はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
『ハルフウェイ』
以前映画館で観た映画『ハルフウェイ』を、DVDで観た。
上映された頃、北川悦吏子脚本・監督で、岩井俊二がプロデュースしたと聞き、東京に出掛けた際に渋谷の小さな映画館へ観に行ったのだ。なんと観客は、わたしと、OL風の女性が二人のみ。3人貸し切りという映画みたいなシチュエーションだったが、心に残るというよりは、瞼の裏に残る、ワンシーンワンシーンが、切なく美しい映画だった。
北海道の高校に通うヒロ(北乃きい)とシュウ(岡田将生)の淡い恋のストーリー。二人は3年生。ヒロの片思いを知ったシュウが告白し、つきあい始めるが、地元で進学するヒロは、シュウが早稲田を受けることを知り、傷つく。自分を置いて東京に行くのかと、怒る。そんな二人の卒業までを描いた、ただそれだけ? と言えば、ただそれだけの映画だ。
だが、ふたりで歩く川沿いの道からは、川に映る空に雲が流れていき、悩みながらも理科室でシャボン玉を吹く女子達の笑顔は、シャボン玉のように儚げで、テニスコートの審判台に上ってふざけあう二人のシルエットや、仲直りした雨上がりの校庭にできた水たまりに映る夕焼けや、落ち葉だらけの土手に寝転んで作った落ち葉の顔や、魅きつけられて、微笑みつつも、胸が苦しくなるようなシーンで、いっぱいだ。
タイトルは、二人で勉強をするシーンで、ヒロが英語の問題を出す。
「途中」シュウは判らず、ヒロが答えを言った。「ハルフウェイ」
正解は「halfway ハーフウェイ」なのだが、二人は「ハルフウェイ」の方がかっこいいねと言い合い、そう覚える。
二人の物語の途中を描いた、大好きな映画の一つである。
翌日、車で走っていて不意に「そうだ。ここも、途中なんだ」と思い、前と後ろを、交互に見た。どちらにも道が伸びていた。
そして「うん。今だって、まだ途中なんだ」と思えた。
もし道が突き当ったら、そこが終点か。いや、谷川俊太郎が詩にかいていた。
「みちのおわったところでふりかえれば みちはそこからはじまっています」
向かっていた南側は、薄く暮れかかっているようだったのに、
北側を向くと、明るくて驚きました。太陽が南にあるからかな?
上映された頃、北川悦吏子脚本・監督で、岩井俊二がプロデュースしたと聞き、東京に出掛けた際に渋谷の小さな映画館へ観に行ったのだ。なんと観客は、わたしと、OL風の女性が二人のみ。3人貸し切りという映画みたいなシチュエーションだったが、心に残るというよりは、瞼の裏に残る、ワンシーンワンシーンが、切なく美しい映画だった。
北海道の高校に通うヒロ(北乃きい)とシュウ(岡田将生)の淡い恋のストーリー。二人は3年生。ヒロの片思いを知ったシュウが告白し、つきあい始めるが、地元で進学するヒロは、シュウが早稲田を受けることを知り、傷つく。自分を置いて東京に行くのかと、怒る。そんな二人の卒業までを描いた、ただそれだけ? と言えば、ただそれだけの映画だ。
だが、ふたりで歩く川沿いの道からは、川に映る空に雲が流れていき、悩みながらも理科室でシャボン玉を吹く女子達の笑顔は、シャボン玉のように儚げで、テニスコートの審判台に上ってふざけあう二人のシルエットや、仲直りした雨上がりの校庭にできた水たまりに映る夕焼けや、落ち葉だらけの土手に寝転んで作った落ち葉の顔や、魅きつけられて、微笑みつつも、胸が苦しくなるようなシーンで、いっぱいだ。
タイトルは、二人で勉強をするシーンで、ヒロが英語の問題を出す。
「途中」シュウは判らず、ヒロが答えを言った。「ハルフウェイ」
正解は「halfway ハーフウェイ」なのだが、二人は「ハルフウェイ」の方がかっこいいねと言い合い、そう覚える。
二人の物語の途中を描いた、大好きな映画の一つである。
翌日、車で走っていて不意に「そうだ。ここも、途中なんだ」と思い、前と後ろを、交互に見た。どちらにも道が伸びていた。
そして「うん。今だって、まだ途中なんだ」と思えた。
もし道が突き当ったら、そこが終点か。いや、谷川俊太郎が詩にかいていた。
「みちのおわったところでふりかえれば みちはそこからはじまっています」
向かっていた南側は、薄く暮れかかっているようだったのに、
北側を向くと、明るくて驚きました。太陽が南にあるからかな?
『ヘヴン』
川上未映子『ヘヴン』(講談社文庫)を、読んだ。
学校で、日常的に暴力を受け続けている、14歳の僕のふで箱に、ある日手紙が入っていた。「わたしたちは、仲間です」
それは、同じクラスで女生徒達から苛めを受け続けている女子、コジマからだった。ふたりは、ひっそりと手紙のやり取りをするようになり、学校ではない場所で会うようになる。
しかし、恐怖で眠れなくなるほどの酷い暴力を受けてから、僕は、コジマと会うことも、手紙の返事をかくこともできなくなっていく。以下本文から。
「子どものころさ、悪いことをしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろ?」と百瀬は言った。
「そんなもの、ないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから、捏造する必要があるんじゃないか」
と百瀬は笑った。
「弱いやつらは本当のことには耐えられないんだよ。苦しみとか悲しみとかに、それこそ人生なんてものにそもそも意味がないなんてそんなあたりまえのことにも耐えられないんだよ」
「誰に、……そんなことがわかるんだ」僕は声をしぼるように言った。
「ふつうの頭を持ってたら誰にだってわかるさ」と百瀬は笑いながら言った。
「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ。そんなことにはなんの意味もない。そして僕はそれが楽しくて仕方がない」
読んでいて、鉛でも飲みこんでしまったかのように苦しかった。だが、最後まで読まずには、いられなかった。
読み終えることができたのは、主人公の僕が持つ、心の温かさを、常に感じられたからだと思う。コジマに対して、また、義理の母親に対して。
苛めを中心に据えているが、人が生きることの意味を問うている小説だ。
丸かったはずの心に、いつしかひびが入り、欠けて角ができていく。読みながら、忘れていた自分の心の尖った部分に、触れる瞬間を、何度も感じた。
『すべて真夜中の恋人たち』の広告が、入っていました。
川上未映子、意志の強そうな、綺麗な顔をした人ですね。
学校で、日常的に暴力を受け続けている、14歳の僕のふで箱に、ある日手紙が入っていた。「わたしたちは、仲間です」
それは、同じクラスで女生徒達から苛めを受け続けている女子、コジマからだった。ふたりは、ひっそりと手紙のやり取りをするようになり、学校ではない場所で会うようになる。
しかし、恐怖で眠れなくなるほどの酷い暴力を受けてから、僕は、コジマと会うことも、手紙の返事をかくこともできなくなっていく。以下本文から。
「子どものころさ、悪いことをしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろ?」と百瀬は言った。
「そんなもの、ないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから、捏造する必要があるんじゃないか」
と百瀬は笑った。
「弱いやつらは本当のことには耐えられないんだよ。苦しみとか悲しみとかに、それこそ人生なんてものにそもそも意味がないなんてそんなあたりまえのことにも耐えられないんだよ」
「誰に、……そんなことがわかるんだ」僕は声をしぼるように言った。
「ふつうの頭を持ってたら誰にだってわかるさ」と百瀬は笑いながら言った。
「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ。そんなことにはなんの意味もない。そして僕はそれが楽しくて仕方がない」
読んでいて、鉛でも飲みこんでしまったかのように苦しかった。だが、最後まで読まずには、いられなかった。
読み終えることができたのは、主人公の僕が持つ、心の温かさを、常に感じられたからだと思う。コジマに対して、また、義理の母親に対して。
苛めを中心に据えているが、人が生きることの意味を問うている小説だ。
丸かったはずの心に、いつしかひびが入り、欠けて角ができていく。読みながら、忘れていた自分の心の尖った部分に、触れる瞬間を、何度も感じた。
『すべて真夜中の恋人たち』の広告が、入っていました。
川上未映子、意志の強そうな、綺麗な顔をした人ですね。
丸いものは丸く
朝、洗面所でワンディ・コンタクトレンズを手にした途端、デジャヴュのような記憶の波が押し寄せ、不意に思い出した。
その朝、見た夢だった。
やはり同じように、朝の冷たい洗面所で、コンタクトレンズを入れようとしている。しかしコンタクトは、なかなか瞳にフィットしてくれない。裏表が逆なのかと、鏡の前で人差し指の上に乗った透明でやわらかい物体をじっと見る。
すると、こともあろうに、それは丸ではなく四角いのだった。いつもの丸のコンタクトに、まるで羽根つき餃子の羽根、それも四角いフライパンで焼いた、でもついたかのように、ひらひらと四つ角が、頼りなく揺れているのだ。
さて実際には、コンタクトは丸かった。たまに不良品で、餃子のように折りたたまれたままくっついてしまっているものもあるが、ぶじ良品だった。
「コンタクトが、丸くてよかった」
丸いものは丸く、四角いものは四角く。そんな普通の日常が、自分の手のなかにあると思うとホッとした。
昔、友人に絵を描いてもらって作った、手作り絵本『まるいもの』
「ドーナツ ふうせん おつきさま まるいものを ならべた」
「グレープフルーツ ゆきだるま」
「まるいものを ならべた
あさつゆ くものす とんぼだま かとりせんこう アルマジロ」
まるいものを、ただ並べただけの、絵本です。
その朝、見た夢だった。
やはり同じように、朝の冷たい洗面所で、コンタクトレンズを入れようとしている。しかしコンタクトは、なかなか瞳にフィットしてくれない。裏表が逆なのかと、鏡の前で人差し指の上に乗った透明でやわらかい物体をじっと見る。
すると、こともあろうに、それは丸ではなく四角いのだった。いつもの丸のコンタクトに、まるで羽根つき餃子の羽根、それも四角いフライパンで焼いた、でもついたかのように、ひらひらと四つ角が、頼りなく揺れているのだ。
さて実際には、コンタクトは丸かった。たまに不良品で、餃子のように折りたたまれたままくっついてしまっているものもあるが、ぶじ良品だった。
「コンタクトが、丸くてよかった」
丸いものは丸く、四角いものは四角く。そんな普通の日常が、自分の手のなかにあると思うとホッとした。
昔、友人に絵を描いてもらって作った、手作り絵本『まるいもの』
「ドーナツ ふうせん おつきさま まるいものを ならべた」
「グレープフルーツ ゆきだるま」
「まるいものを ならべた
あさつゆ くものす とんぼだま かとりせんこう アルマジロ」
まるいものを、ただ並べただけの、絵本です。
サンタの痕跡
12月。カレンダーも、最後の1枚となった。
サボテンのカレンダーも、いつもの落ち着いた雰囲気に、華やかさをプラスしている。クリスマスリースだ。
クリスマス飾りを出さなくなって、3年ほど経つ。受験などもあって、子ども達が一緒に飾りつけを楽しむ様子もなくなり、師走の忙しさに、思い切ってやめたのだ。やめてみたら、思いのほか重荷だったようで、肩の荷が下りたとはこのことさ、とでもいうかのように、楽になった。
もちろん、サンタ役をすることも、もうない。
子ども達の枕元に、プレゼントを置いた夜も、遠い昔だ。大抵はサンタの二人も酔っていて、彼らが寝つくまで、あくびをしながら待ったものだった。
あれは、上の娘が小6の時だったと思う。そっと部屋に入ると、ベッドの上に、赤いコートが置いてあった。
「あ、サンタさん、忘れ物!」
一瞬、真剣にそう思ってしまい、我に返る。
ただ娘が、コートを置いたまま、眠っていただけだった。
クリスマスの夜には、大人のわたし達でさえ、サンタの痕跡を不意に見つけたりすることが、不思議でもなんでもなく、あるものなのだ。
人の心は、サンタだって創りだせる。
そう思うと、何かし忘れているような気持ちになる、師走である。
サボテンのカレンダー。リース、丸いところが好きです。
蝋燭のサボテンくんも、ラス一のカレンダーにしみじみしています。
サボテンのカレンダーも、いつもの落ち着いた雰囲気に、華やかさをプラスしている。クリスマスリースだ。
クリスマス飾りを出さなくなって、3年ほど経つ。受験などもあって、子ども達が一緒に飾りつけを楽しむ様子もなくなり、師走の忙しさに、思い切ってやめたのだ。やめてみたら、思いのほか重荷だったようで、肩の荷が下りたとはこのことさ、とでもいうかのように、楽になった。
もちろん、サンタ役をすることも、もうない。
子ども達の枕元に、プレゼントを置いた夜も、遠い昔だ。大抵はサンタの二人も酔っていて、彼らが寝つくまで、あくびをしながら待ったものだった。
あれは、上の娘が小6の時だったと思う。そっと部屋に入ると、ベッドの上に、赤いコートが置いてあった。
「あ、サンタさん、忘れ物!」
一瞬、真剣にそう思ってしまい、我に返る。
ただ娘が、コートを置いたまま、眠っていただけだった。
クリスマスの夜には、大人のわたし達でさえ、サンタの痕跡を不意に見つけたりすることが、不思議でもなんでもなく、あるものなのだ。
人の心は、サンタだって創りだせる。
そう思うと、何かし忘れているような気持ちになる、師走である。
サボテンのカレンダー。リース、丸いところが好きです。
蝋燭のサボテンくんも、ラス一のカレンダーにしみじみしています。
ニンニク塩麹の世界へ
Facebook で教えてもらった『ニンニク塩麹』を、作ってみた。
ミネストローネに使うと、コクが出て、更にまろやかな味に仕上がるというので、さっそくそのニンニク塩麹をオリーブオイルで炒め、刻んだ野菜も一緒に炒めてから、ミネストローネを煮た。
「これは、違う!」「全く別の、食べ物だね」夫も、うなずいた。
今までミネストローネだと胸を張って言っていたものは、ただのトマト味の野菜スープだったことを知る。自分の料理の腕が、格段に上がったような錯覚に陥るほど、美味しかったのだ。
教えていただいて、本当に感謝している。
ニンニクの栄養価も、麹につけることで大きくアップするらしい。
一歩足を踏み入れたばかりの、ニンニク塩麹の世界。これからは冷蔵庫に常備し、様々な料理に、活躍してもらおう。
ところで、最近やたらと失くしものが多いわたしだが(最近か?)ニンニクは、失せ物を見つけたいときに効く、まじないにもなるという話を聞いた。
ドラキュラは、ニンニクが苦手だということは知っていたが、ヨーロッパでは、魔除けの意味合いがあり「ニンニク、ニンニク」と唱えると、魔女が怖がって、隠していたものを出してくれるというのだ。
「ニンニク塩麹」と唱えたら、味と栄養価と共に、まじないの効き目もアップするかもしれない。ヨーロッパのまじないを、日本語で唱えて効き目があるかどうかは、怪しいところだが。
作ってみたら、ホントに簡単にできました。
みじん切りにしたニンニクを、レンジでチンして、塩麹に漬け、
冷蔵庫に入れて、一晩おくだけ。
朝食には向かなくても、この美味しさは、やみつきになりそうです。
ランチのマッシュルーム入り、オムライスにも入れました。
チキンにまぶして、30分おいて焼きました。おお! 絶品。
ミネストローネに使うと、コクが出て、更にまろやかな味に仕上がるというので、さっそくそのニンニク塩麹をオリーブオイルで炒め、刻んだ野菜も一緒に炒めてから、ミネストローネを煮た。
「これは、違う!」「全く別の、食べ物だね」夫も、うなずいた。
今までミネストローネだと胸を張って言っていたものは、ただのトマト味の野菜スープだったことを知る。自分の料理の腕が、格段に上がったような錯覚に陥るほど、美味しかったのだ。
教えていただいて、本当に感謝している。
ニンニクの栄養価も、麹につけることで大きくアップするらしい。
一歩足を踏み入れたばかりの、ニンニク塩麹の世界。これからは冷蔵庫に常備し、様々な料理に、活躍してもらおう。
ところで、最近やたらと失くしものが多いわたしだが(最近か?)ニンニクは、失せ物を見つけたいときに効く、まじないにもなるという話を聞いた。
ドラキュラは、ニンニクが苦手だということは知っていたが、ヨーロッパでは、魔除けの意味合いがあり「ニンニク、ニンニク」と唱えると、魔女が怖がって、隠していたものを出してくれるというのだ。
「ニンニク塩麹」と唱えたら、味と栄養価と共に、まじないの効き目もアップするかもしれない。ヨーロッパのまじないを、日本語で唱えて効き目があるかどうかは、怪しいところだが。
作ってみたら、ホントに簡単にできました。
みじん切りにしたニンニクを、レンジでチンして、塩麹に漬け、
冷蔵庫に入れて、一晩おくだけ。
朝食には向かなくても、この美味しさは、やみつきになりそうです。
ランチのマッシュルーム入り、オムライスにも入れました。
チキンにまぶして、30分おいて焼きました。おお! 絶品。
帰ってきた夫の茶碗
修理をお願いしていた、夫の茶碗が帰ってきた。
茶碗を焼いた陶芸家、森下真吾さんに、頼んでいたのだ。
「これ、これ。この大きさじゃなくっちゃ」
夫は、手に馴染んだ茶碗が、綺麗に金接ぎを施され帰ってきたことを、とても喜んでいる。喜びついでに、茶碗の修理を頼んだ時に買った、新しい茶碗に、わたしのご飯をよそってくれた。
「あ、これ、もらっていいの?」と、浮き浮きと聞くと、
「貸すだけ」との答え。
だが、新しい茶碗は、じつはわたしの手に、ぴったりなのだ。
食器は、見た目だけでは選べない。何を盛りつけるかを考えて選ぶし、重さや触った感じ、茶碗や椀なら、手に持った感じも大切だ。そして、使い心地を実感するのは、実際に料理を盛りつけ、食卓に出してからになる。想像した使い心地が感じられず、食器棚の肥やし(?)になってしまうものもある。
そんななかで、夫の茶碗は、使うほどに手に馴染み、彼にとっては、もう手放せないと思えるほどの逸品だったのだと思う。
こんな出会いは、なかなか出来ない。
「ほんと、ラッキーだよなぁ」夫も、そして茶碗も。
朝食です。気に入った茶碗があると、ご飯が美味しくなりますね。
欠けていない場所にも、金が塗ってあります。デザイン的なものでしょう。
丁寧に仕上げていただいて、感謝です。写真を撮って気づいたのですが、
茶碗の底には、森下真吾さんのマークが、印されていました。
茶碗を焼いた陶芸家、森下真吾さんに、頼んでいたのだ。
「これ、これ。この大きさじゃなくっちゃ」
夫は、手に馴染んだ茶碗が、綺麗に金接ぎを施され帰ってきたことを、とても喜んでいる。喜びついでに、茶碗の修理を頼んだ時に買った、新しい茶碗に、わたしのご飯をよそってくれた。
「あ、これ、もらっていいの?」と、浮き浮きと聞くと、
「貸すだけ」との答え。
だが、新しい茶碗は、じつはわたしの手に、ぴったりなのだ。
食器は、見た目だけでは選べない。何を盛りつけるかを考えて選ぶし、重さや触った感じ、茶碗や椀なら、手に持った感じも大切だ。そして、使い心地を実感するのは、実際に料理を盛りつけ、食卓に出してからになる。想像した使い心地が感じられず、食器棚の肥やし(?)になってしまうものもある。
そんななかで、夫の茶碗は、使うほどに手に馴染み、彼にとっては、もう手放せないと思えるほどの逸品だったのだと思う。
こんな出会いは、なかなか出来ない。
「ほんと、ラッキーだよなぁ」夫も、そして茶碗も。
朝食です。気に入った茶碗があると、ご飯が美味しくなりますね。
欠けていない場所にも、金が塗ってあります。デザイン的なものでしょう。
丁寧に仕上げていただいて、感謝です。写真を撮って気づいたのですが、
茶碗の底には、森下真吾さんのマークが、印されていました。
早起きの朝に
夜中に目が覚めて、トイレに起きた。キッチンで白湯を飲み、ふたたびベッドにもぐり込む。
「まだまだ、真っ暗。布団のなかはぬくぬく。しあわせ感じるひと時だなぁ」
実感していると、隣のベッドで寝ていた夫が言った。
「今、目覚まし、鳴ったけど、寝ちゃうわけ?」
ショックが隠せず、辛うじて言葉にしたのは「うそ」のひと言。
昨日は、週に2回の5時半起きの日だったのだ。日々の小さな出来事に、一喜一憂してばかりもいられないが、これは大ショックだ。
「まだ、眠れると思ったのにぃ!」
朝食を済ませ、6時45分には家を出た。東京に出勤する夫を、駅まで送るため、往復40分ほどの朝ドライブだ。
「八ヶ岳が、綺麗だよ」と、夫。
「早起きは三文の徳って、言うもんねぇ」一緒に、八ヶ岳を眺める。
「こうして、朝の綺麗な八ヶ岳が見られるのも、俺のおかげだな」
夫の言葉には、一瞬疑問も感じないわけではなかったが、
「全くもって、その通りだね」としか、答えようがない。
八ヶ岳は、日々少しずつ、雪をまとう部分を増やしている。同じようで、同じではない。雲の形と同様、その時々にしか見られない風景だ。
今少しの間、ベッドのぬくぬくを感じていたかったが、八ヶ岳からの早起きのご褒美を、嬉しくいただいた。
次回は、疑うことを忘れずにいよう。目が覚めて真っ暗でも、もしや朝ではないかと疑ってみることで、ショックも軽減されるはずである。
昨日の朝7時20分頃の八ヶ岳。午後にはもう、雲に隠れていました。
最高峰、赤岳です。やっぱり一番に雪をかぶります。
シャープな雰囲気をかもし出す、大好きな権現岳。
南アルプス連峰も、少しずつ雪をまとってきました。
丸い形の甲斐駒ケ岳。アップにすると、迫力ありますねぇ。
「まだまだ、真っ暗。布団のなかはぬくぬく。しあわせ感じるひと時だなぁ」
実感していると、隣のベッドで寝ていた夫が言った。
「今、目覚まし、鳴ったけど、寝ちゃうわけ?」
ショックが隠せず、辛うじて言葉にしたのは「うそ」のひと言。
昨日は、週に2回の5時半起きの日だったのだ。日々の小さな出来事に、一喜一憂してばかりもいられないが、これは大ショックだ。
「まだ、眠れると思ったのにぃ!」
朝食を済ませ、6時45分には家を出た。東京に出勤する夫を、駅まで送るため、往復40分ほどの朝ドライブだ。
「八ヶ岳が、綺麗だよ」と、夫。
「早起きは三文の徳って、言うもんねぇ」一緒に、八ヶ岳を眺める。
「こうして、朝の綺麗な八ヶ岳が見られるのも、俺のおかげだな」
夫の言葉には、一瞬疑問も感じないわけではなかったが、
「全くもって、その通りだね」としか、答えようがない。
八ヶ岳は、日々少しずつ、雪をまとう部分を増やしている。同じようで、同じではない。雲の形と同様、その時々にしか見られない風景だ。
今少しの間、ベッドのぬくぬくを感じていたかったが、八ヶ岳からの早起きのご褒美を、嬉しくいただいた。
次回は、疑うことを忘れずにいよう。目が覚めて真っ暗でも、もしや朝ではないかと疑ってみることで、ショックも軽減されるはずである。
昨日の朝7時20分頃の八ヶ岳。午後にはもう、雲に隠れていました。
最高峰、赤岳です。やっぱり一番に雪をかぶります。
シャープな雰囲気をかもし出す、大好きな権現岳。
南アルプス連峰も、少しずつ雪をまとってきました。
丸い形の甲斐駒ケ岳。アップにすると、迫力ありますねぇ。
『謎解きはディナーのあとで』
東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』(小学館文庫)を読んだ。
そして、映画も見た。これでやっと、世間に追いつけた気がする。それほどに、売れていた訳で、映画はドラマ版の続きであり、無論1回読み切りタイプになっていたが、1冊読んだだけでは追いつかない設定などもあった。
まあ、映画を観たのはおまけ、というか、椎名桔平が出ていたのが理由で、かっこいい役なら尚更よかったが、三枚目役も個性たっぷりこなすいい役者であるなぁと、再認識し、ただただ楽しんだ。
主人公は、大財閥の令嬢という身分を隠した新米刑事、宝生麗子。その上司、風祭は、中堅自動車メーカーの御曹司だということを、ことあるごとに鼻に掛け、推理はあさっての方向に飛ぶ、出来ないやつ。事件迷宮入りも茶飯事かと思われるコンビだが、それでは小説にならない。救世主は、麗子の執事兼運転手、影山。彼は、麗子の話を聞くだけで、ディナーをサーブしながら、事件の謎を解いてしまうのだ。世に言う「安楽椅子探偵」事件現場に足を運ばず、聞いただけで謎を解いてしまう探偵役をそう呼ぶ。
6話の連作短編になっていて、気軽に読める。殺人事件は登場するが、紅茶を飲みながらゆったりくつろいで読めるといわれる、殺人のないコージーミステリーに近いモノを感じた。それは、惜しみなく繰り広げられる上質なギャグの応酬のせいに他ならない。くすくす笑いながら読みつつも、謎解きは、ハッとさせられるものばかりだ。
聞くことだけで判ることは、そう多いとは思えない。諺にも『百聞は一見にしかず』とある。しかし、安楽椅子探偵にはなれずとも、周囲の話にもっと耳を傾けてみたら、今まで判らなかったことも見えてくるかも知れない。そして、安楽椅子探偵には、話し上手な情報提供者が必要だ。相手が判るように話すこともまた、大切なことなのだ。
まあ、わたしが安楽椅子探偵になることはないとは思うが。
今つかえつつ読んでいるのは、川上未映子の『ヘヴン』
読もうと思って、ベッドに置いたままの『イニシエーション・ラブ』
3冊とも表紙に、それぞれの個性が出ていますね。
そして、映画も見た。これでやっと、世間に追いつけた気がする。それほどに、売れていた訳で、映画はドラマ版の続きであり、無論1回読み切りタイプになっていたが、1冊読んだだけでは追いつかない設定などもあった。
まあ、映画を観たのはおまけ、というか、椎名桔平が出ていたのが理由で、かっこいい役なら尚更よかったが、三枚目役も個性たっぷりこなすいい役者であるなぁと、再認識し、ただただ楽しんだ。
主人公は、大財閥の令嬢という身分を隠した新米刑事、宝生麗子。その上司、風祭は、中堅自動車メーカーの御曹司だということを、ことあるごとに鼻に掛け、推理はあさっての方向に飛ぶ、出来ないやつ。事件迷宮入りも茶飯事かと思われるコンビだが、それでは小説にならない。救世主は、麗子の執事兼運転手、影山。彼は、麗子の話を聞くだけで、ディナーをサーブしながら、事件の謎を解いてしまうのだ。世に言う「安楽椅子探偵」事件現場に足を運ばず、聞いただけで謎を解いてしまう探偵役をそう呼ぶ。
6話の連作短編になっていて、気軽に読める。殺人事件は登場するが、紅茶を飲みながらゆったりくつろいで読めるといわれる、殺人のないコージーミステリーに近いモノを感じた。それは、惜しみなく繰り広げられる上質なギャグの応酬のせいに他ならない。くすくす笑いながら読みつつも、謎解きは、ハッとさせられるものばかりだ。
聞くことだけで判ることは、そう多いとは思えない。諺にも『百聞は一見にしかず』とある。しかし、安楽椅子探偵にはなれずとも、周囲の話にもっと耳を傾けてみたら、今まで判らなかったことも見えてくるかも知れない。そして、安楽椅子探偵には、話し上手な情報提供者が必要だ。相手が判るように話すこともまた、大切なことなのだ。
まあ、わたしが安楽椅子探偵になることはないとは思うが。
今つかえつつ読んでいるのは、川上未映子の『ヘヴン』
読もうと思って、ベッドに置いたままの『イニシエーション・ラブ』
3冊とも表紙に、それぞれの個性が出ていますね。
傘が帰る家を間違える理由
会社の近くに、パンとワインが美味しい店があるというので、夫と出かけた。
荒木町の『chiori』天然酵母の手作りパンとワインに合った料理を出す、夫婦でやっている小さなワインバーだ。
静かに雨の降る夜だった。予報も1日雨だったので、長傘を持って出かけた。
くすんだピンクと白と明るいターコイズブルーで、鳥達が羽ばたいている柄。お気に入りの傘だ。気に入った傘があると、雨の日も、心が軽くなる。しとしと降る冬の雨は、地面に、また建物に、街の木々に、ゆっくりと吸い込まれていくかのようだ。
『chiori』に着き、木製のドアを開けると、やわらかな灯りが温かく迎えてくれた。外の雨のこともすぐに忘れ、わたし達は、家に帰ってきたような気持ちになり、席に着いた。奥さんの作る料理は、美味しいだけではなくお洒落で工夫されていて、天然酵母にこだわっているというパンは、かりっと焼いてあって、口に入れると香りが広がり、素敵に美味しかった。
夫は疲れていたようだったが、美味い料理があるとワインも進む。そのワインが美味ければ尚更である。
特別、何をしゃべった訳でもないが、楽しい晩餐となった。
帰りに、忘れずにふたり傘を広げた。雨は少しだけ強さを増して降り続いており、傘を忘れる心配もなかった。傘をさした時に、何かが引っかかったが、気にも留めず歩き出した。
だが、しばらくして、その大きさもさし心地もピンクの色合いも似ている傘が、よくよく見ると、自分の物ではないことに気づいた。
「あー、傘、間違えた!」「うわ、戻るしかないな」
温かみのある木製のドアの前で、わたしの傘は心細そうな表情で待っていた。
「ごめんね。だって、似てたんだもん」と、言い訳するわたしに、
「全然、似てないじゃん」と、夫。
そして、ようやくさっき引っかかったことに思い当たった。
「あ、わたしの傘って、ワンタッチだったんだ。便利だー」
そう思ったのは、いつもの傘にはワンタッチ機能がないからなのだが、何事も受け入れる性質(たち)であるわたしは、マイ傘が便利になったことを素直に喜び、疑いを挟む余地を持たなかった。
こうして多くの傘達は、帰る家を間違え、知らない家の傘立てで居心地の悪い思いをすることになるのだなと、納得した。
いやそれは納得するところじゃなくて、ただ単に、酔っぱらっていただけだろうって? いやー、料理もパンもワインも、最高に美味しかったです。
牡蠣が入った冷たい前菜。盛り付けが綺麗で、驚きました。
ジェノベーゼソースだけじゃなく、スパイスが効いていました。
おススメだというウニ卵。海老を使ったアメリケーヌソースが効いた
暖かい前菜です。パンにつけて食べても good!
パテとリエットと白レバーのムースなど、4種盛り合わせ。
オーダー後、1時間かけてグリルしたという、ローストポーク。
野菜も歯応えを残して、薄味で焼いてありました。
ニュージーランド産のピノ・ノワールを、ふたりで1本空けました。
メニューとランチョンマットは、シンプルな線画がお洒落です。
荒い目の曇りガラスが、窓やドア、棚にも使われていて素敵でした。
窓の外の雨は、湿った空気を感じるだけで、見えませんでした。
荒木町の『chiori』天然酵母の手作りパンとワインに合った料理を出す、夫婦でやっている小さなワインバーだ。
静かに雨の降る夜だった。予報も1日雨だったので、長傘を持って出かけた。
くすんだピンクと白と明るいターコイズブルーで、鳥達が羽ばたいている柄。お気に入りの傘だ。気に入った傘があると、雨の日も、心が軽くなる。しとしと降る冬の雨は、地面に、また建物に、街の木々に、ゆっくりと吸い込まれていくかのようだ。
『chiori』に着き、木製のドアを開けると、やわらかな灯りが温かく迎えてくれた。外の雨のこともすぐに忘れ、わたし達は、家に帰ってきたような気持ちになり、席に着いた。奥さんの作る料理は、美味しいだけではなくお洒落で工夫されていて、天然酵母にこだわっているというパンは、かりっと焼いてあって、口に入れると香りが広がり、素敵に美味しかった。
夫は疲れていたようだったが、美味い料理があるとワインも進む。そのワインが美味ければ尚更である。
特別、何をしゃべった訳でもないが、楽しい晩餐となった。
帰りに、忘れずにふたり傘を広げた。雨は少しだけ強さを増して降り続いており、傘を忘れる心配もなかった。傘をさした時に、何かが引っかかったが、気にも留めず歩き出した。
だが、しばらくして、その大きさもさし心地もピンクの色合いも似ている傘が、よくよく見ると、自分の物ではないことに気づいた。
「あー、傘、間違えた!」「うわ、戻るしかないな」
温かみのある木製のドアの前で、わたしの傘は心細そうな表情で待っていた。
「ごめんね。だって、似てたんだもん」と、言い訳するわたしに、
「全然、似てないじゃん」と、夫。
そして、ようやくさっき引っかかったことに思い当たった。
「あ、わたしの傘って、ワンタッチだったんだ。便利だー」
そう思ったのは、いつもの傘にはワンタッチ機能がないからなのだが、何事も受け入れる性質(たち)であるわたしは、マイ傘が便利になったことを素直に喜び、疑いを挟む余地を持たなかった。
こうして多くの傘達は、帰る家を間違え、知らない家の傘立てで居心地の悪い思いをすることになるのだなと、納得した。
いやそれは納得するところじゃなくて、ただ単に、酔っぱらっていただけだろうって? いやー、料理もパンもワインも、最高に美味しかったです。
牡蠣が入った冷たい前菜。盛り付けが綺麗で、驚きました。
ジェノベーゼソースだけじゃなく、スパイスが効いていました。
おススメだというウニ卵。海老を使ったアメリケーヌソースが効いた
暖かい前菜です。パンにつけて食べても good!
パテとリエットと白レバーのムースなど、4種盛り合わせ。
オーダー後、1時間かけてグリルしたという、ローストポーク。
野菜も歯応えを残して、薄味で焼いてありました。
ニュージーランド産のピノ・ノワールを、ふたりで1本空けました。
メニューとランチョンマットは、シンプルな線画がお洒落です。
荒い目の曇りガラスが、窓やドア、棚にも使われていて素敵でした。
窓の外の雨は、湿った空気を感じるだけで、見えませんでした。
ヴァンフォーレ甲府に乾杯!
この週末、ヴァンフォーレ甲府が、J1残留を決めた。
1年間、応援してきただけに、とても嬉しい。そして、ホッとした。
土曜日のサンフレッチェ広島戦は、ホームゲーム。夫とふたり、甲府は、小瀬公園の中銀スタジアムに観戦に行った。
「いつもと変わらないゲームができれば、勝てる可能性もある」
昨年の優勝チームである広島だが、甲府は堅い守りが持ち味のチームだ。守り抜いて、チャンスを待つのみ。残りあと3試合となり、負けが続けばJ2降格かという崖っぷちだが、平常心で試合に臨んでくれればこのチームならやれる! と、サポーターも、力が入っていた。
試合前、スタジアムでサンドイッチを買う時に、夫が言った。
「今日は、チキンはやめとくわ」大好物のチキンバーガーを見つめる。
昨年「わたし達が、チキンを食べると負ける」というジンクスに、試合の日はチキン断ちをしていたのだ。
(あ、でもそれ、去年のジンクスじゃ?)
わたしは思ったが、平常心を装いつつも、力が入っている彼に、何も言えなかった。そして、影になり冷え込みそうな予感から「今日はビールやめようかな」とのわたしの言葉に「飲みなよ。いつもと違うことは、しない方がいい」と、運転手の夫。わたしがスタジアムで生ビールを飲んだ日は、かなりの確率で勝利を収めているのだ。彼の言葉にうなずき、生ビールを買いに走る。
ふざけているかのようだが、これが大真面目。隣のカップルも、男性の方が武者震いなのか落ち着かず、彼女に「貧乏ゆすりやめてよ」と叱られていた。
いやいや。いつもと変わらないようにって、なかなかに難しいものだ。サポーターのわたし達でさえこうなんだから、選手達は、相当なプレッシャーのなか、ボールを追っているのだろうと実感した。
0-0で迎えた後半、ペナルティエリア内のファールでPKをとったヴァンフォーレは、キャプテン山本英臣が、落ち着いてゴールを決めた。
そして、さらに追加点を挙げ、2-0で堂々の勝利。
追い込まれたプレッシャーに打ち勝ち、平常心というよりは、いつにも増してモチベーションを上げ、いつもと変わらないゲームをやってのけたのである。
すごい! としか言いようがない。J1ヴァンフォーレ甲府に、乾杯!
山々に囲まれた、気持ちのいいスタジアムです。来年はここで、
J1昇格を決めた、長野の松本山雅とも対戦するんですね。
甲斐の国、武田信玄の軍機に記されたという『風林火山』の旗。
1年間、応援してきただけに、とても嬉しい。そして、ホッとした。
土曜日のサンフレッチェ広島戦は、ホームゲーム。夫とふたり、甲府は、小瀬公園の中銀スタジアムに観戦に行った。
「いつもと変わらないゲームができれば、勝てる可能性もある」
昨年の優勝チームである広島だが、甲府は堅い守りが持ち味のチームだ。守り抜いて、チャンスを待つのみ。残りあと3試合となり、負けが続けばJ2降格かという崖っぷちだが、平常心で試合に臨んでくれればこのチームならやれる! と、サポーターも、力が入っていた。
試合前、スタジアムでサンドイッチを買う時に、夫が言った。
「今日は、チキンはやめとくわ」大好物のチキンバーガーを見つめる。
昨年「わたし達が、チキンを食べると負ける」というジンクスに、試合の日はチキン断ちをしていたのだ。
(あ、でもそれ、去年のジンクスじゃ?)
わたしは思ったが、平常心を装いつつも、力が入っている彼に、何も言えなかった。そして、影になり冷え込みそうな予感から「今日はビールやめようかな」とのわたしの言葉に「飲みなよ。いつもと違うことは、しない方がいい」と、運転手の夫。わたしがスタジアムで生ビールを飲んだ日は、かなりの確率で勝利を収めているのだ。彼の言葉にうなずき、生ビールを買いに走る。
ふざけているかのようだが、これが大真面目。隣のカップルも、男性の方が武者震いなのか落ち着かず、彼女に「貧乏ゆすりやめてよ」と叱られていた。
いやいや。いつもと変わらないようにって、なかなかに難しいものだ。サポーターのわたし達でさえこうなんだから、選手達は、相当なプレッシャーのなか、ボールを追っているのだろうと実感した。
0-0で迎えた後半、ペナルティエリア内のファールでPKをとったヴァンフォーレは、キャプテン山本英臣が、落ち着いてゴールを決めた。
そして、さらに追加点を挙げ、2-0で堂々の勝利。
追い込まれたプレッシャーに打ち勝ち、平常心というよりは、いつにも増してモチベーションを上げ、いつもと変わらないゲームをやってのけたのである。
すごい! としか言いようがない。J1ヴァンフォーレ甲府に、乾杯!
山々に囲まれた、気持ちのいいスタジアムです。来年はここで、
J1昇格を決めた、長野の松本山雅とも対戦するんですね。
甲斐の国、武田信玄の軍機に記されたという『風林火山』の旗。
冬眠しない若者達
伊坂幸太郎ファンクラブ(在籍2名)の仲間の大学に、遊びに行ってきた。
学園祭である。演劇サークルでの公演を、観に行ったのだ。
5本の演目のうち、1本の脚本・演出を担当するという。タイトルは『冬眠』如何にも、クールな彼女らしい。
主人公は、事故にあって以来、受け入れられない出来事を頭の中から追い出し、忘れることで生きている大学生。冷たい現実から目を背ける、その状態を、彼女は『冬眠』とし、描こうとしたのだと思う。
完成度の高い芝居に、仕上がっていた。
タイトルとは裏腹に『冬眠』を演じる彼らには、雪を解かしてしまうほどの熱があり、観ていてあらためて、人間の放つパワーを感じさせられた。
演劇を観終わってから、大学内をゆっくり歩いて回った。『冬眠』を観たせいか、関係ないかは判らないが、屋台を出している子達にも、屋外でパフォーマンスをする子達にも、それぞれに熱を感じた。
そして、久しぶりに思い出した。人間には、根底にパワーがあるのだと。
「すっかり忘れていたけれど、たぶん、わたしにも」
冬眠しない若者達に、そんなメッセージをもらった気がした。
演劇サークルの看板です。シンプルで、かっこいいじゃん。
野外ステージでは、ロック研が、盛り上がっていました。
おなじみのたこ焼き、お好み焼き、綿菓子、チョコバナナなどの他、
日本の味も様々。おでん、焼き蛤、玉こんにゃく。トン汁、温まる~。
でも目を引かれたのは、外国料理の屋台。ウィグルの羊串焼きは、
とってもスパイシーでした。ケバブの屋台もたくさんありました。
他には、バングラディシュ、パキスタン、ネパールなど。
マレーシア料理の屋台も。卵が多めの(だと思う)生地を網状に焼き
焼き上がった生地を丸めて、チキンカレーをかけたものです。
『ロティ・ジャラ』これが、美味しかった!
学園祭である。演劇サークルでの公演を、観に行ったのだ。
5本の演目のうち、1本の脚本・演出を担当するという。タイトルは『冬眠』如何にも、クールな彼女らしい。
主人公は、事故にあって以来、受け入れられない出来事を頭の中から追い出し、忘れることで生きている大学生。冷たい現実から目を背ける、その状態を、彼女は『冬眠』とし、描こうとしたのだと思う。
完成度の高い芝居に、仕上がっていた。
タイトルとは裏腹に『冬眠』を演じる彼らには、雪を解かしてしまうほどの熱があり、観ていてあらためて、人間の放つパワーを感じさせられた。
演劇を観終わってから、大学内をゆっくり歩いて回った。『冬眠』を観たせいか、関係ないかは判らないが、屋台を出している子達にも、屋外でパフォーマンスをする子達にも、それぞれに熱を感じた。
そして、久しぶりに思い出した。人間には、根底にパワーがあるのだと。
「すっかり忘れていたけれど、たぶん、わたしにも」
冬眠しない若者達に、そんなメッセージをもらった気がした。
演劇サークルの看板です。シンプルで、かっこいいじゃん。
野外ステージでは、ロック研が、盛り上がっていました。
おなじみのたこ焼き、お好み焼き、綿菓子、チョコバナナなどの他、
日本の味も様々。おでん、焼き蛤、玉こんにゃく。トン汁、温まる~。
でも目を引かれたのは、外国料理の屋台。ウィグルの羊串焼きは、
とってもスパイシーでした。ケバブの屋台もたくさんありました。
他には、バングラディシュ、パキスタン、ネパールなど。
マレーシア料理の屋台も。卵が多めの(だと思う)生地を網状に焼き
焼き上がった生地を丸めて、チキンカレーをかけたものです。
『ロティ・ジャラ』これが、美味しかった!
枯れ葉舞い散る小春日和
小春日和の昨日、庭で薪を運んでいたら、隣りの林から、クヌギの葉がいっせいに舞い降りてきた。優しい風に吹かれ、我が家の庭に着地する。
都会では、隣りの家の庭木から落ちる葉が原因で、ご近所関係がぎくしゃくしたりということがあると聞くが、明野でそんなことを言う人はいない。落ち葉舞い散る季節になったと、しみじみ思うか、集めて堆肥にしようと大きな袋を持ち出すかの、どちらかだ。
わたしはもちろん、しみじみ派だが、また掃除がたいへんだよなぁ、とも思う。思いつつも、雪のように静かに舞い落ちる葉に、今はただ見とれていようと、しばし薪運びの手を休め、林を眺めていた。
何度か、舞い落ちるまでの瞬間を撮ろうと試みたが、無駄だった。ゆるりとした動きのなかにも、捉えられない予測不可能なものがある。まるで生きているかのように「舞う」のである。その動きが表現するものに、落ち葉一枚一枚の意志を見た気がした。
ぐんぐんと伸びる春とは対照的だが、この季節、植物達は、重さを失うことで可能になる、かろやかな「舞い」を披露してくれるのだ。
ハナミズキの葉も、ますます赤を濃くしています。
南天には、緑の葉と、赤い葉がありました。
百合は種を膨らませ、ネコジャラシも色づいています。
庭のモミジも、赤く染まった葉を、少しずつ落としていました。
林から降ってきて、着地したばかりの葉っぱのフレディ。
都会では、隣りの家の庭木から落ちる葉が原因で、ご近所関係がぎくしゃくしたりということがあると聞くが、明野でそんなことを言う人はいない。落ち葉舞い散る季節になったと、しみじみ思うか、集めて堆肥にしようと大きな袋を持ち出すかの、どちらかだ。
わたしはもちろん、しみじみ派だが、また掃除がたいへんだよなぁ、とも思う。思いつつも、雪のように静かに舞い落ちる葉に、今はただ見とれていようと、しばし薪運びの手を休め、林を眺めていた。
何度か、舞い落ちるまでの瞬間を撮ろうと試みたが、無駄だった。ゆるりとした動きのなかにも、捉えられない予測不可能なものがある。まるで生きているかのように「舞う」のである。その動きが表現するものに、落ち葉一枚一枚の意志を見た気がした。
ぐんぐんと伸びる春とは対照的だが、この季節、植物達は、重さを失うことで可能になる、かろやかな「舞い」を披露してくれるのだ。
ハナミズキの葉も、ますます赤を濃くしています。
南天には、緑の葉と、赤い葉がありました。
百合は種を膨らませ、ネコジャラシも色づいています。
庭のモミジも、赤く染まった葉を、少しずつ落としていました。
林から降ってきて、着地したばかりの葉っぱのフレディ。
アイビーなのは、アイビーだから
今、庭で一番元気がいいのは、アイビーだ。
冬蔦(フユヅタ)の種類らしく、寒さに強い。朝方には縮こまっているかのように見えても、陽が当たれば、のびのびと太陽に向かって行く力もある。
おもしろいと思うのは、葉の色や模様が、それぞれ違っているところ。肥料も水も何もやっていないので、すべて自力だ。生まれた場所で、水を吸い、陽にあたるしかない。そのそれぞれ違う葉の様子は、どれも個性があって楽しい。
ところで、アイビーと言えば、昔流行ったトラディショナルなファッションを思い浮かべてしまう。だから、覚えやすい名だということもあるが、じつは、この二つには関連があった。
60年代に流行ったアイビーは、アメリカ東海岸の名門私立大学グループ「アイビーリーグ」の学生達の間で広まっていたもので、そこから「アイビー」と呼ばれるようになったという。
そしてその「アイビーリーグ」はというと、どの大学にも蔦が絡まり、つまり学舎はアイビーでおおわれていた訳で、そこから名づけられたそうだ。
冬蔦のアイビーが、流行したファッションの名づけ親だったとは。
言葉とは、蔦が伸びていくかのように、思いもよらぬところまで伸びていき、進化し続けていくものなのかも知れない。
冷たい空気のなか、太陽に向かうアイビーに、思うのだった。
伸びている途中の小さな葉は、太陽の方へと向かい、浮いています。
白っぽいのは、日影にいるからかな? 判りません。
何処までも伸びていくぞという、強い意志が感じらる場所にも。
陽当りのいい場所で、つややかな明るい色の葉っぱもありました。
でも、陽当りだけではないようです。色も模様もそれぞれです。
置きっぱなしにした丸太を占領し、居場所にしてしまいました。
庭の真ん中で、自然のオブジェになっています。
冬蔦(フユヅタ)の種類らしく、寒さに強い。朝方には縮こまっているかのように見えても、陽が当たれば、のびのびと太陽に向かって行く力もある。
おもしろいと思うのは、葉の色や模様が、それぞれ違っているところ。肥料も水も何もやっていないので、すべて自力だ。生まれた場所で、水を吸い、陽にあたるしかない。そのそれぞれ違う葉の様子は、どれも個性があって楽しい。
ところで、アイビーと言えば、昔流行ったトラディショナルなファッションを思い浮かべてしまう。だから、覚えやすい名だということもあるが、じつは、この二つには関連があった。
60年代に流行ったアイビーは、アメリカ東海岸の名門私立大学グループ「アイビーリーグ」の学生達の間で広まっていたもので、そこから「アイビー」と呼ばれるようになったという。
そしてその「アイビーリーグ」はというと、どの大学にも蔦が絡まり、つまり学舎はアイビーでおおわれていた訳で、そこから名づけられたそうだ。
冬蔦のアイビーが、流行したファッションの名づけ親だったとは。
言葉とは、蔦が伸びていくかのように、思いもよらぬところまで伸びていき、進化し続けていくものなのかも知れない。
冷たい空気のなか、太陽に向かうアイビーに、思うのだった。
伸びている途中の小さな葉は、太陽の方へと向かい、浮いています。
白っぽいのは、日影にいるからかな? 判りません。
何処までも伸びていくぞという、強い意志が感じらる場所にも。
陽当りのいい場所で、つややかな明るい色の葉っぱもありました。
でも、陽当りだけではないようです。色も模様もそれぞれです。
置きっぱなしにした丸太を占領し、居場所にしてしまいました。
庭の真ん中で、自然のオブジェになっています。
お日さま色のおかみさん
霜月の今から、こんなに寒がってどうする? というくらい、連日、鍋だのスープだので、暖を取っている。
昨日は、薪ストーブに火も入れているのに、炬燵で粕汁を食べた。酒粕のアルコールがふんわり効いて、更に温まる。冬の料理だ。
粕汁には、塩鮭を入れることが多いが、豚肉派も多いらしい。具が少なくなったあと、リメイクし、豚、大根、葱、シメジなどを入れ、2度楽しんだ。
ところで、昨年辺りから、オレンジ色の白菜を見かけるようになった。名を『オレンジクイン』という。白い菜っ葉とかいてオレンジクインと読む、これ如何に。と思わないでもないが、明野町内でも作っているので、新鮮なものを買える。なので、町内産のオレンジクインを選んで買うことも多くなった。ポリフェノールなど、普通の白菜より多く含まれているそうだ。
オレンジ色の王女様は、まな板の上で、すまして言っているのかな。
「わたしを、白菜と呼ばないで」
いや、甲州弁で「白菜て何のこん言ってるでぇ、オレンジクインずら」かも。
『お日さま色のおかみさん』と呼ぶ方が、明野のオレンジクインには、似合いそうだ。暖かなお日さま色を、まずは目で楽しんで、それから美味しくいただこう。二度温まること請け合いだ。
こうして見ても、黄色っぽいけれど、スーパーなどで、
普通の白菜と並んでいると、ほんとオレンジなのがよく判ります。
酒粕を溶かすのには、チビ泡だて器たまたろうが、大活躍。
柚子のように黄色く見えるのが、白菜です。椎茸も町内産。
明野町も含め、北杜市は椎茸栽培農家さんがたくさんいます。
リメイクバージョンです。粕汁2杯食べて運転して、酒気帯びで、
実際に捕まった人がいるらしいので、運転するときにはおかわりなしで。
3杯食べても、酔っぱらわないけどなぁ。
昨日は、薪ストーブに火も入れているのに、炬燵で粕汁を食べた。酒粕のアルコールがふんわり効いて、更に温まる。冬の料理だ。
粕汁には、塩鮭を入れることが多いが、豚肉派も多いらしい。具が少なくなったあと、リメイクし、豚、大根、葱、シメジなどを入れ、2度楽しんだ。
ところで、昨年辺りから、オレンジ色の白菜を見かけるようになった。名を『オレンジクイン』という。白い菜っ葉とかいてオレンジクインと読む、これ如何に。と思わないでもないが、明野町内でも作っているので、新鮮なものを買える。なので、町内産のオレンジクインを選んで買うことも多くなった。ポリフェノールなど、普通の白菜より多く含まれているそうだ。
オレンジ色の王女様は、まな板の上で、すまして言っているのかな。
「わたしを、白菜と呼ばないで」
いや、甲州弁で「白菜て何のこん言ってるでぇ、オレンジクインずら」かも。
『お日さま色のおかみさん』と呼ぶ方が、明野のオレンジクインには、似合いそうだ。暖かなお日さま色を、まずは目で楽しんで、それから美味しくいただこう。二度温まること請け合いだ。
こうして見ても、黄色っぽいけれど、スーパーなどで、
普通の白菜と並んでいると、ほんとオレンジなのがよく判ります。
酒粕を溶かすのには、チビ泡だて器たまたろうが、大活躍。
柚子のように黄色く見えるのが、白菜です。椎茸も町内産。
明野町も含め、北杜市は椎茸栽培農家さんがたくさんいます。
リメイクバージョンです。粕汁2杯食べて運転して、酒気帯びで、
実際に捕まった人がいるらしいので、運転するときにはおかわりなしで。
3杯食べても、酔っぱらわないけどなぁ。
旅人を待つミネストローネ
ミネストローネを、たっぶりと煮た。
家族が少なくなっても、スープを煮る量は変わらない。鍋いっぱいに、セロリの茎やら、人参、玉葱、じゃが芋、キャベツなどの野菜をたっぷりと入れ、ベーコンを加えて煮る。季節は冬へと突入し、料理が傷みにくくなったこともあるが、トマト風味のミネストローネは、毎日食べても飽きないくらい好きなスープだ。我が家では、ニンニクを入れないので、朝食にも向いている。冷たい朝に温まるには、最適の献立。この冬も、何度となく食卓に登場しそうだ。
わたしのなかでのスープのイメージは、というと。
木枯らし吹く冬の夜、道に迷った旅人が、空腹で森をさまよい、たどり着いた小さな家の灯りに安堵し、ドアを叩くと、暖炉には火が温かく燃えていて、その上で大きな鍋が、ことことと音を立てている。無口な家主は、旅人に野菜くずを煮た熱々のスープをよそい、まずは温まるようにと差し出す。
つまりは、ホッとする料理、ということになるだろう。
帰る人を想い、スープを煮る。
その瞬間、誰もが、旅人を待ち森の家に住む、無口な家主になるのだ。
(迷子になった方は、いつでもどうぞ。方向音痴倶楽部副会長より)
ミネストローネには、赤いスープカップが、よく似合います。
朝ご飯にも、たっぷりいただきました。野菜って、温まるなぁ。
ランチには、パスタと一緒に。野菜の歯応えが残るくらいが好きです。
家族が少なくなっても、スープを煮る量は変わらない。鍋いっぱいに、セロリの茎やら、人参、玉葱、じゃが芋、キャベツなどの野菜をたっぷりと入れ、ベーコンを加えて煮る。季節は冬へと突入し、料理が傷みにくくなったこともあるが、トマト風味のミネストローネは、毎日食べても飽きないくらい好きなスープだ。我が家では、ニンニクを入れないので、朝食にも向いている。冷たい朝に温まるには、最適の献立。この冬も、何度となく食卓に登場しそうだ。
わたしのなかでのスープのイメージは、というと。
木枯らし吹く冬の夜、道に迷った旅人が、空腹で森をさまよい、たどり着いた小さな家の灯りに安堵し、ドアを叩くと、暖炉には火が温かく燃えていて、その上で大きな鍋が、ことことと音を立てている。無口な家主は、旅人に野菜くずを煮た熱々のスープをよそい、まずは温まるようにと差し出す。
つまりは、ホッとする料理、ということになるだろう。
帰る人を想い、スープを煮る。
その瞬間、誰もが、旅人を待ち森の家に住む、無口な家主になるのだ。
(迷子になった方は、いつでもどうぞ。方向音痴倶楽部副会長より)
ミネストローネには、赤いスープカップが、よく似合います。
朝ご飯にも、たっぷりいただきました。野菜って、温まるなぁ。
ランチには、パスタと一緒に。野菜の歯応えが残るくらいが好きです。
『密室の鍵貸します』
東川篤哉『密室の鍵貸します』(光文社文庫)を、読んだ。
『謎解きはディナーのあとで』(小学館)が、大ヒットした作家のデビュー作だ。『ディナー』の方は、というと、まだ読んでいない。普通なら、平積みされたヒット作から読むのだが、ヒットした本にまとわりつく評価に惑わされたのだ。売れた本は、たくさんの人が読み、言いたいことを言う。
「言うほど、おもしろくないじゃん」「読んで、損した」
「ドラマのキャスト見た? 桜井翔なんだよね、キライー」
などなど、言いたい放題であるが、ヒット作の宿命とも言えよう。だが、楽しんで読む人が多いなか『ディナー』について言えば、そんな声が友人知人から聞こえてきてクローズアップされ、わたしの耳に大きく響いた。なので、これまで何度となく目の前を通過しつつも、避けて通ってきた訳だ。
我が道を行こうと心に決めながら、周囲に惑わされつつ生きている優柔不断さに呆れつつも、そんな自分を情けなくも再確認する。
それを払拭したのは、本屋で見かけた『密室の鍵貸します』のタイトルと、帯の文句だった。「烏賊川市(いかがわし)は私の本籍地である(著者)」
遊んでいる。舞台の名からして、意味なく「いかがわし」い。タイトルも名作映画『アパートの鍵貸します』からとったことは、明白。同シリーズの第2弾のタイトルは『密室に向かって撃て!』もちろん『明日に向かって撃て!』からつけられたものだ。真剣勝負で、遊んでいる。そこに、感動すら覚えた。
上質のユーモアとは言えずとも、上質のギャグ炸裂の予感。文庫本を手に、そのままレジに向かった。そして無論、予感は的中し、ベッドのなかで夜中まで、くすくす笑いながら読んだのだった。
主人公は、映画学科に通う大学生、流平。彼を振った恋人が殺された同夜、部屋を訪ね一緒に飲んでいた先輩が、気づかぬうちに浴室で刺され、死んでいた。気づいた時にはドアにはチェーンがかかっていて、部屋は完全密室状態。なかには先輩の死体と流平だけ、というマズイ状況に陥り、当然の如く、恋人殺しの疑いもかけられるわで、もう逃げるしかなくなって・・・。
「ああ、ユーモア(上質のギャグ)ミステリーって、いいわぁ」
連打されるくだらないユーモア(上質のギャグ)に、心くすぐられ、急ぎ『謎解きはディナーのあとで』を買いに走ったことは言うまでもない。
『ここに死体を捨てないでください!』は、烏賊川市シリーズ第5弾。
文庫の表紙も、漫画っぽいのとミステリーっぽいのと、2種類ありました。
『謎解きはディナーのあとで』(小学館)が、大ヒットした作家のデビュー作だ。『ディナー』の方は、というと、まだ読んでいない。普通なら、平積みされたヒット作から読むのだが、ヒットした本にまとわりつく評価に惑わされたのだ。売れた本は、たくさんの人が読み、言いたいことを言う。
「言うほど、おもしろくないじゃん」「読んで、損した」
「ドラマのキャスト見た? 桜井翔なんだよね、キライー」
などなど、言いたい放題であるが、ヒット作の宿命とも言えよう。だが、楽しんで読む人が多いなか『ディナー』について言えば、そんな声が友人知人から聞こえてきてクローズアップされ、わたしの耳に大きく響いた。なので、これまで何度となく目の前を通過しつつも、避けて通ってきた訳だ。
我が道を行こうと心に決めながら、周囲に惑わされつつ生きている優柔不断さに呆れつつも、そんな自分を情けなくも再確認する。
それを払拭したのは、本屋で見かけた『密室の鍵貸します』のタイトルと、帯の文句だった。「烏賊川市(いかがわし)は私の本籍地である(著者)」
遊んでいる。舞台の名からして、意味なく「いかがわし」い。タイトルも名作映画『アパートの鍵貸します』からとったことは、明白。同シリーズの第2弾のタイトルは『密室に向かって撃て!』もちろん『明日に向かって撃て!』からつけられたものだ。真剣勝負で、遊んでいる。そこに、感動すら覚えた。
上質のユーモアとは言えずとも、上質のギャグ炸裂の予感。文庫本を手に、そのままレジに向かった。そして無論、予感は的中し、ベッドのなかで夜中まで、くすくす笑いながら読んだのだった。
主人公は、映画学科に通う大学生、流平。彼を振った恋人が殺された同夜、部屋を訪ね一緒に飲んでいた先輩が、気づかぬうちに浴室で刺され、死んでいた。気づいた時にはドアにはチェーンがかかっていて、部屋は完全密室状態。なかには先輩の死体と流平だけ、というマズイ状況に陥り、当然の如く、恋人殺しの疑いもかけられるわで、もう逃げるしかなくなって・・・。
「ああ、ユーモア(上質のギャグ)ミステリーって、いいわぁ」
連打されるくだらないユーモア(上質のギャグ)に、心くすぐられ、急ぎ『謎解きはディナーのあとで』を買いに走ったことは言うまでもない。
『ここに死体を捨てないでください!』は、烏賊川市シリーズ第5弾。
文庫の表紙も、漫画っぽいのとミステリーっぽいのと、2種類ありました。
カーディガンの夢
夢を見た。友人が、カーディガンを編んでくれた夢だ。
実在する彼女が、編み物をするかどうかは知らないが、いつも集まる女子会のメンバー全員に同じカーディガンを、編んでくれたのだ。
太い毛糸をかぎ針でざっくりと編んだ、黒いカーディガンで、金の糸で全体に飾りがついていて、とてもお洒落なものだった。
「ありがとう。忙しいのに、編むのたいへんだったでしょう」
「金の糸が、綺麗だね」「あったかい!」「うれしいなぁ」
みんなでカーディガンを褒めると、彼女はただ、にっこり笑うのだった。
さて。目が覚めて、ふと思ったのは、夢のシーンが何処かで見たことのあるようだということだった。
「ああ! アンデルセンの『野の白鳥』だ」
魔女に白鳥にされてしまった王子である11人の兄達を救うため、イラクサでセーターを編む妹王女エリサ。出来上がるまでは決して口をきいてはならないとの言いつけを守り、その奇行故に魔女と呼ばれ、処刑される寸前までセーターを編み続けた。そして、編み上がったセーターを白鳥達に投げる。そのシーンが印象的な童話だ。
もちろん王子達は、元の姿に戻り、エリサの勇気と愛に感謝し、みな幸せに暮らした。悪い魔女以外は、という物語である。
『白鳥の王子』というタイトルの方が、スタンダードかも知れない。
「元の姿かぁ。夢のなかで彼女は、わたしに、本当の自分に戻るようにと、カーディガンを編んでくれたのかなぁ」
本当の自分って、いったい何だろう。そんなことを考えつつ、何年か前に気に入って買った、黒いカーディガンを出し、着てみた。
「な、なんか、二の腕がきつい」
びっきーとの散歩をしなくなってから、2キロ太ったわたし。元の姿に戻るためには、まずダイエットが必要なようである。とりあえず、サボっていた体操を2日分、まとめてやった。
いや、体操をサボるわたしこそ、本当の自分のような気もするのだが。
袖口の毛玉が、だいぶ目立つようになっちゃったなぁ。
カラフルだけど、落ち着いた雰囲気の刺繍にに魅かれました。
実在する彼女が、編み物をするかどうかは知らないが、いつも集まる女子会のメンバー全員に同じカーディガンを、編んでくれたのだ。
太い毛糸をかぎ針でざっくりと編んだ、黒いカーディガンで、金の糸で全体に飾りがついていて、とてもお洒落なものだった。
「ありがとう。忙しいのに、編むのたいへんだったでしょう」
「金の糸が、綺麗だね」「あったかい!」「うれしいなぁ」
みんなでカーディガンを褒めると、彼女はただ、にっこり笑うのだった。
さて。目が覚めて、ふと思ったのは、夢のシーンが何処かで見たことのあるようだということだった。
「ああ! アンデルセンの『野の白鳥』だ」
魔女に白鳥にされてしまった王子である11人の兄達を救うため、イラクサでセーターを編む妹王女エリサ。出来上がるまでは決して口をきいてはならないとの言いつけを守り、その奇行故に魔女と呼ばれ、処刑される寸前までセーターを編み続けた。そして、編み上がったセーターを白鳥達に投げる。そのシーンが印象的な童話だ。
もちろん王子達は、元の姿に戻り、エリサの勇気と愛に感謝し、みな幸せに暮らした。悪い魔女以外は、という物語である。
『白鳥の王子』というタイトルの方が、スタンダードかも知れない。
「元の姿かぁ。夢のなかで彼女は、わたしに、本当の自分に戻るようにと、カーディガンを編んでくれたのかなぁ」
本当の自分って、いったい何だろう。そんなことを考えつつ、何年か前に気に入って買った、黒いカーディガンを出し、着てみた。
「な、なんか、二の腕がきつい」
びっきーとの散歩をしなくなってから、2キロ太ったわたし。元の姿に戻るためには、まずダイエットが必要なようである。とりあえず、サボっていた体操を2日分、まとめてやった。
いや、体操をサボるわたしこそ、本当の自分のような気もするのだが。
袖口の毛玉が、だいぶ目立つようになっちゃったなぁ。
カラフルだけど、落ち着いた雰囲気の刺繍にに魅かれました。
お湯呑からサプライズのプレゼント
気に入って買ったのは、いつのことだったか。
夫婦(めおと)の湯呑み茶わんである。茶渋もそのままに使い馴染み、たくさんあるお湯呑みのなかから、たまに取り出しては、朝のお茶を楽しんでいた。
何度も目にしているモノは、往々にして、きちんと見る機会を逸するものである。その茶碗の模様が、何であるのかなど、これまで考えたこともなかった。幾何学模様のようにさえ、捉えていたようにも思う。
「あ、これ!」気づいた瞬間の驚きは大きく、声を上げて、夫に見せた。
「ほらほら、あれ!」動揺する意味などないのだが、名前が出てこない。
「ほら、庭にある、天麩羅にするやつ」
「なに?」夫はきょとんとするのみだ。
「タラの芽の実だよ、この模様!」
やっと言葉にすると、夫から校正が入った。
「タラの芽の実、じゃなくて、タラの実だろ」
何故、気に入ったのか、今はもう思い出せないお湯呑み。だが、庭に生る木の実を描いたものだと判り、更に愛おしくなった。
大きくなった庭のタラの木のように、時間をかけて、わたし達に馴染んできたお湯呑みからの、小さなサプライズのプレゼント。
胸の奥にそっとしまうと、そこだけ、ほっこりと温かくなった。
夫婦でそろえることが少ないなかの、一組です。大きさは、おんなじ。
こんなにそっくりなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今年は、いっぱい実をつけました。春が楽しみです。
夫婦(めおと)の湯呑み茶わんである。茶渋もそのままに使い馴染み、たくさんあるお湯呑みのなかから、たまに取り出しては、朝のお茶を楽しんでいた。
何度も目にしているモノは、往々にして、きちんと見る機会を逸するものである。その茶碗の模様が、何であるのかなど、これまで考えたこともなかった。幾何学模様のようにさえ、捉えていたようにも思う。
「あ、これ!」気づいた瞬間の驚きは大きく、声を上げて、夫に見せた。
「ほらほら、あれ!」動揺する意味などないのだが、名前が出てこない。
「ほら、庭にある、天麩羅にするやつ」
「なに?」夫はきょとんとするのみだ。
「タラの芽の実だよ、この模様!」
やっと言葉にすると、夫から校正が入った。
「タラの芽の実、じゃなくて、タラの実だろ」
何故、気に入ったのか、今はもう思い出せないお湯呑み。だが、庭に生る木の実を描いたものだと判り、更に愛おしくなった。
大きくなった庭のタラの木のように、時間をかけて、わたし達に馴染んできたお湯呑みからの、小さなサプライズのプレゼント。
胸の奥にそっとしまうと、そこだけ、ほっこりと温かくなった。
夫婦でそろえることが少ないなかの、一組です。大きさは、おんなじ。
こんなにそっくりなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今年は、いっぱい実をつけました。春が楽しみです。
一足遅れの紅葉狩り
「ちょっと、遅いかもね」「まあ、いいか。蕎麦、食べてくるだけでも」
週末、予定していた訳でもなく、夫とふたり、なんとなく紅葉を見に出かけようということになった。
「どっちに、行く?」「大泉方面は、さすがにもう、紅葉終わってるよね」
車に乗り込んでから、相談し、久しぶりに昇仙峡へ行ってみようということになる。我が家からだと南側になるので、北から紅葉が降りて来るのなら、との判断だ。30分も走れば、昇仙峡に着くのだが、夫は石仏の写真を撮るのが趣味で、やはり石仏を見つけた。撮影する彼を待ち、わたしはぶらぶらと歩く。
やがてまた、車を走らせ、昇仙峡近くの金櫻神社に着いた。せっかくだからと、お参りをした。
「七五三かぁ」「ちょうど15日だね」小さな着物姿を微笑ましく眺める。
もみじの赤は美しく、秋の空は高く青い。
昇仙峡に着くと「まずは、蕎麦だな」と、夫。「いいね」と、わたし。
「蕎麦通の店、車で5分」の看板につられ、そこまで行ってみることにした。
古民家の味わいのある蕎麦屋。ざる蕎麦と天麩羅をオーダーすると、蕎麦粥と漬物も出してくれた。二人分の蕎麦は木の箱に盛ってあり、どう見ても3人前はある。コシがあり美味かったのでふたりたいらげたが、満腹になり過ぎた。
「食べ過ぎて、眠くなっちゃった」と、わたし。「帰ろうか」と、夫。
見渡した森の木々は、すでに紅葉の時期は過ぎたことを伝えていた。
だが帰り、ふたたび石仏を見つけ、しばし夢中になる夫。
「これはもう、紅葉狩りと言うより、石仏狩りだな」
わたしは、こっそりと、ひとりごちる。
まあ、初志貫徹とはいかずとも、いや、初志があったかどうかもあいまいである訳だが、初冬のいい休日だったことに変わりはない。
金櫻神社の紅葉は、青い空と相まって、美しい赤を輝かせていました。
足元にも、まだ真っ赤な紅葉の葉。風もなく、穏やかな日でした。
ちょうど七五三当日。可愛らしい着物姿と、いくつか出会いました。
花より団子。荒川ダム付近の蕎麦『轟家』へ。まず蕎麦粥が出てきて、
これがまた、二人分なんですが、食べきれない量。夫ががんばりました。
蕎麦ちょこと比べて見ていただくと、蕎麦の多さが判ると思います。
紅葉狩りには、やっぱりちょっと遅かったかも知れません。
夫が撮った、陽だまりのなかの石仏さんです。
週末、予定していた訳でもなく、夫とふたり、なんとなく紅葉を見に出かけようということになった。
「どっちに、行く?」「大泉方面は、さすがにもう、紅葉終わってるよね」
車に乗り込んでから、相談し、久しぶりに昇仙峡へ行ってみようということになる。我が家からだと南側になるので、北から紅葉が降りて来るのなら、との判断だ。30分も走れば、昇仙峡に着くのだが、夫は石仏の写真を撮るのが趣味で、やはり石仏を見つけた。撮影する彼を待ち、わたしはぶらぶらと歩く。
やがてまた、車を走らせ、昇仙峡近くの金櫻神社に着いた。せっかくだからと、お参りをした。
「七五三かぁ」「ちょうど15日だね」小さな着物姿を微笑ましく眺める。
もみじの赤は美しく、秋の空は高く青い。
昇仙峡に着くと「まずは、蕎麦だな」と、夫。「いいね」と、わたし。
「蕎麦通の店、車で5分」の看板につられ、そこまで行ってみることにした。
古民家の味わいのある蕎麦屋。ざる蕎麦と天麩羅をオーダーすると、蕎麦粥と漬物も出してくれた。二人分の蕎麦は木の箱に盛ってあり、どう見ても3人前はある。コシがあり美味かったのでふたりたいらげたが、満腹になり過ぎた。
「食べ過ぎて、眠くなっちゃった」と、わたし。「帰ろうか」と、夫。
見渡した森の木々は、すでに紅葉の時期は過ぎたことを伝えていた。
だが帰り、ふたたび石仏を見つけ、しばし夢中になる夫。
「これはもう、紅葉狩りと言うより、石仏狩りだな」
わたしは、こっそりと、ひとりごちる。
まあ、初志貫徹とはいかずとも、いや、初志があったかどうかもあいまいである訳だが、初冬のいい休日だったことに変わりはない。
金櫻神社の紅葉は、青い空と相まって、美しい赤を輝かせていました。
足元にも、まだ真っ赤な紅葉の葉。風もなく、穏やかな日でした。
ちょうど七五三当日。可愛らしい着物姿と、いくつか出会いました。
花より団子。荒川ダム付近の蕎麦『轟家』へ。まず蕎麦粥が出てきて、
これがまた、二人分なんですが、食べきれない量。夫ががんばりました。
蕎麦ちょこと比べて見ていただくと、蕎麦の多さが判ると思います。
紅葉狩りには、やっぱりちょっと遅かったかも知れません。
夫が撮った、陽だまりのなかの石仏さんです。
流れゆく雲を見て
二階のベランダから、煙突を見上げていたら、自分の身体がぐらりと傾いだような気がして、軽いパニック状態に陥った。
何のことはない。煙突の向こうに見える雲が、速度を増して流れていっただけのことである。煙突に視点を置いていたため、自分の方が動いているような錯覚を起こしたのだ。
八ヶ岳から吹き下ろしてくる風も弱まり、気温が上がった週末。だが、空の高いところを流れる雲達は、強い風で押し流されているのだろう。見る間に形を変え、スピードを上げて流れていく。
こんな風に一瞬でも何もかもが判らなくなったりすると、不意に不安になり、いつも同じものを同じように見てしまいがちな自分が、ふっと見える。視点を変えることは、時にとても大切で、視点を留めてばかりいることは、自分の立っている場所さえもが判らなくなってしまうほど、危ういことなのだ、と。
「雲は、東へと流れていく。わたしは、ここにいる」
流れゆく雲と自分に向かい、言葉にすることで、しっかりと確認した。
高いところで上を見上げたので、クラッときたのかも知れません。
白い雲。気持ちよさそうに、流れていくなぁ。
向こうに見えるは、金が岳(かながたけ)茅が岳(かやがたけ)と
並んでいる近隣の低山です。山も、雲を眺めているようでした。
何のことはない。煙突の向こうに見える雲が、速度を増して流れていっただけのことである。煙突に視点を置いていたため、自分の方が動いているような錯覚を起こしたのだ。
八ヶ岳から吹き下ろしてくる風も弱まり、気温が上がった週末。だが、空の高いところを流れる雲達は、強い風で押し流されているのだろう。見る間に形を変え、スピードを上げて流れていく。
こんな風に一瞬でも何もかもが判らなくなったりすると、不意に不安になり、いつも同じものを同じように見てしまいがちな自分が、ふっと見える。視点を変えることは、時にとても大切で、視点を留めてばかりいることは、自分の立っている場所さえもが判らなくなってしまうほど、危ういことなのだ、と。
「雲は、東へと流れていく。わたしは、ここにいる」
流れゆく雲と自分に向かい、言葉にすることで、しっかりと確認した。
高いところで上を見上げたので、クラッときたのかも知れません。
白い雲。気持ちよさそうに、流れていくなぁ。
向こうに見えるは、金が岳(かながたけ)茅が岳(かやがたけ)と
並んでいる近隣の低山です。山も、雲を眺めているようでした。
八ヶ岳おろしに混じる雪
八ヶ岳から吹き下ろしてくる強い北風を、八ヶ岳おろしと呼ぶ。
八ヶ岳おろしが、林の木々をキィーキィーと鳴らし、広葉樹のしがみついていた葉を吹き飛ばし、家じゅうを揺らした翌朝、八ヶ岳で一番高い赤岳には、雪が積もっていた。
「おー、雪だ」夫のその言葉は、テレビに映った札幌に降った雪のことを指していたのだが、わたしはつい、窓の外を見てしまった。
晴れた朝、雪が降ると思っていた訳ではない。八ヶ岳おろしに、雪が混じり舞ってきたのかと思ったのだ。
「冬が、来たね」と、わたし。「嫌だね」と、笑いながら夫。
「嫌だねぇ。でも今年は、びっきーがいないから、寒いなか外を歩く機会は、ずいぶんと減るね」と、わたし。
びっきーが死んでから、もうすぐ1年になる。
びっきーと一緒に、八ヶ岳おろしに混じる雪を頬に受けながら歩いた日々。
今は、心にともった灯りのように、温かい気持ちで思い出せる。
雪の上をサクサクと、音を立てて歩くのが大好きだったびっきー。もしかすると今頃、冬を先取りして、雪の赤岳を散歩しているかも知れない。
そう思った瞬間、北風にびっきーの匂いを感じた。
一昨日の八ヶ岳です。木枯らしを吹かせる雲がかかっていました。
そして、昨日の朝。最高峰赤岳は、すっかり雪化粧しています。
夕方には、権現岳も、顔を出しました。
一方、南アルプス連峰は、雲一つなく、のんびりと八ヶ岳の雪を、
眺めているかのようです。すがすがしい表情をしていました。
山里では、そろそろ柿もおしまい。重そうに枝をたれていました。
八ヶ岳おろしが、林の木々をキィーキィーと鳴らし、広葉樹のしがみついていた葉を吹き飛ばし、家じゅうを揺らした翌朝、八ヶ岳で一番高い赤岳には、雪が積もっていた。
「おー、雪だ」夫のその言葉は、テレビに映った札幌に降った雪のことを指していたのだが、わたしはつい、窓の外を見てしまった。
晴れた朝、雪が降ると思っていた訳ではない。八ヶ岳おろしに、雪が混じり舞ってきたのかと思ったのだ。
「冬が、来たね」と、わたし。「嫌だね」と、笑いながら夫。
「嫌だねぇ。でも今年は、びっきーがいないから、寒いなか外を歩く機会は、ずいぶんと減るね」と、わたし。
びっきーが死んでから、もうすぐ1年になる。
びっきーと一緒に、八ヶ岳おろしに混じる雪を頬に受けながら歩いた日々。
今は、心にともった灯りのように、温かい気持ちで思い出せる。
雪の上をサクサクと、音を立てて歩くのが大好きだったびっきー。もしかすると今頃、冬を先取りして、雪の赤岳を散歩しているかも知れない。
そう思った瞬間、北風にびっきーの匂いを感じた。
一昨日の八ヶ岳です。木枯らしを吹かせる雲がかかっていました。
そして、昨日の朝。最高峰赤岳は、すっかり雪化粧しています。
夕方には、権現岳も、顔を出しました。
一方、南アルプス連峰は、雲一つなく、のんびりと八ヶ岳の雪を、
眺めているかのようです。すがすがしい表情をしていました。
山里では、そろそろ柿もおしまい。重そうに枝をたれていました。
『すべて真夜中の恋人たち』
何度も、息を飲んだ。こんなに美しい文章は、読んだことがなかった。
川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』(講談社文庫)
時に、描写の美しさに圧倒され、読み進めなくなり、中断を余儀なくされた。以下本文から。
人からみればなんでもない夕方と夜のさかいめを、けれどもふたりでゆっくりときりひらいていくように思えてしまう青い薄暮は、つかのま、三束さんとわたしをおなじ色にした。三束さんはいつもおなじように手をふって、いつもおなじように階段への角をまがって消えていった。わたしは何か言いたいのだけれど、もっと何かを伝えたいのだけれど、それが言葉になるまえに、それが音になって空気をふるわせるまえに、三束さんはいつだって角をまがって消えていくのだった。
ただ喫茶店で珈琲を飲み、話をするだけの冬子と三束(みつつか)さん。恋人同士ではないが、冬子は想いを募らせていく。またすぐに会えると知りつつも、別れの瞬間が淋しくてたまらない。そんな本当になんでもないシーンにさえ、ハッとさせられた。
読んでいて、胸が、ざわざわした。
自分が言葉にできない、できなかった感情や時やモノや、様々な事柄が、ああ、そうだよなぁと思えるような文章で表現されていく心地よさが、すっと胸に入ってくる瞬間、痛みを感じるのだ。それは、冬子の痛みでもあり、自分がこれまで経験してきた何かが持つ痛みでもあった。
人を好きになるって、そうだよ、こんなに苦しいものだったんだよ。うん、そうだ。と、久しぶりに思い出した。
先日訪ねた、二十歳になったばかりの末娘の部屋で見つけた文庫本です。
「川上未映子、読むんだ―?」と、わたし。
「けっこう読むよ。これなんか、読みやすいよ」と、娘。
娘よ、ありがとう。教えてくれて。本とのご縁も、また不思議。
川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』(講談社文庫)
時に、描写の美しさに圧倒され、読み進めなくなり、中断を余儀なくされた。以下本文から。
人からみればなんでもない夕方と夜のさかいめを、けれどもふたりでゆっくりときりひらいていくように思えてしまう青い薄暮は、つかのま、三束さんとわたしをおなじ色にした。三束さんはいつもおなじように手をふって、いつもおなじように階段への角をまがって消えていった。わたしは何か言いたいのだけれど、もっと何かを伝えたいのだけれど、それが言葉になるまえに、それが音になって空気をふるわせるまえに、三束さんはいつだって角をまがって消えていくのだった。
ただ喫茶店で珈琲を飲み、話をするだけの冬子と三束(みつつか)さん。恋人同士ではないが、冬子は想いを募らせていく。またすぐに会えると知りつつも、別れの瞬間が淋しくてたまらない。そんな本当になんでもないシーンにさえ、ハッとさせられた。
読んでいて、胸が、ざわざわした。
自分が言葉にできない、できなかった感情や時やモノや、様々な事柄が、ああ、そうだよなぁと思えるような文章で表現されていく心地よさが、すっと胸に入ってくる瞬間、痛みを感じるのだ。それは、冬子の痛みでもあり、自分がこれまで経験してきた何かが持つ痛みでもあった。
人を好きになるって、そうだよ、こんなに苦しいものだったんだよ。うん、そうだ。と、久しぶりに思い出した。
先日訪ねた、二十歳になったばかりの末娘の部屋で見つけた文庫本です。
「川上未映子、読むんだ―?」と、わたし。
「けっこう読むよ。これなんか、読みやすいよ」と、娘。
娘よ、ありがとう。教えてくれて。本とのご縁も、また不思議。
ウィスキーの樽でできたテープカッター
昨日、ようやくセロテープを買って来た。
テープカッターを購入してから、なんとひと月が経過している。
その間、木製のテープカッターは、リビングの仮住まいにすっかり馴染み、隣りの小物入れなど達と、和気あいあい打ち解けるまでに至った。
夫はずっと、会社で使う、デザイン的にも心魅かれるようなテープカッターを探していた。広告を仕事にしているので、身の回りに置くものも、何かインスピレーションが湧くような、ちょっと変わったモノを置きたいのだと思う。それを知っていたので、同じ北杜市は高根町の手作り家具工房『我楽舎(がらくしゃ)』に立ち寄った際、ウィスキーの樽をリサイクルして作ったテープカッターに目を留めた。仕事部屋にも置こうと、二つ欲しいと申し出ると、一つしかないとのこと。同じものを、もう一つ作るのと言うので、出来上がりを待つことにした。そして半月後、ぶじ購入。会社にはすぐに送り、テープカッターは、すぐさま働き始めた。
「デザイン重視で、使いにくいものもあるけど、これはいいね」
夫も気に入ったようだ。
ところが、我が家に置かれた方のテープカッターには、なかなかテープが取り付けられなかった。
「半透明のテープの方が、劣化しにくい」との夫の意見で、いつものスーパーにはないものを探していたのだ。
そしてそのまま、忘れてしまった。切羽詰っていないことは、何でも先送りにする悪い癖が、出たのである。
しかし、心の何処かで、気にはなっていたのだ。「このままでは、いけない」と思い立ち、昨日、ホームセンターで探そうと、セロテープだけのために車を停めた。やはり半透明のモノは、なかった。テープカッターが何とも不憫になり、ごく普通の透明なセロテープを買い、ようやく取り付けたという訳だ。
「今まで、ごめんね。これから、よろしく」
テープカッターを仕事部屋に置き、声をかけた。半透明のセロテープは、先送りにはせず、セロテープを使い切るまでには(笑)ぜひ探そうと思う。
リビングの小物と化していた頃の、テープカッター。
始動して、生き生きと仕事を始めたテープカッター。
我が家には、樽リサイクルの椅子とペン立て、キーフックがあります。
その様子をかいたブログは、こちら『常識に囚われず、推理すること』
森のなかの家具工房『我楽舎』の外観。裏が作業場になっているそうです。
テープカッターを購入してから、なんとひと月が経過している。
その間、木製のテープカッターは、リビングの仮住まいにすっかり馴染み、隣りの小物入れなど達と、和気あいあい打ち解けるまでに至った。
夫はずっと、会社で使う、デザイン的にも心魅かれるようなテープカッターを探していた。広告を仕事にしているので、身の回りに置くものも、何かインスピレーションが湧くような、ちょっと変わったモノを置きたいのだと思う。それを知っていたので、同じ北杜市は高根町の手作り家具工房『我楽舎(がらくしゃ)』に立ち寄った際、ウィスキーの樽をリサイクルして作ったテープカッターに目を留めた。仕事部屋にも置こうと、二つ欲しいと申し出ると、一つしかないとのこと。同じものを、もう一つ作るのと言うので、出来上がりを待つことにした。そして半月後、ぶじ購入。会社にはすぐに送り、テープカッターは、すぐさま働き始めた。
「デザイン重視で、使いにくいものもあるけど、これはいいね」
夫も気に入ったようだ。
ところが、我が家に置かれた方のテープカッターには、なかなかテープが取り付けられなかった。
「半透明のテープの方が、劣化しにくい」との夫の意見で、いつものスーパーにはないものを探していたのだ。
そしてそのまま、忘れてしまった。切羽詰っていないことは、何でも先送りにする悪い癖が、出たのである。
しかし、心の何処かで、気にはなっていたのだ。「このままでは、いけない」と思い立ち、昨日、ホームセンターで探そうと、セロテープだけのために車を停めた。やはり半透明のモノは、なかった。テープカッターが何とも不憫になり、ごく普通の透明なセロテープを買い、ようやく取り付けたという訳だ。
「今まで、ごめんね。これから、よろしく」
テープカッターを仕事部屋に置き、声をかけた。半透明のセロテープは、先送りにはせず、セロテープを使い切るまでには(笑)ぜひ探そうと思う。
リビングの小物と化していた頃の、テープカッター。
始動して、生き生きと仕事を始めたテープカッター。
我が家には、樽リサイクルの椅子とペン立て、キーフックがあります。
その様子をかいたブログは、こちら『常識に囚われず、推理すること』
森のなかの家具工房『我楽舎』の外観。裏が作業場になっているそうです。
お麩とのご縁
このところ、お麩づいているなぁと、思っていた。
すき焼きに入れた餅麩が、コシが強くて美味しいねと、夫と話したり、お隣のお宅から、京都土産の生麩をいただきバター焼きにしたり、先日、女子会をした山形料理の店では、山形の麩の唐揚げを食した。
すると、所用で走っていた甲府昭和の道で「ふ」と藍の暖簾に大きくかかれた店を見つけた。
「これは、ご縁以外には、あるまい」
お店は『麩の岡田屋』キオスク程の大きさの小さな店だが、奥は厨房になっていて、そこで麩のメープルシロップ風味クッキーやケーキなども作っている。
にこにこという描写がぴったりの笑顔いっぱいの若い店主が出てきて、
「お麩しかありませんが、ゆっくり見ていってください」と言う。
「山梨では、お麩を食べる文化が、まだまだ浸透していなくて、珍しがられるんですよ」と言うので、
「すき焼きに入れるのって、スタンダードなんじゃないんですか?」
すき焼き麩を、見て聞いた。
「山梨じゃ、やらないみたいなんです。失礼ですが、お国は?」
「ああ、夫が神戸なんで。そう言えば東京の実家では、入れなかったなぁ」
京都の生麩や、山形の麩の唐揚げなどの話をし、しばし盛り上がり、餅麩で唐揚げに挑戦しようかと、粟入りの生麩と、松茸の香りがするというまつたけ麩と共に購入した。
油で揚げた仙台麩も、仙台名物にある。沖縄では、チャンプルーにも入れるらしい。地方によって、食べる頻度が全く違うのだと、あらためて認識した。我が家もあまり食卓に登場しない方に入るだろう。
縁のある人とは、道端で何度もばったり会ったりするものだ。食材との出会いも、またご縁。そして、縁があるのだなぁと思っていたら、じつは自分にとって大切なことだったのだと後から納得することも多い。ヘルシーで意外と栄養価の高いお麩との出会い、大事にしてみようと、レシピを検索した。
藍の暖簾に「ふ」うーん。素敵な店構えですねぇ。
細工が可愛い花麩の他にも、茄子麩なんていうのもありました。
車麩も、大小ありました。カレー屋さんとコラボのお知らせも。
「ふァウンドケーキ」と「ふ」がひらがなで描いてあるところが、お洒落。
さっそく、生麩でイタリアンに挑戦。オリーブオイルとニンニクで、トマトと一緒に焼きました。もっちり生麩とカリカリニンニク、トマトの酸味が絶妙!
すき焼きに入れた餅麩が、コシが強くて美味しいねと、夫と話したり、お隣のお宅から、京都土産の生麩をいただきバター焼きにしたり、先日、女子会をした山形料理の店では、山形の麩の唐揚げを食した。
すると、所用で走っていた甲府昭和の道で「ふ」と藍の暖簾に大きくかかれた店を見つけた。
「これは、ご縁以外には、あるまい」
お店は『麩の岡田屋』キオスク程の大きさの小さな店だが、奥は厨房になっていて、そこで麩のメープルシロップ風味クッキーやケーキなども作っている。
にこにこという描写がぴったりの笑顔いっぱいの若い店主が出てきて、
「お麩しかありませんが、ゆっくり見ていってください」と言う。
「山梨では、お麩を食べる文化が、まだまだ浸透していなくて、珍しがられるんですよ」と言うので、
「すき焼きに入れるのって、スタンダードなんじゃないんですか?」
すき焼き麩を、見て聞いた。
「山梨じゃ、やらないみたいなんです。失礼ですが、お国は?」
「ああ、夫が神戸なんで。そう言えば東京の実家では、入れなかったなぁ」
京都の生麩や、山形の麩の唐揚げなどの話をし、しばし盛り上がり、餅麩で唐揚げに挑戦しようかと、粟入りの生麩と、松茸の香りがするというまつたけ麩と共に購入した。
油で揚げた仙台麩も、仙台名物にある。沖縄では、チャンプルーにも入れるらしい。地方によって、食べる頻度が全く違うのだと、あらためて認識した。我が家もあまり食卓に登場しない方に入るだろう。
縁のある人とは、道端で何度もばったり会ったりするものだ。食材との出会いも、またご縁。そして、縁があるのだなぁと思っていたら、じつは自分にとって大切なことだったのだと後から納得することも多い。ヘルシーで意外と栄養価の高いお麩との出会い、大事にしてみようと、レシピを検索した。
藍の暖簾に「ふ」うーん。素敵な店構えですねぇ。
細工が可愛い花麩の他にも、茄子麩なんていうのもありました。
車麩も、大小ありました。カレー屋さんとコラボのお知らせも。
「ふァウンドケーキ」と「ふ」がひらがなで描いてあるところが、お洒落。
さっそく、生麩でイタリアンに挑戦。オリーブオイルとニンニクで、トマトと一緒に焼きました。もっちり生麩とカリカリニンニク、トマトの酸味が絶妙!
座席の上のハンカチ
先日、東京へ行った時のこと。
中央線の快速に乗った。席はまばらに空いていて、立っている人もいたが、余裕で座ることができた。荷物を膝に置き、文庫本を取り出す。そしてふと、向かい側の端の座席が不自然に空いているのを感じた。
開いている席には、ハンカチが置いてあったのだ。誰かの忘れ物だろう。
だが、ハンカチ自らの意思とは無関係に、その席を押さえているように見えた。席取りでハンカチを置く人も少なくない。見覚えのある光景。その威圧感を感じてか、その席に座ろうとする人はいなかった。
しばらくすると車両のすべての席は埋まった。もちろん、ハンカチが座っている席以外は、ということだが。
そこへ乗車してきた白髪の女性が、ハンカチを手すりに掛け、その席に座った。そしてしばらくして、立ち上がり、手すりのハンカチを座席に戻し、降車した。ハンカチはまた、自らの意思とは無関係に席取りをする羽目に陥った。
それを夫に話すと、意外な言葉が帰ってきた。
「それって、ネットワークだったりして」
ハンカチを置いた席に座る人は少ない。それを利用し、ハンカチを座席に置いておき、そのネットワークを知る人だけが座り、またハンカチを次の利用者のために戻しておくというものだ。
「まさか、ねぇ」わたしは答えたが、考えさせられた。
席を譲った経験は、何度もあるが、世の中善意だけで動いている訳ではないと知っている。遠い昔、大きなお腹でシルバーシートに座っていると、杖をついたお婆さんが乗って来た。他に譲る人はいなかったので、わたしが譲った。わたしに席を譲ろうという人はいなかった。
あのハンカチ(グレーのチェックだった)今は、どうしているのだろう。
これは、友人の雑貨屋さん『マッシュノート』で買ったタオルハンカチ。
カラフルなところも、鳥と花の模様も気に入っています。
中央線の快速に乗った。席はまばらに空いていて、立っている人もいたが、余裕で座ることができた。荷物を膝に置き、文庫本を取り出す。そしてふと、向かい側の端の座席が不自然に空いているのを感じた。
開いている席には、ハンカチが置いてあったのだ。誰かの忘れ物だろう。
だが、ハンカチ自らの意思とは無関係に、その席を押さえているように見えた。席取りでハンカチを置く人も少なくない。見覚えのある光景。その威圧感を感じてか、その席に座ろうとする人はいなかった。
しばらくすると車両のすべての席は埋まった。もちろん、ハンカチが座っている席以外は、ということだが。
そこへ乗車してきた白髪の女性が、ハンカチを手すりに掛け、その席に座った。そしてしばらくして、立ち上がり、手すりのハンカチを座席に戻し、降車した。ハンカチはまた、自らの意思とは無関係に席取りをする羽目に陥った。
それを夫に話すと、意外な言葉が帰ってきた。
「それって、ネットワークだったりして」
ハンカチを置いた席に座る人は少ない。それを利用し、ハンカチを座席に置いておき、そのネットワークを知る人だけが座り、またハンカチを次の利用者のために戻しておくというものだ。
「まさか、ねぇ」わたしは答えたが、考えさせられた。
席を譲った経験は、何度もあるが、世の中善意だけで動いている訳ではないと知っている。遠い昔、大きなお腹でシルバーシートに座っていると、杖をついたお婆さんが乗って来た。他に譲る人はいなかったので、わたしが譲った。わたしに席を譲ろうという人はいなかった。
あのハンカチ(グレーのチェックだった)今は、どうしているのだろう。
これは、友人の雑貨屋さん『マッシュノート』で買ったタオルハンカチ。
カラフルなところも、鳥と花の模様も気に入っています。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
ご意見などのメールはこちらに midukisae☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
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