はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
[1]  [2

舞台『アヒルと鴨のコインロッカー』

伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間と芝居を観に行った。
伊坂原作の舞台『アヒルと鴨のコインロッカー』だ。

場面は、椎名が河崎と本屋に向かう車のなかから始まった。
「一緒に、本屋を襲わないか?」
椎名は、大学生活を始めるためアパートに越してきたその日、隣人である河崎という男に誘われた。元気がない外国人の友人のために広辞苑を盗もうという計画だ。何も盗まなくても、と口ごもる椎名に河崎は言う。
「シャローンとマーロンの話を知っているか?」
河崎は、話し始めた。
「シャローンは、煉瓦色のアパートの5階に恋人のマーロンと住んでいた。シャローンは部屋の窓から外を見下ろすのが好きだった。いつもマーロンが帰ってくるのをそこから見ていた。ある雨の日、シャローンは窓から顔を出していると、下に子猫がいることに気がついたんだ。ずぶ濡れの子猫だ。シャローンは、マーロンにこう言った。『あそこで濡れている子猫が欲しい。ここから見える、あの雨に濡れたかわいそうな子猫が』マーロンは、すぐに部屋を飛び出した。そして猫を抱えて戻り、びしょびしょの猫を綺麗に拭いてシャローンに手渡した。ところがシャローンは怒った。『わたしが欲しかったのは、ここから見た雨に濡れた可愛そうな子猫よ。今ここにいるのは、あなたに抱かれた濡れていない可愛い子猫でしょ。わたしの欲しかったものじゃない』そうして二人は別れ、マーロンは子猫と仲良く暮らしましたとさ」
訳が判らないという顔の椎名に、河崎が言う。
「シャローンにとっての猫と同じさ。俺は広辞苑をプレゼントしたい訳じゃない。本屋を襲って奪った広辞苑が欲しいんだ」

このストーリーのテーマは重い。外国人への無意識下の差別、動物虐待、宗教による考え方の違い、死と輪廻転生。その重さを受け止めながら、わくわくと楽しめる伊坂幸太郎の小説はすごいとあらためて思う。
舞台では、シャローンとマーロンの話が、歌っている訳ではないのにミュージカルのようにも感じられ、「裏口から悲劇は起こる」や「ブータン人は代用品で誤魔化すのが得意」とか、伊坂の文体そのままの洒落た文句も効いていて、やはりテーマの重さをきちんと据えたうえで、舞台だからこそ楽しめる演出になっていた。伊坂がかいたセリフが散りばめられた生の芝居は、とても人間味が感じられた。

仲間とは、久しぶりに会った。
軽くイタリアンを食べながら「アイス珈琲だと思って飲んだらコーラだったとき」(『チルドレン』)や「映画で表現されなかった小説『グラスホッパー』の好きなシーンそれぞれ」や「『重力ピエロ』と『オー!ファーザー』の映画で好演した岡田将生くんについて」など、とりとめもなくしゃべった。同じ作家が好きな仲間がいるというのは、しみじみとふつふつと楽しいものである。
そう言えば、スイカロッカーができ始めた頃「これはコインロッカーじゃない!」と彼女と熱く語ったものだったなあ。

入口に展示してあったチラシです。

中野駅から歩いて5分の『ザ・ポケット』での公演でした。

小説です。映画はもう9年も前に公開されたんだっけ。
そういや濱田岳くん、18歳だったー。

拍手

『ポテチ』

濱田岳主演の映画『ポテチ』を、観た。
公開されたときに東京まで行き観てきたので、2回目だ。何故にわざわざ?
それは、伊坂幸太郎原作作品だからに他ならない。

原作は『フィッシュストーリー』(新潮社)に収められた短編。小さなドラマだ。空き巣だが、悪人からしか金を盗まない今村忠司(濱田岳)は、困っている人を見ると放っておけない。同棲中の大西若葉(木村文乃)とも、自殺しようとしたのを助けたのがきっかけだった。そんな今村は、あることに気づき泥棒家業の傍ら探偵もする黒澤(大森南朋)に調査を依頼する。そして自分が生まれたときに病院で取り違えられたことを知った。地元のヒーロー、プロ野球選手の尾崎と。しかし彼は、それを自分の悲劇だとは捉えなかった。
以下小説本文から。

「でも、彼は、事実を知って、ショックを受けた」
「何にだと思う?」黒澤はその時だけ、自信がなさそうだった。
「俺には分からない」と口に出した。
黒澤が、人に意見を求めることなどないと思っていたから、大西は少し戸惑った。黒澤自身も戸惑っている。「たぶん」と大西は答える。一般の人たちのことは分からないが、たった一年の同棲生活の中でも、今村の性格についてはある程度、把握できているつもりだ。
「たぶん、自分の母親と血が繋がっていないことにショックを受けたんではないと思いますよ」「俺もそう思う」
「本当の母親に会いたいと思ったわけでもないと思います」
「じゃあ、何にショックを受けたんだ」
「お母さんを可哀想に思ったんじゃないですか? 『母ちゃん、本当だったら、もっと優秀な息子を持てたかもしれないのに』とか」
ああ、と黒澤が納得したように息を洩らす。「そうかもしれないな」

「つらいっす」「どうしたらいいのか分からねえよ」「訳分かんねえよ」
そう言いながら、今村がとった行動は、ひたすら、本当にただひたすら、尾崎を応援することだった。

それにしても、岳くん、売れちゃったなあ。CM出演数トップだって。
伊坂ファンにとっては、可愛がってきた子がブレイクしちゃって淋しい感がぬぐえない。『アヒルと鴨のコインロッカー』で主演したのが9年前。『ゴールデンスランバー』では、伊坂が濱田岳をモデルにしてかいた殺し屋キルオを演じるという逆輸入(?)そして『ポテチ』。岳くん、ずっと応援してるよ。

拍手

『サブマリン』

伊坂幸太郎の新刊『サブマリン』(講談社)を、読んだ。
12年前に『チルドレン』を読んでから、この日を待っていた。続編である。伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間から情報を得て、うきうき発売日だと本屋に買いに行き「明日発売です」と呆れられた(笑)

家庭裁判所の調査官、武藤と、その破天荒な上司、陣内と、犯罪を犯した少年達の物語。武藤は、無免許の19歳の少年がジョギングしていた男性を撥ね死亡させた事件を担当する。ネットで脅迫文をあちこちに送った試験観察中の15歳の少年や、陣内が以前担当していた若者、前作で人気が高かった盲目の永瀬も登場。伊坂作品ならではの、はりめぐらせた伏線をていねいに回収する技も楽しめる。以下本文から。

「おまえ、麻雀知ってるか?」
陣内さんは組んでいた足を伸ばし、まっすぐ座り直す。
「知らなくてもいいけどな、麻雀は四人でやる。でな、俺たちはな、見えない相手にずっと麻雀の勝負をしているようなもんだ。最初に十三枚の牌を配られて、それがどんなに悪くても、そいつで上がりを目指すしかない。運がいい奴はどんどんいい牌が来るだろうし、悪けりゃ、クズみたいなツモばっかりだ。ついてない、だとか、やってられるか、だとか言ってもな、途中でやめるわけにはいかねえんだ。どう考えても高得点にはならない場合もある。けどな、できるかぎり悪くない手を目指すほかないんだよ」
サックスを吹く男の姿が、僕の頭に浮かんだ。彼のはじめの手牌は良くなかったかもしれない。ただ、その中で、できる限り最高の手を作ろうとした。悪くないどころか、素晴らしい上がりに到り着いた。
「何が言いたいんですか」
「一緒に作戦を考えてやるから、俺にもその手を見せてみろ」
陣内さんは言う。
「隠して一人で考えていても限界があるんだよ」

陣内は、12年経っても変わらず少年達のなかへとまっすぐに入っていく、かっこいい大人だった。けどまあ、陣内かっこ悪い語録も一応。
担当でもないのに現場に行ったんですかと、武藤に聞かれて。
「あれかよ、あの交差点はおまえのものなのか。おまえしか行っちゃいけねえのか? 俺が行ったっていいじゃねえか」
通り魔を捕まえたとき、小学生に。
「校庭に俺の銅像を作って、と校長先生に言っておけよ」
酔って眠って、目を覚ました若者に。
「本当に良かった。五年だよ。おまえ、五年寝たきりだったんだぞ」

タイトル『サブマリン』は、水面下に潜んでいる犯罪を見つけるため、
海中に潜っていく潜水艦と、家裁の調査官をダブらせているのかな?

拍手

陽気なギャング達の教え

特急あずさを待つ時間、甲府駅で乗った上りのエスカレーターでのこと。
降り際に後方で大きな音がしたのに驚き、振り返ると男性が倒れていた。
後ろの女性がひとり、エスカレーターから降ろそうとしているのが見え、あわてて一緒に男性を抱き起そうとしたが、ずしりと重く動かない。中肉中背に見えるその身体は、見た感じの倍はあるんじゃないかと思うような重さだった。眼はあいていたが、話しかけても答えない。意識がもうろうとしているのか身体じゅうの力が抜けているようだ。
エスカレーターに乗った後方の人達は、わたしともう一人の女性とその男性をまたいで歩いていく。そうしないと通れないのは判っていたが、見たくないものを見てしまったような気持ちになる。ふたりで何とかして男性をエスカレーターから降ろし、女性にその場を任せ、わたしは駅員を呼びに走った。すぐに駆けつけた駅員が、テキパキと車椅子を手配する。わたしともう一人の女性は、ホッとして会釈を交わし、それぞれの行く先へと向かった。

それだけの出来事だったが、伊坂幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』(祥伝社)の、ワンシーンを連想するのにはじゅうぶんだった。以下本文から。

久遠が言う。
「たとえば、目の前でおばあちゃんが転んだとするでしょ。その時、急ぎの用があって、やむを得ず、通り過ぎちゃうことがあったとすると、だいたいの人は、こう思うんだ。『私はそんなに悪人じゃないんだ。今はたまたま急いでいるだけで仕方がなかったんだ』って」
「まあ、嘘じゃないだろうな」響野がうなずく。
「でも、それが他人の場合、誰かが転んだおばあちゃんを無視して、先に行っちゃったのを見るとね『あの人は冷たいんだ』と決めつける。ようするに、他人に関しては、一場面の行動を見ただけで、性格や人間性まで決めつけちゃうってことだよ。裏の事情までは考えない」
「確かにそうね。相手の事情をもっと想像してあげるべきね」
雪子もうなずく。

わたしは、あずさの待ち時間まで、間があった。もしかしたらとっさの行動にも、そんな計算が働いていたのかも知れないと、一人になった車中、ぼんやりと考えたのだった。どうか元気になっていますように。

最近の甲府駅、自販機事情。
何故かいつも準備中であきらめていたホットのほうじ茶が、昨日は
買えました。こういう小さなことに感じる幸せ、大切にしたいです。

拍手

『陽気なギャングは三つ数えろ』

ギャングが、出た!
と言っても強盗にあった訳ではない。出たのは、伊坂幸太郎の陽気なギャングシリーズの3作目だ。2作目出版は9年前になるので、ファンでさえもが青天の霹靂と、うれしい驚きが広がっている。
「どうしよう!」
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間は、苦悩していた。
「久遠に、歳を抜かれたら、もう生きていけない!」
前作では二十歳だったギャングキャラ最年少の久遠に、並々ならぬ思いを抱いているのだ。あれから9年経ち、彼女は今二十一歳の誕生日を迎えようとしている。苦悩する彼女の代わりに、先に本を開き、久遠の年齢をメールした。
「たぶん29歳。現実社会と同じだけ、年月は流れてるっぽい」
そう。ギャング達もあれから歳を重ねたのだ。

だがしかし、彼らは変わっていなかった。変わってはいなかったのだ。
久遠は、相変わらずの天才掏摸。以下本文から。

「だからといって、反射的に財布を掏ってくるのはいかがなものか」
成瀬の言葉に久遠ははっとし、少し照れる。「気づいてた?」
「何だよ、おまえ、よそ様の財布をそんなふうに盗ってきたら駄目だろうが」
「だって、僕たちの慎一くんをガミガミ叱っているのが腹立っちゃって」

成瀬も変わらず、他人の嘘が読める。以下本文から。

「六より上か?」成瀬は直截的な問いをぶつける。
「はい」と大桑が即答した。
表情からは何も読み取れない。成瀬は別段、相手の顔を凝視するでもなく、どちらかといえば、一瞥する程度だった。が、特に悩むでもなく「六より上だ」と断定口調で言った。
「約束通り、俺のお願いを」「どうして当たりだと分かるんですか」

雪子の体内時計も、運転技術も、変わりない。以下本文から。

「あ、成瀬さんから電話」久遠は言うが早いか、電話に出ていた。
「今、ちょうど向かっているところ。道はそんなに混んでいないから。ええと、雪子さん、あと」
「千三百秒くらい」「それって、何分?」

響野は、変わりようもなくお喋り。いや、演説の天才。以下本文から。

「みなさんのお時間を四分いただきます」
口をマスクで覆っているにもかかわらず響野の声はよく通る。
「それまでその場から動かないでください。この手にある拳銃は本物ですが、私はこれを使いたくありません。みなさんも、使ってほしくないわけです。意見は一致しています」

9年経っても、彼らは彼らのまま、変わらず銀行強盗をやっていた。そして変わらず、トラブルに巻き込まれていった。それが、とてもうれしい。変わらぬ方がいいものも、ある。いや、変わってほしくないものと言うべきか。

「銀行強盗を行う犯罪者を楽しそうに描いていいのだろうか」
伊坂は、そう迷いながら「どこからどう見ても現実な物語ではない」
ギャングシリーズはお伽噺のようなものなのだと、気づいたそうです。

拍手

ポールと仮想時空の旅

ポール・マッカートニーの東京ドームライブを聴きに行った。
昨年冬にも行ったのだが、相変わらずパワーのあるおじいちゃんだ。1年半前よりも、更に若返っていた。日本語のレパートリーも増え、約束通り再来日したことを「有言実行」ノリノリの観客を褒め称えるのに「すんばらしい!」などと言い、楽しませてくれた。根っからのお祭り男なのだろう。

身体に馴染んだ歌に酔いしれつつ、様々なことが頭をよぎる。中盤で透明感のあるメロディラインが好きな『ブラックバード』が流れたときには、あ、嬉しいと思いつつ、そういえばビートルズファンの伊坂もきっと聴きに来ているのだろうなと、ぼんやり考えた。伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)に所属しているわたしならではの発想だが、彼の小説『バイバイ・ブラックバード』は、この曲からイメージを膨らませてかかれたものなのだ。
そして、アンコールでは『ゴールデンスランバー』これも、伊坂のベストセラーだ。映画化もされている。

もしもビートルズの音楽がなかったら『ゴールデンスランバー』は生まれなかったのだろうか。そう考えて、不思議な気分になった。伊坂だけじゃない。世界中の人が、影響を受けているのだ。きっと、ありとあらゆるものが変わっていたことだろう。
ポールの歌は、そんな仮想時空の旅を、わたしのなかに静かに広げていった。いや。静かにというには、がんがんにロックンロールだったんだけど。

会場はケータイでの写真はOKでした。ライブも様変わりするなぁ。

拍手

『火星に住むつもりかい?』

伊坂幸太郎の新刊『火星に住むつもりかい?』(光文社)を、読んだ。
平和警察なるものが、日本を支配していくストーリーだ。小説は、危険人物と思われる人間を逮捕し、冤罪であろうとなかろうと、物見遊山の人だかりのなか公開処刑する世の中を描いている。これから罪を犯す恐れがある、というのだから証拠はいらないのだ。
人は、慣れていく。こういうものだと、思ってしまう。自分が、処刑される側にさえならなければ、その可笑しな世の中に疑問を持つ気持ちも、自然消滅する。こんなのは可笑しいと声を上げる人は、次々に処刑される。余計に、誰も何も言わなくなる。戦時中の日本を思わせるような状況が、物語のなかでは、リアルに創られていた。以下、本文から。

「あの、正義って何でしょう」それは本心から生まれた質問だった。
警察とは治安を守る、正義の側の組織ではないのか。しかも平和警察には「平和」の文字もある。そのメンバーがこうして、自分を閉じ込め、恐ろしい話をしてくるのが信じがたかった。しまいには「それなら火星にでも住めばいいだろうに」と捨て台詞にも似たことを言うのだ。
加護エイジは憐れみをたっぷりと浮かべ、笑った。
「こちらの正義は、あちらの悪、そんなことはあちこちにある。どんな正当な罰でも、受けた側からすれば悪、となるからね。だいたいどんな戦争だって、はじまるときの第一声は同じだというよ」「何ですか」
「『みんなの大事なものを守るために!』」加護エイジが目を細める。
「戦争はそのかけ声ではじまる」

読み始めると、止まらなかった。分厚さを感じず、一気読みした。伊坂は、インタビューで娯楽小説だと言っている。無論、面白かった。胸に痛みを覚えつつも、読み進めずにはいられない面白さがあった。しかし、伊坂に問いただしたいような気持にもなる。
「これ、これから起こる本当の話じゃないですよね?」
もちろん、伊坂は、笑って否定するだろうが。

英語タイトルは『LIFE ON MARS?』伊坂が、よく聴く
デヴィッド・ボウイの曲だそうです。その和訳は「火星に生物が?」
それをこの本のタイトルのような意味だと、勘違いしていたとか。

本を開くと、綺麗なラベンダー色の見返し。栞も、合わせた色です。




拍手

『キャプテンサンダーボルト』

伊坂幸太郎と阿部和重の合作小説『キャプテンサンダーボルト』(文藝春秋)を、読んだ。昨年11月に出版され、すぐに購入したにもかかわらず、ここまで積読状態だったのは「完全合作」って何? という戸惑い以外にはない。

『冷静と情熱の間』のように、かわりばんこに二人の作家がかき上げていく、というのなら理解できる。だが、全部を二人で、と言われると、どうやってかくの? との疑問が先に立ち、読んでいて気が散るのだ。しかし、救いは阿部の小説を読んだことがないことにあった。
「伊坂ひとりでかいたと思って、読むしかないな」
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)のメンバーとしては、そうでも思わないと、どうにも落ち着かず、読み進めることができそうになかったのだ。

金に困った29歳の二人の男がいる。相葉は、後輩を助けるべく一肌脱いだがために騙され、母親が住む小さな雑貨屋を売られてしまい、井ノ原は、息子の治療費で借金がかさんでいた。最初は借金を返すことができればと、それだけだった。だが彼らは、偶然なのか運命なのか、国がらみの機密に足を踏み入れてしまい、警察からもテロリストからも追われる羽目に陥る。以下、その機密に近づいて、無実の罪を着せられ、人生を台無しにされた男の台詞。

「いいか、理不尽なものは、いつだって、理不尽にやってくる。そうだろ。病気も災害も、自分の力ではどうにもならないものが、突然やってくる。俺たちは毎朝、フォーチュンクッキーを引いて、たまたまそこに『今日は死にません』と書いてあるだけの、そういう日を過ごしてるようなものだ」

しかしそれでも、相葉と井ノ原は、走る。比喩ではなく、世界を救うために。
この物語は、二人の再生のストーリーでもある。小学生の頃、無心で野球をしていた彼らは、冴えない大人になってしまったと、昔の自分に申し訳ないような気持でいたのだ。
迷いつつ進んでいる時、このままでいいのかと考え直そうとすると、邪魔になる気持ちがある。時間や金をかけ、ここまでやってきた自分を否定するのかという気持ちだ。だが、井ノ原は思う。出口の見えぬ道を歩いていくくらいなら、一度引き返すべきなのではないかと。まあ、引き返してもまた、歩きだしては更に迷うのが、人生なんだけど。
「何でも人生に譬えるような大人にだけはなりたくなかったんだけどな」
とは、相葉の台詞だ。

伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間も「合作ってどうよ?」と明らかに動揺し、まだ読んでいないようです。伊坂色満載だよと、アドバイスするつもり。伊坂お得意の伏線回収も効いているし「昔のレコードも、当時の新譜」など、伊坂っぽい台詞もたくさん登場します。

拍手

『アイネクライネナハトムジーク』

伊坂幸太郎の新刊『アイネクライネナハトムジーク』(幻冬舎)を、読んだ。
モーツァルトの小夜曲をタイトルにした、6編からなる連作短編集だ。
モーツァルトは1曲しか出てこないが、音楽と深く繋がっている小説である。と言うのも、ミュージシャン、斉藤和義から恋愛をテーマにした作詞の依頼があり、斉藤ファンである伊坂は、作詞はできないけど小説なら、とかいたというのだ。それが1話目『アイネクライネ』で、2話目『ライトヘビー』は、斉藤和義のシングル初回版特典のためにかかれたもの。百円で今の気持ちにあった曲の一部を流すという斉藤さんなる人物も登場し、歌詞も引用されている。
本人もあとがきにかいているが、伊坂作品にしては珍しく、泥棒も殺し屋も超能力者も出てこない、恋愛テイストの小説集だ。

じつは、読み終えてから一週間が経っている。
夜10時に読み終えて興奮し朝まで眠れなかったほど、かっこよかったのだ。時間を置かずには冷静にかけないと判断し、一週間待った。伊坂ファン故に、こんなにわくわくするのだと自分に言い聞かせる。しかし、ままならない。
「わ、ここ伊坂っぽい! あー、伊坂の文章、かっこいい!やばい。 にやにや笑いがとまらない。全く、伏線回収いったいいくつやるつもりなんだ!」
伊坂の伏線回収には、定評がある。様々なところに伏線を仕掛けておき、それを丁寧に回収していくのだ。小さな驚きから、大きな驚きまで、きちんと用意し楽しませてくれる。すごい作家だなぁと思わずにはいられない。
わたしに、恋は盲目的な部分があるとしても、やはりすごい。伊坂を読んだことがない人に読んでもらって、感想を聞きたいくらいだ。

引用したい部分は数々あれど、雰囲気重視のシーンを選んだ。出会い恋に落ちることについて、主人公佐藤が友人と話しているシーンだ。以下本文から。

「さっきの出会いの話だけど、結局そういうものかもなあって今思ったんだ」
「そういうものって、どういうもの」
「その時はなんだか分からなくて、ただの風かなあ、と思ってたんだけど、後になって、分かるもの。ああ、思えば、あれがそもそもの出会いだったんだなあ、って。これが出会いだ、ってその瞬間に感じるんじゃなくて、後でね、思い出して、分かるもの」
「小さく聞こえてくる、夜の音楽みたいに?」「そうそう」
織田由美には、気の利いたことを言おう、という気負いのようなものはまるでなくて、だからなのか、すっと僕の耳に言葉が入ってくる。
「そういえば、小夜曲ってなかったっけ? モーツァルトの」

ストーリーは、過去に現在に行き来し、様々な登場人物達が交錯する。
「ごく普通の人たちが巻き起こす、小さな奇跡の物語。」と、帯にはある。

表紙をアップにしてみました。何処からか流れてくるメロディ。

ボクサーも、登場人物の一人です。何処かで観戦している人達も。

自転車をこぐ、この少女も、登場人物の一人をイメージしています。
「誰も彼もが自分を避けていくように見える。群れるペンギンのように
 たくさんいるにもかかわらず誰も彼もが素通りだ」
 
カバーをとると、simple な雰囲気に変わります。オレンジの栞が素敵。

王様ペンギンのロゴが、お洒落です。
「悲観的な中で楽観的な話をしたい」著者あとがきより

拍手

『太陽のシール』(『週末のフール』より)

伊坂幸太郎の短編『太陽のシール』を、再読した。
『短編工場』(集英社文庫)という12人の作家から成るアンソロジーに収められていたのだ。その文庫紹介文は「読んだその日から、ずっと忘れられないあの一編」から始まる。それなのに、わたしは、すっかり忘れていたのだが。
「あ、読んだことない伊坂の短編! 嬉しい」と購入。
「『終末のフール』(集英社)の番外編なんだー」と、読み進めた。
途中、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に、自慢した。
「買っちゃったー!」すると彼女は「覚えてないの?」と冷たく言う。「えっ? これ、番外じゃないの? もしかして」「もしかしなくても、番外じゃなく『終末のフール』に入ってるよ」「えーっ! 半分読んだのに、全く思い出せない。1回しか読んでないからかな?」彼女は呆れつつも「わたしも5回は読んでないよ。いい話だから、最後まで読みなさい」とたしなめた。

『終末のフール』は、8年後に小惑星が地球にぶつかり崩壊することが判った人々の5年後の姿を描いた連作短編集だ。つまり、あと3年で何もかも終わり。尽くす手もないと思われる終末の世で、生きるということを描いている。
多くの人が働くことを辞め、強盗、殺人などの犯罪が横行し、取り締まるべき側の覇気もなく、街は荒れ、心を病み自殺する人が増えていく。
『太陽のシール』では、そんななか、不妊治療をやめた夫婦に子どもができる。あと3年でみんな死ぬのに、子どもを産んでいいのだろうかと、ふたりは悩むのだった。以下本文から。

「僕たちがここで子供を諦めたら、それは小惑星の衝突を受け入れたことになるんじゃないかな。どこかで誰かがそれを見ていてさ、それならば、衝突させてやろうって判断するのかもしれない」「どこかの誰か、って誰?」「知らないよ。ずっと遠くで、こっちを眺めている何かだよ」「神様とか?」「三丁目の山田さん、とかそういうんじゃないのだけは確かだ。とにかく、僕はそう思うんだ。で、逆に僕たちが、出産を選択すればさ」「小惑星がぶつからない?」「例えばね」

『終末のフール』は、偶然にも8年前に出版され、すぐに読んだ本。つまりは8年前に読んだ本。8年前の記憶ということだ。
「いやー、8年後のことなんか、誰にも判らないよ。ははは」
わたしなら、地球にぶつかる小惑星も記憶という海の外へ放り出し、消し去ることが出来るかも知れない。などと考えつつ『終末のフール』を再び開いた。

伊坂幸太郎は、言葉遊び全開でタイトルをつけるのが好き。短編連作は、
『終末のフール』『太陽のシール』『籠城のビール』『冬眠のガール』
『鋼鉄のウール』『天体のヨール』『演劇のオール』『深海のポール』
そして、本の初めに掲げられていた言葉がまた、素敵なんです。
「今日という日は残された日々の最初の一日」by Charles Dederich

拍手

ロックだぜ!

「中学の頃、よく聴いてたんだ」
嬉しそうに言う夫の言葉に誘われて、ジョニー・ウィンターのライブを聴きに行った。バリバリのロックンロールである。
「途中で気分悪くなったら、外に出てていいから」
会場に入る前に彼に言われていたが、演奏が始まって、その意味が判った。しょっぱなから身体の芯に響き渡る音という振動に、一瞬お腹が痛くなり、耳はキーンとなり続けている。本物のロックンロールというものを聴くのは、初めてなのだと思い知った。
だが、気分はよかった。彼は、ノリノリでリズムをとっているし、慣れるとストレートなロックの心地よさを楽しむことが出来た。観客も同世代以上が多く、それなのにジョニー・ウィンターの髪形を真似てか、長髪にしている男性も目立ち、それが面白く、こっそり笑い「ロックだぜ」とつぶやいたりした。

「ロックだぜ」と言えば、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』(新潮社)に登場する愛すべき脇役、ロック岩崎だ。

彼の口癖は、当然ながら「ロック」で、理不尽な仕事やつまらない雑用を押し付けられると「それはロックじゃねぇだろ」と怒り、喜ばしい出来事があると「ロックだな」とうなずいた。給料が増えた時も「ロックだねぇ」と満足げだったが、基本給の増加とロックが結びつく理由が、青柳雅春には分からなかった。             『ゴールデンスランバー』より

彼の価値観は、ロックか、あるいはロックじゃないかで、決められていた。そして、巨大な悪から、直接的には警察から追われている職場の後輩、青柳をただ信じ、逃亡に手を貸した。なぜなら、それがロックだからだ。

ジョニー・ウィンターが奏でるロックンロールを聴きながら、ロック岩崎を思い出していたら、帰り道は、ロック岩崎脳になっていた。
会場から出る際、道を譲ってもらえば「ロックだぜ」とうなずき、ゴミを座席に残しているのを見れば「ロックじゃないなぁ」と憤った。
何かの分岐点に立った時、考えてみようかな。ロックか、ロックじゃないか。案外簡単に答えが出せるかも知れない。

六本木のEXシアター入口の看板。ビールを飲んでから会場入りしました。

ハイネケンの生ビールが、美味しい! トマトとアボカドのサラダを注文。
えーっ、ほんとに、トマトとアボカドだけ? ロックだぜ!(笑)

アメリカン・ダイナーな雰囲気を楽しみ、ロックな夜に突入しました。

拍手

行動や思考を支える土台たる部分に染み込んでいるもの

洗濯物をたたんでいて、ふと末娘と一緒にたたんだことを思い出した。
「わざわざ、タオルの縫い目をなかにして、たたむんだねぇ」と、彼女。
「そうだよ。その方が使いやすいじゃない」と、わたし。

ふと思い出したのは、伊坂幸太郎『オー!ファーザー』(新潮社)を再読していたからだ。母親は一人だが、父親が4人いる高校生、由紀夫が主人公。母が同時期に4人とつき合っていた頃、妊娠し生まれたのが由紀夫だ。DNA鑑定もしようとせず、妻と由紀夫を愛してやまない4人の男達。悲哀をたっぷり感じさせるのは、その滑稽さ故。「楽しむために本はある!」と叫んでいるようなエンターテイメント小説だ。

その4人のタイプは、全く違っていて、ギャンブラーの鷹、体育教師の勲、学者肌の悟、女性にモテる葵。共通の趣味は麻雀のみで、4人でジャン卓を囲み和気あいあいと暮らしている。
由紀夫は、その4人にそれぞれの得意分野を教えられ育った。例えば。

由紀夫の頭には、父親の一人である葵の言葉がよぎった。それこそ、由紀夫が小学生の頃から、耳元で葵が唱えていた言葉だ。すなわち「女性が何かを頼んできたら、よほどの悪条件でなければ引き受けろ」という、まさに「そんなこと言われても」と戸惑うほかない教えだった。
ただ幼少の頃に親から聞かされた言葉というものは、子どもの行動や思考を支える基盤、土台たる部分に否応なく染み込んでいるもので、従うものか、と思いつつも、どうしても影響を受けてしまうらしい。

他にも勲には格闘技の基本とバスケを、悟には勉強全般を、鷹にはギャンブル全般を(?)叩き込まれて育った。そんな由紀夫が変な事件に巻き込まれていく。4人の父親たちと共に。その不思議な家族の絆とも言える繋がりに圧倒されつつ、くすくす笑いが止まらない。読み終えて胸が温かくなるハートウォーミングストーリーでもある。

さて、末娘はタオルの縫い目をなかにして、たたんでいるのだろうか?

5月24日映画公開予定です。由紀夫役は、岡田将生くん。

娘に話したのは、お風呂用のフェイスタオルのこと。
夫は最近、今治タオルが使いやすいと気に入って使っています。
わたしは、薄い方が使いやすく、百円タオルがお気に入り。

まさかハンカチタオルは、裏返しにたたまないよねぇ。
でも、こんなトラップに悩まされることも。
  
裏と表が判りにくーい。英語って、パッと頭に入って来ないんだよねぇ。

拍手

物語の断片を拾い集めて

仙台の旅では、伊坂幸太郎の小説を身近に感じる嬉しい瞬間が何度もあった。
東北新幹線に乗る時には『はやぶさ』と『こまち』が連結している不思議に『マリアビートル』の真莉亜と七尾の会話を思い出した。

「『こまち』と『はやて』って、中で行き来できないんだよ。信じられないよ。何のための連結?」「幼稚園児でも知ってるよ」
「幼稚園児が知っていても、大人が知らないこともあるんだよ」


ホテルのエレベーターで男性と乗り合わせれば『ゴールデンスランバー』のラストシーンがフラッシュバックし、偶然乗り合わせた男性が、小説のなかにしか存在しない青柳雅春ではないかと一瞬、疑う。

青柳雅春はその時に、自分がボタンを右手の親指で押していることに気づき、はっとした。慌てて、人差し指で押し直す。樋口晴子がこちらを見たかどうか、横目では分からなかった。青柳雅春とは別の人間として生きていくのだとすれば、自分の癖も捨てなくてはならないのは確かだ。


入口が二つある、言うなれば裏口がある大きな本屋を見れば『アヒルと鴨のコインロッカー』で、椎名が引っ越したアパートの隣に住む河崎に挨拶に行った時の印象的なセリフが思い浮かんだ。

「というわけでだ」彼はさらに続けた。「一緒に本屋を襲わないか」
教訓を学んだ。
本屋を襲うくらいの覚悟がなければ、隣人へ挨拶に行くべきではない。


駅から四方八方に伸びる歩道橋を歩けば『ポテチ』を、バスに乗り後ろに座った両親と3歳位の子どもの会話を聞けば『モダン・タイムス』を思いだし、足を運んだ八木山動物公園では『透明ポーラーベア』の動物園は此処しかないと、物語の断片をいくつも拾った。

そして不意に、腑に落ちた。ああ、何処にでもあるんだと。
仙台で紡がれた物語があり、その地を訪れて気づくこととなったが、物語の断片というものは仙台ではなくとも、何処にでも、どんな日々にでも、ありうるシーンの数々なのだと。

『透明ポーラーベア』以外にも、八木山動物公園は、
いくつかの伊坂小説に、舞台として使われています。
『フィッシュストーリー』収録の『動物園のエンジン』など。

猿山の子猿、綱渡りならぬ鎖渡りを楽しんでいました。

去年生まれたという、トラの赤ちゃん。
「もう赤ちゃんじゃなくて、子どもなんじゃない?」とは、
5歳くらいの女の子。動物園側としては、赤ちゃんと言いたいところ。
大人の事情は、動物園にもあるんだよなぁ。

孔雀。羽根を広げなくても綺麗だなぁ。
大鷲を見ていた4歳くらいの男の子とお母さんの会話が面白かった!
お母さん「大きいねぇ。羽根を広げたら、もっともっと大きくなるねぇ」
子ども「僕だって、おしり広げたら、もっともっと大きくなるよ」
隣で笑いをこらえるのに、必死でした。

作り物のように綺麗な、リクガメは『爬虫類館』にいました。
「のんびりいこうよ」と言うかのように、のーんびり食べていました。

「あ、ツルだ! ツルがいたよ!」と、自信満々でお父さんを呼ぶ
女の子にも、素知らぬ態度のフラミンゴ達でした。

『ヒト』の檻。こういう遊び心、好きだなぁ ♪
写真撮影する親子で、けっこうにぎわっていました。
何故か、吠えたり、威嚇したりする子が多いのにも笑えました。
『ヒト』であるわたしとしては、2時間の楽しいウォーキングを、
春の空の下、動物園にさせてもらい、より『ヒト』らしくなれたかも ♪

拍手

本のなかに広がっていく視界

初めての仙台行きに向けて、伊坂幸太郎の短編を再読した。
恋愛がテーマのアンソロジー『I LOVE YOU』(祥伝社文庫)に収められた『透明ポーラーベア』
伊坂にしては珍しく、恋愛色の濃いストーリーだ。主人公の優樹は、22歳。転勤を間近に控え、恋人の千穂との遠距離恋愛は避けられない状況に、デートと言うには、ふたり不安定な気持ちのまま動物園を歩いていた。

そのなかにも、全体に漂う伊坂色は、色濃く出ている。
彼の文章の魅力の一つに、逆視点の面白さがある。例えば。

「ねぇ、蛙が爬虫類館にいるなんて、おかしいよね」千穂は何事にも規則や秩序を求める性格で、たとえば、緑黄色野菜の仲間に、人参が含まれること自体、あれは緑でも黄色でもないよね、と苛立つくらいだったので、承知しかねるという顔で、僕の脇腹を突いた。
仕方がなくて「この蛙もきっと、こっちを見て『人間って爬虫類じゃないよね。なんでここにいるんだよ』とか言ってんじゃないの」と応えた。

ストーリーとは無関係だが、伊坂っぽい! と、彼のファンを喜ばせてくれる文章だ。それからまた、鳥瞰視点の面白さも魅力である。
宇宙人が存在するならどうして姿を現さないのかという疑問への仮説として、地球を動物園に指定していて、外から観るだけに決められている、という話をふたりでする。そして、壁を見ているホッキョクグマを見ながら優樹が言う。

「壁を見ているホッキョクグマを、見ている富樫さんたち」
「を、見ているわたしたち」千穂が嬉しそうに言う。
「を、見ている宇宙人」僕が重ねると、千穂が爆笑した。
「を、見ている優樹君のお姉さん」「な」僕は当惑した。
「何で、そこで姉貴が出てくるんだ」

動物園で偶然会った、富樫さんは、行方不明になって3年経つ優樹の姉の元彼だ。彼らに出会ったその偶然。そして、人のつながりの不思議に、読み終えて胸が温かくなる短編に仕上がっている。
反対側から、あるいは外から、わたしは見ているだろうか。自分だけの方向からしか、見えていないものが多いんじゃないだろうか。真実を(例えば、シロクマは本当に白いのかとか)、きちんと見つめているだろうか。
『透明ポーラーベア』を久しぶりに読み、雨上がりに思いもよらず、深いブルーの空が眩しく見えたかのように、視界が広がっていくのを感じた。
  
このなかでの他におススメは、本田孝好『Sidewalk Talk』
「勝手なんだな、と二十歳の僕が笑う。
知らないの? と二十歳の彼女も笑う。女の子って勝手なのよ」
あー、いいなぁ、恋愛小説 ♪

はやぶさって青森まで行くんですね。乗り過ごさなくてよかった!

夕方、石田衣良を読んでいる途中、仙台駅に着きました。

拍手

必死に、そしてくよくよと

わくわくしつつ、読み切った。
伊坂幸太郎の新刊『首折り男のための協奏曲』(新潮社)連作短編集だ。
ファンクラブ(在籍2名)の仲間から「買った!」という写メを受け取ってから、買いに行きたくてうずうずし、落ち着かなかった。発売日は一昨日だったが、誕生日だった昨日ようやく入手した。
本屋に寄った際、夫が「誕生日に、何もあげてないし」と買ってくれたのだ。
彼はそのまま出掛け、折しも、ひとりの休日。思いっきりのんびりと、洗濯以外は何もせず、ただただページをめくった。

『首折り男』というから、てっきり『マリア・ビートル』(角川文庫)に登場した七尾かと思ったが別人だった。伊坂小説では、様々な登場人物がリンクして、あちらこちらの小説に登場する。七尾が出てきても可笑しくなかったが、七尾の性格では、彼の役回りはムリだと読み終えて納得した。
そんな風にこの連作短編のなかでも、何人もの人物がリンクし登場する。伊坂小説ファンの大きな楽しみの一つだ。
そして、いくつもシーンやセリフもリンクしていて、それが繋がった時のしびれる様な快感は言葉に出来ない。
『首切り男のための協奏曲』でも、その感覚をたっぷりと味わった。

ストーリーは、かいつまめない。なのでラストに収録してあった『合コンの話』で合コンメンバーの一人が引用したある作曲家の台詞をちょっと紹介。
「人はそれぞれ、与えられた譜面を必死に、演奏することしかできないし、そうするしかない。隣の人の譜面を覗く余裕もない。自分の譜面を演奏しながら、他人もうまく演奏できればいいな、と祈るだけだ」
その引用した彼は、言った。世界中で悲しみを抱えた人々を考える時、
「どうすればいいのかは分からないので、いろんなことにくよくよしていくしかないです」
必死に、そしてくよくよと。そう言えばわたしもそんな風にして生きている。

グローブを持った野球少年の人形と、ナイフの表紙。
一目で、伊坂の小説だと、ファンには判る装丁です。

タイトルに『協奏曲』とあるだけあり、カバーを外すと、
うっすらと楽譜が描かれていました。こういうこだわりが素敵。
  
伊坂小説ではお馴染み、影絵仕立ての章マーク。
夫婦の方は、目線が登場人物ごとに変わっていくタイプ。
泥棒『黒澤』の影絵は、月曜日から曜日ごとに描かれています。

拍手

開けてみて、初めて知る危機

久しぶりに『グラス・ホッパー』(角川文庫)を開いた。
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間と会い、3月に吉祥寺で公演する、伊坂原作本の芝居『チルドレン』を観に行こうという話で盛り上がった。その際そう言えばと、聞いた。思い出せないことがあったのだ。
「人間は、自分の願望を元に予測するってかいてあったの、どの本だっけ?」
「なんだっけ?」「ほら、自分だけはだいじょうぶだと思っちゃうってやつ」
「ああ、あれか。『グラス・ホッパー』ね」
彼女は、相変わらずクールに答えた。

「危機感ってのは、頭で分かってはいても意外に実感を伴わないものだから」
主人公、鈴木を追う、比与子の台詞だ。
「危険、と書かれた箱だって、開けてみるまでは、『それほど危険じゃないだろう』って高をくくってるわけ」
言葉を放つ比与子の周りには、鈴木を拷問するために拘束した男達が、冷ややかな笑いをたたえていた。

伊坂の文章を読み返せば、自分を納得させられるかもしれない。そんな慰めのために、彼女に聞いたのだ。
「正月とは言え、餅も食べ過ぎなかったし、体重、きっと減ってる。減っていない訳がない。うん。よし、久しぶりに計ってみよう」
まさに、高をくくっていた。
そう思いつつ乗った体重計の数字は、期待したものとは全く異なっていたのだ。夏に2㎏増えた体重を戻すべく努力していたつもりだったのに、何ということであろう。数字はもう1㎏上乗せされていた。
そう。人は、自分の願望を元に予測するものなのだ。そして予測は裏切られ、危険、とかかれた箱を開けてしまってから、頭をガン! とやられ、ショックでくらくらして初めて現実を知るのだ。

「ダイエットするんなら、ビールやめれば?」
との圧倒的多数の意見に、耳を貸そうともせず、
「現実は、厳しいな」と呟きつつも、夜な夜なビールを空けるわたしである。

殺し屋たちの狂想曲。続編『マリアビートル』も、面白い!

今年のラーメン始めは、中華料理屋さんの海鮮タンメンでした。
これだけなら、さっぱりヘルシーなのに、夫と半分こで……。

いつも頼んでしまう餃子! 棒餃子は、普通の大きさの倍ありました。
現実は、美味しい(笑)

拍手

「称賛に値する」

「我が家の大根の煮物は、称賛に値するよなぁ」
大根を煮つつ、自分の口から出た独り言だ。その言葉に、ん? と反応した。
「『称賛に値する』って、何の本に出て来たんだっけ? あ、伊坂幸太郎だ。最近読んだ『死神の浮力』かな?」
だが、ページをめくるも『称賛に値する』は出て来ない。勘違いしていたのは『敬意を払う』だった。主人公、山野辺が言うに『敬意を払う』なんて言葉ではいくらでも言えるが、実際にやっていることは、その人のために面倒なことをするってことなんじゃないか。『敬意を払う』=『面倒なことをする』なんじゃないの? と。それが的を得ていて面白いと思ったのだ。もちろん、その言葉による小さな伏線回収も、伊坂小説のなかでは当然のようにきっちり行われていて、それが印象に残っていたというのはあるのだが。

で、調べに調べ『重力ピエロ』に出て来た印象的な言葉だと思い出した。それも、伊坂小説ナンバーワン人気の泥棒、黒澤がからんでいる。思い出した瞬間、おー! 黒澤だ! と、読んだ時の新鮮さが甦った。本音しか持たない彼の心憎いプレゼントが『称賛に値する』という花言葉を持つ「ういきょう」だったのだ。ああ『重力ピエロ』もう一回読もうかな。

ところで、最近、何年かぶりに夫がゴールを決めた。54歳で現役サッカー選手というだけでも『称賛に値する』のだが、ゴールを決め、帰ってきた彼はとてもいい顔をしていた。これこそ『称賛に値する』出来事だと思う。
もちろん『敬意を払って』洗濯をしたのは、わたしだが。

雨だったので部屋干し。薪ストーブの真上なのですぐに乾きます。
いつでも何処でも、リラックマがいる我が家。

イングランドはサッカー発祥の地。こだわりも強いようです。

リビングには、今年買ったサッカーボールが転がっています。

拍手

浮力でウキウキ

伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間から、久々にメールがあった。
この春から県外に出た彼女は、忙しくも楽しい日々を送っているらしく、メールもあまりしてこない。それが写メ付き。
何かと思って開くと「買った(*^。^*)」と、ひとこと。
添付された写真には、伊坂の新刊が写っていた。
『死神の浮力』(文藝春秋)だ。
「出たんだ!?」「本日発売」
短いメールのやり取りをし、わたしもさっそく購入した。

『死神の精度』という短編連作の続編だとは、装丁とタイトルを見れば一目瞭然。『浮力』の方は、長編だ。帯にはこうかかれている。
「娘を殺された。相手は25人に一人の、良心を持たない人間。
                犯人を追う夫婦と、千葉の7日間」
千葉は、死神だ。死神の仕事は、7日間担当した人間の「可」または「見送り」かを判断する。「可」と判断された人間は8日目に死ぬ。

この小説の面白みは、千葉の突飛なキャラクターにある。死神であるから人間の常識が理解できないところも多く、千年は仕事をしていると自分でも言っているが「大名行列みたいだ」とのたとえに「ああ、参勤交代か。懐かしいな」と、ふと言ってしまったりする。
「あの男は、良心がない人間なんですよ」
娘を殺された山野辺の言葉にも、千葉は至って真面目に返す。
「クローンというやつか」
「良い心の良心のほう。両親はいるに決まってるから」
山野辺も、妻、美樹も、苦笑しつつも、千葉を憎めない。

テーマは重い。何しろ、死だ。だが笑いの要素もきちんと組み込まれている。引用がやたら多いところにも伊坂テイストを感じ、ウキウキしながら読んだ。
古代ローマの詩人ホラティウスの「その日を摘みなさい」(今この瞬間を楽しみなさい)や、ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスが歌った「僕は今日を生きられない 今日は全然楽しくない」という歌詞や、パスカルの「もし一週間の生涯なら捧げるというのなら、百年でも捧げるべきである」などなど。
千葉は山野辺に、何度も言う。
「おまえもいつかは死ぬ」「人間はいつか死ぬ」
死ぬことについては、わたしは素人だが、けっこう長く生きては来た。生きることについて考えさせられる、エンターテイメント小説である。

庭でワイルドマジョラムの花を摘んでいて、石の上に蝉を見つけました。

エゾゼミ。美しい蝉ですね。半透明な羽に儚さを感じます。
張り上げるように鳴く声は、精一杯「その日を摘んでいる」かのよう。

拍手

シリアスな中にも笑いの要素を

伊坂幸太郎『バイバイ、ブラックバード』(双葉文庫)を読了した。
数日後<あのバス>に乗せられて、未知の恐ろしい場所に連れて行かれる星野一彦は、付き合っていた女性に別れを告げたいという最後の願いを聞き入れられた。5人と付き合っていたので、その女性は5人だ。星野は5人の女性と誠実に(?)付き合っていた。5人と平行して恋愛してるってだけでダメダメなやつなのに、読んでいるといい人と思わずにいられない不思議キャラ。

物語としてはそれだけでも印象的だが、更に印象的なのは星野を監視する大女、繭美の言動、行動だ。彼女の辞書には「常識」も「思いやり」もない。それを示すために辞書を持ち歩く。様々な言葉をマジックで乱暴に消した辞書。

わたしが辞書から消すとしたら、何て言葉だろう。「整理整頓」かな。あ、それはすでに消えている言葉か。
「本棚がぐちゃぐちゃで、よく平気でいられるね」とは、ファンクラブ(在籍2名)の仲間に何度も言われたことだ。彼女の本棚は美しく、作家50音順に並べてあるので、伊坂本は左端から綺麗に並んでいた。県外に出た彼女の本棚も、たぶん変わらず整理整頓されているのだろう。
夏にでも「伊坂が住む仙台に、牛タンを食べに行こう」と誘ってみよう。伊坂原作映画『アヒルと鴨のコインロッカー』では「それでさぁ、牛タン食べた?」と言うセリフが何度も使われていて、可笑しかった。駅周辺の喫茶店で、伊坂がパソコンを開き小説をかいているという噂もある。遠距離ファンクラブとなったが、これが別れという訳でもあるまい。
(ふたり東京に出かけた際、スイカロッカーを見つけ唖然としたことが、なつかしく思い起こされた。顔を見合わせて「コインでしょ、ロッカーは」「スイカロッカーじゃ、趣も何もない!」と言い合ったっけ)

太宰治の未完にして絶筆となった『グッド・バイ』へのオマージュ作品だという『バイバイ、ブラックバード』を読み、少しだけしんみりした心持ちになったが、文庫特典で掲載されていた伊坂のインタビューには、シリアスな話にも笑いの要素は必要だとかかれていた。
ここはにっこり笑って熱く誓おう。「牛タン」と。

仙台にいる上の娘のボーイフレンドが、写真を送ってくれました。
ゴールデンウィークに、彼を訪ねた娘いわく。
「牛タン分厚くて美味しくてさ、お土産に買おうと思って、忘れた。ははは」
「……」 牛タン、マジ分厚い!

拍手

財布と文庫本

サザエさんではないが、財布を忘れた。
本屋で、文庫になった伊坂幸太郎の『バイバイ、ブラックバード』(双葉文庫)をレジに持って行き、財布がないことに気がついたのだ。
「あれ? お財布忘れちゃった」
レジのお兄ちゃんは、無言だ。カウンターにはこれでもかというほど大きく「当店ではクレジットカードは使えません」とかいてある。
「す、スイカは使えますか?」と、わたし。クレジット機能付きのスイカなら、鞄に紐で付けたカードケースに入っている。しかし。
「申し訳ございませんが」と、憐れみを込め、レジのお兄ちゃん。
泣く泣く『バイバイ、ブラックバード』を取り置きしてもらい、本屋を出た。何とも、かっこ悪い。

3日ほど前に、娘が財布を忘れて帰ってきたのを「サザエさんじゃあるまいし」と呆れていたのに、まさかの同じ失敗。
だが娘に話すと、たいしたことじゃないじゃんと言われた。
「だって現金って、ほとんど使わないんだもん」
確かに、クレジットカードのポイントを貯めるために、スーパーでも薬局でもせっせとカードを使っている。実際、愛車フィットの点検も、財布無しで済ませ帰ってきた。
それでも、全くお金がない状態で外を歩くというのは、何かスカスカする感じだ。家に「安心」を忘れて来たとでも言おうか。いや、現金を使うことが少なくなった今「安心」というのも、大げさな気がする。そうだ。旅に出る時に「文庫本」を鞄に入れ忘れて家を出てしまった時のような感じ、と言った方が近いかもしれない。
本屋のお兄ちゃんは、わたしの顔を見るなり「取り置き」してあったその文庫本を、さっと出してきてくれた。だから今、わたしの鞄には『バイバイ、ブラックバード』と財布がちゃんと入っている。鞄は、さぞホッとし、満ち足りていることだろう。

使いやすさ重視の財布です。写真撮って、また鞄に入れ忘れたりして。
『バイバイ、ブラックバード』美しい文庫本ですね。
県外に出て行った、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間は、
どうしてるかなぁ。読み終えたら、連絡してみよう。

拍手

キーワードはセドリック

この春初めての鶯の声を聴いた日、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間の部屋に『砂漠』(新潮社)を借りに行った。が、もう本棚にはないと言われた。荷造りした後だったのだ。
娘と同級の彼女も、大学進学のため県外に出るとは聞いていた。

実のところ『砂漠』はどうでもよかったわたしは、思い切って彼女に言った。
「『砂漠』程とは言わないけど、大学生活を楽しんでくれ」
「楽しむつもり満々だよ。で、何で突然『砂漠』読みたくなったの?」
「いや、車の名前、何だったかなって確かめたくて」
わたしはセドリックだと知りつつ、聞いた。
「セドリックだよ。白の」彼女は即答した。
「白か」「うん。白」「セドリックか」「うん。セドリック」
何がセドリックなのかは、『砂漠』を読んでもらわないと共感できないものがあるので、説明はしない。ただ、人の心とか力って実にすごいよなぁと思えるキーワードが『砂漠』ではセドリックなのだ。
大学で知り合った5人の男女を描く、伊坂唯一の青春小説。
彼女の部屋を出て、ひとりつぶやいた。
「大学4年間でとは言わないが、いつか何処かでセドリックを見つけてくれ」
つぶやいてから、ふと思った。わたしのこれからにも、セドリックは待っているかもしれない。見出す気持ちさえあれば、と。

鶯の声に目覚めたのか、庭の雪柳が花開き始めました。
いや、雪柳の白に、鶯が目覚めたのかもしれません。

拍手

来た道なんて時々確認するくらいがちょうどいい

伊坂の新刊を読んだ。『残り全部バケーション』(集英社)
ちょっと、いやだいぶ遅いんじゃないかって? はい。サボってました。伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間は、今月発売されたばかりの新刊『ガソリン生活』(朝日新聞出版)も、とうに読み終えています。
「残り全部、どうだった?」と聞いても「そんな大昔に読んだ本、忘れちゃったなぁ」と冷たい返事。これだって12月に出たばかりなのに。
「でも、よかった。久々の伊坂、よかった」
キラキラ目で語るわたしに、仲間は呆れ顔で微笑んでいる。

5つの短編から成る連作短編集で、主役は、裏稼業コンビ、溝口と岡田。裏稼業とは? 彼らの場合、主に当たり屋。依頼を受け、ターゲットの車に後ろから追突させ、依頼主に渡す。他にもいろいろやってるようではあるけれど。
話はリーダーの溝口に岡田が裏稼業を辞めたいと言い出したことから始まる。
「相手がつらそうにしてるのを見るのって、あんまり楽しくないんですよ」
溝口は岡田に条件を出す。適当な番号にメールして、その相手と友達になれたら辞めさせてやると。そのメールを受けたのは、離婚するふたりとその娘が、3人離れ離れになる最後の話をしている時だった。自棄なのかどうでもいいのか「いいんじゃないの」と母親。岡田は、険悪な雰囲気の家族3人とドライブし、最後の晩餐を共にすることになった。

岡田は、妻に未練を残した夫に言う。
「過去のことばっかり見てると、意味ないですよ。車だって、ずっとバックミラー見てたら危ないじゃないですか。来た道なんて時々確認するくらいがちょうどいいですよ」
岡田と別れた後、妻は娘に言う。
「さっき岡田さんが言ってた言葉よかったよね。レバーをドライブに入れておけば勝手に前に進むって。気負わなくたって自然と前には進んでいくんだよ」
これが1話目。でも最後まで読まないと、この本の魅力はわからない。

最後の晩餐、何を食べたいですか? やっぱチキンにビールかな。

拍手

ブラウンマッシュルームの中の宇宙

祝杯をあげた。娘の進学する大学が決まり、部屋探しに出かけた先に、友人が駆けつけてくれたのだ。
娘が新しく生活する地は、埼玉だ。同じ埼玉に住む友人に報告すると、すぐに浦和の南フランス料理店を予約してくれた。とても嬉しい。
難航した部屋探しも何とか終結。娘が納得する部屋を契約できた。肩の荷もすっかり下りて、いい夜になった。
「おめでとう!」と、友人。「ありがとう!」と、わたし。
シンプルだけど、最高に素敵な乾杯。野菜中心で素材重視の美味しい料理に、ハートランドビール。幸せ感じる。こんな風に幸せを感じる時に思い出すのは、伊坂幸太郎の『モダンタイムス』(講談社文庫)に出て来たセリフだ。
「人間は、大きな目的のために生きてるんじゃない」
「もっと小さな目的のために生きてる」主人公、渡辺のセリフ。
このセリフが、大好きだ。人はもっと小さなことのために生きている。たとえば、朝家族とおはようの挨拶を交わしたり、誰かのために料理したり、ぼんやりひとり夕焼けに見とれたり。小さなことだけれど、大切な時間。
そして『ライムライト』のチャップリンのセリフも、続いて引用されていた。
「宇宙の力を考えろ。宇宙の力で地球は動き、樹木は育つ」
チャップリンはこう続ける。「その宇宙の力は、君の中にもある」

友人とふたり楽しくしゃべって過ごした時間は、小さな時間だったかもしれない。だが、娘のことを祝ってくれた友人の気持ちは、わたしの中では宇宙ほど大きくもある。そしてその小さなこと、一つ一つが、わたしの宇宙を広げていくんだなと実感した。人はこういう小さな時間のために生きているんだと、ブラウンマッシュルームを頬張り、しみじみと考えた。
もうすぐに巣立っていく娘のことを淋しくも感じつつ。

静岡産のブラウンマッシュルーム1個を網焼きにし、赤ワインのソースで。
ソフトボール大の巨大マッシュルームは、焼き立てで香ばしく、
ソースもパンにつけてお皿がきれいになるまでいただきました。
マッシュルームの中に、宇宙、感じたなぁ。

拍手

自分を信じてみる

久しぶりに映画館で映画を観た。久保田健彦原作『みなさん、さようなら』
伊坂幸太郎原作の『アヒルと鴨のコインロッカー』『ゴールデンスランバー』『ポテチ』などを監督した中村義洋監督作品。そして主演は濱田岳。『アヒルと―』と『ポテチ』では主役『ゴールデンスランバー』では殺し屋を演じた、中村作品お馴染みの役者だ。

主人公、悟(さとる)は「僕は一生、団地の中だけで生きていく」と12歳の春に決めた。1980年代。大型団地には何でも揃った商店街が栄え、その中でだけ生きていくこともできなくはなかった。恋も、就職も、結婚だって。
その悟の団地の中での青春、12歳から30歳を濱田岳が演じている。
濱田くんはもちろんいい味出してたが、秀逸だったのは、大塚寧々演じる悟の母親だ。団地から出ないと決めた悟に向き合い、信頼し、認めて応援した。
もし本当だったら、もし自分の子どもがこの場所から出ないで生きていくと言ったら、心配で心配で放っておけないだろう。しかし悟の母親は、放っておくのではなく、自分の目でしっかりと見つめ、彼を信じて認めた。すごいなぁと思った。そしてそれって何より悟が、自分を信じているからなんだよなぁと。いい映画だった。

わたしはもう、すっかりすぎるほど大人の年齢だが、なかなか自分を信頼できない。飽きっぽく忘れっぽく、うっかりの失敗も数知れず。不器用で人一倍努力しないと人並みにできないくせに、その努力も得意じゃない。それでも少しずつは成長もしてるはず。不覚なやつではあるけれど、そろそろ少しは自分を信じてみてもいいかも。そんな気持ちで映画館から出ると、ビルの狭間に晴れた冬の空が広がっていた。

テアトル新宿は、人もまばらでゆったりとしていました。
小さな映画館でひとりで観るには、最適の映画でした。

拍手

逆ソクラテスにならないために

「アンソロ『Boys』の『逆ソクラテス』いいねー」
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に言うと、
「今頃読んだの?」と、あきれられた。
彼女はエッセイまですべては読んでいないものの、伊坂小説作品は読破し本棚に並べてある。伊坂は文庫化の際、必ず手を入れるので文庫も揃っている。
「のんびり読むのもいいもんさ」と、わたし。
読んでいない作品があると言うことは、こうしてお宝を探り当てる感動にも、まだまだ巡り合えるということでもある。しかし彼女に言わせると、
「それで伊坂が好きって、よく言えるね」ということになる。
だがわたし的には、これくらいが丁度いい。夢中になりすぎるのは性に合わないのだ。村上春樹も、20代の頃から本が出るたびに買って読んでいた。小説はまあ、だいたい読んだと思う。
「でも、ハルキストじゃないからね」と断言する。村上春樹には盲目的なファンが大勢いて、ハルキストと呼ばれ、生活スタイルにまで影響を受けている人も多いと言う。フルマラソンに挑戦したり、ジャズにハマったり。
「夢中になりすぎるのは、みずがめ座っぽくないしね。でも『逆ソクラテス』はよかった。短編だけど小さな伏線きれいに張るとこなんか理系っぽくて」
「伊坂、法学部卒だけどね」「だよねー」
「法学部卒のエンジニアだった小説家」「わけわかんないよねー」

『あの日、君と Boys』(集英社文庫)に書き下ろした『逆ソクラテス』は、主人公が小6の時の数か月を思い出す形でかかれた小説だ。
転校生、安斎は、先入観が強く影響力もある担任教師の、その先入観を崩そうと主人公に持ちかけた。
ソクラテスの言葉「無知の知」自分はすべては知らないということを知っている、の逆が担任教師で「いつでも自分が正しいと思い込み、決めつけて生徒に押し付けようとする」タイプ。だから「先生にも、知らないことがあるんだとわからせよう」と作戦を立てる。優等生だが母親が自分の考えを押し付けることに辟易していた女子、佐久間と、担任教師ができない生徒だと決めつけ見下す男子、草壁と4人で計画を実行していく。
キーになるセリフは「僕は、そうは思わない」
安斎が、主人公や草壁に教えた言葉だ。決めつける奴らに負けない方法は、「僕は、そうは思わない」と表明する。または、絶対に受け入れないという強い心で念じるだけでも、全く違うと。

先入観。いつも持たずにと思ってはいるけれど、自分の中から、ふと顔をのぞかせているのに気づくことも多い。逆ソクラテスにはなりたくない。

村上春樹コーナー。『ノルウェイの森』は友人に20年の約束で貸し出し中。
ハルキストを否定しているわけではありません。
そこまで夢中になれる人って、すごいなぁと素直に思います。

拍手

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
Template by repe