はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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夜のマドリードで 2

最後の夜は、マドリードで過ごした。
ガンバス・アル・アヒージョが有名な店で、スタンディングで飲み、その後、3度目となる、ふたりお気に入りのバルへと足を運んだ。

特別有名ではないと思われるそのバルは、昨年の旅で、初めて飲みに行った。マドリードの喧騒のなか、それを味わいつつもゆったりくつろげる雰囲気に、訳もなくわくわくしたことを覚えている。
今回も2日目の夜、地下鉄2駅半ほど歩き、そのバルへと飲みに行った。
店は混んでいて、カウンターの隅で、ふたり背の高いスツールに腰掛け、わりと静かに飲んでいた。わたしは、ビール。夫は白ワイン。何を話すでもなく、カウンターのバーテンダーを観ていた。ひとり忙しく立ち働く彼の仕事ぶりが、まるでショーでも観ているかのように、素晴らしかったのだ。
生ビールやワインを注ぎ、タパスを盛り付け、グラスを洗い、カクテルを作る。動きに無駄がないだけではなく、美しい。時にカウンター席の客と短くしゃべり、言葉が通じないわたし達にも、何度となく笑顔を向けてくれる。

夫が、彼の作っているカクテルを観て「ピナコラーダ」と、つぶやいた時。
彼は「ビンゴ!」とでもいうように、親指を立て、ウインクした。そして、そのピナコラーダの残りを小さなグラスに注ぎ、すっとわたし達の前に置いた。その仕草が、何ともかっこよかった。もう、参ってしまった。

そんなこともあり、最後の夜はそのバルで、と決めていた。
「彼、覚えてないよね?」「まあね。彼らからしたら、東洋人はみんな同じように見えるかも知れないし」「かもね」
などと話しつつ、やはり満員の店のカウンターの隅に座ると、なんと、彼が握手を求めてきた。
「やあ、また来てくれたんだね」
言葉はなかったが、そう言っている。わたし達も、笑顔と握手を返した。そしてその夜も、彼のショーに見とれつつ、ふらふらに酔っぱらったのだった。

そうそう。その彼が、ふと外を見てつぶやいた。「lluvia(ユビア)」
雨のことである。覚えた単語のなかの一つだ。わたしも振り向いて外を見た。静かに雨が、降り始めていた。あまり役に立たなかったわたしのスペイン語だが、その瞬間、ああ、勉強してよかった、と思えた。

タパスを盛り付ける、彼。一つ一つの仕事が、とても丁寧です。

わたし達がオーダーしたハモン・セラーノをカットする、彼。
 
えも言われぬ美味しさの、ハモン・セラーノ。

これは、昨年の写真です。この並んだグラスが目印になりました。
 
なんでもない風景が、お洒落に見えてしまいます。
☆2度目のスペイン旅日記も、今日で最終回。読んでくださった方、
ありがとうございました。明日からはまた日々徒然かいていこうと思います☆




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バルセロナ・アクシデント

最終日。ガリシア地方サンティアゴ・デ・コンポステーラから、早朝の飛行機に乗った。ディスカウントの飛行機では、マドリード行きは、バルセロナを経由するしかなく、どうせなら乗り換え時間をたっぷりとって、バルセロナで4時間くらい歩き回ろうと計画した。

「今日は気を引き締めていくよ。バルセロナは、危ないから」と、夫。
「そうだね。最後まで楽しめるように、気をつけよう」わたしも、うなずく。
ここは、日本ではないのだ。ここまでトラブルがなかったことが、ラッキーだったのだと自分に言い聞かせた。

バルセロナでは、前回行かなかったグエル公園を散歩しようと、予定はそれしか入れず、バスと地下鉄で移動した。
昨年旅した時には、回数券を買い、何度も乗った地下鉄。駅名も懐かしい。
「あー、前に歩いたランブラス通り、行きたくなったなぁ」と、わたし。
「グエル公園、やめる?」と、夫もノッテくる。
それでも予定通り、グエル公園に到着。ところが、思わぬアクシデント。観光客が多く訪れるようになったために、入場制限をしているという。
「今販売しているのは、14時半のチケットです」
それでは、飛行機に間に合わない。動物園で檻の外から眺めるかの如く、公園の周りを1周し、ふたり肩をすくめて「グエル公園は、もう見たね」「じゅうぶん見た」と言い合い、ランブラス通りへと向かった。

その地下鉄での出来事。乗ろうとした途端、ホームで少女が何か叫ぶと同時に、警官が走ってきた。わたし達と一緒に乗り込んだ男性5人ほどが、慌てて電車を降り、走り出したが捕まったようだ。何事かときょとんとしていると、スペイン人の男性が、夫に「英語、しゃべれる?」と聞いてきた。
「いやぁ、危なかったよ。あいつら、きみの鞄に手をかける瞬間に、捕まったんだ。気をつけた方がいいよ」
狙いは、夫の一眼レフだろうか。しかし、がたいのいい髭づらの夫を狙うこと自体、不自然だ。狙われたのは、わたしかも知れないと夫は言う。考えてみれば、ふたり取り囲まれた状態だった。地下鉄に乗る時には、ドア周辺に人が集まる。その瞬間を狙うのが手口だとも考えられる。危険が潜んだ街なのだと実感し、背筋が寒くなった。

ぶじ地下鉄を降り、懐かしいランブラス通りに出た。
「サン・ジョセップ市場だぁ。お昼、此処で食べようよ」と、わたし。
「まずは、ビールが飲みたいな。バルセロナの暑さには参ったよ」と、夫。
飛行機までの時間を、そこで過ごすことにした。よく冷えたスペインビールは美味しく、海鮮に舌鼓を打ち、お腹も満たされた。あとは、バス停まで歩き、空港に行けば飛行機が待っている。心配はないだろう、と思っていたが、その5分後、わたしは夫にヘルプ! の電話をかけることとなる。
「もしもし、わたし。トイレのドアが開かない。閉じ込められた」
木製のドアは、建てつけが悪く、うんともすんとも動かなくなっていた。
夫は、女性用トイレに入る訳にもいかず、店の人に訳を話すが、うまく伝わらない。長い長い10分間を過ごし、ようやく救出されたのだった。
「トイレに閉じ込められる人も、珍しいねぇ」夫は、意地悪く笑っている。
「笑い事じゃないよ!」
夫にパンチをくらわすわたしを、店員さんも笑って見ていた。

全く、たった4時間ほどの滞在だったというのに、アクシデントの連続。さすがはバルセロナ。ただでは帰してくれない街なのだ。

グエル公園。入場できた人を、見下ろすわたし達の目線で。
 
ガウディならではの、リサイクルタイルのモザイク画。
 
遠くには、サグラダ・ファミリアがうっすらと見えていました。

地下鉄は、グエル公園のあるこの駅から、リセウまで乗りました。
   
市場を眺めながら飲むビールは、最高! トイレ事件の店で。

サン・ジョセップ市場のにぎわい。市場、大好き~♪

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笑顔の連鎖

スペインのなかでも、わりとマイナーなガリシア。日本のガイドブックには、ほとんど載ってさえいない。分厚い『地球の歩き方』でさえ、3つの街を10ページほどで紹介しているだけだ。
そのガリシアに行こうと思ったきっかけは、神楽坂にあるスペイン・バル『el camino』で食べたガリシア料理だった。
「ガリシアは、いいですよ。海の幸もワインも美味しい」
スタッフの男性は、夫婦で行く度に、ガリシアの良さを語る。洗脳された訳ではないが、今度スペインに行くのなら、ガリシアに行きたいと、自然と思うようになっていた。という訳で、石畳の街と、地の果てフィステーラを旅した真の目的は、やはり食である。

サンティアゴ・デ・コンポステーラでの最後の夜は、スタンディングバルではなく、落ち着いて食事した。この日のために、ガリシア料理では一番有名な蛸を茹でたもの「プルポ・ア・ラ・ガジェガ」も食べずにいたほど、此処での食事を楽しみにしていた。ワインもこの地方の白「リアス・バイジャス」ほど近い土地で作られた赤「リオハ」がある。
食事をしたのは、飛び込みで入ったバルと併設されたカジュアルなレストランだったが、サービスは一流だった。何しろサーバントの女性の笑顔がいい。ゆっくり話を聞き、判りやすい英語でユーモアを交え、対応してくれた。
「彼女は、優秀だ」
夫は感心していたが、彼女だけではないことが、すぐに判った。
料理の盛り付けも、もちろん味も申し分なく、ワインを選ぶときに説明してくれた男性も、笑顔が素敵だった。店じゅうが明るく、活気がある。
そういう場所にいると、気持ちは明るい方へと向いていく。笑顔の連鎖が、そこにはあった。
「いい店だね」「うん。すごく気持ちのいい店だ」
伝染した笑顔で、ガリシア最後の夜を楽しみつつ、ふたりリアス・バイジャスを、ゆっくりと飲み干した。

店の入口は、バルになっています。スタンディングで飲む人もいました。

「プルポ・ア・ラ・ガジェガ」茹でたじゃが芋と蛸のシンプルな料理。

おススメだという「ガンバス・ア・ラ・ブランチャ」海辺ならではの味。

マッシュルームのアヒージョ。オリーブオイルが煮立っていました。
 
可愛いボトルのリアス・バイジャス。日本でも売ってるかな?

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「地の果て」フィステーラ

サンティアゴの名がつくこの街は、キリスト教3大聖地のひとつだ。
9世紀初頭に、聖ヤコブの墓が見つかって以来、巡礼者が目指す聖地となった。スペイン北部を横断する800㎞の道を歩く、巡礼の旅、終着点が、サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルなのだ。
カテドラル前の広場では、旅を終え、放心したように身体を横たえる旅人達の姿も見られた。
「どうして、歩くんだろう?」
800㎞もの徒歩での旅。わたしには、想像もつかない。
「何かを、探しているんだろうな」と、夫は言う。
その旅人が、さらにその先90㎞を歩き、目指す場所がある。
「地の果て」を意味する町の名はフィステーラ。大西洋が見渡せる灯台まで行き、巡礼の旅で履いた靴や衣類を燃やし、海に流したという。

そのフィステーラに、ふたり向かった。
レンタカーを借りて海沿いを走ろうと、ふたりで海外免許を取得してあった。
ところが、車はマニュアル。わたしはオートマしか運転できない。夫も左ハンドルでのマニュアルは初めてで、緊張した面持ち。頼りのスマホナビも気分屋で、英語になったり日本語になったりする。音声は当てにはならず、わたしが伝えるしかない。方向音痴の自分にナビができるのかと不安を抱えながらも、目的地を登録したスマホを助手席でしっかりと持ち、車は走り出したのだ。
「あ、もうすぐ小さい分岐」
なんとか街を脱出し、緑広がる郊外の一本道に出るが、所々に小さなロータリーのようになっている分岐がある。その度に「小さい分岐」と言っていたのだが、そのうち面倒になり、それを「ペケーニョ」と名づけた。スペイン語で小さいという意味だ。
「次のペケーニョを、右ね」
ペケーニョという言葉に、ハンドルを握る夫は、緊張が解けたように笑う。
「ほい、ペケーニョ、右。あってる?」「うん。だいじょうぶ」
そんな風に走って1時間半。何度か道を間違え、最後にはスマホナビがお手上げとなりスーパーで道を尋ね、ようやくフィステーラの灯台にたどり着いた。

「大西洋まで、来ちゃったね」「うん。着いたねぇ」
ふたり、それしか言葉が出なかった。
何故か『遠くへいきたい』という歌を、思い出した。遠くへ来たなぁと、空っぽになった頭で、ただ、それだけを思った。
 
フィステーラの灯台。着いた時には、降っていた雨もやみました。

記念スタンプは、石の上に無造作に置かれて。

灯台の先の海辺には、靴のオブジェがありました。

「ああ、大西洋!」曇天でしたが、訳もなく感動しました。

下を見て、また、打ち寄せる波の強さと大らかさを感じました。
 
ありがとう! 赤のプジョーと、導いてくれたカミーノ(道)達。
巡礼の道は『el camino』と呼ばれています。『道』という言葉ですが、
ここでは、道すなわち巡礼の道を表しています。photo by my husband

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ガリシアは、いつも雨

「ガリシアは、いつも雨よ」
Tシャツを買った店の女性が、肩をすくめた。
確かに。晴れたのは着いた日のみで、あとはずっと雨。雨の多い土地だということは知っていたが、初日の晴天に、すっかり油断していた。
「あー、昨日、もっと写真撮っておけばよかった」夫も同じく、である。

たがいに晴れ男、晴れ女だと言っていたのに、新婚旅行からして雨だった。マイナスとマイナスでプラスになるように、何かが作用していたのか、何かあるごとに、よく雨が降った。
だが、30年近く一緒にいれば、雨の日も晴れの日も当然ある訳で、いつの間にか、そんなことを言い合ったことすら、忘れていた。

ガリシアは、いつも雨。しかし、雨が降ったら、傘をさせばいい。石畳の道をすべらないように、ゆっくり歩くのもいい。
石造りの街を濡らす雨は、静かにスローペースで降っていた。

雨のなかたどりついたカフェには、めずらしくカプチーノがありました。
 
石に苔生す様も、いたるところに見られます。

ガリシアを象った、マンホールも、雨にしっとり濡れていました。

街角で、『ガイタ』バグパイプを奏でる人。
 
雨に濡れる石畳。教会の鐘も、湿った音をたてていました。

街のあちらこちらに、水場がありました。photo by my husband

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ガリシアの空気

5日目。スペイン北西部、ガリシア地方は、サンティアゴ・デ・コンポステーラに、移動した。石造りの街並みの美しさに、思わず声を上げる。
「わぁ、テレビのなかの世界みたい!」
感動は、言葉にならず、陳腐なセリフを吐かせた。もう、この街を歩けるというだけで、嬉しかった。「来てよかった」を連発し、とりあえず散歩した。
青い空。白い雲。石造りの家々。ダークオレンジの屋根の色。

晴天に浮かれ、ふたり、久しぶりに半袖で歩く。
何かが違うなぁと、思う。空気が違うのだろうかと、考える。ハイになってる自分に気づき、ようやく考え至る。
「なんか、喉、痛い」と、わたし。
「えーっ。雨に濡れたまま、シャワーも浴びずに寝るから」
夫が顔をしかめた。どうやら、風邪をひいたようである。

その夜は山盛りのサラダと肉をしっかりと食べ、ベンザブロックを飲んだ。スペインの風邪に日本の風邪薬は効くのかと考えつつ、ことんと眠りに落ちた。

青空が、街じゅうを祝福しているような気持のいい日でした。

サン・マルティン・ピナリオ修道院。

こんな街に住んでみたいなぁと、思わずにはいられません。

小さな路地ばかりの旧市街には、お洒落なパン屋さんも。
  
ホテルも人形の家のよう。入り口にはウエルカム人形が立っていました。

風邪に効いたのは、ベンザブロックよりカスパチョかも知れません。
スペインの冷製スープには、トマトがたっぷり入っています。

山盛りのポテトも、美味しかった! じゃが芋の味が濃いんです。
地元のオジサン達が笑顔で食事する姿が印象的だったレストランで。

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サン・セバスチャン散策

夫に、懇願された。「頼むから、ひとりで行かないでくれ」と。
朝食の帰りに、水を買いに、スーパーまで行くだけのことなのに、である。
ホテルの冷蔵庫の水は高価なので、1.5リットルの水を毎日スーパーで買っていて、水を買うのにも慣れていた。
「だいじょうぶだよ。水買うくらい、ひとりで行けるから」
わたしの言い分に、彼は耳を貸さなかった。
「そんなことで、1日ふいにしたくない。だいたい、どっちがホテルだか、判ってるの?」「こっちでしょ?」歩き出すわたしを、彼は制した。
「反対だよ」彼は、呆れた顔をし、結局、ふたりで水を買って帰った。

サン・セバスティアンは、気持ちのいい海辺の街だ。
リゾート化されてしまい、つまらない街になったとの噂もあったが、全くそんなことはなかった。素朴で、人なつっこい街である。

「丘の上まで、登ろうか」夫の提案に「いいね」と、わたし。
ビーチ沿いの道を、歩いた。
「泳いでる!」と、驚く。暖かいとは言え、しっかり秋だ。
「彼らは、寒くないんだねぇ」と、呑気に夫が言う。
「外海まで、散歩しようか」夫の頭から少しずつ丘の上が離れていく。
「おー、結婚式やってる!」「わ、素敵」
笑顔の花婿と、ウエディングドレスの裾を揺らす花嫁が、桟橋を歩いていく。
「シーカヤックだ」「エスキモーロールの練習してるね」
エスキモーロールとは、一度逆さになって海に潜り、くるりと起き上がる技のことだ。ずいぶん前のことだが、夫とふたり、1日カヌー教室に行ったことを、懐かしく思い出した。
「あ、旧市街の入口だ」「おー、いい感じの道」
「とりあえず、調べたバルの場所、確認しに行こうか」と、夫。
「この街を歩いてバルに行ければ、それでいいかな」と、わたし。
そんな風にして、昼からバル巡りの1日は、始まっていったのだった。

迷子になって1日をふいにすることはなかったが、丘には登れなかった。それは、わたしがバル巡りだけでじゅうぶんだと主張したせいだと、夫は言うが、彼だって街を歩くうちにどうでもよくなったのだと、わたしはにらんでいる。

赤ちゃんからお年寄りまで、水着で遊んでいました。

ハッピーウエディング! どうぞ、お幸せに ♪

そのすぐ横では、シーカヤック教室。子ども達は真剣な様子でした。

漁船の停泊所もあります。海の幸が美味しい訳ですねぇ。
  
それでも、街が呼んでいる~。ふらふらと、バルの待つ街へ・・・。

広場では、アートフェスティバル。にぎやかな笑顔がいっぱい。

フェイスペインティングの露店もあって、子ども達が並んでいました。

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雨宿りのバル

3日目の夜、バスク地方は、サン・セバスティアンに移動した。
美食の街と言われるここでの目的は、バル巡りだ。夜8時。シャワーを浴びて、もう飲んで寝るだけの体制を整え、夜の街へと繰りだした。
下調べはしていったものの、暗いなかで店を探すのは難しい。というのも、街じゅうバルだらけなのである。
「とりあえず、人があふれてる店に入ろうか」と、夫。
1軒目に入ったバルは、テーブル席もあるにはあるが、店じゅう立ち飲みの人でいっぱい。カウンターには、様々なピンチョスが並べられている。ピンチョスというのは、パンの上に具をのせたバスク地方のタパス(酒の肴)だ。
そこで、流暢な日本語をしゃべる店員さんが、注文の仕方を教えてくれた。皿に好きなピンチョスをとる。飲み物を頼み、皿を見せて会計をする。あとは店の外でも中でも、好きな場所で飲んで食べる。他の店でも、大抵がそうだった。バルを梯子するのも普通のことらしく、ピンチョス一つに飲み物だけでも、歓迎してくれる。初日から、その独特の雰囲気を楽しみ、ピンチョスの品定めをしたりしつつ、3軒梯子した。
そして、2日目には昼に2軒、昼寝をたっぷりしてから、夜にはまた、3軒のバルを楽しんだ。

ドラマは、最後の店で起こった。
「うわぁ、すごい雨! 傘、持ってこなかった」「こりゃ、ひどいなぁ」
2軒目のバルを出ると、土砂降りだった。ふたり次の灯りが見える場所まで走り、名も知らぬバルに駆けこんだ。
無愛想な親父が、夫に、眼鏡を拭けとタオルを渡してくれた。それほどわたし達は、ずぶぬれだったのだ。
「ずぶぬれだね」と、言ったかどうかは判らない。
ひとりで呑むフランス人でバックパッカーの男性が、話しかけてきた。彼は、英語は話せないと言う。夫の英語と、彼のたどたどしいスペイン語。会話はジェスチャーを交えても、通じない部分も多かった。ところが、ある時点で、大きな盛り上がりを見せた。3人とも、エリック・クラプトンが大好きたということが判明したのだ。
『ティアーズ・イン・ヘブン』をわたしが鼻歌で歌い、夫が『レイラ』のイントロを歌う。彼は「クラプトンも含め、すべてのギタリストは、ジミ・ヘンドリックスに影響されている」と熱く語った。そして、変わらぬ強さで降り続く雨に帰りあぐねていたわたし達に、1杯ずつ、ご馳走してくれた。その後、何をしゃべったかは覚えていない。何しろ、その日6杯目のビールだったのだ。
覚えているのは、その土砂降りのなか、20分ほど歩いてホテルに帰ったことだ。ふたり笑いながらクラプトンを歌い、雨に濡れることさえ楽しく、まるでティーンエイジャーのように陽気に歩いた。
その雨宿りのバルの名は、ふたりとも覚えていない。多分もう一度探し歩いても、見つからないんだろうな。あのバルが、本当にあったのかさえも怪しい。

バルのなかは、とてもにぎやかでした。客足が途絶えません。

山盛りのピンチョス。なくなると、どんどん出てきます。

洒落た感じに、並べられた店も。芸術品のようです。

やっぱり茄子を食べるわたし(笑)蟹味噌のチャングロは、名物。

カップに入った、こんなお洒落なチャングロも、ありました。

何故か、きのこも山盛りに積んでありました。焼いてくれるようです。



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『裸のマハ』に見た画家の想い

3日目。前回、マドリードで行けなかった『プラド美術館』に行った。
トレドでは、エル・グレコの人物画を堪能し、ああ、人って何て綺麗なんだろうと、これまで感じなかった感覚に驚いていた。
それでもゴヤの『裸のマハ』には、目を見張った。
『着衣のマハ』が、その後描かれ、2つの絵が並べられていたが、断然『裸のマハ』の方が、美しかった。
エル・グレコの絵では、主に人の顔の美しさに注目したが『マハ』を観て、その裸体に美しさに感じいった。驚愕したと言ってもいい。
「マハって、美人じゃないよね」と、わたし。
「だから、ガイドブックの写真とかじゃ、特別な絵だとは思えないのかもね」
夫も、感銘を受けたようだった。
確かに、写真で見ても、興味は湧かなかった。描かれたものを、実際に観る価値を『マハ』のおかげで目の当たりにすることができた。

ひと、ヒト、人。主に宗教画に描かれた、無数の人。そして、それを観る無数の人。その人いきれに思わず目をつぶり、そっと目を開けると、人を描くなかに、自分を見つけようとした画家達の想いが、見える気がした。

『プラド美術館』入口。首都マドリードで一番大きな美術館です。

巨大な絵の幕をくぐると、石造りの建物には何やら刻まれています。
ラファエロの名前があるということは、画家たちの名前でしょうか。

絵画を満喫した後、近くの公園を散歩しました。これ、何の実かな?

中身は、栗の実に似てるんだけど。日本にもあるのかな?

サン・セバスティアンへの移動時間まで、古本市を冷やかしました。

「あ!『不思議の国のアリス』スペイン語版。欲しいけど、
ここで買っちゃうと、重たいしなぁ」あきらめました。

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古都トレドのステンドグラス

2日目。マドリードから、電車に揺られ、古都トレドを訪ねた。
16世紀まで首都であったトレドだが、今はもう都であったことすら街自体が忘れているかのように、静かなたたずまいだ。
折しも、秋の風心地よい散歩日和。駅から20分ほど、のんびりと歩いた。
トレドを愛したというエル・グレコの絵を堪能し、古都の街並みを楽しみ、そして目的地の一つ、カテドラルに着いた。

わたしは宗教は持たないが、教会の神聖な空気には、何か感じるものがある。胸が、しんとしていく。しんとした気持ちで、上を見上げたくなる。
トレドのカテドラルは、ステンドグラスが、特別に美しかった。
数えきれない数のステンドグラスの窓を観て、ひんやりとした広い教会を、立ち止まっては歩く。
カラフルなステンドグラス達は、暖かく微笑むように、語りかけてくるようだった。美しいものを見て、心が変化するとしたら、それは悪い方向ではないだろうと、素直に思えた。

「そろそろ、いこうか」
夫に声をかけられて、視線を足元に戻すと、床にステンドグラスの色を映した影が見えた。
「太陽の光があるから、ステンドグラスは美しいんだ」
当たり前のことに、ハッとした。その瞬間、宇宙の大きさが、胸に広がっていき、もう一度見上げたステンドグラスは、光を増しているように見えた。

カテドラル。道に迷いつつも、この塔を目印にたどりつきました。

ステンドグラスの窓、いったいいくつあるんだろう。30~40?

アップにすると、一つ一つに、物語も見えてきます。

上を見ているだけじゃだめだよと、教えてくれた光達。

都であった場所は、川に囲まれています。橋から撮った風景です。

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夜のマドリードで

遅めの夏休みをとって、夫とスペインに、やって来た。
昨年6月に旅して以来、すっかりスペインに魅せられてしまったのだ。今回は、北に行ってみようと、バスク地方とガリシア地方を旅することにした。
スタートは、首都マドリード。行き当たりばったり旅の、始まりである。

マドリードは、特急の拠点となるアトーチャ駅近くのホテルを、選んだ。ホテル到着は夜8時半。なのに、まだ夕方のように明るい。初日は、とりあえず軽くバルで乾杯しようかと、ホテル近くを散策した。駅前なので、ファーストフード的な明るさと気軽さが特徴の店がいくつか並んでいた。
「あ、ここにしよう」夫が、足をとめた店に入った。
「やっぱり」と、彼はうなずく。「外から観ても、一目瞭然だったんだよ。店の人も客も、みんな同じ方向を、無心に見つめているからさ」
サッカー中継だ。夫も、店に入るなり、同じ方向を見つめる彼らに同化した。

わたしはわたしで、その日、ちょっと気をよくしていた。丸暗記そのままだが、タクシーに乗った際「○○ホテルまで行ってください」とのスペイン語が通じ、運転手さんが笑顔を見せてくれたのだ。
その調子で、バルでも注文しようと構えていると、カウンターのなかの店員さんが、椅子を指差し「もひとつ」と言う。ふたりで座るのに、ひとつしかなかった椅子を「もひとつ」持って来て座れと言っているようだ。それはスペイン語なのか? と疑問に思っていると、並べてあるタパスを指差して「タコ」とか「ミミ」(豚の耳)とか言い始めた。わたしは対抗している訳ではもちろんないが混乱し、やたらスペイン語で聞く「これは何? 卵とポテト? じゃ、これ一つください」「ビール、ふたつね」
飛び交う不思議な、日本語とスペイン語。

その時、わーっと歓声が上がった。マドリードの選手が、惜しいところでゴールを外したらしい。
「惜しいなぁ」と、夫。
他の客も、口々に何か言ったり、大きくため息をついたり、思わず立ち上がったりしている。その瞬間、スペイン語も英語も日本語も、関係なかった。ため息の方向性も、表情さえ似通っている彼らに、言葉はいらないのだ。
サッカー中継ではなく、言葉を使わず通じ合う彼らを観つつ、日本語をしゃべる店員さんを前に、よく冷えた生ビールと、マドリードの夜を味わった。

『エル・ブリジャンテ』アトーチャ駅から徒歩30秒。

ポテトサラダは、ローストパプリカと、刻んだオリーブが効いていました。
『エンサラダ・ルサ』スタンダードなポテトサラダです。

夫が注文した『クロケタス』チーズと生ハム入りのコロッケです。

レアル・マドリードではなく、アトレティコ・マドリードの試合でした。
右手前が、夫。途中で店を出ましたが、翌朝のニュースで勝利を知りました。

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眠れない夜に『ホテルカクタス』

わたしも、末娘も、数字の2が、好きだ。
数字のなかで、2が一番好き、ということではない。江國香織の小説『ホテルカクタス』(集英社文庫)の登場人物(?)の3人のなかで、数字の2が一番好きなキャラクターだということだ。
ちなみに、あとのふたりは、きゅうりと帽子だ。

何を話していて、そういう話になったのかは忘れたが、ふたりとも『ホテルカクタス』は大好きな小説なので、日常会話にも、自然に登場する。
「数字の2が、眠れなくなる話、あったじゃない?」と、娘。
「えっ? そんな話、あったっけ?」と、わたし。
「えーっ? 覚えてないの? あの話が、一番好きなのに」
「帽子が、競馬で全財産すっちゃう話が、印象的だったからなぁ」
「帰りのバス代なくなっちゃって、2にかぶってもらって乗るやつね」
「で、2が、眠れないんだって、きゅうりと帽子の部屋に行くんだよ」
「それで、きゅうりは?」
「きゅうりのことだから、運動すれば眠くなるよとか、適当なこと言ったんじゃなかったかな?」
と、親しい友人の話でもするかのように、娘。きゅうりは、運動マニアだ。
「で、帽子のことだから」「酒でも飲めとか、言ったんでしょう」
「あ、ラスト思い出した」と、わたし。
「呆れた2は、ああ疲れたって、部屋に帰ってぐっすり眠りましたとさ」
彼女は、眠れない夜に、その話を思い出すと言う。

その、数字の2が眠れなくなる話を、再読した。
すると、きゅうりは「一週間も眠れずにいたら、それは不眠症だから医者に行くべきだ」と言い、がんばって一週間眠らずにいるように励ました。帽子はというと「じゃあ、起きていればいい」と言い、酒に誘った。
途中は多少違っていたが、ラストは娘が覚えていた通りだった。

読み直して、ひとり暮らしの部屋で、眠れない夜に『ホテルカクタス』の3人を思う娘を、想像した。想像し、胸がほっこりした。眠れない夜も、そう悪くはないかも知れない。

「ホテルカクタス」という名の古いアパートに、3人は住んでいました。

久しぶりに会った末娘は、お土産をくれました。
夏休みに、北海道へ旅してきた彼女。「楽し過ぎた」そうです。
夫にはリクエストの「鮭とば」と、何故か私には「ビールキャラメル」

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銀杏の木から見た、夕焼け

公園で、銀杏の実が、木漏れ日に揺れているのを、見つけた。
庭の様々な木に、実が生る季節なのだから、イチョウにだって実が生っても当然だが、イチョウは、黄色く紅葉する、その木自体が特別であり、だからまた、銀杏も特別のような気がしていたのだ。
「ほら、銀杏、生ってる」夫に言うと、彼もまた、驚いたようだった。
「本当だ。まだ、紅葉してないのにねぇ」と、うなずく。

イチョウと銀杏。どちらも同じ「銀杏」とかくのは、イチョウという名前がメジャーになる前には「銀杏(ぎんなん)の木」と呼ばれていたからだそうだ。

子どもの頃生まれ育った、東京は板橋の家の前に、大きなイチョウの木があった。「よく登ったなぁ」と、思い出す。
大きな木、といっても、小学生女子が登れるような木だった訳だから、そう太くもなく、枝も下の方で分かれていたのだろう。銀杏の生らないイチョウだった。だからこそ、銀杏の実に親しみがないのだ。木に登って、いったい何が、楽しかったのか。しかし、木の上から眺めた夕焼けが綺麗だったことは、覚えている。「淋しかったのかな」と、思い出す。弟と妹、そしてわたし。近所の子ども達と遊んだ記憶も多いが、ひとりでいた時間も多かったのだと思う。
今となっては、何を思っていたのやら。他人事のような遠い気持ちが、イチョウの葉の隙間から見える夕焼け空に、浮遊しているのみである。

あのイチョウは、まだ、生きているのだろうか。時々、見に行ってみたい衝動に駆られる。駆られるが、いまだ足を運んではいない。

色づき始めた葉も、銀杏の実も、優しい色ですね。

銀杏の実って、まん丸なんですね。種からは想像つきませんでした。

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『谷川俊太郎 一行一ダース』

夫が、会社のボーリング大会で優勝したと、優勝賞品を持ち帰って来た。
鉛筆である。『谷川俊太郎 一行一ダース』とあり、12本の鉛筆に、それぞれ違った言葉が刻まれている。それを「自分で好きに並べて1編の詩にしてください」と、注意書きが添えてあり、面白い趣向だなぁと感心した。

しかし、1編の詩にするには、1本1本の言葉が強すぎる。
いいな、と思ったものをあげると、
「その鉛筆は地平線を引き終えて力尽きた」
「紙がないときの鉛筆の怒りに感情移入せよ」
「芯は鉱物、軸は植物、書き手は動物哺乳類」
「鉛筆が書けないものは、深い沈黙」などなど。
1本1本が、すでに詩、なのだ。

ところで、彼はボーリングがそこそこ上手いということが、今回証明された訳だが、わたしは、大の苦手である。何故、あんなに重い球を、目的地まで転がせるのかが、全く判らない。けれど、ボーリングのピンに、一行詩がかいてあったとしたら、今より狙いが定まるような気がするのだが、どうだろうか。
「鉛筆が未熟な言葉を突っついてる」的な結末が、待っているだけかな。

こんな鉛筆あったんだぁと、驚きました。

言葉が、それぞれ、生き生きしていますね。不思議です。

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金木犀の香り

庭で、金木犀が香っている。
10年ほど前に、小さな苗木を植えたのだが、花を咲かせるようになって、まだ何年も経たない。

新婚の頃、住んでいた大田区のアパートと、私鉄の駅とを行き来する道に大きな金木犀の木があり、この季節になると歩いているだけで不意に香りがした。
また、川崎に越してから、子ども達を幼稚園に送る道にもまた、金木犀があった。不意に香るその匂いは、忙しい生活のなかで、季節を思い出させてくれたものだ。

そんな思い出もあり、金木犀を植えた訳だが、その時、小学生だった末娘の反応が面白かった。
「えーっ! 金木犀の匂い、大嫌いなのに!」
そう言い捨てて、娘は、自分の部屋に行ってしまった。わたしは、あっけに取られ、それから、笑い出したくなる感情が、ふつふつと湧いてきた。
彼女は、好き、嫌いをはっきりと持っている。そのことが、嬉しかったのだ。
金木犀が咲く度に、その時のことを思い出す。

彼女は今でも、金木犀の香りが、嫌いなんだろうか。

優しいオレンジ色が、香りを表現しているかのようです。

アップにしてまじまじ見つめると、不思議な形に見えてきます。

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花びらがついた「バカ」

自分で閉めた車のドアに、思いっきり頬をぶつけた。
痛い。だが誰も責められない。痛みが、ただ情けなく頬に残るのみである。

何故ぶつけたかといえば、原因がない訳ではない。降りた場所に、バカの花が咲いていたのだ。この辺りでは「アメリカセンダングサ」のことを「バカ」と呼ぶ。いや、バカの花は、何も珍しくもなく、庭にも道端にも咲き乱れているのだが、ちょっと珍しいバカだったのだ。バカの花にはついていないはずの平たい花びらがついていたのだ。
「あれ、珍しい」と、足元に視線を落とし、そのままドアを閉めた。
その途端、ガツンと顔を殴られたような衝撃。幸せなことに顔を殴られた経験は、まだないが、想像するに、こんな感じだろうと判った。

もともと二つのことを同時にできない不器用な性格である。のんびり、ゆっくりを身上にしている。身体も、その辺を理解して行動して欲しいものである。

ところで、何故「アメリカセンダングサ」が「バカ」と呼ばれているかというと、種になると衣服につきやすい「ひっつきむし種」故にだ。
小学生男子が、わざと友達の背中にくっつけて「バカが、ついてる!」などとやりあう姿は、登下校時によく見られる。季節の風物詩と言ってもいい。
「バカ」と呼ぶ地域は、意外に多くあるそうだ。

「何故、足元に花びらつきのバカが? 誰かの罠か?」
ひとり、バカに毒づくも、こんな手の込んだ罠を仕掛ける者も、意味もなかろうと判ってはいるのだ。
「バカのバカ」つぶやくと、自分でも可笑しくなって、ひとり笑った。

これが、ごく普通の「バカ」

これが、花びらつきの「バカ」

ごく普通の「バカ」の葉っぱ。

花びらつきの「バカ」の葉っぱ。

そしてこれが種。先端の枝分かれした部分で、くっつきます。

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穏やかな気持ちをつくるもの

気持ちが穏やかになる瞬間、というのがある。
例えば、通りすがりに無邪気な子どもの笑顔が、目に飛び込んで来た時。
また例えば、ふと夕闇の空を見上げると、消え入りそうなペーパームーンが、静かに浮かんでいた時。
また例えば、久しぶりに友人から、手紙が届いた時。などなど。

しかし、その時わたしは、不意に気持ちが穏やかになった原因が、判らなかった。夕刻、キッチンで忙しく立ち働いていて、ちょっと疲れたなぁとさえ思っていたのだ。だが、何となくそんな気持ちがほぐれ自然と笑顔になっている自分を、不思議に思っていた。そして料理の下ごしらえを終え、朝飲んだ珈琲カップを片づけようと布巾の上に伏せたカップに手をかけた瞬間、気づいた。
「これかぁ。この、水色。この不器用なチューリップ。ふふふ」
思わず、笑った。さっきから、バタバタしているなか、何度も目に入っていたのが、珈琲を飲む時に気に入って使っているカップの底に刻まれた絵だったのだ。その絵が、わたしの疲れた気持ちを、ほぐしてくれていたのだった。

普段見えないカップの底のチューリップを、しげしげと見つめ「ありがとう」と礼を言った。じつのところ、この世に、意味のないものなどないのかも知れないと、胸に広がる落ち着いた水色を、しばし感じていた。

優しい水色と、落書きのようなチューリップです。

ウッドデッキで飲む珈琲が、更に美味しくなったような気がしました。

足元では、けろじが、珈琲の香りをかいでいました。
けろじを見て、また、心穏やかになるわたしです。

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記憶の扉を叩くもの

記憶の扉を叩くものには、様々ある。
例えば匂い。里芋を煮た時に、末娘が言った。
「ああ、お正月の匂いだぁ」彼女は、里芋の煮しめが大好きだ。
また例えば、目の前に広がる風景。霞がかった山々を見ると、東山魁夷の絵と、彼の絵が好きだった友人を思い出す。
そんな風に、単純に思い出す記憶もあれば、何かきっかけとなるものがあり、ぱたりと記憶の扉が開く場合もある。

洗濯物を、干していた時だった。
今年買った、辛子色のチュニックを干し、陽の光が温かにチュニックにそそぐのを見た瞬間、川崎に住んでいた頃の出来事を思い出したのだ。

もう15年以上も前のことである。
夫の辛子色のシャツは、ベランダの物干しで揺れていた。マンションの部屋は1階で、小さな庭がついていて、それが気に入って越したのだった。だが、幼い子どもとの生活に、慣れない環境に、庭いじりをするどころではなかった。それでも、その秋、庭に菊の花が綺麗に咲いた。もともと植えてあったものだ。放っておいても咲くものなのか。植物は強いものだと、ひとり納得していた。庭は西側で、西陽射すなか洗濯物を取り込もうとベランダに出た時だった。隣の老人が、フェンス越しに我が家の庭で咲く菊に水をあげていたのだ。
「ああ、ただ強くて咲いた訳じゃなかったんだ」
わたしは、洗濯物も取り込まず、そっと部屋に入って窓を閉めた。何故だか、声をかけられなかった。

そんなワンシーンが、あの部屋の匂いや、子ども達の幼かった姿や、いろいろな出来事と共に、温かに陽が射す辛子色のチュニックのなかに、通り過ぎて行ったのだ。物干し、辛子色のシャツ、温かに射す秋の陽射し。それが揃ってこそ、不意によみがえった記憶。一生思い出すこともない記憶だったのかも知れないな、と、チュニックの裾を丁寧に伸ばした。
   
夏の間、涼しく着て、これからの季節は重ね着で、重宝しそうです。
「裾を伸ばして、これ?」と、言われちゃいそうですが、
やわらかいガーゼの生地で、しわしわも、味の一つなんです。

このチュニックも、重ね着で楽しめますね。そう言えば、あろうことか、
娘がブログで家族を紹介していて「アジアン雑貨が好きな母は、いつも
不思議な服を着ている」とかいていた。ほっといてください(笑)
現在、チェコに滞在中の娘のブログは、こちら 『23歳、旅人いぶき』

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冬の空気をまとった鳳凰三山

山がくっきり、見え始めた。雨上がりの朝、気温が下がり、雲間からのぞいたその出で立ちは、冬の空気をまとっている。
我が家の前の道路から、毎日のように眺める、南アルプスの山々。甲斐駒ケ岳は、雲のなかにいたが、鳳凰三山のオベリスクと呼ばれる突起は、綺麗に見ることができた。

「あれが、鳳凰三山のオベリスクだよ」
夫に教わったのは、20年以上も前になるだろうか。
だが、わたしには、山の違いなど見分けることはできず、かろうじて富士山と八ヶ岳が、判別できる、という情けない状況。教えてもらっては、忘れ、また教えてもらって、を繰り返していた。
しかし、もう判る。甲斐駒のごつんと丸い形や、鳳凰三山は地蔵岳の不思議に尖ったオベリスク。それが、少し車で走ると、形を変えることや、気温によって、霞んだり、くっきり見えたりすること。15年も、住んでいれば、当たり前と言えば、当たり前だ。

夫に「あそこまで、行ったことあるの?」と、聞いてみた。
すると、彼は「あるよ」とドラマ『HERO』のバーのマスターのように言い、それからしばらく大学の山歩きサークルでの話をしてくれた。ちょっと一言ではかけない、彼の歴史と言ってもいいような、初めて聞く話だった。
今も、あそこを登っている誰かがいるのだろうか。もしかすると、大学生だった頃の夫が、仲間たちと登っているかも知れない。そんなことを考えながら、またオベリスクを眺めた。

「山なん、いっさら見んずら」(山なんか、ちっとも見ないよ)
越して来た頃に、地元の人に言われた。生まれた時から見慣れた山。そこにあるのが当然のモノとして、ただあるなぁと受け入れているのだ。
15年経っても、わたしは、毎日山を観る。いつまでたっても、新住民と呼ばれるのも、しょうがないかも知れないな。

一昨日。我が家の前の道路から見た、南アルプス連峰の、鳳凰三山。
肉眼で見たのと、近い感じの写真です。

カメラを風景モード、アップにして、地蔵岳のオベリスク。

これは昨日の朝、散歩しながら撮った、甲斐駒ケ岳です。
「紅葉が始まってるね」と、双眼鏡で眺めつつ、夫が言っていました。

裾野には、彼岸花が、咲き乱れています。美しいです。

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『女性秘匿捜査官・原麻希 アゲハ』

『女性秘匿捜査官・原麻希 アゲハ』(宝島社文庫)を読んだ。
『私の結婚に関する予言38』で、日本ラブストーリー大賞・エンタテイメント特別賞受賞の吉川英梨描く警察小説シリーズ第1弾だ。

主人公は、警視庁の鑑識課に所属する原麻希。この家族が、いい味を出している。歳の離れた夫は、同じく警視庁勤務だが、めったに帰って来ない。娘の菜月7歳は、おしゃまで大人びていて母親似の推理眼を思わせる。そして夫の連れ子である健太25歳が、いい。母親を早くに亡くしてからは、帰らぬ父をひとり待つ日々に無口になる一方だった彼は、妹が生まれたことに飛び上るほど喜んだ。そして高校を卒業後、刑事の両親の代わりに、家事育児を一手に引き受ける。トップクラスの高校でトップの成績だったにもかかわらず。そんな健太が、菜月を甘やかし、可愛がる様は、微笑ましい限りだ。

シリーズ第1作目は、そんな家族のすれ違いと絆を、描いている。
健太と菜月が、アゲハと名乗る何者かに誘拐された。気が狂わんばかりに、ふたりを探す麻希は、熱血刑事と言うよりは、子どもを熱愛する母親だ。だが、誘拐されたはずの健太に、ある時点から容疑がかけられることとなる。動機は、ニートである生活への不安と継母との確執などとでっち上げられるが、麻希は、菜月を愛する健太を信じ、大きな闇に向かって行く。
もちろん、軸は推理劇のストーリー。驚きの結末あればこそ、斬新な形で描いた家族の様が生きてくるというものだろう。

子育て期に、やむなく退職したわたしは、健太のように家族を愛し子育てをサポートをしてくれる誰かがいたら、何か変わっていたかもなぁと、思わずにはいられない女性のひとりだと思う。それを受け止めつつ、生き方が多様化していくなか、職を持つ持たないで、人をきちんと見ずに、ニートなどと決めつける風習は、小説のなかだけではないのだろうと、あらためて考えさせられた。
第2弾は『スワン』楽しみだ。

紫がかったアゲハ蝶が、ビルの谷間を舞う表紙です。
アゲハとは、いったい何からとった偽名だったのでしょうか。

本との出会いもまた、不思議。伊坂幸太郎の短編が入ったアンソロジーに、
『ハラマキシリーズ』が収録されていて、それがおもしろくて。
「わたしをフルネームで呼ばないで!」とハラマキ巡査部長は言いますが。

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秋の庭の、木の実達

庭の様々な木に、実が生っている。秋である。
ハナミズキ、ナナカマド、南天には、赤い実。紫式部には、その名の通り紫の実。山椒の赤かった実は、すでにはぜて、黒い種をのぞかせている。

植物に、迷いはない。春には花を咲かせ、秋には実をつける。
人も生きていく上で、花を咲かせるとか実を結ぶとか、比喩として表現されることが多い。結婚して、子どもを産む。何か大きな成功を収める。などなど。

庭を歩き、思った。比喩としてこれまで表現されていることとは、多少違うかもしれないが、今、わたしは、実を結んでいる時期なんじゃないかと。
特別、大きなことを成さずとも、50年以上も、こうして生きている。今、生きていること、それが、庭で実を結ぶ植物達と重なったのだ。誰と比べる訳ではなく、わたしは今、実をつけて、これから熟していこうとしているのだと。

季節も秋だが、人生の季節も秋。そんなことを実感しつつ、庭で実を結ぶ赤や紫の木の実達を、眺めた。

ハナミズキは、赤い実を太らせてている最中です。

南天はまだ渋い赤ですが、寒くなるにつれ、鮮やかな赤に。

ナナカマド。七回釜戸に入れても燃え尽きないといわれる木ですが、
我が家の庭では、まだまだ若く細い木です。

紫式部も、綺麗に色づきました。優しい気持ちになる紫です。

山椒は、もうはぜて、黒い種が光っていました。
足元には、今年出た芽が、少しずつ育っています。

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栗ご飯の記憶

「桃栗3年柿8年」と言うが、数年前に植えた栗の木に、ようやく食べられるほどの実が生った。木はまだ小さいが、大きく立派な栗の実である。嬉しい。
木に生っているうちは、収穫には早く、落ちてしまうと虫に食われるというので、毎日観察しては、拾っていた。
「そろそろ、いいんじゃない?」「だよねぇ」
夫が連休、枝を揺らしてみると、ぼろぼろ落ちた。数えれば、栗ご飯にちょうどいい数ある。さっそくお昼に炊くことにした。
栗ご飯は、甘くほっくりと炊け、庭の栗を思う存分味わった。不器用に栗を剥いた手は痛んだが、苦労の甲斐ある味だった。

「子ども達も、栗ご飯、好きだったなぁ」と、思い出す。
ひとり暮らしじゃ、もちろん栗ご飯を炊いたりはしないだろう。だが、いいのだ、と考える。我が家で食べた栗ご飯の記憶があれば、それでじゅうぶんなのだと、思える。

上の娘がチェコのステイ先で、お好み焼きを焼いたとの facebook を読んだ。
「うちって、結構な頻度でお好み焼き、焼くよねぇ」と、夫。
「一般的家庭で、お好み焼きが食卓に登場する頻度が、判んないけど」
彼女は、お好み焼きが我が家の味の一つだと、記憶しているのだろう。そんな話を、夫としていて思ったのだ。
家族でホットプレートを囲み、お好み焼きを焼いた記憶。春には筍ご飯を、秋には栗ご飯を食べた記憶。兄弟で唐揚げを取り合った記憶。朝一番に起きた者だけが、親子丼の残りを食べられたという記憶。そんな記憶が、彼女達のこれからを作るものの一つになっているのだと。

手抜きもたくさんしたけれど、料理が好きでよかった。
「わたしって、もしかして、料理上手なんじゃない?」
栗ご飯を頬張りつつ言うと、夫が、笑ってうなずいた。

夫が枝を揺らすと、すぐに落ちました。いたたたと言いつつ、収穫。

二人分の栗ご飯には、ちょうどいい数。綺麗な栗です。

炊き立て~。香ばしい匂いが、部屋中に広がっていました。

夫とふたりのランチは、ちょっと豪華に鶏肉とサラダも添えて。

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松茸採りは、ゆっくり歩いて

夫が、顔色を変えて、帰宅した。
何事かと思えば、松茸である。キノコ狩りを趣味としている知人に、いただいたと言う。彼の興奮は、ただちにわたしに伝染し、キッチンで袋から出した松茸を見るなり「おーっ!」という雄叫びにも似た声を上げてしまった。
「結婚してから、松茸なんて食べたことあったっけ?」と、夫。
「いや、ない。買ったことも、貰ったこともない」と、わたし。
食べたとすれば、和食ランチか何かで、茶碗蒸しにでもひらりと薄っぺらくのせてあるものくらいだ。
手に持ってみて、匂いを嗅ぎ「おーっ!」再び、雄叫びをあげる。調理せずとも、いい香りがした。これはもう大切に、シンプルに味わおうと、酒と塩を振りグリルで焼いた。口にして再び「おーっ!」これだけ盛り上がれば、松茸も本望だろうというくらい、ふたり楽しんだ。

歯ごたえや香りを満喫しつつ、聞けば、いただいた知人は、子どもの頃から、親に連れられて松茸を採りに行っていたという。
「若い頃は、早く採れる場所に着きたくて、早足で山を歩いてたんだって」
夫が、知人から聞いた話を聞かせてくれた。それが、歳がいくにつれ、はやる気持ちに足も追いつかなくなり、ゆっくり歩くようになったそうだ。
「それが、おもしろいんだよ。松茸がある場所に着くのは遅くなったけど、最近の方が、松茸を採る数は増えたんだって言うんだ」
通り過ぎていただけの景色が、よく見えるようになり、松茸や他のきのこもまた、よく見えるようになったらしい。
「ゆっくり歩いた方が、周りがよく見えるって、当たり前だけど、忘れがちだよね」わたしも、松茸が生える山を想像しつつ、うなずいた。
すでにゆっくりしか歩けないが、それはそれで、いいこともあるようだ。ゆっくり、行こうよ。松茸だって、そう言っているのだ。

笠が開いているので、見た目松茸に見えませんでしたが、
写真に撮ると、松茸っぽい! やっぱりわたしには、きのこ狩りはムリそう。

うーん。香りを味わうって、こういうことなのね~と、納得!

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『非常の階段』

芝居『非常の階段』を、観に出かけた。
劇団、アマヤドリにより、吉祥寺シアターで上演されるその芝居を観に行かないかと、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われたのだ。
彼女のチケット手配は、いつもながら完璧で、最前列の真ん中で、生の芝居の迫力を満喫することができた。

テーマは、透明な家。舞台全体が壁のない家であり、取調室であり、公園であり、透明な空気をまとっている。主人公は、親に捨てられたナイト。ナイトが所属する詐欺集団の曖昧だけれど強い繋がりをまた、架空の家族として描いている。その詐欺集団が、ナイトの伯父の家に転がり込んできて・・・。

芝居は、しんとした空気のなか始まった。客席とフラットな位置の舞台に、ひとりの女の子が立って話し始める。
「今年の夏は、あんまり暑くなかったですね」
それが芝居のスタートなのか、初めの挨拶なのかも判らない不思議な雰囲気。そこに二人の男が、やはり静かに現れ、話に加わる。その時には、すでに舞台上へと心は奪われていた。

胸に残ったのは、記憶の改ざんについてだ。男が、夏の夜の友達との思い出を話す。もう一人の男が、それは自分の思い出だと言う。すると男は、自分の記憶にもあるのだから、自分の思い出でもあるのだと言う。もう一人の男は、それが本当に自分の思い出なのかどうか、そこにいたのが、本当に自分の友達だったのかどうか、判らなくなっていく。
それを観ていて、自分が立っている場所が揺らいでいく気がした。

「生の芝居っていいね」わたしが言うと「いいでしょう?」と彼女。
「明日も、違うの観に行くんだー!」と自慢する。
「おいおい、そんなにいっぱい観てたら、記憶、改ざんされちゃうよ」
若い彼女は、そんなわたしの言葉には、お構いなしのようだったが。

初めて芝居の台本を購入。彼女は、前作のDVDも、購入していました。

人物相関図。これに目を通して観たので、判りやすかったです。

早めに待ち合わせ、わたしは生ビール、彼女はスプモーニで、乾杯。

ブラッド・オレンジのソルベ。わたしは、2杯目の生ビールを、
彼女は、いつもデザートを楽しみます。

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顔を持たない、小さな花達

運転中、車に人の顔を見ることがよくある。
もちろん、運転席にという訳ではなく、ライト二つが目に見える車自体の、表情を感じるということだ。
「あの車、人相悪いね」「悲しそうな、顔してる」
などと、車の表情に感想を言い合った経験を持つ人もいらっしゃるかと思う。
それがまた、運転の仕方と相まって、表情に色がつく場合がある。例えば、後ろの車が、怒り顔をしている上に、車間を詰めて来た時など「速く行けって、言ってるのかな?」などと思ってしまう。前に遅い車がいる時など、こちらとしてもどうしようもなく「怒らんといてーな」などとひとりごちるしかない。じつは後ろの運転手は、元々車間を小さく取るのが癖だというだけかもしれないのだが。
そしてこれがまた、可愛い顔をした車だと、車間を詰めて来ても、あまり威圧感はない。じつは「遅いよ!」と、怒っているかも知れないのだが。

人は、人工物を自らに似せたがる。車も、然り。ロボットなども、然り。
だからだろうか。花を見ると、ホッとするのは。しっかりと生きているにもかかわらず、花達は顔を持たない。顔を持たずに、表情を作る。
名も知らぬ小さな花達に、ホッとする秋である。

可愛いけれど、毒があるハエドクソウです。庭に咲いていました。

萩は、アップにしてみることが少ないから、新鮮に映ります。

つゆくさも、まだまだ、いっぱい咲いています。

マルバルコウソウ。散歩道でよく見かけます。小指の爪ほど小さいんです。

庭のバジルも、花を咲かせつつ、まだまだ活躍中です。

ミズヒキは、よく見ると花の先が、小さな鉤のようになっています。
生きものに、引っかけてもらって、種を増やしていくためだそうです。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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