はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
[12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18

幸せ感じて

「アクセサリーも洋服もいらないから、ふたりで食事に行きたいな」
わたしは夫にクリスマスプレゼントのリクエストをしていた。そしてクリスマスも過ぎてから、自主登校する受験生の娘に話し送り迎えを1日だけ休ませてもらって、久しぶりにゆったりとふたりで食事をした。
イタリアンなのに「生中」と注文し笑ったり、鯛のカルパッチョに入っていたプチッと噛むと酸味が広がるキャビアライムなるものの存在を初めて知ったり、キッチンの入口にクチーナとイタリア語でかかれているのを見てイタリアを旅した時の話をしたり、ふたり赤ワインを1本空けながら、如何にもクリスマスらしい夜を過ごした。
「なんか、幸せだよね」わたしが言うと、夫もうなずいた。
「幸せだと思える人のところに、幸せは来るんだよ」
同じように働いて同じように家族がいて同じように食事をしていても、不満を見出し愚痴をこぼす人もいる。幸せだなぁと思う人もいる。違いはそこにあるんじゃないかと。
 
以前、夫に言われたことがある。娘の送り迎えを楽しそうにするわたしを見て不思議だ、自分にはできないと。しかし彼女のことで制限されることも多いが、楽しいことの方がずっと多い。日々小さなことの中にも幸せは感じられるのだ。生きていれば深く傷つくこともあるし、眠れずに過ごす夜もある。幸せだなんて、到底思えない時だってある。だからこそ、いっぱい幸せ感じて生きていきたいなと、仕上げのグラッパを飲みつつ考えた。
「もう、やめときなさい」
と、夫にグラスを取り上げられるまで、ゆっくりと考えた。

乗り過ごして松本まで行かないように、『ソロモンの偽証』(新潮社)宮部みゆきを、鞄に入れて行きました。
面白い本なので寝ないで読めると思ったからです。
しかし分厚くて重い本はたとえ面白くとも酔っ払い向きではないことが判明。
重くて開く気になれず石和温泉まで爆睡しました。起きられてよかった!

拍手

ダッチオーブン・チャンス

イブの夜、夫がダッチオーブンでローストチキンを焼いた。
丸焼きではなく、骨付きもも肉でちょっとお手軽な感じだが、3時間前から塩をすり込んだり、にんにくと玉葱を炒めたものと何種類かのスパイス、調味料に漬け込んだりと、味付けは本格的だ。
わたしは、カルパッチョとトマトのブルスケッタのみ作ればいいということになり、楽ちんで準備も整った。ふたりスペイン産のシャンパン、カバで乾杯し、チキンが焼き上がるのを待つ間「ダッチオーブン、もっと活用したいね」と夫。「そうだね」とわたし。ダッチオーブン料理の本を1冊買おうかという話になった。
 
ダッチオーブンは夫の友人の私物で、以前バーベキューした時に買い、また来た時に使うと、そのまま家の倉庫に置いて行ったものだ。あれはいったい、何年前だろうか。ダッチオーブンはそのまま陽の目を見ず、倉庫の中で長い眠りについていた。そして今年のイブ、久しぶりに眠りから目覚めた。チキンを焼くよ、という夫の声に揺り起こされて。
料理が得意な夫の友人は、長く海外勤務が続き、ダッチオーブンを使いに山梨の田舎まで来る機会は、なかなか訪れない。
しかしダッチオーブンは手軽に使うには重すぎて、わたしが普段、料理するのには向かない。
もしかしたら、これはチャンスかも、と策略する。夫に男の料理なるものを覚えてもらい、たまにはイブの夜のように料理を分担し、楽しく楽ちんに美味しいディナーが食べられるといいな、などと考えたのだ。チャンスの神様は前髪しかないという。だから通り過ぎる前に素早くつかまなくてはならない。ダッチオーブン料理の本、さっそく買ってこようかな。

味付けに手間をかけただけあって、抜群に美味しかったです。
保存版レシピだと思いきや、「あ、かいた紙捨てちゃった」と夫。
ゴミ箱から救出しました。

拍手

拓けた未来

古代マヤ文明の暦が終わる日。わたしは久しぶりに美容室『ETT』でゆっくりと髪を染めてもらい、新しい珈琲屋を開拓した。横浜に本店を置くチェーン店で、その名も『珈琲問屋』 美容師のみなこさんに教えてもらい、さっそく帰りに立ち寄ってみた。
店内に入ると、麻袋や樽に入った生豆がずらりと並んでいる。その生豆を選び、それから焙煎してもらうのだという。焙煎も7~8段階に指定でき、その上、焙煎の待ち時間は10分とかからない。価格もお手頃だ。そんな夢みたいな珈琲屋が甲府にあったのだ。
豆を注文し、ポイントカードを作ると、珈琲をサービスしてくれた。窓際のカウンターで飲んだ珈琲は、まさにわたしにためだけに愛をこめて淹れてくれたように美味しかった。
思わず胸の中で力強くガッツポーズした。ここふた月ほど、珈琲豆を探し放浪していたのだ。甲府方面から山梨の果て小淵沢まで、何軒も珈琲屋をまわり、珈琲を飲み豆を買った。東京ではデパ地下の珈琲屋巡りをした。しかしこれだという珈琲は、お決まりのように値が張って、一度試したはいいけれど2度目は雲の上に行ってしまう。
酸味が勝った浅煎りから中煎りというかたよった好みを持つ自分が変わり者なのかと半ば諦めかけていたのだ。
自称かたよった珈琲通である、わたしの未来は拓けた。未来は、古代マヤ文明の暦の終わりと共に訪れたのだ。

生豆は、ベージュで、緑がかったものもあります。
珈琲の他、お菓子や紅茶などの飲み物類、雑貨も置いてあって楽しめます。
KONOのドリッパー、ショッキングピンクバージョンがあって、買いそうになり自粛しました。
コーヒーブラウンの同じものを持ってるのに欲しくなるんだよなぁ。

拍手

糸コン存在の証

娘とふたりの夕飯は肉じゃが率が高い。
「鶏肉、じゃがいも、玉ねぎ、白滝。好きなものばっかり」
と、娘は喜ぶし、栄養のバランスも良く、寒い季節には温まる。うちの肉じゃがは大抵、鶏肉で作る。よりヘルシーだし、チキン大好き家族なので、評判もいい。しかし娘が一番好きなのは、何と言っても白滝だ。
「白滝って、綺麗なネーミングだよね」
と、娘は熱い白滝を口に運びつつ、さらに言った。
「春雨も綺麗だよね。でもそれに比べると糸蒟蒻って」
「確かにそのまんまだね」
神戸出身の夫は、すき焼きには糸蒟蒻だとずっと主張してきた。でもわたしにはその違いがわからなかった。蒟蒻売り場で見ても、太さの違いなどはあれど大抵白滝と表記してある。でも、ま、いっか、どっちでもとO型的てきとーさですき焼きの買い物をしてきた。そして、夫に言われるのだ。これは違うと。
「神戸では、すき焼きには糸コンなんだよ」
だがある時、突然謎は解けた。
夫の実家、神戸の家のキッチンで義母と夕食の支度をしている時。
「糸コンも入れましょうか」と義母が冷蔵庫から出したのはきっぱり「白滝」とかかれたものだったのだ。
「関西では、白滝のことを糸コンって呼ぶんだ」
ようやくすとんと腑に落ちた。
しかし調べてみると、昔は製法が違ったそうだ。蒟蒻になる前に突くのが関東で作られていた「白滝」で、蒟蒻になってから突くのが関西で作られていた「糸蒟蒻」しかし今、製法はどちらも白滝化して、違いが無くなった。呼び名だけが関東と関西で分かれているという。
「現在でははっきりと区別できる要素はないらしいよ」とわたし。
「ウィキ情報?」と娘。
「by日本こんにゃく協会。ウィキじゃないけどネット検索」
夫が神戸の家で食べたすき焼きの糸コンは、今では存在しないものだった。関西圏に、白滝を糸コンと呼ぶことで存在した証を残しつつも。

肉じゃがも美味しいけど、たまにはすき焼き、食べたいな。
神戸のすき焼きは、もちろん割り下は使いません。
肉を焼いてから、砂糖や醤油を直接肉にかけ、野菜を乗せます。

拍手

季節の香りの宅配便

風邪だろうか。洗濯物だけ干して、朝から眠っていたら、友人からの電話に起こされた。
「柚子がたくさん生ったんだけど、いる?」
「あ、欲しい。うん。柚子大好き」
東京で農業を営むご主人と暮らす彼女は、結婚前からの友人。保育士になるための勉強をしながら勤めていた会社の同僚だった。1年か2年に一度、ゆっくりと会っておしゃべりしたりもするが、暮れの忙しい時期に、こうして思い出してくれたことが嬉しかった。
 
届いた箱を開けると、柚子の香りが広がった。クチナシの実が柚子を飾るようにいくつか入っている。彼女のセンスの良さに感じ入りつつ、柚子を一つ手に取り匂いを嗅いでみる。うん。柚子だ。いい香り。
さっそく、いただきものの大根で、柚子大根を作った。柚子は刻むと強く香り、その酸味を思い切り含んだ香りに、また微笑む。
柚子大根を口に入れ、考えた。人と人って不思議だな。彼女がわたしを思い出してくれた時、わたしも彼女を思い出していたのだ。それは年賀状をかくという年中行事の中でのことだったが、確かに彼女を思い出し一筆したためた。
子ども達が幼かった頃一緒にキャンプしたことや、彼女の息子が働くビールバーでふたり何種類ものビールを飲んだことや、遊びに行った彼女の家の雰囲気や広い庭に咲く花を思い出し、賀状をかいたのだ。
来年はたぶん、会ってゆっくりしゃべれるだろう。柚子の黄色にふと思い、気づいた。風邪はもう、何処かに去っていた。

太陽をいっぱいに浴びたと言わんばかりの柚子と一緒に、
手紙が入っていました。「寒い冬を元気にのりきって、春に会おうね!」

拍手

年末お疲れ対策に生姜鍋

生姜鍋に挑戦した。先日遊びに来た夫の友人に教わったものだ。
生姜のスライスと針生姜をたっぷり入れて、味付けは鶏ガラスープの素のみでやることにした。
折も折、近所の農家さんから、ずっしり重い白菜を2ついただいた。切ると瑞々しく生でかじりたくなるくらい綺麗な白菜だ。
鍋に水から生姜を入れて沸騰した時には、部屋じゅう、甘い生姜の匂いが漂っていた。夫は出張帰りで疲れていたが、生姜の匂いに食欲も湧いたようだ。
「疲れた時に食べるにはいいね、これ」と夫。
薄味でシンプルな野菜たっぷりの鍋は、忘年会シーズンの胃が疲れた時にもオススメかも。そしてしばらく食べた後、あれ? っと思った。
「すごい! 足の先まで、あったかい!」
「確かにからだじゅう、温まってるね」
生姜パワー、恐るべし。足の先のほかほか感は、翌朝まで続いたのだ。

「生姜はどのくらい入れればいいの?」 と夫が友人にメールしたら、
返事は「たくさん」 一袋分、とりあえず入れました。
一袋(写真では切った量)で、生姜パワーの効果ばっちりです。

拍手

冷奴の器

気に入っていた器を、落として割った。悲しい。
夏の間、夫に冷奴を出す時に、よく使っていた器だ。彼と一緒に行った清里の雑貨屋で、ふたりで気に入って一つだけ買った。だから夫用となんとなく決めて使っていたのだ。
同じものを買いに行こうかという衝動に駆られた。しかし思い留まった。それでは割れた器に失礼ではないか。それに一つ一つ手作りの焼き物なのだ。同じものなどありはしない。
「冷奴、しばらく食べないし」と自分を説得する。
「しょぼーん」と、娘を真似て口に出してみる。
「わー!!!」と、控えめに叫んでみる。
「ごめんね」と謝る。
ふさぎ込んで肩を落とす。いろいろやってみたが気持ちは沈んだままだ。沈み込んだまま静かに目標を立ち上げた。
来春までに、冷奴にちょうどいい器を探そう。
冷奴を入れた在りし日の器の姿と、共に過ごした時間を思い、ありがとう、と写真に収めた。

冷奴は、断然 『男前豆腐』
京都の豆腐屋さんですが清里工場があって山梨でもいつでも手に入ります。
「水もしたたるいい豆腐」という意味合いで、男前と名付けたそうです。
器よ、本当にごめん。

拍手

幸せ感じるなぁ、鍋

「今夜は鍋にしようか」「いいね!」
何かのCMのような会話頻度が上昇する季節だ。
「何鍋にする?」「やっぱり普通鍋かな」
普通鍋というのは、我が家では寄せ鍋のこと。いろいろ入れて、昆布の出汁と酒、薄口醤油、味醂で薄く味つけする。
「牡蠣だ!」買い物かごの中身を見て、海鮮好きな娘が嬉しそうな声を上げた。普通鍋の常連さんは鶏もも肉と牡蠣、銀鱈。これだけ入れば、薄味でも出汁の旨味で白菜や葱も美味しく食べられる。
そしてうどん。神戸出身の夫から教わった、この普通鍋。別名「うどんすき」という。神戸の義母の味だ。うどんを入れたり入れなかったりしているうちに、寄せ鍋と呼ぶには「うどんすき」のうどん抜きだし、なんか違うなぁということで、普通鍋という何とも普通じゃない呼び名が定着してしまった。
ちなみによく登場する鍋は「韓国風白菜鍋」「鳥たたき鍋」「チゲ鍋」「湯豆腐」「トンしゃぶ」かな。鍋のいいところは、野菜をたくさん食べられること。熱々の鍋で野菜をたっぷり食べ、からだの中から温まると、気持ちまでほかほかしてくる。幸せ感じるなぁ、鍋。
 
しかし日曜日。夫が鍋にもかかわらず遅刻した。近所の友人と町の温泉に行き、そのまま飲み始めてしまったのだ。不機嫌になったわたしをなだめるように、彼は炬燵に卓上コンロを用意し、具材を鍋に入れ味付けをした。わたしは怒っている振りを続け、王様のようにただ鍋を食べ、ビールを飲んだ。そして熱燗をつけ、ふたりぬる燗で呑んだ。幸せ感じるなぁ、炬燵で鍋。そうして延々と酒を酌み交わし、夜は更けていった。ちょっと呑み過ぎたかな。まあ、それもまた鍋だ。

白子も入れてみました。でも、食べる前に無くなっていました。
酔っぱらうと駆け引きに負けてしまいます。
ちゃんと食べてから、酔っぱらいましょう。

拍手

刺激を求めて

所用で立川に行くと、つい立ち寄ってしまう店がある。
駅ナカに入っている『雲呑好』(WANTANHAO)ワンタン麺屋さんだ。そして今度こそ違う味を、と思う気持ちとは裏腹につい四川風を頼んでしまう。禁断の辛さなのだ。
せっかく立川まで出たんだったら、ひとりランチする店などいくらでもあろうものを、駅ナカという利便性もあり、四川山椒の香りと、その辛さに呼び寄せられ、ついふらふらと店に入り、ついつい四川風をオーダーしてしまう。もうこれは魔力と言ってもいい。わたしの中では、立川=四川ワンタンという図式公式が完璧な形で作り上げられていて、あらがえない大きな力に流されているとしか思えない。
ということで、ふたたび食べてしまった。ぷりぷり海老ワンタン春雨四川風。ついふらふらと毎日でも立川まで行ってしまいそうなほど、美味しかった。
 
辛いものが大好きだ。うどんは七味唐辛子を10回振るし、パスタはタバスコをかけることを前提にトマトソースを選び、刺身にはわさびをたっぷりと乗せ、おでんの辛子はツーンと来るほど付けて食べないと物足りない。一緒に食事する人は大抵驚く。「うわっ!」と声を上げる人もいる。「かけすぎでしょう!?」と抗議の目を向ける人もいる。そういう時には決まってこう答える。
「日々平凡に生きているわたしだからこそ、刺激を求めているのさ」

カロリーオフの春雨にしてみました。普通の麺も美味しいです。
肉ワンタンもイケますが、やっぱぷりぷり海老でしょう。
(注)辛いもの好きでも、耐えられない辛さの可能性があり。
   七味10振りより相当辛いです。

拍手

歴史に残らない特別であり平和な時間

数えてみたら40品目を超えていた。食べた物の種類のことだ。調味料なども合わせて数えて1日30品目を目標にしようと、昔、栄養学で学んだのだ。
「からだにいい食生活してるよなぁ」と夫。
朝食だけで20品目以上。前日の肉じゃがや娘のお弁当の鮭など残り物があったこともあるし、味噌汁には冷蔵庫野菜整理にしなびた小松菜や葱の青い部分、椎茸も入れた。そして、ちりめんと一緒に胡麻油で炒めた大根の葉っぱをご飯には乗せた。昼はパスタとサラダ。夜はおでん。いろいろ入っている物ばかりが重なったせいもある。
「ピース」ひとりキッチンでピースする。やったね! って感じ?
しかしピースとは平和の意味だ。やったね! ならVサインなんじゃないかと細かいことを考える。でもいいな、ピース。音がいい。もう一度言ってみる。「ピース」
 
「今日も平和でした」というのは娘の口癖だ。迎えに行った車の中で本日のスポットを語り「そんな感じで、今日も平和でした」
ピース。こうしてご飯を美味しく食べられることって、もしかしたら大きな平和を手にしているってことなのかもしれない。
伊坂の『チルドレン』(講談社)で盲目の青年、永瀬がしみじみと考えるシーンがある。
「歴史に残るような特別さはなかったけれど、僕にはこれが、特別な時間なのだ、と分かった。この特別ができるだけ長く続けばいいな、と思う」
家族とご飯を食べるという毎日の時間にも、たぶん歴史には残らない特別さがあり、そして平和があるのだと、永瀬にならいしみじみと考えた。
そういえば、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間がめずらしく頭を悩ませていた。
「どの本の、どのシーンで、誰が言ってたのか、思い出せないー」
ピースについて誰かが語っていたシーンがあったはずだというのだ。
「『重力ピエロ』(新潮社)じゃないことだけは、確かだけど?」
「それはわかってる。あー気持ち悪い。思い出せないーー」
「平和だねぇ」と言うと、彼女は憮然とした顔をした。
たぶん歴史には残らないが、特別であり、そして平和な時間である。

平和な朝ご飯の図。
いただいた大根4本のうち、3本をもうすっかり食べてしまいました。
葉っぱももうありません。

拍手

それはとても幸せなこと

びっきーの水が初めて凍った朝、お米のおばあちゃんが庭にやって来た。毎年お米を買っている田んぼのおばあちゃんだ。
「今朝は凍ったねぇ」「冷えましたよねぇ」
おばあちゃんは、大根が4本入った袋をウッドデッキに置いた。小さなからだ、細い腕の何処にあんな力があるのかと思うが、鍛え方が違うのだろう。寒くなったが毎日畑に出ているのを見かける。
「ありがとうございます。りっぱな大根ですね!」「今抜いて来たから」
おばあちゃんは、笑顔と大根を残し、のんびりと走る黄色いスクーターで坂を下って行った。お米のおばあちゃん。12年前にも90歳、超えてるかなと思っていたけれど、ずっと変わらないなぁ。変わらず元気だ。
 
「鶏肉もあるし、今夜は大根の煮物だな」
新鮮なうちに下ろしでも食べよう。ホタテ缶と合わせてサラダにしてもいいな。葉っぱはさっと茹でてちりめんと一緒に胡麻油で炒めようか。大根だけで夕飯ができちゃうな。
凍った畑から来たばかりの大根は、ひんやり冷たくずっしり重かった。
「大きな根っこかぁ。確かに」
それにしても綺麗な大根だ。わたしはしばし見とれていた。ここに越してきて野菜の美しさを知った。大根は切ると瑞々しく透明感のある白で、首の部分はほんのり緑がかっている。水分をたっぷり含んだ新鮮な大根ならではの美しさに、そう言えばこの町の名産は大根だったと思い出す。お米もどの野菜も美味しくて忘れがちだが、そう。ここは、向日葵と林檎と大根の町なのだ。
「大根がいつでもある。それはとても幸せなこと」
これはその昔、川崎に住んでいた頃、わたしが夫に言った言葉だ。まったくその通りだねと、夫もうなずいた。ふたりともひとりで暮らしていた頃には大根など買わなかった。しかし結婚し家族ができ、日本酒の肴にしらすを乗せた大根下ろしを食べたいと夫が言った時のために、サラダのために、煮物のために、朝の味噌汁のために、大根を常備するようになった。そして今、大根の町に住んでいる。もちろん大根が名産だからと越して来たわけではないのだが。
冬。今年も、おでんや大根の煮物で温まる日が多くなりそうだ。

町の温泉宿の敷地で、毎年11月3日に「大根祭り」があります。
神奈川や東京から来る人もいて、この日に限り道は渋滞。
露店もいろいろ出て、青空の下でカラオケ大会などもありますが、
畑で大根を抜いて持ち帰るのが人気のようです。

拍手

幻のねぎま鍋

夫の友人をもてなす為に、久々にリキ入れて料理を作った。
ラタトゥイユ、ケッパー入りオリーブオイルのポテトサラダ、蛸の香味野菜サラダ、トマトのブルスケッタ、蓮根とズッキーニとエリンギのにんにく炒め、最後はねぎま鍋で締めくくった。ポテトサラダには庭のアップルミントを飾り、蛸サラダではテーブルで熱したごま油をジュッと音を立てて回しかける演出にも挑戦した。
だが何と言ってもラストのねぎま鍋が絶品だった。鍋にはすまし汁を倍にした濃さの汁を用意し、千切りの生姜にぶつ切りの葱。葱に少し火を通したところで鮪の刺身をぶつ切りにしたものを入れる。鮪は生で食べられるので、葱も鮪もお好みの硬さまで煮て、それを生卵に付けて食べる。
「葱が美味しいね」「うん。葱だね」「葱だ」
主役のはずの鮪より人気は葱だった。鍋いっぱいの葱はすぐに無くなった。翌日も3人で「あの葱は美味しかった」と言い合う程、描写の言葉が追いつかないくらいに美味しかった。
「幻の鍋になるかも」わたしは考えた。
夫の友人がライトなビール好きなわたしために買ってきてくれたバドワイザーを、わたしは6缶すべて気持ちよく空け、ふたりは白から呑み始め、赤ワインを3本空けた。
3人ともすっかり酔っていて、お腹もいっぱい。なのに5本切った葱をさらに切り足すほど食べた。あの鍋は、気持ちよく酔った時にだけ食べられる小人が魔法の粉を振りかけた1品だったのかも。
柔らかく煮た葱が美味しい季節。鮪ブロック安売りの時に是非お試しあれ。

幻のねぎま鍋の写真はありません なにしろ幻なので
いえいえ 食べるのに夢中で誰も写真に収めていなかっただけです

拍手

ふんわり卵効果

「美味しい!」「あったまる!」「いいね、茶碗蒸し」
娘のリクエストで茶碗蒸しを作った。
蒸し立ての茶碗蒸しが食べたくなる季節だ。
塩と薄口醤油で味付けした出汁に卵を混ぜる時、卵ってすごいなぁと思う。450ccの出汁に卵が3個。こんなに薄められてもちゃんと固まる。
一時期スポンジケーキ作りにハマり、納得がいくまで毎日焼いた。卵だけでふくらし粉も入れていないのにふくらむのが不思議で面白かった。やはり卵ってすごいなぁと思った。
命を生み出す前の凝縮した栄養素。良質の蛋白質。卵を毎日は食べようとしない娘のために今年は茶碗蒸しをたくさん作ろう。
 
しかし山梨県民の休日は卵が人気だった。わたしが茶碗蒸しを作り、娘がカップケーキを焼いた。ふんわり固まる茶碗蒸し。ふんわりふくらむカップケーキ。味見させてもらった焼き立てのカップケーキの控えめの甘さが、カリッと感も加わってふんわり口に広がった。気持ちもふんわり温まった。
「あれ? 洗ってくれたの?」と娘。
お菓子作りの洗い物は自分でするように言ってあるが、わたしが洗った。
「うん。キッチン片づけてくれたから。ありがと」
娘はカップケーキが焼き上がるのを待ちつつ、キッチンを綺麗にしてくれた。あれをやれ、これをやれと言わずとも娘がやってくれたことに感謝して、わたしもカップケーキの洗い物をした。
これもふんわり卵効果かな。娘が片づけたキッチンが明るく光っている。

シイタケは町内産 北杜市にはシイタケ農家さんがたくさんいます
娘が苦手な銀杏は入れませんでした

拍手

佐渡の海と朱鷺が舞い降りる田んぼに思いを馳せて

縁あって毎年、佐渡の無農薬米を少しだけ買っている。
その新米を今、毎日楽しんでいる。山梨より稲刈り時期も遅くそれを半月ほど天日干しにするので、新米の時期がずれるのだ。作った人の顔が見えるお米を、それも新米を2度味わえる。最高に贅沢だ。
 
さて。佐渡と山梨の大きな違いと言えば?
海に囲まれた佐渡。海はなく大地の真ん中にある山梨。
そうなのだ。佐渡米と山梨の米には、正反対の環境が作用する面白さがある。
佐渡米には、海がない山梨にはない海の持つパワーが詰まっていて、噛みしめると旨味を深く感じるしっかりした米だ。
作っている「どじょっこ田んぼ」の津田さんご夫婦は、新宿のホームレス支援で知り合ったというふたりで、働く場のない人のために農業をと、自ら米作りをするところから始めた。「佐渡でしか作れない力が湧いてくるような美味しい米を」と無農薬と天日干しにこだわり、がんばっている。穏やかな中に秘めたパワーを限りなく持っているふたりだ。
 
津田さんご夫婦と、佐渡の海と、朱鷺が舞い降りる田んぼを思い浮かべる。
海の力。大地の力。太陽の力。水の力。そして、人の力。たった一粒の米の中にあふれている目に見えない捉えどころのないパワー。そしてそれを食べ、人の中には、また力が湧く。
つくづく不思議なことだよなぁと思いつつ、新米を噛みしめた。

娘は毎日自分でおにぎりを握って学校に行きます
わたしが左手を骨折してからずっと自分で握っています
母の手が治ったことに気づいないのかな? まさか
佐渡と山梨のお米パワーで風邪をひかずに受験の冬を乗り切ってほしいです

拍手

疲れた時にはヴァン・ショーを

八ヶ岳が雪に染まった朝、12人の小人の夢を見た。
「パンが11個しかない時、僕らはどうすると思う?」
一番年かさの小人がわたしに問う。答えられずにいると彼は言った。
「全部のパンを12個に切り分けて、みんなで同じだけ食べるのさ」
なるほど。
年かさの小人は、まだヤンチャ盛りの小人達をまとめるのに苦労していた。出席をとるように名前を呼ぶのだが、悪戯するように何人もの小人が手を上げる。彼は肩をすくめてその名の小人を探し、ちゃんとそこにいることをチェックしていた。
「この夢は何かの暗喩なのかな?」娘に言うと、
「お母さん、疲れてるんじゃない」と心配そうな顔をした。
そうか。疲れているのか。
そう思ったら、ヴァン・ショーを作ってみたくなった。以前読んだ近藤史恵のコージーミステリー『タルト・タタンの夢』(東京創元社)に出て来たスパイシーなホットワインだ。ビストロ「パ・マル」の三舟シェフが、疲れている人や心がカサついている人にヴァン・ショーを出していたのを思い出した。
ネットを検索するとなんと『タルト・タタンの夢』のレシピすべてが動画でアップされていた。さっそくオレンジとシナモンを買い、少し古くなった赤ワインで作ってみた。確かにふわりと温まった。
小人はわたしに何を言おうとしていたのだろうか。
「ひとり減らせばいいのさ」とも「僕が食べずにがまんしよう」とも言わず、彼は愚直に公平に分けることを考え、仲間がちゃんとそこにいるかどうかを気にかけていた。「もっと欲しい」という小人もいるかもしれない。「不公平だ」という小人もいるかもしれない。その時彼は何と答えるのだろう。
ヴァン・ショーで温まりつつ考えた。しかし小人はもう何も答えてはくれなかった。何も答えず林檎の上にあぐらをかき、ただ笑っていた。

安い赤ワインにオレンジとレモンの輪切り クローブ シナモンスティック
全部を鍋に入れ沸騰させて火を止めて 蓋をして10分ほど置きます
スパイスの香りがワインに沁みたら もう一度温めてできあがり
林檎を入れたレシピもスタンダード 甘いのが好きなら砂糖をお忘れなく

拍手

冷蔵庫のブラックホール

頭が痛い。頭痛ではない。悩み事を抱えている訳でもない。単に頭が痛いのだ。酔ってぶつけたらしいが、記憶は定かではない。
夫の発言を拾い集めると、玄関に出る引き戸にぶつけたらしいが何故こんな所に頭を? と首を傾げてしまうような場所だ。おまけに引き戸は壊れたらしいから、酷くぶつけたに違いない。まあ、いい。酒で無くした記憶なら掃いて捨てるほどある。そのうちの一つとしてしまっておこう。
何処に? 冷蔵庫のブラックホールに。
冷蔵庫には何でも飲み込んでしまうブラックホールがあるのだ。

「探し物は冷蔵庫から」というのが主婦の鉄則。たとえそれが、テレビのリモコンだとしても。または、テレビ本体だとしても。
わたしは夜な夜な無くしたものを探して、冷蔵庫を開ける。そこにはいつも冷えたビールが並んでいる。何を探していたのかなど一瞬で忘れビールを手に取る。「乾杯」と打つとパソコンは「完敗」と変換した。
今夜も酒に負け、何かを無くしていく。無くした方がちょうどいいくらいの荷物を抱えて、人は酒に呑まれていくのだ。
かっこよく一般論を語るなって?
はい。呑みすぎました。すみません。もうしません。たぶん。
ぐい飲みコレクション 手前のカラフルなのはイタリアで買ったグラッパ用
かた口の紅葉は 八ヶ岳棒道ウォーク20kmに参加した夫のお土産です

拍手

もう鬼は笑わない

風邪予防にと葛根湯を買ったら生姜湯が付いてきた。
「そうか、もう生姜で温まる季節が来たんだ。ひとりのお昼は生姜たっぷりうどんにしよう」
いつもはネットで買っている京七味を赤くなるほどかけて食べるうどんだが、たっぷりと生姜を入れて温まるのもいい。
生姜と相性のいい茗荷や紫蘇を入れ、いただきもののすだちもかけよう。葱やしめじは茹で時間6分の細いうどんと一緒に茹でて、できあがり。簡単だけどご馳走うどんになった。そしてほかほか温まった。温まったまま1時間昼寝した。すると足の先まで温まり、お腹からパワーが湧いてくるのを感じた。
今週中にやらなくてはならない仕事がいくつか溜まっている。会社の経理あれこれ、娘の受験準備あれこれ、週末遊びに来るという夫の友人のために和室の掃除もしたい。
生姜パワーで始動した。あれこれが片付いた。あれこれ片付くとホッとした。
ホッとするといろいろなことが楽しくできた。びっきーとの散歩も時間に追われて早足になることもなく、娘のブラウスにアイロンをかけるのも、薪運びも、鼻歌混じり。先延ばしにしていた仕事のメールも楽しくかくことができ、すぐに返事をもらった。
「ありがとう」と「来年もよろしく」の往復書簡。
そうなのだ。来年の話をしても、もう鬼は笑わない季節になったのだ。

茄子のかたちの下ろし器は上野公園の陶器市で見つけたもの
柄違いでもう一つあってニンニクと生姜と両方を出す時に重宝しています

拍手

R2-D2始動!

我が家のR2-D2が始動した。
夫が使うスモーカ―だ。今年も彼のベーコン作りが始まった。
アウトドア派の彼は、その名の通り外で何かをするのが好きだ。ベーコンは低温で何時間も燻製しなくてはならない。夏は肉が傷みやすいので冬ならではの保存料理となるこの燻製は、寒空の下何時間も温度を計ったり、煙の様子を見たりと、わたしには絶対にできない料理だ。いつもは食べて楽しむだけだが、彼にインタビューしてみた。
「何度で何時間くらい燻製するんですか?」
「基本40度で、今日は7時間。私は最初に60度くらいに温度を上げることにしています。豚肉なので菌をとばすためにね」
「スモーカーの中はどうなっているんですか?」
「下に電熱器。これは温度を保つため。真ん中にチップ。ヒッコリーを使っています。魚にも肉にも使え香りも気に入っているクルミ科の樹木です。それに火をつけて煙を出すわけです。そして上に豚バラ肉の塊。6日間特製のたれ(ピックル液)に漬け込んで1日塩抜きしたものです」
「手間をかけていますね。何故ベーコン作りを始められたんでしょうか?」
「簡単に作れそうだと思ったからかな」
「そこに煙があるからとかではなく?」
「まあ、そうとも言いますね」「……」
夫は切ったベーコンを口に運んだ。「美味い!」わたしも、かじってみた。
「うん、美味い! 燻製の風味が(もぐもぐ)効いてますね(もぐもぐ)。本日は(もぐもぐ)インタビューにお答えいただきまして(ビールをぐいっ)ありがとうございました」
インタビューを終えるとベーコン作りの謎がほんの少し理解できた。気のせいかベーコンの味も理解できたようにはっきりとしてきた。
「その物のあり方を知ることって、実はけっこう大切なのかも」
わたしはビールを飲みつつ、R2-D2に話しかけた。彼は何かを答えるように、またはちょっとあきれるように、煙をふいっと出した。
R2-D2、おつかれさま 美味しいベーコン、ありがとう!
またよろしくね~

拍手

小さじを巡るジェンダー会議

ピンクのスケルトンな大さじ小さじの親子がやって来た。
旅に出た青い小さじくんの帰りを待つしばしの間も、小さじが必要不可欠だと家族会議でまとまったのだ。小さじはソルト担当になることが多く、寒くなると夫がベーコンを作り始めるし娘は気分転換のお菓子作りで使いたいと言う。
親子がやって来たその夜、ピンクの小さじの呼び名を巡り話し合いになった。
「ピンク色だし、小さじちゃんかな」とわたし。
「ピンクだからって女の子だって決めるのはどうかな」と娘。
「そうだねぇ。ピンクの服を好んで着る男の子もいるね」
「わたしは黒い服が好きだし」
そこで夫が口を挟んだ。
「色から訴える感覚も大事だと思うよ。トイレのマークを色だけ逆にして実験した例だと、形より色で判断する人が多かったらしい」
「それはそうかもね」とわたし。
「色っていうより、小さじそのものって考えてみたら?」と娘。
「ソルト担当なクールさとか?」とわたし。
娘は小さじをじっと見つめ「僕は小さじくんって呼ぶよ」と言った。
「じゃあ僕も小さじくんと呼ぶことにする」わたしも言った。
わたしと娘は会話の流れで時折自分のことを僕と呼ぶ。
夫は何も言わなかった。小さじを巡るジェンダー会議の幕は下りた。

ピンク色のキッチン用品を集めてみました フライパンも裏側はピンクです
ハーブティーはローズヒップ&ハイビスカス 酸味が効いたお気に入りのお茶

拍手

イタリアンパセリの不運?

庭にイタリアンパセリの芽が、わいわいと出てきた。何年か前に植えた苗が種を落とし毎年芽を出す。今年も初夏にちぎっては料理の彩に使っていたものが花を咲かせた。それを草刈りした際に誰かに手向けるかのように寝かせておいたら、そこからたくさんの芽が顔を出し本葉を伸ばしているのだ。おいおい、もう寒くなるよと声を掛けつつ、ひしめくように緑が顔を出す様に日々見とれている。本当なら間引きしたり温かいところに移したりするんだろうが、詳しくないので見とれたり食べたりして放っておいている。その位のスタンスで庭に付き合う方が居心地がいい。
摘まむとパセリは儚いほどの柔らかさと、生命力を感じさせる弾力性を合わせ持っていた。飲み屋で唐揚げの横に添えてある堅く丸まったパセリとはまったく違う。まあイタリアンパセリとパセリは違うものなんだけど。
 
夫と初めて飲みに行ったのは高円寺の居酒屋だった。
「居酒屋じゃ、パセリは、使いまわしたりするんだよ」
料理の横に添えてあったパセリを見て、彼は言った。
「ふうん」と言ってわたしはそのパセリを食べた。
それから彼はパセリについて多くを語らない。パセリについて多くを語る人なんてそうはいないとは思うけど。
「ふうん」というのは「不運」の変換前だと言ったのは森博嗣の小説『すべてはFになる』(講談社)から始まるS&Mシリーズの犀川教授だ。しかし、わたしの「ふうん」はまだ変換されていない。おしくらまんじゅうのようにして育っているイタリアンパセリは不運を感じているだろうか。食べられずに捨てられる料理に添えられたパセリよりはずっと幸せそうに見える。

小人さんの手よりも小さな本葉 霜が降りないうちにたくさん食べよう

拍手

ウキウキお好み焼き

久しぶりにホットプレートを出し、昨夜はお好み焼きを焼いた。
夫は初めて会った時からお好み焼きが好きだった。最初に暮らした大田区東雪谷の最寄駅石川台には美味しいお好み焼き屋があり、ふたりで何度も食べに行った。子どもが生まれてからはホットプレートでよく焼いた。豚とシーフードを混ぜて焼くスタンダード版から、豚キムチ味、広島風に凝る時期もあったりと我が家の味は変化に変化を重ねてきた。今は雑誌danchuの特集に載っていたレシピが我が家の味だ。キャベツの切り方が特徴で千切りではなく1cm角のざく切りにする。それで食感がまったく変わってくる。豚バラ肉の薄切りを上に乗せてひっくり返しそれをカリカリに焼く。キャベツザクザク、豚バラカリカリ。生地はとろーり。食感重視お好み焼きだ。このスタイルに変えてから混ぜるのも食卓で夫がやるようになった。
「スプーンを突き刺すようにカンカン音を立てて混ぜるのがコツ」と夫はうれしそうに混ぜる。バーベキューも好きだが鍋もお好み焼きもおなじくで、みんな一緒に食卓で何かを囲むことからして好きなのだ。
昨夜は新たな挑戦もしてみた。夫の提案で初めてみじん切りの蒟蒻を入れてみたのだ。ザクザク、カリカリ、とろーりに透明感がプラスされた感じで成功だった。我が家のお好み焼きの歴史はまだまだ進化の途中かも。
 
もうひとつ我が家の特徴としては、お好み焼きに限って絶対にわたしはひっくり返さないというルールがある。わたしは家族一お好み焼きをひっくり返すのが下手なのだ。何故か。それはやらないから。
「お母さんはできないから」とずっと子ども達に振ってきた。お好み焼きの時にはわたしはお客様。結果子ども達はみんなわたしよりずっと上手にお好み焼きを焼き、ひっくり返し、切り分けて、それぞれの皿に取り分けてくれるようになった。「お母さんは下手だもんねー」と得意そうにひっくり返してくれるので、具材を用意すれば放っておいてもお好み焼きは焼き上がる。なので夕飯がお好み焼きと決まればウキウキする。ウキウキお好み焼きだ。昨夜も夫と娘で焼いてくれた。
「サラダ油持ってくる前にビール持ってくる人は珍しい」と夫に言われたが、
焼かないわたしはクールに冷えたビールをまず用意するのだ。

お好み焼きにしろ何にしろ作ってもらって食べるのはうれしいことです

拍手

決め手のスパイス

買い物から帰ると薪ストーブに火が入っていた。雨で冷え込んだ夕方、夫が焚いてくれたのだ。薪ストーブに火が入ったのは今シーズン初めて。
「あ、うれしい」口をついて言葉が出た。
家に帰って薪ストーブの火がついている。それだけのことだがしみじみ幸せを感じた。
幸せを感じつつ、大根と鶏肉を煮て、神戸の叔父から送っていただいた丹波の黒大豆の枝豆を茹で、鰹の土佐造りのニンニクと玉葱を刻み、熱燗をつけた。煮物はこっくりと煮えていて、枝豆は香ばしく、鰹はニンニクが程よく効いていて、上出来の夕食だった。ふと思った。決め手のスパイスが効いたなと。同じ料理をしてもその時々の料理する人の気持ちで、味はたぶん変わってくる。それが決め手のスパイスになるんじゃないかなとわたしは考えている。
 
ほんの小さなことで人の気持ちは変わる。ストーブが温かく燃えていてうれしくなったり、冷たい言葉を投げかけられれば傷ついた気分になったり、Let it beを聴いて泣きたい気持ちになることもあれば、ただ空が晴れてるだけで心が澄んでいく時もある。
 
薪ストーブの火を見ながら大根を食べて考えた。どんな気持ちであれ、そんなふうに感じる心を持ち続けていたいなと。そして、決め手のスパイスが効いた美味しい料理を作って食べたいなと。

丹波黒大豆の枝豆は今が旬 普通の枝豆よりも長く12分茹でます 
茹でただけなのに香ばしい味が広がりました


拍手

初おでん

昨夜は、今シーズン初おでんにした。夫が帰ってくるので午前中から買い物に行き、浮き浮きとおでんを煮た。そしてまた、あーやっぱり、という落とし穴に落ちた。はんぺんを買い忘れた。
いくつかの材料を揃えなくてはならない時に陥る穴だ。お好み焼きでキャベツを忘れたり、寄せ鍋で春菊を忘れたり、酷い時にはジャーマンポテトのじゃが芋を忘れたりする。はんぺんくらいなくてもいいじゃないかって? 今回致命的なのは、はんぺんが娘の大好物だというところにある。
「もう1回行くか」
1時間おでんを煮た頃には気持ちも切り替わった。木曜はスーパーのポイント5倍ディ。買い置きできるものはバンバン買ってポイントを貯めよう。ドッグフードも重たいけど2袋買おう。おーっ! と意気込んでふたたび買い物に出かけた。そしてドッグフードを2袋乗せたカートごと段差でひっくり返り転んだ。転んでひざをしこたま打った。痛みはどうでもいいけどかっこ悪い。いくらポイント5倍ディだからといって自分の能力以上のことをしようとしてはいけないのだ。あきらかに買い忘れの分を取り戻そうなどと考えたのが敗因だ。
 
「今日はんぺん買い忘れちゃってさ」
駅に迎えに行った車中、娘に言うと困惑した顔でわたしの目を見た。
「買いに、行きました」と、娘の真剣さに押され丁寧語で返す。
「よかったぁ。はんぺんがないおでんなんて、おでんじゃないもんね」
わたしは、内心買いに行ってよかったとホッとした。そして転んだことを話すと、彼女は「だいじょうぶ?」と優しく心配してくれた。やっぱり買いに行ってよかった。はんぺんを笑う者ははんぺんに泣くのだ。
しかし夫に話すと大笑いして「かっこわりー」と3回言い「どんくさい」と2回言った。いつか仕返ししてやる。
3時間煮込んだ初おでんは、苦労の甲斐あってとびきり美味しかった。

はんぺんは食べる5分前に入れます
つーんとくるほど辛子をたっぷりつけて食べるのが好きです

拍手

お湯呑み大好き

久しぶりに『京mono』に行った。隣の韮崎市にあるお気に入りの雑貨屋だ。食料品の買い物のついでに寄れる場所にあるので、気が向くとふらりと立ち寄る。4~5回冷やかして1回買うくらいのペース。値段もお手頃のものを選ぶ。上得意とは言えない客だ。
焼き物は様々な地方の何人かの陶芸作家作品が置いてあり、鉄細工や染め物などは東南アジアに買い付けに行くと言う。着物や帯、暖簾など京都の物ももちろん多く、ガラスの器や木製のスプーンや椰子の実のボタンなど不思議な物がいろいろ置いてある。
わたしのお目当ては、焼き物。特に湯呑み茶わんかマグカップを買うことが多い。毎日飲むお茶の器にはこだわりたいし楽しみたい。珈琲も同じくだ。なので『京mono』に限らず何処へ行ってもお湯呑みとマグはチェックする。金額は余程のことがない限り3千円台までと決めていて、大きさも来客時にいくつか一緒に出す時にバランスがいいように同じくらいの物を選ぶ。デザインはその時々の気分でまちまちだ。
朝食の時、夫とふたりで飲むお茶のお湯呑みも、その日の気分で決める。ふたつの器のバランスや最近どれを使ったかなど考えつつ、忙しい朝に選ぶのも楽しい。たまに夫がお茶を入れてくれた時に、わたしが選ばないペアを選んだりしていて驚かされるのもまた楽しい。お客さんが来た時に、誰にこれで誰にこれ、など考えながらお茶を入れるのも楽しい。
そうして少しずつお湯呑みとマグが増えていく。それがとても楽しい。

購入した新人くんは右から2番目の黒っぽいもの 2,100円也
隣の白地に赤青黄の模様が入ったお湯呑みは
京都は北野天満宮近くの雑貨屋で3年前娘達と旅行した際に見つけたもの

拍手

マイブームは簡単混ぜ寿司

新米が来てから、ひとりのお昼はご飯が多い。簡単混ぜ寿司がマイブームだ。冷蔵庫に入れておいた残りご飯をレンジでチンして寿司酢をかけ、刻んだ茗荷や生姜あれば紫蘇や三つ葉、それに山椒の実の水煮を混ぜて、はいできあがり。酢飯にしても、もちもち感たっぷりで新米ならではの味に仕上がる。海苔をかけたり巻いたりしてもいいし、残り物のおかずなどがない日も量を増やせば1品だけで満腹になる。自己主張の強い薬味になる野菜ばかりだが酢飯に混ぜると手をつないで仲良くしてくれる。ちりめんを入れても美味しそうだな。
 
ところで庭に山椒の木が2本ある。越して来た頃に、その辺りの森に生えていた苗を移植したものだ。ほったらかしの森から山椒の小さな苗をいただいたくらいであれこれ言う地主さんはいないので「いただきます」と森に挨拶し、いただいてきた。それから12年が経つ。春には木の芽を筍ご飯や煮物などに飾ったりして風味を楽しんだ。自己主張の強い野菜大好きなわたしは、毎年味噌汁の薬味にまでしてたくさん食べている。しかし木の芽の時期は短くすぐに葉は成長し堅くなる。実はならないかと思いつつ過ごした10年目、山椒はようやく実をつけた。今年はネットでレシピを調べ、ふたりで実をとり夫が小女子と合わせて佃煮を作った。
今手元にあるのは買ったものだが、山椒の実があるだけで何でもない煮物が特別な料理に変身する。大好きな食材のひとつだ。
それにしても植物ってすごい。放っておいても根を張り葉を広げ花を咲かせ実をつける。特に我が家ではまめに水をあげたりする人はいないので植物ですら弱肉強食だ。強いものだけが生き残っている。山椒の木よ、生き残ってくれてありがとう。そしてこれからも強く生きてくれ。
(注)ほったらかしの庭だからって苗は勝手に持って行かないでください。

大ぶりの茶碗によそって 山椒は食べ終えた後舌がしびれるくらいたっぷりと

拍手

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
Template by repe