はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
掏摸と『ハイビスカス・ブレンド』
スタバの『ハイビスカス・ブレンド』にハマっている。
ストレート・ホットティーが何種類かあり、普通の紅茶に分類されるものは『イングリッシュ・ブレックファースト』『アールグレイ』日本茶は『ほうじ茶』インド産の紅茶にジンジャー、シナモン、ブラックペッパーをブレンドした『チャイ』ハーブティーに『スペアミント・グリーン』と『ハイビスカス・ブレンド』がある。
『ハイビスカス・ブレンド』には、ハイビスカスはもちろん、シナモン、レモングラス、ローズヒップなどがブレンドされていて、きりっとした酸味が味わえる。カフェインレスで、身体も温まり、疲れている時にぴったりのお茶だ。
なので最近、注文する時にもスムーズだ。
「ホットのハイビスカス・ブレンドをトールで」と、メニューを見ずに頼む。
すると、店の女の子に「ハイビスカス・ブレンド、お好きなんですか?」と、聞かれた。
「ここんとこ、いつもこれなの」と、わたし。
「美味しいですよね」と、彼女は笑顔を向けるが、少し面食らった。
「でも、どうして?」と、つい聞いてしまう。オーダーを受ける度に、客に聞いている訳ではなかろう。
「いえ、あまりに迷わず、注文されたので」
なるほど、と合点する。人は見ていないようで、いろいろなことを見ている。もしここに刑事の聞き込みが入ったら、あの子はわたしのことを覚えているんだろうなと思い、ちょっと悔しくなる。存在を消すためには、スタバで注文する時さえ、メニューを見て少し迷い、指差したりしつつオーダーしなければ返って目立ってしまうのだ。
今『掏摸(すり)』(河出文庫)を読んでいる。中村文則の大江健三郎賞受賞作だ。これが面白い。刑事の聞き込み時に、まるでそこに居なかったかの如く存在を消す練習をするのもまた、面白そうだ。
とりあえず、スタバでは「えーっと」と言い、メニューを見ることにしよう。
濃い赤が綺麗なハーブティー。風邪の喉にも、よさそうです。
「濃厚な時間は、その人間に再現を求めるんだ。もう一つの人格を持ったみたいに。またあの感覚を、またあの感覚をって、自分に要求してくる」
主人公の掏摸仲間で、行方知れずになった石川のセリフです。
ストレート・ホットティーが何種類かあり、普通の紅茶に分類されるものは『イングリッシュ・ブレックファースト』『アールグレイ』日本茶は『ほうじ茶』インド産の紅茶にジンジャー、シナモン、ブラックペッパーをブレンドした『チャイ』ハーブティーに『スペアミント・グリーン』と『ハイビスカス・ブレンド』がある。
『ハイビスカス・ブレンド』には、ハイビスカスはもちろん、シナモン、レモングラス、ローズヒップなどがブレンドされていて、きりっとした酸味が味わえる。カフェインレスで、身体も温まり、疲れている時にぴったりのお茶だ。
なので最近、注文する時にもスムーズだ。
「ホットのハイビスカス・ブレンドをトールで」と、メニューを見ずに頼む。
すると、店の女の子に「ハイビスカス・ブレンド、お好きなんですか?」と、聞かれた。
「ここんとこ、いつもこれなの」と、わたし。
「美味しいですよね」と、彼女は笑顔を向けるが、少し面食らった。
「でも、どうして?」と、つい聞いてしまう。オーダーを受ける度に、客に聞いている訳ではなかろう。
「いえ、あまりに迷わず、注文されたので」
なるほど、と合点する。人は見ていないようで、いろいろなことを見ている。もしここに刑事の聞き込みが入ったら、あの子はわたしのことを覚えているんだろうなと思い、ちょっと悔しくなる。存在を消すためには、スタバで注文する時さえ、メニューを見て少し迷い、指差したりしつつオーダーしなければ返って目立ってしまうのだ。
今『掏摸(すり)』(河出文庫)を読んでいる。中村文則の大江健三郎賞受賞作だ。これが面白い。刑事の聞き込み時に、まるでそこに居なかったかの如く存在を消す練習をするのもまた、面白そうだ。
とりあえず、スタバでは「えーっと」と言い、メニューを見ることにしよう。
濃い赤が綺麗なハーブティー。風邪の喉にも、よさそうです。
「濃厚な時間は、その人間に再現を求めるんだ。もう一つの人格を持ったみたいに。またあの感覚を、またあの感覚をって、自分に要求してくる」
主人公の掏摸仲間で、行方知れずになった石川のセリフです。
十年ぶりの風邪
風邪を、ひいた。朝食後に飲んだ紅茶が喉に支え、その痛みで気づいた。
東京は板橋に住む両親の家に帰り、旧友などとも会う機会に恵まれ、楽しく2泊し、山梨に帰ろうという日の朝である。
「この痛みは、そう簡単には引いてくれそうにないな」
覚悟を決め、所用を済ませ早めに特急かいじに乗った。娘も出掛けていたので家は冷たくなっていた。薪ストーブを使う限り、予約暖房タイマーなどとは縁のない生活となる。ダウンを着たまま、ストーブの灰を掻き出し、火を入れた。部屋が温まるまで、2時間ほど。連日「今年一番の寒さ」とのニュースが流れている。陽が落ちる前に、さっさと帰って来て正解だった。
炬燵に入り、暖を取る。
頭の芯がしびれ、息が熱いのに熱はない。瞬きをする度に右目だけが痛く、胸には汗をかきつつも、腰の辺りはダウンを着ていても冷たいままだ。
考えてみれば、久しぶりである。
風邪をひきにくい体質で、2年前にインフルエンザにはかかったが、実際風邪らしい風邪をひいたのなんか、十年ぶりくらいだろうか。
急に気落ちして、だが気落ちしつつも何故かハイになり、風邪をひいたと聞いていた義母と友人に、メールした。
「風邪いかがですか? わたしも風邪みたい。おたがい大事にしましょうね」
気分はすっかり風邪ひきモードで、加速度を増し、どんどん落ち込んでいく。幸いふたりとも、風邪は回復に向かっているようだった。
夕食にちょっと遅い時間。
帰宅した夫も「調子、どう?」と、いつになく優しい。炬燵で熱いチゲ鍋を食べ、ビールも2缶にして(笑)風邪薬を飲み、早々に布団に入った。
翌朝も、薪運びを手伝おうとすると、夫にとめられた。
「ふふふ」と、ちょっとわくわくした気分になってくる。
天井から俯瞰する。風邪をひいたと落ち込む自分を、何処か楽しんでいるわたしが、見え隠れしていた。
チゲ鍋も風邪仕様で、葱をたっぷり目に入れました。
豆腐とニラを入れて、出来上がり!
風邪ひきのみなさん、どうぞお大事にしてください。
東京は板橋に住む両親の家に帰り、旧友などとも会う機会に恵まれ、楽しく2泊し、山梨に帰ろうという日の朝である。
「この痛みは、そう簡単には引いてくれそうにないな」
覚悟を決め、所用を済ませ早めに特急かいじに乗った。娘も出掛けていたので家は冷たくなっていた。薪ストーブを使う限り、予約暖房タイマーなどとは縁のない生活となる。ダウンを着たまま、ストーブの灰を掻き出し、火を入れた。部屋が温まるまで、2時間ほど。連日「今年一番の寒さ」とのニュースが流れている。陽が落ちる前に、さっさと帰って来て正解だった。
炬燵に入り、暖を取る。
頭の芯がしびれ、息が熱いのに熱はない。瞬きをする度に右目だけが痛く、胸には汗をかきつつも、腰の辺りはダウンを着ていても冷たいままだ。
考えてみれば、久しぶりである。
風邪をひきにくい体質で、2年前にインフルエンザにはかかったが、実際風邪らしい風邪をひいたのなんか、十年ぶりくらいだろうか。
急に気落ちして、だが気落ちしつつも何故かハイになり、風邪をひいたと聞いていた義母と友人に、メールした。
「風邪いかがですか? わたしも風邪みたい。おたがい大事にしましょうね」
気分はすっかり風邪ひきモードで、加速度を増し、どんどん落ち込んでいく。幸いふたりとも、風邪は回復に向かっているようだった。
夕食にちょっと遅い時間。
帰宅した夫も「調子、どう?」と、いつになく優しい。炬燵で熱いチゲ鍋を食べ、ビールも2缶にして(笑)風邪薬を飲み、早々に布団に入った。
翌朝も、薪運びを手伝おうとすると、夫にとめられた。
「ふふふ」と、ちょっとわくわくした気分になってくる。
天井から俯瞰する。風邪をひいたと落ち込む自分を、何処か楽しんでいるわたしが、見え隠れしていた。
チゲ鍋も風邪仕様で、葱をたっぷり目に入れました。
豆腐とニラを入れて、出来上がり!
風邪ひきのみなさん、どうぞお大事にしてください。
夢始め『待ち針』編
夢の話は、つまらないから人にするなとの忠告を、何処かで読んだことがある。なので、家族以外に話すことは少ないが、年明けに見た馬が登場した夢は、面白がってくれる友人も何人かいて、再度、夢の話をしてみようかという気持ちになった。
幼稚園の教室を、わたしは傍観していた。南向きに建てられた園舎にはたっぷりと陽が射し、園庭はにぎやかに駆け回る子ども達であふれていた。その教室の窓際で一人の男の子が、両手いっぱいに鷲掴みにした待ち針を教室中にバラ撒き始めた。先生達は躍起になり止めさせようとするが、待ち針は後から後から彼の手にあふれ、教室の天井めがけ、花びらでも撒くかのようにそれはもう嬉しそうに思いっきり投げ上げる。待ち針は大きさ形もまちまちで美しい。シルバーピンクのものもある。それが色鮮やかに宙を舞う。「危ない!」と思うのだがわたしは傍観者で、他の子ども達も一向に気にも留める様子もない。ただ大人だけが、必死に叫ぶのみである。
この夢を見た前日、わたしは二つのことをした。一、Facebookに『金平糖』のことをかき込んだ。二、東野圭吾原作ドラマ『眠りの森』を観た。
カラフルで小さな金平糖から、待ち針が連想されたのだと想像する。そしてドラマの題材となった『眠りの森の美女』では、姫を百年の眠りにつかせた糸車の針が登場。針は人を刺すものとなる。撒いたのは、節分が近づいたからか。
目覚めて冷静に考えると、なんて単純な、と思わざるを得ない夢が多いのだが、眠っている間に、どうしてまたこんな風にややこしくこねくり回して創り直すかなぁと、そのシステムには、我ながら呆れてしまう。
ちなみに今回、舞台として選ばれたのは、幼い頃通っていた東京は板橋区の『みどり幼稚園』だった。あの園舎はまだ、あるのだろうか。
ずっと使っていない裁縫道具など、ごちゃごちゃに入れた箱を開け、
懐かしい気持ちでいっぱいになりました。ミシン刺繍用のカラフルな糸。
とれたボタンや、カラーボビン。右上にある指ぬきは、小学校の時のかな?
パッチワークの針山は、中学の時に家にある布で作りました。
1本だけ、ちょんと刺してあるのがシルバーピンクの待ち針です。
リスくんの針山は、吉祥寺の雑貨屋で見つけたものです。300円也。
このリスくん、ウルトラマンに似てると思うのはわたしだけ?しゅわっち!
幼稚園の教室を、わたしは傍観していた。南向きに建てられた園舎にはたっぷりと陽が射し、園庭はにぎやかに駆け回る子ども達であふれていた。その教室の窓際で一人の男の子が、両手いっぱいに鷲掴みにした待ち針を教室中にバラ撒き始めた。先生達は躍起になり止めさせようとするが、待ち針は後から後から彼の手にあふれ、教室の天井めがけ、花びらでも撒くかのようにそれはもう嬉しそうに思いっきり投げ上げる。待ち針は大きさ形もまちまちで美しい。シルバーピンクのものもある。それが色鮮やかに宙を舞う。「危ない!」と思うのだがわたしは傍観者で、他の子ども達も一向に気にも留める様子もない。ただ大人だけが、必死に叫ぶのみである。
この夢を見た前日、わたしは二つのことをした。一、Facebookに『金平糖』のことをかき込んだ。二、東野圭吾原作ドラマ『眠りの森』を観た。
カラフルで小さな金平糖から、待ち針が連想されたのだと想像する。そしてドラマの題材となった『眠りの森の美女』では、姫を百年の眠りにつかせた糸車の針が登場。針は人を刺すものとなる。撒いたのは、節分が近づいたからか。
目覚めて冷静に考えると、なんて単純な、と思わざるを得ない夢が多いのだが、眠っている間に、どうしてまたこんな風にややこしくこねくり回して創り直すかなぁと、そのシステムには、我ながら呆れてしまう。
ちなみに今回、舞台として選ばれたのは、幼い頃通っていた東京は板橋区の『みどり幼稚園』だった。あの園舎はまだ、あるのだろうか。
ずっと使っていない裁縫道具など、ごちゃごちゃに入れた箱を開け、
懐かしい気持ちでいっぱいになりました。ミシン刺繍用のカラフルな糸。
とれたボタンや、カラーボビン。右上にある指ぬきは、小学校の時のかな?
パッチワークの針山は、中学の時に家にある布で作りました。
1本だけ、ちょんと刺してあるのがシルバーピンクの待ち針です。
リスくんの針山は、吉祥寺の雑貨屋で見つけたものです。300円也。
このリスくん、ウルトラマンに似てると思うのはわたしだけ?しゅわっち!
知っているという宝物
「すごいよねぇ」と、末娘が感動していた。
「韮崎から乗って、浦和までスイカで行けるんだよ」
「ほんとだねぇ」と、わたし。
彼女は、各駅停車の旅で浦和から帰省した。わたしや夫が東京に行く時には、あずさやかいじの特急を使うのでいつも回数券。スイカは使わない。
彼女の感動は、新宿からJR中央線に乗ってスイカ利用可能最終駅『韮崎』の先に在る無人駅『穴山』からさらに長野方面に乗り『長坂』まで通っていた高校時代から来ている。
「なんで、スイカ持ってるの?」と、何度も彼女は学友達に聞かれていた。
わたしの実家がある東京に遊びに行く機会が多かった彼女には、持っていて便利なスイカも、スイカの果ての先の学校では、その便利さも判ってもらえない。都心大学のオープンキャンパスに行く3年生になるまで、スイカを持たない子の方が多数派だったのだ。
新宿湘南ラインだって停まる浦和で始めた暮らしは、信じられないほど便利で楽しく、キラキラ輝いているかもしれない。だがそれも、彼女がスイカの使えない暮らしを知っているからだ。知っているっていうことが、もしかしたら彼女にとって、キラキラとは光らなくとも宝物の一つになるかもしれないな。
韮崎で、電車を待ちつつ、キラキラと凍った空気を小さく吸い込んだ。
韮崎駅まで歩く途中の歩道で、寝転んでいました。
韮崎名物ではありません。ノラさんかな?
サッカーが盛んな韮崎市。駅前には『球児の像』があります。
韮崎高校出身の中田英寿が、モデルという訳ではありません。
彼が生まれる前から、立っているそうです。
新しく登場したキャラ、ニーラも、サッカーボールを持っています。
自動チャージできないスイカ改札をくぐって、ホームに立つと、
真っ白い平和観音の姿が見えます。
ええっ? 国立公園下車駅だったの?
知らないことばかり、かいてありました。うーん、灯台もと暗し。
「韮崎から乗って、浦和までスイカで行けるんだよ」
「ほんとだねぇ」と、わたし。
彼女は、各駅停車の旅で浦和から帰省した。わたしや夫が東京に行く時には、あずさやかいじの特急を使うのでいつも回数券。スイカは使わない。
彼女の感動は、新宿からJR中央線に乗ってスイカ利用可能最終駅『韮崎』の先に在る無人駅『穴山』からさらに長野方面に乗り『長坂』まで通っていた高校時代から来ている。
「なんで、スイカ持ってるの?」と、何度も彼女は学友達に聞かれていた。
わたしの実家がある東京に遊びに行く機会が多かった彼女には、持っていて便利なスイカも、スイカの果ての先の学校では、その便利さも判ってもらえない。都心大学のオープンキャンパスに行く3年生になるまで、スイカを持たない子の方が多数派だったのだ。
新宿湘南ラインだって停まる浦和で始めた暮らしは、信じられないほど便利で楽しく、キラキラ輝いているかもしれない。だがそれも、彼女がスイカの使えない暮らしを知っているからだ。知っているっていうことが、もしかしたら彼女にとって、キラキラとは光らなくとも宝物の一つになるかもしれないな。
韮崎で、電車を待ちつつ、キラキラと凍った空気を小さく吸い込んだ。
韮崎駅まで歩く途中の歩道で、寝転んでいました。
韮崎名物ではありません。ノラさんかな?
サッカーが盛んな韮崎市。駅前には『球児の像』があります。
韮崎高校出身の中田英寿が、モデルという訳ではありません。
彼が生まれる前から、立っているそうです。
新しく登場したキャラ、ニーラも、サッカーボールを持っています。
自動チャージできないスイカ改札をくぐって、ホームに立つと、
真っ白い平和観音の姿が見えます。
ええっ? 国立公園下車駅だったの?
知らないことばかり、かいてありました。うーん、灯台もと暗し。
誰か、いる?
八ヶ岳から北風が吹き下ろすこの季節、強い風に家が揺れる。
「えっ? 地震? あれっ? えっ? なんだ、風かぁ」と、わたし。
小学生の頃から北風に揺れる2階の住人である上の娘は、一緒にいるリビングから自分の部屋を見上げることもなく「風だね」と答え、顔色一つ変えない。そして脅すように言うのだ。「それか、誰かいるのかも」と。
この土地に生えていた赤松を使い建てたこの家は、隣りの林の赤松と申し合わせたかの如く、しなり揺れる。隣の赤松は「キーッ、キーッ」と鳴くような声を出すが、木材となった赤松は、そんな風に素直な声では鳴かない。
カタッ。ことん。ミシッ。ずん。カーン。ぱん。タタタタタッ。ぱらぱらっ。
不思議な音で、鳴くのだ。
住んでみないと判らないだろうが、娘達も夫も言う。「誰か、いる」と。
節電のため、いちばん温かい2階の末娘の部屋で眠るようになり、風の音にも、その北風に揺さぶり起こされることにも慣れ始めた。
しかし、慣れないのは「誰か、いる」その気配だ。夫がいない夜、上の娘から遅くなるとメールがあり、ひとりベッドに入った。うとうとし始めた頃。玄関が開く音がし、鞄を置く音、ストーブに薪を入れる音、鍋を温める音がする。「ああ、娘が帰ってきたのだな」と夢うつつで眠りに入った。だが、夜中に目覚め、トイレに行き水を飲み、リビングや風呂場を見回し愕然とした。彼女はまだ、帰って来ていなかったのだ。
「誰!?」
それでもまだ、仕事部屋にいるかもしれないと、末娘の部屋から窓を覗くと、窓に髪の長い心細そうな顔をした女が映った。もちろん、自分自身である。
「やめた、やめた!」真冬に怪談は、似合わない。布団をかぶるのみ。
朝起きて、娘に話すと、彼女は不敵に「ふふふ」と笑った。
吹き抜けの上の天窓には、手が届きません。外からだと7m位あるかなぁ。
此処から入って来られるのは、シルクド・ソレイユのメンバーだけかも。
末娘の部屋の天窓も同様。南向きの天窓からは陽が射していました。
こんな風に、組み合わせた梁もあります。
また、何年か経ち木が動いて直した場所もあります。
建てた時に材木につけたマークが、そのまま見えるところも。
いちばん怪しいのは、屋根裏部屋? 煙突のなかも、怪しいかも。
「えっ? 地震? あれっ? えっ? なんだ、風かぁ」と、わたし。
小学生の頃から北風に揺れる2階の住人である上の娘は、一緒にいるリビングから自分の部屋を見上げることもなく「風だね」と答え、顔色一つ変えない。そして脅すように言うのだ。「それか、誰かいるのかも」と。
この土地に生えていた赤松を使い建てたこの家は、隣りの林の赤松と申し合わせたかの如く、しなり揺れる。隣の赤松は「キーッ、キーッ」と鳴くような声を出すが、木材となった赤松は、そんな風に素直な声では鳴かない。
カタッ。ことん。ミシッ。ずん。カーン。ぱん。タタタタタッ。ぱらぱらっ。
不思議な音で、鳴くのだ。
住んでみないと判らないだろうが、娘達も夫も言う。「誰か、いる」と。
節電のため、いちばん温かい2階の末娘の部屋で眠るようになり、風の音にも、その北風に揺さぶり起こされることにも慣れ始めた。
しかし、慣れないのは「誰か、いる」その気配だ。夫がいない夜、上の娘から遅くなるとメールがあり、ひとりベッドに入った。うとうとし始めた頃。玄関が開く音がし、鞄を置く音、ストーブに薪を入れる音、鍋を温める音がする。「ああ、娘が帰ってきたのだな」と夢うつつで眠りに入った。だが、夜中に目覚め、トイレに行き水を飲み、リビングや風呂場を見回し愕然とした。彼女はまだ、帰って来ていなかったのだ。
「誰!?」
それでもまだ、仕事部屋にいるかもしれないと、末娘の部屋から窓を覗くと、窓に髪の長い心細そうな顔をした女が映った。もちろん、自分自身である。
「やめた、やめた!」真冬に怪談は、似合わない。布団をかぶるのみ。
朝起きて、娘に話すと、彼女は不敵に「ふふふ」と笑った。
吹き抜けの上の天窓には、手が届きません。外からだと7m位あるかなぁ。
此処から入って来られるのは、シルクド・ソレイユのメンバーだけかも。
末娘の部屋の天窓も同様。南向きの天窓からは陽が射していました。
こんな風に、組み合わせた梁もあります。
また、何年か経ち木が動いて直した場所もあります。
建てた時に材木につけたマークが、そのまま見えるところも。
いちばん怪しいのは、屋根裏部屋? 煙突のなかも、怪しいかも。
具だくさん『田舎汁』に、幸せ指数アップ
具だくさんの料理を、よそったり、取り分けたりが苦手である。
たとえば、我が家で『田舎汁』と呼ぶ味噌汁には、鶏肉と、野菜をたっぷり(大根、人参、玉葱、長葱、じゃが芋、きのこ類など。その他、冷蔵庫に在るもの)入れるのだが、どの具も平均して入るようによそいたい。それがなかなか上手くいかないのだ。
たとえば、入っているはずの肉が、誰かの器にだけ入っていないという事態を招いたり、じゃが芋が苦手な上の娘の椀に、ごろごろじゃが芋が入ってしまい、よそい直したり。我ながら、不器用だと実感する瞬間である。
それが、食卓のことであればまだいいが、大人数の飲み会などで、料理を取り分ける時には緊張する。気が利かないと思われようが、なるべく手を出さず、大人しくするようにしているが、座った場所によっては、そうもいかずお玉や取り分け用のスプーンフォークセットなどを握ることにもなる。
大したことでもないのに、失敗許されじと、お玉などを持つ手が震えてしまい、こぼしたり、落としたりの大惨事。自己嫌悪に陥り「生ビール、おかわり!」ということになってしまうのだ。(言い訳?)
それでも、野菜たっぷり具だくさんの汁ものは大好きだ。『田舎汁』には大根を1本の半分入れるし、鍋には白菜を1個使ってしまう。様々な野菜の旨味がいい出汁になり、特別工夫などせずとも美味しく煮上がってくれる。身体も温まり、幸せな気分になる。そして、自分のためによそう時には、大根たっぷり食べたいなとか、しめじいっぱい入れようっと、など、我がまま放題自由によそい、幸せ指数をさらにアップさせている。そういう時なら、お玉、上手く使えるんだけどなぁ。そうか。自分によそうように、みんなによそえばいいのかも。いや、それも何か違う気がする。
具だくさんと言うより、ごった煮? 味醂を少し入れるのが我が家風。
京七味は、山椒が効いていて美味しいんです。
「それにしても、かけ過ぎでしょう」とは、よく言われること。
これくらいの我がまま、許してください(笑)
たとえば、我が家で『田舎汁』と呼ぶ味噌汁には、鶏肉と、野菜をたっぷり(大根、人参、玉葱、長葱、じゃが芋、きのこ類など。その他、冷蔵庫に在るもの)入れるのだが、どの具も平均して入るようによそいたい。それがなかなか上手くいかないのだ。
たとえば、入っているはずの肉が、誰かの器にだけ入っていないという事態を招いたり、じゃが芋が苦手な上の娘の椀に、ごろごろじゃが芋が入ってしまい、よそい直したり。我ながら、不器用だと実感する瞬間である。
それが、食卓のことであればまだいいが、大人数の飲み会などで、料理を取り分ける時には緊張する。気が利かないと思われようが、なるべく手を出さず、大人しくするようにしているが、座った場所によっては、そうもいかずお玉や取り分け用のスプーンフォークセットなどを握ることにもなる。
大したことでもないのに、失敗許されじと、お玉などを持つ手が震えてしまい、こぼしたり、落としたりの大惨事。自己嫌悪に陥り「生ビール、おかわり!」ということになってしまうのだ。(言い訳?)
それでも、野菜たっぷり具だくさんの汁ものは大好きだ。『田舎汁』には大根を1本の半分入れるし、鍋には白菜を1個使ってしまう。様々な野菜の旨味がいい出汁になり、特別工夫などせずとも美味しく煮上がってくれる。身体も温まり、幸せな気分になる。そして、自分のためによそう時には、大根たっぷり食べたいなとか、しめじいっぱい入れようっと、など、我がまま放題自由によそい、幸せ指数をさらにアップさせている。そういう時なら、お玉、上手く使えるんだけどなぁ。そうか。自分によそうように、みんなによそえばいいのかも。いや、それも何か違う気がする。
具だくさんと言うより、ごった煮? 味醂を少し入れるのが我が家風。
京七味は、山椒が効いていて美味しいんです。
「それにしても、かけ過ぎでしょう」とは、よく言われること。
これくらいの我がまま、許してください(笑)
お気に入りの長靴
若い頃に、挑戦だけはしたが、すぐに自分には合わないと悟り、以後いっさい手を付けていないものがある。煙草とハイヒールだ。煙草は、嫌い、で済んだが、ハイヒールは、TPOに合わせ必要と思われるシーンもあった。だがそれも、デザインを工夫すれば、ローヒールで通すことが出来た。
尖がったハイヒールを履く女性を見るにつけ、だいじょうぶかと不安になる。駅の階段などを駆け上がる姿に、いつ転ぶんじゃないかとハラハラするのだ。余計なお世話と知りつつ「すみません、地に足がついていませんよ」と、声をかけたくなる。そんな空飛ぶ女性の方が多数派なんだろうか。ハイヒールを履きつつも、地に足をつけて生きている人が多いってことかな。
ところで、今シーズン新調したブーツの履き心地が、素晴らしくいい。普段履いている足に馴染んだ靴よりもさらにフィット感があるのだ。なので夫と散歩に行く時にも、スーパーに買い物に行く時にも、つい履いてしまう。そうして、気に入った靴をダメにしてしまういつものパターンは見えているのだが。
「ジーンズに合わせると、かっこよくないかなぁ?」と、わたし。
すると、一言で夫。「長靴、だね」
長靴だって、いいさ。と、負けずにブーツを履く。そして、いやいやと否定する。この履き心地の良さは、長靴ではない、と。
そして、さらに思い出す。息子が2歳の頃、長靴がお気に入りで、運動靴を履かず長靴ばかり履いていた。若い母親は、彼のために買った運動靴を履かせようと、四苦八苦していたが、今なら、と、思う。長靴が履きたいんなら、毎日長靴を履けばいいと。無理に他の靴を履かせようなどとは、もう思わないだろうなと。今26歳の彼は、東京の空の下、毎日長靴を履いている訳でもないだろう。いや、それならそれでまた、面白いかも知れない。
「正月くらい、帰って来いよ」独り言を聞き、長靴に似たブーツは嘲笑した。
「長靴を履こうが、何処で正月を迎えようが、いいんじゃなかったの?」
一目で気に入ったのは、色でした。薄いベージュという合わせやすさ。
洒落ているようで、簡単な作り。前から見ると『長靴』そのものですね。
こんな風に、レグウォーマーを組み合わせると、可愛いでしょ。
薄い色だから、いろいろに楽しめそうです。
尖がったハイヒールを履く女性を見るにつけ、だいじょうぶかと不安になる。駅の階段などを駆け上がる姿に、いつ転ぶんじゃないかとハラハラするのだ。余計なお世話と知りつつ「すみません、地に足がついていませんよ」と、声をかけたくなる。そんな空飛ぶ女性の方が多数派なんだろうか。ハイヒールを履きつつも、地に足をつけて生きている人が多いってことかな。
ところで、今シーズン新調したブーツの履き心地が、素晴らしくいい。普段履いている足に馴染んだ靴よりもさらにフィット感があるのだ。なので夫と散歩に行く時にも、スーパーに買い物に行く時にも、つい履いてしまう。そうして、気に入った靴をダメにしてしまういつものパターンは見えているのだが。
「ジーンズに合わせると、かっこよくないかなぁ?」と、わたし。
すると、一言で夫。「長靴、だね」
長靴だって、いいさ。と、負けずにブーツを履く。そして、いやいやと否定する。この履き心地の良さは、長靴ではない、と。
そして、さらに思い出す。息子が2歳の頃、長靴がお気に入りで、運動靴を履かず長靴ばかり履いていた。若い母親は、彼のために買った運動靴を履かせようと、四苦八苦していたが、今なら、と、思う。長靴が履きたいんなら、毎日長靴を履けばいいと。無理に他の靴を履かせようなどとは、もう思わないだろうなと。今26歳の彼は、東京の空の下、毎日長靴を履いている訳でもないだろう。いや、それならそれでまた、面白いかも知れない。
「正月くらい、帰って来いよ」独り言を聞き、長靴に似たブーツは嘲笑した。
「長靴を履こうが、何処で正月を迎えようが、いいんじゃなかったの?」
一目で気に入ったのは、色でした。薄いベージュという合わせやすさ。
洒落ているようで、簡単な作り。前から見ると『長靴』そのものですね。
こんな風に、レグウォーマーを組み合わせると、可愛いでしょ。
薄い色だから、いろいろに楽しめそうです。
開けてみて、初めて知る危機
久しぶりに『グラス・ホッパー』(角川文庫)を開いた。
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間と会い、3月に吉祥寺で公演する、伊坂原作本の芝居『チルドレン』を観に行こうという話で盛り上がった。その際そう言えばと、聞いた。思い出せないことがあったのだ。
「人間は、自分の願望を元に予測するってかいてあったの、どの本だっけ?」
「なんだっけ?」「ほら、自分だけはだいじょうぶだと思っちゃうってやつ」
「ああ、あれか。『グラス・ホッパー』ね」
彼女は、相変わらずクールに答えた。
「危機感ってのは、頭で分かってはいても意外に実感を伴わないものだから」
主人公、鈴木を追う、比与子の台詞だ。
「危険、と書かれた箱だって、開けてみるまでは、『それほど危険じゃないだろう』って高をくくってるわけ」
言葉を放つ比与子の周りには、鈴木を拷問するために拘束した男達が、冷ややかな笑いをたたえていた。
伊坂の文章を読み返せば、自分を納得させられるかもしれない。そんな慰めのために、彼女に聞いたのだ。
「正月とは言え、餅も食べ過ぎなかったし、体重、きっと減ってる。減っていない訳がない。うん。よし、久しぶりに計ってみよう」
まさに、高をくくっていた。
そう思いつつ乗った体重計の数字は、期待したものとは全く異なっていたのだ。夏に2㎏増えた体重を戻すべく努力していたつもりだったのに、何ということであろう。数字はもう1㎏上乗せされていた。
そう。人は、自分の願望を元に予測するものなのだ。そして予測は裏切られ、危険、とかかれた箱を開けてしまってから、頭をガン! とやられ、ショックでくらくらして初めて現実を知るのだ。
「ダイエットするんなら、ビールやめれば?」
との圧倒的多数の意見に、耳を貸そうともせず、
「現実は、厳しいな」と呟きつつも、夜な夜なビールを空けるわたしである。
殺し屋たちの狂想曲。続編『マリアビートル』も、面白い!
今年のラーメン始めは、中華料理屋さんの海鮮タンメンでした。
これだけなら、さっぱりヘルシーなのに、夫と半分こで……。
いつも頼んでしまう餃子! 棒餃子は、普通の大きさの倍ありました。
現実は、美味しい(笑)
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間と会い、3月に吉祥寺で公演する、伊坂原作本の芝居『チルドレン』を観に行こうという話で盛り上がった。その際そう言えばと、聞いた。思い出せないことがあったのだ。
「人間は、自分の願望を元に予測するってかいてあったの、どの本だっけ?」
「なんだっけ?」「ほら、自分だけはだいじょうぶだと思っちゃうってやつ」
「ああ、あれか。『グラス・ホッパー』ね」
彼女は、相変わらずクールに答えた。
「危機感ってのは、頭で分かってはいても意外に実感を伴わないものだから」
主人公、鈴木を追う、比与子の台詞だ。
「危険、と書かれた箱だって、開けてみるまでは、『それほど危険じゃないだろう』って高をくくってるわけ」
言葉を放つ比与子の周りには、鈴木を拷問するために拘束した男達が、冷ややかな笑いをたたえていた。
伊坂の文章を読み返せば、自分を納得させられるかもしれない。そんな慰めのために、彼女に聞いたのだ。
「正月とは言え、餅も食べ過ぎなかったし、体重、きっと減ってる。減っていない訳がない。うん。よし、久しぶりに計ってみよう」
まさに、高をくくっていた。
そう思いつつ乗った体重計の数字は、期待したものとは全く異なっていたのだ。夏に2㎏増えた体重を戻すべく努力していたつもりだったのに、何ということであろう。数字はもう1㎏上乗せされていた。
そう。人は、自分の願望を元に予測するものなのだ。そして予測は裏切られ、危険、とかかれた箱を開けてしまってから、頭をガン! とやられ、ショックでくらくらして初めて現実を知るのだ。
「ダイエットするんなら、ビールやめれば?」
との圧倒的多数の意見に、耳を貸そうともせず、
「現実は、厳しいな」と呟きつつも、夜な夜なビールを空けるわたしである。
殺し屋たちの狂想曲。続編『マリアビートル』も、面白い!
今年のラーメン始めは、中華料理屋さんの海鮮タンメンでした。
これだけなら、さっぱりヘルシーなのに、夫と半分こで……。
いつも頼んでしまう餃子! 棒餃子は、普通の大きさの倍ありました。
現実は、美味しい(笑)
馬は、美味い?
周りに流されず自分らしくいたいと思う気持ちは、誰にでもあるかと思う。だがそれも、意固地になり過ぎると、ただの偏屈だ。
「クリスマスだからって、イタリアンにワインっていうのも芸がないよね」
夫に誘われ、赤提灯の飲み屋を目指し、暮れに歩いた。
「全く、お父さんときたら」と、娘達に呆れられた、ついこの間の話だ。
しかし、夫の気持ちも判る。正月3日の朝起きて、落胆した。
「あーっ。やっちゃったよ、わたしとしたことが!」
午年の三が日に、馬の夢を見てしまった。干支という濁流に飲まれ何処までも流されていく。いったい何処へ行くのやら、わたしの自分らしさ。カラフルで設定が込み入っているのはいつものことで実にわたしらしい夢ではあったが。
いつの未来だか。政策で、都会に馬を放牧していた。放牧しているのは、抽選に当たった人々。都心のビルや公園がある街路樹を曲がると、牧場がある。わたしは拾った犬を2匹抱え、そこに向かって行った。何故か人参ではなく、ホールの生クリームケーキを提げて。出てきた老夫婦に指示され、ケーキを入れようと開けた冷蔵庫のなかは、レゴブロックでいっぱいだった。
「せめてさぁ、一富士二鷹三なすびとかに、しようよー」
三が日、富士も鷹(たぶん)も茄子も見た。現実世界では、だが。富士は「無事」鷹は「高い」茄子は「成す」の意味合いがあるとの説を、読んだばかり。
「じゃあ、馬は? ん? うま? 美味いだ! よしっ」
わたしらしく、自分らしく、まあ流されつつもウマく折り合いをつけ、今年は美味しいものをたくさん食べる年にしようと、勝手に決めた。
町内にある『SUNNY FIELD』
青空の下、気持ちよさそうに尻尾を振っていました。
興味深げにこちらを観に来たり、ちょっと興奮してたわむれたり。
のんびり仲良く、草を食む姿も。
「クリスマスだからって、イタリアンにワインっていうのも芸がないよね」
夫に誘われ、赤提灯の飲み屋を目指し、暮れに歩いた。
「全く、お父さんときたら」と、娘達に呆れられた、ついこの間の話だ。
しかし、夫の気持ちも判る。正月3日の朝起きて、落胆した。
「あーっ。やっちゃったよ、わたしとしたことが!」
午年の三が日に、馬の夢を見てしまった。干支という濁流に飲まれ何処までも流されていく。いったい何処へ行くのやら、わたしの自分らしさ。カラフルで設定が込み入っているのはいつものことで実にわたしらしい夢ではあったが。
いつの未来だか。政策で、都会に馬を放牧していた。放牧しているのは、抽選に当たった人々。都心のビルや公園がある街路樹を曲がると、牧場がある。わたしは拾った犬を2匹抱え、そこに向かって行った。何故か人参ではなく、ホールの生クリームケーキを提げて。出てきた老夫婦に指示され、ケーキを入れようと開けた冷蔵庫のなかは、レゴブロックでいっぱいだった。
「せめてさぁ、一富士二鷹三なすびとかに、しようよー」
三が日、富士も鷹(たぶん)も茄子も見た。現実世界では、だが。富士は「無事」鷹は「高い」茄子は「成す」の意味合いがあるとの説を、読んだばかり。
「じゃあ、馬は? ん? うま? 美味いだ! よしっ」
わたしらしく、自分らしく、まあ流されつつもウマく折り合いをつけ、今年は美味しいものをたくさん食べる年にしようと、勝手に決めた。
町内にある『SUNNY FIELD』
青空の下、気持ちよさそうに尻尾を振っていました。
興味深げにこちらを観に来たり、ちょっと興奮してたわむれたり。
のんびり仲良く、草を食む姿も。
裸の木々に、冬を感じ春を思う
北風も休みをとったらしき静かな昼。夫と、歩いた。
春の林は、木々の息吹を感じるし、秋には、日々色を変えていく木々に見とれたりもしたが、冬の林もまたいい。
裸になった木々達が、冷たい空気のなか、それぞれに自分をさらけだし、少々恥ずかしそうでもあるが、凛として立っている姿に、こちらも胸の奥にある芯のようなものを、真っ直ぐ伸ばして対峙せねばという気持ちにさせられる。
見上げると冬の空が、青く眩しい。
春や秋のように華やかではないが、木々をじっと見ていると、季節の移り変わりを静かに教えてくれていることが判る。八ヶ岳から北風が吹き下ろす、冬の長い明野だが、春の兆しがそこ此処に見え始めるのだ。
冬を感じ春を思い、びっきーとよく散歩した道を、ふたりゆっくりと歩いた。
落ちずに残っている栗が、栗の木だと教えてくれます。
足元には、よく見ると栗達が落ち葉の陰に隠れていました。
ニセアカシアは、春、むせ返るような匂いでたくさんの花を咲かせますが、
冬には、空を切り裂くかの如く、鋭い棘を見せています。
柿は、生ったままの実を重たそうに抱え、鳥達に突かれるがまま。
ムクゲは、枯れた花を落とさず、洒落た姿で冬を迎えました。
朽ちゆく赤松の根元には、新しい松の芽が太陽を浴びていました。
春の林は、木々の息吹を感じるし、秋には、日々色を変えていく木々に見とれたりもしたが、冬の林もまたいい。
裸になった木々達が、冷たい空気のなか、それぞれに自分をさらけだし、少々恥ずかしそうでもあるが、凛として立っている姿に、こちらも胸の奥にある芯のようなものを、真っ直ぐ伸ばして対峙せねばという気持ちにさせられる。
見上げると冬の空が、青く眩しい。
春や秋のように華やかではないが、木々をじっと見ていると、季節の移り変わりを静かに教えてくれていることが判る。八ヶ岳から北風が吹き下ろす、冬の長い明野だが、春の兆しがそこ此処に見え始めるのだ。
冬を感じ春を思い、びっきーとよく散歩した道を、ふたりゆっくりと歩いた。
落ちずに残っている栗が、栗の木だと教えてくれます。
足元には、よく見ると栗達が落ち葉の陰に隠れていました。
ニセアカシアは、春、むせ返るような匂いでたくさんの花を咲かせますが、
冬には、空を切り裂くかの如く、鋭い棘を見せています。
柿は、生ったままの実を重たそうに抱え、鳥達に突かれるがまま。
ムクゲは、枯れた花を落とさず、洒落た姿で冬を迎えました。
朽ちゆく赤松の根元には、新しい松の芽が太陽を浴びていました。
初詣で、娘に教わったこと
「おみくじは、読み返してプラスになることがかいてあるなら、持ち帰った方がいいんだって」
2日。娘達と夫と4人、隣りの韮崎市『武田八幡宮』へと、初詣に行った。
お参りし、みくじを引き、焚火の周りで覗きあったりしつつ読んだ。大吉、中吉、小吉とそれぞれだが、失物やら旅行やら細部を読みあっては、笑った。
それを御神木などに結んでいくか、持ち帰るかで、迷っていたら、上の娘からのアドバイス。なるほどと、持ち帰ることにした。
末娘は、元々みくじは保存する派。ひとりひとりの考えでいいのだとは思っていたが、上の娘が言うことには、すとんと納得した。
忘れた頃に読み返すのも、またよし。その時には、今の自分には判らないことが、文面から読み取れるかもしれない。
「娘に、教えてもらうようになったか」
嬉しいような淋しいような気持になる。だが考えれば、子ども達には、幼い頃からたくさんのことを教えてもらっていたようにも思える。
彼女が小学校に上がった時、入学式翌日のことを思い出した。外まで見送りに出て、玄関に戻ると置きっぱなしの上履き袋。一日目から忘れて行ったのだ。
「届けようか。いや。忘れた自分が困るのだと知る機会を奪っちゃダメだ」
新米の母親は、それでも、小さな娘が大きな小学校のなかで泣いているんじゃないかと気を揉み、首を長くして帰りを待った。
「上履き、忘れちゃったね」お帰りも言わず、開口一番にわたし。
すると彼女は、いたずらっぽい笑顔で言ったのだ。
「忘れちゃったから、靴下で滑ってスケートしたよ。楽しかった!」
拍子抜けし、わたしも笑った。子どもは、自分で生きていく力を持ってると、娘に教わった瞬間だ。
今は、大人も子どももない。これからも是非、多くを教えてもらおう。
末娘は、七五三も此処でお参りしました。馴染みの神社です。
立派な御神木です。いったい何年、立っているんだろう。
2日。娘達と夫と4人、隣りの韮崎市『武田八幡宮』へと、初詣に行った。
お参りし、みくじを引き、焚火の周りで覗きあったりしつつ読んだ。大吉、中吉、小吉とそれぞれだが、失物やら旅行やら細部を読みあっては、笑った。
それを御神木などに結んでいくか、持ち帰るかで、迷っていたら、上の娘からのアドバイス。なるほどと、持ち帰ることにした。
末娘は、元々みくじは保存する派。ひとりひとりの考えでいいのだとは思っていたが、上の娘が言うことには、すとんと納得した。
忘れた頃に読み返すのも、またよし。その時には、今の自分には判らないことが、文面から読み取れるかもしれない。
「娘に、教えてもらうようになったか」
嬉しいような淋しいような気持になる。だが考えれば、子ども達には、幼い頃からたくさんのことを教えてもらっていたようにも思える。
彼女が小学校に上がった時、入学式翌日のことを思い出した。外まで見送りに出て、玄関に戻ると置きっぱなしの上履き袋。一日目から忘れて行ったのだ。
「届けようか。いや。忘れた自分が困るのだと知る機会を奪っちゃダメだ」
新米の母親は、それでも、小さな娘が大きな小学校のなかで泣いているんじゃないかと気を揉み、首を長くして帰りを待った。
「上履き、忘れちゃったね」お帰りも言わず、開口一番にわたし。
すると彼女は、いたずらっぽい笑顔で言ったのだ。
「忘れちゃったから、靴下で滑ってスケートしたよ。楽しかった!」
拍子抜けし、わたしも笑った。子どもは、自分で生きていく力を持ってると、娘に教わった瞬間だ。
今は、大人も子どももない。これからも是非、多くを教えてもらおう。
末娘は、七五三も此処でお参りしました。馴染みの神社です。
立派な御神木です。いったい何年、立っているんだろう。
ウオーキング始め?
油断した。油を切らした訳ではない。切らしたのは、何ということであろう。ビールである。
「落ち込んで、います」と、夫に告白するわたし。
御節をつまみつつ、紅白やポール・マッカートニーのライブDVDやらを見ながら、今年も無事に年越し出来たなーと、脱力ムードで、夫はワイン、わたしはビールをだらだら飲んでいた。
しかし、冷蔵庫のマイビール『のどごし生』がなくなったので、玄関に置いてあるビール箱に取りに行き、愕然。3缶しかないではないか。元旦の朝は、家族で新年の挨拶をし、日本酒を呑む習慣。買い物には、行けない。
「自分で、飲み過ぎただけじゃん」と、笑う夫。
「いっぱい買い置きしたつもりだったんだもん」と、半泣きでわたし。
「それでも、飲むか?」「飲む。年越しだもん」
そして、ビールは残り2缶に。わたし的には、全く足りない缶数である。
元旦の朝は、娘達と夫と4人、和やかに御節やら雑煮やらを食べて過ごした。それからぐっすり眠り、起きると午後2時。天皇杯決勝を観ている夫をちらりと見て、ひとりこっそり、外に出た。
「歩いて、買いに行こうかな」
最寄りのコンビニまで歩けば、往復1時間はかかるだろう。
「ウォーキング始め、かな」
びっきーと歩かなくなって、ひと月ほど。上の娘は、すぐにウォーキングを始めた。年明けも、夜中に友人達と歩いたという。
だが、わたしが歩きだしたのはコンビニとは反対方向だった。
「空が、綺麗だなぁ」と、上を見上げ、
「木々の影が、素敵に並んでる」足元を見ながら、深呼吸する。
とりあえず『一年の計』という言葉は、さっさと忘れ去ることにした。
雲は、意外と速く流れていました。急いで何処へ行くんだろう。
林の影が、長く伸びています。林を歩かなくても森林浴できそう。
「落ち込んで、います」と、夫に告白するわたし。
御節をつまみつつ、紅白やポール・マッカートニーのライブDVDやらを見ながら、今年も無事に年越し出来たなーと、脱力ムードで、夫はワイン、わたしはビールをだらだら飲んでいた。
しかし、冷蔵庫のマイビール『のどごし生』がなくなったので、玄関に置いてあるビール箱に取りに行き、愕然。3缶しかないではないか。元旦の朝は、家族で新年の挨拶をし、日本酒を呑む習慣。買い物には、行けない。
「自分で、飲み過ぎただけじゃん」と、笑う夫。
「いっぱい買い置きしたつもりだったんだもん」と、半泣きでわたし。
「それでも、飲むか?」「飲む。年越しだもん」
そして、ビールは残り2缶に。わたし的には、全く足りない缶数である。
元旦の朝は、娘達と夫と4人、和やかに御節やら雑煮やらを食べて過ごした。それからぐっすり眠り、起きると午後2時。天皇杯決勝を観ている夫をちらりと見て、ひとりこっそり、外に出た。
「歩いて、買いに行こうかな」
最寄りのコンビニまで歩けば、往復1時間はかかるだろう。
「ウォーキング始め、かな」
びっきーと歩かなくなって、ひと月ほど。上の娘は、すぐにウォーキングを始めた。年明けも、夜中に友人達と歩いたという。
だが、わたしが歩きだしたのはコンビニとは反対方向だった。
「空が、綺麗だなぁ」と、上を見上げ、
「木々の影が、素敵に並んでる」足元を見ながら、深呼吸する。
とりあえず『一年の計』という言葉は、さっさと忘れ去ることにした。
雲は、意外と速く流れていました。急いで何処へ行くんだろう。
林の影が、長く伸びています。林を歩かなくても森林浴できそう。
変わっていく、未来
春には、此処、明野町に越して来て14年になる。
14年前には保育園に通っていた末娘も、すでに大学生になり、ひとり暮らしを始めた。14年も経てば、当然である。当然であるが、帰省した末娘に久しぶりに会い、何も変わらない自分が此処にいることや、子ども達がやたら大人びて見えたりすることに、隙を見せると不意打ちを食らう。まるで幻影でも見ているみたいに、不思議でしょうがなく思えてしまうのだ。
暮れゆく年の瀬。御節作りの合間に、ひとり玄関の外に出て深呼吸した。
八ヶ岳が見える。見えるが、隣りの林の木が、意地悪でもするかの如く枝を伸ばし、美しい山の全容は見せてくれない。その枝を伸ばしている木にしても、14年前には、八ヶ岳を隠すほど伸びてはいなかった。
「変わって、いくんだなぁ」声に出してみる。
1本の木も、ひとりの人も、遠く見える八ヶ岳も、地球も、手を伸ばしても到底届かない宇宙の果てだって、変わっていくのだ。
暮れかけた空。ちっぽけな自分という存在と、その未来を、静かに見上げた。
背のびをして、撮りました(笑)
末娘が詰めたお重です。「綺麗!母親に似ず、几帳面だ」とは夫。
野菜それぞれに合った味付けで、ひとつひとつ煮たのはわたしなんだけどな。
実家の父が漬けて、送ってくれた漬物。フルーティで美味しいんです。
変わらない味もあります。まだ伝授してもらっていませんが。
☆今年も、どうぞよろしくお願いします☆
14年前には保育園に通っていた末娘も、すでに大学生になり、ひとり暮らしを始めた。14年も経てば、当然である。当然であるが、帰省した末娘に久しぶりに会い、何も変わらない自分が此処にいることや、子ども達がやたら大人びて見えたりすることに、隙を見せると不意打ちを食らう。まるで幻影でも見ているみたいに、不思議でしょうがなく思えてしまうのだ。
暮れゆく年の瀬。御節作りの合間に、ひとり玄関の外に出て深呼吸した。
八ヶ岳が見える。見えるが、隣りの林の木が、意地悪でもするかの如く枝を伸ばし、美しい山の全容は見せてくれない。その枝を伸ばしている木にしても、14年前には、八ヶ岳を隠すほど伸びてはいなかった。
「変わって、いくんだなぁ」声に出してみる。
1本の木も、ひとりの人も、遠く見える八ヶ岳も、地球も、手を伸ばしても到底届かない宇宙の果てだって、変わっていくのだ。
暮れかけた空。ちっぽけな自分という存在と、その未来を、静かに見上げた。
背のびをして、撮りました(笑)
末娘が詰めたお重です。「綺麗!母親に似ず、几帳面だ」とは夫。
野菜それぞれに合った味付けで、ひとつひとつ煮たのはわたしなんだけどな。
実家の父が漬けて、送ってくれた漬物。フルーティで美味しいんです。
変わらない味もあります。まだ伝授してもらっていませんが。
☆今年も、どうぞよろしくお願いします☆
手と懐と、逆輸入
「猫の手も借りたい」と乞われた訳ではないが、娘が手を貸している。
去年オーストラリアに1年間行っていた、上の娘である。何に手を貸しているのかと言えば、ネイルモデル。ネイルの練習にと、文字通り手を貸しているのである。来月のTOEIC試験のためにバイトを辞めたばかりだが、一度試しにと行ってみると、ネイルが映える手と爪だと、見込まれたという。
「人間、取り柄ってあるもんだよねぇ」と、わたし。
「どうせ、ネイルに向いた手と爪がわたしの唯一の取り柄ですよ」と、娘。
「いやいや。きみはたくさん長所を持ってるよ。ぼーっとしてるとことか、ぼーっとしてるとことか、ぼーっとしてるとことか」「それ、長所じゃないし」
などと笑いつつも、手と爪を綺麗に保つべく、ハンドクリームを塗り手袋をして眠る彼女の手は日に日に綺麗になっていくように見える。
「おねぇは、真面目だねぇ」と妹に言われるほど、彼女は素直だ。
ところで「手を貸す」も、そうだが、人の身体の部位は比喩に多く使われる。
彼女は最近、外国人の友人に「懐が温かい」という言葉を教わったそうだ。
中学高校時代、勉強というものに嫌悪しか持たなかった彼女は、こういった逆輸入を体験することが多い。
「今日は、ブランチで」とのわたしの言葉に、
「お母さん、ブランチって英語よく知ってたね?」と、彼女。
「いや、それ、すでに日本語だから」と、呆れつつわたし。
また「女はクリスマスケーキって、知ってる?」と、彼女。
「25過ぎたら、売れ残りで、安くなるっていうんでしょ?」と、わたし。
「えーっ、それ、日本でも言うの?」「日本で言われ始めたんじゃないの?」
などなど。1年間のワーキングホリデーで彼女が吸収したことは、嫌で嫌でしょうがなかった学校での勉強(?)もたっぷり含まれている。
彼女は今「懐が温かい」生活は求めていないようだが、様々な人の「懐に飛び込み」「懐の広い」人になっていってくれたらと、静かに傍観している。
親子なのに、どうして!?というほど、爪のかたちも手の大きさも違います。
おてんば娘なのに、何故!?というほど、お淑やかそうに見えますね。
ハリー「姫の、真似」ネリー「いやーん!」
ネリー「ハリー、ひどい! 倍返しだー!」ハリー「うわっ! ごめーん」
ネリー「ちゅっ♡」ハリー「あれ?」
去年オーストラリアに1年間行っていた、上の娘である。何に手を貸しているのかと言えば、ネイルモデル。ネイルの練習にと、文字通り手を貸しているのである。来月のTOEIC試験のためにバイトを辞めたばかりだが、一度試しにと行ってみると、ネイルが映える手と爪だと、見込まれたという。
「人間、取り柄ってあるもんだよねぇ」と、わたし。
「どうせ、ネイルに向いた手と爪がわたしの唯一の取り柄ですよ」と、娘。
「いやいや。きみはたくさん長所を持ってるよ。ぼーっとしてるとことか、ぼーっとしてるとことか、ぼーっとしてるとことか」「それ、長所じゃないし」
などと笑いつつも、手と爪を綺麗に保つべく、ハンドクリームを塗り手袋をして眠る彼女の手は日に日に綺麗になっていくように見える。
「おねぇは、真面目だねぇ」と妹に言われるほど、彼女は素直だ。
ところで「手を貸す」も、そうだが、人の身体の部位は比喩に多く使われる。
彼女は最近、外国人の友人に「懐が温かい」という言葉を教わったそうだ。
中学高校時代、勉強というものに嫌悪しか持たなかった彼女は、こういった逆輸入を体験することが多い。
「今日は、ブランチで」とのわたしの言葉に、
「お母さん、ブランチって英語よく知ってたね?」と、彼女。
「いや、それ、すでに日本語だから」と、呆れつつわたし。
また「女はクリスマスケーキって、知ってる?」と、彼女。
「25過ぎたら、売れ残りで、安くなるっていうんでしょ?」と、わたし。
「えーっ、それ、日本でも言うの?」「日本で言われ始めたんじゃないの?」
などなど。1年間のワーキングホリデーで彼女が吸収したことは、嫌で嫌でしょうがなかった学校での勉強(?)もたっぷり含まれている。
彼女は今「懐が温かい」生活は求めていないようだが、様々な人の「懐に飛び込み」「懐の広い」人になっていってくれたらと、静かに傍観している。
親子なのに、どうして!?というほど、爪のかたちも手の大きさも違います。
おてんば娘なのに、何故!?というほど、お淑やかそうに見えますね。
ハリー「姫の、真似」ネリー「いやーん!」
ネリー「ハリー、ひどい! 倍返しだー!」ハリー「うわっ! ごめーん」
ネリー「ちゅっ♡」ハリー「あれ?」
気難しい奴
気難しい奴だ。
がんがん燃えている時には「俺に触ると火傷するぜ」とか笑って、放っておいて欲しがるくせに、3時間も放っておくと、すぐにすねる。
薪ストーブのことである。
扉を開けると、一気に温度が下がるから、燃え始めたらなるべく開けずに放っておくのだが、酸素を欲しがったり、酸素の通り道を作ってもらいたがったりもする。
開けたら手早く作業しないと「温度下がったじゃん」と、また文句を言うし、さっきまでいい感じの種火になっていて、ここは開けない方がいいかなと判断しても、じつは薪を食べたがっていたりもする。
一から火を入れるのは手間もかかるのだが、時には、すべての灰を出してやらないと、温度が上がりにくくなり、不機嫌になったりもする。
「手がかかるねぇ」と、上の娘。「全くねぇ」と、わたし。
だが、今年はリビングに灯油ヒーターは出さず、床暖房と薪ストーブオンリーで冬を迎えた。そのパワーは大きい。必要のなくなった木を燃やすことは、地球の循環に含まれる自然なことであるというし、電気やガスも使わない。環境に優しい優れものなのだ。
木を切って、割ってくれる夫に感謝し、毎朝、すねている薪ストーブのご機嫌伺いをする日々。部屋の中に火がある生活を楽しみつつ。
夜中まで100℃を超えていた温度計ですが、朝には下がっています。
開けてみると、まだ炭が赤く残っている感じ。
薪を入れ、新聞紙を1枚の4分の1に切って丸めたものに火をつけて、
「ご機嫌直して、燃えてねー」それが、なかなか、燃えてくれません。
「朝まで放っておいたくせに」と、すっかりすねている薪ストーブくんです。
午後、娘達に世話を頼んで出かけました。帰ってみると、超ご機嫌!
170℃くらいまで温度を上げ、火を踊らせ不敵な笑いを見せていました。
がんがん燃えている時には「俺に触ると火傷するぜ」とか笑って、放っておいて欲しがるくせに、3時間も放っておくと、すぐにすねる。
薪ストーブのことである。
扉を開けると、一気に温度が下がるから、燃え始めたらなるべく開けずに放っておくのだが、酸素を欲しがったり、酸素の通り道を作ってもらいたがったりもする。
開けたら手早く作業しないと「温度下がったじゃん」と、また文句を言うし、さっきまでいい感じの種火になっていて、ここは開けない方がいいかなと判断しても、じつは薪を食べたがっていたりもする。
一から火を入れるのは手間もかかるのだが、時には、すべての灰を出してやらないと、温度が上がりにくくなり、不機嫌になったりもする。
「手がかかるねぇ」と、上の娘。「全くねぇ」と、わたし。
だが、今年はリビングに灯油ヒーターは出さず、床暖房と薪ストーブオンリーで冬を迎えた。そのパワーは大きい。必要のなくなった木を燃やすことは、地球の循環に含まれる自然なことであるというし、電気やガスも使わない。環境に優しい優れものなのだ。
木を切って、割ってくれる夫に感謝し、毎朝、すねている薪ストーブのご機嫌伺いをする日々。部屋の中に火がある生活を楽しみつつ。
夜中まで100℃を超えていた温度計ですが、朝には下がっています。
開けてみると、まだ炭が赤く残っている感じ。
薪を入れ、新聞紙を1枚の4分の1に切って丸めたものに火をつけて、
「ご機嫌直して、燃えてねー」それが、なかなか、燃えてくれません。
「朝まで放っておいたくせに」と、すっかりすねている薪ストーブくんです。
午後、娘達に世話を頼んで出かけました。帰ってみると、超ご機嫌!
170℃くらいまで温度を上げ、火を踊らせ不敵な笑いを見せていました。
旗振りは、遠隔操作で
大掃除と言うと、俄然張り切って旗振りをする夫が、今年に限り年末ぎりぎりまで仕事である。息子はバイトが忙しいようで帰ってこないし、娘ふたりと女3人で、のんびりモードばかりが漂う年末だ。
昨日は揃って寝坊し、それぞれブランチを好き勝手食べ「勉強しなきゃだけど、やる気にならなーい」「掃除しなくちゃだけど、やりたくなーい」と上の娘とわたしが言えば、末娘は「わたしは、休みに来ました」と宣言する、といった調子で、のんべんだらり。
しかし、パソコンを開くと夫からのメールが。
「リビングの窓拭き、娘達にやるように言っておいてv」
遠隔操作でも、旗振り役は、やる気満々の様子。仕事が忙しいだけに、気持ちのいいお正月を過ごしたいとの気持ちが膨らんでいるようだった。
「早い者勝ち」と、末娘は末っ子の要領の良さで、拭きやすい窓を選んで拭きはじめた。後攻の上の娘は「拭けてないじゃん」と、妹の拭き方にアドバイスしつつ拭き始める。妹も「お姉ちゃんの知恵袋だー。すごい」と、姉に従い和やかに窓を拭いている。10枚以上あるリビングの窓は「お父さんの分」と、ステレオの後ろの窓を残し、さっぱりとしていった。
こうなると、わたしもやらざるを得ず、洗面所の大きなマットを洗い、風呂場、廊下、和室と少しずつ攻めていった。
大掃除とまではいかなくとも、中掃除くらいにはなったかな。メール1本だが、夫の旗振り効果は、絶大である。
上の娘の掃除のあとです。何か、忘れてない?
トイレには、庭の南天を飾りました。
カレンダーも、来年のものを掛けて、っと。
末娘が磨いた窓では、レインボーメイカーが虹を量産していました。
洗面所のマットも、太陽を浴びて気持ちよさそう。
昨日は揃って寝坊し、それぞれブランチを好き勝手食べ「勉強しなきゃだけど、やる気にならなーい」「掃除しなくちゃだけど、やりたくなーい」と上の娘とわたしが言えば、末娘は「わたしは、休みに来ました」と宣言する、といった調子で、のんべんだらり。
しかし、パソコンを開くと夫からのメールが。
「リビングの窓拭き、娘達にやるように言っておいてv」
遠隔操作でも、旗振り役は、やる気満々の様子。仕事が忙しいだけに、気持ちのいいお正月を過ごしたいとの気持ちが膨らんでいるようだった。
「早い者勝ち」と、末娘は末っ子の要領の良さで、拭きやすい窓を選んで拭きはじめた。後攻の上の娘は「拭けてないじゃん」と、妹の拭き方にアドバイスしつつ拭き始める。妹も「お姉ちゃんの知恵袋だー。すごい」と、姉に従い和やかに窓を拭いている。10枚以上あるリビングの窓は「お父さんの分」と、ステレオの後ろの窓を残し、さっぱりとしていった。
こうなると、わたしもやらざるを得ず、洗面所の大きなマットを洗い、風呂場、廊下、和室と少しずつ攻めていった。
大掃除とまではいかなくとも、中掃除くらいにはなったかな。メール1本だが、夫の旗振り効果は、絶大である。
上の娘の掃除のあとです。何か、忘れてない?
トイレには、庭の南天を飾りました。
カレンダーも、来年のものを掛けて、っと。
末娘が磨いた窓では、レインボーメイカーが虹を量産していました。
洗面所のマットも、太陽を浴びて気持ちよさそう。
ぼんやり度、急上昇中
時間って、不思議だ。
ぼんやりしていても、集中して仕事をしていても、同じ1時間。
年末までの仕事を終えた昨日、ぼんやり度は急上昇の傾向にあり、定期的にハマるパソコンのカードゲーム『スパイダーソリティア』なんかをしつつ、facebookを眺め、朝から、だらだらしていた。
「あー、でも末娘の部屋、片づけなくっちゃ」
県外の大学に通うためにひとり暮らしを始めた娘が、冬休みで帰ってくる。薪ストーブの真上の一番温かい部屋を使わないのはもったいないと、こっそりベッドを借りて眠り、そのうちわたしの備品も増え、住み心地もよくなっていた。だが、彼女が帰る前に、撤収しなくては。
ブランチのうどんを茹でている6分間、奮起した。
ベッドカバーを替え、時計やら本やらハンドクリームやらを寝室に運んだ。やれやれとキッチンに戻るとタイマーが鳴り、うどんは茹で上がった。
茹で上がりを6分待つのは、長いと感じるが、娘の部屋を片付けるには、大急ぎ。短い時間だった。
時間の魔法に心を入れ替え、急上昇中のぼんやり度に歯止めをかけらればいいんだけれど、とまた、ぼんやりしている年末のわたしである。
エンジン、いつ、かかるのかな。
夕飯は、上の娘と3人で手巻き寿司。
奮発しました。末娘は「ウニがなければ手巻きじゃない」派です。
わたしも、ウニ大好き。もちろん、わさびたっぷりでね。
「明日の朝は、それぞれ残りで適当に」なんてしゃべっているうちに、
何故か、末娘の部屋を借りてたことが、バレてしまいました……。
ぼんやりしていても、集中して仕事をしていても、同じ1時間。
年末までの仕事を終えた昨日、ぼんやり度は急上昇の傾向にあり、定期的にハマるパソコンのカードゲーム『スパイダーソリティア』なんかをしつつ、facebookを眺め、朝から、だらだらしていた。
「あー、でも末娘の部屋、片づけなくっちゃ」
県外の大学に通うためにひとり暮らしを始めた娘が、冬休みで帰ってくる。薪ストーブの真上の一番温かい部屋を使わないのはもったいないと、こっそりベッドを借りて眠り、そのうちわたしの備品も増え、住み心地もよくなっていた。だが、彼女が帰る前に、撤収しなくては。
ブランチのうどんを茹でている6分間、奮起した。
ベッドカバーを替え、時計やら本やらハンドクリームやらを寝室に運んだ。やれやれとキッチンに戻るとタイマーが鳴り、うどんは茹で上がった。
茹で上がりを6分待つのは、長いと感じるが、娘の部屋を片付けるには、大急ぎ。短い時間だった。
時間の魔法に心を入れ替え、急上昇中のぼんやり度に歯止めをかけらればいいんだけれど、とまた、ぼんやりしている年末のわたしである。
エンジン、いつ、かかるのかな。
夕飯は、上の娘と3人で手巻き寿司。
奮発しました。末娘は「ウニがなければ手巻きじゃない」派です。
わたしも、ウニ大好き。もちろん、わさびたっぷりでね。
「明日の朝は、それぞれ残りで適当に」なんてしゃべっているうちに、
何故か、末娘の部屋を借りてたことが、バレてしまいました……。
遠くを見て、また、近くを見て
「びっくりした?」とは、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』に登場する殺し屋キルオの決めゼリフだが、それとは全く関係なく、びっくりした。
クリスマスイブ前日のことだ。
上の娘が、プレゼントらしき包みを出し「これ」と言う。
「ど、ど、ど、どうしたの?」と、夫。
「オーストラリアでは、クリスマスに両親にプレゼントするんだよ」と、娘。
「わたし達に、クリスマスプレゼントってこと?」と、わたし。
「そう」と、娘。
綺麗に包装された箱を開けると、ペアのワイングラスが入っていた。我が家にはないタイプのカーブが入った小さめのグラスだ。
「ワインを選んで注文できるんだ?」「すごい!」
こういうのって、なんだか照れくさく、3人言葉少なになる。
春からヨーロッパに行きたいとお金を貯めている娘から、何か贈り物があるとは、思いもよらなかった。
びっきーがいなくなった玄関には、今は2台の自転車が置いてある。ヨーロッパを自転車で回りたいと、借りてきて練習を始めたばかりだ。英会話サークルだけではなく、国際交流と名のつく場所に顔を出し、忙しくしている彼女には、目の前のクリスマスは在って無きものだとも、思っていた。
「遠く海外だけじゃなく、近くも見ていたんだな」
夫が帰らない夜、たまにはワインもいいかと、ひとり乾杯した。わたしも、もう少し遠くを見てみようかなと。
カタログには、様々な国のワインがありました。
綺麗な包装紙。白い紙と透明なビニールの間で、切り紙達が揺れ動きます。
赤ワインは、心も身体も、温まりますねぇ。
クリスマスイブ前日のことだ。
上の娘が、プレゼントらしき包みを出し「これ」と言う。
「ど、ど、ど、どうしたの?」と、夫。
「オーストラリアでは、クリスマスに両親にプレゼントするんだよ」と、娘。
「わたし達に、クリスマスプレゼントってこと?」と、わたし。
「そう」と、娘。
綺麗に包装された箱を開けると、ペアのワイングラスが入っていた。我が家にはないタイプのカーブが入った小さめのグラスだ。
「ワインを選んで注文できるんだ?」「すごい!」
こういうのって、なんだか照れくさく、3人言葉少なになる。
春からヨーロッパに行きたいとお金を貯めている娘から、何か贈り物があるとは、思いもよらなかった。
びっきーがいなくなった玄関には、今は2台の自転車が置いてある。ヨーロッパを自転車で回りたいと、借りてきて練習を始めたばかりだ。英会話サークルだけではなく、国際交流と名のつく場所に顔を出し、忙しくしている彼女には、目の前のクリスマスは在って無きものだとも、思っていた。
「遠く海外だけじゃなく、近くも見ていたんだな」
夫が帰らない夜、たまにはワインもいいかと、ひとり乾杯した。わたしも、もう少し遠くを見てみようかなと。
カタログには、様々な国のワインがありました。
綺麗な包装紙。白い紙と透明なビニールの間で、切り紙達が揺れ動きます。
赤ワインは、心も身体も、温まりますねぇ。
車を脱ぐ瞬間
運転するのが好きだ。だがまた、車を脱ぐ瞬間が、好きだ。
山梨の田舎町に越して来て、車がない生活はあり得なくなった。
毎日、当たり前のように車を運転する。誰かを訪ねるのも、買い物に行くのも、食事に行くのもドアツードア。
車をまとい、人間ではなくなったような違和感を覚えつつも、それに慣れていく。しかしその違和感に、解放感が気づかせてくれる。それが車を脱ぐ瞬間。
普段の買い物などでは、気づかない。気づかされるのは、東京に出かける時、駅近くの駐車場から駅まで歩く3分ほど。
「あ、わたし今、車じゃない。人なんだ。ほら、歩いてる」
わたしが歩く脇を、車が通り過ぎる。さっきまでの自分は、今通り過ぎた車と同じ立ち位置にいた。それが車を脱いだ瞬間、トランプを裏返したように立場が変わる。
緊張していたのだ、とまた気づく。普通に毎日運転しているのだが、それでも、何処か緊張していた。人を轢けば加害者になる恐ろしい乗り物を操っているという緊張。そしてまた、気づく。車を脱いだ瞬間、スピードを上げて通り過ぎる車達にヒヤッとし、あ、今わたし人なんだ。気をつけなくちゃって。
人であること。車を身にまとうこと。その両方の立場を、わたしは知っている。駅までの3分ほど、そんなことを考えつつ、ゆっくりと歩いていく。
川沿いの道は狭いので、車はあまり入って来ませんが、
朝は、韮崎高校に通う高校生達で、いっぱいになる時間があります。
橋を渡って、向こうが駅です。人間になったわたし。にしては足が長い?
川で、鴨をよく見かけます。昨日は、6羽泳いでいたかも?
山梨の田舎町に越して来て、車がない生活はあり得なくなった。
毎日、当たり前のように車を運転する。誰かを訪ねるのも、買い物に行くのも、食事に行くのもドアツードア。
車をまとい、人間ではなくなったような違和感を覚えつつも、それに慣れていく。しかしその違和感に、解放感が気づかせてくれる。それが車を脱ぐ瞬間。
普段の買い物などでは、気づかない。気づかされるのは、東京に出かける時、駅近くの駐車場から駅まで歩く3分ほど。
「あ、わたし今、車じゃない。人なんだ。ほら、歩いてる」
わたしが歩く脇を、車が通り過ぎる。さっきまでの自分は、今通り過ぎた車と同じ立ち位置にいた。それが車を脱いだ瞬間、トランプを裏返したように立場が変わる。
緊張していたのだ、とまた気づく。普通に毎日運転しているのだが、それでも、何処か緊張していた。人を轢けば加害者になる恐ろしい乗り物を操っているという緊張。そしてまた、気づく。車を脱いだ瞬間、スピードを上げて通り過ぎる車達にヒヤッとし、あ、今わたし人なんだ。気をつけなくちゃって。
人であること。車を身にまとうこと。その両方の立場を、わたしは知っている。駅までの3分ほど、そんなことを考えつつ、ゆっくりと歩いていく。
川沿いの道は狭いので、車はあまり入って来ませんが、
朝は、韮崎高校に通う高校生達で、いっぱいになる時間があります。
橋を渡って、向こうが駅です。人間になったわたし。にしては足が長い?
川で、鴨をよく見かけます。昨日は、6羽泳いでいたかも?
サボテンの棘ほどの些細な幸せ
「僕たちは、サボテンだ」
宮部みゆきの短編小説『サボテンの花』に出てくる印象的なセリフだ。
「誰にも、剪定されないから」
6年1組男子の、クラスみんなを代弁したような言葉。
その言葉に、ハッとさせられた。
剪定されて生きてきた自分と、剪定されまいと生きてきた自分を、瞬時に天秤にかける。枝を伸ばせば、ハサミだらけの世の中だ。あっちで切られ、こっちで切られ、縮こまってやり過ごすしかないと思い知らされることばかり。
それでも。
「私だって、サボテンだ」
教頭が背筋を伸ばして、自分に宣言するシーンがある。6年1組のサボテン達が、彼は好きなのだった。
十何年かぶりに読んだ短編小説だが、今読んでも新鮮で、わくわくした気持ちのまま読み終えることが出来た。ハッとさせられたり、涙したり、くすりと笑ったり、やられた! と展開の意外性に悔しがったり。こういうサボテンの棘ほどの些細なことに、小さな幸せ感じる、クリスマス。
「いやぁ、本って、本当にいいもんですねぇ」
と、思いっきり、水野晴郎さんを真似てみたくなった。
『サボテンの花』は『我らが隣人の犯罪』(文春文庫)に収録されています。
「この世に一つしかない酒。そんなものがもしあるなら、飲んでみたい」
それが、教頭の夢でした。わたしは最近、小さな夢のひとつ、
「オニオングラタンスープを食す」を、叶えました。
美味しかった! サンタさん、ありがとう(笑)
で、クリスマスだからって、新刊2冊も買っちゃいました。
亡くなった天野祐吉さんの『CM天気図』は、
いつも楽しみに読んでいた、朝日新聞のコラムです。
宮部みゆきの短編小説『サボテンの花』に出てくる印象的なセリフだ。
「誰にも、剪定されないから」
6年1組男子の、クラスみんなを代弁したような言葉。
その言葉に、ハッとさせられた。
剪定されて生きてきた自分と、剪定されまいと生きてきた自分を、瞬時に天秤にかける。枝を伸ばせば、ハサミだらけの世の中だ。あっちで切られ、こっちで切られ、縮こまってやり過ごすしかないと思い知らされることばかり。
それでも。
「私だって、サボテンだ」
教頭が背筋を伸ばして、自分に宣言するシーンがある。6年1組のサボテン達が、彼は好きなのだった。
十何年かぶりに読んだ短編小説だが、今読んでも新鮮で、わくわくした気持ちのまま読み終えることが出来た。ハッとさせられたり、涙したり、くすりと笑ったり、やられた! と展開の意外性に悔しがったり。こういうサボテンの棘ほどの些細なことに、小さな幸せ感じる、クリスマス。
「いやぁ、本って、本当にいいもんですねぇ」
と、思いっきり、水野晴郎さんを真似てみたくなった。
『サボテンの花』は『我らが隣人の犯罪』(文春文庫)に収録されています。
「この世に一つしかない酒。そんなものがもしあるなら、飲んでみたい」
それが、教頭の夢でした。わたしは最近、小さな夢のひとつ、
「オニオングラタンスープを食す」を、叶えました。
美味しかった! サンタさん、ありがとう(笑)
で、クリスマスだからって、新刊2冊も買っちゃいました。
亡くなった天野祐吉さんの『CM天気図』は、
いつも楽しみに読んでいた、朝日新聞のコラムです。
柚子の匂い、日向の匂い
箱根から帰ると、柚子が届いていた。昨年も同じ頃に送ってくれた、東京で農業を営む友人からである。40個近くある。嬉しい。
包みのなかには、クリスマスカードが入っていて、メッセージに添えて吉野弘の詩『生命は』が、手書きでかかれていた。
「生命は、自分だけでは完結できないようにつくられているらしい」
から始まる、長い詩だ。花だって、めしべやおしべだけでは足りず、風や虫が訪れてこそ命が生まれることなどが、静かにかかれ、
「生命は、その中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ」
と、一連目を結んでいる。
真っ先に思ったのは、びっきーのことだった。
びっきーが死に、彼と接した時間を思うとき後悔に似た感情が見え隠れし、何処かもやもやしたものを抱えていた。だが詩を読み、びっきーとわたし達家族は、おたがいに欠如した部分を満たし合っていたのだと、腑に落ちた。
足りないところだらけのわたしだが、これは短所ではないのだと思えた。満たしてくれる誰かに出会える素質に、恵まれているということなのだ。そしてわたしも、誰でもが、誰かを満たすものを、何か持っているはずだと。
柚子をひとつ手に取り、匂いをかいだ。小屋の前や石の上で、よく日向ぼっこしていたびっきーを思いだし、胸が温かくなった。
陽だまりを集めたような、あったかい色ですね。
クチナシの実も、入っていました。きんとんに使おう♪
はりねずみ達が描かれたクリスマスカードでした。
庭を歩くと、枯葉に埋もれながらも、
気持ちよさそうに太陽を浴びるツルムラサキが目に留まりました。
去年の写真を、おとーさんが写真立てに入れて、飾ってくれました。
小春日和は日向ぼっこ日和。朝から昼過ぎまでぽかぽか陽のあたる小屋です。
玄関の横だから、宅配便のおじさん達とも仲良しだったんですよ。
包みのなかには、クリスマスカードが入っていて、メッセージに添えて吉野弘の詩『生命は』が、手書きでかかれていた。
「生命は、自分だけでは完結できないようにつくられているらしい」
から始まる、長い詩だ。花だって、めしべやおしべだけでは足りず、風や虫が訪れてこそ命が生まれることなどが、静かにかかれ、
「生命は、その中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ」
と、一連目を結んでいる。
真っ先に思ったのは、びっきーのことだった。
びっきーが死に、彼と接した時間を思うとき後悔に似た感情が見え隠れし、何処かもやもやしたものを抱えていた。だが詩を読み、びっきーとわたし達家族は、おたがいに欠如した部分を満たし合っていたのだと、腑に落ちた。
足りないところだらけのわたしだが、これは短所ではないのだと思えた。満たしてくれる誰かに出会える素質に、恵まれているということなのだ。そしてわたしも、誰でもが、誰かを満たすものを、何か持っているはずだと。
柚子をひとつ手に取り、匂いをかいだ。小屋の前や石の上で、よく日向ぼっこしていたびっきーを思いだし、胸が温かくなった。
陽だまりを集めたような、あったかい色ですね。
クチナシの実も、入っていました。きんとんに使おう♪
はりねずみ達が描かれたクリスマスカードでした。
庭を歩くと、枯葉に埋もれながらも、
気持ちよさそうに太陽を浴びるツルムラサキが目に留まりました。
去年の写真を、おとーさんが写真立てに入れて、飾ってくれました。
小春日和は日向ぼっこ日和。朝から昼過ぎまでぽかぽか陽のあたる小屋です。
玄関の横だから、宅配便のおじさん達とも仲良しだったんですよ。
箱根湯本散歩
箱根は宮ノ下に2泊し、ようやく天気に恵まれた帰路。早めに登山電車に乗り、箱根湯本を2時間ほどぶらぶらした。
テーマは、夕飯用に干物を買う。それから土産を3つほど選ぶ。それだけ。
なので、ゆったりのんびり、ただ散歩を楽しんだ。
「試食で、干物を自由に焼ける店があるんだよ」
夫に言われるまま、ついて歩く。方向音痴のわたしは、地図マニアでもあり、さらに新しい道を開拓することの大好きな夫にすべてを委ね、ただただ冬の陽が射す道を、気持ちよく歩くことができた。
橋を渡り、温泉郷と呼ばれている辺りを歩くと、道々に小さな温泉が湧いていて面白かった。
すぐに触りたがるわたしに「ものすごく、熱いかも知れないよ?」と、夫。
「熱めの、いい湯かな」とか「ぬるめだ」とか、品定めする、わたし。
湯本駅前通りは『あじさい通り』と名付けられていた。
登山電車から冬枯れの紫陽花が所々に見えたので「紫陽花の頃には、綺麗だろうねぇ」と話したりしていたのだ。知らなかったが、紫陽花の季節、登山電車は『あじさい電車』と呼ばれるそうだ。
土産物屋の合間には、雑貨屋や靴屋、カフェなどもあり、冷やかして歩いた。
「箱根、いいとこだなぁ」青空の下、深呼吸する。
20年以上前に、子ども達を連れ、実家の父と母と強羅を訪ねて以来だ。その時は、上の娘がまだハイハイをしていて、温泉につかっていてものんびりという訳にはいかなかったと思い出す。そして、息子と末娘が7歳違うこともあり、子ども達との蜜月はけっこう長く、十分に堪能した。
幼い子ども達を連れての家族旅行も楽しいが、夫婦でのんびり旅もまたいい。同じ箱根だが、20年前とは違う場所のようだった。箱根も変わったのだろうが、わたし自身の立っている場所がずいぶんと変わったのだと実感する。
駅でロマンスカーを待つ間も、ふたりのんびり。
「やたらと若いカップルが多いね」「若者の間で箱根、流行ってるのかな?」
行き交う人を、ぼんやりと眺めつつ、くすくす笑った。
登山電車のスイッチバック地点。運転手さんも進行方向の先頭に移動します。
箱根登山電車『塔ノ沢駅』のエキナカにある銭洗弁天様。
試食は、ご自由に焼いてくださいという干物の店『山安』湯本山里店
鯵とカマスとエボダイを、焼きましたが、買ったのはキンメダイ。
あちらこちらに沸いている温泉を触ったりしつつ、ぶらぶら。
箱根蕎麦とは、自然薯のとろろをたっぷりのせた蕎麦のことらしい。
あ、面白そうな靴屋さん。入ってみようか。
全く箱根らしくないアンティークな雰囲気のカフェで、休憩しました。
テーマは、夕飯用に干物を買う。それから土産を3つほど選ぶ。それだけ。
なので、ゆったりのんびり、ただ散歩を楽しんだ。
「試食で、干物を自由に焼ける店があるんだよ」
夫に言われるまま、ついて歩く。方向音痴のわたしは、地図マニアでもあり、さらに新しい道を開拓することの大好きな夫にすべてを委ね、ただただ冬の陽が射す道を、気持ちよく歩くことができた。
橋を渡り、温泉郷と呼ばれている辺りを歩くと、道々に小さな温泉が湧いていて面白かった。
すぐに触りたがるわたしに「ものすごく、熱いかも知れないよ?」と、夫。
「熱めの、いい湯かな」とか「ぬるめだ」とか、品定めする、わたし。
湯本駅前通りは『あじさい通り』と名付けられていた。
登山電車から冬枯れの紫陽花が所々に見えたので「紫陽花の頃には、綺麗だろうねぇ」と話したりしていたのだ。知らなかったが、紫陽花の季節、登山電車は『あじさい電車』と呼ばれるそうだ。
土産物屋の合間には、雑貨屋や靴屋、カフェなどもあり、冷やかして歩いた。
「箱根、いいとこだなぁ」青空の下、深呼吸する。
20年以上前に、子ども達を連れ、実家の父と母と強羅を訪ねて以来だ。その時は、上の娘がまだハイハイをしていて、温泉につかっていてものんびりという訳にはいかなかったと思い出す。そして、息子と末娘が7歳違うこともあり、子ども達との蜜月はけっこう長く、十分に堪能した。
幼い子ども達を連れての家族旅行も楽しいが、夫婦でのんびり旅もまたいい。同じ箱根だが、20年前とは違う場所のようだった。箱根も変わったのだろうが、わたし自身の立っている場所がずいぶんと変わったのだと実感する。
駅でロマンスカーを待つ間も、ふたりのんびり。
「やたらと若いカップルが多いね」「若者の間で箱根、流行ってるのかな?」
行き交う人を、ぼんやりと眺めつつ、くすくす笑った。
登山電車のスイッチバック地点。運転手さんも進行方向の先頭に移動します。
箱根登山電車『塔ノ沢駅』のエキナカにある銭洗弁天様。
試食は、ご自由に焼いてくださいという干物の店『山安』湯本山里店
鯵とカマスとエボダイを、焼きましたが、買ったのはキンメダイ。
あちらこちらに沸いている温泉を触ったりしつつ、ぶらぶら。
箱根蕎麦とは、自然薯のとろろをたっぷりのせた蕎麦のことらしい。
あ、面白そうな靴屋さん。入ってみようか。
全く箱根らしくないアンティークな雰囲気のカフェで、休憩しました。
富士屋ホテル探訪
『富士屋ホテル』本店は、箱根は宮ノ下にある。
何故、富士山が見えない場所に『富士屋ホテル』本店があるのか。
宿泊した場所からすぐ近くだったので、観光がてらぶらぶら歩いて行った。
『富士屋ホテル』がある通りは、セピア通りといい、骨董屋が並んでいた。どの店にも、外国人観光客向けに英語の説明書きがある。
ドアを開けてすぐ、古い建物の醸し出す雰囲気に圧倒されつつ、ランチにサンドイッチを食べ、鯉が泳ぐ池のある庭園を歩いた。
創業者の山口仙之介は、明治4年に二十歳でアメリカに渡り、7年後明治11年の創業時に、3つの条件を元に立地条件を、箱根、宮ノ下に選定した。外国人憧れの地、箱根か富士山周辺。東京から近距離。そして、温泉が湧いている。その3つ。「外国人対象の本格リゾートホテル」を目指し「箱根」に「富士」の名が付いた高級ホテルを創ったという。
先週、上の娘が話していたことを思い出した。
「甲府には外国人がいっぱいいるのに、英語の表示が少なすぎるよ。レストランのメニューとか、もっと英語にすれば外国の人も住みやすくなるのに」
江戸の世に生まれた千之助さん。富士屋ホテルが2つある山梨の今を見たら、嘆くだろうか、それとも異様なほど情報ばかり発達した時代の流れのなかで、何故かフリーズしたままの大切な部分が多いことに呆れ果てるだろうか。
いや、きっと、変えていこうとするに違いない。
彼なら、平成の世に生まれ英語を学び世界に目を向け始めた娘に、画期的なアドバイスしてくれるかも知れないなと、歴史を感じる建物を見上げ、考えた。
富士、フジ、ふじ、FUJI、様々なところに富士山マークが。
サンドイッチを頼んでから、箱根富士屋バーガーがあることに気づき、
「あー、これにすればよかった!」と、夫。観光客らしき発言(笑)
三角のサンドイッチまで、富士山に見えてきました。
ランチしたテラスから見えた庭園には、太った鯉がたくさんいました。
苔生す庭園の池。 ホテルの外装は、赤が効いた不思議な雰囲気です。
おや? びっきー、こんなところに? さらに、こんなところにも富士山が。
銅像は、創業者の愛犬フワくん。ジャーマン・シェパード・ドッグです。
何故、富士山が見えない場所に『富士屋ホテル』本店があるのか。
宿泊した場所からすぐ近くだったので、観光がてらぶらぶら歩いて行った。
『富士屋ホテル』がある通りは、セピア通りといい、骨董屋が並んでいた。どの店にも、外国人観光客向けに英語の説明書きがある。
ドアを開けてすぐ、古い建物の醸し出す雰囲気に圧倒されつつ、ランチにサンドイッチを食べ、鯉が泳ぐ池のある庭園を歩いた。
創業者の山口仙之介は、明治4年に二十歳でアメリカに渡り、7年後明治11年の創業時に、3つの条件を元に立地条件を、箱根、宮ノ下に選定した。外国人憧れの地、箱根か富士山周辺。東京から近距離。そして、温泉が湧いている。その3つ。「外国人対象の本格リゾートホテル」を目指し「箱根」に「富士」の名が付いた高級ホテルを創ったという。
先週、上の娘が話していたことを思い出した。
「甲府には外国人がいっぱいいるのに、英語の表示が少なすぎるよ。レストランのメニューとか、もっと英語にすれば外国の人も住みやすくなるのに」
江戸の世に生まれた千之助さん。富士屋ホテルが2つある山梨の今を見たら、嘆くだろうか、それとも異様なほど情報ばかり発達した時代の流れのなかで、何故かフリーズしたままの大切な部分が多いことに呆れ果てるだろうか。
いや、きっと、変えていこうとするに違いない。
彼なら、平成の世に生まれ英語を学び世界に目を向け始めた娘に、画期的なアドバイスしてくれるかも知れないなと、歴史を感じる建物を見上げ、考えた。
富士、フジ、ふじ、FUJI、様々なところに富士山マークが。
サンドイッチを頼んでから、箱根富士屋バーガーがあることに気づき、
「あー、これにすればよかった!」と、夫。観光客らしき発言(笑)
三角のサンドイッチまで、富士山に見えてきました。
ランチしたテラスから見えた庭園には、太った鯉がたくさんいました。
苔生す庭園の池。 ホテルの外装は、赤が効いた不思議な雰囲気です。
おや? びっきー、こんなところに? さらに、こんなところにも富士山が。
銅像は、創業者の愛犬フワくん。ジャーマン・シェパード・ドッグです。
日頃の行い?
ロマンスカーに乗って、箱根に来た。
「今年も、お疲れさま」と、夫が計画してくれたものだ。
あいにく雨だったが、わたしは、美味しい食事と美味い酒があればいい。天気に落胆する季節は、人生のなかで、とうに過ぎている。
ロマンスカーで座った先頭車両は展望席とうたわれた席だったが、他の車両の指定席と値段も変わらず、損得勘定も湧かない。車掌が申し訳なさそうに頭を下げつつ、フロントガラスを何度か拭きに来るのを、こちらも申し訳なく思いつつも、返って面白がって見ていた。
昔、運動会の挨拶で、何人かの校長先生が同じ話をしていたのを思い出した。
「青空の下、今日この日を迎えられたのは、みなさんの日頃の行いがよかったからに違いないと思います」
そう聞くと、いつも落ち着かなくなった。
みなさんって、何百人いるんだっけ? みんながみんな、日頃からいいことばかりしている訳なんかないんだし。だいたい自分だって、そうだし。昨日、給食の残りのパンを寄り道して放し飼いの犬(茶色い犬だからと『チャドッグ』と、勝手に名まで付けて可愛がっていた)に、食べさせたし、などと考えている間に、退屈な挨拶はいつも終わっていた。
夫とそんな話をして笑いつつ、刺身をつまみ、日本酒を呑んだ。逆パターンで日本酒を味わってからビールに切り替えたのだが、ラスト日本茶を夫が頼むと、ほんの少しだけ残ったビールが下げられてしまった。
「どうしたの?」わたしの表情が変わったのを見て、夫。
「ビビビ、ビール、まだ残ってたのに」と、泣きそうになりながら、わたし。
「それって、やっぱり」と、くすくす笑いつつ、夫。
「どうせ、日頃の行いが悪いからですよ」と、日本茶をすすり、わたし。
そのお茶は、丁度良く熱く、やけに美味しく上品な味がした。悔しい。
冷やで飲んだ日本酒は宮城の『乾坤一(けんこんいち)』と、
島根の『王禄(おうろく)』は、対照的な味でした。
乾坤一は、フルーティ。王禄は、渋めの辛口。どちらも捨てがたい!
刺し身の分厚さに、海に近づいた贅沢を感じました。
鯛の兜煮。まずその大きさに驚き、また美味しさに驚きました。
夜も更けて、窓を開けると、箱根は宮ノ下のトレードマーク、瓢箪が。
「今年も、お疲れさま」と、夫が計画してくれたものだ。
あいにく雨だったが、わたしは、美味しい食事と美味い酒があればいい。天気に落胆する季節は、人生のなかで、とうに過ぎている。
ロマンスカーで座った先頭車両は展望席とうたわれた席だったが、他の車両の指定席と値段も変わらず、損得勘定も湧かない。車掌が申し訳なさそうに頭を下げつつ、フロントガラスを何度か拭きに来るのを、こちらも申し訳なく思いつつも、返って面白がって見ていた。
昔、運動会の挨拶で、何人かの校長先生が同じ話をしていたのを思い出した。
「青空の下、今日この日を迎えられたのは、みなさんの日頃の行いがよかったからに違いないと思います」
そう聞くと、いつも落ち着かなくなった。
みなさんって、何百人いるんだっけ? みんながみんな、日頃からいいことばかりしている訳なんかないんだし。だいたい自分だって、そうだし。昨日、給食の残りのパンを寄り道して放し飼いの犬(茶色い犬だからと『チャドッグ』と、勝手に名まで付けて可愛がっていた)に、食べさせたし、などと考えている間に、退屈な挨拶はいつも終わっていた。
夫とそんな話をして笑いつつ、刺身をつまみ、日本酒を呑んだ。逆パターンで日本酒を味わってからビールに切り替えたのだが、ラスト日本茶を夫が頼むと、ほんの少しだけ残ったビールが下げられてしまった。
「どうしたの?」わたしの表情が変わったのを見て、夫。
「ビビビ、ビール、まだ残ってたのに」と、泣きそうになりながら、わたし。
「それって、やっぱり」と、くすくす笑いつつ、夫。
「どうせ、日頃の行いが悪いからですよ」と、日本茶をすすり、わたし。
そのお茶は、丁度良く熱く、やけに美味しく上品な味がした。悔しい。
冷やで飲んだ日本酒は宮城の『乾坤一(けんこんいち)』と、
島根の『王禄(おうろく)』は、対照的な味でした。
乾坤一は、フルーティ。王禄は、渋めの辛口。どちらも捨てがたい!
刺し身の分厚さに、海に近づいた贅沢を感じました。
鯛の兜煮。まずその大きさに驚き、また美味しさに驚きました。
夜も更けて、窓を開けると、箱根は宮ノ下のトレードマーク、瓢箪が。
ふと思い出す小説
何かのきっかけで、小説のワンシーンを、ふと思い出すことがある。
例えば雪が積もれば、朝倉かすみの『田村はまだか』(光文社文庫)札幌ススキノでスナックをやっているマスターの耳たぶを触る癖を思い出し、衣替えで半袖になった中学生を見れば、山本文緒の『絶対泣かない』(角川文庫)に収められた短編『今年はじめての半袖』のラストシーンで、主人公が震えながら半袖から出たひじをさするシーンを思い出す。
そんな風にして、村上春樹の『カンガルー日和』(講談社文庫)のなかの短編『鏡』を思い出した。
百物語的に、みんなで不可思議な体験談や本当にあった恐い話をしているという設定で、主人公の僕は、その家の主。最後に「鏡」の話をする。
「煙草を3回くらいふかしたあとで、急に奇妙なことに気づいた。つまり、鏡の中の僕は僕じゃないんだ。いや、外見はすっかり僕なんだよ。それは間違いないんだ。でも、それは絶対に僕じゃないんだ」
よくある話なのに、鏡を見てふと思い出すのはそのシーン。自分じゃない自分が鏡に映っている。そしてもうひとりの自分は自分をひどく憎んでいるのだ。
思い出したのは、洗面所の鏡に映った自分の顔が、ずいぶんと疲れて見えたからだ。いけない、いけないと、ゆったりと風呂につかり、久しぶりにパックした。鏡のなかのわたしの憎しみ、少しは解消されたかな。
猫は、トイレの壁に。トカゲは、玄関。京都の藍染めの暖簾が映っています。
いや、映っているのは、本当に藍染めの暖簾なのか? ふっふっふっ。
久々に読んだ『カンガルー日和』面白かった!
『タクシーに乗った吸血鬼』のイントロ部分の比喩に、春樹節を感じました。
「他人とうまくやっていくというのはむずかしい。玄関マットか何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える」
例えば雪が積もれば、朝倉かすみの『田村はまだか』(光文社文庫)札幌ススキノでスナックをやっているマスターの耳たぶを触る癖を思い出し、衣替えで半袖になった中学生を見れば、山本文緒の『絶対泣かない』(角川文庫)に収められた短編『今年はじめての半袖』のラストシーンで、主人公が震えながら半袖から出たひじをさするシーンを思い出す。
そんな風にして、村上春樹の『カンガルー日和』(講談社文庫)のなかの短編『鏡』を思い出した。
百物語的に、みんなで不可思議な体験談や本当にあった恐い話をしているという設定で、主人公の僕は、その家の主。最後に「鏡」の話をする。
「煙草を3回くらいふかしたあとで、急に奇妙なことに気づいた。つまり、鏡の中の僕は僕じゃないんだ。いや、外見はすっかり僕なんだよ。それは間違いないんだ。でも、それは絶対に僕じゃないんだ」
よくある話なのに、鏡を見てふと思い出すのはそのシーン。自分じゃない自分が鏡に映っている。そしてもうひとりの自分は自分をひどく憎んでいるのだ。
思い出したのは、洗面所の鏡に映った自分の顔が、ずいぶんと疲れて見えたからだ。いけない、いけないと、ゆったりと風呂につかり、久しぶりにパックした。鏡のなかのわたしの憎しみ、少しは解消されたかな。
猫は、トイレの壁に。トカゲは、玄関。京都の藍染めの暖簾が映っています。
いや、映っているのは、本当に藍染めの暖簾なのか? ふっふっふっ。
久々に読んだ『カンガルー日和』面白かった!
『タクシーに乗った吸血鬼』のイントロ部分の比喩に、春樹節を感じました。
「他人とうまくやっていくというのはむずかしい。玄関マットか何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える」
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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