はりねずみが眠るとき
昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々
不思議! 冷凍たまご
冷凍たまごを、作ってみた。友人、とんぼちゃんの日記で、知ったものだ。
たまごを冷凍庫に入れ、冷凍する。そして、冷凍庫から出し、解凍する。それだけである。それだけだが、黄身が、生なのに半熟のように固まるのだ。そして、もっちりとして半熟とはまた違う食感。
ネットレシピを検索したところ、黄身を15分ほど醤油に漬けておけば、簡単醤油漬けの出来上がり。それを熱々のご飯にのせて、いただいた。
おもしろい! 不思議! そのうえ、美味しい! と、楽しみつつ。
子どもの頃、温泉たまごができる理由を知り、その不思議さに驚いた。黄身と白身の固まる温度が違う訳だが、ひとつ個体なのに、それぞれ個性を持っているんだな、と。また高校の頃、お菓子作りにハマり、たまごを始終泡立てていた。強く泡立つのは白身、メレンゲであり、黄身ではない。その性質の違いも知った。マヨネーズも茶碗蒸しも、たまごの性質からできた料理法である。
たまごって、親しくなればなるほど、その不思議さに驚かされる食品だ。そこへ持って来て、今度は冷凍たまご? たまごの不思議は、何処まで続くのか。
命のもと、だからなぁ。うん。不思議で、当たり前なのかも知れない。解明されていない不思議達が、たまごの向こうに、見え隠れしていた。
殻を、むいたところです。このまま常温で解凍して。
溶けました。黄身は、ちゃんと固まっていました。
醤油に漬けること、15分。途中でひっくり返して、待ちます。
食感もっちりの事実、体感しました。美味しい!
白身は、残り物の白菜スープに入れて、残さずいただきました。
醤油漬けの黄身を入れて、おむすびに、なんてレシピもありました。
たまごを冷凍庫に入れ、冷凍する。そして、冷凍庫から出し、解凍する。それだけである。それだけだが、黄身が、生なのに半熟のように固まるのだ。そして、もっちりとして半熟とはまた違う食感。
ネットレシピを検索したところ、黄身を15分ほど醤油に漬けておけば、簡単醤油漬けの出来上がり。それを熱々のご飯にのせて、いただいた。
おもしろい! 不思議! そのうえ、美味しい! と、楽しみつつ。
子どもの頃、温泉たまごができる理由を知り、その不思議さに驚いた。黄身と白身の固まる温度が違う訳だが、ひとつ個体なのに、それぞれ個性を持っているんだな、と。また高校の頃、お菓子作りにハマり、たまごを始終泡立てていた。強く泡立つのは白身、メレンゲであり、黄身ではない。その性質の違いも知った。マヨネーズも茶碗蒸しも、たまごの性質からできた料理法である。
たまごって、親しくなればなるほど、その不思議さに驚かされる食品だ。そこへ持って来て、今度は冷凍たまご? たまごの不思議は、何処まで続くのか。
命のもと、だからなぁ。うん。不思議で、当たり前なのかも知れない。解明されていない不思議達が、たまごの向こうに、見え隠れしていた。
殻を、むいたところです。このまま常温で解凍して。
溶けました。黄身は、ちゃんと固まっていました。
醤油に漬けること、15分。途中でひっくり返して、待ちます。
食感もっちりの事実、体感しました。美味しい!
白身は、残り物の白菜スープに入れて、残さずいただきました。
醤油漬けの黄身を入れて、おむすびに、なんてレシピもありました。
息子の年賀状
夫の実家に帰省した際、義母が、孫からの年賀状を見せてくれた。
27歳の東京に住む、我が息子である。
よくあるタイプの印刷された賀状に、手書きで「今年もよろしくお願いします」とかかれている。決して上手いとは言えない字が、落ち着きのない様子で並んでいるが、それは精一杯、丁寧にかかれた字だと判った。
ひっくり返すと、差出人欄には、名前のみ。思わず、愚痴がこぼれる。
「自分の住所くらい、かくのが常識でしょう」
夫に見せると、全く同じ反応を見せた。
「自分の住所くらい、かけよ」
すると、義母が、言った。子育てには、あまり口を挟まない義母である。
「親は、欲張りだからねぇ」
義母は、去年の賀状と比べて、成長している様子が読み取れると話してくれた。それを聞いても、そうとは思えないのが親なのかも知れないが。
「欲張って、いるのかな」家に戻り、考えた。
大学卒業後、就職しようとせずバイトして、ひとり東京で生活している息子。ご飯でも食べようよと誘っても、常に忙しいと断ってくるし、正月にも、帰って来なくなった。自分のことは、何ひとつ話そうとしない。
「君が、心配なのだよ」と言いたくもなる。
もちろん、そんなことは言わないけれど。
そんな息子が、義母とは、長電話をするという。
多分、何事が起ったとしても、自分を認めてくれる人だと知っているのだ。
これは、わたしが年賀状用に使っているスタンプです。
名刺にも、ぺたぺたしています。
27歳の東京に住む、我が息子である。
よくあるタイプの印刷された賀状に、手書きで「今年もよろしくお願いします」とかかれている。決して上手いとは言えない字が、落ち着きのない様子で並んでいるが、それは精一杯、丁寧にかかれた字だと判った。
ひっくり返すと、差出人欄には、名前のみ。思わず、愚痴がこぼれる。
「自分の住所くらい、かくのが常識でしょう」
夫に見せると、全く同じ反応を見せた。
「自分の住所くらい、かけよ」
すると、義母が、言った。子育てには、あまり口を挟まない義母である。
「親は、欲張りだからねぇ」
義母は、去年の賀状と比べて、成長している様子が読み取れると話してくれた。それを聞いても、そうとは思えないのが親なのかも知れないが。
「欲張って、いるのかな」家に戻り、考えた。
大学卒業後、就職しようとせずバイトして、ひとり東京で生活している息子。ご飯でも食べようよと誘っても、常に忙しいと断ってくるし、正月にも、帰って来なくなった。自分のことは、何ひとつ話そうとしない。
「君が、心配なのだよ」と言いたくもなる。
もちろん、そんなことは言わないけれど。
そんな息子が、義母とは、長電話をするという。
多分、何事が起ったとしても、自分を認めてくれる人だと知っているのだ。
これは、わたしが年賀状用に使っているスタンプです。
名刺にも、ぺたぺたしています。
葱1本うどん
年初めに東京本社に出勤した際、風邪をひいている社員が多いことに驚いた。
「わたし、3年に1回くらいしか風邪ひかないんだよね~」
そう言うと逆に驚かれ、秘訣を聞かれたが、何も思い浮かばず、
「毎日、ビールは、飲んでるけどなぁ」と、考えた挙句、答えた。
「あ、喉が痛い時にビール飲むと、美味しいですよね」
「だよねぇ。アルコール消毒かな」
などという話に落ち着いたが、真実ではあるまい。
山梨に帰って来て、秘訣ねぇ、と考えた。
そして、これ、というものがあるとすれば、と答えを導き出したのだ。
それは、ひとりランチに7割の確率で登場する「葱1本うどん」である。
熱々のうどんに、葱を1本分、刻んでのせる。それだけだ。
うどんは細く、コシがある乾麺で、6分で茹で上がる。
ときに卵を落としたり、シメジがあれば入れたり、うどん用に常備してあるあげ玉をのせたり。七味をたっぷりかけるのは、当然のこととして。
寒い季節には、これを週に3回は、食べている。葱は生協で頼むだけでは足りず、スーパーに足を運ぶたびに購入。
「こんなに葱食べてる人、いないかも」
習慣化しているので気づかなかったが、考えるほどに、そんな気がしてきた。
次回出社時に、教えてあげよう。風邪をひきやすい方、どうぞお試しあれ。
贅沢なのは「葱だけ」のうどんです。
「わたし、3年に1回くらいしか風邪ひかないんだよね~」
そう言うと逆に驚かれ、秘訣を聞かれたが、何も思い浮かばず、
「毎日、ビールは、飲んでるけどなぁ」と、考えた挙句、答えた。
「あ、喉が痛い時にビール飲むと、美味しいですよね」
「だよねぇ。アルコール消毒かな」
などという話に落ち着いたが、真実ではあるまい。
山梨に帰って来て、秘訣ねぇ、と考えた。
そして、これ、というものがあるとすれば、と答えを導き出したのだ。
それは、ひとりランチに7割の確率で登場する「葱1本うどん」である。
熱々のうどんに、葱を1本分、刻んでのせる。それだけだ。
うどんは細く、コシがある乾麺で、6分で茹で上がる。
ときに卵を落としたり、シメジがあれば入れたり、うどん用に常備してあるあげ玉をのせたり。七味をたっぷりかけるのは、当然のこととして。
寒い季節には、これを週に3回は、食べている。葱は生協で頼むだけでは足りず、スーパーに足を運ぶたびに購入。
「こんなに葱食べてる人、いないかも」
習慣化しているので気づかなかったが、考えるほどに、そんな気がしてきた。
次回出社時に、教えてあげよう。風邪をひきやすい方、どうぞお試しあれ。
贅沢なのは「葱だけ」のうどんです。
野鳥とおじさん
野鳥達が餌を捕りにくいこの季節、夫は庭に向日葵の種を撒く。水場も用意し、朝には凍るので湯を注ぐ。
シジュウカラはじめ、ヤマガラ、エナガ、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、冬鳥のジョウビタキなどもそれを知っていて、我が家の庭を訪れる。
夫は、マメな性格なので、やると決めたことは毎日やる。ただ、東京にある会社に出勤する日々のなかでは、それが出来ない日も多い。
わたしは、と言えば、マメとは言い難い性格なので、様々なことをすぐに忘れる。夫はわたしに、もう、それを強要しようとは思わない(思っていない、はずだ)。なので、我が家の庭に向日葵の種が撒かれ、凍った水に湯が注がれる日はランダムになってしまう。
シジュウカラ「今日は、おじさん、いないのかな?」
ヤマガラ「別荘なんだよ、きっと。週末は、田舎で的な」
ジョウビタキ「さあね。人間は、気まぐれだからな」
そんな鳥達の声が、聞こえそうである。
大寒の昨日。ちょっぴり反省して、向日葵の種を撒いた。
窓からのぞいただけで飛んでいってしまう、人にはなつかない野鳥達の奔放さを、そっと観察する。奔放であることとマメじゃないことの違いを考えつつ。
ヤマボウシにとまって、向日葵の種を枝にぶつけ割っているシジュウカラ。
背中のウグイス色(?)がやわらかで可愛いんです。
勇気を出して、ウッドデッキまで来たヤマガラくん。
山鳩が来ると、小鳥達は逃げてしまいますが、よく見ると綺麗。
おじさん(夫)が用意した水場です。水浴びの様子、撮れなかった~。
家をつついているアカゲラの写真も、撮れませんでした。
「待て~!」いや。待たなくてもいいんだけど、お願い。つつかないで。
シジュウカラはじめ、ヤマガラ、エナガ、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、冬鳥のジョウビタキなどもそれを知っていて、我が家の庭を訪れる。
夫は、マメな性格なので、やると決めたことは毎日やる。ただ、東京にある会社に出勤する日々のなかでは、それが出来ない日も多い。
わたしは、と言えば、マメとは言い難い性格なので、様々なことをすぐに忘れる。夫はわたしに、もう、それを強要しようとは思わない(思っていない、はずだ)。なので、我が家の庭に向日葵の種が撒かれ、凍った水に湯が注がれる日はランダムになってしまう。
シジュウカラ「今日は、おじさん、いないのかな?」
ヤマガラ「別荘なんだよ、きっと。週末は、田舎で的な」
ジョウビタキ「さあね。人間は、気まぐれだからな」
そんな鳥達の声が、聞こえそうである。
大寒の昨日。ちょっぴり反省して、向日葵の種を撒いた。
窓からのぞいただけで飛んでいってしまう、人にはなつかない野鳥達の奔放さを、そっと観察する。奔放であることとマメじゃないことの違いを考えつつ。
ヤマボウシにとまって、向日葵の種を枝にぶつけ割っているシジュウカラ。
背中のウグイス色(?)がやわらかで可愛いんです。
勇気を出して、ウッドデッキまで来たヤマガラくん。
山鳩が来ると、小鳥達は逃げてしまいますが、よく見ると綺麗。
おじさん(夫)が用意した水場です。水浴びの様子、撮れなかった~。
家をつついているアカゲラの写真も、撮れませんでした。
「待て~!」いや。待たなくてもいいんだけど、お願い。つつかないで。
生姜の匂いと陽の光
市販のレモンジンジャーティーを切らしたので、作ってみることにした。
生協で買った国産の檸檬と、生姜。材料は、それだけだ。
生姜と水を鍋に入れ、薪ストーブの上に30分ほど置いておく。部屋じゅうに生姜の匂いが漂い出した頃、それを、輪切りにした檸檬を入れたティーポットに注いで、4分ほど待つ。出来上がり。
ティーポットの注ぎ口で漉されたエキスが、やわらかく辛く、身体が温まる。
市販のハーブティーより、値段も安く、しばらくハマりそうだ。何より、部屋じゅう生姜の匂いでいっぱいになるのがいい。生姜と檸檬を、大目に注文しておこう。正月の残りの柚子で、試してみるのもいいかも知れない。
昨日は穏やかに、晴れていた。庭に残った雪も、ずいぶん解け、土の匂いがする。週末、夫が茗荷畑に、薪を燃やした灰を撒いていた。
生姜は育てたことはないが、茗荷とは兄妹の仲。生姜の方が兄さんだそうだ。語源の説の一つに香りの強い生姜を「兄香(せが)」やや弱めの茗荷を「妹香(めが)」としたというのがあるので、勝手にそう思っているだけだが。
茗荷の兄さんなら、妹と同じく手をかけずとも育つだろう。今年は、生姜も植えてみようかなと、まだ雪残る庭を眺めた。
加熱することで、身体を温める効用が生まれる生姜は、陽の光の熱を浴びたら、土をも温めるのだろうか。檸檬ジンジャーティーの効用で少し血行が良くなった背中を伸ばして、冬の庭に立ち、陽を浴びた。太陽の周りを回る地球に立っている自分を感じた。
生協の国産レモンは傷もありますが、皮ごと使えるのがいいですね。
薪ストーブでの調理は、急がない時に。のんびりエキスを出してくれます。
置いておく時間が長いと、檸檬の酸味が強くなります。それも美味しい。
生協で買った国産の檸檬と、生姜。材料は、それだけだ。
生姜と水を鍋に入れ、薪ストーブの上に30分ほど置いておく。部屋じゅうに生姜の匂いが漂い出した頃、それを、輪切りにした檸檬を入れたティーポットに注いで、4分ほど待つ。出来上がり。
ティーポットの注ぎ口で漉されたエキスが、やわらかく辛く、身体が温まる。
市販のハーブティーより、値段も安く、しばらくハマりそうだ。何より、部屋じゅう生姜の匂いでいっぱいになるのがいい。生姜と檸檬を、大目に注文しておこう。正月の残りの柚子で、試してみるのもいいかも知れない。
昨日は穏やかに、晴れていた。庭に残った雪も、ずいぶん解け、土の匂いがする。週末、夫が茗荷畑に、薪を燃やした灰を撒いていた。
生姜は育てたことはないが、茗荷とは兄妹の仲。生姜の方が兄さんだそうだ。語源の説の一つに香りの強い生姜を「兄香(せが)」やや弱めの茗荷を「妹香(めが)」としたというのがあるので、勝手にそう思っているだけだが。
茗荷の兄さんなら、妹と同じく手をかけずとも育つだろう。今年は、生姜も植えてみようかなと、まだ雪残る庭を眺めた。
加熱することで、身体を温める効用が生まれる生姜は、陽の光の熱を浴びたら、土をも温めるのだろうか。檸檬ジンジャーティーの効用で少し血行が良くなった背中を伸ばして、冬の庭に立ち、陽を浴びた。太陽の周りを回る地球に立っている自分を感じた。
生協の国産レモンは傷もありますが、皮ごと使えるのがいいですね。
薪ストーブでの調理は、急がない時に。のんびりエキスを出してくれます。
置いておく時間が長いと、檸檬の酸味が強くなります。それも美味しい。
『破門』
「なんや、これ。むちゃ、おもろいやん」
東京生まれ東京育ちのわたしが、えせ関西弁で、言ってしまうほど『破門』(角川書店)は、おもしろかった。黒川博行の直木賞受賞作だ。
何故に関西弁? 週末1泊、夫の実家である神戸に帰省したこともあるが、それとは関係ない。主役二人のぽんぽんとやり取りされる鮮やかな会話のキャッチボールが、どっぷりと関西弁なのだ。以下本文から。
「たいそうな荷物ですね」
「おまえはなんや、そんなリュックサックひとつで足りるんかい」
「これはね、デイパックといいますねん」
「貧乏臭いのう」
「そのシャツ、アロハですか」
「留袖や。仕立て直した」
「いつでも、葬式できますね」
「ばかたれ。留袖は結婚式に着るもんや」
「男は留袖着んでしょ」
「二宮くん、講釈はええからチケットを買うてこいや」
「二人分で三十万。十万足りませんねん」
「高いチケット、とりくさって」
桑原は札入れから十万円を出した「エコノミーはなかったんか」
「当日は無理ですわ」
「ホテルは」
「向こうでとったらええやないですか」
「行きあたりばったりやの」
「おれの流儀ですわ。臨機応変、変幻自在の出たとこ勝負」
ヤクザの桑原と、ヤクザがらみの仕事で食べている二宮は、腐れ縁。二宮は桑原を疫病神と呼び嫌っているが、何故かいつも巻き込まれてしまう。
『破門』では、映画製作の出資金を持ち逃げされた桑原が、二宮と詐欺師を追うが、本家筋の構成員とやりあったことから、組同士のいざこざに発展する。
息つく暇なく楽しめる、エンターテイメント小説だ。
魅力の一つは、二宮のキャラクターにある。よくある設定で、いい人が犯罪に巻き込まれるのとは違い、喧嘩に弱いだけじゃなく、博打を始めたらすっからかんになるまでやめられず、母親への借金も踏み倒したままで、綺麗な女に目がないがフラれてばかり。桑原にくっついているのも金目当て半分だ。お人好しとさえも言えないキャラが新しい。それなのに何処か魅力を感じるのは、生きることに貪欲だからか。
「おまえの粘りは欲と道連れや。おまえは大阪一、欲が深い」
金に貪欲なんは、生きることに貪欲っちゅうことかも知れへんなぁ。
『破門』は『疫病神』シリーズの第五弾。文庫になってる4冊も面白そう。
真っ赤に熟れたザクロが綺麗。印象的な、表紙です。
このところ、夫が正月休み用に買った本を読んでいます。
ネタバレ関係なく、夫婦で本の話ができるのは、楽しいですね。
夫も関西弁率、上がってます。ほんまもんの関西弁です。
東京生まれ東京育ちのわたしが、えせ関西弁で、言ってしまうほど『破門』(角川書店)は、おもしろかった。黒川博行の直木賞受賞作だ。
何故に関西弁? 週末1泊、夫の実家である神戸に帰省したこともあるが、それとは関係ない。主役二人のぽんぽんとやり取りされる鮮やかな会話のキャッチボールが、どっぷりと関西弁なのだ。以下本文から。
「たいそうな荷物ですね」
「おまえはなんや、そんなリュックサックひとつで足りるんかい」
「これはね、デイパックといいますねん」
「貧乏臭いのう」
「そのシャツ、アロハですか」
「留袖や。仕立て直した」
「いつでも、葬式できますね」
「ばかたれ。留袖は結婚式に着るもんや」
「男は留袖着んでしょ」
「二宮くん、講釈はええからチケットを買うてこいや」
「二人分で三十万。十万足りませんねん」
「高いチケット、とりくさって」
桑原は札入れから十万円を出した「エコノミーはなかったんか」
「当日は無理ですわ」
「ホテルは」
「向こうでとったらええやないですか」
「行きあたりばったりやの」
「おれの流儀ですわ。臨機応変、変幻自在の出たとこ勝負」
ヤクザの桑原と、ヤクザがらみの仕事で食べている二宮は、腐れ縁。二宮は桑原を疫病神と呼び嫌っているが、何故かいつも巻き込まれてしまう。
『破門』では、映画製作の出資金を持ち逃げされた桑原が、二宮と詐欺師を追うが、本家筋の構成員とやりあったことから、組同士のいざこざに発展する。
息つく暇なく楽しめる、エンターテイメント小説だ。
魅力の一つは、二宮のキャラクターにある。よくある設定で、いい人が犯罪に巻き込まれるのとは違い、喧嘩に弱いだけじゃなく、博打を始めたらすっからかんになるまでやめられず、母親への借金も踏み倒したままで、綺麗な女に目がないがフラれてばかり。桑原にくっついているのも金目当て半分だ。お人好しとさえも言えないキャラが新しい。それなのに何処か魅力を感じるのは、生きることに貪欲だからか。
「おまえの粘りは欲と道連れや。おまえは大阪一、欲が深い」
金に貪欲なんは、生きることに貪欲っちゅうことかも知れへんなぁ。
『破門』は『疫病神』シリーズの第五弾。文庫になってる4冊も面白そう。
真っ赤に熟れたザクロが綺麗。印象的な、表紙です。
このところ、夫が正月休み用に買った本を読んでいます。
ネタバレ関係なく、夫婦で本の話ができるのは、楽しいですね。
夫も関西弁率、上がってます。ほんまもんの関西弁です。
自分を疑え
「甲府までいった時に、買ってくるね」と、わたし。
「じゃ、お願いするわ」と、夫。
このところ、そういった会話が、夫婦の間で交わされることが何度かあった。
スーツを着ても履ける暖かめの靴下だとか、今治のタオルだとか。
甲府まで、というのは、大抵イトーヨーカ堂付近まで、ということで、いつものスーパーで買えそうで買えない日用品の品々のことだ。
先週、所用で甲府まで、車を走らせたときのこと。
靴下とタオルと、自分の細々としたものを買い、完璧だ! と思いつつも、不安になった。いざヨーカ堂まで行くと、頼まれたものを突如忘れてしまうことも多いのだ。
「このあいだも、すき焼きの時、ラードもらうの忘れたしなぁ」
豚すきなのに、牛のラードをもらってもいいものかと疑問に思いつつも、忘れたという事実にだけ、注目してみる。
「自分を疑え」
標語をかかげ、思い出せないまま、売り場をもくもくと歩いた。歩くにつれ、不安はつのっていく。と、靴売り場にさしかかり、思い出した。
「そうだ! 靴の中敷き買って来てって、頼まれたんだった」
これでもう完璧だ!やっぱり、自分を疑うことは大切なのだ。ホクホクと喜びをかみしめながら、ヨーカ堂を出て、車を走らせ、ラーメン屋に寄った。
平日のラーメン屋は、昼時も空いていて、のんびりとした気分になる。
後ろに並ぶ人もなく、券売機で券を買うときにも、どれにしようかなと、ゆっくり厳選した。そのうえで、店の看板「ばんから」を選んだ。
カウンターでもいいと思っていたが、テーブル席を案内され、待ち時間に本を開いた。すると、ラーメンではなく店のお姉さんがやってきた。
「あの、券売機のおつり、とり忘れていましたので」
「あ、ほんとだ! ありがとう」
なんと落とし穴は、ラーメン屋にまであったのだ。これは自分に対する疑いを、さらに深めていかねばと、熱々のラーメンをすすったのだった。
麺かため、味うすめ、脂少なめにしました。じゅうぶん脂入ってました。
いろいろ厳選しすぎでしょう(笑)
「じゃ、お願いするわ」と、夫。
このところ、そういった会話が、夫婦の間で交わされることが何度かあった。
スーツを着ても履ける暖かめの靴下だとか、今治のタオルだとか。
甲府まで、というのは、大抵イトーヨーカ堂付近まで、ということで、いつものスーパーで買えそうで買えない日用品の品々のことだ。
先週、所用で甲府まで、車を走らせたときのこと。
靴下とタオルと、自分の細々としたものを買い、完璧だ! と思いつつも、不安になった。いざヨーカ堂まで行くと、頼まれたものを突如忘れてしまうことも多いのだ。
「このあいだも、すき焼きの時、ラードもらうの忘れたしなぁ」
豚すきなのに、牛のラードをもらってもいいものかと疑問に思いつつも、忘れたという事実にだけ、注目してみる。
「自分を疑え」
標語をかかげ、思い出せないまま、売り場をもくもくと歩いた。歩くにつれ、不安はつのっていく。と、靴売り場にさしかかり、思い出した。
「そうだ! 靴の中敷き買って来てって、頼まれたんだった」
これでもう完璧だ!やっぱり、自分を疑うことは大切なのだ。ホクホクと喜びをかみしめながら、ヨーカ堂を出て、車を走らせ、ラーメン屋に寄った。
平日のラーメン屋は、昼時も空いていて、のんびりとした気分になる。
後ろに並ぶ人もなく、券売機で券を買うときにも、どれにしようかなと、ゆっくり厳選した。そのうえで、店の看板「ばんから」を選んだ。
カウンターでもいいと思っていたが、テーブル席を案内され、待ち時間に本を開いた。すると、ラーメンではなく店のお姉さんがやってきた。
「あの、券売機のおつり、とり忘れていましたので」
「あ、ほんとだ! ありがとう」
なんと落とし穴は、ラーメン屋にまであったのだ。これは自分に対する疑いを、さらに深めていかねばと、熱々のラーメンをすすったのだった。
麺かため、味うすめ、脂少なめにしました。じゅうぶん脂入ってました。
いろいろ厳選しすぎでしょう(笑)
『そして、星の輝く夜がくる』
阪神・淡路大震災から、20年が経った。
夫の両親が東灘区で被災し、家は半壊したが、怪我はなかった。
わたしは、当時末娘が生まれて3か月。夜中に起きて授乳させる日々で、神戸に行くこともできず、身近に起こった出来事だとは言えないとは思うが、あの時に感じたショックは、忘れていない。
この日にあわせてという訳ではないが、東日本大震災で被災した小学校を舞台に描かれた真山仁の小説『そして、星の輝く夜がくる』(講談社)を読んだ。
フィクションだが、時間をかけて取材し、現実に起こったことをもとにして、かかれたものだと判る小説だ。6編の連作短編になっていて、テーマを絞って描かれている。
主人公は、阪神・淡路大震災で被災した教師20年目の小野寺徹平。
小野寺は、津波で31人の児童を亡くした東北の小学校に、その年の5月から赴任し、6年生を担任する。
1話目『わがんね新聞』で小野寺は、東北弁で「やってらんねぇ」という意味の「わがんね」と名づけた学級新聞に「やってられへんという怒りだけをかこう」と、提案する。子ども達のがまんしている姿に「ガス抜き」が必要だと思ったのだ。
『ゲンパツが来た!』では、東電社員の子どもと同級生との確執を。
『さくら』では、児童を助けられなかった教師が、マスコミにしつこく追われる姿を。
『小さな親切、大きな……』では、ボランティアとの共存の難しさを。
『忘れないで』では、時と共に薄れていく震災の記憶についてを。
『てんでんこ』では、津波から逃げる人々の姿を卒業制作に選んだ子ども達を描いている。以下本文から。
自然現象というのは凄いものだといつも感心する。
なおも残る瓦礫や荒れ果てた大地を、雪だけで覆い隠してしまう。夜だってそうだ。暗闇は何もかも包み込んでしまう。そして、ぽつぽつと灯り始める明かりがぬくもりを感じさせて、気持ちが和む。
しかし、そんな自然現象でも覆い隠せないものがある。人の心が抱える悲しみや後悔、そして楽しかった日々……。それは不意にフラッシュバックしてくる。忘れようとしても拭えない。前に進もうと一生懸命生きていても突然襲ってくる。
小野寺もまた、神戸で、大切な人々を亡くしていた。
当事者ではないわたしには、判ろうとしても判らないことがある。それを知りつつも、理解していこうという思いは変わらず持ち続けたいと、この本を読みあらためて思った。
夫が買って、お正月に読んでいた本です。
『ハゲタカ』の作者にしては、異例な感じの小説でした。
友人にプレゼントしてもらった、フェルトの手作り人形と一緒に。
昨夜から、神戸に来ています。
夫の両親が東灘区で被災し、家は半壊したが、怪我はなかった。
わたしは、当時末娘が生まれて3か月。夜中に起きて授乳させる日々で、神戸に行くこともできず、身近に起こった出来事だとは言えないとは思うが、あの時に感じたショックは、忘れていない。
この日にあわせてという訳ではないが、東日本大震災で被災した小学校を舞台に描かれた真山仁の小説『そして、星の輝く夜がくる』(講談社)を読んだ。
フィクションだが、時間をかけて取材し、現実に起こったことをもとにして、かかれたものだと判る小説だ。6編の連作短編になっていて、テーマを絞って描かれている。
主人公は、阪神・淡路大震災で被災した教師20年目の小野寺徹平。
小野寺は、津波で31人の児童を亡くした東北の小学校に、その年の5月から赴任し、6年生を担任する。
1話目『わがんね新聞』で小野寺は、東北弁で「やってらんねぇ」という意味の「わがんね」と名づけた学級新聞に「やってられへんという怒りだけをかこう」と、提案する。子ども達のがまんしている姿に「ガス抜き」が必要だと思ったのだ。
『ゲンパツが来た!』では、東電社員の子どもと同級生との確執を。
『さくら』では、児童を助けられなかった教師が、マスコミにしつこく追われる姿を。
『小さな親切、大きな……』では、ボランティアとの共存の難しさを。
『忘れないで』では、時と共に薄れていく震災の記憶についてを。
『てんでんこ』では、津波から逃げる人々の姿を卒業制作に選んだ子ども達を描いている。以下本文から。
自然現象というのは凄いものだといつも感心する。
なおも残る瓦礫や荒れ果てた大地を、雪だけで覆い隠してしまう。夜だってそうだ。暗闇は何もかも包み込んでしまう。そして、ぽつぽつと灯り始める明かりがぬくもりを感じさせて、気持ちが和む。
しかし、そんな自然現象でも覆い隠せないものがある。人の心が抱える悲しみや後悔、そして楽しかった日々……。それは不意にフラッシュバックしてくる。忘れようとしても拭えない。前に進もうと一生懸命生きていても突然襲ってくる。
小野寺もまた、神戸で、大切な人々を亡くしていた。
当事者ではないわたしには、判ろうとしても判らないことがある。それを知りつつも、理解していこうという思いは変わらず持ち続けたいと、この本を読みあらためて思った。
夫が買って、お正月に読んでいた本です。
『ハゲタカ』の作者にしては、異例な感じの小説でした。
友人にプレゼントしてもらった、フェルトの手作り人形と一緒に。
昨夜から、神戸に来ています。
キリギリスの夢
初雪ではないが、今年初めて、雪が積もった。
雪が積もっているのを目にした一瞬は「あ、雪」と嬉しい気持ちで思う。そして、すぐさま「あーあ、雪だぁ」とため息をつく。凍えたキリギリスの如く、「蟻さんのように、準備万端に整えておけばよかったなぁ」と。
昨日の雪は、午後から降り始めた。
薪を運び入れ、車のワイパーを上げ、軽く雪をかく。
「判っているのに、何故午前中にやっておかないの?」
会社で仕事中の夫の声が、聞こえた気がするが、空耳だ。
彼は、こういうことを先延ばしにしない。週末、雪の予報を聞いた訳でもないのに、ウッドデッキまで薪を運ぼうと提案し、一緒に運んだ。
わたしは、風が吹いているから今度にしようと言ったのだが、夫は耳を貸さなかった。そうやって何度も彼に教えられているというのに、もともとの性格というものは直らないものだ。だいたい、今度っていつよ? と、過ぎてしまえば、自らツッコミを入れ笑うしかない。全く、我ながら呆れるばかりである。
そう言いつつも、わたしは自分のそんなところが嫌いではない。
キリギリスの「つい先延ばしにしちゃうところ」に、蟻さん達は、きっと憧れに似たものを持っているのだろうと、どこかで考えているのだ。
なんていうのは、キリギリスの夢かな。
ウッドデッキから見た、庭の風景。雑草が見えなくって綺麗(笑)
真ん中に置いてある野鳥達の水場にも、積もっています。
隣りの林の枝々は、雪化粧という言葉がぴったりくる感じ。
年末、夫が山に入って切ってきた薪用の丸太です。冷たく凍っています。
雪が積もっているのを目にした一瞬は「あ、雪」と嬉しい気持ちで思う。そして、すぐさま「あーあ、雪だぁ」とため息をつく。凍えたキリギリスの如く、「蟻さんのように、準備万端に整えておけばよかったなぁ」と。
昨日の雪は、午後から降り始めた。
薪を運び入れ、車のワイパーを上げ、軽く雪をかく。
「判っているのに、何故午前中にやっておかないの?」
会社で仕事中の夫の声が、聞こえた気がするが、空耳だ。
彼は、こういうことを先延ばしにしない。週末、雪の予報を聞いた訳でもないのに、ウッドデッキまで薪を運ぼうと提案し、一緒に運んだ。
わたしは、風が吹いているから今度にしようと言ったのだが、夫は耳を貸さなかった。そうやって何度も彼に教えられているというのに、もともとの性格というものは直らないものだ。だいたい、今度っていつよ? と、過ぎてしまえば、自らツッコミを入れ笑うしかない。全く、我ながら呆れるばかりである。
そう言いつつも、わたしは自分のそんなところが嫌いではない。
キリギリスの「つい先延ばしにしちゃうところ」に、蟻さん達は、きっと憧れに似たものを持っているのだろうと、どこかで考えているのだ。
なんていうのは、キリギリスの夢かな。
ウッドデッキから見た、庭の風景。雑草が見えなくって綺麗(笑)
真ん中に置いてある野鳥達の水場にも、積もっています。
隣りの林の枝々は、雪化粧という言葉がぴったりくる感じ。
年末、夫が山に入って切ってきた薪用の丸太です。冷たく凍っています。
『空の名前』
昨日見た雲は、雲の類として分類した10のうちの名で言うと「高積雲(こうせきうん)」というらしい。『空の名前』(光琳社出版)で、調べた。
よく表れる高さは、二千から七千メートルだそうだ。と言われても、想像もつかない。二千と七千って、全然違うじゃないと、思ったりもする。
空の上のことなど、まるで判らないことだらけ。それでも、この本は写真が美しく、ただ眺めているだけでホッとする大好きな一冊だ。タイトルの通り、本のなかに、様々な空が広がっているのである。
運転していて、前の車の運転手が、窓から火のついた煙草を投げ捨てたのを見てしまった。ひどく嫌な気分になった。わたしがイライラしても、何もいいことはないと知りつつ、胸のなかに嫌なものが広がっていく。
「通勤電車のなかは、一触即発状態だよ。みんなが、イラついてる」
ついこのあいだ、夫が言っていた。
「イライラの連鎖が、広がっているのかな」わたしも、想像してみる。
小さな感覚のズレが、イライラの種を撒き、諍いを巻き起こす様。
煙草を道に投げ捨てる人とのズレは、小さいとは思わないが、イライラの連鎖に巻き込まれそうになっている自分に気づき、空を見上げた。
そんなわたしを見下ろして、高積雲が、笑っていた。二千だか、七千メートルだかの遥か上の方から、小さな人間達を見下ろして、決して嘲笑するのではなく、わたし達が空を見上げて眩しさに笑うように、やさしく笑っていた。
甲府に向かう国道20号線の信号待ちで、撮りました。
雲、水、氷、光、風、季節の6章で構成された写真集のような本です。
よく表れる高さは、二千から七千メートルだそうだ。と言われても、想像もつかない。二千と七千って、全然違うじゃないと、思ったりもする。
空の上のことなど、まるで判らないことだらけ。それでも、この本は写真が美しく、ただ眺めているだけでホッとする大好きな一冊だ。タイトルの通り、本のなかに、様々な空が広がっているのである。
運転していて、前の車の運転手が、窓から火のついた煙草を投げ捨てたのを見てしまった。ひどく嫌な気分になった。わたしがイライラしても、何もいいことはないと知りつつ、胸のなかに嫌なものが広がっていく。
「通勤電車のなかは、一触即発状態だよ。みんなが、イラついてる」
ついこのあいだ、夫が言っていた。
「イライラの連鎖が、広がっているのかな」わたしも、想像してみる。
小さな感覚のズレが、イライラの種を撒き、諍いを巻き起こす様。
煙草を道に投げ捨てる人とのズレは、小さいとは思わないが、イライラの連鎖に巻き込まれそうになっている自分に気づき、空を見上げた。
そんなわたしを見下ろして、高積雲が、笑っていた。二千だか、七千メートルだかの遥か上の方から、小さな人間達を見下ろして、決して嘲笑するのではなく、わたし達が空を見上げて眩しさに笑うように、やさしく笑っていた。
甲府に向かう国道20号線の信号待ちで、撮りました。
雲、水、氷、光、風、季節の6章で構成された写真集のような本です。
20年に乾杯して
成人式に、末娘は、帰って来なかった。
正月に帰省したばかりだということもあり、仲のいい友人達とは今でも会っているらしく、同窓会の意味合いも薄く、彼女にとってはまるで興味が湧かない行事だったようだ。
わたしも、夫も、二十歳の頃、やはり成人式に出席することもなく、バイトやら何ならで、忙しく過ごしていた。息子も、然りである。
「全く、こういうところは、親に似るものなんだな」
と愚痴る夫は、嬉しそうでもあった。
お祭り好きな上の娘が、義母とわたしの母の前で振袖を着てくれたので、自分達ができなかった親孝行もでき、ホッとしていたこともある。
本人不在で、スペイン産の白ワインを開け、夫と祝った。その日は、29回目の結婚記念日でもあったのだ。
「あー、わたしが料理してる間に、半分以上飲んじゃってる! ひどい!」
「そ、そんなことないよ。ほら、まだあるじゃん」
30年目突入と共に、いきなり、夫婦喧嘩で始まった宴であったが。
末娘がお腹にいるときに、夫は、会社を起ち上げた。娘が生まれた頃の話になると、それは会社が生まれた頃の話にもなる。
「生活もぎりぎりで、二人とも追い詰められてて、おたがいを思いやる余裕もなくて、よく喧嘩したよねぇ」と、わたし。
「そのなかで生まれたあいつは、希望の星だったよなぁ」と、夫。
生まれた子どもが大人になるように、会社が大きくなるわけではなかったが、その月日を思うとき、同じように成長しているのだと感じる。それは、娘と会社の年輪を見つめてきた、わたし達二人にだけ見えるものなのかも知れない。
「彼女は、希望の星だった」
夫は、ワインを空にして、ウイスキーを飲み、何度も繰り返した。
我が家で一番小さかった、いつもにぎやかに笑っていた末娘の明るさに助けられて、これまでやってこられたのだと。
「そうか。助けられていたんだ」
夫にそう言われて、すっと腑に落ちた。今でこそ海外を飛び回ってる上の娘も、明野に越して来て友達ができるまでの間、淋しそうにしていたっけ。だが家では、淋しいと思う暇もなく、妹が遊ぼう遊ぼうとくっついていた。家族みんなが、そんな風にして彼女に助けられていたのだ。
薪ストーブで熱く燃える炎を見ながら、あっという間だったとは言い難い20年を思い、わたしもまた、深く深く酔っていったのだった。
ストーブに薪を入れつつ、炬燵でまったり飲みました。
スペインで買った、うなぎの稚魚の缶詰も開けて。
昨日は、久々に二日酔い。
最後のウイスキー、やめればよかった・・・。
正月に帰省したばかりだということもあり、仲のいい友人達とは今でも会っているらしく、同窓会の意味合いも薄く、彼女にとってはまるで興味が湧かない行事だったようだ。
わたしも、夫も、二十歳の頃、やはり成人式に出席することもなく、バイトやら何ならで、忙しく過ごしていた。息子も、然りである。
「全く、こういうところは、親に似るものなんだな」
と愚痴る夫は、嬉しそうでもあった。
お祭り好きな上の娘が、義母とわたしの母の前で振袖を着てくれたので、自分達ができなかった親孝行もでき、ホッとしていたこともある。
本人不在で、スペイン産の白ワインを開け、夫と祝った。その日は、29回目の結婚記念日でもあったのだ。
「あー、わたしが料理してる間に、半分以上飲んじゃってる! ひどい!」
「そ、そんなことないよ。ほら、まだあるじゃん」
30年目突入と共に、いきなり、夫婦喧嘩で始まった宴であったが。
末娘がお腹にいるときに、夫は、会社を起ち上げた。娘が生まれた頃の話になると、それは会社が生まれた頃の話にもなる。
「生活もぎりぎりで、二人とも追い詰められてて、おたがいを思いやる余裕もなくて、よく喧嘩したよねぇ」と、わたし。
「そのなかで生まれたあいつは、希望の星だったよなぁ」と、夫。
生まれた子どもが大人になるように、会社が大きくなるわけではなかったが、その月日を思うとき、同じように成長しているのだと感じる。それは、娘と会社の年輪を見つめてきた、わたし達二人にだけ見えるものなのかも知れない。
「彼女は、希望の星だった」
夫は、ワインを空にして、ウイスキーを飲み、何度も繰り返した。
我が家で一番小さかった、いつもにぎやかに笑っていた末娘の明るさに助けられて、これまでやってこられたのだと。
「そうか。助けられていたんだ」
夫にそう言われて、すっと腑に落ちた。今でこそ海外を飛び回ってる上の娘も、明野に越して来て友達ができるまでの間、淋しそうにしていたっけ。だが家では、淋しいと思う暇もなく、妹が遊ぼう遊ぼうとくっついていた。家族みんなが、そんな風にして彼女に助けられていたのだ。
薪ストーブで熱く燃える炎を見ながら、あっという間だったとは言い難い20年を思い、わたしもまた、深く深く酔っていったのだった。
ストーブに薪を入れつつ、炬燵でまったり飲みました。
スペインで買った、うなぎの稚魚の缶詰も開けて。
昨日は、久々に二日酔い。
最後のウイスキー、やめればよかった・・・。
中途半端な大きさの
川上弘美の短編集『猫を拾いに』の表題作を読んでいて、不意に気持ちが、ぐらりと揺らいだ。
「人間って、なんて、中途半端な大きさなんだろう」と、思ったのだ。
特別に、大きさのことをかいてあった訳ではない。
人間が「じき、ほろびる」時の人々の様を、SFチックでもなく、淡々と描かれているのを読み、胸のなかの何かが動いた。
庭の石ころよりは大きく、八ヶ岳よりは小さな、自分。微生物よりは、ずいぶんと大きく、宇宙の広がりよりは、想像もつかないほど小さな、自分。
そんな風に考えると、自分の大きさが、伸びたり縮んだりするのを、客観視しているような捉えどころのない感覚に陥る。
そして、いつもは気にも留めない、考えないことを、考える。
地球という星に生まれたんだなぁ、とか。地球のなかで人間がちょうどいい大きさだとは限らない、とか。人の心のなかには、宇宙のような広がりがあるのだ、とか。果たして、そこには果てというものがあるのか、とか。
つまりは、川上弘美の小説は、わたしにとって、そういうことを延々と思い巡らせてしまうような存在なのだと、再確認した。
3日前、八ヶ岳がくっきり見えた日の写真です。
ごつごつした山肌に、凍った雪。澄んだ空気が見せてくれるアート。
大きいなぁ、やっぱり。
権現岳。螺旋のような形に見えるところに魅かれます。
赤岳の上には、少し雲がかかっていて、影が動いていました。
「人間って、なんて、中途半端な大きさなんだろう」と、思ったのだ。
特別に、大きさのことをかいてあった訳ではない。
人間が「じき、ほろびる」時の人々の様を、SFチックでもなく、淡々と描かれているのを読み、胸のなかの何かが動いた。
庭の石ころよりは大きく、八ヶ岳よりは小さな、自分。微生物よりは、ずいぶんと大きく、宇宙の広がりよりは、想像もつかないほど小さな、自分。
そんな風に考えると、自分の大きさが、伸びたり縮んだりするのを、客観視しているような捉えどころのない感覚に陥る。
そして、いつもは気にも留めない、考えないことを、考える。
地球という星に生まれたんだなぁ、とか。地球のなかで人間がちょうどいい大きさだとは限らない、とか。人の心のなかには、宇宙のような広がりがあるのだ、とか。果たして、そこには果てというものがあるのか、とか。
つまりは、川上弘美の小説は、わたしにとって、そういうことを延々と思い巡らせてしまうような存在なのだと、再確認した。
3日前、八ヶ岳がくっきり見えた日の写真です。
ごつごつした山肌に、凍った雪。澄んだ空気が見せてくれるアート。
大きいなぁ、やっぱり。
権現岳。螺旋のような形に見えるところに魅かれます。
赤岳の上には、少し雲がかかっていて、影が動いていました。
『猫を拾いに』
今年初めての、新刊本を買った。
川上弘美『猫を拾いに』(マガジンハウス)雑誌クウネルに連載していた短編をまとめた短編集だ。短編と呼ぶには、短く、掌編と呼んだ方が、ぴったりくるかもしれない。
帯にかかれた「恋をすると、誰でもちょっぴりずつ不幸になるよ」という言葉に魅かれたのもあり、川上弘美は、自分のなかで新刊を買ってもいいと決めている作家でもあったから、迷うことなくレジに進んだ。
「恋、かぁ。不幸に、なるんだぁ」と、ふふっと笑いつつ。
読み始めて、しばらくしてから、全部で何編あるのかと、目次を数えてみた。21編あった。数えてから、帯の「心ふるえる傑作が21篇」に気づいた。
「中途半端な、数だなぁ」
何故か、落ち着かない気持ちになった。20編なら、半分に割れる。10編読めば、丁度半分読んだと、すぐに判る。
だが、その落ち着かない数がまた、川上弘美らしくも思え、浮き浮きと、1編読んでは本を閉じ、また開いた。
7編目の『トンボ玉』を読み終えて「あ、21が割れる。今、3分の1だ」と、ものすごく落ち着いた気分になった。21編。中途半端じゃないじゃない。その『トンボ玉』のなかに、すっと心に入ってくる一文があった。
どうしても欲しいものは、いつだって、僕の手に入らない。それがでも、僕は決していやではない。あのトンボ玉は、どこに行ってしまったのだろう。
「僕」の場合、それは、亡くした叔母が持っていたトンボ玉であったり、好きになった女であったりする。
「どうしても欲しいものは、いつだって手に入らない」
声に出してつぶやいて、中途半端な数の世界へと、ふたたび入っていく。
ざわざわと落ち着かない気持ちになったり、いきなりすぱっと割り切れたりする、川上弘美の世界へ。
カバーを開くと、こんな絵が。楽しい!
裏にも、また違う絵がありました。『猫を拾いに』は、10編目です。
川上弘美『猫を拾いに』(マガジンハウス)雑誌クウネルに連載していた短編をまとめた短編集だ。短編と呼ぶには、短く、掌編と呼んだ方が、ぴったりくるかもしれない。
帯にかかれた「恋をすると、誰でもちょっぴりずつ不幸になるよ」という言葉に魅かれたのもあり、川上弘美は、自分のなかで新刊を買ってもいいと決めている作家でもあったから、迷うことなくレジに進んだ。
「恋、かぁ。不幸に、なるんだぁ」と、ふふっと笑いつつ。
読み始めて、しばらくしてから、全部で何編あるのかと、目次を数えてみた。21編あった。数えてから、帯の「心ふるえる傑作が21篇」に気づいた。
「中途半端な、数だなぁ」
何故か、落ち着かない気持ちになった。20編なら、半分に割れる。10編読めば、丁度半分読んだと、すぐに判る。
だが、その落ち着かない数がまた、川上弘美らしくも思え、浮き浮きと、1編読んでは本を閉じ、また開いた。
7編目の『トンボ玉』を読み終えて「あ、21が割れる。今、3分の1だ」と、ものすごく落ち着いた気分になった。21編。中途半端じゃないじゃない。その『トンボ玉』のなかに、すっと心に入ってくる一文があった。
どうしても欲しいものは、いつだって、僕の手に入らない。それがでも、僕は決していやではない。あのトンボ玉は、どこに行ってしまったのだろう。
「僕」の場合、それは、亡くした叔母が持っていたトンボ玉であったり、好きになった女であったりする。
「どうしても欲しいものは、いつだって手に入らない」
声に出してつぶやいて、中途半端な数の世界へと、ふたたび入っていく。
ざわざわと落ち着かない気持ちになったり、いきなりすぱっと割り切れたりする、川上弘美の世界へ。
カバーを開くと、こんな絵が。楽しい!
裏にも、また違う絵がありました。『猫を拾いに』は、10編目です。
思いがけず届いた珈琲カップ
寝坊した休日の朝。遅い朝食を食べていると、宅配便が届いた。
やかんが入りそうな大きさの段ボールだ。開けると新聞紙を詰めた真ん中に厳重に包まれた珈琲カップが入っていた。陶芸作家の森下真吾さんからである。
昨年、茶碗を修理してもらい、夫と工房を訪ねた時に見せてもらった、どっしりとした藍色の珈琲カップだ。
「今はもう、手に入らない同じ土で作った珈琲カップもあるんですよ」
珈琲の渋がつき、埃をかぶったそのカップに、夫は一目惚れした。
「これ、欲しいなぁ」手にとってしげしげと見つめる、夫。
「一度、外に出して使われたカップですが、いろいろあって戻って来たんです。それでよければ、もう一度窯に入れて焼けば、渋もきれいに消えますよ」
森下さんは、快くそう言い、譲ってくれることとなったのだ。
その後、メールが行き違いしているうちに、年末年始の雑多な日々のなか、連絡せずに時を過ごしてしまった。
そして、昨日の宅配便である。全く、申し訳のないことだ。
すぐに電話し、お礼を言う。失礼を詫びると、茶碗を大切に使っていただいていることが嬉しかったから、と言ってもらい、こちらも嬉しくなった。
さっそく、珈琲をドリップし、夫のために新しくやって来たカップに注いだ。
「うちの珈琲は、美味しいねぇ」と、自画自賛になることを承知で、わたし。
先週は留守にしていて、自分でドリップした珈琲を飲むのは久しぶりだった。
「そりゃ、そうだよ」と、夫。
好みで選んだ豆を、好みの深さに煎ってもらい、好みの粗さに手回しのミルで挽き、自分でドリップして、気に入った珈琲カップで飲むのだから。
「これだよ。この重さ!」と、嬉しそうに、夫。
彼は、珈琲よりもカップを楽しんでいるようにも見えなくはなかったが。
2つとも森下さんの作品です。手前の藍色のカップを送ってくださいました。
やかんでお湯を沸かす間に、手回しのミルで豆を挽いて。
新鮮な豆は、お湯を注ぐと、ゆっくりと膨らんでいきます。
陽が射した温かなキッチンで、珈琲をドリップする幸せ、感じます。
やかんが入りそうな大きさの段ボールだ。開けると新聞紙を詰めた真ん中に厳重に包まれた珈琲カップが入っていた。陶芸作家の森下真吾さんからである。
昨年、茶碗を修理してもらい、夫と工房を訪ねた時に見せてもらった、どっしりとした藍色の珈琲カップだ。
「今はもう、手に入らない同じ土で作った珈琲カップもあるんですよ」
珈琲の渋がつき、埃をかぶったそのカップに、夫は一目惚れした。
「これ、欲しいなぁ」手にとってしげしげと見つめる、夫。
「一度、外に出して使われたカップですが、いろいろあって戻って来たんです。それでよければ、もう一度窯に入れて焼けば、渋もきれいに消えますよ」
森下さんは、快くそう言い、譲ってくれることとなったのだ。
その後、メールが行き違いしているうちに、年末年始の雑多な日々のなか、連絡せずに時を過ごしてしまった。
そして、昨日の宅配便である。全く、申し訳のないことだ。
すぐに電話し、お礼を言う。失礼を詫びると、茶碗を大切に使っていただいていることが嬉しかったから、と言ってもらい、こちらも嬉しくなった。
さっそく、珈琲をドリップし、夫のために新しくやって来たカップに注いだ。
「うちの珈琲は、美味しいねぇ」と、自画自賛になることを承知で、わたし。
先週は留守にしていて、自分でドリップした珈琲を飲むのは久しぶりだった。
「そりゃ、そうだよ」と、夫。
好みで選んだ豆を、好みの深さに煎ってもらい、好みの粗さに手回しのミルで挽き、自分でドリップして、気に入った珈琲カップで飲むのだから。
「これだよ。この重さ!」と、嬉しそうに、夫。
彼は、珈琲よりもカップを楽しんでいるようにも見えなくはなかったが。
2つとも森下さんの作品です。手前の藍色のカップを送ってくださいました。
やかんでお湯を沸かす間に、手回しのミルで豆を挽いて。
新鮮な豆は、お湯を注ぐと、ゆっくりと膨らんでいきます。
陽が射した温かなキッチンで、珈琲をドリップする幸せ、感じます。
デジタルでアナログな夜
夫に誘われ、神楽坂『カーヴ・ド・コンマ』に、ワインを飲みに行った。
年初め。仕事始め。経理を担当するわたしも、四谷にある東京本社に挨拶に行き、その夜、今年もぶじ会社が新しい年を迎えられたことに、乾杯したのだ。
夫は、そのフレンチレストランは2度目だという。落ち着いた雰囲気で、ワインに合う料理がとびきり美味しいのだと、教えてくれた。
店内には、ガラス張りのワインセラー兼ワインショップが併設されていて、ボトルで飲みたい場合には、ひんやりとしたそのセラーを歩き、選ぶことができる。もちろん、ソムリエが、アドバイスをしてくれる。わたし達は、ビールとシャンパンで乾杯し白を1杯ずつ飲んでから、赤のボトルを選ぶことにした。
「今夜は、カベルネにしようかな。渋みはあっても、軽めのもので」
夫は、ビール党であるわたしが、赤ワインのなかでもカベルネなら飲みやすいのだと知っている。そして年末年始の胃の疲れもあるから、あまり重くなく。
ソムリエは、4本ほど提示し、夫がそのなかから1本を選んだ。
ソムリエは、籠に斜めに入れたまま、慣れた手つきでコルクを抜いた。
「そうやって、斜めにしたまま、開けるの、初めて観ました」と、わたし。
「こうして斜めにして開けることで、空気が静かにワインに入っていくので、澱も起たないんですよ」
彼は、聞いたことには一つ一つ、丁寧に説明してくれた。派手なパフォーマンスはなく、静かにグラスに注いでくれる。
「どちらかというと開きやすいワインなので、おふたりで味が変わっていくのを楽しみながら、召し上がってください」
「メインの肉を食べる頃に、一番美味しくなっているって寸法ですかね」
夫の言葉に、ソムリエの彼は、笑顔でうなずいた。
そのメインの鹿肉が出されると、彼がやって来て、籠に寝かせたままだったワインを両手で持ち上げ、まるで大切な赤ん坊でもあやすように見つめた。
「何を、しているんですか?」と、夫。わたしも、不思議に思い見ていた。
「いえ。愛情を込めているんです」と、笑いながら、彼は答えた。
「またまたー」「うそでしょう」と、わたし達。
「いえ。うそではありませんが、ここで温度を1℃上げておくと、料理に合わせて美味しくなるんです」
彼は、ここのワインは、船便で運ぶ間もインターネットで常に温度管理ができるようにしているのだと説明してくれた。ワインは温度管理が重要なのだと、そう言いつつ手で温める姿は、とても微笑ましく映った。そしてもちろん、彼が愛情を込めて1℃上げてくれたワインは、格別に美味しくなっていた。
「インターネットで遠隔管理したり、手で温めたり。全く、デジタルなんだか、アナログなんだか」
人間のやることなのだから、どちらと区別することもないのだと笑いつつ、開いて味わいが深くなった赤ワインをふたり、空にした。
綺麗な前菜は、鮪をスモークしたものに、海老やマッシュルームなどが、
飾られています。スモーク臭が丁度よく、ワインにぴったりです。
斜めに寝かせたワインです。くるくる回して飲みました。
ミンチにした鹿肉のパイ包み焼き。柔らかくて癖がありません。
ワインを飲むのを忘れてほおばってしまうほど、美味でした。
付け合せの野菜は、一つ一つ、違う鍋で蒸し焼きにしたそうです。
「お正月のお煮しめみたいだね」と、夫と話しながら味わいました。
デザートもいただきました。ブリオッシュには赤ワインが沁みていました。
さっぱりとして味わい豊かなデザートがいただけるのは、嬉しいことです。
年初め。仕事始め。経理を担当するわたしも、四谷にある東京本社に挨拶に行き、その夜、今年もぶじ会社が新しい年を迎えられたことに、乾杯したのだ。
夫は、そのフレンチレストランは2度目だという。落ち着いた雰囲気で、ワインに合う料理がとびきり美味しいのだと、教えてくれた。
店内には、ガラス張りのワインセラー兼ワインショップが併設されていて、ボトルで飲みたい場合には、ひんやりとしたそのセラーを歩き、選ぶことができる。もちろん、ソムリエが、アドバイスをしてくれる。わたし達は、ビールとシャンパンで乾杯し白を1杯ずつ飲んでから、赤のボトルを選ぶことにした。
「今夜は、カベルネにしようかな。渋みはあっても、軽めのもので」
夫は、ビール党であるわたしが、赤ワインのなかでもカベルネなら飲みやすいのだと知っている。そして年末年始の胃の疲れもあるから、あまり重くなく。
ソムリエは、4本ほど提示し、夫がそのなかから1本を選んだ。
ソムリエは、籠に斜めに入れたまま、慣れた手つきでコルクを抜いた。
「そうやって、斜めにしたまま、開けるの、初めて観ました」と、わたし。
「こうして斜めにして開けることで、空気が静かにワインに入っていくので、澱も起たないんですよ」
彼は、聞いたことには一つ一つ、丁寧に説明してくれた。派手なパフォーマンスはなく、静かにグラスに注いでくれる。
「どちらかというと開きやすいワインなので、おふたりで味が変わっていくのを楽しみながら、召し上がってください」
「メインの肉を食べる頃に、一番美味しくなっているって寸法ですかね」
夫の言葉に、ソムリエの彼は、笑顔でうなずいた。
そのメインの鹿肉が出されると、彼がやって来て、籠に寝かせたままだったワインを両手で持ち上げ、まるで大切な赤ん坊でもあやすように見つめた。
「何を、しているんですか?」と、夫。わたしも、不思議に思い見ていた。
「いえ。愛情を込めているんです」と、笑いながら、彼は答えた。
「またまたー」「うそでしょう」と、わたし達。
「いえ。うそではありませんが、ここで温度を1℃上げておくと、料理に合わせて美味しくなるんです」
彼は、ここのワインは、船便で運ぶ間もインターネットで常に温度管理ができるようにしているのだと説明してくれた。ワインは温度管理が重要なのだと、そう言いつつ手で温める姿は、とても微笑ましく映った。そしてもちろん、彼が愛情を込めて1℃上げてくれたワインは、格別に美味しくなっていた。
「インターネットで遠隔管理したり、手で温めたり。全く、デジタルなんだか、アナログなんだか」
人間のやることなのだから、どちらと区別することもないのだと笑いつつ、開いて味わいが深くなった赤ワインをふたり、空にした。
綺麗な前菜は、鮪をスモークしたものに、海老やマッシュルームなどが、
飾られています。スモーク臭が丁度よく、ワインにぴったりです。
斜めに寝かせたワインです。くるくる回して飲みました。
ミンチにした鹿肉のパイ包み焼き。柔らかくて癖がありません。
ワインを飲むのを忘れてほおばってしまうほど、美味でした。
付け合せの野菜は、一つ一つ、違う鍋で蒸し焼きにしたそうです。
「お正月のお煮しめみたいだね」と、夫と話しながら味わいました。
デザートもいただきました。ブリオッシュには赤ワインが沁みていました。
さっぱりとして味わい豊かなデザートがいただけるのは、嬉しいことです。
ひょうげたる織部
辞書で「ひょうげる」を引くと、「おどけた。ひょうきんにふるまう」などと出てくる。耳に新しい言葉だった。
銀座松屋で開催中の『古田織部展』に、行ってきた。その広告にあった言葉である。「新春のひと時、是非ひょうげたる世界をご堪能ください」
織部のその形から「ひしゃげたような」などの曲線を表す言葉かと思えば、そうではなかった。調べればマンガに『へうげもの』という古田織部を描いたものがあるらしい。利休の弟子だった彼が、利休が求めたものとは違う自分らしさを追求するうち「笑い」にたどり着いたとの記述があった。確かに織部は、かしこまった器ではない。おどけている、という表現もありかも知れない。
じつを言うと、これまで「織部」とは、焼き物発祥の地などの名かと勘違いしていたが、茶人、古田織部が好んで使った器を称して「織部」と呼んだのだということさえ初めて知ったのであった。興味の対象はストレートに器に向き、うんちくなどとは縁のないわたしである。
ゆっくりと器を見て回ると、歴史を感じさせるものも多くあったが、新しさが光っているものもあった。そう言えば、織部の形は、最近注目されている「オーガニック・デザイン」に通じるものもある。自然や生き物が持っている美しさからひらめきを得て作るという「オーガニック・デザイン」は、左右上下などのバランスをとることにこだわらないのが特徴だそうだ。
そんなところに魅かれるのかな。人間だって、左右対象にはできていない。心臓は大抵左側にあるし、わたしの目は、左が奥二重で右が二重だ。綺麗な円を描かない織部の魅力に、今なお、人がモノを創りあげていく挑戦を思った。
没後400年だという、古田織部。今ならどんな器を好んで使うのだろうか。
90%くらいかな。来場者は、ほとんど女性でした。
会場内は、人、ひと、ヒト。田舎者には、過酷な展覧会でした。
人いきれに、頭がボーっとなり、すぐ近くの喫茶店に入りました。
グァテマラのストレートを飲んだら、頭すっきり。美味しかった。
銀座松屋で開催中の『古田織部展』に、行ってきた。その広告にあった言葉である。「新春のひと時、是非ひょうげたる世界をご堪能ください」
織部のその形から「ひしゃげたような」などの曲線を表す言葉かと思えば、そうではなかった。調べればマンガに『へうげもの』という古田織部を描いたものがあるらしい。利休の弟子だった彼が、利休が求めたものとは違う自分らしさを追求するうち「笑い」にたどり着いたとの記述があった。確かに織部は、かしこまった器ではない。おどけている、という表現もありかも知れない。
じつを言うと、これまで「織部」とは、焼き物発祥の地などの名かと勘違いしていたが、茶人、古田織部が好んで使った器を称して「織部」と呼んだのだということさえ初めて知ったのであった。興味の対象はストレートに器に向き、うんちくなどとは縁のないわたしである。
ゆっくりと器を見て回ると、歴史を感じさせるものも多くあったが、新しさが光っているものもあった。そう言えば、織部の形は、最近注目されている「オーガニック・デザイン」に通じるものもある。自然や生き物が持っている美しさからひらめきを得て作るという「オーガニック・デザイン」は、左右上下などのバランスをとることにこだわらないのが特徴だそうだ。
そんなところに魅かれるのかな。人間だって、左右対象にはできていない。心臓は大抵左側にあるし、わたしの目は、左が奥二重で右が二重だ。綺麗な円を描かない織部の魅力に、今なお、人がモノを創りあげていく挑戦を思った。
没後400年だという、古田織部。今ならどんな器を好んで使うのだろうか。
90%くらいかな。来場者は、ほとんど女性でした。
会場内は、人、ひと、ヒト。田舎者には、過酷な展覧会でした。
人いきれに、頭がボーっとなり、すぐ近くの喫茶店に入りました。
グァテマラのストレートを飲んだら、頭すっきり。美味しかった。
東京を見降ろして
浜松町、世界貿易センタービルの40階、展望室で、友人と待ち合わせた。20代の頃、働いていた会社の同僚である。
「久しぶりに、ランチでも、どう?」とメールすると、すぐに返信があった。
「世界貿易センタービルの展望室の東京タワーが見える席で。お弁当とビール、持って行きます」
メールを見て、思わず「おお!」と声を上げる。想定外のシチュエーションだが、彼女らしくもある。その提案にまかせ、楽しみに出かけることにした。
そこの展望台に上るのは、初めてだった。早めに着き、東京タワーを眩しく眺める。ほどなくして現れた彼女は、2年ぶりくらいだろうか。だが、ちっとも変わっておらず、挨拶もそこそこに「展望台、1周してみた?」と聞く。
まだだと言うと「じゃ、いこう」と、歩き始めた。
「ここ、よく来るんだよね」と言う。のんびりしたり、勉強したりだそうだ。
歩きながら、東京を見降ろすうち、気持ちが解放されていくのを感じる。
「高いところって、いいなぁ」と、ぼんやり考えたりした。
彼女が買って来てくれた寿司やサラダをつまみつつ、缶ビールを飲み、あれこれと喋った。明るくポジティブな彼女だが、もちろん悩みごともある訳で、それはもちろん、こちらも同じことで、たがいに長く生きてきたものだよなぁと、昔を振り返り、笑った。
「新しい年は、いいことばかりだといいな。でも、いいことも悪いことも、同じだけ起こるものなのかな」
彼女のつぶやいた言葉に、きっと、いいことばかり起こると予言してあげたかったが、あいにくとわたしには、そんな能力がある訳でもない。
「8×8 = 64で、はははと笑うのが64%、4×9 = 36で、しくしく泣くのが36%、それが人生だ、とも言うよ」
そう言うと、彼女は「そうか」と、嬉しそうに笑った。
わたし達の周りにも、東京を見降ろしている人達が何人かいた。同じ景色を見ていても、感じる気持ちも、考えていることも、当然、違うのだろう。
そして、見降ろしたその街にも、様々なことを思い、考え、悩み、生きている人々がいるのだろうと、思わずにはいられなかった。
友人が買ってきてくれたお寿司と、サラダと、ビール2缶ずつ!
東京タワーが、こんなに近くに見えるってだけで、うん。嬉しい。
スカイツリーも、ビルの合間に、小さく見えていました。
東京が夕焼けに染まり陽が暮れるまで、おしゃべりに花を咲かせました。
「久しぶりに、ランチでも、どう?」とメールすると、すぐに返信があった。
「世界貿易センタービルの展望室の東京タワーが見える席で。お弁当とビール、持って行きます」
メールを見て、思わず「おお!」と声を上げる。想定外のシチュエーションだが、彼女らしくもある。その提案にまかせ、楽しみに出かけることにした。
そこの展望台に上るのは、初めてだった。早めに着き、東京タワーを眩しく眺める。ほどなくして現れた彼女は、2年ぶりくらいだろうか。だが、ちっとも変わっておらず、挨拶もそこそこに「展望台、1周してみた?」と聞く。
まだだと言うと「じゃ、いこう」と、歩き始めた。
「ここ、よく来るんだよね」と言う。のんびりしたり、勉強したりだそうだ。
歩きながら、東京を見降ろすうち、気持ちが解放されていくのを感じる。
「高いところって、いいなぁ」と、ぼんやり考えたりした。
彼女が買って来てくれた寿司やサラダをつまみつつ、缶ビールを飲み、あれこれと喋った。明るくポジティブな彼女だが、もちろん悩みごともある訳で、それはもちろん、こちらも同じことで、たがいに長く生きてきたものだよなぁと、昔を振り返り、笑った。
「新しい年は、いいことばかりだといいな。でも、いいことも悪いことも、同じだけ起こるものなのかな」
彼女のつぶやいた言葉に、きっと、いいことばかり起こると予言してあげたかったが、あいにくとわたしには、そんな能力がある訳でもない。
「8×8 = 64で、はははと笑うのが64%、4×9 = 36で、しくしく泣くのが36%、それが人生だ、とも言うよ」
そう言うと、彼女は「そうか」と、嬉しそうに笑った。
わたし達の周りにも、東京を見降ろしている人達が何人かいた。同じ景色を見ていても、感じる気持ちも、考えていることも、当然、違うのだろう。
そして、見降ろしたその街にも、様々なことを思い、考え、悩み、生きている人々がいるのだろうと、思わずにはいられなかった。
友人が買ってきてくれたお寿司と、サラダと、ビール2缶ずつ!
東京タワーが、こんなに近くに見えるってだけで、うん。嬉しい。
スカイツリーも、ビルの合間に、小さく見えていました。
東京が夕焼けに染まり陽が暮れるまで、おしゃべりに花を咲かせました。
オフには、お麩で
正月休みに、すき焼きをした。贅沢は言わず、豚すきである。
昨年見つけた山梨では珍しいお麩屋さん『岡田屋』で、すき焼き用の麩を買ってあり、それも楽しみにしていた。
「オフには、お麩で」などと、駄洒落が、思い浮かぶ。
というのも、パソコンで「おふ」を変換すると「オフ」や「OFF」になるので、脳内で「お麩」=「オフ」と変換するようになってしまったのだ。
日本語と英語で、同じ音の言葉を繋げてみると、けっこうおもしろい。
森博嗣の小説で、S&Mシリーズは、すべて英語のタイトルが合わせてつけてあるのだが、『封印再度』の英語タイトルが『Who Inside』なのだ。どちらも内容に合っていて、作家の悪戯心と言葉遊びの巧みさに感心させられた。
「good sleep」が「ぐっすり」に聞こえるなど、同じ意味の言葉もあったりする。
公園で遊んでいた子どもが、外国人の背中に向けてボールが飛んできたのを見て「あぶない!」と言ったところ「Have an eye!」と聞こえ、ボールを避けられたという話を聞いたこともある。
そんな言葉遊びとは関係もないが、すき焼きの汁が沁みた麩は、思わず「お麩、美味しい!」と言ってしまうほど美味しかった。
スローフード代表選手のお麩。英語圏の人にも楽しんでもらえるといいな。
これからも「オフには、お麩で」楽しもう。
年末に『岡田屋』さんで、お雑煮の飾り麩と一緒に買っておきました。
ふっくら戻すと、食パンを連想させる四角いお麩です。
最初に肉を炒めて、砂糖と醤油で味つけするのは、神戸出身の夫の役目。
ワリシタを使ったすき焼きは、食べたことがありません。
仕上げに春菊を入れて、煮えるのを待ち、出来上がり。
翌日、余ったお麩と牡蠣を、バター醤油味で焼きました。
牡蠣の旨味たっぷりのお麩!おススメです。写真はピンボケ~。
昨年見つけた山梨では珍しいお麩屋さん『岡田屋』で、すき焼き用の麩を買ってあり、それも楽しみにしていた。
「オフには、お麩で」などと、駄洒落が、思い浮かぶ。
というのも、パソコンで「おふ」を変換すると「オフ」や「OFF」になるので、脳内で「お麩」=「オフ」と変換するようになってしまったのだ。
日本語と英語で、同じ音の言葉を繋げてみると、けっこうおもしろい。
森博嗣の小説で、S&Mシリーズは、すべて英語のタイトルが合わせてつけてあるのだが、『封印再度』の英語タイトルが『Who Inside』なのだ。どちらも内容に合っていて、作家の悪戯心と言葉遊びの巧みさに感心させられた。
「good sleep」が「ぐっすり」に聞こえるなど、同じ意味の言葉もあったりする。
公園で遊んでいた子どもが、外国人の背中に向けてボールが飛んできたのを見て「あぶない!」と言ったところ「Have an eye!」と聞こえ、ボールを避けられたという話を聞いたこともある。
そんな言葉遊びとは関係もないが、すき焼きの汁が沁みた麩は、思わず「お麩、美味しい!」と言ってしまうほど美味しかった。
スローフード代表選手のお麩。英語圏の人にも楽しんでもらえるといいな。
これからも「オフには、お麩で」楽しもう。
年末に『岡田屋』さんで、お雑煮の飾り麩と一緒に買っておきました。
ふっくら戻すと、食パンを連想させる四角いお麩です。
最初に肉を炒めて、砂糖と醤油で味つけするのは、神戸出身の夫の役目。
ワリシタを使ったすき焼きは、食べたことがありません。
仕上げに春菊を入れて、煮えるのを待ち、出来上がり。
翌日、余ったお麩と牡蠣を、バター醤油味で焼きました。
牡蠣の旨味たっぷりのお麩!おススメです。写真はピンボケ~。
『探偵の探偵』
松岡圭祐『探偵の探偵』(講談社文庫)を、読んだ。以下冒頭文から。
「探偵」を辞書でひけば、明確な定義が見つかる。他人の行動や秘密をひそかにさぐること。また、それを職業とする人。
小説の世界に生きる探偵とは体臭を異にする。民間人ながら警察から一目置かれ、捜査に介入し、関係者が集う場で論理的な推理を披露、容疑者を特定する。そんな記述は辞書にない。
この本に描かれている「探偵」は、アニメや小説で登場する「探偵」とは違う、との注釈とも言える始まり方だ。
主人公、紗崎玲奈(ささきれな)は「探偵のすべてを知りたい」と、探偵養成所に入校する。その理由は、妹、咲良(さくら)の死にあった。ストーカーに殺された妹の、行動を探り犯人に売っていたのが「探偵」だったからだ。
玲奈は、卒業後、中堅探偵事務所の「対探偵課」で、働き始める。他の探偵事務所の悪事を暴き、悪行をやめさせていく仕事だ。
「よくいえば業界の自浄、悪くいえば同業者潰し」とかかれているだけあり、同業者の目は冷たく、命を狙われることも、日常となる。
それでも、玲奈は淡々と仕事を、こなしていく。
咲良への愛なのか。名も知らぬ探偵への復讐なのか。決して負けないという気持ちだけが、笑顔を持たぬ彼女の光だった。
ストーカーの依頼で咲良の行動を探っていた探偵は、もし逮捕されても共犯にはならず、罪には問われないだろう、とある。
人を殺してはいけない。それを手伝ってはいけない。そんなことはみな判っている。だが、これくらいならと起こした行動が、殺人に繋がっていくことだってあるのだ。わたしが、探偵になることはまずないだろう。だが、如何なる時にも自分の行動の先を見つめなければと、考えさせられる小説だった。
パッと見、ホラーっぽい表紙ですが、ホラーな要素はありません。
玲奈を含め、様々な探偵にスポットを当てた、人間ドラマと言えます。
帯の「リーダビリティ」という言葉に注目。知らない言葉でした。
広告用語で「読みやすさ」だそうです。この言葉が、読みにくーい!
と思いましたが、小説は、一気読みでした。
「探偵」を辞書でひけば、明確な定義が見つかる。他人の行動や秘密をひそかにさぐること。また、それを職業とする人。
小説の世界に生きる探偵とは体臭を異にする。民間人ながら警察から一目置かれ、捜査に介入し、関係者が集う場で論理的な推理を披露、容疑者を特定する。そんな記述は辞書にない。
この本に描かれている「探偵」は、アニメや小説で登場する「探偵」とは違う、との注釈とも言える始まり方だ。
主人公、紗崎玲奈(ささきれな)は「探偵のすべてを知りたい」と、探偵養成所に入校する。その理由は、妹、咲良(さくら)の死にあった。ストーカーに殺された妹の、行動を探り犯人に売っていたのが「探偵」だったからだ。
玲奈は、卒業後、中堅探偵事務所の「対探偵課」で、働き始める。他の探偵事務所の悪事を暴き、悪行をやめさせていく仕事だ。
「よくいえば業界の自浄、悪くいえば同業者潰し」とかかれているだけあり、同業者の目は冷たく、命を狙われることも、日常となる。
それでも、玲奈は淡々と仕事を、こなしていく。
咲良への愛なのか。名も知らぬ探偵への復讐なのか。決して負けないという気持ちだけが、笑顔を持たぬ彼女の光だった。
ストーカーの依頼で咲良の行動を探っていた探偵は、もし逮捕されても共犯にはならず、罪には問われないだろう、とある。
人を殺してはいけない。それを手伝ってはいけない。そんなことはみな判っている。だが、これくらいならと起こした行動が、殺人に繋がっていくことだってあるのだ。わたしが、探偵になることはまずないだろう。だが、如何なる時にも自分の行動の先を見つめなければと、考えさせられる小説だった。
パッと見、ホラーっぽい表紙ですが、ホラーな要素はありません。
玲奈を含め、様々な探偵にスポットを当てた、人間ドラマと言えます。
帯の「リーダビリティ」という言葉に注目。知らない言葉でした。
広告用語で「読みやすさ」だそうです。この言葉が、読みにくーい!
と思いましたが、小説は、一気読みでした。
家用ダウン
夫には、内緒にしていたのだが、1週間ある年末年始の休みの間、嘘をつき通すことはできないと覚悟を決めた。
「どうして、家のなかで、ダウン着てるの?」と、夫。
「あ、これ? いつも着てるんだよ」と、わたしは、しかたなく白状した。
着ているのは、去年ユニクロで買った、腰までかくれる長さのウルトラライトダウンである。
「うそ。だって、ここ、家のなかだよ?」想像通り、夫は、怪訝な顔をする。
「うん。これね、家用ダウンなの」と、わたし。
「いや、ダウンに家用は、ないから」夫は、さらに抵抗を示した。
「去年のダウン、ぺちゃんこになっちゃったから。軽量ぺちゃんこダウンは、家で着るのに最適だよ。背中もお尻もあったかいし」
夫は、怪訝な顔のまま、無言になった。
大掃除も、御節作りも、薪運びも、家用ダウンのおかげで、何もかもが楽になった。温かいというのは、素晴らしい。何をするにも、気持ちが楽なのだ。
だが、夫は、あきらめなかった。日に何度も、皮肉を言う。
「ねぇ、どうして、家のなかで、ダウン着てるの?」
「あったかいからだよ。家用ダウンだよ」わたしは、笑顔で答える。
休みの間じゅう、こんな会話が、何十回となく、繰り返されることとなった。
だが、わたしの心は決まっている。寒い時には、着る。会話のリピートが、何百回を記録しようとも、この冬は、これで乗り切るつもりだ。
こうして見ると、けっこうごっつく見えますが、とにかく軽いんです。
ハリーとネリーも、家のなかでぬくぬくおしゃべりしています。
「どうして、家のなかで、ダウン着てるの?」と、夫。
「あ、これ? いつも着てるんだよ」と、わたしは、しかたなく白状した。
着ているのは、去年ユニクロで買った、腰までかくれる長さのウルトラライトダウンである。
「うそ。だって、ここ、家のなかだよ?」想像通り、夫は、怪訝な顔をする。
「うん。これね、家用ダウンなの」と、わたし。
「いや、ダウンに家用は、ないから」夫は、さらに抵抗を示した。
「去年のダウン、ぺちゃんこになっちゃったから。軽量ぺちゃんこダウンは、家で着るのに最適だよ。背中もお尻もあったかいし」
夫は、怪訝な顔のまま、無言になった。
大掃除も、御節作りも、薪運びも、家用ダウンのおかげで、何もかもが楽になった。温かいというのは、素晴らしい。何をするにも、気持ちが楽なのだ。
だが、夫は、あきらめなかった。日に何度も、皮肉を言う。
「ねぇ、どうして、家のなかで、ダウン着てるの?」
「あったかいからだよ。家用ダウンだよ」わたしは、笑顔で答える。
休みの間じゅう、こんな会話が、何十回となく、繰り返されることとなった。
だが、わたしの心は決まっている。寒い時には、着る。会話のリピートが、何百回を記録しようとも、この冬は、これで乗り切るつもりだ。
こうして見ると、けっこうごっつく見えますが、とにかく軽いんです。
ハリーとネリーも、家のなかでぬくぬくおしゃべりしています。
『村上ソングズ』×『死ぬまでにしたい10のこと』
帰省していた末娘を送り出した、正月3日。
久しぶりに『村上ソングズ』を、開いた。村上春樹が自らのレコードコレクションから厳選した曲の歌詞を翻訳し、エッセイと共に紹介する。そして、それに和田誠がカラーの絵をいく枚もつけたという贅沢極まりない本である。
すでに最初の1曲で、読み留まり、思いを馳せた。
ビーチボーイズの『God Oniy Knows』(神様しか知らない)
目を留めたのは、映画『死ぬまでにしたい10のこと』のなかで、ヒロインがこの歌を口ずさむシーンがあったとかかれていたところだ。以下本文から。
この映画のそのシーンが、僕はとりわけ好きだった。その選曲の以外さにどきっとさせられたし、映画が終わったあとでも、そのなんでもないシーンが不思議に深く心に残った。そのように、登場人物が劇中さりげなく口ずさむ音楽ひとつで、映画の持つ味わいががらりと変わってしまうこともある。
ひとつのシーンが映画の持つ味わいを変えるというところに、共感した。だが、わたしのなかに残っている、この映画のシーンは、別のところにある。
今は二十歳になった末娘だが、幼い頃よく彼女を膝に抱き「イカダごっこ」をした。座ったわたしがイカダになり娘はしっかりしがみつく。そして「大波が来た!」と叫び、娘を大きく左右に揺らすのだ。彼女はそれが大好きだった。
その娘が中学生になった頃、わたしは『死ぬまでにしたい10のこと』を、DVDで観ていた。以前観たことはあったが、記憶もあいまいになり、もう一度観たくなったのだ。そして、驚いた。映画を観ていたら、不意に「イカダごっこ」のシーンになったからだ。
それはほんの1分に満たない、あるかなしかのシーンで、この映画だったということすら、すっかり忘れ去っていた。だが、わたしと娘の「イカダごっこ」が、この映画から来ているということは、はっきりと判った。「イカダごっこ」だけが映画から独り歩きをし、わたし達のなかに残っていたのだ。
「ねぇ、イカダごっこ、覚えてる?」
そう訪ねるわたしに、中学生になった彼女は笑ってうなずいたものだった。
いつか彼女は『死ぬまでにしたい10のこと』を観るだろうか。今もまだ、イカダごっこを覚えているだろうか。
真っ赤なアンティーク・ラジオの表紙が、素敵です。
左側は、カバーの箱。中央公論新社刊。
アビー・リンカーン作詞『Blue Monk (Monkery's The Blues)』
訳は『ブルー・モンク(修業はつらい)』
ランディ・ニューマン作詞作曲『Mr. Sheep』
訳は『羊くん(ミスター・シープ)』
久しぶりに『村上ソングズ』を、開いた。村上春樹が自らのレコードコレクションから厳選した曲の歌詞を翻訳し、エッセイと共に紹介する。そして、それに和田誠がカラーの絵をいく枚もつけたという贅沢極まりない本である。
すでに最初の1曲で、読み留まり、思いを馳せた。
ビーチボーイズの『God Oniy Knows』(神様しか知らない)
目を留めたのは、映画『死ぬまでにしたい10のこと』のなかで、ヒロインがこの歌を口ずさむシーンがあったとかかれていたところだ。以下本文から。
この映画のそのシーンが、僕はとりわけ好きだった。その選曲の以外さにどきっとさせられたし、映画が終わったあとでも、そのなんでもないシーンが不思議に深く心に残った。そのように、登場人物が劇中さりげなく口ずさむ音楽ひとつで、映画の持つ味わいががらりと変わってしまうこともある。
ひとつのシーンが映画の持つ味わいを変えるというところに、共感した。だが、わたしのなかに残っている、この映画のシーンは、別のところにある。
今は二十歳になった末娘だが、幼い頃よく彼女を膝に抱き「イカダごっこ」をした。座ったわたしがイカダになり娘はしっかりしがみつく。そして「大波が来た!」と叫び、娘を大きく左右に揺らすのだ。彼女はそれが大好きだった。
その娘が中学生になった頃、わたしは『死ぬまでにしたい10のこと』を、DVDで観ていた。以前観たことはあったが、記憶もあいまいになり、もう一度観たくなったのだ。そして、驚いた。映画を観ていたら、不意に「イカダごっこ」のシーンになったからだ。
それはほんの1分に満たない、あるかなしかのシーンで、この映画だったということすら、すっかり忘れ去っていた。だが、わたしと娘の「イカダごっこ」が、この映画から来ているということは、はっきりと判った。「イカダごっこ」だけが映画から独り歩きをし、わたし達のなかに残っていたのだ。
「ねぇ、イカダごっこ、覚えてる?」
そう訪ねるわたしに、中学生になった彼女は笑ってうなずいたものだった。
いつか彼女は『死ぬまでにしたい10のこと』を観るだろうか。今もまだ、イカダごっこを覚えているだろうか。
真っ赤なアンティーク・ラジオの表紙が、素敵です。
左側は、カバーの箱。中央公論新社刊。
アビー・リンカーン作詞『Blue Monk (Monkery's The Blues)』
訳は『ブルー・モンク(修業はつらい)』
ランディ・ニューマン作詞作曲『Mr. Sheep』
訳は『羊くん(ミスター・シープ)』
鳥居の上の石
正月2日。お隣りは韮崎市の『武田八幡神社』に、初詣に行った。
おなじ「武田」でも、甲府の『武田神社』とは違い、車も人も空いている。なので毎年、初詣は此処に行くのだ。
雪の予報も、何処かへ行ってしまい、晴天のなかの詣でとなった。
帰省している末娘は、レポートを仕上げなくてはならないというので、夫とふたり、のんびりと参拝した。
家族5人で、詣でた日々を、思い出す。末娘の手を引いて階段を上ったこと。おみくじを見せ合ったこと。息子が、鳥居の上に石を乗せるまでは帰らないと、何度も石を投げていたこと。
「彼は今も、石を投げ続けているのだろうか」
ふと、考える。息子はもう3年ほど帰って来ないが、何を考え、何をしているのだろうか。もう大人になった彼の考えることは、わたしには判らない。
「初詣に行って、お守り買ったから、送るね」
電話すると、彼は短く「うん」とだけ、返事をした。
息子がよく石を投げてのせていた、石の鳥居を見上げました。
なかなかのせられなくて、待ちくたびれたなぁ。
雪の予報は消え、富士山も、綺麗に見えました。
おなじ「武田」でも、甲府の『武田神社』とは違い、車も人も空いている。なので毎年、初詣は此処に行くのだ。
雪の予報も、何処かへ行ってしまい、晴天のなかの詣でとなった。
帰省している末娘は、レポートを仕上げなくてはならないというので、夫とふたり、のんびりと参拝した。
家族5人で、詣でた日々を、思い出す。末娘の手を引いて階段を上ったこと。おみくじを見せ合ったこと。息子が、鳥居の上に石を乗せるまでは帰らないと、何度も石を投げていたこと。
「彼は今も、石を投げ続けているのだろうか」
ふと、考える。息子はもう3年ほど帰って来ないが、何を考え、何をしているのだろうか。もう大人になった彼の考えることは、わたしには判らない。
「初詣に行って、お守り買ったから、送るね」
電話すると、彼は短く「うん」とだけ、返事をした。
息子がよく石を投げてのせていた、石の鳥居を見上げました。
なかなかのせられなくて、待ちくたびれたなぁ。
雪の予報は消え、富士山も、綺麗に見えました。
まな板の感触
まな板は、3枚を使いまわしているが、2枚はプラスチック。1枚は天然木の大きなもので、家を建てた時に大工さんからいただいた手作りのものである。
今年の御節作りは、その木のまな板で、すべての野菜を切った。
毎年30日になますを作り、その夜、蓮根や牛蒡を水にさらし、あとは大晦日の仕事にしている。
そのなますにする大根を刻んでいて、おやっ、と思った。木のまな板が、包丁を柔らかく受け止める感触に、プラスチックのまな板との違いを感じたのだ。そう言えば、木のまな板を使ったのは久しぶりだった。
大根1本を細く細く千切りにしながら、何故かのんびりとした気持ちになる。
トン。トン。トン。
木のまな板のその感触が、その音が「1歩、1歩」と言っているように思えたのだ。まな板が包丁を受け止める度に、柔らかなものが心のなかに広がっていく。1歩、1歩と。
ゆったりとした気持ちで、煮しめを煮、鰤を焼き、鶏の照り焼きを作り、数の子の薄皮をむいた。そして、夕方、末娘が帰ってくる頃には、すべてが出来上がり、娘とふたり楽しくお重に詰めることができた。
木のまな板のよさ、再発見。見落としているものが、まだまだあるかもしれないと思った出来事だった。
我が家の御節です。煮しめは、土井勝の味。
フランス料理店でバイト中の娘は、大晦日、フランス風御節を
詰めてきたそうです。丁寧に詰めるので、バイト先でも重宝されたかな。
詰めながら、栗をけっこうな数、つまんでいましたが・・・。
お吸い物風薄味のお雑煮です。鶏と三つ葉、柚子、生麩を飾って。
今年の御節作りは、その木のまな板で、すべての野菜を切った。
毎年30日になますを作り、その夜、蓮根や牛蒡を水にさらし、あとは大晦日の仕事にしている。
そのなますにする大根を刻んでいて、おやっ、と思った。木のまな板が、包丁を柔らかく受け止める感触に、プラスチックのまな板との違いを感じたのだ。そう言えば、木のまな板を使ったのは久しぶりだった。
大根1本を細く細く千切りにしながら、何故かのんびりとした気持ちになる。
トン。トン。トン。
木のまな板のその感触が、その音が「1歩、1歩」と言っているように思えたのだ。まな板が包丁を受け止める度に、柔らかなものが心のなかに広がっていく。1歩、1歩と。
ゆったりとした気持ちで、煮しめを煮、鰤を焼き、鶏の照り焼きを作り、数の子の薄皮をむいた。そして、夕方、末娘が帰ってくる頃には、すべてが出来上がり、娘とふたり楽しくお重に詰めることができた。
木のまな板のよさ、再発見。見落としているものが、まだまだあるかもしれないと思った出来事だった。
我が家の御節です。煮しめは、土井勝の味。
フランス料理店でバイト中の娘は、大晦日、フランス風御節を
詰めてきたそうです。丁寧に詰めるので、バイト先でも重宝されたかな。
詰めながら、栗をけっこうな数、つまんでいましたが・・・。
お吸い物風薄味のお雑煮です。鶏と三つ葉、柚子、生麩を飾って。
新しい年、冬椿
火のけなき 家つんとして 冬椿
小林一茶の俳句である。
新しい年を迎えるに当たり、その句を思い浮かべるような暖簾を、新調した。
冬の間は、冷蔵庫代わりにもなる玄関に、冬椿は今、美しく咲いている。
忙しく煮しめを煮た、大晦日。ふと、嬉しくなる。
この暖簾。来客などを考慮して選んだものだが、実際には、玄関とリビングの間にかかるこの暖簾を、最も数多くくぐるのは、わたしだ。
野菜をとりに、また餅を、また白菜の漬物を、卵を。その度に暖簾をくぐる。美しい赤。美しい黒。その暖簾を何度となくくぐるのは、わたしなのだ。
新しい年を迎えるというのは、いいものだ。そして、その時に感じた喜びというのもまた、いいものだ。
冬椿に、喜びを感じた年初め。さて。どんな年に、なるのだろうか。
越してきた時から飾ってある、北アルプスは涸沢の絵と一緒に。
玄関には、朝日が長く伸びています。冬椿も、笑っているよう。
☆あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく☆
小林一茶の俳句である。
新しい年を迎えるに当たり、その句を思い浮かべるような暖簾を、新調した。
冬の間は、冷蔵庫代わりにもなる玄関に、冬椿は今、美しく咲いている。
忙しく煮しめを煮た、大晦日。ふと、嬉しくなる。
この暖簾。来客などを考慮して選んだものだが、実際には、玄関とリビングの間にかかるこの暖簾を、最も数多くくぐるのは、わたしだ。
野菜をとりに、また餅を、また白菜の漬物を、卵を。その度に暖簾をくぐる。美しい赤。美しい黒。その暖簾を何度となくくぐるのは、わたしなのだ。
新しい年を迎えるというのは、いいものだ。そして、その時に感じた喜びというのもまた、いいものだ。
冬椿に、喜びを感じた年初め。さて。どんな年に、なるのだろうか。
越してきた時から飾ってある、北アルプスは涸沢の絵と一緒に。
玄関には、朝日が長く伸びています。冬椿も、笑っているよう。
☆あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく☆
隣りの林のアカゲラ
庭や隣の林には、野鳥が、たくさん飛んでくる。
「あのトサカみたいなのがついてる鳥、何だろう?」
夫が窓の外をのぞき、野鳥図鑑を開いているので、わたしものぞいてみた。
「ホオジロかな?」「多分、そうだね」
そんな話をしているあいだにも、シジュウカラやヤマガラ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、エナガ、スズメなどがにぎやかにやって来る。
餌を捕るのが難しくなり始めるこの時期、夫が庭に向日葵の種を撒くのだ。
それもあってか西側の窓は、バードウォッチング用と言ってもいいほどに、鳥達の様子を楽しめる展望台となる。
向日葵の種目当てではない鳥もまた、やってくる。
「あっ、アカゲラ! 綺麗だねぇ」「おっ、つがいだ」
2羽のアカゲラが、隣りの林の木々を行ったり来たりしつつ、餌を探し、木をつついている。キツツキという名は、簡潔に彼らの習性を表していて愉快だ。
外を見なくても、コンコンの音が小さいとコゲラかな、と思うし、大きいとアカゲラだろうかと窓の外を見てみたりする。
アカゲラは赤が鮮やかで、美しい。一目でそれだと判り、目にすると嬉しくなる。音は聞こえても姿は見えないことも多く、ゆっくり見られるのは珍しく、それだけで、いいことがあったような気分にさせてくれる。
年の最後に、飛んできたプレゼント達は、いつになく長い時間、そんな風にして目を楽しませてくれたのだった。
お馴染みキツツキのポーズ。コンコンとノックしています。
頭部と腹の赤が鮮やかです。閉じた羽根の縞模様が綺麗。
太い赤松に、飛び移ってきました。
キツツキの名から連想するには、cuteすぎる瞳。
八ヶ岳にも、たくさんの鳥達が飛び回っているんだろうな。
「あのトサカみたいなのがついてる鳥、何だろう?」
夫が窓の外をのぞき、野鳥図鑑を開いているので、わたしものぞいてみた。
「ホオジロかな?」「多分、そうだね」
そんな話をしているあいだにも、シジュウカラやヤマガラ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、エナガ、スズメなどがにぎやかにやって来る。
餌を捕るのが難しくなり始めるこの時期、夫が庭に向日葵の種を撒くのだ。
それもあってか西側の窓は、バードウォッチング用と言ってもいいほどに、鳥達の様子を楽しめる展望台となる。
向日葵の種目当てではない鳥もまた、やってくる。
「あっ、アカゲラ! 綺麗だねぇ」「おっ、つがいだ」
2羽のアカゲラが、隣りの林の木々を行ったり来たりしつつ、餌を探し、木をつついている。キツツキという名は、簡潔に彼らの習性を表していて愉快だ。
外を見なくても、コンコンの音が小さいとコゲラかな、と思うし、大きいとアカゲラだろうかと窓の外を見てみたりする。
アカゲラは赤が鮮やかで、美しい。一目でそれだと判り、目にすると嬉しくなる。音は聞こえても姿は見えないことも多く、ゆっくり見られるのは珍しく、それだけで、いいことがあったような気分にさせてくれる。
年の最後に、飛んできたプレゼント達は、いつになく長い時間、そんな風にして目を楽しませてくれたのだった。
お馴染みキツツキのポーズ。コンコンとノックしています。
頭部と腹の赤が鮮やかです。閉じた羽根の縞模様が綺麗。
太い赤松に、飛び移ってきました。
キツツキの名から連想するには、cuteすぎる瞳。
八ヶ岳にも、たくさんの鳥達が飛び回っているんだろうな。
HN:
水月さえ
性別:
女性
自己紹介:
本を読むのが好き。昼寝が好き。ドライブが好き。陶器屋や雑貨屋巡りが好き。アジアン雑貨ならなお好き。ビールはカールスバーグの生がいちばん好き。そして、スペインを旅して以来、スペイン大好き。何をするにも、のんびりゆっくりが、好き。
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(☆を@に変えてください)
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