はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 1. 幸せについての不一致

「カフェ・ド・CのCって、なんの頭文字ですか?」
 きょうも店で、聞かれた。
「いや単に名字からとっただけで」
 その答えに、大概の人は落胆した顔をする。僕の名字は、茅野だ。
「うそでもいいから、チャンスのCですとか、答えればいいのに」
 妻は、そう言うが、それはまんざら、うそでもない。本当は、contentのCだ。コントン。フランス語で幸せ。小さな縁であれ、店に立ち寄ったすべての人に、幸せが訪れますようにとつけた名だ。こんとんは日本語では、カオスという意味になる。宇宙ができる前の塵みたいなもの。それが、カオス。混沌だ。この小さなスペースのなかで、ふれあう人と人。それは、宇宙ができる前の塵のように思える。ここから小さな宇宙ができればいい。そんな願いもこめている。
店の客だった妻にも、以前、名字からとった名だと答えた。だから彼女も知らない。僕は彼女にも本当のことは言わない。本音を言えば、言えないのだ。口に出すのがこわいから。
「幸せは、口に出すと逃げるんだ」
 子どもの頃に、父にきいただけのその言葉にしばられて、僕は、幸せだと口にしない。父は、その後母と別れ、再婚して田舎暮らしを楽しんでいる。ただ、気まぐれで言っただけだったのかもしれないが、子ども心に、離婚の原因は、父が幸せだと口にしたせいなんじゃないかと感じていた。母は今、猫五匹と隣町で楽しそうに暮らしている。
「幸せだなぁ」
 しかし、妻は、毎日のように言う。僕はそのたびにドキッとする。
「きょうも美味しくビールが飲める幸せ」
 僕の思いなど知らず、妻は、呑気に繰り返す。
「カレーのじゃがいもが、煮くずれなかった幸せ」
 僕の顔をのぞきこんで、さらに言う。
「あなたと一緒に、ご飯が食べられる幸せ」
彼女は口に出し、僕は口に出さない。
「だって、口に出さないと、逃げちゃうんだよ、幸せって。子どもの頃、お母さんに教わったんだ」
 いつか、彼女が言っていた。口に出さない僕に対して、不満はあるのかもしれないが、その分彼女が言ってくれている。
 バランスは保たれ、僕らの幸せは、どうにか逃げ出さずにいる。
「美味いなぁ」
 ぼくは、ビールを飲み、カレーを食べて、ただ笑った。


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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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