はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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決して判ることではないと知っておくこと

「痛みについて考える時、思い出す女性がいるんだ」
「もしかしたら、『ねじまき鳥クロニクル』の加納クレタ?」
「うん。ありとあらゆる痛みを背負って生まれた、クレタ」
「やっぱり。僕も骨折した時には、クレタのことを考えたよ」
「痛みというのは、個の存在のなかにあるもので、誰かと比べたりはできないとは思うんだけど、もしクレタのように身体じゅうのあらゆる場所がいつも酷く痛んでそれがいつまで続くか判らないとしたら、ものすごく辛いだろうね」
「全く同感だよ。それに最近考えるんだ。きみの痛みは、僕の想像を遥かに超えているんだろうなって」
「いや、きみは僕のことを判ってくれていると思うよ、左手くん」
「だといいんだけど。まあ同じ、手ではあるからね、右手くん」

frozen shoulder(五十肩)になった右手くんは、整骨院の治療が一段落し、リハビリとマッサージの時期を迎えた。だが、またも夢のなかでソフトボールをアンダースローで思いっきり投げてしまい、よせばいいのに現実世界でも同じ動きをして、真夜中、右手くんの悲鳴に飛び起きる羽目になった。それが丸1日痛み続け、ふたりの会話と相成った訳だ。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)「第1部 泥棒かささぎ編」に登場する加納クレタは、その痛み故に二十歳で命を絶とうとした。しかし未遂に終わった自殺が、彼女の人生を変えることになった。再度自殺を試みようとした彼女は、違和感に思い留まる。長いこと考えて彼女が気づいたのは「痛みがなくなっている」ことだった。

人の痛みというものは、簡単に想像し判ったつもりになったりできるものではない。それは、身体の痛みも、心の痛みも同様だ。人の痛みを想像することは、とても大切なことだと思う。だが、同じ傷でも、人によって痛みは違う。決して判るものではないと知っておくことも、また大切なことだと思うのだ。

半透明のカバーが付いている、美しく分厚い3部作です。
「私はいろんな人たちに、痛みについて尋ねてみました。でも誰も真の痛みがどういうものなのかなんてわかってはいませんでした」
クレタは中学の時に、他の人間には痛みがないことを初めて知り、
生きることの不公平さ、不公正さに衝撃を受けました。
☆Frozen shoulder徒然、カテゴリーに追加しました☆

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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