はりねずみが眠るとき
匂いの記憶
お香には「香道」と呼ばれる作法やら何やらもあるらしいが、わたしは、ただ焚いて香りを楽しんでいる。香りを楽しむことは「聞香(もんこう)」香を聞くと言う。嗅ぐと言わないのは匂いに問いかけ、その答えを聞くという意味合いがあるそうだ。
確かにお香を焚くと、心がしんとする。気持ちが落ち着くことで、何かを問い答えを聞く空間が、そこに生まれるのかもしれない。
匂いの記憶がある。川崎に住んでいた頃、子ども達が通う幼稚園までの道程に沈丁花が咲く庭があった。まだ春と呼べない冷たい空気の中で咲く沈丁花の香りは強く、嗅ごうとしなくとも道行く人の中に入ってくる。
「あ、沈丁花咲いたんだ」大きく息を吸い込む。
3人の子育て中、忙しい母は、季節も何もかも忘れてしまうことが多く、毎年のように沈丁花に、もうすぐ春だよと教えてもらった。もうすぐだよ。だから、だいじょうぶ。そんな風に励ましてくれているようにも感じた。
まだ冬はこれからだが、お香を焚くと春を感じる。たぶんわたしの中の匂いの記憶が、沈丁花が咲くようにふわりと開くのだ。
葉っぱに乗ったテントウムシの香炉、とても気に入っています。
金属でできた双葉も春を呼んでくるようです。
刺激を求めて
駅ナカに入っている『雲呑好』(WANTANHAO)ワンタン麺屋さんだ。そして今度こそ違う味を、と思う気持ちとは裏腹につい四川風を頼んでしまう。禁断の辛さなのだ。
せっかく立川まで出たんだったら、ひとりランチする店などいくらでもあろうものを、駅ナカという利便性もあり、四川山椒の香りと、その辛さに呼び寄せられ、ついふらふらと店に入り、ついつい四川風をオーダーしてしまう。もうこれは魔力と言ってもいい。わたしの中では、立川=四川ワンタンという図式公式が完璧な形で作り上げられていて、あらがえない大きな力に流されているとしか思えない。
ということで、ふたたび食べてしまった。ぷりぷり海老ワンタン春雨四川風。ついふらふらと毎日でも立川まで行ってしまいそうなほど、美味しかった。
辛いものが大好きだ。うどんは七味唐辛子を10回振るし、パスタはタバスコをかけることを前提にトマトソースを選び、刺身にはわさびをたっぷりと乗せ、おでんの辛子はツーンと来るほど付けて食べないと物足りない。一緒に食事する人は大抵驚く。「うわっ!」と声を上げる人もいる。「かけすぎでしょう!?」と抗議の目を向ける人もいる。そういう時には決まってこう答える。
「日々平凡に生きているわたしだからこそ、刺激を求めているのさ」
カロリーオフの春雨にしてみました。普通の麺も美味しいです。
肉ワンタンもイケますが、やっぱぷりぷり海老でしょう。
(注)辛いもの好きでも、耐えられない辛さの可能性があり。
七味10振りより相当辛いです。
小説「カフェ・ド・C」21. ユウちゃんの鼻歌
「失恋しちゃいました」
笑って報告してくれたのは、一週間前。2年ほど付き合っていた彼はミュージシャンの卵で、アメリカに渡って修行を積むという。
「ついて行くって、言えませんでした。わたし」
それからも、笑顔で休まずバイトに来てくれている。
ユウちゃんには、ネット販売の豆の発送全般を頼んでいるので、水曜と木曜、そして土日と顔を合わせる機会も多い。
店で流している音楽にかき消されるほどの小さな鼻歌は、仕事の邪魔にはならない。彼女の明るい性格を知っている常連さんも多いし、初めてのお客様にだって楽しそうに働いてるようにしか見えないだろう。
しかし見ているのがつらい。そして僕には何もできない。客足が途絶えた時に、パソコンを開いて仕事する彼女のリクエストを聞き、心をこめて珈琲を淹れる。できることはそれくらいだ。
「美味しい。マスターの淹れた珈琲、ほんと美味しいなぁ」
妻の口癖を真似て、ユウちゃんは笑った。だがすぐにふっと淋しそうな顔になる。2年前、お母さんを亡くした時にもこんな風だったと思い出す。何故歌を? と、あの時には思った。しかし大学で思うようにいかず留年が決まった時に、鼻歌を歌う彼女を見て、僕は腑に落ちた。つらい気持ちを追い払うために歌っているのだと。
「ちわー」その時、ドアを開けたのは土日のバイト、ジュンだった。
「平日に珍しいな」ジュンは、カウンターに座った。
「はい。たまにはマスターの珈琲をゆっくり味わおうと思って」
ジュンは手を上げて、ユウちゃんに挨拶した。彼女の方が確か2つ年上だが、歳など関係なく二人はけっこう仲良くやっている。
「ユウちゃんとおなじのを」
「酸味の効いた浅煎りのエチオピアだよ?」「はい。お願いします」
「苦みもしっかり味わえるのが、好きなんじゃなかったっけ?」
ユウちゃんが仕事の手を休め、ジュンに水を出した。その途端だった。ジュンは唐突に立ち上がり、ユウちゃんをまっすぐ見た。
「僕と、付き合ってください」
ユウちゃんは、驚いた顔で何故か僕を見た。そして笑顔になった。笑顔と言うより苦笑に近い。でも作ったわけじゃない本当の笑顔。
「ごめんなさい。付き合えない」ユウちゃんは、深く礼をした。
「でも、ありがとう。嬉しかった」
ジュンは、力が抜けたようにがっくりと座った。
「あー、やっぱりダメかぁ。じゃあ、僕の失恋記念に映画だけ、付き合ってください」
ユウちゃんは、また困ったように僕を見て笑う。苦笑と言うより、今度は少し嬉しそうにも見えた。
「いいよ。映画、観に行こう」「やった!」
その後、ふたりが付き合っている様子はないが、ユウちゃんは鼻歌を歌わなくなった。がんばれ! ジュン。
時にはゆったりした心持ちで過ごしたい。古いレコードでも聴きながら。
そんな時には「カフェ・ド・C」へどうぞ。
栞を起こす瞬間
買ったのは、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』(新潮社)。分厚い上に三部作。ゆっくりと楽しめそうだ。
新刊を手にする楽しみのひとつに、栞がある。本に付いている紐栞のことだ。誰もまだ読んでいないという証拠のように、本の中に丸まっている。その様子が眠っているように見えるのはわたしだけだろうか。本を読み始め、眠っていた栞を起こし自分のページに挟むその瞬間、本はようやく自分の物になる。そんな感覚が好きなのだ。
宮部みゆきは、東京でひとり暮らしをしている息子が大好きな作家だ。彼も買っただろうか。昔は、彼が買った新刊をよく貸してもらった。彼に借りる本の栞は、いつも丸まったままだ。栞を起こす楽しみも一緒に借りられるのが、嬉しかった。
「栞、使わないの?」と聞いたことがある。なんと返事は。
「読み始めたら、一気に読んじゃうから必要ない」
小さな頃から本の虫だったが、その集中力には驚かされる。
しかし、たまにメールすると、読書で培ったボキャブラリーを披露する気持ちはまったくないことがわかる。
「元気にしてる?」なんと返事は。「普通」
「そうですよね。普通ですよね。あー普通でよかった」
その時点でくじけ、母は返事を返す気力を無くすのである。
まだ1巻しか買っていません。
2・3巻は図書館で予約しようかなと夫に言うと信じられんと呆れてました。
買い揃える楽しみと、節約の主婦感覚。どっちを取るか悩むところ。
でも図書館で予約検索したら6人待ち。さすがに待てないなぁ。
写真の文庫『人質カノン』は、わたし的には帯インパクト大賞です。
薪運び
デッキの上には、夫が作った簡易薪置場があり、ここに運んでおけば雨に降られることなく北風に吹かれることなく、薪小屋まで行かずともリビングに薪を運べる。楽ちんだ。
「肩が痛いなら、ムリしなくていいよ」と夫。
「だいじょうぶ。軽い薪だけ運ぶね」
びっきーに引っ張られた肩もだいぶよくなった。
黙々とふたり薪を運び積む。空気は冷たかったが、薪を運ぶうちにからだが温まった。薪ストーブは、割って運んで燃やし3回温まると言われる通りに。
夫は4か所ある薪小屋の、どの場所に、いつの薪が積んであるか知っている。わたしは覚えられないので、指示に従って運ぶ。何も考えず運ぶ。からだを動かす単純作業の気持ちよさを味わうのみ。しかし彼は試したがりなので、古い薪から順々に燃やすのが基本だが、まだ1年置いていない薪でも、これは燃えそうだというものを試したがる。どれが火力が出て、どれが燃えやすく、しかしすぐに燃え尽きてしまう薪もあり、そんな薪を判別、分類、鑑定するのが好きで、頭も使って運んでいるようだ。
「この桜は、イマイチ火力が出ないな」
「確かに去年よく燃やした梅の方が、火力抜群だったね」
わたしは、試したがりさんの薪鑑定結果報告を受け、感想を述べる。
「さっきの丸太の薄切り、よく燃えたよ」
「あれは、カラカラに乾燥してたからな」
そして彼の薪にまつわる思い出話を聞く。
「この桜はさ、ほら、あそこのスタンドの近くの」
割られてすっかり乾燥した薪が、切り倒されたばかりの大木だった時のことや、譲ってくれた人の話だ。
ストーブの中では、薪が勢いよく炎を上げている。
わたしには薪鑑定能力はまるでないが、薪を運び、それを燃やし、部屋を温める。そのシンプルさが、とても気に入っている。
今回運んだ薪はすべて桜の木でした。木肌が綺麗です。
ここに置くのはさらに陽に当てて乾燥させることにも繋がります。
1階と吹き抜けで繋がっている2階には娘達の部屋があり、
温まった空気はいちばんに末娘の部屋に上がっていきます。
ストーブの恩恵、最もあずかってるのは彼女かも。
歴史に残らない特別であり平和な時間
「からだにいい食生活してるよなぁ」と夫。
朝食だけで20品目以上。前日の肉じゃがや娘のお弁当の鮭など残り物があったこともあるし、味噌汁には冷蔵庫野菜整理にしなびた小松菜や葱の青い部分、椎茸も入れた。そして、ちりめんと一緒に胡麻油で炒めた大根の葉っぱをご飯には乗せた。昼はパスタとサラダ。夜はおでん。いろいろ入っている物ばかりが重なったせいもある。
「ピース」ひとりキッチンでピースする。やったね! って感じ?
しかしピースとは平和の意味だ。やったね! ならVサインなんじゃないかと細かいことを考える。でもいいな、ピース。音がいい。もう一度言ってみる。「ピース」
「今日も平和でした」というのは娘の口癖だ。迎えに行った車の中で本日のスポットを語り「そんな感じで、今日も平和でした」
ピース。こうしてご飯を美味しく食べられることって、もしかしたら大きな平和を手にしているってことなのかもしれない。
伊坂の『チルドレン』(講談社)で盲目の青年、永瀬がしみじみと考えるシーンがある。
「歴史に残るような特別さはなかったけれど、僕にはこれが、特別な時間なのだ、と分かった。この特別ができるだけ長く続けばいいな、と思う」
家族とご飯を食べるという毎日の時間にも、たぶん歴史には残らない特別さがあり、そして平和があるのだと、永瀬にならいしみじみと考えた。
そういえば、伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間がめずらしく頭を悩ませていた。
「どの本の、どのシーンで、誰が言ってたのか、思い出せないー」
ピースについて誰かが語っていたシーンがあったはずだというのだ。
「『重力ピエロ』(新潮社)じゃないことだけは、確かだけど?」
「それはわかってる。あー気持ち悪い。思い出せないーー」
「平和だねぇ」と言うと、彼女は憮然とした顔をした。
たぶん歴史には残らないが、特別であり、そして平和な時間である。
平和な朝ご飯の図。
いただいた大根4本のうち、3本をもうすっかり食べてしまいました。
葉っぱももうありません。
7時1分の謎
無人駅に同じように送り迎えをしている「・7 01」というナンバーの車を娘とわたしは7時1分と呼んでいる。
娘は7分の電車に乗るので信号待ちや何かを考えて7時過ぎには着くようにしている。同じ電車に乗る同じ高校に通う男の子を送って来ているようだが、娘とは知り合いではないらしい。その7時1分が、いつも子どもを降ろした後もしばらく停車しているのが気になっている。母親と思われる人は、煙草を吸うでもなくケータイをいじるでもなく、珈琲をドリップする様子も見られない。
「7時1分、なんですぐに帰らないんだろう?」
駅に着き、助手席でマフラーを巻き始めた娘に疑問を投げかけてみた。
「見守ってるんじゃない? あの子が学校に通うのもあと何日だわとか」
感傷にひたって、毎朝背中を見つめているのか?
「あ、助手席に犬がいる。犬が改札辺りずっとを見てる」
無人駅なので改札はないのだが、毛の長いベージュの小型犬は、確かに男の子が歩いて行った方を見つめていた。
「犬が見守ってるのかな?」「ワン」
娘は相手にしていられないというように擬音で返事をし、マフラーを巻き終え車を降りた。
「お兄ちゃん、行っちゃったね」「ワン」
「淋しいけど、お家に帰ろうね」「いやだワン」
などという会話が繰り広げられているのだろうかと思いつつも、わたしは7時1分を残し、毎朝、駅を去る。
永遠に解けない謎というものが、人生には散りばめられているのだ。
帰り道、見つけて手折った野生のツルウメモドキ。
何処に飾ろうかな。
家宝に穴が
夫は壊さないように軒下から降ろし家宝にしようと思っていたらしく、すっかり気落ちしている。果報は寝て待てというが、寝て待ってる間に家宝に穴が開くこともあるのだ。
「もういいや。無理して降ろすことないし放っておこう」
蜂は見かけなくなったが、まだ中にいるかもしれない。しっかり軒下にくっついているからノコギリで切らなきゃならないだろうとか、下で受け止める人が必要だとか言っていたので、それで刺されでもしたら嫌だなぁと思っていたが、その心配はなくなったようだ。しかしまた別の心配が浮上した。
「問題はキツツキだな」と夫。
蜂の巣だけじゃなくて家にも数か所穴が開いている。今も時々やって来てコツコツ音を立て仕事に励んでいるのだ。コゲラか。アカゲラか。悪戯につついているわけではないだろう。家に巣を作るキツツキもいるという。ペンキを塗ってから数年経つし、調度いい頃合いの木を見つけたと喜び勇んでやってきているのかもしれない。
北側の軒下は我が家で一番高い場所にあり、地面からだと6m程。梯子をかけても届かない上に地面のすぐ下は傾斜になっていて一番下までいくと約10m真っ逆さまに落ちることになる。危険は蜂の巣だけではないのだ。
「とりあえず、蜂の危険が無くなるまで様子見かな」
しばらくサスペンドするということで落ち着いた。
やれやれ。一難去ってまた一難。蜂の巣騒ぎはどこまで行くのやら。
よーく見ると穴の中に蜂の巣模様が見えます。
みんなで協力し、こんなにも緻密なものを作り上げる蜂ってすごい!
それはとても幸せなこと
「今朝は凍ったねぇ」「冷えましたよねぇ」
おばあちゃんは、大根が4本入った袋をウッドデッキに置いた。小さなからだ、細い腕の何処にあんな力があるのかと思うが、鍛え方が違うのだろう。寒くなったが毎日畑に出ているのを見かける。
「ありがとうございます。りっぱな大根ですね!」「今抜いて来たから」
おばあちゃんは、笑顔と大根を残し、のんびりと走る黄色いスクーターで坂を下って行った。お米のおばあちゃん。12年前にも90歳、超えてるかなと思っていたけれど、ずっと変わらないなぁ。変わらず元気だ。
「鶏肉もあるし、今夜は大根の煮物だな」
新鮮なうちに下ろしでも食べよう。ホタテ缶と合わせてサラダにしてもいいな。葉っぱはさっと茹でてちりめんと一緒に胡麻油で炒めようか。大根だけで夕飯ができちゃうな。
凍った畑から来たばかりの大根は、ひんやり冷たくずっしり重かった。
「大きな根っこかぁ。確かに」
それにしても綺麗な大根だ。わたしはしばし見とれていた。ここに越してきて野菜の美しさを知った。大根は切ると瑞々しく透明感のある白で、首の部分はほんのり緑がかっている。水分をたっぷり含んだ新鮮な大根ならではの美しさに、そう言えばこの町の名産は大根だったと思い出す。お米もどの野菜も美味しくて忘れがちだが、そう。ここは、向日葵と林檎と大根の町なのだ。
「大根がいつでもある。それはとても幸せなこと」
これはその昔、川崎に住んでいた頃、わたしが夫に言った言葉だ。まったくその通りだねと、夫もうなずいた。ふたりともひとりで暮らしていた頃には大根など買わなかった。しかし結婚し家族ができ、日本酒の肴にしらすを乗せた大根下ろしを食べたいと夫が言った時のために、サラダのために、煮物のために、朝の味噌汁のために、大根を常備するようになった。そして今、大根の町に住んでいる。もちろん大根が名産だからと越して来たわけではないのだが。
冬。今年も、おでんや大根の煮物で温まる日が多くなりそうだ。
町の温泉宿の敷地で、毎年11月3日に「大根祭り」があります。
神奈川や東京から来る人もいて、この日に限り道は渋滞。
露店もいろいろ出て、青空の下でカラオケ大会などもありますが、
畑で大根を抜いて持ち帰るのが人気のようです。
母親の影響力を消す努力
「東京と山梨ってキロにするとどのくらいの距離?」
娘に聞かれ、わたしは考えて答えた。
「200kmくらいかな」「そうか」
しかし、ここで話を終えてはいけない。
「では今、母が答えを出すまでの頭の中をお見せしましょう」
わたしは、真実を偽ることなく話し始める。
「まず、新幹線はどのくらいの速度で走るか考える」「はあ」
「時速250キロ♪」と新幹線の歌を歌う。「はあ」
「で、あずさは新幹線より遅いから150キロくらいと考える」「はあ」
「新宿、甲府間あずさで1時間半だから、200キロかなって」「……」
「なので信憑性はまるでありません」
「わかったけど、その新幹線の歌って何?」
「びゅわーん、びゅわーん、びゅわーん、走るぅーーー♪」
「返事になってないけど……」
とまあ、こんな感じで母の知識の信憑性のなさを度々アピールしている。
(JRによると新宿甲府間123.8kmだそうです)
母親の影響力と言うのは、頭で考えるよりも大きなものだと、わたしは思っている。子どもの頃の体験から得たものだ。
「お母さん、牛って漢字は、上、出るの?」と小学3年生のわたし。
「出ないよ」と母。しかし出ないと午だ。それをわたしは、中学に上がるまで信じていた。母の言葉を信頼していたのだ。
中学に入り気づいた時には苦笑した。たぶん母には悪気はない。何か他のことをしながら娘の言葉に答えたのだろう。生返事をしただけだ。母親って。と中学生のわたしは自分に呆れながらも思ったものだ。
「駿河って静岡だよね?」と娘。
「わかんないけど、海の辺りってことはわかる」とわたし。
「河なのに?」「では、今考えたことをお話ししましょう」「はあ」
「駿河のするは、するめのするだから、海の近く」
「河はどこ行ったの?」「3文字の内の2文字の方が強い」
「……」娘は無言になった。
オーストラリアの娘が撮った海 駿河ではありません
タスマニアのブルーニーアイランド
犬も食わない?
夕方の散歩。帰路西陽に向かい、わたしはびっきーと歩いていた。西陽の眩しさに目が眩んで前は見えなかったが、もう家に着く辺りだったので安心しきってのんびりと歩いていた。その途端だ。わたしの後ろにいたびっきーが、勢いよく前に向かって走り出した。知らない散歩の犬がいたのだ。何が起こったのがわからず、そのままわたしのリードを持った右手は強い力で引っ張られた。伸縮性リードで引っ張られるまでに1秒ほどあったおかげで、びっきーを止めることはできたものの、肩を痛めた。夜帰ってきた夫にそれを話した。
「また引っ張られて、肩傷めちゃった」
ただ一言「だいじょうぶ?」と優しい言葉をかけて欲しかったのだ。けれど夫の反応は予測不可能な方向に向かって行った。
「また? 何で注意できないの? びっきーが引っ張ることはわかってるのに」
「だって、西陽で前が見えなかったんだよ」
「注意してないから、引っ張られるんだよ」
さらに夫はジャーキーは褒める時以外にあげるなとか、後ろを歩かせないとだめだとか、言いたい放題。
「もういい。びっきーの散歩なんか行かない」わたしはひねくれて言った。
「行かなきゃいいでしょ」夫も売り言葉に買い言葉だ。
わたしはいじけて先にベッドに入り眠った。眠りながら思い出した。そうだ。彼は心配すると怒ってしまう性質なのだと。
「おはよう!」翌朝は明るく挨拶した。
「おはよう」夫も夕べの喧嘩などなかったように挨拶を返してくれた。
そして彼は、会社に行く前にびっきーを散歩に連れ出し、3日分の薪をリビングに運んでくれた。
わたしは肩にフェイタスを貼り、今日もびっきーと散歩に行く。
初冬は大好きな季節です 暑くないのが何よりです
落ち葉に埋もれてのんびり日向ぼっこ いいですよね~
夫婦喧嘩? 食べたくありませんね そんなもの
でも ジャーキーより美味しいのかな?
描写の美しさにspringを思う
「描写がものすごく綺麗!」「でしょ?」
「でも黒澤がまだ、出て来ないー」とわたし。
「称賛に値する探偵、黒澤ね」彼女は本文を引用した。泥棒、黒澤はこの物語ではアルバイトなのか趣味なのか探偵をやっている。
久しぶりに『重力ピエロ』(新潮社)を読むわたしと伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間との会話だ。
彼女は常々『重力ピエロ』の美しさについて語っていた。
「伊坂作品の中でいちばん綺麗だもん」「納得!」
「すっかり忘れちゃってたの?」
「だって、前に読んだのきみが小学生の時だよ」
「この綺麗さを忘れるとは」「おばさんの記憶力をなめんなよ」
と、低レベルな会話をするのが恥ずかしくなるほど『重力ピエロ』の描写は美しい。「春が二階から落ちてきた」で始まるこの小説は、兄、泉水(いずみ)の一人称で語られる。しばしの説明文のあと「頭上から落ちてきたのは私の弟のことで、川に桜の花弁が浮かぶあの季節のことではない」と続く。泉水も春も英訳するとspringだ。
春は泉水が1歳の時、未成年常習犯に母親がレイプされ命を授かった弟だ。父も母も兄も春を愛し、春は家族を愛して育った。しかし世間の興味本位から来る視線に、彼らも真実を知らずに成長することはできなかった。高校生の春は性的な暴力に対し、憎しみに近い嫌悪を抱いていた。そしてバットを持って「二階から落ちてきた」生意気な女子を3人がかりでレイプしようとしている同級生に殴りかかったのだ。
妻を亡くし癌で入院している父親。落書きを消すことを生業とする春。遺伝子にかかわる仕事をする泉水。連続放火事件の現場近くに残されたグラフティアートと、そこに記された謎の英単語や数字。謎を解こうと、泉水は繰り返される放火事件を追っていく。
「すごく仲のいい家族だよね」とわたし。
「お母さんがいいね。伊坂のかく母親っていい」と彼女。
「小学生の春が描いた絵が展覧会で入賞した時のエピソード、いいよね」
「やっぱお母さんが秀逸。審査員を絵で叩いた春に、やめなさいって言って絵を取り上げて自分で審査員叩いちゃうんだもん」
「楽しそうに生きてればな、地球の重力なんてなくなる」とはお父さん。
「そうね。あたしやあなたは、そのうち宙に浮く」とはお母さん。
サーカスを観に行って空中ブランコのピエロが落ちるんじゃないかと心配する子ども達への言葉だ。久しぶりに読む伊坂は、ページの重力でさえ無くしたように浮き浮きと読み進めることができた。
「でさ、文庫にはね、かき足した章があるんだよ」と彼女。
「うそー、文庫貸して」「貸し出し中です」
わたしは重力に従い肩を落とした。凡人には重力は無くならないのだ。
重力と言えば林檎 町内にある蜜がたっぷり入った林檎の畑
「兄貴も気をつけた方がいいよ。まっすぐに行こうと思えば思うほど、道を逸れるものだからね。生きていくのと一緒だよ。まっすぐに生きていこうと思えばどこかで折れてしまう。かといって曲がれ曲がれと思っていると、本当に曲がる」(春のセリフより)
幻のねぎま鍋
ラタトゥイユ、ケッパー入りオリーブオイルのポテトサラダ、蛸の香味野菜サラダ、トマトのブルスケッタ、蓮根とズッキーニとエリンギのにんにく炒め、最後はねぎま鍋で締めくくった。ポテトサラダには庭のアップルミントを飾り、蛸サラダではテーブルで熱したごま油をジュッと音を立てて回しかける演出にも挑戦した。
だが何と言ってもラストのねぎま鍋が絶品だった。鍋にはすまし汁を倍にした濃さの汁を用意し、千切りの生姜にぶつ切りの葱。葱に少し火を通したところで鮪の刺身をぶつ切りにしたものを入れる。鮪は生で食べられるので、葱も鮪もお好みの硬さまで煮て、それを生卵に付けて食べる。
「葱が美味しいね」「うん。葱だね」「葱だ」
主役のはずの鮪より人気は葱だった。鍋いっぱいの葱はすぐに無くなった。翌日も3人で「あの葱は美味しかった」と言い合う程、描写の言葉が追いつかないくらいに美味しかった。
「幻の鍋になるかも」わたしは考えた。
夫の友人がライトなビール好きなわたしために買ってきてくれたバドワイザーを、わたしは6缶すべて気持ちよく空け、ふたりは白から呑み始め、赤ワインを3本空けた。
3人ともすっかり酔っていて、お腹もいっぱい。なのに5本切った葱をさらに切り足すほど食べた。あの鍋は、気持ちよく酔った時にだけ食べられる小人が魔法の粉を振りかけた1品だったのかも。
柔らかく煮た葱が美味しい季節。鮪ブロック安売りの時に是非お試しあれ。
幻のねぎま鍋の写真はありません なにしろ幻なので
いえいえ 食べるのに夢中で誰も写真に収めていなかっただけです
晴れの日も雨の日もある人生を
東京在住の彼はこれまでに2度、美味しいワインを持って泊りがけで遊びに来ているが、八ヶ岳も南アルプスも富士山も裾野ですら観ることができなかった。いつも雲が山を覆い尽くしているのだ。
「雨男ならぬ雲男なんとちゃう?」
故郷神戸の友人がそこまで来ていると思うからか、夫の口から関西弁が出た。
「クモオトコって、蠅男じゃないんだから」とわたし。
「晴れることも雨に降られることもない曇りオンリーの人生や」
そして彼は、小雨混じりの空模様の中やって来た。
「雨と共に来ました」と、もう会った途端に自虐的セリフ。
昨日までくっきりと見えていた山々が雲の向こうにすっかり姿を隠している。
その日は夫とふたり蕎麦を打ち、夜は手作りイタリアンでワインを3本空け、3人ずいぶんと酔っぱらった。
翌朝目覚めるも、どんよりとした空。一同言葉少なになるが、八ヶ岳大橋までドライブすることにした。
八ヶ岳に少しずつ近づいていく。雲が少しずつ少しずつ流れていく。大橋に着いた頃、八ヶ岳は、その姿を半分覗かせていた。しかし一番高い赤岳の雪化粧した頭に小さな雲がちょこんと乗って動かなくなった。
「ふーっ!」と夫が、届くはずのない息を、雲に向かって吹きかける。
そのせいだろうか。30分ほどすると八ヶ岳を覆う雲はすべてスーッと流れて消えた。八ヶ岳は照れたように、その全容を彼の前に現した。
「本当に、あったんやな」
山の存在自体否定しかけていた彼は、八ヶ岳をじっと見つめた。南アルプスも富士山も、うっすらとだが姿を見せ、実在することをアピールしている。彼が雲男だという疑いは晴れた。彼の人生には晴れの日も雨の日もあるのだ。
八ヶ岳大橋で 赤岳の頭に雲を乗せた八ヶ岳 左側はまだ雲の中
ゆっくりと訪ねたい地
あずさが遅れるといやーな感じがする。失敗したことがあるのだ。うっかり眠って乗り過ごした。それも遥か松本まで。
2年ほど前のこと。飯田橋で2時間ほど友人達と愉快に飲み、
「お先に。8時のあずさで帰るから」きちんとお金を払って店を出た。いいお酒だった。ところが新宿に着くと、あずさが動いていなかった。鹿を轢き1時間遅れだそうだ。新宿の駅中で1時間待つのもばかばかしいので外に出た。西口の立ち食い蕎麦屋が夕方には立ち飲み屋になる。
「ビールでも飲みながら待つか」
ゆっくりと生ビールを2杯空けた。隣には枝豆をつまみながら上司とサワーを飲むサラリーマンや、ビールを片手にから揚げを頼む若者がいた。酔っているという自覚はなく、娘に翌日のお弁当用のパンを買い、きちんと1時間後に遅れてやって来たあずさに乗った。指定席に座り「遅くなっちゃったな」と思った時には眠っていた。だいじょうぶ。甲府に着く10分前にアラームをかけてある。準備は万全だ。
しかしその後自分が取った行動は、とても疑問が残るものとなる。甲府で鳴ったアラームを車掌に注意され「すみません」と謝りアラームを止め、ふたたび眠った。次に起こされたのは松本だった。新宿から昏々と眠ること3時間。甲府までが1時間半だから倍の距離を乗り過ごしたことになる。
「次の鈍行なら無料で戻れますが今日はもう電車がありません」JR職員は慣れた調子で明日朝一番の鈍行ならこの切符で乗れると言った。駅前の東横インでは「乗り過ごしですね。五千円でいいです」乗り過ごし客一まとめ的な扱い。もちろんわたしも乗り過ごし客なので文句は言えない。
娘達に電話してあきれられ、翌日妹を学校の時間に駅まで送ってくれと上の娘に頼む。始発で鈍行に乗り、娘が使う無人駅で待った。パンを渡し謝る。
「お父さんに言うの? 言わないの?」
顔を見るなり上の娘が畳み掛けるように言う。
「ギャグにするしかないね」と答え夫にメールすると、
「しばらく謹慎のこと」と当然のごとく冷たい返事。
松本の滞在時間は5時間弱。できればゆっくりと訪ねたい地である。
娘が通う無人駅
小説「カフェ・ド・C」 20. いい夫婦の日に
11月22日は、いい夫婦の日だそうだ。その日、久しぶりにムッシュがカフェ・ド・Cのドアをくぐった。カウンターのいつもの席に座るが元気がない。そういえば母と結婚してからひとりで珈琲を飲みに来るのは初めてだ。
「お義父さん。何にしますか?」
「ああ。たまにはカプチーノにしようかな。温まりたい気分なんだ」
ムッシュは一言も口をきかずに、カプチーノを一口飲んではため息をついた。
「あの、」と僕が声をかけたのと、
「マスター」ムッシュが、深刻な顔で言ったのとが重なった。
「聞いてほしいことがあるんだ」「何でしょうか」その真剣さに緊張する。
「彼女が、その、ちょっとおかしいんだ」「おかしい、と言うと?」
「昨日からなんだが、その」言いあぐねるムッシュに促す。
「何でも相談してくださいよ」ムッシュがうなずく。
「キスをね、してくれないんだよ」「キス、ですか」
「おはようとおやすみの挨拶に、毎日キスするんだが、急に」
「そ、それは……。風邪でもひいたんじゃないですか?」
「いや。風邪はひいてない。彼女は風邪気味だと思ったら、いつも蜂蜜入りのレモネードを飲むんだよ。わたしにも予防だと言って入れてくれてね」
「今日は母は?」「何も言わずに出かけてしまって。もう何が何だか」
マスターから聞いてくれないかと頼まれたが、いくら親子でも聞きにくい。僕はタエに電話した。タエとは中学時代からの腐れ縁で、彼女はマダムとも仲がいい。ほどなくふたり連れだって店にやって来た。
マダムはカウンターに座り、ムッシュの方を向く。
「何も、へーすけに相談しなくても」怒ったような照れたような顔だ。
「いや、すまない。しかし、どうにも心配で」
「心配って?」「君の気持ちが離れてしまったんじゃないかと」
そこでマダムは、タエと顔を見合わせて笑った。
「笑うことじゃないだろ」僕はムッシュの気持ちになって言った。
「だって」とタエ。「ただの口内炎なのに」
「口内炎?」ムッシュがマダムの顔を見る。
「広がっちゃって、すごく痛くて、皮膚科に行ってたのよ」
「言ってくれればよかったのに」確かに、と僕も思う。
しかし、マダムも真剣だ。「唇の裏が腫れてるのが、恥ずかしかったの」
女心だねぇとタエが冷やかし、マダムに睨まれた。
「小春日和だし、散歩でもしながら帰るか」「いいわね」
女心。母にそんなものがあったとは。ふたりの背中を見送りながら考えた。いくら歳をとっても、いくら仲のいい夫婦でも、気持ちがすれ違い思い悩むことはあるのだ。それでも話をすればわかりあえることも多いのかもしれないと。
「まったく、素敵なふたりだねぇ」カウンターでタエがつぶやいた。
「暖かな日差しで、ゆりかもめも幸せそうに見えるね」とムッシュ
「わたし達ほどじゃないけどね」とマダム
ふんわり卵効果
娘のリクエストで茶碗蒸しを作った。
蒸し立ての茶碗蒸しが食べたくなる季節だ。
塩と薄口醤油で味付けした出汁に卵を混ぜる時、卵ってすごいなぁと思う。450ccの出汁に卵が3個。こんなに薄められてもちゃんと固まる。
一時期スポンジケーキ作りにハマり、納得がいくまで毎日焼いた。卵だけでふくらし粉も入れていないのにふくらむのが不思議で面白かった。やはり卵ってすごいなぁと思った。
命を生み出す前の凝縮した栄養素。良質の蛋白質。卵を毎日は食べようとしない娘のために今年は茶碗蒸しをたくさん作ろう。
しかし山梨県民の休日は卵が人気だった。わたしが茶碗蒸しを作り、娘がカップケーキを焼いた。ふんわり固まる茶碗蒸し。ふんわりふくらむカップケーキ。味見させてもらった焼き立てのカップケーキの控えめの甘さが、カリッと感も加わってふんわり口に広がった。気持ちもふんわり温まった。
「あれ? 洗ってくれたの?」と娘。
お菓子作りの洗い物は自分でするように言ってあるが、わたしが洗った。
「うん。キッチン片づけてくれたから。ありがと」
娘はカップケーキが焼き上がるのを待ちつつ、キッチンを綺麗にしてくれた。あれをやれ、これをやれと言わずとも娘がやってくれたことに感謝して、わたしもカップケーキの洗い物をした。
これもふんわり卵効果かな。娘が片づけたキッチンが明るく光っている。
シイタケは町内産 北杜市にはシイタケ農家さんがたくさんいます
娘が苦手な銀杏は入れませんでした
佐渡の海と朱鷺が舞い降りる田んぼに思いを馳せて
その新米を今、毎日楽しんでいる。山梨より稲刈り時期も遅くそれを半月ほど天日干しにするので、新米の時期がずれるのだ。作った人の顔が見えるお米を、それも新米を2度味わえる。最高に贅沢だ。
さて。佐渡と山梨の大きな違いと言えば?
海に囲まれた佐渡。海はなく大地の真ん中にある山梨。
そうなのだ。佐渡米と山梨の米には、正反対の環境が作用する面白さがある。
佐渡米には、海がない山梨にはない海の持つパワーが詰まっていて、噛みしめると旨味を深く感じるしっかりした米だ。
作っている「どじょっこ田んぼ」の津田さんご夫婦は、新宿のホームレス支援で知り合ったというふたりで、働く場のない人のために農業をと、自ら米作りをするところから始めた。「佐渡でしか作れない力が湧いてくるような美味しい米を」と無農薬と天日干しにこだわり、がんばっている。穏やかな中に秘めたパワーを限りなく持っているふたりだ。
津田さんご夫婦と、佐渡の海と、朱鷺が舞い降りる田んぼを思い浮かべる。
海の力。大地の力。太陽の力。水の力。そして、人の力。たった一粒の米の中にあふれている目に見えない捉えどころのないパワー。そしてそれを食べ、人の中には、また力が湧く。
つくづく不思議なことだよなぁと思いつつ、新米を噛みしめた。
娘は毎日自分でおにぎりを握って学校に行きます
わたしが左手を骨折してからずっと自分で握っています
母の手が治ったことに気づいないのかな? まさか
佐渡と山梨のお米パワーで風邪をひかずに受験の冬を乗り切ってほしいです
ペンキ塗りは計画的に
週末、ウッドデッキのメンテナンスでペンキ塗りをした。
「何処から塗ったらいい?」とわたし。
「じゃ、そっちの端から」と夫。
ふたり黙々と端からペンキを塗り始めた。しばらくして。
「あー、そこ塗っちゃったら、部屋に入れなくなるじゃん」
夫に言われ気づく。ひとつだけリビングに出入りできるようにと開けておいた場所の半分まで、わたしは塗ってしまっていた。
「あー、ほんとだ。ははは。まいっか。ここから入れなくてもさ。玄関から入ればいいじゃん」
わたしは、そのまま塗り続けた。夫が先に塗っていた場所まで到達し、出入り口の方から塗り始めた。
「あのさー」と夫に言われまた気づく。周りはペンキの海で、わたしは塗っていない孤島にひとり立っていた。
「あれ?」わたしは海を飛び越えまだ塗っていない陸に着地した。陸はまだ近く、問題はなかった。
「君には計画性ってものがないの? 出入り口に向かって塗れば、そこから部屋に逃げられたものを」
わたしは陸から手を伸ばし孤島を塗り終えた。
「終わりよければ、すべてよしさ」
「普通は考えて塗るでしょう」夫は呆れ顔だ。
しかし、わたしだって何も考えずに塗ってたわけじゃないのだ。
「あーあ、嫌だなぁ。先のことばっかり考えてる人生なんて」
「だから、ペンキ塗りの話だって!」
ペンキを塗り終え、紅茶と買ってきたサンドイッチでお昼を食べた。夫はミルクたっぷりミルクティー。わたしはストレート。
性格も紅茶の好みも違うが、ふたり一緒にウッドデッキにペンキを塗り、ふたり一緒にお昼を食べた。ふたりの方がペンキは早く塗れるし、ふたりの方が簡単なお昼もずっと美味しく食べられる。
もちろんケンカになることも、ないわけじゃないけれど。
その日コゲラ(小さめのキツツキ)が家をつつきに来ました
「コゲラだ! かわいい」とわたし
「あいつ、人んちをつつきやがって」と夫
娘は冷静に言いました 「あそこの外板に虫がいるのかな?」
世界は嘘で回ってる
酔って頭をぶつけたことを言えなかった。かっこ悪い。ただそれだけの理由だ。しかし頭をぶつけたことを言わない訳にはいかない。贔屓にしているマッサージ師の彼はいつも最後に頭を指圧してくれる。
「立ち上がった時に、出っ張りがあるのに気がつかなくて」
「立ち上がる時、加減する人はいないっすからね」
彼は優しく笑った。そしてむち打ちの症状が出ていないか注意しながらマッサージしてくれた。とても楽になった。
つまらないことで人は嘘をつく。他愛のない、つかなくてもいい嘘をつく。嘘を重ねて生きている。彼は、雨の中拾った子猫が、来月出産予定の奥さんの大きなお腹で眠るのが好きなことや、子猫のために、ずっと飼っている4匹の猫の小屋を作ったことなどをにこやかに話しながらマッサージしてくれた。その中には嘘は無いように思えた。
小説や映画では、誰かが言った一言が分かれ道になり世界が変わってしまうというストーリーがあったりするが、わたしがついた小さな嘘は、世界の歯車をほんの少しでも狂わせただろうか。南アルプスの彼が、新しく作った猫の小屋でふとわたしが言っていたことを思い出し、棚に頭をぶつけずに済んだというストーリーも考えられる。しかしその逆も考えられる。酔ってぶつけたと言っていたら、彼はその日は酒を飲まずそれがいい方向に傾いたかもしれない。
しかしまあ、このくらいの小さな嘘は日々そこ此処に転がっているのだ。世界の歯車は小さな嘘で回ってると言ってもいいくらいだ。
週末、夫が壊れた引き戸を修理してくれた。壊して申し訳なかったなぁと思いつつ戸をきれいに拭いた。玄関が少し明るくなったような気がした。
引き戸が直って平穏を取り戻した玄関
びっきー、その名の由来
犬が欲しいという10歳の娘のために、友人が、もうすぐ赤ちゃんを産むという母さん犬を紹介してくれた。夫婦ともにビーグルで、何度も出産しているという。見に行くと母さん犬は重たそうなお腹を横たえていたが、わたし達を見ると、吠えるでもなく嬉しそうに近づいてきた。父さん犬もおなじくで人懐っこい。娘は母さん犬を撫で、お腹の子犬に名前を付けた。
「びっきー」
生まれる日を心待ちにし、何度かビーグル夫婦を見に行った。しかし、そのうち妙なことが起こった。母さん犬のお腹が少しずつ縮んできたのだ。そして子犬を生んでもいないのにすっかりもとの大きさに戻ってしまった。
「想像妊娠だったみたいだ。悪かったね」
飼い主さんは言った。犬でも赤ちゃんが欲しくなり想像妊娠することがあるのだそうだ。びっきーはビーグルからは生まれなかった。
びっきーはその頃たぶん何処かで捨てられて、里親の会に引き取られていたのだろう。そしてビーグルが生まれてこなかったおかげで娘の犬になった。
「びっきー」
ビーグルじゃない子犬を娘は愛おしそうに呼んだ。
昨年の冬 上の娘と一緒に
うれしそうにお手するびっきー
レグウォーマー同盟
レグウォーマーファンのわたしは、普段履きのユニクロの安物から、ジーンズの上におしゃれに履ける模様編みのもの、目立たないけどスカートの下に履いてもおかしくない大人しい色合いのものと、いくつか揃えて楽しんでいる。
娘に薦め嫌がられたが、まあいい。わたしにはレグウォーマー同盟の仲間がいる。クリーニング屋のおばちゃんだ。
何年か前に、風邪をひいたと言うおばちゃんにレグウォーマーを薦めたら、
「運転できんから、買いに行けなくてさ」というので、
ユニクロの990円のレグをプレゼントした。
それ以来、今頃の季節になると、クリーニング屋の店先でこんな会話をする。
「寒いねぇ」「冷えますねぇ」「もう履いたよ」「わたしも!」
そして店先でふたりジーンズを捲ってレグを見せ合うのだ。見せ合って笑う。笑うとからだじゅうほかほか温かくなる。毛玉のついたユニクロのレグは、毎年そうしてからだじゅうをほかほかと温めてくれる。
ジーンズ用の2色使いのレグウォーマー
温かいカラフルな飾りがついたショールと合わせて
疲れた時にはヴァン・ショーを
「パンが11個しかない時、僕らはどうすると思う?」
一番年かさの小人がわたしに問う。答えられずにいると彼は言った。
「全部のパンを12個に切り分けて、みんなで同じだけ食べるのさ」
なるほど。
年かさの小人は、まだヤンチャ盛りの小人達をまとめるのに苦労していた。出席をとるように名前を呼ぶのだが、悪戯するように何人もの小人が手を上げる。彼は肩をすくめてその名の小人を探し、ちゃんとそこにいることをチェックしていた。
「この夢は何かの暗喩なのかな?」娘に言うと、
「お母さん、疲れてるんじゃない」と心配そうな顔をした。
そうか。疲れているのか。
そう思ったら、ヴァン・ショーを作ってみたくなった。以前読んだ近藤史恵のコージーミステリー『タルト・タタンの夢』(東京創元社)に出て来たスパイシーなホットワインだ。ビストロ「パ・マル」の三舟シェフが、疲れている人や心がカサついている人にヴァン・ショーを出していたのを思い出した。
ネットを検索するとなんと『タルト・タタンの夢』のレシピすべてが動画でアップされていた。さっそくオレンジとシナモンを買い、少し古くなった赤ワインで作ってみた。確かにふわりと温まった。
小人はわたしに何を言おうとしていたのだろうか。
「ひとり減らせばいいのさ」とも「僕が食べずにがまんしよう」とも言わず、彼は愚直に公平に分けることを考え、仲間がちゃんとそこにいるかどうかを気にかけていた。「もっと欲しい」という小人もいるかもしれない。「不公平だ」という小人もいるかもしれない。その時彼は何と答えるのだろう。
ヴァン・ショーで温まりつつ考えた。しかし小人はもう何も答えてはくれなかった。何も答えず林檎の上にあぐらをかき、ただ笑っていた。
安い赤ワインにオレンジとレモンの輪切り クローブ シナモンスティック
全部を鍋に入れ沸騰させて火を止めて 蓋をして10分ほど置きます
スパイスの香りがワインに沁みたら もう一度温めてできあがり
林檎を入れたレシピもスタンダード 甘いのが好きなら砂糖をお忘れなく
「ツイ禁」って知ってる?
「デパ地下」をちゃんと変換してくれるパソコンは賢い。しかしさすがに「ツイ禁」(ついきん)は変換できなかった。娘に聞いた目新しい言葉だ。
受験生である彼女は、友人達とツイッターでジョークを言い合ったりして遊ぶことが多いようだが、それにハマりすぎてもいけないとツイッターを自ら禁止する友人もいるとのことだ。ツイッターを禁ずる。それが「ツイ禁」だ。ツイッターを減らす「ツイ減」(ついげん)なる言葉も使うそうで、もう大人には訳わからん状態だ。
4つの音からなる言葉が日本人にしっくりくるのはわかる。パソコンもケータイもリモコンも、すでに元の言葉より馴染んで使ってしまっている。
わたしは使わないが誕生日プレゼントは「誕プレ」だし、『世界の中心で愛をさけぶ』は「セカチュウ」と略された。「百均」を百円均一の店と呼ぶ人はもはやいないだろう。
綺麗な言葉を使いたいとは思っているが、4つの音からなる略語には受け入れてもいいかなという面白さもある。「デパ地下」だってデパートの地下食品売り場の略だと思うが、「食品」が抜けていても「デパ地下」の中には食品売り場の意味が色濃く表現されている。その辺りがなんとも面白い。
娘は「ツイ禁」も「ツイ減」もしていない。自分でコントロールできる場所にいたいのだそうだ。新しい言葉を受け入れつつも彼女は美しい日本語が好きだ。小学校卒業時に選んだ好きな四字熟語は「花鳥風月」だった。
そういえば、オーストラリアでワーキングホリデー中の娘がら「メルボルンからタスマニアに渡った」とメールがあった。小学生の頃、彼女が選んだ四字熟語は「十人十色」変わらずに彼女らしくやっているようだ。
タスマニアの草原 タスマニアデビルには会ったのかな?
CouchSurfing(カウチサーフィン)を利用して
いろいろなお家にお世話になったみたいです
カウチ=ソファーをサーフィンする つまりソファーを渡り歩くという意味で
海外旅行者を受け入れてくれるお家があるんだそうです
永遠に付けられることのない第2ボタン
制服でブレザー姿の娘が久しぶりにネクタイを締めていた。娘の学校は進学校ならではの自由さがあり、女子のリボンやネクタイなどは何を付けてもいいことになっている。付けなくてもOK。ショッキングピンクのスカーフだってOKだ。娘はモノトーンのチェックのネクタイをぴしりと締めていて、かっこよく見えた。しかしわたしの言葉に彼女は顔を曇らせた。
「それは何かの暗喩?」
「いやー、早くブラウスのボタンを付けろなんて言ってないよ」
「言ってるじゃん!」
娘は、とれてしまったブラウスの第2ボタンを付けるのをずっとサボっている。ボタン付けくらいは自分でやるように言ったのだが、サボり続けている。それを隠すために普段はしないネクタイを締めているのだった。たぶん、彼女のブラウスの第2ボタンは永遠に付けられることはないだろう。
「まったく誰に似たんだか」
駅で娘の後ろ姿を見送りながら口をついて出た言葉に、自分で苦笑する。わたしに似たのだ。ボタン付けくらい簡単にできるのだが、ただただ面倒でついサボる。後まわしにしてしまう。アイロンかけもおなじくで、つい溜める。
しかし、そんなわたしだが娘の制服のブラウスだけは、毎日アイロンをかけている。かけなくても着られるタイプのものだが、アイロンをかけたブラウスに娘が毎日手を通す。それだけで風邪をひかないような気がするのだ。第2ボタンがとれたままのブラウスにも、クスリと笑いながらアイロンをかける。永遠に付けられることのない第2ボタンは今何処にあるのだろうかなどと、思いめぐらせつつ。
お菓子の箱を利用した裁縫箱 リスくんとカラフルな針山がお気に入り
夫はシャツにこだわっているのでボタンをつける糸の色も様々です
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