はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 10. 幸せについての不本意な敗北

店の片隅に小さな本棚を置いている。
カフェ・ド・Cを始めた頃には、珈琲読本など僕自身の参考書のようなものが多かったが、七年もたつと様変わりしたのがわかる。常連のお客さんオススメの読み終えた推理小説。時間がたった忘れ物の分厚い純文学。妻が一時期ハマったイタリアンレシピの料理本。そしてマダムが置いていく猫の写真集。
そこに最近、絵本が加わった。バイトのユウちゃんが小学校の美術教師志望で、気に入った絵本を置いていく。生まれたばかりの僕の娘のためだと、わかりやすすぎる素直さが彼女の取り柄でもある。
「読んでもらいたい誰かがいるってことが、絵本選びにはものすごく重要だってわかりました。もしかしたら、絵を描くことにも通じてるかも」
その言い方に迷いがあるように感じて、僕は言った。
「先生じゃない道も考えてるの?」
ユウちゃんは、うれしそうにため息をついた。
「わかりますか? シュウちゃん見たら、何も極めていない自分が絵を教えられるとは思えなくなって」
娘には「集」と言う名をつけた。集う、と言う意味だ。笑顔を見せるようになった集は、本当にかわいい。
「大抵の大人だって、何も極めちゃいないさ。僕だって珈琲を極められるかなんてわからない」
不安なのは、大人も子供も若者も、みんな同じなのだと今ならわかる。集が生まれ、もし妻が仕事を辞めなくてはならなくなったら、この店だけで暮らしていけるのか考えた。珈琲を極めるどころか、利益重視の商売をしなくちゃならない。しかし、産休明けに仕事に復帰した妻は言った。
「珈琲の味が落ちたら、別れるから。集はわたしが育てます」
脅迫だ。その脅迫にはマダムも加担している。
「集のことはわたしに任せて、二人とも今まで通り仕事に専念してね」
妻は去年大きなプロジェクトを任されて成功し、今年もまたそのクライアントからの仕事が来たそうだ。育休を取るという選択肢さえ彼女にはなかった。
「何、弱気なこと言ってるんですか。心強い女性陣がついてるのに」
ユウちゃんの言う通りだ。
「ほんと、幸せだと思ってる」
口をついて出た言葉に、ユウちゃんがぱっと笑顔になった。
「やった!」「何?」
「マスター、幸せな時には幸せだって言わなくちゃ。幸せは口に出しても逃げてなんかいきませんよ」
ユウちゃんはICレコーダーを見せた。妻がいつも仕事で使っているものだ。
「ほんと、幸せだと思ってる」
僕の声がリピートした。不本意ながら本当に幸せそうな声だった。
カフェ・ド・Cの本棚に飾られた(?)フォトフレーム
常連客がイタリア旅行で撮ったイタリアの風景

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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