はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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『最後のコイン』のなかに見た悪意

朝日新聞『天声人語』に、少なくなった公衆電話が見直されているという内容が、かかれていた。(1月30日掲載)震災などが起こった時に、ケータイの電波がダウンし、公衆電話の方が繋がりやすい場合も起こり得るという。
「活躍の日が来ないことを祈れば、箱形の電話機がどこか、お地蔵様に思えてくる」との結びが印象的な文章だった。

そのなかに「『最後のコイン』は70年代から携帯電話普及までが、言葉としての旬だった」という文章があり、
♪ 最後のコインが今落ちたから、今までのすべてがあと3分ね ♪
という、さだまさしの『加速度』が引用されていた。
わたし達の世代なら、多くの人が実際に経験した『最後のコイン』
それは、懐かしくもほろ苦い思い出のなかにある。

だがわたしはそれを読み、あまり愉快ではない記憶が不意に甦った。
彼女のことは、中学だったか高校だったか同じクラスだったか違ったか、名前どころか顔も思い出せない。出来事のみが、わたしのなかに残っている。
ある日、廊下ですれ違った時に、彼女が困り顔で近寄って来て言ったのだ。
「電話かけたいんだけど、お金持ってなくて。10円貸してくれない?」
「いいよ」わたしは、すぐに財布から10円玉を取り出し、手渡した。
「ありがとう」彼女は、満面の笑みで礼を言った。
しかしその後、何日経っても彼女は10円を返そうとしなかった。廊下などですれ違うと、笑顔で挨拶を交わしているにもかかわらず。
1週間経って、わたしは痺れを切らし催促した。
「10円、貸したよね。返して」
すると、彼女は満面の笑みのなかに悪意を忍ばせ、言った。
「えっ? 借りてないよ。証拠とかあるの?」
返す言葉もなかった。あるいはそれが、千円だったら喧嘩にもなったかもしれない。だが、10円玉1個であれこれ言うなどとは、自分の方が卑しい様な気分にもなり、まぁいっかと、忘れることにしてしまった。それでも、こうも思ったものだ。人の悪意というものは、こうして10円くらいと思う心理を利用し、堂々と歩いていくものなのだと。後に、彼女に貸したお金は返ってこないのだと、噂で聞くこととなる。
あの時の彼女は今も、小さな悪意を育てつつ生きているのだろうか。わたしにはもう、知る由もないが、悪意をポケットに入れて生きるより、そんなものどっかに捨てちゃってさぁ、心の底から笑って生きていこうよと、今度、廊下ですれ違った折には、言ってあげたいなと、ふと思った。

町内にいくつ、公衆電話が残ってるのかな。もしかしたら、これ一つ?
多分一番使われている、明野中学校前の公衆電話。

えっ? 今、音量とか調節できるの?

公衆電話から見た、明野中学校越しの八ヶ岳。

公衆電話から見える、二宮少年。 相変わらず読書してるんだねぇ。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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