めはカラフルな蝋燭を売るただのおしゃれな蝋燭やさんだと思っていたが、話を聞くうちにいい蝋燭をまじめに作っているのだという気持ちが伝わってきた。ご夫婦で蝋燭屋さんをしていると言う。大豆やパーム椰子などで作ったただミルク色一色のものもあり、オレンジ色の炎に温かみを感じた。
 
夫はもともと蝋燭が好きだ。節電のために電気を消そうと山梨県全体に呼びかけて行うキャンドルナイトの夜など、はりきって家じゅうに蝋燭を灯す。突然自主的に「今夜はキャンドルナイトにしよう」と言い出すこともある。停電の時でさえうれしそうに蝋燭を灯して回る。夫が火を好む様は動物的というか本能的なものに近く、火を見るだけでうれしさのあまり踊りだしそうな雰囲気を漂わせている。わたしだって蝋燭の炎は好きだ。夫ほどではないにしろ、見ているだけで優しい気持ちになれる。蝋燭の炎にはそんな魅力がある。まあそれとは別にわたしには悪い癖がある。蝋燭立てや可愛らしい蝋燭などを雑貨屋で見かけるたびについ買ってしまうのだ。蝋燭立てを買えば蝋燭も欲しくなるので、安売りの小さな蝋燭はストックしてある。なので、キャンドルナイトの夜も蝋燭にも蝋燭立てにも困らない。しかし安売りの蝋燭はすぐに消える。防災用には向かない。しっかりしたものを買おうと話していたのだ。
 
蝋燭を長持ちさせる方法なども教えてもらい、試しにと25時間蝋燭と小さめの蝋燭を一つずつ買った。夫は小さな蝋燭を風呂場に持ち込み、電気をつけずにお風呂を楽しんでいる。
「蝋燭でお風呂はいいな。気持ちが安らぐよ」と夫。
それは否定しないが、じつのところ彼は火があるうれしさのあまり風呂場でキングコングのように胸を叩いているんじゃないかと、わたしは睨んでいる。

消火時に芯を蝋に沈めてコーティングしてから垂直に起こしておくと
次回点火時に綺麗な炎が灯せるそうです
すでにこれをサボって夫に叱られました

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炬燵に馴染むまで

ふいに寒気がして炬燵を出した。出したといっても夏の間もリビングで活躍していたテーブルに炬燵布団を掛けるだけだ。試運転し、アールグレイの紅茶を淹れて温まった。シーズン関係なくここがマイパソの定位置だが、炬燵の魔法に囚われ、さらに動けなくなるのは見えている。
何年か前まで炬燵は置かなかった。何故か。子ども達が炬燵布団に食べこぼすのが嫌だったからだ。しかし末娘が小学校の高学年になった頃、炬燵が欲しいねという意見が家族の中からぽつりぽつりと出始め、購入に踏み切った。
末娘は新しくやって来た炬燵さんに馴染めず、足を入れるまでに1週間かかった。もちろん今ではずいぶんと経験を積んで大人になったが、初めて体験することには慎重になるタイプなのだ。小学生だった彼女は、1週間触ったり炬燵布団の外側に寝転がってみたりして、ようやく炬燵さんとお友達になった。
 
すぐに新しい環境や初めてのことに、馴染めたり挑戦できたり楽しめたりする人もいるが、わたし自身そうではない。だから、ゆっくりでいいと思っている。ゆっくり馴染んで、何度か確かめて挑戦していけばいい。
 
しかし、こと電子機器に関しての彼女の馴染み方は異常に速い。我が家でブルーレイに録画したものを移すことができるのも彼女だけだ。もう電子機器=お友達なのだ。アイスが食べたいのに冷蔵庫が開けられなくて「ピンポーン、ピンポーン」と冷蔵庫を見上げ呪文(?)を唱えていた2歳の彼女は何処へ行ったのやらと、炬燵に入り感傷に浸った。

今、炬燵布団にこぼすのは大人だけ
ビールとかワインとかウィスキーとか日本酒とか……

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夏眠からの目覚め

日曜日、夫と薪ストーブの煙突掃除をした。そろそろ薪を燃やし暖を取る日も近い。薪ストーブは3度温まると聞いたことがある。薪を割り、薪を運び、薪を燃やす。割って温まり、運んで温まり、燃やして温まる。割るのは夫だが、運ぶのは家族でやる。燃やすのはだいたいわたしの役目だ。夫はチェーンソーで山に木を切りに行ったりもするので3度どころじゃなく温まっている。
煙突を掃除し、ストーブ内の灰もきれいに取って周りを雑巾で拭いた。鉄と石でできたハースストーンというメーカーのストーブは、燃やしていない時には気持ちがいいほど冷たい。
「今年もよろしく」と冷たい石の部分に手を乗せると、ストーブが大きな欠伸をし長い夏眠(?)から目覚めるのを感じた。準備OKの返事だ。
毎日ストーブに火を入れるのはたいへんだが、早く燃やしたくなってくる。夫は待ちきれず庭で焚火を始めた。インドア派のわたしでも、火はいいなと思う。じっと見つめずにはいられない魅力があり、たぶん人を狂わせる魔力もあり、心を鎮める癒しがあり、何もかもを焼き尽くす力がある。
 
上の娘は中学の頃、よくぼーっとストーブの火を見つめていた。学校でなにかあった時なのか後ろ姿に声をかけにくい雰囲気を漂わせていることもあったっけ。そんな時には、ビールをもうひと缶開けながら傍観した。火と、娘の後ろ姿。娘が薪を入れると炎が大きく上がり花火を見ているような気分だった。
 
薪は十分にある。今年もがんがん燃やそう。
「恨みも理不尽な思いも、すべてを自分の中の悪意と共に捨てるんだよ。紙にかいて燃やすといい」
以前言われたことを実行してみようか。悪意はよく燃えそうだが、何色の炎が上がるのだろう。煙突が詰まらないよう高温で燃やした方がよさそうだ。

取っ手は木製のもので 開け閉めの時にだけ装着します
今は冷たいストーブですが 取っ手も(?)熱いやつになります

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ひとりひとりの中の宇宙について

「山の稜線は紅葉が始まってるよ」
夫の言葉に誘われて、八ヶ岳高原大橋まで八ヶ岳を見に行った。ドライブ日和の土曜日だったこともあり大勢の人が来て、のんびりと富士山や南アルプスの山々、八ヶ岳を眺めていた。望遠付きの一眼レフを構える人も多く、雲が形を変えて流れていく様は、カメラマンへのサービスのようにさえ思えた。
「気持ちいいなぁ」夫はカメラを構える前にゆっくりと八ヶ岳を眺めた。
「うん。気持ちいい。綺麗だねぇ」とわたしはすぐにケータイで写真を撮り、何枚か撮って鞄にしまい、夫と一緒に八ヶ岳を眺めた。
毎日見ている八ヶ岳だが、少し近づくと表情はまったく違う。
 
そのとき隣にいた若いカップルの女性が笑って話しながら、八ヶ岳にカメラを向ける姿が見えた。ふっとこのふたりは何を思っているのだろうと考えた。
そして、ここにいるひとりひとりがその中に持っている宇宙について考えた。
わたしは八ヶ岳を見ながら、この日友人達が京都でやっているイベントのことを考えていた。準備にも充分時間をかけ熱意も傾けていたし成功するだろうとは思っていたが、うまくいきますようにと思わずにはいられなかった。
周りの人は、もちろんわたしが何を考えているか知らないし、一緒にいる夫さえ知らない。そしてわたしも夫が何を思っているのか、誰が何を思っているのかもわからない。
八ヶ岳を眺めながら、そんなひとりひとりの中にある宇宙が、不思議で素敵で、また恐くもあるんだよなと思った。
雲は流れ続けていた。夫がシャッターを切る音が聞こえた。

山は少し車を走らせるだけで形を変えます
うちから見る八ヶ岳がいちばん素敵だとわたしは思っています

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願い事ありますか?

朝7時半からみっちり経理の仕事をして気がつくと正午だった。税金も納めに行かなくてはならない。ジャージを脱いでジーンズをはき銀行に向かう。
税金納付を済ませると1時前。フィットのエンジンをかけ、窓を開けた。秋の風が入ってくる。ドライブには最適な季節だ。お腹もすいているし高根町まで蕎麦でも食べに行くかと、銀行から走ること10分。『蕎麦カフェいち』に着いた。竹林の中の不思議な蕎麦屋だ。蕎麦屋だがカレーやハンバーグもあるし珈琲も飲める。おもしろい雑貨や本や雑誌が所狭しと置かれている。
「揚げ野菜のおろし蕎麦」と注文し、雑誌を物色する。2年ほど前のクウネルを持って席に座った。雑誌を開いてぼんやりする。ぼんやりしながら店の中を眺める。10人程の若い男女のグループがにぎやかに話している。彼らの注文の方が先だったから、ちょっと待たされそうだ。また雑誌に戻る。
 
そのクウネルに『バカは2回海を渡る』というドキュメンタリー映画の紹介が載っていた。ふたりの若者がサンフランシスコからラスベガスに向かう旅で、段ボールに英語で「もし願いが叶うとしたら?」「人生で一番大切なものは?」と油性マジックでかき、出会った人にインタビューしていく映画だとかかれていた。
願いねぇ、と考えてみた。「2キロやせたい」とか「トルコやチェコに行ってみたい」とか「しばらく放っておいたままの換気扇を小人さんにピカピカに磨いてほしい」とか? まあないこともないけど、どれもピンと来ない。考えに考え、願い事ないかもと思う。今、幸せなのかもと考える。だからその幸せが続くようにと考えた。「大切な人達が今日も笑ってすごせますように」と。
そして一番大切なものは「彼らの存在」かなと。周りの人がいて、わたしがいる。その周りの人にはまた周りの人がいて、その周りの人にもまた周りの人がいる。それはどんどん拡大されて地球規模になるかもしれない。みんなの大切な人が今日も笑ってすごせますように。
蕎麦を食べつつ宇宙は広がり『蕎麦カフェいち』のテーブルについたわたしは地球の小さな点になっていった。

野菜たっぷりのつゆにつけて蕎麦をいただきます
大根おろしに揚げた茄子、獅子唐、薩摩芋、じゃが芋、人参、牛蒡
茗荷とほうれん草も入っていました

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蜂の巣接写

夫が部屋の中に梯子をかけ、窓から蜂の巣を接写した。
わたしも梯子に登り見てみたが、蜂の往来の速さと数に驚いた。無心に幼虫に食べさせるエサを運んでいる。穴に頭を突っ込み、すぐに飛んでいく。その繰り返しだ。キイロスズメバチの巣の大きさは、現在直径50cm程。近くで見ると腕のいい左官屋さんが高度な技術で塗った壁のように美しく作られていて見とれてしまう。
 
ところで蜂が人間の顔を覚えるというのは本当だろうか。
「軒下を間借りしてるんだから、大家の顔くらい覚えてるだろ」と夫は言う。だから刺されないだろうと。
「あんまり近づくと『大家さん』から『大家の野郎』に格下げされるよ」
わたしは常に注意を促す側だ。近くには世界最大だという大スズメバチもいる。刺されればとりあえず死ぬらしい。甲虫のように堅そうな黄色い仮面をかぶった見るからに怪しい奴らだ。その奴らも毎日のように隣の林で見かけるお馴染みさんになっている。巣は発見されていないし、蜂追いの輩にも気づかれてはいないようで、みな日々平穏に過ごしている。
「大スズメバチ、なかなか襲ってこないな」
大家の癖に襲撃を楽しみにしている夫は、待ちきれない様子だ。
「数が足りないんじゃないかな。大スズメバチだって頭数が揃わないとキイロにも負けちゃうらしいから」
奴らは毎日見かけるが10匹ほどだ。巣の大きさからして300匹はいるであろうキイロスズメバチに襲撃をかけるには、相当数揃わないとだめなんじゃないか。それって想像したくない状況なんじゃないか、とわたしは思うのだが。
「えーっ、そういうこと? それじゃあ何のためにキイロスズメバチ育ててるんだかわかんないじゃん」と夫。
何のためだよ、とはわたしが聞きたい。

もしもわたしが大スズメバチに刺された時には 夫を責めないでください
幸せの物差しはそれぞれですが わたしはとても幸せでした

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大工はおしゃべりなほどよい

おしゃべりな大工さんがウッドデッキの木材を持って来てくれた。傷んだ個所を張り替えるために頼んだものだ。
珈琲を淹れ夫と3人でしゃべった。何しろおしゃべりな大工さんなのでしゃべってもらうのが、もてなしなのだ。
最近の話から、いつもそうだが家を建てた頃の話になる。13年前のことだ。今年設計士さんが亡くなったこともあり、センチメンタルに話し始めたが、しかしこだわりの強い頑固もんの親父だったよなというところに落ち着く。
三谷幸喜監督の映画『みんなの家』は若い設計士と年配の大工が家を建てる際のこだわりの違いがメインだったが、うちはふたりとも還暦を過ぎた同年輩。ぶつかりは激しかった。
その大工さんから受けてうちの仕事をしてくれていたのが、おしゃべりな大工さん。わたしと同い年だ。
あの頃、末娘は彼にとてもなついていて、彼女は子どもながらにヘビースモーカーの彼に心を痛めており、煙草を止めるように何度も注意した。
「煙草はからだに悪いんだよ」と5歳の娘。
「からだに悪くても、心にいいんだよ」とおしゃべりな大工さん。
「そっか、心にいいんだ」と娘。「うーん」とわたし。
 
彼はスマホを操作する夫を見て「それ指を動かす病気なの?」と顔をしかめていた。ブルートゥースの話になると「それ、ブルーレイと違うの?」と目を泳がせていた。末娘が18歳になったことにさえ目を丸くしていた。
でもまあ時代に遅れているともいえる彼の気持ちも、わたしにはよくわかる。何しろ同い年なのだ。
珈琲カップを片づけたあと、夫を手伝ってペンキを塗ったり、傷んだ板を外した場所の掃除をしたりした。
顔を上げると、おしゃべりな大工さんが張ってくれた杉の外板が……八ヶ岳おろしの北風の中で雪にまみれて張ったという板が、綺麗に並んでいる。
彼は腕がいいし、ハートがある。まあ、おしゃべりなのを楽しいと捉えるか、うるさいと捉えるかは人それぞれ。仕事は忙しいようだから、うるさいけどまあよしと捉えている人が多いということかな。たぶん熱いハートが収まりきらなくて口からどんどん飛び出しちゃうんだよね、彼の場合。
とりあえず「大工はおしゃべりなほどよい」ということにしておくか。

12年前に家族で張ったウッドデッキも 
そろそろ 基礎から張り替えなくちゃならないかな

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心配のかたち

南アルプスの彼に子どもができた。と言ってももちろん彼が妊娠したわけもなく、ましてやわたしの子どもではない。
贔屓にしているマッサージ師くんに、初めてのお子さんが生まれるのだ。
予定日は11月末頃で「今週はパパママ学級があるんですよ」とうれしそうに話してくれた。昔は母親学級と言ったものだが、月日は流れ物事の考え方や呼び名も変わっていく。その後には、立ち会い出産の勉強会もあるそうだ。
「立ち会いしてるこっちの方が倒れそうっすよね」と言うので、つい、
「うん。確かに産むより見てる方がつらいかも」と答えてしまったが、そんなわけはない。しかし3人とも安産で出産したわたしには、本当にそう思えてしまった。もし自分の大切な人の出産に立ち会ったら、心配で心配でおろおろしちゃうだろうな、それなら自分が産んだ方がまだましかもと、つい本音で。
 
心配性だと末娘によく言われる。キッチンでじゃがいもの皮をむく娘の横に立っているだけで言われる。
「じゃがいもむくくらいのことで、隣で悲しそうな顔しないでよ。もう、お母さんの心配性!」
どうも手を切りそうに思えてならないのだ。でも、料理だってできた方がいいに決まってるし口は挟まない。しかし、それが顔に出まくっているらしい。
「いいじゃん。いくら心配したって減るわけじゃなし」
わたしは、ぶつぶついいつつ退散するのが常だ。じゃがいもの皮むきでさえ立ち会いできずに逃げ出してしまう始末。
でも不思議なことに上の娘がオーストラリアに行くと言いだした時には、その心配性は影を潜めた。女の子をひとりでよく行かせたね、と何人かの人に言われたが、笑って送り出せた。
歩き始めた赤ん坊を支えてあげたい気持ちと、自分の足で歩いてほしい気持ちと親には両方の気持ちが混在するものだ。
半年がたち、彼女もそろそろ淋しくなる頃かもしれないがfacebookには昨日も元気そうな写真をアップしていたので、いいね! をクリックした。
心配のかたちも、いろいろでいい。
 
南アルプスのマッサージ師くんは、どんなお父さんになるのだろう。ともあれ初めてのお子さんがぶじに生まれてくることを祈るばかりだ。今年中には立ち会い出産を経験したお父さんの顔で、きっと話を聞かせてくれるだろう。そばにいる人が、いっぱい心配してあげることが、たぶんとても大切なのだ。

facebookにアップしていた娘のお気に入りだというカフェ
オーストラリアにはもうすぐ春が来るのかなー

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フジテレビへの熱い片思い

もとよりフジテレビに対する憎しみはない。12年の歳月はわたしに静かなあきらめをもたらした。もういいじゃないか。そういう名前のテレビ局があったことなど忘れよう。過去のことだよ。未来は他の局に放映してもらおう。きっと10年後にはそんな名前のテレビ局があったことも、月9のドラマも、忘れ去られているよ。えっ? フジテレビ? 何それ昔のテレビ局の名前? ふーん、聞いたことないなぁ。なんて具合いに。
 
というのは単にわたしのひがみです。フジテレビの方ごめんなさい。だって、うちフジテレビ映らないんだもん! 面白そうと思ったドラマに限ってフジテレビだったりして、テレビ欄を見て味わう一瞬の期待とその後訪れる落胆に何度泣かされたことか……。
越してきて5年はケーブルテレビと交渉を繰り返した。しかし返事は「そちらの地域では採算が合わないためケーブルの工事はできません」の一点張り。
わたしのひがみ根性か「山ン中に住んどいてテレビ観ようっての? はは。笑っちゃうよね」と聞こえるようにまでなった。
しかし今ではオンデマンドで一話300円ほどでドラマも観られるようになり、この地域ではうん万円の契約費用がかかり月々の支払いもしなくてはならないケーブルテレビも、もはや必要ない。
 
今、心は凪いでいる。夏の終わりに来た台風はウッドデッキに松葉を散らしていったが、夜中に目覚めて見た十五夜の月は美しく、流れる雲間に星も瞬いていた。12年間フジテレビが観られなかったことと引き換えに手に入れたものの方が確実に大きいのだ。
そんなことを考えながらフジテレビの東野圭吾ミステリーをオンデマンドで楽しんだ。かくして12年の歳月を経てフジテレビへの熱い片思いは成就したのであった。めでたし、めでたし。

山梨番の新聞はテレビ欄もフジテレビははじっこ あ、これ朝日新聞だから?

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軌道修正する時間

隣町にオープンした珈琲屋にひとりふらりと立ち寄ってみた。
『珈琲茶房 光香』光る香りとかいて「こうか」と読む。若いマスターがひとりでやっている小さな店だ。
室内にはカウンターとテーブルもひとつあるが、天気がいいのでウッドデッキに座らせてもらった。樽のテーブルに麻袋のテーブルクロス。オーダーの際カップをお客さんに選んでもらうのが決まりだと言う。
いつも初めて行く珈琲屋では、あれば浅煎りをオーダーする。珈琲好きのくせに苦みが強い珈琲が苦手なのだ。なのでペルーのチャンチョマイヨ産、浅煎りストレート珈琲を頼んだ。香りがよく苦みもちょうどわたし好み。酸味がもうちょっと欲しいところだが、酸味が強い珈琲を自分より好む人をわたしは知らないので、それは贅沢と言うものだろう。空にはうろこ雲が広がり、手元には読みかけの本があり、静かに時間は流れた。
たまにこうして誰かがドリップした珈琲を飲みたくなる。冷凍庫にはいつでもわたし好みの酸味と苦みを合わせ持つ珈琲豆が常備してあるし、自分で淹れた珈琲が自分にいちばんぴたりと来ることも知っているのに、なぜだろう。
 
「軌道修正」と考えてみる。わたしには、自分の味に慣れすぎたなと感じてくると、こうして新しいものを求めて出かけたくなる傾向がある。珈琲に限らず料理にも限らず、日々暮らしていくすべてのことにおいて。
同じ場所に同じように立っていても、周りは変わっていく。時々こうして自分の立っている場所を外から眺めることも大切だと、たぶん自分自身わかっているのだ。

『光香』の看板の下にはもうひとつ「春夏冬中」の看板が
秋がないから商い中ってやつですね

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サリュ! イザベル

近藤史恵の『タルト・タタンの夢』(東京創元社)の続き『ヴァン・ショーをあなたに』を読んでいる。フレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」を舞台にしたコージーミステリーだ。
ふと数か月前に2週間ステイしていったパリジェンヌを思い出した。彼女の名はイザベル。フランスに帰って元気にやっているのだろうか。
イザベルは上の娘がカナダでホームステイした時のルームメイトで、娘を頼って日本に来た。わたしは外国人のステイを受け入れるのも初めてだし何をしたらいいのかよくわからず、とりあえずフランス語を少しだけ覚えた。自分の国の言葉を少しでも知っている人がいたらうれしいだろうな、と。
「サリュ」ハローの意味。わたしは毎日「サリュ! イザベル」と挨拶した。しかしイザベルは娘にそっと言ったらしい。「サリュは若者言葉なのよ」わたしは涼しい顔で「サリュ」と言い「I’m young」とジョークを飛ばした。しかし後々「オッス!」のように使われていることを知る。イタリア語で「チャオ」はおはようもこんにちはもさよならにも使える便利な言葉だと覚えていたので多分同じ感覚なのだと思い込んでいた。付け焼刃とはこのことだ。
それでもイザベルとは通じ合うものがあり、言葉の壁を越えて親しく楽しい時間を過ごした。英語もできないわたしとフランス語の指差し会話帳を指差したりしながら、教えてもらったフランス語もある。幸せは「コントン」カフェ・ド・Cはイザベルとの時間が始まりだった。乾杯は「サムテ」あなたの健康にという意味合いの言葉だという。パリでは親に干渉されるのが嫌で家を出て一人暮らしをしていることや、留学したベトナムがあまり清潔とは言えない環境だったことなどを、車を運転しながらふたりで話したりもした。
今考えるとどうやって話していたのか不思議だ。到底超えることのできない言葉の壁がそびえ立っているように思う。
しかしイザベルはバースディカードにかいてくれた。
I hope to become a wife and a mother like you.
言葉の壁による勘違いは数々あるかと思うが、イザベルがとてもいい子だということに間違いはない。

イザベルがプレゼントしてくれたバースディカードには 
リビングで過ごすわたしの絵が描かれていた
ダイエットビールの絵も……


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森の効用

1週間ぶりに夫が帰ってきたので、珈琲をドリップしウッドデッキで飲んだ。
新米が届いたというのに帰ることもできず、仕事も忙しかったらしく夕べの彼はひどく憔悴していた。しかし朝いちばんでびっきーと散歩に行き、新米をたっぷりと食べ、珈琲を飲む頃にはだいぶ回復してきた。
「やっぱり森の中の我が家に帰らないと、疲れがとれないんだな」
「週の真ん中で帰ってくるのがいちばんいいのかもね」
庭にはとんぼが飛び交い、秋の空には雲が流れていく。空気は澄んでいて、時折、鳥の鳴き声が聞こえる。
「会社の経営者を森に連れて行って、1日放っておくっていうツアーが流行ってるらしいよ」
「へぇー。不思議。効果あるのかな?」
「ある気がする」という夫の顔を見てわたしも思った。ある気がする。
「都会の子は、ここは田舎で何にもないって言うと、広がる荒野を思い浮かべるんだって」
「便利になりすぎて想像つかないんだろうな。田舎の暮らしなんて」
夫は来週も1週間帰れない。いくら便利になったからと言っても森は持って行ってあげられない。
「コンビニもスーパーも駅もない小さな町だけど、ここには森があるもんね」とわたし。
「得るものと引き換えに無くしてるものが、案外多いのかも」と夫。
カップいっぱいに入れた珈琲が無くなっても、ウッドデッキの向こうに広がる緑をふたりしばらく眺めていた。

今がいちばんいい季節 そろそろ煙突掃除しなくちゃね

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サスペンドのすすめ

昨夜はめずらしくビールを止め、スコッチウイスキーをロックでちびちびやりながら、夫としゃべった。仕事の話がほとんどだったが、新しい言葉をひとつ教えてもらった。
「サスペンドする」
大辞泉で「サスペンド」を引くと、決定などを保留すること。(しばらくの間)停止すること。とある。
先延ばしにすることがいい場合と悪い場合とはあると思うけど「サスペンドする」ことで新しいやり方が見えてきたり、サスペンドしている間に得た知識が役にたったり、自分の考えを見直すことだってできる。
「時間を置く」「寝かせる」なんて、よく日本語でも使うよね。
それを仕事に活かすにはということを、夫はしゃべっていた。
 
と言うことで、しばらくの間サスペンドしてみようと思う。わたしの場合、停止の方。何もかも停止だ。立ち止まり、考えることを辞め、ゆっくり本を読み、昼寝をし、風の吹かない森にたたずみ、水たまりに映る空を眺め、赤とんぼをじっと見つめるって感じで。
 
でもさ、あれ? 今日25日じゃん。給与の締日だ。給与計算だ。うわっ、今月、月末土日だよ。28日には振り込まなくちゃ。月末にはまだまだやることがいっぱいある。
残念。のんびりとサスペンドするのは、また今度だな。

サスペンドするのが得意な赤とんぼ

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今、飛びたいんだ

晴れた朝、玄関で雨蛙に会った。雨蛙は飛んでいた。玄関のドアに向かって。
「どうして飛ぶの?」思わず聞いた。玄関のドアの先、上には何も、強いて言えば蜘蛛の巣くらいしか無いように見えたからだ。
「飛びたいから」雨蛙は答えた。「今、飛びたいんだ」
そして飛んだ。何度も飛んで、そして落ちる。コンクリートの地面と玄関のドアは、たぶん直角に近い。
(ムリだよ。たぶん何処にも届かない)わたしは思うが雨蛙は飛び続ける。
「どうして?」と聞くと「何が?」
雨蛙は上の空だ。飛ぶことに集中している。
「どうして飛ぶの?」「だから、飛びたいんだって」
――衝動。わたしの中の衝動は、いつ何処に行ったんだろう。
わたしは、雨蛙が飛び続けるのをずっと見ていた。
空が曇ってきて雨が降り出すまで。

雨蛙と会ってから毎日雨が降っている
稲刈りができず田んぼを持っている家は困っているようだ
もちろん彼に悪気はないだろう  今日もどこかで、たぶん飛んでいる


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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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