はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
『女のいない男たち』(2)
村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)を、読んでいる。
2話目の『イエスタデイ』は、木樽(きたる)という名の大学時代の友人について、主人公、僕(谷村)が一人称で語る形式をとっている。
木樽はビートルズの『イエスタデイ』を関西弁に訳し風呂でよく歌っていた。
♪ 昨日は あしたのおとといで おとといのあしたや ♪
東京は田園調布出身の木樽は、神戸出身の谷村からみても、完璧な関西弁を喋った。阪神タイガースの熱烈なファンで、わざわざ関西にホームステイして学んだという。その木樽に、谷村は頼みごとをされる。
「なあ、谷村、そしたらおれの彼女とつきおうてみる気はないか?」
木樽には、小学生の頃からつきあっている女の子がいた。
一貫して出てくる谷村の自己分析が、面白い。(以下、本文から)
うまく言葉が出てこなかった。大事な時に適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。
(じゃあ、デートしましょうと木樽の彼女が言った時)
何かがいったん決定されてしまってから、どうしてこうなってしまったのかと考え込んでしまうところも、僕の抱える問題のひとつだ。
(木樽の彼女とのデートが、決まってしまった時)
誰かにすぐ大事な相談をもちかけられてしまうことも、僕の抱える恒常的問題のひとつだった。
(木樽とのこれからについて、彼女に相談をもちかけられた時)
決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ。
(16年後再会した彼女が、回り道し続けている自分を持て余している様子に「僕らはみんな終わりなく回り道をしているんだよ」と言いそうになった時)
この短編は、彼女が繰り返し見たという夢が鍵になっていて、その夢の存在が、小説全体を切なく美しいラブストーリーに創り上げている。
なーんて、分析しちゃうのが、わたしの抱える問題のひとつかも知れないな。
最初で最後のデートに、谷村が彼女を誘ったのは、小さなイタリアン。
写真はイメージです(笑)7年前に夫とイタリアを旅した時のもので、
ローマの中心部から川を超えた『トラステベレ』という地域です。
「ピザとキャンティ・ワイン?」と木樽は驚いたように言った。
「ピザが好きやなんて、ちっとも知らんかった」
彼女が見た夢は、長い航海をする大きな船の船室から見た風景でした。
写真は、ヴェネツィアです。ゴンドラには、乗れませんでした。
夢のなかの風景は、夜でした。海には月が映っていました。
写真はフィレンツェのヴェッキオ橋から見た、夕暮れです。
photo by my husband
2話目の『イエスタデイ』は、木樽(きたる)という名の大学時代の友人について、主人公、僕(谷村)が一人称で語る形式をとっている。
木樽はビートルズの『イエスタデイ』を関西弁に訳し風呂でよく歌っていた。
♪ 昨日は あしたのおとといで おとといのあしたや ♪
東京は田園調布出身の木樽は、神戸出身の谷村からみても、完璧な関西弁を喋った。阪神タイガースの熱烈なファンで、わざわざ関西にホームステイして学んだという。その木樽に、谷村は頼みごとをされる。
「なあ、谷村、そしたらおれの彼女とつきおうてみる気はないか?」
木樽には、小学生の頃からつきあっている女の子がいた。
一貫して出てくる谷村の自己分析が、面白い。(以下、本文から)
うまく言葉が出てこなかった。大事な時に適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。
(じゃあ、デートしましょうと木樽の彼女が言った時)
何かがいったん決定されてしまってから、どうしてこうなってしまったのかと考え込んでしまうところも、僕の抱える問題のひとつだ。
(木樽の彼女とのデートが、決まってしまった時)
誰かにすぐ大事な相談をもちかけられてしまうことも、僕の抱える恒常的問題のひとつだった。
(木樽とのこれからについて、彼女に相談をもちかけられた時)
決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ。
(16年後再会した彼女が、回り道し続けている自分を持て余している様子に「僕らはみんな終わりなく回り道をしているんだよ」と言いそうになった時)
この短編は、彼女が繰り返し見たという夢が鍵になっていて、その夢の存在が、小説全体を切なく美しいラブストーリーに創り上げている。
なーんて、分析しちゃうのが、わたしの抱える問題のひとつかも知れないな。
最初で最後のデートに、谷村が彼女を誘ったのは、小さなイタリアン。
写真はイメージです(笑)7年前に夫とイタリアを旅した時のもので、
ローマの中心部から川を超えた『トラステベレ』という地域です。
「ピザとキャンティ・ワイン?」と木樽は驚いたように言った。
「ピザが好きやなんて、ちっとも知らんかった」
彼女が見た夢は、長い航海をする大きな船の船室から見た風景でした。
写真は、ヴェネツィアです。ゴンドラには、乗れませんでした。
夢のなかの風景は、夜でした。海には月が映っていました。
写真はフィレンツェのヴェッキオ橋から見た、夕暮れです。
photo by my husband
雨に濡れたスズランの蕾
庭のスズランが、蕾をつけているのを見つけた。
気温はずいぶんと下がったが、久しぶりに雨を浴び、水を思いっきり吸って、この週末は伸びずにはいられないといった様子をしていた。
スズランの葉は、まるでカンガルーがポケットに入れた赤ん坊を抱きかかえているかのように、蕾を大切に抱いている。
「子だくさんで、たいへんだね」しゃがんで、声をかけた。
「まだ寒いって言ってるのに、この子達、お外が見たいって聞かなくってねぇ」スズランの葉が、答える。
桜が散り、雪柳が眩しく咲いたと思ったら、もう、スズランの季節か。
そんなに慌てて、通り過ぎていかなくてもいいのに。列車の窓から、過ぎゆく風景を眺めているみたいに、あっという間だ。
「季節は、小さなこと一つだって、先送りにしたりしないんだな」
自分に、置き換えてみる。後でいいことは後に、明日でいいことは明日に、来週でいいことは来週に、来月でいいことは来月に、常に様々先送りして、結局は出来ないことのなんと多いことか。
「わたしも、ちょっとは、がんばりますか」
雨に濡れるスズランに、春の冷気を浴びて伸びる強さを、ひとしずく貰った。
何年か前に頂いたスズランの苗も、約百もの芽が伸びるようになりました。
そのなかで、今、蕾を見せているのは3つです。
ハナミズキは、例年になく多くの花をつけました。
日々、開いていくのが楽しみです ♪
これも頂いて、挿し木にしたライラック。新しい芽も出てきています。
今年も、道路際に移植しようと、考えています。
やはり頂いたクリスマスローズ。と、勝手に出てきたスミレ。
土はいっぱいあるのに、どうして、石の間で咲くのかなぁ。
気温はずいぶんと下がったが、久しぶりに雨を浴び、水を思いっきり吸って、この週末は伸びずにはいられないといった様子をしていた。
スズランの葉は、まるでカンガルーがポケットに入れた赤ん坊を抱きかかえているかのように、蕾を大切に抱いている。
「子だくさんで、たいへんだね」しゃがんで、声をかけた。
「まだ寒いって言ってるのに、この子達、お外が見たいって聞かなくってねぇ」スズランの葉が、答える。
桜が散り、雪柳が眩しく咲いたと思ったら、もう、スズランの季節か。
そんなに慌てて、通り過ぎていかなくてもいいのに。列車の窓から、過ぎゆく風景を眺めているみたいに、あっという間だ。
「季節は、小さなこと一つだって、先送りにしたりしないんだな」
自分に、置き換えてみる。後でいいことは後に、明日でいいことは明日に、来週でいいことは来週に、来月でいいことは来月に、常に様々先送りして、結局は出来ないことのなんと多いことか。
「わたしも、ちょっとは、がんばりますか」
雨に濡れるスズランに、春の冷気を浴びて伸びる強さを、ひとしずく貰った。
何年か前に頂いたスズランの苗も、約百もの芽が伸びるようになりました。
そのなかで、今、蕾を見せているのは3つです。
ハナミズキは、例年になく多くの花をつけました。
日々、開いていくのが楽しみです ♪
これも頂いて、挿し木にしたライラック。新しい芽も出てきています。
今年も、道路際に移植しようと、考えています。
やはり頂いたクリスマスローズ。と、勝手に出てきたスミレ。
土はいっぱいあるのに、どうして、石の間で咲くのかなぁ。
『女のいない男たち』(1)
久しぶりに、村上春樹を読んでいる。出版されたばかりの短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)6編の短編小説が収められていて、1話目の『ドライブ・マイ・カー』を、読み終えたところだ。
何年か前に病気で妻を亡くした舞台俳優、家福(かふく、と読む。苗字だ)が、専属ドライバーに雇ったのは、運転の腕にかけては超一流で無口な24歳の女性、みさきだった。会話のない車中を、心地よく感じていた家福だったが、ふと、亡き妻に対し抱えていたある思いを語り始めるのだった。
「そういうのって気持ちとしてつらくはなかったんですか? 奥さんと寝ていたってわかっている人と一緒にお酒を飲んだり、話したりすることが」
「つらくないわけないさ」と家福は言った。
「考えたくないこともつい考えてしまう。思い出したくないことも思い出してしまう。でも僕は演技をした。つまりそれが僕の仕事だから」
「別の人格になる」とみさきは言った。「そのとおり」
「そしてまた元の人格に戻る」「そのとおり」と家福は言った。
「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない」
『女のいない男たち』収録『ドライブ・マイ・カー』より
読んでいて、この文章が、すっと胸に落ちた。
女優でも何でもない、繰り返しの毎日を生きているわたしだが、昨日と今日は、少しだけ立ち位置が違っているのを感じる。一つの小説を読む前と後では、やはり少しだけ立ち位置が違っていることを感じる。友人とゆっくり喋った後にも、同じようにそれを感じる。それは「成長」や「進歩」などと呼ぶ種類のものではない。在るか無しかのほんの小さな、けれど確かな「変化」だ。
家福の台詞は、そんな目に見えない変化を、垣間見せてくれた。
さて今夜は、2話目『イエスタデイ』を楽しもう。
この表紙を見て、思い出しました。村上春樹が学生時代に経営していたジャズ喫茶が『ピーターキャット』彼の飼い猫からとった名だということを。
村上龍も訪れたことがあるとか。わたしはもちろん行ったことありません。
家福の車は、黄色のサーブ900コンバーティブル。
彼の亡き妻が、選んだ色です。
帯には、1話ずつ丁寧な紹介分が載せられていました。
何年か前に病気で妻を亡くした舞台俳優、家福(かふく、と読む。苗字だ)が、専属ドライバーに雇ったのは、運転の腕にかけては超一流で無口な24歳の女性、みさきだった。会話のない車中を、心地よく感じていた家福だったが、ふと、亡き妻に対し抱えていたある思いを語り始めるのだった。
「そういうのって気持ちとしてつらくはなかったんですか? 奥さんと寝ていたってわかっている人と一緒にお酒を飲んだり、話したりすることが」
「つらくないわけないさ」と家福は言った。
「考えたくないこともつい考えてしまう。思い出したくないことも思い出してしまう。でも僕は演技をした。つまりそれが僕の仕事だから」
「別の人格になる」とみさきは言った。「そのとおり」
「そしてまた元の人格に戻る」「そのとおり」と家福は言った。
「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない」
『女のいない男たち』収録『ドライブ・マイ・カー』より
読んでいて、この文章が、すっと胸に落ちた。
女優でも何でもない、繰り返しの毎日を生きているわたしだが、昨日と今日は、少しだけ立ち位置が違っているのを感じる。一つの小説を読む前と後では、やはり少しだけ立ち位置が違っていることを感じる。友人とゆっくり喋った後にも、同じようにそれを感じる。それは「成長」や「進歩」などと呼ぶ種類のものではない。在るか無しかのほんの小さな、けれど確かな「変化」だ。
家福の台詞は、そんな目に見えない変化を、垣間見せてくれた。
さて今夜は、2話目『イエスタデイ』を楽しもう。
この表紙を見て、思い出しました。村上春樹が学生時代に経営していたジャズ喫茶が『ピーターキャット』彼の飼い猫からとった名だということを。
村上龍も訪れたことがあるとか。わたしはもちろん行ったことありません。
家福の車は、黄色のサーブ900コンバーティブル。
彼の亡き妻が、選んだ色です。
帯には、1話ずつ丁寧な紹介分が載せられていました。
ロックだぜ!
「中学の頃、よく聴いてたんだ」
嬉しそうに言う夫の言葉に誘われて、ジョニー・ウィンターのライブを聴きに行った。バリバリのロックンロールである。
「途中で気分悪くなったら、外に出てていいから」
会場に入る前に彼に言われていたが、演奏が始まって、その意味が判った。しょっぱなから身体の芯に響き渡る音という振動に、一瞬お腹が痛くなり、耳はキーンとなり続けている。本物のロックンロールというものを聴くのは、初めてなのだと思い知った。
だが、気分はよかった。彼は、ノリノリでリズムをとっているし、慣れるとストレートなロックの心地よさを楽しむことが出来た。観客も同世代以上が多く、それなのにジョニー・ウィンターの髪形を真似てか、長髪にしている男性も目立ち、それが面白く、こっそり笑い「ロックだぜ」とつぶやいたりした。
「ロックだぜ」と言えば、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』(新潮社)に登場する愛すべき脇役、ロック岩崎だ。
彼の口癖は、当然ながら「ロック」で、理不尽な仕事やつまらない雑用を押し付けられると「それはロックじゃねぇだろ」と怒り、喜ばしい出来事があると「ロックだな」とうなずいた。給料が増えた時も「ロックだねぇ」と満足げだったが、基本給の増加とロックが結びつく理由が、青柳雅春には分からなかった。 『ゴールデンスランバー』より
彼の価値観は、ロックか、あるいはロックじゃないかで、決められていた。そして、巨大な悪から、直接的には警察から追われている職場の後輩、青柳をただ信じ、逃亡に手を貸した。なぜなら、それがロックだからだ。
ジョニー・ウィンターが奏でるロックンロールを聴きながら、ロック岩崎を思い出していたら、帰り道は、ロック岩崎脳になっていた。
会場から出る際、道を譲ってもらえば「ロックだぜ」とうなずき、ゴミを座席に残しているのを見れば「ロックじゃないなぁ」と憤った。
何かの分岐点に立った時、考えてみようかな。ロックか、ロックじゃないか。案外簡単に答えが出せるかも知れない。
六本木のEXシアター入口の看板。ビールを飲んでから会場入りしました。
ハイネケンの生ビールが、美味しい! トマトとアボカドのサラダを注文。
えーっ、ほんとに、トマトとアボカドだけ? ロックだぜ!(笑)
アメリカン・ダイナーな雰囲気を楽しみ、ロックな夜に突入しました。
嬉しそうに言う夫の言葉に誘われて、ジョニー・ウィンターのライブを聴きに行った。バリバリのロックンロールである。
「途中で気分悪くなったら、外に出てていいから」
会場に入る前に彼に言われていたが、演奏が始まって、その意味が判った。しょっぱなから身体の芯に響き渡る音という振動に、一瞬お腹が痛くなり、耳はキーンとなり続けている。本物のロックンロールというものを聴くのは、初めてなのだと思い知った。
だが、気分はよかった。彼は、ノリノリでリズムをとっているし、慣れるとストレートなロックの心地よさを楽しむことが出来た。観客も同世代以上が多く、それなのにジョニー・ウィンターの髪形を真似てか、長髪にしている男性も目立ち、それが面白く、こっそり笑い「ロックだぜ」とつぶやいたりした。
「ロックだぜ」と言えば、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』(新潮社)に登場する愛すべき脇役、ロック岩崎だ。
彼の口癖は、当然ながら「ロック」で、理不尽な仕事やつまらない雑用を押し付けられると「それはロックじゃねぇだろ」と怒り、喜ばしい出来事があると「ロックだな」とうなずいた。給料が増えた時も「ロックだねぇ」と満足げだったが、基本給の増加とロックが結びつく理由が、青柳雅春には分からなかった。 『ゴールデンスランバー』より
彼の価値観は、ロックか、あるいはロックじゃないかで、決められていた。そして、巨大な悪から、直接的には警察から追われている職場の後輩、青柳をただ信じ、逃亡に手を貸した。なぜなら、それがロックだからだ。
ジョニー・ウィンターが奏でるロックンロールを聴きながら、ロック岩崎を思い出していたら、帰り道は、ロック岩崎脳になっていた。
会場から出る際、道を譲ってもらえば「ロックだぜ」とうなずき、ゴミを座席に残しているのを見れば「ロックじゃないなぁ」と憤った。
何かの分岐点に立った時、考えてみようかな。ロックか、ロックじゃないか。案外簡単に答えが出せるかも知れない。
六本木のEXシアター入口の看板。ビールを飲んでから会場入りしました。
ハイネケンの生ビールが、美味しい! トマトとアボカドのサラダを注文。
えーっ、ほんとに、トマトとアボカドだけ? ロックだぜ!(笑)
アメリカン・ダイナーな雰囲気を楽しみ、ロックな夜に突入しました。
小説ホリック
時に、パニックになる。一瞬、どうしようもなく何かが欠落しているのを感じ、何処に立っているのか判らなくなる。春が訪れ、向かいの林に越してきたキジが、日々ケンケンとうるさく鳴いているからではない。
原因は「読みたい小説が、手元にない」ただそれだけのこと、である。
だが長く生きていれば、誰しも「ただそれだけのこと」に、ひどく惑わされた経験を持っているはずだ。大切な「ただそれだけのこと」を、ひとりひとり抱えて生きているのだ。多分。
息子や末娘などは、わたしより重症である。出かける時には、必ず文庫本を持参。それも、途中で読み終えてしまった時の恐怖に備え、2冊は持っている。息子は大抵、ポケットの大きな上着やパンツに、文庫本を忍ばせている。例えたった5分の待ち時間でさえ、本がないという事態に陥らないよう、常に油断を怠らず、最善を尽くしている。
末娘は、ただ帰省するだけなのに7冊もの本を鞄に入れていた。その癖、わたしの本棚から「村上さん、借りていい?」と村上春樹を持ち出しては、ごろごろと寝っころがり「帰るまでに、読み終わらなくちゃ」と、夜中まで読み「『1Q84』の2巻は、洗濯物と一緒に送ってね」と、タイムスケジュールまで組んでいた。わたしも含め、小説ホリックなのである。
わたしには、彼らほど脇目も振らず数多くの本を読んだりは、出来ない。ただ、読みたい小説が手元に「ない」のと「ある」のとでは、全く違う。
心を平穏に保つためには、図書館の存在は、大きい。自ら厳選した、まだページを開いていない小説が、手元に何冊かある。その幸せ。
この幸せ、本を読む楽しさを体験していない子ども達に、伝えられたらなぁと思う。まずは、読書=勉強=やりたくないけど嫌々やってる、という方程式を崩すことが早道だと思うのだが、どうだろうか。
お隣は韮崎市の図書館。ガラス張りで明るく解放感があります。
もともとは『イトーヨーカ堂』だった建物を再利用し3年前にオープンした
市の施設の2階が図書館や閲覧室、会議室になっています。
小説のコーナー。通路が広く、ゆったりスペース。
伊坂幸太郎の小説も、ほとんど揃っています ♪
パソコンを使えたり、海外の本を置くのも、今ではごく普通なのかな。
自動読み取りの貸出機を始めて見た時には、感動しました!
都心と違い、平日あまり人がいないのが、もったいない感じです。
原因は「読みたい小説が、手元にない」ただそれだけのこと、である。
だが長く生きていれば、誰しも「ただそれだけのこと」に、ひどく惑わされた経験を持っているはずだ。大切な「ただそれだけのこと」を、ひとりひとり抱えて生きているのだ。多分。
息子や末娘などは、わたしより重症である。出かける時には、必ず文庫本を持参。それも、途中で読み終えてしまった時の恐怖に備え、2冊は持っている。息子は大抵、ポケットの大きな上着やパンツに、文庫本を忍ばせている。例えたった5分の待ち時間でさえ、本がないという事態に陥らないよう、常に油断を怠らず、最善を尽くしている。
末娘は、ただ帰省するだけなのに7冊もの本を鞄に入れていた。その癖、わたしの本棚から「村上さん、借りていい?」と村上春樹を持ち出しては、ごろごろと寝っころがり「帰るまでに、読み終わらなくちゃ」と、夜中まで読み「『1Q84』の2巻は、洗濯物と一緒に送ってね」と、タイムスケジュールまで組んでいた。わたしも含め、小説ホリックなのである。
わたしには、彼らほど脇目も振らず数多くの本を読んだりは、出来ない。ただ、読みたい小説が手元に「ない」のと「ある」のとでは、全く違う。
心を平穏に保つためには、図書館の存在は、大きい。自ら厳選した、まだページを開いていない小説が、手元に何冊かある。その幸せ。
この幸せ、本を読む楽しさを体験していない子ども達に、伝えられたらなぁと思う。まずは、読書=勉強=やりたくないけど嫌々やってる、という方程式を崩すことが早道だと思うのだが、どうだろうか。
お隣は韮崎市の図書館。ガラス張りで明るく解放感があります。
もともとは『イトーヨーカ堂』だった建物を再利用し3年前にオープンした
市の施設の2階が図書館や閲覧室、会議室になっています。
小説のコーナー。通路が広く、ゆったりスペース。
伊坂幸太郎の小説も、ほとんど揃っています ♪
パソコンを使えたり、海外の本を置くのも、今ではごく普通なのかな。
自動読み取りの貸出機を始めて見た時には、感動しました!
都心と違い、平日あまり人がいないのが、もったいない感じです。
タラの芽の天麩羅のお昼のご飯
庭のタラの芽を、天麩羅にして食べた。
「山菜の天麩羅のなかで、タラの芽が一番好きかも」と、わたし。
「俺も」口数少なく、一心に天麩羅を頬張る、夫。
揚げ立てを、これほど真剣に食べてもらえれば、料理する側としては本望。いそいそと、昼食から蓮根や舞茸、帆立なども揚げた。
しかし、『タラの芽』と聞き、なにか引っかかるものを感じるのは、わたしだけだろうか。何故『タラ』ではなく『タラの芽』と呼ぶのだろうか。『菜の花』にも同じ感情を抱く。『チューリップ』を『チューリップの花』とは、あまり言わない。『な』一音では、収まりが悪かったからか。
考えると、深い落とし穴に落ちていく。
『ふきのとう』は蕗の蕾(つぼみ)だし、茎も食べる訳だから、呼び名を変える必要があったのだろう。『筍』は、竹の子だが、漢字一文字を持っていて、自立している感がある。
多分、しりとりでは『タラ』や『タラの芽』はOKでも『タラの木』はアウトだろう。もちろん『筍』はOKで『猫の子』はアウトだ。などとくだらないことを、延々と考える。
そのうち春の庭の草や花達が、ゲシュタルト崩壊を起こし始める。
『ふきのとう』と10回言ってから『タラの芽』を食べたら『ふきのとう』の味になるだろうか。
「春の、庭の、タラの木の、タラの芽の、天麩羅の、お昼の、ご飯」
つぶやいてみたのは、うららかな春だから。春が来たのをいいことに、崩壊しようとする言葉達を、しっかりと拾い集めておかなくちゃ。
タラの芽は、まだいくつか残っています。木の芽も出てきました。
ん!? 『木の芽』って、どうして『山椒の芽』じゃないんだ!?
夫が収穫しました。14年前に新築祝いにいただいた苗が広がりました。
ランチにしては、ちょっと贅沢。天つゆを用意し、大根と生姜も下ろして。
タラの芽は、塩で。春の味わいが口のなかいっぱいに広がります。
「山菜の天麩羅のなかで、タラの芽が一番好きかも」と、わたし。
「俺も」口数少なく、一心に天麩羅を頬張る、夫。
揚げ立てを、これほど真剣に食べてもらえれば、料理する側としては本望。いそいそと、昼食から蓮根や舞茸、帆立なども揚げた。
しかし、『タラの芽』と聞き、なにか引っかかるものを感じるのは、わたしだけだろうか。何故『タラ』ではなく『タラの芽』と呼ぶのだろうか。『菜の花』にも同じ感情を抱く。『チューリップ』を『チューリップの花』とは、あまり言わない。『な』一音では、収まりが悪かったからか。
考えると、深い落とし穴に落ちていく。
『ふきのとう』は蕗の蕾(つぼみ)だし、茎も食べる訳だから、呼び名を変える必要があったのだろう。『筍』は、竹の子だが、漢字一文字を持っていて、自立している感がある。
多分、しりとりでは『タラ』や『タラの芽』はOKでも『タラの木』はアウトだろう。もちろん『筍』はOKで『猫の子』はアウトだ。などとくだらないことを、延々と考える。
そのうち春の庭の草や花達が、ゲシュタルト崩壊を起こし始める。
『ふきのとう』と10回言ってから『タラの芽』を食べたら『ふきのとう』の味になるだろうか。
「春の、庭の、タラの木の、タラの芽の、天麩羅の、お昼の、ご飯」
つぶやいてみたのは、うららかな春だから。春が来たのをいいことに、崩壊しようとする言葉達を、しっかりと拾い集めておかなくちゃ。
タラの芽は、まだいくつか残っています。木の芽も出てきました。
ん!? 『木の芽』って、どうして『山椒の芽』じゃないんだ!?
夫が収穫しました。14年前に新築祝いにいただいた苗が広がりました。
ランチにしては、ちょっと贅沢。天つゆを用意し、大根と生姜も下ろして。
タラの芽は、塩で。春の味わいが口のなかいっぱいに広がります。
請求書の表情
経理を仕事にしていると、よく言われる。
「数字に、強いんだね」「理系なんだ?」
夫が起こした会社も、創業20年。好きで始めた仕事ではないが、楽しくやっているのは、決して数字に強い理系脳だからでは、ない。
毎月の請求書とのにらめっこ。確認、確認に続く確認。苦手な部分は、誰しも慎重になるものだ。苦手だから、1回で済む確認を3回する。3回で済む確認を5回する。理系脳じゃない方が、この仕事には向いているのかも、とさえ最近では考える。
在宅勤務で、机上の仕事だが、五感を味わう楽しさもある。
毎月50枚以上の請求書を手に取り、経理ソフトの数字と照らし合わせ、ネットバンキングで振り込みをする。その請求書の表情が、毎月のことになると捉えられるようになる。それは、目で見るだけではなく、手触り、紙の大きさ、厚さ、色、同じA4の普通のコピー用紙であっても、全体のデザイン、文字の大きさ、バランス、日付けや請求金額、振込先を記載してある位置の違い。1枚1枚の請求書から、かもし出される表情を感じるのだ。また、振込先が地方銀行だと日本地図を思い浮かべたり、支店名でその土地を感じたりもする。
夫と話していても、会社名や個人取り引きの何某さんというだけで、ああ、何県に住む人ねとか、振込先の支店名が花の名前の会社ね、などといらない記憶が飛び出す。請求書の色がパッと見えたりもする。
全く同じ雛形の請求書がないのも面白い。似ている人はいても、同じ人はいないとでも言っているようだ。
そんな請求書の表情が、分類や探し出す時など、仕事にも役立つ。
仕事の楽しさというものは、やりがいという大きなものではなくとも、様々なシーンに見出すことが出来るものなのだと、馴染みとなった似て非なる顔の請求書達は、語ってくれているかのようだ。
リスくん、お庭でかくれんぼしています。背中が針山のリスくんです。
「オオイヌフグリさん、僕の背中の待ち針と同じ色だね」
何故、リスの写真なのかって? 最近「数字に強いんだね」と言われると、
「いやー理数脳じゃなくて、リスの右脳くらいちっちゃい脳なんだよねー」
と、ジョークを飛ばすことを覚えたからです。
「数字に、強いんだね」「理系なんだ?」
夫が起こした会社も、創業20年。好きで始めた仕事ではないが、楽しくやっているのは、決して数字に強い理系脳だからでは、ない。
毎月の請求書とのにらめっこ。確認、確認に続く確認。苦手な部分は、誰しも慎重になるものだ。苦手だから、1回で済む確認を3回する。3回で済む確認を5回する。理系脳じゃない方が、この仕事には向いているのかも、とさえ最近では考える。
在宅勤務で、机上の仕事だが、五感を味わう楽しさもある。
毎月50枚以上の請求書を手に取り、経理ソフトの数字と照らし合わせ、ネットバンキングで振り込みをする。その請求書の表情が、毎月のことになると捉えられるようになる。それは、目で見るだけではなく、手触り、紙の大きさ、厚さ、色、同じA4の普通のコピー用紙であっても、全体のデザイン、文字の大きさ、バランス、日付けや請求金額、振込先を記載してある位置の違い。1枚1枚の請求書から、かもし出される表情を感じるのだ。また、振込先が地方銀行だと日本地図を思い浮かべたり、支店名でその土地を感じたりもする。
夫と話していても、会社名や個人取り引きの何某さんというだけで、ああ、何県に住む人ねとか、振込先の支店名が花の名前の会社ね、などといらない記憶が飛び出す。請求書の色がパッと見えたりもする。
全く同じ雛形の請求書がないのも面白い。似ている人はいても、同じ人はいないとでも言っているようだ。
そんな請求書の表情が、分類や探し出す時など、仕事にも役立つ。
仕事の楽しさというものは、やりがいという大きなものではなくとも、様々なシーンに見出すことが出来るものなのだと、馴染みとなった似て非なる顔の請求書達は、語ってくれているかのようだ。
リスくん、お庭でかくれんぼしています。背中が針山のリスくんです。
「オオイヌフグリさん、僕の背中の待ち針と同じ色だね」
何故、リスの写真なのかって? 最近「数字に強いんだね」と言われると、
「いやー理数脳じゃなくて、リスの右脳くらいちっちゃい脳なんだよねー」
と、ジョークを飛ばすことを覚えたからです。
混乱を混乱のままに抱きかかえて
「やっぱ、やられたかぁ」文庫本を閉じ、微笑む。
大藪春彦賞を選考した大沢在昌の言葉が、帯にあった。
「計算し尽くした上で、読者をも企みにはめる、恐ろしい書き手である」
覚悟はしていたが、やはりハメられた。ミステリーの醍醐味を味わった。
沼田まほかる『ユリゴコロ』(双葉文庫)変わった名だが女流作家だ。
主人公、亮介は、損なわれていく自分達に、ただ呆然としていた。
婚約者が失踪し、父は末期癌を宣告され、そして、母は突然、交通事故で死んだ。頑なに治療を拒みひとり暮らす父を訪ねた彼は、押し入れにしまい込んであった4冊のノートを見つける。『ユリゴコロ』と題されたノートには、殺人に取り憑かれた誰かの告白文がびっしりとかかれていた。
イヤミス(嫌な読後感が残るミステリー)の旗手とも言われている作家だが『ユリゴコロ』に関して言えば、脇を固めるキャラの魅力のせいか、読後感は、そう悪いものではなかった。あくまでミステリー好きから観た意見だが。
そんなミステリーという分野を超えて、印象的な文章に、出会った。
『年をとるというのは、たぶん、混乱を混乱のままに抱きかかえて生きられるようになることではないだろうか。人間の心そのものが、永遠に解き明かせないひとつの混乱だと、知ることではないだろうか』
犯罪とは縁遠い日常のなかに居ても、様々な混乱を抱えて悩み苦しむことは、誰にだってあるはずだ。そんな自分のなかで、何かにあらがい続け暴れていた混乱が、いつしか静まっていくのを感じていた。
帯は、2種類ありました。2年前の本屋大賞ノミネート作品だそうです。
そして、第14回大藪春彦賞受賞作品です。
甲府駅の駅ビル『エクラン』4階のタリーズで。雑誌がたくさん並んでます。
隣には、本屋さん。電車の待ち時間を過ごすのにぴったり。
駅ナカにあれば、なおいいんだけど、田舎ではそうもいきません。
大藪春彦賞を選考した大沢在昌の言葉が、帯にあった。
「計算し尽くした上で、読者をも企みにはめる、恐ろしい書き手である」
覚悟はしていたが、やはりハメられた。ミステリーの醍醐味を味わった。
沼田まほかる『ユリゴコロ』(双葉文庫)変わった名だが女流作家だ。
主人公、亮介は、損なわれていく自分達に、ただ呆然としていた。
婚約者が失踪し、父は末期癌を宣告され、そして、母は突然、交通事故で死んだ。頑なに治療を拒みひとり暮らす父を訪ねた彼は、押し入れにしまい込んであった4冊のノートを見つける。『ユリゴコロ』と題されたノートには、殺人に取り憑かれた誰かの告白文がびっしりとかかれていた。
イヤミス(嫌な読後感が残るミステリー)の旗手とも言われている作家だが『ユリゴコロ』に関して言えば、脇を固めるキャラの魅力のせいか、読後感は、そう悪いものではなかった。あくまでミステリー好きから観た意見だが。
そんなミステリーという分野を超えて、印象的な文章に、出会った。
『年をとるというのは、たぶん、混乱を混乱のままに抱きかかえて生きられるようになることではないだろうか。人間の心そのものが、永遠に解き明かせないひとつの混乱だと、知ることではないだろうか』
犯罪とは縁遠い日常のなかに居ても、様々な混乱を抱えて悩み苦しむことは、誰にだってあるはずだ。そんな自分のなかで、何かにあらがい続け暴れていた混乱が、いつしか静まっていくのを感じていた。
帯は、2種類ありました。2年前の本屋大賞ノミネート作品だそうです。
そして、第14回大藪春彦賞受賞作品です。
甲府駅の駅ビル『エクラン』4階のタリーズで。雑誌がたくさん並んでます。
隣には、本屋さん。電車の待ち時間を過ごすのにぴったり。
駅ナカにあれば、なおいいんだけど、田舎ではそうもいきません。
春の花達と風に吹かれて
週末、花見に行った際、楽しんだのは桜だけではなかった。
山梨も北に位置する北杜市の冬は、長い。いちばんに咲く水仙や雪柳も、季節の気まぐれには慣れたもので、三寒四温の温かい日も、本格的に春が来るのを見極め、まだもう少しとでも言っているかのように、ゆっくり咲き始める。
今年は桜も遅かったが、他の花達も開花が遅れ、例年にも増していっせいに咲き誇る姿を目にすることが出来た。
桜は見事だが、山や野に咲く花達も、それぞれ可愛い。
開き始めてから、どうしようかなと逡巡しているような咲き方をする山吹。
綺麗に咲いていると思った途端、風に吹かれてダイビングする椿。
林の木々の間に、かくれんぼしているミツバツツジ。
足元を見つめる楽しみをくれるハナダイコンやヒメオドリコソウ、オオイヌフグリ、そしてタンポポ。
初めて通る道で車を停めると、杉林では、今年芽を出したであろう杉の赤ん坊や、葉の先につけた小さな花を見つけた。
「春が、来たんだなぁ」
春の花達と風に吹かれ、長い冬が終わったのだとようやく実感する。ただし、頭は春到来の喜びでいっぱいになっていても、寒がりのわたしの身体は、まだ春が来たことを受け入れてはいないらしい。
「何で、家のなかでダウン着てんの?」
果てさて、夫に呆れられる日々は、いつまで続くのだろうか?
山吹。大好きな花です。山吹色が大好きです。
ハナダイコンと土筆は、仲良くお喋りしていました。
杉です。花粉を飛ばす嫌われ者ですが、雄花の方ではなく雌花は、
赤ん坊の手のひらみたい。可愛いです ♪
椿。綺麗です。ハッとするような赤。ソウル・レッドって感じかな?
我が家周辺の林には、ミツバツツジが、たくさん咲いています。
帰ってくると玄関で、遅咲きの八重の水仙が迎えてくれました。
山梨も北に位置する北杜市の冬は、長い。いちばんに咲く水仙や雪柳も、季節の気まぐれには慣れたもので、三寒四温の温かい日も、本格的に春が来るのを見極め、まだもう少しとでも言っているかのように、ゆっくり咲き始める。
今年は桜も遅かったが、他の花達も開花が遅れ、例年にも増していっせいに咲き誇る姿を目にすることが出来た。
桜は見事だが、山や野に咲く花達も、それぞれ可愛い。
開き始めてから、どうしようかなと逡巡しているような咲き方をする山吹。
綺麗に咲いていると思った途端、風に吹かれてダイビングする椿。
林の木々の間に、かくれんぼしているミツバツツジ。
足元を見つめる楽しみをくれるハナダイコンやヒメオドリコソウ、オオイヌフグリ、そしてタンポポ。
初めて通る道で車を停めると、杉林では、今年芽を出したであろう杉の赤ん坊や、葉の先につけた小さな花を見つけた。
「春が、来たんだなぁ」
春の花達と風に吹かれ、長い冬が終わったのだとようやく実感する。ただし、頭は春到来の喜びでいっぱいになっていても、寒がりのわたしの身体は、まだ春が来たことを受け入れてはいないらしい。
「何で、家のなかでダウン着てんの?」
果てさて、夫に呆れられる日々は、いつまで続くのだろうか?
山吹。大好きな花です。山吹色が大好きです。
ハナダイコンと土筆は、仲良くお喋りしていました。
杉です。花粉を飛ばす嫌われ者ですが、雄花の方ではなく雌花は、
赤ん坊の手のひらみたい。可愛いです ♪
椿。綺麗です。ハッとするような赤。ソウル・レッドって感じかな?
我が家周辺の林には、ミツバツツジが、たくさん咲いています。
帰ってくると玄関で、遅咲きの八重の水仙が迎えてくれました。
そこ此処に覚える小さな達成感
重い腰を上げた。いつまでも、キリギリスのままではいられない。
中1の時、一つ年上の従姉の勉強机に「キリギリスになるな、蟻になれ!」と習字のお手本かと見まがう様な字で貼ってあったのを目にした。たいそう驚いたことを覚えているが、ただただびっくりしただけで「そうか、自分も」とは全く考えなかったわたしだが、目の前に転がっている薪は、彼女のスローガンよりも、効き目があるようだ。
骨折した左手くんも、frozen shoulder(五十肩)を患った右手くんも、すっかり回復し、今はもう元気だ。そろそろ復帰しなくてはと、夫が割った薪を薪小屋に積んだ。延々と続く、単純作業。そして力仕事である。薪は見た目よりも重い。昨日に引き続き、思う。
「地球の重力、知らないうちに変化してるんじゃないの?」
自分の非力さを棚に上げ、またも地球を疑う。
半分ほど作業をして、部屋で休憩中、夫が窓から薪を眺めていた。笑顔である。まるで、幼子が春の日差しのなか駆け回っているのを見て、微笑ましく思わずにはいられないといった顔だ。
「嬉しそうだねぇ。桜見るより、楽しそうな顔してるじゃん」と、わたし。
「いやぁ、たくさん割ったな、と思って。桜と薪は、別だしね」と、夫。
「判った、あれね。編み物してて、時々手を止めて、あーこんなに編み進めたと、嬉しくなるやつとおんなじような感じ?」
「近くなったけど、編み物は作る作業で、薪割りは破壊作業だからな」
「でもさ、薪を作ってるじゃん」「薪は、完成品じゃないし」
「そっか、完成品はストーブのなかで燃える、火だもんね」
そんなことを話し、ふたたび作業する。
「おー、たくさん積んだな」と、薪小屋を見て嬉しくなる、わたし。
その薪を燃やして完成品の火にするのは、乾燥させた2年ほど先。待ち時間の長い作成途中の作品だけど、小さな達成感は、そこ此処にあるものなのだ。
太い丸太を十字に割り、4本の薪を作っている夫。
積んだぁ! がんばったぁ!でも、途中で疲れてやめました(笑)
道路沿いには、まだ割るべき薪がこんなに。空っぽの薪小屋が待っています。
来年使う薪は、北側の軒下で八ヶ岳下ろしに吹かれて、いい感じに乾燥中。
中1の時、一つ年上の従姉の勉強机に「キリギリスになるな、蟻になれ!」と習字のお手本かと見まがう様な字で貼ってあったのを目にした。たいそう驚いたことを覚えているが、ただただびっくりしただけで「そうか、自分も」とは全く考えなかったわたしだが、目の前に転がっている薪は、彼女のスローガンよりも、効き目があるようだ。
骨折した左手くんも、frozen shoulder(五十肩)を患った右手くんも、すっかり回復し、今はもう元気だ。そろそろ復帰しなくてはと、夫が割った薪を薪小屋に積んだ。延々と続く、単純作業。そして力仕事である。薪は見た目よりも重い。昨日に引き続き、思う。
「地球の重力、知らないうちに変化してるんじゃないの?」
自分の非力さを棚に上げ、またも地球を疑う。
半分ほど作業をして、部屋で休憩中、夫が窓から薪を眺めていた。笑顔である。まるで、幼子が春の日差しのなか駆け回っているのを見て、微笑ましく思わずにはいられないといった顔だ。
「嬉しそうだねぇ。桜見るより、楽しそうな顔してるじゃん」と、わたし。
「いやぁ、たくさん割ったな、と思って。桜と薪は、別だしね」と、夫。
「判った、あれね。編み物してて、時々手を止めて、あーこんなに編み進めたと、嬉しくなるやつとおんなじような感じ?」
「近くなったけど、編み物は作る作業で、薪割りは破壊作業だからな」
「でもさ、薪を作ってるじゃん」「薪は、完成品じゃないし」
「そっか、完成品はストーブのなかで燃える、火だもんね」
そんなことを話し、ふたたび作業する。
「おー、たくさん積んだな」と、薪小屋を見て嬉しくなる、わたし。
その薪を燃やして完成品の火にするのは、乾燥させた2年ほど先。待ち時間の長い作成途中の作品だけど、小さな達成感は、そこ此処にあるものなのだ。
太い丸太を十字に割り、4本の薪を作っている夫。
積んだぁ! がんばったぁ!でも、途中で疲れてやめました(笑)
道路沿いには、まだ割るべき薪がこんなに。空っぽの薪小屋が待っています。
来年使う薪は、北側の軒下で八ヶ岳下ろしに吹かれて、いい感じに乾燥中。
桜の花に惑わされて
逆上がりをした。
いや。正確には、逆上がりをしようと試みたが、出来なかった。
「何で、こんなに身体が重いの?」夫に言うも、呆れ顔をされただけ。
しかし、彼も試みたが、やはり出来なかった。
「俺だけが出来ると、きみに悪いからね」
彼は、言い逃れし、ふたたび鉄棒にしがみつこうとはしなかった。
「じゃ、空中前回りなら、出来るはずだ」
わたしは言い、前回りをした。
いや。正確には、前回りをしようと試みたが、出来なかった。
子どもの頃『空中前回り』と呼んでいたのは、連続してくるくると前回りをする技である。小学生のわたしは、それが得意で、友人に数えてもらっては何回まわれるか挑戦していた。30回以上はまわれたと思う。通っていた幼稚園が、鉄棒に力を入れていたのだ。
小学1年生に上がってすぐ、高鉄棒の一番高いところによじ登り、くるくるやっていたら担任の先生が飛んできた。心臓に悪いからやめてくれと。
ショックである。
逆上がりは出来なくとも、空中前回りは出来る自信があったのに。
「地球の重力が、変化してるんじゃないの?」
自分の運動不足を棚に上げ、地球を疑ってみる。
「残念ながら、変化しているのは、あなたの方ですよ」
満開になった桜が、桜の木にとまったツグミが、真実を見つめるようにとたしなめた。普段忘れている重力の存在を、大きく大きく感じた。
それにしても、児童公園の遊具って、こんなに小さかったっけ?
不意に大きさの感覚が、微妙に歪んでいく。ここの桜の木って、こんなに大きかったっけ? わたしの手って、こんなに小さかったっけ? そして、桜を撮る夫のカメラだけが、巨大化し始める。いや、夫が小さくなっているのか? 世界が微妙に、バランスを崩していく。
いけない、いけない。桜の花の魔法に、惑わされてはいけない。もう一度、空中前回りを試みた。くるりと回って、着地すべき場所に、すとんと着地した。
夫と中央線は無人駅『穴山』周辺に、花見に行きました。
こんなところに、児童公園があったなんて、知らなかった。
桜の巨木が、並んでいて圧倒されました。人も多かったです。
無人駅なのに、駅員さんが出現。にわか有人駅に(笑)
ツグミも、人馴れしている様子。写真を撮らせてくれました。
いや。正確には、逆上がりをしようと試みたが、出来なかった。
「何で、こんなに身体が重いの?」夫に言うも、呆れ顔をされただけ。
しかし、彼も試みたが、やはり出来なかった。
「俺だけが出来ると、きみに悪いからね」
彼は、言い逃れし、ふたたび鉄棒にしがみつこうとはしなかった。
「じゃ、空中前回りなら、出来るはずだ」
わたしは言い、前回りをした。
いや。正確には、前回りをしようと試みたが、出来なかった。
子どもの頃『空中前回り』と呼んでいたのは、連続してくるくると前回りをする技である。小学生のわたしは、それが得意で、友人に数えてもらっては何回まわれるか挑戦していた。30回以上はまわれたと思う。通っていた幼稚園が、鉄棒に力を入れていたのだ。
小学1年生に上がってすぐ、高鉄棒の一番高いところによじ登り、くるくるやっていたら担任の先生が飛んできた。心臓に悪いからやめてくれと。
ショックである。
逆上がりは出来なくとも、空中前回りは出来る自信があったのに。
「地球の重力が、変化してるんじゃないの?」
自分の運動不足を棚に上げ、地球を疑ってみる。
「残念ながら、変化しているのは、あなたの方ですよ」
満開になった桜が、桜の木にとまったツグミが、真実を見つめるようにとたしなめた。普段忘れている重力の存在を、大きく大きく感じた。
それにしても、児童公園の遊具って、こんなに小さかったっけ?
不意に大きさの感覚が、微妙に歪んでいく。ここの桜の木って、こんなに大きかったっけ? わたしの手って、こんなに小さかったっけ? そして、桜を撮る夫のカメラだけが、巨大化し始める。いや、夫が小さくなっているのか? 世界が微妙に、バランスを崩していく。
いけない、いけない。桜の花の魔法に、惑わされてはいけない。もう一度、空中前回りを試みた。くるりと回って、着地すべき場所に、すとんと着地した。
夫と中央線は無人駅『穴山』周辺に、花見に行きました。
こんなところに、児童公園があったなんて、知らなかった。
桜の巨木が、並んでいて圧倒されました。人も多かったです。
無人駅なのに、駅員さんが出現。にわか有人駅に(笑)
ツグミも、人馴れしている様子。写真を撮らせてくれました。
飲みさしのペリエ
何かにつけて、意味や答えを探し出そうとしてしまい、我に返る。
今のままで、十分楽しく暮らしているのに、ひとつひとつに意味があるような気がして、立ち止まってしまう。多分、ひとつひとつのことにも、繰り返しの毎日にも、意味はあるのだろうが、答えは探さなくてもいいのだと、大人になってようやく考えられるようになったというのに。
バイオリズムだとか、風邪気味だとか、季節の変わり目だとか、雨が降る前日だとか、寝不足だとか寝過ぎたとか、飲み過ぎだとか酒が足りないとか、忙し過ぎるとか暇過ぎるとか。何かと何かが重なって、何かと何かがすれ違い、突然、不安になる。
「今のままで、いいのだろうか?」
不安になると、答えを探したくなる。本を読むことにも旅をすることにも、意味を求めたくなる。そんな自分に気づき、我に返り、ようやく笑う。
「人間だから、しょうがないか。不安な気持ちも、わたしの一部なんだから」
飲みさしのペリエから、炭酸が音も立てずに抜けていく。
時間をかけて柔らかくなっていく水。そんな風に少しずつ、時間をかけ余分な硬さが抜けていき、いつもの自分に戻っていく。
たまーに、衝動買いするペリエ。美味しいけど、ちょっと贅沢。
庭の雪柳も、咲き始めました。可愛い ♪
ツルムラサキも、一つ咲いていました。
芝桜も、これから。今年は雪でだいぶダメになったので、植え足そうかな。
前の道のアスファルトでは、スミレがこそこそ、おしゃべりしていました。
今のままで、十分楽しく暮らしているのに、ひとつひとつに意味があるような気がして、立ち止まってしまう。多分、ひとつひとつのことにも、繰り返しの毎日にも、意味はあるのだろうが、答えは探さなくてもいいのだと、大人になってようやく考えられるようになったというのに。
バイオリズムだとか、風邪気味だとか、季節の変わり目だとか、雨が降る前日だとか、寝不足だとか寝過ぎたとか、飲み過ぎだとか酒が足りないとか、忙し過ぎるとか暇過ぎるとか。何かと何かが重なって、何かと何かがすれ違い、突然、不安になる。
「今のままで、いいのだろうか?」
不安になると、答えを探したくなる。本を読むことにも旅をすることにも、意味を求めたくなる。そんな自分に気づき、我に返り、ようやく笑う。
「人間だから、しょうがないか。不安な気持ちも、わたしの一部なんだから」
飲みさしのペリエから、炭酸が音も立てずに抜けていく。
時間をかけて柔らかくなっていく水。そんな風に少しずつ、時間をかけ余分な硬さが抜けていき、いつもの自分に戻っていく。
たまーに、衝動買いするペリエ。美味しいけど、ちょっと贅沢。
庭の雪柳も、咲き始めました。可愛い ♪
ツルムラサキも、一つ咲いていました。
芝桜も、これから。今年は雪でだいぶダメになったので、植え足そうかな。
前の道のアスファルトでは、スミレがこそこそ、おしゃべりしていました。
ポケットに温もりを
「手が冷たい人は、心が温かく、逆に手が温かい人は、心が冷たい」
中学の頃、だろうか。誰かが言いだした。多分、根拠などない。
娘達の年代でも、知っている話なので、昔から変わらず言い伝えられているのだろう。都市伝説か、諺か。
わたしは東京出身だが、神戸出身の夫も、この伝説は知っていた。日本中くまなく広がっているのだろうか。
「何で、こんな風に言うようになったんだろうね」と、夫に言うと、
「女の子の手、握りたい男が、広めたに決まってるだろ」と、即答。
「どっちが、冷たいかな? 意外と、あったかいじゃん。心、冷たいんじゃねぇの?」と、まだテレが入った中学生男子が、女子の手を握りしめたいが故に、根も葉もない話を広めたという説だ。
だが調べてみると、出処は手相占いで、温かいはずの手に血液が回っていないのは、心臓に、つまりハートに、血液が集まっている。だから手が冷たい人は、ハートが温かいと言われるようになったのだという。
ところで、わたしの手はやたら温かく、冬の朝、車で駅まで送る時に、末娘はホッカイロのように、わたしの手で温まっていた。
彼女の手はひどくクールで、手袋をするのさえ無駄だと、あきらめていた。もともと冷たいものを覆ったところで、冷たいままの温度が保たれるだけだと言い、頑なに手袋をしなかった。末娘ほどではないにしろ家族の誰よりも、手が温かいわたし。
「クールなみずがめ座だけに、心もクールなのさ。雪の女王と、お呼び」
などと、いつもギャグにしてる。
だが「心が冷たい」という言葉から思うのは、人に対しての冷たさじゃなく、自分のなかで冷え切ってカチコチに凍り、ガラスのようにもろくなっているハートのような気がしてならない。
そんな時には、ポケットに入れる。誰かにもらった大切なもの。手紙。お守り。人形などのちょっとした小物。もらった言葉をメモにかいて入れることもある。そこには誰かの心の欠片が宇宙の如く大きく存在し、微熱を放っている。そして凍ったハートを、少しずつ解かしてくれるのだ。
小さなモノたちにも、微かな熱はあるものなのです。
山梨は明野町。ようやく桜が咲き始めました。
春の魔法は、手も心も何もかも、凍った部分を解かしてくれるようですね。
中学の頃、だろうか。誰かが言いだした。多分、根拠などない。
娘達の年代でも、知っている話なので、昔から変わらず言い伝えられているのだろう。都市伝説か、諺か。
わたしは東京出身だが、神戸出身の夫も、この伝説は知っていた。日本中くまなく広がっているのだろうか。
「何で、こんな風に言うようになったんだろうね」と、夫に言うと、
「女の子の手、握りたい男が、広めたに決まってるだろ」と、即答。
「どっちが、冷たいかな? 意外と、あったかいじゃん。心、冷たいんじゃねぇの?」と、まだテレが入った中学生男子が、女子の手を握りしめたいが故に、根も葉もない話を広めたという説だ。
だが調べてみると、出処は手相占いで、温かいはずの手に血液が回っていないのは、心臓に、つまりハートに、血液が集まっている。だから手が冷たい人は、ハートが温かいと言われるようになったのだという。
ところで、わたしの手はやたら温かく、冬の朝、車で駅まで送る時に、末娘はホッカイロのように、わたしの手で温まっていた。
彼女の手はひどくクールで、手袋をするのさえ無駄だと、あきらめていた。もともと冷たいものを覆ったところで、冷たいままの温度が保たれるだけだと言い、頑なに手袋をしなかった。末娘ほどではないにしろ家族の誰よりも、手が温かいわたし。
「クールなみずがめ座だけに、心もクールなのさ。雪の女王と、お呼び」
などと、いつもギャグにしてる。
だが「心が冷たい」という言葉から思うのは、人に対しての冷たさじゃなく、自分のなかで冷え切ってカチコチに凍り、ガラスのようにもろくなっているハートのような気がしてならない。
そんな時には、ポケットに入れる。誰かにもらった大切なもの。手紙。お守り。人形などのちょっとした小物。もらった言葉をメモにかいて入れることもある。そこには誰かの心の欠片が宇宙の如く大きく存在し、微熱を放っている。そして凍ったハートを、少しずつ解かしてくれるのだ。
小さなモノたちにも、微かな熱はあるものなのです。
山梨は明野町。ようやく桜が咲き始めました。
春の魔法は、手も心も何もかも、凍った部分を解かしてくれるようですね。
迷えるタンメン
よく迷う。道にも迷うが、道のことではない。様々な小事に、日々迷うのだ。
例えば、映画館でチケット購入の際、座席表を前に迷う。真ん中辺りで後ろの方がいいけど、空いてるならちょっとくらい脇の方でも、隣に人がいない方がなおいいなとか考えつつ、選ぶ。
「ブルーの表示の座席から、お選びください」
受付くんが言っているのにもかかわらず、迷っているからちゃんと聞いていない。白い表示の席を選び、指摘される。
「すみません。ブルーの席が、空席ですので」
突然のことに、焦る。(受付くんにとっては、全く突然のことではない訳だが)焦って、ただ近くの席を選ぶ。そして後になり後悔する。他にも空席いっぱいあったのに、両隣、詰まっている席にしちゃった、と。
さらにドリンクを買うかどうか迷い(途中でトイレに行きたくなったら嫌だしなぁ。でも喉渇いたなぁ)何を飲むか迷い、上映までの待ち時間に他の映画のチラシを見て、今更ながらに迷う(こっちの映画の方が面白そうだったかも)優柔不断と言うよりは、そもそも肝っ玉が小さ過ぎる、迷える子羊なのだ。
そんな風に、迷い道ふらふらしたあげく観た『しらゆき姫殺人事件』は、面白かった。個人的な意見を言えば、小説よりも好きだった。
綾野剛のダメな奴ぶりが、堂に入っていた。中村義洋監督が、あとからプラスしたという2つのシーンが映画の核になり、胸に迫ってきた。
映画に圧倒され、観終えて、いつも気づく。観る前に迷っていたことすべてが、別にどうでもいいことだったと。
遅いランチはもう、迷いたくないとタンメン屋に入った。
タンメンは、いい。どんぶりひとつだし、あれこれトッピングに迷わずとも、野菜もたっぷり入っている。ビュッフェがあまり好きじゃないのは、もしかすると迷うのが嫌だからなのかなと、タンメン屋のメニューを開く。
「タンメン。塩味で」味噌も醤油もあったが、タンメンは塩に限る。
すると、女の子が、元気いっぱい、にこやかに高い声で言った。
「麺のグラムは、3種類から、野菜のグラムは2種類から選べます」
選択肢は、いったい何処まで広がっていくのだろうか。
タンメン登場で、またびっくり! 可愛すぎる、キャベツのどんぶり!
青虫くん、乗っかってるんですけど? あくまで個人的な意見ですが、
ラーメンなんだから、ラーメンどんぶりで出そうよ。
迷っても、選んでもいない、こんなアクシデントも日々ありますよね。
麺は少な目、野菜多め360gを選びました。
炒めた野菜が香ばしい、こってりタンメンでした。
選択肢が多いのは、いいことだとは・・・思いますけれどね。
例えば、映画館でチケット購入の際、座席表を前に迷う。真ん中辺りで後ろの方がいいけど、空いてるならちょっとくらい脇の方でも、隣に人がいない方がなおいいなとか考えつつ、選ぶ。
「ブルーの表示の座席から、お選びください」
受付くんが言っているのにもかかわらず、迷っているからちゃんと聞いていない。白い表示の席を選び、指摘される。
「すみません。ブルーの席が、空席ですので」
突然のことに、焦る。(受付くんにとっては、全く突然のことではない訳だが)焦って、ただ近くの席を選ぶ。そして後になり後悔する。他にも空席いっぱいあったのに、両隣、詰まっている席にしちゃった、と。
さらにドリンクを買うかどうか迷い(途中でトイレに行きたくなったら嫌だしなぁ。でも喉渇いたなぁ)何を飲むか迷い、上映までの待ち時間に他の映画のチラシを見て、今更ながらに迷う(こっちの映画の方が面白そうだったかも)優柔不断と言うよりは、そもそも肝っ玉が小さ過ぎる、迷える子羊なのだ。
そんな風に、迷い道ふらふらしたあげく観た『しらゆき姫殺人事件』は、面白かった。個人的な意見を言えば、小説よりも好きだった。
綾野剛のダメな奴ぶりが、堂に入っていた。中村義洋監督が、あとからプラスしたという2つのシーンが映画の核になり、胸に迫ってきた。
映画に圧倒され、観終えて、いつも気づく。観る前に迷っていたことすべてが、別にどうでもいいことだったと。
遅いランチはもう、迷いたくないとタンメン屋に入った。
タンメンは、いい。どんぶりひとつだし、あれこれトッピングに迷わずとも、野菜もたっぷり入っている。ビュッフェがあまり好きじゃないのは、もしかすると迷うのが嫌だからなのかなと、タンメン屋のメニューを開く。
「タンメン。塩味で」味噌も醤油もあったが、タンメンは塩に限る。
すると、女の子が、元気いっぱい、にこやかに高い声で言った。
「麺のグラムは、3種類から、野菜のグラムは2種類から選べます」
選択肢は、いったい何処まで広がっていくのだろうか。
タンメン登場で、またびっくり! 可愛すぎる、キャベツのどんぶり!
青虫くん、乗っかってるんですけど? あくまで個人的な意見ですが、
ラーメンなんだから、ラーメンどんぶりで出そうよ。
迷っても、選んでもいない、こんなアクシデントも日々ありますよね。
麺は少な目、野菜多め360gを選びました。
炒めた野菜が香ばしい、こってりタンメンでした。
選択肢が多いのは、いいことだとは・・・思いますけれどね。
桜色に染まった空白
空白とかくが、その色は空色とも白色ともつかない。多分多くの人がイメージする色は、無色透明なんじゃないだろうか。
もちろん、闇のような底のない黒だと思うこともあるかも知れないし、新しい画用紙の眩しい白を思い描くことも、宇宙の広がりを思い星の光を見出すこともあるかも知れない。
だが、わたしのなかの空白は、ドーナッツの穴の如く透明だ。
そんな30年もの空白を持ち寄り、中学時代の友人と再会した。
待ち合わせたのは品川駅で、30分ほど早く着き、ぶらりと散歩する。折しも桜の季節である。駅に戻ると、彼女はもう、待っていた。何年経っていても、おたがいに一目で判る不思議。
「ランチだけど、お酒好き?」と、彼女。「いいねぇ」と、わたし。
昼から飲める居酒屋で、生ビールで乾杯した。
共通の友人の話や、家族のこと、子ども達のこと、仕事のこと。30年ぶりとは思えないほど、ふたりとも、よく飲み、よく喋った。
空白が、心地よく埋まっていく。それはさっき眺めた桜の花が、胸のなかでぽつりぽつりと咲いていくかのようだった。
両親はずいぶんと歳はとったが、たがいに元気で、でも、自分だっていつどうなるか判らないよねぇなどと、胸の奥にある不安も口にしたりした。
「だからさ、毎日楽しく、生きていかなくちゃね」と、彼女。
「その通りだねぇ」と、わたし。
中学時代テニス部のキャプテンだった彼女は、やはり変わらず、静かに導いてくれるキャプテンのままだった。
品川駅前の桜です。もうすっかり葉桜。葉っぱの方が生き生きしています。
でも青い空の下、桜を眺めて歩くのは気持ちよかったです。
八重桜は、山桜とおなじく葉が伸びるのと一緒に咲くんですね。
まだ、蕾もたくさんありました。濃いピンクが可愛い ♪
もちろん、闇のような底のない黒だと思うこともあるかも知れないし、新しい画用紙の眩しい白を思い描くことも、宇宙の広がりを思い星の光を見出すこともあるかも知れない。
だが、わたしのなかの空白は、ドーナッツの穴の如く透明だ。
そんな30年もの空白を持ち寄り、中学時代の友人と再会した。
待ち合わせたのは品川駅で、30分ほど早く着き、ぶらりと散歩する。折しも桜の季節である。駅に戻ると、彼女はもう、待っていた。何年経っていても、おたがいに一目で判る不思議。
「ランチだけど、お酒好き?」と、彼女。「いいねぇ」と、わたし。
昼から飲める居酒屋で、生ビールで乾杯した。
共通の友人の話や、家族のこと、子ども達のこと、仕事のこと。30年ぶりとは思えないほど、ふたりとも、よく飲み、よく喋った。
空白が、心地よく埋まっていく。それはさっき眺めた桜の花が、胸のなかでぽつりぽつりと咲いていくかのようだった。
両親はずいぶんと歳はとったが、たがいに元気で、でも、自分だっていつどうなるか判らないよねぇなどと、胸の奥にある不安も口にしたりした。
「だからさ、毎日楽しく、生きていかなくちゃね」と、彼女。
「その通りだねぇ」と、わたし。
中学時代テニス部のキャプテンだった彼女は、やはり変わらず、静かに導いてくれるキャプテンのままだった。
品川駅前の桜です。もうすっかり葉桜。葉っぱの方が生き生きしています。
でも青い空の下、桜を眺めて歩くのは気持ちよかったです。
八重桜は、山桜とおなじく葉が伸びるのと一緒に咲くんですね。
まだ、蕾もたくさんありました。濃いピンクが可愛い ♪
ニシノユキヒコの冷蔵庫的魅力
物に名前をつけると、たちまち擬人化し親しくなったような気がして面白い。
川上弘美の連作短編集『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮文庫)に収められた『通天閣』に、物に名前をつける一風変わった女の子、昴が登場する。
『冷蔵庫を、昴は「ぞぞさん」と呼んでいた。ぞぞさんに足つっこむと、罰があたるかなあ、などと言いながら、よく足で冷蔵庫の扉を開けては、そのまま足先をつっこんでいた。わたしがいくら注意しても、やめなかった。ぞぞさんはうるさいひとだね、と言いながら、ぶうん、という音を真似したりした』
これほど印象的な冷蔵庫のシーンには、なかなかお目にかかれない。主人公はニシノユキヒコだし、ストーリー的に重要でもないのに何故か記憶に残るシーンだ。21歳の、ちょっとばかげたことが好きな昴の人物描写を、冷蔵庫との絡みが深く描いているからかも知れない。
この連作短編は、十の短編から成り、それはすなわちニシノユキヒコの十の恋を描いている。14歳の西野君としおり。18歳の西野くんと二十歳ののぞみさん。二十歳の幸彦とカノコ。30歳のユキヒコと33歳のマナミ。35歳のニシノくんと40歳のエリ子さん。50代半ばの西野さんと二十歳の愛。そして死後、夏美さんの前に現れたニシノさん。などなど。
「うーん。ニシノユキヒコ、何故に、そこまでモテる?」
と、うなってしまうほど、恋多き男。女性には果てしなく優しく、二股をかけていても限りなく真剣で、じつは真実の愛を求めている。
久しぶりに、昴の冷蔵庫のシーンを読み、ふと考えた。
「ニシノユキヒコって、冷蔵庫みたい」と。
上の娘は、冬でもよく冷蔵庫を開ける。「お腹、空いてるの?」と聞くと、
「いや、冷蔵庫開けると、ホッとするんだよね」との答え。
いくらお洒落なデザインにしてもウドの大木的ぼくとつな容姿。それに加え、何かいいもの入ってないかなぁというびっくり箱的わくわく感。そして、全体を把握できないブラックホールのような謎めいた性格(?)なんとも親近感がわく、一度使ったら手放せない電化製品だ。
そう考えると、ニシノユキヒコと、彼が愛した女性達、彼に恋した女性達の切なくも不思議なラブストーリーの魅力その謎が、すとんと腑に落ちた。
私のところに来るときは携帯の電源くらい切ったら、と言うと、エリ子さんが恋人になってくれたらそのときにはね、とニシノくんは答えたものだった。「ニシノくんって、なんだかまちがってる」と私が言うと、ニシノくんは真面目な顔で頷いた。「僕がまちがっていることは、僕が一番よく知っている」
『ニシノユキヒコの恋と冒険』収録『しんしん』より
我が家の冷蔵庫とレシピ表の守り神、マグネットやもりくんです。
「はじめまして。最近の冷蔵庫は、静かですねぇ」
川上弘美の連作短編集『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮文庫)に収められた『通天閣』に、物に名前をつける一風変わった女の子、昴が登場する。
『冷蔵庫を、昴は「ぞぞさん」と呼んでいた。ぞぞさんに足つっこむと、罰があたるかなあ、などと言いながら、よく足で冷蔵庫の扉を開けては、そのまま足先をつっこんでいた。わたしがいくら注意しても、やめなかった。ぞぞさんはうるさいひとだね、と言いながら、ぶうん、という音を真似したりした』
これほど印象的な冷蔵庫のシーンには、なかなかお目にかかれない。主人公はニシノユキヒコだし、ストーリー的に重要でもないのに何故か記憶に残るシーンだ。21歳の、ちょっとばかげたことが好きな昴の人物描写を、冷蔵庫との絡みが深く描いているからかも知れない。
この連作短編は、十の短編から成り、それはすなわちニシノユキヒコの十の恋を描いている。14歳の西野君としおり。18歳の西野くんと二十歳ののぞみさん。二十歳の幸彦とカノコ。30歳のユキヒコと33歳のマナミ。35歳のニシノくんと40歳のエリ子さん。50代半ばの西野さんと二十歳の愛。そして死後、夏美さんの前に現れたニシノさん。などなど。
「うーん。ニシノユキヒコ、何故に、そこまでモテる?」
と、うなってしまうほど、恋多き男。女性には果てしなく優しく、二股をかけていても限りなく真剣で、じつは真実の愛を求めている。
久しぶりに、昴の冷蔵庫のシーンを読み、ふと考えた。
「ニシノユキヒコって、冷蔵庫みたい」と。
上の娘は、冬でもよく冷蔵庫を開ける。「お腹、空いてるの?」と聞くと、
「いや、冷蔵庫開けると、ホッとするんだよね」との答え。
いくらお洒落なデザインにしてもウドの大木的ぼくとつな容姿。それに加え、何かいいもの入ってないかなぁというびっくり箱的わくわく感。そして、全体を把握できないブラックホールのような謎めいた性格(?)なんとも親近感がわく、一度使ったら手放せない電化製品だ。
そう考えると、ニシノユキヒコと、彼が愛した女性達、彼に恋した女性達の切なくも不思議なラブストーリーの魅力その謎が、すとんと腑に落ちた。
私のところに来るときは携帯の電源くらい切ったら、と言うと、エリ子さんが恋人になってくれたらそのときにはね、とニシノくんは答えたものだった。「ニシノくんって、なんだかまちがってる」と私が言うと、ニシノくんは真面目な顔で頷いた。「僕がまちがっていることは、僕が一番よく知っている」
『ニシノユキヒコの恋と冒険』収録『しんしん』より
我が家の冷蔵庫とレシピ表の守り神、マグネットやもりくんです。
「はじめまして。最近の冷蔵庫は、静かですねぇ」
薪割り体験始め
週末、夫が薪割り機を、取ってきた。彼の友人と息子くんが来るので、薪割り体験で、もてなそうという訳だ。
薪割り機は油圧式の危険が少ないタイプで、6軒で共同購入したものだ。明野町には、薪ストーブ所有者が多い。気心知れた近所の方々と話し合い、ルールを決め、修理しながらかれこれ7年ほど使っているだろうか。
薪は見た目よりも、重い。足の上に落としたら、それだけで骨折することさえある。だから、ひとりの時には、大きな作業はしないことにしている。夫がひとりで薪割りをする時には、食事の支度をしていても、時々様子を見に行く。怪我をして動けなくなっていたらと、心配になるのだ。薪割り機は音が大きく声を上げていても気づかない可能性がある。だが、助っ人がいれば安心だ。
薪ストーブの季節も、そろそろ終わりを迎える。それと同時に、薪割りの季節が始まる。冬に暖かく過ごすためには、春夏秋の頑張りが必要なのだ。と言っても、夫はわたしに、薪割りさせてくれない。
「怪我しそうだから」というのが、理由だ。
言い換えれば「きみは、どんくさいから」になる。多分。
ここ何年か、左手を骨折したり、frozen shoulder(五十肩)になったりと、薪割りで怪我しなくとも、薪運びでさえたいへんな状況が続いていたし、彼の言い分も最も。うんうんと大きくうなずける。
だが考え至るに、これではまるで、イソップの『蟻とキリギリス』のようではないか。どちらがどちらなのかは、自明の理である。
ところで、『蟻とキリギリス』のお話。ラスト蟻が、飢えたキリギリスに食べ物を分け与えるものだとばかり思っていたが、蟻が「夏には歌ってたんだから、冬には踊ればどうだい?」と冷ややかに見捨て、キリギリスが飢え死にするものと、2パターンあるそうだ。イソップがかいたのは、後者。前者で有名なのはウォルト・ディズニー版で、キリギリスはお礼にバイオリンを弾く。
なんだか、急に肩身が狭くなったような気がしてきた。
「蟻さん、来年の冬もお世話になっていいですか? 」
前の晩は、ワインで乾杯。飲みすぎました(笑)
いただいた『富士屋ホテル』のアップルパイ。
シナモンが、たっぷりと効いていて甘さ控えめ。ワインにもよく合います。
割った薪は、右手の薪小屋に。2年ほど乾燥させてから使います。
とは言え、昨日は寒が戻り雪が舞い、薪ストーブがんがんに燃やしました。
薪割り機は油圧式の危険が少ないタイプで、6軒で共同購入したものだ。明野町には、薪ストーブ所有者が多い。気心知れた近所の方々と話し合い、ルールを決め、修理しながらかれこれ7年ほど使っているだろうか。
薪は見た目よりも、重い。足の上に落としたら、それだけで骨折することさえある。だから、ひとりの時には、大きな作業はしないことにしている。夫がひとりで薪割りをする時には、食事の支度をしていても、時々様子を見に行く。怪我をして動けなくなっていたらと、心配になるのだ。薪割り機は音が大きく声を上げていても気づかない可能性がある。だが、助っ人がいれば安心だ。
薪ストーブの季節も、そろそろ終わりを迎える。それと同時に、薪割りの季節が始まる。冬に暖かく過ごすためには、春夏秋の頑張りが必要なのだ。と言っても、夫はわたしに、薪割りさせてくれない。
「怪我しそうだから」というのが、理由だ。
言い換えれば「きみは、どんくさいから」になる。多分。
ここ何年か、左手を骨折したり、frozen shoulder(五十肩)になったりと、薪割りで怪我しなくとも、薪運びでさえたいへんな状況が続いていたし、彼の言い分も最も。うんうんと大きくうなずける。
だが考え至るに、これではまるで、イソップの『蟻とキリギリス』のようではないか。どちらがどちらなのかは、自明の理である。
ところで、『蟻とキリギリス』のお話。ラスト蟻が、飢えたキリギリスに食べ物を分け与えるものだとばかり思っていたが、蟻が「夏には歌ってたんだから、冬には踊ればどうだい?」と冷ややかに見捨て、キリギリスが飢え死にするものと、2パターンあるそうだ。イソップがかいたのは、後者。前者で有名なのはウォルト・ディズニー版で、キリギリスはお礼にバイオリンを弾く。
なんだか、急に肩身が狭くなったような気がしてきた。
「蟻さん、来年の冬もお世話になっていいですか? 」
前の晩は、ワインで乾杯。飲みすぎました(笑)
いただいた『富士屋ホテル』のアップルパイ。
シナモンが、たっぷりと効いていて甘さ控えめ。ワインにもよく合います。
割った薪は、右手の薪小屋に。2年ほど乾燥させてから使います。
とは言え、昨日は寒が戻り雪が舞い、薪ストーブがんがんに燃やしました。
行動や思考を支える土台たる部分に染み込んでいるもの
洗濯物をたたんでいて、ふと末娘と一緒にたたんだことを思い出した。
「わざわざ、タオルの縫い目をなかにして、たたむんだねぇ」と、彼女。
「そうだよ。その方が使いやすいじゃない」と、わたし。
ふと思い出したのは、伊坂幸太郎『オー!ファーザー』(新潮社)を再読していたからだ。母親は一人だが、父親が4人いる高校生、由紀夫が主人公。母が同時期に4人とつき合っていた頃、妊娠し生まれたのが由紀夫だ。DNA鑑定もしようとせず、妻と由紀夫を愛してやまない4人の男達。悲哀をたっぷり感じさせるのは、その滑稽さ故。「楽しむために本はある!」と叫んでいるようなエンターテイメント小説だ。
その4人のタイプは、全く違っていて、ギャンブラーの鷹、体育教師の勲、学者肌の悟、女性にモテる葵。共通の趣味は麻雀のみで、4人でジャン卓を囲み和気あいあいと暮らしている。
由紀夫は、その4人にそれぞれの得意分野を教えられ育った。例えば。
由紀夫の頭には、父親の一人である葵の言葉がよぎった。それこそ、由紀夫が小学生の頃から、耳元で葵が唱えていた言葉だ。すなわち「女性が何かを頼んできたら、よほどの悪条件でなければ引き受けろ」という、まさに「そんなこと言われても」と戸惑うほかない教えだった。
ただ幼少の頃に親から聞かされた言葉というものは、子どもの行動や思考を支える基盤、土台たる部分に否応なく染み込んでいるもので、従うものか、と思いつつも、どうしても影響を受けてしまうらしい。
他にも勲には格闘技の基本とバスケを、悟には勉強全般を、鷹にはギャンブル全般を(?)叩き込まれて育った。そんな由紀夫が変な事件に巻き込まれていく。4人の父親たちと共に。その不思議な家族の絆とも言える繋がりに圧倒されつつ、くすくす笑いが止まらない。読み終えて胸が温かくなるハートウォーミングストーリーでもある。
さて、末娘はタオルの縫い目をなかにして、たたんでいるのだろうか?
5月24日映画公開予定です。由紀夫役は、岡田将生くん。
娘に話したのは、お風呂用のフェイスタオルのこと。
夫は最近、今治タオルが使いやすいと気に入って使っています。
わたしは、薄い方が使いやすく、百円タオルがお気に入り。
まさかハンカチタオルは、裏返しにたたまないよねぇ。
でも、こんなトラップに悩まされることも。
裏と表が判りにくーい。英語って、パッと頭に入って来ないんだよねぇ。
「わざわざ、タオルの縫い目をなかにして、たたむんだねぇ」と、彼女。
「そうだよ。その方が使いやすいじゃない」と、わたし。
ふと思い出したのは、伊坂幸太郎『オー!ファーザー』(新潮社)を再読していたからだ。母親は一人だが、父親が4人いる高校生、由紀夫が主人公。母が同時期に4人とつき合っていた頃、妊娠し生まれたのが由紀夫だ。DNA鑑定もしようとせず、妻と由紀夫を愛してやまない4人の男達。悲哀をたっぷり感じさせるのは、その滑稽さ故。「楽しむために本はある!」と叫んでいるようなエンターテイメント小説だ。
その4人のタイプは、全く違っていて、ギャンブラーの鷹、体育教師の勲、学者肌の悟、女性にモテる葵。共通の趣味は麻雀のみで、4人でジャン卓を囲み和気あいあいと暮らしている。
由紀夫は、その4人にそれぞれの得意分野を教えられ育った。例えば。
由紀夫の頭には、父親の一人である葵の言葉がよぎった。それこそ、由紀夫が小学生の頃から、耳元で葵が唱えていた言葉だ。すなわち「女性が何かを頼んできたら、よほどの悪条件でなければ引き受けろ」という、まさに「そんなこと言われても」と戸惑うほかない教えだった。
ただ幼少の頃に親から聞かされた言葉というものは、子どもの行動や思考を支える基盤、土台たる部分に否応なく染み込んでいるもので、従うものか、と思いつつも、どうしても影響を受けてしまうらしい。
他にも勲には格闘技の基本とバスケを、悟には勉強全般を、鷹にはギャンブル全般を(?)叩き込まれて育った。そんな由紀夫が変な事件に巻き込まれていく。4人の父親たちと共に。その不思議な家族の絆とも言える繋がりに圧倒されつつ、くすくす笑いが止まらない。読み終えて胸が温かくなるハートウォーミングストーリーでもある。
さて、末娘はタオルの縫い目をなかにして、たたんでいるのだろうか?
5月24日映画公開予定です。由紀夫役は、岡田将生くん。
娘に話したのは、お風呂用のフェイスタオルのこと。
夫は最近、今治タオルが使いやすいと気に入って使っています。
わたしは、薄い方が使いやすく、百円タオルがお気に入り。
まさかハンカチタオルは、裏返しにたたまないよねぇ。
でも、こんなトラップに悩まされることも。
裏と表が判りにくーい。英語って、パッと頭に入って来ないんだよねぇ。
笑って食べよう、春の天婦羅
庭のふきのとうと、咲いたばかりの春蘭を天麩羅にした。
昨夜は、他にも菜の花や新じゃがなども揚げ、春の天麩羅を満喫。
天麩羅は、揚げたてを食べて欲しくて、わたしは座る間もなくテーブルとキッチンを行ったり来たり。缶ビールを飲みつつ、天麩羅を摘まみつつの、わたしにとっても楽しい時間である。全部揚げてしまってから席について、みんなでいただきますというのもいいが、しなびていく天麩羅を見るのは悲しくもあり、揚げたての天麩羅を食べてもらいたいという気持ちの方が勝ち、それが我が家の形になっているのだ。
先週行った仙台の蕎麦屋で、しなびていく天麩羅を見た。
わたしが座ったカウンター席の二つ隣りに、歳の頃もわたしとそう変わらない男女が座っていた。ポツリポツリと何かをしゃべていたが、そのうちに女性がいきなり席を立ち、出て行ってしまった。男性は慌てて会計を済ませ、女性の後を追った。後に残ったのは、ふた口ほどは食べたのだろうか。手をつけられていないようにも見える伸びた蕎麦としなびた天麩羅が二人分。
すると、カウンター席の反対側に座っていたやはり同じ年の頃の女性が、店員相手に大きな声で怒りだした。
「失礼ですよね。食べもしないで出て行くなんて。許せないわ!」
店員の女性は、ただただ頭を下げるのみ。怒った女性は、店員が同調しないことにもさらに苛立ち、投げつける様な言葉を続ける。
わたしは、出て行った二人よりも、怒っている女性の方に違和感を覚えつつ、しなびていく天麩羅を見ていた。
そしてその後、わたしの前に並んだ、揚げたての野菜の天麩羅と蕎麦を味わった。蕎麦も天麩羅も、とても美味しかった。
「石臼で蕎麦粉、挽いてるんですね?」カウンターから石臼が見え、聞いた。
「はい。そうなんですよ」店員の女性は、笑顔で答えてくれた。
そうだよ。怒るより、笑おうよ。彼女の笑顔を見て、思った。
手をかけ心を込めて作った食べ物が無駄になるのは悲しいことだけれど、彼らに何があったのかは判らないし、誰だって同調して怒って欲しいのは、親しい人にだけなんじゃないかな、と。
昨夜は、天麩羅を食べ、ビールと日本酒を飲み、WOWOWで撮ったボブ・ディランのライブを観ながら、夫とふたりたくさん笑った。
毎年少しずつ、増えています。今年は株も2つになりました。
アップで撮ったら、パソコンから質問が「この人物は誰ですか?」
顔に見えたみたいですねぇ。パソコンも万能ではないと思うとホッとします。
タラも、もう少しで食べられるかな? 土筆もあちこちに顔を出しています。
タラの芽を見ていたら、堰向こうにキジ発見! 時々見かけても、いつも、
「忙しい! 忙しい!」とでも言っているように走っていってしまうので、
写真が撮れたのはラッキーでした ♪ よく、太ってるなぁ。
こんな感じの食材を、集めました。魚は鱚(きす)を揚げました。
春蘭は甘く、ふきのとうはほろ苦く。うーん、お腹も春でいっぱい。
昨夜は、他にも菜の花や新じゃがなども揚げ、春の天麩羅を満喫。
天麩羅は、揚げたてを食べて欲しくて、わたしは座る間もなくテーブルとキッチンを行ったり来たり。缶ビールを飲みつつ、天麩羅を摘まみつつの、わたしにとっても楽しい時間である。全部揚げてしまってから席について、みんなでいただきますというのもいいが、しなびていく天麩羅を見るのは悲しくもあり、揚げたての天麩羅を食べてもらいたいという気持ちの方が勝ち、それが我が家の形になっているのだ。
先週行った仙台の蕎麦屋で、しなびていく天麩羅を見た。
わたしが座ったカウンター席の二つ隣りに、歳の頃もわたしとそう変わらない男女が座っていた。ポツリポツリと何かをしゃべていたが、そのうちに女性がいきなり席を立ち、出て行ってしまった。男性は慌てて会計を済ませ、女性の後を追った。後に残ったのは、ふた口ほどは食べたのだろうか。手をつけられていないようにも見える伸びた蕎麦としなびた天麩羅が二人分。
すると、カウンター席の反対側に座っていたやはり同じ年の頃の女性が、店員相手に大きな声で怒りだした。
「失礼ですよね。食べもしないで出て行くなんて。許せないわ!」
店員の女性は、ただただ頭を下げるのみ。怒った女性は、店員が同調しないことにもさらに苛立ち、投げつける様な言葉を続ける。
わたしは、出て行った二人よりも、怒っている女性の方に違和感を覚えつつ、しなびていく天麩羅を見ていた。
そしてその後、わたしの前に並んだ、揚げたての野菜の天麩羅と蕎麦を味わった。蕎麦も天麩羅も、とても美味しかった。
「石臼で蕎麦粉、挽いてるんですね?」カウンターから石臼が見え、聞いた。
「はい。そうなんですよ」店員の女性は、笑顔で答えてくれた。
そうだよ。怒るより、笑おうよ。彼女の笑顔を見て、思った。
手をかけ心を込めて作った食べ物が無駄になるのは悲しいことだけれど、彼らに何があったのかは判らないし、誰だって同調して怒って欲しいのは、親しい人にだけなんじゃないかな、と。
昨夜は、天麩羅を食べ、ビールと日本酒を飲み、WOWOWで撮ったボブ・ディランのライブを観ながら、夫とふたりたくさん笑った。
毎年少しずつ、増えています。今年は株も2つになりました。
アップで撮ったら、パソコンから質問が「この人物は誰ですか?」
顔に見えたみたいですねぇ。パソコンも万能ではないと思うとホッとします。
タラも、もう少しで食べられるかな? 土筆もあちこちに顔を出しています。
タラの芽を見ていたら、堰向こうにキジ発見! 時々見かけても、いつも、
「忙しい! 忙しい!」とでも言っているように走っていってしまうので、
写真が撮れたのはラッキーでした ♪ よく、太ってるなぁ。
こんな感じの食材を、集めました。魚は鱚(きす)を揚げました。
春蘭は甘く、ふきのとうはほろ苦く。うーん、お腹も春でいっぱい。
夢でまで、推理して
夢のなかでまで、推理してしまった。
今読み終えた、湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』(集英社文庫)
一昨日、所用で出かけた立川の駅ナカ『エキュート』の本屋で衝動買い。帰りの特急あずさで半分読んで、ベッドのなかでさらにクライマックスと言えるところまで読み進め、で、夢である。
推理は半分当たり、半分外れていた。しかし、起きている時のわたしよりも鋭く推理しており、寝てた方が頭冴えてるんじゃない? と疑問が湧く。「白ゆき姫なのに、何で林檎出てこないの?」とは、夢のなかでわたし。ストーリー構成にまで口出ししている。まあそれは置いといて、小説は、面白かった。
湊かなえの小説は『告白』(双葉社)しか読んでいない。これが2冊目となる。『告白』は小説では読後感の悪さが、映画では松たか子の綺麗な顔だけが印象に残る、好きとは言えない作品だった。
そして今回も、これ好き! とは絶対に言えない物語。まず、文章が好きじゃない。癇に障るというのだろうか。奥底にある淀んだものを感じる。なのに、読みやすく、面白い。つい引き込まれ、深い闇に落ち、夢中になる。
惨殺された美人社員と、その直後、行方不明になった地味な同僚の女性。その事件を取材していく週刊誌の記者は、会社内部はもちろん、行方不明の同僚の学生時代、子どもの頃までさかのぼり、様々な話を聞いていく。小説は、そのひとりひとりの言い分の羅列形式をとっていて、視点がコロコロ変わるのにも引き込まれるし、話す側が、思い込みの強さや憶測で自信満々しゃべったり、ゴシップやうわさ好きな顔、自意識過剰さが見え隠れする様子なども興味深い。そして最後に当事者の話でいったん幕を閉じ、分厚い関連資料が用意されている。ネットのコミュニティサイトでの会話を雰囲気そのままアイコン入りで、週刊誌では世間をあおる様子や、新聞は切り抜きの形で掲載。ネットや週刊誌報道の恐さを、架空の事件とは思えないようなリアルさで描いている。
「ネット炎上」映画CMのキーワードの一つに、それがあった。「匿名という名の皮をかぶった悪意と集団心理」文庫カバーには、かかれていた。読み終えて感じたのは、人間の醜さ、愚かしさ、悲しさだった。
駅ナカで買ったからといって、電車で読むのに適しているとは限らない。夢中になりすぎて乗り過ごさないよう、注意が必要だ。
絶賛! 映画公開中。エンターテイメント? サスペンス? どっちでもいいけど、伊坂幸太郎作品『ゴールデンスランバー』『ポテチ』などを映画化している中村義洋が監督だわ、綾野剛が出てるわで、やっぱ、観に行くかなぁ。
立川駅ナカの本屋さん。ちょっとお洒落な雰囲気が気に入っています。
展示も凝っていて、今回のテーマは『春のよそおい』でした。
文房具の他、小物もいろいろ置いてあります。
話題の本も、たくさん。にゃんこ本のコーナーもありました。
お隣はカフェ。買っていない本は持ち込めませんが、食事もできて、
お酒も飲める、落ち着ける場所です。会計はもちろんスイカで、ピッ!
今読み終えた、湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』(集英社文庫)
一昨日、所用で出かけた立川の駅ナカ『エキュート』の本屋で衝動買い。帰りの特急あずさで半分読んで、ベッドのなかでさらにクライマックスと言えるところまで読み進め、で、夢である。
推理は半分当たり、半分外れていた。しかし、起きている時のわたしよりも鋭く推理しており、寝てた方が頭冴えてるんじゃない? と疑問が湧く。「白ゆき姫なのに、何で林檎出てこないの?」とは、夢のなかでわたし。ストーリー構成にまで口出ししている。まあそれは置いといて、小説は、面白かった。
湊かなえの小説は『告白』(双葉社)しか読んでいない。これが2冊目となる。『告白』は小説では読後感の悪さが、映画では松たか子の綺麗な顔だけが印象に残る、好きとは言えない作品だった。
そして今回も、これ好き! とは絶対に言えない物語。まず、文章が好きじゃない。癇に障るというのだろうか。奥底にある淀んだものを感じる。なのに、読みやすく、面白い。つい引き込まれ、深い闇に落ち、夢中になる。
惨殺された美人社員と、その直後、行方不明になった地味な同僚の女性。その事件を取材していく週刊誌の記者は、会社内部はもちろん、行方不明の同僚の学生時代、子どもの頃までさかのぼり、様々な話を聞いていく。小説は、そのひとりひとりの言い分の羅列形式をとっていて、視点がコロコロ変わるのにも引き込まれるし、話す側が、思い込みの強さや憶測で自信満々しゃべったり、ゴシップやうわさ好きな顔、自意識過剰さが見え隠れする様子なども興味深い。そして最後に当事者の話でいったん幕を閉じ、分厚い関連資料が用意されている。ネットのコミュニティサイトでの会話を雰囲気そのままアイコン入りで、週刊誌では世間をあおる様子や、新聞は切り抜きの形で掲載。ネットや週刊誌報道の恐さを、架空の事件とは思えないようなリアルさで描いている。
「ネット炎上」映画CMのキーワードの一つに、それがあった。「匿名という名の皮をかぶった悪意と集団心理」文庫カバーには、かかれていた。読み終えて感じたのは、人間の醜さ、愚かしさ、悲しさだった。
駅ナカで買ったからといって、電車で読むのに適しているとは限らない。夢中になりすぎて乗り過ごさないよう、注意が必要だ。
絶賛! 映画公開中。エンターテイメント? サスペンス? どっちでもいいけど、伊坂幸太郎作品『ゴールデンスランバー』『ポテチ』などを映画化している中村義洋が監督だわ、綾野剛が出てるわで、やっぱ、観に行くかなぁ。
立川駅ナカの本屋さん。ちょっとお洒落な雰囲気が気に入っています。
展示も凝っていて、今回のテーマは『春のよそおい』でした。
文房具の他、小物もいろいろ置いてあります。
話題の本も、たくさん。にゃんこ本のコーナーもありました。
お隣はカフェ。買っていない本は持ち込めませんが、食事もできて、
お酒も飲める、落ち着ける場所です。会計はもちろんスイカで、ピッ!
丁寧な暮らし、始めよう
「雑、だよなぁ」
このところの自分を振り返り、落ち込む。やることなすこと雑、なのだ。
化粧をしなくなった。日焼け止めオンリーで、口紅も引かず眉も描かず買い物に行く。ジャージのまま寝て、ジャージのまま起き、出かける用事がない日はそのまま仕事をする。髪をとかすことすら忘れることも多い。
まだまだ寒いのに、ひとりの夜には薪ストーブを焚かなくなった。もこもこに着込み、余計に肩が凝る始末。薪の火を楽しめるのも、もうあとわずかだというのに。かといって、マッサージにマメに通うかと言えば、それも面倒がる。
ご飯を炊くのをサボり、朝ご飯は、お腹が減ったら仕方なくうどんを茹でる。缶ビールはグラスに注がず、缶に口をつけて飲む(これはいつものことか)
大好きな珈琲さえ淹れることすらせず、かといってインスタントも飲みたくない訳で、紅茶を飲もうかと思うだけ思うが、さらにそれも、湯を沸かすことさえも面倒になり、水を飲んですます。
いったいひと月の間に、わたしに何があったのだろうか。
何かのせいにするとすれば、それは上の娘が出て行ったからに他ならない。
息子は8年前に、末娘は1年前、大学入学と同時にひとり暮らしを始めた。春に山梨の大学を卒業した上の娘は「うーんどうしようかな」と言いつつ、先月から東京はわたしの実家に移り住み、「どうなるかわからないんだー」と言いつつ、事後承諾で3カ月契約の派遣社員になったからと、メールしてきた。その後は、海外に高飛び、いや、旅行なのか勉強なのか働きに行くのかよくわからないが「ヨーロッパ行きの航空券、買ったって言ったっけ?」と、思い出したように言う。(聞いていません)7月には立つそうだ。
息子と末娘が、パッといなくなったのをカウンターパンチと呼ぶならば、彼女の場合は、こんなにじわじわ攻めなくてもいいんじゃないかと思うようなジャブの応酬。効いていないようなスローなジャブが、だんだん効いてきて、すっかり参ってしまったのだ。
久しぶりに、自分のために珈琲を淹れた。煎りたて、挽きたて。浅煎りケニアの優しい酸味が胸に沁みる。じっくり味わい、化粧をして出かけた。
立ち止まり、気づいたのなら、そこからまた歩き始めればいい。
今より、ちょっとだけ丁寧な暮らし、始めよう。始められる、かなぁ。
最近は『珈琲問屋』に、郵送でお願いしています。
夕方までに電話すると、それから焙煎した豆が翌日には届きます。
珈琲豆密封用のお気に入りの缶。300g分で、丁度いっぱい。
生真面目O型のわたしは、スケールでグラムを量ります。
届いたばかりの煎りたて、挽きたて珈琲は、膨らむ膨らむ ♪
ちなみに20gは2杯分。たっぷり楽しめます。
このところの自分を振り返り、落ち込む。やることなすこと雑、なのだ。
化粧をしなくなった。日焼け止めオンリーで、口紅も引かず眉も描かず買い物に行く。ジャージのまま寝て、ジャージのまま起き、出かける用事がない日はそのまま仕事をする。髪をとかすことすら忘れることも多い。
まだまだ寒いのに、ひとりの夜には薪ストーブを焚かなくなった。もこもこに着込み、余計に肩が凝る始末。薪の火を楽しめるのも、もうあとわずかだというのに。かといって、マッサージにマメに通うかと言えば、それも面倒がる。
ご飯を炊くのをサボり、朝ご飯は、お腹が減ったら仕方なくうどんを茹でる。缶ビールはグラスに注がず、缶に口をつけて飲む(これはいつものことか)
大好きな珈琲さえ淹れることすらせず、かといってインスタントも飲みたくない訳で、紅茶を飲もうかと思うだけ思うが、さらにそれも、湯を沸かすことさえも面倒になり、水を飲んですます。
いったいひと月の間に、わたしに何があったのだろうか。
何かのせいにするとすれば、それは上の娘が出て行ったからに他ならない。
息子は8年前に、末娘は1年前、大学入学と同時にひとり暮らしを始めた。春に山梨の大学を卒業した上の娘は「うーんどうしようかな」と言いつつ、先月から東京はわたしの実家に移り住み、「どうなるかわからないんだー」と言いつつ、事後承諾で3カ月契約の派遣社員になったからと、メールしてきた。その後は、海外に高飛び、いや、旅行なのか勉強なのか働きに行くのかよくわからないが「ヨーロッパ行きの航空券、買ったって言ったっけ?」と、思い出したように言う。(聞いていません)7月には立つそうだ。
息子と末娘が、パッといなくなったのをカウンターパンチと呼ぶならば、彼女の場合は、こんなにじわじわ攻めなくてもいいんじゃないかと思うようなジャブの応酬。効いていないようなスローなジャブが、だんだん効いてきて、すっかり参ってしまったのだ。
久しぶりに、自分のために珈琲を淹れた。煎りたて、挽きたて。浅煎りケニアの優しい酸味が胸に沁みる。じっくり味わい、化粧をして出かけた。
立ち止まり、気づいたのなら、そこからまた歩き始めればいい。
今より、ちょっとだけ丁寧な暮らし、始めよう。始められる、かなぁ。
最近は『珈琲問屋』に、郵送でお願いしています。
夕方までに電話すると、それから焙煎した豆が翌日には届きます。
珈琲豆密封用のお気に入りの缶。300g分で、丁度いっぱい。
生真面目O型のわたしは、スケールでグラムを量ります。
届いたばかりの煎りたて、挽きたて珈琲は、膨らむ膨らむ ♪
ちなみに20gは2杯分。たっぷり楽しめます。
『ひなたぼっこ』な、春
仙台から帰ると、庭の水仙が咲いていた。可愛い。
春は、そこ此処にやって来ていて、大雪のなかから助け出した植え替えたばかりのライラックにも蕾がついているのを見つけ、嬉しくなる。
日陰に植えてもいないのに生息しているふきのとうは、もう一度天麩羅にして楽しめそうだし、土筆のにょきっと音を立てて生えてきた様子や、オオイヌフグリの控えめなブルーに、相好を崩す。
「もう、4月なんだなぁ」
誰もいない庭で、思いっきり身体を伸ばし深呼吸する。太陽の陽射しが温かい。太陽の温かさに、工藤直子の詩を思い出した。
6巻でセットにもなっている『のはらうた』Ⅳ(童話屋)に収められた、こねずみしゅんの『ひなたぼっこ』
ひなたぼっこ こねずみしゅん
でっかい うちゅうの なかから
ちっぽけな こねずみ いっぴき みつけだして
おでこから しっぽのさきまで あたためてくれるのね
・・・・・
おひさま ぼく どきどきするほど うれしい
『のはらうた』は、詩人、工藤直子が「のはらみんなのだいりにん」となり、小さなもの達の視点で描かれたあまりにも有名な詩集だ。
そのなかには他に好きな詩も、たくさんあれど、この詩をよく思い出す。多分息子の名が「しゅん」だからだ。
東京は寒さが身に沁みる街だけど、しゅんのところにも、春が来てるといいな。こねずみしゅんくん。元気ですか?
水仙は、優しい黄色の顔を寄せ合い、にぎやかにおしゃべりしているよう。
白い花を咲かせるライラックも、蕾を膨らませています。
北側の雪は、3月も30日まで残っていましたが、
その下から、ふきのとうが頭を出しました。
クリスマスローズ。少しずつ、少しずつ伸びて開いていきます。
ツクシンボも、1本だけ発見しました。
雑草とは言え、可愛いオオイヌフグリ。満開です。
春は、そこ此処にやって来ていて、大雪のなかから助け出した植え替えたばかりのライラックにも蕾がついているのを見つけ、嬉しくなる。
日陰に植えてもいないのに生息しているふきのとうは、もう一度天麩羅にして楽しめそうだし、土筆のにょきっと音を立てて生えてきた様子や、オオイヌフグリの控えめなブルーに、相好を崩す。
「もう、4月なんだなぁ」
誰もいない庭で、思いっきり身体を伸ばし深呼吸する。太陽の陽射しが温かい。太陽の温かさに、工藤直子の詩を思い出した。
6巻でセットにもなっている『のはらうた』Ⅳ(童話屋)に収められた、こねずみしゅんの『ひなたぼっこ』
ひなたぼっこ こねずみしゅん
でっかい うちゅうの なかから
ちっぽけな こねずみ いっぴき みつけだして
おでこから しっぽのさきまで あたためてくれるのね
・・・・・
おひさま ぼく どきどきするほど うれしい
『のはらうた』は、詩人、工藤直子が「のはらみんなのだいりにん」となり、小さなもの達の視点で描かれたあまりにも有名な詩集だ。
そのなかには他に好きな詩も、たくさんあれど、この詩をよく思い出す。多分息子の名が「しゅん」だからだ。
東京は寒さが身に沁みる街だけど、しゅんのところにも、春が来てるといいな。こねずみしゅんくん。元気ですか?
水仙は、優しい黄色の顔を寄せ合い、にぎやかにおしゃべりしているよう。
白い花を咲かせるライラックも、蕾を膨らませています。
北側の雪は、3月も30日まで残っていましたが、
その下から、ふきのとうが頭を出しました。
クリスマスローズ。少しずつ、少しずつ伸びて開いていきます。
ツクシンボも、1本だけ発見しました。
雑草とは言え、可愛いオオイヌフグリ。満開です。
大人になってから触れたカルチャーショック
対ベガルタ仙台アウェイ戦。攻めに攻めたが1-1と引き分けに終わった。
仙台駅から地下鉄で15分ほどの場所にあるユアテックスタジアムは、サッカー専用の気持ちのいいスタジアムだった。気温は23℃まで上がり、うららかな春の陽気。サッカー観戦日和となった。
「全席、屋根つきだよ」と、夫。「すごい!」と、わたし。
「椅子も背もたれつきで、ゆったりしてるね」「うん、いい感じ」
「ここは、食べ物が美味しいのでも有名なんだよ」
「ほんと、美味しい! 利休の牛タンつくねとカレー味唐揚げ。嬉しいね」
と、もちろん生ビール。アウェイ戦観戦も、なかなかいいものである。
夫は中学の頃からサッカー部で、ワールドカップなどもテレビにかじりついて観ていたそうだ。テレビ観戦時などは、よく解説者と同じことを言い、下手な解説者より上手いんじゃないの? と思うほど判りやすく解説してくれる。そんな優秀な解説者も隣にいるのだから、贅沢極まりない観戦だ。
ところで、いつも観に行き、違和感を覚えることがある。ブーイングである。大人になってからサッカーを観始めたわたしには、応援しているチームが情けない試合をしたとしても「ぶー!」と声を上げ親指を下に向けて振り、責めることが出来ない。相手のチームが汚いプレイをした時も然り。
「そういうことするのって、人としてどうよ?」と思ってしまうのだ。
ホームとアウェイの違いも、まだまだ、受け入れられていない。ホームで勝ってるからロスタイム(今はアディショナルタイムと言うそうですが)の時間を審判は短くするはずだとか「それ、ルール違反じゃない?」と思えてしまう。
「いいんだよ」と、夫は言う。「それが、サッカーなんだから」
O型大らか大雑把なわたしだが、カレンダーは月が変わってからじゃないとめくれない様な杓子定規なところもある。大人になってから触れたカルチャーショックって、そう簡単に身体の奥までは浸透しないものだ。
だがちょっと、乗り越えてみたいハードルだって気もしている。とりあえず来月は3日前にカレンダーをめくってみよう。ハードルをひとつひとつ超えていけば、ブーイングだっていつか楽しんで出来るかも知れない。
看板はブルーでしたが、全体にチームカラーの黄色が効いています。
仙台チームキャラクター鷲の『ベガッ太』さん。血液型は勝利のV型。
性格は、Jリーグキャラクターにしては珍しいヒール(悪役)キャラ。
ふてぶてしく悪戯好き。気に入らないことがあるとふてくされる。
試合前の練習風景。全天候型いいな。選手はもちろん雨が降れば濡れますが。
ヴァンフォーレ甲府の応援団。久しぶりにその後ろで観ました。
仙台駅から地下鉄で15分ほどの場所にあるユアテックスタジアムは、サッカー専用の気持ちのいいスタジアムだった。気温は23℃まで上がり、うららかな春の陽気。サッカー観戦日和となった。
「全席、屋根つきだよ」と、夫。「すごい!」と、わたし。
「椅子も背もたれつきで、ゆったりしてるね」「うん、いい感じ」
「ここは、食べ物が美味しいのでも有名なんだよ」
「ほんと、美味しい! 利休の牛タンつくねとカレー味唐揚げ。嬉しいね」
と、もちろん生ビール。アウェイ戦観戦も、なかなかいいものである。
夫は中学の頃からサッカー部で、ワールドカップなどもテレビにかじりついて観ていたそうだ。テレビ観戦時などは、よく解説者と同じことを言い、下手な解説者より上手いんじゃないの? と思うほど判りやすく解説してくれる。そんな優秀な解説者も隣にいるのだから、贅沢極まりない観戦だ。
ところで、いつも観に行き、違和感を覚えることがある。ブーイングである。大人になってからサッカーを観始めたわたしには、応援しているチームが情けない試合をしたとしても「ぶー!」と声を上げ親指を下に向けて振り、責めることが出来ない。相手のチームが汚いプレイをした時も然り。
「そういうことするのって、人としてどうよ?」と思ってしまうのだ。
ホームとアウェイの違いも、まだまだ、受け入れられていない。ホームで勝ってるからロスタイム(今はアディショナルタイムと言うそうですが)の時間を審判は短くするはずだとか「それ、ルール違反じゃない?」と思えてしまう。
「いいんだよ」と、夫は言う。「それが、サッカーなんだから」
O型大らか大雑把なわたしだが、カレンダーは月が変わってからじゃないとめくれない様な杓子定規なところもある。大人になってから触れたカルチャーショックって、そう簡単に身体の奥までは浸透しないものだ。
だがちょっと、乗り越えてみたいハードルだって気もしている。とりあえず来月は3日前にカレンダーをめくってみよう。ハードルをひとつひとつ超えていけば、ブーイングだっていつか楽しんで出来るかも知れない。
看板はブルーでしたが、全体にチームカラーの黄色が効いています。
仙台チームキャラクター鷲の『ベガッ太』さん。血液型は勝利のV型。
性格は、Jリーグキャラクターにしては珍しいヒール(悪役)キャラ。
ふてぶてしく悪戯好き。気に入らないことがあるとふてくされる。
試合前の練習風景。全天候型いいな。選手はもちろん雨が降れば濡れますが。
ヴァンフォーレ甲府の応援団。久しぶりにその後ろで観ました。
物語の断片を拾い集めて
仙台の旅では、伊坂幸太郎の小説を身近に感じる嬉しい瞬間が何度もあった。
東北新幹線に乗る時には『はやぶさ』と『こまち』が連結している不思議に『マリアビートル』の真莉亜と七尾の会話を思い出した。
ホテルのエレベーターで男性と乗り合わせれば『ゴールデンスランバー』のラストシーンがフラッシュバックし、偶然乗り合わせた男性が、小説のなかにしか存在しない青柳雅春ではないかと一瞬、疑う。
入口が二つある、言うなれば裏口がある大きな本屋を見れば『アヒルと鴨のコインロッカー』で、椎名が引っ越したアパートの隣に住む河崎に挨拶に行った時の印象的なセリフが思い浮かんだ。
駅から四方八方に伸びる歩道橋を歩けば『ポテチ』を、バスに乗り後ろに座った両親と3歳位の子どもの会話を聞けば『モダン・タイムス』を思いだし、足を運んだ八木山動物公園では『透明ポーラーベア』の動物園は此処しかないと、物語の断片をいくつも拾った。
そして不意に、腑に落ちた。ああ、何処にでもあるんだと。
仙台で紡がれた物語があり、その地を訪れて気づくこととなったが、物語の断片というものは仙台ではなくとも、何処にでも、どんな日々にでも、ありうるシーンの数々なのだと。
『透明ポーラーベア』以外にも、八木山動物公園は、
いくつかの伊坂小説に、舞台として使われています。
『フィッシュストーリー』収録の『動物園のエンジン』など。
猿山の子猿、綱渡りならぬ鎖渡りを楽しんでいました。
去年生まれたという、トラの赤ちゃん。
「もう赤ちゃんじゃなくて、子どもなんじゃない?」とは、
5歳くらいの女の子。動物園側としては、赤ちゃんと言いたいところ。
大人の事情は、動物園にもあるんだよなぁ。
孔雀。羽根を広げなくても綺麗だなぁ。
大鷲を見ていた4歳くらいの男の子とお母さんの会話が面白かった!
お母さん「大きいねぇ。羽根を広げたら、もっともっと大きくなるねぇ」
子ども「僕だって、おしり広げたら、もっともっと大きくなるよ」
隣で笑いをこらえるのに、必死でした。
作り物のように綺麗な、リクガメは『爬虫類館』にいました。
「のんびりいこうよ」と言うかのように、のーんびり食べていました。
「あ、ツルだ! ツルがいたよ!」と、自信満々でお父さんを呼ぶ
女の子にも、素知らぬ態度のフラミンゴ達でした。
『ヒト』の檻。こういう遊び心、好きだなぁ ♪
写真撮影する親子で、けっこうにぎわっていました。
何故か、吠えたり、威嚇したりする子が多いのにも笑えました。
『ヒト』であるわたしとしては、2時間の楽しいウォーキングを、
春の空の下、動物園にさせてもらい、より『ヒト』らしくなれたかも ♪
東北新幹線に乗る時には『はやぶさ』と『こまち』が連結している不思議に『マリアビートル』の真莉亜と七尾の会話を思い出した。
「『こまち』と『はやて』って、中で行き来できないんだよ。信じられないよ。何のための連結?」「幼稚園児でも知ってるよ」
「幼稚園児が知っていても、大人が知らないこともあるんだよ」
ホテルのエレベーターで男性と乗り合わせれば『ゴールデンスランバー』のラストシーンがフラッシュバックし、偶然乗り合わせた男性が、小説のなかにしか存在しない青柳雅春ではないかと一瞬、疑う。
青柳雅春はその時に、自分がボタンを右手の親指で押していることに気づき、はっとした。慌てて、人差し指で押し直す。樋口晴子がこちらを見たかどうか、横目では分からなかった。青柳雅春とは別の人間として生きていくのだとすれば、自分の癖も捨てなくてはならないのは確かだ。
入口が二つある、言うなれば裏口がある大きな本屋を見れば『アヒルと鴨のコインロッカー』で、椎名が引っ越したアパートの隣に住む河崎に挨拶に行った時の印象的なセリフが思い浮かんだ。
「というわけでだ」彼はさらに続けた。「一緒に本屋を襲わないか」
教訓を学んだ。
本屋を襲うくらいの覚悟がなければ、隣人へ挨拶に行くべきではない。
駅から四方八方に伸びる歩道橋を歩けば『ポテチ』を、バスに乗り後ろに座った両親と3歳位の子どもの会話を聞けば『モダン・タイムス』を思いだし、足を運んだ八木山動物公園では『透明ポーラーベア』の動物園は此処しかないと、物語の断片をいくつも拾った。
そして不意に、腑に落ちた。ああ、何処にでもあるんだと。
仙台で紡がれた物語があり、その地を訪れて気づくこととなったが、物語の断片というものは仙台ではなくとも、何処にでも、どんな日々にでも、ありうるシーンの数々なのだと。
『透明ポーラーベア』以外にも、八木山動物公園は、
いくつかの伊坂小説に、舞台として使われています。
『フィッシュストーリー』収録の『動物園のエンジン』など。
猿山の子猿、綱渡りならぬ鎖渡りを楽しんでいました。
去年生まれたという、トラの赤ちゃん。
「もう赤ちゃんじゃなくて、子どもなんじゃない?」とは、
5歳くらいの女の子。動物園側としては、赤ちゃんと言いたいところ。
大人の事情は、動物園にもあるんだよなぁ。
孔雀。羽根を広げなくても綺麗だなぁ。
大鷲を見ていた4歳くらいの男の子とお母さんの会話が面白かった!
お母さん「大きいねぇ。羽根を広げたら、もっともっと大きくなるねぇ」
子ども「僕だって、おしり広げたら、もっともっと大きくなるよ」
隣で笑いをこらえるのに、必死でした。
作り物のように綺麗な、リクガメは『爬虫類館』にいました。
「のんびりいこうよ」と言うかのように、のーんびり食べていました。
「あ、ツルだ! ツルがいたよ!」と、自信満々でお父さんを呼ぶ
女の子にも、素知らぬ態度のフラミンゴ達でした。
『ヒト』の檻。こういう遊び心、好きだなぁ ♪
写真撮影する親子で、けっこうにぎわっていました。
何故か、吠えたり、威嚇したりする子が多いのにも笑えました。
『ヒト』であるわたしとしては、2時間の楽しいウォーキングを、
春の空の下、動物園にさせてもらい、より『ヒト』らしくなれたかも ♪
疑問の切れ端を、たどって
夫より1日早く仙台を訪ねたのは、東日本大震災で両親を亡くした子ども達のために寄付を募っている『JETOみやぎ』に行ってみようと思ったからだ。
友人とんぼちゃんのホームページにある『今、わたしにもできること』のコーナーで紹介されていた『JETOみやぎ』ホームページを見て、寄付をしたが、どんな人達がどんな気持ちで運営しているのか、話を聞いてみたかった。
メールすると「お待ちしています」との返事。
「これまで赤十字などに寄付をしてきたんですが、何を優先してどんな風に使われているのか、よく判らなくて」
漠然と胸にあった疑問の切れ端を口にすると、『JETOみやぎ』を立ち上げた経緯を判りやすく話してくれた。
発起人は東日本大震災の際に、多くの人の葬儀に携わった『清月記』という葬儀会社の代表だという。
話をしてくださったのは『清月記』社員で『JETOみやぎ』の運営をしている千葉さんと鈴木さんだ。
「あまりに多くの人が亡くなり火葬が間に合わず、仮埋葬として土葬したご遺体を掘り起し、ご家族に確認していただかなくてはならなかったんです」
千葉さんは、思い起こすようにゆっくり話してくださった。
「その遺体確認に来るのが、まだ幼い子どもさんだったりするんです。おばあちゃんに手を引かれて来たり。親戚の方だったり。普通なら、考えられない光景です。それを目の当たりにして、この子達のために何かできないかと、そんな気持ちから始まったんです」
亡くなった両親の遺体を確認する、幼い子ども達。思いも及ばないことだった。自分の想像力のなさを思い知り、打ちのめされた。
チャリティー・ライブを企画してくれるアーティストや、大学生ボランティアが活躍してくれたサマースクールのことなど、明るく楽しいイベントを企画していることなども、話してくれた。
最後に聞いてみた。こうして訪ねてくる人はいるのかと。
「よく、いらっしゃいますよ」笑顔で、千葉さん。
ああ、みんな、模索しているのだと思った。他にもたくさんの団体が、被災した人のために寄付を募り活動していると思う。たくさんの団体ががんばっていることは悪いことではないが、たくさんすぎて何処に寄付したらいいのか判らず、結局何もできないままだと、胸のなかに漠然とした疑問の切れ端を持っている人も多いんじゃないかな。
行って、話を聞き『JETOみやぎ』と、模索している人達の姿が見えてきたように感じた。
事務局には、パンフレットやピンバッジの他、
活動報告のニュースレターが、並べてありました。
千円以上寄付した人に、配っているというピンバッジ。ちょっと素敵。
「震災孤児支援グッズで、一緒に支援表明をしましょう」
と、パンフレットにあります。意思表示も大切ですよね。
昨日は『語り部タクシー』で、夫とふたり被災地を回りました。
写真は津波に飲まれた荒浜の、お寺があったところです。
流されたお寺の後に、戻してもらったお地蔵さん達や、
亡くなった両親や兄弟のお骨を、ひとりで持ってきた小学生の話など、
偶然来ていた、地元の方にお話を聞くことが出来ました。
此処も津波に飲まれた閖上(ゆりあげ)の戦没者の碑が奉られた高台。
津波の高さは、この高台の遥か上だったそうです。
『東北に水仙を』というプロジェクトがあるのは知っていました。
それを足元で見つけた時の驚き。来年は水仙の球根を送ろうと思います。
閖上中学校の屋上で助かった子ども達と、助からなかった子ども達。
3月11日は、卒業式だったそうです。
時計の時間は、そこでとまっています。桜やモミジも流されたそうです。
ワシントンから贈られた桜の苗が、春だよと、静かに語っていました。
友人とんぼちゃんのホームページにある『今、わたしにもできること』のコーナーで紹介されていた『JETOみやぎ』ホームページを見て、寄付をしたが、どんな人達がどんな気持ちで運営しているのか、話を聞いてみたかった。
メールすると「お待ちしています」との返事。
「これまで赤十字などに寄付をしてきたんですが、何を優先してどんな風に使われているのか、よく判らなくて」
漠然と胸にあった疑問の切れ端を口にすると、『JETOみやぎ』を立ち上げた経緯を判りやすく話してくれた。
発起人は東日本大震災の際に、多くの人の葬儀に携わった『清月記』という葬儀会社の代表だという。
話をしてくださったのは『清月記』社員で『JETOみやぎ』の運営をしている千葉さんと鈴木さんだ。
「あまりに多くの人が亡くなり火葬が間に合わず、仮埋葬として土葬したご遺体を掘り起し、ご家族に確認していただかなくてはならなかったんです」
千葉さんは、思い起こすようにゆっくり話してくださった。
「その遺体確認に来るのが、まだ幼い子どもさんだったりするんです。おばあちゃんに手を引かれて来たり。親戚の方だったり。普通なら、考えられない光景です。それを目の当たりにして、この子達のために何かできないかと、そんな気持ちから始まったんです」
亡くなった両親の遺体を確認する、幼い子ども達。思いも及ばないことだった。自分の想像力のなさを思い知り、打ちのめされた。
チャリティー・ライブを企画してくれるアーティストや、大学生ボランティアが活躍してくれたサマースクールのことなど、明るく楽しいイベントを企画していることなども、話してくれた。
最後に聞いてみた。こうして訪ねてくる人はいるのかと。
「よく、いらっしゃいますよ」笑顔で、千葉さん。
ああ、みんな、模索しているのだと思った。他にもたくさんの団体が、被災した人のために寄付を募り活動していると思う。たくさんの団体ががんばっていることは悪いことではないが、たくさんすぎて何処に寄付したらいいのか判らず、結局何もできないままだと、胸のなかに漠然とした疑問の切れ端を持っている人も多いんじゃないかな。
行って、話を聞き『JETOみやぎ』と、模索している人達の姿が見えてきたように感じた。
事務局には、パンフレットやピンバッジの他、
活動報告のニュースレターが、並べてありました。
千円以上寄付した人に、配っているというピンバッジ。ちょっと素敵。
「震災孤児支援グッズで、一緒に支援表明をしましょう」
と、パンフレットにあります。意思表示も大切ですよね。
昨日は『語り部タクシー』で、夫とふたり被災地を回りました。
写真は津波に飲まれた荒浜の、お寺があったところです。
流されたお寺の後に、戻してもらったお地蔵さん達や、
亡くなった両親や兄弟のお骨を、ひとりで持ってきた小学生の話など、
偶然来ていた、地元の方にお話を聞くことが出来ました。
此処も津波に飲まれた閖上(ゆりあげ)の戦没者の碑が奉られた高台。
津波の高さは、この高台の遥か上だったそうです。
『東北に水仙を』というプロジェクトがあるのは知っていました。
それを足元で見つけた時の驚き。来年は水仙の球根を送ろうと思います。
閖上中学校の屋上で助かった子ども達と、助からなかった子ども達。
3月11日は、卒業式だったそうです。
時計の時間は、そこでとまっています。桜やモミジも流されたそうです。
ワシントンから贈られた桜の苗が、春だよと、静かに語っていました。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)