はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 19. ふくらむ、ふくらむ

珈琲屋をやっていて何が楽しいのかと聞かれれば、一番に思い浮かぶのは、ふくらんでいく珈琲だ。挽いた豆をドリッパーにセットし、沸かした湯を注ぐ。最初に注いだ分は、珈琲全体に広がっていく。しばしの間、それを待つ。豆が新鮮であればあるほど、珈琲は水分を吸収しながらふくらんでいく。そのふくらんでいく珈琲を見るのが、好きなのだ。
「なんて言うか、わくわくするんだよね」
出会った頃に妻に話すと、不思議そうな顔をされた。
「うーん。なんて言うか、マスターって変わってるね」
変わっていようが何だろうが、わくわくするのは、今も変わらない。珈琲豆がふくらむ。だから毎日が楽しい。
蕾がふくらむ。風船がふくらむ。夢がふくらむ。ふくらむものを見て、わくわくするのは、ちっとも変ったことじゃないと僕は思うのだが。
 
閉店間際、洋菓子シエナのシエナがドアを開けた。マドレーヌを仕入れている洋菓子屋のレイさんは、娘と店と両方にイタリアの美しい街の名前をつけた。
「ふくらまなかったよー」
袋から出したシフォンケーキは、確かにつぶれたように見える。
「どれどれ」僕は一口ちぎって口に入れた。アールグレイの香りが広がる。失敗作とは言え美味い。
「美味いよ」「わかってるよ。ふくらまないのが問題なんだよ」
シエナは口を尖らせた。サッカーばかりしているシエナにも、最近ボーイフレンドができ、自分で焼いたケーキをプレゼントしようなどいう乙女心が芽生えたようだ。一つ年下の写真部の少年は、ボールを蹴るシエナを撮らせてほしいと言ってきたという。その失敗作と愚痴は、僕が引き受けているという訳だ。
「で、パティシエ・レイは、何て?」
「力任せに混ぜすぎだって。お菓子作りには力もいるけど、繊細さがポイントだってさ。あー、どうせガサツだよー」
「なるほど。きびしい先生だな」
くるくる変わるシエナの表情に、被写体としてもガールフレンドとしても魅力的なんだろうなと思う。
「そうだ、シエナ。珈琲淹れるの見てみない?」「どうしたの? 突然」
「いいから見てみなって。ケーキがふくらむおまじないだよ」
僕は、一番新しい豆を挽き、ドリーッパーにセットした。沸かした湯を注ぐ。注いで待つ。
「わっ、ふくらんだ!」シエナが声を上げた。
「なんかわくわくするね、へーちゃん」
「わくわくするよね?」僕もうれしくなる。
「うん。シフォンケーキもふくらむような気がしてきた」
ふくらむ、ふくらむ。しぼんでいたシエナの気持ちがふくらんでいくのを感じながら、僕はふくらんだ珈琲に丁寧に湯を注いでいった。

シエナはグァテマラの中煎りをブラックで美味しそうに飲んだ
17歳 いつの間にブラックの美味しさを知ったのだろう

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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