はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 26. 何処までも広がる波紋

珈琲屋のカウンターに居ると、初対面のお客様から、個人的で深刻な話を突然聞かされる場合がある。知らない人だからこそ、ちょっとした愚痴を装い、しかし本当は切羽詰ったどうしようもない悩み事を誰かに聞いてもらいたくて、口にするということもあるのだ。
「死んじゃいたいなぁって思ったことありますか?」
突然切り出したのは、まだ若い女の子だった。二十代前半という雰囲気だ。
「うーん、そうですねぇ。うん。あるなぁ。中学の時にね」
こういう時に心がけているのは、誠実に相手の話を聞き、こちらも嘘偽りなく話をすることだ。
「2年の冬、急に背が伸びたんだ」「それで、死にたいなぁって?」
「いやいや。体操着の袖がつんつるてんになっちゃって、ジャージの裾も。それがかっこ悪くて。新しい体操着を買ってほしいって親に言ったんだけど、春に3年の子にお下がりをもらう約束だからって、買ってくれなかったんだ」
彼女は、ようやくカプチーノに口をつけた。
「それが体育委員だったもんだから、全校生徒の前でラジオ体操の見本やらされることになっちゃって」
「それで、どうしたんですか?」「どうしたと思う?」
「休んじゃったとか?」「いや。脱いだんだ」「脱いだ?」
「上着もジャージも脱いで、半袖半ズボンで体操した。折しも雪が舞う最低気温を記録した日だったよ」
「寒そう!」「もうね、寒いとか感じないんだよ。でも今考えると、それはそれで、かっこ悪いのに変わりはなかったよなぁって思うんだよね」
彼女は、ようやく笑顔を見せた。
「かっこ、優先なんですね」「あの頃はね。そんなことで何もかもから逃げたいって思うなんて、今じゃ考えられないけど」
カプチーノを飲み干して、彼女は話し始めた。勤め始めてもうすぐ1年になる会社で、役に立たない、ダメな奴だと言われ続けていること。家族に話すと、いい加減に慣れてもいい頃なのにと返って叱られること。友人達は、就職難に就職できただけでラッキーなんだから辞めるなと言うばかりだということ。
「それは、つらいね」
僕はそれ以上は何も言えず、あとはただ聞いていた。気持ちが八方ふさがりになっているんだなと思いつつ。
「わたしも、脱ごうかな」
会計の時に、彼女はちょっと笑って言った。

それからしばらくして、駅前のコンビニでバイトする彼女を見かけた。
「会社の制服……、脱いだんだ」
もしかしたら僕は、彼女の未来が広がる湖に、石を投げてしまったかもしれない。波紋は何処までも広がっていくかもしれない。その責任を取れるほど、僕は大きくはない。だが、自分に正直に話をすることが、今彼女のために自分ができる唯一のことだったと思いたいし、今も思っている。

カプチーノはソーサー付きで、シナモンスティックをつけて出しています。
温まりたい人がオーダーすることが多いようですね。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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