はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『人質の朗読会』

小川洋子の連作短編小説『人質の朗読会』(中公文庫)を、読んだ。
遠い国で反政府ゲリラの攻撃にあい、人質に取られた8人の日本人旅行者達。その後爆破され亡くなった彼らがそこで行った8つの朗読と、人質救出作戦を実行した政府軍兵士の朗読ひとつが収められている。以下プロローグから。

今自分たちに必要なのはじっと考えることと、耳を澄ませることだ。それも考えるのは、いつになったら解放されるのかという未来じゃない。自分のなかにしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ。それをそっと取り出し、掌で温め、言葉の舟にのせる。その舟が立てる水音に耳を澄ませる。なじみ深い場所からあまりにも遠く隔てられた、冷たい石造りの、ろうそくの灯りしかない廃屋に、自分たちの声を響かせる。そういう自分たちを、犯人でさえも邪魔はできないはずだ。

たとえば、偏屈な大家さんとアルファベットビスケットを並べて食べた女性の記憶。『やまびこビスケット』から。

大家さんは上棒がとれたFを食べ、真っ二つに割れたVの片割れを食べ、生焼けのeを口に運び、それらが上顎に張り付いてくると、牛乳を飲んだ。食欲がないという割には、入れ歯を軽快に鳴らして美味しそうに食べた。
「私は子どもの頃、このアルファベットシリーズを並べて、いろいろ言葉を作って遊んでいました」「ほう」
顔を上げた大家さんの口元には、牛乳の膜がくっついていた。
「例えば、自分の名前とか、好きな男の子のあだ名とか・・・。大家さんの名前も並べてあげますよ」「やめてよ、恥ずかしいから」
意外にも本気で恥ずかしがった大家さんは、Rの輪に小指の先を突っ込んだり引っ込めたりした。
「では、一番お好きな言葉を」「それならもちろん」
ぐいと顎を持ち上げ、誰かに向かって自慢するように大家さんは言った。
「整理整頓だよ」

8人が人生のなかでとどめていた記憶は、他人から見たら大事件と言えるようなことではなくささやかなと形容しても可笑しくない、しかし彼ら自身のなかでは決して色あせることのない一場面だった。今日を生きるための記憶、そういうものが人のなかにはあるのだと、この小説から教えられた。

年下の友人にいただいたマッシュノートのペンと一緒に。
解説は、ドラマ化でナビゲーター役を演じた佐藤隆太です。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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