はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
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消えた30品目をクスクス笑いつつ

バランスのとれた食事を取るために1日30種類の食材を使った料理を食べるということをずっとやって来た。保育士だった頃、新人研修で勉強した栄養学の中にあったのだ。その頃からだから25年ほどになる。といってもO型的てきとーさで、まあこのくらいだろうとまったく数えない日も多かった。
稼げるのは朝しか作らない味噌汁。今朝は、油揚げ、豆腐、葱、ワカメ、なめこと具だくさんの上に薬味に茗荷を入れた。味噌は山吹味噌。これで7種類。目玉焼きとウインナ、モヤシの油炒め、そしてご飯。塩、胡椒、醤油などの調味料を入れると7種類。お茶は中国の鉄観音茶。これで半分の15種類だ。
 
ところでごく最近、この30種類の食品を数えるという栄養学的習慣は10年以上前になくなっていたことを知った。
理由。数にとらわれすぎて食べ過ぎ、肥満になる人が増えたから。
びっくりした。数にとらわれすぎる人がいることにびっくりしたが、肥満になるほどまじめに取り組んでいる人がいたという事実にも驚かされた。決まりに縛られるあまり、肝心な最初の目的を忘れてしまうことってよくあるけど、忘れすぎだろう。ここまでくると、もう驚きを通り越しその滑稽さについクスクスと笑ってしまう。
 
栄養学的習慣からは1日食品30品目を数えるというススメは消えたが、サラダや味噌汁にいろいろ入れたくなる衝動は、わたしの中にもうすっかり定着している。いろいろ食べるのは楽しいし、いいんじゃない? とわたしは思うんだけど。

朝夕涼しい我が家では、真夏も朝食には味噌汁が欠かせません

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小説「カフェ・ド・C」 9.空想の産物

 妻のお腹にいる赤ん坊は女の子だそうだ。予定日を三日過ぎたが、娘はまだ生まれてこない。
「最初の子は、のんびりしているものよ」
 ムッシュといらしたマダムが、カウンターでアイスコーヒーを召し上がっている。妹のところに去年二人目が生まれたので、彼女の孫は三人目になるが、女の子は初めてだ。それをとても喜んでいる。
「ミサトさんによく似た美人さんになるだろうねぇ」
 ムッシュも顔をほころばせた。
 妻は昼寝をしている。真夏の暑さとお腹の重さに疲れ、夜よく眠れないらしい。仕事をしていた頃は、ベッドに入った途端寝息を立てていた彼女が、だ。
「待ち遠しいですね、新人パパさん」
 妻への陣中見舞いにと、メロンを持って来てくれたユウちゃんとジュンも話に加わる。
「生まれる前から、あまりに美人でモテすぎたら困るとか心配してるんじゃないですか。マスター」
 バイトにもすっかり慣れたジュンが軽口をたたく。
「そんなわけないだろ」
 ジュンをこつんと小突いて、赤ん坊が生まれるってすごいな、とあらためて思う。生まれる前からこんなふうに、みんなを笑顔にしてくれている。
 
 そのとき店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」 振り向きながら声をかけて、僕は息をのんだ。
「こんにちは」 笑顔をこぼし立っていたのは、ピンクのワンピースを着た五歳くらいの女の子だ。それが妻のミサトそっくりなのだ。ありえないけれど、一瞬、娘かと錯覚した。今の今まで生まれてきたらこんな子に育つのかなと空想をふくらませていた映像がそのまま現れたのだ。僕だけじゃなく、ムッシュとマダムも、ユウちゃんとジュンも、言葉を失っていた。
「ちわー」 ほどなく店に入ってきたのは、妻の弟だった。
 二十歳の時にできちゃった結婚し、今は北海道の奥さんの実家で農業をやっている。女の子は姪だった。生まれたときに顔を見て以来だから、会っても分からないはずだ。
「姉ちゃん、そろそろだって聞いたんで、これ」
 彼は大きなメロンを差し出し、ユウちゃんとジュンは肩をすくめる。そこへちょうどやって来た妻が、弟を見るなり言った。
「あんたの顔見たら、急にお腹痛くなってきちゃった」
「ひでえな、それ。そりゃ昔は心配ばっかかけてたけどさ」
 彼のおかげかどうかはわからないが、その夜、妻はぶじ娘を出産した。

珈琲の焙煎も趣味の一つという多趣味で器用なご近所さんから
アイスコーヒー用の豆をいただきました

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扇風機ショック

「扇風機のスイッチを足で入れたことのない人って、存在するのかな?」
そう言いつつ、わたしは扇風機のスイッチを右足の親指で押した。その言葉に娘は、まじめな顔で答えた。
「わたしはやらない」
「でもさ、今までやったことあるでしょ?」
「でももう、やらない」
娘はいつになく、かたくなだ。
「今お母さんがやってるのを見て、美しくないなって思った。だからやらない」
ショックである。
「う、美しくない、ですか」
「はい。美しくないです」
「ですよね」「です」
彼女の美意識は、17年間一緒に暮らしてきたわたしを遥かに飛び越え、もう彼女だけのものになっている。親とはまったく別のひとりの人として成長している。そんなあたりまえのことに気づいた瞬間だった。ほんの小さなことだが素直な気持ちでわたしも見習おう。
 
ぼんやり考えながら、涼しくなってきたなと無意識のうちにふたたび足でスイッチを押し扇風機を止める自分がいた。ショックである。

娘が小学生の頃、家族で旅行した佐渡の無名異焼(むみょういやき)の風鈴
澄んだ音に涼を感じる

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彼とわたしのディスタンス

オーストラリアにいる22歳の娘がメールのたびに聞いてくることがある。
「それで、びっきーは元気?」
彼女の10歳のバースディにプレゼントした愛犬のことだ。
彼はとても元気だ。元気すぎるくらい元気だ。12歳のおじいちゃんとは思えないほどに本当に元気だ。彼女は知っていることだが、おかげでわたしは骨折もしたし、テニス肘にもなり1年間痛みが引かなかった。
間違えてもびっきーのせいで、と言ってはいけない。
「犬のせいではありません。飼い主の不注意です。犬に悪意はありません。しつけが行き届いていないために起こった事故ですから」
と、愛犬家さん達にたしなめられるのがオチだ。
その後も彼の瞬発力はまったく衰えていない。伸縮性のリードに替え、急に引っ張られた場合に備え集中力を欠かないよう気をつけて散歩しているが、擦り傷程度のケガは絶えない。
自然とわたしは彼とは距離を置き、みずがめ座らしいクールさで接することになる。
朝夕散歩し、おすわりをすれば頭を撫で、水を切らさずエサを与え、注射に連れて行き、フィラリアの薬を飲ませているのもわたしだが、彼はその距離を正確に把握し、彼もまた同じだけの距離を置いてわたしに接してくる。
帰宅したときの反応にその差が顕著に出る。夫と上の娘の場合は、犬小屋から出てきて笑顔で尻尾を振る。下の娘の場合は、犬小屋の中で顔だけ上げる。ところがわたしの場合には、微動だにしない。目線を上げることすらしない。
「びっきー。わたしってそんなに冷たくしてる?」
じつは心身ともに傷ついているのは、こちらの方なのだ。
オーストラリアから娘が帰ってきたら、びっきーは大喜びし、ちぎれんばかりに尻尾を振ることだろう。悔しい。

夏毛に生え変わりちょっとスリムになりました

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行く手を阻むずらりと並んだ段ボール箱

やりたくないことを後回しにするのは、誰でも同じかもしれないが、そういうときにはいくつかの段ボール箱を想像することにしている。
行く手を阻むずらりと並んだ段ボール箱。ひとつひとつ片づけていかないと、先へ進むことができない。
「ひとつだけ片づけよう」何も考えずにとりあえずひとつだけ。
たとえばトイレ掃除なら、何も考えずトイレマットを洗濯機に入れて回す。次の作業は気が向けばやればいい。やらなくてもいい。そういう方法だ。
おもしろいことに、ひとつ片づけてしまうと、次のひとつもその次のひとつもするすると片付いてしまうことがよくある。要するに重い腰を上げるまでが億劫なのだ。
韓国の諺に「始まりは半分」というのがあるそうだ。始められればもう半分やりとげたようなものだという意味らしい。始めることってパワーいるんだよな。まあこの諺は、やりたくない掃除を始めるんじゃなくて、何かに挑戦するときに使われるらしいけど。
 
「ワンクウォーター、終わったね」夫がプレシャーをかけてくる。
家計簿を4月から溜めている。
家事の中でも家計簿をつけるのが苦手中の苦手。溜まっていくレシート。でもレシートで部屋いっぱいになることはないだろう。たぶん。
映画でも撮ろうかな。家計簿つけが苦手な主婦のユーモアとペーソス。上野樹里主演の『亀は意外と速く泳ぐ』的なやつ。部屋いっぱいのレシートと、爆発するパソコン。あー、あの映画観たくなった。明日借りて来よう。まあ、家計簿は後回しにして。

トイレ掃除完了 トイレのカレンダーも8月にしました

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ただ茄子が好きだから

茄子が好きだ。
カレー屋さんに行って茄子カレーがあれば迷わずオーダーする。パスタを食べる時にも、中華を食べる時にも、たとえば日本酒が美味しい新潟料理の店に行った時でも、茄子をオーダーしてしまう。イタリア旅行でもメランザーネ(茄子)とメニューにあればとりあえず頼んでみた。
家でよく作るのは、茄子の生姜焼き。焼き茄子のお浸したっぷり鰹節かけゆずポン味。茄子のにんにくオリーブオイル焼き。素揚げの茄子を薄めのだしつゆに浸けたもの。シンプルに茄子を味わえるものばかりだ。あ、ラタトウィユとかも美味しいな。
どうしてこんなに好きなのかと考えるには、どうでもよく、だって美味しいんだもん。ビールとぴったり来るんだもん。くらいの理由しか思いつかない。
 
むかし好きだった子が茄子が嫌いで、茄子を食べるたびに彼をほんのすこーしだけ思い出す。
義母が焼き茄子が好きで、焼き茄子の焼き方は彼女に教わった。熱々の焼き茄子の皮をむくたびに神戸にいる義母を思い浮かべる。
ラタトウィユは、友人宅で初めて食べ虜になってよく作った。ラタトウィユの大きめの茄子を頬張り、やはりしばらく会ってない彼女を思い出す。
茄子を料理し茄子を食べ、いろいろ思い出す。料理とか食卓とかって、もともとそういうものなのかもしれないけれど。
でもまあ、そのために茄子を食べるわけじゃない。ただ茄子が好きだから。ザッツオール。

山梨産の茄子と生協で買った京都は万願寺とうがらしの素揚げ

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悪い知らせとよくない知らせがあります

『マリアビートル』(角川書店)を再読し、うっとりしている。
「七尾ってさ、意外に強いんだよね、これが」
「そうそう。気は弱いんだけど、スイッチ入ると強いんだよ」
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間と、うっとりしゃべる。
「しかし、気持ちいいくらいついてないよね、彼」
「まあ、常に不運に見舞われる人生を送ってるって設定なんだから」
「ただし不運に見舞われる人生を送りたいと願った時以外は、ね」
「でも『マリアビートル』はてんとう虫って意味らしいから、主役なのかな?」「主役っぽくなーい」
 
『マリアビートル』は、東北新幹線の中でのストーリー。
危ない仕事を生業とする七尾は「トランクを持って次の駅上野で降りて」という簡単な(はずの)仕事を引き受けるが、ツキのなさでどの駅でも降りられない。トランクの持ち主は殺し屋コンビ檸檬と蜜柑。中身は大金で彼らに指示したのは恐くて危ない組織のボスだ。
さらにその新幹線には王子という中学生が乗っていた。王子を殺そうと乗ってきたのは元殺し屋木村。子どもがデパートの屋上から突き落とされ意識不明のままで、犯人が王子なのだ。王子は14歳だがすでに10人殺しているという悪意に満ちた奴。
そしてなぜか『グラスホッパー』の主人公鈴木も同乗している。『グラスホッパー』で寺原を殺した毒を使う殺し屋スズメバチも。
 
「いい知らせと悪い知らせがありますってセリフ、言ってみたいよねー」
報告時、常にそう言う伝説の殺し仲介業者がいたと文中に出てくる。
「かっこよく言えないと意味ないね、それ」
「森絵都の小説にもあったよね」
「短編集『風に舞い上がるビニールシート』(文藝春秋)だっけ?」
「そうそう、野球の話ね。朗報と悲報がありますってやつ」
「悪い知らせとよくない知らせがありますってセリフもどっかであったな。何かで見たんだけど忘れたー」
「それいいね」「使えないから。っていうか言われたくないから」
「悪い知らせとよくない知らせがあります」「いやだー!!」

押し屋の槿(あさがお)もふたたび登場します 槿は正しくは
「むくげ」と読みますが「あさがお」と読ませる場合もあるそうです 
庭のむくげが今ちょうど綺麗です

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ジャック・スプラットの奥さんにならないように

20年以上変わらなかった体重が、増える傾向にある。
夫もやはり20年以上体重変動はほぼなかった。それが減る傾向にある。これでは「ジャック・スプラット あぶらがきらい」になる日がやってくるんじゃないかと不安になる。
なぜか印象に残っているマザーグースの詩。アーサー・ラッカムの絵がまたシュールだ。なにか物悲しく可笑しい。
娘は脂身があまり好きじゃないので、厚めのソテーなんかを食べるときには、「ジャック・スプラットの奥さんがほしいよー」などと言い「ジャック・スプラット」の名は肉を食べるたびに食卓の話題にも上る。
 
Jack Sprat could eat no fat,
  His wife could eat no lean,
 And so betwixt them both, you see,
  They lick'd the platter clean.

 ジャック・スプラット あぶらがきらい
  そのおくさんは あかみがきらい
 だからごらんよ なかよくなめて
  ふたりのおさらは ぴかぴかきれい(谷川 俊太郎 訳)
 
わたしは脂身好きではないが、ビール好きだ。(要因はそれだけか?)
一方夫は、1年前にトレーニングを始めた。朝起きて走り、その後ストレッチをする。専門家について教えてもらった。それを信じられないことに続けている。継続は力なり。すごい。それも50歳を過ぎてなお、腰痛を乗り越えサッカーを続けるために。うーん。アンビリバボーである。
すでに1日、キクラゲちゃんに水をあげることを忘れてしまったわたしには(キクラゲちゃん、ごめん!)、継続という言葉自体、遠いところにある。
今もオリンピックのなでしこをライブで観ている彼。明日も試合だそうだ。「ケガしないようにね」と言ってわたしはいつも送り出す。
わたしも少し運動しなくちゃ。たとえ三日坊主でも。

 


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小説「カフェ・ド・C」 8. 玉手箱

 店の奥の棚に、忘れ物ボックスがある。半年たっても持ち主が現れない時には処分することに決めてはいるが、なかなか思い切れず箱は満杯のままだ。
 妻が出産を控えて産休に入り、時々店の手伝いと称しやってくるが、手よりも口を出すことの方が多く、忘れ物ボックスは妻の格好の餌食となった。
「これも、これも、そろそろ、処分したほうがいいんじゃない?」
 そんな夏の夕方。
「ここよ、ここ。うん、思い出した!」「本当にここなのか?」
 そんな会話をしながら店に入ってきたのは、四十代の夫婦だろうか。男性は薄い色の藍染のアロハシャツ。女性は水色のワンピースを涼しげに着ている。
「ルリコの物忘れには、散々ひどい目に会ってるからな」
「コウちゃんたら。今頃言われなくたってわかってるよ」
 ため息をつく彼に相反し、彼女はゆったりと微笑んで僕に向かって言った。
「あの、忘れ物なんですけど、このくらいの箱で紙袋に入ってて」
 彼女は、パスタ皿くらいの大きさを示した。
「いつ頃ですか?」
 忘れ物ボックス担当になったつもりの妻が口を挟んできた。
「それが……、三年くらい前に」「三年?」
 聞き返す妻の声が大きくなった。
「取っておいたりなんかしませんよね。三年もたった忘れ物を」
 彼がすまなそうに言う。でも僕は、すっかり思い出していた。
(ほんとうだったんだ、あの時しゃべっていたこと)
 彼女は、声の大きな女友達としゃべっていた。聞こうとしなくとも印象に残ってしまう会話がある。
「ルリコってば、ほんとうに忘れん坊なんだから」
「でもね、三年くらいたって、そういえばあの時! ってふいに思い出した時のうれしさは、忘れん坊にしかわからない醍醐味があるの」
 僕は店の奥の棚から「玉手箱」を持ってきた。その中のパスタ皿大の箱を入れた紙袋には、日付と一緒に「三年間保存のこと」と僕の字でかいた付箋が貼ってある。
 彼女は満面の笑みを浮かべ、お礼を言うとすぐに箱を開けた。中には藍染の男物のハンチング帽が入っていた。
「プレゼント。きょう、コウちゃんの誕生日でしょ」
 彼女が、彼の頭に帽子をのせる。
「誕生日?……そうか、すっかり忘れてた」「意外と忘れん坊だね」
 彼女の言葉に、僕らは爆笑した。アロハより濃いめに藍で染めた帽子は、三年の月日を感じさせず彼に馴染んでいた。


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君達アウトドア派だよね?

「殺戮の日々だよ」ぐったりと疲れ、娘に愚痴をこぼした。
「ドンマイ」彼女は軽さを失わないよう注意を払いなぐさめてくれる。
いつものことだが、ゲストを招きバーベキューをすると、ウッドデッキの網戸開けっ放し率が急上昇し、結果たくさんの虫達が「こんばんは!」と喜んで入ってくることになる。「こらこら、招待したのは君達じゃないよ」と言いたいが、言ったところで誰も聞いちゃいない。
その後しばらくの間は、虫さん惨殺の日々をおくることになる。悲しい。殺される虫も悲しいだろうが私も悲しい。「別に殺したいわけじゃないんだよ」と誰彼となく言い訳したい衝動に駆られる。
「わたしはインドア派だけど、君達アウトドア派だよねー。お外に行こうよ、お外に」
できるかぎりは説得し外へ出てもらうが、言ってもわからない虫さんがほとんどで、殺し屋のごとく殺戮を繰り返す日々をおくることになってしまう。
 
しかしその、殺戮の日々もほぼ終息を迎えた。
洗濯を干しにウッドデッキに出た途端、肩に巨大コオロギが乗ってきたりはするが、アウトドア派の彼らは大概説得に応じてくれる。
「君は肩乗りコオロギじゃないよね? あまりに気安いぞ。マナーをわきまえようね」
巨大コオロギも、はいはいとでも言うように素直に飛んでいった。
隣の林のクヌギには、カブトムシやクワガタ、カナブン。そして今年はオオムラサキ大量発生の年なのか国蝶が蛾のようにむらがっている。
それをながめながら、ホッとした気持ちになる。やっぱ虫さんはアウトドア派に限るね。
         国蝶オオムラサキ 隣の林のクヌギを夫は昆虫酒場と呼ぶ

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野菜達はまっすぐに我が家を目指して

田舎に住んでいるので、よく野菜をもらう。
今はじゃがいもの季節だ。クリーニング屋のおばちゃんに、じゃがいもとモロッコインゲンをもらった。店の裏の畑でおじちゃんが趣味で作っていて、無農薬で野菜の味も濃い。
「美味しかったです」
感想を述べると普段はクールでダンディなタイプのおじちゃんが得意満面の笑顔になる。そしてまた野菜を収穫するたびに「持ってけし」と甲州弁で言う。
ここいらの住人で野菜を作ってない家はめずらしい。だから、クリーニング屋さんだけじゃなく、みんなまっすぐに我が家を目指して野菜を持ってきてくれる。とてもありがたいことだ。住み慣れて、同じ野菜をたくさんもらって困ることも少なくなった。いろいろな料理法を覚えたりして美味しくいただいている。オイスターソース風味のレタスのお浸しとか、にんにくオリーブオイル味のトマトサラダとか。同じ野菜が驚くほどたくさん食べられる。料理の不思議さと野菜の本当の味を、ここで教わった。
 
そして、ふふふ。もうすぐゴーヤの季節がやってくる。うれしい。ゴーヤチャンプルーは毎日食べてもあきないほどの大好物だ。
先日キノコ会社に勤める友人が「キクラゲちゃん」を持ってきた。ビニールに入ったそれはキクラゲ菌の入ったキクラゲの素だそうだ。カッターナイフで切り目を入れ乾燥しないように湿気を与えていると、切り口からキクラゲちゃんが生えてくると言う。今年のゴーヤチャンプルーには簡単栽培したキクラゲちゃんをたくさん入れよう。
「君が、毎日ちゃんとお水をあげられるとは思えないけど?」
夫は、わたしがキクラゲちゃんの栽培を成功させるとは思っていないようだが、ゴーヤチャンプルーのためならがんばれる気がする。たぶん。
          茹でたての男爵とモロッコインゲン

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半月を鞄に入れて

クチーナ徒然というカテゴリーを作った。
クチーナというのはイタリア語cucina。ムリムリに英語読みすれば、キッチンと読めなくもないこの言葉は、台所、または料理、料理法などの意味を持つ。
イタリアン率が上昇するきっかけとなったイタリア旅行の前に、NHKイタリア語会話にハマって、ずいぶんイタリア語と親しくなった。
「トイレはどこですか?」「ボンゴレはありますか?」など、なんとなく通じるくらいの言葉を言えるだけで相手の言葉は聞きとれないけれど、イタリア語を少ししゃべるだけでイタリアの人々は親しく親切に接してくれる。
日本で片言の日本語をしゃべる外国人に親切にしたくなるのと同じような気持ちなのだろう。アメリカで英語をしゃべってもそうはいかない。話せて当たり前という認識なのだ。なので少しもしゃべれないよりは楽しい旅行になった。
料理も少し覚え、イタリアの調理器具がほしくなり「メッツァルーナ」を雑貨屋で買い求めた。メッツァは半分、ルーナは月。半月と言う名の包丁。
両側に持ち手がついていて、カーブを利用してシーソーのように動かし、野菜や肉をみじん切りにする。みじん切りはあんまり好きな作業ではないけれど、メッツァルーナがあるだけで楽しくなる。イタリア人らしい発想だ。
メッツァルーナを鞄に入れて、ふわりとうれしい気持ちのまま、美術館に入った。そして、入り口でセンサーに引っかかった。
「メッツァルーナ?」と、守衛さんが笑って肩をすくめる。
「メッツァルーナ」と、わたしも笑って肩をすくめる。
「クチーナ?」と守衛さん。料理に使うのかい?
「ええ、日本料理に」となんとか答えるわたし。
イタリア語がもっとしゃべれたらなぁと思った。
「メッツァルーナじゃ、人は殺せませんよねぇ」なんてジョークをとばしたのに。(しゃべれなくてよかったかも)
夫は、わたしがイタリアでいちばん使ってた言葉はこれだねと言うけれど。
「すいませーん、生ビールくださーい」
           半月というよりは三日月に近い気がするんだけど

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いつも猿を見かける坂を下りつつ

朝、車中で模試に向かう娘との会話。
「きょうはお猿がいないねウキィ」
と、いつも猿を見かける坂を下りつつ、わたし。
「雨だからねウキィ」
と、調子を合わせる娘。
「お猿も雨宿りウキィ」
「猿はのんきだウキィ」
「お猿もいろいろたいへんなのかもウキィ」
「でも猿はきょう、模試じゃないウキィ」
「母もきょう、模試じゃないウキィ」
「母ものんきだウキィ」
「母もいろいろたいへんなんだウキィ。バナナを量り売りで買う夢をみたウキィ。バナナのヘタの部分を切り落としたら安くならないかと交渉したウキィ」
「そういう夢を見る母を持ったことが悲しいウキィ」
「お褒めいただき光栄ウキィ」
「ウキィ……」
受験生の娘との会話は気を使ってたいへんだ。ウキィ。
         娘とふたたび訪れた蓮池 今がいちばん綺麗かも

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殺し屋達の狂想曲

『グラスホッパー』(角川文庫)を再読した。読んでいる横から、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間が話しかけてくる。
「蝉ちゃん、でてきた?」
彼女は、蝉(せみ)のファンなのだ。
「でてきたとこ。3人目殺すとこ」
わたしは、顔を上げずに答える。
蝉はナイフで切り裂くタイプのいちばんわかりやすい殺し屋だ。自殺をさせる自殺屋、鯨(くじら)、道路で背中を押し車に轢かせる押し屋、槿(あさがお)と様々なタイプの殺し屋が登場する。蝉、鯨、槿と言う名は殺し屋業界で彼らが使っている名前だ。(殺し屋に業界があるのかよ?ってセリフが何回かでてきておもしろい)彼らは雇われて仕事をする。殺す相手に私怨はない。
そして主人公鈴木は妻の仇を打とうとする普通の青年で、自ら危ない世界に足を踏み入れていく。「やるしかないじゃない」という死んだ妻の口癖を思い出しながら。
「鈴木の妻っていいキャラだよね。最初から死んじゃってるのに」
仲間がまた話しかける。
「ほんとだよね。回想シーンでしか出てこないのに登場人物中でいちばん好きなキャラかも」
「だから鈴木は、結構頑張れたんだよ」
「君の言う通りだ」
「結構頑張っている」も「君の言う通り」も鈴木が妻を思う時に何度も使う言葉だ。鈴木が妻を思う気持ちが、この殺し屋達の狂想曲の軸にある。
「しじみが水の中でぶくぶく息してるのを見て、生きてるなって思う蝉ちゃんもいいけどね」
「何かと言うとジャック・クリスピン(架空人物)の言葉を引用する蝉の上司もいいけどね」
「岩西か。岩にしみいる蝉の声で蝉とセットになってる岩西ね」
「で『グラスホッパー』の続編『マリアビートル』(角川書店)も貸して」
「えーっ、いいなぁ。だらだらと伊坂再読できて」
「何言ってんの? 君は辻村深月読破まであと3冊でしょ。がんばれ! まあわたしはまだ5冊しか読んでないけどさ」
「なんで読破目前にして、直木賞とっちゃうかな。なぜか悔しい」
「伊坂が4年前候補辞退した直木賞ね。執筆の妨げになるからだっけ?」
「ほんと伊坂って変わってるよねー」「ほんとにねー」
でもいいかといつもそこで落ち着く。直木賞作家になってもならなくても伊坂は伊坂だ。わたしは『マリアビートル』をわくわくしながら受け取った。
まあそれはそれとして、山梨在住の辻村深月さん直木賞受賞おめでとうございます。伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)は辻村さんを応援しています。
「でもさ、読み終わっちゃったら来るんだよね。読破喪失感。伊坂の時はマジ落ち込んだ」
辻村さん、彼女のためにもぜひかき続けてください。


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小説「カフェ・ド・C」 7.一点物の一日

 小さな個展の会場に店を使ってもらうことがある。
 あくまで六人掛けのテーブルに収まる範囲の小規模な個展だ。駆け出しの陶芸家や、ガラス細工作家、彫金のアクセサリーアーティストなど、物も小さくある程度の数を並べられるようなケースに限り、相談に応じている。というのも、代々店のバイトを頼んでいるのが近くの美大の学生だからだ。今来てくれているユウちゃんもジュンもそうだし、珈琲を飲みに来てくれる学生も多い。
 なのでだいたいにおいて、卒業生達の作品が並ぶというわけだ。
 今週は、彫金のアクセサリーが並んでいる。ペンダントも指輪もブレスレットも、どれも当然一点物で逆に同じものは作れないという。
「空の雲みたいだねぇ」
 彫金アーティストの学生時代の友人でもある妻は言う。最近彼女は空の写真を撮るのに凝っている。同じ形の雲が空に浮かんでいることは、まずない。
「珈琲みたいだ」
 僕は言う。同じ豆でも、まったく同じに焙煎することはできないし、淹れることもできない。気温や湿度にも左右される。そのときどきにいちばん美味しく淹れられるようベストを尽くすしかない。
「へーちゃんらしすぎる」
 妻はひとしきり笑ってから、言葉を加えた。
「一日一日、同じ日なんかないのと一緒だねぇ」
 閉店時間にやってきた妻は、友人の作ったアクセサリーをひとつひとつ丁寧に見ていく。そして普段は言わないことを言い、小さな指輪を小指にはめた。
「買ってもいいかな? 今日の記念に」
「いいけど、何か特別なことでもあった?」
 妻は、何もないよと首を振る。
「何も特別じゃない今日の記念に、欲しくなっただけ」
 いくつもの小さな花を細工したその指輪は値が張ったが、僕は希望通り妻にプレゼントした。妻の細い小指に指輪はとてもよく似合った。
 
 それから一週間後だった。妻が言った。
「へーちゃんの赤ちゃんができた」


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今夜はバーベキューにしようか

「今夜はバーベキューにしようか」
夏が来たな。夫の言葉を聞き、わたしは思う。
「いいね」
いつも必ずそう答えることにしている。
たとえ雨雲が重く広がっていたとしても、炭を遠くまで買いに行かなくちゃならなかったとしても。それが毎週のことだったとしても。そして娘がバーベキューを喜ばなくなった最近でも。
 
夫はバーベキューに、使命を感じている。
家族で火を囲み焼いたものを食べる。ただそれだけのことだが、そこに何かしら自分の原点みたいなものを見出そうとしている。たぶん。
「ステーキを焼いてワインを飲もうか」とか「秋刀魚を焼いて日本酒にしよう」とかその時々に提案する。炭火で焼くと安いアメリカンビーフも美味しく、秋刀魚などはまったく違う食べ物かと思うほどに旨味が増す。
受験生の娘は焼けたときに、ふらっと食べにくる。子どもの味覚は正直だ。本当に美味しいものをちゃんと知っていて食いっぱぐれることはない。
わたしは着々とビールを飲み進め、ワインやら日本酒やらウイスキーやらを飲む夫とふたり、夜が更けていくのを感じながら火を見ていたりする。
そこに火がある。それだけでとても素敵な時間になる。
炎を上げず静かに熱を発する炭火からも「おいら燃えてるぜ!」的なパワーを感じ、そのおすそ分けをもらっているような気持ちになれるからかもしれない。
 
3人いた子ども達のうちふたりがそれぞれ外へ出て、ひとり残った末娘ももう1年もしないうちに県外に出ていくだろう。
ふたりきりでバーベキューをする日もそう遠くない。それでも夫は夏になれば週末ごとに言うに決まっている。
「今夜はバーベキューにしようか」
         連休は総勢20人で大バーベキュー大会をしました

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ポケット大賞

「おめでとうございます! 本日のポケット大賞はきみに決定いたしました」
わたしの言葉に夫が顔をゆがめた。
ポケット大賞とは、誰かの洗濯物のポケットに何か入っていたときに決定する我が家特有の賞だ。ぽけっとしてるとポケットを、もちろん掛けている。
きょうは夫のスラックスから50円玉が出てきた。
「あっそ」
夫はその50円玉をひったくろうとするが、わたしは阻止した。
「申し訳ありません。ポケット大賞事務局の決定で、ポケットに入っていたものはお返しできなくなりました」
「なにそれ」夫は、抵抗した。
「決定は決定です」わたしは容赦なく言う。
「最近、頻繁にポケット入れっぱなし事例が相次ぐので、そういう決定に至りました」「なんだよ、それ」
夫はさらに顔をゆがめる。
「本日はまことにおめでとうございました」わたしは締めくくる。
 
これまでのポケット大賞最優秀特別賞と言えば、息子だろう。24歳の東京に独り暮らしをする息子。彼が5歳くらいの頃だろうか、ダンゴ虫が20匹ほど半ズボンのポケットに入っていた。
それをどうしたのか、わたしは覚えていない。今のように、ポケット大賞おめでとうございますという余裕はなかっただろう。
夫の50円玉は、するりとなじみわたしの財布に納まった。
夏物のアジアン風ワンピースの飾りポケット。宝物が入ってそう?

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動機はメロン

父が旅先の北海道は空知からメロンを送ってきた。大玉のメロンをふたつ。
ひとつ目をふたりで食べてしまってから、娘が言った。
「完全犯罪にできないかな」
夫が3日間留守なのだ。その間にメロンを食べつくし、メロンがあったという事実を無きものしようという提案だ。うーん、と考えてわたしは答えた。
「そういう時に限って、あとでおじいちゃんから電話があったりするんだよ」
「で、お父さんがたまたまその電話に出ちゃって」
「メロン美味しかった? なんて聞かれて」
「メロンって、何のことですかってことになって」
「お縄をちょうだいする破目になるんだよねー」
だめだ、ふたつ目は残しておこうということになった。
いとおしそうに冷蔵庫の方をながめながら、娘が言う。
「メロンを独り占めしたいがために夫を殺す妻の話とか、小説にできそうだね」
わたしも冷蔵庫に熱い眼差しを向け、答える。
「おもしろいかも。動機はメロン」
「ないね」「ないか」
メロンがあるうちに、夫は帰ってきた。完全犯罪計画は未遂に終わった。
             二つ目の熟れたメロン

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350時間のビートルズ

走行距離が22,222キロを超えた。フィットを買ったのが去年の2月半ばだから1年と5か月近く。1日にして約46キロ以上走っていることになる。
運転は好きだ。思うままに移動している感覚が好きなのかもしれない。
それでも1日1時間近く走っているんだなと思うと、時間に対しての概念が揺らぐ。1年にすると、約350時間運転しているわけだ。
無駄な時間だとは思わないが、たいへん有意義だとは、まあ言い難い。
 
考え事をしたり、周りの車の運転に腹を立てたり、ナンバーを見て言葉遊びを楽しんだりと、そんな時間のお供はビートルズだ。
昨夏、突然ビートルズブームは降りてきた。夫が中学の頃から好きで何枚ものLPレコードを持っていることにも、伊坂幸太郎がビートルズファンだということにも、まったく関係のないところで、わたしはビートルズに捕まった。
遊びに行ったロスに住む友人のご主人が、ビートルズのコピーバンドを組んでいて、そのライブを聴かせてもらう機会に恵まれたのだ。
生演奏に、心を捕らえられた。
それ以来運転中はずっとビートルズを聴いている。1年たってもブームは去らず、このまままっしぐらに進みそうだ。
これって、1年間のうち350時間ビートルズを聴いていたってことなのだろうか。そう考えると「たいへん有意義でした」という判子を押してあげたくなるような時間に思えてきた。
          ぞろめってなぜかうれしくなるよね

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蓮池と左右についての考察

ずっと探していた蓮池を見つけた。
去年の夏、テレビで大輪の蓮がいくつも花ひらく様が放映された。しかしテレビでは、あまり大勢の人が来ても困ると口止めされていたのか場所を特定せず、ただ娘が毎朝使う無人駅の地名だけを言うにとどめていた。
「見たいね」「蓮って素敵だよね」
昨夏、娘と話し、朝彼女を送った後にフィットを走らせて探し回った。けれど、探しても探しても蓮池はなかった。そうこうしているうちに夏は終わり、蓮池の話は忘れてしまった。
ところが冷たい冬に、突然蓮池らしき場所を見つけた。たまたま、いつもと違う道を走っていた。
「右だったのか」
わたしは、ひとりごちた。なぜか駅の左側ばかりを探していたのだ。方向音痴のあてにならない勘と言うやつだ。
もともとわたしは、右と左がわからないという特技を持っている。
「そこ右に曲がって」
運転中、夫に言われると50%の確率で左に曲がる。
「あーもう、なんで右と左がわからないの?」
「うーん。なんでだろうねぇ」
わたしは、永遠に笑ってごまかし続ける。
子どもの頃は左手の甲の真ん中にほくろがあって、左右を判断しなくてはならない場面に立った時、そっと左手を見る癖があった。しかしそのほくろも、年月とともに消えてなくなり、左右を判断する材料がなくなってしまった。
わたしにはもう、右も左もわからない。
それでも蓮池は見つかった。蓮の季節はこれからだ。来週の晴れた日にでも朝15分早く出て、娘と一緒に蓮をながめよう。
          大輪の花を咲かせる大賀蓮(おおがはす)

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小説「カフェ・ド・C」 6.デキアイ

 自分も珈琲屋だが、よく行く珈琲屋がある。
 おやじが頑固で、出場所のはっきりした、一年以内の珈琲豆しか扱わず、もちろん自家焙煎している。そのおやじに教わって始めたカフェ・ド・Cも、この夏で七年目に入った。それでもふいに、おやじの淹れた珈琲が飲みたくなる時がある。悔しいが美味い。
「ヘーちゃんの淹れた珈琲は美味しいねぇ」
 妻は、心から言ってくれる。しかし、おやじの珈琲には、かなわない。豆の配達のついでに、つい立ち寄ってしまう。
「タンザニアの浅煎りを」
「いつまでたっても、浅煎りが好みだねぇ」
 おやじは、僕が苦い珈琲より浅煎りの酸味の効いたものが好きだと知っている。苦みもしっかりと味わえなくては真の珈琲通とは呼べないと、師匠としては嘆いているわけだ。しかし、今日のおやじは、あきらかに機嫌が悪かった。
「まったくどいつもこいつも、浅煎り好みじゃ、珈琲屋なんぞやっててもおもしろくもない」
 イライラした口調で、普段言わないことまで吐き捨てるように言う。さすがに、これにはムッとした。そんなタイミングで妻からの電話が鳴った。
「ごめん。今日急な残業が入っちゃって、夕飯作る時間なさそうなの。八時過ぎには帰れると思うけど何か出来合いのお惣菜でも買っておいてくれない?」
 いいよ、という言葉はかすれ、不機嫌な声になった。不機嫌は伝染する。電話を切って軽い後悔を覚えた。
 そのとき、カウベルを鳴らし、ドアが開いた。よくここで、仕事をしている関西弁の女性コピーライターだ。
「おやっさん。アッちゃん、結婚するんやて? おめでとうさん。あ、タンザニアの浅煎りで」
 後ろ姿でミルを挽くおやじが、舌打ちしたのがわかった。
「おやじさん、めでたい話じゃないか!」
 不機嫌の理由がわかり、僕は思わず笑いだしていた。アッちゃんというのは、言うまでもなくおやじの娘だ。短大を卒業するまで、ここの看板娘だった、おやじの溺愛するひとり娘。
「何笑ってんだよ。めでたくねぇよ。まだ二十五だぞ」
 真顔で言うおやじに、僕の笑いはとまらなくなり店じゅうに伝染していった。
 さて、夕飯は出来合いで。僕は溺愛という言葉を思い浮かべながら、七時に店を閉め、スーパーへと向った。カートを軽やかに押しながら、夕食を選ぶ。イタリア風チキンのあぶり焼き、おくらと山芋のサラダ、トマトとモツァレラチーズ、蛸の刺身。奮発して、いつもは買わない値段の赤ワインまで買った。
「どうしたの、これ?」
 帰宅した妻が目を丸くしたのは、言うまでもない。僕は、ワインのコルクをゆっくりと抜きながら言った。
「おつかれさま。デキアイにしたよ」


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ボールペンのペン先と車のキーについて

掃除が苦手だ。
ぼんやりしているうちに埃がたまっている。なのにそれに気づかない。散らかっていても気がつかない。気づかないうちに、あれぇずいぶんと散らかってるなぁということになる。
「出したら、同じところにしまえばいいんだ」
夫は言うが、それができたら苦労はしない。彼はと言えば、ボールペンのペン先だってしまい忘れることはしない。
「またボールペン、ペン先出したまま出しっぱなし。ただ使ったらしまえばいいだけのことなのに、どうしてできないの?」
「うーん。どうしてだろうねぇ」
わたしは永遠に笑ってごまかし続けている。

娘にも言われる。出がけに車のキーが見つからないことが頻繁にある。
「いつも同じところに入れておきなさいって言ってるでしょう」
「ごめんなさい」
わたしは永遠に謝り続けている。

夫も娘も血液型はA型だ。
「O型だからな」
「O型だからね」
と言われ、O型のわたしは、どうせO型ですよどうせどうせ的ないじけモードに突入する。
こんなとき、オーストラリアに行っている娘がいたらなぁとしみじみ思う。彼女は、ボールペンのペン先はいつでも出しっぱなしだし、キーなんかわたしより頻繁に探し回っていた。うれしいことに、彼女はA型だ。
血液型だけで人を判断してはいけないのだ。
そんなことを思いつつ、きょうは1日掃除をした。


きれいになった玄関 なぜか臼やら壺が並んでいる

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青春いずこに

 「わたしの青春、見なかった?」
娘が真剣な顔で聞く。高校3年の下の娘。
「きのう、パソコンの前で見たけど」
「ないんだよ」
あっちこっち探し回った様子だ。彼女の真剣さに、かわいそうになってわたしも探す。ベッドの上にも、机の下にもない。
「しょぼーん」
と口に出して言う娘は、とてもかわいく、わたしは彼女が学校に行った後もさらに青春を探した。
 
探し物は、あきらめた頃見つかるもので、彼女の青春は、掃除中、洗面所の洗濯かごの下で見つかった。
「青春発見!」
と、授業中の娘にメールする。
帰りの車の中で青春を見つけた場所を説明すると娘は納得したように言った。
「たぶんブラウスを脱いだ時に、袖の中に入ったんだね。気づかないまま洗濯に出して、重力で落ちたんだ」
「それ以外に推理しようがない完璧なストーリーだね」
わたしは、笑って答える。
青くて丸い娘の青春。
それは、学園祭のテーマ「seisyun」と印字されたゴム製のリストバンドのことだ。
 

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信号はどこまでも青く

「雪子だ」「雪子だね」
めずらしく目的地までの信号すべてを、青で通過した。そんなときの伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の合言葉は、雪子だ。
雪子とは、『陽気なギャングが地球を回す』(祥伝社)4人組銀行強盗のひとりで、信号をいつでも青で通過できるドライバーだ。
彼女は、強盗後、運転を任されていた。それはなにより彼女が体内時計を持っているからだ。次の信号まで何分何秒で、信号が変わるのは何秒ごとで、というのがインプットされ、すべての信号を青で通過するには、何キロでドライビングすればいいのか、雪子にはわかってる。すべての信号を青で通過し、雪子は自分の仕事を終えた。
そんな能力のないわたしでも、たまたま目的地まですべての信号を青で通過することがある。そんなときには、
「信号はどこまでも青く、前途はロマンに満ちている」
なんて、ギャングのひとり響野のように、無駄に言葉を並べてみたくなる。
 
雪子が体内時計を持つドライバーなら、響野は演説の達人、成瀬はどんな嘘をも見抜くことができ、久遠は誰の財布でも思うままにスルことができる。
「響野のこれって、特別な力なわけ?」
仲間は響野にきびしい。
「たしかにただの、うんちくおしゃべりおじさんとも言えるけど、ここまでほんとも嘘も織り交ぜて知識を披露できるのって才能だとは思うよ」
「まあね。人を惹きつける力はあるかもね。でもやっぱ、久遠が好きだな」
「人間より動物を愛する若者、二十歳の久遠青年ね」
「しかも、スリの天才!」
「やっぱ、特出したものを持つ人って素敵だよね」
「響野は特出してないけどね」
「こだわるねー。でも久遠は響野のこと好きだよ?」
「それは認める」
「響野って、喫茶店のマスターのくせにまずい珈琲しか淹れられないけどね」
「それも認める」
偶然(という言葉は嫌いだと成瀬は言うけれど)、銀行強盗の人質になった4人は、その強盗達の手際の悪さに「俺ならもっとうまくやれる」と意気投合。4人組の銀行ギャングを結成する。自分の特技を生かしつつ、仲間を信頼し、それでもそれぞれに事情を抱えた彼らのギャングぶりはじつに微笑ましい。
「ロマンはどこだ」
響野のこの言葉を合図に、彼らは銀行に乗り込んでいく。

青で信号を通過するたびに、わたしは彼らの爽快な物語を思い、つぶやく。
「信号はどこまでも青く、前途はロマンに満ちている」


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蜂に刺された場所

娘の部屋を久しぶりに掃除した。オーストラリアにワーキングホリデーに行っている、上の娘。
「わたしのかわいい子達をよろしくね」
と101匹のリラックマと1匹の愛犬をわたしに託し、10か月の旅に出た。
ベッドカバーも夏仕様に替え、部屋を開け放ってベランダに布団を干す。そのとき見つけた。小さな蜂の巣だ。

そういえば、と思い出した。彼女が2歳の時だからちょうど20年前になる。キャンプ場で蜂に刺され、大声で泣く彼女を抱き上げ、小さなからだについた何匹かの蜂を素手で払った。
「毒吸いを持っています」
隣のテントの知らない誰かが、吸引式の毒吸いを取り出し、娘の刺された場所に手際よくそのスポイトのような器具を当て、毒を吸いだすやり方を教えてくれた。何度も繰り返し毒を吸いだしたおかげで、娘のからだはどこも腫れることなく、一件落着と思えた。
娘が泣き疲れて眠った頃だ。わたしは自分の手が腫れていることに気づいた。
「毒が回ってからじゃ、吸ってもあまり意味はないでしょう」
隣のテントの親切な人は、残念そうに言った。
「問題は、その指輪だな」
夫も残念そうに言った。
刺されたのは、左手の薬指だった。
薬指はどんどんうっ血していき、紫色に変色し始める。しかたなく、救急病院まで夫に連れて行ってもらった。
「指輪を切るしかありませんね。いいですか?」
医者は、ためらいを見せながらも言った。
「はい」
あまりに簡単に答えたわたしに驚いたように、医者は今度は夫に聞いた。
「あの、切っていいですか」
「しょうがないですね」
医者も夫も、わたしがためらいなくイエスと言ったことに、苦笑していた。でも、薬指と指輪だよ。どっちが大切かなんて、迷うことじゃないじゃん。切断は1分とかからなかった。
「何かが終わった気がするな」
夫は少し責めるような目で言ったが、20年たってもわたし達はまだ終わっていない。

22歳になった娘が、オーストラリアで蜂に刺されることなく、楽しい毎日を送れますようにと、リラックマの頭をなでた。


作りかけのところ悪いけど、明日には引っ越してもらうよ

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HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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