はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」21. ユウちゃんの鼻歌

バイトのユウちゃんが鼻歌を歌っている。一見楽しそうに見えるが、そうではない。彼女はつらい時に鼻歌を歌う。3年一緒に仕事をすると、おたがいいろいろなことがわかってくる。彼女のそんな癖も僕は知っている。
「失恋しちゃいました」
笑って報告してくれたのは、一週間前。2年ほど付き合っていた彼はミュージシャンの卵で、アメリカに渡って修行を積むという。
「ついて行くって、言えませんでした。わたし」
それからも、笑顔で休まずバイトに来てくれている。
ユウちゃんには、ネット販売の豆の発送全般を頼んでいるので、水曜と木曜、そして土日と顔を合わせる機会も多い。
店で流している音楽にかき消されるほどの小さな鼻歌は、仕事の邪魔にはならない。彼女の明るい性格を知っている常連さんも多いし、初めてのお客様にだって楽しそうに働いてるようにしか見えないだろう。
しかし見ているのがつらい。そして僕には何もできない。客足が途絶えた時に、パソコンを開いて仕事する彼女のリクエストを聞き、心をこめて珈琲を淹れる。できることはそれくらいだ。
「美味しい。マスターの淹れた珈琲、ほんと美味しいなぁ」
妻の口癖を真似て、ユウちゃんは笑った。だがすぐにふっと淋しそうな顔になる。2年前、お母さんを亡くした時にもこんな風だったと思い出す。何故歌を? と、あの時には思った。しかし大学で思うようにいかず留年が決まった時に、鼻歌を歌う彼女を見て、僕は腑に落ちた。つらい気持ちを追い払うために歌っているのだと。
 
「ちわー」その時、ドアを開けたのは土日のバイト、ジュンだった。
「平日に珍しいな」ジュンは、カウンターに座った。
「はい。たまにはマスターの珈琲をゆっくり味わおうと思って」
ジュンは手を上げて、ユウちゃんに挨拶した。彼女の方が確か2つ年上だが、歳など関係なく二人はけっこう仲良くやっている。
「ユウちゃんとおなじのを」
「酸味の効いた浅煎りのエチオピアだよ?」「はい。お願いします」
「苦みもしっかり味わえるのが、好きなんじゃなかったっけ?」
ユウちゃんが仕事の手を休め、ジュンに水を出した。その途端だった。ジュンは唐突に立ち上がり、ユウちゃんをまっすぐ見た。
「僕と、付き合ってください」
ユウちゃんは、驚いた顔で何故か僕を見た。そして笑顔になった。笑顔と言うより苦笑に近い。でも作ったわけじゃない本当の笑顔。
「ごめんなさい。付き合えない」ユウちゃんは、深く礼をした。
「でも、ありがとう。嬉しかった」
ジュンは、力が抜けたようにがっくりと座った。
「あー、やっぱりダメかぁ。じゃあ、僕の失恋記念に映画だけ、付き合ってください」
ユウちゃんは、また困ったように僕を見て笑う。苦笑と言うより、今度は少し嬉しそうにも見えた。
「いいよ。映画、観に行こう」「やった!」
その後、ふたりが付き合っている様子はないが、ユウちゃんは鼻歌を歌わなくなった。がんばれ! ジュン。

時にはゆったりした心持ちで過ごしたい。古いレコードでも聴きながら。
そんな時には「カフェ・ド・C」へどうぞ。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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