はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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娘の置き土産と春の声

滅多にないことに、風邪をひいた。末娘の置き土産である。急に暖かくなって、上着も着ずに浮き浮きと庭仕事をしたのも一因かも知れない。

喉が痛み、身体が怠い。普段は忘れているが、喉と耳とは繋がっているのだと実感する。唾を飲むたびに、喉の痛みが耳に響くのである。
そのぼんやりとした耳に、今年初めての鶯の声が響いた。
「あ、鶯。今年初めて聞きました」荷物を出しに行った郵便局で、わたし。
「あ、わたしも、初めてです」と、郵便局員の女性。
今朝は冷え込み、寒かったと話していた矢先だった。
「まだ、下手ですね」「ホーホケキョには、なっていませんね」
ふたり顔を見合わせ、微笑む。
鶯の声だとはっきり判ったが「ケキョケキョケキョ」を繰り返すのみ。上手に鳴けるようになった頃、本当の春が来るのだ。多分。

怠くて外出したい気分じゃなかったが、郵便局に行ってよかった。郵便局で送った荷物もまた、末娘のモノだった。洗濯物やら本やらお菓子やら。風邪を置いていったおしゃべりな娘だが、春の声も届けてくれたらしい。
彼女の風邪は、治っただろうか。「あいうえあおあお」などと、発声の練習をしていると喋っていた声が、鶯のたどたどしい鳴き声と重なった。

郵便局からコンビニに向かう途中の道沿いにある枝垂桜が、
よくやく、ほころび始めました。

濃いピンクの蕾が開くと、淡いピンク色。魔法のようです。

ほとんどが、まだかたい蕾でした。今週、咲くかな。

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夢のなかで羽ばたいていたフクロウ

夢を、見た。野鳥達のため、庭に撒いている向日葵の種が、グレーのゼリービーンズになっている夢だった。
「向日葵の種、買って来てって、言ったのに」と、夢のなかで夫。
「おかしいなぁ。買った時には、確かに向日葵の種だったのに」と、わたし。
それでも、そのゼリービーンズを、ウッドデッキや庭に撒いた。すると、ほどなくしてウッドデッキに鳥が、飛んで来た。大きい。顔だけでもう、シジュウカラの10倍くらいはある。フクロウだった。その横には、リスがちょろちょろと動き回っている。リスと違う様子をした動物は、ヤマネだろうか。夫が持つ袋に、顔を突っ込もうとするかのように、ゼリービーンズをねだっている。
和やかな雰囲気のようだが、実際には違う。家のなかまで入ってくるのではないかと、気が気ではなく、恐怖と焦りを感じたシーンだったのだ。
「ごめん。確かに、向日葵の種のはずだったのに」
わたしは、ただただ、夫に謝っていた。

夢に疲れて目が覚めて、リビングに降りる。あのフクロウ、やけにリアルで、はっきりとした顔つきだったなぁと思い出しつつ、白湯を飲み、カーテンを開けた。その瞬間、夢に登場したフクロウの顔が、そこにはあった。
「ああ、この顔だ!」夢のなかのフクロウは、窓に貼ったバードセイバーに、そっくりだったのだ。バードセイバーとは、野鳥が窓にぶつかる事故を防ぐために窓に貼るシールで、その顔は、もう何年も毎日見ているものだった。
「夢って、こうやって小間切れの記憶から、作られているのかなぁ」
知る由もないことを考えながら、思う。夢のなかでばたばたと羽根を動かしていたフクロウ。そして、動くことのないバードセイバーのフクロウ。もしかして、きみも、羽ばたきたかったの? と、窓を見上げた。

10年くらい前に、北側の窓に貼った、バードセイバーです。

庭では、ヒヨドリが、水場でうがいしていました。

ヒヨドリが、こんなに可愛なんて、新しい発見でした。

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ご期待に沿えるよう

薪を運ぼうと庭に出て、驚いた。うっすらと積もった雪の上に、野鳥達の足跡が、あちらこちらについていたのだ。
一昨日。雪が舞うなか、夫は庭に向日葵の種を撒いていた。雪は午後にはやみ、カワラヒワやシジュウカラがやって来た。遠目に見ただけだからはっきりしないが、身体の大きいのはツグミだと思う。ヒヨドリもいた。
くっきりついた足跡を見ると、気温が下がった一昨日は雪もすぐに凍ったのだろうと想像してみる。小鳥の重さと足の体温で、すっと溶けるくらいは、やわらかかったのかも知れない。
「冷たいのに、歩き回って、向日葵の種を探したんだね」
期待して、飛んでくるのかと思うと、夫不在の昨日も撒かずにはいられなかった。すぐにヤマガラが来て、種をくわえて飛んでいった。

期待されると、その期待に応えようとするのが、自然な気持ちだ。
それが人と人となると、けっこうややこしくなってしまう。期待されそれに応え、また期待されそれに応えているうちに、期待する方は、応えてもらうことが当然のように思い始め、応える方は、その期待が重く感じられたりもする。
野鳥達は、いい。こちらの気持ちになど、おかまいなしだ。だから、いい。
「ご期待に沿えるよう、がんばります」
窓から、そっと鳥達を眺めつつ、つぶやいた。

アイビーも、凍っています。お日さまにあたって、嬉しそう。

こんなに足跡が、ありました。まっすぐには歩かないんですね。

陽当りのいい場所では、水仙が芽を出しています。
よく見ると、すごい数の向日葵の種の殻が。いい肥料になるかな。

昨日の一番乗りは、ヤマガラくんでした。

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ノックは優しく

「穴があくほど、見つめる」という比喩がある。しかしいくら見つめても、もちろん実際には、穴は開かない。そして「穴があくほど、ノックする」という比喩はない。しかし、我が家の北側の軒には、15㎝ほどの穴が実際に開いている。それほどまでに、強く根気よくノックし続けているのは、キツツキ目キツツキ科のアカゲラである。

彼らは、これまでにない大きな音で、盛大にノックし、穴を広げている。巣を作るつもりなのだろうか。
北側の軒は、地面から7mほどの高さにあり、もちろん届かない。届かないばかりか、北側は急な傾斜になっていて、梯子をかけるのも不安定だし、もし落ちたら、20mほどの高さを落下することとなり、その下には小川の如くなみなみと流れる堰(農業用水)が待ち受けている。
激しくノックを繰り返すアカゲラ達は、北側にわたしが姿を見せるや否や、飛び去って行く。何しろ奴らには、羽根があるのだ。
「ずるいだろう! こっちが飛べないと思って」
いまいましい気持ちで、つぶやいてしまうほど、腹が立つ。今更ながら、鳥は飛べて、人間は飛べないのだと実感し、空を見上げることしかできずに。

昨日の節分。子ども達も夫もいないので、豆の代わりに向日葵の種を撒いた。
「鬼は、外! 福は、内!」
可愛いシジュウカラやヤマガラ達も、家に穴をあける困ったさんのアカゲラも、みんな「外」にいるんだよなぁ。この寒空、暮らしていくのは辛いことも多かろうなぁ。それでも、ノックは優しく、お願い。などと思いつつ。

今年初めて、アトリを見ました。羽根の模様がくっきり綺麗ですね。

カワラヒワは、顔は恐いけど、集団で行動する仲良しさん達。
手前にも、一羽ちらりと写っています。

常連さんのシジュウカラ達は、ヤマボウシの木がお気に入り。

ヤマガラも、ヤマボウシの木とウッドデッキを行き来していました。

これです。軒の板に、15㎝ほどの穴をあけられてしまいました。
アカゲラの写真は、撮れませんでした。
アカゲラは西側の庭には姿を見せません。向日葵の種には興味なしです。

2年前に作られたキイロスズメバチの巣も、見るも無残。
キイロスズメバチは、同じ巣は使わないらしく、空き部屋なんですが。

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野鳥とおじさん

野鳥達が餌を捕りにくいこの季節、夫は庭に向日葵の種を撒く。水場も用意し、朝には凍るので湯を注ぐ。
シジュウカラはじめ、ヤマガラ、エナガ、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、冬鳥のジョウビタキなどもそれを知っていて、我が家の庭を訪れる。
夫は、マメな性格なので、やると決めたことは毎日やる。ただ、東京にある会社に出勤する日々のなかでは、それが出来ない日も多い。
わたしは、と言えば、マメとは言い難い性格なので、様々なことをすぐに忘れる。夫はわたしに、もう、それを強要しようとは思わない(思っていない、はずだ)。なので、我が家の庭に向日葵の種が撒かれ、凍った水に湯が注がれる日はランダムになってしまう。

シジュウカラ「今日は、おじさん、いないのかな?」
ヤマガラ「別荘なんだよ、きっと。週末は、田舎で的な」
ジョウビタキ「さあね。人間は、気まぐれだからな」
そんな鳥達の声が、聞こえそうである。

大寒の昨日。ちょっぴり反省して、向日葵の種を撒いた。
窓からのぞいただけで飛んでいってしまう、人にはなつかない野鳥達の奔放さを、そっと観察する。奔放であることとマメじゃないことの違いを考えつつ。

ヤマボウシにとまって、向日葵の種を枝にぶつけ割っているシジュウカラ。
背中のウグイス色(?)がやわらかで可愛いんです。

勇気を出して、ウッドデッキまで来たヤマガラくん。

山鳩が来ると、小鳥達は逃げてしまいますが、よく見ると綺麗。

おじさん(夫)が用意した水場です。水浴びの様子、撮れなかった~。
家をつついているアカゲラの写真も、撮れませんでした。
「待て~!」いや。待たなくてもいいんだけど、お願い。つつかないで。

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隣りの林のアカゲラ

庭や隣の林には、野鳥が、たくさん飛んでくる。
「あのトサカみたいなのがついてる鳥、何だろう?」
夫が窓の外をのぞき、野鳥図鑑を開いているので、わたしものぞいてみた。
「ホオジロかな?」「多分、そうだね」
そんな話をしているあいだにも、シジュウカラやヤマガラ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、エナガ、スズメなどがにぎやかにやって来る。
餌を捕るのが難しくなり始めるこの時期、夫が庭に向日葵の種を撒くのだ。
それもあってか西側の窓は、バードウォッチング用と言ってもいいほどに、鳥達の様子を楽しめる展望台となる。

向日葵の種目当てではない鳥もまた、やってくる。
「あっ、アカゲラ! 綺麗だねぇ」「おっ、つがいだ」
2羽のアカゲラが、隣りの林の木々を行ったり来たりしつつ、餌を探し、木をつついている。キツツキという名は、簡潔に彼らの習性を表していて愉快だ。
外を見なくても、コンコンの音が小さいとコゲラかな、と思うし、大きいとアカゲラだろうかと窓の外を見てみたりする。
アカゲラは赤が鮮やかで、美しい。一目でそれだと判り、目にすると嬉しくなる。音は聞こえても姿は見えないことも多く、ゆっくり見られるのは珍しく、それだけで、いいことがあったような気分にさせてくれる。
年の最後に、飛んできたプレゼント達は、いつになく長い時間、そんな風にして目を楽しませてくれたのだった。

お馴染みキツツキのポーズ。コンコンとノックしています。

頭部と腹の赤が鮮やかです。閉じた羽根の縞模様が綺麗。

太い赤松に、飛び移ってきました。
キツツキの名から連想するには、cuteすぎる瞳。

八ヶ岳にも、たくさんの鳥達が飛び回っているんだろうな。

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光揺らす枯れ葉

朝、カーテンを開けようとすると、いつもと違う光の揺れ方に気づいた。光が瞬きでもしているかのように、揺れている。
「何だろう?」
カーテンを開けてみると、蜘蛛の巣に、枯れ葉が一枚、捉われていた。それが、風に揺れながら朝陽を浴びて、キラキラと光の瞬きを作っていたのだ。
その蜘蛛は、もう長くそこに巣を張っていて、物干し竿のすぐ上なのだが、何度か払ってもまた朝には、元に戻っているという性根の座った奴で、こちらもさっさとあきらめ、共生していたのだ。

「よかったな。ムリに退治しなくて」
こんな光の瞬きをプレゼントしてくれるなんて、思いもよらなかった。
蜘蛛当人にしてみれば、枯れ葉は無用な客人かも知れないが、冷たい冬の朝、見過ごしがちな微かなきらめきを、蜘蛛と枯れ葉は気づかせてくれたのだ。
朝の蜘蛛は、縁起がいいというのも、まんざら迷信ではないかも知れない。

何かなぁと思う気持ちと、キラキラ眩しい瞬きを、
何処からか飛んできた枯れ葉くん、ありがとう。

冬の暖かな陽射しに輝いて。でも、蜘蛛くん、ちょっと迷惑顔?

空に向かって撮ると、影絵のようです。空中に浮く、蜘蛛と枯れ葉。
今にも空へ、飛んでいきそう。枯れ葉と蜘蛛の旅の物語、始まり~。

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物真似カケス

庭に、カケスが飛んできた。
「あの大きい鳥、何だろう?」と、夫。北側の窓から外を見ている。
「カケスじゃない?」ブルーの羽根を見て、わたし。
大きさは、30㎝以上ある。
「つがいだね」「ほんとだ、2羽いる」
カケスは、オスメス、色や模様も同じだという。
ふたりでカメラを出し、しばし撮影した。家のなかからの撮影で、カケスは元気よく動き回るので、上手くは撮れなかったが、なんとかカメラに収めた。
土をつついていたから、虫を探していたのだろう。それからも、2度飛んできたので、我が家の北側は、食材が豊富なのかも知れない。

カケスは、百の舌があるとかく百舌(モズ)よりも、さらに物真似が上手いといわれる野鳥だ。
ある地方では、赤ん坊をカケスがさらっていくとの言い伝えがあり、子どもがあんまり泣くと「カケスに連れて行かれるよ」と大人に言われたという。カケスが赤ん坊の泣き声を真似しながら飛んでいく様子が、まるで赤ん坊をさらっていくかのように聞こえたらしく、そんな言い伝えが生まれたそうだ。

本来の鳴き声は「ジェージェー」
「最近聞こえるあれは、カケスだったのか」と、夫。
いやしかし、これからは何が聞こえても、カケスの仕業かと疑ってしまいそうだ。静かな林のなかにある我が家だけに、耳を澄ませば様々な音が聞こえてくる。まだ姿を見ただけだが、カケスの会話が聞こえてきそうな気配を感じた。

ブルーの羽根で、すぐにカケスだと判りました。

ぎょろりとした丸い目で、何を見て、

ごま塩頭で小首を傾げて、何を考えているのかなぁ。

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蜜を吸いに集まる虫達

蝶を始め、様々な虫達が、花の蜜を吸いにやってくる。
この季節、一番人気は、アップルミント。見に行くと、大抵誰か彼か、夢中で蜜を吸っている。その姿は、微笑ましくもあるが、単に、生きていくための行動なのだとも思える。
明野の秋は、短い。すぐに冬が来る。それを知っているのかも知れない。小さな生き物達は敏感だ。だからこそ、今を、必死に生きているのだろう。

「ぼんやりしすぎかなぁ」我を、振り返る。
「もう50年も、ぼんやり生きて来ちゃったなぁ」
振り返るが、そこに新しい展望がある訳でもない。
しかし、いや、と考え直す。今こうして、ぼんやり庭を眺めるわたしだって、必死に生きている。そう。生きていくだけで、ものすごくたいへんなことなのだよ、と、虫達に語りたくなる。仕事でミスをして自分が嫌になったり、些細な人間関係の歪みに真剣に悩んだり。小さなことでも、その時その時は、周りから見れば滑稽なほど、必死になっているのだ。

さてと、がんばって生きていこう。蜜を吸う虫達に、しみじみ思った。

トラマルハナバチ。ガウラを転々と。足にも花粉がついていますね。

シジミチョウは、開くと淡い紫で、貝のシジミそっくりなんですが、
飛んでいる時しか、羽根を広げてはくれませんでした。

コアオハナムグリは、カナブンではなくコガネムシの種類だそうです。
アップルミントの白い花の下には、もう1匹いるようですね。

スジボソヤマキチョウは、優しいレモンイエロー。可愛いお顔。

ヒオドシチョウ。羽根を開くと鮮やかなオレンジ色がのぞきます。

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『アゲハ蝶』と星のピアス

庭を、カラスアゲハが、舞っていた。
大きくゆったりと羽根を動かす、黒く光る姿に、そこだけ時間の流れが違っているかのように見える。そのスローなテンポとは裏腹に、頭のなかでスイッチが入ったみたいに、アップテンポのメロディが流れた。
ポルノグラフティの『アゲハ蝶』だ。上の娘が、中学生の頃、よく弾いていた。まるでピアノに喧嘩を挑むように、長い指を折れるまで叩きつけようと覚悟を決めているみたいに、強く強く鍵盤をたたいていたっけ。
反抗期。自分でもままならぬ怒りが、迷いが、悲しみが、彼女を襲っていたのだろう。そんなすべてをピアノにぶつけ、毎日何時間も鍵盤をたたき続けた。

村にひとつしかない中学で、髪を染め、ピアスを開けているのは、娘しかいなかった。学校から、何度も注意を受けた。先輩達からも、疎まれていたことだろう。それがまた、怒りに、自分を判ってもらえない悲しみにと変わる。わたしにさえ口をきこうともしなくなっていった。悪循環の日々だった。
ルールを守らない者がひとりいることで、クラス運営が立ち行かなくなる場合もあると、教師である友人に聞いた。だが、それでも、親として娘の気持ちを受け止めることを、最優先にするしかないと、決めていた。

娘のピアスは小さなシルバーの星ひとつで、大人になりかけた耳に、シンプルに光っていた。それは、あれこれ考えることなく真っ直ぐに見れば、彼女にぴたりと似合ってて、可愛かった。わたしは、そのままの感想を彼女に伝えた。
「可愛いね。その、ピアス」
すると娘は、驚いた表情を向け「お母さんは、怒るかと思ってた」と言う。
その日から、娘の弾く『アゲハ蝶』は、優しさを帯びるようになった。次第によくしゃべり、よく笑うようになり、大人になっていった。
子育てに正解はないだろうけれど、相手を思い、受け止める気持ちがあれば、なんとかなるのだと学んだ出来事だった。
「彼女は、今チェコで、楽しくやっているようだよ」
カラスアゲハは、そう伝えに来たのかも知れない。

ゆるりゆるりと舞う姿が、美しいですね~。
「アダムは林檎が欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ」by マーク・トウェイン

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だんだん細くなっていく

夏の終わりの庭で、カマキリが自分の影に見とれていた。
祈りのポーズをするのは、捕食前のファイティングポーズだとも言われているが、獲物はいない。わたしを警戒しているのかとも思ったが、近づく前から、このポーズのまま動かなかった。
「影に見とれている」ようにしか、わたしには見えなかった。
影は、痩身のカマキリよりもずいぶん細く、じっと見ていると、ますます細くなっていくようだった。
「だんだん細くなっていく影を見ていると、自分がすっと消えていくような気がするんです」カマキリの声が、ふと聞こえた。
お腹が少し膨れているようにも見えるが、雌だろうか。交尾の後、やはり雄を食べたのだろうか。じっと見ていると、わたしもまた、いつ消えてしまっても可笑しくないような気持になってくる。
夏の終わりには、そんな危うさや、淋しさをまとった空気が流れている。

そして、日課である体重計に乗り、消えるはずもない現実を直視する。
「いつもいつも、正直に数字を表示しなくてもいいんだよ。夏の終わりの空気を感じてごらんなさい」との説得に、体重計が応じたことは今のところない。

影に見とれているようにも、淋しげなようにも、見えますね。

きみは、いったい何をしているの?

ふらふらと、飛んではとまる風来坊のアカトンボ。
「いい季節だねぇ」と、言い合いながら、大勢で飛び回っています。

コチャバネセセリチョウ。よく見ると cute なお顔。

いつも、引っ掛かってしまう、蜘蛛の巣。
「いい加減、ここに巣があること、覚えてほしいんだよね」と、蜘蛛さん。
地獄に落ちても、蜘蛛の糸は、垂らしてもらえそうにないな。

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青と黄と黒を、混ぜ合わせて

同じ北杜市で、ブルーのアマガエルが見つかったことは、テレビのニュースを観て知っていた。子どもが見つけたものを、長坂町にある『オオムラサキセンター』で、飼育しているそうだ。空のように綺麗な青。アマガエルも様々だなぁと、我が家のウッドデッキや庭に住むけろじ達に、思った。

昼間は酷暑が続く明野も、朝夕は涼しさが増して来た。けろじ達の動きが活発になる早朝のウッドデッキは、にぎやかだ。出て来ては、すぐにウッドデッキの下に隠れるもの。薪置場が、気に入っているもの。板と板の間から、空を見上げるもの。つややかな緑のもの。ベージュが斑になっているもの。ダークグリーンのもの。大きさも、それぞれ。それぞれに、可愛い。
性格も違うのだろう。昼間、みなが涼しい場所に移動するなか、誰もいないウッドデッキに影を見つけて入り込み、夕方まで過ごすけろじもいる。
「暑くないの? 干からびちゃうよ」
心配になり、声をかけるも、動こうとしないので、そっとしておくと、朝、鮮やかな緑だったのが、夕方には、すっかりダークグリーンに変色していた。

アマガエルは、青と黄と黒の色素を皮膚に持っていて、身を守るために周囲の色に合わせ変色する習性があるという。ブルーの子は、黄の色素を持たないそうだ。子どもの頃、絵の具で青と黄を混ぜ、緑色を作った時の驚きが甦った。
そして、けろじ達が筆を持ち、青と黄と黒を調節しながら、絵の具を混ぜ合わせている様子が見えた気がして、さらに可愛さが増していくのだった。
彼らの目には、いったいどんな世界が映っているのだろう。

涼しい朝のけろじ。鮮やかな緑色でした。むこうにベージュくんが見えます。

ずっと同じ場所にいたんですが、ダークグリーンに変わっていました。
心なしか、やせたようにも見えますが、よく見ると足の模様はおんなじ。

これはさらに、翌日の夕方。色はどんどんダークに。
朝になると、太っていました。夜の間に、たくさん食べたのかな?
ストレス感じてると変色しないそうなので、元気なんだと思います。

ウッドデッキの下に、ダイビングする瞬間を捉えました。
後ろ足を引っかけて、深呼吸してから、えいっ!

草にピンが合って綺麗に撮れませんでした。朝、緑になってるかな?
あ、雑草だらけなのが、バレバレだ(笑)

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ニホントカゲの子どもが選んだ二者択一

庭でトカゲを、見かけた。尻尾がメタリックブルーに光る、小さなやつ。ニホントカゲの子どもである。
ちょうどカメラを持っていたので、そっと構える。すぐに気づかれてしまい、逃げ出すトカゲを追った。石垣の間に入ってしまうかと見ていたが、予想に反し、トカゲの動きが止まった。羽虫を食わえている。逃げる動きのなかで、食料を調達できたらしい。
「そっちを、優先したか」
追う人間から逃げるか、目の前の羽虫を食べるか、二者択一。瞬時に判断し、食べる方を選んだのだ。おかげで何枚か、写真を撮らせてもらった。

その様を見て、日々必死に生きているのだなぁと感じた。
人は普段、生きるための二者択一など、考えることもない。特に、平和な今の日本では。そこまで考えて、大きな違和感に気づいた。二者択一は、今、わたし達に迫られているものなのではないだろうか。戦争は、絶対にしない。今後何が起こっても、強い気持ちで選んでいかなくては。

見回すと、庭に生息する小さな生き物達の吐息を、いつもより近くに感じた。

青く光る尻尾が、綺麗です。子どものうちだけブルーだそうです。
切らずに逃げてくれて、よかった。

ようやく咲いた吾亦紅に停まって、キョロキョロしていました。
トンボも、ヤゴのうちは、肉食なんですよね。

今年は、大雪の影響か、カマキリをあまり見かけません。
生まれてこられて、よかったね。

ニイニイゼミの抜け殻が、ハマナスのトゲトゲにいっぱい。
殻をかぶっている時には、棘も刺さらないんでしょうか?

ウッドデッキの下で、草の中を散歩するけろじ。雨が嬉しいね ♪

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けろじに「似たもの」

久しぶりに雨が降り、ウッドデッキで、けろじと再会した。
嬉しくて、朝からパラつく雨のなか、けろじを観察する。這いつくばって写真を撮ったり「くわっくわっ」などと話しかけたりした。
「何をやってるんだか」ウッドデッキの傷んだ板を交換するため点検していた夫が、呆れて見ているが、気にならない。
けろじは、すっかり色を変え、そして、ずいぶん太っていた。カラカラに乾いたウッドデッキの何処かに、ずっといたのかと思うと、嬉しくも可哀想になるが、元気そうだったので、ホッとした。

その後、買い物や精米などの雑用に出かけたのだが、そこで「似たもの」を見かけてハッとした。丸っこい軽自動車が、狭い道路からゆっくり頭を出した姿が、けろじが板の下からこちらをうかがう様と重なったのだ。
「あっ、けろじ。あぶない」と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。
運転席には、夫がいる。
わたしはただ「しかし、さっきの軽の顔つきと、そろそろと頭を出す仕草は、全くもってけろじに似ていたなぁ」と、ニヤニヤするのみである。

精米所に着き、砂利が敷かれた駐車場で、再び「似たもの」を、見つけた。
今度はじゃが芋である。毎日のようにじゃが芋を料理する日々。砂利の上の大きめの丸い石が、じゃが芋に見えたのだ。
「あ、じゃが芋」今度は口にして、夫の失笑を買う。
日々じっと見ていた映像は、自然と目に頭に焼きつき、全然違うものが「似たもの」に見えてくる。不思議なことだ。

ふと雨空を見上げ、考える。今見えている日本の平和は、本当のものだろうかと。見慣れて頭に焼きついている平和が、もしかしたら平和と「似たもの」に、重なって見えているだけなのではないだろうか、と。

この姿です! 目に焼きついて、車とダブりました。
この場所が以前から好きだった、けろじだと思われます。

アマガエルって、こんな風に色を変えていくんですね。

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『蛇を踏む』

突然、訳もなく泣きたくなる時がある。
忙しい日が、続いたからか。暑さに、参っているからか。変な夢ばかり、見るからか。じゃが芋が、煮崩れたからか。夫との会話で、すれ違いがあったからか。キアゲハの幼虫が、忽然と姿を消したからか。
理由が何処にあるのか、自分でも判らない。
大人になったならば、こんな風に泣きたくなることなどないと、子どもの頃には思っていた。まだ、大人になりきれていないのかも知れないが、50歳を過ぎた今、そうであるなら、死ぬまでにきちんとした大人になれる確率は、かなり低いはずだ。

蛇を見たから、かも知れない。
朝一番にカブトムシが玄関をノックしたその日、同じく玄関の外を這う蛇を見た。薄茶色の細く小さい奴で、目が合ったが、不思議と恐いとも気味が悪いとも思わなかった。そして一瞬、踏んだらどうなるだろうかと考えた。
川上弘美の芥川賞受賞作『蛇を踏む』(文春文庫)を、思い出したのだ。
小説で蛇は「踏まれたらおしまいですね」と言い、人間(50歳くらいの女)に姿を変えた。そしてひとり暮らす主人公、ヒワ子の部屋に住みつくのだ。

心が弱っている時には、蛇と暮らすのもいいかなと、思えたりするものだ。
しかし、と思い留まった。ウッドデッキにも庭にも、あちらこちらにアマガエル、けろじがいる。いくら人の姿になったからと言って蛇は蛇。蛇のままならば、人の暮らしに入り込むことはなくとも、共に暮らすとなれば、けろじとの共存は難しいだろう。

「弱肉強食かぁ」
キアゲハの幼虫、パセリ達は、何者かに食べられたのだろうか。それとも何処かで、サナギになっているのだろうか。
ウッドデッキで暮らすけろじ達は、案外試行錯誤の末、外敵の少なさから、この場所に住みついたのかも知れない。
蛇は踏むと女になり、蛙はキスすれば王子様になる。そのモノ達との暮らしもまた、にぎやかそうではある。
蛇には、わたしの弱さが、見えていただろうか。

朝、玄関に来ていたカブトムシ。大きくて立派でした。

翌朝は、メスの姿も。大きさは、同じくらいです。

ルリボシカミキリ。今年よく見かけます。美しいです。

色を変えていた、けろじ。ウッドデッキに置いた夫の靴の上で。

葉っぱの上のけろじは、綺麗な緑色です。

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とり損ねた電話

庭に出ていると、電話が鳴った。急いでとったが、耳元でプツリと切れた。
入浴中やトイレ、帰宅して鍵を開けようとしたその時などなど、電話をとり損ねた数は、数知れない。
しかし、留守電も設定しているし、親しい友人や家族なら、携帯電話の番号も知っている。急ぎじゃなければメールもある。とり損ねたまま音沙汰なしならば、保険か太陽光発電のセールスだろう。なので、こちらも慌てない。会社からの Fax がなければ、家電自体、必要かどうか検討するところだ。もちろん、ナンバーディスプレイも必要ない。

時代が変わったんだなと実感するのは、こういう些細な瞬間だ。
結婚する前は、夫とよく夜中まで長電話した。
子ども達が赤ん坊だった頃には、ようやく寝ついた途端、不要な電話のベルに起こされ、うんざりした。
上の娘が中学に入り反抗期だった頃には、風呂上りに学校から電話がかかり、冷たい洗面所でバスタオルを巻いたまま、長々とお説教を聞かされた。
電話の音は、遠慮がない。その遠慮のなさは、電話口から聞こえる人の人格と重なるよう錯覚してしまうほどだ。様々な手段で情報のやり取りが出来るようになった今、恋愛も子育ても、しやすくなっているのかも知れないと、考えてみる。道具が便利になった分、という意味では、だが。

そう言えば、と思い出した。ひとり暮らしの部屋で、床に置いた真っ白いプッシュホンが、誰からとも告げず、リンと鳴る瞬間が好きだったなぁと。

庭で、アマガエル、けろじを撮影中の出来事でした。
蕗の葉の上が、似合うね~。
けろ以外のアマガエルを、けろじと呼んでいます。

おしりを水につけて、気持ちよさそうにしている、けろじ。
夕方渇いていたので、お水をあげました。甘やかしてる~。

日影を確保できるこの場所が気に入ったらしき、けろじ。
日中は、もっと奥に入っていました。

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「本当の真実」は、如何に

TBS×WOWWOWの共同制作ドラマ『MOZU』を、観ている。
原作は、逢坂剛の小説『百舌の叫ぶ夜』(集英社文庫)から始まるシリーズ。
主人公、公安警察官、倉木(西島秀俊)は、爆破事件で死んだ妻(同じく公安警察官だった)の真実を知ろうと、独自に捜査を進めていく。

そこで度々耳にする「本当の真実」という言葉に、違和感を覚えるのは、わたしだけではないだろう。真実 = 本当のこと なのだから、きっぱり重複している。倉木は真実だと伝えられてきた情報が嘘にまみれているのを知りつつ、放置してきた自分を責め「本当の真実」だけを求めることでしか、生きる意味を見いだせなくなっているのだ。ドラマを見すすめるうちに「本当の真実」という言葉は違和感をそぎ落とし、今ではもう、一つの単語となっている。

さて。6月にウッドデッキに滞在していたアマガエルのけろのこと。
しばらく見かけなかったので、引っ越ししたんだなと淋しく思っていた。それが今週、姿を見せた。
「けろ!」しかし呼びかけたが、それはけろではなかった。
色も大きさも似通ったアマガエル。だが、顔つきが全く違う。
それを facebook に、アップした。以前、けろを見てくれた人なら、きっと判るだろう。一目瞭然だ。確かにと、うなずいてくれるはずと思ったのだ。
なのに「けろにそっくり」との意見が大半をしめた。「けろじゃないんです!」と繰り返すうちに、だんだん自信がなくなってきた。
「や、やせたの? けろ?」と心細くなり、アマガエルに聞くも答えはない。
自分のなかの「真実」を見失う瞬間というのは、こうしてやって来るものなのだ。うーん。「本当の真実」は、如何に。

6月、ウッドデッキですごしていたアマガエルのけろ。

今週から滞在中の、けろじゃないアマガエルくん。

新人くん「ふぁーあ」と大あくび? いいえ。本当の真実は、違うんです。
何をしているのか判りませんでしたが、口をパクパクやっていました。

「写真は、ご遠慮願いたい」って、言ってる訳ないですね(笑)

日中は、日影に隠れています。昨日は、ウッドデッキに3匹。誰が誰やら。

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キアゲハの幼虫に見た個人差

「もっと食べた方が、いいと思うよ」
彼らに夏バテなどはないのかも知れないが、つい、去年の子と比較してしまう。あの子は、もっと大きかったのに、毎日ばりばり食べていた。外敵も心配だが、その前に蝶になるための準備は、ちゃんとできているのかと。

今年もイタリアンパセリに、キアゲハの幼虫を見つけた。
花を咲かせたパセリを剪定すべきだと、夫と話していた矢先だった。剪定は先延ばしにして見守ることにし、名前をつけた。去年の子と同じく「パセリ」
「可愛い~ ♪」
日に何度も、見に行ってしまう。去年は、サナギになるのを見届けられなかったが、今年は見たいなぁとの思いもある。
そんな思いも相まって出た言葉だが、自分で苦笑した。

我が家の3人の子ども達は、食が細かった。個人差だと判ってはいたが、やはり人並みにたくさん食べて健康に育ってほしいとの思いから、料理も日々工夫はしたが、体質とはそんなに簡単に変えられるものではなかった。
「えっ? それだけしか食べないの?」
多くの場面で、他意なく投げかけられる言葉は辛く、悩みもした。
しかし、3人とも細身ではあるが、人並みに健康に育った今となっては、他愛のない悩み事のように思える。そして同じ言葉を(相手がキアゲハの幼虫だとは言え)投げかけた自分に驚く。

「パセリ、ごめん。大きくなくてもいいから、がんばって蝶になってね」
花のつけ根にいるパセリは外敵から隠れているようにも見える。鳥などに見つからないよう祈りつつ、観察する日々である。

7月7日。そぼ降る雨に濡れ、雫をしたたらせるパセリ。

7月8日。晴れた夕方、木漏れ陽に揺れるパセリ。

7月9日。雨上がりの朝、花にのぼり、のんびり葉を食むパセリ。

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オオムラサキの夏

「だからぁ、そこにはないって、言ってるじゃん」
何度も説得するが、相手は応じようとはしない。

ウッドデッキで洗濯物を干していたら、蝶が飛んできた。ミスジチョウにしては大きいなと思い、目で追うと、オオムラサキだった。
「ようこそ! 今年初めてだね」と、声をかける。
だが彼にとっては、今年初めてどころか、孵化したのが今年初めて。
見ていると、網戸にとまり、ストロー状の口を伸ばして網戸の小さな格子穴に入れた。そして、あれ? という顔をしてひっこめ、また別の穴に。
網戸であるから、穴なら数えきれないほどあるが、それを繰り返すばかりの新米オオムラサキを哀れに思い、教えてあげたくなった。
「穴はあるけど、蜜はないよ。食べ物は、花とか木の幹だよ」
しかしオオムラサキボーイは、聞く耳持たず、ただ繰り返すのみ。それで、
「だからぁ、そこにはないって、言ってるじゃん」
と、やや呆れた声を出す羽目になったのだ。

朝、孵化したオオムラサキが多かったのか、次々に飛んできた。クヌギの昆虫酒場を観に行くと1羽だけが賢くも蜜を吸っていたが、網戸にとまるオオムラサキも多く「蜜を吸う、練習かな?」と思い至り、声をかけるのをやめる。

新しい命は、美しい。ひと夏の命だが、新米オオムラサキ達の夏は、これから。すぐに蜜を吸うことも覚えるだろう。
宙を舞うオオムラサキ達の羽音は聞こえなかったが、目に映るその姿に、今この瞬間を生きる喜びに満ちた笑い声が、聞こえたような錯覚を起こした。
昆虫も、植物も、生き物は生まれながらに、生きる喜びや命の大切さを、知っている。人も、誰もが生まれた時には、考えずとも知っていたのだろう。
「いちばん大切なことを、忘れないようにね」
まるでそう言っているかのように、雲が広がり始めた日本の夏空に、国蝶オオムラサキはひらひらと舞い、消えていった。

羽根を開いている時間は短く、シャッターチャンスは少ないです。
昨日見かけたのは、色鮮やかなボーイ達ばかり。ガールは何処に?

練習にはぴったりの穴かも知れませんが・・・。

あ、そこには先客の蜂さんが。って、うちの軒下だよ、蜂さん!

その黄色く膨らんでいるのは、なあに?

なかなか羽根を見せてくれない子が多いなか、サービス精神旺盛な彼。

昆虫酒場にいた、賢いオオムラサキボーイです。

オオムラサキカラ―の桔梗が、庭で笑っていました。

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人間鷺(にんげんさぎ)?

田んぼの緑が、少しずつ濃く、眩しくなっていく。夫を隣りの市にある駅まで送る朝、左右に田んぼが広がる農道を走るのも、気持ちがいい。
白鷺も、よく見かけるようになった。田んぼに生息する生き物を、食べているのだろう。白く細く大きなその姿に、運転しながらも目を魅かれる。
「いるねぇ、鷺。農薬が少ない田んぼに、いるのかな?」などと夫とも話す。
すると突然、彼が突拍子もないことを言った。「あ、人間鷺!」
見ると、女性がひとり、苗を手で植えている。
「なんだー。田植えじゃん」と、わたし。
「いや、鷺ばっか見てたから、一瞬、鷺っぽく見えた」と、夫。
田植えの季節は、過ぎたが、田んぼに出ている人も多い。だが、このところ鷺の方が、より多く見かけるようになっていたのだ。

「まず、白雪姫って10回言って」という言葉遊びを思い出す。
「白雪姫、白雪姫、白雪姫、白雪姫・・・」
「では問題です。ガラスの靴を拾ったのは、だあれ?」
正解は「王子様」なのだが、つい「シンデレラ」と口をついて出てしまう仕掛けだ。
夫も「鷺、鷺、鷺、鷺、人間・・・鷺?」という感じだったのだろう。

そう言えば、ウッドデッキから入って来た客人が、リビングから玄関に出て、面白い発言をしたことがあった。
「不思議なスペースですね。ここは、何の部屋ですか?」
玄関から入れば普通に玄関に見えるのだが、反対側から見たら、不思議な部屋にしか見えなかったようだ。
思い込みというトラップは、常にそこ此処に仕掛けられているものなのだ。

仲良くしてる~ ♪ 何を食べているのかな?

軽トラに驚いて、一瞬羽ばたきましたが、またすぐに戻ってきました。

これからの季節がいちばん綺麗な、韮崎の農道。

リビングから出て、見た玄関です。お米や野菜も、置いてあります。
確かに、貯蔵室とも言えるかも。

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日に日に大きくなっていく

蛙に「けろ」と名づけるのは、あまりにありきたりだが、インスピレーションで呼んでしまっては後の祭り、もう後戻りはできない。1週間ほど前から、ウッドデッキに住みついているアマガエルに、昨日ようやく命名した。

我が家のウッドデッキは、リビングと繋がっていて、そのまま庭に降りられる。洗濯物も干すし、この季節は、小雨が降っていても、ふらっと出ては庭の花を愛でたりもする。なので、初めて蛙を見かけた時にも、ああ、いるなぁ、ちっちゃいなぁ、と温かい眼差しを向けていた。

4日ほど前だろうか、太陽が照りつけているのに、動かずにいる。だいじょうぶかなぁ、干からびたりしないかなぁと心配になり、薪で影を作ってやった。だがそれが気に入らなかったのか、翌日は1日姿を見せなかった。
「あーあ。追い払ったわけじゃなかったんだよ」後悔、先に立たず。
デッキの階段に、ひとり淋しい気持ちで座り、うなだれた。

だがその翌日、蛙は再び姿を現した。日に日に大きくなり、緑濃く艶も出てきているようだ。餌になる羽虫ならこと欠かないのだろう。いないなと思ってデッキの下を探すと、冷たく湿った影で、まったりしていたりする。こそこそ動いていたりもする。私の顔も、覚えてくれたかもしれない。
それで昨日、とうとう名をつけた。大きくなったと言っても、小さな小さなやつだ。大げさな名より、その小ささに見合った名の方がいい。

「けろ」夕方、つけたばかりの名を呼ぶと、デッキ下に置いてある、コンクリを練る容器のふちにたまった雨水にお尻をつけ、気持ちよさそうにしている。
「蛇には、くれぐれも気をつけてね」
いつ何処へ行ってしまうか判らない存在だが、けろは、わたしのなかでも、日に日に大きくなっていく。

1週間ほど前には、ちっちゃくて模様もはっきりしなかったけど・・・。

昨日の、けろ。薪の上に乗っかって、ちょっと堂々として来た感じ。
写真がアップになっているだけじゃ、ないんですよ。

ウッドデッキの板の幅を見比べれば、あきらかに育っています。

デッキ下、コンクリを練る容器のふちで、喉を震わせていました。
遠い目をして、何処に思いを馳せているのやら。

ウッドデッキの下にもぐれば、晴れた日も、ひんやりしています。

14年前に家族で、トントンカチカチ作ったウッドデッキです。
右下の緑の四角い容器が、コンクリ用。立て掛けてあります。

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窓にぶつかったメジロ

ごつん、という嫌な音がした。
ウッドデッキに出ると、メジロが脳震盪を起こしていた。微かだが動いているし、目も開けている。首も折れていないようだ。様子を見て、ウッドデッキの隙間から落ちないよう、少しずらしてしっかり木の上に乗せた。
触られても、何が起こっているのか判らないのか、ぼんやりしたままだ。あまり動かないので心配になったが、ちょうど帰ってきた夫に見せると、心配ないだろうと言う。窓に鳥がぶつかることにも、14年間で、少しは慣れてきたが、そのまま死なれると、やはり切ない。
バードセイバーを北側と西側に貼り、予防することでかなり減ってはいるが、なかにはぶつかる鳥もいる。天気のいい日は特に、窓に空が映るのだろう。気持ちよく飛んでいて、ごつん、とぶつかるのだから、鳥の方も可哀想だ。
「メジロォ。しっかりしろ! だいじょうぶかぁ。飛べるかぁ」
聞いているのか判らないが、正気に戻るように話しかけてみる。夫は、興味もないようで、庭のウドを掘っている。

メジロは、10分ほど休み、飛んだ。だが、庭のヤマボウシの枝まで飛び、また5分ほど休んでいた。そしてようやく頭のくらくらも治ったのか、何処かへ飛んで行った。やれやれ、である。

ほんのひと時、一緒にいただけだったが、急にメジロが可愛くなった。
野鳥図鑑で鳴き方を調べ「ちーちー」と鳴いていると、さっきのメジロかなと思ったり、好物だというオレンジを切って枝に刺したりした。当のメジロの方は、わたしのことなど、すっかり忘れているのだろうが。
「まあとにかく何処かで、とりあえず元気に、飛んでくれていたらいいか」
そう思って、気がついた。大人になって家を出た子ども達に対する感情と、何処か似ている。「ただ、元気でいてくれたら、それでいい」と。
何故『巣立つ』という、鳥になぞった言葉を使うのか、判った気がした。

じっとしたまま、ぼんやりしています。くらくらしてる感じ。
メジロって、クチバシ、細くて尖ってるんですね。

メジロがとまった、ヤマボウシは、今年たくさんの花を咲かせました。

ハナミズキよりも、花びらがスマートで、すましているかのよう。

モミジは、花を終わらせ、プロペラ型の種をつけています。
風に乗って、遠くへ遠くへ種を飛ばすためだそうです。

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めんどうくさきが、人生かな

♪ かえるが なくから かーえろ ♪
わらべ歌にも歌われているが、蛙は夕方から鳴き始める。
田んぼに水が入ると共に、毎晩の大合唱が始まるのだ。それは、歌というよりも、地響きに近い。だが、低音だからだろうか。心地よく響く。
キジが発する高音に起こされる朝が続いていたせいもあり、ホッとする。水がなみなみと田んぼを満たしている風景にもまた、心静かになる。いい季節だ。

山梨も明野、標高600メートルの我が家では、朝夕、まだ「寒い」と表現するにふさわしい日が続いている。日中は、庭に出れば汗ばむほどで、初夏を思わせる。緑濃くなり、陽射しは強く、春と夏の境目に立っていることを、日々いく度も感じいる頃だ。
『蛙』は、俳句の季語で、春。だが『雨蛙』は、夏の季語である。その雨蛙で、好きな句がある。

『雨蛙 めんどうくさき 余生かな』 永田耕衣(ながたこうい)

場所に合わせて色を変える蛙達に、相手に合わせて自分を変えていく人の世のわずらわしさを詠んだと言われている。
生きていれば、確かに面倒なことも多い。だが思う。面倒で、いいじゃないか。面倒なのが、いいんじゃないか、と。そんな心持ちで詠まれた句だろうと勝手に解釈し、蛙の合唱に合わせて、歌う様につぶやいてみる。
「めんどうくさきが、人生かな」と。

竹ぼうきの柄を歩いていた、アマガエルくん。

雪もほとんど解けた、八ヶ岳。田んぼが青々としてくるのも、すぐです。

南アルプスは、鳳凰三山。お田植えが終わった田んぼも、ちらほら。

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チェシャ猫の秘密基地

ウッドデッキで洗濯物を干していたら、庭をゆっくりチェシャ猫が通過した。隣の林との境界線の辺りだ。チェシャ猫とは、最近見かける縞模様の太った猫のニックネーム。わたしが勝手にそう呼んでいるだけなのだが馴染みの顔だ。
だがこのところ、何か我が物顔で歩く姿に、疑問も感じていた。すっかり自分の家の庭を歩く様子なのである。
なので、洗濯物を干す手を止め、様子をうかがった。すると、するりと消えたのだ。まるで『不思議の国のアリス』が、うさぎ穴に落ちたかのように。
近づいてみると、なんてことはない。林の木々の払った枝が積んであるなかに、ちょうどいいスペースがあり、そこで丸まっていた。
「こんなところに、秘密基地が、あったのかぁ」
自分の庭を歩くような顔をしていたのにも、うなずける。
チェシャ猫は、わたしに「ふー! うー!」と、うなり、出てこない。隣の林に居る分には、こちらも特にかまわないので、そっとしておいた。

「秘密基地、昔、作ったなぁ」子どもの頃を、思い出す。
生まれ育った東京の板橋は、まだまだ田舎で、林と畑だらけだった。川を越えた丘は、子ども達には「お化け山」と呼ばれていて、ただ何か恐いことが起こるかもしれないスポットとして、楽しまれていた。他に「鬼ばば山」「アベック山」があり、やはり、うっそうと木が茂った林だった。今考えると、暗くて人目がつかない場所に行かないようにと、大人達が、そう呼び始めたのかも知れないとも思うが、そういう場所だからこそ、秘密基地作りには最適だったのだ。その、ベタすぎて笑っちゃうネーミングにも疑問を持たず、素直に呼んでいた自分。近所の男の子達と、捨てられた物や木の枝を集めて、熱心に秘密の場所を作り上げていった自分。今ではその存在自体が、不思議に思える。

ふと気づくと、チェシャ猫の細くなった瞳には、遠い遠い日が映っていた。

狭い場所に入り込むのが、好きなんだよね。きっと。

うなって威嚇していますが、あんまり迫力ありません。

切った枝が積んであるだけ。そこに草や蔓が伸びて絡まっています。
こんな場所だけど居心地、いいのかなぁ。

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ハマナスと山蟻

東京に1泊して帰ってきたら、庭のハマナスが咲いていた。
濃いピンクが鮮やかで、目を細める。ハマナスは棘が細かく刺さるとけっこう痛いので、普段は邪魔者扱いだが、今は、森繁久彌が『知床旅情』に歌った ♪ ハマナスの咲く頃 ♪
たった1日で散ってしまうこともあり、棘のことなど忘れ、儚い花よ、のう。などとセンチメンタルに愛でてみる。ハマナスがバラ科の花で、実がローズヒップとして使われているとは、今年初めて知った。まだ蕾は十以上ある。しばらく楽しませてくれそうだ。
そのハマナス周辺に、山蟻がたくさんいるのを見つけた。今年もまた、出て来たな、という感じである。

胴の部分が茶で大きい蟻を山蟻と呼んでいるが、どんな生態をしているのだろうかとネット検索したてみた。
すると、諺『山あり谷あり』のページに出てしまった。
目をとめたのは『苦あれば楽あり』と混同している人が多いのか「山と谷と、どっちが苦でどっちが楽なんでしょうか?」という疑問が並んでいたからだ。
「人生、山あり谷あり」と聞くことはあるけれど、自分では使わないから、深く考えたことはなかったが、どう考えても山がピークで、谷がどん底だろう。
山も谷も、なだらかに、もう超えて来たと思っているわたしだが、まだまだ、生きている。先のことは判らない。判らなくていい。

「山蟻さん、これからの季節、元気モリモリ、活動もピークなんだろうけれど、家のなかに入ってくるのは、やめてね」
ビデオを早送りでもしているかの如く素早く動き回る山蟻に声をかけ、山と谷の間で、ハマナスを愛でた。

目を奪われる鮮やかな色。バラの仲間だったんだねぇ。

若い色の葉と、赤に近いピンクが、初夏を表現しているようです。
  
茎にはびっしりトゲトゲが。すぐに刺さって、ものすごーく痛いんです。
でも、葉っぱは艶やかで、綺麗。山蟻、連写でようやく撮れました。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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