はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
ほろ苦い山の春
ご近所さんの奥様が、山菜を持って来てくれた。初めて見る山菜だ。
「タラの芽と匂いが似てるの」と言うので、匂いを嗅いでみると確かに似ている。微かに苦みを感じられる独特の匂いだ。
レシピを聞き、ネットでも検索しようとパソコンを開いた。しかし途端に、聞いたばかりの山菜の名前を忘れた。
「まさか匂いを嗅ぐと、忘れる効果がある山菜だとか?」
彼女は、5回はその名前を言った。はっきりと発音して教えてもくれた。なのに何故。疑惑を抱きつつも、しかたがないのでメールして再び聞いた。
「うこぎ」メールはいい。忘れたら見直せばいいのだから。
混ぜご飯がオススメだそうだ。ネットで見ても、ご飯のレシピがほとんどだった。果敢にも「うこぎペペロンチーノ」に挑戦したご近所さんの奥様も、「やっぱ、混ぜご飯だね」と感想を聞かせてくれた。
米沢で藩主上杉鷹山が、敵の侵入を防ぐため、棘のあるうこぎを食用できる垣根として広めたそうだ。なので現在も、米沢がうこぎ生産地としては日本一だという記述はいくつかのページに載っていた。
だが、茗荷のように忘れっぽくなる効果は探せど探せど見つからなかった。
疑惑を消せぬまま「いやいや、何もかも忘れるのもじつはちょっと素敵かも」などと空想を展開しつつ、うこぎご飯を口に運ぶ。
ほろ苦い山の春が、口の中に広がった。
濃いきれいな緑色。タラの芽と形も似ていますが、小さな柔らかい芽です。
「キイロスズメバチに一時に8か所刺された経験を持ち、
珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属で陶芸家のご近所さん」の、
奥様は彫金作家。山菜にも詳しいおふたりです。
「うさぎのこ」と覚えました。まだ忘れるつもりかい! と突っ込まれそう。
忘れる云々は言わず、娘に出すと「美味しい!」とたくさん食べました。
残念ながらサムは朝寝坊。その間に彼女はすべて食べつくしました。
「これお腹に優しいの?」と娘。「ビタミン豊富だとは思うけど、お腹に?」
「七草粥と似てるじゃん」「いや似てるけど、あれはお粥だからだよ」
「でも似てるからさ、お腹に優しいのかなって」「だからお粥だからだって」
彼女で試したところで、うこぎ物忘れ説は図れないと判明しました。
「タラの芽と匂いが似てるの」と言うので、匂いを嗅いでみると確かに似ている。微かに苦みを感じられる独特の匂いだ。
レシピを聞き、ネットでも検索しようとパソコンを開いた。しかし途端に、聞いたばかりの山菜の名前を忘れた。
「まさか匂いを嗅ぐと、忘れる効果がある山菜だとか?」
彼女は、5回はその名前を言った。はっきりと発音して教えてもくれた。なのに何故。疑惑を抱きつつも、しかたがないのでメールして再び聞いた。
「うこぎ」メールはいい。忘れたら見直せばいいのだから。
混ぜご飯がオススメだそうだ。ネットで見ても、ご飯のレシピがほとんどだった。果敢にも「うこぎペペロンチーノ」に挑戦したご近所さんの奥様も、「やっぱ、混ぜご飯だね」と感想を聞かせてくれた。
米沢で藩主上杉鷹山が、敵の侵入を防ぐため、棘のあるうこぎを食用できる垣根として広めたそうだ。なので現在も、米沢がうこぎ生産地としては日本一だという記述はいくつかのページに載っていた。
だが、茗荷のように忘れっぽくなる効果は探せど探せど見つからなかった。
疑惑を消せぬまま「いやいや、何もかも忘れるのもじつはちょっと素敵かも」などと空想を展開しつつ、うこぎご飯を口に運ぶ。
ほろ苦い山の春が、口の中に広がった。
濃いきれいな緑色。タラの芽と形も似ていますが、小さな柔らかい芽です。
「キイロスズメバチに一時に8か所刺された経験を持ち、
珈琲の焙煎もできる多趣味で日本野鳥の会所属で陶芸家のご近所さん」の、
奥様は彫金作家。山菜にも詳しいおふたりです。
「うさぎのこ」と覚えました。まだ忘れるつもりかい! と突っ込まれそう。
忘れる云々は言わず、娘に出すと「美味しい!」とたくさん食べました。
残念ながらサムは朝寝坊。その間に彼女はすべて食べつくしました。
「これお腹に優しいの?」と娘。「ビタミン豊富だとは思うけど、お腹に?」
「七草粥と似てるじゃん」「いや似てるけど、あれはお粥だからだよ」
「でも似てるからさ、お腹に優しいのかなって」「だからお粥だからだって」
彼女で試したところで、うこぎ物忘れ説は図れないと判明しました。
キッシュと牛丼
久々に会う友人とランチした。娘達が大学に入学し、そのお祝い&お疲れさま会ということで、ふたりゆっくりとしゃべった。おたがい県外に末娘を出し、ひとり暮らしをさせることになり、受験もその後のバタバタも同じように経験しているので、否が応でも盛り上がる。
「まだ淋しいとか思えないよねぇ」「ただただホッとして、疲れたねぇ」
たがいの脱力感も似通っていて気持ちも通じ合い、穏やかなランチとなった。
ランチしたのは甲斐市の『モネの台所』パスタとキッシュの店だ。
キッシュのランチセットは、珈琲付き消費税込みで1200円ちょうど。手ごろな値段である。ふと考えた。400円の牛丼なら3杯分だなと。牛丼とキッシュを比べている訳ではない。思い浮かんだのは森絵都の小説『風に舞いあがるビニールシート』(文春文庫)に収められた『犬の散歩』という短編だ。
「牛丼ばかり食べてる先輩がいたんです。彼は本当に牛丼が大好きだったから、なにもかも、世界のすべてを牛丼に置きかえて考えるのがつねでした。当時は牛丼が一杯400円くらいだったかな。Tシャツ一枚買おうか迷ったときにも、彼の基準となるのはやっぱり牛丼でした。三千円のTシャツを買うお金があったら、牛丼が7杯食べられる。7杯分の牛丼を犠牲にするだけの価値がそのTシャツにあるかどうかって」
主人公の恵理子は、先輩がうらやましいと思っていた。いつでも真剣に牛丼を通して世界を捉えていく彼が、揺らぎないものを持っているように思えたから。しかし恵理子は考える。先輩の牛丼を、今わたしは持っていると。
お金よりも大切な何かのために生きていく人を描いた、6編からなるこの短編集は、直木賞受賞作だ。
果たしてキッシュ・ランチ1200円は、高かったのだろうか。
ノーだなと、自分のなかで答えを出す。わたし達は牛丼3杯分のお金で、お金では買えない穏やかで充実した時間を手に入れたのだから。
ほうれん草とベーコンのキッシュ&バジルチキンとポテトサラダのキッシュ。
友人と別れ、家に帰ってから、末娘の部屋の本棚を見てみました。
『風に舞いあがるビニールシート』を、娘は持って行ったようです。
「まだ淋しいとか思えないよねぇ」「ただただホッとして、疲れたねぇ」
たがいの脱力感も似通っていて気持ちも通じ合い、穏やかなランチとなった。
ランチしたのは甲斐市の『モネの台所』パスタとキッシュの店だ。
キッシュのランチセットは、珈琲付き消費税込みで1200円ちょうど。手ごろな値段である。ふと考えた。400円の牛丼なら3杯分だなと。牛丼とキッシュを比べている訳ではない。思い浮かんだのは森絵都の小説『風に舞いあがるビニールシート』(文春文庫)に収められた『犬の散歩』という短編だ。
「牛丼ばかり食べてる先輩がいたんです。彼は本当に牛丼が大好きだったから、なにもかも、世界のすべてを牛丼に置きかえて考えるのがつねでした。当時は牛丼が一杯400円くらいだったかな。Tシャツ一枚買おうか迷ったときにも、彼の基準となるのはやっぱり牛丼でした。三千円のTシャツを買うお金があったら、牛丼が7杯食べられる。7杯分の牛丼を犠牲にするだけの価値がそのTシャツにあるかどうかって」
主人公の恵理子は、先輩がうらやましいと思っていた。いつでも真剣に牛丼を通して世界を捉えていく彼が、揺らぎないものを持っているように思えたから。しかし恵理子は考える。先輩の牛丼を、今わたしは持っていると。
お金よりも大切な何かのために生きていく人を描いた、6編からなるこの短編集は、直木賞受賞作だ。
果たしてキッシュ・ランチ1200円は、高かったのだろうか。
ノーだなと、自分のなかで答えを出す。わたし達は牛丼3杯分のお金で、お金では買えない穏やかで充実した時間を手に入れたのだから。
ほうれん草とベーコンのキッシュ&バジルチキンとポテトサラダのキッシュ。
友人と別れ、家に帰ってから、末娘の部屋の本棚を見てみました。
『風に舞いあがるビニールシート』を、娘は持って行ったようです。
ドーナッツへの挑戦
春である。八ヶ岳の雪もずいぶんと少なくなり、ツクシがあちこちに顔を出している。ニョキニョキと顔を出したツクシさながらに、世の中ぴかぴかの一年生だらけ。末娘も大学一年生になった。
「これから、どうするの?」友人に言われる。
「何か新しいことを、始めてみたら?」夫にも言われる。
末娘が一人暮らしを始め、彼女との時間がなくなったわたしを、心配してくれているのだ。この1年、上の娘がオーストラリアに行っていたこともあり、末娘と共に過ごす残り少ない時間をとても大切にできた。充実した1年だった。わたしとしては、長距離走を全力で走り切った感いっぱいで、次のマラソンのことなど考えられないというのが正直なところ。今は余韻をゆっくりと楽しんでいる。末娘が家を出たことで、心にぽっかり穴が空くのではないか。そんな心配は、自分のなかには欠片もないのだ。自宅の山梨支社勤務とは言え会社員だし、持て余すほどの暇があるとも思えない。
それにまあ、穴が空くのなら空くで、それもいいかとも思っている。穴の空いた自分を、どれだけ楽しんで受け入れられるか、挑戦しようではないか。
うん、そうだ。ドーナッツのごとく、穴を自分の一部にしよう。そんな風に出来たら素敵なことだなと思いつつ、八ヶ岳を眺め、足元のツクシを愛でた。
雲をかぶっては雪化粧し、雲を脱いでは汗をかくかのように雪を解かす、
毎日、忙しく表情を変える八ヶ岳です。
土の筆とかいて、ツクシ。本当に土から出た筆のよう。ナイスネーミング!
「これから、どうするの?」友人に言われる。
「何か新しいことを、始めてみたら?」夫にも言われる。
末娘が一人暮らしを始め、彼女との時間がなくなったわたしを、心配してくれているのだ。この1年、上の娘がオーストラリアに行っていたこともあり、末娘と共に過ごす残り少ない時間をとても大切にできた。充実した1年だった。わたしとしては、長距離走を全力で走り切った感いっぱいで、次のマラソンのことなど考えられないというのが正直なところ。今は余韻をゆっくりと楽しんでいる。末娘が家を出たことで、心にぽっかり穴が空くのではないか。そんな心配は、自分のなかには欠片もないのだ。自宅の山梨支社勤務とは言え会社員だし、持て余すほどの暇があるとも思えない。
それにまあ、穴が空くのなら空くで、それもいいかとも思っている。穴の空いた自分を、どれだけ楽しんで受け入れられるか、挑戦しようではないか。
うん、そうだ。ドーナッツのごとく、穴を自分の一部にしよう。そんな風に出来たら素敵なことだなと思いつつ、八ヶ岳を眺め、足元のツクシを愛でた。
雲をかぶっては雪化粧し、雲を脱いでは汗をかくかのように雪を解かす、
毎日、忙しく表情を変える八ヶ岳です。
土の筆とかいて、ツクシ。本当に土から出た筆のよう。ナイスネーミング!
小説「カフェ・ド・C」 28. スミレ揺れる春
「スミレの花言葉で、僕がぴったりくると思うのは『小さな幸せ』です」
カフェ・ド・Cの店先を掃除するバイトのジュンが言った。アスファルトの隙間に、スミレの花が咲いていたのだ。
彼は美大生で、暇さえあれば植物のスケッチをしている。花言葉にも詳しく、道端のスミレに水をやる優しさも持ち合わせている。
「春なんだな」小さな幸せ。スミレには、確かにそんな言葉が似合う。
「マスターは、小さな幸せっていうと何を思い浮かべますか?」
「小さな幸せかぁ」すぐに思い浮かぶのは、娘がハイハイする姿だった。
「シュウちゃんですか?」ジュンは、僕の顔を見て笑った。
「確かにちっちゃな幸せですね。でもそれって大きな幸せでもある」
僕はうなずいた。ジュンは言葉を続ける。
「実は昨日、小さな幸せに出会いました」
ジュンは、ここでバイトする年上のユウちゃんに恋をしている。片思いだ。はっきりとフラれもした。それでも想いは簡単に消すことはできないようだ。
「ユウちゃんと、まったく同じスニーカーを履いてたんです!」
「ほう」思わず笑みがこぼれた。
ようやく彼にも恋の神様が、降りてきたのだろうか。恋の神様は、結ばれるふたりに小さな偶然を用意する。たとえば同じスニーカーを同じ日に履いていたり、また、ばったりといつもは行かない場所で会ったり。
「それも、初めて行った映画館の出口でばったり。お茶して映画の話で盛り上がりました」うん。これは本格的に恋の神様が動き出したようだ。
そう思いつつ、通りを振り返り驚いた。通る人通る人、みんなが同じスニーカーを履いていたからだ。しかし目をこすり現実に戻ると、季節の変わり目に在りがちなごく当たり前の風景が見えた。革靴の人もいればブーツの人もいる。
「メールにかわいい顔文字が入っているだけで、小さな幸せ感じるし」
「それは、確かに小さな幸せかもしれない」
ジュンは、とめどなくしゃべっている。
春。そう。ジュンに限らず恋の種が芽を出す季節なのだ。
今聞いた偶然が恋の神様の気まぐれじゃないことを祈りつつ、小さく凛と咲くスミレを見た。スミレの花は水滴を落とし、微笑むようにふわりと揺れた。
スミレは他に『小さな愛』『誠実』などの花言葉を持つそうだ。
カフェ・ド・Cの店先を掃除するバイトのジュンが言った。アスファルトの隙間に、スミレの花が咲いていたのだ。
彼は美大生で、暇さえあれば植物のスケッチをしている。花言葉にも詳しく、道端のスミレに水をやる優しさも持ち合わせている。
「春なんだな」小さな幸せ。スミレには、確かにそんな言葉が似合う。
「マスターは、小さな幸せっていうと何を思い浮かべますか?」
「小さな幸せかぁ」すぐに思い浮かぶのは、娘がハイハイする姿だった。
「シュウちゃんですか?」ジュンは、僕の顔を見て笑った。
「確かにちっちゃな幸せですね。でもそれって大きな幸せでもある」
僕はうなずいた。ジュンは言葉を続ける。
「実は昨日、小さな幸せに出会いました」
ジュンは、ここでバイトする年上のユウちゃんに恋をしている。片思いだ。はっきりとフラれもした。それでも想いは簡単に消すことはできないようだ。
「ユウちゃんと、まったく同じスニーカーを履いてたんです!」
「ほう」思わず笑みがこぼれた。
ようやく彼にも恋の神様が、降りてきたのだろうか。恋の神様は、結ばれるふたりに小さな偶然を用意する。たとえば同じスニーカーを同じ日に履いていたり、また、ばったりといつもは行かない場所で会ったり。
「それも、初めて行った映画館の出口でばったり。お茶して映画の話で盛り上がりました」うん。これは本格的に恋の神様が動き出したようだ。
そう思いつつ、通りを振り返り驚いた。通る人通る人、みんなが同じスニーカーを履いていたからだ。しかし目をこすり現実に戻ると、季節の変わり目に在りがちなごく当たり前の風景が見えた。革靴の人もいればブーツの人もいる。
「メールにかわいい顔文字が入っているだけで、小さな幸せ感じるし」
「それは、確かに小さな幸せかもしれない」
ジュンは、とめどなくしゃべっている。
春。そう。ジュンに限らず恋の種が芽を出す季節なのだ。
今聞いた偶然が恋の神様の気まぐれじゃないことを祈りつつ、小さく凛と咲くスミレを見た。スミレの花は水滴を落とし、微笑むようにふわりと揺れた。
スミレは他に『小さな愛』『誠実』などの花言葉を持つそうだ。
昨日までの風景を覚えていることは難しい
北側の窓から見える風景が変わった。先週のよく晴れた風のない日に、大きく育ち過ぎていた楢(なら)の木を切ったのだ。窓の向こうには新しく出来上がったばかりのような空が広がり、木の枝に隠れていた八ヶ岳も頭を見せた。
約7メートルの楢は、夫が知り合いのツテでプロに依頼し切ってもらった。
木に登り、枝を切り、枝を下ろし、という作業を繰り返すうち、枝はきれいに無くなった。幹は倒す側にくさび形に切り口を入れ、ワイヤーで引っ張りながら反対側からチェーンソーで切ると、計算通りの場所に倒れた。さすがプロだ。「ブラボー!」と拍手を贈りたくなる瞬間だった。
ご夫婦で仕事をしていると言うふたりと、休憩中話をしたが、重機等を使わず、登りながら切っていく技術を持つ人を「アーボリスト」と言い、日本語では表現が難しいらしい。「樹木医」が近い言葉だそうだ。
楢を切ることにしたのは、傾斜地に生えているため剪定ができず、伸び放題に伸びていくまま、何もできず困っていたからだ。
「この楢も切ってよかったと思います。枝が傷んで虫が入っていましたから」
そう言ってもらい、ちょっとホッとする。これまでに比べ、この冬はアカゲラ、コゲラが楢の枝をつつく姿をよく見かけた。虫が入っている木をキツツキ達は知っているのだ。
楢は再来年には、よく乾いていい薪となり、我が家を暖めてくれるだろう。しかし昨日までそこにあったものが、姿を消すのは、淋しい。童話のように、切り株が芽を出すとは限らないのだ。
突然空き地になった場所に、昨日まで何があったのか思い出せないことがよくある。毎日通る道でさえ、すぐに忘れてしまう。現実に、今見えるものの方がどうしてもインパクトが強く映るのだろう。昨日までの風景を覚えていることは、思いのほか難しいということだ。だがわたしは、楢の木のことは、たぶん忘れない。銀色の雪で枝を飾った姿も。新緑の眩しさも。
二株立ちの楢の木でした。
見た目より傾斜は急で、下には農業用の堰(せぎ)が流れています。
薪の長さ(約45cm)にチェーンソーで楢を切る夫。
約7メートルの楢は、夫が知り合いのツテでプロに依頼し切ってもらった。
木に登り、枝を切り、枝を下ろし、という作業を繰り返すうち、枝はきれいに無くなった。幹は倒す側にくさび形に切り口を入れ、ワイヤーで引っ張りながら反対側からチェーンソーで切ると、計算通りの場所に倒れた。さすがプロだ。「ブラボー!」と拍手を贈りたくなる瞬間だった。
ご夫婦で仕事をしていると言うふたりと、休憩中話をしたが、重機等を使わず、登りながら切っていく技術を持つ人を「アーボリスト」と言い、日本語では表現が難しいらしい。「樹木医」が近い言葉だそうだ。
楢を切ることにしたのは、傾斜地に生えているため剪定ができず、伸び放題に伸びていくまま、何もできず困っていたからだ。
「この楢も切ってよかったと思います。枝が傷んで虫が入っていましたから」
そう言ってもらい、ちょっとホッとする。これまでに比べ、この冬はアカゲラ、コゲラが楢の枝をつつく姿をよく見かけた。虫が入っている木をキツツキ達は知っているのだ。
楢は再来年には、よく乾いていい薪となり、我が家を暖めてくれるだろう。しかし昨日までそこにあったものが、姿を消すのは、淋しい。童話のように、切り株が芽を出すとは限らないのだ。
突然空き地になった場所に、昨日まで何があったのか思い出せないことがよくある。毎日通る道でさえ、すぐに忘れてしまう。現実に、今見えるものの方がどうしてもインパクトが強く映るのだろう。昨日までの風景を覚えていることは、思いのほか難しいということだ。だがわたしは、楢の木のことは、たぶん忘れない。銀色の雪で枝を飾った姿も。新緑の眩しさも。
二株立ちの楢の木でした。
見た目より傾斜は急で、下には農業用の堰(せぎ)が流れています。
薪の長さ(約45cm)にチェーンソーで楢を切る夫。
嬉しい気持ちを伝えること
サムは、箸のプレゼントをびっくりするほど喜んでくれた。
「わお! ありがとうございます! うれしい! すげー! よしっ!」
喜んでもらって、わたしも嬉しくなる。嬉しくなって、あらためて思う。嬉しい気持ちを伝えることってとても大切なことだよなぁと。
娘がつけた日本名「秋(しゅう)」についても、彼は嬉しいと言った。
「サムはふつう。but 秋は、新しい。だからうれしい」
なので夫もわたしも、秋と呼ぶことにした。
また、日本語を勉強中だと言うサムは、こんなことも言ってくれた。夫と薪割りをした彼に「お疲れさま」と声をかけた時だ。
「僕は、ラッキーです。ここに来て、本で勉強してない。but さはさんの言葉、たくさん勉強できる」
英語がわからないわたしに、気持ちを伝えようとしてくれる。
「わたしは、ラッキーです」
サムを真似て、心のなかでつぶやいた。こうして言葉だけじゃなく気持ちを伝えあおうと会話することなど、日本人同士でもなかなかしようとはしない。こんな機会に恵まれたことは、実のところ本当にラッキーなことなのかもしれないと。サムがいる間に、そんな気持ちをちゃんと伝えたいと思っている。
娘はサムにリラックマの箸をもらったそうです。「みどりだー」とサム。
娘の中学時代の友人が、サムのためにたこ焼きパーティを企画しました。
サムの人生初たこ焼きに、マヨネーズをかけるかどうか、もめました。
最初はノーマヨネーズでと言う、夫、娘の友人、わたしの言葉に耳を貸さず、
娘はサムのお皿にマヨネーズを山盛りに。
サムは「ノーは3、イエスは1」と冷静に分析「マヨなし」と判断しました。
「わお! ありがとうございます! うれしい! すげー! よしっ!」
喜んでもらって、わたしも嬉しくなる。嬉しくなって、あらためて思う。嬉しい気持ちを伝えることってとても大切なことだよなぁと。
娘がつけた日本名「秋(しゅう)」についても、彼は嬉しいと言った。
「サムはふつう。but 秋は、新しい。だからうれしい」
なので夫もわたしも、秋と呼ぶことにした。
また、日本語を勉強中だと言うサムは、こんなことも言ってくれた。夫と薪割りをした彼に「お疲れさま」と声をかけた時だ。
「僕は、ラッキーです。ここに来て、本で勉強してない。but さはさんの言葉、たくさん勉強できる」
英語がわからないわたしに、気持ちを伝えようとしてくれる。
「わたしは、ラッキーです」
サムを真似て、心のなかでつぶやいた。こうして言葉だけじゃなく気持ちを伝えあおうと会話することなど、日本人同士でもなかなかしようとはしない。こんな機会に恵まれたことは、実のところ本当にラッキーなことなのかもしれないと。サムがいる間に、そんな気持ちをちゃんと伝えたいと思っている。
娘はサムにリラックマの箸をもらったそうです。「みどりだー」とサム。
娘の中学時代の友人が、サムのためにたこ焼きパーティを企画しました。
サムの人生初たこ焼きに、マヨネーズをかけるかどうか、もめました。
最初はノーマヨネーズでと言う、夫、娘の友人、わたしの言葉に耳を貸さず、
娘はサムのお皿にマヨネーズを山盛りに。
サムは「ノーは3、イエスは1」と冷静に分析「マヨなし」と判断しました。
窓の向こうに
夫が赤坂見附での個展に行き、珈琲カップを買ったということは聞いていた。
「これまでとは違った趣向なんだ」「ふうん」
彼が嬉しそうに話すのを、やっかみ半分ふくれて聞いた。
「窓に影が映ってるんだけど、それが何かはっきりわからなくて、想像がふくらむんだよなぁ」「ふうん」
「一目で、これだって思ったんだ」「ふうん」
悔しい。わたしだって行きたかったのに、東京は遠い。近くて遠いのだ。一緒に行って一つずつ手に取って選びたかったのに。
しかし、その珈琲カップを創った陶芸家は、とても近くに住んでいる。歩いて1分とかからない。キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲の焙煎もする多趣味で日本野鳥の会所属のご近所さんだ。
彼は個展を終え、「窓」を持って来てくれた。
夫が話していた言葉に納得する。窓に映る影は見方によって姿を変える。まるで月に見え隠れするうさぎの影のごとし。
明日はご近所さんが焙煎してくれたパナマ・ゲイシャを淹れて飲んでみよう。
窓の向こうには、何が映るのだろうか。楽しみだ。
photo by my husband
ご近所さんのブログはこちら→このはずく山麓記
彫金作家の奥様とのアートな日々を綴っています。
「これまでとは違った趣向なんだ」「ふうん」
彼が嬉しそうに話すのを、やっかみ半分ふくれて聞いた。
「窓に影が映ってるんだけど、それが何かはっきりわからなくて、想像がふくらむんだよなぁ」「ふうん」
「一目で、これだって思ったんだ」「ふうん」
悔しい。わたしだって行きたかったのに、東京は遠い。近くて遠いのだ。一緒に行って一つずつ手に取って選びたかったのに。
しかし、その珈琲カップを創った陶芸家は、とても近くに住んでいる。歩いて1分とかからない。キイロスズメバチに一時に8カ所刺された経験を持ち、珈琲の焙煎もする多趣味で日本野鳥の会所属のご近所さんだ。
彼は個展を終え、「窓」を持って来てくれた。
夫が話していた言葉に納得する。窓に映る影は見方によって姿を変える。まるで月に見え隠れするうさぎの影のごとし。
明日はご近所さんが焙煎してくれたパナマ・ゲイシャを淹れて飲んでみよう。
窓の向こうには、何が映るのだろうか。楽しみだ。
photo by my husband
ご近所さんのブログはこちら→このはずく山麓記
彫金作家の奥様とのアートな日々を綴っています。
ニックネームは「さは」
何年か前から我が家で「さは」と呼ばれている。
呼び始めたのは末娘だが、上の娘も夫も、この頃では時にそう呼ぶ。わたしも「お母さんが」と言うべきところを「さはが」と言ったりする。
右とか左とか思想的背景はない。背景と呼ぶべきものがあるとしたら、それは児童心理学的なものである。
言葉を覚え始めてすぐの幼児には「お母さん」より「ママ」の方が言いやすい。なので「パパ」「ママ」と教える親も多い。ご多分に漏れず我が家もそうだった。しかし、中学生になる頃には、大抵の子が「ママ」と呼ぶのが気恥ずかしく感じるようになる。そこで「お母さん」へとすっと移行できる子も多いのだが、違う呼び方へと流れていく子もいる。我が家は三人三様だった。
息子は小学校入学と同時に宣言した。
「今日から、お父さん、お母さんと呼びます」
有言実行。彼は中学まで持ち越さずにスムーズに移行した。
上の娘はと言うと、中学生のいつからか覚えていないが、自然に「お母さん」と呼ぶようになった。
そして末娘である。あさっての方向に移行していくことになるのだが、それにも過程があった。「ママ」→「ハハ(母親のハハ)」→「ハハリン(呼び捨てのようでハハが呼びづらかったらしく可愛くしてみた)」→「サハリン(ハハリンと似ている既存の言葉へ移行。ここでずれるのが可笑しい!)」→「さは(可愛く呼ぶことに、またも抵抗が生まれ省略)」ここで定着した。
「さは」の「は」は母親の「は」だが「さ」はサハリンの「さ」だ。ここでもことわりを入れておくが、思想的背景は全くない。
そんなわけで、まあ、彼女は一生わたしのことを「さは」と呼ぶんだろうな。友達っぽいニックネームでもあったりして、じつは自分でも気に入っている。
オーストラリアではNBAが大人気だそうです。
ユニフォームを着て、友達を誘い、花見に行くという娘とサム。
「さはさん」とサムは呼んでくれます。ちょっとうれしい。
呼び始めたのは末娘だが、上の娘も夫も、この頃では時にそう呼ぶ。わたしも「お母さんが」と言うべきところを「さはが」と言ったりする。
右とか左とか思想的背景はない。背景と呼ぶべきものがあるとしたら、それは児童心理学的なものである。
言葉を覚え始めてすぐの幼児には「お母さん」より「ママ」の方が言いやすい。なので「パパ」「ママ」と教える親も多い。ご多分に漏れず我が家もそうだった。しかし、中学生になる頃には、大抵の子が「ママ」と呼ぶのが気恥ずかしく感じるようになる。そこで「お母さん」へとすっと移行できる子も多いのだが、違う呼び方へと流れていく子もいる。我が家は三人三様だった。
息子は小学校入学と同時に宣言した。
「今日から、お父さん、お母さんと呼びます」
有言実行。彼は中学まで持ち越さずにスムーズに移行した。
上の娘はと言うと、中学生のいつからか覚えていないが、自然に「お母さん」と呼ぶようになった。
そして末娘である。あさっての方向に移行していくことになるのだが、それにも過程があった。「ママ」→「ハハ(母親のハハ)」→「ハハリン(呼び捨てのようでハハが呼びづらかったらしく可愛くしてみた)」→「サハリン(ハハリンと似ている既存の言葉へ移行。ここでずれるのが可笑しい!)」→「さは(可愛く呼ぶことに、またも抵抗が生まれ省略)」ここで定着した。
「さは」の「は」は母親の「は」だが「さ」はサハリンの「さ」だ。ここでもことわりを入れておくが、思想的背景は全くない。
そんなわけで、まあ、彼女は一生わたしのことを「さは」と呼ぶんだろうな。友達っぽいニックネームでもあったりして、じつは自分でも気に入っている。
オーストラリアではNBAが大人気だそうです。
ユニフォームを着て、友達を誘い、花見に行くという娘とサム。
「さはさん」とサムは呼んでくれます。ちょっとうれしい。
「どうせなら」効果?
失敗した。よく落ちる場所に落とし穴があることを、すっかり忘れて確認せずに鼻歌など歌いつつ歩いていたら、いきなり足を取られ尻餅をついた気分だ。
美容室の予約時間を3時間、間違えたのだ。
「よくあることだよ」
誰かの失敗なら、そうなぐさめるところだが、このところ、こういうことがないようにと注意していたにもかかわらずの失敗に、落ち込むばかりだ。幸いだったのは、3時間早く間違えたことと、仕事が一段落していてキャンセルせずに済んだことだ。だが、家に帰り出直すという選択肢はない。甲府にある美容室『ETT』まで往復2時間かかってしまう。帰る意味はない。
こういう時にむくむくと湧いてくるのは「どうせなら」という気持ちだ。
「どうせなら」この失敗を活かして、ぽっかり空いた3時間を有効に使おうではないか。「どうせなら」時間がたっぷりある時ならではのゆったりとした気分で「どうせなら」甲府に出た時にしかできない買い物をし「どうせなら」いつもならひとりでは食べないランチをしよう。
それで「どうせなら」効果のほどは? ばっちりだった。サムにプレゼントしようと思っていた箸をゆっくり選び、末娘に送る大さじ小さじ親子を買い、珈琲問屋で買ったことのない豆を焙煎してもらい、甲府駅まで足を延ばして『とんかつ力(りき)』のヒレカツ定食を食べた。
「どうせなら」失敗を乗り越え(?)楽しくやりたいではないか。銀行での用事を済ませ、きっかり3時間。カットとカラーをしてもらい美容室『ETT』を出る頃には、充実した1日だったよなぁと髪も心もすっきりしていた。
珈琲焙煎機。ミディアムローストだと200gを約2分で焙煎します。
珈琲豆が踊っているのが見えて楽しい!
甲府駅南口駅前の『とんかつ力』のとんかつは、本当に柔らかい!
左手に写っている大きな壺には、自家製ソースがたっぷり入っています。
ポテトサラダのマヨネーズにもこだわって、手作りに徹しているそうです。
美容室の予約時間を3時間、間違えたのだ。
「よくあることだよ」
誰かの失敗なら、そうなぐさめるところだが、このところ、こういうことがないようにと注意していたにもかかわらずの失敗に、落ち込むばかりだ。幸いだったのは、3時間早く間違えたことと、仕事が一段落していてキャンセルせずに済んだことだ。だが、家に帰り出直すという選択肢はない。甲府にある美容室『ETT』まで往復2時間かかってしまう。帰る意味はない。
こういう時にむくむくと湧いてくるのは「どうせなら」という気持ちだ。
「どうせなら」この失敗を活かして、ぽっかり空いた3時間を有効に使おうではないか。「どうせなら」時間がたっぷりある時ならではのゆったりとした気分で「どうせなら」甲府に出た時にしかできない買い物をし「どうせなら」いつもならひとりでは食べないランチをしよう。
それで「どうせなら」効果のほどは? ばっちりだった。サムにプレゼントしようと思っていた箸をゆっくり選び、末娘に送る大さじ小さじ親子を買い、珈琲問屋で買ったことのない豆を焙煎してもらい、甲府駅まで足を延ばして『とんかつ力(りき)』のヒレカツ定食を食べた。
「どうせなら」失敗を乗り越え(?)楽しくやりたいではないか。銀行での用事を済ませ、きっかり3時間。カットとカラーをしてもらい美容室『ETT』を出る頃には、充実した1日だったよなぁと髪も心もすっきりしていた。
珈琲焙煎機。ミディアムローストだと200gを約2分で焙煎します。
珈琲豆が踊っているのが見えて楽しい!
甲府駅南口駅前の『とんかつ力』のとんかつは、本当に柔らかい!
左手に写っている大きな壺には、自家製ソースがたっぷり入っています。
ポテトサラダのマヨネーズにもこだわって、手作りに徹しているそうです。
人生初?
最近、同じ言葉を何度となく聞く機会があった。『人生初○○』だ。
末娘が越した埼玉の浦和には、歩いて行ける場所に商店街がある。山梨でも電車も通らない我が町、明野町では、完全車社会なので、大型スーパーで買い物することがほとんど。彼女の目には何もかもが目新しく映るらしい。
「コロッケとか売ってるお肉屋さんって初めて見た! 『人生初肉屋』だよ」
感動し話してくれた。
アニメなどで、コロッケを肉屋で買い食いするシーンは見ていても、実際にコロッケを揚げて売っている肉屋を見るのは初めてなのだ。
「パン屋さんも、あるんですよ!」と、高校の先生に言い、
「それは、浦和に失礼でしょう」と、呆れられたそうだ。
コンビニもない田舎町に育てばこその感動だ。
一方、上の娘はわたしの実家で可愛い孫としてたいへんな歓迎を受けたようで、両親は帰る前日も焼肉屋に連れて行ってくれたと言う。
「おじいちゃんとふたりで、生ビール飲んだよ。楽しかった。おばあちゃんも、すごく喜んでた。『人生初焼肉屋』だって」
彼女はバイトしつつ、おじいちゃんおばあちゃん孝行もしたようだ。
そしてサムは昨日の朝食。『人生初納豆』&『人生初生卵』をダブルで体験。
「ノー」「うーん」「ノー」と食事中、言葉少なになっている。
娘はそれを笑って見ていた。美味しそうに納豆ご飯を頬張りつつ。
『人生初○○』わたしも何かに挑戦しようかな。
『人生初ブロッコリー入り焼きそば』作/サム&娘
「おばあちゃん、チョコレートが食べたいな」と娘が一言いうと、
実家の母は、山のようにチョコレートを買ってきてくれたそうです。
「チョコアイスも3つあった」とおばあちゃん孝行な彼女は笑っていました。
母も楽しかったようでよかったです。
末娘が越した埼玉の浦和には、歩いて行ける場所に商店街がある。山梨でも電車も通らない我が町、明野町では、完全車社会なので、大型スーパーで買い物することがほとんど。彼女の目には何もかもが目新しく映るらしい。
「コロッケとか売ってるお肉屋さんって初めて見た! 『人生初肉屋』だよ」
感動し話してくれた。
アニメなどで、コロッケを肉屋で買い食いするシーンは見ていても、実際にコロッケを揚げて売っている肉屋を見るのは初めてなのだ。
「パン屋さんも、あるんですよ!」と、高校の先生に言い、
「それは、浦和に失礼でしょう」と、呆れられたそうだ。
コンビニもない田舎町に育てばこその感動だ。
一方、上の娘はわたしの実家で可愛い孫としてたいへんな歓迎を受けたようで、両親は帰る前日も焼肉屋に連れて行ってくれたと言う。
「おじいちゃんとふたりで、生ビール飲んだよ。楽しかった。おばあちゃんも、すごく喜んでた。『人生初焼肉屋』だって」
彼女はバイトしつつ、おじいちゃんおばあちゃん孝行もしたようだ。
そしてサムは昨日の朝食。『人生初納豆』&『人生初生卵』をダブルで体験。
「ノー」「うーん」「ノー」と食事中、言葉少なになっている。
娘はそれを笑って見ていた。美味しそうに納豆ご飯を頬張りつつ。
『人生初○○』わたしも何かに挑戦しようかな。
『人生初ブロッコリー入り焼きそば』作/サム&娘
「おばあちゃん、チョコレートが食べたいな」と娘が一言いうと、
実家の母は、山のようにチョコレートを買ってきてくれたそうです。
「チョコアイスも3つあった」とおばあちゃん孝行な彼女は笑っていました。
母も楽しかったようでよかったです。
アクティブ娘とオーストラリア男子
上の娘が東京から帰ってきた。
2月に、1年間過ごしたオーストラリアでのワーキングホリデーを終えて帰ってきた娘だが、またも出かけていてずっといなかったのだ。
ワーキングホリデーの初期費用に立て替えたお金は、オーストラリアで稼ぎ、返してもらうことになっている。帰ってきて少し落ち着いた頃、話をした。
「お金、返してね」と、わたし。
「うん。返すよ。でも、ちょっと待って」と、娘。
「ないの?」「あるよ。でも東京でバイトしてくるから、びっきーよろしく」
わたしの実家に泊めてもらう約束を取り付け、派遣でいろいろバイトすると、そのまま東京に行ってしまった。
「びっきー、どう思うよ?」と、わたし。
「いや、姫には姫のお考えが……」と、びっきー。
「何を考えてるんだかねぇ」「いやいや、姫には姫のお考えが……」
「旅立つ妹に別れも告げず、さぁ」「いやいやいや、姫には姫の……」
それから3週間経った一昨日、ようやく彼女は帰ってきた。ふたりでサムを迎えるために一通り家を掃除し、昨日サムがやって来た。
「ハーイ、サム。Nice to meet you」と、わたし。
「秋(しゅう)と呼んでください。よろしく!」と、サム。
娘は、上手くサムと言えないわたしのためか、サムに日本名を付けていた。
(サムのムを発音するときに、唇を閉じるタイミングがなかなか合わない)
「please call me さは」と、わたしも家でのニックネームを名乗る。
これから半月。オーストラリア男子、サムがステイする。ホスト役は娘なのでわたしはのん気にしているが、どんな日々になることやらである。
久しぶりに、姫とふたり水入らずで散歩しました。
草木も芽吹き、風も柔らかく吹き、春本番。いい季節ですねぇ。
春眠暁を覚えず。人も犬も眠たくなるのはおんなじです。
ちい姫も、はや大学生ですか。あんなにちっちゃかったのに。うとうと。
2月に、1年間過ごしたオーストラリアでのワーキングホリデーを終えて帰ってきた娘だが、またも出かけていてずっといなかったのだ。
ワーキングホリデーの初期費用に立て替えたお金は、オーストラリアで稼ぎ、返してもらうことになっている。帰ってきて少し落ち着いた頃、話をした。
「お金、返してね」と、わたし。
「うん。返すよ。でも、ちょっと待って」と、娘。
「ないの?」「あるよ。でも東京でバイトしてくるから、びっきーよろしく」
わたしの実家に泊めてもらう約束を取り付け、派遣でいろいろバイトすると、そのまま東京に行ってしまった。
「びっきー、どう思うよ?」と、わたし。
「いや、姫には姫のお考えが……」と、びっきー。
「何を考えてるんだかねぇ」「いやいや、姫には姫のお考えが……」
「旅立つ妹に別れも告げず、さぁ」「いやいやいや、姫には姫の……」
それから3週間経った一昨日、ようやく彼女は帰ってきた。ふたりでサムを迎えるために一通り家を掃除し、昨日サムがやって来た。
「ハーイ、サム。Nice to meet you」と、わたし。
「秋(しゅう)と呼んでください。よろしく!」と、サム。
娘は、上手くサムと言えないわたしのためか、サムに日本名を付けていた。
(サムのムを発音するときに、唇を閉じるタイミングがなかなか合わない)
「please call me さは」と、わたしも家でのニックネームを名乗る。
これから半月。オーストラリア男子、サムがステイする。ホスト役は娘なのでわたしはのん気にしているが、どんな日々になることやらである。
久しぶりに、姫とふたり水入らずで散歩しました。
草木も芽吹き、風も柔らかく吹き、春本番。いい季節ですねぇ。
春眠暁を覚えず。人も犬も眠たくなるのはおんなじです。
ちい姫も、はや大学生ですか。あんなにちっちゃかったのに。うとうと。
トラップにハマりつつ慣れていくこと
軽井沢の朝は、ゆっくりと時間が過ぎて行った。
娘の引っ越しで埃をかぶった身体を洗い流し、温泉で身体の芯まで温まった。朝食は、盛りだくさんの和食。前日の夜、空腹で雨の高速を走ったことが、遠い夢だったかのように、空は晴れ、お腹も満たされた。
朝食後、ホテルの売店に寄り、一通り品定めをした。土産を買う予定はなくとも、土産物屋を物色するのが好きなのだ。
「あ、ご当地キャラメル! 末娘のお土産に……」
と考え、あ、彼女は引っ越していったんだと気づいた。
家族が家を離れるって、こういうことだよなと、しみじみ考えた。いく度となくそんなトラップにハマりつつ、慣れていくものなのだ。
軽井沢を軽くドライブし『鬼押し出し』や『白糸の滝』そして浅間山を眺め、佐久でラーメンを食べ、一般道を1時間も走ると北杜市に入った。スーパーで夕飯の買い物をする時には、もう帰ってきた気分になっている。
スーパーを歩きつつ「あ、娘が好きな2秒の口溶けプリン! お土産に……」
トラップは、日常のあちらこちらに張り巡らさているようだ。
盛りだくさんなだけじゃなく、器にも盛り付けにも気遣いを感じる朝食。
浅間山はなだらかな山ですね。家から見る八ヶ岳とも南アルプスとも違い、
「お山」と「お」をつけて呼びたくなるような優しいラインです。
『白糸の滝』にはまだ雪が残っていました。水は心をしんとさせてくれます。
娘の引っ越しで埃をかぶった身体を洗い流し、温泉で身体の芯まで温まった。朝食は、盛りだくさんの和食。前日の夜、空腹で雨の高速を走ったことが、遠い夢だったかのように、空は晴れ、お腹も満たされた。
朝食後、ホテルの売店に寄り、一通り品定めをした。土産を買う予定はなくとも、土産物屋を物色するのが好きなのだ。
「あ、ご当地キャラメル! 末娘のお土産に……」
と考え、あ、彼女は引っ越していったんだと気づいた。
家族が家を離れるって、こういうことだよなと、しみじみ考えた。いく度となくそんなトラップにハマりつつ、慣れていくものなのだ。
軽井沢を軽くドライブし『鬼押し出し』や『白糸の滝』そして浅間山を眺め、佐久でラーメンを食べ、一般道を1時間も走ると北杜市に入った。スーパーで夕飯の買い物をする時には、もう帰ってきた気分になっている。
スーパーを歩きつつ「あ、娘が好きな2秒の口溶けプリン! お土産に……」
トラップは、日常のあちらこちらに張り巡らさているようだ。
盛りだくさんなだけじゃなく、器にも盛り付けにも気遣いを感じる朝食。
浅間山はなだらかな山ですね。家から見る八ヶ岳とも南アルプスとも違い、
「お山」と「お」をつけて呼びたくなるような優しいラインです。
『白糸の滝』にはまだ雪が残っていました。水は心をしんとさせてくれます。
ハングリーロードムービー、再び
雨の高速を走っていた。22時。夕飯はまだ食べていない。夫が運転し助手席にはわたし。もうふたりとも疲れ切って食欲も何処かへ行ってしまっている。
「昔よく腹減らして、ふたりで中原街道を走ったよね」と、夫。
「なつかしいね。山梨に越してからもお腹空かせて走ったよね」と、わたし。
ハングリーロードムービー、再びである。何故こうなるのかというと、食べてから長時間運転するのは疲れるし眠くなる。なので、なるべく目的地に近い場所で食べたいし、できれば目的地に着いてからビールが飲みたい。故に走る。
末娘の引っ越しで、夫と埼玉に行った。宅配で頼んだ組み立て式ロフトベッドが時間に届かず、その上その組み立てが想像を絶する大変さで、時間はどんどん過ぎて行った。(鉄パイプでできていて重い上に、狭い部屋での組み立ては難解だった。もう二度と組み立てたくない)
ぶじベッドが完成した時には、20時半を回っていた。
「じゃあな」と、夫。「じゃあな」と真似して、わたし。
「ありがとう」と、娘。
3人とも疲れ切っていて、涙の旅立ちとはならなかった。
「軽井沢のコンビニは、23時までしか開いてない所が多いんだ」
「うそ。いまどき?」「ホテルのバーだって開いてるかどうか」「うーん」
少し遠まわりして軽井沢で一泊し、美味しいものを食べ温泉にでもつかって、のんびり翌日帰ろうという計画は、形を変えていた。軽井沢到着は23時だった。しかし、悪いことばかりではない。
「バーは何時までですか?」と、チェックインするなり夫。
「23時半ラストオーダーで24時までです」と、フロントの女性。
ふたり密かにガッツポーズした。
そして、バーのカウンターに座るなり夫は言った。
「生ビール二つ。それと、何か食べるものありますか? 夕飯食べてなくて」
バーテンダーはにっこり笑って「サンドイッチとソーセージなら」
程なくして、焼き立ての分厚いトーストにローストビーフと野菜をたっぷり挟んだサンドイッチと、熱々の何種類かのソーセージが出てきた。
「温かいものが食べられるって、幸せだよね」と、わたし。
「家に帰ったみたいだよ」と、夫。
(家では生ビールは飲めないけどね)と心のなかで、わたし。
それから日にちが変わるまで、ふたり祝杯を挙げた。娘のこれからに。
カウンターから木立が見える素敵なバーです。
サンドイッチとソーセージは、写真を撮る間もなく食べてしまいました。
「昔よく腹減らして、ふたりで中原街道を走ったよね」と、夫。
「なつかしいね。山梨に越してからもお腹空かせて走ったよね」と、わたし。
ハングリーロードムービー、再びである。何故こうなるのかというと、食べてから長時間運転するのは疲れるし眠くなる。なので、なるべく目的地に近い場所で食べたいし、できれば目的地に着いてからビールが飲みたい。故に走る。
末娘の引っ越しで、夫と埼玉に行った。宅配で頼んだ組み立て式ロフトベッドが時間に届かず、その上その組み立てが想像を絶する大変さで、時間はどんどん過ぎて行った。(鉄パイプでできていて重い上に、狭い部屋での組み立ては難解だった。もう二度と組み立てたくない)
ぶじベッドが完成した時には、20時半を回っていた。
「じゃあな」と、夫。「じゃあな」と真似して、わたし。
「ありがとう」と、娘。
3人とも疲れ切っていて、涙の旅立ちとはならなかった。
「軽井沢のコンビニは、23時までしか開いてない所が多いんだ」
「うそ。いまどき?」「ホテルのバーだって開いてるかどうか」「うーん」
少し遠まわりして軽井沢で一泊し、美味しいものを食べ温泉にでもつかって、のんびり翌日帰ろうという計画は、形を変えていた。軽井沢到着は23時だった。しかし、悪いことばかりではない。
「バーは何時までですか?」と、チェックインするなり夫。
「23時半ラストオーダーで24時までです」と、フロントの女性。
ふたり密かにガッツポーズした。
そして、バーのカウンターに座るなり夫は言った。
「生ビール二つ。それと、何か食べるものありますか? 夕飯食べてなくて」
バーテンダーはにっこり笑って「サンドイッチとソーセージなら」
程なくして、焼き立ての分厚いトーストにローストビーフと野菜をたっぷり挟んだサンドイッチと、熱々の何種類かのソーセージが出てきた。
「温かいものが食べられるって、幸せだよね」と、わたし。
「家に帰ったみたいだよ」と、夫。
(家では生ビールは飲めないけどね)と心のなかで、わたし。
それから日にちが変わるまで、ふたり祝杯を挙げた。娘のこれからに。
カウンターから木立が見える素敵なバーです。
サンドイッチとソーセージは、写真を撮る間もなく食べてしまいました。
キーワードはセドリック
この春初めての鶯の声を聴いた日、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間の部屋に『砂漠』(新潮社)を借りに行った。が、もう本棚にはないと言われた。荷造りした後だったのだ。
娘と同級の彼女も、大学進学のため県外に出るとは聞いていた。
実のところ『砂漠』はどうでもよかったわたしは、思い切って彼女に言った。
「『砂漠』程とは言わないけど、大学生活を楽しんでくれ」
「楽しむつもり満々だよ。で、何で突然『砂漠』読みたくなったの?」
「いや、車の名前、何だったかなって確かめたくて」
わたしはセドリックだと知りつつ、聞いた。
「セドリックだよ。白の」彼女は即答した。
「白か」「うん。白」「セドリックか」「うん。セドリック」
何がセドリックなのかは、『砂漠』を読んでもらわないと共感できないものがあるので、説明はしない。ただ、人の心とか力って実にすごいよなぁと思えるキーワードが『砂漠』ではセドリックなのだ。
大学で知り合った5人の男女を描く、伊坂唯一の青春小説。
彼女の部屋を出て、ひとりつぶやいた。
「大学4年間でとは言わないが、いつか何処かでセドリックを見つけてくれ」
つぶやいてから、ふと思った。わたしのこれからにも、セドリックは待っているかもしれない。見出す気持ちさえあれば、と。
鶯の声に目覚めたのか、庭の雪柳が花開き始めました。
いや、雪柳の白に、鶯が目覚めたのかもしれません。
娘と同級の彼女も、大学進学のため県外に出るとは聞いていた。
実のところ『砂漠』はどうでもよかったわたしは、思い切って彼女に言った。
「『砂漠』程とは言わないけど、大学生活を楽しんでくれ」
「楽しむつもり満々だよ。で、何で突然『砂漠』読みたくなったの?」
「いや、車の名前、何だったかなって確かめたくて」
わたしはセドリックだと知りつつ、聞いた。
「セドリックだよ。白の」彼女は即答した。
「白か」「うん。白」「セドリックか」「うん。セドリック」
何がセドリックなのかは、『砂漠』を読んでもらわないと共感できないものがあるので、説明はしない。ただ、人の心とか力って実にすごいよなぁと思えるキーワードが『砂漠』ではセドリックなのだ。
大学で知り合った5人の男女を描く、伊坂唯一の青春小説。
彼女の部屋を出て、ひとりつぶやいた。
「大学4年間でとは言わないが、いつか何処かでセドリックを見つけてくれ」
つぶやいてから、ふと思った。わたしのこれからにも、セドリックは待っているかもしれない。見出す気持ちさえあれば、と。
鶯の声に目覚めたのか、庭の雪柳が花開き始めました。
いや、雪柳の白に、鶯が目覚めたのかもしれません。
クリエイティブな靴下のたたみ方
あるプレゼンテーションを聴く機会があり、クリエイティブという言葉に開眼した。「創造的」「独創的」などの意味を持つ言葉であり、「クリエイティブ・ディレクター」「クリエイティブ・プランナー」といった横文字の職業を表すのに使われていることもあり、仲良くなれそうにない言葉だという印象を持っていた。
しかし話し手は、どんな仕事にもクリエイティブな感覚が必要だし大切なのだと言った。魚を売る仕事にも、電気工事をする仕事にも、森の木を切る仕事にも、野菜を育てる農業にも。そしてわたしが生業としている経理の仕事にも、工夫や創造が生かされ、それによって会社全体が潤っていくというようなことが起こりうるのだと。そう言われれば考え工夫し、より良くしようと仕事をしている。新しいことを提案することもある。
何かを作り上げる仕事は、クリエイティブな感覚を必要とするところが大きいかもしれない。だが、作る人ばかりでは世の中は回らない。どんな仕事にも、工夫や創造があるのだ。確かに。
靴下をたたみつつ考える。主婦の仕事はクリエイティブに満ちていると。
一足を揃えて→半分に折り→くるり→きれいにまとまりました。
これで、引き出しの中で、一足が離れ離れになることもありません。
しかし話し手は、どんな仕事にもクリエイティブな感覚が必要だし大切なのだと言った。魚を売る仕事にも、電気工事をする仕事にも、森の木を切る仕事にも、野菜を育てる農業にも。そしてわたしが生業としている経理の仕事にも、工夫や創造が生かされ、それによって会社全体が潤っていくというようなことが起こりうるのだと。そう言われれば考え工夫し、より良くしようと仕事をしている。新しいことを提案することもある。
何かを作り上げる仕事は、クリエイティブな感覚を必要とするところが大きいかもしれない。だが、作る人ばかりでは世の中は回らない。どんな仕事にも、工夫や創造があるのだ。確かに。
靴下をたたみつつ考える。主婦の仕事はクリエイティブに満ちていると。
一足を揃えて→半分に折り→くるり→きれいにまとまりました。
これで、引き出しの中で、一足が離れ離れになることもありません。
春の雨に思う
東京は桜と一緒に傘の花が咲いた。
三寒四温。一段と冷え込んだ朝、ダウンを羽織って出かけた。もう季節外れかとも思ったが、風も冷たくセーターにダウンでちょうどよかった。
この冬は、ユニクロの超軽量ダウンパーカーにずいぶんと助けられた。びっきーの散歩。娘の受験の付添い。仕事で東京に出かける時にも、お気に入りのコートではなくダウンを羽織ることが多かった。何しろ軽い。着ていても、脱いで持っても、あずさでケット代わりにしても。
「肩の荷」という言葉があるが、やはり荷物は軽い方がいい。鞄に詰めたこまごまとしたものが一つ一つなら小さく軽いのに、ずしりと重みを持っていく。その重みが、肩ばかりか、心にもずしりと来る時がある。まだ持てる。そうして無理をしているうちに、ハンカチ程の軽さのものを持った途端、心のキャパを超えてしまい、突然一歩も動けなくなったりする。何もかも放り出し、わあわあ泣きたくなったりする。
この冬は、いつにも増して忙しかった。必要な荷物もたくさんあった。
何度となく歩けなくなりそうなわたしを支えてくれた人がいることと、超軽量ダウンに感謝する春だ。
冷たい雨に、桜も凍えているようでした。
身軽さのおかげで、和菓子屋に立ち寄る余裕もできました。
娘へのお土産の道明寺粉のさくらもち。
三寒四温。一段と冷え込んだ朝、ダウンを羽織って出かけた。もう季節外れかとも思ったが、風も冷たくセーターにダウンでちょうどよかった。
この冬は、ユニクロの超軽量ダウンパーカーにずいぶんと助けられた。びっきーの散歩。娘の受験の付添い。仕事で東京に出かける時にも、お気に入りのコートではなくダウンを羽織ることが多かった。何しろ軽い。着ていても、脱いで持っても、あずさでケット代わりにしても。
「肩の荷」という言葉があるが、やはり荷物は軽い方がいい。鞄に詰めたこまごまとしたものが一つ一つなら小さく軽いのに、ずしりと重みを持っていく。その重みが、肩ばかりか、心にもずしりと来る時がある。まだ持てる。そうして無理をしているうちに、ハンカチ程の軽さのものを持った途端、心のキャパを超えてしまい、突然一歩も動けなくなったりする。何もかも放り出し、わあわあ泣きたくなったりする。
この冬は、いつにも増して忙しかった。必要な荷物もたくさんあった。
何度となく歩けなくなりそうなわたしを支えてくれた人がいることと、超軽量ダウンに感謝する春だ。
冷たい雨に、桜も凍えているようでした。
身軽さのおかげで、和菓子屋に立ち寄る余裕もできました。
娘へのお土産の道明寺粉のさくらもち。
心に栞を挟みつつ
話すのは上手とは言えないが、聞くのは得意な方だと思う。
特別に知識が豊富なわけではないから、話を聞くことは面白い。要するに聞く方が好きなのだ。傾聴術などというものとは程遠いが、誰かと話をする時に、大きく影響を与えられ、いつも胸の片隅に留めている詩がある。
西村祐見子『せいざのなまえ』(JURA出版局)に収められた『あいづち』だ。
あいづち
はなしている人の こころに
きいている わたしの こころに
そっと はさんでいく
それは 小さな しおりです
久しぶりに開いた『せいざのなまえ』の紐栞は、やはり『あいづち』に挟んであった。だが、久しぶりに読み思うのだ。最近のわたしは、話している人の心にそっと栞を挟みながら、聞いていただろうかと。
お気に入りの栞達。真ん中の押し花の栞は、末娘が小学生の時の作品。
講談社文庫のマザーグースシリーズは、
シンプルで読書の邪魔にならないところが好き。
特別に知識が豊富なわけではないから、話を聞くことは面白い。要するに聞く方が好きなのだ。傾聴術などというものとは程遠いが、誰かと話をする時に、大きく影響を与えられ、いつも胸の片隅に留めている詩がある。
西村祐見子『せいざのなまえ』(JURA出版局)に収められた『あいづち』だ。
あいづち
はなしている人の こころに
きいている わたしの こころに
そっと はさんでいく
それは 小さな しおりです
久しぶりに開いた『せいざのなまえ』の紐栞は、やはり『あいづち』に挟んであった。だが、久しぶりに読み思うのだ。最近のわたしは、話している人の心にそっと栞を挟みながら、聞いていただろうかと。
お気に入りの栞達。真ん中の押し花の栞は、末娘が小学生の時の作品。
講談社文庫のマザーグースシリーズは、
シンプルで読書の邪魔にならないところが好き。
穴があるが故の魅力
一目でその可愛らしさに魅かれ、ドーナッツ型のエコたわしを購入した。
ドーナッツって、不思議な魅力を持つ食べ物だ。なんせ形がいい。穴があいているところがいい。人差し指を穴に入れてくるくる回したくなったり、ひと口で穴に辿り着いちゃって喪失感を感じたり、穴を残そうと周りからかじってみたり。穴のなかには何にもないのに、しっかりドーナッツの一部になっている。穴があるが故に、ドーナッツなのだ。欠落したところだらけのわたしなどは、そう考えるとちょっとホッとする。
村上春樹も、ドーナッツの魅力に取りつかれたひとりだ。彼の小説には数えきれないほどのシーンに、ドーナッツが登場する。『羊男のクリスマス』(講談社文庫)は、ドーナッツが主役と言ってもいい。以下、羊博士と羊男の会話。
「去年のクリスマス・イブに、穴のあいたものを食べなかったかね?」
「ドーナツなら毎日昼ごはんに食べてますよ。クリスマス・イブに食べたのがどのドーナツだったかは覚えてないけど」
「穴のあいたドーナツかね?」
「ドーナツっていうと、だいたいみんな穴があいてますから」
「それだよ。そのおかげで君に呪いがかかっちまったんだ」
ドーナッツ型のたわしは、何の呪いか甘いものが食べられなくなってしまったわたしに、ドーナッツの魅力を思い出させてくれた。
(昔はオールドファッション・ドーナッツが好きだった)
そしてしっかりしていて使いやすくガラスのコップをピカピカにしてくれた。
宮城県のグループで、東日本大震災で被災した女性達が、編んだものです。
「これは、たわしです。たべられません」の注意書きと一緒に、
ひとつずつ編み手からのメッセージが手書きで添えられていました。
「気に入っていただけるとうれしいです」など。大切に使おうと思います。
ドーナッツって、不思議な魅力を持つ食べ物だ。なんせ形がいい。穴があいているところがいい。人差し指を穴に入れてくるくる回したくなったり、ひと口で穴に辿り着いちゃって喪失感を感じたり、穴を残そうと周りからかじってみたり。穴のなかには何にもないのに、しっかりドーナッツの一部になっている。穴があるが故に、ドーナッツなのだ。欠落したところだらけのわたしなどは、そう考えるとちょっとホッとする。
村上春樹も、ドーナッツの魅力に取りつかれたひとりだ。彼の小説には数えきれないほどのシーンに、ドーナッツが登場する。『羊男のクリスマス』(講談社文庫)は、ドーナッツが主役と言ってもいい。以下、羊博士と羊男の会話。
「去年のクリスマス・イブに、穴のあいたものを食べなかったかね?」
「ドーナツなら毎日昼ごはんに食べてますよ。クリスマス・イブに食べたのがどのドーナツだったかは覚えてないけど」
「穴のあいたドーナツかね?」
「ドーナツっていうと、だいたいみんな穴があいてますから」
「それだよ。そのおかげで君に呪いがかかっちまったんだ」
ドーナッツ型のたわしは、何の呪いか甘いものが食べられなくなってしまったわたしに、ドーナッツの魅力を思い出させてくれた。
(昔はオールドファッション・ドーナッツが好きだった)
そしてしっかりしていて使いやすくガラスのコップをピカピカにしてくれた。
宮城県のグループで、東日本大震災で被災した女性達が、編んだものです。
「これは、たわしです。たべられません」の注意書きと一緒に、
ひとつずつ編み手からのメッセージが手書きで添えられていました。
「気に入っていただけるとうれしいです」など。大切に使おうと思います。
一番に優先しているものは、何ですか?
庭の水仙が花を咲かせた。可愛い。多年草は、何もせずともこうして季節が来れば花を咲かせ、春が来たよと教えてくれる。何年か前に植えたのはわたしだが、わたしがいてもいなくても来年も咲くだろう。
山本文緒の短編集に『ファースト・プライオリティー』(角川文庫)がある。
タイトルを日本語にすると『第一優先』
趣向を凝らしていて、31歳の女性が主人公またはキーになる形でどの話にも登場し、それが31話収められている。それぞれの人生のなかで第一優先するものがテーマだ。他人から見ればその固執する姿は、不思議だったり笑えたり切なくもあったりして、人が生きることの滑稽さが見え隠れし、味わいのある短編集になっている。31歳にこだわったのは、それくらい生きていれば何かしら自分なりに優先するものが見えてくる年齢だということだろうか。
そのなかに『庭』という話がある。ガーデニングが趣味の母親が冬に亡くなった。四十九日も過ぎて落ち着いた頃、春が来た。庭にはこれでもかっていうほど多種多様な花々が咲き乱れ、31歳の主人公は父親と共に呆然と眺めるばかりだ。そんな時、亡くなる前に母親が申し込んだガーデニング講座イギリスツアーの封書が届く。外国嫌いの父親が、気まぐれに俺が行くと言い出したが。
その他『ジンクス』にこだわりすぎる女性の話、ニュースを見て『当事者』と同じ気持ちになってしまう女性の話、『カラオケ』好きと、嫌いなふたりの話、誰かとくっついていないといられない『うさぎ男』、『銭湯』に通い始めて働く気持ちを無くしてしまった女性の話、などなど何度読んでも面白い。
この本を開く度に、自分の『ファースト・プライオリティー』は何だろうかと考える。ビール以外のもので、これと言えるもの、あるかなぁ。
あなたの『ファースト・プライオリティー』は何ですか?
花の重みに耐えかねてすぐにうつむいてしまう水仙ですが、
咲き始めの今、太陽に顔を向けようと必死に上を向いているように見えます。
春蘭(しゅんらん)も咲きました。控えめで透明感のある野山に咲く蘭です。
山本文緒の短編集に『ファースト・プライオリティー』(角川文庫)がある。
タイトルを日本語にすると『第一優先』
趣向を凝らしていて、31歳の女性が主人公またはキーになる形でどの話にも登場し、それが31話収められている。それぞれの人生のなかで第一優先するものがテーマだ。他人から見ればその固執する姿は、不思議だったり笑えたり切なくもあったりして、人が生きることの滑稽さが見え隠れし、味わいのある短編集になっている。31歳にこだわったのは、それくらい生きていれば何かしら自分なりに優先するものが見えてくる年齢だということだろうか。
そのなかに『庭』という話がある。ガーデニングが趣味の母親が冬に亡くなった。四十九日も過ぎて落ち着いた頃、春が来た。庭にはこれでもかっていうほど多種多様な花々が咲き乱れ、31歳の主人公は父親と共に呆然と眺めるばかりだ。そんな時、亡くなる前に母親が申し込んだガーデニング講座イギリスツアーの封書が届く。外国嫌いの父親が、気まぐれに俺が行くと言い出したが。
その他『ジンクス』にこだわりすぎる女性の話、ニュースを見て『当事者』と同じ気持ちになってしまう女性の話、『カラオケ』好きと、嫌いなふたりの話、誰かとくっついていないといられない『うさぎ男』、『銭湯』に通い始めて働く気持ちを無くしてしまった女性の話、などなど何度読んでも面白い。
この本を開く度に、自分の『ファースト・プライオリティー』は何だろうかと考える。ビール以外のもので、これと言えるもの、あるかなぁ。
あなたの『ファースト・プライオリティー』は何ですか?
花の重みに耐えかねてすぐにうつむいてしまう水仙ですが、
咲き始めの今、太陽に顔を向けようと必死に上を向いているように見えます。
春蘭(しゅんらん)も咲きました。控えめで透明感のある野山に咲く蘭です。
波紋が静まる時間
所用で東京に出た際、合羽橋の陶器屋『田窯』に立ち寄った。
所狭しと置かれた様々な陶器達を見ていると、胸がしんとする。
小さな出来事が、胸のなかの湖に小石となって投げ込まれ、水面にはいくつもの波紋が広がっていく。その波紋が静まる前に、また小石は投げ込まれる。毎日というものは、そうして繰り返されているように思う。
陶器を眺めていると、数々の収まりきれない波紋が静まっていく。そして、ただ穏やかな水面が何処までも広がり始める。
器は大好きだ。キッチンで器に料理を盛り付けるのも、食卓に並べるのも、誰かと共に食事をするのも、気に入った器達が居てくれるからこそ、より楽しめる。それだけではなくわたしは、こうして胸がしんとするまで眺めているだけでじゅうぶん楽しめるほど、器が好きなのだと再確認した。
しかし、穏やかな水面に映るのは、白い器に映える菜の花の辛し和えを盛り付け、夫に出すシーンだったり、友人を招いてわいわいと熱い珈琲を飲むシーンだったり、素焼きの深い皿にカレーを盛り、娘とビールを空けるシーンだったりする。卵が先か、鶏が先か。料理が好きで、器が好き。誰かと食べるのが好きで、ビールが好き。まあ、いいか。どちらが先だろうと、そんな食卓で流れる時間に、幸せ感じるということに変わりはない。
『田窯』の2階です。1階よりはゆったりと器が並べてあります。
お湯呑を2つ買いました。ひとつ1,260円也。
所狭しと置かれた様々な陶器達を見ていると、胸がしんとする。
小さな出来事が、胸のなかの湖に小石となって投げ込まれ、水面にはいくつもの波紋が広がっていく。その波紋が静まる前に、また小石は投げ込まれる。毎日というものは、そうして繰り返されているように思う。
陶器を眺めていると、数々の収まりきれない波紋が静まっていく。そして、ただ穏やかな水面が何処までも広がり始める。
器は大好きだ。キッチンで器に料理を盛り付けるのも、食卓に並べるのも、誰かと共に食事をするのも、気に入った器達が居てくれるからこそ、より楽しめる。それだけではなくわたしは、こうして胸がしんとするまで眺めているだけでじゅうぶん楽しめるほど、器が好きなのだと再確認した。
しかし、穏やかな水面に映るのは、白い器に映える菜の花の辛し和えを盛り付け、夫に出すシーンだったり、友人を招いてわいわいと熱い珈琲を飲むシーンだったり、素焼きの深い皿にカレーを盛り、娘とビールを空けるシーンだったりする。卵が先か、鶏が先か。料理が好きで、器が好き。誰かと食べるのが好きで、ビールが好き。まあ、いいか。どちらが先だろうと、そんな食卓で流れる時間に、幸せ感じるということに変わりはない。
『田窯』の2階です。1階よりはゆったりと器が並べてあります。
お湯呑を2つ買いました。ひとつ1,260円也。
ペアの紅茶茶碗
誰かと思えば、紅茶茶碗の声だった。ティーカップと呼ぶには彼らは和の雰囲気をにじませていて、紅茶茶碗と呼ぶのが相応しく思える。
「もうすぐ、お別れだね」蓮の花が描かれた方。
「うん。きみの門出だね」雪の結晶が描かれた方。
娘はペアの紅茶茶碗の片方を、ひとり暮らしのスタートに持って行きたいと言った。毎朝彼女が紅茶を飲む時に、気に入って使っていた蓮の花。
「彼女がきみをずいぶんと気に入っている訳を、知ってる?」と、雪の結晶。
「うん。なんとなくね」と、蓮の花。
「きみの花とステッチの甘さの中にある、凛としたところに魅かれたのさ」
「そうだと、嬉しいけど。きみはよく、お父さんが使ってるよね?」
「うん。お父さんはいつも、ミルクたっぷりアールグレイ」
「お母さんは、アールグレイでもストレート」
「そして彼女は?」と、歌うように雪の結晶。
「ミルクたっぷりダージリン。寒い朝には、ほんの少しだけ砂糖を入れて温まって出かけるんだ」蓮の花が、何処か淋しそうに答えた。
「なんか、しんみりしちゃったね」
「春だもの。訳もなく泣きたくなることだってあるさ」
「でも、元気で」「うん。おたがいに」
彼らの声は、そこで聞こえなくなった。
ペアの紅茶茶碗達は、たぶんこれからも、たくさんのティータイムを演出してくれることだろう。雪の結晶は、我が家で。蓮の花は、娘の部屋で。
和物の雑貨屋で、何年か前に見つけたことを、なつかしく思い出します。
ペアカップとしてではなく、ひとつずつ売られていました。
ペアカップだったとしても、一つ一つは個と個なのかもしれません。
「もうすぐ、お別れだね」蓮の花が描かれた方。
「うん。きみの門出だね」雪の結晶が描かれた方。
娘はペアの紅茶茶碗の片方を、ひとり暮らしのスタートに持って行きたいと言った。毎朝彼女が紅茶を飲む時に、気に入って使っていた蓮の花。
「彼女がきみをずいぶんと気に入っている訳を、知ってる?」と、雪の結晶。
「うん。なんとなくね」と、蓮の花。
「きみの花とステッチの甘さの中にある、凛としたところに魅かれたのさ」
「そうだと、嬉しいけど。きみはよく、お父さんが使ってるよね?」
「うん。お父さんはいつも、ミルクたっぷりアールグレイ」
「お母さんは、アールグレイでもストレート」
「そして彼女は?」と、歌うように雪の結晶。
「ミルクたっぷりダージリン。寒い朝には、ほんの少しだけ砂糖を入れて温まって出かけるんだ」蓮の花が、何処か淋しそうに答えた。
「なんか、しんみりしちゃったね」
「春だもの。訳もなく泣きたくなることだってあるさ」
「でも、元気で」「うん。おたがいに」
彼らの声は、そこで聞こえなくなった。
ペアの紅茶茶碗達は、たぶんこれからも、たくさんのティータイムを演出してくれることだろう。雪の結晶は、我が家で。蓮の花は、娘の部屋で。
和物の雑貨屋で、何年か前に見つけたことを、なつかしく思い出します。
ペアカップとしてではなく、ひとつずつ売られていました。
ペアカップだったとしても、一つ一つは個と個なのかもしれません。
身近にある毒
じゃが芋は、放っておくとすぐに芽を出す。
その芽に毒があると知ったのは、中学の家庭科の授業だった。印象に残ったのは身近に毒があることと「ソラニン」という毒の名だった。音から「空」を思い浮かべ、さわやかな毒だというイメージを勝手に作り上げた。
その「ソラニン」に大人になって出会ったのは、江國香織の小説『スイートリトルライズ』(幻冬舎)。じゃが芋の芽を育て切り取って料理し、夫と二人、死のうと企む妻。夫婦の物話だ。タイトルは日本語にすると『甘く小さな嘘』
瑠璃子と聡は、結婚して3年。子どもはいない。仲が悪い訳ではない。波風が立っている訳でもない。子どもが欲しい訳でもない。しかし瑠璃子はふとした瞬間、考えずにはいられなくなる。じゃが芋の芽を料理して出したら、夫は食べるだろう。わたしと一緒に。これって無理心中ということになるのだろうかと。そんなことを瑠璃子が考えているなどと、聡は全く知らない。
「このうちには恋が足りないと思うの」聡は一瞬黙り込んでから、
「そんなことないよ」と言った。根拠も説得力もなかった。
「あるわ」瑠璃子が言うと、聡は困った顔をした。
好きな人とふたり、穏やかに暮らしていても、淋しくない訳じゃない。誰かと一緒にいても淋しさを抱えつつ、それでもひとりではいられない。切ない小説だった。ところでじゃが芋は、ソラニンがないと育たないそうだ。人と人との関係も、微かな毒と共生し傷つけたり傷ついたりしつつ、育っていくものかもしれないなぁ。
毒があると知ってはいても、小さな芽には命の息吹きを感じますね。
塩と粒マスタード、マヨネーズのみの味付けで、シンプルポテトサラダ。
その芽に毒があると知ったのは、中学の家庭科の授業だった。印象に残ったのは身近に毒があることと「ソラニン」という毒の名だった。音から「空」を思い浮かべ、さわやかな毒だというイメージを勝手に作り上げた。
その「ソラニン」に大人になって出会ったのは、江國香織の小説『スイートリトルライズ』(幻冬舎)。じゃが芋の芽を育て切り取って料理し、夫と二人、死のうと企む妻。夫婦の物話だ。タイトルは日本語にすると『甘く小さな嘘』
瑠璃子と聡は、結婚して3年。子どもはいない。仲が悪い訳ではない。波風が立っている訳でもない。子どもが欲しい訳でもない。しかし瑠璃子はふとした瞬間、考えずにはいられなくなる。じゃが芋の芽を料理して出したら、夫は食べるだろう。わたしと一緒に。これって無理心中ということになるのだろうかと。そんなことを瑠璃子が考えているなどと、聡は全く知らない。
「このうちには恋が足りないと思うの」聡は一瞬黙り込んでから、
「そんなことないよ」と言った。根拠も説得力もなかった。
「あるわ」瑠璃子が言うと、聡は困った顔をした。
好きな人とふたり、穏やかに暮らしていても、淋しくない訳じゃない。誰かと一緒にいても淋しさを抱えつつ、それでもひとりではいられない。切ない小説だった。ところでじゃが芋は、ソラニンがないと育たないそうだ。人と人との関係も、微かな毒と共生し傷つけたり傷ついたりしつつ、育っていくものかもしれないなぁ。
毒があると知ってはいても、小さな芽には命の息吹きを感じますね。
塩と粒マスタード、マヨネーズのみの味付けで、シンプルポテトサラダ。
滑稽に見えるほど、必死に生きてみろよ
「もう雪の心配はないね」「もうだいじょうぶだよ」
雪柳に産み落とされたカマキリの卵を見ながら、夫と話した。
この冬は、例年になくカマキリは高い位置に卵を産んでいる。一番高いものは地上1メートルの位置。そのラインで、その年の雪の深さがわかると言う。カマキリは子孫を残すため、雪が積もらない高さに卵を産むのだ。
今年は1度、80cmほど積もったが、1メートルには満たなかった。カマキリ達も元気に生まれてくるだろう。ホッとして、温かい気持ちになる。
如何にも神経質そうな三角の顔をした肉食のカマキリは、物語でも嫌われ者の役まわりが多いがわたしは好きだ。
そこに居るだけで踊っているような印象を受けるのは、鎌がフラメンコの裾が広がった袖のように見えるからだろうか。その姿は滑稽でもあり、必死に生きているようにも思える。
「俺みたいに、滑稽に見えるほど、必死に生きてみろよ」
出会うたびにカマキリは、わたしに言うのだ。
雪柳に6個見つけました。ちびカマキリが生まれてくるのは梅雨前頃かな。
去年の夏の写真です。鎌のフリルはあまり派手じゃないタイプですね。
雪柳に産み落とされたカマキリの卵を見ながら、夫と話した。
この冬は、例年になくカマキリは高い位置に卵を産んでいる。一番高いものは地上1メートルの位置。そのラインで、その年の雪の深さがわかると言う。カマキリは子孫を残すため、雪が積もらない高さに卵を産むのだ。
今年は1度、80cmほど積もったが、1メートルには満たなかった。カマキリ達も元気に生まれてくるだろう。ホッとして、温かい気持ちになる。
如何にも神経質そうな三角の顔をした肉食のカマキリは、物語でも嫌われ者の役まわりが多いがわたしは好きだ。
そこに居るだけで踊っているような印象を受けるのは、鎌がフラメンコの裾が広がった袖のように見えるからだろうか。その姿は滑稽でもあり、必死に生きているようにも思える。
「俺みたいに、滑稽に見えるほど、必死に生きてみろよ」
出会うたびにカマキリは、わたしに言うのだ。
雪柳に6個見つけました。ちびカマキリが生まれてくるのは梅雨前頃かな。
去年の夏の写真です。鎌のフリルはあまり派手じゃないタイプですね。
手を握らなくてはならない時と、その手を離さなくてはならない時
寒さ厳しき山梨でも、突然のぽかぽか陽気に桜は咲き始め、わらわらと何処からか湧き出したように子ども達が外に出て走り回っている。
「待って!」駅前ロータリーで、若いお母さんの声に目を留めた。
見れば、2歳くらいだろうか。そのお母さんの手を振り払って走り出したのだろう。小さな男の子が歩道を走っていく。たどたどしく危なっかしいようでいて、スピードはけっこう出ている。お母さんが追いつき手をつなごうとするが、その手をまた振り払う。
「僕は自分が思うままに走りたいんだよ」とは言葉にしないがそんな表情だ。
「わかるよ」わたしは、胸の中で言った。
「でも君はまだ、周りの危険に目を向けられるだけの経験がないんだよ」
やはり息子が2歳の頃。わたしの手を振りほどき走り出したことがあった。わたしは、娘がお腹にいて、夢中で走っても追いつくことができなかった。息子はそのまま、信号のない交差点をひとりで走り抜けた。
「誰か、止めて!」叫んでも、わたしの声に気づく人はいない。
しかし、その時車は通らなかった。だから幸運にも彼は今も元気に生きている。無理矢理にでも、強く手を握らなくてはならない時がある。若い母親は、ひとつずつ覚えていったのだと振り返る。
末娘の巣立ちの日を間近にし、クールなみずがめ座にあるまじき行為だが、センチメンタルになっているのだろうか。その強く握った手を離さなくてはならない時があると、今、自分に言い聞かせている。
昨日、韮崎駅前の桜は五分咲きでした。2日前にはまだ蕾だったのに。
「待って!」駅前ロータリーで、若いお母さんの声に目を留めた。
見れば、2歳くらいだろうか。そのお母さんの手を振り払って走り出したのだろう。小さな男の子が歩道を走っていく。たどたどしく危なっかしいようでいて、スピードはけっこう出ている。お母さんが追いつき手をつなごうとするが、その手をまた振り払う。
「僕は自分が思うままに走りたいんだよ」とは言葉にしないがそんな表情だ。
「わかるよ」わたしは、胸の中で言った。
「でも君はまだ、周りの危険に目を向けられるだけの経験がないんだよ」
やはり息子が2歳の頃。わたしの手を振りほどき走り出したことがあった。わたしは、娘がお腹にいて、夢中で走っても追いつくことができなかった。息子はそのまま、信号のない交差点をひとりで走り抜けた。
「誰か、止めて!」叫んでも、わたしの声に気づく人はいない。
しかし、その時車は通らなかった。だから幸運にも彼は今も元気に生きている。無理矢理にでも、強く手を握らなくてはならない時がある。若い母親は、ひとつずつ覚えていったのだと振り返る。
末娘の巣立ちの日を間近にし、クールなみずがめ座にあるまじき行為だが、センチメンタルになっているのだろうか。その強く握った手を離さなくてはならない時があると、今、自分に言い聞かせている。
昨日、韮崎駅前の桜は五分咲きでした。2日前にはまだ蕾だったのに。
小説「カフェ・ド・C」 27. 雨宿り
3月の冷たい雨が、街じゅうを濡らし始めた。予報では夜まで持つと言っていたから、慌てている人も多いだろう。
そんな夕刻、その人はカフェ・ド・Cのドアを開けた。
「急に降られちゃって。でも、ドアを開けたら珈琲のいい香り!」
杖を突き、傘をたたみながら笑顔で声をかけてきた女性は、80歳くらいだろうか。しかし声のハリは少女を思わせる。
「タオル、使ってください」
バイトのユウちゃんが、傘を受け取り傘立てに入れた。
「重そうなリュックですね」
女性は、悪戯っぽい笑顔で答える。「重いのよ。何が入ってると思う?」
「えっ? 何でしょう?」リュックの中からノートパソコンが出てきた。
「パソコン教室の帰りに、雨に降られちゃって」
「わっ、最新のWindows8ですよね? すごい。これ使ってるんですか?」「ええ。なんとかね」
「マスターなんか、何回教えても覚えてくれないんですよ」
「おいおい、ユウちゃん。劣等生扱いかい」
「だってー」ユウちゃんがふくれっ面を見せると、女性が笑う。
「パソコンも覚えればたのしいのにね」「ですよね」いきなり意気投合だ。
「いつ頃からパソコン、始められたんですか?」僕も興味が湧いて聞いた。
「70歳過ぎてからよ。膝の手術をしてね。しばらく歩けないし、よくなってからも外出するのが億劫になるだろうって息子が買ってくれたの」
「それは、たいへんでしたね」
「でもそれがね、、パソコンが楽しくなっちゃって。膝がよくなるかならないかってうちに杖をついて、リュックにパソコン入れて、パソコン教室に通って。メールも写真もネットサーフィンも、年賀状のデザインや印刷も、覚えたら楽しいったらないのよ」
女性は少女のような声で、少女のような笑顔で語った。そして、ケニアの中煎りを、思いっきり香りを吸い込んでから、嬉しそうに一口飲んだ。
「美味しい! こんな素敵な珈琲を飲めるなんて、雨に降られてよかったわ」
生きることを楽しんでいる。そんな息吹きが伝わってきた。負の要素に負けず、歩いてきた足跡を笑顔に感じる。
「ありがとうございます」
ほーっとため息をつかずにはいられなかった。パソコンに対しても何に対しても、苦手意識がある限り楽しいとは思えないし上達もしない。彼女の笑顔に教えられた気がした。僕も彼女を真似て、この雨がくれた出会いに感謝しよう。
しばらくすると雨はやみ、リュックにパソコンを入れ、杖をついて、彼女は帰って行った。傘立てに、濡れた傘を忘れて。
翌日、ユウちゃんが、彼女の傘を干していた。
空に鳥が舞う絵が描かれた、カラフルな傘だった。
そんな夕刻、その人はカフェ・ド・Cのドアを開けた。
「急に降られちゃって。でも、ドアを開けたら珈琲のいい香り!」
杖を突き、傘をたたみながら笑顔で声をかけてきた女性は、80歳くらいだろうか。しかし声のハリは少女を思わせる。
「タオル、使ってください」
バイトのユウちゃんが、傘を受け取り傘立てに入れた。
「重そうなリュックですね」
女性は、悪戯っぽい笑顔で答える。「重いのよ。何が入ってると思う?」
「えっ? 何でしょう?」リュックの中からノートパソコンが出てきた。
「パソコン教室の帰りに、雨に降られちゃって」
「わっ、最新のWindows8ですよね? すごい。これ使ってるんですか?」「ええ。なんとかね」
「マスターなんか、何回教えても覚えてくれないんですよ」
「おいおい、ユウちゃん。劣等生扱いかい」
「だってー」ユウちゃんがふくれっ面を見せると、女性が笑う。
「パソコンも覚えればたのしいのにね」「ですよね」いきなり意気投合だ。
「いつ頃からパソコン、始められたんですか?」僕も興味が湧いて聞いた。
「70歳過ぎてからよ。膝の手術をしてね。しばらく歩けないし、よくなってからも外出するのが億劫になるだろうって息子が買ってくれたの」
「それは、たいへんでしたね」
「でもそれがね、、パソコンが楽しくなっちゃって。膝がよくなるかならないかってうちに杖をついて、リュックにパソコン入れて、パソコン教室に通って。メールも写真もネットサーフィンも、年賀状のデザインや印刷も、覚えたら楽しいったらないのよ」
女性は少女のような声で、少女のような笑顔で語った。そして、ケニアの中煎りを、思いっきり香りを吸い込んでから、嬉しそうに一口飲んだ。
「美味しい! こんな素敵な珈琲を飲めるなんて、雨に降られてよかったわ」
生きることを楽しんでいる。そんな息吹きが伝わってきた。負の要素に負けず、歩いてきた足跡を笑顔に感じる。
「ありがとうございます」
ほーっとため息をつかずにはいられなかった。パソコンに対しても何に対しても、苦手意識がある限り楽しいとは思えないし上達もしない。彼女の笑顔に教えられた気がした。僕も彼女を真似て、この雨がくれた出会いに感謝しよう。
しばらくすると雨はやみ、リュックにパソコンを入れ、杖をついて、彼女は帰って行った。傘立てに、濡れた傘を忘れて。
翌日、ユウちゃんが、彼女の傘を干していた。
空に鳥が舞う絵が描かれた、カラフルな傘だった。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
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