はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説「カフェ・ド・C」 27. 雨宿り

3月の冷たい雨が、街じゅうを濡らし始めた。予報では夜まで持つと言っていたから、慌てている人も多いだろう。
そんな夕刻、その人はカフェ・ド・Cのドアを開けた。
「急に降られちゃって。でも、ドアを開けたら珈琲のいい香り!」
杖を突き、傘をたたみながら笑顔で声をかけてきた女性は、80歳くらいだろうか。しかし声のハリは少女を思わせる。
「タオル、使ってください」
バイトのユウちゃんが、傘を受け取り傘立てに入れた。
「重そうなリュックですね」
女性は、悪戯っぽい笑顔で答える。「重いのよ。何が入ってると思う?」
「えっ? 何でしょう?」リュックの中からノートパソコンが出てきた。
「パソコン教室の帰りに、雨に降られちゃって」
「わっ、最新のWindows8ですよね? すごい。これ使ってるんですか?」「ええ。なんとかね」
「マスターなんか、何回教えても覚えてくれないんですよ」
「おいおい、ユウちゃん。劣等生扱いかい」
「だってー」ユウちゃんがふくれっ面を見せると、女性が笑う。
「パソコンも覚えればたのしいのにね」「ですよね」いきなり意気投合だ。
「いつ頃からパソコン、始められたんですか?」僕も興味が湧いて聞いた。
「70歳過ぎてからよ。膝の手術をしてね。しばらく歩けないし、よくなってからも外出するのが億劫になるだろうって息子が買ってくれたの」
「それは、たいへんでしたね」
「でもそれがね、、パソコンが楽しくなっちゃって。膝がよくなるかならないかってうちに杖をついて、リュックにパソコン入れて、パソコン教室に通って。メールも写真もネットサーフィンも、年賀状のデザインや印刷も、覚えたら楽しいったらないのよ」
女性は少女のような声で、少女のような笑顔で語った。そして、ケニアの中煎りを、思いっきり香りを吸い込んでから、嬉しそうに一口飲んだ。
「美味しい! こんな素敵な珈琲を飲めるなんて、雨に降られてよかったわ」
生きることを楽しんでいる。そんな息吹きが伝わってきた。負の要素に負けず、歩いてきた足跡を笑顔に感じる。
「ありがとうございます」
ほーっとため息をつかずにはいられなかった。パソコンに対しても何に対しても、苦手意識がある限り楽しいとは思えないし上達もしない。彼女の笑顔に教えられた気がした。僕も彼女を真似て、この雨がくれた出会いに感謝しよう。

しばらくすると雨はやみ、リュックにパソコンを入れ、杖をついて、彼女は帰って行った。傘立てに、濡れた傘を忘れて。

翌日、ユウちゃんが、彼女の傘を干していた。
空に鳥が舞う絵が描かれた、カラフルな傘だった。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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