はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
偶然を装った必然
ずっと一緒にいると、思考回路まで似てくるのだろうか。
「今夜はカレーにしようかな」わたしが考えたすぐその後に、夫が言った。
「今、びびっと来た! 今夜はカレーにしよう」
まるで神でも降りてきて「今夜はカレーにせよ」とのお告げを受けたかのような言い方。それにしてもの偶然に、ふたり驚かざるを得ない。
わたし的には、キッチンにある材料で買い物に行かなくともできるメニューを考えていた訳だが、彼的には関係もなく、ただ食べたいと思っただけだそうだ。実際、わたしは買い物に行った。彼のリクエストは、茄子と挽肉のカレーで、茄子も挽肉もなかったからだ。
以心伝心というものか、波長が関係しているのか、一緒にいる時間が長いから、そういうことが数多く起こるだけなのか何なのかよくわからない。しかしその頻度は、不思議としか言いようもないほどに頻繁なのだ。
「クラプトンの新しいCD、車に乗せようか」
夫が言ったその時、わたしの鞄には、まさにそのCDが入っていた。
「持ってきたよ」「おお! さすが、かあちゃん」
わたしは、愛車フィットのオーディオにCDを挿入した。軽快なメロディが流れる。夫が買ってから、しばらくたっていたし、いつも車のオーディオに録音しようと思いつつ忘れていたものだ。それをふと思い出し鞄に入れたタイミングが、彼の言いだした瞬間とぴったりだっただけだ。
友人にメールしたら同じ時間に偶然メールが来ていた時のような、人と人とを繋ぐ波。不可思議なもの。しかし夫婦であれば、押し寄せては引き、引いては押し寄せてと、そんな波を何万何千と繰り返しているはず。ぴたりと合う時があるのは、あたかも偶然を装った必然と言えるのかもしれないが。
ルーは、こくまろの辛口と中辛を混ぜています。
茄子を入れると甘みが増すので、次回は辛口のみでと相談がまとまりました。
夫を車に乗せるたび「またビートルズ聴いてるのぉ?」と言われるのが嫌で、
反射的に、クラプトンのCDを鞄に入れただけかも。必然要素大ですね。
アルバムは『OLD SOCK』 直訳すると古い靴下。ソックスの単数形。
SOCKには、大切なものを隠しておく場所という意味もあるそうです。
たとえば、クリスマスプレゼントとか。
「今夜はカレーにしようかな」わたしが考えたすぐその後に、夫が言った。
「今、びびっと来た! 今夜はカレーにしよう」
まるで神でも降りてきて「今夜はカレーにせよ」とのお告げを受けたかのような言い方。それにしてもの偶然に、ふたり驚かざるを得ない。
わたし的には、キッチンにある材料で買い物に行かなくともできるメニューを考えていた訳だが、彼的には関係もなく、ただ食べたいと思っただけだそうだ。実際、わたしは買い物に行った。彼のリクエストは、茄子と挽肉のカレーで、茄子も挽肉もなかったからだ。
以心伝心というものか、波長が関係しているのか、一緒にいる時間が長いから、そういうことが数多く起こるだけなのか何なのかよくわからない。しかしその頻度は、不思議としか言いようもないほどに頻繁なのだ。
「クラプトンの新しいCD、車に乗せようか」
夫が言ったその時、わたしの鞄には、まさにそのCDが入っていた。
「持ってきたよ」「おお! さすが、かあちゃん」
わたしは、愛車フィットのオーディオにCDを挿入した。軽快なメロディが流れる。夫が買ってから、しばらくたっていたし、いつも車のオーディオに録音しようと思いつつ忘れていたものだ。それをふと思い出し鞄に入れたタイミングが、彼の言いだした瞬間とぴったりだっただけだ。
友人にメールしたら同じ時間に偶然メールが来ていた時のような、人と人とを繋ぐ波。不可思議なもの。しかし夫婦であれば、押し寄せては引き、引いては押し寄せてと、そんな波を何万何千と繰り返しているはず。ぴたりと合う時があるのは、あたかも偶然を装った必然と言えるのかもしれないが。
ルーは、こくまろの辛口と中辛を混ぜています。
茄子を入れると甘みが増すので、次回は辛口のみでと相談がまとまりました。
夫を車に乗せるたび「またビートルズ聴いてるのぉ?」と言われるのが嫌で、
反射的に、クラプトンのCDを鞄に入れただけかも。必然要素大ですね。
アルバムは『OLD SOCK』 直訳すると古い靴下。ソックスの単数形。
SOCKには、大切なものを隠しておく場所という意味もあるそうです。
たとえば、クリスマスプレゼントとか。
小さな記憶スペースの中に
庭のすずらんが咲き始めた。花は小さいが眩しい白。風に吹かれるその姿は、本当に鈴の音を鳴らしているかのように、可愛く揺れる。
花の可愛らしさに加え「すずらん」という爽やかな響きのせいか、日本中に「すずらん通り」と名付けられた商店街があると聞く。
かく言うわたしも「すずらん」と聞いて、最初に思い出すのは「三井住友銀行 すずらん支店」だ。
人の記憶とは不思議なものだ。自分の忘れっぽさに辟易しているわたしだが、そのぽっちりしかない頭の中の記憶スペースに、あまり必要ではないものが詰め込まれているのを感じることがある。
「三井住友銀行 すずらん支店」とは、毎月振り込みがある外注先の支店名だ。経理を仕事とするわたしは、銀行の支店統合が頻繁だった一時期から、登録済みの振込先さえ毎月確認しなくてはならなくなった。覚える必要は何もない。正確に確認すれは済むことだ。しかし「すずらん」は、小さな記憶スペースから「三井住友銀行 すずらん支店」を取り出してくる。
でもまあ、こんな記憶も余計なことばかりではない。社長である夫と話していて「A社のBさんが」と言われ「はいはいA社のね」と、すぐに社名がわかったり、C社の支店名から本拠地は関西だとか想像できたりと、話が通じやすくなることも多い。もちろん一緒に仕事をしていればいいことばかりという訳にはいかない。わたしのミスで家庭の雰囲気まで嫌な感じになったりもするし、
「お父さん、先月出張日当、ずいぶんもらってたよね?」「そ、それは……」
などと、夫には都合が悪いこともあったりする。
それでも、いいことの方が多いと思っていたい。夫の会社も、今年で設立20年を迎える。ただ庭で、静かに笑うように揺れるすずらんを眺めつつ、末娘がお腹にいる時に、言い出しにくそうに「会社創りたいんだけど」と、彼が言い出したのを思い出した。
すずらんの繁殖力たるや、びっくりさせられます。雑草達もたじたじ。
すずらん付近に生息しようとするのはスギナくらいです。
根には毒を持つというすずらん。可愛い顔して、食えないやつかも。
花の可愛らしさに加え「すずらん」という爽やかな響きのせいか、日本中に「すずらん通り」と名付けられた商店街があると聞く。
かく言うわたしも「すずらん」と聞いて、最初に思い出すのは「三井住友銀行 すずらん支店」だ。
人の記憶とは不思議なものだ。自分の忘れっぽさに辟易しているわたしだが、そのぽっちりしかない頭の中の記憶スペースに、あまり必要ではないものが詰め込まれているのを感じることがある。
「三井住友銀行 すずらん支店」とは、毎月振り込みがある外注先の支店名だ。経理を仕事とするわたしは、銀行の支店統合が頻繁だった一時期から、登録済みの振込先さえ毎月確認しなくてはならなくなった。覚える必要は何もない。正確に確認すれは済むことだ。しかし「すずらん」は、小さな記憶スペースから「三井住友銀行 すずらん支店」を取り出してくる。
でもまあ、こんな記憶も余計なことばかりではない。社長である夫と話していて「A社のBさんが」と言われ「はいはいA社のね」と、すぐに社名がわかったり、C社の支店名から本拠地は関西だとか想像できたりと、話が通じやすくなることも多い。もちろん一緒に仕事をしていればいいことばかりという訳にはいかない。わたしのミスで家庭の雰囲気まで嫌な感じになったりもするし、
「お父さん、先月出張日当、ずいぶんもらってたよね?」「そ、それは……」
などと、夫には都合が悪いこともあったりする。
それでも、いいことの方が多いと思っていたい。夫の会社も、今年で設立20年を迎える。ただ庭で、静かに笑うように揺れるすずらんを眺めつつ、末娘がお腹にいる時に、言い出しにくそうに「会社創りたいんだけど」と、彼が言い出したのを思い出した。
すずらんの繁殖力たるや、びっくりさせられます。雑草達もたじたじ。
すずらん付近に生息しようとするのはスギナくらいです。
根には毒を持つというすずらん。可愛い顔して、食えないやつかも。
トイレの窓
トイレの窓に、庭のミントの葉を飾った。銅でできた一輪挿しを買い、草花を飾りたくなったのだ。
久しぶりに小さな模様替えをして、思い出したことがある。
13年前の今頃の季節のことだ。
越して来た建てたばかりの家には、驚くことに玄関のドアさえ付いていなかったが、3日ほどでそのドアは取り付けてもらった。しかし、障子や引き戸など、部屋の中の扉類は付いていないものも多く、風呂も使えず、新築の家特有の冷たさに、身も心も冷え切ってしまった。
夫は東京までの通勤に、子ども達は新しい学校での環境に慣れるのに精一杯。わたしはわたしで、大工さん、左官屋さん、建具屋さんが作業する家で引っ越しの荷物を片づける毎日。がんばらねばと思いつつも心労はたまっていった。
「疲れたなぁ」
誰もいない時間に、ホッとしたのか、ふいに涙がこぼれた。
「だめだ、だめだ。もうすぐ子ども達が帰ってくる」
涙を拭き、何気なく入ったトイレで、わたしは、あっと声を上げた。トイレの窓が青くキラキラと光っていたからだ。綺麗だった。世の中にこんな綺麗なものがあったのかと思うほど美しく、何も考えずしばし見とれていた。それから窓を開け、その青いものの正体を見て笑った。材木に被せた工事用のブルーシートに、ただ太陽が反射していただけだったのだ。
トイレの窓とブルーシートは、教えてくれた。綺麗だと感じる心があれば、いくらでも綺麗なものを見つけられること。可笑しいと思える気持ちがあれば、どんなに疲れていても笑えること。
4月頭に越してきて、家が完成したのは7月に入ってからだった。あの一瞬があったからがんばれたのだと、今でもトイレの窓を見ると、ふと思い出す。
薪ストーブも作るという、熊本に住む金属製品の作家さんの作品です。
銅製なので、ずしりと重く安定しています。
ドライフラワー化した南天を、アクセントに。
久しぶりに小さな模様替えをして、思い出したことがある。
13年前の今頃の季節のことだ。
越して来た建てたばかりの家には、驚くことに玄関のドアさえ付いていなかったが、3日ほどでそのドアは取り付けてもらった。しかし、障子や引き戸など、部屋の中の扉類は付いていないものも多く、風呂も使えず、新築の家特有の冷たさに、身も心も冷え切ってしまった。
夫は東京までの通勤に、子ども達は新しい学校での環境に慣れるのに精一杯。わたしはわたしで、大工さん、左官屋さん、建具屋さんが作業する家で引っ越しの荷物を片づける毎日。がんばらねばと思いつつも心労はたまっていった。
「疲れたなぁ」
誰もいない時間に、ホッとしたのか、ふいに涙がこぼれた。
「だめだ、だめだ。もうすぐ子ども達が帰ってくる」
涙を拭き、何気なく入ったトイレで、わたしは、あっと声を上げた。トイレの窓が青くキラキラと光っていたからだ。綺麗だった。世の中にこんな綺麗なものがあったのかと思うほど美しく、何も考えずしばし見とれていた。それから窓を開け、その青いものの正体を見て笑った。材木に被せた工事用のブルーシートに、ただ太陽が反射していただけだったのだ。
トイレの窓とブルーシートは、教えてくれた。綺麗だと感じる心があれば、いくらでも綺麗なものを見つけられること。可笑しいと思える気持ちがあれば、どんなに疲れていても笑えること。
4月頭に越してきて、家が完成したのは7月に入ってからだった。あの一瞬があったからがんばれたのだと、今でもトイレの窓を見ると、ふと思い出す。
薪ストーブも作るという、熊本に住む金属製品の作家さんの作品です。
銅製なので、ずしりと重く安定しています。
ドライフラワー化した南天を、アクセントに。
恵まれた才能
珈琲も好きだが、ビールも大好きだ。
こちらは求める気持ちが、すでにオーラになっているのか、求めなくともやってくる。友人に東京に行くから会おうと言うと「4時に恵比寿で」と返事をくれた。「恵比寿」と言えば「エビスビール」
会うなり彼女は「ビール記念館に行こうよ」と、歩き出した。遅れて駆け付けると言っていたもう一人の友人が来るまでの時間、とりあえずの一杯を飲もうと計画してくれていたらしい。扉を開けると、発酵した麦のアルコールを含んだ空気のお出迎え。見学もそこそこに、乾杯した。わたしは『琥珀エビス』友人は『スタウトクリーミートップ』
「あー、美味しい!」「久々の乾杯、嬉しいねぇ」
ビール党のふたりだ。近況を語る口調も、生ビールのお陰かなめらかになる。
ほどなくして到着した友人と、ビヤステーションに移動し、本格的に飲み始めた。もう一人の友人は、お酒は一杯をゆっくり飲むタイプ。対してビール党のふたりは、生ビールをおかわりし続ける。話はあっちに行き、こっちに行き、笑ったり、長いつきあいのなか初めて知る一面に驚いたり、共通の友人の仕事ぶりに感心したりした。
「秀でた能力を持った人は、いいよねぇ」とは、ビール党の友人。
「ほんと、羨ましいよねぇ」とは、わたし。
しかし、間髪を入れず、お酒ゆっくり派の友人が言った。
「何言ってんの。ふたりともビールを飲む能力に、恵まれまくってるじゃん」
「おお! ほんとだ」「確かに!」
とても大切な自分達の能力に気づかせてもらい、あらためて乾杯した。ふたりのビールを(いくらでも楽しんで)飲めるという(ちょっと高すぎるかもしれない)能力と、お酒ゆっくり派の友人に感謝して。
生ビールサーバーには、泡用の別の口が付いていました。
一口もらって飲んだ『クリーミー』は、黒ビールとは思えないまろやかさ。
こちらは求める気持ちが、すでにオーラになっているのか、求めなくともやってくる。友人に東京に行くから会おうと言うと「4時に恵比寿で」と返事をくれた。「恵比寿」と言えば「エビスビール」
会うなり彼女は「ビール記念館に行こうよ」と、歩き出した。遅れて駆け付けると言っていたもう一人の友人が来るまでの時間、とりあえずの一杯を飲もうと計画してくれていたらしい。扉を開けると、発酵した麦のアルコールを含んだ空気のお出迎え。見学もそこそこに、乾杯した。わたしは『琥珀エビス』友人は『スタウトクリーミートップ』
「あー、美味しい!」「久々の乾杯、嬉しいねぇ」
ビール党のふたりだ。近況を語る口調も、生ビールのお陰かなめらかになる。
ほどなくして到着した友人と、ビヤステーションに移動し、本格的に飲み始めた。もう一人の友人は、お酒は一杯をゆっくり飲むタイプ。対してビール党のふたりは、生ビールをおかわりし続ける。話はあっちに行き、こっちに行き、笑ったり、長いつきあいのなか初めて知る一面に驚いたり、共通の友人の仕事ぶりに感心したりした。
「秀でた能力を持った人は、いいよねぇ」とは、ビール党の友人。
「ほんと、羨ましいよねぇ」とは、わたし。
しかし、間髪を入れず、お酒ゆっくり派の友人が言った。
「何言ってんの。ふたりともビールを飲む能力に、恵まれまくってるじゃん」
「おお! ほんとだ」「確かに!」
とても大切な自分達の能力に気づかせてもらい、あらためて乾杯した。ふたりのビールを(いくらでも楽しんで)飲めるという(ちょっと高すぎるかもしれない)能力と、お酒ゆっくり派の友人に感謝して。
生ビールサーバーには、泡用の別の口が付いていました。
一口もらって飲んだ『クリーミー』は、黒ビールとは思えないまろやかさ。
求める気持ちあればこそ
東京は半蔵門で、屋台の珈琲屋さんを見つけた。
注文してからドリップしてくれて、豆の産地もはっきりしている。見るからに真面目に珈琲を淹れていますという感じだ。嬉しくなって早速、酸味が勝った珈琲を選び、淹れてもらった。チェーンの珈琲屋がテイクアウト用に使っているような蓋付きの紙コップに入っていたが、美味かった。
美味しい珈琲が飲めるのは、幸せなことだ。ますます嬉しくなり、ふたたび足を運び、少し立ち話しをした。すると、
「酸味好きなら、これ飲んでみてください」
店長だという彼は、気前良くグァテマラ産の『エル・ソコロ』というストレート珈琲を1杯ご馳走してくれた。
「美味しい!」「酸味も強いけど、甘みが後味に残るんですよ」
珈琲が本当に好きで店を始めたと話していた通り、顔を見れば、根っからの珈琲好きなのだと判るような話し方だった。
「豆、自宅用に買えますか?」「明日までに用意しましょう」
という訳で、グァテマラの『エル・ソコロ』が今手元にある。
方向音痴のわたしだが、「豆が違います。」その看板の一文に、道を曲がってみたのは間違いじゃなかった。求める気持ちあればこそ、美味しい珈琲との出会いは待っていてくれたのだ。
珈琲屋さんのページはこちら→都市型コーヒースタンド Dripper'sCoffee
レギュラーサイズは、なんと200円でした。ホテルの部屋で珈琲タイム。
看板の15mにも目を留めました。これなら迷うこともないはず!と。
注文してからドリップしてくれて、豆の産地もはっきりしている。見るからに真面目に珈琲を淹れていますという感じだ。嬉しくなって早速、酸味が勝った珈琲を選び、淹れてもらった。チェーンの珈琲屋がテイクアウト用に使っているような蓋付きの紙コップに入っていたが、美味かった。
美味しい珈琲が飲めるのは、幸せなことだ。ますます嬉しくなり、ふたたび足を運び、少し立ち話しをした。すると、
「酸味好きなら、これ飲んでみてください」
店長だという彼は、気前良くグァテマラ産の『エル・ソコロ』というストレート珈琲を1杯ご馳走してくれた。
「美味しい!」「酸味も強いけど、甘みが後味に残るんですよ」
珈琲が本当に好きで店を始めたと話していた通り、顔を見れば、根っからの珈琲好きなのだと判るような話し方だった。
「豆、自宅用に買えますか?」「明日までに用意しましょう」
という訳で、グァテマラの『エル・ソコロ』が今手元にある。
方向音痴のわたしだが、「豆が違います。」その看板の一文に、道を曲がってみたのは間違いじゃなかった。求める気持ちあればこそ、美味しい珈琲との出会いは待っていてくれたのだ。
珈琲屋さんのページはこちら→都市型コーヒースタンド Dripper'sCoffee
レギュラーサイズは、なんと200円でした。ホテルの部屋で珈琲タイム。
看板の15mにも目を留めました。これなら迷うこともないはず!と。
チャーハンとチャーハンの狭間で
チャーハンの味付けが、いまだに夫の好みに合わせられない。
「チャーハンは、もっと濃い味の方が好きだな」
彼は、結婚当初からずっと言っているのだが、その味を出すことは難しい。もともとわたしが薄味派だということもある。彼がチャーハン好きで、外ランチで食べる機会が多いということもある。わたしが外食でチャーハンは食べないということもある。だが、めったにないことに、外でチャーハンを食べることがあると、考えてしまう。これは、違う。違う食べ物だ。だいたい、わたしが作ったチャーハンの方が断然美味いと。
しかし夫のなかでは、悔しいことに、外食の濃い味チャーハンの方が勝っているらしい。これでは、歩み寄りようがない。食の好みは結構合う方なのに、求める味が根本から違っているのだ。
一昨日、ホテルのブッフェで、ふたり朝食を食べた。夫はご飯、わたしはお粥。ふたりとも肉じゃがを取っていた。まあまあの肉じゃが。しかし末娘なら言うことだろう。白滝が入っていない肉じゃがなんて、肉とじゃが芋が入ってない肉じゃがのようなものだと。
「うちの味と、全然違うね」と、わたし。
「うん。これは、全く違う食べ物だね」と、夫。
肉じゃが的には、共に過ごした年月の中で、我が家の味が確立されているということかな。もしかすると夫はチャーハン好きなだけに、外で食べるチャーハンとわたしが作るチャーハンとの狭間で、迷子になっているのかもしれない。
はてさて、我が家のチャーハンが、肉じゃが化する日は訪れるのだろうか。
焼き豚と葱を入れたチャーハンが一番好評です。
味付けは塩、胡椒、鶏がらスープの素、最後に醤油を回しかけて焦がします。
ブッフェの朝食。野菜がたくさん食べられるのがいいですね。
「結婚した頃は、食べ物のことで、よく揉めたよね」と、夫。
「何処もみんな、そうかもね」と、わたし。
「チャーハンは、もっと濃い味の方が好きだな」
彼は、結婚当初からずっと言っているのだが、その味を出すことは難しい。もともとわたしが薄味派だということもある。彼がチャーハン好きで、外ランチで食べる機会が多いということもある。わたしが外食でチャーハンは食べないということもある。だが、めったにないことに、外でチャーハンを食べることがあると、考えてしまう。これは、違う。違う食べ物だ。だいたい、わたしが作ったチャーハンの方が断然美味いと。
しかし夫のなかでは、悔しいことに、外食の濃い味チャーハンの方が勝っているらしい。これでは、歩み寄りようがない。食の好みは結構合う方なのに、求める味が根本から違っているのだ。
一昨日、ホテルのブッフェで、ふたり朝食を食べた。夫はご飯、わたしはお粥。ふたりとも肉じゃがを取っていた。まあまあの肉じゃが。しかし末娘なら言うことだろう。白滝が入っていない肉じゃがなんて、肉とじゃが芋が入ってない肉じゃがのようなものだと。
「うちの味と、全然違うね」と、わたし。
「うん。これは、全く違う食べ物だね」と、夫。
肉じゃが的には、共に過ごした年月の中で、我が家の味が確立されているということかな。もしかすると夫はチャーハン好きなだけに、外で食べるチャーハンとわたしが作るチャーハンとの狭間で、迷子になっているのかもしれない。
はてさて、我が家のチャーハンが、肉じゃが化する日は訪れるのだろうか。
焼き豚と葱を入れたチャーハンが一番好評です。
味付けは塩、胡椒、鶏がらスープの素、最後に醤油を回しかけて焦がします。
ブッフェの朝食。野菜がたくさん食べられるのがいいですね。
「結婚した頃は、食べ物のことで、よく揉めたよね」と、夫。
「何処もみんな、そうかもね」と、わたし。
たどりつければ、それでいい
道に迷った。比喩ではなく、実際にたどりつくべき場所にたどりつかず、うろうろと30分以上歩き回った。徒歩5分とかかれた目的地に行くまでにだ。
一時期流行った『話を聞かない男、地図が読めない女』(主婦の友社)は、男脳と女脳の違いユーモラスにをかいた本らしいが、まさに地図が読めない女である。道を曲がった時に、地図の方向転換ができず、気がついた時には、四つ角の真ん中に立ち、道ばかりが四方に伸び天を仰ぐしかなくなっているのだ。
「ああ、東京はもう新緑じゃないんだな。緑濃く風薫る5月なんだ」
などと木々を眺めつつ、それでも四方のどれかを選び、歩き出すしかない。
夫いわく。
「方向音痴なのを自分で知ってるくせに、だいだいこっちだろうとか言って歩き始めるから、そうなるんだよ」
まさにその通り。言い訳もする気も起きない。道に迷い疲弊した気分の時には、人生半分以上の時間、道に迷ってるんじゃないかと思うほどに疲れている。なのに、ふたたび道に迷う。目的地にたどりついた途端、着いた! という喜びと共に、迷ったことをすっかり忘れてしまうからだ。
「でも、まあいっか」と、夜には美味しくビールを飲んだ。たどりつければ、それでいい。わたしの時間は、のんびりと進んでるんだから。
写真を撮るまで、生ビールを待てませんでした。こういう時の時間は早い。
鮪と蛸とアボカドのサラダ、わさび風味ドレッシング。
半蔵門の居酒屋で。
一時期流行った『話を聞かない男、地図が読めない女』(主婦の友社)は、男脳と女脳の違いユーモラスにをかいた本らしいが、まさに地図が読めない女である。道を曲がった時に、地図の方向転換ができず、気がついた時には、四つ角の真ん中に立ち、道ばかりが四方に伸び天を仰ぐしかなくなっているのだ。
「ああ、東京はもう新緑じゃないんだな。緑濃く風薫る5月なんだ」
などと木々を眺めつつ、それでも四方のどれかを選び、歩き出すしかない。
夫いわく。
「方向音痴なのを自分で知ってるくせに、だいだいこっちだろうとか言って歩き始めるから、そうなるんだよ」
まさにその通り。言い訳もする気も起きない。道に迷い疲弊した気分の時には、人生半分以上の時間、道に迷ってるんじゃないかと思うほどに疲れている。なのに、ふたたび道に迷う。目的地にたどりついた途端、着いた! という喜びと共に、迷ったことをすっかり忘れてしまうからだ。
「でも、まあいっか」と、夜には美味しくビールを飲んだ。たどりつければ、それでいい。わたしの時間は、のんびりと進んでるんだから。
写真を撮るまで、生ビールを待てませんでした。こういう時の時間は早い。
鮪と蛸とアボカドのサラダ、わさび風味ドレッシング。
半蔵門の居酒屋で。
<訂正>びっきーの歳
間違えていた。びっきーの歳を、だ。
ずっと13歳とかいてきたが、彼はまだ12歳だった。22歳の娘が10歳の時のバースディプレゼントだったのだから、間違いない。何故そんな間違いをしていたのかというのは、簡単に推理できる。
「もうすぐ13歳」と言っていたのだが、その「もうすぐ」がいつの間にか省略されてしまっていたのだ。わたし的には、もう何度も落ちてきた陥りやすい落とし穴だ。
「お昼の時間以外に」と言われ「以外」が抜け落ちて逆さまの意味に捉えていたり、「遅くなるかもしれない」の「かもしれない」がなくなり「遅くなる」と言われたものだとばかり思い込んだり。自分でも呆れつつ、そのそそっかしさを反省するまえに、いつも忘れてしまうのだ。
という訳で、びっきーは12歳だ。捨て犬だったのではっきりした誕生日はわからないが、娘が23歳になる5月には、彼も13歳になる。黒かった顔の毛はだいぶ白くなり、昼寝の時間も長くなったが、健康で元気だ。
フィラリアの薬をもらいに行く以外は、病院にも、もう2年行っていない。2年前行った時にも、前足の、寝ている時に床についている部分の毛が抜けて赤くなっていたので、心配して連れて行ったのだが、
「とこずれ、でしょうか?」と、わたし。
「これは、ひじです」と、お医者様。
何処にも異常は、みられなかった。
散歩が気持ちのいい季節ですね~。
でも先週、姫がいつもは行かない道をあるくので、嫌な予感はしたのですが、
やっぱり注射でした。注射は嫌いです。注射がなければ春が一番好きなのに。
ところで、犬にとって1歳の違いは、人にしたら6歳くらいは違うんですよ。
間違えたでは済みませんよ、全く。ジャーキーの1本や2本や30本は、
お詫びに差し入れしてくれても、良さそうなものだと思いますがね。
ずっと13歳とかいてきたが、彼はまだ12歳だった。22歳の娘が10歳の時のバースディプレゼントだったのだから、間違いない。何故そんな間違いをしていたのかというのは、簡単に推理できる。
「もうすぐ13歳」と言っていたのだが、その「もうすぐ」がいつの間にか省略されてしまっていたのだ。わたし的には、もう何度も落ちてきた陥りやすい落とし穴だ。
「お昼の時間以外に」と言われ「以外」が抜け落ちて逆さまの意味に捉えていたり、「遅くなるかもしれない」の「かもしれない」がなくなり「遅くなる」と言われたものだとばかり思い込んだり。自分でも呆れつつ、そのそそっかしさを反省するまえに、いつも忘れてしまうのだ。
という訳で、びっきーは12歳だ。捨て犬だったのではっきりした誕生日はわからないが、娘が23歳になる5月には、彼も13歳になる。黒かった顔の毛はだいぶ白くなり、昼寝の時間も長くなったが、健康で元気だ。
フィラリアの薬をもらいに行く以外は、病院にも、もう2年行っていない。2年前行った時にも、前足の、寝ている時に床についている部分の毛が抜けて赤くなっていたので、心配して連れて行ったのだが、
「とこずれ、でしょうか?」と、わたし。
「これは、ひじです」と、お医者様。
何処にも異常は、みられなかった。
散歩が気持ちのいい季節ですね~。
でも先週、姫がいつもは行かない道をあるくので、嫌な予感はしたのですが、
やっぱり注射でした。注射は嫌いです。注射がなければ春が一番好きなのに。
ところで、犬にとって1歳の違いは、人にしたら6歳くらいは違うんですよ。
間違えたでは済みませんよ、全く。ジャーキーの1本や2本や30本は、
お詫びに差し入れしてくれても、良さそうなものだと思いますがね。
面倒くさがりの読書事情
基本、面倒くさがりである。
しかし、それも悪いことばかりではないのではないかと、最近気づいた。子ども達が揃って本好きなのは、わたしの面倒くさがりが微妙に影響しているのかもしれないと、思い至ったからだ。
単なる自己分析に過ぎないが、わたしが面倒くさがり性質を発揮するのは、だいたいがこういう場合だ。
スーパーまでは買い物に行ったのに、隣の薬局に寄るのがつい面倒で買い置き用風邪薬を切らしてしまう。毎日洗濯はしているのに、手洗いしなくてはならないものを洗うのは面倒でためてしまう。ひとりご飯の時に、納豆をパックのまま混ぜてご飯にかけてしまう。あるいはそれも面倒になり、食べるのをやめてしまう。どれも、どうしてそんなことが、というような小さなワンステップが、大きく作用している。考えると、今自分がやりたいことであっても、そのワンステップを踏むのが面倒で、しないままになってしまうことも多いのだ。
そんなこともあり、我が家のリビングには、読みかけの本を置くスペースがある。ちょっと読みたいなぁ、でも取りに行くのは面倒だな、のワンステップがこれで省けるという訳だ。
子ども達が小さい頃はよく、そこに図書館で借りた彼らが読みたそうな本を並べて置いておいた。リビングにごろごろ寝転がって読んでいたのは、3人のうちの誰だったか。しかし、わたしにしては面倒くさがらず、よく児童書を選んでは、借りて来ていたなぁと思う。やっぱり本が好きってことかな。
写真を撮って、気がつきました。
「あ、『ワイン食堂』買ったのに、あんまりレシピ活用してない!」
あまりに長く置いておかれていると、空気のごとく姿を隠す本もある?
しかし、それも悪いことばかりではないのではないかと、最近気づいた。子ども達が揃って本好きなのは、わたしの面倒くさがりが微妙に影響しているのかもしれないと、思い至ったからだ。
単なる自己分析に過ぎないが、わたしが面倒くさがり性質を発揮するのは、だいたいがこういう場合だ。
スーパーまでは買い物に行ったのに、隣の薬局に寄るのがつい面倒で買い置き用風邪薬を切らしてしまう。毎日洗濯はしているのに、手洗いしなくてはならないものを洗うのは面倒でためてしまう。ひとりご飯の時に、納豆をパックのまま混ぜてご飯にかけてしまう。あるいはそれも面倒になり、食べるのをやめてしまう。どれも、どうしてそんなことが、というような小さなワンステップが、大きく作用している。考えると、今自分がやりたいことであっても、そのワンステップを踏むのが面倒で、しないままになってしまうことも多いのだ。
そんなこともあり、我が家のリビングには、読みかけの本を置くスペースがある。ちょっと読みたいなぁ、でも取りに行くのは面倒だな、のワンステップがこれで省けるという訳だ。
子ども達が小さい頃はよく、そこに図書館で借りた彼らが読みたそうな本を並べて置いておいた。リビングにごろごろ寝転がって読んでいたのは、3人のうちの誰だったか。しかし、わたしにしては面倒くさがらず、よく児童書を選んでは、借りて来ていたなぁと思う。やっぱり本が好きってことかな。
写真を撮って、気がつきました。
「あ、『ワイン食堂』買ったのに、あんまりレシピ活用してない!」
あまりに長く置いておかれていると、空気のごとく姿を隠す本もある?
話すほどのことじゃない
川上弘美の小説を久しぶりに読んでいる。ガールズトーク小説と帯にかかれた『これでよろしくて?』(中公文庫)だ。その中に共感する言葉があった。
立木雛子は、一瞬黙る。それから頭をふるふると振り、
「いえ、話すほどのことじゃ、ないんです」と答えた。
(話すほどのことじゃ、ないのよね、たいがいのことは)
胸のなかで、わたしは立木雛子の言葉に頷く。
(でも話すほどのことじゃない、ことの方が、説明しやすい悲劇、よりも、むしろ後になってじわじわと効いてきちゃうのよね)
「うんうん、そうだよ。話すほどのことじゃないんだよ、たいがいのことは」
わたしも主人公にならい、うなずきつつ考えた。
だって、昨日1日だけだって、話すほどのことじゃないことだらけだよ、と。
たとえば、スーパーに買い物に行き、カートに弁慶の泣き所をぶつけて青たんができたこととか。また、たとえば、それを夫に話すと「どんくさい人のやることは」と呆れられたこととか。「えーっ、なにそれ。ちょっとくらい心配してくれてもいいんじゃないの?」と思いつつ言わなかったこととか。
夜、我が家でお隣のご主人と飲み、話してる途中で何を言おうと思ったのか忘れてしまったこととか。彼が漬けたという糠漬けがやたら美味しく、昔は糠漬け漬けたこともあったなぁと思い出したこととか。いろいろ思い出しつつ飲みすぎて、つぶれて先に寝ちゃったこととか。
また、たとえば、夜中に目が覚めしばらく眠れずにごろごろしていたら、隣のベッドから寝言が聞こえてきたこととか。それが「餃子」の一言のみだったこととか。しかしその「餃子」が幸せに満ち満ちた一言だったこととか。まるで「餃子」お、焼き立て! あるいは「餃子」わ、2個おまけついてる! といった感じだったこととか。それを聞いて、くつくつ笑いながら、安心して眠りについたこと。とかとか。
塩加減が絶妙でした。色もきれい。
打ち立ての蕎麦を、我が家で茹でてくれました。
蕎麦の味が濃く、つやつやしています。めちゃうまでした。
立木雛子は、一瞬黙る。それから頭をふるふると振り、
「いえ、話すほどのことじゃ、ないんです」と答えた。
(話すほどのことじゃ、ないのよね、たいがいのことは)
胸のなかで、わたしは立木雛子の言葉に頷く。
(でも話すほどのことじゃない、ことの方が、説明しやすい悲劇、よりも、むしろ後になってじわじわと効いてきちゃうのよね)
「うんうん、そうだよ。話すほどのことじゃないんだよ、たいがいのことは」
わたしも主人公にならい、うなずきつつ考えた。
だって、昨日1日だけだって、話すほどのことじゃないことだらけだよ、と。
たとえば、スーパーに買い物に行き、カートに弁慶の泣き所をぶつけて青たんができたこととか。また、たとえば、それを夫に話すと「どんくさい人のやることは」と呆れられたこととか。「えーっ、なにそれ。ちょっとくらい心配してくれてもいいんじゃないの?」と思いつつ言わなかったこととか。
夜、我が家でお隣のご主人と飲み、話してる途中で何を言おうと思ったのか忘れてしまったこととか。彼が漬けたという糠漬けがやたら美味しく、昔は糠漬け漬けたこともあったなぁと思い出したこととか。いろいろ思い出しつつ飲みすぎて、つぶれて先に寝ちゃったこととか。
また、たとえば、夜中に目が覚めしばらく眠れずにごろごろしていたら、隣のベッドから寝言が聞こえてきたこととか。それが「餃子」の一言のみだったこととか。しかしその「餃子」が幸せに満ち満ちた一言だったこととか。まるで「餃子」お、焼き立て! あるいは「餃子」わ、2個おまけついてる! といった感じだったこととか。それを聞いて、くつくつ笑いながら、安心して眠りについたこと。とかとか。
塩加減が絶妙でした。色もきれい。
打ち立ての蕎麦を、我が家で茹でてくれました。
蕎麦の味が濃く、つやつやしています。めちゃうまでした。
小さな彼の大きな驚き
山椒の新芽が葉を広げたので、筍が食べたくなった。
春だなぁとうららかな気持ちで、柔らかい山椒の葉を摘む。指先に匂いが移り、それを嗅がなくとも風にのってつんと尖った匂いが届く。いい季節だ。
家に戻り、ネットで筍レシピを検索していたら、新たな発見があった。
「シナチクって、筍だったんだ!」発見を、娘に自慢しようと話すと、
「そうだよ。知らなかったの?」と、つれない返事。
「えーっ? 知ってたの?」「とーぜん」
「シナチク目、シナチク科、シナチク属のシナチクさんだと思ってたのに」
自分の知識の少なさは認識していたが、キャベツとレタスの区別がいまだできない彼女に負けるとはショックだった。しかし、人間知らないことの方が遥かに多いのだ。知らないということは、新たな発見や驚きに出会うチャンスが未知数にあるということでもある。
ふと、以前特急あずさで近くの席に座っていた「新たな発見」をした子のことを思い出した。確か4歳くらいの男の子だった。大人しくパンを食べていたのだが、発見した驚きを母親に伝えたくて、つい声が大きくなったようだ。
「お母さん!見て見て、すごいよ! このパン、クリーム入ってる!」
クリームパン初体験だったのだろう。母親は、恥ずかしかったのか「はいはい、そうね」と小声である。しかし母親の態度に、自分の大発見を理解してもらえていないと彼は思い、さらに声高に訴えた。
「すごいんだよ! だって、パンの中にクリームが入ってるんだよ!」
「わかったから」さらに声が小さくなるお母さん。
「ほんとだよ! ほんとに、パンにクリームが入ってるんだよ!」
彼が驚きを身体じゅうで感じているその瞬間に出会えたことは、わたしには、忘れていた何かを思い出させてくれた心に残る出来事となった。
果たして大人になった彼は、あの驚きを覚えているのだろうか。
山椒を摘んでいると、びっきーが犬小屋から出て不思議そうに見ていました。
筍の木の芽和え。木の芽はたっぷりあるので、おかわり自由です。
春だなぁとうららかな気持ちで、柔らかい山椒の葉を摘む。指先に匂いが移り、それを嗅がなくとも風にのってつんと尖った匂いが届く。いい季節だ。
家に戻り、ネットで筍レシピを検索していたら、新たな発見があった。
「シナチクって、筍だったんだ!」発見を、娘に自慢しようと話すと、
「そうだよ。知らなかったの?」と、つれない返事。
「えーっ? 知ってたの?」「とーぜん」
「シナチク目、シナチク科、シナチク属のシナチクさんだと思ってたのに」
自分の知識の少なさは認識していたが、キャベツとレタスの区別がいまだできない彼女に負けるとはショックだった。しかし、人間知らないことの方が遥かに多いのだ。知らないということは、新たな発見や驚きに出会うチャンスが未知数にあるということでもある。
ふと、以前特急あずさで近くの席に座っていた「新たな発見」をした子のことを思い出した。確か4歳くらいの男の子だった。大人しくパンを食べていたのだが、発見した驚きを母親に伝えたくて、つい声が大きくなったようだ。
「お母さん!見て見て、すごいよ! このパン、クリーム入ってる!」
クリームパン初体験だったのだろう。母親は、恥ずかしかったのか「はいはい、そうね」と小声である。しかし母親の態度に、自分の大発見を理解してもらえていないと彼は思い、さらに声高に訴えた。
「すごいんだよ! だって、パンの中にクリームが入ってるんだよ!」
「わかったから」さらに声が小さくなるお母さん。
「ほんとだよ! ほんとに、パンにクリームが入ってるんだよ!」
彼が驚きを身体じゅうで感じているその瞬間に出会えたことは、わたしには、忘れていた何かを思い出させてくれた心に残る出来事となった。
果たして大人になった彼は、あの驚きを覚えているのだろうか。
山椒を摘んでいると、びっきーが犬小屋から出て不思議そうに見ていました。
筍の木の芽和え。木の芽はたっぷりあるので、おかわり自由です。
捨てるべきものの捨て場所
友人に、夢の話をした。
男の部屋を訪ねると、奥さんと小学生の男の子が二人いて、せんべい布団を敷き、奥さんの隣で寝ることになった。男と子どもは、何処に行ったのだろうか。気がつけば、奥さんとふたりきりになっている。
頬のラインが綺麗なその女は、真っ赤な口紅がくっきりと浮かび上がって見えるのが印象的だった。そして、何に動ずることもなく煙草を燻らせていた。
「いかが?」
煙草を勧められ、迷う。煙草は吸わないが、美味しそうに見えたのだ。
「いただきます」
わたしは咳き込まないよう注意を払いつつ、煙草を吸った。美味い。
煙草は時間をかけ、少しずつ先端から灰になっていく。わたしは灰皿を探した。だが灰皿は何処にもない。
女の煙草は、いくら煙を吐いても灰にはならず、真っ赤な唇がたずさえた微笑みが煙と共にゆらゆらと浮遊している。その横でわたしは、どんどん灰になっていく煙草を片手に、男の家を隅から隅まで灰皿を探して回るしかなかった。
話を聞いた友人いわく。
「捨てるべきものの、捨て場所を探してるんじゃない?」
「捨てるべきものかぁ」
彼女の言葉に、いつしか捨て場所ではなく、捨てるべきものの方を探している自分に気づく。たくさんのものを持ちすぎているのかもしれないなぁと、友人が淹れてくれた紅茶を飲みつつ、ふと考えた。
とりとめもなく、ふたりゆっくりとしゃべった友人のマンションからは、
スカイツリーが見えました。完成して、初めて目にしたスカイツリーかも。
男の部屋を訪ねると、奥さんと小学生の男の子が二人いて、せんべい布団を敷き、奥さんの隣で寝ることになった。男と子どもは、何処に行ったのだろうか。気がつけば、奥さんとふたりきりになっている。
頬のラインが綺麗なその女は、真っ赤な口紅がくっきりと浮かび上がって見えるのが印象的だった。そして、何に動ずることもなく煙草を燻らせていた。
「いかが?」
煙草を勧められ、迷う。煙草は吸わないが、美味しそうに見えたのだ。
「いただきます」
わたしは咳き込まないよう注意を払いつつ、煙草を吸った。美味い。
煙草は時間をかけ、少しずつ先端から灰になっていく。わたしは灰皿を探した。だが灰皿は何処にもない。
女の煙草は、いくら煙を吐いても灰にはならず、真っ赤な唇がたずさえた微笑みが煙と共にゆらゆらと浮遊している。その横でわたしは、どんどん灰になっていく煙草を片手に、男の家を隅から隅まで灰皿を探して回るしかなかった。
話を聞いた友人いわく。
「捨てるべきものの、捨て場所を探してるんじゃない?」
「捨てるべきものかぁ」
彼女の言葉に、いつしか捨て場所ではなく、捨てるべきものの方を探している自分に気づく。たくさんのものを持ちすぎているのかもしれないなぁと、友人が淹れてくれた紅茶を飲みつつ、ふと考えた。
とりとめもなく、ふたりゆっくりとしゃべった友人のマンションからは、
スカイツリーが見えました。完成して、初めて目にしたスカイツリーかも。
方向音痴もいいもんさ
甘やかして育てても、厳しい態度を持ってしても、子どもを育てるのはたいへんなことだ。甘やかして育てた末娘は、わたしに叱られた記憶というものがないと言う。しかし彼女はよく泣いた。どうして泣いているのか、何が気に入らないのか、全く見当がつかず、途方に暮れることもよくあった。
「どうして泣くの? いい加減に泣き止みなさい!」
そう怒鳴りつけたい衝動に駆られたことも、何度もある。
だが、宣言してしまった。
「この子は、甘やかして育てます!」
それもあってか、わたしは自然と逆へと向かう技を会得していった。
怒鳴りつけたい衝動やパワーを、逆方向に転換するのだ。そういう時、いつも一つ大きく息をついてから、彼女を抱きしめた。
「いい子だね。いい子だね。いいんだよ。泣いてもいいんだよ」
できる限り優しい声でささやき、できる限りの時間抱きしめていた。そうすることで自分も静まった。それで娘が泣き止んだかどうかは、忘れてしまった。そんなに簡単に泣き止むものなら、母親は苦労しないだろう。
だが、怒鳴りつけても、抱きしめても、わたしが娘にぶつけるパワーに変わりはなかったように思う。だったら抱きしめようと決めた。理由もわからず、ただ泣く子を怒鳴りつけたところで、何一ついいことはないのだ。
その逆さ技のおかげで、ずいぶんと気持ちが楽になり、ようやく3人の子どもを育てる母親らしく、子ども達と付き合えるようになった気がする。
正反対の方向へ向かうことは、悪いことばかりではない。道に迷う度わたしは思うのだ。「方向音痴も、いいもんいいさ」と。
以前、夫と旅したヴェネツィアで見つけた道標。
「どっちへ行こうがいずれはサン・マルコ広場とリアルト橋にでますよ」
それはそうと、昨日も新宿で反対方向に向かっていたわたし。
健康のためのウォーキングだと思えば「方向音痴もいいもんさ」?
「どうして泣くの? いい加減に泣き止みなさい!」
そう怒鳴りつけたい衝動に駆られたことも、何度もある。
だが、宣言してしまった。
「この子は、甘やかして育てます!」
それもあってか、わたしは自然と逆へと向かう技を会得していった。
怒鳴りつけたい衝動やパワーを、逆方向に転換するのだ。そういう時、いつも一つ大きく息をついてから、彼女を抱きしめた。
「いい子だね。いい子だね。いいんだよ。泣いてもいいんだよ」
できる限り優しい声でささやき、できる限りの時間抱きしめていた。そうすることで自分も静まった。それで娘が泣き止んだかどうかは、忘れてしまった。そんなに簡単に泣き止むものなら、母親は苦労しないだろう。
だが、怒鳴りつけても、抱きしめても、わたしが娘にぶつけるパワーに変わりはなかったように思う。だったら抱きしめようと決めた。理由もわからず、ただ泣く子を怒鳴りつけたところで、何一ついいことはないのだ。
その逆さ技のおかげで、ずいぶんと気持ちが楽になり、ようやく3人の子どもを育てる母親らしく、子ども達と付き合えるようになった気がする。
正反対の方向へ向かうことは、悪いことばかりではない。道に迷う度わたしは思うのだ。「方向音痴も、いいもんいいさ」と。
以前、夫と旅したヴェネツィアで見つけた道標。
「どっちへ行こうがいずれはサン・マルコ広場とリアルト橋にでますよ」
それはそうと、昨日も新宿で反対方向に向かっていたわたし。
健康のためのウォーキングだと思えば「方向音痴もいいもんさ」?
甘やかして育てました
末娘が生まれた時に、わたしは宣言した。
「この子は、甘やかして育てます!」
宣言の通り、3人目の子どもである末娘は甘やかされて育った。母であるわたしにも、父である夫にも、7つ離れた兄にも、4つ離れた姉にも。
甘やかされて育った子どもが大抵そうであるように、小学生まではわがまま放題だった娘だが、ある時ふと気づいたようだ。
「自分は、甘やかされ過ぎている。このままではいけない」
娘がそう気づいたと、わたしはすぐに気づいた。そして、それからさらに甘やかすようになった。
高校に入り、彼女が初めてテストで百点を取った時のこと。
「えーっ! 百点!? すごい! すご過ぎる! 実は天才なんじゃないの?」
迎えに行った車中で、褒めちぎるわたし。
「がんばったね! すごいね! コンビニでアイス買う?」
物で釣るのは親としてどうかと思うが、甘やかすことに抵抗がなくなっているわたしには、すでに無関係である。
「もう、なぁんでも買ってあげる。何個でも買ってあげる。コンビニじゅうの物、ぜーんぶ買ってあげる」(ムリだろ!)
娘も、嬉しそうにノッてくる。「うん。ママ、アイス買って」
小学生の時のようにママと呼ぶその声は、子役演じる声優さながらに甘ったるくかん高く可愛らしく演出されたものだ。しかし、彼女はアイス1個以上のものはねだらない。
甘やかす母親と、自分との位置をしっかり見極め、必要以上のものは不要と判断し、そしてしっかりといつもは食べられないハーゲンダッツを選ぶのだ。
大学入学後、夫と共に、初めて娘と食事した。
「何でも好きなもの、食べていいよ」
夫の言葉に、彼女は好物のウニを好きなだけ食べた。これからは大人の付き合いになるのかな、それとも。生ビールを飲みつつ、考えるのだった。
新宿の美味しい日本酒を揃えた『頑固おやじ』で。
娘とよく寄ったコンビニ。国道141号沿いの気持ちのいい場所にあります。
「この子は、甘やかして育てます!」
宣言の通り、3人目の子どもである末娘は甘やかされて育った。母であるわたしにも、父である夫にも、7つ離れた兄にも、4つ離れた姉にも。
甘やかされて育った子どもが大抵そうであるように、小学生まではわがまま放題だった娘だが、ある時ふと気づいたようだ。
「自分は、甘やかされ過ぎている。このままではいけない」
娘がそう気づいたと、わたしはすぐに気づいた。そして、それからさらに甘やかすようになった。
高校に入り、彼女が初めてテストで百点を取った時のこと。
「えーっ! 百点!? すごい! すご過ぎる! 実は天才なんじゃないの?」
迎えに行った車中で、褒めちぎるわたし。
「がんばったね! すごいね! コンビニでアイス買う?」
物で釣るのは親としてどうかと思うが、甘やかすことに抵抗がなくなっているわたしには、すでに無関係である。
「もう、なぁんでも買ってあげる。何個でも買ってあげる。コンビニじゅうの物、ぜーんぶ買ってあげる」(ムリだろ!)
娘も、嬉しそうにノッてくる。「うん。ママ、アイス買って」
小学生の時のようにママと呼ぶその声は、子役演じる声優さながらに甘ったるくかん高く可愛らしく演出されたものだ。しかし、彼女はアイス1個以上のものはねだらない。
甘やかす母親と、自分との位置をしっかり見極め、必要以上のものは不要と判断し、そしてしっかりといつもは食べられないハーゲンダッツを選ぶのだ。
大学入学後、夫と共に、初めて娘と食事した。
「何でも好きなもの、食べていいよ」
夫の言葉に、彼女は好物のウニを好きなだけ食べた。これからは大人の付き合いになるのかな、それとも。生ビールを飲みつつ、考えるのだった。
新宿の美味しい日本酒を揃えた『頑固おやじ』で。
娘とよく寄ったコンビニ。国道141号沿いの気持ちのいい場所にあります。
磨きがかかった彼女
オーストラリアで1年過ごし帰ってきた娘は何も変わらないように見えたが、日々共に過ごしていると、やはり微妙な変化を感じずにはいられない。帰って来たばかりの頃は、木の上の猿を見て「あ、コアラ!」などと言っていたが、これはまあ、変化と言うほどのこともないだろう。しかし、ある日の会話。
「なんでさぁ、レンゲでカレー食べてんの?」と、驚きを隠せずに夫。
「別にいいでしょう。何で食べたって」と、娘。
「カレーにレンゲは、ちょっと……」と、わたし。
「だって、そんなこと言ったら、レンゲ使う機会がないじゃん」と、娘。
「ら、ラーメンとか」と、遠慮がちに夫。
「うちでラーメン、食べないし」と、娘はぺろりとカレーをたいらげた。もちろんレンゲで。もともといろいろと気にしない派だったが、それにさらに磨きがかかっているのを感じる。
また、ある日の会話。
「あーっ! 冷凍庫のハーゲンダッツ、サムが『オトウサンに』って買ってくれたやつじゃん。なんでこんなになくなってるの?」
と、娘を責めるように、夫。
「お父さんとわたしにって、言ってたんじゃない?」
と、しれっとした顔で言い放つ、娘。
「いや。確かにお父さんにって、サム言ってた」と、わたし。
「そうだっけ?」と、すべてを知った者の微笑みをたずさえつつ、娘は言う。
その自信に満ちたとぼけようにも、やはり磨きがかかっている。そして。
「サムに、言いつけてやる」と、夫。
「言いつければ?」と勝ち誇ったように、娘。
開き直り方にも、ずいぶんと磨きがかかっているのだった。
我が家の茄子カレーは、フライパンで柔らかく焼いた茄子を最後に入れます。
煮崩れることもないし、茄子の旨味を逃さず食べられます。
ステイしていたサムが去り、1週間が経ちました。
あらためて、彼がいた2週間は濃い時間だったなぁと感じます。
「なんでさぁ、レンゲでカレー食べてんの?」と、驚きを隠せずに夫。
「別にいいでしょう。何で食べたって」と、娘。
「カレーにレンゲは、ちょっと……」と、わたし。
「だって、そんなこと言ったら、レンゲ使う機会がないじゃん」と、娘。
「ら、ラーメンとか」と、遠慮がちに夫。
「うちでラーメン、食べないし」と、娘はぺろりとカレーをたいらげた。もちろんレンゲで。もともといろいろと気にしない派だったが、それにさらに磨きがかかっているのを感じる。
また、ある日の会話。
「あーっ! 冷凍庫のハーゲンダッツ、サムが『オトウサンに』って買ってくれたやつじゃん。なんでこんなになくなってるの?」
と、娘を責めるように、夫。
「お父さんとわたしにって、言ってたんじゃない?」
と、しれっとした顔で言い放つ、娘。
「いや。確かにお父さんにって、サム言ってた」と、わたし。
「そうだっけ?」と、すべてを知った者の微笑みをたずさえつつ、娘は言う。
その自信に満ちたとぼけようにも、やはり磨きがかかっている。そして。
「サムに、言いつけてやる」と、夫。
「言いつければ?」と勝ち誇ったように、娘。
開き直り方にも、ずいぶんと磨きがかかっているのだった。
我が家の茄子カレーは、フライパンで柔らかく焼いた茄子を最後に入れます。
煮崩れることもないし、茄子の旨味を逃さず食べられます。
ステイしていたサムが去り、1週間が経ちました。
あらためて、彼がいた2週間は濃い時間だったなぁと感じます。
いいシャツと悪いシャツ
週末、小淵沢のアウトレットまでドライブした。古くなったワイシャツを何枚か処分したので、それを補充するため、夫とふたり買いに出かけたのだ。
標高が高い方に向かうので桜もまだ咲いていて、牛を放牧しているのを眺めたり、寄り道しつつのんびりと走った。
「いいシャツがなかったら、どうしようかな」と、夫。
「その時は、悪いシャツを買おうよ」と、運転手のわたし。
ふたりでドライブすると、こんなめちゃくちゃな禅問答にもならないジョークを言い合うことも多い。いいシャツの対義語は、悪いシャツではもちろんない。だが、どうしようかねぇと答えるのもつまらないではないか。
「いいシャツ?」「悪いシャツ?」などと笑いつつ、ネクタイを締めても締めなくても「どっちでもいい」シンプルなシャツを一枚選んだ。
帰り道は、スーパーに夕飯の食材を買いに寄った。野菜売り場には春の山菜が並んでいる。ふきのとう、タラの芽、こごみ、木の芽、そのなかに立派なウドを見つけた。
「美味そうなウドだねぇ」「ほんと。いいウド!」
「いい」という言葉は面白い。いいシャツは気に入ったシャツのことだし、いいウドは瑞々しくて食べたいなぁと思わせるようなウドだ。「どっちでもいい」も「いい」のうちだし、「よしよし、いい子だね」と子どもをあやせば「いい子にしてね」の意味合いが出てきたりする。
まあ「いい」。幸運にも「悪いシャツ」ではなく「いいシャツ」を選ぶことができ、「いいウド」をカルパッチョにして、夕飯はワインで乾杯した。「いい」という言葉通りの「いい」週末だった。
のんびりと草を食む牛達。
鰹とウドのカルパッチョ。庭に出てきたイタリアンパセリをのせました。
味付けは、柚子ポンとオリーブオイルと粗挽き黒胡椒で簡単に。
標高が高い方に向かうので桜もまだ咲いていて、牛を放牧しているのを眺めたり、寄り道しつつのんびりと走った。
「いいシャツがなかったら、どうしようかな」と、夫。
「その時は、悪いシャツを買おうよ」と、運転手のわたし。
ふたりでドライブすると、こんなめちゃくちゃな禅問答にもならないジョークを言い合うことも多い。いいシャツの対義語は、悪いシャツではもちろんない。だが、どうしようかねぇと答えるのもつまらないではないか。
「いいシャツ?」「悪いシャツ?」などと笑いつつ、ネクタイを締めても締めなくても「どっちでもいい」シンプルなシャツを一枚選んだ。
帰り道は、スーパーに夕飯の食材を買いに寄った。野菜売り場には春の山菜が並んでいる。ふきのとう、タラの芽、こごみ、木の芽、そのなかに立派なウドを見つけた。
「美味そうなウドだねぇ」「ほんと。いいウド!」
「いい」という言葉は面白い。いいシャツは気に入ったシャツのことだし、いいウドは瑞々しくて食べたいなぁと思わせるようなウドだ。「どっちでもいい」も「いい」のうちだし、「よしよし、いい子だね」と子どもをあやせば「いい子にしてね」の意味合いが出てきたりする。
まあ「いい」。幸運にも「悪いシャツ」ではなく「いいシャツ」を選ぶことができ、「いいウド」をカルパッチョにして、夕飯はワインで乾杯した。「いい」という言葉通りの「いい」週末だった。
のんびりと草を食む牛達。
鰹とウドのカルパッチョ。庭に出てきたイタリアンパセリをのせました。
味付けは、柚子ポンとオリーブオイルと粗挽き黒胡椒で簡単に。
雰囲気重視?
南アルプスの彼は、その日、南アルプスにはいなかった。
贔屓にしているマッサージ師の彼は南アルプス店店長だが、姉妹店の甲斐市に出張しているという。我が家からは甲斐店の方が近いのでさっそく予約した。
姉妹店なのでポイントカードも両方で使えるが、ふたつの店は全く雰囲気が違う。南アルプス店は、指圧などの施術を行うクリニックの雰囲気。対して甲斐店の方は、リラクゼーションルームであり、アロマ漂う洒落た雰囲気。
彼は最初、甲斐店にいたので、こちらの雰囲気もわかっている。しかし、南アルプス店に慣れ親しんでみると、小さな違和感が芽を出した。
ウェアをいつもの白衣から、甲斐店イメージカラーのブラウンに着替えちょっとスリムに見えるのはいいとして、マッサージ師くんの口数がやけに少ない。いつも昨年末に生まれた赤ちゃんの話や、拾った猫の話などを取りとめもなく話す彼が、しゃべらない。南アルプス店では、他のマッサージ師さんもかなりおしゃべりだ。笑い声が高らかに上がることも茶飯事。照明も、人も明るい。だが甲斐店では、静寂と薄暗い照明が雰囲気作りには、欠かせないらしい。それはそれで、まあいいかな、雰囲気も大切だもんね、確かにさぁと思いつつ、彼に聞いた。
「『ミドリムシ』買っていこうかな」
「すみません。こっちでは扱ってないんです。『ミドリムシ』っていうネーミングが雰囲気に合わないみたいで」
『ミドリムシ』とは、最近流行っている彼おススメのサプリメントだ。
「そこまで雰囲気にこだわるんだ!」「雰囲気重視です」
彼も、多少呆れた感じで申し訳なさそうに言う。
「また行くわ。南アルプス」「来てください」
彼のマッサージは、相変わらず冴えていた。スッキリした肩を軽くまわしつつ、雰囲気重視に走りすぎるのもなんだかなぁと、考えた。
我が家のトイレに飾ってある、ピカソの絵ハガキです。
左はドラ・マール。右はマリー・テレーズ。ピカソが愛した女性達です。
ふたつの店の違いを思い、連想したのがこの二枚の絵でした。
贔屓にしているマッサージ師の彼は南アルプス店店長だが、姉妹店の甲斐市に出張しているという。我が家からは甲斐店の方が近いのでさっそく予約した。
姉妹店なのでポイントカードも両方で使えるが、ふたつの店は全く雰囲気が違う。南アルプス店は、指圧などの施術を行うクリニックの雰囲気。対して甲斐店の方は、リラクゼーションルームであり、アロマ漂う洒落た雰囲気。
彼は最初、甲斐店にいたので、こちらの雰囲気もわかっている。しかし、南アルプス店に慣れ親しんでみると、小さな違和感が芽を出した。
ウェアをいつもの白衣から、甲斐店イメージカラーのブラウンに着替えちょっとスリムに見えるのはいいとして、マッサージ師くんの口数がやけに少ない。いつも昨年末に生まれた赤ちゃんの話や、拾った猫の話などを取りとめもなく話す彼が、しゃべらない。南アルプス店では、他のマッサージ師さんもかなりおしゃべりだ。笑い声が高らかに上がることも茶飯事。照明も、人も明るい。だが甲斐店では、静寂と薄暗い照明が雰囲気作りには、欠かせないらしい。それはそれで、まあいいかな、雰囲気も大切だもんね、確かにさぁと思いつつ、彼に聞いた。
「『ミドリムシ』買っていこうかな」
「すみません。こっちでは扱ってないんです。『ミドリムシ』っていうネーミングが雰囲気に合わないみたいで」
『ミドリムシ』とは、最近流行っている彼おススメのサプリメントだ。
「そこまで雰囲気にこだわるんだ!」「雰囲気重視です」
彼も、多少呆れた感じで申し訳なさそうに言う。
「また行くわ。南アルプス」「来てください」
彼のマッサージは、相変わらず冴えていた。スッキリした肩を軽くまわしつつ、雰囲気重視に走りすぎるのもなんだかなぁと、考えた。
我が家のトイレに飾ってある、ピカソの絵ハガキです。
左はドラ・マール。右はマリー・テレーズ。ピカソが愛した女性達です。
ふたつの店の違いを思い、連想したのがこの二枚の絵でした。
朝ご飯食べてますか?
油断した。油ではなく味噌を切らしてしまった。
「なんで味噌がないの?」
普段あまり食事について文句を言わない夫が、不満を漏らす。
味噌は、ネットでまとめ買いをしている。すぐに届くと思っているその油断から、注文するのが遅れたのだ。
我が家のスタンダードな朝ご飯は「朝ご飯」と呼ぶに堪えうるものだと自負している。味噌汁(複数の野菜を入れたもの)、ベーコンエッグまたはウインナとスクランブルエッグまたは納豆、野菜(モヤシやキャベツやほうれん草炒め、またはトマトやレタスなどのサラダ)、在れば夕飯の残りの煮物や梅干しなど、それに炊き立てのご飯。といった風である。(こうかくと、普通だな)まあしかし、なるべく野菜をたくさん取れるよう心掛けている。だから味噌汁は、具だくさんになることが多い。味噌汁の具を何にするか迷う夢を見るほどに、気持ちも入れ込んでいる。山梨と東京。普段離れていることが多いわたし達夫婦には、共に食事をする時間が大切だと思うが故だ。
その味噌を切らしては、不満顔をされてもしょうがない。
東京でふたり一緒に泊まり、朝ご飯を食べることがある。
大抵チェーンの珈琲屋で、パンと珈琲の朝食だ。ふたりで食べればそれはそれで美味しいが、いつも彼はひとりで食べているのだろうと想像する。
想像したら、野菜たっぷりの湯気が立った味噌汁を作らずにはいられなくなる。炊き立てのご飯をよそわずにはいられなくなる。小さな朝の小さなワンシーンを、丁寧に過ごしたいと思わずにはいられなくなる。
明日は、届いたばかりの信州は山吹味噌で、彼の好きな豆腐と油揚げの味噌汁を作ろう。小松菜となめこも入れよう。葱もきざもう。
朝ご飯、食べていますか?
『プロント』の茹で卵つきモーニング。
余談ですが「プロント」はイタリア語で「準備OK」の意味。
電話に出る時の「もしもし」にも使います。今いいですよって感じかな。
半蔵門のホテル近くにあるバールで、トマトリゾット&珈琲。
「なんで味噌がないの?」
普段あまり食事について文句を言わない夫が、不満を漏らす。
味噌は、ネットでまとめ買いをしている。すぐに届くと思っているその油断から、注文するのが遅れたのだ。
我が家のスタンダードな朝ご飯は「朝ご飯」と呼ぶに堪えうるものだと自負している。味噌汁(複数の野菜を入れたもの)、ベーコンエッグまたはウインナとスクランブルエッグまたは納豆、野菜(モヤシやキャベツやほうれん草炒め、またはトマトやレタスなどのサラダ)、在れば夕飯の残りの煮物や梅干しなど、それに炊き立てのご飯。といった風である。(こうかくと、普通だな)まあしかし、なるべく野菜をたくさん取れるよう心掛けている。だから味噌汁は、具だくさんになることが多い。味噌汁の具を何にするか迷う夢を見るほどに、気持ちも入れ込んでいる。山梨と東京。普段離れていることが多いわたし達夫婦には、共に食事をする時間が大切だと思うが故だ。
その味噌を切らしては、不満顔をされてもしょうがない。
東京でふたり一緒に泊まり、朝ご飯を食べることがある。
大抵チェーンの珈琲屋で、パンと珈琲の朝食だ。ふたりで食べればそれはそれで美味しいが、いつも彼はひとりで食べているのだろうと想像する。
想像したら、野菜たっぷりの湯気が立った味噌汁を作らずにはいられなくなる。炊き立てのご飯をよそわずにはいられなくなる。小さな朝の小さなワンシーンを、丁寧に過ごしたいと思わずにはいられなくなる。
明日は、届いたばかりの信州は山吹味噌で、彼の好きな豆腐と油揚げの味噌汁を作ろう。小松菜となめこも入れよう。葱もきざもう。
朝ご飯、食べていますか?
『プロント』の茹で卵つきモーニング。
余談ですが「プロント」はイタリア語で「準備OK」の意味。
電話に出る時の「もしもし」にも使います。今いいですよって感じかな。
半蔵門のホテル近くにあるバールで、トマトリゾット&珈琲。
目的をはっきりさせることで見えてくるもの
東京、千鳥ヶ淵では、七分咲きのツツジが春風に揺れていた。
立ち寄ったのは『暮らしのうつわ、花田』その名の通り器を扱う店だ。1階には茶碗や平皿、小鉢、マグカップやお湯呑みなどが、2階には鍋や大皿など大きめの器が並べられている。
「わ、素敵!」と一目で気に入った幾何学模様のタジン鍋は、小さめにもかかわらず一万七千円。妥当な値段だとは思うが手が出ない。一通り見て歩いたが、ぼんやり眺めるだけに終始し、店を出ようと思った時にふと思い出した。
「そういえば来月、夫が高校時代の友人達を呼び、イタリアン&ワインパーティ(ただの飲み会とも言う)をしたいって言ってたな」
きびすを返し、もう一度店内を歩く。するとさっきまで目立たず大人しくしていた皿達が、一斉にアピールし始めた。
「パーティには大皿が必要ですよ。新調してはいかがですか?」
「取り皿がおしゃれだと、盛り上がりますよ」
「突き出し用の小さめの小鉢が、欲しかったんじゃありませんか?」
手に取った皿はもう、さっきまでとは違うものになっていた。「取り皿用」「カルパッチョ用」「ブルスケッタ用(並べ方まで思い浮かんだ)」など、はっきりした目的を持ってわたしに語りかけてくる。不思議なもので目的がはっきりしたとたん、同じ皿なのに、見えなかったものが見えてきたのだ。
結局、大皿1枚と、取り皿用の皿5枚を選び、迷った挙句購入した。
「新しい料理に、挑戦しようかな」
店を出ると、春の柔らかい風が頬をなでた。
いいなと思っても、値が張って手が出ないものもたくさんありました。
ごつごつ感と淡い色合いの優しさを合わせ持つ『粉引』の大皿。
写真を並べると大きく見えますが、取り皿に丁度いい大きさです。
ほたる窯という窯元さんの作品ですが、模様も蛍を連想させます。
いただきものの栃尾のあぶらげを、小松菜と煮て。
立ち寄ったのは『暮らしのうつわ、花田』その名の通り器を扱う店だ。1階には茶碗や平皿、小鉢、マグカップやお湯呑みなどが、2階には鍋や大皿など大きめの器が並べられている。
「わ、素敵!」と一目で気に入った幾何学模様のタジン鍋は、小さめにもかかわらず一万七千円。妥当な値段だとは思うが手が出ない。一通り見て歩いたが、ぼんやり眺めるだけに終始し、店を出ようと思った時にふと思い出した。
「そういえば来月、夫が高校時代の友人達を呼び、イタリアン&ワインパーティ(ただの飲み会とも言う)をしたいって言ってたな」
きびすを返し、もう一度店内を歩く。するとさっきまで目立たず大人しくしていた皿達が、一斉にアピールし始めた。
「パーティには大皿が必要ですよ。新調してはいかがですか?」
「取り皿がおしゃれだと、盛り上がりますよ」
「突き出し用の小さめの小鉢が、欲しかったんじゃありませんか?」
手に取った皿はもう、さっきまでとは違うものになっていた。「取り皿用」「カルパッチョ用」「ブルスケッタ用(並べ方まで思い浮かんだ)」など、はっきりした目的を持ってわたしに語りかけてくる。不思議なもので目的がはっきりしたとたん、同じ皿なのに、見えなかったものが見えてきたのだ。
結局、大皿1枚と、取り皿用の皿5枚を選び、迷った挙句購入した。
「新しい料理に、挑戦しようかな」
店を出ると、春の柔らかい風が頬をなでた。
いいなと思っても、値が張って手が出ないものもたくさんありました。
ごつごつ感と淡い色合いの優しさを合わせ持つ『粉引』の大皿。
写真を並べると大きく見えますが、取り皿に丁度いい大きさです。
ほたる窯という窯元さんの作品ですが、模様も蛍を連想させます。
いただきものの栃尾のあぶらげを、小松菜と煮て。
からみ合いつつ生きている
新緑の季節。森の木々達が柔らかく明るい色の若葉を開いていく。
その木々にからみついた様々な蔓(つる)は、冬の間、まるで枯れたようにも見えた。だがその枝からも、小さなあくびをするかのように、ひとつ、またひとつと若葉が開いていく。古株の蔓は、からみついた木と変わらぬ太さになったものもあり、そんな蔓にからまれた木は、苦しみつつ空へ伸びているようにも見えるが、支え合っているかのようでもある。
「人と似てるよなぁ」蔓を見る度に、思う。
しっかりと根を張った木がそばに居たら、寄り掛かりたくもなるだろう。寄り掛かれば、からみつきたくもなるだろう。からみついた挙句その木をダメにしてしまう蔓もあれば、太陽のまぶしさに魅かれ、からみついた木を離れ、頼りなげに空へ伸びていく蔓もある。隣の木へ、またその隣の木へとからみついていくものもあれば、蔓同士からみ合いつつ、空へ伸びることもなく地面を這うように生きていくものもある。
男とか女とか、夫婦とか恋人とか、友達とか親子とか、そういうことではなく、森を歩き蔓を見る度に感じるのだ。その姿かたちも生き方も、人と似てるよなぁと。そして静かに考える。今の自分をこの森の蔓に例えたら、いったいどんな蔓だろうかと。
新緑の森で、からみ合ったまま目覚めた蔓達。
がんじがらめのようにも見えますが、支えあっているようでもあり。
木に寄り掛かることを拒むかのように、太陽に向かい風に揺れる蔓。
我が家から徒歩30秒ほどの場所で。
その木々にからみついた様々な蔓(つる)は、冬の間、まるで枯れたようにも見えた。だがその枝からも、小さなあくびをするかのように、ひとつ、またひとつと若葉が開いていく。古株の蔓は、からみついた木と変わらぬ太さになったものもあり、そんな蔓にからまれた木は、苦しみつつ空へ伸びているようにも見えるが、支え合っているかのようでもある。
「人と似てるよなぁ」蔓を見る度に、思う。
しっかりと根を張った木がそばに居たら、寄り掛かりたくもなるだろう。寄り掛かれば、からみつきたくもなるだろう。からみついた挙句その木をダメにしてしまう蔓もあれば、太陽のまぶしさに魅かれ、からみついた木を離れ、頼りなげに空へ伸びていく蔓もある。隣の木へ、またその隣の木へとからみついていくものもあれば、蔓同士からみ合いつつ、空へ伸びることもなく地面を這うように生きていくものもある。
男とか女とか、夫婦とか恋人とか、友達とか親子とか、そういうことではなく、森を歩き蔓を見る度に感じるのだ。その姿かたちも生き方も、人と似てるよなぁと。そして静かに考える。今の自分をこの森の蔓に例えたら、いったいどんな蔓だろうかと。
新緑の森で、からみ合ったまま目覚めた蔓達。
がんじがらめのようにも見えますが、支えあっているようでもあり。
木に寄り掛かることを拒むかのように、太陽に向かい風に揺れる蔓。
我が家から徒歩30秒ほどの場所で。
高菜は語る
「あ、高菜」と思った瞬間にオーダーしていた。ランチのパスタ。高菜とチキンのピリ辛風味。たまに出会う高菜は懐かしさをまとい、わたしを誘惑する。
初めての高菜漬けとの出会いは、バイト先の喫茶店でランチに出していた、高菜チャーハンだった。高菜とさつま揚げを炒め、卵を入れる。高菜の塩味だけで味付けしたチャーハンは、十代のわたしにはまだ足を踏み入れたことのない樹海のように、まるで知らない味だった。こんなに美味しいものがあるんだと驚いた。若かったなぁと思う。
そのバイトで忘れられないワンシーンがある。ミスをした。ランチのご飯を電気釜に移した時に保温するのを忘れたのだ。ミスしたのはわたしだが店のみんなが冷めたご飯をお客様に出さなくてはならなかった。落ち込んだ。さらに落ち込んだのは上司であるフロアをまとめる男性チーフが、わたしを責めなかったことだ。「怒ってるんだろうな。嫌だなぁ」チーフとわたしの間には気まずい雰囲気が漂っている。
「お疲れさまでした」挨拶して帰る時にも、わたしは下を向いていた。
チーフは、ランチタイムの喧騒が去った誰もいない店で珈琲を飲んでいた。
その時ふと感じた。彼は傷ついていると。わたしのミスだが、それに気づかなかった自分を責めている。小さなことだと思うかもしれないが、温かいご飯を出すのと冷めたご飯を出すのとでは天と地程の差があると、チーフもわたしも思っていたのだ。彼はわたしを怒っているわけじゃないのかも。逆に彼も、落ち込んでいるわたしにかける言葉を、うまく見つけられないだけなのかも。そう感じた瞬間、笑顔でチーフに話しかけていた。
「『サイモン&ガーファンクル』で、おススメのアルバムありますか?」
彼は珈琲カップをソーサーに戻し、笑顔をわたしに向けた。そして、大好きなアーティストのことを語り始めた。
高菜はわたしに語る。人と人とをつなぐ見えない糸の不思議を。相手が怒っていると決めつけてはいけないのだ。ただ同じように傷ついていることだってあるし、まったく違うことを考えていることだってある。表情や雰囲気からそれを読み取ることは難しい。だからこそ笑顔で話すことが重要なんだ、それが気持ちを伝えることになるんだと、19歳のわたしは学んだのだった。
ピリ辛というには辛さが足りませんでした。残念!
ランチセットメニュー、+パンとスープだと900円。単品だと1000円。
でも食べきれないのにセットを頼むのは嫌なので、単品で頼みました。
これっておかしいよねぇ。しかし友人いわく。
「そんなことじゃあ、大阪のおばちゃんにはなれないよ!」
いや、目指してないから。
初めての高菜漬けとの出会いは、バイト先の喫茶店でランチに出していた、高菜チャーハンだった。高菜とさつま揚げを炒め、卵を入れる。高菜の塩味だけで味付けしたチャーハンは、十代のわたしにはまだ足を踏み入れたことのない樹海のように、まるで知らない味だった。こんなに美味しいものがあるんだと驚いた。若かったなぁと思う。
そのバイトで忘れられないワンシーンがある。ミスをした。ランチのご飯を電気釜に移した時に保温するのを忘れたのだ。ミスしたのはわたしだが店のみんなが冷めたご飯をお客様に出さなくてはならなかった。落ち込んだ。さらに落ち込んだのは上司であるフロアをまとめる男性チーフが、わたしを責めなかったことだ。「怒ってるんだろうな。嫌だなぁ」チーフとわたしの間には気まずい雰囲気が漂っている。
「お疲れさまでした」挨拶して帰る時にも、わたしは下を向いていた。
チーフは、ランチタイムの喧騒が去った誰もいない店で珈琲を飲んでいた。
その時ふと感じた。彼は傷ついていると。わたしのミスだが、それに気づかなかった自分を責めている。小さなことだと思うかもしれないが、温かいご飯を出すのと冷めたご飯を出すのとでは天と地程の差があると、チーフもわたしも思っていたのだ。彼はわたしを怒っているわけじゃないのかも。逆に彼も、落ち込んでいるわたしにかける言葉を、うまく見つけられないだけなのかも。そう感じた瞬間、笑顔でチーフに話しかけていた。
「『サイモン&ガーファンクル』で、おススメのアルバムありますか?」
彼は珈琲カップをソーサーに戻し、笑顔をわたしに向けた。そして、大好きなアーティストのことを語り始めた。
高菜はわたしに語る。人と人とをつなぐ見えない糸の不思議を。相手が怒っていると決めつけてはいけないのだ。ただ同じように傷ついていることだってあるし、まったく違うことを考えていることだってある。表情や雰囲気からそれを読み取ることは難しい。だからこそ笑顔で話すことが重要なんだ、それが気持ちを伝えることになるんだと、19歳のわたしは学んだのだった。
ピリ辛というには辛さが足りませんでした。残念!
ランチセットメニュー、+パンとスープだと900円。単品だと1000円。
でも食べきれないのにセットを頼むのは嫌なので、単品で頼みました。
これっておかしいよねぇ。しかし友人いわく。
「そんなことじゃあ、大阪のおばちゃんにはなれないよ!」
いや、目指してないから。
脳をコントロールしよう
「脳にコントロールされず、脳をコントロールしよう」という記述を読んだ。友人とんぼちゃんの日記にかかれていたものだ。
脳は主人に忠実で「年だから」と思うと年なんだと判断し、そのように身体に指令を送る。嫌なことが起こった時「なんだこれぐらい」と思えば、これぐらい大丈夫と身体は判断するという。
年だ年だと思うと老け込んでいき、嫌だなぁと思う程にひどく疲れたり、眠れなくなったりするということか。全く人の身体ときたら、不思議でつかみ所がない。気持ちとなると更にまたややこしい。だからこそ人間って面白い訳なんだけど。とりあえず、2つくらいなら覚えていられそうだから「まだまだ若い」「くよくよしない」と、思い出す度に身体に指令を送ることにしようか。それだけでも、少し背筋が伸びそうな気がする。
ところで昨日、サムは旅立って行った。淋しい。たったの2週間だったが、家族のように過ごし、彼のことが好きになった。身体も気持ちもボーっとしてしまいがちだ。だがここは、さっそく脳にコントロールされず、こちらからコントロールしよう。淋しいとは思わず、楽しかったよなぁ、せめて少しはしゃべれるように英語勉強しようかな(たぶん)と指令を出そう。
サムは「行ってきます」と言い、旅立って行った。わたしも「行ってらっしゃい」と言い、見送った。たぶん彼は、またいつか日本に帰ってくるだろう。
ヴァンフォーレの応援に行く途中で。
脳は主人に忠実で「年だから」と思うと年なんだと判断し、そのように身体に指令を送る。嫌なことが起こった時「なんだこれぐらい」と思えば、これぐらい大丈夫と身体は判断するという。
年だ年だと思うと老け込んでいき、嫌だなぁと思う程にひどく疲れたり、眠れなくなったりするということか。全く人の身体ときたら、不思議でつかみ所がない。気持ちとなると更にまたややこしい。だからこそ人間って面白い訳なんだけど。とりあえず、2つくらいなら覚えていられそうだから「まだまだ若い」「くよくよしない」と、思い出す度に身体に指令を送ることにしようか。それだけでも、少し背筋が伸びそうな気がする。
ところで昨日、サムは旅立って行った。淋しい。たったの2週間だったが、家族のように過ごし、彼のことが好きになった。身体も気持ちもボーっとしてしまいがちだ。だがここは、さっそく脳にコントロールされず、こちらからコントロールしよう。淋しいとは思わず、楽しかったよなぁ、せめて少しはしゃべれるように英語勉強しようかな(たぶん)と指令を出そう。
サムは「行ってきます」と言い、旅立って行った。わたしも「行ってらっしゃい」と言い、見送った。たぶん彼は、またいつか日本に帰ってくるだろう。
ヴァンフォーレの応援に行く途中で。
食器達の戸惑い
食器達が戸惑っている。定位置に片づけられる穏やかな日常から、何処へ行くのかわからないスリリングな日々への突然の変化に、緊張が続いている。
「はじめまして。酒を注ぐのを生業としているものです」と、漆塗りの片口。
「僕らは朝ご飯に食卓に出るので、お会いするのも初めてですね」と、お椀。
「しかし、確かにわたし達、似ておりますね」「いや、確かに」
サムは漆塗りの片口を、食器棚のお椀の場所に片づけていた。彼はよく、皿洗いや食器の片づけをしてくれる。何を聞くわけでもなく、自分のスタイルでごく自然に片づけてくれるので、こちらもそういう時には、ありがとうと言い任せることにした。しかしその食器を片づける場所が、外国人ならではの感性で面白い。片口とお椀の他にも、ぐい飲みが醤油皿の上に重ねられていた。
「こうやって重ねられるのは、不思議な感じだよね」と、ぐい飲み。
「食卓に、一緒に並べられることはあってもねぇ」と、醤油皿。
「きみは小ぶりだから鯵の叩きの時とかに、活躍してるよね」
「そうそう。日本酒が美味しく飲めるみたいだよね」
ぐい飲みと醤油皿は知った仲だが、やはり戸惑いは隠せない。
他には、ご飯茶碗と小鉢も。
「なかなか緊張感のある日々でしたな」と、ご飯茶碗。
「それももう終わるのかと思うと、淋しい気持ちにもなりますね」と、小鉢。
そう。サムのステイは、今日までだ。
軽くて手ごろな大きさの漆塗りの片口は、いただきものです。
サムは時々、お椀でコーンフレークを食べていました。
確かに大きさも同じくらいですね。
右側のごっつい茶碗は夫用。少し欠けていますが、気に入って使っています。
上の娘が夫の茶碗を使っていたので注意したら、自由人の彼女いわく。
「誰のだっていいじゃん。食べたいお茶碗で、食べればいいじゃん」
「はじめまして。酒を注ぐのを生業としているものです」と、漆塗りの片口。
「僕らは朝ご飯に食卓に出るので、お会いするのも初めてですね」と、お椀。
「しかし、確かにわたし達、似ておりますね」「いや、確かに」
サムは漆塗りの片口を、食器棚のお椀の場所に片づけていた。彼はよく、皿洗いや食器の片づけをしてくれる。何を聞くわけでもなく、自分のスタイルでごく自然に片づけてくれるので、こちらもそういう時には、ありがとうと言い任せることにした。しかしその食器を片づける場所が、外国人ならではの感性で面白い。片口とお椀の他にも、ぐい飲みが醤油皿の上に重ねられていた。
「こうやって重ねられるのは、不思議な感じだよね」と、ぐい飲み。
「食卓に、一緒に並べられることはあってもねぇ」と、醤油皿。
「きみは小ぶりだから鯵の叩きの時とかに、活躍してるよね」
「そうそう。日本酒が美味しく飲めるみたいだよね」
ぐい飲みと醤油皿は知った仲だが、やはり戸惑いは隠せない。
他には、ご飯茶碗と小鉢も。
「なかなか緊張感のある日々でしたな」と、ご飯茶碗。
「それももう終わるのかと思うと、淋しい気持ちにもなりますね」と、小鉢。
そう。サムのステイは、今日までだ。
軽くて手ごろな大きさの漆塗りの片口は、いただきものです。
サムは時々、お椀でコーンフレークを食べていました。
確かに大きさも同じくらいですね。
右側のごっつい茶碗は夫用。少し欠けていますが、気に入って使っています。
上の娘が夫の茶碗を使っていたので注意したら、自由人の彼女いわく。
「誰のだっていいじゃん。食べたいお茶碗で、食べればいいじゃん」
不敗神話?
ヴァンフォーレ甲府は、柏レイソルに快勝した。3-1だった。
今期J1に昇格した甲府の試合をホームで観ようと、夫がサムと娘を誘い4人で出かけた。スタジアムの周囲は露店が並び、ヴァンフォーレカラーの濃いブルーとレイソルカラーの黄色を身にまとった人々が交錯している。田舎の祭りの趣きたっぷりの、のんびりした雰囲気を楽しんだ。
そして試合は前半初めにヴァンフォーレが先制。それが最後まで効いた試合となった。ヴァンフォーレサポーターの夫とわたしは盛り上がっていた。
「ヴァーンフォーレ!」「チャチャッチャチャッチャ!」
帰り道も、ふたり歌いながら機嫌よく歩いた。
「不敗神話、更新だね」と夫。
「わたしが応援に来ると負けないんだよ」わたしの言葉を娘が訳す。
「おー!」と、サム。
「そのうえさぁ、わたしがビールを飲むと点が入るんだ」と、わたし。
「おー……」と、サム。
「やっぱお母さんが来ないとね。アウェイも行く?」と、夫。
「うーん。どうしようかな」と、わたし。
一昨年、夫とふたりよく応援に行った。大阪でガンバとの試合にも勝った。国立競技場でレッズとの試合にも勝った。ホームでグランパスとの試合にも勝った。いつもわたしは、ビール片手の応援。夫はいつも運転手だ。彼はチームメイトやサッカー好きの友人と応援に行くこともあるが、勝敗はまちまちだ。
「行こうかな」サッカースタジアムで飲む生ビールは、美味い。
その時、後ろを歩くサムが言った。「日本のサッカーソング、覚えました」
しかし、彼が歌ったのは。
「ララララララ、かしわ~♪ ララララララ、かしわ~♪」
当日券で混んでいたため、柏レイソル側の自由席で応援していた。柏の応援ソングが、彼の耳には色濃く残ったようだ。
山に囲まれた気持ちのいいスタジアムです。
帰宅後、娘はサムと習字に挑戦。左は娘、右はサムの作品です。
百匹もいるのに、リラックマまだ欲しいんかい!?
今期J1に昇格した甲府の試合をホームで観ようと、夫がサムと娘を誘い4人で出かけた。スタジアムの周囲は露店が並び、ヴァンフォーレカラーの濃いブルーとレイソルカラーの黄色を身にまとった人々が交錯している。田舎の祭りの趣きたっぷりの、のんびりした雰囲気を楽しんだ。
そして試合は前半初めにヴァンフォーレが先制。それが最後まで効いた試合となった。ヴァンフォーレサポーターの夫とわたしは盛り上がっていた。
「ヴァーンフォーレ!」「チャチャッチャチャッチャ!」
帰り道も、ふたり歌いながら機嫌よく歩いた。
「不敗神話、更新だね」と夫。
「わたしが応援に来ると負けないんだよ」わたしの言葉を娘が訳す。
「おー!」と、サム。
「そのうえさぁ、わたしがビールを飲むと点が入るんだ」と、わたし。
「おー……」と、サム。
「やっぱお母さんが来ないとね。アウェイも行く?」と、夫。
「うーん。どうしようかな」と、わたし。
一昨年、夫とふたりよく応援に行った。大阪でガンバとの試合にも勝った。国立競技場でレッズとの試合にも勝った。ホームでグランパスとの試合にも勝った。いつもわたしは、ビール片手の応援。夫はいつも運転手だ。彼はチームメイトやサッカー好きの友人と応援に行くこともあるが、勝敗はまちまちだ。
「行こうかな」サッカースタジアムで飲む生ビールは、美味い。
その時、後ろを歩くサムが言った。「日本のサッカーソング、覚えました」
しかし、彼が歌ったのは。
「ララララララ、かしわ~♪ ララララララ、かしわ~♪」
当日券で混んでいたため、柏レイソル側の自由席で応援していた。柏の応援ソングが、彼の耳には色濃く残ったようだ。
山に囲まれた気持ちのいいスタジアムです。
帰宅後、娘はサムと習字に挑戦。左は娘、右はサムの作品です。
百匹もいるのに、リラックマまだ欲しいんかい!?
サムと娘の料理レポート
サムが夕食を作ってくれた。オーストラリアで、家族の誕生日などにお母さんがよく作ってくれた料理だという。ふたりのお兄さんと妹とサム。4人兄弟で取りあいし、楽しく食べたそうだ。
薄いパンに、肉や野菜をそれぞれ乗せて、巻くようにして食べるのだが、「ラップ」と呼ばれるナンを薄くしたようなパンは、山梨のスーパーでは見つからなかった。そこで肉と野菜をサムが、ラップパンを娘が作ることに。しかし、こねるまでは順調だったラップ作りが、薄く伸ばすところで難航した。
「このくらいでいっか」と、かなり分厚いままフライパンで焼こうとする娘を見て、サムが料理の手を止めた。スマホを手に取り動画を流し始める。
「あきらめんなよ! どうしてそこでやめるんだ、そこで!」
松岡修造がシジミ採りに挑戦している動画だ。
「もう少しがんばってみろよ!」
海に腰までつかりつつ、松岡は叫んでいる。
「never give up. がんばれー」と笑いながら歌うように、サム。
娘も肩をすくめ笑いつつ、ラップを再び伸ばし始める。
昨今「がんばれ」と言わない方がいいという風潮がある。昔は単なる挨拶だった「がんばってね」が、今では余計なプレッシャーを与える言葉として肩身の狭い思いをしている。「がんばらない」という言葉が持てはやされたりもする。だが彼らにはそんな風潮など何処吹く風だ。でもさ、それが自然なのかも。彼らと共に笑いつつ考えた。「がんばれ」って悪くない言葉だよなと。
娘はがんばってラップパンを伸ばしました。でもまだちょっと分厚いかな。
チキンは胸肉を照り焼きソースにつけて焼いたものでした。美味しかった!
薄いパンに、肉や野菜をそれぞれ乗せて、巻くようにして食べるのだが、「ラップ」と呼ばれるナンを薄くしたようなパンは、山梨のスーパーでは見つからなかった。そこで肉と野菜をサムが、ラップパンを娘が作ることに。しかし、こねるまでは順調だったラップ作りが、薄く伸ばすところで難航した。
「このくらいでいっか」と、かなり分厚いままフライパンで焼こうとする娘を見て、サムが料理の手を止めた。スマホを手に取り動画を流し始める。
「あきらめんなよ! どうしてそこでやめるんだ、そこで!」
松岡修造がシジミ採りに挑戦している動画だ。
「もう少しがんばってみろよ!」
海に腰までつかりつつ、松岡は叫んでいる。
「never give up. がんばれー」と笑いながら歌うように、サム。
娘も肩をすくめ笑いつつ、ラップを再び伸ばし始める。
昨今「がんばれ」と言わない方がいいという風潮がある。昔は単なる挨拶だった「がんばってね」が、今では余計なプレッシャーを与える言葉として肩身の狭い思いをしている。「がんばらない」という言葉が持てはやされたりもする。だが彼らにはそんな風潮など何処吹く風だ。でもさ、それが自然なのかも。彼らと共に笑いつつ考えた。「がんばれ」って悪くない言葉だよなと。
娘はがんばってラップパンを伸ばしました。でもまだちょっと分厚いかな。
チキンは胸肉を照り焼きソースにつけて焼いたものでした。美味しかった!
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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