はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
スタジアムのなかのドラマ
夫と、声を潜めて、話していた。
「この親子、どうなってんの?」「うん。不思議な光景だね」
久しぶりにヴァンフォーレ甲府の応援に、スタジアムに出向いた。いつも通りキックオフぎりぎりに着き、空いている席に座ると、前に小学校2年生くらいだろうか、小さな男の子がひとり、甲府のユニフォームを着て、座っている。隣の男性は、相手チーム、柏レイソルの黄色いユニフォーム。ひとりで来たのかなぁと思っていると「ねぇ、お父さん」と、彼は柏サポーターに話しかけた。親子で、違うチームのサポーターだったのだ。
ふたりが席を外した隙に、夫とやはり声を潜めて、話す。
「お父さんが柏出身で、息子くんは山梨育ちなのかな」と、わたし。
「そう考えるのが、まあ、妥当だろうね」と、夫。
でもさ、とわたしの詮索は続いた。長く離ればなれになっていた親子の再会、とか。実は柏に暮らす親子なのだが、息子くんが何故かヴァンフォーレを愛してやまない、とか。
わたしの右隣は、男女の柏サポーターだった。夫婦だろうか。恋愛中だろうか。考えると、スタジアムじゅうの人々のドラマが、押し寄せてくる。
相手サポーターとは敵同士とは言え、同じ試合を観戦し、応援して、その時間を共有している。その連帯感に似た感覚は、悪くない。親しみさえ覚える。勝った時に限りだが。
甲府が2点リードした頃から、柏サポのお父さんは言葉少なになったが、紳士的に息子くんと会話していた。いい感じの親子だった。
考えれば逆に、わたし達夫婦のドラマは、どんな風に見えているんだろうか。
隣の柏サポーター男性の視線は、確実に「あ、奥さん2杯目の生ビール。いいなぁ。旦那も大変だな」と、語っていた。
「いや、これは、わたしが生ビールを飲むと、勝つっていうジンクスが」
視線で語られても言い訳はできず、ただただ美味しくビールを飲んだのだった。運転手の夫には申し訳ないが、夏日のスタジアムでの生ビールは、最高に美味かった。そしてもちろん、ジンクスを守り通したわたしのおかげで(笑)ヴァンフォーレ、3-0で完勝! やったー!
行きの車中から見た、富士山。ちょっとの気温の変化で、
くっきり見える日と、かすんでいる日があります。昨日はくっきり。
甲府、小瀬公園の中銀スタジアムは、暑かった!
やっぱり富士山も、応援してくれていたんだね ♪
「この親子、どうなってんの?」「うん。不思議な光景だね」
久しぶりにヴァンフォーレ甲府の応援に、スタジアムに出向いた。いつも通りキックオフぎりぎりに着き、空いている席に座ると、前に小学校2年生くらいだろうか、小さな男の子がひとり、甲府のユニフォームを着て、座っている。隣の男性は、相手チーム、柏レイソルの黄色いユニフォーム。ひとりで来たのかなぁと思っていると「ねぇ、お父さん」と、彼は柏サポーターに話しかけた。親子で、違うチームのサポーターだったのだ。
ふたりが席を外した隙に、夫とやはり声を潜めて、話す。
「お父さんが柏出身で、息子くんは山梨育ちなのかな」と、わたし。
「そう考えるのが、まあ、妥当だろうね」と、夫。
でもさ、とわたしの詮索は続いた。長く離ればなれになっていた親子の再会、とか。実は柏に暮らす親子なのだが、息子くんが何故かヴァンフォーレを愛してやまない、とか。
わたしの右隣は、男女の柏サポーターだった。夫婦だろうか。恋愛中だろうか。考えると、スタジアムじゅうの人々のドラマが、押し寄せてくる。
相手サポーターとは敵同士とは言え、同じ試合を観戦し、応援して、その時間を共有している。その連帯感に似た感覚は、悪くない。親しみさえ覚える。勝った時に限りだが。
甲府が2点リードした頃から、柏サポのお父さんは言葉少なになったが、紳士的に息子くんと会話していた。いい感じの親子だった。
考えれば逆に、わたし達夫婦のドラマは、どんな風に見えているんだろうか。
隣の柏サポーター男性の視線は、確実に「あ、奥さん2杯目の生ビール。いいなぁ。旦那も大変だな」と、語っていた。
「いや、これは、わたしが生ビールを飲むと、勝つっていうジンクスが」
視線で語られても言い訳はできず、ただただ美味しくビールを飲んだのだった。運転手の夫には申し訳ないが、夏日のスタジアムでの生ビールは、最高に美味かった。そしてもちろん、ジンクスを守り通したわたしのおかげで(笑)ヴァンフォーレ、3-0で完勝! やったー!
行きの車中から見た、富士山。ちょっとの気温の変化で、
くっきり見える日と、かすんでいる日があります。昨日はくっきり。
甲府、小瀬公園の中銀スタジアムは、暑かった!
やっぱり富士山も、応援してくれていたんだね ♪
チェシャ猫の秘密基地
ウッドデッキで洗濯物を干していたら、庭をゆっくりチェシャ猫が通過した。隣の林との境界線の辺りだ。チェシャ猫とは、最近見かける縞模様の太った猫のニックネーム。わたしが勝手にそう呼んでいるだけなのだが馴染みの顔だ。
だがこのところ、何か我が物顔で歩く姿に、疑問も感じていた。すっかり自分の家の庭を歩く様子なのである。
なので、洗濯物を干す手を止め、様子をうかがった。すると、するりと消えたのだ。まるで『不思議の国のアリス』が、うさぎ穴に落ちたかのように。
近づいてみると、なんてことはない。林の木々の払った枝が積んであるなかに、ちょうどいいスペースがあり、そこで丸まっていた。
「こんなところに、秘密基地が、あったのかぁ」
自分の庭を歩くような顔をしていたのにも、うなずける。
チェシャ猫は、わたしに「ふー! うー!」と、うなり、出てこない。隣の林に居る分には、こちらも特にかまわないので、そっとしておいた。
「秘密基地、昔、作ったなぁ」子どもの頃を、思い出す。
生まれ育った東京の板橋は、まだまだ田舎で、林と畑だらけだった。川を越えた丘は、子ども達には「お化け山」と呼ばれていて、ただ何か恐いことが起こるかもしれないスポットとして、楽しまれていた。他に「鬼ばば山」「アベック山」があり、やはり、うっそうと木が茂った林だった。今考えると、暗くて人目がつかない場所に行かないようにと、大人達が、そう呼び始めたのかも知れないとも思うが、そういう場所だからこそ、秘密基地作りには最適だったのだ。その、ベタすぎて笑っちゃうネーミングにも疑問を持たず、素直に呼んでいた自分。近所の男の子達と、捨てられた物や木の枝を集めて、熱心に秘密の場所を作り上げていった自分。今ではその存在自体が、不思議に思える。
ふと気づくと、チェシャ猫の細くなった瞳には、遠い遠い日が映っていた。
狭い場所に入り込むのが、好きなんだよね。きっと。
うなって威嚇していますが、あんまり迫力ありません。
切った枝が積んであるだけ。そこに草や蔓が伸びて絡まっています。
こんな場所だけど居心地、いいのかなぁ。
だがこのところ、何か我が物顔で歩く姿に、疑問も感じていた。すっかり自分の家の庭を歩く様子なのである。
なので、洗濯物を干す手を止め、様子をうかがった。すると、するりと消えたのだ。まるで『不思議の国のアリス』が、うさぎ穴に落ちたかのように。
近づいてみると、なんてことはない。林の木々の払った枝が積んであるなかに、ちょうどいいスペースがあり、そこで丸まっていた。
「こんなところに、秘密基地が、あったのかぁ」
自分の庭を歩くような顔をしていたのにも、うなずける。
チェシャ猫は、わたしに「ふー! うー!」と、うなり、出てこない。隣の林に居る分には、こちらも特にかまわないので、そっとしておいた。
「秘密基地、昔、作ったなぁ」子どもの頃を、思い出す。
生まれ育った東京の板橋は、まだまだ田舎で、林と畑だらけだった。川を越えた丘は、子ども達には「お化け山」と呼ばれていて、ただ何か恐いことが起こるかもしれないスポットとして、楽しまれていた。他に「鬼ばば山」「アベック山」があり、やはり、うっそうと木が茂った林だった。今考えると、暗くて人目がつかない場所に行かないようにと、大人達が、そう呼び始めたのかも知れないとも思うが、そういう場所だからこそ、秘密基地作りには最適だったのだ。その、ベタすぎて笑っちゃうネーミングにも疑問を持たず、素直に呼んでいた自分。近所の男の子達と、捨てられた物や木の枝を集めて、熱心に秘密の場所を作り上げていった自分。今ではその存在自体が、不思議に思える。
ふと気づくと、チェシャ猫の細くなった瞳には、遠い遠い日が映っていた。
狭い場所に入り込むのが、好きなんだよね。きっと。
うなって威嚇していますが、あんまり迫力ありません。
切った枝が積んであるだけ。そこに草や蔓が伸びて絡まっています。
こんな場所だけど居心地、いいのかなぁ。
ハマナスと山蟻
東京に1泊して帰ってきたら、庭のハマナスが咲いていた。
濃いピンクが鮮やかで、目を細める。ハマナスは棘が細かく刺さるとけっこう痛いので、普段は邪魔者扱いだが、今は、森繁久彌が『知床旅情』に歌った ♪ ハマナスの咲く頃 ♪
たった1日で散ってしまうこともあり、棘のことなど忘れ、儚い花よ、のう。などとセンチメンタルに愛でてみる。ハマナスがバラ科の花で、実がローズヒップとして使われているとは、今年初めて知った。まだ蕾は十以上ある。しばらく楽しませてくれそうだ。
そのハマナス周辺に、山蟻がたくさんいるのを見つけた。今年もまた、出て来たな、という感じである。
胴の部分が茶で大きい蟻を山蟻と呼んでいるが、どんな生態をしているのだろうかとネット検索したてみた。
すると、諺『山あり谷あり』のページに出てしまった。
目をとめたのは『苦あれば楽あり』と混同している人が多いのか「山と谷と、どっちが苦でどっちが楽なんでしょうか?」という疑問が並んでいたからだ。
「人生、山あり谷あり」と聞くことはあるけれど、自分では使わないから、深く考えたことはなかったが、どう考えても山がピークで、谷がどん底だろう。
山も谷も、なだらかに、もう超えて来たと思っているわたしだが、まだまだ、生きている。先のことは判らない。判らなくていい。
「山蟻さん、これからの季節、元気モリモリ、活動もピークなんだろうけれど、家のなかに入ってくるのは、やめてね」
ビデオを早送りでもしているかの如く素早く動き回る山蟻に声をかけ、山と谷の間で、ハマナスを愛でた。
目を奪われる鮮やかな色。バラの仲間だったんだねぇ。
若い色の葉と、赤に近いピンクが、初夏を表現しているようです。
茎にはびっしりトゲトゲが。すぐに刺さって、ものすごーく痛いんです。
でも、葉っぱは艶やかで、綺麗。山蟻、連写でようやく撮れました。
濃いピンクが鮮やかで、目を細める。ハマナスは棘が細かく刺さるとけっこう痛いので、普段は邪魔者扱いだが、今は、森繁久彌が『知床旅情』に歌った ♪ ハマナスの咲く頃 ♪
たった1日で散ってしまうこともあり、棘のことなど忘れ、儚い花よ、のう。などとセンチメンタルに愛でてみる。ハマナスがバラ科の花で、実がローズヒップとして使われているとは、今年初めて知った。まだ蕾は十以上ある。しばらく楽しませてくれそうだ。
そのハマナス周辺に、山蟻がたくさんいるのを見つけた。今年もまた、出て来たな、という感じである。
胴の部分が茶で大きい蟻を山蟻と呼んでいるが、どんな生態をしているのだろうかとネット検索したてみた。
すると、諺『山あり谷あり』のページに出てしまった。
目をとめたのは『苦あれば楽あり』と混同している人が多いのか「山と谷と、どっちが苦でどっちが楽なんでしょうか?」という疑問が並んでいたからだ。
「人生、山あり谷あり」と聞くことはあるけれど、自分では使わないから、深く考えたことはなかったが、どう考えても山がピークで、谷がどん底だろう。
山も谷も、なだらかに、もう超えて来たと思っているわたしだが、まだまだ、生きている。先のことは判らない。判らなくていい。
「山蟻さん、これからの季節、元気モリモリ、活動もピークなんだろうけれど、家のなかに入ってくるのは、やめてね」
ビデオを早送りでもしているかの如く素早く動き回る山蟻に声をかけ、山と谷の間で、ハマナスを愛でた。
目を奪われる鮮やかな色。バラの仲間だったんだねぇ。
若い色の葉と、赤に近いピンクが、初夏を表現しているようです。
茎にはびっしりトゲトゲが。すぐに刺さって、ものすごーく痛いんです。
でも、葉っぱは艶やかで、綺麗。山蟻、連写でようやく撮れました。
『円卓』
リズムが、頭から離れない。
西加奈子『円卓』(文春文庫)を、読んだ。その釣りたての魚のようにピチピチ飛び跳ねる言葉のリズムが、頭のなかをぐるぐる回っているのである。渦原(うずはら)家の円卓のように。
主人公は、こっこ。小学三年生。祖父母と両親、三つ子で中2の姉達と、8人暮らし。その狭い団地の居間に置かれた円卓の描写が、以下。
渦原家のテーブルは、潰れた駅前の中華料理屋「大陸」からもらってきた、円卓。とても大きいから、居間のほとんどを、占拠している。大家族にはとても便利なテーブルなのだが、六畳間の畳の上では、やはり圧巻である、真紅だ。
体言止めを要所要所に効かせた、ガツンとパンチのある文章で、小説全体に統一された心地よいリズムを創り上げている。
さてこっこは、家族に対し不満を訴えはしないまでも、胸のなかには渦巻いているものが多くあった。以下。
こっこ、こっこ、こっこ。にこにこと嬉しそうな三つの、同じ顔。
(凡人が! 三つ子に甘んじやがって!)
だが実際、理子が髪をとかす手は優しく、眞子のくれるチョコレートがついたドーナツ甘く、朋美が縫ってくれるピンクの糸は、可愛い。
こっこは、三つ子に囲まれて眠る。こっこは、孤独が欲しい。三つ子の妹でもない、誰でもない「こっこ」になりたい。
クラスメイト達も、個性的だ。幼馴染みで同じ団地に住み、吃音でしゃべる男子ぽっさん。大人っぽい香田めぐみさん。ベトナム人のゴックん。学級委員の朴くん。授業中いつも紙を小さく折りたたんでいる女子、幹成海、などなど。そしてもちろん、こっこと家族の物語だ。9歳の、子どもから脱皮する瞬間を、描いている。担任のジビキは、夏休み明けの子ども達を見て思う。以下。
子供らが向かうのは、自分と同じ死であるはずなのに、彼らはまったく違う意思を持って、違う目的に歩いていくように思える。その行軍に、すでに成人の自分だけは、混ざれないのだ。彼らは彼らのまま、凶暴に成長してゆく。
この小説、電車のなかでは読まない方が、身のためかもしれない。笑いが止まらなくなる可能性あり、危険だ。
芦田愛奈ちゃん主演、行定勲監督で、映画は6月21日公開予定です。
ジャポニカ学習帳が、小説のなかでは鍵になる小道具なのですが、
お目当ての自由帳は、キャラクターものしか売っていませんでした。
今では、様々なメーカーから出しているんですね。
漢字練習帳を購入。友人とんぼちゃんの勧めで、自分流いろはがるたを、
作ってみることに。テーマは「好きなもの」にしました。
西加奈子『円卓』(文春文庫)を、読んだ。その釣りたての魚のようにピチピチ飛び跳ねる言葉のリズムが、頭のなかをぐるぐる回っているのである。渦原(うずはら)家の円卓のように。
主人公は、こっこ。小学三年生。祖父母と両親、三つ子で中2の姉達と、8人暮らし。その狭い団地の居間に置かれた円卓の描写が、以下。
渦原家のテーブルは、潰れた駅前の中華料理屋「大陸」からもらってきた、円卓。とても大きいから、居間のほとんどを、占拠している。大家族にはとても便利なテーブルなのだが、六畳間の畳の上では、やはり圧巻である、真紅だ。
体言止めを要所要所に効かせた、ガツンとパンチのある文章で、小説全体に統一された心地よいリズムを創り上げている。
さてこっこは、家族に対し不満を訴えはしないまでも、胸のなかには渦巻いているものが多くあった。以下。
こっこ、こっこ、こっこ。にこにこと嬉しそうな三つの、同じ顔。
(凡人が! 三つ子に甘んじやがって!)
だが実際、理子が髪をとかす手は優しく、眞子のくれるチョコレートがついたドーナツ甘く、朋美が縫ってくれるピンクの糸は、可愛い。
こっこは、三つ子に囲まれて眠る。こっこは、孤独が欲しい。三つ子の妹でもない、誰でもない「こっこ」になりたい。
クラスメイト達も、個性的だ。幼馴染みで同じ団地に住み、吃音でしゃべる男子ぽっさん。大人っぽい香田めぐみさん。ベトナム人のゴックん。学級委員の朴くん。授業中いつも紙を小さく折りたたんでいる女子、幹成海、などなど。そしてもちろん、こっこと家族の物語だ。9歳の、子どもから脱皮する瞬間を、描いている。担任のジビキは、夏休み明けの子ども達を見て思う。以下。
子供らが向かうのは、自分と同じ死であるはずなのに、彼らはまったく違う意思を持って、違う目的に歩いていくように思える。その行軍に、すでに成人の自分だけは、混ざれないのだ。彼らは彼らのまま、凶暴に成長してゆく。
この小説、電車のなかでは読まない方が、身のためかもしれない。笑いが止まらなくなる可能性あり、危険だ。
芦田愛奈ちゃん主演、行定勲監督で、映画は6月21日公開予定です。
ジャポニカ学習帳が、小説のなかでは鍵になる小道具なのですが、
お目当ての自由帳は、キャラクターものしか売っていませんでした。
今では、様々なメーカーから出しているんですね。
漢字練習帳を購入。友人とんぼちゃんの勧めで、自分流いろはがるたを、
作ってみることに。テーマは「好きなもの」にしました。
こうもり、アベック、パーマ屋さん
2年ぶりである。何が? 酒など見たくもないほどの二日酔いが、だ。
気が置けない友人5人での女子会で、大いにしゃべり、大いに笑い、大いに飲んだ。大いに大いに飲み過ぎた、のである。生ビールをチェイサーに、白ワインを飲んではいけない。そんなことも忘れるほどに、楽しくいい酒だった。
当然、記憶も途切れ途切れ。だが、友人が発した「パーマ屋さん」という言葉の甘い響きは、しっかりと残っている。
「この間、西麻布のパーマ屋さんに行ってさぁ」と、友人。
「パーマ屋さん?」「懐かしい響きだぁ」「いいなぁ、西麻布」
みな、口々に勝手なことを言い、彼女の話は、一向に進まない。
「えーっ、パーマ屋さんって、そんなに可笑しいかなぁ?」と、彼女。
「それ、カップルをアベックって言うのと、同レベルだよ」
「普通、美容室とか言うよねぇ?」「懐かしい響きだ」「やっぱ西麻布だよ」
話し進まず、酒のみが進む。
「いいじゃん、パーマ屋さんで。だからぁ、パーマ屋さんに、行ってさぁ」
「はいはい。パーマ屋さんね」「懐かしい響きだぁ」「西麻布のね」
いったい何を、しゃべっていたのやら。とにかく明るい色に染めた彼女の髪はとても素敵で、照れ臭そうに「パーマ屋さん」を連発するのがレトロ可愛く、5人、大いに笑ったのだった。その「パーマ屋さん」の懐かしくも甘い響きにやられ、大いに、全くもって大いに、酔っぱらってしまったのかも知れない。
翌日、二日酔いで立ち寄った駅ナカの蕎麦屋。ぼんやり、かけ蕎麦をすすっていると、レトロな言葉が、頭痛の波と共に流れていった。
「チャックはファスナーで、ズボンはパンツ? スパゲッティはパスタで、デザートはスイーツ。バナナは、おやつに入らない」
崩壊寸前である。その時だった。隣に座った70代だろうか、男性が、立ち上がった他の男性に、声をかけた。
「おう、だんな。こうもり!」
声をかけられた男性は、足元に忘れた傘を持ち、頭を下げた。
「かっこいい!」崩壊寸前の頭に、メスを入れられたような痛みが走る。
こうもり、アベック、パーマ屋さん。レトロな言葉って、時に可愛く、かっこいいものなのだ。
所用で出かけた九段下の帰り道、千鳥ヶ淵を散歩しました。
ツツジもほとんど終わっていましたが、気持ちのいい春の日。
青々とした銀杏からこぼれる、太陽の光。散歩日和でした。
女子会は、飯田橋のイタリアンで。なのに、ギリシャのワイン(笑)
あー、これ食べたの、覚えてない! 悔しい!(笑)
気が置けない友人5人での女子会で、大いにしゃべり、大いに笑い、大いに飲んだ。大いに大いに飲み過ぎた、のである。生ビールをチェイサーに、白ワインを飲んではいけない。そんなことも忘れるほどに、楽しくいい酒だった。
当然、記憶も途切れ途切れ。だが、友人が発した「パーマ屋さん」という言葉の甘い響きは、しっかりと残っている。
「この間、西麻布のパーマ屋さんに行ってさぁ」と、友人。
「パーマ屋さん?」「懐かしい響きだぁ」「いいなぁ、西麻布」
みな、口々に勝手なことを言い、彼女の話は、一向に進まない。
「えーっ、パーマ屋さんって、そんなに可笑しいかなぁ?」と、彼女。
「それ、カップルをアベックって言うのと、同レベルだよ」
「普通、美容室とか言うよねぇ?」「懐かしい響きだ」「やっぱ西麻布だよ」
話し進まず、酒のみが進む。
「いいじゃん、パーマ屋さんで。だからぁ、パーマ屋さんに、行ってさぁ」
「はいはい。パーマ屋さんね」「懐かしい響きだぁ」「西麻布のね」
いったい何を、しゃべっていたのやら。とにかく明るい色に染めた彼女の髪はとても素敵で、照れ臭そうに「パーマ屋さん」を連発するのがレトロ可愛く、5人、大いに笑ったのだった。その「パーマ屋さん」の懐かしくも甘い響きにやられ、大いに、全くもって大いに、酔っぱらってしまったのかも知れない。
翌日、二日酔いで立ち寄った駅ナカの蕎麦屋。ぼんやり、かけ蕎麦をすすっていると、レトロな言葉が、頭痛の波と共に流れていった。
「チャックはファスナーで、ズボンはパンツ? スパゲッティはパスタで、デザートはスイーツ。バナナは、おやつに入らない」
崩壊寸前である。その時だった。隣に座った70代だろうか、男性が、立ち上がった他の男性に、声をかけた。
「おう、だんな。こうもり!」
声をかけられた男性は、足元に忘れた傘を持ち、頭を下げた。
「かっこいい!」崩壊寸前の頭に、メスを入れられたような痛みが走る。
こうもり、アベック、パーマ屋さん。レトロな言葉って、時に可愛く、かっこいいものなのだ。
所用で出かけた九段下の帰り道、千鳥ヶ淵を散歩しました。
ツツジもほとんど終わっていましたが、気持ちのいい春の日。
青々とした銀杏からこぼれる、太陽の光。散歩日和でした。
女子会は、飯田橋のイタリアンで。なのに、ギリシャのワイン(笑)
あー、これ食べたの、覚えてない! 悔しい!(笑)
にごれる飲みて、しばしなぐさむ
夫が出張土産にと、長野は佐久のにごり酒を、買って来た。
青く細い瓶もお洒落な、その名も『藤村のにごり酒』
島崎藤村が佐久を訪れた際に、かいた詩の一節が、ラベルにかかれている。
千曲川 いざよう波の 岸ちかき 宿にのぼりつ
にごり酒 にごれる飲みて 草枕 しばしなぐさむ
「にごり酒、昔は、苦手じゃなかったっけ?」夫に聞くと、
「何年か前に飲みに行った店で、にごり酒を熱燗で出してくれてさ、まさかと思ったんだけど、それが美味かったんだよね」と、夫。
「ふうん。酒との出会いもまた、ドラマなりだね」
よく冷えたにごり酒は、フルーティーで、美味かった。
「濁る」という言葉は、悪い意味で使われることが多い。心が濁る、などは辞書を引くと「精神が健全ではない。けがれる」と、手厳しい。
「でも、濁るって、いろんなものが混ざってるってことなんだよなぁ」
にごり酒に、ほろほろ酔い、考えた。
手元の、山のグラスを見る。底を山型に削ってあり、それが曇りガラスとなっていてまるで雪山のように美しく見える。
「曇る」も、目が曇る、などと使われるが、透明な部分と曇った部分のコントラストが、このグラスの命だ。
濁るのも、曇るのも、時にはよしかなと、濁れる酒に、しばしなぐさんだ。
「飲みすぎ注意」と牽制しつつ、ふたり酔っぱらいました(笑)
旅して、詩をかくって、素敵だなぁ ♪ 憧れます。
何年か前にふたりで安曇野までドライブした時に、気に入って購入しました。
手作りで、オウトツをつけて削ってあるところが、本物の山っぽい!
青く細い瓶もお洒落な、その名も『藤村のにごり酒』
島崎藤村が佐久を訪れた際に、かいた詩の一節が、ラベルにかかれている。
千曲川 いざよう波の 岸ちかき 宿にのぼりつ
にごり酒 にごれる飲みて 草枕 しばしなぐさむ
「にごり酒、昔は、苦手じゃなかったっけ?」夫に聞くと、
「何年か前に飲みに行った店で、にごり酒を熱燗で出してくれてさ、まさかと思ったんだけど、それが美味かったんだよね」と、夫。
「ふうん。酒との出会いもまた、ドラマなりだね」
よく冷えたにごり酒は、フルーティーで、美味かった。
「濁る」という言葉は、悪い意味で使われることが多い。心が濁る、などは辞書を引くと「精神が健全ではない。けがれる」と、手厳しい。
「でも、濁るって、いろんなものが混ざってるってことなんだよなぁ」
にごり酒に、ほろほろ酔い、考えた。
手元の、山のグラスを見る。底を山型に削ってあり、それが曇りガラスとなっていてまるで雪山のように美しく見える。
「曇る」も、目が曇る、などと使われるが、透明な部分と曇った部分のコントラストが、このグラスの命だ。
濁るのも、曇るのも、時にはよしかなと、濁れる酒に、しばしなぐさんだ。
「飲みすぎ注意」と牽制しつつ、ふたり酔っぱらいました(笑)
旅して、詩をかくって、素敵だなぁ ♪ 憧れます。
何年か前にふたりで安曇野までドライブした時に、気に入って購入しました。
手作りで、オウトツをつけて削ってあるところが、本物の山っぽい!
視点を左右するもの
舞台に立つ彼女はまるで、モノクロの世界から浮き上がるかのように見えた。
芝居『死神の浮力』で、香川を演じた遠藤留奈である。
先月末になるが、芝居を観に行った。伊坂原作『死神の浮力』(文芸春秋)
芝居好きな伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われ、浮き浮きと出かけた。場所は下北沢でも有名な、一度行ってはみたかった本多劇場だというから、楽しみも倍増。発売日に予約し(彼女が)最前列をゲット(もちろん彼女が)コンビニでチケットを入手し(彼女が)駅で待ち合わせて場所を確認し(彼女が)伊坂トークを繰り広げながら(もちろんふたりで)ランチした(これは、わたしの驕りで)
芝居は「ドラマライブラリー」という新しい形式のものらしく、出演者すべてが片手に台本を持ち、読む。なので動きは少ないのだが、形式のせいもあるのか、ほぼ原作そのままで違和感もなく楽しめた。死神、千葉のとぼけたキャラも、いい感じで伝わってきた。
千葉はキャラが濃いので、演技云々は、よく判らなかったが、脇を固める役者の演技がぴか一で、最前列だったこともあり、その迫力に圧倒された。
ストーリーは、死神が1週間人間につき、可(死)か不可(生)かを見極める。で、千葉は10歳の娘を殺された山野辺の身辺調査をしていた。その山野辺夫妻は無罪となった犯人に復讐しようと暗殺計画を立てていた。千葉は、前作『死神の精度』での設定通り晴れた空を見たことがない。彼が仕事をする時は、いつだって雨なのだ。千葉に感情があるのか判らないが、涙雨だろうか。
観終わった、わたし達ふたりが、同意見だったのは、
「香川(千葉の同僚、死神)のエンディングのお辞儀、かっこよかった!」
「うん。ロングヘアが、床までつきそうだった! ハイヒールなのに」
いったい何処を見ているのやらだが、長く同じものを好きでいると、視点も似てくるものなのかもしれない。だが、と、ふと疑問が浮かんだ。
最前列右側のわたし達の前に、香川は常にいた。エンディングで深く礼をする時にも。目がいったのは、当然とも言える。
「視点って、感性や心の位置でも、実際いる位置でも変わってくるんだなぁ」
またも当然のことに、驚いてしまった。
さて、視点を変えて、この文章に『浮』の字はいくつあるでしょう?ふふふ。
本を読み、芝居を観る幸せ。仲間に教えてもらいました。
ゆっくりランチでお喋り。「村上春樹の短編集、いいらしいね」
「あ、これ?」と鞄から本を出し、わたし。「面白いよ」
「『ポテチ』の中村監督作品『白雪姫殺人事件』観た?」「まだー」
昨日の八ヶ岳。雲も、浮力で浮かんでいるのかなぁ。
芝居『死神の浮力』で、香川を演じた遠藤留奈である。
先月末になるが、芝居を観に行った。伊坂原作『死神の浮力』(文芸春秋)
芝居好きな伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間に誘われ、浮き浮きと出かけた。場所は下北沢でも有名な、一度行ってはみたかった本多劇場だというから、楽しみも倍増。発売日に予約し(彼女が)最前列をゲット(もちろん彼女が)コンビニでチケットを入手し(彼女が)駅で待ち合わせて場所を確認し(彼女が)伊坂トークを繰り広げながら(もちろんふたりで)ランチした(これは、わたしの驕りで)
芝居は「ドラマライブラリー」という新しい形式のものらしく、出演者すべてが片手に台本を持ち、読む。なので動きは少ないのだが、形式のせいもあるのか、ほぼ原作そのままで違和感もなく楽しめた。死神、千葉のとぼけたキャラも、いい感じで伝わってきた。
千葉はキャラが濃いので、演技云々は、よく判らなかったが、脇を固める役者の演技がぴか一で、最前列だったこともあり、その迫力に圧倒された。
ストーリーは、死神が1週間人間につき、可(死)か不可(生)かを見極める。で、千葉は10歳の娘を殺された山野辺の身辺調査をしていた。その山野辺夫妻は無罪となった犯人に復讐しようと暗殺計画を立てていた。千葉は、前作『死神の精度』での設定通り晴れた空を見たことがない。彼が仕事をする時は、いつだって雨なのだ。千葉に感情があるのか判らないが、涙雨だろうか。
観終わった、わたし達ふたりが、同意見だったのは、
「香川(千葉の同僚、死神)のエンディングのお辞儀、かっこよかった!」
「うん。ロングヘアが、床までつきそうだった! ハイヒールなのに」
いったい何処を見ているのやらだが、長く同じものを好きでいると、視点も似てくるものなのかもしれない。だが、と、ふと疑問が浮かんだ。
最前列右側のわたし達の前に、香川は常にいた。エンディングで深く礼をする時にも。目がいったのは、当然とも言える。
「視点って、感性や心の位置でも、実際いる位置でも変わってくるんだなぁ」
またも当然のことに、驚いてしまった。
さて、視点を変えて、この文章に『浮』の字はいくつあるでしょう?ふふふ。
本を読み、芝居を観る幸せ。仲間に教えてもらいました。
ゆっくりランチでお喋り。「村上春樹の短編集、いいらしいね」
「あ、これ?」と鞄から本を出し、わたし。「面白いよ」
「『ポテチ』の中村監督作品『白雪姫殺人事件』観た?」「まだー」
昨日の八ヶ岳。雲も、浮力で浮かんでいるのかなぁ。
スズランと茗荷の攻防
おしくらまんじゅうを、連想する。庭の、スズランと茗荷である。
今、満開のスズランは繁殖力が強く、庭いじりが好きな近所のご夫婦にいただいたものだが、何年か経ち、いただいた時の5倍以上にはなっている。白く可愛らしく香りのいいスズランは大好きな花で、毎年花を愛でるのを楽しみにしている訳だが、1年前から心配の種にもなった。隣に植えた茗荷も同じように強く、じりじりと自分の土地を広げてきたのだ。
今年はすっかり境界線が曖昧になり、先に芽を出したスズランの下に、茗荷は根を伸ばしていたのだろう。スズランの隙間、あちこちから芽を出し始めた。
スズランの花が終わったら、茗荷に譲ってもらおうと思っているが、その断固として譲らない両者の攻防は、観ていて胸がすく。勇ましく、隙あらば見逃さず根をはる強さ。ただただ、感心するのみである。
春の庭に出て、植物達をためつすがめつ見ていると、忘れていたことに気づく。生命の源だとか、難しいことは判らない。だが、生きていこうとするチカラは、もともと自分のなかにもあるものなんだってことを、思い出す。
植物も動物も人も、誰もが生きようとする強さを持っているはずなんだって。
スズランとツルニチニチソウの間に、茗荷が芽を出しています。
写真のちょうど真ん中、スズランの陰に、茗荷の芽が。
スズランも、茗荷も、どちらも譲らず、テリトリーを広げていきます。
スズランは今、満開。花が終わったら、茗荷に譲ってって言ったら怒る?
美味しくいただいたタラの2つ目の芽は、食べないのが決め事。
ぐんぐん伸びて、来年も美味しく、よろしく ♪
白いナデシコの新種(?)は、最初の一つを咲かせました。
今、満開のスズランは繁殖力が強く、庭いじりが好きな近所のご夫婦にいただいたものだが、何年か経ち、いただいた時の5倍以上にはなっている。白く可愛らしく香りのいいスズランは大好きな花で、毎年花を愛でるのを楽しみにしている訳だが、1年前から心配の種にもなった。隣に植えた茗荷も同じように強く、じりじりと自分の土地を広げてきたのだ。
今年はすっかり境界線が曖昧になり、先に芽を出したスズランの下に、茗荷は根を伸ばしていたのだろう。スズランの隙間、あちこちから芽を出し始めた。
スズランの花が終わったら、茗荷に譲ってもらおうと思っているが、その断固として譲らない両者の攻防は、観ていて胸がすく。勇ましく、隙あらば見逃さず根をはる強さ。ただただ、感心するのみである。
春の庭に出て、植物達をためつすがめつ見ていると、忘れていたことに気づく。生命の源だとか、難しいことは判らない。だが、生きていこうとするチカラは、もともと自分のなかにもあるものなんだってことを、思い出す。
植物も動物も人も、誰もが生きようとする強さを持っているはずなんだって。
スズランとツルニチニチソウの間に、茗荷が芽を出しています。
写真のちょうど真ん中、スズランの陰に、茗荷の芽が。
スズランも、茗荷も、どちらも譲らず、テリトリーを広げていきます。
スズランは今、満開。花が終わったら、茗荷に譲ってって言ったら怒る?
美味しくいただいたタラの2つ目の芽は、食べないのが決め事。
ぐんぐん伸びて、来年も美味しく、よろしく ♪
白いナデシコの新種(?)は、最初の一つを咲かせました。
女子会とマムシグサ
毒があるのは知っているが、心魅かれる草花がある。
スズランもそうだが、清楚な可愛らしさや、上品な香りに魅かれるのみで、毒のあるなしに関係はない。しかし、その毒々しさゆえの美しさを感じる花もある。その名も『マムシグサ』
カラーに似た形だが、色は緑や紫で、蛇が獲物を見つけた時のように首をもたげている。茎には蝮の模様と似た斑があり、秋には毒素を含んだ真っ赤な実をつけ、里芋と間違えそうな根にもまた、毒を忍ばせている。
そのマムシグサが、散歩道にたくさん咲いている。芽が出ているなぁと思ってから1週間ほどでもう、立派な花を咲かせているのだから、ジャックと豆の木並みに(と言うのは、もちろん大げさだが)にょきにょき伸び、ぐんぐん育つ不思議な花だ。強いのだろうなと、見とれる。
鳥や動物達に、すべて食べられ根絶やしにならないよう、猛毒とまでは言えない程度の毒を持つようになった植物は多いのだそうだ。
「生きていくために、必要な、毒かぁ。それも何か、悲しいな」
我慢し続けて胸に溜まった『毒』も、我慢できなくて言葉にして投げてしまった『毒』も、この歳になったって、わたしだって、手に余るほど持っていて、それも自分、と受け止めてみる。受け止めて、深呼吸する。だがその深呼吸の息さえも、毒素を含んでいるようにも思えてくる。
そんなことを考えていたら、友人からメールがあった。女子会のお誘いだ。
「嬉しい。友よ、ありがとう!」口に出した自分に、思わず微笑む。
そうだ。人には『毒』を浄化する言葉が、あるのだ。
「ありがとう」と「ごめんなさい」と「愛してる」心から発したその言葉は、自分の『毒』も、周りの人の『毒』も浄化していくという説がある。
「友人達に心からの感謝をこめて、いい酒、飲むぞー!」
その時点で『毒』はすでに、海の水すべてで薄めたほどの効き目しか失くなっていた。いやー、持つべきものは、酒と友だよ。マムシグサくん。
首をもたげた感じがマムシっぽいと言われれば、うなずけます。
でもわたしには、羽根(葉)を広げた鶴にも見えるような。
首をおろす前は、こんな立ち姿。なかは紫色です。調べたら種類が多く、
何々マムシグサですとは、断定できませんでした。
そっぽ向いたふたり、って雰囲気で咲いています。喧嘩中かな?
ふたりとも、しょんぼりしないで仲直りしたら?(笑)
毒を持つきみ達も、光合成しては、地球上のあらゆる生き物に、
酸素を作ってくれているんだよねぇ。ありがとう!
スズランもそうだが、清楚な可愛らしさや、上品な香りに魅かれるのみで、毒のあるなしに関係はない。しかし、その毒々しさゆえの美しさを感じる花もある。その名も『マムシグサ』
カラーに似た形だが、色は緑や紫で、蛇が獲物を見つけた時のように首をもたげている。茎には蝮の模様と似た斑があり、秋には毒素を含んだ真っ赤な実をつけ、里芋と間違えそうな根にもまた、毒を忍ばせている。
そのマムシグサが、散歩道にたくさん咲いている。芽が出ているなぁと思ってから1週間ほどでもう、立派な花を咲かせているのだから、ジャックと豆の木並みに(と言うのは、もちろん大げさだが)にょきにょき伸び、ぐんぐん育つ不思議な花だ。強いのだろうなと、見とれる。
鳥や動物達に、すべて食べられ根絶やしにならないよう、猛毒とまでは言えない程度の毒を持つようになった植物は多いのだそうだ。
「生きていくために、必要な、毒かぁ。それも何か、悲しいな」
我慢し続けて胸に溜まった『毒』も、我慢できなくて言葉にして投げてしまった『毒』も、この歳になったって、わたしだって、手に余るほど持っていて、それも自分、と受け止めてみる。受け止めて、深呼吸する。だがその深呼吸の息さえも、毒素を含んでいるようにも思えてくる。
そんなことを考えていたら、友人からメールがあった。女子会のお誘いだ。
「嬉しい。友よ、ありがとう!」口に出した自分に、思わず微笑む。
そうだ。人には『毒』を浄化する言葉が、あるのだ。
「ありがとう」と「ごめんなさい」と「愛してる」心から発したその言葉は、自分の『毒』も、周りの人の『毒』も浄化していくという説がある。
「友人達に心からの感謝をこめて、いい酒、飲むぞー!」
その時点で『毒』はすでに、海の水すべてで薄めたほどの効き目しか失くなっていた。いやー、持つべきものは、酒と友だよ。マムシグサくん。
首をもたげた感じがマムシっぽいと言われれば、うなずけます。
でもわたしには、羽根(葉)を広げた鶴にも見えるような。
首をおろす前は、こんな立ち姿。なかは紫色です。調べたら種類が多く、
何々マムシグサですとは、断定できませんでした。
そっぽ向いたふたり、って雰囲気で咲いています。喧嘩中かな?
ふたりとも、しょんぼりしないで仲直りしたら?(笑)
毒を持つきみ達も、光合成しては、地球上のあらゆる生き物に、
酸素を作ってくれているんだよねぇ。ありがとう!
『あと少し、もう少し』
本屋で、瀬尾まいこの新刊を、久しぶりに見つけた。
開くと1年以上前に刊行されている。最近読んでいなかったなと帯をじっと見るが、買うのをためらった。何故かと言えば、駅伝を走る中学生を描いた青春小説とある。スポコンを読む気分じゃなかった。だが、瀬尾まいこである。ただのスポコンで終わる訳が、あるまい。1分間ためらって、真っ直ぐレジに進んだ。そしてその夜、読み終えた。『あと少し、もう少し』(新潮社)
「いやー、面白かった! さすが、瀬尾まいこ」と、誰彼かまわず言いたくなるほど、ゲラゲラ笑って、ぼろぼろ泣いた。駅伝を走り切った時みたいに、爽快だった。もちろん、駅伝、走ったこともない訳だが。
「章立て」がまず、駅伝の区分けと同じく6区に分かれていて、それぞれ、走者の一人称での語りになっているのが鍵だ。
1区、小学生の頃、いじめられっ子だった、設楽。「身体は無駄にでかいくせに、声は小さくしゃべればどもる。それだけでいじめてくれという雰囲気が漂っているのに、ついでに名前は設楽亀吉だ。おじいちゃんがつけた名前だけど、今の世の中を亀吉で生きていくのは至難の技だ」
2区、はみ出した不良、大田。「俺はやったってできない。だいたいやればできるやつは、ちゃんとやっている。何にも力を注がない時間がこれだけ積み重なった俺にできることなど、一つもなくなっていた」
3区、何でも頼まれれば断れないお調子者、ジロー。「『頼まれたら断るな』これが母親の教えだ。頼んでもらえるのはありがたいことだ。幼いころからそう言われ続けたから、俺の人生はずっとそんな感じ」
4区、吹奏楽部でサックスを吹きクールを装う、渡部。「騒がずはしゃがず冷静で、音楽や美術が好きで知的であか抜けている。ハングリー精神はゼロで、無駄な努力はせず、いつも余裕が溢れている。ちゃんとなりきれているのか、これが正解なのかもわからない。だけど、こういう俺でいれば大丈夫なのだ」
5区、先輩、桝井に憧れて走る2年生、俊介。「こんな時までどうして桝井先輩をなぞろうとするのだろう。誰かのまねをしてうまく走れるわけがない。僕は何のために走ってるんだ。自分自身の走りをせずにどうする」
そして6区、桝井。陸上部に設楽を誘い、俊介に慕われ、部員でもない大田、ジロー、渡部に一目置かれ、駅伝をまとめる役割を背負ったデキルやつ。だが彼にも自分の言い分はあるのだ。
自分が知っている自分と、誰かから観た自分とは、違う。そこには小さな誤解や、大きな勘違いが当たり前にあり、6人のたがいへの思いを読むにつけ、それを思い知らされる。例えば設楽は、乱暴な大田を恐れ、自分はバカにされていると思っているが、大田は小学2年の時に鬼ごっこで追いつけなかった設楽に勝ちたいと単純に思っていた。6人それぞれ抱いている気持ちのズレが、不思議と6人をまとめていく。それ故に起こる風を感じるストーリーだった。
前から、設楽、大田、ジロー、渡部、俊介、桝井の順で走っています。
カバーを開くと、何処までも広がる見慣れた田舎の風景。
自転車でも追いつけない陸上を知らなさすぎる顧問、上原先生に、
桝井は苛立ちを感じますが、彼女はマイペースで応援していきます。
「ファイト」と「がんばって」と「あと少し」
彼女が彼らにかけた、3パターンしかなかった言葉を、かけたくなる絵です。
開くと1年以上前に刊行されている。最近読んでいなかったなと帯をじっと見るが、買うのをためらった。何故かと言えば、駅伝を走る中学生を描いた青春小説とある。スポコンを読む気分じゃなかった。だが、瀬尾まいこである。ただのスポコンで終わる訳が、あるまい。1分間ためらって、真っ直ぐレジに進んだ。そしてその夜、読み終えた。『あと少し、もう少し』(新潮社)
「いやー、面白かった! さすが、瀬尾まいこ」と、誰彼かまわず言いたくなるほど、ゲラゲラ笑って、ぼろぼろ泣いた。駅伝を走り切った時みたいに、爽快だった。もちろん、駅伝、走ったこともない訳だが。
「章立て」がまず、駅伝の区分けと同じく6区に分かれていて、それぞれ、走者の一人称での語りになっているのが鍵だ。
1区、小学生の頃、いじめられっ子だった、設楽。「身体は無駄にでかいくせに、声は小さくしゃべればどもる。それだけでいじめてくれという雰囲気が漂っているのに、ついでに名前は設楽亀吉だ。おじいちゃんがつけた名前だけど、今の世の中を亀吉で生きていくのは至難の技だ」
2区、はみ出した不良、大田。「俺はやったってできない。だいたいやればできるやつは、ちゃんとやっている。何にも力を注がない時間がこれだけ積み重なった俺にできることなど、一つもなくなっていた」
3区、何でも頼まれれば断れないお調子者、ジロー。「『頼まれたら断るな』これが母親の教えだ。頼んでもらえるのはありがたいことだ。幼いころからそう言われ続けたから、俺の人生はずっとそんな感じ」
4区、吹奏楽部でサックスを吹きクールを装う、渡部。「騒がずはしゃがず冷静で、音楽や美術が好きで知的であか抜けている。ハングリー精神はゼロで、無駄な努力はせず、いつも余裕が溢れている。ちゃんとなりきれているのか、これが正解なのかもわからない。だけど、こういう俺でいれば大丈夫なのだ」
5区、先輩、桝井に憧れて走る2年生、俊介。「こんな時までどうして桝井先輩をなぞろうとするのだろう。誰かのまねをしてうまく走れるわけがない。僕は何のために走ってるんだ。自分自身の走りをせずにどうする」
そして6区、桝井。陸上部に設楽を誘い、俊介に慕われ、部員でもない大田、ジロー、渡部に一目置かれ、駅伝をまとめる役割を背負ったデキルやつ。だが彼にも自分の言い分はあるのだ。
自分が知っている自分と、誰かから観た自分とは、違う。そこには小さな誤解や、大きな勘違いが当たり前にあり、6人のたがいへの思いを読むにつけ、それを思い知らされる。例えば設楽は、乱暴な大田を恐れ、自分はバカにされていると思っているが、大田は小学2年の時に鬼ごっこで追いつけなかった設楽に勝ちたいと単純に思っていた。6人それぞれ抱いている気持ちのズレが、不思議と6人をまとめていく。それ故に起こる風を感じるストーリーだった。
前から、設楽、大田、ジロー、渡部、俊介、桝井の順で走っています。
カバーを開くと、何処までも広がる見慣れた田舎の風景。
自転車でも追いつけない陸上を知らなさすぎる顧問、上原先生に、
桝井は苛立ちを感じますが、彼女はマイペースで応援していきます。
「ファイト」と「がんばって」と「あと少し」
彼女が彼らにかけた、3パターンしかなかった言葉を、かけたくなる絵です。
チェシャ猫が消えた庭で
最近、猫を見かける。灰色の目立たない縞模様で、太ったやつだ。
この辺りには、越してくる前から野良猫がいた。だがこれまで、道で見かけても、我が家の敷地内には入ってこなかった。また、迷い込んだとしても、東側の林には足を踏み入れることはなかった。びっきーが、居たからだ。
しかし、12月に彼が死んでから、はや5ヶ月。犬小屋はあっても、主は長く留守にしていることを知っているのだろう。長い鎖をつけたびっきーが自由に行き来していた、隣の林との間を、猫が悠々と歩いていく。
わたしを見ると、一瞬立ち止まり、警戒したような目で一瞥し、走って行ってしまうので、やはり野良だろう。あれだけ太っているのだから、誰かが餌をあげているのかも知れない。
「ん? 太った縞々の猫と言えば、チェシャ猫?」
不意に、目の前の風景が、揺らぐ。
ご存じの通りチェシャ猫とは『不思議の国のアリス』に登場する架空の猫である。アリスが困ったり迷ったりしていると、にやにや笑いと共に何処からか現れ、助言とも、悪戯ともとれるセリフを残し、消えていく。
「もしかして本当に、チェシャ猫なのかな。あいつ」
突然、迷子になったことに気づいた時のように、急に心細くなる。頭も目もぼんやりとして、此処はいったい何処なんだろうかと、考える。
びっきーがいた、この場所。びっきーがいない、この場所。
チェシャ猫が消えた庭で、そんな風にしばらく、真昼の月を探した。
鎖も、水入れも、小屋同様、何も片づけていません。
びっきーが好きだった毛布も、置きっぱなしになっています。
種が飛んだのか、小屋の横から、ムクゲが芽を出し、伸びています。
隣の林のクヌギは、今年もびっきーのために木陰を作ってくれています。
林のあちらこちらに、ヤマツツジが咲いていて、可愛い ♪
びっきーが走り回っていたので、ここにだけ雑草が生えていません。
北側は、急な傾斜で、農業用水路、堰が流れています。
橋もついているので、猫なら楽々渡って行き来できるはず。
チェシャ猫ならば、もちろん橋は必要ありませんが。
北側の足元には、木苺がいっぱい。勝手に出てきています。
きみは、スズメバチ? それとも、アシナガバチ? 判別難しいです。
一昨年の夏、北側の軒下に、キイロスズメバチが作った巣は、
鳥に突かれたまま保存状態(笑)2度は使わないそうです。
この辺りには、越してくる前から野良猫がいた。だがこれまで、道で見かけても、我が家の敷地内には入ってこなかった。また、迷い込んだとしても、東側の林には足を踏み入れることはなかった。びっきーが、居たからだ。
しかし、12月に彼が死んでから、はや5ヶ月。犬小屋はあっても、主は長く留守にしていることを知っているのだろう。長い鎖をつけたびっきーが自由に行き来していた、隣の林との間を、猫が悠々と歩いていく。
わたしを見ると、一瞬立ち止まり、警戒したような目で一瞥し、走って行ってしまうので、やはり野良だろう。あれだけ太っているのだから、誰かが餌をあげているのかも知れない。
「ん? 太った縞々の猫と言えば、チェシャ猫?」
不意に、目の前の風景が、揺らぐ。
ご存じの通りチェシャ猫とは『不思議の国のアリス』に登場する架空の猫である。アリスが困ったり迷ったりしていると、にやにや笑いと共に何処からか現れ、助言とも、悪戯ともとれるセリフを残し、消えていく。
「もしかして本当に、チェシャ猫なのかな。あいつ」
突然、迷子になったことに気づいた時のように、急に心細くなる。頭も目もぼんやりとして、此処はいったい何処なんだろうかと、考える。
びっきーがいた、この場所。びっきーがいない、この場所。
チェシャ猫が消えた庭で、そんな風にしばらく、真昼の月を探した。
鎖も、水入れも、小屋同様、何も片づけていません。
びっきーが好きだった毛布も、置きっぱなしになっています。
種が飛んだのか、小屋の横から、ムクゲが芽を出し、伸びています。
隣の林のクヌギは、今年もびっきーのために木陰を作ってくれています。
林のあちらこちらに、ヤマツツジが咲いていて、可愛い ♪
びっきーが走り回っていたので、ここにだけ雑草が生えていません。
北側は、急な傾斜で、農業用水路、堰が流れています。
橋もついているので、猫なら楽々渡って行き来できるはず。
チェシャ猫ならば、もちろん橋は必要ありませんが。
北側の足元には、木苺がいっぱい。勝手に出てきています。
きみは、スズメバチ? それとも、アシナガバチ? 判別難しいです。
一昨年の夏、北側の軒下に、キイロスズメバチが作った巣は、
鳥に突かれたまま保存状態(笑)2度は使わないそうです。
パプリカ、ワイン、泣き上戸?
『おうちで、ワイン』の夜が多くなり、パプリカが、食卓によく登場するようになった。焼いてよし、生でよし。色味が綺麗だから、料理も華やいだ雰囲気になる。さっぱりしていて、こってり系の料理と合わせると、酒も進む。何もない時には、オリーブオイルと塩胡椒、バルサミコ酢をかければ、パプリカだけで、じゅうぶん美味しい肴になる。なので、最近は常備し、重宝している。だがその味は、わたしのなかでは、ちょっと切ない。
パプリカで思い出す、小説のワンシーンがある。川上弘美の連作短編集『神様』(中公文庫)に収められた『草上の昼食』だ。以下、本文から。
ワインは飲まないの、と聞くと「酒はたしなみません、おつきあいできなくて申し訳ない」と答えた。くまの白湯のコップとわたしのワインのコップを打ち合わせ、食事を始めた。最初わたしもくまも黙りがちだったが、くまが料理の作り方を説明しはじめたころから、次第に口がほぐれてきた。
赤ピーマンが甘いね。「薄皮を剥くのが少しむつかしいでした」
どうやって剥くの。「オーブンで十分ほど焼いて、それからすぐに紙袋に入れて蒸らします」なるほど。「うまく蒸れるとするする剥けます」
気持ちよさそう。「気持ちいいです」お料理はどこで。「自己流です」
上手。「今まで何でも自己流でしたから。学校に入るのも難しいですし」
ああ。くまであるのならなるほど学校には入りにくかったかもしれない。学校ばかりではない、難儀なことは多かろう。
同じマンションに越して来た、雄の成熟した熊と、生きにくさを抱えて生きている主人公、わたしを描いた、連作短編のなかでもキーになるストーリーだ。
熊は親しくなったわたしに、別れの挨拶を言うため、手をかけた弁当を作りピクニックに誘ったのだった。「結局馴染みきれなかったんでしょう」と言う熊に「わたしも馴染まないところがある」と、口にせずただただ思うわたし。「おなじく、わたしも馴染まないところがある」と、何度読んでも切なくなる。それで多分パプリカには、切ないスパイスが効いてしまっているのだ。
ん!? いーや、案外パプリカが美味しくて、ただワインが過ぎるせいなのかも。パプリカ、ワイン、泣き上戸? うーん。真実は霧のなかだな。
冷蔵庫にあるものを、オリーブオイルで炒めて塩胡椒するだけで、美味しい!
お好みで、バルサミコ酢をかけても。
チキンとしめじのグラタンにも、色取りに。焼く前にのせるだけ。
簡単おつまみ、ワイン用。バルサミコ酢の代わりにレモンでもOK!
庭のイタリアンパセリは、日々活躍中。伸びすぎたアスパラも。
パプリカで思い出す、小説のワンシーンがある。川上弘美の連作短編集『神様』(中公文庫)に収められた『草上の昼食』だ。以下、本文から。
ワインは飲まないの、と聞くと「酒はたしなみません、おつきあいできなくて申し訳ない」と答えた。くまの白湯のコップとわたしのワインのコップを打ち合わせ、食事を始めた。最初わたしもくまも黙りがちだったが、くまが料理の作り方を説明しはじめたころから、次第に口がほぐれてきた。
赤ピーマンが甘いね。「薄皮を剥くのが少しむつかしいでした」
どうやって剥くの。「オーブンで十分ほど焼いて、それからすぐに紙袋に入れて蒸らします」なるほど。「うまく蒸れるとするする剥けます」
気持ちよさそう。「気持ちいいです」お料理はどこで。「自己流です」
上手。「今まで何でも自己流でしたから。学校に入るのも難しいですし」
ああ。くまであるのならなるほど学校には入りにくかったかもしれない。学校ばかりではない、難儀なことは多かろう。
同じマンションに越して来た、雄の成熟した熊と、生きにくさを抱えて生きている主人公、わたしを描いた、連作短編のなかでもキーになるストーリーだ。
熊は親しくなったわたしに、別れの挨拶を言うため、手をかけた弁当を作りピクニックに誘ったのだった。「結局馴染みきれなかったんでしょう」と言う熊に「わたしも馴染まないところがある」と、口にせずただただ思うわたし。「おなじく、わたしも馴染まないところがある」と、何度読んでも切なくなる。それで多分パプリカには、切ないスパイスが効いてしまっているのだ。
ん!? いーや、案外パプリカが美味しくて、ただワインが過ぎるせいなのかも。パプリカ、ワイン、泣き上戸? うーん。真実は霧のなかだな。
冷蔵庫にあるものを、オリーブオイルで炒めて塩胡椒するだけで、美味しい!
お好みで、バルサミコ酢をかけても。
チキンとしめじのグラタンにも、色取りに。焼く前にのせるだけ。
簡単おつまみ、ワイン用。バルサミコ酢の代わりにレモンでもOK!
庭のイタリアンパセリは、日々活躍中。伸びすぎたアスパラも。
『まあ、いっか』な日々
夫に、叱られた。
「あのさー、子どもじゃないんだから、1枚1枚、脱げよ」
洗濯物を洗濯機に入れる際、洗面所で歯を磨いてた夫に見られ、バレたのだ。下着のシャツと、タートルネックを一度に脱ぎ、2枚重ねて裏返しのまま、洗濯かごに入れていたことが。
「ははは。まぁ、いいじゃん。わたしが洗濯するんだし」
笑い飛ばし、ふたたび夫に睨まれた。
親の背中を見て育つ子ども達も、巣立って行ってしまった、と油断してか、何かにつけて隙だらけのわたしだ。だが、ふたりになった分、おたがいの行動に目が行くようになるのは、当然のこととも言える。
「気を、つけないとなぁ」
とは思いつつ、昨日もシャツ2枚を一緒に脱いでから、自分で、あれ? と気づく。気づいて笑う。ははは。まぁ、いっか。
末娘には、よく言われたものだ。
「我が家の女性陣の口癖は『まぁ、いっか』だよね」
女性陣。上の娘とわたし、そして末娘。なあんだ。すでに背中しっかり見られてるじゃん、と洗濯物を干しながら安心する。って、安心していいところか?
「気を、つけないとなぁ」
と、つぶやく自分がいったい何に気をつけるんだか、すっかり忘れていることに気づく。そう言えばと、以前ホームステイしていったオーストラリア男子サムに指摘された、もう一つの口癖を思い出した。『何だっけ?』
『まぁ、いっか』と『何だっけ?』があれば、夫とふたりの暮らしも、何とかなりそうな気がしてきた。
洗濯物を干すのが、気持ちのいい季節になりましたねぇ。
庭のスズランも、ようやく咲きました。上の写真の右下に咲いています。
一輪だと清楚で可愛らしい感じですが、スズラン畑は青々。
「あのさー、子どもじゃないんだから、1枚1枚、脱げよ」
洗濯物を洗濯機に入れる際、洗面所で歯を磨いてた夫に見られ、バレたのだ。下着のシャツと、タートルネックを一度に脱ぎ、2枚重ねて裏返しのまま、洗濯かごに入れていたことが。
「ははは。まぁ、いいじゃん。わたしが洗濯するんだし」
笑い飛ばし、ふたたび夫に睨まれた。
親の背中を見て育つ子ども達も、巣立って行ってしまった、と油断してか、何かにつけて隙だらけのわたしだ。だが、ふたりになった分、おたがいの行動に目が行くようになるのは、当然のこととも言える。
「気を、つけないとなぁ」
とは思いつつ、昨日もシャツ2枚を一緒に脱いでから、自分で、あれ? と気づく。気づいて笑う。ははは。まぁ、いっか。
末娘には、よく言われたものだ。
「我が家の女性陣の口癖は『まぁ、いっか』だよね」
女性陣。上の娘とわたし、そして末娘。なあんだ。すでに背中しっかり見られてるじゃん、と洗濯物を干しながら安心する。って、安心していいところか?
「気を、つけないとなぁ」
と、つぶやく自分がいったい何に気をつけるんだか、すっかり忘れていることに気づく。そう言えばと、以前ホームステイしていったオーストラリア男子サムに指摘された、もう一つの口癖を思い出した。『何だっけ?』
『まぁ、いっか』と『何だっけ?』があれば、夫とふたりの暮らしも、何とかなりそうな気がしてきた。
洗濯物を干すのが、気持ちのいい季節になりましたねぇ。
庭のスズランも、ようやく咲きました。上の写真の右下に咲いています。
一輪だと清楚で可愛らしい感じですが、スズラン畑は青々。
小さな小さな、小さなことだよ
軽く嫉妬を、覚えていた。
春の足音が聞こえ始めてからというもの、facebook に写真をアップしているお友達も多く、それが羨ましかった。
どうしてわたしの前には、姿を現さないのか。先週からずっと、探していたのに、一匹たりとも姿を見せない。ここには、森も林も田んぼも畑も、いっぱいあるのに。最寄り駅は無人駅だし、フジテレビだって映らないほどの田舎だっていうのに。確かに東京と比べれば、寒い。まだ冬眠のなかに、居るのかも知れない。それにしたって寝坊しすぎじゃないか? もうすっかり春なのだ。
しかし、探し物は往々にして、探すことを忘れた頃に見つかるものである。
道作りの朝だった。田舎なので、道作りというGW恒例の行事がある。道に張り出した木を切り、草取りをし、落ち葉を掃いたりして、それこそ道を作るのだ。わたしは腰痛で、あまり役には立てないと知りつつも、竹箒を持って参加した。ご近所も若手女性選手がスコップで固まった落ち葉を削り、わたしが掃く、の繰り返し作業。その作業も終わり、立ち話に花を咲かせていると。
「あ、何か、動いた」と、彼女。「蛙だ!」と、わたし。
小さな緑色のアマガエルだった。ようやく会えた、この春いちばんの蛙くん。だが当然ながら、カメラは持っていない。解散する頃には、初蛙くんは、何処かへ行ってしまっていた。がっくりである。
ところが、そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、家に帰ると、薄茶のまだらな蛙くんが待っていてくれた。小さな身体で、古びた青いホースの上に座っている。蛙くんは、わたしの嬉々とした顔を見て、くすりと笑った。
「僕との出会いなど、小さな小さな、小さなことだよ」
本当に、なんて小さなことで、一喜一憂していたのだろう。
「小さな小さな、小さなことだね」わたしも、答える。
庭を見回すと、小さなもの達がいつになく、くっきり見えてきた。
タンポポの綿毛の一粒。カタバミの黄色い花。カラスノエンドウの濃い紫。もみじにぶら下がった、咲いていることさえ見逃してしまいそうな花。
「でもさ。小さな小さな、小さなことが、わたしには大切なんだよ」
わたしの言葉に、蛙くんは、うなずこうか迷っているようだった。これから、蛙くん達の季節は始まる。
この子も、落ち葉のなかで見つけた緑色の蛙くんとおなじく、
アマガエルなんですね。様々、色を変えて生きていくんだよなぁ。
タンポポの綿毛って、よーく見るとキラキラ光って、綺麗ですね。
黄色い花って、可愛くて大好きです。草取りするのが可哀そうだけど、
すぐに、そうも言っていられないほど、あちこちに伸びてきます。
カラスノエンドウ。子ども達が小さい頃、よく天麩羅にしたなぁ。
もみじの花なんて、今まで気づきませんでした。
春の足音が聞こえ始めてからというもの、facebook に写真をアップしているお友達も多く、それが羨ましかった。
どうしてわたしの前には、姿を現さないのか。先週からずっと、探していたのに、一匹たりとも姿を見せない。ここには、森も林も田んぼも畑も、いっぱいあるのに。最寄り駅は無人駅だし、フジテレビだって映らないほどの田舎だっていうのに。確かに東京と比べれば、寒い。まだ冬眠のなかに、居るのかも知れない。それにしたって寝坊しすぎじゃないか? もうすっかり春なのだ。
しかし、探し物は往々にして、探すことを忘れた頃に見つかるものである。
道作りの朝だった。田舎なので、道作りというGW恒例の行事がある。道に張り出した木を切り、草取りをし、落ち葉を掃いたりして、それこそ道を作るのだ。わたしは腰痛で、あまり役には立てないと知りつつも、竹箒を持って参加した。ご近所も若手女性選手がスコップで固まった落ち葉を削り、わたしが掃く、の繰り返し作業。その作業も終わり、立ち話に花を咲かせていると。
「あ、何か、動いた」と、彼女。「蛙だ!」と、わたし。
小さな緑色のアマガエルだった。ようやく会えた、この春いちばんの蛙くん。だが当然ながら、カメラは持っていない。解散する頃には、初蛙くんは、何処かへ行ってしまっていた。がっくりである。
ところが、そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、家に帰ると、薄茶のまだらな蛙くんが待っていてくれた。小さな身体で、古びた青いホースの上に座っている。蛙くんは、わたしの嬉々とした顔を見て、くすりと笑った。
「僕との出会いなど、小さな小さな、小さなことだよ」
本当に、なんて小さなことで、一喜一憂していたのだろう。
「小さな小さな、小さなことだね」わたしも、答える。
庭を見回すと、小さなもの達がいつになく、くっきり見えてきた。
タンポポの綿毛の一粒。カタバミの黄色い花。カラスノエンドウの濃い紫。もみじにぶら下がった、咲いていることさえ見逃してしまいそうな花。
「でもさ。小さな小さな、小さなことが、わたしには大切なんだよ」
わたしの言葉に、蛙くんは、うなずこうか迷っているようだった。これから、蛙くん達の季節は始まる。
この子も、落ち葉のなかで見つけた緑色の蛙くんとおなじく、
アマガエルなんですね。様々、色を変えて生きていくんだよなぁ。
タンポポの綿毛って、よーく見るとキラキラ光って、綺麗ですね。
黄色い花って、可愛くて大好きです。草取りするのが可哀そうだけど、
すぐに、そうも言っていられないほど、あちこちに伸びてきます。
カラスノエンドウ。子ども達が小さい頃、よく天麩羅にしたなぁ。
もみじの花なんて、今まで気づきませんでした。
『昨夜のカレー、明日のパン』
ぎっくり腰をいいことに、のんびり本を読んだ。
『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン』(河出書房新社)木皿泉(きざらいずみ)初めての小説にして、本屋大賞ノミネート作品である。初めての小説と言っても、ふたりで一つの作品を生み出す売れっ子脚本家夫婦の、という前置きつき。ふたりで、どうやってかくんだろう。謎だ。しかし、誰がかいていたっていい。例え百人の共作だとしても、小説さえ面白ければ。
で、文句なく面白い連作短編集だった。何しろ空気がいい。澄んでいる。容赦なく濁ったものを、浮き出させるほどに。
物語は、ひとつの家庭から始まる。テツコとギフ。ギフは文字通りテツコの義父で、テツコは7年前に夫、一樹(カズキ)を亡くして以来、28歳の若さで、ギフとふたりで暮らしている。テツコの恋人、岩井。隣人で一樹の幼馴染み、タカラ。いとこの虎尾。一樹の死んだ母親、夕子。様々な人の思いが、ドラマとなり綴られている。
ひとつひとつの短編に収められたエピソードに、読んだ人それぞれ、ビビッとくる要素があり、またそれもそれぞれ違うんだろうなと思いつつ、わたしがビビッときた文章を挙げてみようと思う。
テツコは、急に憎くなった。晴れやかに笑っている雑誌の表紙のアイドルも、美しい歯をそのままにと書かれたガムの包装紙も、活性酸素を除去するという天然水のペットボトルも、なにもかも憎かった。
『昨夜のカレー、明日のパン』収録『ムムム』より
中学の頃、鞄や机に突っ込んだままにした学級通信を、思い出した。
中学生のわたしは、危うく読みそうになり「目が、つぶれる」と、読まずにくしゃくしゃにした。今思うと、先生達大人も一所懸命だったんだろうと判る。だが、そこに並べられた「一所懸命」だとか「前進」だとか「真心」「誠意」「心を一つに」「笑顔」「目標に向かって」などなどの言葉に共感できるものは、なかった。と言うか、くしゃくしゃに丸めて捨てるしかなかった。テツコのように、綺麗なものすべてを、憎んでいたんだと思う。
誰しも胸の奥にそんな気持ち、抱えてるんじゃないかな。不器用だなぁと自分でも思いつつ。そんな不器用な人達のハートウォーミングストーリーである。
銀杏の木が、物語の核になっています。栞の黄色が綺麗です。
カバーをとってみると、箸置きと箸。ギフとテツコのものでしょうか。
食卓って、やっぱり家庭の核なんだよなぁ。
タカラは、今、私はファスナーの先端だと思った。しっかりと閉じられているこの道は、私が開けてくれるのを待っている。そう思ったら、何だか嬉しくて、気がつくと心の底から笑っていた。
『昨夜のカレー、明日のパン』収録『パワースポット』より
『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン』(河出書房新社)木皿泉(きざらいずみ)初めての小説にして、本屋大賞ノミネート作品である。初めての小説と言っても、ふたりで一つの作品を生み出す売れっ子脚本家夫婦の、という前置きつき。ふたりで、どうやってかくんだろう。謎だ。しかし、誰がかいていたっていい。例え百人の共作だとしても、小説さえ面白ければ。
で、文句なく面白い連作短編集だった。何しろ空気がいい。澄んでいる。容赦なく濁ったものを、浮き出させるほどに。
物語は、ひとつの家庭から始まる。テツコとギフ。ギフは文字通りテツコの義父で、テツコは7年前に夫、一樹(カズキ)を亡くして以来、28歳の若さで、ギフとふたりで暮らしている。テツコの恋人、岩井。隣人で一樹の幼馴染み、タカラ。いとこの虎尾。一樹の死んだ母親、夕子。様々な人の思いが、ドラマとなり綴られている。
ひとつひとつの短編に収められたエピソードに、読んだ人それぞれ、ビビッとくる要素があり、またそれもそれぞれ違うんだろうなと思いつつ、わたしがビビッときた文章を挙げてみようと思う。
テツコは、急に憎くなった。晴れやかに笑っている雑誌の表紙のアイドルも、美しい歯をそのままにと書かれたガムの包装紙も、活性酸素を除去するという天然水のペットボトルも、なにもかも憎かった。
『昨夜のカレー、明日のパン』収録『ムムム』より
中学の頃、鞄や机に突っ込んだままにした学級通信を、思い出した。
中学生のわたしは、危うく読みそうになり「目が、つぶれる」と、読まずにくしゃくしゃにした。今思うと、先生達大人も一所懸命だったんだろうと判る。だが、そこに並べられた「一所懸命」だとか「前進」だとか「真心」「誠意」「心を一つに」「笑顔」「目標に向かって」などなどの言葉に共感できるものは、なかった。と言うか、くしゃくしゃに丸めて捨てるしかなかった。テツコのように、綺麗なものすべてを、憎んでいたんだと思う。
誰しも胸の奥にそんな気持ち、抱えてるんじゃないかな。不器用だなぁと自分でも思いつつ。そんな不器用な人達のハートウォーミングストーリーである。
銀杏の木が、物語の核になっています。栞の黄色が綺麗です。
カバーをとってみると、箸置きと箸。ギフとテツコのものでしょうか。
食卓って、やっぱり家庭の核なんだよなぁ。
タカラは、今、私はファスナーの先端だと思った。しっかりと閉じられているこの道は、私が開けてくれるのを待っている。そう思ったら、何だか嬉しくて、気がつくと心の底から笑っていた。
『昨夜のカレー、明日のパン』収録『パワースポット』より
『ボケ』の花のネーミングに思う
散歩道によく見かける『ボケ』の花が、綺麗だ。
名前で偏見を持ってはいけないが、とぼけたイメージを持たずにはいられず、その印象と相まって忘れにくい名である。
教えてくれた近所の人が「実(み)は、酒に使う」と言っていたことも、何故か酔っぱらって、とぼけた人を象徴するかのように思え、自分のなかで勝手に『ボケ』=「ボケた」に、してしまっていた。
当然のことながら、調べてみると、全く違う答えが返ってきた。
実が瓜のような形にも見えるため、木になる瓜「木瓜(もっけ)」と呼ばれるようになり、その音から『ボケ』に移行したらしい。木瓜は、キウリじゃないのか、というところで引っかかってしまうわたしには、想像もつかないネーミングの由来だった。
花梨同様、実の香りがよく、果実酒のなかでも密かに人気があるとか。
学名speciosa chaenomelesは、「美しい+開ける+林檎」(美しく開花したた林檎かな?)日本名との差に、ただただ驚く。
見た目に騙され、また、名前に騙され、自分勝手にイメージしているものが多いことにも気づかされる、春うららかな散歩道である。
こんなに綺麗な花に『ボケ』は、ないよなぁと、思うことが偏見かな?
すぐそばに、八重の雪柳が咲いていました。可愛い ♪
雪柳って、雪の頃に咲くから? 雪のように白いから?
ネーミングの不思議、あちらこちらに感じます。
これ菜の花だと思うでしょう? 残念! 白菜の花なんです。
あ、白菜の花から白をとったら、菜の花だ! 小さな発見(笑)
木苺は、普通の苺と比べると、木になってるように見えるけど、
これって木じゃないよねぇ、と、気になってる(笑)わたし。
今の時期、ヤマツツジも開花中。『ボケ』と色が似ていて、
遠くから見ると、どちらか判りません。大抵背が高いとヤマツツジです。
名前で偏見を持ってはいけないが、とぼけたイメージを持たずにはいられず、その印象と相まって忘れにくい名である。
教えてくれた近所の人が「実(み)は、酒に使う」と言っていたことも、何故か酔っぱらって、とぼけた人を象徴するかのように思え、自分のなかで勝手に『ボケ』=「ボケた」に、してしまっていた。
当然のことながら、調べてみると、全く違う答えが返ってきた。
実が瓜のような形にも見えるため、木になる瓜「木瓜(もっけ)」と呼ばれるようになり、その音から『ボケ』に移行したらしい。木瓜は、キウリじゃないのか、というところで引っかかってしまうわたしには、想像もつかないネーミングの由来だった。
花梨同様、実の香りがよく、果実酒のなかでも密かに人気があるとか。
学名speciosa chaenomelesは、「美しい+開ける+林檎」(美しく開花したた林檎かな?)日本名との差に、ただただ驚く。
見た目に騙され、また、名前に騙され、自分勝手にイメージしているものが多いことにも気づかされる、春うららかな散歩道である。
こんなに綺麗な花に『ボケ』は、ないよなぁと、思うことが偏見かな?
すぐそばに、八重の雪柳が咲いていました。可愛い ♪
雪柳って、雪の頃に咲くから? 雪のように白いから?
ネーミングの不思議、あちらこちらに感じます。
これ菜の花だと思うでしょう? 残念! 白菜の花なんです。
あ、白菜の花から白をとったら、菜の花だ! 小さな発見(笑)
木苺は、普通の苺と比べると、木になってるように見えるけど、
これって木じゃないよねぇ、と、気になってる(笑)わたし。
今の時期、ヤマツツジも開花中。『ボケ』と色が似ていて、
遠くから見ると、どちらか判りません。大抵背が高いとヤマツツジです。
後の祭りだからこそ、言える?
ギックリやってしまった。腰である。
いつも通りに朝起きて、朝食にキャベツをバターで炒めていた。味付けは塩胡椒。シンプル・イズ・ベスト。そして、毎朝のことながら、クシャミをした。花粉症の方に敬意を払いつつ、いまだ発症しないわたしだが、胡椒でクシャミは、朝の日課である。3回立て続けにクシャミして、違和感に気づく。
「あ、やっちゃったかも」これまた朝の日課でストレッチする、夫に言う。
「腰。やばいかも」前屈していた夫が顔を上げ、振り向く。
「と、とりあえず歩けるから、重症じゃないみたい」
味噌汁も完成し、ご飯も炊け、お茶も濃く急須に入っているし、キャベツとウインナも炒めてある。あとは目玉焼きを焼くのみ。
「俺が、焼くから」と言う夫に目玉焼きを任せ、椅子に座る。
落ち込んだ。朝食後、コンディションを取り戻すようイメージしつつ、歩いて休み、歩いて休み、落ち込んでは休みした。
「あーあ。連休中、庭の草取りもしたかったし、花も植えたかったし、寝室の大掃除もしようと思ってたのに」
ぼやいてみて、自分で笑った。ぎっくり腰にならなかったら、果たして、そんなことを真面目に考えただろうか。後の祭りだからこそ、突然連休が惜しく思えたりするんじゃないんだろうか。
「いやいや。ほんとにやろうと、思ってたんだから」
またしても自分に言い訳しつつ、ベッドでごろごろ本など読み、そんな連休もまたよしと、何故か穏やかな気持ちになるのだった。
我が家の超スタンダードな、朝ご飯。納豆もたまに登場します。
卵ふたつ分の目玉焼きを焼くのに、丁度いい大きさのフライパンで。
このフライパン、けっこう重宝しています。アサリのワイン蒸しも、
海老のアヒージョも、いつもこれで作って、そのまま食卓に。
「歩いた方がいいよ」と腰痛歴の長い夫に言われ、歩いていたら、
なんとコシアブラを、ゲット! 腰痛も歩けば、コシアブラに当る ♪
いつも通りに朝起きて、朝食にキャベツをバターで炒めていた。味付けは塩胡椒。シンプル・イズ・ベスト。そして、毎朝のことながら、クシャミをした。花粉症の方に敬意を払いつつ、いまだ発症しないわたしだが、胡椒でクシャミは、朝の日課である。3回立て続けにクシャミして、違和感に気づく。
「あ、やっちゃったかも」これまた朝の日課でストレッチする、夫に言う。
「腰。やばいかも」前屈していた夫が顔を上げ、振り向く。
「と、とりあえず歩けるから、重症じゃないみたい」
味噌汁も完成し、ご飯も炊け、お茶も濃く急須に入っているし、キャベツとウインナも炒めてある。あとは目玉焼きを焼くのみ。
「俺が、焼くから」と言う夫に目玉焼きを任せ、椅子に座る。
落ち込んだ。朝食後、コンディションを取り戻すようイメージしつつ、歩いて休み、歩いて休み、落ち込んでは休みした。
「あーあ。連休中、庭の草取りもしたかったし、花も植えたかったし、寝室の大掃除もしようと思ってたのに」
ぼやいてみて、自分で笑った。ぎっくり腰にならなかったら、果たして、そんなことを真面目に考えただろうか。後の祭りだからこそ、突然連休が惜しく思えたりするんじゃないんだろうか。
「いやいや。ほんとにやろうと、思ってたんだから」
またしても自分に言い訳しつつ、ベッドでごろごろ本など読み、そんな連休もまたよしと、何故か穏やかな気持ちになるのだった。
我が家の超スタンダードな、朝ご飯。納豆もたまに登場します。
卵ふたつ分の目玉焼きを焼くのに、丁度いい大きさのフライパンで。
このフライパン、けっこう重宝しています。アサリのワイン蒸しも、
海老のアヒージョも、いつもこれで作って、そのまま食卓に。
「歩いた方がいいよ」と腰痛歴の長い夫に言われ、歩いていたら、
なんとコシアブラを、ゲット! 腰痛も歩けば、コシアブラに当る ♪
『女のいない男たち』(6)
村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)も、6話目でラスト。表題作で、書き下ろし作品だ。
ストーリーは、真夜中の電話で、昔の恋人の訃報を受けた男が、失くした恋人について、恋人を失くすということについて、また『女のいない男たち』について、思いを巡らせることに終始する。
読みながら、くすくす笑いが止まらない小説だった。筆が滑り過ぎでしょうと思うのだが、それが村上春樹独特のユーモアになっていて、ここまで、さらにここまで滑らせるかと、可笑しくてたまらなくなるのだ。
真面目にやればやるほど滑稽で、可笑しさが込み上げ笑いが止まらないタイプの一人芝居を観ているようだった。
例えば、精一杯ドレスアップし気どった女性が、ネックレスと間違えて延長コードを首にかけていることに気づかずにいるような、そんな可笑しさと言えば理解していただけるだろうか。以下、本文から。
世界中の船乗りたちが彼女をつけ狙っているのだ。僕一人で護りきれるわけがない。誰だってちょっとくらい目を離すことはある。眠らなくてはならないし、洗面所にもいかなくてはならない。バスタブだって洗わなくてはならない。玉葱を刻んだり、インゲンのへたをとったりもする。車のタイヤの空気圧をチェックする必要もある。そのようにして僕らは離ればなれになった。
『女のいない男たち』収録『女のいない男たち』より
そう言えば、恋するってこと自体、滑稽だよなと思い当たった。本人達は大真面目で必死な訳だが、傍から見ると、微笑ましくもあり、可笑しくもあり。放っとけよと言われそうだが、揃いのTシャツを着ていたり、半分に割れたハートの欠片をふたりしてぶら下げていたり、恋するものだけが出来る滑稽な行動だと、歳を重ねた今なら判る。歳をとったらとったで、また何処までも滑稽なのだが。ラブコメが、永遠であり続ける所以かな。
いやいや。この小説がラブコメという訳ではない。どちらかと言えば短編集のエピローグといった役割で、ラストにそっと、かなりうるさく収まっている。
まあ、などなどと『女のいない男たち』を読み、楽しみ、くすくす笑う女たち、のひとりであるわたしは、思うのである。
写真はイメージです(笑)7年前イタリアを旅した時のものです。
短編『女のいない男たち』では「水夫」がタフな男たち代表になっています。
女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。ほとんどの場合(ご存じのように)彼女を連れて行ってしまうのは奸智(かんち)に長けた水夫たちだ。
『女のいない男たち』より
最後まで顔が見えてこなかった死んだ昔の恋人は、こんなイメージかな。
ヴェネツィアのカフェです。工事中の目隠しには、素人(?)アート。
photo by my husband
ストーリーは、真夜中の電話で、昔の恋人の訃報を受けた男が、失くした恋人について、恋人を失くすということについて、また『女のいない男たち』について、思いを巡らせることに終始する。
読みながら、くすくす笑いが止まらない小説だった。筆が滑り過ぎでしょうと思うのだが、それが村上春樹独特のユーモアになっていて、ここまで、さらにここまで滑らせるかと、可笑しくてたまらなくなるのだ。
真面目にやればやるほど滑稽で、可笑しさが込み上げ笑いが止まらないタイプの一人芝居を観ているようだった。
例えば、精一杯ドレスアップし気どった女性が、ネックレスと間違えて延長コードを首にかけていることに気づかずにいるような、そんな可笑しさと言えば理解していただけるだろうか。以下、本文から。
世界中の船乗りたちが彼女をつけ狙っているのだ。僕一人で護りきれるわけがない。誰だってちょっとくらい目を離すことはある。眠らなくてはならないし、洗面所にもいかなくてはならない。バスタブだって洗わなくてはならない。玉葱を刻んだり、インゲンのへたをとったりもする。車のタイヤの空気圧をチェックする必要もある。そのようにして僕らは離ればなれになった。
『女のいない男たち』収録『女のいない男たち』より
そう言えば、恋するってこと自体、滑稽だよなと思い当たった。本人達は大真面目で必死な訳だが、傍から見ると、微笑ましくもあり、可笑しくもあり。放っとけよと言われそうだが、揃いのTシャツを着ていたり、半分に割れたハートの欠片をふたりしてぶら下げていたり、恋するものだけが出来る滑稽な行動だと、歳を重ねた今なら判る。歳をとったらとったで、また何処までも滑稽なのだが。ラブコメが、永遠であり続ける所以かな。
いやいや。この小説がラブコメという訳ではない。どちらかと言えば短編集のエピローグといった役割で、ラストにそっと、かなりうるさく収まっている。
まあ、などなどと『女のいない男たち』を読み、楽しみ、くすくす笑う女たち、のひとりであるわたしは、思うのである。
写真はイメージです(笑)7年前イタリアを旅した時のものです。
短編『女のいない男たち』では「水夫」がタフな男たち代表になっています。
女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。ほとんどの場合(ご存じのように)彼女を連れて行ってしまうのは奸智(かんち)に長けた水夫たちだ。
『女のいない男たち』より
最後まで顔が見えてこなかった死んだ昔の恋人は、こんなイメージかな。
ヴェネツィアのカフェです。工事中の目隠しには、素人(?)アート。
photo by my husband
『も』がつく名前?
夫に誘われ、休日の朝食前に散歩している。新緑が気持ちのいい季節。花も、いろいろ咲いている。八ヶ岳下しも、もう吹かない。
「これジミーな雰囲気だけど『ヒメオドリコソウ』って可愛い名前なんだよ」
「花の名前とか、よく覚えてるねぇ」と、夫。
「最近、facebookに花をアップしてるお友達がいて、実は覚えたばっかり」
野に咲く雑草達だって、みんな名前を持っていて、その名前を覚えると、それだけでちょっと楽しくなるから不思議だ。
「あ、これ、よく見かけるよね」と、わたし。
紫の花だ。多年草なのだろう。庭に咲かせている家も多い。
「ああ、よく咲いてるね」と、夫。
「名前、忘れたぁ。何だっけ? うーん『も』が、ついた気がする」
夫は興味なさそうに、山桜など見上げつつ歩いていく。
「も、も、も。何だろう。でもさこの頃『も』がつくと思ってて、実際『も』がついた試しないんだよねぇ」
「確かに」その言葉には、夫はきちんと興味を示し、深くうなずいた。
帰って調べると『ムスカリ』だった。多年草のなかでもチューリップのように土のなかで球根に栄養を蓄え、春になると芽を出し花を咲かせるものだ。
「やっぱ『も』つかなかった。でも惜しかったよね。同じ『ま行』だもん」
「何処が、惜しいんだか」と呆れ顔で、夫。
「おっかしいなぁ。もっとこう、モウリーニョとかいう名前かと思ったのに」
「それは、チェルシーの監督だろ。常にアルマーニのスーツ着てる」
サッカー選手や監督の名前なら、彼の脳内には膨大な情報量がインプットされている。花の名前をちょっと覚えたくらいで散歩が楽しくなるんだから、彼がサッカーを楽しく観ている訳が、ほんの少し判った気がした。
「『ムスカリ』さん、この際、モスカリって名前に変えませんか?」
わたしの言葉に『ムスカリ』は、たしなめる様に言った。
「名前を変えるということは、そのものの根底にあるものを変えるということです。根底の歪みはやがて、そのもの自体を変えていくでしょう」
問題の(?)『ムスカリ』さん。野原に自生していました。
肉眼だともっと紫っぽいんだけど、写真にすると青に見えますね。
『ヒメオドリコソウ』我が家の庭にも、散歩道にもいっぱい。
『カキドオシ』小さいけれど、じっと見つめちゃう可憐さ。
『ハナダイコン』白やブルーなど、色もいろいろもあるようですが、
近隣で見かけるのは紫だけです。
『ホトケノザ』という名前ですが、春の七草とは違う同名の花。
食べられないそうです。ちなみに、セリ、ナズナ、ゴギョウ、
ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロが、春の七草。
同じ名を持つ違うものも、多々存在しますよね。
ライラックは、紫も綺麗ですね。白いライラックをいただいた
ご近所さんのお庭で撮影。紫の花の写真を、集めてみました。
「これジミーな雰囲気だけど『ヒメオドリコソウ』って可愛い名前なんだよ」
「花の名前とか、よく覚えてるねぇ」と、夫。
「最近、facebookに花をアップしてるお友達がいて、実は覚えたばっかり」
野に咲く雑草達だって、みんな名前を持っていて、その名前を覚えると、それだけでちょっと楽しくなるから不思議だ。
「あ、これ、よく見かけるよね」と、わたし。
紫の花だ。多年草なのだろう。庭に咲かせている家も多い。
「ああ、よく咲いてるね」と、夫。
「名前、忘れたぁ。何だっけ? うーん『も』が、ついた気がする」
夫は興味なさそうに、山桜など見上げつつ歩いていく。
「も、も、も。何だろう。でもさこの頃『も』がつくと思ってて、実際『も』がついた試しないんだよねぇ」
「確かに」その言葉には、夫はきちんと興味を示し、深くうなずいた。
帰って調べると『ムスカリ』だった。多年草のなかでもチューリップのように土のなかで球根に栄養を蓄え、春になると芽を出し花を咲かせるものだ。
「やっぱ『も』つかなかった。でも惜しかったよね。同じ『ま行』だもん」
「何処が、惜しいんだか」と呆れ顔で、夫。
「おっかしいなぁ。もっとこう、モウリーニョとかいう名前かと思ったのに」
「それは、チェルシーの監督だろ。常にアルマーニのスーツ着てる」
サッカー選手や監督の名前なら、彼の脳内には膨大な情報量がインプットされている。花の名前をちょっと覚えたくらいで散歩が楽しくなるんだから、彼がサッカーを楽しく観ている訳が、ほんの少し判った気がした。
「『ムスカリ』さん、この際、モスカリって名前に変えませんか?」
わたしの言葉に『ムスカリ』は、たしなめる様に言った。
「名前を変えるということは、そのものの根底にあるものを変えるということです。根底の歪みはやがて、そのもの自体を変えていくでしょう」
問題の(?)『ムスカリ』さん。野原に自生していました。
肉眼だともっと紫っぽいんだけど、写真にすると青に見えますね。
『ヒメオドリコソウ』我が家の庭にも、散歩道にもいっぱい。
『カキドオシ』小さいけれど、じっと見つめちゃう可憐さ。
『ハナダイコン』白やブルーなど、色もいろいろもあるようですが、
近隣で見かけるのは紫だけです。
『ホトケノザ』という名前ですが、春の七草とは違う同名の花。
食べられないそうです。ちなみに、セリ、ナズナ、ゴギョウ、
ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロが、春の七草。
同じ名を持つ違うものも、多々存在しますよね。
ライラックは、紫も綺麗ですね。白いライラックをいただいた
ご近所さんのお庭で撮影。紫の花の写真を、集めてみました。
『女のいない男たち』(5)
村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)の5話目『木野』は、わたしが思うに、なかでもとりわけ村上春樹的な小説だった。
木野(きの)は、主人公の男の苗字で、また店の名でもある。
青山は根津美術館の裏手の路地に、彼は『木野』というバーをひとり経営している。物語は、いつも同じ席に座る独特な雰囲気を持つ男の話から始まるのだが、次第に木野の心の闇に触れていく。木野は、同僚と妻との浮気現場を目撃し、何も言わず家を出て、ひとり落ち着ける場所を求めてたどり着いた猫のように、バーを始めたのだった。
だがある日、男が木野に言う。此処から離れ、遠くに行くようにと。「多くのものが欠けてしまった」から、と。木野は男に訊ねる。「正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなかったから、重大な問題が生じた」ということか、と。木野がしなかった「正しいこと」とは。以下、本文から。
しかし時間はその動きをなかなか公正に定められないようだった。欲望の血なまぐさい重みが、悔恨の錆びた碇が、本来あるべき時間の流れを阻もうとしていた。そこでは時は一直線に飛んでいく矢ではなかった。雨は降り続き、時計の針はしばしば戸惑い、鳥たちはまだ深い眠りに就き、顔のない郵便局員は黙々と絵葉書を仕分けし、妻はかたちの良い乳房を激しく宙に揺らせ、誰かが執拗に窓ガラスを叩き続けていた。こんこん、こんこん、そしてまたこんこん。目を背けず、私をまっすぐ見なさい、誰かが耳元でそう囁いた。これがおまえの心の姿なのだから。 『女のいない男たち』収録『木野』より
読み終えて、自分の心の闇さえも覗いてしまったような深い喪失感を覚えた。
表紙のこの絵はバー『木野』を描いたものでした。
路地の奥の一軒家、小さな目立たない看板、歳月を経た立派な柳の木、無口な中年の店主、プレーヤーの上で回転している古いLPレコード、二品ほどしかない日替わりの軽食、店の片隅で寛いでいる灰色の猫。そんなたたずまいを気に入って、何度も足を運んでくれる客もできた。 『木野』より
木野(きの)は、主人公の男の苗字で、また店の名でもある。
青山は根津美術館の裏手の路地に、彼は『木野』というバーをひとり経営している。物語は、いつも同じ席に座る独特な雰囲気を持つ男の話から始まるのだが、次第に木野の心の闇に触れていく。木野は、同僚と妻との浮気現場を目撃し、何も言わず家を出て、ひとり落ち着ける場所を求めてたどり着いた猫のように、バーを始めたのだった。
だがある日、男が木野に言う。此処から離れ、遠くに行くようにと。「多くのものが欠けてしまった」から、と。木野は男に訊ねる。「正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなかったから、重大な問題が生じた」ということか、と。木野がしなかった「正しいこと」とは。以下、本文から。
しかし時間はその動きをなかなか公正に定められないようだった。欲望の血なまぐさい重みが、悔恨の錆びた碇が、本来あるべき時間の流れを阻もうとしていた。そこでは時は一直線に飛んでいく矢ではなかった。雨は降り続き、時計の針はしばしば戸惑い、鳥たちはまだ深い眠りに就き、顔のない郵便局員は黙々と絵葉書を仕分けし、妻はかたちの良い乳房を激しく宙に揺らせ、誰かが執拗に窓ガラスを叩き続けていた。こんこん、こんこん、そしてまたこんこん。目を背けず、私をまっすぐ見なさい、誰かが耳元でそう囁いた。これがおまえの心の姿なのだから。 『女のいない男たち』収録『木野』より
読み終えて、自分の心の闇さえも覗いてしまったような深い喪失感を覚えた。
表紙のこの絵はバー『木野』を描いたものでした。
路地の奥の一軒家、小さな目立たない看板、歳月を経た立派な柳の木、無口な中年の店主、プレーヤーの上で回転している古いLPレコード、二品ほどしかない日替わりの軽食、店の片隅で寛いでいる灰色の猫。そんなたたずまいを気に入って、何度も足を運んでくれる客もできた。 『木野』より
ノビルは『ジャックと豆の木』の如く
ノビルを、収穫した。と言っても、庭の草取りをしていて抜いたら、ごそっとノビルの白い根が、眩しく光っていただけのことだ。
あっちにもこっちにも、伸びているノビル。いくら美味しく食べられると言え雑草の如く扱われるのは、仕方のないこと。それも抜くと根っこが土に残ることも多く、シャベル等で丁寧に収穫しなくてはならず、普段はそこまでしないのだ。「たまには、食べてよ」とノビルの方も思っていたのかも知れない。
最近ハマっている、茹で卵ディップのレシピに使うことにした。いつもはエシャレットを使うのだが、ノビルで春の庭の味を楽しむのもいい。
場所を問わず「伸びる」雑草の代表格として『ノビル』と名づけられたのかとばかり思っていたが『蒜(ひる)』と呼ばれる葱やにんにくなど辛みを持つ野草に分類され、野に生息するから『野蒜』と名付けられたのだそうだ。
茹で卵ディップは、いつになく不思議と美味しかった。ノビルの辛さはエシャレットよりは優しく、自己主張なく、そこに収まっていた。
夫とわたしは、ノビルの味を探しながら、ワインを飲んだ。
「今、ノビルの味がした」「あっ、ほんとだ!」
思い出していた。子どもの頃、東京は板橋の畑のあぜ道で摘んだノビル。結婚し何年かして住み移った川崎のマンションの庭で、子ども達と摘んだノビル。ノビルは『ジャックと豆の木』の如く記憶のなかをどんどん伸びていく。
空を見上げ、伸びゆくノビルを探すかのように、その味を探しつつ、ワインを飲むのもまたよし、と昨夜も酔っぱらっていったのだった。
収穫は大漁でも、料理するのは細かい作業。大変です。
それにしても、綺麗に輝く白だなぁ。
庭のイタリアンパセリもたっぷりと、刻みました。
ワインが進む『肴』代表的な、カナッペです。
あっちにもこっちにも、伸びているノビル。いくら美味しく食べられると言え雑草の如く扱われるのは、仕方のないこと。それも抜くと根っこが土に残ることも多く、シャベル等で丁寧に収穫しなくてはならず、普段はそこまでしないのだ。「たまには、食べてよ」とノビルの方も思っていたのかも知れない。
最近ハマっている、茹で卵ディップのレシピに使うことにした。いつもはエシャレットを使うのだが、ノビルで春の庭の味を楽しむのもいい。
場所を問わず「伸びる」雑草の代表格として『ノビル』と名づけられたのかとばかり思っていたが『蒜(ひる)』と呼ばれる葱やにんにくなど辛みを持つ野草に分類され、野に生息するから『野蒜』と名付けられたのだそうだ。
茹で卵ディップは、いつになく不思議と美味しかった。ノビルの辛さはエシャレットよりは優しく、自己主張なく、そこに収まっていた。
夫とわたしは、ノビルの味を探しながら、ワインを飲んだ。
「今、ノビルの味がした」「あっ、ほんとだ!」
思い出していた。子どもの頃、東京は板橋の畑のあぜ道で摘んだノビル。結婚し何年かして住み移った川崎のマンションの庭で、子ども達と摘んだノビル。ノビルは『ジャックと豆の木』の如く記憶のなかをどんどん伸びていく。
空を見上げ、伸びゆくノビルを探すかのように、その味を探しつつ、ワインを飲むのもまたよし、と昨夜も酔っぱらっていったのだった。
収穫は大漁でも、料理するのは細かい作業。大変です。
それにしても、綺麗に輝く白だなぁ。
庭のイタリアンパセリもたっぷりと、刻みました。
ワインが進む『肴』代表的な、カナッペです。
『女のいない男たち』(4)
友人宅で、ふたり、のんびりと家飲みし、気持ちよく酔っぱらっていた。
その帰り、中央線。都心に向かう各駅停車での出来事である。
22時を過ぎた金曜の夜。それも大型連休に入る前日だ。車両には、立っている人が5人ほどで、空いている席もあった。全体にまったりとした雰囲気が漂っているのは、酔っているせいだったのだろうか。
わたしは、行きの電車で読み終えたばかりの村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋)と、小さなショルダーバッグを膝の上に置き、ドアの隣の端の席で、手すりに頭をもたれかけ、斜めに車内を眺めるでもなく観ていた。
友人は、とても素敵に明るく笑う女性で、彼女と話すと、真剣に悩み事を語り合った夜でさえ、すっと心が軽くなるような不思議な力を持っている。また気配りの人でもあり、わたしのグラスには、飲めども飲めども、泡のたった新しく冷たいビールがまるで湧いてくるかのように継ぎ足されていく。自分で思っているよりも、ずいぶんと酔っぱらっていたのかも知れない。
そんな風にして観た電車のなかの風景は、何処か現実とズレているような錯覚をさせた。ふと、隣に座っているOL風の女性が、舟を漕いでいるのを肩に感じ、彼女の膝に目を落とした。膝の上の開かれたままの本に、一瞬にして2つのワードを読みとってしまう。
「シェエラザード」と「羽原(はばら)」『女のいない男たち』に収められた4話目の短編『シェエラザード』だと判る。
『シェエラザード』は、何かの理由で「ハウス」に隔離された羽原と、そこに連絡係として食料などを運ぶシェエラザード(とは、羽原がこっそりつけたニックネームで、彼女の前でそう呼ぶことはない)の話だ。シェエラザードは、捉えどころのない話を、訪ねる度に羽原に語り聞かせるのだった。
「私の前世はやつめうなぎだったの」とあるときシェエラザードはベッドのなかで言った。とてもあっさりと「北極点はずっと北の方にある」と告げるみたいにこともなげに。 『女のいない男たち』収録『シェエラザード』より
わたしは、そっと自分の膝の上の本をショルダーバッグで隠した。彼女は、舟を漕ぎ、また目覚め、本のページをめくり、また舟を漕いだ。
静かに車内を、見回してみる。そして想像する。この電車に乗るすべての人が『女のいない男たち』を鞄に忍ばせているんじゃないかと。
立っている人達が、海の底でゆらゆらと揺れる水草のように揺れていく。あるいは、シェエラザードが羽原に話した、水草に紛れて揺れる「やつめうなぎ」のように。わたしは1冊の本を読み終えた充実感と、友人の笑顔を思いつつ、くつくつ笑いたくなるのを必死にこらえながら、ただそれを見つめていた。
ライトなビールが大好きなふたり、バドワイザーで乾杯 ♪
アボカドのカルパッチョ、さっぱりレモン味で、うーん、ボーノ!
ご主人がご帰宅。ちゃんと西京焼きと野菜たっぷりナムルを用意していて、
身体のことに、気を使ってるんだよなぁ、と感心しました。
「お酒は、イケる方なんですか?」と聞かれ「少々」と答えました。
「その少々が、一番怖いですね」と、笑っていただき(?)ました。
その帰り、中央線。都心に向かう各駅停車での出来事である。
22時を過ぎた金曜の夜。それも大型連休に入る前日だ。車両には、立っている人が5人ほどで、空いている席もあった。全体にまったりとした雰囲気が漂っているのは、酔っているせいだったのだろうか。
わたしは、行きの電車で読み終えたばかりの村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋)と、小さなショルダーバッグを膝の上に置き、ドアの隣の端の席で、手すりに頭をもたれかけ、斜めに車内を眺めるでもなく観ていた。
友人は、とても素敵に明るく笑う女性で、彼女と話すと、真剣に悩み事を語り合った夜でさえ、すっと心が軽くなるような不思議な力を持っている。また気配りの人でもあり、わたしのグラスには、飲めども飲めども、泡のたった新しく冷たいビールがまるで湧いてくるかのように継ぎ足されていく。自分で思っているよりも、ずいぶんと酔っぱらっていたのかも知れない。
そんな風にして観た電車のなかの風景は、何処か現実とズレているような錯覚をさせた。ふと、隣に座っているOL風の女性が、舟を漕いでいるのを肩に感じ、彼女の膝に目を落とした。膝の上の開かれたままの本に、一瞬にして2つのワードを読みとってしまう。
「シェエラザード」と「羽原(はばら)」『女のいない男たち』に収められた4話目の短編『シェエラザード』だと判る。
『シェエラザード』は、何かの理由で「ハウス」に隔離された羽原と、そこに連絡係として食料などを運ぶシェエラザード(とは、羽原がこっそりつけたニックネームで、彼女の前でそう呼ぶことはない)の話だ。シェエラザードは、捉えどころのない話を、訪ねる度に羽原に語り聞かせるのだった。
「私の前世はやつめうなぎだったの」とあるときシェエラザードはベッドのなかで言った。とてもあっさりと「北極点はずっと北の方にある」と告げるみたいにこともなげに。 『女のいない男たち』収録『シェエラザード』より
わたしは、そっと自分の膝の上の本をショルダーバッグで隠した。彼女は、舟を漕ぎ、また目覚め、本のページをめくり、また舟を漕いだ。
静かに車内を、見回してみる。そして想像する。この電車に乗るすべての人が『女のいない男たち』を鞄に忍ばせているんじゃないかと。
立っている人達が、海の底でゆらゆらと揺れる水草のように揺れていく。あるいは、シェエラザードが羽原に話した、水草に紛れて揺れる「やつめうなぎ」のように。わたしは1冊の本を読み終えた充実感と、友人の笑顔を思いつつ、くつくつ笑いたくなるのを必死にこらえながら、ただそれを見つめていた。
ライトなビールが大好きなふたり、バドワイザーで乾杯 ♪
アボカドのカルパッチョ、さっぱりレモン味で、うーん、ボーノ!
ご主人がご帰宅。ちゃんと西京焼きと野菜たっぷりナムルを用意していて、
身体のことに、気を使ってるんだよなぁ、と感心しました。
「お酒は、イケる方なんですか?」と聞かれ「少々」と答えました。
「その少々が、一番怖いですね」と、笑っていただき(?)ました。
はかなき夢のカフェラテアート
『ブラック・アンド・タン』が上手く作れず、ドリンクアートの難しさを知った。なーんて、そんなに簡単に作れる訳もなく、やっぱ、プロに作って出してもらうのがいちばん。と、どういう脈絡なのか自分でも計りかねるのだが、カフェラテアートを飲みに行くことにした。
セルフサービス形式の気軽な雰囲気で、お手頃ランチも食べられ、淹れるところを見せてくれる店が新宿にある。
観ていたら、エスプレッソに泡立てたミルクを注ぐだけ。に、見えるのだが、みるみるうちにカップのなかに、波紋が広がっていく。そこにラスト一文字に切るように細く注ぎ入れ、出来上がり。見るだけなら簡単だが、これは作れないと実感した。
「プロにしか作れないものを、楽しむ贅沢。ふふ」
ゆっくりとテーブルに運び、アートが壊れないようにそっと置く。さて、座って写真を、と思った途端だ。膝をテーブルにぶつけ、カフェラテがソーサーにこぼれるのが、スローモーションで見えた。
「嘘」ひとりつぶやくが、もちろん嘘ではない。
カフェラテアートは、はかなき夢の如く、一瞬にして崩壊した。
「ごめんなさい」全く誰に、謝っているんだか。
口をつけたカフェラテは、とても美味しかった。濃いエスプレッソと泡立てたミルクのきちんとしたカフェラテなど、本当に久しぶりだったと気づく。大抵は、アメリカンをブラックで飲んでいる。その方が外れがないからだ。
意を決し、おかわりすることにした。おかわりだからか、ハートをプラスしてくれた。今度こそ、一瞬の夢には終わらせない。こんなに慎重に椅子に座ったのは、生まれて初めてかも知れない。そして2杯目のカフェラテは、わたしがサンドイッチを食べ終わるまで、カップのなかで静かにハートを浮かべてくれていたのだった。
いやぁ、緊張した。こんなに緊張して珈琲を飲んだのも、また、生まれて初めてかも知れない。いまだ、夢だったのではと思うほど、不思議な時間だった。
心静かにいただいた、2杯目のカフェラテ。
スモークチキンとパプリカのベーグルサンドも、美味しかった!
店の入口には、大きな珈琲焙煎機がありました。美味しいはずだよ~。
新宿西口、野村ビルB1F『Paul Bassett』レストランと併設されています。
セルフサービス形式の気軽な雰囲気で、お手頃ランチも食べられ、淹れるところを見せてくれる店が新宿にある。
観ていたら、エスプレッソに泡立てたミルクを注ぐだけ。に、見えるのだが、みるみるうちにカップのなかに、波紋が広がっていく。そこにラスト一文字に切るように細く注ぎ入れ、出来上がり。見るだけなら簡単だが、これは作れないと実感した。
「プロにしか作れないものを、楽しむ贅沢。ふふ」
ゆっくりとテーブルに運び、アートが壊れないようにそっと置く。さて、座って写真を、と思った途端だ。膝をテーブルにぶつけ、カフェラテがソーサーにこぼれるのが、スローモーションで見えた。
「嘘」ひとりつぶやくが、もちろん嘘ではない。
カフェラテアートは、はかなき夢の如く、一瞬にして崩壊した。
「ごめんなさい」全く誰に、謝っているんだか。
口をつけたカフェラテは、とても美味しかった。濃いエスプレッソと泡立てたミルクのきちんとしたカフェラテなど、本当に久しぶりだったと気づく。大抵は、アメリカンをブラックで飲んでいる。その方が外れがないからだ。
意を決し、おかわりすることにした。おかわりだからか、ハートをプラスしてくれた。今度こそ、一瞬の夢には終わらせない。こんなに慎重に椅子に座ったのは、生まれて初めてかも知れない。そして2杯目のカフェラテは、わたしがサンドイッチを食べ終わるまで、カップのなかで静かにハートを浮かべてくれていたのだった。
いやぁ、緊張した。こんなに緊張して珈琲を飲んだのも、また、生まれて初めてかも知れない。いまだ、夢だったのではと思うほど、不思議な時間だった。
心静かにいただいた、2杯目のカフェラテ。
スモークチキンとパプリカのベーグルサンドも、美味しかった!
店の入口には、大きな珈琲焙煎機がありました。美味しいはずだよ~。
新宿西口、野村ビルB1F『Paul Bassett』レストランと併設されています。
『女のいない男たち』(3)
引き続き、村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)を読んでいる。3話目は『独立器官』52歳の整形外科医、渡会(とかい)について、僕(谷村)が、文章をかき起こす、というスタイルでかかれていた。
渡会は、結婚生活には興味がない、いわゆる独身主義者だが、女性と過ごす時間は、重要視していた。結婚を前提とせず、便利な「雨天用ボーイフレンド」に徹することで、複数の女性達と、質のいい時間を共にすることができ、充実した日々を送っていた。しかしある日彼は、落ちてしまった。深い深い恋に。
渡会は自ら、それをこう表現した。
「彼女の心が動けば、それにつれて引っ張られます。ロープで繋がった2艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物がどこにもないのです」
谷村には、彼の気持ちが理解できなかった。いや、判り過ぎていたとも言える。恋に落ちるということは、何も渡会だけではなく、誰もが経験するごく自然な感情なのだから。だが渡会は、その、ごく自然な感情の波に飲まれ、自分を見失っていった。いや、真剣に自分を見つめ過ぎたのかも知れない。
渡会の女性全般に対する見解が、印象的な文章となっている。
どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なところで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。
『女のいない男たち』収録『独立器官』より
恋に落ちる。そのコントロール不可能な激しい感情を、息ができないほどに切ない気持ちを、思い起こさずにはいられない小説だった。
小説に登場した『ブラック・アンド・タン』を作ってみました。
黄色と黒に分離した神秘的なビアカクテル。
ほんとはギネスで黒を表現するんだけど、手に入らず。
上手くいかなーい! 2度目で ↓ こんな感じ。
我々はフライドポテトとピックルスをつまみに『ブラック・アンド・タン』の大きなグラスを傾けていた。
「『逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』という歌がありますね」と渡会が言った。「権中納言敦忠」と僕は言った。どうしてそんなことを覚えていたのか、自分でもよくわからないけれど。
渡会は、言う。「恋しく想う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦しさ。考えてみれば、そういう気持ちって千年前からひとつも変わっていないんですね」
渡会は、結婚生活には興味がない、いわゆる独身主義者だが、女性と過ごす時間は、重要視していた。結婚を前提とせず、便利な「雨天用ボーイフレンド」に徹することで、複数の女性達と、質のいい時間を共にすることができ、充実した日々を送っていた。しかしある日彼は、落ちてしまった。深い深い恋に。
渡会は自ら、それをこう表現した。
「彼女の心が動けば、それにつれて引っ張られます。ロープで繋がった2艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物がどこにもないのです」
谷村には、彼の気持ちが理解できなかった。いや、判り過ぎていたとも言える。恋に落ちるということは、何も渡会だけではなく、誰もが経験するごく自然な感情なのだから。だが渡会は、その、ごく自然な感情の波に飲まれ、自分を見失っていった。いや、真剣に自分を見つめ過ぎたのかも知れない。
渡会の女性全般に対する見解が、印象的な文章となっている。
どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なところで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。
『女のいない男たち』収録『独立器官』より
恋に落ちる。そのコントロール不可能な激しい感情を、息ができないほどに切ない気持ちを、思い起こさずにはいられない小説だった。
小説に登場した『ブラック・アンド・タン』を作ってみました。
黄色と黒に分離した神秘的なビアカクテル。
ほんとはギネスで黒を表現するんだけど、手に入らず。
上手くいかなーい! 2度目で ↓ こんな感じ。
我々はフライドポテトとピックルスをつまみに『ブラック・アンド・タン』の大きなグラスを傾けていた。
「『逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』という歌がありますね」と渡会が言った。「権中納言敦忠」と僕は言った。どうしてそんなことを覚えていたのか、自分でもよくわからないけれど。
渡会は、言う。「恋しく想う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦しさ。考えてみれば、そういう気持ちって千年前からひとつも変わっていないんですね」
薬味、大好き
『薬味』が、好きだ。
葱も茗荷も紫蘇も、生姜もわさびもにんにくも、柚子も三つ葉も木の芽も、七味唐辛子も山椒の水煮も、自己主張の強い薬味達の味が、大好きなのだ。
隠し味と呼ぶには、全く隠れる気配もなく、堂々と頂にのっかっている様も、またいい。冷奴に、ちょこんと座るようにのった茗荷と生姜と鰹節の姿に、ほれぼれする。薬味嫌いの末娘が、真っ白い豆腐に醤油だけかけて食べているのを見ると、つい言いたくなったものだった。
「生姜がのってない冷奴なんて、まるで、生姜だけの冷奴みたいなもんだよ」
それくらい、食卓では薬味を大切にしている。
『薬味』の語源は『五味』で、中国から流れて来たそうだ。甘い、苦い、酸っぱい、辛い、しょっぱいと、5つの味覚で食べ物を分類し、ひとりひとりの体質や病状に合わせて摂取するのがよいと言われていたとか。体調に合わせて調節したり、食中毒を防いだりすることで、薬の役割をしてきたという。
とは言え「ほどほどに」が出来ないわたしは、調節など丸っきりしていない。食べたい量が身体が欲している量なのだと、豆腐を食べているのか薬味を食べているのか判らなくなるほどに、たっぷりのせてしまう。
葱や茗荷の美味しさは、覚えるほどに止まらず『鰯と茗荷の酢味噌和え』などは、白髪葱は2本分、茗荷は6本も千切りにし、主役の鰯が肩身の狭い思いをするほど、バリバリ食べている。茗荷は、確か何かの効用があったかと思うのだが、食べすぎたせいか、もう忘れた。(何だっけ?)
はーるがきーた ♪ と歌いながら、庭の山椒の木からほころび始めた小さな木の芽を摘み、味噌汁に入れ「摘み立ての春の味は、柔らかいなぁ」と、おかわりに、ふたたび庭に出ては、山椒に感謝しつつ摘んだりしている。
うーん。薬味ホリックには、何とも嬉しい春である。
これから冷奴の季節。いろいろな薬味で楽しめますね。ちりめんじゃこや、
納豆、オクラ、山芋などねばねばトリオに、わさびでもイケますねぇ。
山椒さん、今年も葉っぱを開いてくれて、ホントにありがとう ♪
茄子の生姜焼きも、茗荷と紫蘇をたっぷりのせれば、ご馳走に。
『鰯と茗荷の酢味噌和え』大皿で、どどーんと盛り付けます。
葱も茗荷も紫蘇も、生姜もわさびもにんにくも、柚子も三つ葉も木の芽も、七味唐辛子も山椒の水煮も、自己主張の強い薬味達の味が、大好きなのだ。
隠し味と呼ぶには、全く隠れる気配もなく、堂々と頂にのっかっている様も、またいい。冷奴に、ちょこんと座るようにのった茗荷と生姜と鰹節の姿に、ほれぼれする。薬味嫌いの末娘が、真っ白い豆腐に醤油だけかけて食べているのを見ると、つい言いたくなったものだった。
「生姜がのってない冷奴なんて、まるで、生姜だけの冷奴みたいなもんだよ」
それくらい、食卓では薬味を大切にしている。
『薬味』の語源は『五味』で、中国から流れて来たそうだ。甘い、苦い、酸っぱい、辛い、しょっぱいと、5つの味覚で食べ物を分類し、ひとりひとりの体質や病状に合わせて摂取するのがよいと言われていたとか。体調に合わせて調節したり、食中毒を防いだりすることで、薬の役割をしてきたという。
とは言え「ほどほどに」が出来ないわたしは、調節など丸っきりしていない。食べたい量が身体が欲している量なのだと、豆腐を食べているのか薬味を食べているのか判らなくなるほどに、たっぷりのせてしまう。
葱や茗荷の美味しさは、覚えるほどに止まらず『鰯と茗荷の酢味噌和え』などは、白髪葱は2本分、茗荷は6本も千切りにし、主役の鰯が肩身の狭い思いをするほど、バリバリ食べている。茗荷は、確か何かの効用があったかと思うのだが、食べすぎたせいか、もう忘れた。(何だっけ?)
はーるがきーた ♪ と歌いながら、庭の山椒の木からほころび始めた小さな木の芽を摘み、味噌汁に入れ「摘み立ての春の味は、柔らかいなぁ」と、おかわりに、ふたたび庭に出ては、山椒に感謝しつつ摘んだりしている。
うーん。薬味ホリックには、何とも嬉しい春である。
これから冷奴の季節。いろいろな薬味で楽しめますね。ちりめんじゃこや、
納豆、オクラ、山芋などねばねばトリオに、わさびでもイケますねぇ。
山椒さん、今年も葉っぱを開いてくれて、ホントにありがとう ♪
茄子の生姜焼きも、茗荷と紫蘇をたっぷりのせれば、ご馳走に。
『鰯と茗荷の酢味噌和え』大皿で、どどーんと盛り付けます。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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