はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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引っ越しました

いつも『はりねずみが眠るとき』を読んでいただいてありがとうございます。

一日一筆。毎日、一つずつ随筆をかいてきて5年目に入り、
気持ちも新たに、ブログを新しくすることにしました。

新しいブログは、こちらです → 『はりねずみが眠るとき』

これからも、変わらずかき続けていきます。
気軽に訪ねていただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

                            水月さえ



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赤ん坊の足の指

ヨガ教室に行くと、忘れていた様々なことを思い出す。
先週は思いもよらず、とても小さな女性が一緒にレッスンに参加することになった。生後5カ月の赤ちゃんだ。
「すみません。抱っこしたままのレッスンになっちゃうんですけど」
先生が、妹さんの赤ちゃんを預かっているのだという。
たまたまその日は、わたしひとりの個人レッスン。レッスンにもだいぶ慣れ、やるべき形はだいたい判ってきた。「ひめトレ」という激しい動きのないタイプのヨガでもあるし、ノープロブレムだ。
ストレッチポールを使い、いつものレッスンを始めた。やわらかなメロディの音楽が流れていたこともあり抱っこ紐のなかの彼女はすぐに眠ってしまった。

お目覚めは、レッスン後半。足の指を開いたり閉じたりしていたときだった。
「いい見本が、ここにあります」
先生は「教えてあげてね」と赤ちゃんに話しかける。赤ん坊の足の指は、きれいに開いていてどの指も他の指に頼ることなく自立していた。
「まだ靴、履かないんだもんね」と、わたし。
「本当は、これが自然の形なのかも知れないよね」と、先生。
靴のなかに収められていつしか指達は寄り添う姿が当然のようになってしまったのだろう。裸足で歩いていた太古の人々の足の指は、赤ん坊のように開いていたのだろうかと思いを馳せる。足の指を開くと、しっかりと立つことができるようになり自然と姿勢がよくなり、疲労回復などにも有効なのだそうだ。
「立ったことすらないんだもんね。足ツボ押しても痛くないんだろうな」
「内臓も、健康そうだしね」ふたり、笑う。
とてもシンプルに生きているんだ、と思った。呼吸し、母乳を飲み、眠る。
だが彼女は、曇りのない瞳で珍しそうにわたしを見ていた。ずっとじっと見ていた。知らない人、と思っているかのように。そのシンプルな生活には今、大量の情報が流れ込んでいるのかも知れない。それを摂取し、育っていく。
記憶にもない、ずっと昔の自分を見ているようななつかしい気持ちになった。

リビングに敷いたままのヨガマットと定位置に馴染んだストレッチポール。

冷えとり靴下で失礼します。思いっきり開いてこのくらいです。
これでも開くようになった方。どうぞお試しあれ。

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窓を開ける人

夫は、窓を開けるのが好きだ。
真冬でも、雨の日でも、窓を開け放ち、空気を入れ替えるのを好む。まるで彼には、淀む空気が見えているかのように、空気を新しくしたがる。
わたしはと言えば、ずっと閉めっぱなしでも、その空気に慣れ馴染み、それを受け入れてしまう。例え淀む空気が目に見えたとしても、そこにあるものとして受け入れてしまうだろう。

些細なことだが、性分というものを感じる違いがそこにはある。
常に新しいものを取り入れようと動いている彼は動で、今ここにあるものを受け入れてしまうわたしは静、だろうか。
そんなまったく正反対の性分を持つ彼と暮らし、わたしの部屋の空気は、定期的に新しく入れ替わるようになった。
窓だけではない。彼は、思いもよらなかった方向へとわたしを誘い出す。
旅も、外での食事も、展覧会も、映画や本も、自分では選ばない思いもよらない場所やモノの扉を開けていく。
たぶんどんな夫婦でも、互いが違うということに、悩みぶつかることが多いと思う。しかしそれは、互いのよい部分に影響を受け合っていくことでもある。

「あ、また窓を開けてる」
若い頃には、どうしてまたこんな日にと思ったものだったが、最近「夫が窓を開けること」が好きになっている自分に気づいた。

まるで窓を開けていくみたいに、雲の隙間から顔を出した青空。

こんな空を見てると、雲の手前に空がぽっかり浮いた騙し絵のように
見えてきます。この秋は、こういう曇り空が多かったですね。

羊雲。秋の雲。玄関で家越しに撮ったのでアンテナが写っています。

足もとでは、カマキリさんとテントウムシくんが雑談中。
いや、にらめっこかな。2匹とも、肉食なんだよね。



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穴があいた冷えとり靴下

冷えとり靴下に、穴があいた。
足には身体の様々な部位のツボがあり、弱っていたり疲れている部位のツボから毒素が出て、シルクを溶かし穴があくのだと聞いていた。これは、治癒の過程で不要なものを排出する瞑眩(めんげん)という症状なのだそうだ。
ほんまかいなと疑心半分興味半分でいたのだが、つま先やかかとのような擦り切れやすい場所ではなく土踏まずにあいたので、まさしく瞑眩なのだろうと調べてみた。土踏まずは、腎臓のツボだった。毎年健康診断は受けていて異常はないのだが、不安になる。

しかし、穴のあいた場所をよくよく見て、あっと声を上げた。
「左の土踏まず。怪我をした場所だ!」
ひと月ほど前、無花果を採りに来ないかと突然誘われ畑に入った。不用心にも裸足にサンダル。無花果の実に気をとられていて小枝を踏み、器用にも土踏まずに刺してしまった。けっこう血が出て痛かったので、深く深く刺してしまったかといつになく動揺した。だが傷はそう深くもなく、消毒し軟膏を塗りバンドエイドを貼ったのは1日だけで、その後は放っておいた。それを、冷えとり靴下は見逃さなかったのだ。
「冷えとり靴下もすごいけど、身体ってすごいなあ」
わたしがすっかり忘れてからも、傷をしっかり治そうと、悪いもの、不要なものをせっせと排出してくれていたのだ。
「もうちょっと、大切にしてくださいな」
そう言われたような気がして、サボっていた体操をにわかに再開した。

洗いざらしで失礼します。3足を使いまわしています。

ほんとうに傷と重なる位置に、ぽっかりと。不思議。
穴があいたのは4枚重ねて履くうちの1枚目のシルクです。
この夏は冷えとり靴下のおかげか、足をつることがありませんでした。

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ブラウンな秋

スキャナ機能が必要になり、プリンターを新調した。
これと選んだものは、在庫にスタンダードな白や黒がなく、まあいいかとブラウンにした。
仕事部屋に鎮座した、そのブラウンのプリンターを見て、何処かで見たなあという気持ちになる。
そう言えば、ガラホと同じ色。Faxも。夫と共用しているキャリーバッグも。そして、先月台風で足止めを食らった東京で、着替えにと買ったシャツも、同じブラウンだ。わざわざ選んだ訳でもないのに集まってくるのは、好きな色だからに他ならない。

さて。プリンターを使ってみて、不思議なほど落ち着くことに違和感を覚えた。新しいものを使い始めた感覚にはならず、古くからの友のような気がするのだ。これって、ブラウン効果なのかなと思った。
色から発せられる効果を調べ、身の回りのモノ達をじっくり見つめてみるのもまた、おもしろいかも知れない。
土、大地の色。木の色。茶、というくらいだからお茶の色。珈琲の色。遠い記憶を表すようなセピアにも通じるところがある。
そして、秋の色だ。8月末にはもう婦人服売り場は秋物が並んでいて、選んだブラウンのシャツも半袖だが秋物だった。
「あ、いい色」
そう思ったのは、秋の色が新鮮に映ったからなのだと思う。

ブラウンは、使い込んだ馴染み深い木製の家具などに感じる時間の経過を思わせる。だからこそ温もりを感じ、気持ちが落ち着くのだろう。
すでに仕事部屋に馴染んだ新しいプリンターの、これから経過していく時間を思う。コツコツと一つ一つを大切に積み上げていくのが、経理事務の仕事。いい相棒になりそうだ。

プリンターです。機能とコンパクトさで選びました。

夫が一目惚れしたというキャリーバッグ。軽いです。

Faxも馴染みすぎてて忘れてたけど、ブラウンだった。

軽く涼しい半袖シャツ。暑くるしくないブラウンです。
お気に入りのベージュのカーディガンと合わせて、着ています。

ガラホと並んでいるペンダントは、昔、屋久島を旅したときに買ったもの。
イスの木で作ったと聞きました。屋久島の木を使った木工細工の店で。



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薪ストーブの煙突掃除

ようやく晴れた日曜日、薪ストーブの煙突掃除をした。
「17シーズン目だっけ?」と、夫。
「越してきたばかりの4月に燃やしたから、18シーズン目かな」と、わたし。17回目の冬を迎える準備だ。
夫は慣れたもので、外煙突はそのまま、家のなか部分は外して庭に出し、煙突用のブラシをなかに通してこする。年に一回の行事だが、例年通り、今年もけっこうすすが削り取れた。これをやらないと、シーズン中に煙突が詰まって、なかなか火がつかなかったり、煙が部屋に逆流したりする。薪の準備と同様に、大切な仕事だ。
「晴れて、よかったね」
「もういつでも、燃やせるな」
夫とふたり、煙突とその上に広がる秋の空を、見上げる。そして、足もとに落ちたすすを見下ろした。

煙は、空へ上っていく途中に、これだけのすすを煙突に残していった。上へ上へとのぼっていくために、次々いらないものを脱ぎ捨てて。
人もきっと本来の自分になりたくば、脱ぎ捨てなくてはならないものが限りなくあるのだろう。そんなことを考えながら、流れる雲を見送る。
明野の秋は、短い。すぐに、冬がやって来る。

昨日は、ほんとうに気持ちのいいお天気でした。
八ヶ岳も、すっきりとした秋の顔をしています。

家のなか部分の煙突は、取り外して掃除します。

すす。本当に真っ黒です。艶やかな美しい黒。

煙突を外した薪ストーブは、心細げな表情をしていました。

すすは、掃除機で吸わず、すす用のタンクを通して吸い取ります。

さっぱりしたね。もういつでも薪を燃やせるね。

外国童話に出てくるような、洒落た煙突ではありません。
そう言えば、家を建てる前に小学生だった娘が言ってたなあ。
「サンタさんが通れる、煉瓦の煙突が欲しい!」
今シーズン、最初に煙を出すのはいつになるのかな。

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招き猫の気持ち

新宿高島屋で、開運招福 招き猫「福の市」をやっていた。
ふらりと立ち寄ると、これがなかなかおもしろい。招き猫といっても、一匹一匹表情も仕草も違うのだ。もちろんスタンダードな形はあるが、展示品には個性的なものも多かった。

その個性に見入りつつ、ゆっくりと歩いて回った。
歩きながら胸のなかにあったのは、一体の招き猫。23年前に夫が会社を興したときに従弟からお祝いにと貰ったものだ。創業時からの社員がいないこともあり、引っ越しのたびに「それ、持っていくんですか?」などと怪訝な顔をされたりもするが、夫もわたしもとても大切にしている。何しろ創業時からともに働いてきた仲間なのだ。

展示された表情豊かな招き猫達には、命が吹き込まれているのかと思わせるような、心あるものの存在感が感じられた。
「何を、思っているんだろうか」
そう考えつつ歩くと、無表情に思えた招き猫にも、不意に意思があるように思えてくるから不思議だ。実際人形には、人とは違う形だとしても、何かを思う心があるのかも知れない。

会社をずっと見てきた招き猫は、何を思っているだろう。
それに限って言えば、判る。応援してくれているに決まっているんだから。
そんなことを考えていたら、声が聞こえた。
「福を招くのは、わたしじゃありません。あなたです。あなたが自ら扉を開けて、福を招き入れるなら、福はおのずとやってくるものなのです」

開運招福 招き猫「福の市」は、明日26日までです。
猫グッズも、たくさん販売していました。

日本各地の招き猫達が、おもしろかった。個性豊かです。

岩手。牡丹の模様に味わいがあります。

埼玉。赤い招き猫は、子どもの麻疹や疱瘡避けの意味があるとか。

京都。いっぱい福が来そうな感じ。

広島。大きな鯛に乗っかってる。

愛知。瀬戸市には『招き猫ミュージアム』があります。
そこの協力で開催された展覧会だそうです。

鹿児島。招き猫にも、しっかり眉毛がありますね。
手を高く上げているほど、遠くからも福を呼び、
左手は、人やお客を、右手は、お金を招くそうです。

現代アートも、展示されていました。

九谷焼の招き猫もありました。日本の美が感じられますね。

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『祈りの幕が下りる時』

東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ最新刊『祈りの幕が下りる時』(講談社文庫)を、読んだ。加賀恭一郎とは夢中になった時期を経て、 久しぶりの再会だ。

日本橋署の刑事、加賀に、従弟で警視庁捜査一課の松宮から連絡が入った。担当の殺人事件に加賀の知人が関係しているという。アパートで絞殺された女性は、直前に演出家、角倉博美と会っていた。加賀は数年前、博美に子役の剣道指導を頼まれたことがあり、細く長く交流を続けていた。
行方不明の男が借りていたアパートのカレンダーには、月ごとに日本橋を囲む12の橋の名がかき込まれていた。それを聞き、加賀は驚愕する。小学生の時に家を出たまま行方知れずになっていた加賀の母親の遺品に、それと同じ順に並べられた橋の名のメモが残されていたのだ。以下本文から。

「今年の一月、柳橋に行かれたみたいですね」
「はっ?」博美は眉根を寄せていた。「柳橋? 何のことですか」
「行っておられない? おかしいな」
加賀は手帳を出し、中を広げて首を捻った。
「どういうことでしょうか」
「いや、今年の一月、柳橋の近くであなたを見たという人がいるんです。あなたに間違いなかったとおっしゃっているんですがね。一月の何日かは覚えていないそうですが。よく考えてみてください。お忘れになっているんじゃないですか」
加賀は、じっと博美の目を見つめながら訊いた。博美は目を合わせたまま口元を緩め、小さく首を振った。
「いいえ、そんなところには行っておりません。柳橋なんて、近づいたこともありません。その方は誰かと見間違えたんですよ」
加賀は頷いた。
「そうですか。あなたがそうおっしゃるんだから、その通りなんでしょう。失礼しました。もしあなたが一月に柳橋に行っておられたら、橋巡りの法則について何かご存じかと思ったのですが」
「橋巡りの法則? 何ですか、それ」
「こういうものです」加賀は手帳を広げ、博美のほうに向けた。
そこには『一月 柳橋 二月 浅草橋 三月 左衛門橋・・・』というように十二の月と橋の名称が並んでいた。

この物語のテーマは、親子の愛。「愛」と一文字で呼ぶことすらためらってしまうような、強い想いが深く沈められていた。加賀は、殺人事件と母親のもとに残されたメモの謎を解くため、一つ一つの疑問を辛抱強く解き明かしていく。真相は、数え切れないほどのベールに包まれていたが、彼があきらめることはなかった。そんな加賀にも理解し得ない気持ちもある。恋仲になった看護婦の登紀子から訊かされた、死を間近にした患者の話が印象的だった。
「子ども達の今後の人生をあの世から眺められると思うと楽しくて仕方がない。そのためには肉体なんか失ってもいい」
愛する人が死んだあと、最期はどういう気持ちだったのか、辛さや淋しさに耐えかねて死んでいったのか。知りたくても、あるいは知りたくなくても、永遠に知ることはできないそれを、考え続けていくのは残された者にとってとても辛いことだと思う。それでも加賀は、一歩ずつ母親の最期に近づいていく。彼は彼のやり方で、深く母を愛していたのだ。

シリーズ10冊目にして、吉川英治文学賞受賞作です。
日本橋の謎を解いた加賀は、警視庁捜査一課に戻ります。
次、11冊目、早く出ないかなあ。

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どんぐり、どたんばたん

どんぐりが、屋根を叩いて落ちていく。
風情があるというには、派手な音だ。屋根が瓦ではなく金属だからなのだろう。庭からも、また違ったどんぐりの音が聞こえる。軽トラの荷台に落ちる音だ。こちらも金属なので、けっこう響く。どんぐり、ころころならぬ、どんぐり、どたんばたんである。

先週辺りから、どたんばたんとよく落ちる。この季節だけのことなので、うるさいけれど、さほど気にはならない。不思議だなと思うのは、どんぐりが落ちる音を聞き、それまで閉まっていた耳の扉が開くことだ。聞こえていたのに聴いていなかった音が、どんぐりが開けた扉からいっせいに入ってくる。堰を切ったかのように。
蛙が鳴く声、蝉や秋の虫達の声、野鳥達のそれぞれの鳴き声、堰を水が流れる音、風が木々を揺らす音、そして、どんぐりが屋根ではない場所に落ちるカサコソという音も。

耳に扉があったとて、それを閉めることはできない。それなのに無意識のうちに、その扉は閉まったり、突然大きく開いたりする。何かに集中していたり、ぼんやり考え込んでいたり、耳は聞こえていても、心が何処かへ行ってしまっているのだろう。
リビングで仕事をしているときに、どんぐりが開いた扉からいっせいに入ってきた様々な音に、しばし耳を澄ますのは、悪くない感覚だ。

軽トラの荷台に落ちたどんぐり達です。

隣りの林は、どんぐりだらけ。クヌギ林ですから。

朽ちていくばかりの切り株オブジェにも、落ちていました。

これが、派手な音を鳴らす玄関の屋根です。

足もとを見ると、キノコさん。何茸さんかな?

庭のウドの花。大木になりつつある?

田んぼの畦には、あちらこちらに彼岸花が咲き始めました。

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キイロスズメバチの巣作り

ご近所さんの玄関先に、キイロスズメバチが巣を作った。
触ろうと思えば届くほどの位置なので、見兼ねた夫が駆除した方がいいと言ったのだが、ひとり暮らしの彼はただ笑うのみ。全く怖がっている様子はなく、むしろおもしろがっているようだ。ペットにしては危険を伴うが、何処か可愛がっているような感じもある。
巣はまだ製作中のようで、日々大きくなっていく。写真を撮らせてもらったのだが、蜂達はとても活発に作業をしていた。

近くで見ると、キイロスズメバチの巣は、とても美しい。マーブル模様とも、貝殻模様とも言われているが、何匹もの働き蜂が様々な素材を集め、巣作りをすることで色の濃淡ができるのだそうだ。こつこつと同じ作業を繰り返し、積み重ねていく作業だ。
「どんな気持ちで、巣を作っているんだろう」
しばし、蜂達の作業を見つめた。
「楽しそう」
ふっと自分の口からこぼれた言葉に、驚く。
近くで見るまでは、働き蜂は働かなくてはならず苦行を強いられているような感覚を持っていたのだが、じっと見つめていたら、そうは思えなくなった。
美しく機能的な巣を作るために試行錯誤し、ベストを尽くしている職人のように見えてきたのだ。
「そこのラインは、もっと薄いベージュがいいかな」
「そこ、ブラウンが重なっちゃってるじゃないか」
「そっち、もっと盛った方がラインが滑らかになるよ」
などと会話してる訳ではないだろうが、きびきびと働く蜂達の姿は、いかにも楽しそうに見えた。
その姿を見て、無心に何かを積み重ねていく作業って、じつは楽しいんだよなと、忘れていたことを思いだしたような気持になったのだった。

キイロスズメバチの巣は、球形がスタンダード。
こんなふうに平らなのは珍しいのだそうです。

アップにしてみました。美しい模様がよく見えます。

右側が玄関で、巣の下はウッドデッキの出入り口です。
だいじょうぶなのかな? 心配なんですけど・・・。

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電車に乗って

普段、車にばかり乗っているので、たまに電車に乗ると新鮮な気分になる。
電車を使うのは遠出するときがほとんどなので、指定席を間違えないように何度も確認したり、駅弁やお茶を選んだりしながらも、周囲の人々を知らず知らず観察していたりする。そわそわ、というところまではいかないが、いつもは使っていない扉を開けたような、新しい空気に触れたような感じがするのだ。

老若男女、いろいろな人がいる。持ち物も服装もそれぞれだ。
赤ん坊が泣いていれば、お母さん、周りの人に申し訳ないって顔してる、たいへんだなと思ったり、座席に誰かの忘れ物のハンカチがあれば、その隣に座っている人や座ろうとした人に目がいったりする。この間、全く同じガラホを持っている女性がいて、ちょっとうれしくなった。ガラホの使い勝手の悪さと料金の安さを秤にかけて選んでいるのだから、何処か価値観が似ているところがあるかも知れないとも思うが、ストレートヘアに真っ黒なベースボールキャップを被ったスポーティな雰囲気は、わたしと正反対のようにも思えた。

お年寄りや妊婦さんに席を譲ることはあっても、わたしから、そうして気になった人に声をかけることはない。そんなとき、想像してみる。あの友人だったら、どうするだろう。あるいは、あの人だったら? と。
「たいへんねえ」と笑いかけ、赤ん坊をあやす姿。
「落としませんでしたか?」と、ハンカチを指さす姿。
「同じガラホ!」と、意気投合する姿。
わたしにはできないそんなことをするであろう友人の姿を思い浮かべて、思わず一瞬笑顔になり、それから少し淋しくもなる。
人との繋がりが希薄になった現代では、わたしのような人がほとんどだろう。それでも、友人のようにお節介と言われることをいとわず誰にでも親切にできたら、またほかの友人のように飛び切りの笑顔で誰にでも話しかけられるようになれたらという気持ちは、わたしのなかにいつもあるのだ。

電車で食べた、駅弁を紹介します。
神戸帰省で、狐のお顔に魅かれて買った、きつねの鶏めし。
義母のマンションの近くにある、淡路屋さんの駅弁です。

黒七味をかけて食べます。左上三角の味が染みたお揚げが美味。

これも蟹の絵に魅かれて買った、山陰鳥取かにめし。
鳥取はアベ鳥取堂の駅弁。蟹寿司を出しているお店です。

シンプルなお弁当。ハサミには蟹肉がちゃんと入っていました。
何故、福神漬けがついているんだろう。蟹の形の容器は、
環境にやさしい自然分解樹脂で、できているそうです。

鳥取の観光案内が包みの裏側に載っていました。行ってみたいな。

石狩鮭めし。北海道札幌は弁菜亭の駅弁です。
大正12年からのロングセラー弁当だそうです。
骨までやわらかく煮えた鮭の昆布巻きが、美味しかった。

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失くした文殻

便箋に手紙を綴ることは、今はもうほとんどない。
あるとすれば、子ども達に送る宅配便に一筆箋を添える程度だ。それさえも書き損じ、お気に入りの一筆箋をムダにしてしまうことも多い。メールに慣れ、字をかくことすら少なくなっているのだ。

何もかいていない一筆箋や便箋は、風ひとつ吹かない陽だまりで眠る水たまりのように穏やかだ。だがいったん一文字でも文字をかき込むと、その穏やかさは一瞬で消え、心のしずくを落としていくかのように、一筆一筆水たまりに波紋が広がる。まだ意味をなさない文字の羅列であっても、そこには心のしずくの跡がついていて、書き損じたものを丸めるときにさえ消えない。そんなことを考えていたからか、心のしずくの跡がついた書き損じ、それを「文殻」というのだと、ずっと思っていた。伝えたいことが伝えたいように表現できず、書き損じを重ねた文の残骸のイメージだ。

しかし「文殻」の本来の意味を、つい最近知った。デジタル大辞林によると
「読み終わって不要になった手紙。文反故(ふみほご)」
書き損じではなく、ちゃんと相手に渡り、読まれた後の手紙のことだった。貝殻の殻の字が使われていたことで不要な物だと思い込んでしまったのだろう。

先月、パソコントラブルでこれまでのメールがすべて失くなった。「文殻」だったので問題はないのだが、少し淋しい気がした。メールをかくときにだって、心のしずくは落としているし、誰かの心のしずくを拾ったりもしているのだ。だが、断捨離をしたようなすっきり感もあった。過去をすべて忘れるのがいいとは思わない。だけど失くした分だけ軽くなったからか、不思議と力が湧いてきて、今とこれからを生きていこうっていう気持ちになったのだ。

一筆箋達です。いちばん左が市内にある『平山郁夫美術館』のもの。
右側のツツジは、信州ビーナスラインのお土産です。
ツバメ達はいちばん右の封筒についていたメッセージカードです。

『平山郁夫美術館』は、カレンダーも素敵なんです。
7月は、ベネツィア。水路のある風景。

8月は『ロミオとジュリエット』の舞台となった街、ベローナ。

9月は、フィレンツェの街並みです。

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みどり、緑、ミドリ

ネイルを、更新してもらった。
迷った末に選んだ色は、白ベースに明るい緑。濃い緑のストーンも入れてもらった。じつは緑には、一度失敗したことがある。気に入って買った濃いグリーンのTシャツを着て出かけると、出先の鏡に映った自分がどうにも顔色が悪く見え、この色との相性が悪いのだと知ったのだ。緑にもいろいろある。もちろん緑色全般との相性が悪い訳ではないとは知っている。だが一度目の失敗の印象が強いと、臆病になってしまうものである。緑色。ネイルでは初めての挑戦だ。肌の色との違和感もなく、とても気に入っている。
そのうえ、思いがけずいいこともあった。期待していた訳ではないがこのネイルに変えてから、パソコンのキーを叩きながら、包丁を持ちながら、洗濯物を干しながらちらちら見える緑に、気持ちが和らぐのが判るのだ。
緑には、リラックス効果があるそうだ。太古の昔に外敵から身を守るために緑の茂みに隠れた記憶が残っているとも言われているらしい。

みどり、緑、ミドリ。見渡すと様々な緑色が目に入ってくる。この季節、我が家の居間では三方にある窓から木々の緑が見える。その色も、木によって、あるいは光の加減によって、違っている。
ふと、ずいぶん長いこと思い出さなかった記憶がよみがえった。
「綺麗な若草色ねえ」
子どもの頃、何度も聞いた母の言葉だ。母は、明るくやわらかい緑、若草色が好きだった。太古の記憶と、母の記憶。わたしのなかには、緑色に気持ちが和らぐだけの記憶があるのかも知れない。

白ベースに明るい緑を散らして、濃いグリーンのストーンを入れて。
ゴールドで縁どると、アジアンテイストな雰囲気が出ますね。

庭にも様々な緑があります。アップルミントはまさに若草色。

ポストの上には、ミントとよく似た色合いのカマキリくん。

イチイの緑は、ミントより濃い目ですね。赤い実が似合う色。

柊には、けろじがかくれんぼ。保護色なんだよね。

同じアマガエルでも、みんな違う色をしています。

モミジには空き家のハチの巣がありました。ごく薄い黄緑色。

ドウダンツツジに、仮面ライダー発見!

山椒は赤い実がはじけて、艶やかな黒い種が顔を出していました。

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秋が来た朝

台風が温帯低気圧に変わり通り過ぎた朝。
毎朝飲む白湯、昨日のポットの残り湯が、いつもより美味しく感じられた。山梨の北、標高600mの我が家では、半袖では肌寒いほど冷え込んでいた。
「あ、今朝、秋が来たんだ」
そうつぶやくと、腑に落ちた。

栗が実を落とし、とんぼが群れをなして舞い、蕎麦が白い花を咲かせ、田んぼの稲粒が一粒ずつが日々重みを増しながら頭を垂らしていくのを眩しく眺めていた。もうすぐ秋が来るんだな。あるいは少しずつ秋になっていくのだなと。

しかし、秋はある朝突然、場所ごとに、家ごとに、いやたぶん、ひとりひとりそれぞれにやってくるものなのだと知った。日中は気温が上がり夏日となったが、わたしに来た秋は、一昨日の朝だったと言い切れる。気温が下がった朝の山々は、くっきりと輪郭を際立たせ美しかった。
「お、綺麗」
運転席の夫が、富士山を見て声をあげた。
「彼にも今朝、秋が来たのだろうか」
そんなことを考えながら、助手席で富士山を眺めていた。

南の方角、韮崎駅に向かう農道からはまっすぐ前に富士山が臨めます。

正反対の北を向くと、やはり正面に八ヶ岳。韮崎からの帰り道に。

八ヶ岳の方が、富士山よりずいぶん近いので、
アップにすると、夏山が秋に向かう様子が感じられます。

さらにアップにした八ヶ岳の最高峰、赤岳です。

こちらは権現岳。螺旋のようにも見える稜線が美しい山です。

足もとを見ると、稲刈りを待つばかりの稲穂が揺れていました。

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井津建郎『インド 光のもとへ』

市内の清里フォトミュージアムに、写真展を観に行った。
井津建郎(いづけんろう)『インド 光のもとへ』
井津は、インド、ベレナスで、死者が荼毘に付されるさまを目の当たりにし、それから10年後に本格的に写真を撮り始めた。ベレナスは、ヒンドゥー教徒が死後、ガンジス河に流されることを切望する聖地だ。そこでは人の死は、悲しむべきものではない。命は永遠に続いていく。死して光のもとへ帰ることは次の生への旅立ちであり、穏やかに受け入れられる出来事だという。

井津は、頭では知りつつも知りえなかったことに写真を撮りながら気づいていったのだと、写真を観ていくうちに判ってきた。自分とは圧倒的に違う感覚で「死」をそして「生」を捉えているのだと。
ベレナスの火葬場で、家族が集まって亡くなった人を焼く火を見つめながら談笑しているのを見たときや、火葬をする最後の儀式を行えるのは男性だけで、そのために男の子の誕生を願うのだと聞いたとき、火葬場で働く人の家族がその残り炭を使い夕餉の支度をするのがしきたりだと知ったときなどに。

死を迎える人々と家族に無料で部屋を提供する施設、モクティ・バワンでの写真もあった。通称「死を待つ家」の言葉そのままに捉えていたのだが、何年かかけ写真を撮っていくうちに違和感が生まれたそうだ。死を待つのではなく「家族とともに最期を生きる家」なのだと感じられるようになったという。
モクティは「解脱」の意味を持つ。「解脱」はこれまでの行いにより繰り返されていく輪廻転生から解き放たれた理想の状態で、そのために瞑想や断食が行われるそうだ。

宗教を持たないわたしは「死」について持論と呼べるようなものはない。今、生きてる。確かなことはそれだけだ。死してその先何が待っているのか、考えようとも知ろうとも思わない。ガンジス河のほとりで、最期を迎える人々の気持ちを理解しようとしても、理解しがたいものがある。
写真展には、寡婦や孤児達のポートレートもあった。
モクティ・バワンでの写真も含め身近な人の死を経験しているであろう人がほとんどだ。みな穏やかな表情をしているのがわたしにはとても印象的だった。

清里の森のなかに建てられたミュージアムです。

入り口に展示されていた、大きなカメラ。

反対側から見ると、こんな感じ。

気持ちのいい中庭がありました。

写真展は、10月10日まで。
井津建郎は「小児病院をつくった写真家」としても知られています。
アンコール遺跡で地雷で傷ついた子ども達と出会い建設を決意したそうです。
カンボジアのアンコール小児病院開院式での井津の言葉は、
「この病院では自分の子どもにすることはすべてやってください。
自分の子どもにしないことは、絶対にやらないでください」

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「普通」という言葉

「普通は、そうだよね」ということが、よくある。
例えば「普通は、ラーメンに葱とチャーシュー入ってるよね」とか、
「普通は、チェックのシャツにチェックのパンツ合わせないよね」など。
だけどその「普通」どうなのかな? と考えることがたまにある。

普通は、あの映画観たら泣くでしょう。(ツボが違うらしく当てはまらない)
普通女性は、甘いものが好きだよねえ。(超苦手で困ることがよくある)
普通は、天気予報雨なんだから、傘持ってくるでしょ。(よく、雨にぬれる)
こういう一般的にはそうかも知れないんだけど、そうはいかないものも多い。
好みや性格によって普通とずれている部分は、誰しもが持っているだろう。

しかし、わたしが最近違和感を抱くのは、その普通、本当に普通なの? と思うときだ。「普通」という言葉のなかにある偏見に気づくとき、とも言える。

先日東京に行ったとき、久しぶりに実家に帰った。
両親は板橋の団地でふたり暮らしている。相変わらずだなと思ったのは、父が料理し、母が片付けるというスタイルが崩れていなかったからだ。子どもの頃は出来合いの総菜が並ぶ食卓が嫌で、エプロンをしてハンバーグをこねるような「普通」のお母さんに憧れたものだが、人には向き不向きがある。母は料理が苦手で、父は得意だ。得意な方が得意なことをやればいいと今なら思える。
考えると、子どもの頃は自分の偏見に気づかず、母に「普通」を押しつけていた。申し訳ないことである。今でも、ときどき思い出す。母は、料理は苦手だったが編み物は得意だった。編んでくれたチュニックには丸いミカンをデザインしたポケットがつけてあったっけ。
母はもう、編み物はしていないようだが、父とふたり普通に暮らしている。
「普通に暮らす」そういうふうに使う「普通」は、偏見もなく、静かで穏やかないい言葉だ。

我が家の庭の「普通」な風景です。イヌタデ。ピンクが可愛い。

「秋桜」コスモスも、咲き始めました。

ホタルブクロは、最後の花を膨らませていました。

イチイの垣根に、赤い実がなっています。目を魅く赤です。

ムカゴも生っています。食べられるのかなあ。植えた覚えないけど。

「松の木さん。ウッドデッキの上じゃ、大木にはなれないよ」

そう話しかけているのは、アマガエルのけろじでした。

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車という仮面

車を運転していると、見ず知らずの人と小さなかかわりを持つことが多い。
狭い道をすれ違うときに、片手をあげて挨拶したり、会釈したり、軽くクラクションをならしたりする。道を譲ってもらったときには、ハザードランプを点滅させありがとうと伝えることもある。

しかし、嫌な思いをすることも多い。前の車が窓から吸殻を投げるのを目撃したとき。駐車場で車庫入れしている最中に割り込まれたとき。反対車線に大きくはみ出してカーブする車に危うくぶつかりそうになったとき。
「嫌だなあ。ああいうこと、したくないよなあ」
ひとりごち、ため息をつくよりほか、どうしようもない。
そういうわたしも、遅い車が前を走っているといらいらするし、駐車場でもいつでも何処でもお先にどうぞと譲っている訳じゃない。

ふと、考えた。車のなかにいると、顔は見えるけど、無意識に仮面を被っているような感覚になっているんじゃないのかな。
「ちょっとくらいずるいことしたって、判りゃしないさ」
そんなふうに思いやすい心理状態になってるんじゃないのかな、と。
車で割り込みをする人だって、人と人、顔を突き合わせていたら、きっと割り込んだりなどできまい。

大きな四駆に乗っていたら怖そうにも見えるかも知れないし、可愛い軽に乗っていれば甘く見られるってこともあるだろう。でもそれは、ただの仮面だ。
仮面を被っていたって、自分であることに変わりはない。

甲府方面に行くときに、たまに通る信玄堤沿いの道です。
信玄堤は、武田信玄が作った堤防だそうです。

川沿いの道。広めの一本道なのでスピードを出す車が多いです。

流れているのは、釜無川(かまなしがわ)。

信玄堤には、歩道があります。

土手を降りたところは、遊歩道や公園になっています。
桜並木もあります。土手に桜を植えるのは昔の人の知恵だとか。
花見客が土手を踏み固め、より強固な堤防になるのだそうです。

舗装されていない道もあります。獣道ならぬ人間道?
人もいろいろ。車もいろいろ。道もいろいろです。

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稲絵アート、観る目もそれぞれ

市内で稲絵アートをやっている場所があると聞き、観に行ってきた。
と言っても、クリーニング屋さんに行くついでに足を伸ばしただけだ。
ふらっと立ち寄り、ぼんやり眺め、写真を撮って帰ってきた。その間に2組の見物客と遭遇した。

1組目は、70代くらいの男性。会釈をすると、立ち話になった。
「新聞で見て、甲府から来たんですよ」と、彼。
「わたしはテレビで。すぐ近くから、明野なんですけど」と、わたし。
「でもちょっと、写真を撮るにはねえ」
「もう少し高いところから、撮りたいですよねえ」
稲絵は2mほど高くなった畦から観られるのだが、全体を絵として楽しむにはもうちょっと高さが必要だと思っていたところだったので同意した。
するとそこに脚立を持ったやはり70代くらいの男性が現れた。
「ああいうの、持ってこなくっちゃダメなんですね」
わたしが言うと、話していた男性はにっこり笑って言った。
「どうぞお使いください。あれ、わたしのツレなんです」
予期せず、変わりばんこに脚立を抑えつつカメラを構えることとなった。わたしも脚立に上り撮影することができ、礼を言いしばらく話し込んでいた。
そこに2組目がやってきた。50代後半くらいかな。ご夫婦だろうか。
「小さいな」「これだけ?」と話している。
会釈をし、やはり立ち話になった。横浜から美ヶ原高原に行く途中、稲絵アートののぼりを見て立ち寄ったそうだ。がっかりしている様子が伝わってくる。他でもっと規模の大きな稲絵アートを見たことがあるのだそうだ。

不思議なものだな、と思った。
横浜から不意に立ち寄った人。甲府からわざわざ脚立を持って観に来た人。市内に住みクリーニング屋に行くついでに観に来たわたし。
そこまでの距離と、期待の大きさ、それまでの経験。そんなあれこれで、同じ稲絵も違って見えるのだ。テレビでは、子ども達が田植えをしたことや、稲刈りをする人を募集していることなども伝えていた。そんなこんなを知っているかどうかでも、違ってくるのかも知れない。
田んぼに描かれたフクロウ達の表情が、高見ではないが、そんな人間達を見物しているかのように見えてきたのだった。

フクロウの絵、判りますか? 向こう側の田んぼには月と星。
脚立に上って、手を伸ばして撮って、やっとこのくらいです。

近隣の山々と一緒に撮ると、こんな感じです。

右手手前の双葉、葉っぱの部分です。

アップにしてみました。4種類の苗で絵を作っているそうです。

北杜市の市の鳥は、フクロウなんですね。
山梨がその昔「星見里やまなし」と呼ばれていたことも知らなかった。
今月10日に、稲刈りだそうです。

駐車場には、無人の産直野菜販売所がありました。

野菜って綺麗だな。店頭にはトウモロコシもありました。

家に帰ると、玄関先の葉っぱに赤とんぼがとまっていました。
まだまだ暑いけれど、秋の気配は日々色濃くなっていきますね。

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江戸東京博物館で

東京に出た際、初めて『江戸東京博物館』へ行った。
江戸東京の歴史と文化をふりかえり、未来の都市と生活を考える場として23年前に建てられた博物館だ。単純に、江戸の町を覗いてみたい、そんな来館者が多いのだと思う。

常設展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれ、主に江戸ゾーンを観て歩いた。実物大の日本橋を渡ると、江戸城とその周辺の街並みの模型が展示されている。建物もだけれど、人間の模型が細かくておもしろいと聞いていたので、じっくり観察した。表情までは判らないが、帯の結び方が違ったり、荷を担ぐ人は重そうにしていたり、何やら会話をしているようだったりと、ひとりずつにちゃんと個性がある。『江戸博』はコンセプトに「粋」を掲げているが、その粋が感じられるモノづくりへのこだわりを感じた。

ふと、火消(ひけし)の展示の前で立ち止まった。
先月、火災訓練で、消防団員に消火栓の開け方、ホースの使い方などをレクチャーしてもらったばかりだったのだ。実際に火事の消化を目の当たりにした経験もあるので、消防団のありがたみは身に染みている。
「火消は、江戸の頃から受け継がれてきた風習なんだよなあ」
そう考えてから、模型の人達が急に動き出したように見えてきた。
火消を観て、今の世のなかよりももっともっと助け合わなければ生きていけない時代だったのだろうとリアルに感じられたからだろうか。

ビルが立ち並ぶ街並み。情報が瞬時に手に入るスマホやパソコン。車に電車、飛行機での移動。洗濯機に冷蔵庫に食洗器を使った生活。変わったものを挙げれば数知れない。だが、いちばん変わったのは「人」なのかも知れない。
道端で会話を楽しむ模型の人々に、考えさせられたのだった。

実物大の日本橋を渡って、江戸ゾーンへと足を踏み入れます。
カメラは、フラッシュをたかなければOKです。

これは模型の日本橋です。人ひとりひとりとてもよくできています。

全体の半分でこんな感じ。江戸の町、のんびりとした雰囲気だなあ。

双眼鏡が置いてあって、自由に見られるようになっています。
お侍さんも商人達もいます。馬に乗ってるのは地主さんかな?

江戸城の模型には、松の廊下もありました。

こちらは松の廊下、実物大の絵だそうです。大きい!迫力あります。
全長50m、幅4mの畳敷きの大廊下だったそうです。

建具を作る職人の暮らしなども、実物大で展示されていました。

両国付近の模型です。芝居小屋が立ち並んでいました。

錦絵を売るお店。身分に囚われず絵師になることはできたとか。

町の火消が組のシンボルとして掲げていた「纏(まとい)」です。
左側の球と立方体は、芥子の実と升をデザインしたもので、
芥子、升で「消します」の意味を持っているそうです。

火消の纏、体験コーナー「担いでみてください(14㎏)」

日本橋にあった歌舞伎劇場、中村座を再現したものです。

伊藤晴雨幽霊画展やっていました。今月25日までです。

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ネイルと必然

先週、久しぶりの友人達と、ゆっくりと酒を酌み交わす機会があった。
そのときに、彼女達がわたしのネイルに目を留めた。一緒に食事をすると、爪は案外目に留まりやすいものらしい。食事をしたり飲みに行ったりしたときに、大抵ネイルの話になるのだ。そしてまた大抵聞かれるのが、これ。
「ご主人は、ネイルが変わったとき気づいてくれる?」
そこから、髪を切ったときにはとか、新しい服を買ったときにはとかいう話に発展する。そしてみな口をそろえたように言うのだ。
「うちは、全然気がつかないよ。興味がないみたい」
これは真実なのか、それとも照れが入っていて大袈裟に言っているのか、はたまた気づいていてもご主人が口にしないのか、その辺りは不明だが、みな本当に口をそろえて言う。50代という年齢に限らず、若い友人もである。
「え・・・うちは、すぐに気がつくよ」
口ごもりつつそう言って、驚かれるのもいつものことだ。

以前、偶然とシンクロについてかいたことがあった。
「偶然はけっこう頻繁に起きているものであり、シンクロするかしないかはそれに気づくか否かにかかっている。気づかなければ、その偶然は起こらなかったものと同じで認識されない。シンクロニシティとは、偶然を認識することで起こる現象だ」という考え方だ。

夫の場合、ネイルに気づくことが特別なのではない。彼は様々なことに「気づく」のである。それを顕著に感じる出来事がある。彼は、偶然知り合いに会う率がものすごく高いのだ。偶然出会ったときにも、気づかなければ会うことにはならない。だが彼は様々なシーンで知り合いに会う。その場に立ち会ったことも何度かあるほどで、それは彼が「気づく」からなのだと思っている。その彼が、共に食事をするわたしのネイルに気づくのは、必然と言えるだろう。

とは言え、気づいてくれるってうれしいものなんですよ、世のだんなさま方。

夫が「気づいた」秋の空です。
早朝6時前。新聞を取りに行った彼が呼ぶので行ってみると、こんな空。
「すっかり秋の空だね」としばし、ふたりで空を見上げました。

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水たまりができる場所

久しぶりに、傘をさして歩いた。
田舎に住んでいると、移動手段は車がほとんど。ドアツードアで、雨の日にも傘をささずに済んでしまうことが多い。
雨に降られたのは、所用で出かけた立川でのこと。土砂降りの雨だった。
街のなかは、歩道も車道も水が溜まっていない場所がないくらいで、サンダルの素足で水が跳ねないように気をつけて歩いたが、そんなことをしたって無駄だよと雨降り小坊主が笑ってるんじゃないかと疑うほど、ずぶぬれになった。

山梨に帰ってきても、降ってはいたが、しとしとと優しい雨で、水たまりも避けて歩けた。避けて歩きながら、水たまりをひとつひとつ、観察する。
水に映る風景。雨が起こす静かな波紋。見慣れた風景が雨に歪められ、異世界への入口のような顔を不意に見せる瞬間。

じっと見ていて、ふと気づいた。晴れた日には、水たまりができる場所は判らない。道の傾斜や凹凸に、晴れた日には目を向けることはない。しかし雨が降れば、同じ場所に水たまりはできるのだ。
もしかしたら、と思った。心のなかにも、晴れた日には判らない、水たまりができる場所があるのかも知れないと。何かがひっかかっていたり、ささくれだっている部分、弱っているところなんかが。晴れた日に凹凸を失くし、穏やかに暮らすことの大切さを、波紋に揺れる水たまりに思った。

立川駅北口ロータリーに置かれたオブジェ『絆』
屋根がついた場所ですが、木の彫刻なので雨を吸っていました。

ロータリーを歩く人も、土砂降りの雨に落ち着かない様子でした。

立川駅ナカの雲吞麺屋さん『雲吞好』の海老雲吞春雨四川風。
夏でも雨が降ると、温かいものが恋しくなりますね。

特急かいじで帰ってきて、韮崎駅から駐車場までの道で。
アンデルセンの『パンをふんだ娘』を思い出すような水たまり。

お隣り韮崎市のマンホール。武田の里とかかれています。
市の鳥チョウゲンボウと市の花レンゲツツジのデザイン。
周りには、武田の家紋「四つ 割菱」が並んでいます。

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田舎道を走るときには

一瞬、何の合図なのか判らなかった。手を挙げている子どもとお母さんらしき人がいる。わたしは運転中で、ようやく気づく。
「ああ、横断歩道を、渡りたいんだ」

ここ山梨は北杜市の田舎町に越してきて、16年が経つ。16年目にして初めて、昼日なかに横断歩道を渡ろうと手を挙げる人を見た。瞬時に判らなかったとしても、許してほしい。もちろん登下校の時間には、多くの子ども達が歩いている。しかし、それ以外の時間で見かける歩行者はまれで、いたとしても農作業をする方がほとんど。横断歩道の前で挙手する人に出会うことなど、狐や狸を見かけるよりもずっと少ないのだ。

東京生まれ東京育ちのわたしだが、だんだん田舎に馴染んできたなと思う瞬間が増えてきた。米や野菜の美味しさがあたりまえのこととなり、越してきたばかりの頃よく間違えていた松林を通る風の音と自動車が通る音も、いつしか聞き違えることがなくなった。野鳥のさえずりも、聴き慣れたBGMとなり耳に止まることの方が少ない。
しかし、馴染んで忘れてはいけないこともある。田舎道では、歩行者の多い都会よりもさらに、歩行者に注意を払わなければならない。「いないもの」と思い込んでしまうことが事故につながるのだ。

16年目にして初めて見かけた横断歩道の前に立っていた母子は、馴染んできた今だからこそ注意せよとのメッセージをくれたのかも知れない。
いや、狐の母子だった、という訳では・・・ないとは思うが。たぶん。

いつも通る道の横断歩道です。右手には、田んぼが広がっています。

あとひと月ちょっとで、収穫を迎える稲。頭を垂れています。

まさに田舎道です。トウモロコシ畑が空を仰いでいるかのよう。

夏の空と秋の空が、入り混じるような空を見かけるこの頃です。

ススキの穂が風に揺れていました。茅が岳の麓だけにススキもいっぱい。

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箸とバスタオル

神戸で暮らす義母が心臓弁膜症の手術を受けてから、ちょうど半年が経った。ふた月ぶりの帰省。会わずにいる間も日々回復していたのだなあと実感するほど、元気になっていた。しゃべり始めると止まらないところが、末娘とそっくりでうれしくなる。いや、もちろん末娘の方がお婆ちゃん似なのだが。

帰り道、台風で1泊足止めを食らい、我が家に帰ってきたその夜に、末娘が帰ってきた。正月以来の帰省である。その末娘、丸1日だけ滞在し、しゃべりたいだけしゃべり食べたいだけ食べ、台風のように去って行った。
往復4時間かけて1日でとんぼ帰りなんて、いったい何しに帰ってきたの? と言いたくなるが、彼女は自分の家を満喫していたようだ。
「のんびりする~」
「わーい、梨も葡萄も桃もある」
「すごい! 昼にうたたねができるほど、涼しい」
台風一過の後に残されたのは、洗濯物のなかで揺れる彼女が使ったブルーストライプのバスタオルのみだ。

そんな台風娘と入れ違うかのように、義母からメールが届いた。
「久々にあなた達に会って、台湾や広島の話を聞いたことなど思い出しています。お洒落なお箸でゆっくり食事をしながら。細い先まで丁寧に作られていて、こんな風にお洒落に暮らさなければと思いつつ」
宮島で土産にと選んだ優しいピンク色の桜模様の箸を、ずいぶんと気に入ってくれたらしい。義母のメールは、こう続いていた。
「よく揃って帰って来てくれました。一所懸命待っていたのだと我ながら可笑しくなります」
娘のバスタオルを見てわたしが感じるものと桜の箸を使い義母が感じるものは、似ているようでいて、たぶん同じではないのだろう。
陽の光を存分に浴びたバスタオルをたたみながら、似ているけれど、やはり同じではないふたりを思っていた。

これは我が家の夫婦箸です。モダンな模様と色が気に入っています。

この箸も、お気に入り。織部の醤油皿と一緒に。

庭と、ブルーストライプのバスタオル。

その庭では、ニラの花が咲き始めました。眩しい白。

栗の実は、どんどん大きくなっています。

ヤブランが、静かに薄紫の花を咲かせていました。

アップルミントは、伸び放題。雑草より強いです。

テッポウユリは、次々に大輪の花を開いていきます。

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厳島神社と「8」

広島に滞在したのは、ちょうど24時間。1泊2日とも言えない駆け足の旅だったが、宮島に渡ることもできた。海の上に浮かぶ厳島神社の床板を、踏んでみたいと思っていたのだ。

厳島神社の境内に入ってすぐに、夫が教えてくれた。
「ここの回廊って、数字の8にこだわって作られたらしいよ」
回廊の基本的な間隔は約2.4m(8尺)で、その間には床板が8枚敷き詰められ、108本の柱が立ち、社殿の灯籠、参道の石灯籠は108個。本社拝殿から大鳥居までは108間で、火焼前から大鳥居までは88間だという。
「8って、末広がりで縁起がいいって言うもんね」

だが、何故「8」にこだわったのかは、不明らしい。
数字には、それぞれパワーのようなものがあるというが、漢字の「八」は末広がりで縁起がいいと言われてきたし、数字の「8」は○が二つで角がなく円満を表すとか、無限大∞にも通ずるとも言われてきたようだ。
その他にも、日本では大きいことを表現する際にも「八」が使われる。八百万、八重桜、八雲、八千代、八十などなど。
昔々厳島神社を建てた人々が、何を思っていたのかは判りようもないが「8」というものを重んじ、大きく広がっていく「いいもの」だと捉えていたのだろうということは想像できる。それは、人間の力だけでは成せないものがあるのだと知っていた人々の祈りだったのかも知れない。
そんなことを考えながら、回廊を一歩一歩踏みしめて歩いたのだった。

平和記念公園前から船に乗って行きました。45分で着きました。

お出迎えしてくれた鹿くん。綺麗な毛並み。いっぱいいました。
野生だそうです。島のあちらこちらに影を見つけて涼んでいました。

厳島神社の長く続く廊下を、ゆっくり歩きました。

柔道少年。武道の格好をした多くの人が祈祷を受けていました。
必勝祈願のご利益があるようです。

敷き詰めてある板は、潮が満ちたときに持ち上がらないように、
きっちり等間隔で、隙間が空けられていました。
五重塔も、見えています。

渡れそうにないくらい急な反橋(そりばし)。
祭事の時勅使が渡ったことから「勅使橋」とも呼ばれたそうです。

西松原から撮った大鳥居です。そばをカヌーが滑っていました。

お参りも済んで、名物の焼き牡蠣にビールで喉を潤しました。

商店街はアーケードになっていて、食べ物屋さんも雑貨もいっぱい。

しゃもじは宮島名産物の一つ。しゃもじに似顔絵を描いてくれるお店も。
「食べきれないほどご飯がよそえそうだねえ」と、
小学生の女の子に話しかけるお父さんがいました。

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広島平和記念公園で

先週末、夫の実家である神戸に帰省した際、広島まで足を伸ばした。
平和記念公園へ行こうということになったのだ。

原爆ドーム近くの入り口から入り、ゆっくりと歩いた。
38℃を超える強い陽射しのなかで、水分補給をしながら足を進めたのだが、水を飲むたびに、熱風を浴び、水を求めてさまよった人々を思った。
原爆ドーム前では、笑顔で記念撮影する人を見て違和感を覚え、ドームを写真に収めることができなかった。
そして点在する慰霊碑を回り、手を合わせ、平和記念資料館に入った。

原子爆弾の悲惨さは、若い頃に訪れて知ってはいたつもりだったが、資料館を歩いてみて、あらためて感じた。
最初に熱で焼かれ、次に爆風で飛ばされ、建物が壊れ、その下敷きになり、次には至るところで火災が起き、降ってきた雨は黒く、それでも水を欲していた人々がそれを飲み、その後は放射能に蝕まれた身体に苦しむことになる。
起き上がろうとするたびに頭を殴りつけられるような連続の苦しみが、被爆した人々を襲ったのだと、あらためて知った。

資料館を出て、最後に原爆死没者追悼平和祈念館に入った。
そこには、原爆で亡くなった方々の遺影や名前のほか、多くの方の被爆体験記が公開されていた。
被爆5年後に広島市民によって刊行された『被爆体験記』は、反米的内容であると占領軍により配布禁止処分とされ、15年もの間、埃をかぶったままだったという。そこに寄せた大江健三郎の解説「何を記憶し、記憶し続けるべきか?」を読み、ハッとした。
「15年前この書物に加えられた不当な仕打ちは、もっぱら占領軍にその責を帰すべきことでした。しかし今、ここに公刊される体験記を、もし我々が再び不当に扱ってしまうとしたら、その責はすなわち、我々にあります」

もう一度、原爆ドームの前に立ち、写真を撮った。
観て感じたこと、知ったことを、きちんと記憶しておこう。戦争の、原爆の記憶を、自分のなかで不当に扱うことのないように、しっかりと考えよう。きっとその責任があるのだと、そう思った。

「二度と同じような悲劇が起こらないように」という戒めや願いを込めて、
ユネスコの世界遺産に、登録されているそうです。

対岸から見た原爆ドームです。宮島まで船が運行されています。
日本がこれから先、戦争をしない国であってほしいと願わずにいられません。

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水月さえ
性別:
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自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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