はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 6.デキアイ

 自分も珈琲屋だが、よく行く珈琲屋がある。
 おやじが頑固で、出場所のはっきりした、一年以内の珈琲豆しか扱わず、もちろん自家焙煎している。そのおやじに教わって始めたカフェ・ド・Cも、この夏で七年目に入った。それでもふいに、おやじの淹れた珈琲が飲みたくなる時がある。悔しいが美味い。
「ヘーちゃんの淹れた珈琲は美味しいねぇ」
 妻は、心から言ってくれる。しかし、おやじの珈琲には、かなわない。豆の配達のついでに、つい立ち寄ってしまう。
「タンザニアの浅煎りを」
「いつまでたっても、浅煎りが好みだねぇ」
 おやじは、僕が苦い珈琲より浅煎りの酸味の効いたものが好きだと知っている。苦みもしっかりと味わえなくては真の珈琲通とは呼べないと、師匠としては嘆いているわけだ。しかし、今日のおやじは、あきらかに機嫌が悪かった。
「まったくどいつもこいつも、浅煎り好みじゃ、珈琲屋なんぞやっててもおもしろくもない」
 イライラした口調で、普段言わないことまで吐き捨てるように言う。さすがに、これにはムッとした。そんなタイミングで妻からの電話が鳴った。
「ごめん。今日急な残業が入っちゃって、夕飯作る時間なさそうなの。八時過ぎには帰れると思うけど何か出来合いのお惣菜でも買っておいてくれない?」
 いいよ、という言葉はかすれ、不機嫌な声になった。不機嫌は伝染する。電話を切って軽い後悔を覚えた。
 そのとき、カウベルを鳴らし、ドアが開いた。よくここで、仕事をしている関西弁の女性コピーライターだ。
「おやっさん。アッちゃん、結婚するんやて? おめでとうさん。あ、タンザニアの浅煎りで」
 後ろ姿でミルを挽くおやじが、舌打ちしたのがわかった。
「おやじさん、めでたい話じゃないか!」
 不機嫌の理由がわかり、僕は思わず笑いだしていた。アッちゃんというのは、言うまでもなくおやじの娘だ。短大を卒業するまで、ここの看板娘だった、おやじの溺愛するひとり娘。
「何笑ってんだよ。めでたくねぇよ。まだ二十五だぞ」
 真顔で言うおやじに、僕の笑いはとまらなくなり店じゅうに伝染していった。
 さて、夕飯は出来合いで。僕は溺愛という言葉を思い浮かべながら、七時に店を閉め、スーパーへと向った。カートを軽やかに押しながら、夕食を選ぶ。イタリア風チキンのあぶり焼き、おくらと山芋のサラダ、トマトとモツァレラチーズ、蛸の刺身。奮発して、いつもは買わない値段の赤ワインまで買った。
「どうしたの、これ?」
 帰宅した妻が目を丸くしたのは、言うまでもない。僕は、ワインのコルクをゆっくりと抜きながら言った。
「おつかれさま。デキアイにしたよ」


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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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