はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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新米センチメンタル

新米が届いた。
さっそくお米坊や(コイン精米機)に一袋(30kg)を持って行き精米した。今日は、神戸や東京の両親、親せき、会社のメンバーなどに新米を送る作業で忙しい。
昨夜は、新米だというのにひとりの夕食だった。夫は東京だし娘は図書館の会議室で9時まで勉強会だという。なので、サボりにサボっておむすびオンリーにした。久しぶりに鍋で1合だけ炊く。毎朝炊飯器で炊くご飯も十分美味しいが、鍋で炊くと一味違う。新米を鍋で炊いておむすびを握れば、それだけで贅沢なディナーだ。
 
ふと20年以上前、ひとり暮らししていた頃を思い出した。炊飯器を買うのを節約し毎日鍋でご飯を炊き、朝食べてお昼は会社にお弁当を持って行った。
思い出すと、するすると記憶は出てくるもので、自転車で通った銭湯や毎月現金で家賃を払いに行った大家さんの広く整然とした庭、ギターの上手い隣人や自分で縫った白いカーテン。それから「もみじ荘」というちょっと古臭いけれど気に入っていたアパートの名前なんかも久しぶりに思い出した。
「貧乏だったよなぁ」とセンチメンタルな気分に浸る。
確かに貧乏だったけど、気ままで楽しい暮らしだった。自分の足で立ちひとりで何とかやっていた。大きな野望はなかったけれど自分ひとりなら何とでもできる自信があった。
 
もう一度あの頃に戻れたらと、センチメンタルついでに思ってみたが、答えはひとつだ。戻れない。ザッツオール。

炊きたての新米は宝石のような輝き そして甘く美味しい!

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誰かのためならできること

「小ぶりですが」近所の子が栗を持ってきた。
栗の季節到来だ。何と言っても人気は栗ご飯。
皮をむくのは手間だし手は痛くなるが、娘の「美味しい!」の一言が聞きたいがために頑張る。自分だけのためだったらまず栗はむかない。そう思うと、家族がいるからわたしも炊き立ての栗ご飯を食べられるということになる。
自分のためにはできないけど、誰かのためだったらできることって結構あるんだよなぁ。
びっきーの散歩だってそうだ。自分のためにウォーキングなど絶対にしないタイプのわたしが朝夕、びっきーと共に歩いている。
図書館の展示ボランティアも図書館を訪れる人のためだが、自分では読むことも調べることもしなかったであろうグリムについて、ほんの少しだが知識を深めることができた。
持ちつ持たれつ? give and take? 情けは人のためならず?
どれも、当たらずとも遠からずかな。
 
そうだ。来月は娘の18歳の誕生日だ。彼女のために、この町唯一のケーキ屋『ドゥ・ミール』にモンブランを食べに行こう。
『ドゥ・ミール』のパティシエはモンブランだけは持ち帰らせてくれない。マロンクリームの台になる部分がカリッとしたメレンゲでできていて、すぐに食べないとカリッと感が無くなってしまうというこだわりだ。甘いものが苦手なわたしは、もちろんひとりでモンブランを食べに行くことはない。しかし娘の誕生日なのだからしょうがない。彼女のために一緒にモンブランを食べに行こう。甘いものは苦手でも『ドゥ・ミール』の看板でもあるモンブランなら話は別だ。小さくて甘さもしっかり抑えていてとにかく美味しい。
自分のためにはできないけど、娘のためならモンブランだって食べられる。
ふふふ。楽しみだ。

ほっこり美味しい栗ご飯が炊けました

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乾いた心に

毎朝ゴーヤ茶を飲んでいる。ほうじ茶や緑茶などと半々にブレンドすれば苦みも余りなく2回目に入れた時など返って甘みがでるくらいだ。独特の香りはもう、ゴーヤのものというよりはゴーヤ茶のものになっている。
9月に入りこの辺りでは「寒いね」「冷えるよね」と娘と朝の挨拶を交わすほど空気が冷たく気持ちのいい朝を迎えられる。熱いゴーヤ茶は、そんな朝にぴったりのアイテム。ゆっくりと濃く出して置いておけば昼用に氷を入れてアイスゴーヤティーとしても楽しめる。
 
この夏は、夫の友人に中国で買ってきてもらったジャスミンティーに朝の時間を楽しませてもらった。ジャスミンティーは白粉花の種くらいの大きさに可愛らしく丸まっていた。その丸く乾燥していた葉がお湯を注ぐことで少しずつ開いていく様に心がしんとした。香りも味も持っている栄養も何もかもをゆっくりと開放していく様子に、共に開放されていくような気持ちになった。
ゴーヤもゆっくりと開いていく。ゆっくりとゆっくりと。
からからに乾いた心にも、お湯を注いだら開いていくだろうか。穏やかな世界へと気持ちも解き放てるだろうか。乾いたゴーヤに問いつつ、今朝も急須にお湯を注いだ。

飲みすぎた翌朝の胃にもここちよく沁みます


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小さな小さじくんの大きな冒険

小さじくんが行方不明だ。あちこち探したが見つからない。物を無くすのは得意だが悲しい。小さじくんがいないと、どうにもうまくいかない。小さじくんとは5ccの計量スプーンのことだ。
わたしはいまだに料理の味つけを目分量ではできない。味つけは大さじ母さんと小さじくん頼みだ。高校生の頃、土井勝の料理本に出会い自分で作り始め、ああ親子丼って、そして鶏の照り焼きも家で作れるんだと感動した。母は余り料理が得意ではなかった。それ以来我が家の日本料理のほとんどが土井勝の味つけなのだ。
冷蔵庫には、大根の煮物、醤油大さじいくつ、砂糖大さじいくつなど、ワードで打ってプリントした簡単レシピ表が貼ってある。その通りに味つけすることで我が家の味になる。目分量や味見で作るその家の味もあると思うが、我が家の味は大さじ小さじにかかっている。ちなみに珈琲豆はスケールでグラムを計るしパスタも同じくだ。だいたいこんなもんという感覚が不安で、それは自分を信用していない証拠でもある。でもこんな数字本位の我が家の味だってあってもいいんじゃないかなって思う。これはデジタル化ではないよな、アナログの範疇だよなって。
すき焼きなどの味つけは夫の出番となり、豪快に醤油を回しいれる姿に惚れ惚れしたりする。その夫もわたしの料理に文句はないようだ。
「小さじくんがいないんだよ」
水菜と鶏肉の煮びたしを作りつつ、うなだれるわたし。
「あ、このあいだケーキ焼くときに使った!」と娘。
「小さじくんは何処!」ふたりで探し回るが見つからない。
「顔に塩を付けた、りりしい姿が脳裏をよぎるよ」
「小さじくんはソルト担当だったもんね」
小さじくーん、カンバッーク!

小さじくんの帰りを待つ大さじ母さん達

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ゴーヤを数える

きのうと今日で150本ものゴーヤを刻んだ。
ゴーヤ茶を作るためだ。いつも野菜をいただく農家さんに「ゴーヤが取れすぎて困っている」とHelpの電話をもらって刻みに出かけた。
ひんやりとした瑞々しいゴーヤを刻むのは嫌いじゃない。刻むと緑が鮮やかになり綺麗だし、苦みを含んだ匂いをほんのり漂わせるのも好ましい。まあちょっと数が多すぎるってとこに問題はあるんだけどね。
(人差し指に豆ができました)
12~3本ずつ刻んだゴーヤを乾燥機の箱に分けて入れるので数えながら刻んだ。普通に数えていてはおもしろくないので、心の中でイタリア語で数えた。
「ウーノ(1)ドゥーエ(2)トレ(3)」
ん? トレって言えばトレビの泉ってトレビアーンな感じのネーミングだけど、三叉路にある泉って意味なんだよな。後ろを向いて投げたコインが泉に見事入ればふたたびローマを訪れることができるって言い伝えがあって、コイン投げたなぁ。でも清掃中で水が抜かれてたんだけど、ふたたびローマを訪れることはできるんだろーか?
「あれ? 今何本目だっけ?」
すでに3本目でわからなくなるという失態。それでも懲りずにイタリア語で数え続けた。
「クワットロ(4)チンクエ(5)セーイ(6)」
ん? セーイと言えば、ヴェネツィアの空港でセットメニューのファーストフードを注文した時、すべてナンバーで注文できるようになってたから「シックス」って言ったら通じなくて「セーイ」って言いなおしたら「オー、ナンバーシックス!」と返ってきたっけ。おいおいナンバーがつかないとわかんないのかいって笑ったなぁ。
「あれ? 今何本目だっけ?」

今年のゴーヤ茶は、イタリア―ンな味がするかもしれない。楽しみだ。
ゴーヤの種には老化や動脈硬化を予防する抗酸化作用があるそうな

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毎週セロリ

セロリを嫌う人は多いようだけど、わたしは大好き。
最近我が家で好評を得ているのは、千切りセロリと鶏ささ身のニンニク醤油焼きを和えたサラダ、わさびマヨネーズ風味。
ワインに合う栗原はるみのレシピだ。
セロリを千切りにするのはとてもたいへんだが、リクエストされると浮き浮きと作ってしまう。夏休み最後の夜も夫がバーベキューをしつつセロリのサラダを食べたいと言うのでご所望ならとセロリを刻み、1週間たったばかりの昨夜もまたセロリを刻んだ。毎週セロリだ。
小さい株ならふたりで一株ぺろりとたいらげてしまう。これまでセロリを株で買う人なんているのかと不思議に思っていたが、セロリは断然株で買うべきだ。切り売りのものとはまったく鮮度が違う。そのうえ中の方は筋も少なく柔らかく甘い。
 
SMAPが歌った『セロリ』は、自分はセロリが嫌いなんだけど、恋人はセロリが好きで、でも価値観違うのなんてしょうがないよね、みたいな可愛らしい歌だった。歌で価値観の違いなんかに置き換えられちゃうほど、日本ではセロリ嫌いさんが多いのかと驚いたっけ。でも、海外ではそうでもないらしい。だってミネストローネをセロリ抜きで作ったらなんか物足りないもんね。
一応ことわりを入れておくと、セロリ嫌いさんを嫌いなわけじゃない。価値観の違いも感じてない。ただとてもシンプルにセロリが好きなんです。

セロリ嫌いさんにも食べられそうなレシピだと思うのは
わたしがセロリ好きさんだからか

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きくらげちゃん、大人になる

帰省で留守にした間に、成長していたのは稲穂だけじゃなかった。
庭では好き勝手に雑草が伸び、勝手に生えてきた百合は蕾を重そうにたらし、軒下には、これまた勝手に丸く大きく見事なスズメバチの巣が作られていた。
そして、きくらげちゃんが大人になっていた。もうきくらげちゃんと呼んではいけない。きくらげさんと呼ばなくては。
同時に近所の畑のゴーヤも立派に生っていて、昨日1本いただいた。当然きょうは、やったぜ! ゴーヤチャンプルー! ということになる。うれしい。
我が家のゴーヤチャンプルーはとても簡単で、味つけはオイスターソースと胡椒だけ。豚バラ肉、もやし、豆腐に卵、きくらげさんとゴーヤを油で炒めて、さっと味つけ、出来上がり。ゴーヤの苦さがたまらない。ビールとの相性もばっちりだ。
 
甘いものは苦手だが、苦いもの、辛いものは大好きだ。特に自然の苦さを持つゴーヤとかふきのとうには目がない。しかし食い意地を張ってはいけない。一度ふきのとうの天麩羅を食べ過ぎて、まぶたが腫れたことがある。自然の苦みを持つものは、アクも強いのだ。美味しいものは少しずつ、まぶたが腫れない程度に食べるべきと学んだ。
今年もゴーヤの季節がやってきたことに感謝しつつ、まぶたが腫れない程度に思いっきり食べたいと思う。

美味しそうに成長したきくらげさんとゴーヤ

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消えた30品目をクスクス笑いつつ

バランスのとれた食事を取るために1日30種類の食材を使った料理を食べるということをずっとやって来た。保育士だった頃、新人研修で勉強した栄養学の中にあったのだ。その頃からだから25年ほどになる。といってもO型的てきとーさで、まあこのくらいだろうとまったく数えない日も多かった。
稼げるのは朝しか作らない味噌汁。今朝は、油揚げ、豆腐、葱、ワカメ、なめこと具だくさんの上に薬味に茗荷を入れた。味噌は山吹味噌。これで7種類。目玉焼きとウインナ、モヤシの油炒め、そしてご飯。塩、胡椒、醤油などの調味料を入れると7種類。お茶は中国の鉄観音茶。これで半分の15種類だ。
 
ところでごく最近、この30種類の食品を数えるという栄養学的習慣は10年以上前になくなっていたことを知った。
理由。数にとらわれすぎて食べ過ぎ、肥満になる人が増えたから。
びっくりした。数にとらわれすぎる人がいることにびっくりしたが、肥満になるほどまじめに取り組んでいる人がいたという事実にも驚かされた。決まりに縛られるあまり、肝心な最初の目的を忘れてしまうことってよくあるけど、忘れすぎだろう。ここまでくると、もう驚きを通り越しその滑稽さについクスクスと笑ってしまう。
 
栄養学的習慣からは1日食品30品目を数えるというススメは消えたが、サラダや味噌汁にいろいろ入れたくなる衝動は、わたしの中にもうすっかり定着している。いろいろ食べるのは楽しいし、いいんじゃない? とわたしは思うんだけど。

朝夕涼しい我が家では、真夏も朝食には味噌汁が欠かせません

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ただ茄子が好きだから

茄子が好きだ。
カレー屋さんに行って茄子カレーがあれば迷わずオーダーする。パスタを食べる時にも、中華を食べる時にも、たとえば日本酒が美味しい新潟料理の店に行った時でも、茄子をオーダーしてしまう。イタリア旅行でもメランザーネ(茄子)とメニューにあればとりあえず頼んでみた。
家でよく作るのは、茄子の生姜焼き。焼き茄子のお浸したっぷり鰹節かけゆずポン味。茄子のにんにくオリーブオイル焼き。素揚げの茄子を薄めのだしつゆに浸けたもの。シンプルに茄子を味わえるものばかりだ。あ、ラタトウィユとかも美味しいな。
どうしてこんなに好きなのかと考えるには、どうでもよく、だって美味しいんだもん。ビールとぴったり来るんだもん。くらいの理由しか思いつかない。
 
むかし好きだった子が茄子が嫌いで、茄子を食べるたびに彼をほんのすこーしだけ思い出す。
義母が焼き茄子が好きで、焼き茄子の焼き方は彼女に教わった。熱々の焼き茄子の皮をむくたびに神戸にいる義母を思い浮かべる。
ラタトウィユは、友人宅で初めて食べ虜になってよく作った。ラタトウィユの大きめの茄子を頬張り、やはりしばらく会ってない彼女を思い出す。
茄子を料理し茄子を食べ、いろいろ思い出す。料理とか食卓とかって、もともとそういうものなのかもしれないけれど。
でもまあ、そのために茄子を食べるわけじゃない。ただ茄子が好きだから。ザッツオール。

山梨産の茄子と生協で買った京都は万願寺とうがらしの素揚げ

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野菜達はまっすぐに我が家を目指して

田舎に住んでいるので、よく野菜をもらう。
今はじゃがいもの季節だ。クリーニング屋のおばちゃんに、じゃがいもとモロッコインゲンをもらった。店の裏の畑でおじちゃんが趣味で作っていて、無農薬で野菜の味も濃い。
「美味しかったです」
感想を述べると普段はクールでダンディなタイプのおじちゃんが得意満面の笑顔になる。そしてまた野菜を収穫するたびに「持ってけし」と甲州弁で言う。
ここいらの住人で野菜を作ってない家はめずらしい。だから、クリーニング屋さんだけじゃなく、みんなまっすぐに我が家を目指して野菜を持ってきてくれる。とてもありがたいことだ。住み慣れて、同じ野菜をたくさんもらって困ることも少なくなった。いろいろな料理法を覚えたりして美味しくいただいている。オイスターソース風味のレタスのお浸しとか、にんにくオリーブオイル味のトマトサラダとか。同じ野菜が驚くほどたくさん食べられる。料理の不思議さと野菜の本当の味を、ここで教わった。
 
そして、ふふふ。もうすぐゴーヤの季節がやってくる。うれしい。ゴーヤチャンプルーは毎日食べてもあきないほどの大好物だ。
先日キノコ会社に勤める友人が「キクラゲちゃん」を持ってきた。ビニールに入ったそれはキクラゲ菌の入ったキクラゲの素だそうだ。カッターナイフで切り目を入れ乾燥しないように湿気を与えていると、切り口からキクラゲちゃんが生えてくると言う。今年のゴーヤチャンプルーには簡単栽培したキクラゲちゃんをたくさん入れよう。
「君が、毎日ちゃんとお水をあげられるとは思えないけど?」
夫は、わたしがキクラゲちゃんの栽培を成功させるとは思っていないようだが、ゴーヤチャンプルーのためならがんばれる気がする。たぶん。
          茹でたての男爵とモロッコインゲン

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半月を鞄に入れて

クチーナ徒然というカテゴリーを作った。
クチーナというのはイタリア語cucina。ムリムリに英語読みすれば、キッチンと読めなくもないこの言葉は、台所、または料理、料理法などの意味を持つ。
イタリアン率が上昇するきっかけとなったイタリア旅行の前に、NHKイタリア語会話にハマって、ずいぶんイタリア語と親しくなった。
「トイレはどこですか?」「ボンゴレはありますか?」など、なんとなく通じるくらいの言葉を言えるだけで相手の言葉は聞きとれないけれど、イタリア語を少ししゃべるだけでイタリアの人々は親しく親切に接してくれる。
日本で片言の日本語をしゃべる外国人に親切にしたくなるのと同じような気持ちなのだろう。アメリカで英語をしゃべってもそうはいかない。話せて当たり前という認識なのだ。なので少しもしゃべれないよりは楽しい旅行になった。
料理も少し覚え、イタリアの調理器具がほしくなり「メッツァルーナ」を雑貨屋で買い求めた。メッツァは半分、ルーナは月。半月と言う名の包丁。
両側に持ち手がついていて、カーブを利用してシーソーのように動かし、野菜や肉をみじん切りにする。みじん切りはあんまり好きな作業ではないけれど、メッツァルーナがあるだけで楽しくなる。イタリア人らしい発想だ。
メッツァルーナを鞄に入れて、ふわりとうれしい気持ちのまま、美術館に入った。そして、入り口でセンサーに引っかかった。
「メッツァルーナ?」と、守衛さんが笑って肩をすくめる。
「メッツァルーナ」と、わたしも笑って肩をすくめる。
「クチーナ?」と守衛さん。料理に使うのかい?
「ええ、日本料理に」となんとか答えるわたし。
イタリア語がもっとしゃべれたらなぁと思った。
「メッツァルーナじゃ、人は殺せませんよねぇ」なんてジョークをとばしたのに。(しゃべれなくてよかったかも)
夫は、わたしがイタリアでいちばん使ってた言葉はこれだねと言うけれど。
「すいませーん、生ビールくださーい」
           半月というよりは三日月に近い気がするんだけど

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イタリアン率上昇中

夫がワインセラーを買った。
数年前ふたりでイタリアを旅してから、すっかりイタリアワインにハマった彼は、これだけ飲むんだったらあってもいいでしょう、と自分を納得させ、ウキウキしながらネットで探し、悩んだ挙句6本入りの小ぶりな物を選んだ。
「ワインクーラーじゃなくて、ワインセラーなんだ」
彼は強調する。湿度まで調節できないとワインセラーと表記してはいけないそうだ。
「6本? なんでそんなちっちぇえの買ったんだよ」
彼は友人のソムリエにバカにされたらしいが、うちでワインを飲むのは彼ひとりだ。わたしはいつもテイスティングのみ。飲むと酔っぱらってしまうから。

東京の会社に通う彼は、帰りのあずさからメールしてくる。
「今日はイタリアンがいいな」または「日本酒が飲みたい」
わたしは、買っておいた魚や肉や野菜を、それからイタリアンまたは日本酒に合うように料理する。ワイン率が上がり、イタリアン率も上がり、冷蔵庫にチーズやレモン、アボカド、バルサミコ酢を常備するようになった。

最近好評なのが「アボカドディップ」アボカドをすり鉢ですりつぶし、レモン、オリーブオイル、塩胡椒で味つけしただけのシンプルなものだが、これがあるだけでパンも野菜も美味しく食べられる。鮪とエシャレットをたたき卵黄をのせ、そのまわりにアボカドを盛りつければ、色鮮やかな1品にもなる。
イタリアンは野菜がたくさん食べられるから、私も大好きだ。
夫と飲みに出かける時にも、イタリアン率は上がった。
先日、四谷でふたりイタリアンを食べに行ったときのこと。小さな店だがとても美味しかったので、カウンターの中で調理する若者と少し話をした。彼は店長で、帰りに名刺をもらった。
「青柳さんって言うんだ。『ゴールデンスランバー』の主人公と同じだね」
酔っぱらっていると口も軽くなる。
「そうなんです。『ゴールデンスランバー』読みました。伊坂幸太郎大好きなんです!」
「ほんとに! 伊坂いいよねー」
「伊坂いいっすねー」
イタリアンはいい。伊坂の友にも出会わせてくれる。


お気に入りのすり鉢でアボカドすりつぶし中

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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