はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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Look at the bright side.

友人とランチをした。彼女は先月までロスに住んでいて、昨夏1週間のステイをさせてもらって以来なので1年ぶりだ。ゆっくりと食事をしながらしゃべり、お腹がいっぱいになるとぶらぶらお店を冷やかしながらまたしゃべり、エスカレーター横のソファに座ってまたしゃべり、紅茶を飲んでまたしゃべった。4時間半たっぷりしゃべって1年の時を埋めていくのは、とてもとても楽しかった。
昨夏は上の娘との二人旅でロスの空気を満喫させてもらった。その娘がオーストラリアで楽しくやっているらしいことをわたしがしゃべり、5年ぶりに日本に帰ってきて中学に行きカルチャーショックを受けているお嬢さんのことやビートルズのコピーバンドを組んでいる楽しいご主人のことなどを彼女がしゃべり、骨折した際左手がいかに働いていたかを再確認したことなどをまたわたしがしゃべり、出会ったころのことや共通の友人のこと、出会う前のことやロスでのこと、最近考えていることや、さらに家族の話などを、もうとりとめもなくふたりでしゃべった。
そして彼女から素敵な言葉をもらった。
Look at the bright side. 直訳すると「明るい方を見なさい」かな。
「いろいろなことがあるけど、ハッピーとは思えない出来事にもいい面は必ずあるし、明るい側面を見て生きていきたいなってロスで学んだよ」
彼女は洋ナシの香りの紅茶を飲みながら、穏やかに言った。
「この言葉をもらった一瞬に、栞を挟んでおきたいな」
わたしも穏やかな気持ちになり、考えた。
「できればこの甘い紅茶の香りと一緒に」

Afternoonteaの季節の紅茶は「ラ・フランスダージリン」


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Wi-Fi初体験

Wi-Fi初体験をした。
久々に東京本社に出社し、銀行を回り社用の買い物をし、その後30件ほどの振り込みをするためコーヒーショップでパソコンを開いた。
「Wi-Fiってどこでも勝手に繋がるんじゃないんだね」
夫に言うと、当然との返事。契約がいるのだ。月380円の契約をし振り込みをぶじ終えた。
小ぶりのパソコンを買ったので、最近は何処に行くにも持ち歩く。
急な仕事にも対応できるし、メールチェックも、行く先の検索も、ブログの更新だってできる。古風なマイケータイにできないことがちゃかちゃかできちゃうのだ。しかし、できると思うと外に出た時にも仕事は追ってきて、いつでも経理ソフトを開けるし、振り込みだってできるよねということになる。便利なのがいいのか悪いのか。だが、わたしの性格からすると重たくとも大きな安心を持ち歩いている気持ちの方が強い。フレックスなスタイルで働いているだけに、常に対応できる状態に保てるのはうれしいことだ。
 
そのむかし、入浴中に恋人から電話が鳴らないかといつも心配していた。しかし今ではケータイも水に強くなり一緒にお風呂も可能になった。
あの感覚は無くなるのだろうか。入浴中に恋人からの電話が鳴るかもしれないと思うと、聞こえるのだ。ベルの音が。風呂の戸を開けると大抵、電話は沈黙していた。ファンタジックでリアルでちょっと悲しい感覚。聞こえるような気がするから聞こえたような気になるってだけなんだけど。
今や何処にいたって、誰とでも繋がっていられるし、一千万円の振り込みだってできる。
Wi-Fiねぇ。と考えつつケータイを見ると夫からの不在着信があった。待ち合わせをしてるというのにケータイは電車に乗ったままマナーモードになっている。本当のところ電話の音を聞こうとしていないのはわたしの方なのだろうか。いや。たぶんこれは安心感が生んだ隙なのだと思い直す。どれだけ便利になったってそれを使うのは人間なんだから。
顔を上げると目の前に夫が立っていた。
「電話、百回は鳴らしたんだけど?」「ごめん」
百回コールしてくる夫がいる。安心感がつけ入る隙はこの辺りにあるのかも。

夫が連れて行ってくれたイタリアンバール
コンクリート打ちっ放しの壁にシンプルな装飾が素敵

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パーンという音が空に響くたび

銃を持った男を見た。伊坂幸太郎の小説ではない。嘘偽りのない日常。いつも娘を送り迎えする道でのことだ。
猟銃かと思ったが全体に黒く太い。マシンガン? まさか。車の窓を開け聞いてみた。「熊ですか?」「いや。猿だ」
ホッとした。猿ならあれは空気銃だろう。脅しに使うだけかもしれない。
 
ゴーヤを切りに行った農家さんで猿の被害の深刻さを聞いていたので、空気銃も致し方ないのかなと思う。農家さんも必死なのだ。南瓜どころかゴーヤまで採っていくと言う。
「あんな苦げえもん、生で食うんズラ?」とあきれていた。
しかしおそらく猿も必死なのだ。町内だけ見ても、山の開拓が進み森は拓かれ、農地や宅地が広がっている。山に暮らしていた猿が下りてこなくてはならない状況を作っているのは人間だ。
「ゴーヤは苦いよ」という子猿に母さん猿が言っているかもしれない。
「好き嫌いしないで食べないと、食べるものないわよ」
「やだよやだよ。お腹減ったよ」「わがまま言わないの」
子猿も母さん猿も切ないだろうになぁ。
しかし、そういう我が家も赤松の林を切り、家を建てた。残った隣の林には、今も何かしら動物の気配を感じる。この夏にはキジがヒナを育てていたようだ。誰かを追い出して、わたし達だってここに住んでいるのかもしれない。
 
パーンという音が空に響くたびに、あれは空気銃だろうか、それとも畑に設置された空砲だろうかと考える。考えることくらいしか、まずわたしにはできないから考えるだけ考えてみる。子猿を抱く母さん猿の姿を思いつつ。作物を取られた農家さんの憤りにうなずきつつ。豊かな町にしようと森を開拓する町の未来に不安を抱きつつ。赤松の林を吹き抜ける風を心地よく肌に感じ、ここに住まわせてもらっていることの幸せをかみしめつつ。

4・5年前まで猟銃を持つ人々が家の前をうろついていた
この辺りも家が増えハンターもさらに山奥へと移動して行ったようだ

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好奇心もほどほどに

「好奇心は猫をも殺すって言うじゃない」娘が言った。
受験生の彼女は秋を迎え、今ここで新しいゲームに好奇心など持たないよう、学校でのおしゃべりひとつにも注意を怠っていないのだという話をしていた。
だがわたしの頭には、話の内容は入ってこなかった。初めて聞く言葉にクエスチョンマークが飛び交っていたからだ。
「猫? なんで猫? なんで猫が死ぬの?」
「好奇心」の方はそっちのけで「猫」にばかり興味がいく。
イギリスの諺Curiosity killed the catだそうだ。イギリスでは猫には9つの命があると言われていて、好奇心ばかり持ってあちこちに首を突っ込んでいると命がいくつあっても足りない。好奇心もほどほどに、という意味らしい。
 
新しい言葉を会得するといつもそうだが、使いたくなった。が、すぐに思いもよらず思わぬ相手に使うことになった。
朝、びっきーの散歩中のことだ。傾斜の上に立った形で森を見下ろす場所がある。そこで草木をざわざわと分け大きなものが進んでいくような音がして、一瞬立ち止まった。びっきーも立ち止まった。
「熊だろうか」びっきーと顔を見合わせる。
防災無線の情報からして、もうこの辺りで見かけてもおかしくない。目を凝らして森を見た。黒い姿は見えない。恐い。でも見たい。いや。わたしは考え直しびっきーに言った。
「好奇心は猫をも殺すって言うよね、犬くん」
そして鈴を大きく鳴らし歩き始めた。
 
わたしは、夫と珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属のご近所さんにも言いたい。
「好奇心は猫をも殺すんだよ! 9つも命がある猫をも!」
軒下のキイロスズメバチの巣を取り返しがつかないほどに巨大化させてしまって、いったいどうするつもりなのだと。

「大きくなりましたねぇ」と目を細めるご近所さん
「もうちょっと綺麗な丸に作って欲しいですね」と美学も語る

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蛙と夕立

ウッドデッキで洗濯物を取り込んでいたら、蛙に会った。冠をかぶった王様を連想させるような風格のある容姿に魅きつけられ、わたしは話しかけてみた。
「悩みがあるんだ。右に行こうか左に行こうか悩んでる」
蛙は、首を傾げ考えるようにしてから答えた。
「まずは、きみが持つ悪意が、問題だ」
「わたしが持つ悪意?」
わたしは、心の引き出しを開け自分の中の悪意を探してみる。
「右か左かは、後で考えればいい」
蛙は小さな子どもに言うようにゆっくりと言った。
「恨みも、理不尽な思いも、すべてを自分の中の悪意と共に、捨てるんだよ」
そして目を閉じ、そっと開いた。
「紙に書いて、燃やすといい」
アドバイスに慣れているようだった。
「悪意も弱さも誰もが持っている。目や耳を持っているのと同じでね」
蛙はちょっと笑ったような表情を見せた。
「道はどこかで繋がっているよ。右に行っても左に行っても、先に行った友人達といずれ出会えるだろう。まずは余計な荷物を降ろすことだ」
そう言ってウッドデッキの下を覗き、話しすぎたかなという顔をした。
「ありがとう。水が欲しい?」
「いや。もうすぐ雨が降るよ。けっこうザーッと」
1時間後、蛙の言う通り雨が降った。夕立がザーッと降って去って行った。

蛙はウッドデッキの隙間に静かに消えた
今朝は富士山に初冠雪 冠を頭にのせた蛙を思う

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夢、三選

夏の疲れかこのごろよく夢を見る。夢の中で妊娠したり、死因を調べたり、くまのぬいぐるみがナイフを持っていたりする。数年前にもこんなことが続いたので日記を読み返してみた。
「アルゼンチン人の夢を見て寝覚めが悪い朝。夫がマラドーナが太った訳を話していたせいだろうか。マラドーナそっくりの体型の人々がスポーツをしている(人間業とは思えないほどうまい)夢だった。わたしはマラドーナを小型版にした赤ん坊をだっこしていて、その子の白いベレー帽を探していた」
「誰かに追われている夢を見た。地下鉄の乗務員に逃げ道を教えてもらい、上下が狭い箱のようなコケの生えた階段を上って着いた場所は、小学生くらいの子ども達が監禁されている部屋だった。そこでピカソを崇める集団が特別な能力を持つ人材を集めていると聞かされた。ラスト本物のピカソがでてきて叫んでいた。『俺はそんなことはしたくない!』なぜかそこは豊科のインターを下りた辺りの風景だった」
「実在しない友人の実家に遊びに行った夢を見た。その家は古く土間で馬小屋のようだった。まんなかに古いソファがあって部屋中にたくさんの物がごちゃごちゃと置いてあった。お父さんは笑顔で幸せだと言った。『毎日の小さなことに幸せを感じられる。だから幸せです』と。でも友人はそこにいなかった。死んだのだと何故かわかってしまう。誰もそのことには触れようとはしない。家族も物もごちゃごちゃとたくさんいた。たくさんあった」
夢っていったい何なんだろうな。疲れた。
夫はマドラーをマラドーナと呼ぶ

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イチイの木の実

今年の春植えたイチイの木に、赤い実が生っているのを見つけた。とてもかわいい。真っ赤ではなく透き通ったようなピンクにも近い色で清楚な感じがする。イチイの木も着飾ってうれしそうだ。わたしもうれしくなった。
 
ピンクと言えば、最近気になることがある。
シンプル好きで少年性を持つみずがめ座のわたしは、以前だったら白や黒や水色なんかを好んで身に着けていた。ところが最近ピンクの小物が身の回りに急増した。ケータイもお財布も名刺入れもハンカチもポーチも、いつの間にかピンクになっていたのだ。意識して買い揃えているわけでもないのに、心魅かれるものが自然とピンクになっていた。
「もしかして、癒しとか求めちゃってる? いやまさか。偶然だ。ピンクに癒しを求めるなんて、クールであるはずのみずがめ座らしからぬ行い……」
落ち着かない気持ちで自分に問い自分で否定し、ふたたびイチイの木を眺めた。ふわりと気持ちが和らいでいく。人って変わっていくんだよなぁと木の実を見つめ考えた。
実は食用にできるけど種には毒があるらしい
ここにだけクリスマスがやって来たようだ

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ラッキーオータム

秋だ。今年も秋がやって来た。ここ何年かわたしは秋と相性が悪い。突然車のボンネットに大きな木の枝が一度に3本も降ってきたりするといった、アンラッキーオータムが定着しつつある。
先週、秋の訪れとともにケータイが壊れた。液晶表示がぷつりと消えたのだ。
しかし今年はすでに冬、骨折手術入院している。それも誕生日に手術という神様のプレゼント。部分麻酔だったので「今日誕生日ですき焼きのはずだったんですよー」と、手術台でお医者様に言って笑われた。
なので、今年こそはアンラッキーオータムはやって来ないと信じたい。
 
幸いケータイは、データも無事で保険で無料修理が完了し帰ってきた。
「元気になってよかった」とわたし。
「ありがと。元気になったお祝いに出かけよう」とケータイくん。
連れ立ってアジアン雑貨の店『チャイハネ』に行った。ケータイには、以前からストラップがシンプルすぎると思っていたのでローズクォーツのパワーストーンを一粒買ってあげた。
そしてわたしは5ミリのターコイズが一粒ついた5百円の指輪を買った。ターコイズには「邪悪なものや迫りくる危険を退け幸運をもたらす」パワーがあるそうだ。誕生石であるアメジストにしようかとも思ったが、アンラッキーオータムを回避するにはターコイズが有効と思えた。ちなみにアメジストは「人生の悪酔いを避ける」石だそうだ。こっちにもちょっと魅かれたんだけど。
「ラッキーオータムにするぞ!」
決意を固め左手の中指に指輪をはめた。

『チャイハネ』にいるだけでもう幸せ

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サイドミラーの中の風景

所用があり甲府までひとりドライブした。道もすいていて天気も良く、山側の道を選んだので気持ちのいいドライブになった。
時折のぞくサイドミラーの中の風景が好きだ。通り過ぎた道の逆視点から見る風景。反対側に続く道、違う形の雲達、見たことのある風景でも一瞬一瞬に変化がある。
夕暮れ時には、前方にはない茜色の空がサイドミラーに広がっていたりもする。坂道を登れば、水を張った田んぼに映る山が視覚に飛び込んできて驚かされたりもする。
 
サンドラ・ブロック主演の映画『微笑みをもう一度』で、夫と別れ実家に向かう主人公はゆっくりアクセルを踏む。振り返らずに行こうと思った彼女だったがサイドミラーに映った夫の姿を見てしまい涙するというシーンがあった。
 
サイドミラーの中には小さな驚きやドラマが隠されている。見逃さないようにしたいものだ。とはいえサイドミラーばっかり見てて事故ったりしないようにしなくちゃね。

最近お気に入りのジョージ・ハリスンのアルバム『Let it roll』を聴きながら走る農道には、ただ秋の空が広がっていた

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八百万の神が宿る電子機器くん達

「イヤホンくん! イヤホンくん!」
娘が洗面所で必死に説得している。歯磨きしている最中にイヤホンが落ちてきそうになったのだ。彼女が大好きな電子機器達は、水が苦手だ。だったら外して磨けばいいのにと思うが、もう片時も離れられない仲なのだ。
「イヤホンくんは説得に応じたようだね」とわたし。
「わたしのイヤホンくんですから」と娘。
わたし達親子はなぜか様々な物を擬人化し、さん付けくん付けで呼ぶ。
彼女は最近、新しいウォークマンくんを手に入れ浮き浮きしている。購入に当たりこんな会話が繰り広げられた。
「最近ウォークマンくんの調子が悪いんだ。もう買い換え時期かな」
「あ、そんなことをウォークマンくんの前で言っちゃあ、すねて余計に調子悪くなるよ」
「だいじょうぶ。わたしの電子機器くん達は主人の性格わかってるからね。そんなことしたらすぐに見捨てられるって」
「かもね。それにお父さんの車は、修理に出そうかなって言った途端に調子よくなるし」「修理嫌なのかな?」「病院行きたくないみたいな感じかな?」
車はすぐに買い替えられないが、小さな電子機器達は修理に出すのと変わらない値段で買えることも多い。日々性能もよくなり値段も安くなっている。
「アマゾンさんで安いの見つけて、お年玉の残りで買うかなー」
娘は考えつつ言った。アマゾンさん……。わたしは深く湿った密林を思い浮かべた。もうアマゾンを密林と呼ぶのは古いのだろうか。
「一つ一つの物にも神が宿るという八百万(やおよろず)の神の国ならではの発想かな?」
娘は擬人化の理由をそう分析するが、なんか違う気がする。

(注)わたし達はパソコンに名前はつけません。

玄関の見張り役シーサーくん達
日々崩壊していくわたし達の会話に聞き耳を立てているよう

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地面と平行でいる

夏バテした。昨日の午後、夫とふたり話していて言葉をついて出た。
「疲れたなぁ」
「小学生の時、プールに行った後みたいにだるいね」
なので今日は避暑に行くことにした。
隣町の川原だ。車で30分。高度600メートルの我が家より200メートルくらい高いだろうか。車のドアを開けると、肌寒かった。
「足を川に浸しながら読書する」という夫のプランは、水が冷たすぎてかなわなかったが、2時間ほど川を眺めたり読書をしたりしゃべったりして過ごした。いつも森の中にいるのに森林浴と言うのもおかしいが、深々と深呼吸し、森だなぁと実感しリフレッシュした。
 
水には不思議なパワーがある。わたしは平衡感覚がそのパワーの起源なのではないかと思っている。コップに入れた水は、傾けてもいつも地面と平行だ。
バランスが崩れた心に、いつでも地面と平行を保ちながら、水は問いかけているんじゃないかな。そのままで、元のままのあなたでいいんじゃないかって。

苔むす石、流れゆく水音、揺れる木漏れ日
夕立の後、大きな虹がかかりました

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間食を欲する彩り豊かな人生のお裾分けを味わう

結婚祝いのお返しにと柿の種をいただいた。箱の色もカラフルなら中身も様々。梅にチーズ、山椒もあればメープルシュガーもある。組み合わせにも工夫があり梅には黒豆、チーズにはアーモンドとナッツもいろいろだ。しばらくは夫がスコッチウイスキーを飲む際のつまみには困らずに済むだろう。
 
ところでわたしは間食を欲しない残念な人生を歩んでいる。酒のつまみも必要ない。特に甘いものには拒否反応がある。嫌いなわけではなく、ただからだが欲していないのだ。どうしても食べなくてはならない場面では意を決して食べる。食べることはできる。
昔はこうではなかった。ケーキもクッキーも大好きで高校の頃お菓子作りにハマった。結婚してからも、子ども達の誕生日にはスポンジケーキを焼き一緒にデコレーションするのが恒例行事だった。
いったいいつから甘いものが食べられなくなったのか。不思議だ。一つ言えるのはその頃の記憶はごちゃごちゃとたくさんの色が混ざり合い、今の生活はシンプルでモノトーンのように落ち着いているということだ。
 
ちなみに夫は間食を欲する人生を歩んでいる。甘辛両党何でもござれ。味にもうるさい。食に関してだけではなく彼はいつも新しいもの、多様なものを求めて生きている。同じ時間を過ごし隣に座っていながら、彼の人生は彩り豊かだよなぁと、わたしはまぶしい気持ちで眺めている。
たとえばドライブすれば通ったことのない道をナビのない車で走りたがる。
「迷ったらどうするの?」重度の方向音痴であるわたしの心配をよそに、
「だって、いつもと同じじゃつまんないじゃん」軽くハンドルを握る彼はとても勘がいい。道に迷うこともなく見たことのない風景を見せてくれる。
そう考えると彼の隣に座っていることで風景が広がり、わたしも彩り豊かな人生のお裾分けを味わうことができているのかもしれない。
 
カラフルな柿の種は、甘くはない。大好きな山椒の味もある。せっかくだから夫のスコッチウイスキーにつきあってバーボンソーダでも飲みながら一粒ずつ食べてみようと思う。

新婚さんお二人が彩り豊かで甘く間食を欲する人生を歩めることを祈って


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「月がきれいだね」

知らないことが発見につながるとかいたが、昨夜もまたひとつ利口になった。「月がきれいだね」と言うのは「I love you」の意味があると言うことを知ったのだ。
夏目漱石が英語教師をしていた頃には、愛してるという言葉は日本でメジャーではなく生徒達にそう訳し教えたそうだ。
 
常日頃、高3の娘は何かを誤魔化す時に斜め上を向き、
「空がきれいだ」と言う。「もう夜だよ」と突っ込むと、
「だって月がきれいだねとは言えないじゃん」と言う返事。
わたしの頭にはクエスチョンマークが飛び交った。そして、
「漱石の有名な言葉だよ」と教えてもらった。
 
ふうんと思い、すぐ使ってみたくなった。
「月がきれいだね」サッカーの練習から帰ってきた夫に言ってみた。
「最悪。若いのに蹴られちゃってさ」と言い、夫は風呂場に急ぐ。
「月がきれいだね」もう一回言ってみる。
「何? 酔っぱらってんの?」返ってきた言葉は、それだけだった。彼は漱石の言葉を知っているのかどうなのか。わたしは何も言わず3缶目のビールを開け、彼のためにオムレツを焼いた。
オムレツをつまみながらワインを飲み、夫が話すチームの誰それの話などを聞く。腕を掻きながら「あのさー」と言うので「はい。ムヒね」とかゆみ止めの薬を手渡すと「かあちゃん、すごい! 言う前によくわかるね。愛してるよ」
彼はムヒを塗りつつ無邪気に言った。
 
漱石さん。あなたのロマンティックな訳は、残念ながらムヒに負けました。
昨夜はとてもきれいな三日月でした

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行き当たりばったり人生がもたらす発見の喜び

庭の茗荷を初めて収穫した。2年ほど前に植えてから株も増えていたが、収穫したのは今年が初めてだ。
この2年間、何度も夫に聞かれた。
「だいたい茗荷って、どうやって生るわけ?」
そのたびに「さあ?」と答え、
「どうしたらそんなにいい加減になれるの?」とあきれられていた。
結構背が伸びてきた茗荷の茎や葉を見て、何処に生るんだろうと不思議には思いつつも調べるまでには至らず、生ったらわかるだろうと高をくくっていたのだ。茎と葉の間に花でも咲かせるんだろうか、くらいの気持ちで。
しかし、茗荷は土の中から顔を出していた。ふきのとうと同じく蕾を土の中で育て顔を出すタイプなのだった。新しい発見だ。調べていたらこんな風に発見を発見として喜べない。行き当たりばったり人生万歳である。
 
ところで茗荷を食べると物忘れがひどくなると昔から言うらしいが信憑性のほどはどうなんだろうか。とにかくわたしは茗荷が大好きで、味噌汁にも奴にも素麺にも必ず薬味として用意する。バター炒めにも天麩羅にもするしサラダにも入れる。そしてわたしは威張るほどのことではないが忘れん坊だ。冷蔵庫を開けて、あれ? 何出そうと思ったんだっけ? とよくフリーズする。
この一例だけみて考えればまあ、わたしの物忘れは茗荷のせいにできるかもしれないな。

お水もあげてないのに、よく出てきたね!

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熊目撃情報は実りの秋に

子どもの頃、熊に引っ掻かれたことがある。
両親の田舎、北海道に帰省した時のことだ。今では人道的にありえないが、わたしが小学生の頃にはまだ、木彫りの熊を置く土産屋の店先に小熊がつながれているのをよく目にした。客寄せだ。その熊に引っ掻かれた。
「あ、熊さんだー。かわいい!」と出した手をがりっとやられた。
不注意極まりない子どもである。幸いかすった程度だったらしく親に叱られただけで済んだと記憶している。もちろん痕も残っていない。
 
久しぶりに思い出したのは、このところ毎日のように流れている防災無線での熊目撃情報を聞いたからだ。
一週間前町の中心近くで目撃され、三日前にはこちら寄りの山の方で目撃されている。稲が重そうに頭をたれる頃、いつも熊さんは山を下りてくる。
「びっきーの散歩中に会ったらどう行動する?」と夫。
「逃げるしかないよね。びっきーのリードは離して」とわたし。
「猿に会った時、びっきー吠えた?」先週猿と遭遇した際、彼は寡黙だった。
「吠えなかった」「やっぱり。頼りにはできないな」
ちなみにびっきーはひどく臆病で、そのくせ自分より小さな犬には吠えるけっこうわかりやすい性格だ。
「びっきーは逃げ足は速いだろうから、まず自分の身を守るしかないね」
「熊は相当足速いらしいから、逃げきるのはむずかしいだろうな」
「とにかく出会いがしらがないように気をつけるしかないか」
熊は人間を襲うつもりはないと言う。ただ思いがけず出会ってしまい恐怖を感じると身を守るために襲うのだそうだ。
娘には言ってある。
「もしびっきーがリード付けたままひとりで帰ってきたら、日本野鳥の会所属のご近所さんに電話してね」
「やだなぁ、その状況」と娘は顔を曇らせ「目撃ってすごい言葉だよね。目で撃つだよ」と話を変えた。
 
ふたたび子どもの頃の記憶に戻るが、猿にも引っ掻かれたことがある。
「あ、お猿さんだー。かわいい!」がりっである。まったく不注意極まりない子どもだ。それから少しは成長しているはずだが、不安だ。

熊を近づけないように鳴らして歩く「熊鈴」と
熊を一時的にやっつける「熊スプレー」

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それで、楽しかったの?

夏休みも毎朝娘を駅まで送っている。家でひとり勉強するよりは学校に行く方が集中できるらしい。親から見ても申し分のない受験生だ。わたしには送り迎えくらいしかできることもないので喜んで運転させてもらっている。
そんな朝の車中での会話だ。
「それで、夕べは楽しかったの?」と娘。
うっ、と言葉に詰まった。じつはその前日飲み会で軽く口論になり、しょげていたのだ。
「た、楽しかった、とは?」返事も重くなる。
「いや何ていうか、飲み会から帰ってきたら、いつも絡んでくるじゃない? それがなかったからどうかしたのかと思って」
なんと彼女は心配して聞いてきたのだ。
それも「楽しかった?」と探りを入れるのは親の所作である。いつから君はわたしのお母さんになったのか? そう思いながらもわたしは言葉少なに飲み会での話をし、娘は一言一言誠実に返答し感想を言った。とうとう逆転したと、もう認めざるを得ない。
 
駅からの帰り道、わたしは車を停め、八ヶ岳に話しかけるしかなかった。
「あんなにちっちゃかったのに」とわたし。
「初めて会った時にはまだ5歳だったね」と八ヶ岳。
「季節は移ろうものだよ」と八ヶ岳の肩に手をかけた入道雲が言う。「田んぼの稲だって日々色を変えてるじゃないか」
「夏も終わるね」八ヶ岳が反対側の空に広がるうろこ雲を眺めた。

朝晩の気温が下がるようになり、くっきりと姿を見せるようになった八ヶ岳

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「ひとつの」出会い

山梨に越してきてからずっと、ひとりの美容師さんに髪を切ってもらっている。ふた月に1回くらいの割り合いでカラーとカットをしてもらう。考えてみると長い。ここに来てもう12年だ。
初めて会った時、彼女はまだ若く20代半ばくらいだった。若いのにとても落ち着いて話しをする女性だなというのが第一印象だった。だからといって若さがないわけじゃない。いつも前向きで明るく楽しいことが好きでチャレンジ精神にもあふれている。
人見知りをするわたしが、すぐに打ち解けて話せるようになり、髪を切ってもらうたびにホッとした楽しい時間を過ごせるのは、彼女が稀にみるすぐれたバランス感覚の持ち主だからだと思っている。
だからわたしは、彼女が違うお店に移った時にも彼女についていった。
そして今月。彼女、みなこさんはひとりでお店を出した。美容室『ETT』甲府市高畑の住宅街の中に自宅兼お店を建てオープンしたのだ。今日初めて行き、髪をゆっくりと洗ってもらいカラーとカットをしてもらった。
みなこさんらしい白い壁の内装に落ち着いた木を使った棚やチェスト、天窓から差す陽が明るくシンプルな空間を演出している。『ETT』(エット)は、スウェーデン語で「ひとつの」などの意味を持つと言う。英語で言うと「a」みたいな言葉かな。今度もっとちゃんと調べてみよう。
お店の名前としてはとてもいいと思う。シンプルがスタンスの彼女らしいし、わたしのように物忘れがひどくなっていても思い出しやすい。
「で、何ていう美容室?」「えっと」もう、口に出した時点で思い出せる。
そんなみなこさんを、わたしはずっと応援している。

植えたばかりの木々が白い壁に映えておしゃれ!
「成長して森みたいになればいいな」とみなこさん


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蜂によるアンチエイジング効果

成長したきくらげさんは、弾力がありびっくりするほど美味しかった。
しかし軒下のスズメバチの巣の成長は、喜ばしいものではない。そこで蜂に詳しい多趣味で珈琲の焙煎もする日本野鳥の会所属のご近所さんに、見てもらうことにした。
蜂の種類はキイロスズメバチだということが判明。下から見るだけなら危険はないと観察を薦められ、夫はすぐには巣を駆除しないことに決めた。
ご近所さんお薦めの理由。他の蜂が襲いに来る様子は見ごたえがある。近くには世界最大の大スズメバチが生息している。キイロスズメバチの巣をバリバリ破っていくパワーはすごい。家賃もなしに軒下を貸しておいて観察しないのはもったいない。冬になる頃にはどうせ蜂も巣を捨てる。ということだ。
ということだが、その大スズメバチが襲いに来てからでは、駆除するのはさらに難航するのではないか? だいたいその大スズメバチが危険なのではないか? という疑問が残った。けれどそんな疑問などどうでもいいと言うように、ご近所さんはとてもうれしそうに目を輝かせていた。
「美味しいんですよ、大スズメバチは。蛋白質たっぷりです」
さらに「森の暮らしはいいなぁ」と、うらやましげにため息をつき、キイロスズメバチの巣を愛おしそうに見上げた。夫も同じような顔をして見上げている。ふたりとも夏休みに大きなカブトムシを目の前にした少年の顔だ。蜂蜜にはローヤルゼリーなどアンチエイジング効果が期待される栄養源が含まれているようだが、蜂蜜なしでもおじさん達は十分若返っていた。
「虫捕り少年、帰ってこないよ」お昼ご飯を待ちながら、娘に言うと、
「少年は放っといて食べよう」と、さっさとオムライスを口に運んだ。
 
好き嫌いはない方だが蜂は食べたくはない。昆虫酒場にやってくる大スズメバチはたいそう綺麗だが、それでも食す気持ちにはなれない。10歳若返ると言われても絶対食べないな。まあ30歳なら考えてもみるけど。

サッカーボールより大きく成長していたキイロスズメバチの巣

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ジモティ

嘘偽りなく、神戸は暑かった。
お盆の帰省ラッシュになる前にと、早めに帰省したのだ。
義母の新しく買ったプリンターの設定や、お供えのお花などの買い物をしたり、焼き茄子も焼いた。短い滞在だったが、ゆっくりおしゃべりもできた。一緒にビールも飲めた。買い物の際には、頼まれた写真用紙を買いがてら神戸らしいおしゃれな文房具を置いたお店もゆっくり見ることができた。暑かったが、楽しい帰省だった。

帰ってきたら、たった3日前まで青々としていた田んぼの色が変わっていた。稲が実り始めている。ウッドデッキには南瓜が3個。毎年1年分のお米を買っている田んぼのおばあちゃんが置いて行ったのだなとわかった。ここに置いていくのは、お米のおばあちゃんしかいない。苗字を呼ばないのは、この辺りには多すぎる苗字だからだ。同じ苗字できゅうりのとか、りんごのなどと、わたしと夫は呼んでいる。昔から住んでいる人達(わたし達は彼らを、地元の人ジモティと呼んでいる)は、ファーストネームで呼び合っているようだ。

夫は神戸に帰るとジモティだ。それが居心地を悪くし、またよくしているのが、東京という特殊な都市生まれのわたしにも最近分かるようになった。地域にもよるが東京にジモティはあまりいない。人も流れていく場所なのだ。わたしはこの先もずっと、何処ででもジモティにはなれないのかもしれないと思い、嘘偽りなく、淋しさを感じた。


神戸元町の昔からある建物を利用したショップ
港町ならではの雰囲気に神戸を感じた

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太陽の恵みによる逆転劇

日本一日照時間が長い町なので、太陽のイメージである「ひまわり」の畑がたくさんある。7月後半からちょうど8月今の時期くらいまでは、どこかでひまわり畑を観られるように、時間差をつけて咲かせている。観光客に来てもらうためだ。
種まきの日には防災無線で「本日午前8時からひまわりの種まきをします。多くの方のご参加をお願いします」と早朝に町民の参加者を募る。わたしも何年か前に参加した。
 
町に住む人はもう、わざわざひまわり畑を観に行ったりはしない。夏になると他県ナンバーが多くなり、その渋滞に巻き込まれないように道を選ぶ基準のひとつがひまわり畑で、そこを避けて裏道を通ったりするくらいだ。
 個人的には緑が濃くなった田んぼや、小さな緑の宝石みたいな実を付けたワイン用の葡萄畑や、花をつけたままぶらさがっているみずみずしいきゅうりの畑の方に美しさを感じるが、もちろんそれらを観にやってくる人はいない。

なのでひまわりの恩恵にはさほど与っていないが、太陽の恵みはずいぶんといただいている。今朝も夫に褒められた。
「また逆転だ! よくがんばってるね」
いくつになっても褒められるとうれしい。えへへ、やったぜ! という気持ちになる。電気代のことだ。
太陽光発電の売電額が、電気料金より上回る逆転劇が3か月続いている。上の娘がオーストラリアに行き家族が減ったので食器洗い機の使用を辞め、こまめにコンセントも抜いて歩いている。エアコンはもともとない。
太陽の恵みと褒めてくれる夫に感謝して、今月もがんばろう。

そろそろひまわりの季節もおしまい
オニヤンマが飛んでいました

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めざせ! 二桁

まだ夏だというのに、限りなく二桁に近づいている。
去年はたった3日だったというのに、今年はもう9日。3倍だ。骨折入院したしインフルエンザにもなった。健康診断もすませた。「生ビールたった5杯で愚痴言い放題の会」でフェイントでそれ以上飲んでしまい、10年ぶりにお酒を見たくないほどの二日酔いをしたのも効いている。
(過信していた。もう自分は二度と二日酔いはしないと。アルコールにも免疫があり、毎日飲んでいると二日酔いなどしないのだと)
9日、と言うのは今年に入ってからの休肝日のことだ。

 
そして昨夜。
「ジャック・スプラットの奥さんにならないために、少し体重落そうと思って」とダイエットビールを飲んでいると、娘に方向性が違うと指摘された。
「ダイエットするんなら、ビールをやめればいいじゃん」
「そうだね」
娘と話をするときには、まずは一応彼女の意見を肯定することにしている。でもね、と心の中でつぶやいた。
「ビールを飲むために、毎日がんばっているんだよ、母は。それにさ」
今度、彼女に教えてあげようと思う。
「正論を言うやつは嫌われる」世間にはそういう言葉があることを。
「人は大きなことのために生きているんじゃない。もっと小さなことのために生きているんだ」伊坂幸太郎の本の中には、そういうセリフがあることを。
(かなり小さなことなために生きているわたし……)
ということで娘の意見を肯定し、近いうちに(どこかの国のトップを真似ているわけではないが)今年10日目の休肝日を設定しようと思う。ぜひ、近いうちに。まあそのうちに。

午前0時を過ぎたら、もう明日……
飲んでも休肝日にカウントできるんだろうか

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お得に映画

久しぶりに映画館で映画を観た。映画はひとりふらりと観るのが好きだが、夫と観た。夫婦のどちらかが50歳以上だと一人千円になる。お得だ。お得なのは大好きだ。
夫は「身分証明書のご提示を」と言われるかと期待していたが、期待は裏切られた。軽くスルー。普通に50代の夫婦に見えるってことだ。
「まあさ、期待は裏切られるためにあるようなものだからね」と、わたし。
「なんで身分証明書の提示を求めないのかって文句言ってもいい?」と、夫。
「どうぞ」と言うわたしを、今度は夫がスルーした。
観たのは「ダークナイトライジング」クリストファー・ノーラン監督のバットマン3作目だ。アクション物はいい。観た後スカッとする。
それから、ふたりで遅いランチに同じモールの中でラーメンを食べた。会計をすませてラーメン屋ののれんをくぐると「あっ!」と夫が小さく声を上げた。入り口には「シネマチケットお持ちの方トッピング無料」のはり紙が。
「むむっ!」とわたしも小さく声を上げる。もっとお得に食べられたはずのラーメンをみすみす無料トッピング具材なしで食べることになってしまった。お得に過ごすためには注意力が必要なのだ。映画が終わったのが午後2時で、ふたりとも空腹だったのが敗因だと思われる。

帰ってきて涼しくなったウッドデッキで、それぞれのパソコンを開きながらビールを開ける。お得にはほんの少しケチがついたがいい日曜だった。

ホンダのマークってバットマンっぽくない?
夕方の雲がフィットに映り、流れていく

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扇風機ショック

「扇風機のスイッチを足で入れたことのない人って、存在するのかな?」
そう言いつつ、わたしは扇風機のスイッチを右足の親指で押した。その言葉に娘は、まじめな顔で答えた。
「わたしはやらない」
「でもさ、今までやったことあるでしょ?」
「でももう、やらない」
娘はいつになく、かたくなだ。
「今お母さんがやってるのを見て、美しくないなって思った。だからやらない」
ショックである。
「う、美しくない、ですか」
「はい。美しくないです」
「ですよね」「です」
彼女の美意識は、17年間一緒に暮らしてきたわたしを遥かに飛び越え、もう彼女だけのものになっている。親とはまったく別のひとりの人として成長している。そんなあたりまえのことに気づいた瞬間だった。ほんの小さなことだが素直な気持ちでわたしも見習おう。
 
ぼんやり考えながら、涼しくなってきたなと無意識のうちにふたたび足でスイッチを押し扇風機を止める自分がいた。ショックである。

娘が小学生の頃、家族で旅行した佐渡の無名異焼(むみょういやき)の風鈴
澄んだ音に涼を感じる

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行く手を阻むずらりと並んだ段ボール箱

やりたくないことを後回しにするのは、誰でも同じかもしれないが、そういうときにはいくつかの段ボール箱を想像することにしている。
行く手を阻むずらりと並んだ段ボール箱。ひとつひとつ片づけていかないと、先へ進むことができない。
「ひとつだけ片づけよう」何も考えずにとりあえずひとつだけ。
たとえばトイレ掃除なら、何も考えずトイレマットを洗濯機に入れて回す。次の作業は気が向けばやればいい。やらなくてもいい。そういう方法だ。
おもしろいことに、ひとつ片づけてしまうと、次のひとつもその次のひとつもするすると片付いてしまうことがよくある。要するに重い腰を上げるまでが億劫なのだ。
韓国の諺に「始まりは半分」というのがあるそうだ。始められればもう半分やりとげたようなものだという意味らしい。始めることってパワーいるんだよな。まあこの諺は、やりたくない掃除を始めるんじゃなくて、何かに挑戦するときに使われるらしいけど。
 
「ワンクウォーター、終わったね」夫がプレシャーをかけてくる。
家計簿を4月から溜めている。
家事の中でも家計簿をつけるのが苦手中の苦手。溜まっていくレシート。でもレシートで部屋いっぱいになることはないだろう。たぶん。
映画でも撮ろうかな。家計簿つけが苦手な主婦のユーモアとペーソス。上野樹里主演の『亀は意外と速く泳ぐ』的なやつ。部屋いっぱいのレシートと、爆発するパソコン。あー、あの映画観たくなった。明日借りて来よう。まあ、家計簿は後回しにして。

トイレ掃除完了 トイレのカレンダーも8月にしました

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ジャック・スプラットの奥さんにならないように

20年以上変わらなかった体重が、増える傾向にある。
夫もやはり20年以上体重変動はほぼなかった。それが減る傾向にある。これでは「ジャック・スプラット あぶらがきらい」になる日がやってくるんじゃないかと不安になる。
なぜか印象に残っているマザーグースの詩。アーサー・ラッカムの絵がまたシュールだ。なにか物悲しく可笑しい。
娘は脂身があまり好きじゃないので、厚めのソテーなんかを食べるときには、「ジャック・スプラットの奥さんがほしいよー」などと言い「ジャック・スプラット」の名は肉を食べるたびに食卓の話題にも上る。
 
Jack Sprat could eat no fat,
  His wife could eat no lean,
 And so betwixt them both, you see,
  They lick'd the platter clean.

 ジャック・スプラット あぶらがきらい
  そのおくさんは あかみがきらい
 だからごらんよ なかよくなめて
  ふたりのおさらは ぴかぴかきれい(谷川 俊太郎 訳)
 
わたしは脂身好きではないが、ビール好きだ。(要因はそれだけか?)
一方夫は、1年前にトレーニングを始めた。朝起きて走り、その後ストレッチをする。専門家について教えてもらった。それを信じられないことに続けている。継続は力なり。すごい。それも50歳を過ぎてなお、腰痛を乗り越えサッカーを続けるために。うーん。アンビリバボーである。
すでに1日、キクラゲちゃんに水をあげることを忘れてしまったわたしには(キクラゲちゃん、ごめん!)、継続という言葉自体、遠いところにある。
今もオリンピックのなでしこをライブで観ている彼。明日も試合だそうだ。「ケガしないようにね」と言ってわたしはいつも送り出す。
わたしも少し運動しなくちゃ。たとえ三日坊主でも。

 


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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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