はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 3. グリーンボーイ

僕は、モノに名前を付けるのが好きだ。そうたいそうに言うほど、凝っているわけでもないが、名前をつけると便利だし、モノにも親しみがわく。たとえば。
「五条坂とだるまさん、温めておいて」
 忙しくなる土日だけお願いしているバイトのユウちゃんに言う。すると、京都は五条坂の陶器屋で気にいって買ったカップと、だるまの産地、高崎の陶芸工房にわざわざ出向いて買いもとめたカップが温められるという訳だ。
 三つしかないテーブル席にも、それぞれ名前がある。奥の六人掛けは、アカマツ。真ん中は、ヒノキ。窓際は、ケヤキ。店全体がナチュラルウッドで、テーブルも、大工さんに頼んで作ってもらったものだ。そして、カウンターはクリ。みんな、木の名前そのままだ。
 そのなかで、異色の存在が「グリーンボーイ」だ。なんてことはない。非常灯のことだ。白いライトのなかに、外へ出ていこうとする緑の人のマーク。彼をひそかにグリーンボーイと呼んでいるのだ。始め、店の内装をナチュラルウッドに決めたときには、彼とはあまり仲がよくなかった。彼の存在が、どうしても店の雰囲気を壊しているように思えたから。
 でも今は、そこそこ打ち解けたと思っている。仕事が一段落して、自分のために好きなカップを温め、ゆったりと珈琲をドリップし、時間そのものを味わうような瞬間に、ふと彼を見上げてみる。
――明るく温かい場所が、広がっているといい。
 彼の行く先を思い、願うような気持ちになる。
 そのとき、ドアが開き、大学生らしき男の子が入ってきた。何度か来店してもらったお客様だろうか。見たことのある顔だ。
「グァテマラを中煎りで、お願いします」
 彼は、メニューも見ずに言った。注文の仕方が、こなれている。珈琲通らしい。奇しくも、僕が飲んでいた珈琲と同じだった。お湯を沸かし、夢を温め(山梨の夢という陶器屋で買ったカップだ)、手回しのミルで豆を挽き、ひとり分の珈琲をていねいに淹れた。
「美味しい。一度、ここの珈琲を飲んでみたかったんです」
 ため息と一緒に出たような言い方に、本音だとわかる。
「初めて、でしたっけ?」
 彼は、うなずいて珈琲をゆっくりと口に運んだ。
「ごちそうさま」
 会計を済ませて、彼がドアの向うへと消えたとたん、思い出した。僕は思わずドアを開け、追いかけた。しかし彼の姿はもう、どこにもなかった。
 店に戻り、非常灯を見上げる。彼はグリーンボーイにそっくりだったのだ。不思議なことに、どこかで見た顔だと思ったその顔は、もうすでに思い出せなくなっている。僕は、彼に声をかけた。
「また、いつでもどうぞ。来週には、ケニアの素敵な豆が入荷する予定なんだ」

左が五条坂、右がだるまさん


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小説「カフェ・ド・C」 2. 恋の神様

 恋の神様が、ふたりだけにしかわからないように、そっといたずらし、不思議な偶然をしかけることは、周知の事実だ。しかし、そのふたりがいたずらにまったく気づかない場合にのみ、神様は舌打ちし、キューピッドを用立てる。
「またか」
キューピッドの矢ではなく、白羽の矢は、僕に向けられた。これで、何度目になるだろうか。
「神様が応援してくれる恋は、あっちこっちに不思議な偶然が散りばめられて、ふたりのあいだに、びっくりマークが飛び交うんだよ。びっくりした数だけ、ふたりのあいだが縮まるの」
 とは、大学生だった妻が出会ったばかりの僕に言った言葉だ。
 たしかにそうだったと、思い出す。些細なことだ。家で使っているカレールーが同じ銘柄の同じ辛さだったり。ケータイの機種が同じで色違いだったり。同じ日に同じチェックのシャツ(ユニクロの)をはおっていたり。今思うと、ありがちなよくある偶然。
 先月、東ティモールの酸味の濃い素敵な豆が入った。ムッシュとマダムは、いつもひとりで珈琲を飲みに来ては、僕におススメをきき、浅煎りから中煎りの珈琲を飲む。ふたりはこのところ、その東ティモールにハマっている。もちろん、別々に。
 時間が微妙にずれているのだ。カウンターの同じ席に座り、同じことをしゃべっていくふたりなのに。
 ふたりは、猫を飼っていて(もちろん別々に)、今読んでいる本は、三浦しをんで(ムッシュは、買いもとめた文庫本。マダムは図書館で借りたもの)、アボカドをご飯にのせて醤油をかけて食べるのが好きだ。もちろん、別々に。
「母さん。もうちょっとだけ、待っててくれない?」
 珈琲を飲み保し、しゃべりたいだけしゃべってカウンター席を立ったマダムに、声をかけた。マダムは、こともあろうに僕の母だ。
「息子にひきとめられても、嬉しくもなんともないけどねぇ」
 憎まれ口は現役である。しかし、僕は決めていた。今日こそ、と。母が座り直した時、ドアが開いた。
 ムッシュが、カウンター席に座る。マダムとは二つ席を空ける紳士の振る舞い。
「東ティモールの中煎りを」
 マダムがちらりと彼を見た。彼女のコーヒーカップは、同じ珈琲が飲み干され、空になっている。
「おかわりを」
 マダムが言い、ムッシュがちらりと彼女を見た。
 僕は、東ティーモールの豆を、ふたり分挽きながら、やれやれと微笑む。キューピッドの役目は、終わった。


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小説「カフェ・ド・C」 1. 幸せについての不一致

「カフェ・ド・CのCって、なんの頭文字ですか?」
 きょうも店で、聞かれた。
「いや単に名字からとっただけで」
 その答えに、大概の人は落胆した顔をする。僕の名字は、茅野だ。
「うそでもいいから、チャンスのCですとか、答えればいいのに」
 妻は、そう言うが、それはまんざら、うそでもない。本当は、contentのCだ。コントン。フランス語で幸せ。小さな縁であれ、店に立ち寄ったすべての人に、幸せが訪れますようにとつけた名だ。こんとんは日本語では、カオスという意味になる。宇宙ができる前の塵みたいなもの。それが、カオス。混沌だ。この小さなスペースのなかで、ふれあう人と人。それは、宇宙ができる前の塵のように思える。ここから小さな宇宙ができればいい。そんな願いもこめている。
店の客だった妻にも、以前、名字からとった名だと答えた。だから彼女も知らない。僕は彼女にも本当のことは言わない。本音を言えば、言えないのだ。口に出すのがこわいから。
「幸せは、口に出すと逃げるんだ」
 子どもの頃に、父にきいただけのその言葉にしばられて、僕は、幸せだと口にしない。父は、その後母と別れ、再婚して田舎暮らしを楽しんでいる。ただ、気まぐれで言っただけだったのかもしれないが、子ども心に、離婚の原因は、父が幸せだと口にしたせいなんじゃないかと感じていた。母は今、猫五匹と隣町で楽しそうに暮らしている。
「幸せだなぁ」
 しかし、妻は、毎日のように言う。僕はそのたびにドキッとする。
「きょうも美味しくビールが飲める幸せ」
 僕の思いなど知らず、妻は、呑気に繰り返す。
「カレーのじゃがいもが、煮くずれなかった幸せ」
 僕の顔をのぞきこんで、さらに言う。
「あなたと一緒に、ご飯が食べられる幸せ」
彼女は口に出し、僕は口に出さない。
「だって、口に出さないと、逃げちゃうんだよ、幸せって。子どもの頃、お母さんに教わったんだ」
 いつか、彼女が言っていた。口に出さない僕に対して、不満はあるのかもしれないが、その分彼女が言ってくれている。
 バランスは保たれ、僕らの幸せは、どうにか逃げ出さずにいる。
「美味いなぁ」
 ぼくは、ビールを飲み、カレーを食べて、ただ笑った。


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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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