はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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小説ドラマ化の恩恵

東野圭吾『新参者』(講談社)ドラマ化では、痛い目にあったわたしだが、小説ドラマ化の恩恵にも預かっている。
アイロンをかけつつ、ビールを空け、何気なくつけたテレビでドラマ『アルバイト探偵(アイ)/100万人の標的』がやっていた。大沢在昌との出会いである。それも、ドラマはもちろん面白かったのだが、わたしが2時間見ていたのは、椎名桔平だった。
「椎名桔平、かっこいい!」
ただただそうつぶやきながら、アイロンもかけずにビールを空け、ぼーっと2時間テレビを見つめていた。そして翌日本屋に走り『アルバイト探偵』シリーズの文庫全6巻を購入した。読んでいる時も、同じくつぶやいていた。
「冴木涼介、かっこいい!」
椎名桔平が演じた私立探偵だ。主人公はその息子、高校生の冴木隆(りゅう)なのだが。隆に言わせると涼介は「ずぼらで頼りがいゼロ、そのうえ女好きという、まったくの不良中年」だが、探偵としては超優秀で、隆は涼介の仕事、探偵をアルバイトで手伝っている訳だ。その不良中年に、すっかり参ってしまった。ページをめくりながらニヤニヤしていた自分が今も目に見える。
いや、もちろんストーリーにもわくわくさせられ通しだったのだが。

隆いわく、涼介の仕事を手伝ってしてきたことは、
爆弾を背中にしょわされる。殺し屋をおびきだす囮になる。
遠い異国のジャングルでワニの餌にされかかる。
完成途中のジェットコースターで拷問にかけられる。
撃たれる。刺される。殴られる、は数えきれない、などなど。

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道ならぬ道を歩く

久しぶりに道ならぬ道を歩いた。ふきのとう採りだ。
と言っても「ショートカットしよう」という夫の言葉のまま、我が家の下の笹が育つ急な傾斜を降りただけだ。
しかし、笹の根に足を取られバランスを崩した。すぐ下には、はば1m程の堰(農業用水)がゆったりと流れている。
「うわぁ!」夫が悲鳴を上げる。
彼の期待には応えず、わたしはバランスを取り戻した。
「だいじょうぶだよ。大げさだな」と、わたし。
「いや。今のは紙一重だった。また骨折すると思った」と、夫。
道ならぬ道を歩くのは、昔取った杵柄で慣れているはずだと思ったが、子どもの頃のようにいくはずもないなと、わたしも肩をすくめた。

東京でも、森や畑が広がる板橋で生まれ育ったわたしは、子どもの頃は男の子と遊ぶことが多く、真っ黒になって森を探検したり、基地を作ったり、ドッジボールしたり、外でばかり遊んでいた。その頃、道ならぬ道を歩き探検した森の名前を思い起こし、可笑しくなった。
お化けが出るという「お化け山」鬼ばばが住むという「鬼ばば山」アベックが追いかけてくるという「アベック山」今やアベックなんて言葉自体、死語に近い。だが「カップル山」じゃ感じが出ない。子どもだったわたしがイメージしていたのは、のっぺらぼうの男女が手をつなぎ追いかけてくるシーンだった。「お化け山」のお化けを見ようと、夜子どもだけで出かけて、こっぴどく叱られたこともあったっけ。それにしても何ともストレートなネーミング。誰がつけたんだか、漫画の世界だ。その後「鬼ばば山」には団地が建ち、「アベック山」は木々を倒して明るい公園になった。「お化け山」のその後は知らない。

そんなことを考えつつ、ふきのとうを収穫し、夫に聞いた。
「帰りも、ショートカットする?」答えはもちろんノーだった。
 
太陽を浴びて、気持ちよさそうに花開くふきのとう。

収穫は14個。もちろん、天麩羅にしました。
苦味も程よく、食べ頃でした。

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ベジタリアンも十人十色

「ヴィーガン」という言葉を初めて聞いた。
「オーストラリアで会った人のなかには、ベジタリアンとかヴィーガンだって言う人も多かったけど、サムは違うよ」
4月にステイするオーストラリア男子、サムの話を、上の娘としていた。
「ベジタリアンは、卵とか乳製品とかは食べるけど、ヴィーガンは、バターで焼くのもダメなんだって」
菜食主義にもいろいろあり、ヴィーガンは卵も乳製品も摂取しないらしい。
「ふうん」わたしは、ただ思う。「ふうん」と。
主義という程のものは何も持たず、好きなものを食べてきた。野菜は大好きだし、年齢的にも肉を食べることは少なくなってきた。でも魚は大好き。刺身も、焼き魚も、煮魚も。
「なんか、もったいないよね」と、娘。
「どうせなら、美味しいもの食べて生きていきたいよね」と、わたし。
「それがさ」と娘が言う。「どうして菜食主義? って聞くと、主義って言う程の強いものを持ってるっていうよりは、身体によさそうだからとか、野菜だけにしたら体調がいい気がするとか、曖昧な答えが多かったんだよね」
「うーん。それは確かに、もったいないかも」と、わたし。
でもまあ、信念を持ってそうしてる人も多いんだろう。
金子みすずの詩 『わたしと小鳥と鈴と』じゃないけれど「みんな違って、みんないい」訳だし。もったいないの定義だって、それぞれ違うわけだし。
ふたり肩をすくめ話しつつ、娘もそう受け止めていることがわかる。
小学校卒業時、好きな四字熟語に『十人十色』を選んだ彼女は、オーストラリアで様々な人に出会い、さらに「ひとりひとり違っていいんだ、それが当たり前なんだ」という思いに磨きがかかったようだ。

そんな話をしていたせいだろうか。夕飯は、ヴィーガンよろしく野菜のオリーブオイル焼きになった。
トマトを焼きつつ「あー、水道橋『鳥元』のトマトの肉巻き、食べたいなぁ。もちろん、よく冷えた生ビール共に」と思ったわたしは、到底ヴィーガンどころかベジタリアンにも成りえないが。

最初に、にんにくをカリカリに焼いて、フライパンから取り出します。
にんにくの匂いがついたオリーブオイルで野菜を焼き、塩胡椒。
にんにくを最後に散らすと、その香ばしさが野菜の味を引き立てます。

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加賀恭一郎が好きだった

加賀恭一郎が好きだった。大学生だった加賀も、警視庁捜査一課にいた加賀も、練馬署で働く加賀も、日本橋署にやって来たばかりの加賀も。しかし、それも今や過去形だ。自分でも「好き」と言えるかどうかわからなくなってしまった。すべては『新参者』(講談社)ドラマ化のせいである。

東野圭吾は特に好きな作家だという訳ではないが、読みやすさと面白さに魅かれ読んできた。そして加賀恭一郎に出会った。出会ってすぐに加賀恭一郎シリーズの熱烈なファンとなった。文庫の帯に「彼は解く、事件の裏側を」とあるが、刑事、加賀は犯人逮捕で事件を終わらせない。被害者、加害者、事件にかかわるすべての人のなかで事件が終結するまで真実を追いかけていく。
なかでも一番好きなのは『新参者』日本橋署に着任したばかりの加賀は、ひとり暮らしの女性絞殺事件を追い、人情に篤い日本橋の地を新参者として歩き回る。煎餅屋にも料亭にも瀬戸物屋にも時計屋にも、それぞれが抱えた小さな秘密があり、証言が微妙にずれていく。加賀は殺人事件を追いながらも、それぞれの小さな事件をも、見過ごすことなく解決に導いていった。連作短編のような趣もあり、その店や家族や人とのつながりなどを一話ごとに楽しめる。ラストはしびれた。わたしの読書体験のなかでも久々の大ヒットだった。

だからドラマ化すると聞き、不安になった。誰でもそうだと思うが、好きな物語だからこそイメージを壊してほしくはない。だが、ドラマ『新参者』は、なかなかの出来で、ストーリーは知っていても日本橋の風景や、映像化ならではのセリフ回しや表情など、役者も揃っていて楽しめた。最終回を観終わって、やれよかったと安堵した。しかしそれで終わりではなかった。
次の巻『麒麟の翼』(講談社)が、発売された。喜び勇んで新刊を購入したわたしは、ページを開いて愕然とする。これまで漠然と思い描いていた加賀恭一郎の顔が、きっぱりと俳優、阿部寛のものになっていたのだ。読み終えてからも釈然としなかった。阿部寛は嫌いじゃない。コメディもシリアスも演じられるマルチな役者だと買ってもいる。
「でもでも。わたしの加賀恭一郎は、阿部寛じゃないのに!」
映像化のイメージの強さに負けた。完全なる敗北である。

今のところシリーズは全9巻。左から発売順に並んでいます。
『赤い指』(講談社)からは、新刊リアルタイムで読みました。

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来た道なんて時々確認するくらいがちょうどいい

伊坂の新刊を読んだ。『残り全部バケーション』(集英社)
ちょっと、いやだいぶ遅いんじゃないかって? はい。サボってました。伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間は、今月発売されたばかりの新刊『ガソリン生活』(朝日新聞出版)も、とうに読み終えています。
「残り全部、どうだった?」と聞いても「そんな大昔に読んだ本、忘れちゃったなぁ」と冷たい返事。これだって12月に出たばかりなのに。
「でも、よかった。久々の伊坂、よかった」
キラキラ目で語るわたしに、仲間は呆れ顔で微笑んでいる。

5つの短編から成る連作短編集で、主役は、裏稼業コンビ、溝口と岡田。裏稼業とは? 彼らの場合、主に当たり屋。依頼を受け、ターゲットの車に後ろから追突させ、依頼主に渡す。他にもいろいろやってるようではあるけれど。
話はリーダーの溝口に岡田が裏稼業を辞めたいと言い出したことから始まる。
「相手がつらそうにしてるのを見るのって、あんまり楽しくないんですよ」
溝口は岡田に条件を出す。適当な番号にメールして、その相手と友達になれたら辞めさせてやると。そのメールを受けたのは、離婚するふたりとその娘が、3人離れ離れになる最後の話をしている時だった。自棄なのかどうでもいいのか「いいんじゃないの」と母親。岡田は、険悪な雰囲気の家族3人とドライブし、最後の晩餐を共にすることになった。

岡田は、妻に未練を残した夫に言う。
「過去のことばっかり見てると、意味ないですよ。車だって、ずっとバックミラー見てたら危ないじゃないですか。来た道なんて時々確認するくらいがちょうどいいですよ」
岡田と別れた後、妻は娘に言う。
「さっき岡田さんが言ってた言葉よかったよね。レバーをドライブに入れておけば勝手に前に進むって。気負わなくたって自然と前には進んでいくんだよ」
これが1話目。でも最後まで読まないと、この本の魅力はわからない。

最後の晩餐、何を食べたいですか? やっぱチキンにビールかな。

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世界ビール紀行

夫が5日間のベトナム出張から帰ってきた。
「お土産」と手渡してくれたのは、これからの季節にぴったりの薄手のショールだ。娘達の分と3枚ある中で、わたしは一番明るいオレンジ色を選んだ。アジアの布が好きなわたしは、さっそく巻いてみる。嬉しい。

そして、翌日ゆっくりと写真を見せてもらった。パソコンでスライドショーで見られるので、気軽だし便利。お世話になった方や、向こうにたまたま来ていた知り合いと会ったこと、数々の出会いなど、写真で顔や料理や街の様子などを見ながらだと聞いていても倍楽しい。
「ビールはね、サイゴンビールと333(バーバーバー)を飲んだよ」
聞くまでもなく、夫は報告してくれた。
「美味しかった?」「美味かったよ。ベトナムでは氷を入れて出すのが通常らしいんだけど、水が合わないかもしれないからって、氷抜きで頼んでくれた」
ビールひとつにも、ベトナムを案内してもらった方の気遣いを感じたそうだ。
「いいなー。飲みたいなぁ」羨ましがるわたし。
「今度一緒に行こうね」と、夫。

ネットで検索すると、ベトナムの代表的なビールは6種類。
夫が飲んだのは、彼が行ったホーチミンのビール。首都ハノイのハノイビールや、中部フェやダナンのビールもある。うーん、美味しそう。
写真で見た、いく種類ものフォーにも魅かれたし、ビール飲みに行くか。ベトナム。家族や友人の「世界ビール紀行」を聞く度に、思うわたしなのだ。

ショールは中央が紫色だというところにも魅かれました。
地図マニアの夫は、自分用の地図も忘れていませんでした。
グリーンのチューブはハンドクリーム。何とも言えない異国の香り。
「上の娘にあげる?」と、夫。「あげない」と、わたし。

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小さな一歩

ずっと考えつつ、何もしなかった。
東北の人達のために、わたしが今出来ること。
2年前の震災直後には、何度か赤十字に募金した。しかしそれがどのように使われているのか不透明で、もどかしい気持ちもあった。直接誰かに託して、というほど親しい人がいるわけでもなく、何となく何もせず2年経ってしまった。同じように感じている人も多いのだろう。ヤフートップで「ピンポイント募金案内」という項目を見つけた。此処と思ったところに、直接募金しようという趣旨で、たくさんの支援活動が紹介されていた。その中で目にとまったのは「あしなが育英会」の活動だった。震災で親を亡くした子ども達の生活する施設を建設しようという取り組みだ。

東京に住む父は4月で84歳になるが、母と共に元気に暮らしている。父は80歳まで個人タクシーのドライバーを続けた。その退職の時、組合で積み立てた多くはない退職金の中から10万円募金したのが「あしなが育英会」だった。交通事故で親を亡くした子ども達のためにと、80歳まで安全運転でプロのドライバーを続けた父は、父なりに考えるところがあったのだろう。
「短足のわたしですが足長おじさんになった気持ちで、これからの日本を背負う孫達に役立ててもらえれば」と、東京交通新聞の取材にコメントしている。

それを思い起こし、こういうのは何かの縁なのだと、わたしも自分が働いたお金の中から身の程に合った額を「あしなが育英会」に募金することにした。震災で親を亡くした子ども達が生活していく場所を作るという、目に見えることに使われるお金だ。それを話すと夫も一緒に募金しようということになった。わたし達の小さな一歩。
 
上の娘が小学校4年生の時に作った作品です。

誰かが何処かで、少しでも明るい気持ちになれますように。

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春の訪れを感じて

「きのう、飛んでたね」と末娘。「うん。飛んだ!」と、わたし。
「急にあったかくなったからね」「春を感じるね」
「きょうも飛んでるよ」「うれしいねー」
暖かな日差しのリビングでの会話、春の訪れを喜ぶ3月に相応しいものだ。
「しかし、情緒のない春の感じ方だよね」と末娘。「全く」とわたし。
何しろ「飛んだ」のは「無線ラン」なのだから。我が家の無線ランは寒いと冬眠し、冬の間は有線が活躍する。
何度目かの春一番が吹き荒れ、わたしがタートルネックを脱ぎ、初めて丸一日薪ストーブに火を入れず、庭の雪柳の蕾がはち切れんばかりに膨らみ、それとほぼ同時期に毎年、無線ランが飛ぶ。我が家の春は、無線ランの冬眠からの目覚めと共に訪れるのだ。

友人からもらったレモンバームも暖かなリビングで育ってきた。そろそろ植え替え時期だろうか。いや、まだもう少し。外の風はまだ冷たくなる日もある。レモンバームに水をあげ、末娘と、彼女が引っ越す日取りなどを相談した。

ときどき葉を千切っては匂いを吸い込み、楽しんでいます。
「悲しみを追い出すハーブ」 効用のほどは如何に。

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新しい街のこだわりに触れて

何でもないことに、やたら笑える時がある。
娘が入学する埼玉の大学に行き、ふたり、ごみ箱を見て笑った。
「燃やすごみだって!」「燃やせないごみもある!」
山梨では、「燃やすごみ」は「燃えるごみ」「燃やせないごみ」は「燃えないごみ」だ。
「何か笑える」「可笑しい!」
変に盛り上がり、それぞれケータイで写真を撮り、また笑った。
わたしがこれまでに住んだところ、東京や川崎でも、燃やすごみではなく燃えるごみだった。だからそれが普通だったのだが、よくよく考えると、燃やすごみの方が正しい気もしてくる。
「燃えるごみって言ったって、ごみが自然発火したら問題だよね。人が燃やすから燃えるわけでさ」
埼玉って、そういうことにもこだわっていく街なのかも。などと考えた。
娘がこれから住む町の、小さなこだわりに触れ、彼女の世界が広がっていくような気持になった。
「彼女の世界は、未知数に広がっていくんです」
大学のごみ箱が、わたしにそっと耳打ちし、教えてくれた。

埼玉県全体が、こういう表示をしているのでしょうか?
他の県、市でもあるのかな? 

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ブラウンマッシュルームの中の宇宙

祝杯をあげた。娘の進学する大学が決まり、部屋探しに出かけた先に、友人が駆けつけてくれたのだ。
娘が新しく生活する地は、埼玉だ。同じ埼玉に住む友人に報告すると、すぐに浦和の南フランス料理店を予約してくれた。とても嬉しい。
難航した部屋探しも何とか終結。娘が納得する部屋を契約できた。肩の荷もすっかり下りて、いい夜になった。
「おめでとう!」と、友人。「ありがとう!」と、わたし。
シンプルだけど、最高に素敵な乾杯。野菜中心で素材重視の美味しい料理に、ハートランドビール。幸せ感じる。こんな風に幸せを感じる時に思い出すのは、伊坂幸太郎の『モダンタイムス』(講談社文庫)に出て来たセリフだ。
「人間は、大きな目的のために生きてるんじゃない」
「もっと小さな目的のために生きてる」主人公、渡辺のセリフ。
このセリフが、大好きだ。人はもっと小さなことのために生きている。たとえば、朝家族とおはようの挨拶を交わしたり、誰かのために料理したり、ぼんやりひとり夕焼けに見とれたり。小さなことだけれど、大切な時間。
そして『ライムライト』のチャップリンのセリフも、続いて引用されていた。
「宇宙の力を考えろ。宇宙の力で地球は動き、樹木は育つ」
チャップリンはこう続ける。「その宇宙の力は、君の中にもある」

友人とふたり楽しくしゃべって過ごした時間は、小さな時間だったかもしれない。だが、娘のことを祝ってくれた友人の気持ちは、わたしの中では宇宙ほど大きくもある。そしてその小さなこと、一つ一つが、わたしの宇宙を広げていくんだなと実感した。人はこういう小さな時間のために生きているんだと、ブラウンマッシュルームを頬張り、しみじみと考えた。
もうすぐに巣立っていく娘のことを淋しくも感じつつ。

静岡産のブラウンマッシュルーム1個を網焼きにし、赤ワインのソースで。
ソフトボール大の巨大マッシュルームは、焼き立てで香ばしく、
ソースもパンにつけてお皿がきれいになるまでいただきました。
マッシュルームの中に、宇宙、感じたなぁ。

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記憶改ざんの不思議

記憶というのは不思議なものだ。
幼い頃の記憶が、確かに覚えているものなのか、写真を見たり親兄弟の話を聞いたりして作られた記憶なのか、わからないということは、誰にでもあることだと思う。それはしかし、大人になってもあることなのだろうか。
オーストラリアから娘が帰ってきて、ようやく家族4人が揃いすき焼きをした。すき焼きの時まず話題に上がるのは、前回いつすき焼きをしたかということである。
「イザベルが帰る時に、すき焼きしたよね」と、上の娘。
昨年2月に2週間ステイして行ったパリジェンヌ、イザベル。
「うん。それからしたっけ?」と、わたし。
「した気がする」と、末娘。「したね」と、夫。
しかし、誰もそれがいつなのか、誰を招いてすき焼きをしたのかなど、思い出せぬままだった。
「ん?」と、夫が疑問の声を上げた。
「お母さん、イザベルとのすき焼き、いなかったよね?」
「おー、確かにいなかった」
そうなのだ。わたしはその夜、骨折手術で入院していて、イザベルすき焼きさよならパーティに参加できなかったのだ。折しもわたしの誕生日の夜だった。
しかし1年が過ぎ、わたしの記憶は改ざんされていた。去年の誕生日、イザベルとの別れを惜しんですき焼きをしたシーンが、ありありと思いだせる。あとからいろいろ聞き、イザベルはこう言ったとか、こういう表情をしたとか、そのすべてがわたしの記憶となったのだ。事実だけが本当じゃなくてもいいんじゃないか。イザベルとのすき焼きの記憶はわたしに問いかける。笑顔のイザベルの記憶と共に。

神戸出身の夫が味付けするすき焼きは、割りしたは使いません。
肉をじゅうっと焼き、砂糖や醤油を回しかけます。
ダイナミックさが命のすき焼き。焼きって言うくらいだから焼かなくちゃね。

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人見知りしますか?

初対面の人と屈託なく話ができる人を見ると、すごいなぁといつも思う。
子どもの頃から人見知りだった。記憶の中でも印象的なのが、小学校2、3年の頃のことだ。大学生の従兄が友人を連れ、夕食を食べに来た。従兄のことは、好きだった。来るたびに面白い話を聞かせてくれたり、トランプやゲームを教えてくれたりして、楽しい遊び相手だったのだ。彼が来ると嬉しくて浮き浮きしたのだが、その日はいつも通りにはいかなかった。知らない人を連れて来たからだ。黒縁の眼鏡をかけた如何にも真面目そうな男の人だったと記憶している。母が夕食を作る間、居心地が悪くて家を出た。すぐ近くの公園でブランコに乗っていると日が暮れた。
「つまんないなぁ」
つぶやいた時に、従兄が迎えに来た。バツが悪くて家に帰りたくなかったのだが帰る場所は他にはない。結局、その夜も従兄が連れてきた友人も交えて楽しく過ごした。真面目そうに見えた黒縁くんも、よく笑いよく飲む普通の大学生だった。何処から打ち解けたのかは思い出せないが、わたしもよく笑う普通の小学生の女の子に戻っていた。人見知りとはこういうものだという、わたしのなかでは代表的なエピソードだ。

夫は、びっきーの散歩中に木を切っている人に出会い、話が合ったらしく、木1本分の薪をもらってきた。彼は本当にすごい。すごいなぁと、いつも思う。

娘と買い物に行っている間に、
薪はチェーンソーで切って、きれいに積んでありました。
切りたての木が見た目より重いことは、娘もわたしも知っています。
彼は本当にすごいよなぁ。

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小説「カフェ・ド・C」 26. 何処までも広がる波紋

珈琲屋のカウンターに居ると、初対面のお客様から、個人的で深刻な話を突然聞かされる場合がある。知らない人だからこそ、ちょっとした愚痴を装い、しかし本当は切羽詰ったどうしようもない悩み事を誰かに聞いてもらいたくて、口にするということもあるのだ。
「死んじゃいたいなぁって思ったことありますか?」
突然切り出したのは、まだ若い女の子だった。二十代前半という雰囲気だ。
「うーん、そうですねぇ。うん。あるなぁ。中学の時にね」
こういう時に心がけているのは、誠実に相手の話を聞き、こちらも嘘偽りなく話をすることだ。
「2年の冬、急に背が伸びたんだ」「それで、死にたいなぁって?」
「いやいや。体操着の袖がつんつるてんになっちゃって、ジャージの裾も。それがかっこ悪くて。新しい体操着を買ってほしいって親に言ったんだけど、春に3年の子にお下がりをもらう約束だからって、買ってくれなかったんだ」
彼女は、ようやくカプチーノに口をつけた。
「それが体育委員だったもんだから、全校生徒の前でラジオ体操の見本やらされることになっちゃって」
「それで、どうしたんですか?」「どうしたと思う?」
「休んじゃったとか?」「いや。脱いだんだ」「脱いだ?」
「上着もジャージも脱いで、半袖半ズボンで体操した。折しも雪が舞う最低気温を記録した日だったよ」
「寒そう!」「もうね、寒いとか感じないんだよ。でも今考えると、それはそれで、かっこ悪いのに変わりはなかったよなぁって思うんだよね」
彼女は、ようやく笑顔を見せた。
「かっこ、優先なんですね」「あの頃はね。そんなことで何もかもから逃げたいって思うなんて、今じゃ考えられないけど」
カプチーノを飲み干して、彼女は話し始めた。勤め始めてもうすぐ1年になる会社で、役に立たない、ダメな奴だと言われ続けていること。家族に話すと、いい加減に慣れてもいい頃なのにと返って叱られること。友人達は、就職難に就職できただけでラッキーなんだから辞めるなと言うばかりだということ。
「それは、つらいね」
僕はそれ以上は何も言えず、あとはただ聞いていた。気持ちが八方ふさがりになっているんだなと思いつつ。
「わたしも、脱ごうかな」
会計の時に、彼女はちょっと笑って言った。

それからしばらくして、駅前のコンビニでバイトする彼女を見かけた。
「会社の制服……、脱いだんだ」
もしかしたら僕は、彼女の未来が広がる湖に、石を投げてしまったかもしれない。波紋は何処までも広がっていくかもしれない。その責任を取れるほど、僕は大きくはない。だが、自分に正直に話をすることが、今彼女のために自分ができる唯一のことだったと思いたいし、今も思っている。

カプチーノはソーサー付きで、シナモンスティックをつけて出しています。
温まりたい人がオーダーすることが多いようですね。

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新芽の柔らかさに春を味わう

新芽は柔らかい。庭のイタリアンパセリやアップルミント、山椒の葉先を千切って料理に使うと、売っている物などとは違い、柔らかさと癖のなさに驚く。
そんな春の楽しみはまだ遠いが、家の中で育てた豆苗の新芽に、春を感じた。

豆苗は、えんどう豆の若菜だそうだ。最近スーパーでよく見かけるとは思っていたが、じつは食べたことがなかった。しかし夫から意外な情報を得た。我が町、明野町が、豆苗の生産日本一だというのだ。
「朝のニュースで見て、びっくりしたよ。明野で作ってるなんて。中華料理屋ではよく食べるんだ、豆苗のにんにく炒め」
さっそくふたり、町内の野菜直販所に行ってみたが、豆苗はなかった。流通経路が別の場所にあるのだろう。町内産の野菜だって、町内で買えないことも多いのだ。夫がテレビで見たという、いく枚もの太陽光パネルを乗せた豆苗工場は、直販所の通りから見えるところにあるというのに。残念ながら、スーパーにも明野産のものはなく、同じ山梨だが甲府の豆苗を買って帰った。
「簡単で美味しいね、にんにく炒め」と、わたし。
「ビタミン・ミネラル豊富なんだって」と、夫。
「水栽培でもう一回食べられるって、袋にかいてある」「やってみようか」
それから2週間。水だけ切らさぬようにし、陽のあたる居間にただ置いておいた。本当ならもう少し育ってから、今一度にんにく炒めにしてもよかったのだが、変なところでせっかちなわたしは、新芽を味噌汁に入れた。そのせっかちが功を奏し、新芽の柔らかさに春を味わうことができた。買ってくるだけでは味わえない新芽の味噌汁。その味噌汁食べたさに豆苗のにんにく炒めを作り、ふたたび水栽培をしようかと、春を味わいつつ本気で考えた。
2月18日
2月26日
3月4日
油揚げと豆苗のみのシンプルな味噌汁にしました。

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スキップ・びっきー

びっきーは、すねていた。オーストラリアから娘が帰ってきた時にだ。
「僕を放って、何処に行ってたんですか!?」
1年ぶりに会ったびっきーに言われたと、彼女はfacebookにかいていた。
びっきーは、千切れんばかりに尻尾を振って彼女を迎えた訳ではなかった。
「もう帰ってこないと、思ったじゃないですか」
びっきーは、そっぽを向いていた。ちょっとくらい怒ったって当然ですよと、むくれていた。

しかしそんな態度とは裏腹に彼は散歩の時、スキップするようになった。
「ラン・ラララ・ラン・ラララ。春だなぁ」
びっきーの尻尾から、聞こえてきた。そして、穏やかに2週間が過ぎた。

昨日、早朝。娘はふたたび旅立った。
「春休みだし、中学の仲良し4人組で韓国に行ってくるね」
びっきーには、ことわりを入れて行ったのだろうか。全く。

嬉しい気持ちを素直に表せなかったのは、初めてです。
人の(犬の)気持ちは、こんな風にもねじくれるものなんですね。
どんな時であれ、気持ちをもてあそぶのはよくないと思いますよ、お父さん。
待ての後「よし、こさん」とか「吉、永小百合」とか言ったり。人として。

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新米魔女に似合いの帽子

出会ってしまった。一目惚れだ。勘違いかも知れないと自分を疑ってもみた。考えに考えあぐねた。しかし自分の気持ちに間違いはないと、すでに知っていた。一目惚れしたのは、アジアン雑貨の出店で見つけた帽子だ。
タイで仕入れたという布を中心に置いた、その出店には、帽子の他にも、ショールやブラウスやロングスカートなどもあった。色鮮やかな緑やオレンジ、シンプルな藍染めや生成りなど様々な色の布があった。すべすべした手触りのタイシルクもあれば、ごつごつした綿100%のものもあった。
「布が好きで」店主は、笑って言った。
如何にも、その通りなんだろう。アジアで仕入れた布で、日本人のデザイナーや作家に作ってもらっていると、ゆったりとした口調で話してくれた。
3度、帽子をかぶり、店を離れた。旅先でのこと。このまま帰れば、二度と会うことはないとわかっている。
1時間珈琲を飲み、考えた。そして戻った。もう迷いはなかった。
赤と黒のツートンの帽子には、孔雀の羽根をデザインした刺繍が手縫いで施してあった。孔雀と言えば緑やブルーの目を引く色合いをイメージするが、全く違う。黒地に赤の糸、そして小さなビーズ。赤の布地には黒が織り込まれていて、赤、黒のバランスのよさに魅かれた。
頭に帽子をのせた自分は、何処か魔女のように見えた。アジアの布と帽子作家と店主に魔法をかけられた、新米の魔女。
「魔女にしては、まだまだ若輩者だな」どんな魔法を使おうか。迷うなぁ。

いろいろ試してみましたが、気になったのは一つだけ。出会いなのかな。

孔雀の羽根も、今やネットで購入できるんですね。それってちょっと淋しい。
末娘が小学生の頃、拾った野鳥の羽根を集めて、
手作りの羽根図鑑を作っていたのを思い出しました。

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100通りの味噌汁

雨が窓を叩く音で目覚めた。ふと、朝なのか夜なのかわからなくなる。
しかしすぐに「卒業式の後、帰ってきて眠っちゃったんだ」と気づく。
娘の高校の卒業式。式の間は晴れ間も見えたが、午後から降り出したようだ。
「よかった」ベッドの上で、ようやく大きく安堵のため息をついた。彼女の3年間の高校生活が楽しい毎日であったことに。

卒業式でいつも思うことは、どの親にだって、自分の子が特別なのだということだ。代表で卒業証書を受け取ることはなくとも、特別に何かで表彰されることはなくとも、わたしと夫には彼女が何しろ一番であり、自慢の娘である。多分どのお父さんもお母さんも、そう思って座っているのだろう。
卒業生ひとりひとりに、家庭があるんだよなと、考える。
それぞれに、家族の会話があり、温かい食事があり、笑ったり喧嘩したりする場所がある。100の家族があれば、100通りの味噌汁の味があり、それはどこのが美味いとかいう意味を超え、違って然るべきものだ。
家庭って、不思議だな。ごく普通の家庭だと思える我が家だって、多分他の家から見たら、いろいろ違っているんだろう。実際、ごく普通の家庭なんて存在しないのかも。

ふらふらとベッドから起き上がると、夫が呆れた声を出した。
「よく寝たねー」
時計を見ると、もう夕方。ベッドに入ってから3時間経っていた。

娘が通った高校の正門を入ると、像が立っている。
プラトン、ソクラテス、アリストテレス。

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刺し身の盛り付けに思う

久しぶりに、夫と日本酒を飲みに行った。
と言っても、わたしはビール党なので生ビールに、彼の飲む日本酒をひと口ふた口分けてもらう程度だ。日本酒の種類も豊富な新宿のその店は、魚が美味いからと夫が予約してくれた。カウンター席だったが、ちっとも狭苦しくなく落ち着いていて、スローペースで出してくれる料理に舌鼓を打ち、のんびりと飲み、しゃべった。
魚は本当に美味かった。そしてまた、下ろしたわさびが山盛りにのっているのも嬉しかった。外食すると自分で作るのとは違い、いつも発見がある。料理法や味だけではなく、皿の大きさや色、盛り付けの配置や量。料理を出すタイミングなど、ひとつひとつに驚きがあったりする。
黒い四角い皿にゆったりと盛られたカンパチと赤貝、そして外を向けて置かれた山型のわさび。その一品だけとっても、気持ちが解放されていくのがわかった。本当にのんびりとした気分で酒が飲めた。
料理は、気遣いひとつで変わっていく。わかっているつもりだったが、忘れていた。忘れていたことを気持ちよく思い出し、スズの酒燗器でゆっくりつけた熱燗をさらに美味しく飲んだ。

手前の一品は、クリームチーズに鰹の酒盗をのせたもの。絶品でした。
「これ、家でも作れそうだね」と夫。「美味しい酒盗があればね」とわたし。

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ピンクのトイレ

我が家のトイレは、信じられないことにピンク色だ。もちろんトイレ全体ではない。洋式のウォシュレット付きのイナックスの便器のことだ。これがトイレ全体ならば覚悟も決めよう。しかしクールなみずがめ座であるはずのわたしに、これは受け入れ難かった。家を建てたばかりの頃、トイレに入る度に落ち込んだ。「何故に、ピンク色に」と。

設計段階では、夫婦でイナックスのショールームに足を運び、設計士さんと共に型番まで決めたトイレはシックな空色だった。2つあるトイレの片方は、今でも型番通りのシックな空色だ。引っ越しの日に玄関のドアが付いていなかったのにも驚いたが、ピンクのトイレは衝撃的だった。ドアはこれから付く。しかし、トイレの色は変わりようがないのだ。
「どうしてまた、ピンクに?」驚くわたしに、設計士さんは答えた。
「大人のスペースは空色で、子ども達のスペースはピンクでしたよね?」
そうなのだ。設計士さんはイメージカラーを自分で考え、相談して決めたと思い込んでしまったのだ。そして2階にある子ども部屋から階段を下りた場所にあるトイレは、子どもスペースだからピンクにと。
こだわりが強く、一つ一つに意味を考え、設計をする人だった。こだわり過ぎ、意味を考えすぎた結果の一つがピンクのトイレなのだった。
一昨年、その設計士さんも亡くなった。我が家を建てた時にも十分お歳で、最後の作品になったと、のちに聞くことになった。

ピンクのトイレと共に、様々のものをいただいた。建てる前に此処の土を掘り、その土をこねて焼いたというぐい飲みも、その一つだ。わたし達に合った家をと設計してくれたことに、とても感謝している。今ではすっかり馴染んだトイレのピンク色を見て、ただ思う。情熱を傾けるということを体当たりで見せてくれた、人間らしい設計士さんだったなぁと。

ごつごつとして頑固そうな表情のぐい飲みは、設計士さんを思わせます。
頑固親父としても、設計と同じくらいにプロだったかも。

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誰とでもフィフティフィフティで

娘と旅行するのはいい。1泊のみ、それも受験のための旅だったが、おたがい無駄に気を使わないだけではなく、気づかいするツボを1ミリも外すことなく心得ている。一緒にいて心地よく、多少のトラブルがあっても、自然といちばんいい選択肢をアイコンタクトのみで分かり合えたりする。
「穏やかな旅だったね」「人の多さには閉口したけどね」
新宿で日曜のランチタイムに食事をするのは、山梨に慣れてしまったわたし達には難しかった。お腹は減っても目的地まで行くべしと、ふたり顔を見合わせ改札を目指した。一つしか席が空いてなければわたしが座り、荷物を持つ。娘は英単語帳をずっと開いていたが、わたしは鞄に入れた文庫本を読む気にはなれず、ただ重たい思いだけをしていた。しかしその文庫の重ささえもが、必要不可欠だった。その重さがなければ、しっかり立っていられなかっただろうと言い切れるような強風が吹いていたのだ。文庫の重さも含め、無駄なことは何ひとつなかった。

夫と旅行するのも、もちろん楽しい。だが母娘ならではの解放感を味わい、新たな発見をした気分になった。旅に発見は付き物だ。娘との距離を、近くもあり遠くもある距離を嬉しく感じ、彼女が思っているより大人になっていることを強く感じた。
フィフティフィフティ。そんな言葉を思い浮かべた。誰とでも、根っこの根っこのところではフィフティフィフティでありたい。そんなわたしを、彼女の中に見た気がした。そこに限りなく近い場所に、わたし達はいつの間にか来てしまったのだとしみじみ考えた。ひとりよがりかもしれないが、それってものすごく、いい関係になったってことなんじゃないだろうか。

娘のブラウスにアイロンをかけるのも、あと少し。結果はまだわからないが、彼女は大学受験を終え、高校を卒業する。

旅の発見その2 
電気ケトルは、沸騰するまでの時間がびっくりするほど短い!

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足りないものは

「ゆっくり休んでね」とは、よく聞くフレーズだ。
何か大きな仕事を終えた時、風邪で熱を出した時、溜まっている有給休暇を取って海外旅行に出かける時、または夫が出張に出た主婦などに向けられる。
言葉をかける方は「いいね。うらやましいな」とか「休むべき時が来たね、お疲れさま」というニュアンスをにじませつつ、実際にはさしてうらやむこともなく、何も考えず口にする。
それが「百年くらい休んでね」となると「もうきみとは会いたくもなし」ときっぱり意思を持った発言となる。だが「ゆっくり休んでね」と言われると「ゆっくり休めていーね。全くほんとにどーでもいーね」と言われているような気持ちになる。ひねくれて「眠り姫の如く百年眠ったところで、もうその先の未来はないのに」と思ったりする。

わたし、疲れている。ふいに気づく。数字の1のように真っ直ぐだったはずの心が、数字の2になってしまっている。またはメビウスの輪のようにねじくれて、収集が着かなくなっている。
「オオサワアリマサが、足りない」
口を突いて出る。と同時に、泣きそうにもなる。弱音を吐く。
「オオサワアリマサがないと、もうだめだ」
気がつくと、本屋で大沢在昌の新刊『冬芽の人』(新潮社)を買っていた。何も考えずに読み始めた。大沢在昌のハードボイルドは、数字の1だ。人として忘れてはならないものが、真っ直ぐに通っている。読み終わった頃には思えるようになってるかな。「ゆっくり休んでね」って思いやりの言葉だよね、と。

気づいたら、ペパーミント&ローズヒップのハンドクリームと、
メープルのハンド指圧ボールも買っていました。癒し、求めてるのかな。

装丁が素敵。
ピンクのラインが入った薄いカバーの中には、空に大きく伸びた冬枯れの木が、透けて見えます。ストーリーと関係あるのかな。楽しみ!

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ハングリーロードムービー

「ここにする?」「いや、もうちょっと先まで行ってみよう」
何度こんな会話を繰り返したことか。
川崎にいた頃は、母に娘をみてもらって、週一くらいで夫と車で会社に出勤した。その帰り道のいつもの会話だ。遅くまで仕事をし、帰りに何か食べようと車に乗る。しかし、なかなか思うような店に辿り着けない。車だし、ゆったり酒を飲もうという訳でもなく、ただ普通の食事がしたかっただけだ。
「ラーメンは昨日食べたからなぁ」「トンカツは重い」
など選り好みする。その間にも窓の外の景色は、後ろへ後ろへと、秒より素早いスピードで去って行く。時間と共に2度と戻らぬものとなる。
「ファミレスは、勘弁だな」「この店、如何にもまずそう」
など、性懲りもなく選り好みする。そのうちに、ふたりとも口数が少なくなる。空腹が頂点に近づいていく。
「ハマったな」と、夫。「いつものパターンだ」と、わたし。
そして、走り出した時には絶対に入らなかったような店で、伸びたラーメンなどをすすり、ふたりさらに無言になるのだ。

山梨に越してきてからも、このパターンに陥ることが、ままある。先週も美味しいと聞いた店にナビに誘導してもらって行ったが、タッチの差でランチタイムは終わっていた。そして、学習せずにハングリーロードを選り好みしつつ飛ばし、結局スーパーで夕飯の買い物と一緒に稲荷寿司を買い、ふたりぼそぼそと口数も少なく車で食べた。
しかし今週のわたし達は、一味違った。甲府に所用で出かけ、用事が済むともう3時。夫は頭の中を素早く検索し「来来亭(らいらいてい)に行こう」と、力強く言った。一番近くて美味いラーメン屋だ。
「おー、営業中!」「やった! ランチタイムなし」
ラーメン屋に、ランチタイムは在ってはいけないと思う。個人的意見として。
わたし達のハングリーロードムービーも、そろそろクライマックスなのかな?いやいや。まだまだ2度3度、どんでん返しがありそうだ。

来来亭のラーメンは、麺の硬さ、醤油の濃さ、背脂抜き・多め、唐辛子抜き、
葱抜き・多め、チャーシュー脂身・赤身など、細かく指定できます。
「あー、あー、あー、葱トッピングしようかな?」迷う優柔不断なわたし。
「葱多めにしただろ!」夫に一喝され思い留まりましたが、充分多めでした。

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ミート・ミート・ミートソース

料理を始めたばかり頃は、やたら手作りにこだわっていた。
基本に忠実に野菜の下ごしらえをしたり、時間をかけて煮込んだり。手間と時間をかけることと、心を込めて料理することを取り違えていた節がある。
料理に対する憧れもあった。モンゴメリの『赤毛のアン』を繰り返し読んだ高校の頃、マリラやアンのように、電子レンジもクック・ドゥもない場所で作る、大鍋で何時間も煮込んだシチューや、薪をくべるオーブンで焼いたパイなどに憧れていたのだ。
だからミートソースを作るんなら、自分の手で1から作りたい、生のトマトの皮をむくところからと試行錯誤を重ねた。しかし、今のようにネットでレシピが氾濫している訳もなく、試行錯誤の甲斐なく上手くいった試しがなかった。

今では、心は込めても、手間と時間は惜しみたい主婦である。
ミートソースにはカットトマトの缶を使う。玉ねぎのみじん切りも粗めに刻む。炒めるのもサッと。サボっている訳ではない。玉ねぎの食感が残っている方が美味しいからだ。そのうえ覚えやすいよう、すべてを1にした。トマト缶1缶、合挽き肉1パック、にんにく1かけら、玉葱1個、塩小さじ1、コンソメ、オリーブオイル、ケチャップ、すべて1。ほぼ煮込まないから、玉葱を刻むところから30分とかからずできる。それでも家族には、うちのミートソースは美味しいと評判だ。合挽き1パックというところが何とも曖昧で、わたしらしいレシピでもあり、合わせてそれも楽しんでいる。肉率が高いと娘が、
「今日のはミート・ミート・ミートソースだね」と嬉しそうに言ったりする。
1から作ることはあきらめたが、すべてを1にした。これは、あきらめの悪さの現れだろうか。しかし経験値を積んだ今なら、フレッシュトマトのミートソース、美味しく作れるかも。やってみようかな。

ディナーには、前菜の後に、赤ワインと。

残ったものは瓶入りのパスタソースと混ぜて、ランチに登場。
オーストラリアのイタリアンレストランで働いていた娘は、
毎日賄いがパスタとリゾットだったと言い、ひとりうどんを茹でていました。

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あなたは受け入れすぎるのよ

江國香織『ぼくの小鳥ちゃん』(あかね書房)の一節を、ふいに思い出した。
「一羽の小鳥として、私ががまんならないとおもうあなたの欠点を教えてあげましょうか」
いつだったかそう言われたことがある。昔ここにいた― ある日いきなりやってきてやがていきなりいなくなってしまった― こげ茶色の小鳥ちゃんにだ。
「欠点?」ぼくは訊き返した。夏でぼくたちは窓をあけた部屋のなかにいた。
「あなたはうけいれすぎるのよ」
小鳥ちゃんはぼくの目をみずにそう言った。
「いけないことかな」
「ときどきとても淋しくなるの」
小鳥ちゃんは顔をあげてぼくをみた。切るようにかなしい目をしていた。

「受け入れすぎるのは、いけないことなのかな」
このシーンは、常にわたしに問いかけてきた。在るがままを受け入れてしまいがちな自分に向けて、言われているように思えたからだ。他人の言葉を額面通りに受け取りすぎたり、改善できることに目が向かなかったり、在るがままを受け入れることは、確かにいいことばかりじゃない。そして小鳥ちゃんは、
「自分以外でも受け入れたであろう僕に、淋しさを感じてたのかな」
などと考えつつ、洗濯物をたたんでいたら、オーストラリアから帰って来たばかりの娘の靴下が3本同じものと、片方しかないものがあるのに気付いた。
「これ、3本あるんだけど?」と、わたし。「あー、あるね」と、娘。
「これ、片方しかないんだけど?」「ないねー」
「もしかして、これとこれ、合わせて履いたりしてたの?」
「うん。だって、靴履いちゃえばわかんないじゃん。服とか買うお金があったら旅行とか他のこと、いろいろしたかったし」
絶句した。確かに貧乏旅行だっただろうが、さすがにそれは受け入れられない。いくらわたしでも。呆気に取られ娘を見つめたわたしは、切るように悲しい目をしていた、かも。

拾ったというツナギのジーンズのポケットに入っていた、娘の日本円全財産。
「ポケット大賞おめでとうございます」わたしは言った。
我が家では洗濯物のポケットに入っていたもので『ポケット大賞』が決まる。
「制度が変わり、洗濯物に入っていたものはすべて没収になりました」
しかし、ありえないとの一言で小銭は、娘に奪い取られました。

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それさえ忘れなければ、だいじょうぶ

久々にスピッツの『空も飛べるはず』を聴いたせいか、夢を見た。
ジェットコースターに乗っている。傾斜のない曲がりくねったコースをスロースピードでカタンカタンと進んでいる。ピンクやら黄色やら水色やらパステルカラーのおもちゃのようなコースター。だがまとっているのは緊張感だ。夢に在りがちな直感で、このコースターは危険だ、脱線すると判る。さてどうする。もうスタートしてしまった。そこで気づく。パニックになるから危険なのであって、パニックになりさえしなければだいじょうぶだと。
「だって人は空を飛べるんだもの。それさえ忘れなければ何も問題ないじゃない。とっさに空を飛べることを忘れちゃうなんて、わたしったら」と。
わたしはコースターを離れ、宙に浮いた。ふわふわといつまでも浮いていた。

1年ぶりに帰国して「日本語の歌が聴きたい」という娘のリクエストに応え、前日、運転中スピッツを流していた。しばらくぶりに聴いたスピッツのメロディは、わたしの胸にも泣きたくなるような懐かしさで響いた。
「空を飛べることさえ忘れなければ、だいじょうぶ」
夜中に目覚めてひとり呟き、ストーブに薪を入れ、しばらく火を見ていた。

夜中に目覚めて、ストーブに薪をくべるのは習慣化しています。
だからこそ朝まで温度も下がらず燃え続けてくれます。

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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