はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』

本というものは、おもしろいもので、作者の意図とは無関係に、読み手のその時の状況や心持ちなどが、知らず知らず映されてしまうものである。
江國香織『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』(朝日新聞出版)を、読んでいて、久しぶりに新しい江國作品を読んだ訳なのだが、読み始めた時には感じなかったものが、ある瞬間から文章や行間に、強く感じられるようになった。

このところ、失敗続きで落ち込んでいた。切り立った崖の淵を歩いているかの如く、あと一歩踏み外してしまえば落ちるところまで落ちるのだろうと、自分を傍観する日々に疲弊し、そうなると、もう何もかもが上手くいかなくなる。

そんな気分でページを開くと、やはりバランスを崩し、もう立っていることだけで精いっぱいであろう登場人物達の不安が、さらに自分のもののように思えてくるのだろうと思っていた。だが、予想は、全く外れた。
結婚後、他の女と恋愛を続ける耕作も、それを知りつつ別れることができない奈緒も、テレビに大声で話しかける燐家の住人、倫子も、耕作の恋人、真雪も、みな、あふれるほどの不安を抱えているにもかかわらず、常に「確信」に満ちているのだ。バランスなど崩しようもなく、しっかりと自分を見つめて立っている。その強さが、自分の心の在り方によってか、突然、際立って見えるようになった。それは、登場人物達のと言うより、作者の強さだと感じる。
「悩み苦しむことさえ、確信に満ちているんだよなぁ。江國香織は」
そうつぶやきつつも、もちろん、読み進めるのをやめることはできない。

主人公の姉弟は、7歳と5歳。育美と拓人だ。拓人は言葉こそ遅れていたが、小さな生き物達の声を聴くことができた。大人達の不穏な空気を感じることも、時には心の声を聴いてしまうこともあった。以下本文から。

たくとはただうけとめる。めやみみやはなよりもむしろ、はだのけあなやかみのけをつかって。するといっぺんにいろいろなことがわかる。あついとか、たのしい(たくとがなのか、むしたちがなのか、にわがなのかは、くべつがつかないが)とか、たのしくない(だれがかは、やはりはんだんができない)とか、いたいとか、いたくないとか、ねむいとか、ねむくないとか、どこへいくとちゅうとか、ここにいるとか、あちこちでなにかがゆれたりおちたりうごいたりせいししたりしていて、たくとはそのぜんぶがいっぺんにわかるのに、わかるのはあたりまえだからわかるというかんじがしない。わかるのではなく、あるとかんじる。いろいろなものがただある、あるいはいる、というふうに。

拓人視点の文章は、ひらかなで綴られている。視点はくるくる変わる。奈緒。育美。耕作。倫子。真雪。ピアノ教師の千波。その母、志乃。墓地で働く男、児島。そして、最後にほんの少しだけ、育美と拓人が成人した後のことが、かかれている。
小さな生き物達が大好きなわたしには、拓人と話すヤモリや蛙(葉っぱ、という名を育美がつけた)や蝶が、ことさら可愛らしく思えた。

美しい装幀の本です。春を感じます。カバーをとった中身も味があります。
そして、何と言っても栞の淡い色に、魅かれました。

蛙の「葉っぱ」金箔押しになっていました。

ヤモリの「やもりん」やもりは性格がいい、とは、育美と拓人。

シジミチョウは、ひとりで行動しないのか、とは、拓人。

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水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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